2012年2月24日金曜日

ピンピンころり

昨日、会社の同僚ではないが、現役時代の古い友人にご馳走になった。場所は赤坂のしゃれた小料理屋。赤坂での会食なんて何年振りか思い出せない。久し振りの事とて背広にネクタイ履き慣れない革靴なんぞに身を固め、いそいそと出かけた。朝激しく降っていた雨が上がり、春を思わせるいい陽気になったので、少し早めに出かけて赤坂を散歩してみた。現役時代都合30年近く過ごした街だが、流石に東京のど真ん中、変容が激しい。

半世紀前は、地下鉄赤坂見附から会社までには黒板塀に見越しの松といった風情の料理屋が軒を連ねる落ち着いた街であったが、今ではハングル文字の看板や焼き肉店がひしめく落ち着きのない街である。それでも1962年に社会人1年生としてくぐったビルがそのまま残っていたり、ぽつんぽつんと何度か通った経験がある料理屋とか、接待定番のお土産を買った菓子屋の看板を見つけたが、何となく喧噪の中でくすんでいる感がしないでもない。

そんな中で案内された店はひっそりとした小さな店で、表は目立たないが、中の作りは木目の綺麗なカウンターが1本、キャラの香が漂う落ち着い佇まい。カウンターの中は女性だけで、女将さんがすこぶる付の美人で、愛想と言うか感じがとてもよかった。料理は仕出しも混じるが結構な味で、熱燗に適したものを見繕ってもらったようだ。念のために確認すると、やはり地元の元芸者さん。

誘ってくれた友人とは40年近い付き合いになる。現役時代、互いの会社の交際費を使って遊び歩いたことをかすかに思い出した。互いにそれは忘却の彼方で微かに見え隠れしているにすぎぬ事なので、あまり多くは話し合わなかった。言わなくとも楽しい人生であったことは今日の邂逅で互いに納得しているのだろう。年を取ると、友との会話は孫の自慢と病気の事と言われるが、彼には子供がいないので前者の話は何もない。

後者についてもあまりしなかったが、彼が半ば冗談で言った言葉がやはり我々の立ち位置を表している。『ある時座右の銘を求められたので「ピンピンころりです」と言ったら怒られたよ。』成程、現役バリバリに近い彼らしいと思った。一方セミリタイアの小生は最近それは無理だろうし、ある日突然と言うのもなんだしなぁ、火勢が衰えて静かにフェイドアウトする方がいいかなと思い始めている。

何れにせよ互いに社会に出て丸50年、最近の友人と飲む機会が減っている事は互いに共通していた。しかしよくぞここまで来たものだ。こうして酒を酌み交わすのもあと何回出来るか分からないが、兎に角楽しいひと時であったのは間違いない。

2 件のコメント:

DonKoba さんのコメント...

80歳過ぎであの戦争を実地に経験した人が戦争のことを語るのを聞く度に思うのは、何と元気なことか。シベリア抑留経験者も、熱帯ジャングルで死と隣合わせで生き残った人も。空腹でネズミでも何でも食った人々。今、我々が毎日、栄養バランスを考えた食事をしていることを思うと、人の生命力とは何だろうかと思ってしまう。

senkawa爺 さんのコメント...

DonKobaさん
コメントありがとうございます。
確かに我々はひ弱すぎます、寄ると触ると健康談義。
根性に欠けるのか、飢餓体験なく育ってきたせいか、情けない限りですね。