2010年8月26日木曜日

官僚天国

旧盆も過ぎて子供たちの夏休みも終わろうと言う頃になっているのに、政権与党ではお化けが出た。と多くの人が思っているのではなかろうか。結局昨今の政治家はどれをとっても勉強不足、信念不足、廉恥心不足、情も熱も不足、指導力不足。全て無い無いづくしだ。幸か不幸か軍隊が無いから良いようなもので、クーデターが起きても不思議はない。クーデターが頻発する東南アジア諸国の政治家の方が未だ少しましに見える。

我が家では、議員定数は半分でいいとか参議院は不要だとかしょっちゅう話をしているが、政治家の存在意義は何だろう?ここで言っているのは国会議員の話だが、地方議員も合計すると政党助成金や選挙費用も含め莫大な税金が投入されている事は間違いあるまい。議員さんも人の子だから、休みを取ってはいけない、とまでは言わないが、福島県矢祭町の議員さんのように日当ベースであるべきかもしれない。兎に角国民(少なくとも小生)の側から見ると、我々のためには働いていないなぁ、の感は否めない。

これで喜んでいるのは間違いなく官僚たちだろう。もう政治家には期待できないので、改めて官僚について考えてみた。最近の戸籍問題に見られる通り、役人は元々自分の縄張りの中で悠々と威張って暮らし、横と連絡を密にして社会全体に対する多面的な責任を果たすという意識は毛頭ないようだ。魚に例えればヒラメのように上だけを見て、只管直属の上司に対する報告の辻褄あわせのみに汲々しているだけだ。

役人のトップに位置するのが各省庁の政府3役と大臣だ。政権交代によって、古狸の官僚たちにも一時は若干の緊張感は走ったかもしれぬが、約1年を経過してものの見事に政府高官を掌の中に取り込んでしまったようだ。この頃では自民党あたりの連中より初心な分だけ扱いやすい、とほくそ笑んでいるのだろう。総理大臣の緊張感に欠ける顔は勿論だが、どの大臣も最近の会見を見る限り、全て役人に振りつけられた原稿で喋っているのが見え見えだ。

まして、今回の民主党の騒動を見ると党分裂の可能性も十分に考えられるので、各大臣政務官も首筋が冷や冷やして、重大な意思決定が出来る筈も無い。官僚共はその辺をすっかり見越して面従腹背、やりたい放題だろうな。この事態は誰に責任があるわけでもない。今年の酷暑と同じ、自然の成り行きと諦めるしかないだろう。それにしても、経済政策なんてものは世界各国と密接な連携が必要らしいが、日本の官僚当局はどの程度連携が取れているのだろうか?好き嫌いは別にしてミスター円と言われた榊原英資氏なんかはそれなりの存在感があった。財金分離の現在 財務省には国際金融局なんてものも無くなっているらしい。

一昔前までは榊原氏以外にも政治家以上の存在感を持つ官僚がいたように思う。それが行政改革の美名のもと姿を消しつつあるようだ。大臣が酔っ払い会見をしても恬として恥じない役所が、官庁の中の官庁と威張っているようでは人材も入ってこないだろう。官僚の首を切ったり給料を下げるのも結構だが、政治家に期待できないとなると官僚の質の低下を考え直さないと困るかもしれない。同時に考えるのは前にも書いたが、省庁の再々編と国民総背番号制の導入だ。税金にせよ保険料にせよ国家と個人の金のやり取りは全て1官庁に集約すべきだろう。現在でも税務署は各家庭の人員構成や収支を実に正確に掌握しているように思う。ここでカウントされない人間が戸籍に乗っていること自体おかしいではないか。こう思うのは給与生活者であった故だろうか?

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