2012年2月28日火曜日

いろは匂えど散りぬるを

婿さんの会社が半導体関係なのでびっくりした。エルピーダメモリ、国内唯一の半導体メーカーらしい。半導体なるものの意味も分からないくちだが、これが現代の機械類には大量に使用されていて、産業の米との譬えられパソコンから携帯、自動車に至るまでこれ無しには成り立たない筈ぐらいの知識は持ち合わせている。国内に競争相手がいないのだから引く手あまたの売り手市場かと思えば、とんでもない思い違いだったらしい。

振り返れば高校または大学を卒業する頃、我が国は高度成長の入り口にあった。即ち「ものづくり」産業成長の真只中で、多くの友人が学業的には理系を目指し、卒業してはメーカーに就職する割合が高かった筈である。当時は産業構造が1次から3次に分類されるのが普通で、1次は農水産業、2次は製造業、3次がサービス業だったように記憶している。田舎とは言え県庁所在地の県立高校だったので、1次志望は皆無に近く、家業を継ぐことなっている人以外、殆どが2次志望で3次志望(官庁系は別)は少なかった筈だ。

当時製造業で華やかに見えたのはカメラメーカーだった。終戦僅か10年ちょっとにして海外に進出していたのはオリンパスやヤシカだったと記憶する。ヤシカが記憶に鮮明なのは特別の理由がある、昭和38年(1962年)大学卒業に当たり、人並みにメーカーに就職を希望した。受験させてもらえた企業は信越化学とヤシカ、何れも地元に縁があった。先ず信越化学は筆記が難しくてとても無理だと思ったし、新潟勤務の可能性が高そうなので気も進まなかった。

ヤシカは父の口添えがあり英語の面接だけだったので、格好いい会社と思って気持ちとしてはとても入りたかった。しかし父のところに、高卒と同じ扱いでよければ採用、との連絡があったが父が言下に断ったと聞いてがっかりした事を今でも鮮明に記憶している。その後精密機械関連は日本成長のシンボルみたいになって、光学機械や時計産業がヨーロッパの高級品を凌いで花形になっていった。

こうして製造業への就職は夢破れ、本意ではなかったが第3次産業を目指して数社の試験を受けるが何れも落第。かくして4年生の秋もかなり遅くなって、結局創業4年目の零細広告代理店に入社せざるを得なかった。しかし今にして思えば、あの時ヤシカに就職できていたらと思うとゾッとする。その後の半世紀の間で数多くの倒産劇を見てきた。会社更生法で再建されても社員は余りハッピーになれそうにない。

人生て奴は本当に不思議なものだ。どんなに偉い人にも、行く末に待つ巡りあわせなんか分かりはしない。エルピーダメモリの社員、オリンパスの社員、東電の社員、日本航空の社員、一寸遡れば山一證券の社員。皆入社した時は嬉しかったに違いあるまい。それがこんな巡りあわせになる。しかし他人事ではない。トヨタだってパナソニックだって同じだ。半世紀前と異なり、商圏が地球規模に拡大した今、商社なんかの第3次産業が花形に見えるが、これとていつまで続くことやらだ。

2012年2月27日月曜日

みんな元気だなぁ

中学校の同窓会幹事をしている。年1回の開催だがこれまでは何となく新年会の気分で開催してきた。年のせいか今年の冬が例年になく寒く感じたせいか気が乗らず、今年は気候が良くなりそうな4月7日に設定して案内を出した。
返事が集まりだして感心するのは、やはり季節が良くなるのを見越してだと思うが、海外旅行するので今年は欠席との返事が2通も来ていることだ。季節が良いから海外に行くとの返信を受けて考えた。

昨日、JR東日本からジパング倶楽部(高齢者割引の会員)PR月刊誌が届いた。陽春の旅行案内が満載である。既に観光旅行への興味は失っているので見る気はしないが、代わりに婆さんがぱらぱらと見て主だった内容を教えてくれる。『あなたのお母さんはこういうのを見て、そうだ長野では未だ桜が咲いていないので、「帰る前に久しぶりに吉野の桜でも見に行こう。荷物は長野に送っておいて。」とさっさと軽装で出ていく人だった。あなたも多分に血を受け継いでしるし、長女もそうみたい。』

「私はそういう人の気持ちが全く分からない。」と言うわけだ。確かに婆さんは自宅でのんびりする事が唯一の趣味で、出かけるのは嫌い、飛行機には生まれてこの方乗ったこともないし、今後乗るつもりも全く無いと断言している。婆さんに比べれば、出歩くことはむしろ好きかもしれないが、海外迄足を延ばす元気はとても湧かなくなってしまった。現役時代には正月休みに、急にボストンに甥っ子がいる事を思い出し、思い立ってボストン・ニューヨークへと旅行したことがあった。

御用納めの日に思い付き、旅行会社勤務の友人に頼み込んだら、日本の航空会社はもう休みに入って航空券を発行できないとの事。そこを何とかと重ねて頼み込み、年末28日の夕方にアメリカンかどこかのカウンターに航空券を取りに行った事を思い出している。この辺までは母の血を受け継いでいたのだろうが、今は全く駄目だ。旅行と言えば専ら近くの山歩きと精々スキー程度で、海外旅行はここ10年くらい考えたことがなかった。

欠席を通知してきた友人の一人は、元会社の同僚と韓国旅行、もう一人はマレーシアのキナバル山に山登りだそうだ。特に後者の彼は一度出席の通知を貰っていたので、急に決まったらしい。これを聞いてわが積極心に火が付いたり、スイッチが入った訳でもないが、得意としていた「急に決める」芸風を友人に奪われた心境は複雑である。最近は何事も慎重で、今日は今度の土曜日に乗る長野行新幹線の乗車券を買いに行ってきた。ジパング倶楽部の3割引で往復11,140円也。海外旅行をしたと思えば月に一度行っても安い、と思ってしまう情けなさ。

フルマラソンを未だに走る同級生もいるし、最近何事も考えがチマチマしていかん!もっと堂々と生きないといかんと思えどもだ。

2012年2月25日土曜日

補助線発見

東京にいて毎日のように大阪市長の顔を見るのもどうかと思うが、今週はテレビで自民党前総理森、麻生、安倍と3人立て続けに見る事になった。どの番組も中途半端な見方しかしていないのでどうでもいいかもしれない。民主党の鳩山、菅氏は余りテレビで取り上げないし、その方が良いと思う。むしろこういう方々は早く引退して、教えを乞うてくる人がいたら教える立場に立つのが一番だ。

森さんは流石にもう引退かと思っていたが、石川県出身の整体の先生が言うには、北陸新幹線開通までは頑張ると仰っているらしい。先日自民党顧問会議か何かで、谷垣総裁のポスターにいちゃもんを付けているシーンが何度も流されたが、賢そうに見えるから不思議なものだ。今朝の日本テレビ系列で大阪発の「ウェークアップ」に出演した安倍氏は、司会の辛坊治郎が、再度の登板がありますかと馬鹿な質問をぶつけると、嬉しそうな顔をして否定しない。全く何を考えているのやら。

この番組の中で女性のコメンテーター(名前は失念、確か作家だったような気がする)が「政治家の皆さんの目標は、与野党と立場は違っても、国を少しでも良くすると言う事では共通しているのでは?」と疑問を投げかけていた。婆さんと一緒に見ていたのだが、思わず二人が同時に「その通り!」と声を出してしまった。考えてみればごく当たり前の事だが、政治家にはその当たり前のマインドがない事に気が付いた。与党の立場になれば、余りあからさまに己の田に水を引くことは出来ぬかもしれぬ。

しかし一旦野党となると、政権党の政策が国民のためになっては困るのだろう。兎に角政治を混乱させ、国民を不幸に追い込むことで自分の出番が回ってくると信じてきっているに違いない。政治に関するブログを大分書きながら、どこかすっきりしない気持ちがあったが、今朝は目から鱗の思いだ。
即ち質問を発した女性とほぼ同じ思いを今まで持っていたが、これが余りにも幼稚で現実離れしていた事に気が付いてしまった。幾何の問題で苦労しても見つからなかった補助線が見つかった思いだ。

これで随分すっきりした。野党は国民の幸福なんか当面関係ないのだ。あらゆる手段を駆使して一刻も早く政権に復帰する。そこで初めて国民に対する奉仕が可能になるのだから仕方がるまい。と言う事らしい。それを党利党略と言うのだろうが、そう思い込んでいる限りはそれでやるしかないだろう。こちらは自民党員でもないのだから黙って見ているしかない。元総理の先生方がテレビ出演されると、与党の政策をケチョンケチョンに言う。

これも当然だろうが、その際の言葉遣いで「彼ら、彼ら」を連発するが、如何にも上から目線で品が無い。偶々一昨日図書館の帰り道自民党本部前を通った。黒塗りの車の出入りは全く無くて閑散としていたが、表に静岡ナンバーのバスが2台止まっていた。そのバスに静岡県自民党婦人部のおばさん達がぞろぞろと乗り込んでいった。本部の玄関からバスの乗車口までスーツ姿の男性が並び「どうもありがとうございました。またぜひお越しください。」と卑屈なくらい頭を下げていた。

テレビに出ている元総理の不遜な態度と、秘書連中の悲しい姿。落差が大きすぎる。

2012年2月24日金曜日

ピンピンころり

昨日、会社の同僚ではないが、現役時代の古い友人にご馳走になった。場所は赤坂のしゃれた小料理屋。赤坂での会食なんて何年振りか思い出せない。久し振りの事とて背広にネクタイ履き慣れない革靴なんぞに身を固め、いそいそと出かけた。朝激しく降っていた雨が上がり、春を思わせるいい陽気になったので、少し早めに出かけて赤坂を散歩してみた。現役時代都合30年近く過ごした街だが、流石に東京のど真ん中、変容が激しい。

半世紀前は、地下鉄赤坂見附から会社までには黒板塀に見越しの松といった風情の料理屋が軒を連ねる落ち着いた街であったが、今ではハングル文字の看板や焼き肉店がひしめく落ち着きのない街である。それでも1962年に社会人1年生としてくぐったビルがそのまま残っていたり、ぽつんぽつんと何度か通った経験がある料理屋とか、接待定番のお土産を買った菓子屋の看板を見つけたが、何となく喧噪の中でくすんでいる感がしないでもない。

そんな中で案内された店はひっそりとした小さな店で、表は目立たないが、中の作りは木目の綺麗なカウンターが1本、キャラの香が漂う落ち着い佇まい。カウンターの中は女性だけで、女将さんがすこぶる付の美人で、愛想と言うか感じがとてもよかった。料理は仕出しも混じるが結構な味で、熱燗に適したものを見繕ってもらったようだ。念のために確認すると、やはり地元の元芸者さん。

誘ってくれた友人とは40年近い付き合いになる。現役時代、互いの会社の交際費を使って遊び歩いたことをかすかに思い出した。互いにそれは忘却の彼方で微かに見え隠れしているにすぎぬ事なので、あまり多くは話し合わなかった。言わなくとも楽しい人生であったことは今日の邂逅で互いに納得しているのだろう。年を取ると、友との会話は孫の自慢と病気の事と言われるが、彼には子供がいないので前者の話は何もない。

後者についてもあまりしなかったが、彼が半ば冗談で言った言葉がやはり我々の立ち位置を表している。『ある時座右の銘を求められたので「ピンピンころりです」と言ったら怒られたよ。』成程、現役バリバリに近い彼らしいと思った。一方セミリタイアの小生は最近それは無理だろうし、ある日突然と言うのもなんだしなぁ、火勢が衰えて静かにフェイドアウトする方がいいかなと思い始めている。

何れにせよ互いに社会に出て丸50年、最近の友人と飲む機会が減っている事は互いに共通していた。しかしよくぞここまで来たものだ。こうして酒を酌み交わすのもあと何回出来るか分からないが、兎に角楽しいひと時であったのは間違いない。

2012年2月23日木曜日

見よ!この錚々たる顔ぶれ


仕事が一段落したので朝からテレビを見ていた。テレビ朝日の「モーニングバード」木曜日のレギュラーコメンテーターの玉川徹が持っている30分のコーナーで、沖縄問題を取り上げいた。今年になってから沖縄問題に関心を持つようになり、昨日読んだ本にも沖縄問題がかなり書かれていたので、興味深く見ることが出来た。この玉川さん、インタビューが得意で、話し方、突っ込みに一種独特の味を持っている。

以前から注目して、一度何か書きたいと思っていたところだ。フリーのタレントかと思っていたが、調べてみると局の人間らしい。もう50近い年齢でもあるので局内ではしかるべき役職にいて、自分のコーナーを丸ごと仕切っているのだろう。検索では「上から目線が気に入らない」と言うブログ1件上の方に引っかかってきたが、相対的に見れば人気度は高そうだ。

小生もどちらか言えば好きな方である。ユニークなキャラを持っているので、独立しても十分やっていけるのではなかろうか。余計なことでした。昨日読んだ本の著者元NHKの手嶋竜一氏に言わせると、日米安保の片務性、即ち日本が攻撃された時に米兵は銃を手にして戦うが、米国が攻撃された時に日本は戦いに駆け付けなくてもいい、その代りに基地を提供したり費用を負担している。

これを理解できていない民主党政権にオバマ政権は愛想を尽かして、沖縄の抑止力を低めている。てな見解を述べていたようだ。しかし今日の玉川氏の解釈は少し異なる。普天間に陣取る海兵隊そのものについてそもそも論だ。海兵隊とは敵地を攻撃するのを任務とする部隊で、防衛機能を持つものではない。言われてみればその通りで、沖縄に攻め込んできた強襲部隊が60年以上居座っていたにすぎないだけで、日本に対する攻撃への抑止とは関係ないかもしれない。

そして、米国における政府と議会の問題に触れる。前提として、日本では今度の米軍再編に絡み、普天間の辺野古沖への移転と海兵隊の分散を切り離す考えについて前者は切り離されてもマストであるべきとの声が大きい。しかし米国では、辺野古は無理ととっくに見切っている。特に議会(上院)の軍事委員会では与野党足並みをそろえて言っている事なので、政府側も辺野古に固執するいわれは全くない。日本では議会の一部による雑音程度との報道になっているが、全くの認識違いとの事。

アメリカが拘るのはお金が幾ら貰えるかであり、日本で辺野古に拘るのは政府よりむしろ長年これに携わっている官僚の面子故と断定した。そして最後に面白いフリップが提示された。この画面をキャプチャー出来ないので手製で復元して示したいのでよく見てください。余りに恥ずかしいので態と見えにくく作っています。笑

再認識できたのは初代防衛相が誕生したのは僅か5年前、今日まで既に防衛相は10代目になっている。官僚任せでなしに何が出来ると言うのか。政治のご粗末に寒々する。

2012年2月22日水曜日

読後感「ブラック・スワン降臨―9・11‐3・11インテリジェンス十年戦争」手嶋 龍一 著

著者は言わずと知れた、NHKワシントン総局長まで務めた著名なジャーナリスト。彼の小説は以前2冊読んでいるが、あまり面白くなかった。今度はフィクションではなく、ノンフィクションの形態である。と言ってもジャーナリストとしての矜持からだろうが、ノンフィクションとは言わず、どこまでも小説を装っている。本人は前書きも後書きも書いていないで、解説として別の人が書いていた。どこかの雑誌に連載した何年間分のコラムをまとめて1冊にしたものなので、インテリジェンス的には非常にリスキーとの事。

雑誌のコラムは、その時機に応じて知ったかぶりで書かなければならない宿命がある。当然間違った情報も発信せざるを得ない事を断っている。内容的には確か7章か8章に分かれ、小説的な脈絡は無い。第1章がオバマ大統領が盟友のパキスタンの裏をかいて、ビンラディン暗殺に至る決断について書き、最終章で日本の菅政権を見舞った昨年の311災害に於ける政府の周章狼狽ぶりと、最高指導者の決断力欠如が対象になるような構成になっている。

著者は外報部の記者として2001年911事件の時はワシントン駐在でもあり、他にロシアをはじめ様々な国の取材を経験している。その経験から見えてきた直近10年で日本が直面し、今なお解結されない外交問題について問題提起をしているようだ。特にアメリカの外交スタンスがブッシュの戦争で中東にシフトし、東アジアの抑止力が手薄になってくるのと期を一にして、中国が国力を増してきている。オバマがその路線を再び元に戻そうとしている事。

こういった外的要因の大きな変化に、民主党は全く適切な反応が出来ず、日米安全保障が揺らぎ始めている事を強い口調で非難している。特に鳩山氏があまりにも外交音痴で、日米の信頼関係を一気に突き崩したと批判。「眼前の懸案を解決出来ないにもかかわらず、ありもしない選択肢を弄ぶ愚者の政権は悪と決め付けられる。」と手厳しい。


小泉氏の対米追従は、あれしか方法が無かったろうとやや寛容でもある。「大国がしのぎを削る冷徹な世界にあっては、力を持つ者こそが正義で、力の無い者は自分の存在そのものが悪と決め付けられないよう振舞うのが精々。と擁護している。何れにせよ彼が心配なのはアメリカのプレゼンスが小さくなると、必然的に周辺諸国(中国であれロシアであれ)はちょっかいを出してきて当たり前である事。

インテリジェンスとは目に見える徴候から何を読み取るかであるが、日本の政治家はまるで駄目だ。国内で足の引っ張り合いをしている陽気ではないだろう、と言いたい気持ちがよく伝わってくる。最後に大震災の時の対応で日本の首脳が如何に無責任、決断力に欠けるかをアメリカと比較して述べている。首脳がヘリで前線視察に出ると碌なことが起きないらしい。

ブラック・スワンとは「ありえない」とされている事の喩えで、「ありえない」が起こることを想定して予防するのがインテリジェンスだそうだ。過去2冊に比べると遥かに良く書けている。

2012年2月21日火曜日

屋上屋

今日の昼間は久しぶりに陽射しが暖かだった。夜が明けるのも早くなってきているし、夕方も大分陽が伸びている。理由がしかとは分からぬが、何やら株価が上がってきているとも聞いている。何れも結構な話で、全国民に元気が行き渡って、東北地方も活性化してくれれば尚有難い。しかし、昨日公開された福島第一原発の映像を見る限り、こと原発災害だけは未だ容易ならざるものがあるようにしか思えない。

政府発表は冷温停止と仰るが、未だ放射能が排出されている事は現場の責任者さえ認めている。どうすればあんな気休めにもならない言葉を使いたがるのだろうか?地元の人の怒りが分かりすぎるくらい分かる。更にひどいのは先日の国会の原発事故調査委員会に呼ばれた原子力安全委員会の班目春樹委員長と原子力安全・保安院の寺坂信昭前院長の2人の発言だ。

斑目氏は当時は1週間くらい寝ていなかったので、どんな判断をしたか記憶にないとか、ストレステストで安全が確認できるものではないと他人事のような発言。寺坂氏は事務屋だから原子力発電に関する科学的な知見はそんなに持ち合わせていないと悪びれる風情なく仰る。ご当人は、本当の話をしてどこがいけない?とやや開き直っているのかもしれないが、聞いた被害者の気持ちは察するに余りある。

官僚機構がわが身を防御するために構築している有識者の審議会や委員会なるものは全てこの伝で、高級を払って権威付けをしても、有識者には責任感がないのだから、いざと言う時に役に立たないばかりか、薬害エイズ事件の時なんかは害を及ぼすに至っている。何度も言われていることながら、霞が関の審議会や委員会が改まったとの話は聞いたことがない。これも大学の名誉教授、官僚の古狸、ジャーナリストのなれの果て等々、本来は終わっている人を官僚が再就職で釣って利用するもたれあいの構造にしか過ぎない。

先日誰かが何処かで喋っていた「民主党が政権を握って唯一良かったことは、この国の問題点が次々に露呈した事かもしれない。」そうかもしれない。政府は至る所に存在する屋上屋が当たり前だが、国民にとっては無用であるばかりか、有害であると言いたいのだ。次は誰がバッターボックスに立つのか分からぬが、霞が関の審議会や委員会を思い切って廃止する方向を出してほしいと念願している。

2012年2月20日月曜日

笑ってしまう

ふと疑問が湧いた。我が国の国会議員さんは700人からいらっしゃるが、この方たちは毎日どんなお仕事をしているのだろうか?総理以下内閣に入っている方は、それぞれの役所に関わる仕事が沢山あるだろう。ところが彼らが几帳面に毎日役所に出勤しているとは思えない。役所で3役の決裁が必要な書類の量は半端でないと思うが、ある程度纏めておいて一気にハンコを押したりしている可能性は多分にある。ひょっとすると、一定のものは秘書に任せているかもしれない。

それでも、閣僚や3役は行政官として仕事らしい事をしている方だろう。残る600人弱の議員さんはどうしているか。先週参議院予算委員会のお歴々が、橋下大阪市長に面談を申込み、「参議院廃止とは何事か!」とねじ込んだらしい。与野党打ち揃って余程暇と見える、ニュースを見て笑ってしまった。語るに落ちるとはこんなことを指して言うのではなかろうか。橋下氏の方も、国の形に関しては云々したのは出しゃばり過ぎているは自覚しているようだ。

本来はみなさんの仕事ですよ、と切り返したらしい。橋下氏のマスコミ操縦術は一流の芸能事務所なみ手際と言える。彼の事を書くと、それに引っかかったようで気がさすからこれ以上は書かない。問題はいとも簡単に手の平に乗せられて踊ってしまう国会議員さんの方だ。参議院が衆議院の失業対策事業化しいる事については誰も否定はできないだろう。それにしても議員の端くれである以上まともな仕事をしてほしい。

まともな仕事とは何か?考えれば衆議院議員でも同じことだ。いつか小沢一郎が新人議員に言ったように「次の選挙で再び当選する事」が最大の目的化しているのが実態で、まともな仕事の大部分がそれと思えば、思い当る事ばかりだ。国民から見ても、議員自身にとっても実に情けない話しだ。国会は開催中といえど週に3日か4日しか開催されない。それも全ての委員会が一斉になんてことはあり得ない。

多くの議員にとって、国会における発言なんてごく限られたものだろう。あとは只管有権者に頭を下げて回っているとすると、有権者が投票に行きたくなくなる気持ちも仕方ないと思えてくる。婆さんは最近の東大生と同じではないかと言う。入学や当選が目的で、それが達成されると、後は何をしていいのか分からなくなる。笑って済ます話ではないかもしれない。

2012年2月19日日曜日

風雲急では?

国内のことさえよく分からないのに、生意気にも国際問題で書きたい。自家用車を持たないのでガソリン価格には関心が無いものの、毎日通りかかるスタンドの価格表示は嫌でも目に入る。一昨日も夕食時に灯油価格の値上がりを訴えられた。その時、「ガソリン価格は若干乱高下しているが、灯油は1602円で落ち着いているよ」といなしたばかりだった。

ところが今日見ると、一気に1638円に値上がりしている。我が家はトラックで売りに来るのを買っているので多少の割高は仕方がないにしても、既に1740円とか言っていたようだ。レギュラーガソリンも133円から139円の間で行ったり来たりしていたような気がするが、今日は142円になっていた。ひょっとすると業界では、遠からずホルムズ海峡に異変が発生する予感を持っているのだろうと推察する。

アメリカのバネット国防長官やイスラエルのバラク国防大臣が立て続けに来日して、来月にはイランを攻撃すると言っている。余程確定的でない限り、二人が時を同じくして態々日本くんだりまで来ないだろう。一方イランは、ホルムズ海峡封鎖は赤子の手をひねるより簡単なことだと言明している。メディアの報道やネットの論調は、日本はイスラエル、米国側とイラン側の双方に良好な関係があるのだから、双方に自重を促すよう積極的に務めるべきだろう、が殆どである。

それはそれで結構かもしれないが、我が国に両国を動かすほどの材料が何かあるだろうか?インパクトを与えるほどの何かがあるとすれば、何方かぜひ教えて頂きたい。野田さんや玄葉さんは、対イランには挑発はやめろ、対イスラエルやアメリカには軍事オプションはリスキー、みたいなことを言ってはいる。一方に追随しないのは立派な態度と褒めたいが、聞いた方は残念ではあるが「だからどうした」と聞き置くだけだろう。

とすれば石油会社でなくても、ホルムズ海峡が一旦閉鎖される事は想定の範囲に入るだろう。経産省あたりはその時のシミュレーションをどのようにしているのだろうか?まさか想定外でしたとは言わないだろうね。少なくとも今夜婆さんには、2月中に灯油を少し多めに買うように言っておこう。

ついでにもう一つ、経産省と財務省が東電の国有化を巡って醜い争いをしているようだ。これもピンとはずれに思えてならない。先ずすべきは東電の破たん処理だろう。倒産した会社の経営陣を残して何をしようと上手くいく筈はなかろう。オリンパスなんかも同じだが、当事者能力を欠いた経営陣のままでは補償も再建もまとも進む筈がない。これで石油が入ってこないとしたら、エネルギー供給をどうするのか?省益を巡って争っている場合ではないように思うのだが。

2012年2月18日土曜日

一寸ショック

この前の土日は志賀高原に行ったのでプールを休んでしまった。今日2週間ぶりに行くと、泳いでいて少し体が重い。普段は30分弱ノンストップで1000メートル泳ぐのだが、今日は500メートルで休み、500メートル歩いてから残りの500を泳いで辛うじて辻褄を合わせた。なるべく無理をしない事を心掛けているので仕方がないが、一度楽をすると前に戻すのは大変かもしれない。

明日はどうなる事やら、行ってみなければ分からない。合計で構わないが、距離の1000メートルはもう暫く維持したいものだ。体力は1週間やそこらで急に衰えるものではないと思うが、気力の維持が難しくなっているのかもしれない。他にもう一つショックだったのは、2週間目に比べ体重が1.5kgも増えていた事。

毎週プールでは必ず体重をチェックしているが、1週間毎の変動が1kgを超えた記憶は殆どない。今回は2週間ではあるが1.5kgは一寸ショックだった。当然ながら思い当たる節は十分ある。1月末に半年以上かけた左奥歯のインプラント治療が完了して、飯ががぜん美味くなって、なんでもバクバク食えるようになったことから食事の摂取量が増えている上に、最近再び夕食後に菓子を食べる悪い習慣が復活していることもある。

菓子を1か月くらい我慢すれば、何とか元に戻すことが出来るのではと思うがどうも自信が無い。酒やたばこを止めようと努力している人に「止める努力は努力の中に入らない。」と憎まれ口を叩いていたくせに、己の意志の弱さに情けなくなる。

2012年2月17日金曜日

ガッテン タロー

生来かも知らぬが、粗忽者あるいはガッテン タローの誹りを免れないところがあるのは自覚している。同様の性格の方は大勢いる筈で、愛すべき森の石松さんなんかが典型だろうか。余り人様から褒められるものでも、自慢できる性格でもないかもしれない。しかし長年営業の仕事をしてきて振り返るに、ピントの外れた自慢になるが、クライアントからの意思に素早く反応するのは一つのスキルだと思う。

少なくても大学ではこの種の事は学べない。幼児の頃か精々小学生頃まで出ないと身に着かない性格であろう。だから生来かもと書いた。生来でなければ、正しくOJT(On-the-Job Training)に他ならない。特に講習を受けたわけではないので、体験を通してクイックレスポンスの重要さを学んだつもりでいる。極言すれば営業マンにとって、唯一必要にして不可欠なスキルかも知れない。

終わった爺様が今更こんな事を書くには訳がある。今日は久しぶりに仕事をしたからだ。ご多分に漏れず我が会社も非常に厳しい環境になっている。経営を若い世代に委ねて早2年が過ぎようとしているが、売り上げや利益は2年連続して前年割れ、4月以降はもっと厳しくなりそうな見込みだ。おそらく来期は小生の月給を限りなくゼロにせざるを得ないだろう。然るにこの状況を打開する妙策は、生憎何も持ち合わせない。

今できる事・なすべき事は、既存クライアントに対して、これ以上叩いては可哀そうと思わせるほど徹底的にサービスする他はないと考えている。
じたばたして新しい事に思いを致しても、経費が掛かるだけでうまくいく筈がない。消極的で発展性のない考えでもあるが、既存クライアントからさえ見捨てられるような会社が新しいことなど出来るわけがないと思っている。

そこで徹底したサービスと大層に構えても、クイックレスポンス以外にはない。所詮吹けば飛ぶよな零細企業だ。一種の情報サービス(インターネット関連)であるが、限られた人員で日進月歩の世界に於いて、技術が最新である筈もない。アドバンテイジはクライアントのニーズを最初に知ることが出来る事以外には無い。言葉に出してくれる場合もあるし、言葉の裏を読んで分かることもある。時節柄との言葉を聴く機会が増えている。

気持ちとすれば、10年以上随意契約状態にある我が社について、管理関係部署からの突込みも多くて苦労しているのだろう。競争原理の導入を迫られているのは間違いない。その日がいつ来るか分からないが、今は担当者の意向を如何に早く察知するか、そしてそれに対する反応の速さに当社の命運をかけて頑張るしかない。この意向の察知だが、言うは易くしての感がある。直裁に「希望をお聞かせください」で済む話ではない。

我が後継の経営者は技術系なので、営業対応は得意ではないし、技術者がおっちょこちょいでも困る。お鳥目は無くても、いま暫くは昔取った杵柄を取らざるを得ない。

2012年2月16日木曜日

もの忘れ

もともと忘れっぽい性格だが、最近はもの忘れが多すぎるかもしれぬ。昨日は事務所に向かう途中で財布を忘れた事に気づき、慌てて自宅に取って返したが、どこを探しても見当たらない。取り敢えず事務所からカード会社や警察に連絡をするつもりで来てみると、事務所に財布が置いてあった。一昨日の帰宅時から、何度も繰り返して忘れていたことになる。

字は忘れて読めなくなり、漢字が書けなくなること夥し。人と会う機会が少なくなっているので、久しぶりに他人と会話すると、言葉遣いから声の調子まで自分でも変だと思う事さえある。ボケ防止と思ってこのブログを書いているが、内容は兎も角、手書きの方が目的に叶うのかもしれない。パソコンは漢字は変換で出てくるし、文章は何度でも変更できる。

極端に言えば、思いついた単語を脈絡を無視して書きちらし、後で適当に切ったり張ったりしているようなものだから、まともな文章が出来る筈もないだろう。しかもネットの世界には引用に適する情報がわんさとある。これもまた適当に利用しているので、己の脳みそは退化の一方である事は間違いない。

長い人生を過ごしてきたのだから、来し方を振り返って、自分らしい随筆めいたものを書けたら良いなと思って始めた意味があるのだが、志と全く違っている。第一昔のことがなかなか思い出せない。フラッシュバックのように瞬間的にある場面が浮かんでくることもあるが、その前後関係を思い出そうとしても文章で表現するほどには至らない。

もどかしい思いではあるが、昔のことを正確に覚えていたのではこれまた不自由かもしれない。過ぎた事は変えることが出来ない訳だし、ともあれ今日も一日無事に過ごせた事を以て善しとして、明日になったら忘れてしまう。最終的には朝飯のおかずすら忘れる、年寄りの定番らしいが仕方あるまい。

小中学校の同窓会幹事の仕事に着手して感ずるところがあった。

2012年2月15日水曜日

春よ来い

今年は例年よりかなり寒いせいか梅の開花が随分遅くなっているようだ。東京では今週になって開花が発表された。例年か昨年か忘れたが、比較して1か月遅れとの事だ。天然自然の歩みはいつも悠々たるもので変わらないと思っていたが、結構なばらつきがあることを初めて知った。しかし結局は冬がいつまでも続くものではない。季節が巡り、嬉しい事に今日あたりは大分春めいてきた。

朝の来ない夜は無いし、春の来ない冬も無い。年が明けても嬉しいニュースが少ない昨今ではあるが、やっと日本人的な楽観を思い出すに至った。民主党の政権運営が不安定のせいだろうが、自分の将来に希望を見出すことが困難になっている人が多いとのこと。確かにその通りかもしれない。昨日グリーンジャンボ宝くじの売出日のニュースを見たり、街で宝くじ売り場の行列に出くわして思った事がある。

買う人の非常に多くが数千円単位、或いは万円単位で、売り出し初日に競って買っている。婆さんに言わせると、「購入枚数が10枚以下なんて事は先ずないそうよ。」小生は宝くじ購入は一種の無駄遣いと考えるが、これが的を射てるかどうかは分からない。言えるのは、不景気で先行きが不安な人は宝くじなんか買える筈がない、との確信だ。テレビの映像でも、実際の目撃でも長蛇は殆ど年輩の方である。

宝くじを財布にお札のように仕舞い込み、春を待つ気分になれる人は幸せだ。無駄遣いと切り捨てたが、幸せを祈るために態々伊勢あたりまでお参りに行くのと、どちらが無駄か。他人の悪口を言える立場にない事に気が付いた。
テレビを見ていると、若い人は宝くじに幸せを求める人は少ないようである。
これも健全でいいなと嬉しかった。

東北の被災地などで「仕事が無い」との報道が定番のように流される。しかし実際に聞いてみると、「就職先に不自由はないです」と答えてくれた若者が近くにいる。別に一流の学校を出たわけでもなく、商売が好きなのか、いろいろな職業を転々としている。結構明るく話してくれた。年寄りは宝くじに楽しみを求めるくらいしかないかもしれぬが、それはそれで結構な事として、若い人にはもっと別の将来が見えているのだろう。

政権がふらついているせいで、政治の世界も混沌として、普段聞けないような雑音が入り混じって面白い。憲法を変えて参議院廃止とか、国民総背番号制導入とか、小生は大賛成だが若い人はどう捉えているのだろう?聞いてみたいものだ。

2012年2月14日火曜日

議論になっていない

世の中が複雑になりすぎて分からないことだらけだ。凡人は難しいことが分からなくても生きていくのには差支えが無い。むしろ余計なことを知らない方が気が楽でいいかもしれない。しかし政治となると知らないではすまぬことがある。政治家といえど同じ人間だから、森羅万象を弁えろと無理を言うつもりはない。

国会における与野党のやり取りを聞いていると、議論がかみ合っていないことが多いように思う。素人考えなので間違っているかもしれないが、どうしても群盲象を撫でる感が否めない。どちらも尤もらしい事を言っているようにも聞こえなくもない。どちらも自分の主張が問題の核心をついているような風情であるので、小生程度の頭ではどちらの主張が正しいか判断のしようがない事が多い。

一例を挙げれば年金問題、自公が与党の希望する協議に乗らないのは国会の戦術だろうから措くとする。問題は争点の土俵になっている現在の年金システムの全体像が共有されていないように思えることにある。政治家の諸先生は十分理解できているのだろうか?他の年金資産はのことは別として、年金機構が保有する年金資産が140兆円とはよく言われるが、この資産が日々どのように変動しながら運用されているのか。

会計に関する相当な専門家でないと現状の把握は出来ないだろう。ましてそこから中長期の見通しを立てるには、相当数の変動要素を持たせないとシミュレートできないのも事実だろうし、となると当然会計知識だけでは追いつかなくなる。年金機構や厚生省や財務省にはそれなりの専門家がいるだろうし、幹部ともなれば専門家が計算する諸表を読み下せる能力を持っている人も何人かはいるだろう。しかし政治家は専門家ではない。

それぞれが役所にパイプを持っている筈だが、説明役の役所側はその時々で異なる。問題点がありすぎるので、説明は常に部分をなぞったものに終始する筈だ。年金機構が行けば機構に都合よく、財務省が行けばこれまた違った角度から自分に都合よく説明するに決まっている。同じ役所にしても説明に行く人間が違えば観点が違って当たり前。兎に角象(対象)が大きすぎて、ちょっとやそっとの説明で理解が出来る筈がないだろう。

与野党協議はしなくてもいいから、与野党揃って勉強会でも開き、しっかりした共通の現状認識(野田さんはあると言っているが、とてもそうは見えない)を確立すべきだ。それも一種の協議だから厭だと言うなら、誰かが素人を集めて公開の席で勉強会を開いてほしい。それをマスコミが小生如きにも分かるように発表してはどうか。最近は年金制度なんか止めてしまえとの発言まで飛び出しいる。既に貰うものを貰ったから関係ないと言えばそれまでだが、余りにも無責任に過ぎる。今後の投票の参考にするためには、現状の問題点をしっかり把握したうえで、子や孫の将来も考えて判断していきたい。

2012年2月13日月曜日

家内の誕生日

昨日12日は婆さんの誕生日、夕食に偶々缶ビールが用意されたいたので、350mlを二人で分け合って乾杯をした。今日からは年齢を聞かれたら70歳と答える事にするそうだ。年齢を1歳刻みで考えるのが煩わしいらしい年になったと言う事かも。小生も5歳刻みの年齢については、60歳に近づいた際に友人と話し合ったことがあった。このところ1年刻みで体力の低下を痛感するので、5歳刻みで考えられるうちはまだましと言うことかもしれない。

ビールについて偶々と書いたのは、小生普段は家で酒を飲まない主義であるからのこと。但し例外的に、山から帰ってきた日だけは缶ビールを飲むことにしている。土曜日から1泊で志賀高原にスキーをしに行っていたので、その例外的な日に当たっていたからである。スキー場はシーズンまっただ中で絶好のコンディション、少し滑りすぎて体の節々が痛い。スキーは1日滑れば十分の年齢になっている事を痛感した。今朝メールを開くと、友人の一人がコロラドからのメールで、10日間の予定でスキーを楽しんでいる最中、残すところ3日とある。同じ年齢にしてこの違いはなにか、考えても仕方がないとすぐ諦める。

話題が逸れてしまったので乾杯の話に戻す。実は婆さんは大の酒好き、種類は何でも来いだがビールがベスト。なのに缶ビールを二人で分け合ったというのは、要するに婆さんの誕生日を祝う形を整えただけで、宴を張った訳ではない。宴は土曜日のうちに娘(彼等も左利き)家族や母を含め大々的に済ませている。そこに小生が居合わせなかっただけの事。小生、宴会酒は若い時分に嫌と言うほど飲んでいるので、最近は晩酌すらしないし、家でだらだら飲むのは好まない。

婆さんの方も、自分の誕生日に娘や孫のために料理を作るより、出来得れば、誰も来ないで一人にしておいてほしいが本音である。せめてば亭主だけでもいないでくれれば有難い訳である。かくて両者の利害が一致し、亭主がスキーに出かけることになり、婆さんもいそいそとその準備を手伝ってくれる。
帰宅したら、水入らずでゆっくり食事であるが、これも少し風変りかもしれない。ビールで乾杯の後、スキー行きの顛末など話しながらの食事だが、食事を摂るのは亭主だけ。婆さんは料理屋の仲居さんのように話を聞きながら給仕に専念なので、食卓に料理は1人前しか出ていない。

その方がこちらは勿論快適であるし、昔は一緒に食事をしたらと薦めたこともあったが最近はそれもしなくなった。こちらの後か前か知らないが、やはり一人でゆっくり飲みながら食った方が美味いだろうと解釈している。考えてみるに我が夫婦、食事の好みのみならず趣味嗜好が随分異なる。むしろ正反対なことが多い。今年の4月で結婚以来43年経つことになるが、少なくてもこちらからの不満は無いし、婆さんからみても不満なんか今更言っても仕方がないと思っているだろう。

趣味嗜好以上に性格的にも一致点は少ないが、諦めが良いところが互いに長所と思っていることだけは共通している。

2012年2月10日金曜日

読後感「ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書」石光真人編著

新書版で僅か160頁程のボリュームだから、字数は少ないが内容は実に濃い。もう一度じっくり読みなおしてから感想を書くべきとさえ思ったほどだ。編著者は明治37年の生まれ、父とほぼ同年齢である。編著者彼の父も陸軍の軍人で幼年学校入学前に既に任官していた柴氏の家に寄宿させてもらったことがあったらしい。

内容は大きく2部に分かれ、1部は柴五郎氏の遺書、2部が「柴五郎氏とその時代」として石光氏自身が書いている。1部は結果的に遺書とはなっているが、本人は遺書のつもりで書いていない。むしろ退役して隠棲の(言葉は悪いが)慰みに、自分の少年期を綴ったメモ書きが原本である。柴氏が亡くなる3年前に、亡父の縁で度々訪れていた石光氏に、「自分は少年時代十分に教育を受けていなので、日本語は不得意であるので校正してくれ。」と依頼する。柴氏の目的はこの書を一家の菩提寺に納め、先祖(主に祖母、母、姉)の供養とすることにあった。

依頼を受けた石光氏はその内容を読んで非常な衝撃を受ける。書かれていた内容は、明治維新に続いた戊辰戦争に巻き込まれて会津藩が没落していったわけだが、柴氏は明治元年が丁度10歳、若松城落城の前日、氏は両親の配慮であろう、騒然としてきた城内を後にして郊外の別荘に送られる。父が藩内の高級武士だったので、それまでは当然武士の子として薫陶を受け、きな臭さが迫っている事、武士としての覚悟が必要である事は幼心に既に心得ていたようだ。

落城の当日は、避難してくる城内の民衆に逆行して城内に駆け付けようとしたが結局間に合わず、数日後には祖母と母、姉が自害して果てた事を知らされる。結局逃亡生活が始まる訳だが、結局は捕虜となって江戸に送られる。後詳細はは書かぬが、戦争終結して藩が降伏後の実体験が物凄い。本人が乞食以下の生活と記しているほどだ。捕虜になったり、厳寒の荒れ地津軽に追放されての数年を経て、正に艱難辛苦の末陸軍幼年学校に入校を果たすまでの約5年の思い出が大部分。

勿論前後の江戸末期から西南の役で西郷が死に、大久保が暗殺される頃までは記述があるが、士官学校を経て陸軍の最高位に上って行く過程は何も書いていない。実際には日清日露戦争を通じて陸軍内部では支那通になっていったようだ。先の大戦が終わるまで生きたが、後輩が大陸で事変を起こし世界大戦に進んだときには、編著者に「この戦争に勝てる筈がない」と繰り返していたようだ。

抽象的に武士道を論じている訳ではないが、至る所に日本の武士の生き方、家庭の有りようが具体的に書かれている事に感銘したのが一つ。もう一点は毎度のことかもしれないが、歴史は常に勝者の側から書かれるので、必ずしも真実を伝えないなとの感慨。日本国の有よう、官僚の有りよう、天皇制等様々な事に想いが至る重い意味があった。


2012年2月9日木曜日

素人考えでは千載一遇

沖縄普天間移転に関して3点パッケージの切り離しが発表された。政権交代直後の鳩山発言以来、沖縄問題については小生ごときには事の本質はさっぱり分からないが、政争の具として弄ばれてきたことだけは明らかである。所詮相手あっての話でその相手が宗主国アメリカの軍隊の話と来れば、こちらから誰が行っても既定路線が変わらないのかと半ば諦めにも似たもやもや感を持ってもいた。

今回やや唐突に発表されたところによれば、辺野古基地建設は既定路線を持するものの、海兵隊移転と普天間の移転、以南の基地返還については切り離して再協議しようとの事のようである。はっきりとは分からないが、今朝の新聞を読む限り仲井間知事がこの話に乗るべしと知恵を出したとも読み取れる。結構な事ではないかと思うが、相変わらず野党は固定観念に凝り固まっているようで猛反発しているのが分からない。

政府側が言っているのだから間違いないだろうが、昨年暮れからと言うから確かに唐突な話であったろうし、日本の国益や沖縄市民の幸せのために考えられた事でないのも確かだろう。ひたすらアメリカの財政事情や軍事目的の変化に依る事であろう。しかし日本側にすれば環境が大きく変わる可能性の出現を喜んで受け止めるのはどこがいけないのだろう?

野党に言わせると現政権は子供みたい人間ばかりで構成されているので交渉能力が無い、アメリカに好いようにされるとのことだ。だからこれも早期解散総選挙のネタになるとの思惑かも知れない。それこそバカも休み休み言えだ。これから半年程度かけて協議しようと言う事態に、解散総選挙をしてどうやって間に合わせようと言うのか?猿芝居の国会舞台ではギャーギャー言っていても、野党と雖も心得たる議員は、関係官庁に対しては己の知識の範囲で可能な限りのアドバイスはしていると信じたい。

官僚は元来心得ているので、良いアドバイスであれば取り込んで上手に政権の政治家を誘導するだろう。折角の機会だから多少でも沖縄の負担軽減に結びつけることが出来れば、少なくとも小生が抱いている民主ど素人政権への不安感を減ずることに繋がる。それにしてもこんな千載一遇の機会でさえ、与野党の協力が目に見えないのは残念な事だ。政党政治の宿命と諦めなくてはいけないのだろうか。

自民党参議院川口順子が予算委員会で田中防衛相をやっつけるために、海兵隊移転に伴う「抑止力の維持の変化」を得意気に突っ込んでいるのを見て笑ってしまう。専門家ぶっているが、「我が国の抑止力とはなにを意味するのか?」逆に聞いてみたいものだ。

抑止力を勝手に解釈すれば防波堤に近いだろう。日本がアメリカの防波堤として機能するのは分かるし、自衛隊も、そもそも持つ気が無かったのに、米軍を補充するために無理やり作らされた経緯からしても、米軍の予備隊であるのは否定しがたいだろう。抑止の対象は常に米軍の都合で変化するのも当たり前。せめてこんな機会にこそ錦織圭選手のカウンタープレーのように、アメリカに対して声を発してほしいと思うのだが。それこそ求められるのは国を挙げての声だろう。

2012年2月8日水曜日

暇人の多い事

一昔前は会社をさぼってでも観たい映画があった。東京は封切館が沢山あるので、1年に20本や30本観た時代もある筈だ。数百人の観衆と共に居ながら、全く個人的思いに没入する心地よさとでも言おうか、あの雰囲気が好きだった。折角暇が出来たのに映画館に行く気がしないのは何故だろう。テレビで映画のコマーシャルを見かけてもその気にならないのは、加齢現象で嗜好が変わってしまったのか。或いは予告編を映画館で観るのと雑然とした我が家で見るのでは、インパクトが違うのかもしれない。試しに映画館に一度行ってみるのもいいかもしれない。

昨今の暇つぶしはネット囲碁とこのブログ書きが最大の要素である。前者は取り掛かると少し淫するぐらい嵌ってしまう。気が付くと4局5局打ってしまうことが屡である。暇だからいいと言えばいいのだが、ネット囲碁をした日は先ず読書やメルマガのチェックが出来なかったりおざなりになったりする。中国では囲碁を国がスポーツと認めているが、確かに疲れる。週末碁会所に行っていた頃は1日精々3局と思っていたので、程々にしないといけない。平日の4局5局はやりすぎだ。

囲碁と比較するとブログは健康的と言える。毎日午後の1時間くらいをこれに充てているが、テーマが早く決まればそんなには掛からないだろう。しかしそのテーマがなかなか思いつかない。今日は取り留めのない話なるがお許し願いたい。先日喫茶店で隣に座った見ず知らずの60歳前後おばさんの二人連れ。どちらも堂々の押し出しで友人同士らしいがコシノ3兄弟を髣髴させる。一人は池袋の近くらしく、もう一人は田園都市線沿線のようだ。声がでかいので聞く気が無くとも聞こえてしまう。

田園都市線の方は最近スイスのスキー旅行から帰国したばかりで、池袋の方にお土産を渡しに出てきたらしい。買うのを忘れていて、最後の飛行場で買った粗末なものである事を盛んに強調。受けるおばさんも海外旅行は慣れておいでのようで、ありがちな事だから気にしない、ありがとう。ここまではごく普通かもしれないが、このおばさん最近どこかにハンドバッグを置き忘れてそれが返ってきた話を始めた。

スゲーと思ったのは、このおばさん常にバッグの中に現金で30万近くを突っ込んでいるらしい。分散して入れているらしいのだが、交番でバッグが返ってきた時、財布の中の5万か6万かが無くなっていたとの事(他の隠し場所を実際に見せていた、アブネー)。本人も置き忘れたのがレストランだったかタクシーだったか判然としないようだが、交番で受け取る時に、拾った人に礼をしたいのでお名前をと尋ねても教えてもらえなかったとの事。一寸不思議な話だが、大筋こんな話を延々としていた。

高齢化で暇な人間は増える一方で、政治家や評論家は今にも国が潰れて年金も何も払えなくなりそうだと騒いでいる。誰が本当のことを言っているか分からないが、今のところ日本は本当にいい国だ。極楽とんぼの楽園の態だが、国が潰れても民主主義は変わらないだろう、と思うのは楽観に過ぎるのだろうか?

2012年2月7日火曜日

読後感「官報複合体 権力と一体化する新聞の大罪」牧野 洋 著

知らなかったが、一昨年からネット(講談社:現代ビジネス)で公開されていたコラムををまとめて先月出版に至った本のようだ。日本のメディアの在り方に大いなる疑問を感じていたところなので、非常に興味深く読んだ。著者は元日経の記者で一応編集委員まではいっている。1960年生まれだから50歳ちょっと。日本を代表する新聞社の幹部として、これから楽ができる年齢の2007年に独立している。関係ない事だが小生も47歳で25年勤めた会社におさらばした。大いに共感するところだが、持てる才能が随分異なる。

書かれている内容は至極もっともな事ばかり。日本の新聞が如何に安易に作られ、木鐸としての機能が失われているか、自ら身を置いていただけに具体的に説得力を持って書けている。「さんざん好い思いをした上に自分一人がいい子ぶりやがって。」と、さぞかし会社からは嫌味を言われている事だろう。人にはいろんな生き方があるので、そんなことを言っても始まらない。メディアの側は、書かれた内容をそれこそ真摯に受け止め、反省してほしいものだ。

著者が嘗て身を置いた新聞社を含む日本のメディアに疑問を感じた最大の要因は、彼の経歴を見ると一目瞭然だ。彼はもともと英語が出来て、入社早々から英文日経の記者だった。そして28歳の1988年にはコロンビア大学ジャーナリズムスクールを卒業している。ひょっとすると日経が留学をさせてくれたのかもしれないが、記述がなかったように思う。たった一年ではあるが、ここでのトレーニングが彼の考え方を大きく変えたのだろう。実践的プログラム内容の幾つかがが紹介されている。

英文日経の記者であったことから、外国の記者との付き合いで得た知識、海外メディアと我が国のそれとの比較も豊富に取り込まれている。内容については改めて書くまでもないが、日本の新聞報道は何れ明らかになる事を如何に早く報道するかの競争に明け暮れ、世間の目から見えない事、問題点を探り出す事がなおざりにされている。ここに彼我の違いがあると言うことに尽きるだろう。

新聞社とて一企業であれば、経営の安泰を計ることから何をやろうが勝手かも知れない。著者が尊敬するアメリカの一流紙ウォールストリートジャーナルにしても、経営不振でイェローペーパーの経営者ルパート・マードッグに買収されてしまっている。当然クオリティーに影響が出るのもやむを得ない。
それでも尚且つ一定のクオリティーが維持できているのは、新聞社における記者と経営の分離にあることも分かった。読売のなべつね氏にしても若い時にはきっと優秀な記者で、今のように下品な小父さんではなかったかもしれない。

半世紀前のことになるが「マスコミ概論」なる授業を選択したことがある。教授は後に東京放送の社長になる諏訪さんだったことだけが唯一の記憶で、授業の内容は何も記憶にない。現代は似たような授業がいろいろな大学であるだろう。しかし米国のジャーナリズムスクールに匹敵するジャーナリストの養成機関は日本にはまだ存在しないと思う。半世紀前の授業に比べれば現代の講座は少しはましな教材も使い、論理的システム的にジャーナリスト養成カリキュラム少しはあるかもしれない。

しかし、ジャーナリストに関して法科学院とかビジネススクールとか医者の研修制度のように実践をも合わせ、論理を叩きこむ養成機関有ろう筈がない。
我が国ではジャーナリストなんてそんなに重要な職業とは誰も思っていない。
この本を読んで一番感じたことはそこである。著者もその事は十分分かっている筈だ。日本の報道の問題点をこれだけ分かりやすく著すことが出来る才能を持ちながら、早々に家族5人共々温暖なカリフォルニアに居を移し、日本人に警告を発する。

確かに賢い生き方かもしれないが、社会の木鐸を生み出す仕組みを構築するために、何か他の選択肢はなかったのか?好漢惜しむらくはの感が否めない。



2012年2月6日月曜日

時代認識

経済通の友人が「今年の景気見通しは極めて明るい」と語ってくれた事を先週末に書いたばかりだ。景気に左右されるほどの仕事もしていないので、景気を肌で感じることが出来ないからだと思うが、聞いた時はあまりピンとこなかった。

今日たまたま愛読しているメルマガを読んでいると、友人の言葉を裏付けるような記事があったので紹介したい。メルマガの筆者は高野孟氏、タイトルは「失われた20年」というのは本当か? ──親は馬鹿でも子は育つ」
2月1日の衆議院予算委員会に於ける仙石民主党政調会長の質問に絡み、高野氏は仙石氏の質問、即ち総理の答弁をもっと追究すべきだったとの趣旨で書いている。

国会での与党内の駆け引きはこでは置くとして、仙石氏が取り上げた今年1月6日のニューヨークタイムスに掲載された記事の方に注目したい。高野氏もNYタイムズの卓見と述べているが、成程面白い。曰く「海外でも日本国内でも日本の『失われた20年』という見方が常識のように罷り通っているが、日本人がそう思い込んで悲嘆に暮れているのは自虐的だ。この20年を単なる不況と勘違いしたり、個々の政策選択の誤りのせいにしたりするのでは本当の問題が見えてこない。」として経済の質的変化を自覚すべき時と言っている。

仙石氏の国会での引用は、「過去20年に於いても、日本はアメリカなんかに比べると経済運営をかなり上手にやってきている様々な指標がある。そのうちの幾つか(平均寿命、経常収支、失業率、インターネットインフラ等)を見ても、米国に比べれば遥かにましだ。金融財政の破たんを招かないために早期の一体改革に取り組むことが焦眉の急務、『失われた20年』と思い込んで悲嘆に暮れているのは自虐的だ。この20年を単なる不況と勘違いしたりするのでは本当の問題が見えてこない。」と野田総理の応援への枕詞で使っている。

高野氏はその使われ方が不満で、この論説が述べている別の角度に注目しているのだそうだ。即ち、日本が生産財の生産国へと進化を遂げてきたことに注意を喚起していること。彼はこれを卓見とし、私はその兆候が見えてきた20年以上前から繰り返し指摘してきたとしてこう述べている。

「日本の輸出構造が自動車・家電など大量生産型の耐久消費財主導から部品・素材・生産設備など資本財(≒生産財)中心に変容を遂げてきたことが重要。これら生産財は、高度の部品や素材、あるいは精密加工装置などからなる。それらは消費者の目には見えないが、しかし、それなしには現代世界はまさに存在し得ないだろう。高度に資本集約的であると共に高度にノウハウ集約的でもあるこの種の製品は、1950~60年代には米国が事実上、独占していたものであり、それこそが米国の経済リーダーシップの本質だったのでる。」

「日本がいつまでも消費財の生産と輸出にしがみついていないで,日本でしか出来ない、あるいは日本で作られたものが品質が優れていて高くても買わざるを得ないような高度生産財に輸出の中心をシフトし、今では輸出の7割までがそのようなもので占められていることが、東アジア全体の旺盛な消費財の生産と輸出の支えになっているのである。ここを押さえないと、21世紀日本の生きる道は見えてこない。」

長々と引用したが、高野氏も日本人は勤勉だから政治家は馬鹿なこと言って猿芝居を演じているが、民間は着々と前進を続けていると言いたかったらしい。確かにソニー、シャープ、パナソニック等家電メーカーの大幅減益が報道されている一方で、東芝、日立、三菱等重電メーカーの減益が聞こえてこないような気もする。原発関係で大打撃かと思っているのだが、不思議でもある。

難しい問題は分からないが、あまり心配しても始まらない。これが自己流の時代認識だ。これを書くために久し振りに予算委員会の実況(仙石氏の質問1時間強)をネットで見た。参考になる事が多々あったが、こういう事は新聞テレビでは先ず見ることが出来ない。


2012年2月5日日曜日

池に落ちた犬

なんで政治家になりたがるのか、他人の考えは凡人には想像できない。少なくとも子供や孫たちにを政治家にだけはさせたくない。まだ若かりし時、中学生くらいまでは「末は博士か大臣か」で、勉学を極めて登りめる最高峰は大臣様だと考えていた。両親たちもそのように言っていたような気がする。

それがここまで幻滅を感じるのはなぜか。多分大方の同意も得られると思うが、現在の政権が必死になって運営(運用?)しようとしている政治主導の情けない姿を見てのことだろう。当事者は極めて不本意だろうが、観客席から見ると、毎度役者の化けの皮が剥がされる喜劇を見る思いだ。

現政権の当初の思いはよく分かる。即ち、自公の政治家にさえある程度こなせたのだから、真面目で勉強家の我々が真剣に取り組めば、官僚に任せるのでなく政治家が国会を取り仕切る本来の政治が可能になるだろう。小沢一郎氏が盛んに叫んでいた事だ。小生も大賛成である。当然そうあるべきだ。

しかしそれには政治家の資質が問題である事が分かった。全ての議員が小沢一郎氏同様のキャリアであれば面白い国会になるだろう。しかし先週集中的に叩かれた田中直樹防衛大臣に見られる通り、少し意地の悪い質問を浴びるとすぐ落第点を付けられてしまう。現代でも官僚は裏で質問者と回答者の間に立って様々な調整はしているのだろうが、攻める側がその気になれば嵌めるのは訳無い話だ。

政府側から質問者に質問が出来ない仕組みも歯がゆいが仕方がないのだろう。
苛められている人間を見ると、どうしてもそっちの味方をしたくなる性分でもある。田中直樹氏も角栄氏に見込まれた人だから、そん所そこいらの凡百からすれば傑出したところもあるに違いない。かみさんからも発破を掛けられて、風邪まで引きながら必死の勉強をしているだろうが、付け焼刃でものの役に立たないのは見ての通り。

攻める側も髭の佐藤や小池百合子あたりは兎も角、次期総裁になろうかと言う石破茂までもが、池に落ちた犬は叩けとばかり下らない質問を繰り返す。
誰が知恵をつけるか知らないが、質問者の品位が下がることには当然思い至らないだろう。本人達は権威が増した心算だろうが、全ては次の選挙に結果が出る。それでまた政権交代して、攻守所を代えて同じ猿芝居を見ると思うと孫の前で政治の話をする気さえ起きない。

2012年2月3日金曜日

一陽来復

今日は節分、表題の意味には季節的に冬が終わって春が来ること、新年が始まること以外に「悪い事が続いた後で幸運に向かうこと」があるらしい。

今朝は又馴染みの枕詞「この冬一番」が付くほどの冷え込みだったが、昼頃になると、正に一陽来復。陽だまりに佇み春近しを思わせるような暖かさを感じることが出来た。と書いたのは東武東上線沿線に住む友人からの誘いが掛かり、高校の同期生4人で野菜畑の真ん中にぽつんと立つ飯屋で昼食を共にしたからだ。場所は川越の近くであるのは確かだが、友人の車に乗せてもらっているだけなので記述できない。

この店が実に洒落ていて、和風の蕎麦屋のようではあるが店の作りは何となくレストラン風でもある。店名は忘れてしまったが、湯の下に火を書いた字を使っていた事だけ覚えている。(水の下に火を書くなら分かるが、湯は下に火を書かなくても湯じゃないか、と軽口を叩いていたので)メニューは麺類以外に野菜をメインにしたおかずが沢山ある。

野菜畑の真ん中で地産地消を実践しているのは一目瞭然で、説得力もあるし料理も美味かった。どこから来るのか客も多く、昼直前に飛び込んだが既に10数台の駐車場も数台分しか空きがなかった。店内に入ると既に空席待ちのが先客あり、日向ぼっこをしながら20分近く待ったろうか。春近しはその時の思いである。

一緒に行った4人は一昔前までゴルフによく一緒した仲間。うち小生ともう一人は既にゴルフは辞めている。久し振りに飯でもと言って集まったのだが、二人が飯前の運動にゴルフの打ちっぱなし練習をしたいとの事で、練習場に同行した。温風機に温まりながら二人の練習を見ていたが、他人がクラブを振り回すのを見ているうちに自分もクラブを握りたくなる。友人の好意でクラブを借りて2ダースぐらい打っただろうか。

3年近くクラブをに触っていなかったので、最初どこか変だったが、10数発打っているうちにそこそこのあたりが出るようになって面白かった。いろいろな話をしたが、一人は株で飯を食っているか蔵を建てたほどの経済通。今年の見立ては、国の予算がたっぷり付いたし、昨年のリバウンドでかなり景気は上向くだろう。てな事で株をやったらと薦められた。

ゴルフも株も小生にはもう縁が無いだろうが、個人的な事は置くとして、今日の陽気のように世間に明るさが戻るのは何よりだ。節分に相応しい1日だった。

2012年2月2日木曜日

寒さ対策

このところの寒波と降雪で苦労している雪国の人には申し訳ないと思いつつも、都会に住む老夫婦のノー天気な話しになってしまいました。

寒い日が続くが今年は身体の調子が悪くない。去年の暮あたりから年齢を自覚して万事慎重に慎重にと心掛けているせいだと思う。先日も書いたが今シーズンから着衣を増やした。長年冬場は木綿の半袖アンダーシャツにゴルフウェア(夏物)を着て上にセーターを1枚、下はメリヤスのステテコと決めていた。暮頃だったか、めったに自分で買い物などしたことがないのだが、ユニクロのヒートテックなるものの評判が良いので、試しにアンダーシャツを1枚買ってみた。

着てみると成程少し暖かいような気がする。しかし1枚1000円近いので、「どうしたものかね」と婆さんに持ちかけた。普段背広とワイシャツと靴くらいしか買ったことがない癖に、婆さん任せの下着を勝手に買い込んだので逆鱗に触れたのだろう。「これから全部自分で買いなさい、ぷんぷん。」と婆さんに怒られて追加は購入は断念した。このような場合はすぐに降参するに限る。結局1回着たきりでその後着用していない。

怒られた翌日婆さんが「これを着てみたら」と出したのがグレーの袖無しでチョッキのような下着。木綿のアンダーシャツの上に着るのだが、こいつも新しい機能性繊維と言うやつだろう。尻まで隠れる長さで極めて保温性が高い。これもシーズンに買うと結構高いらしいが、春先に500円くらいで買っておいてくれたらしい。やはり蛇の道ではないが、慣れない事をしてはいけないとしっかり反省している。同じ日に冬用の靴下も下ろしてくれたが、今年の靴下はウールの感触で暖かいのに、なかなかすり減ってこない。

毎朝テレビ朝日系列で天気予報担当の依田さんが、この冬とか今年一番のとか極寒のとか表現を変えるのに苦労しているのを笑いながら見ているのだが、一級の寒さが居座り続けている事だけは間違いない。慎重の一環で、年末以来散髪するのも我慢してきたが、遂に今日散髪もした。その後で少し歩いたが、気取る年でもないのでスキー用の帽子をすっぽりかぶった。大分風も出てきたが流石に寒さを感じない。これも当分は外せなくなるだろう。

この寒さだ、今年は諏訪湖の御神渡りも出現しそうとの事。久し振りに中央本線に乗って見たくなった。

2012年2月1日水曜日

マイ ウェイ

2012年も2月になってしまった。寒い日が続いていたが、今日の昼間は久しぶりに10℃を超えたようで暖かい。旧い友人と人形町で昼食を共にした。彼は昨年早々から脳内の腫瘍摘出で、生還の可能性が50%以下の大手術をして、半年以上療養生活を送らざるを得なかった。日月の速さについて特別の感慨を持っているようだ。しかし現在は元のビジネスの世界、同ポジションに復帰してバリバリ仕事をしている。

互いに来年度、即ち今年の春以降の見通しなど語り合ったが、当然のことながらビジネス環境は彼我共に厳しいものがある。しかし彼の口からは愚痴めいた言葉は何も出ない。ビジネスの世界で環境の変化は有って当たり前、それにどのように対応するかが、経営管理の役目だからと淡々と語っていた。
当たり前のことを当たり前として行うのは簡単そうではあるが、出来る人は少ない。

大病をしたにも拘らず、今年は又山に一緒に行こうではないかと持ちかけてくれさえした。どんな環境にあっても明るさを忘れず、不都合な事に委縮せずに、前を見ながら出来る範囲で最大限の努力をする。欲張ってもいけないし、他人の事を気にしてもいけない。彼の信条らしい。それでこそ人生が楽しくなるのだろう。彼の事を大いに見倣わなくてはいけない。