2010年10月29日金曜日

最後の運転免許証

昨日「免許証更新のための講習のお知らせ」なるハガキが都の公安委員会から届いた。来年の誕生日が更新時期に当たるが、道路交通法の第101条の規定により、更新手続きの前に「高齢者講習」を受講する必要があります。との趣旨で、受講するための必要事項(連絡先・必要経費・持参するもの等)が書かれている。受講料が5,800円で更新手続きの6カ月以内に受講してないと更新が出来ないらしい。

高齢者の事故率は多いのだろうから、40年も50年も前の試験で通した免許を無条件で更新するのは、取り締まり側の良心に差し障ると言う事だろうか。一見すると大義名分はあるようにも見える。しかし本音は警察官定年後の救済事業の一環である事は明らかだ。150万人近いご同輩の半分が免許証を持っていたとしても大変な金額である。大雑把に50万人が受講するだけで29億円の受講料が転がり込む計算になる。

警察官は全国で24万人ほどいるらしいから、40年で退職とすると毎年6千人位の退職者が出る勘定だ。高齢者講習の受講料をその年の退職警官に餞別として差し上げれば、1人当たり48万円になる。彼らには退職時に勿論税金から少なからずの退職金もあり、民間に比べると遥かに割の良い年金(昔は恩給と言った)もある。だから選別に例えたのだ。兎に角官僚は頭が良い、別に税金ではないので人目につきにくい。お宝の産み方に長けていらっしゃるが、何れは事業仕分けなんぞでどうにかしてほしいものだ。

三つ折ハガキの最後に「運転免許証自主返納のご案内」があった。18歳の時に免許を取得したが、ここ10年以上運転する機会はなかったし、今後もする気はないので、次回の更新時には更新を止めようと思っていた。この場合は1,000円「運転経歴証明書」を発行してくださると書いてある。しかしさらにその下に小さく次の注意書きがある「*運転経歴証明書の交付後、6ヶ月を経過した場合には、銀行等における本人確認書類として用いる事が出来なくなります。」一寸待ってくれ、こんなものを貰っても役に立たないのでは?と思って申し込み先・問い合わせ先一覧から我が家の所管を探して電話をした。

「免許証更新のための講習のお知らせ」のお知らせを頂きましたので、と言うと、いきなり
「ハイ午前中が宜しいですか午後の方が良いですか?」とかなりそそっかしい小父さんだ。
「いえ、自主返納でお尋ねしたいのですが。」
「ああそうですか、それは最寄りの警察でしてくれますよ。」電話した先は教習所だったらしい。正に退職警官が応対しているのだろう。
「ところで、注意書きに6ヶ月しか効力が無いように書いてありますが・・・」
「そうなんですね。確か区役所の方で住記ネットか何かで5年ぐらい有効のカードを発行してくれるはずですよ。その方が便利かもしれませんよ。」
「だったら、運転するつもりが無ければこのまま持っていて失効させるのが一番でしょうか?」
「そうですね、それが一番かもしれません。」

来年4月の頭には失効してしまうが、免許証を持って警察署なり教習所に赴く事は止めにした。

2010年10月28日木曜日

世襲議員と組合選出議員ではどうにもならん

昨日久し振りに旧い友人二人と会って四方山話をした。見識ある友人の話を肉声で聞くと、成程と感心する事が多い。二人とも同じ年齢なので「どうせ俺たちゃもうはそんなに長生きしないから、どうでも良いようなものだけど・・・」と断りがあるにせよ、現在の世の中を慨嘆することしきりである。二人の嘆きに共通するのは政治の劣化、即ち政治家が余りに小粒になり過ぎている事に尽きるようだ。

二人とも若かりし日に大物政治家を目の当たりにした経験があるので、思い出話をして頷き合っていた。残念ながらこちらの若かりし日は、得意先の担当者と飲み屋のお姉さんぐらいしか会った事が無い。昔の大物政治家は会っただけでも気押されて、喋ろうと思ったことの半分も言えない雰囲気があったそうだ。友人二人は若い頃からかなり強かで物おじしないタイプだと思うが、池田、佐藤、田中氏等の総理クラスは勿論、官房長官では二階堂氏とか後藤田氏等、子供や孫が議員に菜っいる河野一郎氏もそうらしいが、見かけはチビで風采は上がらなくても相対すると相当な威圧感を感じたらしい。

要するに現在の政治家は口先だけ達者と言うか、公開の場で恰も芸能人のように、思いつき見たい事をぺらぺら喋るだけだ。本来志を持つ政治家は、目的達成のためには対象を定めて人知れず話しを着けたうえで、公開の場では空とぼけて議論を重ね、落とし所に落とし込む芸当が出来ないとだめらしい。平たく言えば与野党含めて、日本的な根回しが出来る政治家が居なくなったと言う事らしい。事の善悪は別として、政治家が小者になったせいだろうか、確かにそういう芸当が行われているようには見えないのも事実だ。

特に現政権は政治主導の透明性と公開性を強調し過ぎるきらいがあって、各大臣全てが思いつきでもなかろうがよく喋り、その為に前言や別の閣僚と矛盾する事を言わざる得なくなる事が多い。これで政治主導が出来る筈もないと友人二人の意見が一致したが、そう言われりゃその通りだ。言葉に責任が持てない内閣の行く末については、1人は参議院で早晩問責決議が通ってしまい解散が避けられないだろう、との見立て。1人は民主はなんとか凌ぐのでは、とも言ったが、その場合でも小沢を切らざるを得なくなる。

小沢を切れば付いていく議員が50人前後は出るのではなかろうか、すると民主の議席は衆議院でも相当に減って政界再編は必至との意見。政権交代を応援してきた小生とすると少し残念ではあるが、政界再編は必然なのかもしれない。そう言われてみると、政策的には自民も民主も他の政党も余り違いが感じられない。友人曰く「昨今の政治家には日本をどうするなんて志を持った奴は一人もいない。全て自分の選挙と、その為の利益誘導だけにしか関心が無い。そこに各省庁の技官グループが悪乗りをするから、全国に90以上の飛行場が出来たり、必要のないインフラが造成される事になる。」

これもその通りだろう。技官グループの悪さは全省庁の許認可関係で一般には見えないところで沢山あるらしい。ここらの事も事業仕分けで明らかになるといいのだが、組織的に官僚組織の大リストラが行われない限りどうにもならないようにも聞こえる。

政界再編があっても、変わらないのは共産党と公明党だけ。但し公明党は鵺みたいものだからどっちに付くか分からない。問題は議員の多数が世襲議員と組合選出議員なので、本当の政治主導は出来ないだろう。ご尤もではあるが困ったものだ。

2010年10月27日水曜日

小春日和

冬の季語だろうと思うが昨夜から今朝は寒かった。つい先日までの暑さが嘘のようだ。帰宅が19:40頃だったが吹いていた風は正しく木枯らしだったと思うのだが、テレビでは東京地方に木枯らしが吹いたとは言っていない。身体が未だ寒さに順応できないので、体感的に寒いと感じるだけで、本物ではないと言う事だろう。しかし陽が昇ってくると暖かさが増し、小春日和で結構なあんばいだ。

外国に住んだ事が無いから比較はできないが、四季の変化は日本人の精神に大きな影響を与えている筈だ。少なくとも小生の精神安定には凄く役立っている。今年の秋は少し短めではあるが、夏の暑さを思い出すと巡り来た季節の変化はほっとするものがある。そして迫りくる冬を予感させ、冬の準備に思いを馳せるのは日本人に共通するだろう。春夏秋冬、色に例えると青朱白玄(黒)で今はちょうど白秋になるらしい。

しかしこの良い日和なので来たるべき厳(玄)冬の事はさて置き、日向ぼっこでもしながら心身を白紙に戻して青春や朱夏の思い出に浸る時期と季節の到来と考える事にしよう。世の中は小春日和とは参らず何となく寒々した感じのようだが、今月は2回も山に行ったので心も体の調子もなんとなく軽快だ。丁度古い友人が今日の午後会いたいとのことなので、午後は都心に出かけて、久し振りに外食になりそうだ。

2010年10月26日火曜日

便利は結構だが

一昨日奥飛騨から高速バスで東京に戻ってきた。土日恒例の渋滞で4時間半の予定が1時間半延着して6時間を要した。別に急ぐ旅でもないし、長野に帰郷する際大学生時代には夜汽車で7,8時間は当たり前だった事を考えれば何でもない。現在でも東京駅から東海道新幹線名古屋経由飛騨高山線高山駅までJRを利用したり、同じく中央本線松本経由松本電鉄とバスで平湯に入る時間と比較すれば、6時間は決して遅くないだろう。

最近は列車のシートは全部進行方向向きのリクライニングが当たり前だが、これも一昔前の事を思えば夢のようだ。バスのシートも列車よりはやや狭いかもしれぬがほぼ同じで旅は快適だ。列車には車内販売があるが、大阪に行くにしても2時間半もあれば着いてしまうので、余り利用した事が無い。そこに行くと今回のバスは途中休憩20分の楽しみがあった。人によって異なるだろうが、東京から奥飛騨方面へはバスが便利と思う。

今回もう一つびっくりした事がある。自家用車に乗る人には当たり前の話かもしれぬが、ナビの進歩だ。行きのバスには装備されていなかったようだが、帰りのバスは前方のモニタに何事もなければナビが表示されていた。中央道を走行中に外は暮れた上に雨の暗闇になって面白くないので、このモニタに注目した。現在走行中の位置から数個先のポイント迄の距離と走行時間が表示されている。この予定走行時間の変わり具合が、どうも現在の渋滞状況を反映してリアルタイムで変化しているようだ。客も何分の延着になりそうか分かる仕掛けになっている。

どうすればこんな手品のような真似が出来るのだろうか。話しが飛ぶが、来年にはテレビ放送の何かが変わって古いテレビは映らなくなると盛んに宣伝されている。なんでそんな用でもない事をするのか、と些か腹立たしい思いでいたが、ひょっとするとこんな事とも関係しているかもしれない。兎に角通信とか放送てえ奴は目に見えないのでさっぱり分からない。更に訳の分からないコンピュータの技術が加わっての事だろう。便利と言えば便利に違いないが、物事には何事も+面があれば必ず等量の-面があるらしい。先日読んだばかりの本からの受け売りではあるが。

便利さがプラスとすればマイナスは何だろう?すぐには思い浮かばないが、想像力が欠如してくる事は間違いないだろう。知識と知恵の違いがよく言われるが、知恵とは状況の変化に対する対応の決定力とも言われる。IT技術や高度な通信技術で未来言予測がこんなに簡単に出来てしまうと、肝心の人間の想像力が欠如して、状況の変化を読みとる事が難しくなるだろう。そんな事でいいのかなぁ。

2010年10月25日月曜日

奥飛騨の晩秋山行


金曜日夜の9時頃新穂高温泉中尾の民宿「麓庵たきざわ」到着。火曜日にインターネットで調べて予約したのだが、予想をはるかに上回る応接に感激した。西穂高岳は勿論初めてだが、新穂高温泉そのものが初めてで、登山口との位置関係等さっぱり訳が分かっていなかったのだ。

遅い到着にも拘らず、明日の登山について諸々相談に乗ってもらった。先ず朝食時間を聞くと通常は7:30との事。東京で調べてきたロープウェイの始発8:00になっていたので、遅すぎるのではと聞くと「シーズンオフなので現在は8:30が始発ですが、もう一度調べてきます。」と言って帳場で調べなおしてきてくれた。「今月も土日は8:15始発になっているようです。食事は7:15にして、始発に間に合うように白樺平(第2ロープウェイの起点)まで送ります。」

23日は早朝から周囲の山々が朝日に映えて透き通るような秋晴れ、7:50に自家用車で駅まで送ってもらうが、結構な距離で10分は楽に掛かった。駐車場も大分車が埋まっていて、駅の中は既に大勢並んでいる。ひょっとすると始発に間に合わなかったかと思ったが、ケーブルが2階建てで一度に120人運べるとの事で間に合った。計画通り8:30に登山を開始。アルプスでは最も初心者向けと聞いていたが、とても同意できない。想像以上にハードな山であった。しかし天気は今年一番と、民宿の人が後で折り紙をつけてくれた位に素晴らしく、アルプスを堪能する事が出来た。

惜しむらくは山頂発4:15が最終と聞いていたので、休憩をゆっくり取る事が出来なかった事だが、季節柄やむを得ない事だ。山頂駅スタートから山頂駅帰着迄8時間(内45分の休憩)の予定を立てて、ほぼ予定通りに戻ってはきたが、登りも降りも結構時間を食ってしまい、休憩は合計30分位しか無かったと思う。今回はやはり季節の所為か、お馴染みのご同輩爺婆を殆ど見受けなかった。恰好いい山男に山ガールが圧倒的で、悔しいけど周辺からなんとなく同情的に見られているような気がしないでもない。


24日は、バスの便が悪いので仕方が無いのだが、中尾を8:58に発って9:30には平湯のバスセンターに着いてしまう。そして新宿行きが直近で14:30(その前は9:00発)なので始末が悪い。バスセンターは600円で日帰り入浴施設付きだが、朝も入ってきたばかりで、そんなに温泉ばかり入っていられない。仕方がないので、民宿で言われた通り大滝を見に行ったりして午前中は紅葉狩り。バスセンターに戻って昼飯にした。飛騨牛は昨晩民宿で牛刺しにステーキとたらふく食べたので、今回は飛騨豚どんぶり850円を選んだ。これが実に美味い、何故なら柔らかい豚ソテーにたっぷり野菜が一緒に炒めてあり、炒め汁がたっぷりかけてあるのだ。

どうも信州の観光地は食い物がぱっとしないが、民宿の食事と言いここの昼飯と言い食い物が実に美味い。後先になるが、昨晩のメニューは飛騨牛の刺身に、朴葉みそステーキ、岩魚の刺身にヒメマスのホイール焼き、そのほかにも野菜やら酢の物やら覚えきれない程おかずがあって、ごはんは栗ご飯だった。朝食も鮭と茸のホイール蒸しの他に温泉卵があったりして、兎に角豪華。お陰で朝飯をたっぷり食っていたので、山歩きの途中はあんパン程度で簡単に済ます事が出来た。

温泉は信州の育ちだからびっくりはしないが、湯量はこちらの方が豊富なようでもあり、至る所に温泉がある。バリエーションが豊富なので2泊の間で5回も入浴したのも久しぶりだ。人情も良い。昨日チェックアウトしてからバス停が5分くらいと言うので、紅葉を見ながらのんびり歩いていて
「バス停はどこですか?」とある民宿の女将さんらしき女性に声をかけた。「バス停はすぐここですが、どちらまでですか?」
「8:58でのバスで平湯までです。」
「一寸待ってください。調べてみますから。」と家に引っ込んだ。
「やはりここではありません。温泉口ですからお急ぎになってください。」
どうやら宿泊した民宿で勘違いをしていたらしい。温泉口が何処かも見当がつかないが、仕方が無いので急ぎ足で歩きだすと、後ろから声が追ってきた。
「一寸待ってください、今キーを取ってきてお送りしますから。」
やれ有難いと少し待つとすぐに車を出してくれた。ご亭主も見に出てきた。どこの客かと思ったのだろう。

同乗させてもらうと成程距離がある。時間は15分以上余裕があったが、坂道でもあり歩いていては大変だったろう。些少のお礼をと申し出るがどうしても受け取ってもらえない。「気持ちあるなら再び中尾に来てください。」と言うのみ。同じ民宿で名前も聞かずに別れたが、ほのぼのした気持ちだ。宿泊した民宿もロープウェイ迄の送りだけだなく、電話をしたら夕食の準備で忙しいだろうに早速来てくれた。



飛騨は初めてだったが、食事の美味い事、人情味が豊かな事、一番はコストが安い(因みに宿泊した民宿は2泊で15000円、1泊は朝食のみ、夕食の飲み物を含む)には感激した。以下は帰宅して婆さんとも話した事だ。飛騨は雪が多いのに立地条件からスキー観光が成立しえない、従って冬場は湯治客だけで凌がなければならないそうだ。信州は同じ山国でも四季を通して客に不自由が無いので若干慢心があるのではなかろうか。山歩きから帰ると婆さんも機嫌が良いし、なんとなく心が豊かになるような気がする。特に今回は素晴らしかった。

先月から山行きの記録を画像を含め「ヤマレコ」サイトに上げています。
http://www.yamareco.com/
ここでsenkawaで検索してsenkawaさんの「山行記録」をみてください。

2010年10月22日金曜日

若い女性の賃金男性を上回る

昨日知って調べてみると、今月14日総務省から間違いなく発表されている。

「総務省がまとめた09年の全国消費実態調査によると、勤労者世帯の収入から税金などを支払った後の手取り収入である可処分所得は、30歳未満の単身世帯の女性が21万8156円となった。この調査は5年ごとに実施しており、前回の04年に比べて11.4%増加した。同じ単身世帯の若年男性は21万5515円で、04年と比べ7.0%減少。調査を開始した1969年以降、初めて男女の可処分所得が逆転した。」10月14日日経ウェブ版から引用

微差とは言え俄かに信じ難いが本当らしい。同調査の20年前では女性は男性の約半分、10年前でも約7割だったのがいきなり逆転だからびっくりしてしまう。前回調査の5年前と比較すると男性の所得が1割以上減っているのに対して、女性は1割以上増えている。

理由はいろいろあって、「男性比率の高い製造業で雇用や賃金に調整圧力がかかる一方、女性が多く働く医療・介護などの分野は就業機会も給与水準も上向きという産業構造の変化が背景にある。男性の非正規雇用が増加している事が挙げられている。」と書いている。医療や介護の仕事がそんなに給与水準が高いとは知らなかった。広告会社での勤務が長かった自分としては、サービス業における女性の進出が男性社員の居場所を食ってしまった結果と思ったりするのだが、そうは書いていない。

何故そう思うかと言うと、もう20年以上前、女性社員がお茶を汲んでくれなくなった頃、一杯やりながら不満を口にしたら若い社員にたしなめられた事を思い出した。「何を言っているのですか、アメリカの広告会社では管理職の半分以上が女性ですよ。今にあなたなんか女性に顎で使われる時代が来ると覚悟しておいてください。」だからついにその時が来たと思った訳だ。日経の見立てとは若干異なるが、この要素も少しはあるだろう。

我が家の孫は3人全員男だが、彼等が成人に達し職業に着く頃の日本はどうなっている事やら。2009年においてさえ30歳未満の若年男性勤労者のうち30%以上が非正規雇用とは、可哀そうなものだ。

昔就職して間もなく母校の教授から聞いた事がある。「入試結果を男女の別なく公平に審査すると、文学部なんかは女学校になってしまったでしょう。だから女子枠は2割なら2割までと決めて、女子を別枠で選考してたのです。」現在は違うだろうが、少なくとも我々の入学当時はそうであったに違いない。何れにせよ昔からお勉強は女性の方が良く出来たものだし、最近山歩きなどをしていると、体力や度胸についても女性の方が優っているとしか思えない。

それにしても男が産休を取ったり、イクメンだと言ってみたりして恐ろしい世の中になってきたものだ。只でさえ頭が悪くて体力の劣る男性に、今まで以上に学ぶ事を増やしたら可哀そうじゃないか。我が連れ合いは短大家政科のご出身である。しかし堂々たる四年制大出身の小生より遥かに頭がよさそうだ。たった2年で家庭のまつりごとは諸々完ぺきに習得されたそうな。更にその中で和裁が特に好きだったので、和裁の専門学校に迄進まれている。旅行がお嫌いで、生まれてこの方飛行機に乗った事が無いのに、フランス語の辞書など手元に置かれているのは、料理熱心のためかなと思ったりしている。

お陰で彼女に炊事洗濯掃除は勿論、育児教育家計に至るまで一切合財お任せして、こちらからは何も口出しはしない。毎月稼いだ(これからは国から頂く年金になるが)僅かばかりのお長目の一部をお渡しして、日々食わせてもらってきた。彼女に言わせると、育児教育なんぞは特に、母親が専任するのが望ましい、と学校で習ったようだ。女性が社会で活躍するのも結構だが、男女分権の方が望ましい(能力のある方が家庭を守る)持論。小生も賛同して、男女の区別がぐちゃぐちゃになっていくこれからの世の中、子供たちがどうなっていくか心配といつも話しあっている。幸い我が子供達までは、今のところ旨くいったようでもあるが、これから先についてはケセラセラだ。

今日は予定通り夕方から奥飛騨に出かけるので早めに日記を書いた。

2010年10月21日木曜日

読後感「宇宙は何で出来ているのか」村山斉著

極楽とんぼが理解不能を承知で読み始めた。案の定でもあったが、別の意味で面白いとも言える。結局のところ、宇宙の謎を解くのは極小の世界を探求するしかないらしい。何故なら宇宙の果てまで行って調べる訳にはいかないが、極小の世界について調べて行くと宇宙発生時の事(140億年前に起きたとされるビッグバン)が段々詳らかになるらしい。これすなわち素粒子物理学なる代物。

これが著者の専門とする分野で、終戦直後の湯川博士以来2002年受賞の小柴博士の研究を挟み一昨年の小林、益川、南部の3博士に至る系譜を引き継いでの研究との事。そんな事もあり、近年その研究が随分と進んでいるようなのだ。一寸理解不能のまま書くと、ビッグバン発生から1億分の1秒にあった事が分かっているらしい。小柴博士の顔と結びついて印象にあるのだが、岐阜県にある「カミオカンデ」なんて実験施設の事も朧げながら分かってくる。

実際には分かっていないのだが、分かった事にしないと極小世界、素粒子が云々カンヌンと続くので読み終わる事が出来ない。この研究の元祖がアインシュタインで相対性理論やらE=mc²が経典の原本らしいが、面白いのは研究が進むにつれて、この理屈で説明がつかないところが次々に発見されているらしい。特に膨張を続ける宇宙の最後がどうなるかについては、急速に雲散霧消するか、固まってしまうのか、どっちに行ってもとても理屈が合わないとの事。

凡そ非科学の権化が言うのも可笑しいが、「あったり前でしょう、そんな事が分かってたまるか。」何もかにも明解になったのでは面白くない。宇宙は見ての通り、昔から吾輩見ている通りに出来ていて、吾輩が死ねば宇宙も同時に消えるだけだ。と思っていれば気楽なものなのに。恐らく昔も今も天才的な人達が居て(きっと著者もそうに違いない)、10次元の世界だ事の10のマイナス35乗何て計算を真面目にしている事を考えると、科学とは偉いものだとも思えてくる。

2010年10月20日水曜日

日本語の難しさ

日本語しか読み書き話しが出来ないので、せめてこの唯一の言葉を正しく使えるようにと念じながら、日記を週に5回は書くように努めている。しかし全くの自己流なので、果たしてまともな日本語になっているかどうか、全く自信はない。生まれた時から日本語をしゃべり、読み書きも一応は学校で学び、毎日のように文字は読んでいる。当然ながら話しをしていても、文章を書いても日本語が間違ったと気付く事は少ない。

しかし「これで正しいのだろうか?」と漠然とした不安感、或いは違和感のようなもの常に感じている。何故なら、最近プロのアナウサーの言葉遣いに引っかかる事が余りにも多いからである。そろそろ平成時代に日本語を身につけた世代が活躍し出しているので、昭和以前に存在して過去の遺物と化した文物事象について、知らないのだから仕方あるまいと言ってしまえばそれまでだ。我々だって明治以前使用されていた日本語を正しく理解して使えるか、と問われれば「できません」と答えざるをえない。

むしろ考えたいのは、古い言葉より平易な言葉の使い方だ。ここに日本語の難しさがある。例えば我が家で「また言っている」と話題になる言葉に「ご苦労さまでした」がある。婆さんは「目上の人の向かって使うのは失礼だ。『お疲れさまでした』が正しい。」と言うのだ。どっちも同じじゃないかと思うのだが、「お疲れさま」と「御苦労さま」は同じ意味でも、後者はなんとなく上から目線だとの事。こんな事で言い争っても仕方ないので、「ああ、また言ってるね。」で済んでいるのだが、こんな類は挙げだすときりが無い。

もう一つの例は、最近はやりの言葉で「粛々と」がある。「英語に訳すとなんて訳すか教えてくれ」との事。勿論即答は致しかねるので翌日まで待ってもらった。自宅に遺書も辞書はあるのだが、最近は何でもインターネットに依存している。翌日YAHOOの辞書で検索した結果が下記である。
「◇粛々と|〔静かに〕silently; 〔厳かに〕solemnly 葬列は粛々と町を進んだ The funeral procession moved along the street in solemnly.◇」これで諸外国の方々に意味が通じるのかなぁ。

通じると思えば通じるし、政治家の話は言語明瞭にして意味不明が当たり前とされている。霞が関の作文は官僚が読み解くと、官僚に極めて都合よく解釈できると言われている。テレビで若い人が歌う歌は下に字がでなければ何を言っているか分からないし、テレビコマーシャルに至っては言っている言葉が分かっても何の宣伝か分からない事が多いようだ。時たま小生にも意味が分からない横文字のCMがある。原始的な生活をモットーにしている婆さんに分からないのは無理もない。

新しい言葉に美しさが欠けている事も気になる事だ。日本語は語彙が豊富なので、使い方によっては非常に理知的な印象を与える優れた言語だと思うのだが、自分を棚上げして言えば、大人の言葉遣いも粗野になる一方だし。景気がどんなに悪くなっても日本が溶けてなくなる事は無いと思うが、日本語が無くなってしまえば、日本と言う国家が溶解してしまうのと同じではないだろうか。日本語が難しすぎるせいか、公用語を英語にする会社が出現している。英語の汎用性は認めるにしても、日本語をもう少し大事にしてほしいものだ。

2010年10月19日火曜日

都会でも季節が分かるようになった

ここ1,2年だろうか、毎日のように食っていた菓子を止めて、代わりに果物を食べるのが習慣になっている。昨日も今年何回目かの柿を食べたが、大分甘くなっている。今朝の気温もやっと涼しくなり、秋がやっと深くなった。今日は仕事の請求〆日、婆さんからは年賀状の必要枚数を確認された。今年もあと2カ月になってしまった。

自分なりに今年の山登りシーズンは終了、先週3連休の蓼科山で泊まりがけ行くような山歩きは終わりにしようと思っていたが、昨日婆さんから「今度の土日は夕飯の支度が出来ないから外で食べてきて。」と宣告されてしまった。併せて「私も外出するから天気は大丈夫。」とのお墨付き。山登りを催促されたようなものだ。念のため天気予報を見ると、「天気が良い」も満更嘘でもなさそう。一度断念した遠方の山行きを計画することにした。

いろいろ考えているうちに折角の機会ならと段々欲が出て、今まで一度も行った事のない飛騨の高山地方に足を延ばしてみる事にした。そうなると今度は1泊では無理そうなので、金曜日の夕方新宿を出てし穂高温泉に前泊して有名な新穂高ロープウェイに乗ることにする。その後は今のところ、西穂高に登ろうと思っているが、天気の具合が悪くとも、初めて奥飛騨には観るところが沢山ありそうだ。

取敢えず行きのバスと金曜日の宿泊を手配した。土曜日に山に登って上高地に降ろうとも考えたが、知らない道を一人で降りて、転んだりしたらと考えた。只でさえその可能性が高いうえに、山はもう冬と考えなくてはいけない季節に入っている。天気の可能性も半々だし、上高地をあきらめ、新穂高で2泊にするのが妥当と思い至った。考えてみれば山に行ったにしても、この方が歩く距離はぐっと短くなって楽なはずだし、雨で奥飛騨の観光だけにもなっても応用が利くだろう。但し、帰りのバスがまた大渋滞に巻き込まれる可能性が多分にあるのは覚悟して、片道の予約を往復に変更した。

閑話休題(仙石長官)

仙石内閣官房長官の答弁が面白い。特に昨日の参議院決算委員会、自民党のの丸山和也議員の質問に対して。質問者も弁護士で、行列のできる法律相談所の一員として、又テレビタレントとして人気の高かった人だ。官房長官と年齢も同じだそうだ。長官は社会派の弁護士として社民党党首の福島さんに言わせると先輩でもあり、権力に対する闘士として実務的に非常に実績があった人らしい。

2010年10月18日月曜日

読後感「ブラックマネー」須田慎一郎著

旅行のバスの中で読んだので、最初から最後まで読んだのだが、内容は殆ど記憶に残っていない。しかし、つまらなかった訳でもない。不動産取引とか株や金融商品と無縁なので、脳みそにインパクトが与えられなかったせいもあるだろう。

理解できた事は、金銭にまつわるこの世界には胡散臭い話がごまんとあって、これが全てヤクザがらみに限った話では無い事だ。当然かもしれないが、一見まともに見える会社が行っている不動産取引なんかにも、裏でアングラの人間が関与したりしている事がいろいろ書かれていた。アングラの人間も儲けるが、堅気の儲けも馬鹿に出来ないとして、オリックスの名前がちらっと書かれていたように記憶している。

逆に、司法によって糾弾されたホリエモンや村上ファンドについて、これが糾弾されるなら糾弾すべき企業はもっとあるのではないか、といった内容が書かれていたようだ。やばそうな話は追求していくと、何処かで死人が出て追及できなくなっている。ライブドアの野口氏なんかもそうらしい。何れも左もありなんと思う事ばかりだ。

読後感にもならない内容だが、日記に書くネタが無かったのでアリバイ代わりにアップする。

2010年10月15日金曜日

社会保険

今月は楽しみにしている年金が振り込まれる月である。先日の三連休の前に日本年金機構からなんぞ「大切なお知らせ」が届いていたとの事。こちらが山に行ったりして留守だったし、留守中に孫が来たりして、家内が仕舞い忘れていたと言って渡してくれた。ここ数日は官製談合で評判の悪い年金機構の事だ。嫌な予感がしながら開けてみると「年金振込通知書-初回振込予定日平成22年10月15日」保険料の特別徴収額が変更された事により・・・とあって、新しい振込金額が記入されている。

記憶が定かでないが、同様のハガキを見てハッピーな気分になった記憶が無い。その上これが最近は頻繁に来るような気がする。今までは、頂戴するものなので、文句のつけようもないからと碌に見もせず破棄していた。しかし今回示されている金額を見て、黙って見過ごしてはいけないと思った。どこに文句を言って行くべきか、持って行きようが無いのは分かるが、この事を頭にインプットして将来に備える必要があるとおもい、今日のブログのネタにする。兄弟や従妹達、同窓生の読者が殆どだから同感してくれると思うし、若い人には何かの参考になれば結構だと思う。

今回来た通知によると、これからの偶数月(来年の4月迄の4回)に振り込まれる金額は1回当たり38万6848円也となっている。因みに10年前の平成12年8月15日の振込金額(これが2か月分としては初回だったようだ)45万3186円で同年10月15日はこれが43万9445円と既に減り始めている。その後通帳がスキップしていて経緯が詳しくは分からないが、平成16年10月15日になると更にダウンし、40万6430円となっている。

後の経過は調べるのも面倒なので結論を言えば、この10年だけで見ても受給額が15%も減っているのが事実だ。平成23年になったらまた下がる話だろう。しかし小生は60歳から今までの10年間で、2500万円以上の給付を受けた訳だから有難く思わない訳にはいかない。今まではなんとなく月に20万円あればと思っていたのが、既にその線は破綻している事に気がついた。急に死に欲をかいても仕方ないが、今まで以上に無駄遣いをしないように心がけなくては思い立った次第だ。

幸い婆さんも娘二人も余り贅沢な趣味は持ち合わせないようだし、それぞれの婿さんもしっかりものなので心配は無用だろう。政権がどう変わろうと、世界経済がどう変動しようと、社会保障のトレンドは益々頼りになりそうもない。偉そうに言えた義理ではないが皆の衆、生活防衛は自衛の精神でよろしく願いたい。

2010年10月14日木曜日

これでいいのか、野党自民党

チリ鉱山での遭難者救出が報じられる中で、指導者が果たす役割(リーダーシップ)の重要さが改めて認識された。比較して日本現政府におけるリーダーシップの欠如に些かうんざりしているところに持ってきて、今週始まった国会予算委員会審議内容を垣間見ると、情けなさを通り越してもう笑ってしまいたくなる。我が国の政治構造が歪んでいるのか政治家の質的劣化なのか分からないが、1日億円単位の費用をかけてやり取りする審議内容がこんな事で維持されている日本は本当に暢気で結構な国だ。

野党の突っ込みの大半は何れも生活に直結しない問題なので、能天気なやり取りをまともに聞こうとする人が国民の何パーセントになるか分からない。少なくとも小生がちょこちょこと聴く限り、予算委員会の審議内容は小学校の授業参観をしているような気分になる。それもかなり頭の悪い生徒に出来のあまりよくない先生が教えようとしているようだ。

衆参で今日まで3日間の予算委員会がテレビ中継され、更に朝晩のニュースや新聞報道でも取り上げられた。似たような質問がだらだらと続いたのだろうが、中で大きなウェイトを占めたのは、尖閣の漁船船長逮捕に絡む日中の外交問題、政治と金に絡んで起訴が決まった小沢氏の国会招致、補正予算に絡む民主党マニフェストによるバラマキ政策批判の3点のようだ。

特に前2件について質問者が大声を張り上げて質問しているが、政府側の回答と全く噛み合わない。政府側は同じような質問に対して、回答に窮するより、開き直って馬鹿な質問を繰り返す質問者をあざ笑っているようにさえ見える。要するに野党の質問が余りに幼稚すぎるのだ。野党の質問に多用されるフレーズに「国際的信用を失墜して国益を棄損した。」「国民が怒っています。知りたがっています。」がある。

小生は少しへそ曲がりで常識外れの可能性もあるので、国民を代表する見解を持ち合わせていないかもしれない。しかし、今回の日中の折衝について欧米のメディアを知る人に言わせると、大方の欧米メディアでは「日本の対応は概してクールで大人の対応であった。対する中国の強硬姿勢については、日本以外の国に対して脅威を印象付けただけでなく、船長が釈放された後に賠償を云々したりして、外交的に不味い対応であった。」との意見が一般的のようだ。質問者がもしこの事実を知らないでいるとすれば、情報収集にかなり問題があるだろう。

国益なんて難しい事は小生のような無学者にはよく分からないし、第一不良外国人一人の事で国会が延々と大騒ぎするほどの事かと思っている。重箱の隅を突っついたような些細な事をさも一大事の如く繰り返し聞いているが、己の馬鹿さ加減が露呈するばかりだ。領海はこれからもしっかり守っていこう、で終わりじゃないか。こんな事で時間を費やさずに、もっと議論するネタは無いのだろうか。

小沢問題についても同様だ。世論調査で「小沢氏がもっと説明すべきとする人」が80%、を根拠として証人喚問を迫っている。何を聞きたいのか知らないが、国会で証人喚問をして、彼が今迄に話してきた事以上の何かが出てくると本気で思っているのだろうか。第一「政治と金」問題は自民党の専売見たいものではないか。人の頭の蠅より自分の頭を見て反省すべき、みたいな反論に返す言葉が無いではないか。

鬼の首でも取ったかのようにひけらかす世論調査自体のおかしさにも、当然ながら思いは及ばないのだろう。

典型は第5検察審査会2度目の「起訴相当」の議決関連だ。昨年11月の法改正があって今回初めての適用となった事の持つ意味や、予想される顛末はさて置き、恰も検察が起訴したと同様の報道を続けてきたメディアが先ずある。世論調査はその上で「小沢氏は説明責任を果たしていると思いますか?」とやっている訳である。その尻馬に乗って質問を作成しなければならない野党とはあまりにも情けないのではなかろうか。

マニフェスト関連で、財源の見込みが破綻しているから、国民に詫びてマニフェストを撤回したうえでバラマキを直ちにやめろ!に至っては正に噴飯もの。野党のくせに己を何様と考えているのだろう。現政権の政策は正しくないとしよう。その点を指摘するのは構わない、しかしその時、野党として国家百年の大計を考えて言うべきは「次の選挙において政権の座に着かせてもらうなら、我が党はこのような政策を実行する。」だろう。前の選挙で党として統一マニフェストも作れなかったくせに何を血迷っているのか。

野党自民党のだらしなさは言いだすときりがない。民主党も決して褒めたものではないが、相手がこの程度だと自惚れてしまいかねない。やはり野党は共産党のように独自の組織を固め、新聞も発行して、独自のネタを収集する力がなければ存在する意味がないのか。その意味では公明党も似ているが、こっちは一度権力の甘い蜜をを吸っているので迫力が無いなあ。

2010年10月13日水曜日

チリ落盤 地下700メートルからの脱出

深さ約700mの地底に閉じ込められたチリの鉱山落盤事故での遭難から今日は69日目。全世界注視の中で進められた救出作業が最終段階に入り、日本時間で今朝の8時頃、最初の一人が地上に引き上げられた。大勢の人間が一つの目的に向かって一致協力、難関を突破して目的が達成された瞬間の喜び優るものはあるまい。ライブ映像をちらりと見たが、現地の大きな歓喜が伝わってきて胸を打つ。

この救出作業は国家事業で行われたのだろうか。チリがどんな国かは全く知らないが、費用も馬鹿にならないだろう。全て税金とするより、放送権料を売れば少しは足しになるのではないか、なんて馬鹿な事を考えたりしてしまう。全員の脱出までには丸2日程を要するらしいが、作業は順調に進んでいるようだ。それにしても33人もの人間が、深度700メートルの地底で2カ月以上もよく頑張ったものだ。

8月5日遭難して、8月22日に全員の生存が確認された事が奇跡のように思われたが、その時には救出はクリスマス頃と報道された。これが52日目の今日救出開始なのだから大幅な短縮である。救出作業チームスタッフにはさぞ数々のドラマがあるに違いない。海でも山でも遭難救助は困難を極めると思うが、我が国では不眠不休の捜査はあまり聞かない。大抵の場合、日没になれば一旦引き揚げ又翌日からである。

現地の作業がどのように行われたか承知はしないが、多分不眠不休の24時間体制で事に当たったように思う。特に生存を確認する迄の17日間、この体制やモチベーションを維持するには費用以外の何か、流行の言葉で言えば強いリーダーシップがあったに違いない。

それと遭難者達のマインドと行動規範も大したものだ。報道によれば、この33人は年齢的にもかなりの幅がありながら、かなり上手に組織的に統制されていたようでもある。当然ここにも強いリーダーが存在したに違いない、この事は社会学、心理学研究の対処として良いくらい驚異的な事かもしれない。地上との連絡がついてから、地底から送られてくる情報はかなり楽観的なものが多かったが、これは実体とはかなり違うようだ。「地獄のような毎日で気が狂いそうだ」と本音を洩れ聞いた事もあった。

それはそうだろう、陽の目を全く拝まない暗い洞窟に、よく知らない男同志が肩を寄せ合って3日も一緒にいたらどうなるか。仲の良い友達同士でも喧嘩沙汰が確実に起きる。因みに小生が団体旅行を避けるのは、嫌な経験があるからだ。まして、現地の実態は知らないが、鉱夫と言えば荒くれ者との相場だし、絶望でどんな自暴自棄になる事やら。彼等を率いたリーダーは50歳代の大学を出た鉱山技師と聞くが、本当に俄かには信じ難いぐらいに、偉業を果たした。

一定の時が経てば、様々情報が流出して実態が徐々に明らかになるだろう。アポロ13号の生還以来最大のドラマかもしれない。何はともあれ、関係者には心から祝意と敬意を捧げたい。

2010年10月12日火曜日

でっかい秋を満喫


昨日までの3連休を八ヶ岳山麓に住む竹馬の友T君の家で世話になった。土曜日の夕方は土砂降りの中、中央道富士見のバス停までご夫妻お揃いで態々迎へに来て頂いた上、夫人手作りの夕食をご馳走になって夜遅くまで歓談。

翌日曜日は天気予報が外れて9時過ぎから急速に青空が見えてくる。奥さんの方が本当は郷土史に詳しいようだが、今日は所要ありとの事で、T君の案内で諏訪神社巡りをする事になった。諏訪神社はとても大きな神社で、末社は全国に1600社程にもなるそうだ。先ず上社の前宮を参拝、お宮の四方に聳える御柱を初めて拝ませて頂いた。今年は7年に一度の御柱の年に当たるので、この柱は春に新しく建てられたばかりだそうだ。

冬に山から切り出し、枝を打ち払い皮をむいた樅の巨木(最大の物は重量が5tに引き綱が8t、合計13t程にもなるらしい)を人力でお宮に運び、神を迎えるためにお宮の四方に打ち立てる儀式は日本の祭り中でも特筆大書されるもので、大社が置かれる諏訪地方は1年中がお祭りで、氏子住民は年中御柱祭に集中するので、婚礼さえ今年1年は慎むべきとされるのだそうだ。

事実この日の午後ドライブの途中、上諏訪の小さなお宮の御柱祭に遭遇して、車を止めて小振りの御柱が引かれる様に見とれてしまった。夕方新聞を見ると岡谷でも御柱祭があった事が報じられていた。兎に角この地方ではどんな小さな社にも四方にサイズは兎も角柱が立てられている。昨今のすさんだ世相を考えると、土着の信仰を守りながら神を恐れる心と、農耕民族の由縁かもしれぬが地域共同体意識を高揚するのは決して悪い事ではないだろう。


この前宮を皮切りに、神長官守矢史料館に立ち寄り、上社本宮、下社の秋宮と春宮の4社を丁寧にお参りして廻った。午後になると天気はすっかり日本晴れとなったので、T君が勧めてくれるまま霧ケ峰方面に行く事にした。霧ケ峰は山の名称はではなくて車山の裾一帯の総称との事。下諏訪から車山方面に徐々に高度を上げてくると、眼下の諏訪盆地と周辺の山なみがどんどん広がってくる。車を止めて振り返ると八ヶ岳の雄大な裾が平に向かって伸び、その向こうの雲間には富士がくっきりと浮かんでいる。

足元の斜面にはにはススキの穂が波打ち、ひんやりとした秋風が顔をなぶって吹き渡っている。歌の文句に「小さな秋見つけた」があるが、1500m近い地点から望んだこの日の秋は「でっかい秋」であった。車山山頂にはリフトが運転されていたので、これに乗って登頂。山頂のお宮もご多分に洩れず立派な御柱が建っていた。


蓼科山

翌月曜日はT君夫妻に案内してもらって蓼科山登山。全員早起きして、6:30には朝食を済ませて出発。7時前まで蓼科山は雲に覆われていたが、登山口に到着する頃は雲ひとつない全くの快晴となる。7:30女の神茶屋前登山開始、紅葉が始まっているので山全体が錦になって実に美しい。快晴なので見通しも良い。T君は最近俳句に凝っているので、急な登攀の途中でも写真を撮ったりメモをしたりしている。2時間40分で山頂に到達。山頂は文句なしの360度の眺望、北・南・中央アルプスは勿論、北から東に頭を振ると北信五岳・上信越国境の山々から浅間まで、もう少し南には金峰の五丈岩も幽かに雲間に浮かんでいる。


但し、山頂の風はそれ迄と一変、北風で肌に突き刺さる寒さなので、のんびり昼飯と言う訳にいかない。写真撮影の後は山頂ヒュッテのテラス迄撤退、昼飯を半分食べて下山を開始。復路は往路と別の蓼科山荘経由にする。30分の休憩の後10:45山頂発、蓼科山荘までの降りは傾斜もきつく険しい岩道の上に時間的に登り客が続いている。相当慎重に降らなければならない。30分で蓼科山荘に到着、残りの昼飯を食す。ここから眺める蓼科山は丸々と実に美しい。11:45蓼科山荘を出発、往路の登山口より100mほど下の龍源橋の登山口迄2時間近くかけて降る。


龍源橋から車を取りにビーナスラインを約30分又登り返し、途中で地元のおじさんが売っている松茸をひやかしたりして2:30丁度7時間で本日の蓼科山歩きが無事終了。帰路蓼科高原で茅野市営の温泉で汗を流して、T君夫妻に中央道富士見のバス停まで送って頂き16:25発のバスで帰宅。19時到着予定が2時間の延着になったが、運転している訳でもないので転寝をしたりして全然気にならない。婆さんに早速松茸を焼いてもらい写真を披露しながらうまいビールを飲んだ。

今年の山行きは先月まで2回雨にたたられたが、今回は全くの日本晴れで最高の山行きで、車山登頂のおまけまであり最高の連休となった。

2010年10月8日金曜日

田舎でなくても個人商店は大変だろうな

昨日、我が後継の新社長の仕事場の近く、東池袋の大きなビルの1階でシャッターの降りたブロックがあった。説明を聞くと、近くに区役所が移転して来て、近辺の再開発がされる予定だったのに、不景気のせいか予定が遅れてしまった。為に、この再開発を見込んで出店した店が次々と撤退し始めているとの事。人口が多い江戸は不景気と無縁かとイメージしていたが、そんなに甘いものではなさそうだ。

シャッター通り商店街も田舎に限った事ではなさそうだ。改めて振り返れば我が家の近くも、40年程前迄は○○通り商店街で、日常生活に必要なお店は殆ど揃っていた。八百屋、魚屋、肉屋、酒屋、米屋、豆腐屋、乾物屋、菓子屋、布団屋、畳屋、ガラス屋、自転車屋、薬屋、蕎麦屋、すし屋、床屋と実に豊富な店が並んでいた。すぐに思い出せないのは本屋と電気屋ぐらいなもので、主婦の日常的な買いものは全て2,3分のところで間に合っていたようだ。その上、取敢えず我が家は必要なかったものの銭湯までごく近くにあった。

「25,6歳で赤ん坊を二人抱えていたので、この生活環境は凄く有難かった。」と今でも家内はよく言う。それが現在は殆ど廃業か転居してしまっている。一時はシャッターが下りていた店も、現在では住宅に変身した家が大部分だ。余り間近な事で、却って変化に気がつかなかったようだ。幸いと言うか、或いはこれが原因かも知らぬが、当時は雑多な市場だった場所がスーパーに変身したりして、現在では徒歩15分以内に中型と小型スーパーが3,4軒出来ている。子供が幼稚園や小学校に通い始めた頃から、家内の買い物も自転車に乗ってスーパーに行くように変わったが、消費者としてのこちらには特段の不便はなさそうだ。

また交通事情も随分変わった。当時も今もこの通りを池袋行きの循環バスが走っている。しかし20年かもう少し前に、池袋からの地下鉄が開通、小生の足で10分程の場所に駅が出来る事で、商店街の没落が決定的になってしまった。嘗ては通勤客で朝夕混雑していたバスも、今では老人専用の乗り物みたいになっている。バス会社も大変だろう。

ともあれ、生活環境の変化は、そこでビジネスをする人に大きな影響を与えてしまう。この環境変化に個人的に対応しなければならない個人商店の経営努力は、大変に厳しいものに違いない。会社勤めを辞めた時に、屋台でも良いから小さな店を持ちたいという発想が湧かなかったのは幸いだった。

読後感【「権力」に操られる検察】三井環 著

検察の不祥事が続いている。その原点らしい事件に著者三井氏(元大阪高検公安部長)の検察裏金の告発事件がある。2002年4月週刊朝日とテレビ朝日が三井氏による実名実態スクープを決めたのだが、番組収録3時間前に肝心の三井氏が大阪地検特捜部に逮捕されたために、未だに正式には認知されていない事件である。著者はその後裁判で1年8カ月の有罪判決を受け、服役の後、昨年1月に満期出所をしている。

出所後3冊出版をしているが、この本は本年6月時点で脱稿して7月末に出版されたものである。内容的には裏金問題よりも、現在検察による起訴事実が疑いの目を以て見られている5件の大事件について、三井氏の見立てが書かれている。5件の事件とは「鈴木宗男事件」「日歯連、自民党への献金事件」「朝鮮総連ビル詐欺事件」「小沢一郎事件」「郵便不正事件」(これについては村木さんの判決以前)

著者の見立てでは、何れも検察の捜査から起訴に至る道筋が何処かで恣意的に歪められ、公正が著しく毀損されているとして、問題点を具体的に厳しく糾弾する形になっている。そしてその原点が、著者の裏金告発にあったと言う。三井氏が告発を決意した裏金とは、検察庁が税金である調査費(当時は年間5億円、現在は7500万円)を裏金としてプールして、高級検察官僚の私的流用が恒常化していた事実である。

そもそも彼がこんなアクションを起こすきっかけが、組織内部の出世争いの私怨であった事も正直に書かれている。しかしこんな事で組織の論理をぶち壊されて、思惑どおりに人事が出来なくなることに危機感を抱いた当時の検察トップが、時の(小泉政権下)実力者で元官房長官の後藤田正晴氏に泣きついて予定通りに人事を可能にし、同時に騒ぎを起こした著者を抹殺した。
又、その目くらましに使われたのが鈴木宗男事件と言っている。

検察が政治との一線を超えたこの事を著者は「けもの道」と称し、爾来自民党政権との間に借りが発生、この借りを返したのが「日歯連事件」と位置付けている。他章も当然そうだが、検察という組織の論理からかなり無理な捜査が行われる実態は、当事者が言うのだからかなり信憑性が高い筈だ。昨今問題になっている検察不祥事の根っこを理解する上で非常に役に立った。

2010年10月7日木曜日

祝ノーベル化学賞受賞

昨日の夕方、日本人科学者お二人のノーベル化学賞受賞のニュースが飛び込んできた。暗い話題が多いご時世なので、一昨年のトリプルに続くダブル受賞にはほっとする思いだ。初めて聞くお名前だが鈴木章氏・根岸英一氏には心からなるお祝いと敬意をささげたい。報道によると、授賞対象になった研究成果は既に30年以上前のものだそうだ。科学知識が全く無いので、研究成果「クロスカップリング」について理解する事はほとんど不可能に近い。

しかし、その成果によって既に現代人に多くの利便をもたらしている事が報道されている。併せて、いつもの事だが受賞者のコメントには拳拳服膺すべき事が多い。先ずは鈴木章氏に関してだ。

鈴木カップリング反応に関連する論文・特許は6千本を超えるという。鈴木さん自身がのんでいる血圧の薬にもこの反応が使われている。だが、鈴木さん自身は特許を取得していない。「特許を取るなんて、がめついヤツと言われた時代だった。それに、自分のお金でなく、国のお金で研究していたのだから。特許を取らずにオープンにしたおかげで、これだけ広く使ってもらえるようになったのだとも思うね。」80歳の老先生のこのコメントには強い共感と感動を覚えてしまう。

アメリカ在住の根岸先生も既に75歳。しかし両先生共に矍鑠として教鞭をとっておられるようだ。根岸先生のコメントも日本人全体に極めて重大な事を示唆している。

根岸先生が勤務するパデュー大学は海外からの留学生が多いそうだ。先生の研究室にもかつて日本からの留学生がいたが、この数年間は訪れていない。「日本は非常にカンファタブルな(居心地の良い)国なんですよ」と日本の若者が内向き志向になる背景を先ず指摘、「ある一定期間、旅行者としてではなく、海外に出て日本を外から見ることが重要。もっともっと出てこられることを勧めます。」と若い人の奮起を催促しているのだ。

日本における科学者の年齢的分布がどうなっているか分からない。多分60歳代以下の層にも、ノーベル賞候補が沢山居ると信じたい。気になるのはいわわゆる若者、小学生や中学生の我が孫がこのニュースをどのように受け止めるか、生徒同士の会話にこの事が話題になるかどうかだ。残念だが我が孫にこのニュースがなにがしかのインパクトがあったとは一寸考えにくい。身内はさて置き、全国の若者諸氏にはこれを機会に是非奮起してもらいたいものだ。

2010年10月6日水曜日

検察審査会---健全な市民感覚?

今週の月曜日に東京第五検察審査会の議決が発表され、小沢一郎氏の強制起訴が確定したのはご案内の通り。小沢ファンの小生からすれば少し残念な気もしたが、本人はそれどころではないだろう。なんたって民主党内からでさえ、議員辞職しろという声が出てくるのだから。小生なんぞは短腹だから、すかさず「上等だ、辞めてやる。」と言いそうだが、小沢氏はそんな単細胞ではないだろうし、頭を悩ませている事だろう。

それにつけても司法関係の事なんぞ別世界の事なので、何も知らないと言っても過言ではない。当然ながら「検察審査会」なんて事自体今度の報道で初めて知った次第で、市井の大半の方も同様だろう。新聞等によれば仕掛けがどうなっているかは別にして、検察が独占している公訴権の例外として認められた、健全な市民感覚を反映できる制度らしい。今回は平均年齢30.8歳の市民11人によって構成され、おおよそ2ヶ月間ぐらいで何回審査が行われたか知らないが、最後の1週間ほど「審査補助員」なる専門家(弁護士)が指導したらしい。

大昔から存在している制度の事を、未だに何も知らない老いぼれが、殊更に論うのも可笑しいが、司法について全く無知の人間が「起訴相当」と断定する市民感覚とは何だろう?たまたま大阪地検特捜部の大チョンボ事件で検察関連に興味があったので、三井環元大阪地検の公安部長や元長崎地検検事の郷原弁護士の意見をインターネットで聞いたりしている。特に郷原氏は実に重大な指摘をしている。

時間のある方は是非下記を開いて<タイムシフト視聴する>をクリックしてご覧いただきたい。
http://live.nicovideo.jp/gate/lv28656293
自民党の議員で元検事である柴山昌彦も同席して、彼が今回の議決をヨイショするのだが、郷原氏に議決要旨を読む限り「不起訴処分の対象事実を逸脱した被疑事実で起訴相当議決を行うことは許されない。今回の起訴相当議決は無効であり、強制起訴手続をとることはできない。」と論破されて、反論できない。

専門家である郷原氏が見ると、この決議はどうもかなりインチキくさいものらしい。郷原氏は元々小生も好きな人だから身贔屓があるのかもしれないし、異なる見解の専門家もいるだろう。それにしても、もしそんな瑕疵があるとすれば、小沢氏が涙を流したくなるのも分かるような気がする。小生がチェックしている記事やコメントはそっちの意見が圧倒的に多いが、新聞やテレビと比べれば蟷螂の斧にすぎない。どっちの意見が世論になるかと言えば、帰趨は決定的である。しかしどっちが正しいかと言えば、官僚に取り込まれているマスコミに非があるように思えてならない。

2010年10月5日火曜日

健康増進国民運動

昨日の日記でインフルエンザ予防接種費用について書いた。後で婆さんと話をすると、「どの世代を優先するかより、予防ワクチン接種が健保の適用外になっている事がおかしいのよ。」とのご託宣。言われてみれば尤もで、医療費が減る事に繋がるのに何故健保対象にしないのだろう?どうせ、病気治療でないのでダメ、とかなんとか下らない理屈があるのだろうが、おかしな話だ。健保対象になれば我々高齢者でも、勤労者と同額で恩着せがましく言われる必要もなく、1500円以下で接種が可能になる勘定だ。

後期高齢者の問題が典型的だが、どうも役所の考え方は杓子定規で芳しくない。今日は又健康に関連するメルマガが来た。JMM [Japan Mail Media]  でデンマーク在住造形作家の高田ケラー有子さんのメールである。デンマークの子育て事情が分かって面白いのだが、6年生の子供たちの体力作りについて書いている。6年生になった息子さんが、自転車に乗る機会がどんどん増え、先日学校で、6年生の自転車教習テストが、警察官立ち会いで一般道を使って行われた。とあって詳しく内容が書かれている。

これも無断引用お断りなので引用はしないが、学校行事(授業)のようではあるが、公道5km程のコースを使用しているようなので、どうも国策みたいだ。更に0年生から10年生迄を対象とするActive Round in Denmarkという健康運動キャンペーンについて書かれている。これは9月から10月にかけての3週間、全国で約10万人の児童生徒が参加するデンマーク全体で取り組むキャンペーンだそうで、全体を学年別に4グループ分けてテーマや課題があり、また全体でのコンペティション形式にもなっていて、クラス対抗あるいは学校対抗で、全国のどのクラス(学校)が一番健康で運動をしたかを競うらしい。

詳しくメニューを紹介できないのが残念だが、これが実によく出来ていて、
コンセプトは「もっと身体を動かし、もっと自然と触れ合い、健康な食習慣を身につける。」との事。当たり前と言えば当たり前ではあるが、デンマーク人は低学年時代に走り込む事をきっちり身につけてしまうメニューになっている。しかも無理をしないように(例えば2分走って2分歩くから徐々に走る時間を延ばしていくとか)配慮しながら、1日に最低1時間は運動するように仕向けているようである。

更に筆者がデンマークの人とサイクリングツアーに参加した時の記憶で書いているが、彼の国の人は体力は凄いらしい。おばさんでも例外でなく、日本人としての体力差をしみじみと感じたらしい。息子さんの事を見て、子どもの頃から、日常的に鍛えられていることがいかに大切かを痛感されたとしている。

日本でも昔から掛け声的には「国民体力増進運動」とか聞こえてくるし、「国民体育大会」なんて下らない行事を、戦後、都道府県一周しても未だ続けている。箱モノづくりで開催自治体の土建屋が儲かるのかどうか知らぬが、国民の体力向上には全く関係ない話だ。こういった事もやれ文科省だ厚労省だと、省益確保だけが優先され、国民は全く不在になっているのが実態だろう。児童の学力低下が指摘されているが、学力より大切なのが健康と体力の筈。この問題だけは縦割り行政を止めて、デンマークの爪の垢でも煎じて飲んでほしいものだ。

行政改革だのへちまだの理屈ばかりで、現政権でも官僚国家の骨格は自公政権と何も変わっていない。小沢一郎がやっても行政の縦割りをぶち壊す事は出来なかったろうか。

後何年待てば、誰が革命的変革を成し遂げてくれるのか。嗚呼

2010年10月4日月曜日

高齢者優遇は有難いけれども

インフルエンザのシーズンがやってくる。我が家にも早々と「インフルエンザ予防ワクチン接種のお知らせ」が来た。夫婦共に65歳以上の認定で、それぞれ別に届いている。ご丁寧と言えばそれまでだが、社会保険庁の通知、総務省の国勢調査等、お役所が発送する印刷物は莫大な無駄を含んでいる。豊島区の区報なんぞも定期的に全国紙に折り込まれて配達される。広報活動が無ければ無いで文句を言う奴が出るだろうし、(先週の日記に書いた小生の行動「街路樹についての質問」なんかがいい例だ)無駄を如何に省くかは難しい問題だ。

少し脱線してしまったが、今日指摘したいのは別の事。今日はたまたま2ヵ月に1度の掛かり付けの医者に行く日、そこでインフルエンザ予防接種についての雑談をした。

先ずアドバイスとして、案内が来たからと言って慌てて行かない方が良いでしょう。何故なら、インフルエンザの本格的流行はいつも12月に入ってからで、ワクチンが本当に効いてくるのは、接種後1ヵ月後くらいが目安です。
又、今年のワクチンは2回接種が必要とテレビで言ってましたが、その必要はないでしょう。どうも子供を対象とした場合、一定期間でワクチンの効果(抗体?)が減ってくるのかもしれない、と曖昧な返事。

ここまでは良しとして、次の発言が重かった。曰く「皆さんは確か2千円ちょっとで接種できる筈ですから、必ず摂取してください。本当は働き盛りでお勤めの方に摂取してほしいのですけど、残念ながら公費負担が全く無いので4500円位になります。お年寄りの皆さんに比べると、外出や人と接する機会の多い若い方の方が感染の機会は多い筈です。でも40,50歳代の方にとって5千円近い出費はかなりの負担になるようです。」

因みにこのお医者さんは渋谷駅近くで開業していて、圧倒的にサラリーマン・OLの患者が多い。冬場近くになるといつも待合室に「インフルエンザ予防ワクチンあります」の掲示が出ているが、上記の理由で働き盛りの人はなかなか接種に踏み切らないのだそうだ。自分の事を思い返しても、ワクチン接種をするようになったのはここ3,4年の事かもしれない。学童のワクチン接種についても費用の事が問題になっている。年寄りを大事にして頂くのは有難いが、65歳ともなれば極端な事言えばいつ死んでも仕方がない世代だ。

若い人に公費負担をしてほしい、とはドクターの私欲ではなく尤もな事かもしれない。「先生の仰る通りだと思います、年寄りも長生きすればいいと言うもんじゃありませんね。」と相槌を打ったら、少し言い過ぎたと思ったか「いえ、やはり長生きして頂き、我々若い者をいろいろご指導頂く事が必要です。」と言う事でお互いに笑ってしまった。この先生も小生と10歳とは違わない美人の女医さん。

2010年10月1日金曜日

さすがNHK、すぐ返事が来た

昨日の日記でNHKに問い合わせを出した事を書いた。さすがNHK、今日の10:30に返事が来た。公平を期すために以下に全文を転記しておこう。後で気がついたが、メールフォームに転用禁止となっている。ひょっとすると削除せざるを得ないかも。

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NHKからのクレームで転用は削除します。
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3段落目の括弧の中が当日のコメントだと言っている。「国民の中で反対論が多い」との言い回しは使っていないとの事だ。確かにうろ覚えの記憶で書いているブログだから、こちらの聞き間違いは大いにあるだろう。家内と一緒に見ていて、国民云々を話題にしたので、国民と言う言葉が入っていたようにも思うが、これ以上言ってもしかたがない。

しかし日本語は難しいものだ。この回答でも、子ども手当の前に「批判の強い」と形容をかぶせているが、この主体も誰だかよく分からない。それにしてもスタッフ全員が、放送が視聴者の皆様に多大な影響を与える事だけは理解しているらしい。研鑽の程よろしくお願いしたいものだ。

今日は秋晴れで非常に爽やか、散歩の道すがら思った。小人は閑居すると碌な事を考えない。実は今週初めから気になっていた事である。地下鉄最寄り駅[千川]の上を走る大通りの街路樹(豊島区の木であるハナミズキ)と下のツツジの植え込みが、何故か2~300mに亘って引き抜かれてしまった。黒い地肌が無残で見栄えが非常に悪い。この理由について区役所に電話して問い合せた。区の街路樹担当によると、道路の管理者が都なので、そちらにお問い合わせ願いたい。電話番号を教えてくれた。

都に問い合わせてみた。地下鉄の路線工事の関係で、上の街路樹を撤去させてほしい旨の依頼があり、これを許可しました。費用は当然東京メトロ負担で、4,5年先にはなると思うが当然原状復帰をさせます。との事。その頃はこちらがこの世にいないかもしれないので、それ以上追及するのは止めた。

折角の日和だが「ああ、無情」