2010年8月31日火曜日

ヤクザな「歯無し」

身体のあちこちに不具合が出ているが、元から余り丈夫ではなかった歯の治療をせざるを得なくなった。いつ差したかも忘れた程古い差し歯2本を引っこ抜いて差し替える事になった。先生曰く「ヤバイ歯ですねぇ、根っこが相当傷んでいますので、最悪の場合は入れ歯にしなければなりません。」との事。「何とか根っこを治療して、差し歯を入れ直してください。」と頼んで、根っこの治療が始まっている。ところがこの間、2本歯が欠けた部分を簡単なパテみたいものをもって埋めているのだが、これが簡単に外れてしまう。

別に痛くはないのだが、見た目が真に良くない。昨夜もこれがポロリと取れてしまった。明日は仕事でどうしてもクライアントまで出向かなくてはならないのでどうしても何とかしてもらいたい。予約のやかましい歯医者さんで次回は来週の月曜日になっている。しかし電話で無理に今日の予約を入れてもらった。事情を話すと、それでは一寸待て貰うかも知れませんが11時頃来てください。と了解があり、リカバーしてもらう事が出来た。鬱陶しい話だが、何処かで差し替える必要があるのだから仕方が無い。

治療の後、いつものように歩いて池袋まで行こうと思ったが、暑いし気が乗らないのでやめた。地下鉄に乗って国会図書館に行き、涼しい環境の中で昼のカレーを食った後、2時間ほど読書を楽しんできた。読んだのはヤクザの大物、静岡県富士宮市の後藤組元組長 後藤忠政氏の自伝「憚りながら」。今までにも何回か検索したが所蔵されていないと言う事だったが、今日はヒットした。新刊書が閲覧可能になるにはやはり2カ月は必要のようだ。

読後感に上げるほどではないが、面白かった。年齢的には似たような年齢だし、高校時代やくざにあこがれた事もあるので彼の気持ちは凄く良く分かる。どんな世界でもひとかどの人物、他人から親分親方と言われる様な人間になる人にはそれなりの信念と言うか哲学がある。彼の場合もその例に洩れないだろう。彼の組は彼が一代で立ち上げ、2年前に彼の引退と共に組は消滅している。

江戸の昔から存在していた侠客、この存在の善悪について部外者の素人が軽々に断ずる事は出来ないと思う。ただ、現代では侠客はおろか、ヤクザと言う言葉ですら余り聞かない。この世界に人を「暴力団」と一括りにする事で
彼らの存在を排除できるのだろうか?著者も指摘しているが、ヤクザ渡世も楽ではないようだ。確かに取り締まりは年々強化され、組や一家のの存在が追い詰められた事で、地方の組が立ちいかなくなり、唯一これに立ち向かった山口組が彼等を糾合して強大になってしまった事。

ヤクザの組織をいたずらに礼賛する気持ちは無いが、組織を潰しさえすれば問題は解決するのだろうか?組織があるうちはメンバーは顕在しているが、組織を破壊された構成員は非合法な事を潜伏してやるようになるだろう。ここら辺にも、日本の国の形の一環として、深くまじめに考える必要がある問題が残っている。ヤバイ「歯」から本当のヤクザの「話」になった。

2010年8月30日月曜日

大義と国益

暑い夏で頭がボーとしてまともに考える事が出来ないのは小生一人ではないようだ。

元民主党代表の鳩山さんが小沢氏を支援するのが「大義」と言ったらしい。小生も使った記憶のない言葉なので「大義名分」をインターネット辞書で調べてみた。面白かったのは次の解釈:「本来は崇高な意味だったのですが、今では表面づらだけの隠れ蓑と言う悪い意味で使われることが多いです。」

もうひとつ最近よく聞く言葉で分からないのが「国益」と「円高株安で日本と言う国が沈没してしまいそうだ。」がある。国が儲かるのはひょっとしたら人民が損をするのでは?なんて失礼な事は言いたくないが、どこがどうなれば「日本沈没」になるのか分からない。

小生の理解するところの「日本沈没」の危険性第1は戦争に巻き込まれる事だ。憲法改正して、「自衛隊を軍隊に」などを唱える人もいるが、幸い今のところはこの人たちにしても他国を侵略しようなどとは言っていない。他国から侵略されても戦争には巻き込まれるが、我が国は不幸な事に、これも今のところアメリカ軍に侵略されているようなものだから、先ず余程の事が無い限りその他の国が攻めてくる心配はないだろう。

危険性の第2は「暴力的な革命」で政権が代わり、極右なり極左の単独政権が樹立される時だろう。これには何と言っても強大な暴力装置、即ち軍事力が必要だろうが、日本の武器規制は相当に厳しいので、誰かが考えたにしても実現は困難だろう。

危険性の第3は何らかの理由によって、食料の輸入がストップしたり、石油の輸入がストップする事ではないか。これが現実になると、国民生活は相当貧弱で悲惨になるだろうが、別に日本が何処かに沈没する訳だはない。何世代か前の日本人の生活に先祖がえりを余儀なくされるだろう。事実中国やロシアは食料の輸出を制限したりしているので、食料品高騰は避けられないかもしれないが、この方面は今のところ円高に助けられている事もあるだろう。

「日本沈没」とは別に、円高株安で企業経営者が困る事は沢山あるだろう。企業経営が思わしくなければ、求人は減り、給料も上がらないと言う事になるのは間違いない。当然税収も減る。日本の国家財政も、いつまでも余剰金世界一と威張って居られなくなるかもしれない。

だからと言ってこれが「日本沈没」国家最大の危機と大騒ぎする事には、大いに疑問を感じている。小生に言わせれば、日本は金持ちで豊かになり過ぎただけの事。これからは今まで経済的に遅れていた国々が段々豊かになり、豊かだった国はそれなりの落ち着き先を模索しなければならないと言うだけの事だ。代表的なのが日本とアメリカではなかろうか。

「みなさん、日本は経済成長も踊り場に来ています。デフレで物価が下がっていますから、遊びに出歩いたり買い物したりするの結構ですが、少し落ち着いて家で読書でもしましょう。政治家もこういう時期ですから落ち着いて、少しずつ無い知恵を出し合って、国家百年の大計でも考えてみてください。」なんて言っても偉そうにみえないから、メディアは大騒ぎしているだけだろう。

若い人の事を取り上げる際も、就職難ばかりを力説強調するが、こんな時こそ多様な生き方を何故紹介しないのだろう。経済が急カーブで上昇し始めた昭和の時代だって、小生みたいに勉強しなかった奴は皆就職で苦労している。20年ほど前のバブル期が異常だっただけの事だ。我々の時代に比べれば、現在の方が海外に出かけるにせよ、NPOでボランティアをするにせよ選択肢何倍もある筈。

2010年8月27日金曜日

豊かな老後

心の片隅では、もう歳なんだから悠々と生きたいと思っている。しかし実際には煩悩が多すぎて悠々と言う実感に恵まれない。特にあれをしたいこれをしたいと差し迫った欲望はそんなに無いのだが、どうしても毎日を定形パターンで過ごしがちだ。これではどう考えてもせこ過ぎて悠々には程遠い。時間が無いわけではないのだから、もう少し恰好良い過ごし方は無いものだろうか、と考えている。

先ずは新聞テレビなどの雑音を排除しないといけないと思ったりするが、これは一種の娯楽的要素だから止める訳にいかない。然らば新聞等を隅から隅まで丹念に読む事なんぞ暇人には相応しいのだろうが、いつも斜め読みである。従ってニュースの殆どはテレビを見ても新聞を読んでも記憶に残らない。本なんぞも内容を読む端から忘れてしまうので、最近は敢えて読み終わったらすぐに読後感を書く事にしている。考えてみるとこれも無意味な事かもしれない。

晴耕雨読の言葉を知らないわけではないが、我が家は庭なんか無いに等しいぐらい狭いし、土いじりの趣味が無いので園芸なんかした事が無い。部屋に籠って音楽を聴く趣味も無い。天体観察、野鳥や昆虫、又は植物の採取や生態観察も無縁である。絵画、歌舞音曲、詩歌俳諧、何れも興味が無い。強いて言えば囲碁と山登りは、興味があるし好きでもある。つい最近まで、囲碁は勝負事なので精神の涵養になりにくいと思っていたが、最近は勝負の結果よりプロセスを楽しめる心境になってきた。

今まで通っていた碁会所だけでなく、いろいろな碁会所に出かけてみたいという気持ちが出てきたので、つい最近池袋で今までとは別の碁会所に入ってみた。今まで通っていた所より入場料が200円も安く、来場者も多いようである。今まで知らなかった人と碁を打つのは楽しい事だ。この場合にこういう打ち方もあるのか、という新たな発見がある。

知らなかった場所(碁会所)に踏み込んで、新しい発見をするのは山歩きと同じかもしれない。囲碁は40歳代からやってはいたが、山の方は65歳くらいから始めた事だ。しかしこの二つの趣味のお陰で、やっと少し老後の生活に潤いが出て来そうな予感はある。もう一つは、やや精神の豊かさとは矛盾するかもしれないが、こうやって毎日ブログを書く事、これもここ数年来大きな楽しみだ。

2010年8月26日木曜日

官僚天国

旧盆も過ぎて子供たちの夏休みも終わろうと言う頃になっているのに、政権与党ではお化けが出た。と多くの人が思っているのではなかろうか。結局昨今の政治家はどれをとっても勉強不足、信念不足、廉恥心不足、情も熱も不足、指導力不足。全て無い無いづくしだ。幸か不幸か軍隊が無いから良いようなもので、クーデターが起きても不思議はない。クーデターが頻発する東南アジア諸国の政治家の方が未だ少しましに見える。

我が家では、議員定数は半分でいいとか参議院は不要だとかしょっちゅう話をしているが、政治家の存在意義は何だろう?ここで言っているのは国会議員の話だが、地方議員も合計すると政党助成金や選挙費用も含め莫大な税金が投入されている事は間違いあるまい。議員さんも人の子だから、休みを取ってはいけない、とまでは言わないが、福島県矢祭町の議員さんのように日当ベースであるべきかもしれない。兎に角国民(少なくとも小生)の側から見ると、我々のためには働いていないなぁ、の感は否めない。

これで喜んでいるのは間違いなく官僚たちだろう。もう政治家には期待できないので、改めて官僚について考えてみた。最近の戸籍問題に見られる通り、役人は元々自分の縄張りの中で悠々と威張って暮らし、横と連絡を密にして社会全体に対する多面的な責任を果たすという意識は毛頭ないようだ。魚に例えればヒラメのように上だけを見て、只管直属の上司に対する報告の辻褄あわせのみに汲々しているだけだ。

役人のトップに位置するのが各省庁の政府3役と大臣だ。政権交代によって、古狸の官僚たちにも一時は若干の緊張感は走ったかもしれぬが、約1年を経過してものの見事に政府高官を掌の中に取り込んでしまったようだ。この頃では自民党あたりの連中より初心な分だけ扱いやすい、とほくそ笑んでいるのだろう。総理大臣の緊張感に欠ける顔は勿論だが、どの大臣も最近の会見を見る限り、全て役人に振りつけられた原稿で喋っているのが見え見えだ。

まして、今回の民主党の騒動を見ると党分裂の可能性も十分に考えられるので、各大臣政務官も首筋が冷や冷やして、重大な意思決定が出来る筈も無い。官僚共はその辺をすっかり見越して面従腹背、やりたい放題だろうな。この事態は誰に責任があるわけでもない。今年の酷暑と同じ、自然の成り行きと諦めるしかないだろう。それにしても、経済政策なんてものは世界各国と密接な連携が必要らしいが、日本の官僚当局はどの程度連携が取れているのだろうか?好き嫌いは別にしてミスター円と言われた榊原英資氏なんかはそれなりの存在感があった。財金分離の現在 財務省には国際金融局なんてものも無くなっているらしい。

一昔前までは榊原氏以外にも政治家以上の存在感を持つ官僚がいたように思う。それが行政改革の美名のもと姿を消しつつあるようだ。大臣が酔っ払い会見をしても恬として恥じない役所が、官庁の中の官庁と威張っているようでは人材も入ってこないだろう。官僚の首を切ったり給料を下げるのも結構だが、政治家に期待できないとなると官僚の質の低下を考え直さないと困るかもしれない。同時に考えるのは前にも書いたが、省庁の再々編と国民総背番号制の導入だ。税金にせよ保険料にせよ国家と個人の金のやり取りは全て1官庁に集約すべきだろう。現在でも税務署は各家庭の人員構成や収支を実に正確に掌握しているように思う。ここでカウントされない人間が戸籍に乗っていること自体おかしいではないか。こう思うのは給与生活者であった故だろうか?

読後感「孤高の外相 重光葵」豊田 穣 著

明治20年生まれで同44年入省の外務官僚、昭和7年駐華公使時代中国との間で上海事変の停戦決議に尽力、欧米諸国の協力の元、何とか停戦協定をまとめ、あとは調印を残すだけとなった同年4月29日、上海虹口公園での天長節祝賀式典において爆弾テロに遭い重傷を負う(上海天長節爆弾事件)。重光は激痛の中「停戦を成立させねば国家の前途は取り返しのつかざる羽目に陥るべし」と語り、事件の7日後の5月5日、右脚切断手術の直前に上海停戦協定の署名を果たす。後に欧米の公使歴任の後、駐ソ公使となった時張鼓峰事件の停戦交渉でソ連と激しくやり合い、戦後の東京裁判に響いてくる。戦時中は東条内閣小磯内閣において外務大臣を歴任。

更に敗戦直後に組閣された東久邇宮内閣で外相に再任され、敗戦国の全権として降伏文書に署名するという屈辱的な役目を引き受ける。そして東京裁判で大戦前ソ連と激しくやり合った恨みを買って有罪判決を受け、5年弱の服役と苦難な道を歩んだ。サンフランシスコ条約の発効後に釈放、追放解除されてから再び政治の道に戻り、改進党総裁となって総理大臣の座を同じ外務官僚の吉田茂と争う事になるが、結局は総理になる事は出来なかった。

大分県の出身で明治の男らしい剛毅さは勿論だが、非常にクールな所があった人らしい。昭和の初めから終戦まで日本の政治は、現在の中国や欧米各国との競り合いが国家の最重要課題であった。当然その道のプロである外務官僚達が活躍し、その力に負うところは少なくなかった。だがしかし、肝心な場面における彼等の献策は殆ど入れられていない。政治の大きな流れは軍部や右翼の意見に引き摺られたのが事実である。

どうしてなんだ、外務官僚は権力に媚びすぎるのではの思いも無いではない。しかし当事者からすれば、損な役回りばかりだったという思いもあるだろう。後世の我々もその辺については歴史をしっかり勉強したうえで、認識しなおす必要があるかもしれない。世に特筆大書されていないが、本書で学んだ事が一つある。

マッカサー連合軍総司令官が日本に着任早々(総司令部第1次指令)やろうとした事は、当面軍政を敷く事だった。重光はこれを知るや翌日マッカーサーと緊急会談を実現、この決意を翻意させた。つい先日みじめな思いで敗戦の署名をした人間からすると、このような申し入れをするなんて事は、よほど腹が据わっていなくては出来る事ではない。

結果は彼の要求が通り、この指令が撤回され総司令部監督のもとで、日本政府を通じてポツダム宣言を実行せしめることになったのだ。日本は占領政策の手本のように言われるが、その裏にこんな事実があった事を知る人は少ないだろう。歴史とは不思議なもので、つまらない事実がいつまでも残り、本当に意味のある事が忘却の彼方に埋もれてしまう事を知った。

2010年8月25日水曜日

夏休みの終わりに新語を一つ

孫達の夏休みは今日で終わりだそうだ。夏休に孫二人を何処かに遊びに連れてって、というリクエストはもう来ない。それぞれ沢山やる事があるらしい。考えてみれば当たり前だ、上の子なんかもう中学生、下の子にしても小学校6年生。いつまでも爺様と子供っぽい事もしていられないだろう。特に中学生の方はバスケットボールをやっているので、練習と試合で夏休みと言っても殆ど家にいないらしい。この子のために娘は毎朝5時に起きて弁当を作るそうだ。

この話で又一つ新語を教わった。「かいべん」て何か分かる?と聞かれたので、「お腹の調子が良くてお通じが良い事だろう。」と答えたのだが違っていた。「買い弁」=「コンビニで買った弁当」だそうだ。孫はこれが嫌だと言うので、娘が早起きしなければならないとの事。当たり前と言えば当たり前かも知らぬが、親も子も何かと大変な事だ。小生も今年の春ごろまでは「買い弁」が嫌で、山に行くたびに婆さんに昼飯を用意してもらっていた。

ところがある日、何かの都合で近くのコンビニで握り飯を買って行く羽目になった。何事も実際に経験する事が大事と後で思ったのだが、この握り飯が結構旨かった。従ってこちらはこの所ずっと「買い弁」である。孫も小生に似て気取った事を言っているかもしれない。しかし、コンビニの弁当が旨いか不味いかより親子のハートが通じ合う事の方が大事だから結構としなければならぬだろう。

2010年8月24日火曜日

読後感「普天間」交渉秘録 守屋武昌 著

今年から新刊書は買わない事にした心算だったが、余りに面白そうだから自ら掟を破って買ってしまった。結論的にはとても面白い。著者は言わずと知れた元防衛事務次官、航空機購入をめぐる汚職事件に巻き込まれ逮捕起訴されてしまった人物。何度もマスコミを騒がせたこの事件については何も触れていない。彼は防衛庁採用1971年(昭和46年)でプロパーの職員として初めてトップの事務次官迄登りつめた。それだけに優秀であったのは事実だろう。しかも東北大学の出身であった事と次官に4年も居座った事は、他の省庁を見ても希有なケースだろう。

彼は在職早々から日記はつけていたようだ。特に官房長になった頃から庁から省への昇格問題などがあり、重大な局面で誰がどういう動きをしたかを忘れないようにするために、意識して克明に書き留める事にしたらしい。本書はその記録をベースに書き下ろされている。先ず驚くのは役所のトップはあらゆる方面から情報が即時に上がってきている事だ。それは指揮系統ばかりでなく、マスコミ、政治家(与党だけではない)あらゆる方面に亘っている。その1件1件を瞬時に判断して対応を指示するのだから、官僚の仕事は大変と言えば大変だなと思う。指示を受ける末端はもっと大変だろう。

兎も角、本論の「普天間」問題。今問題になっている移転先の辺野古崎V字滑走路案に至る経緯だ。小生はこれが自公政権と地元との間で、長年かけてガラス細工のような脆さであったにせよ合意されたと理解していた。ところが、本書を読む限りとても合意されているとは言えない状況である事が良く分かる。先ず地元と言っても県知事、名護市の市長ばかりがマスコミに登場するが、この他にも沖縄には多くの市町村があり、住民がいて、企業が存在する事は忘れがちだ。国の方も誰が当事者かよく分からないが、この13年間地元との折衝は防衛庁が最前線にいたようだ。

先ず、冒頭に今年の4月読谷村で行われた県民集会に9万人が集結と報道されたが、公安筋では1.5万人と推定している、と暴露している。マスコミがいい加減なのは昔からだが、揃いも揃って主催者発表だけを流す事には些か怒りを感じる。話しが逸れたが、要は地元の政治家(首長)は国にいちゃもんをつけて金を引き出す事だけしか念頭に無いようだ。同時に国家の政治家はどんな役職についても一つのポストに長居する事も無いし、常に票と利権が欲しいのだろう、どうしても腰が据わらない。一寸地元から擽りを入れられると、すぐフラフラしてしまう。このあたりは全て実名で書かれているので「なるほど」とか「え、そうなの」と目から鱗の思いが多い。

そこに行くと官僚は、日米の関係や米軍再編問題に絡む国内外の交渉事についても、長年の経緯を積み重ねてきている中からベストと思われる案を抽出していると言う事だ。従ってリーダーシップのある政治家がグリップを利かせてくれればそれなりの所に収まるのだろうが、政治家は誰にしても理念や志では動かない事が良く分かる。この著者の場合、唯1人信念を曲げずにバックアップしてくれたのは小泉信一郎だけだったようだ。小泉はそうだろうが他の人間はいろいろあるなぁ。

官僚任せの弊害が取りざたされる中、本書は実に示唆に富んでいる。軍事お宅と言われ呼ばれ安全保障のエキスパートのような顔をしている石場茂すら、著者から見るとかなりいい加減で、移設に関する行動にも疑問符があるようだ。冒頭にも書いた通り、官僚にはあらゆる情報が集中しているし、政治が優先する政府の一員である以上、何を言うにもするにも政治家の了解が必要になる。特に担当大臣、官邸、関連部会、国会だの、この書に取り上げられている政治家だけでも大変な数になる。彼等と齟齬をきたさないようにするのは至難の技に違いない。

彼は確かに優秀であったに違いないが、何処かに齟齬をきたしていた事に気がつくのが遅すぎたと言う事だろう。もう一つは、民主党も「地元の皆さまの意向は無視しない」ような事を言っているが、それでは何年たっても普天間は解決できない事がはっきり分かった。

2010年8月23日月曜日

小沢一郎をめぐる馬鹿騒ぎ

日中歩くと汗がどっと噴き出し、山の涼しさがひたすら懐かしく思われる。
昨年は立秋(8月6日)になっても梅雨が明けていなかった、と日記に書いてあった。同じ日記に台風8号が沖縄に接近とあるのもまるで嘘のようだ。この炎天下で、連日熱闘を繰り広げた高校球児の体力は、日ごろの鍛錬の賜物だろうが驚嘆に値する。又これを球場に足を運んで応援するファンも偉いと言わざるを得ない。普段は余り感心も持たない野球だが、甲子園春夏連覇の偉業を成し遂げた沖縄甲南高校には心から拍手を送りたい。

他には水泳の国際協議で北島康介選手が平泳ぎ100mと200mで金メダルと復活を果たした。現在28歳だそうだが、こちらも大したものだ。もう一度オリンピックで頑張れるのだはなかろうか。スポーツ以外のニュースは碌なものが無いのでつまらない。特に連日取り上げられる民主党代表選に関するニュース報道には辟易する。小沢一郎氏が立候補するのしないので大騒ぎだが、普通の神経を持った人間から見たら「少し頭がおかしいのでは?」と思われても仕方あるまい。

少なくとも小生からすれば、政党の代表なんか誰が成ろうと構わない。国家国民のために真面目に働いている事が明らかになりさえすればいいのだ。兎に角政治の世界は不透明で分からない事が多すぎる。民主党が政権について以来少しずつではあるが、政治が国民に近づいてきたような感じも無いとは言わないが、未だとても不十分。政権が官僚に取り込まれつつあるとの感を否めないも事実だ。

しかしだからと言って小沢一郎氏だけは、本人に幾ら力あろうと真面目に努めようと、国民はそれを認めない。小生も彼が嫌いではないし、彼のリーダーシップを認めないわけではないが、それ以前の問題で駄目である事はそれこそ世論調査ではっきりしている。要するに政治と金の問題は理屈以前の問題なのだ。政治に金が必要であり、集金能力こそが政治家の資質を決める最大の指標であると思う。従って彼が超1級の政治家である事は誰もが認めるところだろう。小沢と言う人間のマスコミに投影される幻と現実に乖離があろうと、国民の意思は全て現実で仕方がないのだ。

マスコミが馬鹿騒ぎをしているだけと思いたいが、もし彼が立候補して負ければ、民主党は分裂(状態)して、彼も晩節を汚しかねない。勝てば総選挙をせなばならず、折角出来た民主政権が約1年で崩壊して自民党復活なんて事になれば、これ又最悪で彼の罪は益々深くなる。いっそ、「早いとこバッジを外して、民主党の相談役になればいい。」が我が婆さんの説だが、尤もだと思う。

2010年8月20日金曜日

平成元年を思う

昨日「光陰矢の如し」とタイトルで書いた。毎日平々凡々と変化の無いような暮らしをしていても、ふと過去を思い起こすと、我が身も身の回りの風景も報道を通して知る世の中も、実に大きな変化がある事に驚かされる。何十年も日記を書いていれば、その変化がはっきり分かって面白いのだろうが、生憎日記を書き始めて未だ5年に未だ1カ月足りない。

ところで現在は平成22年、昭和は既にレトロになりつつあるらしい。それはそうだろう。つい昨日のようにも錯覚するが、平成元年と言えばこちらは48歳。当然現役で、やっと再就職先に収まったばかり。これから先女房や子供を食わせていけるかどうか、内心少し心配しながら、その就職先での居場所を確保するために毎日懸命に働いていたのだろう。勿論貯金なんか1銭も無かったが、将来の事はあまり考えないと言うか、なんとかなると甘い事を考えていたものだ。未だ酒は毎晩飲んでいたし、全て会社の金と言う訳に行かなくなっていたので、自腹で行きつけの店を開拓したりしていた。

と言う事はテレビの視聴時間は殆ど無かったろう(しかしテレビ番組を作る方に居たのだから、お笑いだ)。その代わり昼間仕事をさぼって、本を読んだり映画はよく見ていたかもしれない。交際については仕事でテレビ局や新聞社、官僚や大企業の人と付き合う機会が多かった。当時日本は後にバブルと言われる時代で、日本全体が少し狂っていたようだ。少なくとも小生自身も、今から考えると嘘のようだが、政治なんか露程の関心も無かった。政治家なんて、役人に振りつけられる芸能人みたい者で、経団連とか農協とか労働組合とかの大組織と官僚の間の調整役だと心得ていたものだ。

当時は大組織や大企業に出入りをしていたので、日本の政治的決断の全ては霞が関の官僚が行っていると確信をしていた。又、大新聞の記者が霞が関高級官僚や政治家のフロントに位置して、使い奴の役目を果たしているのを目の当たりにしていた。兎に角今にして思うと、驚くほど政治に関して無知だった。実際は、海外ではベルリンの壁が崩壊し、国内では消費税3%が導入された年だから、政治的にも非常に大きい意味のあった年だった筈だ。もちろんパソコンなんか無いし、新聞もどの程度読んだものやら。

今更反省しても始まらないが、外国との関係についても真剣に考えた事は無かったし、何回かアメリカを旅行してみて、このまま行くとアメリカの属国から独立できるかもしれないと漠然と思った事がある。驚くべき馬鹿さ加減だが、22年の歳月がもたらす変化は、個人的にも社会的にも凄まじいものがある事だけは事実だ。

2010年8月19日木曜日

光陰矢の如し

今日は久しぶりに新社長のお供でクライアントに顔を出した。毎年新年早々に更新する、少し大きなコンテンツに関する打ち合わせのためだ。社長を替ってもらって早5ヶ月、ルーティンの仕事はもう新社長に任せきりで問題無く進捗するようになっている。しかしこの仕事は数十件のレシピ制作で、コンセプトの整理から始まりレシピ制作、大学の先生による監修→撮影→コンテンツのデータベース化と数か月間、大勢の人を動員して多岐にわたる手順を踏まなくてはならない。

その第1歩が今日と言う訳で、経緯が分かっている小生がいない事には話しが始まらない。もう来年の話をしなければならない時期になってしまったか、の思いだ。しかしこの仕事を終えれば、新社長も小生が起業した会社の最も基本になっているエンジンの構造と運転の仕方を覚え、小生の役目は殆ど無くなる筈だ。嬉しいような、寂しいような一寸複雑な心境である。

知ってしまえば別に大した事では無いだろうし、このエンジンがどこまで持つのか、或いは通用するかは分からない。何れにせよ旧いものは一旦吸収しつくして、それが肥料になるかどうかは知らぬが、ある時何か別の発想が出てくる事を願うばかりだ。

たまたま今日は、昨日までの暑さが大分和らいでいる。まして来年にかけての事を相談していると、光陰の早さをしみじみと感じてしまう。

2010年8月18日水曜日

いい加減だなぁ 我が宗教観

旧盆も終わったので夏も残りわずか、酷暑に耐える我々はもう少しの辛抱だし、子供たちはは少し宿題を心配した方が良いかもしれない。お盆は終戦記念日と重なるので、靖国神社参拝が帰省ラッシュと並んで定番の大きなニュースになる。今年は閣僚の参拝が無かったようだが、無ければ無かったで国内的には大きなニュースだ。流石に中国や韓国ではニュースにならなかったろう。なのに内閣は態々韓国併合100年と言う事で「お詫び」の言葉なんか出して、要らざる騒ぎを引き起こしている。

外交なんて難しい事は分からないが、こういうメッセージは先方からも欲しいと言ってくるのかなぁ?ただでさえ首をすくめている内閣が何故こんな事をするのだろう。偉い人の考える事は凡人の理解を超えている。宗教心の薄い人間だが、今年は珍しくお盆に仏様にお参りした。その時は亡くなった両親や兄達が家に戻って、生きている我々と一緒に食事をしてくれたわけだ。

これで素朴な疑問が湧いた。殆どが仏教に帰依していると言われる日本人が、よりによって仏教最大イベントのその日になんでお宮さんに行くのだろう?神社に祀られている御魂とお寺に祭られている仏とは違うとしたらおかしくないか。この辺のいい加減さが日本人の良い所かもしれないが、外国人からしたらとても理解できないだろう。屁理屈を言いだせば、お盆に靖国神社は御魂不在と言う理屈だって成立しかねない。

もっと言えば、態々負けた(手を上げた)日を選んでお参りするのもいかがなものか。安倍元総理や石原都知事がいくら勇ましくても、12月8日の開戦記念日は少し勇ましすぎるので、せめてサンフランシスコ条約が発効して日本の独立が認められた日(4月28日)にした方が鎮座する御魂に対しても余程言い訳が立つのでは、と余計な心配をしてしまう。それこそ中国韓国と裏で話を着けて、総理の公式参拝を実現したら民主党のイメージも少し変るかも。

それにしても明治維新当時、政府のご都合主義(と思うのだが)で国民の意思を無視して行った廃仏毀釈なる蛮行のつけが、未だに尾を引いている感は否めない。天皇家の宗教観なんかも江戸時代までと明治以降では、政治によって恣意的に歪められているのではなかろうか。関西に行けば天皇家縁の寺なんか掃いて捨てるくらいあると思うのは間違いかな。自民党最後の総理はクリスチャンだそうだし、公明党なんてなんか宗教くさい党もあるし、日本人は皆小生同様いい加減だなぁ。

2010年8月17日火曜日

有効な景気対策て何ですか?

個人消費が落ち込んでいるので、これを回復するために、と言う事でいろんな人がいろんな事を言っている。そこで生意気にも、個人消費の落ち込みについて少し考えてみたい。何度も書いている通り経済の事は良く分からないが、消費が落ち込む理由は何だろう?自分の事で言えば、家族二人の年齢が高齢と言う特殊性はあるが、買いたい物が無いのが最大の理由だ。日本全体で考えた場合、買いたい物があるが高くて買えない物は何だろう?

エコポイント制の延長なんて事が議論になるくらいだから、家電製品や自家用車がそうなんだろか。小生の判断からすれば不要不急の物を無理強いしているようにしか見えない。これで景気が良くなって、国民が幸せになるという図式がどうしても理解できない。GDPなる指標で日本は現在世界で第2位だそうだ。これが今年度末には中国の後塵を拝すると言う事で、残念がったような音も聞こえる。中国の国民がそれで祝杯でもあげるなら、それも結構じゃないか。

誰かのセリフではないが「2位でないとダメなんですか、3位や4位だと何故駄目なんでしょう?」又何方か是非ご説明頂きたいと思います。確かに個人消費が伸び悩むと、製造業などの産業がシュリンクして税収にも悪影響が出る事は必定。これは十分理解できる。財政収支が益々悪化して困るのかな、と思ったら、今日面白い記事にぶつかった。国家財政を例えて「年収330万円の家庭が年に900万円使っているようなものだ」をよく聞く。これで少し心配だったのだが下記に引用する記事を読むと、必ずしも適切な例えではないようだ。

===============================
「国の借金」意味分かって使ってる?頭が痛い「家計簿的発想」の説明

 本連載第1回から今回までの3回で見てきたように、財務省やマスコミの言う「国の借金」問題は、「借金が多いのはダメだ!」などの単純論でとらえてはいけない性質のものだ。

 特に、国家経済について、「家計簿」に喩えて説明する政治家や評論家が後を絶たないわけであるから、心底から頭が痛くなってくる。企業経営を家計簿に喩えて説明する人はいないと思うが、なぜか国家経済や財政については「家計簿的発想」が続出する。そもそも国家経済とは、ストック(バランスシート)もフロー(GDPのこと)も、共に企業や家計のそれとは全く異なる概念であるにも関わらず、である。
 <三橋 貴明  著 2010年8月17日 日経ビジネスオンライン より>
===============================

著者が言うのは、国家のバランスシートなるものを家計簿に例える事が間違っている。日本のバランスシート(本年6月の速報値)は金融資産だけで見ても次のようになっている。即ち、資産合計約5590兆円、負債合計約5322兆円で、同時点における正しい日本の純資産額は約263兆円だそうだ。アメリカ何ぞは純資産でなくて純負債が計上されることになるのだそうだ。

小生自身は日本が貧乏になっても仕方がないし、それで国民が反省して少し真面目になれば、つるべ落としの学力なんかも少しはましになるのでは、と思っている。国家の経済は勿論、家庭の経済もよく分からないのだから何をかいわんやだが、この三橋おじさんの言っている事が妙に気に入った。

2010年8月16日月曜日

お盆・そして山登り(唐松岳)

12日故郷でお盆のお迎えをするために長野に帰郷。夕方亡き次兄の家に兄弟に甥や姪も加わりが集まり仏様の前で大宴会。更に甥や姪の子供たちが5人もいて、浴衣を着せてもらったりしてやはり大はしゃぎ。彼等にとってはお花市の屋台に行って金魚をすくったり、花火を買ってもらったりして楽しい夏休みの1日だった事だろう。

大人と言っても我が兄弟姉妹は皆祖父さんと婆さん、近況やら世間話の中で全員息災を確認しあって先ずは目出度しということか、子供世代の話題は、今はしゃぎまわっている子供たちの学校の事やら将来がやはり気になるようだ。我が家の子供と孫は参加していなかったのだが、我が娘宅は親も子も教育や将来について暢気すぎるのかなあ、と思いながら皆さんの話を聞いていた。

宴会の後は弟宅で泊めてもらい、翌13日朝食後八方スキー場の麓迄送ってもらう。昨日までは台風が来ていたので兄弟姉妹も心配してくれていたが、幸い台風は北海道沖に抜けて雨は上がっていた。しかし台風一過の秋の空を期待したものの、そうは問屋がおろさず、未だ低気圧が居座っているようで若干曇り模様。

八方スキー場山麓のゴンドラ乗り場を9:10にスタート。ここは標高750m、ここからゴンドラとリフト2基を乗り継ぐと一気に1850mの高みに運んでくれる。本場ヨーロッパのアルプスに行った事はないが、足元の草花などを見ていると何ともゴージャスな気分だ。八方峰でリフトを降りると、びっくりするような人混み。お盆の夏休みは山が空くと聞いていたのだが大違い。山頂に向かう道は人がびっしりと連なっている。

殆どが家族連れで、随分小さな子供を連れた人や足元など随分と軽装な人が多い。唐松岳はゴンドラやリフトが利用できるので北アルプスの中では登りやすいとは聞いていたが、これほどまでに大衆化しているとは思わなかった。確かに登山道は程良い傾斜で木道が整備されている。内心半分がっかりで、半分これで山頂に行けるならそれも結構な事だと複雑な気分だったのも事実。しかし未だ雪渓の残る白馬方面の景観を眺める事を楽しむことにした。

リフトを降りて1時間ほどで八方池、ここが日帰りハイキングコースの終着のようで、ここから先は歩く人の数がぐっと少なくなって山歩きの気分が出てくる。ぴかぴかの天気でない分だけ却って歩きやすいのかもしれない。ところどころ雪渓の残っている場所が休憩地の趣きで、人が固まって休んでいる。その中に1人で入っていくのも気が進まず、12時少し前に見晴らしの良い少し開けた道端で、麓で買って用意してきた弁当の握り飯を1個だけ食べる。

腹ごしらえを終えて12時に山荘に到着。チェックインをする。部屋は離れの北館で、ブースには先客のザックが1個置いてあるだけ。でもこれから何人詰め込まれるのか少し心配。取敢えず山頂に行かない事にはと、サブザックに昼飯の残りと飲料や、雨具だけを詰めて出発。

12:20山頂、遠く白馬三山から剣、立山連峰迄の眺望には疲れが吹っ飛ぶ。近くは白馬鑓に向かう不帰のキレット、歩く人がゴマ粒のように見える。ご苦労な事だ、こっちは決して行かないと決めているので気楽なものだ。振り向くと明日登る五龍岳がそそり立っている。こっちも結構な登りだなとおもったり。山の思いは様々、毒にも薬にもならない空想がどんどん広がって楽しいものだ。

それにしても下界の暑さが嘘のよう、むしろ身震いするような寒さだ。温かい飲み物が欲しいが荷物が重くなるのでバーナーも持参していない。雨合羽を着こんで岩陰に腰をおろして、冷たい水を飲みながら弁当の残りを食べ始める。と、隣に座った青年がおもむろにバーナーに火をつけカレーを温め始める。アルプスを歩くならテント迄は持たなくてもバーナーぐらいは持参すべきだ。猿と一緒でいつも反省だけはするのだが、どうしても荷物の軽量化が優先されてしまう。

この元気な青年に、持ち帰りごみにしようと思った弁当のフライを差し入れたところ、受け入れてもらう事が出来て大感謝、話しが弾む。長野からの兄弟登山で明日は不帰のキレットとの事。合羽を着ていても寒いので「山荘で又」と言って一足先に下山。夕飯には相当時間があるので、本館食堂に行ってビールを飲んだ帰りに、又この青年にばったり再会。部屋を聞かれて北館です、と答えると、「800円余分に払えば本館に移動してくれますよ」と教えてもらった。早速チェックインの変更を依頼すると、又この青年と相部屋になった。

北館は中央の廊下を挟んで両側に端から端まで布団が敷き詰められているだけなのに、本館は廊下を挟んで小部屋が並んでいる。小部屋は左右に上下二段の寝床部屋になってカーテンがついている。それこそお盆で空いていたのかもしれないが、我々の部屋は青年兄弟と私と大阪から来たおじさんの4人だけ。掛け布団が6枚あったので、兎に角楽々だった。明日、青年兄弟は4時半起きで不帰のキレットへ、大阪のおじさんは五龍を超えてキレット小屋までの予定との事。天気予報は余り良くない。こちらは雨だったら五龍は登らずまっすぐ下山と決めて早々に就寝。

明けて14日、4時半に起きると未だ真っ暗で雨が降っている。天気予報を確認すると、黒部地方午前中は40%午後80%の雨だそうだ。迷わず下山を決定、朝食5:10で予約していたので、これを済まして6時半前に出発、雨風に加えて霧のため何も見えない。足元が悪い上、雨が多かったので側面からの落石が怖い(足元に新しい岩が転がっているのだが、フードをすっぽり被っているので音を拾いにくい)。幸い天泊していたベテランの人が一緒になり、その人に教えてもらった。この人のリードで無事下山。

スキー場の麓にある八方温泉に行くと、10時からの営業との事。15分程温泉の前で合羽やストック等整理をして、一番風呂に飛び込んで汗を流す。10:40発のバスで長野駅に12時に到着、1時の新幹線で3時には東京着。1日早い帰宅で婆さんには済まなかったが、写真を見て「でも晴れている時に山頂に立てて、良かったではないですか。」と喜んでもらえた。

今日15日になってもふくらはぎの張りが残っている。地元の人からすると日帰り登山のコースらしいが、小生からすると日帰りコースを1泊して2日かけて歩くくらいが丁度良い塩梅にになってきたらしい。北アルプスの景観もたっぷり堪能したし、小屋は水洗トイレ付、食事も上等、雑魚寝無しで、相部屋の人もよかったし、お盆に良い命の洗濯をする事が出来た。

2010年8月11日水曜日

お盆モード

我が家周辺の朝夕人通りも影をひそめて、すっかりお盆モードである。こんな時期にわざとらしく働くのは却って如何なものかと思ったりもしている。従って明日からは故郷長野に帰って、久し振りに仏様にお参りをしたり兄弟とゆっくり話をして来る予定だ。序に天気が良ければ山にも行って命の洗濯もしてきたい。盆と年末年始のお休みモードは日本独特なものかもしれない。帰省する人間はその往復の旅程を考えれば、肉体的にも経済的にもそんなに休んだという気分にはならない場合もあるだろう。

小生も明日帰省のバスは予約が出来ているものの、道路状況によっては結構疲れるかもしれない。まして予定が決まっていない帰りは何で帰るにせよ、相当な覚悟をしている。しかしどんな苦労があるにせよ、遠くに住む家族が顔を合わせる事は何物にも代えがたい。特に1年ぶり半年ぶりに孫の顔を見る年寄りの喜びは如何ばかりだろう。

交通機関が渋滞するこの時期について「バカンスが無い日本」とやや否定的な意味の論評を耳にするが、外国人が言うのは兎も角、これが日本人の原点なのだから日本人自身が言うのは止めてもらいたい。日本からこの習慣が失われれば、老人の孤独死はもっともっと増えるに違いない。実は旧盆の迎え火が何日かも正確には知らないのだが、義姉さんが明日の夕方集まるようにと声をかけてくれたので帰京することにした次第。

考えてみれば義姉さんも一人住まい、ご本人がぴんぴんしているし兄弟が長野にかたまって住んでいるので心配はないが、かなり広い家に住んでいらっしゃる。我々同世代人にとって社会に出た頃は家を持つのが、人生の大きな目的の一つだった。しかしこれからは二人の娘と甥や姪の事を考えても、間違いなく家は余ってくる筈だ。一昔前までは新築着工件数なる指標が経済の動向を表していたが、社会全体で世帯は増えない、家は要らないと言う事になるとどういう事になるのだろう?

自家用車も当然絶対数は減って当たり前、先月はスマートフォンのお陰で携帯電話の売り上げが伸びたと大騒ぎしても多寡がしれている。経済は確かに大変だろうが、せめてお盆くらい盛大に預金をはたいて親孝行したり孫の子守をしてはどうだろう。何て言っても、日本の預貯金残高は増える一方で困っている(誰が?と聞かれそうだが、金融機関らしい)のだそうだ。

明日から4日間は日記も止めてゆっくりします。

2010年8月10日火曜日

読後感1「ロング・グッドバイ」レイモンド・チャンドラー著 村上春樹・訳
読後感2「ファイナル・カントリー」ジェイムズ・クラムリー著 小鷹信光・訳

暑さに参っている訳でもないが、軽い読み物をを読みたくなって、図書館からアメリカの探偵小説を2冊借りてきた。

1.昔聞いたか見たようなタイトルだと思ったら、著者は1888年生まれで、作品は1953年に書かれ、日本語訳出版(清水俊二訳)が1958年とあるから立派な古典である。しかも、本書は2007年7月に出版されているが訳者がノーベル賞候補ともされる大作家の村上春樹氏である。村上氏は後書でこの翻訳を非常に喜んで受けたと書き、彼自身高校生ぐらいの時からこの小説を繰り返し読んで、少なからずの影響を受けていると告白している。

小生も一時は早川書房のあの独特の版形のミステリを読み漁っていた時代があるので、著者の名前やタイトルぐらいは知っていて当然かもしれない。読んでいるうちに主人公のフィリップ・マーローなる探偵の名前も聞いた事があるな、と思い始めたが、内容は勿論新鮮で楽しく読む事が出来た。

ロスに事務所を構える孤独で貧乏ではあるがタフな私立探偵が主人公、あるホテルの玄関先で変な酔っ払い男を介抱する事になって物語が始まり、上流社会の殺人事件に巻き込まれてしまう。しがない暮らしの探偵稼業だが妙に正義感があるので、「関わるな」と外野から言われると金にもならないのに、一寸知り合っただけの男との友情で深みにはまっていく。

登場してくるのはロスの億万長者やセレブ達だけではなくて、ギャングに警察、新聞記者に、料金次第でどんな事でも調べてしまう調査機関だったり、セレブのに奉仕する怪しげな使用人と手の込んだ道具立てになっていてミステリとしても十分な読み応えになっている。半世紀以上前の作品でも流石アメリカ、日本ではこういった格好いい小説は書けないだろう。

一言付言するなら、つい1年ほど前だったか村上春樹氏の本を初めて読んだ。(「IQ84」を2巻まで)思い出してみると、成程この本の影響を受けている事が分かったような気がする。

2.こちらは1939年生まれで2002年の作品だから前者に比べれば現代的な作品とも言えるが、主人公の探偵さんが朝鮮戦争時代の事を語ったりしているので、作者の歳が分かる。日本にはこういった類の探偵は存在しないと思うが、アメリカには海兵隊上がりで、殴り合いや拳銃の扱いに長けて本当にタフでなければ勤まらない職業が実際に存在するのだろう。

こちらの探偵も正に絵にかいたような海兵隊上がりのタフガイで、モンタナ出身であり、故郷に帰りたいと思いながらも、テキサスで私立探偵の資格を取って私立探偵を開業している。これには訳があり、親から遺産で受け取った金にやばい金(麻薬がらみ)があり、こを洗浄する必要に迫られてテキサスで酒場を経営を始めているからだ。ここら辺は日本人には想像もつかない話だから面白い。

この探偵さんが半端仕事と称する失踪人(逃げた人妻)調査でテキサスのあるバーに行った事から、バーでギャングのお礼参りみたい殺人を目撃して話が始まる。上記「ロング・グッドバイ」はロスが舞台だがこちらはテキサスやラスベガスのあるネバタ州が舞台、警官の粗っぽさは似たようなものだが、こちらは登場人物全てが銃の使い手みたい印象がある。時代が新しいので若干IT技術に絡んだ話も出てくるが、基本はハードボイルド、アメリカ版チャンバラで、こちらも結構楽しめた。

2010年8月9日月曜日

健康管理

昨日の日曜日、久し振りに小学校6年生の孫の付き添いで「ピカチュウ」なる漫画映画を見に行ったが、半分以上居眠りをしていたようで内容は殆ど分からなかった。帰りにこれまたタイトルを記憶できないプレイステーションのゲームソフトを探し回ってあちこちの店を駆け巡り、4軒目の店(池袋のビックカメラ)の6階でやっと探し当てる事が出来た。孫は、自分の小遣いで買うのだから今日買わなくても良いよ、と言っていたが「遠慮をするな」と言って買ってやった。

今日来なかった一つ年上の兄にも何か買ってやらなければと思ったが、兄の方はもうゲームなんかくだらないと言ってやらないそうだ。上の子には暫く会っていないが、中学生になって遊びや趣味も変わってきているのだろう。子供の時はとにかく色々な遊びをした方が良いと思っているので、それはそれで結構な事だ。ともあれ孫の子守だけでは運動不足になると心配したが、デパート並みの大型電気店4軒を梯子したので8000歩以上歩く事になり良い運動になった。

話が変わるが、今朝、久しく音信が途絶えていた最初の会社勤めの後輩と電話で話をする事が出来た。年賀状を書く習慣の無い男で、数年前に移転したのは知っていたのだが、移転先を聞き洩らしたか管理ミスで失くしたかだ。何れにせよ4,5年連絡がつかずに困っていたところ、現在その会社の社長をその又後輩がしていたので電話番号を調べてもらった。

電話に出たのは紛れもない聞き慣れた声ではあったが妙に元気が無い。元々生活に困る筈の無い男だったので不審に思ったのだが、なんと今年の4月脳梗塞で倒れてリハビリ中との事。びっくりはしたが、後輩と言っても僅か3年だけだから67歳。4年も5年も会わないでいれば何が起きても不思議はない年齢でもある。しかし、学生時代から体育会系のスポーツマンで、早くにリタイアして悠々自適というかゴルフ三昧の羨ましいような生活をしていた筈である。ご両親も昨年亡くなられたそうだが、共に90歳を超える大往生の家系だそうだ。

親しい友人のこのような情報に接すると我が身もつまされる。両親が長生きであったから自分も同様、と言う訳には簡単に参りそうにない。電話で彼も言ったが、「リハビリは勿論だが、自分の体力保持や健康は自分で何とかしないといけない。」のだろう。

改めて自分の事に置き替えて考えてみた。70歳まで生きれば後はやりたい放題好き勝手に生きればいいだろう、が一つの哲学。実は母がそうで、親父より長生きをして確か93歳まで生きた。しかしこちとらは親父似で、出来るだけ死ぬまで自己管理をきちんとしたいと思っている。親父は非常に几帳面な性格で、最晩年は知らないが毎日規則正しい生活をしていた事を記憶している。小生が親元にいた頃は、毎朝洗顔と冷水摩擦をして、庭先で太陽が昇る東に向かって手を合わせてお祈りをした後、ラジオ体操のような事をしていた。

スポーツらしきことは何もしなかったが、家事ではよく母を助けたと思う。特に毎朝の食事前に、子供たちにも手伝わせたが、率先して全室と庭や玄関先まで綺麗に掃き清めるのを習慣にしていた。また、余暇は園芸で、若い時は庭先に花や簡単な野菜を栽培していた。役所をリタイアした直後は150坪程の畑を耕して野菜を作っていた時代もある。生涯車の運転はしなかったので勤務先の往復は常に徒歩であった。これらがスポーツ代わりの運動になっていたのだろうと勝手に解釈している。

これを見習おうと思ってはいるが、親父をそっくり真似る事はとても出来ない。
まして毎日の事だから、難しい事をせずに出来るだけ健康に良いことを心がけたい。健康・体力維持は1に栄養補給2に運動3が休養で、これが常にバランスよく保たれることが必要だ。2と3は自分で何とかなるが、肝心の1はどうしても家人の協力無しにはどうしようもない。先日も区の老人健診を受けた時にお医者さんがクレアチニンや尿酸値が良くなっているのを見て、「腎機能が良くなってきていますが、食事制限をしているのですか?」と聞いてきた。「ハイ、大学の腎専門医のご指導でやっています。」と答えたら感心していた。

真っ赤なウソである。愉快だったし、婆さんに話したら嬉しそうな顔をして笑っていた。

2010年8月6日金曜日

行旅不明者

「行旅死亡」昨日までこんな言葉があると知っていた人は何人いるのだろうか。行き倒れで身元の分からない人の事らしい。行方不明超高齢者の中にはこうなっている可能性もあるとの事。その事はさておき、年寄りが行方不明になっても知らぬ顔をしている家族が多い事には驚いた。豊島区に住んでいるので、池袋の西口公園をねぐらにしているホームレスは見慣れた存在だ。当然相当な高齢と見受ける人もいる。

ホームレスばかりではなく、東京の山谷とか大阪の釜ヶ崎のドヤ街には偽名変名で暮らす人が多い事もよく聞く話だ。こういう人たちも日本国籍があれば当然何処かに住民登録はされている筈で、家族や親族が存在しない筈は無い。家族側からすると行方不明者になるのだろうが、住民登録なんかの扱いはどうなっているのだろうか?国勢調査が5年に1度は行われているが行旅不明者の統計ってあるのだろうか、全国的に見ればかなりの数になる筈だ。

今まで他人事として考えてもみなかったが、高齢者の行方不明事件や、育児放棄事件の報道を見ていると、親子とか家族の人間関係の崩壊と言う根本問題は取敢えず別に置いて、現代のお役所仕事について考える必要がある。たまたま先月30日の日記で、社会保険の件で国民総背番号制の統一について書いた。一つはこれである。現代の役所は個人情報にシュリンクしすぎるのではないか。日本では身分証明に運転免許証かパスポート又は健康保険証の提示を求めるのが常態化しているが、3件とも持っていない人もいるだろう。

生まれた時から割り振られた唯一の番号ですぐ住民登録が照合できるのがベストだと思う。もう一つは自治体警察の役割である。外国人なんかが増えて、刑務所への収容が間に合わない程犯罪も増えているようではあるが、交番の縮小にみられるように警察と地域住民の繋がりが年々希薄になっているのが事実だろう。ヤクザの居る明るい街を、と唱えた作家もいたが、地廻りの親分も居なくなってしまった。婆さんが言うには、隣組と言えどもお祭りの寄付や赤い羽根募金の500円を集めることさえ難しい世の中らしい。

お巡りさんはせめて1年に1回程度は、担当の家庭を全て回って家族について確認すべきだ。そしてその情報を自治体の厚生担当者と突き合わせるシステムの構築こそが大事ではなかろうか。パソコンの出現で世の中が随分と変化し、警察を含め全ての役所は部署ごとに報告と記録が全てデータ化されているに違いない。仕事の大部分がパソコンに入力と出力に取られてしまっているように思う。コンピュータのデータそのものに意味や力を求めるのは間違っている。

要はデータの使いよう、人間による問題点の抽出発見こそが意味を持つのだが、昨今の高級官僚政治家諸氏にはその辺が全く分かっていないように思う。

2010年8月5日木曜日

分かって言っているのだろうか「経済問題が最優先」

自分の財布については如何様な状況にあるか承知しているが、世の中やよそ様の話になると皆目分からない。メディアには円高不況、デフレ、不景気等の言葉が踊るが、本当に意味するところは何か良く分からない。記事を書いたり、解説している人達はどこまで理解出来ているのだろうか?普段感じている疑問を2点上げてみるので誰かに教えて頂きたい。

1.円高になれば輸出品の価格が高くなるので、輸出量がその分減る。この事は分かるが、輸入する時は反対に有利になるのだからイーブンではないだろうか。昨日も自動車メーカーの第1四半期決算が軒並み黒字になったが、円高で数百億円予想利益より下回ったとの発表があった。小生は会計を知らないからお気軽に言えるのかもしれないが、円換算して帳簿上は予想利益を下回っても、実態的にドルの決済を全て日本円に換金する訳でもあるまいから、円高の悪影響なんかそんなに無いのではと勘繰ってしまう。

そんな事より、不景気の掛け声の割には海外旅行が伸びている。背景には円高メリットが存在しているのは間違いない所だろう。こんなニュースを見ていると何をもって不景気と言うのか益々分からなくなる。

2.デフレもそうだ。賃金が過去10年くらい一貫して下がり続けているのも事実らしい。その影響で安物しか売れなくなって(牛丼や居酒屋の客単価が下がり続けて)、終には店じまいをするところが多くなって経済全体がおかしくなっている。みたい話が良く出てくる。

確かに我が家の近くでも飲食店が何軒も店仕舞いに追い込まれているのも事実だ。しかし賃金ベースが上がり基調になっても潰れる店は潰れる道理で、店の経営者は常に誰と何を競っているのかを自覚する必要がある。これは経済の問題と言うより競争原理によるものではなかろうか。学者はマクロでみればと言うが、問題はミクロを詳細に分析しないと判断を間違えたりする事もあろう。

国債の長期金利が下がっているなんて報道もあるが、今までに国債の長期金利ががる危険性については誰彼となく言っていたが、下がる危険があるなんて話は聞いた事が無い。政治家や経済学者のコメントは「あいつらも、なにも分かっていないのだ」と眉に唾して聞けばいいのだろうが、役所がもっともらしく発表する統計は気をつける必要がある。彼等は全て分かった上で、意図的に紛らわしい事を言って国民を欺いている可能性がある。

想像もつかないような巨大な数字を振りかざす彼等に掛かると、政治家は勿論なまじの学者なんか屁みたいものだろう。誰も世界経済や日本経済の実態なんか把握できないのだ。誰か特定の人間が自分に都合のいい事を言っていると勘ぐってしまう。200兆円を超す政府予算の話にしても同様だ。蓮舫議員はこれから特別会計の事業仕分けをすると張り切っているが、官僚に誤魔化されないように頑張ってもらいたい。既に最大部分の国債整理基金特別会計約200兆円は経理的なもので手を着ける事が出来ない、なんて牽制が盛んに報道されている。そのこと自体がとんでもないまやかしである事を暴く事が出来れば大したものだ。

2010年8月4日水曜日

東京の地下鉄統合 役人の論理

田舎の人には関係ないだろうが東京は公共交通網が発達していて、ある意味で非常に便利である。23区内に住んでいれば、自家用車を持つ必要は先ず無いように思う。しかし、この中で特に便利な地下鉄を運営している会社が2系列あるのが不思議な話だ。1社は国の旧特殊法人(営団地下鉄)、もう1社は都営である。自治体がの域内交通網を整備するのは義務のようなものだから、都営地下鉄があっても不思議はないし非難すべきではないかもしれない。

利用者の立場からすれば同じ地下鉄なのだから、1社で運営してもらった方が何かと便利には違いない。この両社の統合については数年前から東京都の方から国へ働きかけがあり、一昨日の報道によると両者の間で真剣に検討する事になった。とされているが、経営内容に大きな差があるため、実態としてはそうすんなりまとまる話ではなさそうだ。国が株の大半を持っている東京地下鉄の方がしっかりお金を貯め込んでいるので、経営内容の差をあげつらって「はい、分かりました。」と言わないらしい。

昨日衆議院の予算委員会席上、みんなの党の江田憲二氏が「盗人猛々しい」と品の無い発言をしたのを聞いてがっかりしたのだが、東京メトロにはこの「盗人猛々しい」がピッタリのようだ。何故ならば、東京メトロは元々国の特殊法人で元手は全て公金から支出され、利益なんか貯め込む必要が無かった筈だ。それが俄かに株式会社になって優良企業に収まっている事自体おかしいではないか。既に民間の1企業だから事業仕分けの対象にはならないのだろうが、きっと天下りの温床であったに違いない。

如何にも民間の事業のような顔をしているが、役人の縄張り争いが衣の下に透けて見える。初めて上京した頃は、地下鉄と言えば渋谷ー浅草と池袋―新宿しか無かった。料金は20円均一だったような記憶がある。代わりに地上はあらゆる道路に路面電車が走り、道が汚く危険であったのも事実だ。あの頃を思えば東京は本当に便利にもなったし、道路も美しく立派になった。こうなるまでには国であれ東京都であれ官僚たちの努力があった事は否定しない。しかしそろそろ官僚諸氏も自分の組織を守る事を止めて、大所高所から国民都民の利便を考えてほしいものだ。

2010年8月3日火曜日

不良老人の茶飲み話

結構な暑さが戻ってきました。併せて足の怪我も大分回復して、階段の上り下りもさしたる違和感がを感じずに出来るようになりました。今日は昼に竹橋まで行く用事がありましたので、帰りに皇居の外周を半蔵門まで歩いてみました。平日午後の3時頃ですから、流石に名物のランナーにも殆ど出くわすことなく、蝉しぐれを一人で聞きながら日照りと木陰の涼風を交互に味わってきました。ところどころに立っているお巡りさんに「ご苦労な事ですね」と目で語りかけると、相手も軽く頷いていたような気がします。

毎日このように歩く事を趣味にしていますので、事務所に下着のランニングシャツの着替えを用意しています。お巡りさんたちの下着はどうなっているのか心配になります。最近は山登りの装備として、下着なんかも速乾性のものが多く出回っていますが、こういった類の物は値段が高いのが欠点です。下着に凝る年代でもないので、愛用のランニングシャツなんかはどうせ1枚100円とか200円とかの世界でしょう。しかもそれを何年も着ているのですから、男の衣装代は安いものです。

下らない事を書きましたが、先ほど友人と話した事が頭に残っていたせいです。ビートタケシが若い人に言った話に「例え貧乏していても、たまには無理をして、高級な飯を食ったりお洒落をしてみろ。そのような努力が無いと貧乏を脱却して一人前の人間になれないぞ。」があるそうです。これを受けて友人が「我々若い時は皆貧乏だったが、時には随分と背伸びをして遊んだものだな。」と述懐していました。更に加えて「特に就職してからは、会社に交際費と言う便利なものもあったしな。」です。

確かにそうでしょう。若い社員でも先輩の腰巾着で毎晩遊びまわる事が出来たのは、先輩が交際費なる魔法のお財布を持っていたからに他なりません。長じて我々も大いに活用させて頂きました。芸能人であれば芸の肥やしでしょうが、サラリーマンの我々には何だったのでしょうか?少なくとも営業の肥やしには余りなっていないような気がします。しかしタケシさんが言うように、自分の成長に関してある種の肥料になっていた可能性はあります。

こんな事を考えると、現代の企業は税制面でも交際費が経費として認められず可哀そうなものです。先日から遊ぶ話ばかり書いているようですが、「遊び」は個人のみならず社会、経済の活性化に必要不可欠な条件だと思います。今の政治家の面々を見ていると、お勉強が出来たかどうか知りませんが、どう見ても「遊び」の達人みたい匂いを感じるが人いません。社員旅行や交際費を利益参入させる事で延びた税収と、その事で廃業の止む無きに至った旅館や飲食店と、その分減収になった税金の比較は出来ない筈です。

小難しい計算と理屈で景気を回復できるなら良いのですが、どうも社会が暗くなる一方のようにも感じます。このまま行くと結局は、景気回復は「戦争」しかなくなるのではとも心配します。何歳になっても不真面目な事ばかり考えている我々ですが、沖縄の問題解決には「沖縄に限ってカジノを許可して産業育成しかないだろう」との結論になりました。誰かも言っていたような気がしますが、慎太郎都知事が東京にカジノをなんて言い出したので、却って話が遠くなった気がします。石原兄弟も弟の裕次郎はかなりの遊び人だったと思いますが、兄はやはりお利口さんでのようですね。

2010年8月2日月曜日

読後感「坊ちゃん」 夏目漱石 著

幼い頃に読んでストーリーは分かっている心算でいたが、全く何も覚えていなかった。それにしても新鮮で胸がすく面白さだ。図書館で読んできたのだが笑いを堪えるのに一苦労だった。主人公は東京育ちで二人兄弟の次男坊、中学卒業時に両親を亡くし、優秀な兄の計らいで家を売り、売った金の半分(600円)を貰ってなんとなく理科学校(3年制)に進学。卒業して、これもなんとなく四国松山の中学校に数学教師として赴任。

この辺はなんとなく知っていたつもりだが、漱石の人物描写は素晴らしい。子供の頃から度胸は無いが、思いきりが良い。この事はすごい矛盾があるようだが小生には非常によく分かる。故に校舎2階の窓から飛び降りて大けがをしたり、ナイフを見せびらかしているうちに「切れるかどうか切ってみろ」と唆されて、自分で手を切って見せたりする。男の子の心理を実に的確にとらえていると思うが、時代が変わった今ではそうは思わないのだろうか。

何れにしても江戸っ子20代前半の信任教師がど田舎に行って、町の人たちや学校の同僚教師、更にはいたずら盛りの悪ガキ生徒達との間で惹き起すもめごとの連続。正に都会と田舎のカルチャーギャップに加えて、青年の純粋さと壮年の嫌らしさの相克。誰からも愛されていないと勝手に孤独に陥り、少し斜に構えるこの世代特有の心理、これなんぞは正に明治でも現代でも共通の心理ではないだろうか。

それ故に在任わずか数カ月で、教え子の集団と師範学校の生徒の集団との喧嘩騒ぎに巻き込まれる。仲裁に入るのだが、ぼこぼこにされた揚げ句に駆け付けた警官に、上司の主任教授と主人公の二人だけが逮捕されてしまう。更にそれを地場の新聞に悪意ある報道をされてしまう。この辺も現代の報道と同じで、一度報道されてしまうと訂正がなかなか効かない。学校の幹部教授も口先とは裏腹で、本人の名誉回復に真剣ではないのだ。

結局はこんな田舎に未練は無いと決心、自分をを貶めた教頭ともう一人の先輩の芸者買いの現場を押さえて叩きのめし、校長宛の辞表を郵送して四国を去ると言うお話。結末は、東京に帰って給料が遥かに安い市電かなにかの技師に収まる事で終わっている。些かおっちょこちょいのきらいもあり、あまり利口に世渡りが出来ないかもしれないが、純真である意味では男らしくもあり、青年らしい爽やかな痛快さを感じる事が出来る。

時代は変わっても青年の目から見た大人社会は似たようなものだろう。人間関係は、現代の若者が社会に出て会社勤めなんかをした場合に遭遇するものと全く同じではなかろうか。特に最初は嫌な奴と思っていた数学の主任教師が、最終的には坊ちゃんの味方になり一緒に学校を去る事なんかは実にドラマティックでもある。

著者が明治年間にこんな面白い小説を書いていたとは、漱石というペンネームや他の小説のタイトル「吾輩は猫である」からしても、かなりのユーモアセンスを持ち合わせていたのだろうと改めて感心した。もう何度も映画化されているのかもしれないが、映画にしたら受けるだろう。