2016年2月5日金曜日

大人に憧れた少年時代

昔のことを思うと、小中学生時代は声が大きく小生意気ではあったろうが、チビで運動は何をやっても人並み以下、勉強は中くらいだったろうか。休み時間の遊びで相撲は勿論出ると負け、掴み合い取っ組み合いの喧嘩の真似事でも勝った記憶が無い。学校ではそんなに大きな顔が出来なかったが、放課後と休日に遊ぶことにかけては相手構わず相当リーダーシップを発揮していたと思う。

従って友達には不自由しなかった。高校に入学して近郷近在多くの中学からの生徒が混ざり合う環境になると、この傾向に拍車が掛かって友達は増える一方となる。お陰でお勉強は反比例してつるべ落としになったが、3年生になる頃には同期の生徒約400人はもとより、上級生や下級生にも相当顔が売れていたと思う。そうなると偉そうな顔をしたくなるのが人情かどうか、兎に角できるだけ大人っぽくするように努力したように思う。

所謂でかい面をするためにはそのくらいの見栄は張らねばならない。なんでそんな風になってしまったのか未だによく分からないが、18歳前後でそんな少年であったのは事実だ。真面目な学生が多い我が母校にでは、平たく言って不良グループの一員だったと言える。不良と言っても名誉ある県庁所在地の県立高校だから一風変わったルーティンがあった。毎日のように放課後何人かが集まって近くの裏山に続く道をマラソンの真似事で走り、女子高のグランドを見下ろす丘の上で今で言うストレッチをするのである。

多くの運動部が似たような放課後のトレーニングをしているので、彼等に負けまいとの意識も働いていたと思う。運動部だと怖い先輩がいたりするが、こちらは同期生ばかりで気心知れている、当初はきつくて大変だったが、いつの間にかついて行けるようになった。これについてはかつての仲間に改めて感謝したい。さて、その後のルーティンである。女子高のグランドを見下ろして手を振って見たり、車座になって下らぬ猥談とか愚にもつかぬことを喋りながら、誰かが持参している煙草を一服するとしたものだった。

これも大人びた振る舞いの大事な要素と思って手にしたが、家で喫えないので習慣にならずに済んだ。友人仲間でそんな見栄を張っていると良いこともあるが、不都合もある。仲間がいるので校内で喧嘩を売られたり上級生から締められることは殆ど無かったが、何処の学校にも似たようなグループがあるので他校の生徒と喧嘩になったことがあった。幾ら自信が無いとは言え、普段学校ででかい面をしている以上学校の名誉が掛かる。

呼び出された場所に行くときは震えたが、喧嘩の勝ち負けは別として何とか切り抜けることが出来た。子供の喧嘩と違って互いに大人だから、程々のところで止めて貰えたのだ。そんな経験を重ねながら、段々と本物の大人の世界に入って行ったが、この頃の身につけた性格は今でもなかなか抜けないものだ。多くの人が似たような経験を持っているのではなかろうか。いい年をしてこんな恥を書いたのは、昨日の衆議院予算委員会の質疑を聞いて、やり取りが余りにも子供じみて聞こえたからである。

安倍総理や石原新大臣の答弁を聞いていると、まるで小学生か中学生の口喧嘩で、論理もへったくれも無い。黒田日銀総裁が最初から質問にまともに答えないのも、子供の不貞腐れに見える。何れも一人前の大人として恥ずかしくないのだろうか。

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