2017年1月20日金曜日

業界構造

どんな経緯があったか知らぬが、通常国会開会を目前にして急に文科省官僚の天下りが問題化したと思ったら、即、事務次官が辞職するとのこと。霞が関官僚の天下りなんぞ霞が関全体の問題であることを知らない人がいたらお目にかかりたいものだ。鳩山政権時代に前年の半分近くまで減ったと報じられているが、その方が余程おかしい。そのすぐ翌年からまた戻り始めているのが何よりの証拠だろう。

父が地方公務員だったので、父も1度天下りのお世話になっている。確か大学2年生になる時だったと記憶するが、父が上京して一緒に生活していた兄と私、3人で話し合ったことをよく覚えている。何でも父の定年が迫ったので、「定年後は東京に来て弁護士でもしようかと思う。ついては拠点が必要なので、取り敢えず3人で住めそうな家を見つけてほしい。」と言われても兄は兎も角、こちらにそんな才覚は無いのでそのままでいた。暫くするとまた田舎から連絡が来て「再就職がこちらで決まったので、急がなくてもいいけど何れ同じことになると思うから心がけておいてはほしい。」

この再就職先が今言うところの天下りだった。父は臨んだわけでもないだろうが、後輩の人たちが心配して斡旋してくれたわけだ。昔のこととは言え地方でさえそうなのだから、長い歴史を持つ霞が関にあって先輩の再就職を後輩が心配する、或いは後輩や同僚の再就職を段取りするのは官僚の重要な仕事であることが長ずるに及んでよく分かってきた。当事者であれば重要どころでなく、入省した時から人事は当然ながら再就職先に及び、最重要課題であるようだ。お坊ちゃんの鳩山内閣が声を上げたので、システムのメカニズムに多少の変更は余儀なくされているのだろうが、システムそのものを温存する力は馬鹿にできぬだろう。

官僚だって人の子、家族を食わせないわけにはいくまい。アメリカの官僚のように、大統領の交代で首になることは覚悟して入省していれば別である。日本の場合は組織の一員になることは組織の維持が最優先事項だから、法律でこれを壊すのは無理がある。天下りを許すと如何なる弊害は言うまでもないが、官僚と関連業界との癒着だ。これを無くすために天下り禁止だけで済むならこんな簡単なことは無い。官僚の世界に首を突っ込んだ人は永遠に官僚なんだろう。

有効な方策をすぐに思いつくほど頭がよくないのが残念ではあるが、余計なことで一つ言えるのは、天下りが民間人の就職機会を奪っていると言えるかどうかだ。広告会社にいた人間が官僚の天下りポストについても機能し得ないだろう。天下りはほぼ永久になくせないと思うが、仮に根絶出来たらどんな社会が実現するか、想像してみるがいい。貧乏な老人が増え、今でも優秀な人材が集まらなくなっている官僚世界を目指す若者が減るだけだ。何かいい方策は無いものだろうか。

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