2013年10月31日木曜日

東電今期黒字の予想

世の中に絶対のことは「死」以外には無い、だから軽々しく絶対なんて言ってはいけないと注意されたことがある。しかし就職を考える時、絶対潰れない会社があれば就職したいと考える人もいるだろう。少なくとも娘たちには、そのように考えた方が安全と教えてきた。今にして思えば馬鹿なことを言ったもので、役所が典型と思っていたが消滅しない組織なんぞありよう筈もない。役所だって銀行だって、社会への貢献が低下し存在価値が無くなれば消滅するのは当たり前だ。

思えば、都市銀行でさえ大学を卒業する時に確か12行あって、文系卒業者憧れの就職先だった。それが現在では3行か4行になってしまった。勿論逆の例も多々あるだろう。街の自転車屋さんと大差ないオートバイ屋さんが世界屈指の自動車メーカーのホンダなったり、電気屋さんがソニーになったりした。まさに栄枯盛衰は世の習いだから、将来のことをあれこれ考えるのは無意味かもしれぬ。話が逸れたが東京電力が今期黒字決算が出来そうとの報道があった。

冗談かと耳を疑った人も多いだろう。日本航空と同様に看板は兎も角、一旦これまでの東電は破綻処理をして再建すべきと考えるのが自然に思うが、どうもそうではないらしい。日本航空と東電の差をどこに求めればいいのか素人なりに考えたが答が想像できない。一瞬時の政権の違いを思ったが思想でもなさそうだ。しかし現政府が東電の存続を決意したことだけは間違いなさそうだ。破綻処理すれば金融機関や債券、株式を保有している人が損をし、存続させれば税金で全てのマイナスをカバーしていくので国民が等しく負担することになる。

日本人が好きな「絆」理論でこちらの方が公平で民主的とでもいうのだろうか。
「東電黒字」で頭に上った血を一旦抑え、少しは冷静になったつもりで、いろいろ考えてみた。この際一層複雑になるので原発再稼働の是非も考慮しないことにした。東電の福一だけに限っても、事故は未だ継続中であり、収束の見通しは全く立っていないのは誰にも否定できない。周辺の除染は無視するにしても、事故処理に要する年月と費用についても見通しが無いのは同様である。

極端かも知らぬが、費用は100兆円を超えるだろうと言う人さえいる。これまでの約2年半でも、国は東電に対し貸し付けの形を取っているにせよ既に数兆円を投入している筈だ。従って今のところ少し被害を被る形なっているのは、電気料値上げを受けた東電ユーザーと課税負担を強いられている全国民だけに留まっている。この負担は薄く広がっているので実感は沸きにくい。今後幾ら掛かるか分からない費用については、当事者能力が無い東電に背負いきれないのは更に明白で、東電を生かしても殺しても、結局は全てを国民が負担することになる。

総額については、既に投入した金額に比べようもないほどとてつもない費用になることしか分からない。だったら金融機関や債券株式を保有する人に損をさせないようにした方が、厭な思いや傷つく人が少なくて済むではないか。貸金や投資が全てブタになれば、傷が大きいだけに原因者に対する責任追及も厳しくなるだろう。凄く好意的に考えればこんな事だろう、極めて日本的であるかもしれない。

先の敗戦時の処理も少し似た感じがある。しかしいつまでもこんな事でいいのだろうか?考え始めると、幾ら冷静なろうと思っても難しい。

2013年10月30日水曜日

現代の若者は将来が不安で遊べない?

仕事をしていない年寄りが未来のことを心配しても致し方が無いし、労働環境が過去と異なっていることを思うと、一読には値しないかもしれぬ。
現代日本は凄まじい勢いで高齢者が増え、若者が減りつつある。残念ではあるが、この傾向は誰にとっても手の打ちようがないのが事実だろう。せめて数が少ない若者たちには元気に育って、一定期間(現代的には40数年か)は一所懸命働いて頂きたいと望むばかりだ。年寄りの身勝手ではあるが、ついそう願いたくなってしまう。

ところで、最近の若者は余り遊ばないらしい。若い時から将来に不安を感じて、将来に備えて若い時から貯金する傾向の若者が多いとのこと。気持ちは分からぬでもない。娘二人のうち一人がその口で、就職して初任給15万円にも満たないうちから貯蓄に励み、貯金通帳の数字が増えるのが最大の楽しみと言っていた。もう一人は正反対で、妹の数割増しに匹敵する高給を取りながらキリギリス的な生活をしていた。

双方共に確信犯だから、どちらに対しても文句を言ったことはない。多分母親も同様だったろう。内心では妹の方が少し偉いなと思いつつも、姉の方が俺に似ていると思っていた。男性の場合の老後感は少し異なるのだろうが、どっちにしても若い時に遊ばないのは良くない。仕事を通じてできる人間関係を馬鹿にするものではないが、どちらかと言えば遊びを通して形成された人間関係の方が長持ちするように思う。但し、役に立つとか損得で言えば別かもしれない。

娘どもは二人とも酒は相当飲むし、友人にも恵まれているようなので安心している。問題は未だ幼い孫の世代のことだ。幸か不幸か3人の孫がいるが全員男と来たものである。未だ最年長がやっと高校生になったばかりなので、遊ぶことに精力を費やして、将来のことなんか何も考えていないだろう。これも当たり前で、大学生以前に将来のことを考えるようでは空恐ろしい。しかし既に小遣の使い方なんかには性格の違いが見られると聞いた。それも結構だ。

自分のことを思えば、将来については大学4年生の頃からずっと不安を感じていた。現在だって不安が全くないと言えば嘘になる。何を縁に今日まで来たかを言うと結婚早々の頃、とあるCM制作の時監督に教わった名言「明日は食えないかもしれぬが、食えなくても人間中々死にはしない。何よりも明日の100円より今日の10円でいきましょう。」この監督さんもかなりユーモアがあって良い人だった。

健康で、選好みをしなければ、普通の人が全く仕事が無いなんてことは考えられない。マスコミに惑わされて将来に不安を抱くより、今日成すべき仕事に全力を尽くし、一杯飲んでぐっすり眠れば明日もまた陽は上ってくる。これを脳天気な考えと称するのだろうが、毎日思っていれば40数年なんて短いものだ。問題は65歳で年金が貰えないなんてことになると大変だ。これには政治が一丁噛んでくるので、若い時から政治に関心を持つことを薦めたい。

2013年10月29日火曜日

皇后陛下の談話

今週は秋晴れが続く筈だったと思うが、予報士を恨んでも仕方がない。夕べから予報が変わり、朝になると雨の可能性大と余計見通しが悪くなり、実際昼前から降り出した雨は老体にこたえる冷たい雨になってしまった。昼間は誰に気兼ねする事のないワンマンオフィスなので、エアコンを暖房に切り換えて暖まっている。これで本格的な冬になったらどうするのだろう?我ながら些か恥ずかしく思わぬでもない。

足の老化を防ぐ意味で日課にしている万歩運動も本日は取り止めて、終日ネット碁で怠惰な1日になってしまった。ブログを書くほどのニュースも見当たらない。新聞やテレビは来る日も来る日も同じようなことを騒ぎ続けているが、編集長とかプロデューサーよく我慢できるものだ。ネットの情報には余程ましなものがある。先日来数人のネットジャーナリストが似たような事を書いているが、今月20日の皇后陛下79歳の誕生日に記者クラブに寄せられたとして発表されたコメントについてである。

質問は以下の3問ある。

問1 東日本大震災は発生から2年半が過ぎましたが、なお課題は山積です。一方で、皇族が出席されたIOC総会で2020年夏季五輪・パラリンピックの東京開催が決まるなど明るい出来事がありました。皇后さまにとってのこの一年、印象に残った出来事やご感想をお聞かせ下さい。

問2 今年、皇后さまはご体調が優れず、いくつかのご公務などをお取りやめになりました。天皇陛下も今年80歳を迎えられます。両陛下の現在のご体調や健康管理、ご公務や宮中祭祀に関してご負担軽減が必要との意見について、どのようにお考えでしょうか。

問3 皇太子妃雅子さまは十一年ぶりに公式に外国をご訪問になりました。また、悠仁さまの小学校入学をはじめ、お孫さまたちに節目となる出来事が相次ぎました。ご家族と様々なご交流があると思いますが、皇室の一員として若い世代に期待されていることをお聞かせください。

当日小生を含む多くの国民は「皇后陛下はもう79歳になられたか。公務が沢山あってきついと聞くが、さぞ大変だろうな。」程度でニュースを聞き流したのではないだろうか。しかし改めて回答文を読むと、皇后陛下の頭の出来がそん所そこらの凡百と訳が違うことに改めてびっくりする。婆さんに言わせると「ミッションスクールをお出になりながら、皇太子妃の要請を受け、たった一人で2か月近い世界旅行をしながら熟慮の末、神道総本家の嫁になる決心をしているのだから覚悟が違う。」

兎に角下々の事をよくご存じで、天皇皇后は弱者に対して気遣いはしても、政治に関しては口を出さない姿勢を貫いていることは小生も普段から存じ上げてはいる。しかし20日発表された談話で皇后陛下は、5月にあきる野市を訪れた時に見た「五日市憲法草案」のことをしきりに思い出しておりました。と述べられている。これを異例または一種の事件と捉えたジャーナリストは多い。
代表的なもの1件引用しておく。以下は[高野孟のTHE JOURNAL:Vol.104]からの引用

 安倍内閣が、憲法9条の改定による自衛隊の国防軍化、集団的自衛権
 の解禁による対外戦争権限の樹立、国家安全保障会議(NSC)設立とワ
 ンセットになった特定秘密保護法の制定など、まさに「国権主義的」な
 方向への国家改造をめざして疾走しようとしている時に、敢えて自由民
 権運動から現憲法の制定へと繋がる民権思想の流れに言及して、しかも
 それを世界的な文化遺産に相応しいとまで讃えるというのは、尋常なこ
 とではない。これを皇后が独断で書いたはずはなく、よくよく天皇とも
 相談して、ある覚悟をもって発表したと推測され、ということは、現政
 権への両陛下の強烈な不快感の表明と受け止めるのが妥当である。

2013年10月28日月曜日

馬鹿でも貧乏でも結構、ほっといてくれ

友人のブログで面白いデータの紹介があった。アメリカのある漫画家集団サイトからの引用で「各国が何で世界をリードするか」とある。
http://thedoghousediaries.com/large/5414.png 
根拠データはこちら
http://thedoghousediaries.com/maplesyrup
英語なので分かり難いが、日本はロボットで世界をリードするとなっている。因みにアメリカは「ノーベル賞受賞者数と芝刈り機による事故死」ロシアは「ラズベリーと核弾頭」インドが「映画」なんだそうだ。

データを見ると日本は工場労働者に対するロボット件数が現時点でも世界でダントツ1位になっているらしい。工場の自動化率が世界で最も進んでいるようだ。別に工場に限らず、現在日本で自動化されているもの様相を、子供の頃を比較して思い出すとまるで夢のようである。小学生の頃アラビアンナイトの絵本を見ながら、シンドバッドが「開けゴマ」の呪文を唱えると扉が開くなんて魔法以外には想像できなかった。今や呪文さえも要らず、扉の前に立っていれば扉は自動的に開くもののようだ。

外国人が日本でタクシーから降りる際、扉に手を掛けようとして道路に転がり落ちたといった笑話はもう聞かないし、外国の現状はよく知らない。でもアメリカ人が日本の特徴として特筆大書してくれるほどだから、日本は自動化先進国なんだろう。生産工程の自動化が日本の産業に大いに貢献して経済成長を支えてきた、或いは支えているに違いあるまい。しかしこれで喜んだばかりいていいものだろうか?ややへそ曲がりではあるが、そろそろこの考え方は見直す時期に来ているのではと思っている。

そんなに古くない昔のことだが、日本の時計産業について読んだ記事で印象に残っていることがある。日本はセイコー、シチズン、カシオあたりが筆頭かどうか知らぬが、数社のメーカーで世界の時計市場の圧倒的なシェアーを有する時計輸出大国らしい。一方昔から時計と言えばスイスとされているようにスイスには日本の桁違いの百社単位の時計メーカーがあるそうだ。それぞれ細々と食いつないでいるだろうと思いきやである。生産数量では日本に遥かに及ばない時計の輸出を金額で見ると、記憶が曖昧だが倍以上引き離していたように思う。

大量生産による規格品は単価が安くなるのは理の当然。世界で産業部門別に見れば圧倒的なシェアーを占める日本製品はさぞ多いことだろう。しかし何でも安くて大量生産することだけが脳でも無い筈だ。現政権における経済政策や労働政策から教育政策まで含め、馬鹿の一つ覚えの如くこの方向に突き進んでいるように思えてならない。そもそも国家が、国民の教育程度を均一的に引き上げるなんてことを考えること自体間違っている。昔から思っていることだが、東大の1次試験と慶応義塾の1次試験が同じなんてことは信じられない。

共通1次試験が導入される前に、慶応に滑り込めたから言うのではない。東大に行く人は東大への、北大に行きたい人には北大へのそれぞれ異なる思いもあり、迎える側も異なる思いがあれば、最初から試験内容に差があるべきだ。個性を尊重してくれなんて別に言いたくもないが、人間の規格が国家に決められたのではたまらない。農家にしても同じこと、全部の農家が輸入米に拮抗しうる低価格米を作りたいか。馬鹿みたい話ではないか。

「貧乏でも馬鹿でも結構だからほっといてくれ。」と思う人は多いだろう。

2013年10月27日日曜日

朋遠方より来る

昨日はプールの休館日、代わりに何をするか考える必要が全くなかった。夏の南アルプスで2回(聖岳・鳳凰岳)お世話になった、熊本の元自衛隊員のMさんが我が事務所を訪ねてくれたのだ。彼は7月の26日に熊本の自宅を自家用車で出発、主に百名山を歩きつつ本州を縦断して東北地方まで足を伸ばしたが、2千メートルを超える山には降雪が始まり一人での山歩きが危険になったので、やっと帰宅する気になったとのこと。

東京にはお嬢さんがいたり、友人が多いので数日東京に立ち寄ることにしたそうである。池袋で待ち合わせをして昼食の後、我が事務所にご来駕いただいた次第。お嬢さんとの待ち合わせ時刻が夕方6時過ぎとのことだったので、お茶一つお出しできない事務所で、ヤマレコのデータや地図を見ながら、たっぷり半日あれこれと山談義にふけった。山小屋でベテランの経験談を聞くのは山歩きの大きな楽しみの一つだ。その特別バージョンの日だったと言える。

今回は特に共通の想い出を持ってもいるので、話が余計身に迫る。彼は7月の末から昨日に至る3か月で、百名山として登録された本州の山を31座(山の数え方でこう言います)踏破されたとのこと。昨年までに九州や四国中国地方中心に40座以上を踏破しているので、残すところ20数座。余りのスピードで勿体ないような気もするが、元々登山時間そのものの極小化を目指すような歩き方で、そのための訓練をしているのだから仕方あるまい。

だからでもあろう、山歩きについては実にまめに記録をメモしている。今回じっくり拝見して小生の記録にぶつけてみると、平均的にこちらが4時間強かかる行程を3時間切って登られているので、時間的には約6割、スピードで言えば1.5倍くらいになりそうだ。今年のハイライトは北アルプスの上高地から槍沢経由槍ヶ岳山荘で1泊、キレットと呼ばれる有名な難所を経由して北穂高岳山荘で昼飯、奥穂高山荘で2泊目、翌日前穂高岳を経由して日が高いうちに上高地に帰還した縦走だったとのこと。

こちらも全ルートを知っている訳ではないが、山々は一応知っているし、そのルートの素晴らしさ十分理解できる。危険個所は行く気が無いので飽く迄頭の体操だが、自分がもし計画すれば上高地を出発して槍沢ロッジで1泊、槍ヶ岳山荘で2泊目、北穂高山荘で3泊目、奥穂高山荘で4泊目、上高地への帰還は5日目の夕方になるだろう。とか、ガイドをお願いした聖岳は10時間も掛かっててしまったこと、しかも休憩を都合9回も取っているらしい。勿論時間からおしっこの回数まで記録を披瀝して頂いた。

こちらは歩くに死にもの狂いで殆ど休憩らしい休憩の記憶さえないのに、てなことで大笑いをしたり、秩父方面でも新しい情報を貰ったり、兎に角時の経つのを忘れる思いの楽しい半日であった。

2013年10月25日金曜日

国会論戦

先週から昨日にかけて、久し振りに国会論戦がテレビ中継された。先週の総理の所信表明に対する与野党の代表質問は毎度のことだが、論戦と言えるものではないので殆ど見ていない。今週の予算委員会中継は一応1問1答形式なので、野党の質問中心に数人分のテレビ中継を見た。攻守が異なる前政権時代に比べると、質問者側が随分謙虚でおとなしい、が第1感である。厭らしいかどうかは兎も角、言葉尻の突込みはオリンピック招致委員会における総理の発言「完全にコントロール」くらいかもしれない。

全体的に建設的な質問や要望が多かったように思うが、受ける政府側は野党の意見なんか歯牙にもかけていないのだろう。聞かれたことについてまともに答えず、聞かれていないことについて延々と喋るスタイルについては本当に何とかならぬものか。野党側も福一の汚染水がらみの揚げ足取りはもう止めた方が良い。政治家にはカエルの面に何とかだし、現地で作業している当事者の感情を傷つけるだけだ。それにしても、福一の作業員数が、半年前に比べると3割以上減っている事実が指摘されたことには驚いた。

正確な数字は忘れたが、4千人以上働いていたのが2千5百人以下になっていたと記憶する。東電も請け負っている業者も作業員確保には懸命になっているのであろうが、作業員はもとより有限である。被曝条件が一定以上なると外さざるを得ないとなると、人材の供給源が縮小することは誰にでも分かる。汚染水タンクの置き場が無くなるのと同じくらい根本的問題のように思うが。政府が前面に出るとか、汚染水管理の要員を倍にしたとかの報道は一体なんだろうか?

口から出まかせを言おうが、嘘をつこうが政治家は許されるなんてことがあって良いはずはないが、政府の答弁を聞いていると、無学の小生には意味がよく理解できない分だけ嘘っぽく思えてきてしまう。民主党の質問者は頭の良い議員を選んだ感があり、やや学者、いや先生風で馬鹿な生徒を指導するような感じだ。内容もマクロ経済政策とかなので馬鹿の一員としてコメントは控えたい。
面白かったのは参議院の共産党小池亮氏、実は先の選挙で比例に彼の名を書いて投票した期待に応えてくれた。

小池氏の質問は流石に共産党だけあって生活実態に即した具体面から入っている。今回は労働政策が中心であった。先ず総理に対する冒頭の質問「本当に景気が上向いていると思っているか?」総理は例のごとく直裁に答えないで、耳にタコができるくらい聞いているお話「成長率が昨年昨年4-6はマイナスX%7-9がなんとかで・・・今年の4-6には3.8%に上がってきているではありませんか。設備投資も上がってきたし消費も増えている。そういう中に於いて景気の腰折れさせないよう政策を実行しているのです。」

更にデータに基づいて突っ込むと、これまた決まり文句「過去デフレ下にあって賃金が物価以上に下がってきていた訳です。デフレを跳ね返して賃金を上げていくためには強い経済が必要で、そのためにはタイムラグがあります。今必要なのは何と言ってもデフレから脱却のマインドチェンジであります。」読者も耳にタコのことだろう。これは前座のやり取りで、小池氏の質問は政権が取ろうとしている労働政策(規制緩和の名の下で非正規雇用拡大を意図する)を厳しく批判するものだった。

こんな労働政策で強い経済が生まれるなん想像もつかぬが、先ほど受信したTPP反対議員のメルマガにこれがTPPと大いに関係があり、アメリカの強い要望に所以する。このことも興味深いが機会を改めたい。

2013年10月24日木曜日

日本人の平均寿命

日本人の平均寿命が長いのは結構なことだ。しかし人生長く生きることだけが最終目標だろうか?

今朝のネットマガジン(日経ビジネスon line)の記事タイトル「老いのレッスン」が目についた。<欧米には、なぜ寝たきり老人がいないのか>と副題がついている。興味を覚えて読んでみると、スウェーデンでの取材記事になっている。かの国にも認知症老人は当然いる。老人介護施設もあるそうだが、寝たきり老人と胃ろうの患者は1人もいないとのことだ。母が93歳で亡くなったが、末期には食事が難儀になって、我々子供中ではこの胃ろうがテーマになっていたことを思いだす。幸か不幸か結局それ以前に亡くなったが。

続いてかの国の老人介護の施設に胃ろう患者が居なかった理由が記されている。
やや長くなるが引用させてもらう。

>その理由は、高齢あるいは、がんなどで終末期を迎えたら、口から食べられなくなるのは当たり前で、胃ろうや点滴などの人工栄養で延命を図ることは非倫理的であると、国民みんなが認識しているからでした。逆に、そんなことをするのは老人虐待という考え方さえあるそうです。ですから日本のように、高齢で口から食べられなくなったからといって胃ろうは作りませんし、点滴もしません。肺炎を起こしても抗生剤の注射もしません。内服投与のみです。したがって両手を拘束する必要もありません。つまり、多くの患者さんは、寝たきりになる前に亡くなっていました。寝たきり老人がいないのは当然でした。(読売新聞の医療サイト・yomiDr.宮本顕二氏の記事)<

この他に寝たきり老人が少ない理由として、生活様式の布団とベッドの違いとか日本の社会インフラが高齢者への配慮に不足があるとかいくつか指摘されている。中で改めて気づかされたことが、日本人の年寄りに対する気持ちの問題があるそうだ。年寄りを大事する、年寄りも若い人に遠慮するという道徳的な日本のあり方は貴重な価値観かもしれない。この価値観に基づく精神的プレッシャーが、年寄りは安静にして寝ていてくれるのが一番との傾向に結びついている。

これがそもそも寝たきり老人を増やす大きな一因となっているばかりでなく、介護する側にも大きな精神的負担を強いていると指摘している。価値観の相違だけではないかもしれぬが、欧米では脳卒中や骨折で入院する年寄りの入院日数が日本に比べると格段に短いようである。以下も引用であるがこう書いてある。

>欧米では治療が終われば患者はすぐリハビリセンターへ送られる。高齢者の平均入院日数はデンマークの場合32日、それに対して日本では高齢入院者の48%が6カ月以上も入院する。その結果、長い入院日数がかえって筋力の衰えや頭のボケを助長しているかもしれないのです。何とも皮肉な結果ではありませんか。<

日本人よりほんの数年平均寿命が短いとされている欧米では、老人が寝たきりになる前に亡くなっているようだ。そう遠くない時期にその年代に入る身としては、家族を含めよくよく考えたい問題である。たまたま昨日91歳になる叔母から便りを貰ったり、89歳の義母のことが話題になった。お二人とも一人暮らしで元気に暮らしている。一見親不孝に見えるかもしれないが、互いの為にベストな環境かもしれない。

2013年10月23日水曜日

続・出陣学徒慰霊碑(記憶と記録)

くどくなって恐縮だが、昨日の続きを書きたい。

70年前の日本人と現代の日本人にどれほどの差があるだろうか。少なくとも基本的な感情に大差のあろう筈はないし、教養の程度が現在の方が優っているとは断定しにくい。日本に限らずとも古今東西殺人を好んでする人間は少ないだろう。しかし先日、人間とは同種で殺し合いをする珍しい動物であることを聞いたと書いたが、残念ながら人類の歴史に戦争が絶えないのも事実である。日本がここ70年近く戦争することなく来ていることが珍しいこととされている程ではないか。

当然ながらこの事実は大事に守り続けてもらいたい。非戦で来ることが出来た背景には外的要因が幸いしたこともあり、その要因が年々変化していることは認めねばならぬだろう。しかし、ここ1年や2年で急に外的要因が変化したなんてことはあり得ない。にも拘らず現政府は安全保障環境の変化をしきりに言いたがる。それを言うならむしろ1989年~1991年旧ソ連邦の崩壊時に世界に何が起きつつあるか、これから何が起きるかを真剣に検討すべきであったと思う。

因みに1989年11月のベルリンの壁崩壊のニュースを受け、アメリカでは政府は勿論、多くの政治家がソ連方面に出掛け、今後地政学的にどんな影響が出るか熱心に研究したらしい。ある人が言うには、日本の政治家で当時そのような感覚を持って動いていた人間は皆無だったそうだ。冷戦構造の崩壊といった大変なパラダイムシフトの時に安閑としている程度の政治感覚しか持ち合わせないのが日本の政治家実態だろう。皮肉に見れば、故に平和を維持できているとも言える。

特に現内閣は国内に問題が山積されているにも拘らず、見当はずれな国防について異常なまでに熱心に取り組もうとしている。国防について疎かにしていいとまでは言いたくないが、国防を考え得るならもう少し歴史を勉強してもらいたい。70年、80年前の日本人の国防意識は少なくとも現在の比ではなかろう。極端なことを言えば、当時は国防が常に政治の1丁目1番地にあり、政界には申し訳ないが現在の政府関係者以上に優秀な方が犇めいていたと思う。

にも拘らず、実際に何が起こったか。ここが問題で、その事をよくよく調べて研究してもらいたい。昨日書いた学徒動員に関することもその一つである。調べようにも記録が無くて調べられない筈である。分かることはただ一つ、戦争では兵士は消耗品であり、徴用する側からすれば学生であろうと丁稚小僧であろうと一緒で、員数を合わすことだけに過ぎぬことだ。出陣学徒の記録が無くて5万人とから10万人とされる所以である。

今後に於いても戦争ではごく当たり前だ。自分たちの子供がその員数1員なることを想像してもらいたい。もっと基本的なことは戦争は大国が惹起するものであることだ。日本も大国を意識して韓半島に乗り出した。結果は少し年輩であれば誰でも知っているが、非常に惨めな敗戦となった。従ってその後約半世紀ほどの間、日本人は戦争に対して非常にネガティブな思いを共有していたと思う。しかし、実態から遠ざかると想像は難しい。小生でも負け戦の惨めさを身に沁みているとはとても思えない。

最近になってやっと、一世代前日本のどこに問題の本質があったかを知りたいと思いはじめたくらいのものだ。経済大国・強い軍事力・強い国同士の同盟、現代日本は父母の世代に様相が非常に似ているところもありそうだ。敗戦の惨めさを知らない世代が、今後どういう結果をもたらすか分からないが、後世のため少なくとも肝心なことはきちんと記録を残してもらいたい。東条内閣が学徒出陣にあたって詳細の記録を残さなかったような真似だけはしてほしくない。

情報メディアが発達している割に現在でも我が国は情報管理が杜撰で、重要な事案が記録として残されないらしい。歴史に学ぶことも大切だが、歴史を刻む責任も重い。政治家諸氏には肝に銘じてほしい。

2013年10月22日火曜日

出陣学徒慰霊碑

昨10月21日東京は雨こそ降らなかったが1日中うすら寒い日であった。夕方のテレビニュースを見て、70年前のこの日がかの有名な明治神宮外苑で行われた学徒出陣式であることを知った。現在の国立競技場がその跡地であり、そこに数年前に、この式に参加して生き残った数名(確か15名だったように思う)有志が資金を出し合って石碑を建立したとのこと。現在の国立競技場は2020年のオリンピックの為に建て替えが決まったので、近々撤去されるとの報道だった。

新しい競技場完成の暁にこれが復活するかどうかは未定とのことだった。これを受けてインタビューに対応されていた生き残りの方は既に90歳、当然ながら日本の平和が続くことを願っているので、学徒出陣があったことを末永く記憶にとどめるためにも是非永久的にこの地に碑を置いてほしいと述べていた。毎年10月21日にはこの碑の建立に関わった有志がここに集まり、記念式典みたいことをされていたようであるが、今年集まった人は僅か3人、今年が最後になるだろうとのことだった。

「これから起こる社会現象は必ず過去起きたことと同じで、たまたまそれを君が知らないだけだ。」アメリカの大統領であったかヨーロッパの指導者であったか忘れたが言ったそうだ。個人にせよ国家にせよ過去のことなんかさっさと忘れた方が良いことも多いだろうし、全てを記憶にとどめるなんて不可能だろう。一方、忘れていけないことも沢山ある筈だ。個人的には、学徒出陣式なんてことがその何れに属するかは分からない。

びっくりしたのは帰宅して読んだ夕刊の関連記事である。昭和18年10月のこの出陣式に参加した学徒の数は2万5千人と言われている。しかし、先の大戦で戦没した学徒の総数は5万人とも10万人ともされ、正確な数は把握されていないらしい。ネットで出陣式に参加して現存されている方の意見を見ると、学生総代の答辞に「生還を期さず・・・」とあったことに対して違和感を抱いたと感想を述べている人も多い。

戦争が若い人の生命を消耗するのが定めとは言え、学業半ばの若者に「人殺しをして、お前も死んでこい。」と決断する国家も凄いし「分かりました。」と同意した最高学府の学徒が数万人いたことに驚かない人がいるだろうか。中東の自爆テロニュースを見て、「なんて野蛮な奴らだ、さぞ教養が不足しているだろう」と多くの国民は思っているだろう。我々世代からすれば両親の時代、現役世代からすれば祖父母の世代は、現代の中東以上に国民が挙げて狂った社会だったのか。

*そんなことはあり得ない。続く
 もう少し書きたいが、長文になったので明日に譲りたい。

2013年10月21日月曜日

お二人の訃報に思う

今朝の朝刊1面中央にかなり大きなスペースでコラムニスト天野祐吉さんの死亡記事があった。享年80歳とのことだから年齢的には不足はないのだろうが、つい1週間足らず前に氏のコラムを読んだ記憶があるのでびっくりした。広告会社の出身であるからだろうか、世の中を非常に幅広く俯瞰的に見られていたように思う。テレビでも時々拝見したが、大勢に阿らずいつも辛口のコメントをされていたように思う。

先輩がだんだんと亡くなるのは自然の摂理としなければならないのだろうが、先の大戦を直接体験された方が少なくなっていくことに非常な寂しさを禁じ得ない。先週は漫画家のやなせたかしさんも亡くなられた。氏のデビューの頃は既に漫画を卒業する年代になっていたので、有名なアンパンマンについては一度も読んだこと観たことが無い。亡くなられて初めて、氏の多彩な功績を知った次第。歌の「手のひらを太陽に」は何度聞いてよく知っていたが、氏の作詞とは全く知らなかった。

やなせさんは享年90歳でとのこと。幼い頃も苦労されたようだが、先の大戦で直接兵士として参戦され、九死に一生を得ての帰還だったようだ。復員後昭和22年には三越に入社して、現代も使用されている赤い包装紙のディザインをされたとある。小生も大学時代に日本橋三越本店でアルバイトしたことがあり、当時包装紙を「赤紙」と称していたことを懐かしく思い出した。昭和も30年代半ばになると、召集令状かの「赤紙」はすっかり変わってしまっていた。

話が逸れたが、やなせさんの主義は作品に十分生かされている「思いやりと平和主義」とのこと。大勢の子供たちが愛読していることは実に喜ばしい。現在社会で活躍している40歳50歳台の大人達が子供の頃愛読していたかどうかは分からない。小生も、やなせさんが大切にされてきた「思いやりと平和主義」は、日本人の殆どの人が戦後一貫して共有してきたと信じている。否、信じてきたと言うべきかもしれない。

小生がサラリーマン生活を辞めたのは10年一寸前のことである。小泉内閣時代の真っただ中の時代である。正直なところこの頃、時代の変わり目のような違和感を感じたことはなかったかもしれない。しかし今にして思うと、この頃から日本社会が大きく変わり始めたようだ。当時は未だ政治への関心が低かったせいもあるだろうし、既にサラリーマンを辞めることになっていたので、個人的な将来不安で他人事を考える余裕もなかったのだろう。郵政が民営化されれば日本の全てが良くなると言われていたが、自分がそのおこぼれに与れるとは到底思えなかったのは確かだ。

まして、当時盛んに言われた規制緩和も同様である。個人的な関心が無かったのでそのまま聞き流していたが、この時代の政策が今頃になって効果を発揮し始めているらしい。それが所謂格差社会の出現ではなかろうか。同時にがらりと変わったのが日本人の価値観「思いやりと平和主義」はすっかり忘れ去られ「功利主義(己にとって良いか悪いか)と強きを誇る主義」がはびこり始めている。辛い戦争を克服して愛すべき国の建設に努力された故人逝去の報に接し、故人の心中を思わずにはいられない。

2013年10月19日土曜日

山歩きの楽しみ

山小屋で同宿になった人から聞く山談義は楽しいものだ。山歩きをする人の目的や楽しみ方は千差万別、正に人それぞれである。小生の場合は一に心身の健康法、二には高い場所からの眺望を楽しむことかもしれない。月に一度この快感を味わうことで、平素暮らしている狭い家での閉塞感を一気に開放することができる。このところ二回続けて美術館に足を運んで思ったのだが、家で絵を楽しむ代わりに山歩きをしている意味がありそうだ。

行ったことのない山に行くのは、新しい絵画を壁に飾る気持ちに通ずるかも知れないし、同じ山に何度も行くのは好きな絵を何度も飾ってみたくなるのと一緒だろう。自分のことはこれくらいにして、一般的に多いのは挑戦的目的をもって山歩きをしている人だろう。その第一が踏破する山の数、百名山踏破が最たるものであろう。今や百名山は普通名詞で知らない人の方が少ないかもしれない。念のため書くと、作家で登山家の深田久弥氏が「日本百名山」を書き、昭和39年に読売文学賞を受賞されている。

1903年生まれだから勿論故人で、調べてみると昭和46年茅ヶ岳(八ヶ岳近くらしいが小生は知らない山)登山中に山頂直下で脳卒中に見舞われ亡くなっている。享年68歳とある。少なくとも現在市販されている登山ガイドや登山地図の大部分に百名山の表示がある筈だ。小生が使っている地図には他に二百名山三百名山なんて表示もあるが、これの選者は誰であるか分からない。何れにせよ、他人が目標を設定してくれているので挑戦しやすいのだろう。友人にも百名山踏破組が何人かいる。

その友人の友人には三百名山踏破した人がいるそうだし、山小屋で聞いていると三百名山踏破はそんなに珍しくなさそうである。こういった人の目的は山頂を踏むことにあるので、小生がしょっちゅうするように途中で引き返すと、改めて挑戦しなければならない。こうなると山歩きも容易ではなさそうだが、そこにはまた大きな楽しみもあることだろう。別の挑戦にあるのが、自己への挑戦型。

かの有名な三浦雄一郎氏が典型であろうが、75歳で2回目のエベレスト山頂を極めたら、次は80歳で3度目の挑戦をして、ヘリで下山しても成功したと喜んでいる。これもよくあるタイプで、岩登りなんぞする人は皆このタイプだろう。最近流行っていて、山で練習している人を見かけるトレイルランと言う競技がある。マラソンを山岳地帯で行うようなもので、時によっては数百キロの山坂を走ってスピードを競わなくてはならない。こうなってくると凡人には理解不能だ。

先の深田氏もあまり長生きしたとは言えないし、登山やハイキングが却って健康を害することになりかねないと思ってしまうが、皆それなりに楽しんでいるのだろうから、余計な心配は無用だろう。これは極端だが、山歩きのスピードを気にする人は多い。小生も登山地図やガイドブックを見ながら行程の予想時間を決めて、なるべくその範囲で登ろうと心掛けてきた。しかし、今日思ったのは、これから歩行時間を気にするのは止めようである。

70歳を過ぎて何かに挑戦するのは烏滸がましいし、精神衛生に良くないので、山の楽しみが半減してしまうだろう。

2013年10月18日金曜日

報道に求めたい真の勇気

週の初め、月曜日には間違いなく真夏と同じ服装でいたのに急に寒くなった。東京では最低気温が未だ15度あるが、志賀高原では初冠雪があったらしい。慌てて下着や靴下も含め冬物に切り換え所謂衣替えをした。未だ台風が来る可能性はあるらしいが、もうそんなに暑くなることはあるまい。街路樹も葉の色がうっすらと変わり始め、1枚2枚と葉が風に舞い始めている。秋は夕暮れと言われるが、心なしか街の風景もなぜかうら淋しくなりつつある。

季節は巡るものだし、冬来たりなば春遠からじだから余り感傷的になるのは如何なものかと思うが、全く仕事をせずに国から給付される年金だけを頼りの春と夏が過ぎた。この状態があと何年続くか知らないが、どうしても忸怩たる感は否めない。そんなに仕事がしたければ就職活動をするなり、ボランティア活動にでも参加すればいいのだろうが、そこまでの積極性も持ち合わせない。やはり本質的には怠け者なんだろう。

やや仕方なしにこのブログ書きを大事な時間潰しに活用しているところだが、社会に参加していないせいもあって段々書くことが無くなってきた。時間があるのだから新聞テレビ等を丁寧に見ればいいのだが、最近はそれも面倒くさくなってきている。テレビのニュースは1日に1回夕方の7時からの30分、新聞は精々10分か15分斜めに見るに過ぎない。

それにしても新聞テレビの報道はその性格上仕方ないのかもしれぬが、16歳の少女が21歳の交際相手に殺されたとか九州の整形外科で火災が発生して10人近くが亡くなったと言えば、数日間は朝に夕にその事ばかり報じていた。ところが台風26号が伊豆大島中心に大きな被害をもたらすと、そんな事件もすっかり忘れ去られてしまう。こう言っては悪いかもしれぬが、自分の生活と直接関係ないそんな刹那的報道にいちいち付き合っていられない。

一方政治報道は直接生活への影響が考えられるが、政治の構造がご承知のような状態で中国や北朝鮮と大差ない独裁国家の政治となり下がっている。こんな時にこそ報道陣が勇気をもって立ち上がり、国民に替わって政府の間違っていることを糺してほしいが、これまた全く期待できない状態にある。世論調査なんてことも定期的にやっているが、アリバイ造りにしか見えない。例えばどう考えても原発事故処理と東電救済が両立しないと思う市民が圧倒的だと思うが、小泉純一郎発言を面白半分に取り上げるだけで、世論を背景に本気で政府を追及するなんて気持ちは全く見えない。

野党のだらしなさにも原因はあるが、報道も抵抗しないのだから結局つけは国民に回されることになる。TPPなんぞもかなりいかがわしいと思うが、問題の所在を知ろうとしない報道機関にとっては秘密保護法が成立しようがしまいが関係ないのだろう。常に政権与党のご用聞きみたいことをしている大企業の経営者が構成する経団連なる組織がある。ひょっとするとマスメディアの経営トップも構成員かもしれない。経団連は前政権時代には自民党への献金を減らして民主党へすり寄っていたと記憶する。

彼らの辞書に「変節」なんて単語があるのかどうか、その一員かどうか知らぬが薄っぺらなご都合主義の報道ばかりで真面目に見る気が起きないのだ。

2013年10月17日木曜日

書画を趣味とする人を尊敬する

昨日未明の嵐が去って今日の午前中はまた秋晴れが戻ってきた。しかし変わりやすいは秋の空で、また台風が発生したらしい。日本への接近は来週になりそうだが、25日に奥多摩に出かける予定もあるので、ぶつからないことを祈るしかない。今回の26号台風も伊豆大島に大きな災害をもたらした。一見しようにも見えず、掴みどころのないものであるが、空気の流れほど怖いものは無い。我が国は四季の変化に富み、温暖で暮らしやすい国とされているし、実感もそうである。

しかし一方で地震・雷・津波に竜巻や台風・大雨と自然災害にも事欠かない。そんな自然環境が日本人の特徴ある価値観、即ち人工的富を余り重視せず、むしろ自然との折り合いを貴ぶ感性を形成しているのではなかろうか。生者必滅思想で、10歳になるかならない頃に聞かされた「形あるものは壊れる」は今でも刷り込まれていて、お宝を溜め込む趣味を持たなくなった。それが長ずるに及び子供時代のお宝はお金に変わり、江戸っ子でもないのに宵越しは兎も角、老後の資金がないことに今更嘆いても始まらない。

朝から気持ちのいい秋晴れの下、健康法も兼ねて上野の東京都美術館に出かけた。友人から「日本表現派展」の招待状を頂いたからである。先日の「一陽展」と比較すると小振りの展覧会ではあるが、同種の展覧会が同時に開催されているので上野のお山は大変な賑わいである。中には先生に手を引かれている幼稚園園児や修学旅行らしき生徒は見えるが、圧倒的に多いのがやはりご同輩である。友人知人にも絵描きを趣味としている人は多い。

今日の展覧会にしても先日の一陽展にしても、招待状の発信者は皆アマチュア?、少なくても絵を売って飯の種にしようとはお考えになっていない筈。個人のインプレッションを形にすることが芸術と言うのだろうが、確かに高尚な趣味である。我が父も無趣味だった記憶していたが、幼い頃に何回か展覧会に連れて行ってもらったことを思い出した。関連して段々と思うと、我が両親の時代までは、こういったことは趣味というより教養の一環で、身に付けるべきものだったのかもしれない。

我が小中学生時代と言えば、どっちを見ても金持ちらしき人間は見当たらず、日本人の大部分が衣食住に不自由していた筈。それでも母は謡のお稽古などしていたし、父は絵描きさんを尊敬していて、弟を習いに行かせていた。こちらが高校から大学に進む頃だから、終戦から14、5年くらい経った頃だろう、父が1枚の絵を買ってきたことがある。勿論知り合いの趣味人に頼まれたからだろうが、今にして思うと偉いものだ。父は県庁の役人をしていたので、それほど貧乏ではなかったと思うが、少なくとも高校の修学旅行を取りやめて積み立て金を返却してもらって、大学受験資金に充てたくらいには貧乏だった。

その絵の行方は余りにも罰当たりなので書けないが、趣味を持つこと=教養を身に付けることは日本人がとても大切にしてきた感性だと思う。最近やっとその事に気が付いた。昔の殿様や侍は書画を本格的に習ったものらしい。絵も描けず、歌は勿論全く駄目、山小屋で宿帳に書く住所氏名さえ小学生にも劣る金釘流、全く情けない限りだ。

2013年10月16日水曜日

テレビの下らなさ

段々浮世離れが激しくなってきた。山に行ったりしたせいもあるが、留守中の新聞を読む気も起きないしテレビも殆ど見ない。たまに見ようと思ってもいつも台風のことばかりである。人気のない海岸に立っているアナウサーは大変かもしれないが、何故こんな事を延々言い続けているのかが理解に苦しむところだ。山登りの疲れはとても1日では回復しなくなっているので、さっさと寝るにしくは無い。

今朝の朝飯の時、テレビのつまらなさを話し合っていた。国会も始まったようではあるけど、昨日は総理大臣の所信表明があったそうだ。我が家の解説者が「役人の書いた原稿をなんら手入れもせず棒読みしているので、悪評サクサクよ。」と教えてくれた。「そりゃそうだろう、どんなに悪評であろうとこれから3年間程度はやりたい放題だろうから、真面目にやる気が起きないのだろう。こちらも見る気も起きないし好きにやらせるしかないさ。」些か投げやりな答えしかできない。

たまたまその時テレビから「国民的何とかドラマ」というコメントが流れた。「国民的ドラマてなんだ?」と聞くと婆さんもよく聞いていなかったようだが、「相棒」なるドラマの宣伝だった。我が家は朝から晩までテレビをつけ放しているが、不思議とドラマなるものは見たことが無い。婆さんもドラマはっ見ないが、何というドラマが流行っているかとか、主演タレントについては流石によくご存じだ。テレビドラマからは国民的俳優や女優が誕生して、流行語もドラマから生まれてくるご時世らしいが、この方面も一切無縁である。

国民的水準からずれているのはご愛嬌だが、日本国総理大臣の権威も認めず、年中馬鹿にしているのは内々でと言ってもマジである。秘密警察でも誕生すれば牢屋に放り込まれかねない。せめて総理大臣の胸中を察しておこう。「そういう意味に於いてはですね、この爺さん、ある種の非国民ではありませんか。そうではありませんか、皆さん!!」

2013年10月15日火曜日

又、山に行ってしまった


冬場を除いて月一度は山歩きをすることを、我が身に許される唯一老後の贅沢としている。今年はスキーに行くチャンスが無かったので2月から山歩きを始め、先月までに既に8回以上出掛けている。しかも泊りがけの回数も多い。詳しく記録していないので分からないが、残り少ないへそくりの減り具合からすれば、既に昨年1年より費用を掛けているに違いない。今月も月末には友人と奥多摩の川苔山に行く約束をしているので、昼飯なんか極力安く上げる努力をしてきた。

しかし関東への接近が予想された台風24号が太平洋上にはずれたお陰で、連休に入ると恨めしいような快晴になった。土曜日は池袋を散歩しただけで我慢したが、日・月と快晴が続くと聞いてはどうして家に閉じこもる我慢が出来なくなってしまった。山に行きたしお金は惜しいと悩ましい心境で行く先を求めて散々と思案、結局清水の舞台から飛び降りる心境で八ヶ岳の編笠山方面に行く決心をする。土曜日の午後、山小屋に電話をしてみると、多少混んではいるが一人あたり布団一組は確保できそうとのことなので、早速予約。

夕方暗くなってからJR小淵沢までの切符を買いに行く。当然座席指定の特急券はある筈も無い。新宿発7:00のスーパーあずさ1号への自由席乗車を7500円ほどで求めて帰宅。いつも婆さんに行動食の補充を頼むのだが、今回はそれも省略して有り合せのみかんとドライフルーツにチーズ少々と一口羊羹に飴玉4個。天気が良さそうなので着替えもできるだけ少なくしてザックも軽くした。

日曜の朝早起きして新宿に発車30分前に到着すると、自由席待ちは既に長蛇の列、小生同様思い付き旅行者は沢山いるものだ。でも幸い最後に残っていた1席を確保、しめしめと内心ほくそ笑んだものの、小淵沢から登山口まではタクシーを利用するしかないのだが、これまた長蛇の列。予約している人優先で、往復30分以上は優に掛かるらしい。しかし今回は実についていて、その折衝をしている時後ろにいた母子連れ(勿論予約をしていました)の人が同乗しましょうと誘ってくれた。受付のおばさんも「内緒ですから」とは言ったものの反対は出来ぬなぁ。

暫くするとタクシーが1台来て同乗させてもらい、登山口には予定の10分遅れ程で無事到着。歩き始めると本当の秋晴れ、登山道もよく整備されて申し分のない山歩き、山頂からの見晴らしも申し分のない眺望で大満足。予約した小屋には予定より大分早く着いたが、陽だまりに大きな炬燵を入れた談話室風の予備部屋があり、ビールなんぞ飲んでいると、だんだん増えてくる登山者の山談義を聞いているだけで楽しい。全国各地からいろんな人が来ているが、茨城県から来ていた内装屋の社長さん、未だ60歳前とお見受けしたが、話が特に面白かった。

何でも1年に最低3か月は山歩きされているようで、いろんな人の話に出てくる山で知らざる山とコースは無いみたい。ヒマラヤは3度行って6000メートル峰(確かママの首飾りと言ったかな)の登頂にも成功しているそうだ。この時にはヒマラヤ遠征だけで、天気待ちやら何やらと2ヵ月も掛かったそうだ。この人に劣らず凄かったのが白髪の老人、奥さんはかなり若く見受けられる。こちらも日本の山では殆ど行ってないところが無いくらい、この編笠山は5回目とのこと。

興味深かったのは小屋の飯の良し悪し、殆どの人が朝日小屋をトップに上げていた。但し広島から来た60歳絡みのおっさん一人だけ異を唱えていたが。2番手がヒュッテ大槍で、こちらは小生も知っている。それだけに余計朝日小屋に宿泊してみたくなったが、こちらから見ると白馬の更に奥で、どのルートを聞いてもアクセスが容易ではなさそうだ。従って残念だが小生にはもう行く機会が無さそうだ。兎に角この小屋は面白い、先ず小屋主が有名な登山家で、先月NHKの「日本百名山」に出演している。今回ここに来た最大の原因はこの番組を観たことにある。

小屋の名称は「八ヶ岳青年小屋」とされているが、入り口に提灯が掛かっていて「遠い飲み屋」と書いてある。ボトルキープまであるくらいで、茨城から来た小父さんは小屋主と11時まで飲んだそうだし、広島から来たおっさんは食事が終わる頃には冷酒四合+焼酎のお湯割り一合は飲み干していた。夜中九時過ぎても暗くならないのも珍しい。他にも面白い話はあるが省略。

翌日の権現岳も快晴の下快適な登山。下山途中で赤の他人様から行動食を恵んで頂いたり、道を教えて頂いたりして随分助けられた。そのため、帰りにタクシーの心配はしないで済んだが、車が行き交う舗装道路を約一時間近く歩く羽目になり、すっかりくたびれた意味もある。これも他人から教わったのだが小淵沢からの帰路、座席の確保を心配しないで済ますのは普通列車に限るとのこと。

これも非常に有意義なことだ。余り早く帰っても婆さんは喜んでくれないだろう。小淵沢で自由席特急券を200円手数料を払って払い戻し、12:35発の始発普通列車でのんびりと帰宅した。それでもまだ4:30、標高差1700メートル近くを歩いて下ったので、今年初めての疲れだった。今日も筋肉痛が残っている。食事を済ましても未だ7時前、それでも寝てしまったので昨夜は11時間寝たことになる。

山の詳細はこちらもご参照願います。
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-357751.html

2013年10月12日土曜日

池袋の秋祭り

我が地元の池袋は何故か知らぬが「ふくろ祭り」と称する秋祭りが2回ある。1回目は既に終わっているのだが9月28日・29日の二日間。氏神様は御岳神社で氏子は西池袋一帯に拡がっている。29日の夕方は大きな神輿が10数基が、池袋駅西口前広場に特設された桟敷に区長以下のお歴々が陣取る前に勢揃いして気勢を上げた。氏神様に感謝するのか願うのか、あるいはそんなこと関係なしに酔っぱらって騒ぐのが楽しい連中もいることだろう。

しかし少なくとも桟敷に陣取るお歴々や、神輿の廻りで先陣を切ったり辺りを警戒するかのように周りを取り囲む年寄り連中は、揃って白足袋に浴衣姿で、全国どこでも見受けられる秋祭りの光景である。普通に考えれば今年は雨に降られず良かったな、で締めくくればいいものを、2週間後に第2部(これも土日の2日間)があるのが特徴である。そのために駅前の桟敷席は解体されていない。

今日から明日への2日間は趣ががらりと変わり、よさこい踊りコンテストが中心になっている。よさこい踊りとは発祥が当然高知県土佐のものと思うが、どんな経緯あったか知らぬがもうかれこれ20年以上前に北海道の札幌で、これをパクッタ大イベントが行われ、以降全国的なブームになっている。我が池袋にも、札幌で仕掛けた人と同じようなイベントプロデューサーがいらしたのだろう。札幌に遅れること8年目の2000年から「東京よさこい」と称してふくろ祭りに合わせて行っている。

今日もプール帰りの通り道なので、お昼に少し見物してきた。プールでいつも会話するご同輩曰く「俺ももう少し若ければあの踊りの輪に加わりたい。年を取ってからの趣味はやはり参加型でないといけません。」とのことだ。単に「そうですか。」と聞き流した。小学生の頃盆踊りの輪に入った記憶はあるが、協調性の薄い性格なんだろう、どうも大勢の人と練習したりすることの意義がイマイチよく分からない。むしろ山にでも行って気ままに歩くのが性に合っているようだ。

でも実際に見てみると、先ほどの会話に合点がいった。大勢に参加者の中には立って歩くのも容易ではないのでは、と心配したくなるような方も確かに見受けられる。そしてそんな方も一旦踊り始めると何かに憑かれたかのように嬉々として踊りまくっている。参加者の性別や年齢は実に様々、あるチームの踊りが始まる前の口上を聞いていたら「我がチームは15歳から40歳代のメンバーで構成されています。」と高らかに宣言していたが、どう見ても50歳台60歳代の男女が数名はいた。

老若男女揃いの派手やかな衣装を羽織り、顔に濃い化粧をして大声を上げながら活発に踊り狂う様は皆恐ろしいほど綺麗だ。一寸観のつもりが1時間近くも見入ってしまった。パクリにせよ何にせよ、見ている人間も心が浮き立つのだから結構なことだ。今年の参加チーム全国から110チーム以上とあり、チーム編成も数十人単位から100人を超すところまであるらしい。若い人も普段は悩みが多い筈だが、踊り狂っていれば他のことは何も考えないのだろう。皆顔が輝いていた。

2013年10月10日木曜日

国立公文書館の歴史資料

今日は江戸城北の丸公園の散歩がてら、国立公文書館で公開されている「旗本御家人お仕事いろいろⅢ」展示を見てきた。一昨年から毎年行われている催しで、今回はが3回目らしい。国立公文書化に入館すること自体が初めての経験だったが非常に興味深いものがあった。行く前と帰ってからもホームページをチェックしてみたが、これも実に良くできている。
http://www.archives.go.jp/

国立国会図書館のアーカイブデータは図書館に足を運ばないと閲覧できないが、こちらはホームページから直接アクセス可能なので嬉しい限りだ。これからはちょくちょく覗いてみたい。現場に行っても入場料は無料で、催し展示に対応するイヤホンの貸し出しも無料。上野の博物館の催し物は大概有料だったと記憶するが、予算付けがどのように違っているのか聞いてみたいものだ。

午後になって雲行きが少し変わって、空模様が怪しくなってきたものの昼過ぎまでは良いお天気だった。ウィークデイとあって人出も少なく、公園も公文書館も相も変らぬご同輩ばかりだ。強いて言うと他の場所に比べると婆さんより爺さんが少し多かったようにも感じた。いつも思うのだが、沢山の見聞がある訳ではないが、外国の公園はもう少し若い人が楽しんでいるような気がする。

北の丸公園や江戸城内の公園は、ニューヨークのセントラルパークに比べても遜色ないように思う。若い人の姿が少ないのは場所的にアクセスが悪いのか、何らかの規制が強すぎるのか知らないが少し勿体ないような気がしないでもない。展示内容は上記ホームページに詳しく掲載されているので、時間があれば是非ご覧頂きたい。徳川幕府には2万2千人から2万3千人ほどの旗本と御家人が居て、これが言わば有資格者でこのうちで選ばれた人間が公職についたものらしい。

当然猟官運動等現代に通ずるところもあったろうが、残されたこれらの資料から見る限りは、当時の役人はかなりの教養を積み人格的にも相当公私のけじめがつかないと採用されなかったのではと想像することが出来る。書き写してきたかったが、中でも将軍の身の回りの世話をする小姓と小納戸と言う役職の者が百人ほど居て、その採用に当たっての面接時の質問が残されている。武道の心得から始まって約10問一寸だったが、手先が器用かとか、歌は詠めるかとか、碁将棋の心得とかである。

誰に対しても同じ質問であるとすれば、下らなくも思えるかもしれぬが、人間何事も基本がしっかりしていないと始まらない。現代の試験みたいに重箱の隅を突っつくような問題が果たして良いのかどうかだ。何れにしてもこの小姓・小納戸が当時のエリートでプライドも高かったと紹介されている。何れにせよアーカイブ用のメディアは和紙以外に無い時代のことだ。当然不意の事故による損傷は免れ得ない。それを慮って資料の複製保存にも相当な配慮がなされている。

比較するに現在の公文書の扱いや如何、先日も機密扱いの外交文書が既に3万数千件も廃棄処分されていると報じられている。嗚呼

2013年10月9日水曜日

芸術の秋

部屋の中に居てもエアコンで冷房を入れてしまうような蒸し暑さ、世の中狂ってしまったような事件や事故が相次いでいるが、お天気までが常軌を逸してしまっているようだ。外気や世の雑音は出来る限り無視を決め込み、ゆっくりした息遣いを心掛けて、台風の余波を受けて千切れ跳ぶ雲の奥に拡がる澄み切った秋の青空を見上げながら散歩をした。散歩と言っても何時もの池袋往復コースとは異なり、嘗て勤務していた赤坂や表参道界隈である。

友人から乃木坂にある国立新美術館で開催中の展覧会の招待状を貰ったので、早速行ってきた。絵の良し悪しは分からないが、好き嫌いは勿論ある。先ずなんといっても美しい色でなければ好きになれない。好みの色がある訳でもないが、ところどころによくまあこんなきれいな色が描けるものだと感心する作品が見受けられる。大きくて迫力のある作品が多いが、抽象的でおどろおどろした作品には少し閉口してしまう。

個人的にも怖い夢を見た経験が無いとはしないが、態々そんな印象を描く必要ないだろうにと思うのが素人なんだろうな。森とか波とかの風景は好きなので、1点々々ゆっくり鑑賞したが、今年は山脈を描いた作品と、展覧会に付ものの裸婦像が少なかったように思った。きっともう素材として飽きられてしまったのかもしれぬ。千葉県の棚田を描いた作品が印象に残ったが、山の絵が少なかったせいかもしれぬ。

何れにせよ10月は体育の月でもあるが、芸術の秋でもある。来週は上野の東京都美術館への招待券を頂いているので、上野公園を散歩できるだろう。もう一つ今月是非行きたいと思っているのが皇居北の丸の国立公文書館、ここで展示中の「旗本御家人III お仕事いろいろ」地下鉄のつり広告で気が付いたのだが、面白そうだ。最近侍に非常に興味がある。江戸時代は特権階級で威張り散らしていたかと思ったりしたこともあるが、どうもそうではないらしい。

現代で言えば公務員だろうが、人口の約5%で、社会秩序を保つためにかなり頑張っていた人も多かったようだ。特権階級だから、司法の訴追を受けて牢屋に入るなんてことはない代わりに、不祥事を起こせば直ぐに切腹させられたりしたらしい。今は生半可な知識で本当かどうか分からないが、考えてみると侍の閉門蟄居は聞いたことがあるが、牢屋に入れられたのは吉田松陰ぐらいしか思い浮かばない。

侍がどんな仕事をして、扶持を頂く仕掛けになっていたか知っているようで知らない。近いうちに皇居周辺を散策しながら勉強したいと思っている。

2013年10月8日火曜日

福一5号、6号機の廃炉

最近の報道を見ていると、東電関連の動きがどこかおかしい。新潟の柏崎刈羽原発の再稼働申に対するが新潟県知事の一見強硬な反対姿勢が、一夜にしてひっくり返ったり、モグラ叩きのように汚染水漏れが続く副一を総理が突然視察したりしている。そしてその場で総理が5号、6号機の廃炉を宣言し、東電があっさりそれを認めた。新聞テレビの報道はそこまでで、素人目には結構なことだ映ったことだろう。

ところが、その背後には、経済産業省が10月1日にこっそり施行した省令改正(経済産業省資源エネルギー庁所管の「電気事業会計規則等の一部改正」)があったというのだ。この省令改正の悪質性は、それが経産省の官僚の一存で決められる省令改正(国会審議なし)であるということだ。その改正の目的は極めて悪質で、会計士や税理士の間では、「粉飾決算になる」、「会計原則の根幹を歪める」と大騒ぎになっているという。

具体的には資産価値がゼロの廃炉設備の減価償却費を損益計算書に記載する事を可能にすることによって、減価償却費のための電気料金値上げを末永く国民に押し付けることが可能になるというのだ。会計原則に則れば、除却すると決めた資産はその期において残存資産価格をすべて償却しなければならない。当然ことながらその期に於いて莫大な損失が計上されて、東電の破綻が明確になる。この省令改正はそのリスクを回避して、すなわち国民の金を使って東電を残すことに繋がっている。

少し難しいことを長々と引用して書いたが、今日の「日刊ゲンダイ」が報じたらしい。当然のことながら、ネット上では囂囂たる非難が巻き起こっているのが、マスメディアがこの報道をどのように追随するかが見ものである。ネット上のには次のように書かれている。「こんなことが官僚の一存で国会の審議なく10月1日に決められていたのである。これはもはやれっきとした国家の経済犯罪ではないのか。」

やっと国会でも福一事故に関する休会中審査が開かれ、福一サイトを東電から切り離すことが俎上に乗り始めている。東電に当事者能力が無いことは誰の目にも明らかなので、当然のことながら近い将来そのような措置がなされることだろう。この省令改正などを見ていると、その場合でも東電の破綻処理はしないつもりらしい。その結果、税金を使うならこんなに巨額(おそらく現時点では見積もることも不可能なほどだろう)を投入します、或いは電気料金に上乗せして東京電力使用者に今後何十年負担してもらいます。と何故素直に謝らないのか。姑息に誤魔化すことはないだろう。

別に好んで会社を潰さなくてもいいが、そのことによって融資していた金融機関や電力債を持っている大企業が救われ、国民ばかりがつけを背負わざる得ない。政治家は与野党共にそこらへんは百も承知で慣れ合っているような気がしてきた。一昨日のテレビで民主党の馬渕議員が野田総理が原発事故の収束宣言をした経緯を調査中と述べたが、これも真相が表に出ることは期待薄だ。

2013年10月7日月曜日

チョットしたことだが

最近若者の服装のみだれととマナーの悪さに閉口してしまうのは年のせいだろうか。近所に高校(こういっては何だがあまり程度は高くないらしい)が3校もあるので、朝に夕にすれ違うのだが、これで学校の先生方もよく黙認しているものだ。東京は道幅広いので、群れを成して歩くさまには普通の人は道をよけてしまう。時々竹刀でも持って行って思い切り殴りつけたい衝動に駆られる時がある。しかし考えてみると、彼らは特に悪気はないのかもしれぬ。

先日は地下鉄に乗った時に小生の後ろで待っていた小学生の二人連れが、下車客が降りるや否や小生を追い越して空席に奪取して席を確保した。彼らの目の前に立って見ると、チラッとこちらを見たが二人で顔を見合わせ安心したような様子で話し始めた。もっと老け顔だったら席を譲ってくれるつもりだったかどうか分からない。余程どこの学生で先生の名前を聞こうかと思ったが、これも余計なことかと思い直しやめておいた。

要するに思うのは、最近の家庭では10歳未満の子供時代に行儀の基本を躾けられていない若者が非常に増えているのだろう。教育がしきりに重要視され、塾の宣伝やランドセルの宣伝が年中テレビ流されている。子供の教育や躾は塾や学校で出来る筈も無い。殆どの家庭では母親の最重要課題だと思うが、現代の母親と言えばもう娘より一回り以上後になる。娘の時代でも相当理解不能なことが多いのに、さらにその下になってはお手上げせざるを得ないのか。読み書き算盤に外国語の心配は全て学校に任せて、行儀だけは家庭できちんと教えてほしいものだ。

日本らしさとかクールジャパンとかお・も・て・な・し・なる言葉の流行は結構だが、本質がどこにあるのか。こればかりは家庭における幼児教育の問題で、政府どんなに施策を打ち出しても社会では責任の負いようがあるまい。折り目正しい日本語ときちんとした挨拶、全ての基本はここにあるだろう。先日読んだ雑誌に書いてあったことだが、社内公用語を英語にすると人間関係がぎくしゃくしてしまうそうだ。何故なら英語には丁寧語とか尊敬語が無いので、部下が上司に対して命令口調になったりするらしい。

反対意見なんか述べる時も「あんたは間違っています。」てな発言になるらしい。聞いている上司はこのクソ餓鬼めみたいな感情になることあるらしい。まぁ、どちらも日本人故で慣れてくれば問題なくなるのかもしれないが、あっても不思議は無さそうだ。親に対して「お早うございます」と言えば親は「お早う」と答える。双方が「Good morning」で済ますのとどちらが善いとか悪いの問題ではない。単に文化の違いに過ぎぬだろう。

世界遺産に登録されなくても大事にしてもらいたいことの一つだが、お上の手を借りる訳にはいかぬだろうし、悩ましく思ったりしてる。

2013年10月5日土曜日

歴史を無視する罰当たり

先日来日したアメリカのケリー国務長官とヘーゲル国防長官が、千鳥ヶ淵戦没者墓苑を訪れて献花してくれた。アメリカの政府高官もやっと敵国であった我が国の兵士に敬意を表してくれたことに、感慨深いものがある。特に場所が靖国神社でなかったのが余計に良い。一部には安倍総理が5月に訪米した際、靖国神社を米国のアーリントン国立墓地になぞらえたことに対するけん制とみられ、安倍首相の歴史認識に対する批判とも言われている。兎に角アメリカは交渉でも何でも、相手国を徹底的に研究しているらしい。

アメリカ政府はお金が無くて大変なようで、高官が二人して属国日本に「もっとカネを出せ。」或いは「もう少し召し上げるぞ。」と宣言しに来たように思えるが、勿論そんなことを言う人はいない。政府筋は2+2協議と称するらしいが、このために先方から日本に足を運んで開催できたのは画期的なこと自慢している。しかし帰り際に先に述べた戦没者墓苑参拝で、出来の悪い子供に何かを教えたいと思ったのだろう。

アメリカにしてみれば、自民党の1党独裁が長かったせいもあるが、日本は政府や官僚も結構優秀で、しかも性格も素直で比較的御しやすいと思っていたに違いない。一時は自民党以外の政党が主導権を握ったことも何度かあるが、基本的な対米関係は何も変わらず平穏だったはずだ。それで図に乗ったように、チンピラのお兄さんがバシリの手下を扱うように、日本に対して言いたい放題、やりたい放題の難癖を付けてお金を巻き上げてきたのがここ数十年の歴史だろう。

安倍政権も基本的にはその延長線上にあるのは間違いないのだが、手下のくせに兄貴に忠義立てのつもりで、時々とんでもないことを言いだすので、少し困っているのではないだろうか。アメリカの若者にとっては不幸なことだが、アメリカの若年人口は増え続けていて、兵隊さんの供給源に不自由はないみたいである。問題は彼らに支払う給料、即ちお金さえあれば世界中で戦争をし続けるつもりだろう。

集団的自衛権の解釈変更なんてことで、弱い兵隊なんか送り込まれた日には却って足手纏いで有難迷惑だろう。余計なことを考えずに従来通り、こちらの命令に従ってくれが本音だろうに。腹の中ではそう考えているに違いない。第一属国の政権が替わるたびに、宗主国が何十年も続いたこれまでの関係を説明するのでは疲れるだろう。当たり前のことではあるが、向こうは政権政党が何度も交代しても、基本的外交関係が崩れることはない。そのために例え秘密であっても外交文書の保管しっかり保たれている。

比較して我が国を振り返ると、外交の基本がわかっていないのか、秘密扱いの外交文書が何万点も廃棄処分されているとのこと。彼国で秘密扱いが終わって公開されて文書の日本側文書が見つからないのは日常茶飯事だ。民主党時代の政策を全てひっくり返すのは国民の為を思ってか知らぬが、外交関係、しかも自分の身内先祖が関わったことまで、歴史の意味も勉強せず手を付けるとは、罰が当たらなきゃ善いが。

2013年10月4日金曜日

盗み聞きではありません

インフルエンザ予防接種の案内が来ていたので、掛かりつけのお医者さんに行ってきた。結構混んでいて、凄く咳をしている人が隣に座ったせいか、こちらまで喉がおかしくなってしまった。混んでいるのは無料の老人健康診断のせいらしい。待合室で見ているといろんな老人がいて面白い。夫婦で来たご老人、恰幅もよく偉そうだが、何から何まで奥さんの指示がが無いと動けない。「後ろのドアを閉めて」とか「上着を脱ぎなさい」と言われて、その度にムッとしたような声を出しているが、明らかに呆けていらっしゃる。

尿検査だけは夫婦一緒の訳にいかない。奥さんが先に出てきて男性トイレの前で待っていると、件の紳士おもむろに出てきたが、紙コップを手にしている。奥様もさすがに呆れて、「あそこにガラス窓があったでしょうに」と叱りつけていた。見る限りではそんなに老けてはいないようだったが、現役時代に秘書付車付の人が急にリタイアすると、鬱病になったりするそうだ。案外彼もその口かもしれない。服装を見る限りお金に不自由はないと見たが、ああなってはどうしようもない。

幸いそこそこの健康は保っているつもりだが、福一サイトの汚染水タンクのゴムパッキング同様で、人体を含めあらゆるものの経年劣化だけは避けようがないだろう。1年程前、窓ガラスの遮光用にセロテープで貼った塩ビのシートが今日急にバサッと落ちてきた。そんなに重量があるものではないが、テープの糊とシートの重量のバランスが、たまたま今日、崩れるタイミングが来たに違いない。同期生の訃報も届くし、お天気は急に寒くなるわで秋の侘しさが身にしむ季節になった

よそで盗み聞きするつもりはないが、自然に耳に届く他人の会話には面白いものがある。先ほどの待合室でもそうだが、お昼の食事時にとカウンターで隣り合わせたデパート帰りの女性2人の会話も面白かった。孫が居そうな60代くらいのご婦人だが、友人との会話を楽しむためなら、二人とも最初からたテーブル席の店で飯を食えばいいと思うが、その前に連れだって買い物してからカウンターの店でという心理が、どうもよく分からない。

オバサンの話の大半は出来の悪い嫁の悪口が相場で、本日もご多分に漏れず「料理が下手くそ、掃除洗濯も中途半端のところを私がカバーしているのよ。だって○○(孫か息子の名前だろう)が可哀そうでしょう。」隣でカツカレーを食べているおばさんの会話をたっぷり楽しませてもらった。注文する時も面白い「カツカレー、ご飯は少なめ150にしてね。」だそうだ。150グラムと言えば小生朝夕の食事はごはんの量が大体その程度。当方今日の昼飯は680円のハヤシライス。普通盛だが180グラム未満だと思う。

オバサンが召し上がっていたカツカレーはとんかつが分厚くて、値段も千円以上だったようだ。お二人とも私は小食と聞こえたが、元気よく豪快にスプーン口に運んでいらした。結構なことだ。

2013年10月3日木曜日

伊勢神宮ご遷宮

昨夜、伊勢神宮のご遷宮儀式が執り行われた。伊勢神宮とは俗称で、「神宮遷御の儀」が正しいようだ。なんと言っても天皇陛下がここの神主さんの頂点に位置しているし、20年に1度の事とて、儀式には皇族代表(民間に降下された黒田清子さんが先頭に立つのも不思議な話)から耶蘇教信者の政府高官まで参列している。当然ではあるが報道も大いに盛り上がり、今朝にかけて日本中が注視したことだろう。神秘の国日本に相応しいお祭りだ。

小生もご多分に漏れず、日本神道の総本山みたいもので日本中の神社の頂点に立っているとばかり思い込んで、浅ましくも現生利益を求めてこのところ毎年初詣に行っていた。こんな事を書くのは恐れ多いが、この日のために掛かった費用は550億円とのこと。先日長野に帰った時聞いた話では、従妹の友人が儀式に招待されて喜んでいたそうだ。もちろん嬉しいには違いないが、お賽銭をどの位納めれば招待してもらえるのだろうか?

下世話なことばかり想像を逞しくしている。3000人が招待されているそうだが、祝儀と言いうべきかお賽銭とすべきかは別として、一人福沢諭吉先生を10人ほどは差し出さないといけないのかなぁ。それでも3億円にしかならない。こちらも行く度に内宮外宮の正殿には500円の賽銭を奮発しているし、孫用のお札などに毎年5千円弱はお納めしてきた。新正殿屋根の萱一束にでもして頂いたと思って満足しよう。今年はご遷宮が盛り上がったので、参拝者がどんと増え1千万人を超すらしい。

今年お宮が移ると聞いて、切りが良いので昨年で初詣もやめようと思ったのだが、来年はもう一人孫が受験だからやめない方が良いと言われてしまった。では、という次第で昨日JTBに恒例のバスツアーを申し込んでびっくりした。バスツアーは既に3回経験している。最初の年は大晦日夜出発で元日夜帰京の弾丸ツアーで費用が9千円だった。安いのは良いのだが、流石に身体がきつかった。そこで前々回と前回は大晦日朝出発で、伊勢近くのビジネスホテルで一泊して元日の夜帰京の1万5千円ツアーに切り換えた。

今回もこれにしたかったのだが、何とこれが約2万円から3万円(宿泊が個室)に跳ね上がっている。弾丸ツアーでも1万5千円の大幅アップである。値上げの理由はごまんとあることだろう。オペレータのお兄さんに「随分値が上がったものだね。」と言うと「申し訳ありませんが、私は昨年までの価格設定については存じません。」ときたものだ。已む無く涙を呑んで老骨に鞭を打つ覚悟を決め、大晦日19時発、元日20時50分東京着の弾丸ツアーを申し込んだ。

年金生活の身からすると恨めしい値上げであるが、政府が値上げを奨励しているのだから、明らかな便乗型アベノミクス効果とも言うべきか。

2013年10月2日水曜日

消費税増税の説明を聞いて

昨日は野暮用が重なってブログもサボってしまった。書きたいことも殆ど無かったので丁度よかったかも。ニュースも殆ど見なかったし、婆さん曰く「消費税増税決定のニュースばかりで、総理の顔を見せられて腹が立つばかり、見ないのが正解よ。」今朝のテレビ新聞も昨日と同様らしい。唯一の救いが、昨日横浜線中山駅近くの踏切での事故。40歳の女性が同乗していた父親の制止を振り切って、踏切内で動けなくなった老人を助けて、電車にはねられ自分が犠牲になっている。

先月の半ばには大阪で、台風で増水した淀川で溺れていた小学生を自らの危険を顧みず濁流に飛び込んで救助に成功した中国人留学生がいた。こちらは救助した方も助かっているが、他人の命を守るために、己の命を顧みずにとっさに体が動く人には心から敬意を表したい。亡くなられた女性には衷心よりご冥福を祈るしかない。

市井にはこんなに心根が美しい人がいたことに救われる思いがあるが、引き換え嫌らしく思わざるを得ないのはやはり政治家の面々、特に総理以下の政権与党の幹部諸氏だ。昨日の総理記者会見については新聞でも詳しく紹介されている。市民に選ばれた政府であるから、市民に更なる税を課するのは仕方ないとしよう。しかし、記者会見まで開いて声明を発する以上、もう少し謙虚に申し訳なさそうな顔をしてもらいたいものおだ。まるで恩着せがましく、相変わらずの上から目線で、何か素晴らしい政治決断でもしたような誇らしげな態度には白けるばかりだ。

内容の中で特に引っ掛るのは「法人と個人との対立概念でとらえることは賛成しません。」最近与党も政府も「企業が儲かれば何れ個人も潤ってくる」をしきりに力説強調している。現政府はスローガンのワンフレーズを以て特徴としているが、これもその類で全くの意味不明だ。個人が潤えばその分企業のもうけは減るのだから、明らかに相反する関係にあることは明確である。こういった意味不明の言葉や積極的平和主義のような意味不明の形容詞がついた単語が出現したときに、チェックできないのが今のマスコミだから厭になってしまう。

婆さんの小学校か中学校時代に国語教師が言ったそうだ。「作文を書く時は形容詞と形容動詞を多用しないように気を付けなさい。さもないと意味が不明確になってしまいます。」要するに総理は好んで意味不明の言葉を多用して我々を煙に巻いているのだろう。こちらはそれほど馬鹿でないから煙に巻かれることはないが、法人と個人の対立概念の土俵の外にいる無職の夫婦である。支給は引き下げられ、消費する場合にはお足が余計掛かる。言いたくないが踏んだり蹴ったりのことだから、ニュースを見る気がしなくなるのも無理からぬことだ。

どうせお金が無いので、倹約以前に消費活動が極めて少ない。高齢化社会と言われているのだから、似たような境遇の人は結構いると思う。これで景気が良くなるなら本当にご苦労無しだ。今朝のテレビでは、車や家など3月までに買い急ぎをする人が増えるでしょうとやっている。日本の社会がどうなっているのかさっぱり分からない。