2017年1月27日金曜日

日本の軍事力

通常国会が始まったが、また意味不明の総理答弁が続くと思うとうんざりするだけだ。言って聞かせても何も理解せず、訳の分からん我儘を言い続ける子供を持つ親の心境かもしれぬ。自分が生んだのだから仕方ない。総理と自民党だけならまだしも、日本維新の会なんて何かね?一応野党とされているのかもしれぬが。共同代表の片山虎之助氏なんておじさんは「アメリカから言われる前に防衛費予算の充実を検討すべき」なんてことを公然と言い放っている。

何度も書いているが日本にとって必要かどうかは一先ず措くとして、仮想敵国はどこか?誰も明確にしないが1に中国、2に北朝鮮か?自衛隊の訓練等から推測するに、尖閣諸島への中国からの侵略を相当意識しているようでもある。様々なシミュレーションがあるようだが、これを防御する戦闘で、日本が侵略してきた中国を撃退することはそう難しいことではなさそうだ。

しかし、日本政府が戦闘と衝突、戦闘と戦争の区別もつかないことは既に南スーダンの現状認識でも明らかである。自衛隊がどんなに頑張り、例え一時の戦闘で勝利を収めることができても、国と国の戦争に勝てないことは、二階自民党幹事長の言葉を借りれば赤ん坊にも分かることである。自衛隊が軍事力であることに異を唱えるつもりは無いが、政治家にそれをマネージする能力が無ければ、危険な玩具にすぎない。

ただでさえ日本の自衛隊は、アメリカから役に立たない高額な兵器を押し付けてられている。そんなことはボケ老人に指摘されるまでもなく自衛隊自身も政治家も分かっているではないか。アメリカは新大統領になったので、ただでさえこの傾向に拍車がかかる筈だ。政治家が知恵を出し合ってその防護策を考えるべき時になんだ。片山氏は相当な年齢でもう少し思慮分別があるかと思っていたが、やはり相当ボケているのにがっかりである。

序で書けば先日テレビを見ていたら五百旗頭真氏(元防衛省防衛大学校長)が次のような発言をしていた。「アメリカの核の傘で日本は守られていると勘違いしている人が多い。核の傘は日本を守るのではなく、報復手段を保証しているだけです。」更に「大統領が変わったからと言ってじたばたしてはいけない。トランプ氏が反中国だなんて調子付くと却って危ないですよ。腰を落ち着け推移を見守ることが大事。」相当自民党寄りの人なので、いつもは眉につばつける気持ちで聞くのだが、尤もだとの思いで聞いた。

2017年1月26日木曜日

読後感「太平記」兵頭裕己 校注

久しぶりに読後感を上げる。岩波文庫で6冊、原本では全40巻(1巻欠如有り)の大著である。暮から読み始めたので1か月以上かかったと思うが、我ながらよく最後まで読んだものだ。区立図書館から借りながら読んだので、感想を書くにしても内容を殆記憶していない。そもそも読書中からして、英語の本を読むより少し理解できる程度のことで、内容について記述することは不可能である。

タイトルに「校注」とあるように、全ページ下部4分の1が注釈になっていて、本文のあらゆる場所に物凄く小さな活字で注釈ナンバーが振ってある。これを全て参照しながら読み進めれば少し益しかもしれぬが、それでも理解は大変だろう。ではなんで読後感かであるが、「太平記」が書かれた時代背景を理解するだけでも意味があった。大学受験科目に世界史があったが、高校時代に日本史を選択したかどうか記憶にない。仮に必須科目であったにしても、何も学んでいないのと一緒で江戸時代より古い日本のことなど何も知らないに等しい。

「太平記」が描く時代は明確で14世紀半ばの約50年、鎌倉時代から室町時代への過渡期にあった南北朝時代の政治史みたいものである。作者ははっきりしていないようだが、一人ではないようでもあり、当初は主要登場人である足利尊氏が天台宗の僧で儒学者<玄恵>に命じた書かせたとする説が有力のようであるが、足利尊氏は途中で死んでしまうのだからよく分からない。本書を読んで内容はよく理解できなくても、南北朝時代とは如何なる時代だったかは大分知ることになった。

一口で言えば、その後に来た織田信長、武田信玄、上杉謙信などが活躍した戦国時代以上に悲惨で混乱した時代だったみたいだ。平安時代から鎌倉時代にかけ、14世紀初頭に日本は国家(概念)が確立して、天皇を頂点とする国家統治機能も整備され、それを武家(当時は鎌倉の北条氏)が運用して国家の治安を維持する仕組みが一応確立していたようである。ごく簡単に言えば、税金を納める民と税金で飯を食う京都の皇族と武士階級に秩序立てられた。しかし当時も現在と同じで、政権を担当する武士共が段々横暴になり、民は苦労していたようだ。

時の天皇(後醍醐天皇)が何を思ったか、政権担当者(鎌倉の北条氏)を討伐と思ったところから話が始まる。ところが、後醍醐天皇は逆に政権によって捕らえられ、隠岐に島流しされてしまう。その時後醍醐天皇の復権に立ち上がったのが足利尊氏とか新田義貞たちで、後醍醐天皇は目出度く天皇の座に復し、足利尊氏が将軍職に就く。がしかし、直ぐに北条方の巻き返しが始まって混乱は一層深まり、後醍醐天皇は再び都を追われ、南の方に逃げなければならなくなる。後醍醐天皇が都から追い払われると、北条氏側は脇の血筋から光厳天皇を担いで即位させてしまう。

従ってその後、4代か5代に亘って日本には2系列の天皇が存在していたことになる。後醍醐天皇側を南朝、光厳天皇側を北朝と呼んだ。その間武士の間ではあっちについたり、こっちについたりで、肝心の将軍になった足利尊氏自体が後醍醐天皇に反旗を翻すに至る程である。結局この将軍に楯突くのは同郷の出身の新田義貞となり、足利と新田の戦が後半の中心になる。

書くのが遅すぎたが、そもそも当時は武士にも氏素性があって、武士の氏族として平氏と源氏があり、北条は平氏、足利と新田は共に源氏である。言わば身内の権力争いが大きなテーマと言っても差し支えない。当然ながら肉親の親子兄弟関係での離反は勿論、組織上の裏切り、下剋上は日常茶飯事。2系統の天皇家から親王、内親王が沢山出てくるし、地方で武士集団が近隣を切り従えるためにこういった天皇の血筋を祭り上げることも度々出てくる。では皇族と氏素性正しい武士の物語かと言えばそうでもない。

結果的には皇族が殺されることも大分あったようだ。兎に角約半世紀に亘る全国的な大混乱を経て、1368年に京都で2代将軍足利義詮の死去と後継者足利義満(当時10歳)の後見に細川頼之が着任というところで物語は終わってしまう。兎に角内容的には、太平とは程遠い血生臭い話の連続であるが、言いたかったのは日本的な秩序があっての太平のようであるが、反語的に「それは大変難しい」ようにも見える。

統治を司った武士階級一つにしても、氏素性的には武士ではないが、単に河内の野武士(宮廷に仕えていない)楠木正成の系列が最後まで南朝側に忠誠を尽くすように描かれ、これがかなり重要な位置を占めている。そして後年に及び日本の皇国史観に大きな影響を与えたようだ。何れにせよ、戦国以降江戸時代まで、当時の教養人には広く愛読されたらしい。

2017年1月25日水曜日

もう、どうでもいいが

昨年8月8日陛下のご発言を受けて有識者会議がまとめたとされる「論点整理」なるものが今週発表された。詳細を読む気にもならぬが、政府の意向を踏まえ、今の陛下一代に限り退位を認めるのが妥当と読める内容で、「結論ありき」の印象は否めないそうである。

日本の社会ではあちこちでよく見られることではあるが、陛下が提起された問題に対して、政府は殊更問題を矮小化して己の田に水を引かんとしていることだけは明らかだ。陛下が提起された問題は誰がどう見ても「天皇制の根本問題」であり、決して陛下御自身の我儘である筈がない。陛下が「日本人にとって天皇制は必要である」と考えられていることは確かで、これまでそのために努力されてきたことは万人の認めるところだろう。

そのご発言を逆手にとって先ずは、「ご意思に沿うことは憲法違反」ときたものだ。その代わり「草臥れたのなら休ませてあげるよ」とは全くよく言ってくれるよ。その通りかもしれぬ。確かに陛下の平和を追求する姿勢は、善悪は別にして安倍総理に相当批判的であるのも事実だ。しかしこの機に乗じて早いとこ陛下にお引き取り願い、その後は憂いなく自分が思い描く復古主義の世に変えたいとの思惑は真の下剋上の発想で、戦国時代の武将も顔負けである。

尻馬に乗ったのが恒例の有識者会議とマスコミだ。多分このままいって総理の思うようになるだろう。これも世代の変わり目、世の変化の一つだ思うしかないのだろうが、総理周辺がことあるたびに「陛下のご意向」とかご意思を戴してみたいなお為ごかしを聞くのが片腹痛い。歴史を紐解けば天皇が軽んじられた時代の日本に碌な試しがあったようには思えない。

ある人に言わせると「今は末世、これから次々に災いが襲ってくる」そうだが、世界全体だったか日本のことだったかを忘れてしまった。どちらにせよ、あながち外国のことだとばかり言っていられないような気もする。

2017年1月24日火曜日

発言の分かりやすさ

昨日と同じテーマで恐縮、昨日の稀勢の里関の記者会見は誰が聞いても心地よかったに違いない。同じ記者会見でも、念入りに準備された総理記者会見が全く心に響かないのは何故か、総理周辺は研究することを薦めたい。会見の中で彼が覚悟の中に「立ち居振る舞い」について語ったのは巧まずしてのことだろうが、偉いと思った。因みに前後を余さず引用すると以下の通り。

「グッと気が引き締まりました。尊敬される、模範となるような力士になっていきたい。そのためにはもっともっと努力しないといけない。稽古場の立ち振る舞いもそう、生き方としても周りから見られている。責任ある地位。中途半端な気持ちではいられない。」中学卒業文集には「天才は生まれつきです。もうなれません。努力です。努力で天才に勝ちます。萩原」と書いたとの報道もあったが、凡俗から見ると彼はやはり天才の一人だ。

天才でも生半可な努力ではなれないのが横綱かもしれぬが、その代わり横綱にはカド番も減ったくれも無い、実績を失えば一巻の終わりだ。彼が何場所横綱の地位を張れるか、今相当なプレッシャーに耐えていることだろう。更なる精進を期待しよう。

お相撲とはまるきり違うのが政治の世界。宇良関のレスリング経験を生かした決まり手の「居反り」は協会が認定している48手のうちらしいが、政治の世界はそれこそ「なんでもあり」らしい。特に、総理は一度陥落してもノコノコ復活できることも相撲とは大違い。恥を知らなければ笑いが止まらぬかもしれぬ。安倍総理の頭にある星取表も選挙の数字なんだろう。「確かに大きな議席を失って一度陥落したが、それ以上の議席を獲得したのだから文句はあるまい。」確かにそれも一つの哲学ではある。

しかし、「地盤、看板、鞄」の3つが揃えば総理大臣には誰でもなれるとすれば問題だ。稀勢の里関の学歴は中学校卒業、安倍総理は大学のご出身。しかし所信表明演説を終えたばかりの総理側から見れば、語る内容を比較するのも恥ずかしくなるだろう。品位と風格の差が歴然としすぎる。もちろん学歴の差でもない、馬鹿とか利口の問題とも少し違う。

安倍総理にはこれ以上笑いものにならぬうちに早いとこお引き取り願いたい。

2017年1月23日月曜日

お正月らしい話題

今朝はだいぶ冷え込んでいるが、昨日の昼間はのどかで春らしい陽気だった。たまには明るい話だけを書いておこう。

何といっても大相撲初場所、稀勢の里が白鵬を破って目出度く優勝。大いなる相撲ファンとは言い難いが、19年振りに日本出身の横綱が誕生することになって目出度い限りだ。30歳という年齢が少し気になったが、30歳を超えての横綱誕生は過去に決して例が無いわけではないようだ。余計な心配はしなくても、稀勢の里は昨年最多勝利を挙げているし、平成十四年三月場所の初土俵以来の成績は非凡なものだ。休場が1日しかないは怪我をしない証拠だろうし、稽古を真面目にしているからだろう。兎に角立派なものだ。新横綱の活躍を大いに期待しよう。

卓球の全日本選手権・女子シングルスの平野美宇選手の優勝も昨日の明るいニュースだ。16歳は何とも羨ましい。東京オリンピック、更にそれ以降での活躍を草花の陰から応援することになるだろう。

2017年1月21日土曜日

トランプ新アメリカ大統領

何故か土曜日はブログを休むことが多いが、暇なので書いてみる。昨夜は早く寝たので1時に目が覚めて、2時過ぎまでトランプ氏の就任演説を聞いてしまった。感想は「分かりやすい」の一言に尽きる。要するに「現在生活が苦しい人たちは自由貿易主義の被害者だ。生活苦から抜け出させるために保護主義だろうとなんだろうと国益最優先でいくよ。」

具体的に何をどうするか知らぬが、現在生活苦に喘ぐ国民にすれば心強いだろう。一見時代錯誤のように感じなくも無いし、日本の評論家の大半は経済政策としても間違っていると言っている。アメリカ国内でもトランプ氏の政策や性格に反対者が多いようで、就任時支持率は歴代大統領最低とのこと。日本のマスコミは、アメリカ社会が分断されたと嬉しげでもある。

思えば第1次オバマ氏の就任演説「YES WE CAN」は極めてインパクトがあったし、万人に呼び掛けた素晴らしい演説だったように記憶するが、さて、具体的に何をすると言ったかについては思い出せない。当然ながら趣旨としては<国民の平和と豊かさを築き、且つ世界平和の安定をリードしていく。>くらいのことは言っただろう。前任者に比べると如何にも頭のよさそうな印象を持ったものだった。

今日の報道では、オバマ氏の就任時支持率は、昨日のトランプ氏に比べて2倍近いものだったようだ。しかし、そのオバマ氏でさえ8年掛けて成しえたことを思うと、殆ど無きに等しいらしい。内容を知らないが、唯一鳴り物入りで成立をみたとされる<オバマ ケア>なんて政策すら、トランプ氏がぶち壊すとのことだから、これとて全国民が諸手を挙げて歓迎したものでもないらしい。如何なる国の如何なる政策でも、全国民が諸手を挙げて歓迎なんて代物はあり得ないだろう。

一見無教養の不動産屋のトランプ氏、そんなことあり得ないだろうと思うのだが。自身も取り巻きを見ても金持ちの集まりながら、貧乏人の味方を一番に掲げている。「景気をよくする」と言っているが、「金持ちが儲かれば、おこぼれが貧乏人に落ちてくる」なんて回りくどいことは言わず、端的に貧乏人救済をお題目にしているところは強かなものだ。

アメリカ経済なんかどうなろうと余り関係ないが、世界平和は問題だろう。オバマ氏は就任時に大きく出すぎて、結果的に何もできなかった、なんて酷評になってしまった。トランプ氏は商売人だそうだから、世界平和について声高な発言は無いようだ。逆に言えばそれが怖い。ISを徹底的にやっつけるくらいは仕方ないにしても、イスラエル寄りとか、アメリカ大使館をエルサレムに移転とか、何を考えているのか不気味でもある。

昨夜少し観たBS番組でアメリカ人ジャーナリストが日本の大学教授に質問していた。「北朝鮮の核の脅威に対する受け止めは日本とアメリカでは全く違います。北が核弾頭を搭載したミサイルを完成と認識すると、事前にこれを叩く可能性は大いにあります。その際、同盟国日本に対し事前に<これから攻撃するから>と通告が来たら日本はどうすればいいのでしょう?北の短距離ミサイルは既に対日韓には何台も実戦配備されているので、両国には一定の被害が生ずるのは間違いありません。」

日本の先生の返事は記憶にないが、頼むからトランプさん「分断された国民を一致させる方法は戦争に限る」なんて思わないでくれよな。

2017年1月20日金曜日

業界構造

どんな経緯があったか知らぬが、通常国会開会を目前にして急に文科省官僚の天下りが問題化したと思ったら、即、事務次官が辞職するとのこと。霞が関官僚の天下りなんぞ霞が関全体の問題であることを知らない人がいたらお目にかかりたいものだ。鳩山政権時代に前年の半分近くまで減ったと報じられているが、その方が余程おかしい。そのすぐ翌年からまた戻り始めているのが何よりの証拠だろう。

父が地方公務員だったので、父も1度天下りのお世話になっている。確か大学2年生になる時だったと記憶するが、父が上京して一緒に生活していた兄と私、3人で話し合ったことをよく覚えている。何でも父の定年が迫ったので、「定年後は東京に来て弁護士でもしようかと思う。ついては拠点が必要なので、取り敢えず3人で住めそうな家を見つけてほしい。」と言われても兄は兎も角、こちらにそんな才覚は無いのでそのままでいた。暫くするとまた田舎から連絡が来て「再就職がこちらで決まったので、急がなくてもいいけど何れ同じことになると思うから心がけておいてはほしい。」

この再就職先が今言うところの天下りだった。父は臨んだわけでもないだろうが、後輩の人たちが心配して斡旋してくれたわけだ。昔のこととは言え地方でさえそうなのだから、長い歴史を持つ霞が関にあって先輩の再就職を後輩が心配する、或いは後輩や同僚の再就職を段取りするのは官僚の重要な仕事であることが長ずるに及んでよく分かってきた。当事者であれば重要どころでなく、入省した時から人事は当然ながら再就職先に及び、最重要課題であるようだ。お坊ちゃんの鳩山内閣が声を上げたので、システムのメカニズムに多少の変更は余儀なくされているのだろうが、システムそのものを温存する力は馬鹿にできぬだろう。

官僚だって人の子、家族を食わせないわけにはいくまい。アメリカの官僚のように、大統領の交代で首になることは覚悟して入省していれば別である。日本の場合は組織の一員になることは組織の維持が最優先事項だから、法律でこれを壊すのは無理がある。天下りを許すと如何なる弊害は言うまでもないが、官僚と関連業界との癒着だ。これを無くすために天下り禁止だけで済むならこんな簡単なことは無い。官僚の世界に首を突っ込んだ人は永遠に官僚なんだろう。

有効な方策をすぐに思いつくほど頭がよくないのが残念ではあるが、余計なことで一つ言えるのは、天下りが民間人の就職機会を奪っていると言えるかどうかだ。広告会社にいた人間が官僚の天下りポストについても機能し得ないだろう。天下りはほぼ永久になくせないと思うが、仮に根絶出来たらどんな社会が実現するか、想像してみるがいい。貧乏な老人が増え、今でも優秀な人材が集まらなくなっている官僚世界を目指す若者が減るだけだ。何かいい方策は無いものだろうか。

2017年1月19日木曜日

スポーツ中の事故

スキーを楽しむ人の数は一時に比べると大分少なくなってきている。しかしゴルフをやめ、水泳をやめ、ハイキングでさえ殆どしなくなっている今でも、毎年1回は必ずスキーをしている。そこで気になったのが、先日報じられた野沢スキー場でのオーストラリア人親子の遭難事故である。どうすればスキー場で遭難したのか、報道だけではよく理解できない。当初は今流行りのバックカントリーとか言って、敢えてコース外に飛び出して滑った罰だろうと思っていたのだが、そうではないようにも思える報道「親子4人で滑っているうちにコースを間違えて迷ってしまった。」が聞こえてきた。

野沢スキー場はあまり詳しくは無いが、ある程度は分かるので詳報を期待したが、翌朝救出後はそれが報道されず、シンガポール経由の国際電話のリレーでとか、雪洞の天井はスキーとスノーボードで覆ったとかだけで、原因の究明は無いままだ。グループでスキーをするとき、余程上手な人同士でなければ、相当な間隔をとって滑るものだ。それが親子4人団子になってスキー場で迷ってしまうなんてどういうことなんだろう?遭難した時刻もはっきりしないが、リフトなりの機械が動いている時間帯に登って滑り始めたであろうから、辺りが見えなくなることも考えにくい。

若かりし頃に好まざるにも拘らず、単に下手くそなだけだからスピードの制御ができずにコース外に飛び出した経験があるが、こういう時は一緒に滑っていた友人に救出してもらったものだ。従ってこの親子の場合はどう考えても、集団で好んで場外に飛び出したとしか思えない。と言っても勝手に死ねとも言えないし、助かってよかった。何れにしても、また来月スキー行きを計画している身としては、他人事とは思わずにスキー場でさえ遭難の危険があることを肝に銘じるよう心掛けたい。

2017年1月18日水曜日

文化文明の源

大分時代遅れの人間になっている実感はあるが、ダボス会議での中国習近平氏の演説報道を観てふと思った。氏の演説は中国語だったが、日常会話で英語をかなり使いこなすことは知られている。改めて「言語」とか「言葉」の問題を考えてみたい。昨今は小学生時代からの英語教育が論じられているのか、始まっているのか知らぬ。しかし本件について賛否様々な意見があることは承知しているし、個人的にどちらかと言えば「先ず日本語が先でしょう」に与する方かもしれない。しかし多くの国民にとって長ずるに及んでは、国際語たる英語が必要になることも事実だ。

そこで順序だって考えてみるに、先ずこの世に生を受けて日本で一定年月過ごすとあれば、日本語習得が必須の要件であることは論じるまでも無い。先ずは話すこと、読むこと、書くことの3要件だろうが、これをどこまで学ぶかについて考えると、結構難しいことに気が付く。話し言葉の乱れについては他人を笑えないし、書くことに至っては並みの小学生にも劣る可能性もある。では読むことだけは大丈夫か、と問われると、これも大分危ういものがある。であれば、いっそ国語は中学生程度の国語教育に留めて、高校からは全ての授業を英語で行うなんて考えも有りうるだろう。

おそらく明治初期は高等教育は全学科英語授業だった筈だ。極論かも知らぬが、何につけても現代の有識者の考えることは、抜本的にとか何とか言いながら中途半端でイライラする。これから知識人とされるには、自国語を含め最低でも3か国語くらいは使いこなせなくては通用しないだろう。もっと重要なのは、話す言語がどこの言葉であれ、自信をもって正確に己の意思が表現できるかどうかだ。先に中国のトップについて触れたが、比較するに日本の政治家はご粗末に過ぎる。

総理のことは措くとして、例えば、我が外相も英語は堪能とされる方なんだろうが、外国人と相対するに際して、写楽が意味不明の笑いを浮かべてような顔を見ていると何とかならぬかと思いたくなる。そもそも日本語にしても、当初は唐か宋かもっと古いかもしれぬが、現中国方面から韓半島経由での輸入品ではないか。それを輸入元に分からないような「かな文字」に置き換えるあたりが不思議だが、それでも立派な国語を形成した先人には敬意を表そう。

問題は今後のことである。アニメやラインのスタンプを以て世界に日本文化の発信を考える前に、日本人が国際人になるにはどうすべきか。もっと抜本的に考える必要がある筈だ。

2017年1月17日火曜日

打ち出の小槌?

訳の分からないことばかりだが、その一つに「財政難」と「財源難」がある。勝手に想像すると「財政」は財務省が作る数字で、自分らが好き勝手に生み出す数字について「難儀しながら生み出しているのだぞ」と国民に対して恩着せがましく言っているだけのことだろう。従って余り気にもしない。しかし「財源」は作り出された経緯はともかく、誰の目にも一応は明かな筈だ。国のことで言えば、単年度会計とのことだから今年の財源は幾らとはっきり決められている筈だ。(足りなくなったら補正とか何とか、変幻自在の財政からの捻出が如何様にもできるらしいが、暫く措く)

昨日、国民年金の控除証明が届いたが金額が余りに小さく(220万円弱)なっているのでびっくりした。健康保険料や介護保険料を引かれた数字故かどうか知らない。年金額が削られるという話は聞かなかったように思うが、どう考えても昨年に比べて減っているような気がする。昨年の資料をすべて破棄しているので、貧乏人のひがみかもしれぬが、年金暮らしに入った当初は企業年金連合会からの支給、年間約30万円と合算すれば年金額合計は300万円ほどだから、贅沢はできぬかもしれぬが生きていくには十分と認識した記憶がある。

それがいつの間にか250万円まで下がっているのだから、早いとこおさらばしないとえらいことになるかもしれない。なんて個人的な財源について、嘆き節を今更言っても始まらないが、これなんぞは多分財源難を理由に、そうせざるを得ないなんて事だろう。

総理のお正月旅行は今日で終わるらしいが、先日も書いたように総理が持参した手土産代わりの対外援助の財源である。書いた時は未だ個人的な年金の恨みが無かったのでスルーしてしまったが、昨日の顛末があるので改めてイチャモンをつける気になった。総理は海外に対して気前よくお金をばらまいているが、あの財源はどこにあるのだろう?例えば先週、フィリピンに対して向こう5年間で1兆円の経済支援を約束している。

まさか総理のポケットマネーである筈がないので、税金からの支出であるのは明確だ。毎年の財源は国会の審議を経て決定されるはずだが、向こう5年間の海外支援はどのような形でオーソライズされるのであろうか?素朴な疑問のつもりだが、こちらの頭が幼稚すぎるのだろうか。マスコミにはその辺を分かりやすくご説明願いたいのだ。ベトナムに無償供与を約束している巡視艇なんかのオーソライズも同様だ。

第一、武器輸出ではないか。幾ら武器輸出解禁が民社党政権時代のことは言え、こうも気安く武器輸出することについて非難する世論は全く出てこない。もっと言えば、フィリピンのドテルテ大統領に対してミサイルの提供を申し出て、「私は第3次世界大戦の引き金を引くつもりはない。」と断られたとの話がフィリピンの新聞で報道されたらしい。情けない世になったものだ。

2017年1月16日月曜日

頭の中は五里霧中

昨年来世界情勢が激しく動いている感じがあるところに持ってきて、日本の政治の動きが余りにも鈍く硬直的であるため、世界の中における日本を考えることができない。総理が好きな言葉に「地球儀を俯瞰する」があるが、世界全体を俯瞰しないまでも、外国を視野に入れて日本を考えようとする場合、日本の存在が小さすぎて日本が見えなくなってしまう。

読者の皆さんも同じ感じを持ったことが無いでしょうか?日本政府なり総理を本当に信頼して、まともに相手している外国はどこでしょうか?昨年来世界的にナショナリズムが台頭してきていること、テロ組織が世界的に拡大傾向にあることは間違いないところ。あってほしくないことだが、現在の戦争の拡大ともっと大規模な戦争が勃発する可能性も多分に感じて恐れている。紛争一方の当事者は常にアメリカである。日本は一昨年の法改正で、同盟国アメリカの戦争に巻き込まれる可能性は益々高まっていると思うが、日本の政治家はのんびりしたものだ。

外国での紛争に巻き込まれると憲法改正と密接に関係してくる。政権はそうでなくても憲法改正を目論んでいるが、腹の中では交戦の既成事実が自然発生したら、それをうまく利用しようと目論んでいると指摘する人も多い。しかしこのことに関する野党の反対姿勢が極めて弱い。民進党などは戦争への関与についての本質的議論を避けて、派遣する隊員の安全優先が第一、なんて寝ぼけたことだけでお茶を濁している。

紛争ではもう一方の立役者ロシアのプーチン大統領は我が総理と極めて信頼しあう仲間みたいに、マスコミは半ばお墨付きを与えているが、本気でそう思うか。冗談じゃない、昨年末の長門市の日露首脳会談の前に読売新聞・NTVとの単独インタビューに応じた際「安倍氏は本当に誰に相談しなくても決断できるのか?」(即ちアメリカの操り人形ではないか)と語ったそうだ。きっと殆どの日本人は知らないだろう。次期アメリカ大統領トランプ氏が安倍総理をどう見ているかは言わずもがなである。

国内問題についての感想を書こうとしても、何といっても肝心な経済問題に関してまるきり音痴であるため、何を書いても的外れになりそうで怖くて書けないのが本音でもある。兎に角、誰の話を聞いても庶民の暮らしがよくなる予感が無いことだけは確かだろう。やる気のない官僚諸氏が当たり障りのない国家運営をしているだけで、宛先の定まらないボロ船に乗り合わせた思いで、天気や波が荒れないこと祈るばかりだ。他にはオリンピックに関するごたごたとか、下々の我々とは全く関係ない話が連日マスコミに取り上げられているが、とてもまともに見聞きする気にならない。

2017年1月15日日曜日

居心地の良さ

案の定センター試験の2日間は受験生諸君には辛い天気となった。この時期としては殆ど毎年の話だから当事者は心得ているだろうが、傍観者としては気の毒にと思わざるを得ない。しかし考えれば、試験そのものが結構な試練だろうし、これからの長い人生には数々の試練が待ち受けているのだから、お天気の具合くらいは大した問題ではないかもしれぬ。

それにしても正月早々から世界では、激動の今年を予想させるような様々な動きが見られる。暇だからと言って、さしたる用事もない温暖な地方を夫婦でのんびり旅行(しかも多額の税金を手土産にぶら下げている)ができる1国の首相は珍しいだろう。尤も国会が召集されるまでは休むのが当たり前と思っているのは閣僚に限らない。与野党全ての議員がそうみたいだ。問題とすべきは日本の国内事情が果たしてそんなに暇なのかどうかだ。

与党議員にとってはそうであっても、問題を発見しなければならない野党議員の罪は大きい。書くのが嫌になるくらい総理批判を書いてきたが、総理をいくら批判しても始まらない。批判勢力が育たないことには何も変わらないのだから、お願いだから野党とマスコミにはしっかりしてほしいものだ。アメリカのオバマ大統領最後の演説でもい言っているではないか。民主主義は権力者によってサポートされるものではないし、市民がボーとしているとそうでなくなる危険性がある。

オバマ氏はアメリカがそうであることを指摘しているのだが、日本はどうか?まともな野党がいないばかりかマスコミもかなり危うい状態とも言える。アメリカ次期大統領の記者会見を見る限り、アメリカのマスコミは権力へのチェック機能を維持しようとする努力がはっきり伺える。民主主義がどこまで健全性を保っているか分からない日本でも、何ら不自由を感じず、居心地良さを感じている人が半分以上はいるらしい。結構なことだ。

北朝鮮なんかも公平な第3者が世論調査をすれば、居心地良いとする人が日本以上に多く出るだろう。

2017年1月13日金曜日

国家の制度 幾つかへの愚考

江戸は昼間暖かくて凌ぎやすい。昔からそうだったかどうかは分からないが、もしそうだとしたら、そこを拠点に選んだ徳川家康は大したものだ。朝夕が少々寒いのは寒のさ中だから当たり前だ。今朝テレビで「真冬並みの寒波がやってきています。」みたいことを言っていた。秋口ならば兎も角、放送局も面白い表現をするものだ。この週末はセンター試験、我が孫も大いに関係があるので受験生の健闘を祈りたい。

我々世代にこの制度がなかったことを実に有難く思っている。無かったせいで大学進学ができたようなものだ。こんな制度を誰が発明したかしれぬが、そもそも何のための制度なのだろう?子供たちの学力向上に少しでも貢献しているなら結構だが。比率は別として、有難く思っている人と迷惑に思っている人がいるに違いない。

国家的制度には我が国固有の制度も沢山あり、その中でも個人的に評価したいのは、やはり健康保険制度。これまでの人生でも多分にお世話になり、今後は益々利用価値が高まることだろう。しかし客観的に考えると、これも大分劣化してきているとも言える。制度の詳しい来歴は知らぬが、社会に出て小さな広告会社に入社すると自動的に○○健康保険(正式な名称を記憶していない)に加入。保険料なるものが給料からなんぼ引かれ、会社がなんぼ負担したかなんて意識の片隅にもなかった。

しかし、当時は医者にかかっても確か1割負担だったから、負担感が全く無かった。負担感を感じたのは40歳を過ぎたころだったろうか、これが2割負担になった時のような気がする。45歳を過ぎる頃になると加齢による不都合が段々現れてくるので、医療費も気になり始めたが、今にして思えばそれでも安いものだ。47歳で会社を辞めた時、救急車で緊急入院したことがあった。この時初めて、これまでとは事情が異なるので国民健康保険に加入する必要があることを知った。

この時既に3割負担だったように記憶するが、2割が負担が3割負担になったのがいつであったかも正確には知らない。それが70歳になると2割負担に戻り、数年前に後期高齢者になったからか、1割負担に戻った。63歳だったか、起業した当座は健康保険料を年間55万円ほどだったか支払っていたので、結構高いような気もした時期もある。しかし年金だけで暮らすようになった現在、特に癌治療なんかをしたので健康保険は実によくできた制度と思わざるを得ない。

年金制度は破綻しつつあるようだが、せめて健康保険制度だけはその二の舞にならぬよう賢い選択をお願いしたいものだ。もう一点大いに心配なのがマイナンバー制度で、悪評さくさくたるものがあるが、当面個人的には無関係として放ってある。果たしてそれで済むのかどうかだろう。

2017年1月12日木曜日

喧嘩と話し合い

若い頃、特に高校時代くらいにはおかしな愛校心みたいものが心に芽生えて、市内の他校の生徒に対して対抗心、もっと悪く言えば敵愾心的なものを抱いた時期があった。思えば馬鹿らしい話だ。こちらが下らない邪心を抱けば、相手の学校にも似たような思いを持つ生徒が出現するのは当たり前だろう。事実、用でも無いトラブルに巻き込まれた経験がある。

子供の喧嘩であれば仕方ないで済ませても、いい大人が知らない者同士何の根拠もなく、急に敵愾心を露にして喧嘩腰になっているのを見かけることもある。両者とも理屈はあるのだろうが、第3者から見れば双方共に正常な精神状態にあるとは見做せないだろう。国家間の紛争については、気分とか単純な話ではないだろうが、もっとシンプルに考えてほしいものだ。できるだけ多くの国とお付き合いはさせて頂くが、課税権を含む国の自主権だけは譲る必要も無いだろう。

貿易における関税障壁を互いにできるだけ低くしようとする各国の努力に対して敢えて異を唱える必要は無いが、世の中にはどうしてもできないことがあるのもまた現実で、互いの事情は異なるにせよ各国ともに似たようなことはありうべしだ。アメリカがメキシコや日本の自動車製品に対し高い関税を課したいなら仕方がないだろう。どうしてもそうしたいなら日本はアメリカ産農産物に高い関税を、なんて話は交渉事だから、どう決着すべきかは分からない。それこそ専門家同士の話し合い、交渉の領域のことだ。

日頃不思議に思うのは、如何なる存念があるか知らぬが、太平洋を取り巻く他国に働きかけて、日本が中国に対しては碌な話し合いもせずに仲間外れにしようと懸命になる態度である。主な原因は中国の覇権主義に対する嫌悪感、或いは中国の日本に対する強い警戒感、わけても政治的右傾化が気に入らない言うことか。しかし中国は日本最大の貿易国(輸入では1位、輸出ではアメリカに次いで2位)であるし、ここ100年そこそこに起きた不幸な戦争を別にすれば、古来より文明文化の輸入元ではないか。

アメリカとの同盟は結構だが、アメリカが中国に対して敵愾心を抱けとけしかけている訳でもあるまい。覇権主義とか言っても、中国が尖閣諸島を占領しにやってくる可能性どれほどのものだろうか?日本は固有の領土と主張しても先方がそれを認めないのも事実だ。それこそ虚心坦懐に話をしてみてはどうか。それが大人の政治家としての器量ではないか。ロシアと話ができて中国と話ができない本当の理由は何だろう?

2017年1月11日水曜日

平成

元号「平成」今年一杯で終了することが決定され、あと半年ほどで2019年の年初から使うことになる元号が決まると報道が出た。天皇陛下ご退位に関する法案の国会審議を前に政府がリークしたらしい。カレンダー屋さんはホッとしているだろうが、個人的にはチト寂しい気が否めないが、釈然としないとは言えないだろう。元号法案が成立した時、可愛がって頂いたクライアントのクラアントの会長さんが「国旗、国歌法案も成立したし、元号法案も成立したので思い残すことは無い。」と話されたことを思い出す。

どんな意味で言われたか今でも理解できてはいないが、父とほぼ同じ年代(明治40年前後だったと思う)で、何故かすごく可愛がって頂き、教えて頂いたことも多いので、不思議に記憶している言葉の一つである。勝手に推測すると、天皇制を末永く維持することを願い、それが実現に近づいたと喜ばれたのではないだろうか。日本人の誰にとってもそんなに喜ばしいことであったかどうかは別問題だろう。

かく言う自分もピンと来なかったが、昨日の報道に接して思った。かの会長さんが喜ばれたように、日本固有の天皇制も元号も我が世代までは有効に機能しそうだが、子や孫の時代に至れば大分形が変わりそうな予感がする。事の善悪は分からないし、すべてその時代を生きる人が決めることだ。

<閑話休題>
間もなく大統領が交代するアメリカの話、現大統領オバマさん氏はある意味で真面目そうにも見えていたが、次の大統領はそうでもなさそうなところが興味津々が大方の思いだろう。期待に添うことを意識しているのだろうか、数々の報道が楽しませてくれている。その中で「え、何で?」と思うのは孫氏の発言とトヨタ社長豊田氏の発言。「向こう5年間でアメリカに数兆円の投資をしてあげます。

日本国内はアベノミクスの成果も有之、有効求人倍率が1を超えているので国内産業を振興する必要が無いだろうとお思いか?誰も不思議に思わないのかなぁ。

2017年1月10日火曜日

女優「メリル・ストリープ」

「面白い国だ」と言う言い方は悪いかもしれぬが、アメリカと言う国は時々想像を超えた現象が起きる。ピコ太郎なる芸人に似た大統領が出現し、目茶苦茶金持ちが集まった政権が誕生したりする。今の大統領は確かシカゴの貧民窟かどこかで弁護士をしていたと記憶する。それが世界的な常識で、日本人である故に違和感を感じているのかもしれぬ。新しい政権が世界中に大きな影響を及ぼすであろうことは凡人にも理解できる。ただその影響が如何なるものであり、結果現象的にどんな変化が現れるかが想像できないだけだ。

そのアメリカでも産業の栄枯盛衰は他国と同様、日本とも同様で様々な産業が廃れているようだが、映画産業は10歳にも満たない子供時代から現在に至るまでお世話になっているし、実際に隆々たる産業で居続けているようだ。昨日来報道を賑わせているのが女優メリル・ストリープさんのことだ。最近あまり映画を観なくなっているので、俳優の名前なんぞとんと知らないが、彼女の映画をだいぶ観たし、現代の大女優だということも知っている。

特に一寸昔に観た英国初の女性首相マーガレット・サッチャーを演じた映画が印象的で、はまり役だと思った。今回の報道も正にはまり役だ。内容は沢山報道されているので触れるまでもないと思うが、10日後に就任するアメリカ大統領を名指ししないで、大いに批判したわけだ。日本でも安保法制などに反対の声を上げている俳優は沢山いる。ただ残念なのはこれを大々的に取り上げるマスコミが皆無であることだ。

ハリウッドの賞で知っているのはアカデミー賞くらいのものだが、ゴールデングローブ賞なる伝統格式の高い賞があるようだ。彼女はこの賞の授与式で受賞挨拶に加えて、サンキューメッセージの何倍も費やしてトランプ批判をやっつけたようだ。受けを狙ったわけでもなさそうで、心から言いたいことを言ってしまったようだ。それが、日本芸能界とアメリカ映画産業界との格の違いかどうか、世界中のメディアが取り上げているわけだ。

当然日本のマスコミでも大々的に取り上げてくれたおかげで知った訳だが、なんでそんなに大騒ぎするの?と問い質したい。マスコミの堕落は何度も書いたが、ネット記事に頼ったような報道も同様で、本質はどこにある?トランプ批判だからか、ハリウッド大物女優だからか。

2017年1月9日月曜日

丸裸の時代

またもやパソコン絡みで済みません。先日書きましたように銀行カードやらのパスワードをパソコン上で保存していても、パソコンが動かなければ何の役にも立たないのは自明のことです。そこで今朝は朝食後すぐに、パソコンをプリンターに繋ぐ作業にかかりました。引っ越しの際、気持ちいいくらいパッケージやら一度も目を通したことがない取扱説明書を処分してしまいましたので、ドライバーのダウンロードから始めなければなりません。

特に問題はない筈ですが、慣れない作業は難しいものです。サーバーが発するダイアログを1ページ毎に丁寧に読んで作業を進めればいいのですが、中途半端に分かっているつもりになったので、一寸したところで引っ掛かり、不要な時間が掛かってしまいました。古来「生兵法は大怪我の基」とはよく言ったものです。この作業をしている時に、マシンが初期化されているので未だセキュリティソフト入っていないとはじめて気が付きました。

これも料金引き落としで長年使っているソフトですから、更新は簡単だろう、と思いたくなりますね。ところがです、世の中そんなに甘くありません。ソフトは○○○○ですが、当然会社はお休みです。でもチャットは繋がりそうなので、チャット初体験ですが試してみました。案の定とても親切な中国名○○さんにすぐに繋がりました。現在どこにいらっしゃるかは分かりませんが、少なくとも文章はとても奇麗な日本語です。

地獄で仏の思いで、こちらはすぐ完了するだろうとホッとしました。ところがこちらもそう簡単にはいきませんでした。身分確認やらいろいろお決まりの手順があって(流石に手元に○○○○アカウントとパスワードは控えておきました)、作業開始です。チャット画面は「こちらからリモートの作業を行いたいと思いますが、よろしいでしょうか?」と言ってきました。勿論否はありません。そこから作業は順調に進みましたが、それでもスキャンを含めて全行程終了まで1時間くらいは掛かってしまいました。

改めてしみじみ思います。この間こちらのマシンは丸裸の状態に置かれるわけで、そこには先ほど何はともあれと書いた「備忘録」も当然含まれます。もちろん作業そのものは眼前で展開しますし、サポートしてくれた○○さんは世界的企業の従業員ですから、悪事に思いを致すことは無いと信じます。作業の手順も、こちらの承諾なしできないようにステップを踏んでいます。しかし、一寸した技術を持っていれば、この手順をスキップすることなど訳もないことだと思います。

そういう時代に生きていることを思うと、住基ネット(マイナンバー)反対も秘密保護法反対とか何とかの議論も馬鹿々々しい。国内は技術が遅れているからいいが、世界規模、国家間を思うとスノーデン氏のことを改めて思い出す。

2017年1月8日日曜日

冬休みも終わり

昨日の朝七草がゆを食べたばかりと言うのに、今朝は町内の廃校になっている小学校校庭で早くもドンド焼きだそうだ。朝9時前から揃いのはっぴを着た大人を中心に、町内のお歴々と思しきおじさんとおばさんが集まって準備をしていた。11時頃同じ場所を通ると、既にメイン行事は終了したのだろう。中心は灰がくすぶっている状態で、子供たちが周りに集まって手にした使い捨ての食器で何かを食べたり飲んだりしている様子だった。きっと餅つきでもあったのだろう。

明日が成人式で、連休が明ければ子供たちの学校も3学期が始まるらしいから、それはそれでいいのだろう。特に今年は元日が日曜日だったので、仕事始めが4日の勤め人はおちおち休んだ気にもならなかったに違いない。何ともお気の毒な話だ。小正月を15日に固定して、正月は正月らしく書初めから初めて七草、鏡開きなんかを経て小正月をなんていうつもりも無いが、それにしても何と慌ただしい世の中であることよ。便利な世の中になってはいるが、誰も気が休まらないのでは、と余計な心配をしたりして。

この先すべきことが何も無い気楽な立場なので、新聞テレビも碌に観ずただぼ~と過ごした正月だった。昨夜今年に入って初めてネット碁をしてみたが、3連敗、昨年末も負け続けて6級に降格していたのにである。この分ではどこまで落ちるか分かったものじゃない。せめて「太平記」の後半2冊を図書返却期限の19日までには読了したいが、すぐ睡魔に襲われるので読破できるかどうか心配でもある。

先のことを心配しても始まらないが、アメリカ軍の横暴、これに何一つ抵抗できない日本の政府、しかもそのトップは世界の中心で輝く存在を目指すそうだ。
しかし次のようなことを指摘する人もいる(安倍首相は延べ100を超える国を訪れたという。「日本を世界の真ん中で輝かせ」たいという。でも「最も影響力ある人」では世界の37番目。何故だろう。米国追随だけしている国がどうして「世界の真ん中で輝ける」か。):孫崎宇氏のメルマガから引用

総理は更に、そのためにはお約束している3本の矢の経済政策を一層力強く推進するつもりときたものだ。3本の矢の経済政策はかなり昔に聞いた話で、昨年ぐらいには新3本の矢とか言っていたようにも思うが、新3本の矢はどこに飛んでしまったのだろう?そのことについてはあまり聞かないようにも思うが、不思議なことだ。先に引用した孫崎氏は次のようにも言っている。

(日本は米国、中国に次いで世界の第3の経済力を持つ国である。3位のメルケルドイツ首相の近辺にいてもいいはずである。)それは無理でしょう孫崎さん!因みに1位はプーチン ロシア大統領、2位がトランプ 米国次期大統領。

2017年1月7日土曜日

歳を思えばよくやる方だ

昨日は一旦自宅のパソコンを買い替えなくてはと覚悟を決めたのだが、朝出かけにそれでもと思って、あちこち弄り回しているうちに<windows10の初期化>なる項目が見つかり、そこをクリックすると動きを示す画面には変わったもの、3%で止まってしまった。既に前の晩から立ち上がらず往生して半分諦めていたので、もうどうでもいいと思い、そのままにして外出してしまった。然るに夕食時に帰宅すると<初期化が完了しました>とメッセージされていた。

キツネに抓まれた思いではあるが、儲けたような気にもなって食事を済ませてから改めて2時間半ほどパソコンと格闘して、どうやら今しばらくはこのマシンを使えるような気がしている。先ずはお騒がせした旧知のサポータにお詫びやらお礼を言わねばならない。但し、初期化と言う事実に直面するのは初めてのことで、不都合は山ほどある。儲かった気持ちは分かるが、実際の経済的被害も結構大きい。インストールされていたソフトの中で一番高いものはイラレ系お絵描きソフトだが、勿論パーである。

でもこんなものは猫に小判、宝の持ち腐れと思えば諦めもつく。どうせ年末に孫への年賀状制作にしか使わないのだから。切実なのはワードやエクセルなどのofficeである。助かったデータをまともに読むには不可欠なので、泣く泣く購入したが1年間のライセンスで約1万3千円も取られた(随分高価になったものだ)。住所録のソフト代金はそんなに高くはなかったと思うが、何よりもデータが無くなってしまったのが痛い。ちょうど年賀状のシーズンなので、新しいソフトでしこしこ作り直さなければならぬだろう。

メーラーも同様で、これまでwindows livemailなるソフトを使っていたが、新しいメールソフトでは以前使用していたアドレス帳が全てパーになったみたいだ。身から出た錆だから仕方ないが、暫くはウィンドウズとマイクロソフトにお付き合いせざるを得ないだろう。あとでプリンタのドライバを入れて、備忘録を紙に印刷しておかないといけない。暗証番号やら全てパソコンの中にあって、パソコンが立ち上がらなくなったらどうしようもないことがよく分かった。

仕事で使っていた銀行取引の電子認証もパーになっているだろうが、これはもう放っておこう。どうせ残金は殆ど無いのだから。悪戦苦闘とはいえ、昨日帰宅して電話でお騒がせをしていた若き友人の一人が慰めてくれた。「ディスクがクラッシュせずデータが保存されていたから良かったじゃないですか。」騒ぎの発端は身に覚えもある。昨年末<Dドライブの容量が残り少なくなりました>のメッセージに答えて、Dドライブに保存されていたバックアップデータを削除したことだろう。どうもあの時おかしな音がしたものだ。

2017年1月6日金曜日

AIの進化が凄いらしい

ついに自宅のパソコンが動かなくなって(立ち上がらなくなって)しまった。どう対処するか考えなくてはいけないが、数日は友人の事務所に置いてあるパソコンでブログだけは上げるようにしたい。何れにしても曲りなりに会社を経営していた時代から使い続けていた代物なので、捨てるのももったいない情報が有るかもしれぬが、昨年の引っ越し同様目をつぶって捨て去ったほうがさっぱりするかもしれぬ。これからはネットのお世話になることも減る一方だろうに。

それにしても情報化と言うかIT技術と言うのか分からないが、進歩のスピードは恐ろしい。まさか生きているうちに、プログラム化された囲碁ソフトにプロ棋士が負ける時代が来るとは思わなかった。19×19の交差点に白黒2種類の石を順番に置いて囲った交差点の多少で勝敗を決める単純なゲーム、この変化は361の何乗かで、それは全宇宙を埋める砂粒と同じ。或いは現在世界で開発されている最速のコンピュータをもっても計算不能と聞いて納得していたのがつい10年かそこら前のことのように思う。

昨年googleが開発したソフトが世界最強と言われる韓国人棋士と勝負して確か4勝1敗と記憶する。このソフトが益々強くなっていることが今年になって明らかにされたが、日本のソフトもこれを参考にしたソフトが開発され、プロ棋士と互角に勝負できるようになっている。ある意味で喜ばしいのかもしれぬが、考えようでは味気ないと言ってはいけないか?今日は今日とて、脳梗塞になって壊れてしまった筈の脳細胞の中に復元機能を持つ細胞が生き残っていることが発見されたとの報道もある。

細胞の初期化よりは大分ましかもしれぬが、科学技術もどこまで進歩すれば気が済むのか?人間能力の限界に挑戦することは尊いかもしれぬが、個人的にはとてもそんな気になれない。風邪もひくし、引いたらお医者さんに頂いたお薬で塩梅良くして頂ければ十分である。そのうちには脳梗塞とか心筋梗塞とか、或いは癌なんかで「ハイそれまでよ」てな時期も遠からず来ると思うが、それも致し方あるまい。

日本の歴史は1500年以上前まで遡れるらしいが、先日少し書いたように600年近く前に書かれた物語を読んでみても、人間そのものの理性や感情がそう進歩しているようにも思えない。それが自然で普通なんだろう。いつの世にもずぬけて頭のいい人がいるが、その人のお陰でロボットに介護されたり、ロボットに慰められたりしながら生きながらえても仕方ないと思う。

2017年1月5日木曜日

何もかも関係ない話だ

一時世界的に大分ヘタってた感じがする株価であるが、アメリカ大統領選結果が思わざる方向になったせいか、アメリカ国内は景気が良くなるとの判断が大勢を占め始めたようだ。つられて日本はじめ各国の株価も上がり始めてる。ご同慶の至りであるが、我が家と縁が深かった東芝上場廃止の声さえ聞こえ始めた。縁が深いと言っても別に株を持っているわけではないので直接的な影響はない。ただ15年以上前に亡くなった岳父が東芝の幹部だった。

この岳父が我が嫁に幾ばくかの東芝株を持たせてくれたらしい。半世紀近く前のことになるが、その時に「株価が1000円になったら売りなさい」と指示されたらしい。婆さんは素直にその通りにしたとのことだが、母親や弟がどうしているかは知らぬそうだ。他人のことはさておき、その際「東芝がつぶれるときは日本がつぶれるとき」とも言われたらしい。誰が考えてもモノづくりの1企業がなくなろうと潰れようと1億人の人口を擁する日本がつぶれはしない。

もっと言えば、国がつぶれるの意味さえ分かりかねるのが正直なところだ。従って岳父の予言は当たらないだろうが、現在の世相と関連して考えさせられることもある。昨日の東証大発会、株価大幅高ニュースに関連するインタビュー「今年あなたの願いは?」に答えたサラリーマン「株価が上がってもらいたいですね。」だった。まぁ関連でそのように言わせているのでもあろうが、家族の健康でもなければ会社の業績でもない、株価への言及には少し驚きもある。

今時日本の株式市場なんぞまともな人間が関わりあうことが間違っている、と言う人さえいる。1部上場企業の半数を政府系資金が占めているとか、民間資金も大半は外資で、それもコンピュータが想像を超えるスピードで取引を繰り返すので、儲けることができるのはそういった装置を駆使する連中だけだ。こんなことが事実かどうかは知らないし、関係ないのでどうでもいいことではあるが。どっちにしても株価なんぞと無関係な庶民にとっては、あまり目出度くも無い年明けかもしれぬが、しこしことまじめに働く以外、個人的に納得できることは無いだろう。

序でにもう一つ、昨日三越伊勢丹グループのトップが来春から正月3が日の休業を考えている、と発表との報道があった。日本の文化維持とか従業員のためとか何とか理屈をつけいるが、これも如何なものかである。現代社会における正月のありようは昔と随分変わってきている。正月に働いている人は全国に多数存在する。そんなものを昔に戻すことはできぬだろうし、従業員の休暇について思いを致すならもっと違う方法がいくらでもあるだろう。どうでもいいことばかりを書いてしまった。

2017年1月4日水曜日

読後感には中途半端ではあるが

年末から正月にかけて持ち歩いていた「太平記」(三)をやっと読み終わった。
全40巻のうち21巻だから丁度道半ば、あと3冊あるがここまで来たら何とか読破せずばならない。読破したら久しぶりに読後感も書きたいが、果たしていつのことになるかである。残り3冊もあるのに既に肝心の後醍醐天皇、足利尊氏、楠木正成、新田義貞など名前知ったる主役は全員死んでしまった。そもそもこの本のタイトルからして些か皮肉めいている。

太平とは何ぞや、を問いかけたつもりかどうか、これまでに記述された死人の数と死にざまはよくまあこれだけ思いついたものよ、あきれるばかりだ。これが歴史小説と言えるかどうかは知らないが、まんざら嘘八百とばかり断定はできないだろう。歴史知識がないのでwikiで背景の南北朝時代を確認すると1318年から1392年となっている。本書は1342年2月で終わっているので、未だ半世紀もある勘定だ。どんな人間が書いたか知らぬが司馬遼太郎もびっくりだ。

アメリカの南北戦争なんてこれに比べりゃ大したことない、なんて変な妄想は措くとしても、何気に現代日本の世相を思わせるところが気持ち悪い。500年より遥か昔から日本に天皇家が存在していたことについてはかなり幼い子供でも理解しているだろう。小生の年頃になると万世一系なんて言葉を聞いたりしているので、何となくそんなものかとも思っている。

しかし15世紀の事柄を書いたこの小説によると、鎌倉あるいはもっと前から続いた武家政治の時代における天皇家とそこを取り巻く権力者(当時は一族、即ち氏が現代の政党にあたりそうだ)の欲望をうまく記述しているように思えてくる。天皇家の存在意義は飽くまで国家統合統一の象徴であるので現代によく似ているのである。有体に言えば武家がうまく利用できるように軽い存在でもある。三種の神器なんて物もどこまで本物か分からないし、親族が増えれば、どの家が正統かも分かり難くなろう。

少し問題だろうが平易に言い換えれば、将来皇太子家の愛子内親王に男子が誕生したとして、皇太子なり天皇になっている秋篠宮家との関係はどうなる?内親王の子供は皇統とは呼ばないないならそれでもいいだろう。今まさにその辺でごたごたしている訳である。南北朝時代の始まりは似たような状況で、互い違いに天皇になればいいじゃないか、ということから始まっているとも解釈した。要するに今上天皇陛下が心配されているのは、昔も今も変わらず政権を与る者どもが教養を少なくして天皇家を軽んじていることに他ならない。今まさにその極みに達しているとすれば、世界戦争以前に半世紀を待たずして内戦が勃発しても不思議はない。

2017年1月3日火曜日

短い冬休み 子供たちの風景

近所の廃校になった小学校のグラウンドが休日の午後5時まで解放され、子供たちが遊んでいる。竹馬(と言っても最近は全てプラスティック製)・一輪車・ローラースケートはどれも低学年のようだが親御さんらしき人が見守っている。球技ではバトミントンと野球は親が相手、子供同士はサッカーやバスケのボールで遊ぶ。今日見た中で少し変わって見えたのは大分差のある年頃で来て大縄跳びをして遊んでいた集団(7、8人位かな)、そして男女比であるが、低学年に見えるのは女性の方がやや多いようだった。

休日の子供遊びに親が付き添うのは決して悪いことではないが、子供の頃には考えられない風景でもある。それと現代性を感じるのは遊び道具のこと、このグランドは区の管理下にあるのだろうが、ボロであっても大抵の道具は揃っている。当時はバスケ、バレーボールなんてものは学校に行かなきゃ無いし、ましてサッカーなんぞ、ゲーム自体中学生まで知らなかった。自転車が一家に一台あればましな時代だから仕方がない。

相当低学年の頃から誰でも、冬になれば凧やコマを作るのはもとより自分用のそりを作ったりしたものだ。15日にはどんど焼きがあるので、14日中には町内のしめ縄を集めて、町内のお兄さんに指示された場所に隠さなければならない。このためによく切れるナイフを持ち出して荒縄を切らなければいけない。
考えてみれば、小学校入学前の冬にそんな真似事をしていたことを思い出す。当時は城下町の松代在住だったので、ナイフや小刀類がどの箪笥のどの引き出しにあるかを知っていた。

今日グランドで遊んでいた子供たちは男の子でも、鋸もカンナも手にしたことが無い方が多いだろう。大人になっても使わないで済むならそれもいい。しかし、こんなことを自慢げに書いている本人が、結婚以来道具箱の道具を使うことは全て嫁任せで、自分では手にしたことが無いというのも困ったことだ。ともあれ子供は風の子、元気に遊ぶのが一番だろう。まして今日は春のような陽気だった。

2017年1月2日月曜日

正月

今年は日曜日から正月が始まったので休日が少なくなりそうだとて、街はもう何やら正月気分から覚めかかっているようにも感じる。昨日までは年越しの延長でお伊勢参りなどで暮れてしまい、正月料理などは一切口に上がらず独り身の侘しさだったが、今日は婆さんが宿下がりして仕切っている義母宅年賀がてら伺い、昼から本格的な正月膳を前にしてお屠蘇にお神酒を御馳走になり久しぶりに少し酔った気分である。しかし小生も今日だけで正月気分は抜けるだろう、他に特段のことは何もないのだから。

元日の新聞によると恒例の天皇陛下の「新年に当たっての感想」は今年は取りやめと宮内庁が発表とある。代わって総理が今日年頭所感を述べたそうだ。ある人に言わせると「天皇陛下を超えた安倍首相」だそうだ。心は「安倍首相の年頭所感の内容は、天皇陛下が発せられたであろう年頭所感とはまるで異なる。」官邸が負担軽減を根拠に陛下の感想を取りやめさせ、勇ましい総理所感に変更したとしても不思議はない。

頂いた年賀状を見ていくと、次期アメリカ大統領のことと同じくらい自民党一強体制に対する不安に言及した内容が多くあったのもむべなるかなだ。

2017年1月1日日曜日

初詣

丁度12時間前に東京駅発の新幹線<のぞみ>に乗車して名古屋経由で伊勢神宮の下宮・内宮を参拝、先ほど帰宅して年賀状を一通り読み終わったところである。昨年の1泊旅行と比較すると少し強行軍であったが、山歩きをやめても平地の歩行を最大の健康法としているのだから善しとすべきだろう。でも最終的には些か疲れて、池袋からバスに乗ってしまった。自宅の停留場で降りるとき、乗り合わせたベビーカーを引っ張った女性に手を貸したら、どこかのおじさんが暗闇の中から「あけましておめでとうございます。親切ですね。」と声をかけてくれた。ご近所の人だろうが、こちらは知らない人だ。赤ちゃんも笑顔で手を振ってくれたし、これだけでも良い正月だった。

今朝は久しぶりに5時半起をして出かけたわけだが、早朝から全国的に素晴らしい天気だったようだ。早朝洗顔の時鏡を見ながらふと思ったことがある。今年は他人と会話をする際、他人の意見を出来るだけ素直に聴くようにしよう。そして自分の考えを押し付けることを慎みたい。元来エゴの塊で現役時代には営業職であったこともあり、自分の意見を強調しがちな傾向が強かったと思う。義理立てする会社も組織も無くなった現在、己を主張してばかりいても始まらない。

出来るかどうか分からないが、何となくそう思った。自分の意見はブログだけにすればいいのだ。と思った次第。