2012年11月30日金曜日

選挙

昨日は都知事選、来週には衆議院選が始まる。立候補者のうち、都知事または議員に当選した暁になすべきことについて明確な信念を持っている人間の割合は如何なものだろうか?それぞれ公約を掲げているのだからしたい事はあるだろう。しかし当選してしまえば個人的にせよ、所属の政党にしても公約を果たせる可能性が極めて低いことは大分学習させてもらった。

まして今回は2ケタを越す政党が乱立している。最右翼を自民党とし、最左翼を共産党としても掲げている公約も似たり寄ったりだからいいのかもしれないが、前回の民主党、その前の自民党のような大勝はどの党にとっても望むべくもない。元来日本人は中庸を貴ぶ精神が強いので、大勢の人間が投票する限り極右極左に振れる心配はないだろう。

選挙をめぐりマスコミ報道は過熱し、立候補者はそれなりに大変だろうが、考えようによっては一種のお祭りみたいものではなかろうか。選挙期間中は神輿が沢山繰り出し町を挙げて大騒ぎになるが、祭りが終われば町は元の木阿弥で静かにならざるを得ない。選挙特需で動く金(別に汚いものではない)を考えると、祭りの最中儲ける奴もいれば、金を使い果たす馬鹿?もでる。

こちらはとしてはごく近い民主党議員の事務所開きに雀の涙ほどの献金をして、後は高みの見物で結果を楽しむしかない。この議員は多分落選するだろうと思っている。比例で救われればハッピーだろうが、そう上手くいくかどうかだ。自民党が第1党に躍り出ることになっているらしいが、果たしてどうなるのだろう。維新も余り好きではないが、これもどこまで行くのだろう。

日本未来には大いに期待するが、維新を上回ることができるのか。民主にしても第2党を守り切れるかどうか。3位以下なら自民党に吸収されやすくて幸いと思っている節さえ伺えてしまう。競馬競輪は一切しないし、着順予想なんてしたことがないが、きっと同じような楽しみがあるのかと思ってしまう。昨日はインターネットで競馬のパドックみたいイベントがあったようだ。

リアルタイムで140万アクセスがあったそうだ。これがテレビ新聞で増幅されと視聴者は相当な数だ。素人がパドックで馬を見てどの程度走りを予想できるか知らないが、プロには分かるらしい。選挙の世界でもプロを自認する政治評論家が予想屋よろしくいろいろ言っている。勿論聞くつもりも観るつもりもない。

選挙イベントは結果だけが楽しみだ。結果がどうあれ選挙後の世界に大きな変化なんかある筈が無いんだから。

2012年11月29日木曜日

人間生まれつき

4歳になったばかりの孫が水疱瘡に罹ったそうだ。一昨日から今週一杯は幼稚園を休まなければいけないらしい。今日は母親が幼稚園の保護者会に行かなくてはいけないので、婆さんにベビーシッターの留守番ヘルプを求めてきたとのこと。今夜の食事は孫のために昨日から作っていたカレーライスだそうだ。

少なくても老夫婦二人になってから家ではカレーを作ったことがないとのこと。昼飯にあちこちのカレーを食べ歩いているのを知っているので、「今日の昼にカレーだけはやめてね。」言われている。カレーとかすき焼きは家庭によって作り方が千差万別とされるので我が家の味が楽しみでもある。人間は生まれた時に個性なんかない、と解剖学がご専門の養老孟司先生だったと思うが書いていたような気がする。

個性は全て誕生後の学習によって作られるとのことだ。しかし夕べ孫の話から娘の子供時代のに話が及び、我が年子の娘の個性の違いは本当に誕生後の学習の違いだけだろうかとの疑問に至った。僅か1年半ほどの違いでの誕生なので、母親としては殆ど同じような育児法を持って臨んだらしいが、性格には実に大きな違いがあるのを認めない訳に行かない。

性格はさて置き、肉体的な個体差で、今でも不思議で仕方がないのが水疱瘡に対する免疫だそうである。今日手伝いに行っている上の娘は未だ水疱瘡をしていない。娘二人がが幼稚園時代、下の娘が水疱瘡を貰ってきたのでこれで安心と思ったが上の娘には感染しなかったとのこと。子供が出来てから子供の水疱瘡に感染すると大変なので、何とか幼稚園時代に済ませようといろんな努力をした。

水疱瘡発生の友達がいると積極的にその子の家に遊びに行かせたが、それでも罹患しなかったとのこと。今度正にその心配の事態になった訳だが、お医者さんに母親の方を検査してもらうと、何と抗体が既に出来ているとのこと。
一先ず安心ではあるが、どうしてそんなことになったのか、不思議でならないそうだ。

学術的根拠は全くないが、DNAだか染色体の数は同じでも二人と同じ顔の人間がいないように、人間は生まれながらにして個性があると思いたくなる。
我々夫婦がそんな考えなので、娘たちまであまり上手くいかないことに出くわすと、全て製造責任者である親や先祖の責任にして挑戦を避ける傾向があるかもしれない。あまり褒められた話ではないが。

2012年11月28日水曜日

争点

今度の総選挙の争点を幾つかの世論調査で見ると、殆どトップに来ているのが景気対策となっている。このように回答している人の気持ちがイマイチ分からない。就職活動中で何回も不採用を宣告されている昔の小生のように少しお馬鹿な学生が、もう少し景気が良ければ自分もどこかに引っ掛かるのでは、と何の根拠なしに夢想するのに似てはいないだろうか。

政治で日本の景気が良くなる筈がないことぐらいまともな大人なら分かりそうだが。おそらく世論調査に答える半分は女性だろう。お父さんの月給がここ数年上がらないのは景気のせいと単純に思っているだけのことではないか。
商店街がシャッター通りに変わっていくことにせよ、親会社の工場が海外に出てしまい廃業に追い込まれた下請け零細工場にしても、得体のしれない景気対策で立ち直る筈がない。

嘗て町の中心部で栄えた個人商店が全部無くなろうと(実際にそうなりつつあるのだと思うが)限られた得意先からの下請けだけに依存して生きながらえていた町工場が全滅しようと、全て時の流れの必然で逆らっても何ともならん筈だ。大方の日本人や外国人の多くが、店はどこであれ日本製品をもっと買うようになれば、結果として経済活動が活発になって景気が良くなるのだから政治によるところは少ない筈だ。

とは言っても日本の家庭はかなり豊かになっているので、嘗てのように耐久消費財目当てに活発な消費意欲が湧いてくる筈は無かろう。海外市場も大分いい思いをしてきたが、最近は途上国の追い上げが厳しいようだ。消費者の欲求が無いなら無駄な投資をして物を作っても仕方ないのは道理でもある。気の利いた企業はすっかり投資意欲を失くして、社内留保をどんどん増やしていると聞いた。

なのに何故景気対策なのか不思議でならぬ。政権与党の民主党も野党1、2位の自公が妙に息を合わせて増税を決めた。民主は全額社会保障にと言っているが、野党転落が決まっているから気楽に言っているのだろう。野党第一党は人からコンクリートへとはっきり断言しているそうだ。公共工事が増えている東北仙台の歓楽街は大変な活況らしい。この環境を全国に拡大しようとの意図だろう。そして国の借金は増加の一途、一体誰が望んでいるのだろう?

小沢一郎から共産党まで脱原発を掲げる政党が、争点をこの1点絞り候補者調整すれば第1党になる可能性がある。こんなことを言っている人がいた。確かに面白い発想で、目的が達成されたらまた空中分解してもいい。こんな時にこそ多少貧しくてもいいから、放射能などの災害を心配せず心安らかに暮らせる社会を築くための政治を考えてもらいたい。

2012年11月27日火曜日

大阪、嗚呼友よ

冬将軍が足早に近づいてくるようで天気の移り変わりが激しい。昨日の荒れた天気が嘘のような冬晴れになった。先週の土曜日は標高2000m近くの山小屋に居たのだが夕食後小屋が少し揺れたような気がした。気がしたと書いたのは炬燵に潜り込んで居眠りしていたからである。昨日今日と出会った人に聞くと、東京では久し振りの揺れだったようだ。

この連休また新たな訃報に接することになった。大阪時代に知り合った西成のふぐ料理屋の大将で、店にもよく行ったが、何故か個人的に親しくなった。年齢的には彼の方が少し上だったので可愛がってもらったと言うのが適切かもしれない。今でもはっきり記憶しているが、ふぐ屋の本業は火曜日が定休日で、火曜日には北の新地や南繁華街によく誘ってもらった。

商売が商売だから夜の世界では大変い顔が広い。金払いもきれいなのでどこでもよく持てた人だった。思い出は沢山あるが、3月になると大阪で大相撲春場所が始まる。ふぐ屋には相撲関係者の客が多かったようで、彼と兄弟分の呼び出しさんの長老(と言っても当時は現役)がいて、春場所の時期にはこの人も交えて派手に飲んだものだ。勿論相撲見物は砂かぶりの特等席を用意してくれる。だから相撲の面白さが分かってきたのも彼のお陰だ。

こっちの仕事とは全く関係のない人なのに、こっちの立場に随分気を使ってくれているのが分かることが多かった。思えば大阪時代の約6年間、大事な客の接待にはこの店を随分使って褒められたことが多い。大阪人は東京から来た人間をやや警戒して付き合う。どうせすぐ帰るだろうし、本人も心ここに非ずだろうと馬鹿にしているのだ。しかしそんな客でもこの店に連れて行くと明らかに態度が違ってくる。

大阪はふぐの本場を以て自慢する町である。しかし下町である西成の店まで知っている人は少ない。店構えがどうであれ料理が超一流であることは食べればすぐわかる。そこで大事に扱ってくれるので大概の客は見直してくれるのだ。本当に大将の気持ちが嬉しかったのでこちらも店はよく利用したものだ。

やがて会社を辞める決心をした時にも彼は本当に心配してくれて、一人で生きていくのがいかに大変かを懇々と諭してくれた。しかし結局辞職して東京に戻ったのだが、その後もずっと何かと気遣ってくれて、夏場の4か月の休業中には東京に出てきて迄声を掛けてもらったりしていた。それでもだんだん会う機会が少なくなってきたのは当然だが、東京に戻って25年、互いに心を通じ合って音信だけは欠かさなかった。

彼が逝ってしまったとは、彼岸で早く来いと手招きされるようで何ともやるせない気持ちだ。

2012年11月26日月曜日

今年最後の山歩き


3連休に山に行くかどうか財布との相談でかなり悩んだが、お金が残っても悔いが残ったのだは仕方あるまいと金曜日になって結局出掛ける決心をした。この期に及ぶと出かける先は雲取山ぐらいしかない。去年の11月末にも行き、今年の5月にも行っているので、目先を変えて秩父の三峰神社登山口から登ることにした。何度か通っているが、三峰神社付属の大浴場が魅力でいつも降りばかりだったので、始めて登ってみることにした。

土曜日は予想通り雨だったが、西部鉄道の特急乗車券1350円を買って明け方までに雨は上がるだろうと期待して寝た。ところが、朝4時頃目を覚ますと外は土砂降り。「こりゃいかん、特急乗車券は発車時刻過ぎでも払い戻してくれるかな」なんてせこいことを考えてもう一寝入りして6時前に目を覚ますと雨音が止んでいる。予報は、「雨が上がってもかなり冷え込み、関東でも山沿では雪の可能性も」と言っている。

雪ならまあいいやとの思いで予定の7時半池袋発の西武電車に乗り、9時頃西武秩父に着くと打って変わった晴天になっていた。三峰神社行きのバスは登山客で超満員、さすが雲取方面はそんなではなかったが、10人は楽に超えた登山者だった。こちらはどちらかと言うと裏口なので表の奥多摩方面からは相当登っていると想像はできた。

案の定、小屋に着くと200人定員の小屋が満員状態で、予約を入れずに来てしまったので受付で叱られてしまった。これは怒られて当然のこと。そのせいでもないが、16畳に25人詰め込まれたので期待していた状態とはかなり違った。でも部屋が寒いので却って温まって丁度良かったかもしれない。
当日は創業者のお祭りがあり、皆さんもどうぞと誘われて式に参列は善かったが、厳しい寒さには参ってしまった。

翌朝は4時に起床、山頂でご来光が見られそうとのことで、ヘッドランプにアイゼンを付けて6時前に出発。素晴らしいご来光に様々な思いや願い事して後、富士山から一寸頭を巡らせると北アルプスまでがはっきり見える冬の山景色を満喫しながら奥多摩駅まで約5里の道をハイキング。今年納めのハイキングとして最高ではあったが、疲れ方久々で、帰宅は婆さんが「こんなにいいお天気なのに、もう帰ってきてしまったの。」とびっくりするほど早い4時半頃。夕食を済ますといつもの山旅スライドショーだけして7時前には寝てしまった。

山旅の詳細はヤマレコでご覧願います。
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-248430.html

2012年11月23日金曜日

価値観『自由』

昨日は午後出掛けてしまったので日記を書く時間が無かったが、夕方未だ現役でサラリーマンをしている人を含め4人と夕食を共にさせてもらった。このような機会は最近めっきり少なくなっているので、話が少し難しかったりしたが、新しい知識と世の中の見方が増えて楽しかった。4人とも政治的には自民党支持と言っているが、安倍総裁にはかなり批判的である。余りに物を知らな過ぎる。

甘やかされた環境で育った故だろうが、民主党の敵失で総理の座が目前に見えてきたので、有頂天に舞い上がっているのがありありだそうだ。党首討論におけるうろたえ方を見ても精神的に弱いことが明白で、あれでは総理は勤まるまい。おそらく5年前と同じように何処かで躓いて体調に変調が来るのではないかと医者の様な見立てをした人がいた。

自民党支持の人でさえ、今週打ち出された政権公約は首をかしげざるを得ないところがあるらしい。小生からすれば、戦争を知らない世代故にそうなるのかと思うが、あの勇ましさには辟易してしまう。同じ年の人も同席していたが、彼は昭和20年8月15日の玉音放送については殆ど記憶が無いと言っていた。小生はあの日の記憶が極めて鮮明である。

座敷の床の間にラジオが置かれ、その前に祖母、母、叔母が正座して泣いている。父は遥か南洋に出征中である。多分これで2度と会うことができないと思ったのではなかろうか。祖母が「お前は子供だから奴隷にならずに済むだろう。」と言ってくれた等。戦後生まれの人も2人いたので、私の印象を素直に聞いてくれた。そこから現代の若者論に話が移っていったが、やはり世代間ギャップについて幹部の皆さんは苦労されているらしい。

聞いていて我々の世代と大分違うなと思ったことがある。中小企業だったせいもあるが、我が現役時代は出世にスピード感があり、30歳頃にはすっかり幹部気分だったし、その尻尾に一寸年下の若い子が男女とも連なっていた。同席されたのが大企業の幹部のせいもあるのだろうか、先ず会社に若い社員特に女性なんかいないそうだ。派遣制度の話で盛り上がり、企業にとっても若い派遣社員にとっても不幸だろうが、正社員になりたくない若い人の真理もあるらしい。

我が母校の福沢先生は「自由」を人間にとって最高の価値と力説強調されたが、現代子の「自由」に関する解釈は少し異なるのかもしれない。現役を外れてそんなに日が経つわけでもないのに、すっかり現実の社会が分からなくなっていることを実感しながら他の4人の会話を懸命に聞いていた。こちらから見れば若いが、何れにせよ間もなくリタイアの時期を迎えるであろう小父さんに先輩々々と煽てられ久しぶりに心地よく少し飲み過ぎた感もある。

2012年11月21日水曜日

金銭感覚と人格

仕事は無くなったが来年3月まで事務所をそのままにしているので、会社をしていた時の生活リズムを未だに続けている。起床から就寝までの食事の摂り方は変えずに、少し歩く時間を増やしたかもしれない。事務所にいても仕事が無いのでボケーとしたりテレビを見たり居眠りする時間が増えるのもやむを得ないところはある。ブログ量が増えているのも時間を持て余している証拠だろう。

今週末はまた3連休だ。子供の頃に比べるとやたらに休みが多い気がするが、こんなに怠けていて景気なんぞ回復できるのかと余計な心配をしてしまう。余計なことを考えるのは、3連休となると何か特別なことを考えなくてはと思うからである。考えるのが面倒くさい。金曜日の天気は悪いらしいが土日は晴れそうなので、近くの山へでも行こうかと一瞬思った。

真っ先に思い浮かんだのが雲取山、昨年も同じ時期に行っているし、今年も5月に行っている。何度行っても手ごろで好い山ではあるが、今日は何故か逡巡している。最大の理由は行くとなると2万円程度の出費を覚悟する必要があることだ。このことも何度も書いているが、どうも最近とみに吝嗇になって金銭のことばかり書いていけない。しかし正直なところ僅かばかりの蓄えから万円単位のカネが減るとなると気になってしまう。

蓄えがゼロになっても毎月年金が10万円ずつ入るのだからいいじゃないかと思いたいのだが、どうしてもそのように思えない。あと何年生きるか分からないのと、病気でもしたらどうなるのかなといった不安が常に思い浮かぶようになってしまった。考えてみると面白いものだ。つい10年かそれよりちょっと前の預貯金が1銭もなかった頃、借金は流石にいけないと思うようになっていたが、金は使うためにあるものだから、稼いだ金はあるだけ使えばいいだろうと思っていた。

しかし会社を起こしてから急にシコシコと貯金を初め、やっと幾ばくかのへそくりもできて、目出度く引退し使う段になると稼いだ金が急に惜しくなる。まるで人間性が変わったように金銭に執着する。嫌な奴だと自分でも思うが、これが高齢者一般の思いかも知れない。否そうではない、息子でもいたら思いが違うかな。息子がいたら誇りを捨てて食わせてくれと頼んだろうか?
仮定を考えても詮無いが、最初からへそくりなんか作らなかっただろうと思ったりして。

何れにせよ、これから年末にかけて忘年会ぽい同期会などが重なってくるので、未だに山行きの決断ができない。

2012年11月20日火曜日

景気と優先順位

余り好きでない物書きに立花隆氏がいる。雑誌記者時代の調査記事「寂しき越山会の女王」には敬意を払うに吝かでないし、その後も多くのドキュメンタリー、ルポルタージュで名声を博していることにケチをつけるつもりはない。好きになれない理由は、彼が時々政治評論家みたい振る舞いをすることに起因する。その彼がいつの頃からか月間文藝春秋の巻頭随筆のトップを飾るようになった。

今月売りの12月号を見ると「日本再生-20」となっているから既に20回目、2年近くになるのだろう。城山三郎氏や阿川弘之氏が書いていた時代は楽しみにして読んでいたが、立花氏になってからの記事については記憶が皆無だ。ところが今回の随筆「有人宇宙開発無用論」珍しく全面的に共感を覚えた。医学や科学にとりわけ深い関心を寄せる著者であるが、全くいいことを言っている。

曰く、有人宇宙開発は人命にかかわる事故がつきものであること、費用が掛かりすぎることの2点を指摘している。米国人が人命を軽んじている訳でもないだろうが、日本人にはチャレンジャー号事故やコロンビア号事故のような大事故を乗り越えるようなタフな精神はないだろう。又、日本の財政は、いま世界の歴史上類例がないほど、巨額の借金を抱えて殆ど破たん状態にある。JAXA予算は、ほぼ年間2000億円のペースで減り気味で推移してきた。諸般の事情を考えればこの傾向が反転する筈はないだろう。

独自の有人にどんな意味があるかと言えば、国威発揚ぐらいだろう。そんなことは国威発揚が何より大切な中国に任せておけばいい。有人はあくまで国際チームの一員としてやる立場を貫き、独自性を発揮できる得意技術分野で勝負すべき。以上が主たる論点であり、これには全面的に賛成する人が多いと思う。

立花氏でさえこんな論陣を張る時代なのに、ヒートアップする選挙のためか、自民党は景気回復のため、国債をどんどん発行して日銀に買わせ、札を大量に刷らせることが必要とぶち上げた。この発言で為替が反落、株価も日経平均が一気に500円も上がったのも事実。批判的な人に言わせると、戦争でも始めるのなら別だが、正真正銘の禁じ手とのことで経団連でさえ警鐘を発している。経済や株のことは何も分からない。しかし、景気が良くなれば株は上がるだろうが、株が上がったから景気が良くなるとは思わない。

ホリエモンに聞けば別の考えになるかもしれない。

2012年11月19日月曜日

孫の時代

遅れていた季節がやっと追いついたようで、全国的に大分冬らしくなってきた。東京もかなり冷えてきたので遂に冬用のコートを着用に及んだ。着ぶくれると格好良くないと思うが、年寄りはそんなことで気取っていられない。「風邪は万病の元」と自分に言い聞かせている。一昨日の土曜日に婆さんが実家に帰り、来合せた一番年上の孫と会って写真を撮ってきてくれた。

孫は来年3月高校入試を控えているので、一所懸命お勉強しているとのこと。志望校については聞いていないが、勉強に打ち込んでいるとは感心するばかりだ。義務教育課程児童の学力が低下していると聞くが本当だろうか?時々テレビに登場する子供たちのインタビューを聞いていると、出来の悪い政治家なんかより余程しっかりしている思うことが多い。うちの孫でさえ進学を意識して勉強する世の中だ。

我々の中学時代に比べれば現代の方が遥かに高校への進学率は高い。今の中学生の方が昔より難しいことを勉強しているように思うが、実態はどんなものなのだろうか?学校における学習内容は知らないが、少なくとも全家庭にテレビがあることだけでも、記憶装置にインプットされる情報量は格段の差があるだろう。人間何を以て賢いと言っていいか分からないが、独断を以ていえば、今の子の方が我々世代よりは遥かに賢い。

同じテストで世界の児童を比べると、日本の児童の水準はかなり低レベルとの指摘もある。そんなこと余り気にする必要もないような気もするのだが。体力も落ちていることを指摘されるが、これだけ便利な世の中だから一般的に体力が低下するのは仕方ないだろう。むしろ体格が立派になっていることは事実。スポーツとか運動に関する進歩も目覚ましいものがある。あらゆる分野で若手のスポーツ選手が活躍している。4歳になったばかりの孫が幼稚園で毎週プールに行っているそうだ。小学校に上がる前に泳ぐようになってしまうのだろう。

先が短くなったせいか、子供や若い人をどうしても美化して観がちになるのかもしれない。若年犯罪も増えてはいるだろうが、それでも大多数の若者は賢く育っていることを信じている。ヤクザの倅が大臣になってもいいし、知事や市長になっても不思議はない。政治家の2代目が政治家になってもいけないとは思わないが、自らの意思でなってもらいたい。我が孫は今のところサリーマンになりたいと言っているようだ。

しかし高校に進学すれば考えもまた変化するだろう。孫のことは何を聞いても楽しい。どこでもいいから高校生になって、中卒浪人にならないことを祈るばかりだ。

2012年11月18日日曜日

予測困難

原則ブログ書きは平日に留めようと思っているのだが、選挙戦が始まったので突っ込みたい箇所がてんこ盛りにつき、今日もまた余計なことを少し書きたい。先ず今回の選挙、小選挙区制導入が目指した2大政党どころか小党が乱立しているのが何故か不思議で仕方ない。昨日のテレビで評論家田原総一朗氏が、自民党は常に融通無碍で、確たる定見が無く時に応じて見解が変わるのは当たり前みたいことを語っていた。

それでは政党としての態を成していないじゃないかと思いながら聞いたが、考えてみると民主党にしても五十歩百歩、国民の多くが支持するような政党は皆無だと言うことなんだろう。そこで改めて仕切り直しができればいいと思うので、旗を上げた主な人間を並べてみた。

1.野田佳彦 1957年(昭和32年)5月20日 55歳
2.安倍晋三 1954年〈昭和29年〉9月21日 58歳
3.渡辺喜美 1952年(昭和27年)3月17日 60歳
4.石原愼太郎1932年(昭和7年) 9月30日 80歳
 橋下徹  1969年(昭和44年)6月29日 44歳
5.小沢一郎 1942年(昭和17年)5月24日 70歳
6.山口那津男1952年(昭和27年)7月12日 60歳

石原慎太郎氏と橋下徹氏は前者が党首で、彼が旗を掲げたかに装っているが実際の旗を掲げたのは後者に見える。第一石原氏では生命がいつまでもつか分かったものでない。今回の解散にあたって改めて羽田孜氏や与謝野馨氏の映像を見ると、やや酷な言い方をするともっと早く議員を辞めるべきだった。
国会議員が如何に木偶の坊であって構わないと言っても、そこまで税金を投入してはいけないと思う。

やはり国政に於いても世代交代をすべきというより、必然的にそうなるに違いない。だからと言って橋下氏や野田氏を特に買う訳ではないが、政治家にも定年制を設けてみてはどうだろうか。高齢化社会で老人が至る所で幅を利かせているが、1億数千万人のリーダシップを取るには、中国トップのように在職中に超えるのは仕方ないとしても、60歳を超えた人間には無理だろう。

何れにしても今回の選挙はリーグ戦みたいもので、トップ自民党が確定とされてはいるが、過半数は無理とも言われている。どんな組み合わせになることやら。

2012年11月17日土曜日

ニュースを聞いていると

毎日のニュースの中には時々「え、ちょっと違うんじゃないの?」と思うような言葉遣いが現れる。昨日野田さんが民主党両院議員総会で発した激励の言葉に「畳をかきむしっても当選を果たして帰ってきてくれ」みたい一節があった。この形容の正しい使い方は知らないが、親に隠れて読んだエロ本で使われていたような気がしてならない。本来は七転八倒の苦しみを指すのだろうが、下品故に他の想像をしてしまう。今や畳を知らない子供も多いからどうでもいいが。

「政治空白」についても首をかしげたい。劇場型政治を楽しんでいる無責任な立場で言うと、この週末ほど濃密、充実した政治が行われていた時期は何年ぶりのことだろうてな感じだ。空白を実感している人に、その存在をどこに見つけているか聞いてみたいものだ。野田政権末期だけを見ても、三党合意成立後100日あったそうだが、愚考するにこの間ずっと政治空白が続き、最後の僅か2日間だけ国会が本来の機能を発揮したようにしか見えない。

今回首になった議員500人弱の殆どが3年数か月本来の仕事をせず、高禄を食んでいたに過ぎないと言ったら怒られるだろうが、賛成してくれる人も少しはいるかな。マスコミにも勿論責任はある。昼間から酒を飲んで宵の口の8時に電車の中で痴漢行為に及びお縄になったアナウサーかキャスターは関係ないかもしれないが、予定された政治家の所作をアホ面下げて追い回す若い記者諸氏、都合何名の食い扶持に繋がっているか聞いてみたいが、諸君があげつらう「政治空白」のお陰で仕事が増えてよかったね。

「街の声インタビュー」数千万人の有権者の中から何を聞きだすために、何を基準に選考しているのか。「仕事が欲しい」はまあ良しとしよう。「景気を何とかしてほしい」が定番だが、政治家に景気を良くする力があると本気に思っているのだろうか。世界を知らなくても日本企業の業績先行きが暗いことぐらい俺でも分かる。企業環境がどんなに悪化しようと、そこを突破するのは己の努力以外あり得ないことをマスコミはひょっとしたら知らないのか。

そこにいくと財界のインタビュー定番「努力する者が報われるようにしてほしい」は素直で当たり前な声を引きだしているのだろう。税金をまけて貰ったり、消費を刺激する財政措置を講じてほしいとあからさまだ。企業業績が悪化すれば経済全体に影響が出ると言うことで、政治家はすぐ法人税減税だと騒ぐ。無制限な金融緩和やこんなことで、テレビインタビューで不満を漏らしていた人達がハッピーになるなんてことは先ずあるまい。政治家がどうしようも無いのは仕方ないにしても、マスコミ人はもう少し頭を冷やして勉強してほしい。

2012年11月16日金曜日

大言壮語

やっと少しばかり西北からの寒波が来て2、3日冬らしくなったと思ったら、今日は又小春日和の良いお天気になってしまった。都会に暮らすこちらには有難いが、スキー場ではやきもきしていることだろう。何度も書いているように、最近は専ら身辺整理を心掛けているので、徐々に身も心も軽くなってくる思いだ。仕事が無くなる、収入が途絶える(と言っても月に約20万円相当の年金は入ってくる)と言っても、心が軽くなるのは高齢者の特権だ。

昨日さんざん考えて年賀状を初めて独力(誰かにディザインを手伝ってもらうとか、印刷屋にプリントを注文するとか余計なお金を使わずにの意味)で制作した。しかしはがきの調達は婆さんに任せていたので、完璧に独力とは言えない。昨晩そこら辺についてやんわり言われた。「庭木の手入れも注文したし、年賀はがきも買ったし、いろいろ大変なのよ。」考えてみれば、年金を半分(10万円)渡しているだけなので、はがき200枚でも結構な出金だ。

次回からはこっちの小遣から出さなくてはなるまい。それは兎も角として、今朝はその文面をギーコギーコと自分で印刷、後は送り先住所を印刷すれば完了だ。但し、珍しく喪中ハガキが1通も来ていないので、この作業は少なくとも来月下旬になるだろう。てなことで、天気は上々心も晴々と、いつものように池袋への散歩に出かけた。昼飯の後書店に立ち寄り雑誌を立ち読みした。そんなに長い時間でなかったが、チラッと見ただけで心底感心した事がある。

月刊文藝春秋12月号の目次に「国を変え、日本人を変える」とあって副題に<石原慎太郎 不退転の決意 >とある。内容は一行も読んでいないが、このタイトルには本当に感じ入ってしまった。今朝の朝食時に「これから選挙で賑やかになるから、ニュースも面白くなっていいな。」と言ったら家人曰く「選挙に出る人(即ち政治家)なんて皆頭がどうかしているのよ。自分の顔の大写真が町中に溢れるだけでも普通の神経で耐えられると思う?」亭主とは異なり、自分ではたっぷり選挙に関わってきた本人の科白なので「それもそうだな。」と相槌を打った記憶が残っていた。

己の神経が普通と仮定してであるが、小生には嫁や娘ですら変える?考えを糺す自信はない。まして何を考えているか皆目見当もつかない他人様を変えるなんて思いもよらない。大言壮語なる形容があるが、流石文学者だ。記事そのものは1行だに読まなかったが、政治家たるものはこうでなくてはイカンのだろう。(石破氏の言い方みたいでよくないな)昨今の政治家なんぞ何一つ出来もしないから、どうせ言うならでかい方が猿芝居にも迫力が出ると言うことか。

2012年11月15日木曜日

政界再編?

「1日も早い解散を!」と煽っていた野党の自公に悪乗りしてきたマスメディアの思惑通り、明日解散、ほぼ1か月後の来月16日投票が決まった。多くの国民が注視している国会の党首討論でそれを断言した野田総理については目を見張る思いだ。明らかに捨身になっているので、先ず全体を通して、玉砕覚悟の万歳突撃を敢行した硫黄島の栗林中将を連想させた。お父さんが通信簿に記された学科評価が下がったことを叱らず、生活態度を書いた講評に「野田君は馬鹿が付くほどの正直だ。」と有ったことを喜び褒めてくれたことを披露。

要するに「俺は嘘つきじゃないよ」と力説すると同時に、安倍総裁が主張する教育改革を適度に皮肉っている。僅か30分程度のやり取りの半分とすれば約15分、どこまで本当か分からないが、恰も巧みに計算された芝居の科白のように視聴している耳に入ってくる。対する安倍総裁が台本に無いことを言われて余りにオタオタしているので、決定力不足の総理との今までの思いが間違っていたのではと思えてしまった。

同様の感想を持った人は明らかに多いみたいだ。テレビの解説者の殆どは軍配を野田氏に上げて、党首討論の新しい姿と褒めている。これで野田氏個人の支持率は少し回復することだろう。しかし一夜明けてみると、党内は死屍累々。マスメディアも早々と手の平返しのアリバイ作りを始めている。余りに白々しいが、いくつか挙げれば、経済の先行き不安や復興停滞の恐れがあるこの時に政治空白を作っていいのか、暮の忙しい時期選挙なんかしている暇が有るのか、財務省に乗せられて国家国民を無視した解散ではないか等々。

ネット上ではこういった批判に加えて、野田総理は明らかにアメリカ政府にコントロールされている。TPPを争点になんて言いだしているのが動かぬ証拠とする意見も多い。何と言っても民主党(主流派)と最大野党の自民公明が馴れ合っているのだから、争点が無いのは当たり前だ。これで800億円もかけて選挙をして安倍総理を誕生させ、国民に信任された政権で力強く政策を推進だそうだ。

ひょっとすると、景気について言えばさらに落ち込む可能性は高いし、外交にしてもTPPなんかアメリカの言いなりで変わらないだろうし、領土を含む外交なんかも前政権よりもっとやばい話になりかねない。反する勢力は見事に分断されて、何が政界再編か分からないが、自公民に対する抵抗の仕様が無くなる可能性が高くなるとしたら面白いことは何もない。

突き詰めると野田氏はやはり罪作りだ。3年前の西松事件が悔やまれる。

2012年11月14日水曜日

嘘つき?実直?

今の国会に興味や関心がある人は少数派に違いない。たまたま今日は外から戻った時刻が3時ちょっと過ぎで、党首討論で小沢さんが何を喋るか関心があったのでテレビをつけた。未だ安倍氏と野田氏の討論の最中だったので、関心が薄く、手を洗ったり口をゆすいだりしながら遠くから聞くともなく聞こえていたが、野田氏が急に「16日にでも解散します。」と声を張り上げたのが耳に入った。

国会て所は政策を協議する場ではなく、誹謗と子供じみた欲望を言い続ける場のようにしか思えない。たまりかねた一方の与党側が切れたのかと思ってテレビに向き合うと、途端にテロップが流れた。「野田総理今週中の解散に言及」冗談かと思っていたが、メディアはマジに受け止めているらしい。その後何度も同じ映像を見ているが、総理は野党が議員定数の削減を約束すればと枕に置いているが、確かにはっきりと16日に解散すると言っている。

消費税増税を言いだして小沢一郎を追い出したあたりから、総理の考えは理解不能だ。馬鹿か利口かも分からない。野田氏の評価は様々なようだが、変な度胸の良さがあるようだ。自民党と事前に握っていたわけではないと思うが、枕に置いた条件は自民党にとって受け入れ困難なところはないように思う。公明に至れば御の字の話だ。むしろ家の子郎党全員が反対する解散を口にしたのは、瓢箪から駒でなくて本気で解散を打つ気なんだろう。当然、自分を総理に押し上げてくれた民主党は消えてなくなる可能性すらある。全く何を考えているのか益々分からない。

小沢氏に与えられた時間は僅か10分、自公民3党が群小野党を無視して進める国会運営手法に対する批判し、地方交付税一つを取り上げ、マニフェストを実行していると言いながら、官僚主導の政権では実態が全く改善されていない事を直視してくれだけに留まった。相変わらず田舎のおっさんみたいで演説は下手だが、言わんとするところはよく分かる。
嘘つきでない政治家がいたらお目に掛かりたい。

2012年11月13日火曜日

読後感「通貨戦争」ジェームズ・リカーズ著/藤井清美 (訳)

既に1か月以上前のことになってしまったが、愛読しているメルマガの著者2名(田中良紹氏・高野孟氏)が相次いで本書の書評を発表して褒めていた。両氏がともに挙げていた味噌は次のことである。一昨年9月の尖閣諸島沖での中国漁船と海上保安庁巡視船衝突→船長逮捕→釈放の裏側で通貨戦争が行われ、深刻な事態は避けられたものの両国ともに教訓を学んだ。具体的には

「漁船の船長が逮捕された時、中国政府は船長の釈放と日本の謝罪を要求してレアアースの対日輸出を全面停止した。これに対し日本政府は9月15日に外国為替市場で日本円の価値を突然下落させて反撃した。結果円は人民元に対して3日間で約3パーセント下げ、日本政府がこの円安政策をとり続けていけば、中国の対日輸出は、インドネシアやベトナムなどに比べて不利になった。それから数週間で船長は釈放され、日本は形式的な謝罪を行い、円は上昇し始め、レアアースの輸出は再開された。」

嘘か真か分からないが、日本が中国に戦いを挑むなんてことが信じられなかったので猛烈に興味が湧いた訳である。読み始めると成程そんな事が書いてある。但しことを正確に理解するには、通貨と経済についてそこそこの正しい知識を持たなければ意味が通じないことになる。気が付いたの時点で止めればよかったが、本代2100円がもったいなくて理解不能箇所が多いまま最後まで活字を追ってしまった。

著者は投資銀行家でジョンズ・ホプキンソン大学高等国際問題研究所で教鞭をとると紹介されている。経済学と国際政治学両方の権威と言うことだろう。
一昨年の日本政府の行動が本当に意図的に戦いを仕掛けたのかどうか。それについての言及はない、ひょっとして偶然のことだったら興ざめだが。著者は、現在世界中で基軸通貨として信任されているドルが、現在の延長線で無制限に刷られ、世界に流出し続けると、とんでもないことになる。と警鐘を鳴らしたいようだ。

とんでもないこととは、膨らみ過ぎたグローバルな金融市場の取引で、ドル安が進み過ぎた結果、ある日些細な事故が発生、それが引き金で世界規模の金融危機が発生しかねないことらしい。米国は高度のインフレになるばかりでなく、世界中の金融機関と財政当局が慌ててドルの投げ売りを始め、誰にも止めようがない世界恐慌の大混乱無秩序状態が出現しかねないのだそうだ。

ここから先言及すると益々こんがらかってくるのでやめる。一つだけ感心したことがある。菅総理時代、自民党の大蔵省上がりの議員(林氏だったか)が、総理大臣に財政出動の乗数効果に関する質問で菅氏を立ち往生させて得意になっていたことがあった。そのケインズが言う所の乗数理論だが、著者に言わせると全くナンセンスらしい。ケインズの経済学や財政論で景気を良くするなんて不可能らしい。

ここだけは妙に説得力を感じた。ところでこの本が発表された由縁だが、著者が所属する大学の研究所とペンタゴンが協力して金融戦争シミュレーションを2009年実際に行った実験のレポートである。この研究所は日本軍による真珠湾攻撃の翌年に設立され、戦争に勝つための新兵器の開発に一貫して取り組んできた研究所とのことである。アメリカて不思議な国だなぁ。

2012年11月12日月曜日

心機一転が必要

昼から気持のいい天気になった。しかし季節はもう冬、直ぐに寒波がやってくるらしい。そろそろ年賀状も書かねばならない。書くと言うより作ると言った方が適切かもしれない。年の瀬を迎えるにあたり来年にに思いを巡らせてみた。生まれ年の干支を7順もし終わると、流石に来年の予定も抱負も何も見つからない。小手帳を買う季節でもあるのだが、買っても記入することが皆無とは寂しい限りだ。

結局小手帳も買わず、年賀状の文句も日が暮れる。結局極めて平凡なものを作ることになるだろう。65歳頃から今日まで「高齢の割にはお元気ですね」なんて言われることを目標みたいにして、健康維持ばかりに神経を注いできたような気がする。健康維持も悪くはないが、所詮は高齢者だ。余り欲張りすぎるのも考えものだ。

今年よりは来年は少し年寄りらしくなるのが自然だろう。今年も山歩き以外には特筆べきことは何事無く淡々とした年で終わりそうだ。来年に向けて具体的にはどんなことを思いつくか分からないが、昼間使用していた仕事場が無くなることだけは間違いなさそうである。朝出掛ける先が無い生活は考えたことがないので少し混乱気味の昨今である。

2012年11月9日金曜日

お先真っ暗?

ここ数日ブログを未だ陽の高いうちに書いてきたが。今日は真っ暗になってしまった。明るいうちと違って、外が暗くなって何か書こうと思うのでは気分が大分違う。今日が終わり明日を考える時間だが、何となく窓の外の風景と一緒で暗い感じがして気分が落ち込む。仕方なしに書くことにする。今年は世界中で指導者が交代した年と言えるようだ。アメリカでは大統領選挙の結果オバマ氏が当選して、引き続き2期目の大統領に就任が決まった。

世界情勢は疎いので生半可な知識だが、中国は現在トップ交代劇が進行中だし、韓国も大統領選挙が始まっているようだ。北朝鮮も代替わりした。他に知っているのはロシア・フランス・イタリアなんかも大統領が変わったことぐらいだが、今年トップの変更があった国は相当あるらしい。不思議なことにトップ交代が年中行事の日本で、首相が目出度く1年以上続いている。国民が意識して世界の潮流に逆らっているなら面白いが、偶然とは恐ろしい。

日本のことはさて置き、世界規模で指導者が交代して地球の将来がどうなるかだが、あまり楽観できるような音が聞こえてこない。今週火曜日の夜9時NHKのニュース番組、大越キャスターが大統領選取材でワシントンに行ったついでにインタビューした若い政治学者が指摘していた。これからの世界はリーダーが不在になるらしい。言われてみるとそんな気がしないでもない。

オバマが圧倒的な差で再選を果たしたと伝えられるが、一方で日本と同じようなねじれ国会を抱え、議会共和党との対立は深刻であるばかりでなく、国民のオバマ支持派とロムニー支持派の実態的差異は選挙結果とは別物で、オバマの経済政策の失敗に愛想を尽かした中間層が結構いるようだ。貧富の格差が拡がったのは、福祉を強調する選挙には有利だったか知れないが、国民の内部に深刻な問題を孕んでいるとも言われている。

要するにオバマの指導力のみならず、アメリカの指導力が落ちている。またアメリカに代わって指導力のある国も出てこないので、世界が不安定となり紛争が引き起こされかねない。特に懸念されるのがアジアと中東、アジアも東アジアが特にやばいらしい。本家アメリカさんのこんな事情が、属国日本に対し誰がトップになろうと、良い影響がもたらす筈がない。初めて聞く御説だから眉に唾つけて聞き流せばいいが、もっともらしく聞こえてしまう。

NHKが誰に視聴させたくてこんなこと放送したか理解に苦しむが、きっと政治家も見ているのだろう。彼らは何を思っただろうか?ご覧になった方も多いと思うが感想や如何に。

2012年11月8日木曜日

風化させていいのか

東京電力は昨日2015年までの中期経営計画を発表し、その中で被災者への賠償や廃炉、放射能を取り除く除染作業などの費用が想定した五兆円を上回り、十兆円を超える可能性があるとして、政府に新たな財政支援を求める考えを明らかにしたそうだ。どのマスコミもこれをニュースとしてサラッと流している。

たまたまアメリカ大統領選挙の開票結果や田中文科大臣の発言修正問題が重なっているので、今のところこの発言に疑問や異論を唱えるメディアは見当たらない。このニュースに対して憤慨している人はどのくらいいるだろうか?毎月の支出を細かにチェックせざるを得ない一般市民は最近電気代が上がっていることには気が付いている筈。日本人は善い人が多いので、もっと節電しなくては程度の話で、問題がどこにあるのか追及はしないのが一般的だろう。

婆さんが猛烈に怒っているので、家計に関わりない小生が代わりに取り上げたい。冷静に考えれば東電の経費がかさむのは当たり前で、最終的には国家、国民の税金で尻拭いせざるを得ないのも仕方がないことかもしれない。であれば、何故一旦破綻処理をしなかったのか?会社そのものは倒産した訳でもないので、経営者や社員の皆さんも未だに一流企業人として、それなりの高禄を食んでいらっしゃるようだ。だから我が家では僻み根性で「盗人猛々しい」みたい言い方になってしまう。

そんなことより深刻なのは、被害にあわれている当事者の皆さんことである。マスコミは事故と簡単に書くので、被災していない首都圏に住む我々は東電も同じ被害者かのような錯覚を起こしかねない。この辺にマスコミの取り上げ方の怖さがある。被災された方は筆舌に尽くしがたい苦しみに未だに直面している。故失くして故郷を追われ、着の身着のまま首都圏の狭い部屋に追い込まれたお年寄りの話を聞く機会があった。

一時帰宅で帰った我が家は座敷中ネズミの運動会だったそうだ。政府や県、市町村に至るまで対策は不可能とのつれない返事で、たまりかねて警察に相談したら「泥棒は捕まえるが、ネズミを捕まえることはできません。」との返事。ここだけ聞いていると笑い話になってしまうが、実態的には泥棒の被害もかなりらしい。政府から沢山金を取って被災者には金さえ払えば文句はあるまい。この東電に姿勢に、やるべき事は全て民間企業の東電に任せて責任は負わない官僚、更に出銭をけちる財務省。いったい事故の責任はどこにあったのか。

マスコミだって全く関係ないとは言えないだろう。しかし今となると福島のことではニュースにもならないので、大飯の活断層や原発再稼働など論争があることのみを喜んで記事にする。昨年3月の原発事故は既に風化していると話すお年寄りの目には涙が浮かんでいた。

2012年11月7日水曜日

規制緩和

来年4月開校の予定で準備を進めてきた新設大学3校の不認可問題で世間が騒然としている。何でも今年の3月31日の申請に間に合えば10月には認可が下りるらしい。当然、申請までにそれなりの根回しがあるのだろうし、申請内容がどんなものか知らないので、飽く迄も素人の直感即ち無責任な感想を言えば「大学ってそんなに簡単にできてしまうの?」となる。文科大臣によれば現在日本には800の大学が存在するらしい。

更にここ数年、学生数の減少にも拘らずその数が増加傾向にあるとのこと。最近は群馬県で学校の経営が成り立たずに倒産した大学も出たらしい。「あなたの母校はどちらですか?」と質問されて「満州にあった建国大学す。」なら胸を張って返事もできるだろうが、「群馬にあった○○大学で、今はもう有りません。」では成程ちょっと寂しかろう。

短大を経営してきた方が4年制大学に格上げを望むのは、経営者としてみればごく自然で、非難するに当たらないだろう。まして小泉内閣以来の規制緩和でお手軽にできるとなれば一層のことだ。当然ながら狭い日本に大学が乱立して、大卒の青年が巷に溢れている。このことも自然の成り行きだから文句を言っても始まらない。大阪市長さんに言わせると「どうせ自然淘汰するのだから、不認可なんぞとんでもない暴挙」だそうだ。

竹中平蔵氏が最高顧問で、もろに影響を受けている維新の代表だから仕方がない。タクシー業界の規制緩和もワーキングプア―の量産との指摘もあるが、プアー大学の量産が果たして我が国の活性化にどれほどの貢献をするのか。田中真紀子氏の暴走にも一定の意味があるのではなかろうか。ことほど左様に規制緩和については難しい問題があるのは分かる。今朝の東京新聞が1面トップに取り上げていたのは、公職選挙法に関する規制を緩和すべきとの記事である。

折しもアメリカの大統領選挙の投票日なので、先日来、米国の選挙に関する報道が多かった。詳細の実態は知る由もないが、選挙事務所の多さや戸別訪問の多さだけでも彼我の違いが伺える。東京では1か月足らずで知事選が始まることになっている。米国大統領選と比較するのも如何かもしれないが、あちらの場合は1年以上前に実質的な選挙戦に入っている。我が都市の場合は後出しジャンケンが有利とされ、未だに立候補宣言しない候補者さえいる。

選挙戦が始まると昼間は街宣車が走り回り、選挙区外の通勤客が多い駅前の街頭演説がお定まりの図式となる。婆さんは選挙について相当専門知識をお持ちだ。意見を聞くと、東京新聞が言うまでもなく公職選挙法の規制程下らないものは無いらしい。候補者に民意を反映させる気なら、候補者が創意を凝らして民意を汲むようにすべき、が彼女の意見。選挙事務所でせんべいだったら出してもいいが、饅頭はいけないなんて規制にどんな意味があるのか。

昨日政治家から来た2万円のパーティー券について書いたばかり。昨日帰宅すると同様なレターが別人から来ていた。官僚による規制が政治家を含めて人民を愚民化しているのも事実。

2012年11月6日火曜日

セコイ話

セコイなんて言葉がいつ頃から市民権を得ているものか知らないし、今まであまり使ったことがないように思う。しかし、「貧すれば貪する」の喩えとは少し違うと思うが、最近とみにセコクなってしまった。やはり純然たる年金暮らしに入ったからであろう。年金月額約20万円の生活に入ったのは既に1年以上前のことだ。しかし住民税の関係かと思うが、7月までの健康保険の医療費負担が3割取られていた。

これが目出度く8月から1割負担に変更された。ここで俄然年金生活の実感がわいてきた。毎月医者に通っているので、この2割の差額が大きいことには改めて驚いた。なろうことであれば6月7月脳神経の外来から始まって、心臓、肺とあらゆる検査をした時に適用されていたらなぁ、と思うがそうは上手くいかない。それでも、突き指が原因でこのところ足繁く通う接骨医が1回120円になったのは大感激でもある。

医者通いは別にセコクなっている訳ではないから問題ない。このことによって、月10万円以上の出費はへそくりを取り崩していることにやっと気が付いた。先に書いた20万円との不整合は婆さんに半分献上するので手元に残る金額がその半分になるからである。月30日として1日約3千円。最大の支出項目は昼飯代だから、楽勝だろうと思っていた。ところがギッチョン、交通費が馬鹿にならない。いくらバスでも月に3回も山に行っていたのでは、とてもやっていけそうにない。

パスモを1万円チャージしても、ひょこひょこ出歩くとすぐ無くなってしまう。このブログを定期的に読んで頂いている方は既にご承知のことと思います。先週は2回も友人からご馳走になった。「割り勘にして下さい。」と一度は言ってみるが、「いいから今日は任しておけ。」との返事を期待しているので、その言葉を聞くと即座に「ありがとうございます。」と反応してしまう自分が些か情けない。

今日はたまたま応援している地元の代議士からパーティーの案内状が届いた。
選挙が近そうなので当然ではあろう。いつもは池袋の公共施設だったりして
5千円止まりだが、先方もイザ鎌倉ともなればそうも言っていられぬ訳だ。
先日年会費の請求が来て、一口2千だったので気前よく1万円を振り込んだ。
その時丁寧な手書きの礼状を貰って喜んだのだが、今回出席するのを躊躇している。これも情けないし。

先日高校同期の友人から忘年会的な集まりの誘いを受けた。この会費も1万円である。誘ってくれた友人に「会費をもう少し考えてよ。」と言ってしまった。セコイを辞書で引くと「細かくてみみっちいこと。」とある。正にその通りだ。少し情けないが致し方が無い。

2012年11月5日月曜日

高齢者の海外旅行

mixiで日記を書きだしたのが2005年10月18日となっている。既に丸7年以上書いていることになる。当時と比べて何が変わっているかを知るために、書き始めた頃3か月ほどの日記をざっと読んでみた。2006年の1月に「昨年はゴルフを2回しかしなかった。」とあるので、ゴルフを止めてもうそんなになるのか、改めて時の流れの速さを思った。

2006年正月に起業して以来3年目で66歳目前とある。何を知りたかったかと言うと、この頃海外に行った記録があるかどうかだ。理由は海外旅行について書こうと思ったから。不景気と言われながら、海外旅行はそんなに客が減っていないようだ。中国韓国の客はすこし減っているようだが、他のアジア諸国や欧米旅行の人気は相変わらずのようだ。小生の場合、2006年10月以の海外旅行はやはり無いみたいだ。

自宅に戻ればどこかにパスポートがあるだろうから、それを見ればはっきりするが、確か起業する2年くらい前に中国に行ったのが最後だろう。日記を書き始めたことが象徴しているが、65歳の頃からライフスタイルを意識して変えてきた。海外旅行をしたがらないなんてこともその一つだ。我々の世代は卒業旅行なんて言葉は無かったが、就職して10年か15年ほどの頃(昭和50年代初め)からだろうか、海外旅行がレジャーの主流になった感もある。

小生も昭和から平成の初め頃だったろうか、当時の人並みに1、2回は海外旅行を経験した。しかし、又どこかに行きたいと思うほどの感激が無かったのも事実だろう。人様々だから、一度の経験に触発されて、以降ずっと世界旅行を趣味にしている方が多いのも不思議はない。今朝、中国万里の長城見学で大雪に遭遇して亡くなった高齢者の記事を見て、ふと思った。人間の運・不運はどこで出会うか分からない。

小生も今やレジャーが中心の人生とも言える。最近好んで使うバス旅行をしていれば安全とも言い難い。日本の山にも危険は一杯である。でもより好んで外国まで行って、普通の人の余り行かない場所を求めたいとも思わない。本日お伊勢さん初詣のバスツアーを申し込んだ。

2012年11月3日土曜日

恵比寿

文化の日の今日は晴れの特異日とあって天気は良いが、風が冷たい。我が家も炬燵なんかが引っ張り出されすっかり冬支度になってしまった。街のショーウィンドウの飾りつけはクリスマス気分だし、あとは年末年始に向けて一瀉千里か。昨晩も一昨夜に引き続き別の友人からご馳走になった。しかも昨晩は夕方4時前から恵比寿で2軒はしごした。15年以上前、恵比寿で飲んでいた時代があるのだが、当時の店は一向に思い出せない。

2軒とも友人の知り合いの店で、意見は中華料理、もう1軒は小料理屋。何れもこじゃれた店で、我々老人は少し場違いだった感もあるが、料理も酒も店の雰囲気も良かった。いくら飲む量が減ったとはいえ、4時間近く飲めば相当な量になる。帰宅したのは9時前だったが、最寄駅から自宅までの10分少々、足元が少し怪しかったような気がする。そんな訳で折角の店名が思い出せない。

何れ友人に聞いて改めてここで紹介したい。1軒目で飲み始めた時間には他の客が一人もいなかったが、2軒目に移ると先客が少しあり、この店を出た8時過ぎると店内も通りも若い人で溢れていた。前夜飲んだ赤坂は妙に人通りが少なかったのに、どうしてこちらはこんなに活気があるのだろう?木曜と金曜日の差だけだろうか。赤坂の繁華街は韓国クラブや焼き肉店、料亭からパチンコ屋にもぐり風俗店、食いもの屋にしても変に高級そうな店と居酒屋と実に雑多である。

恵比寿の場合は昔も今もと思うが、サラリーマンを対象にした店が圧倒的に多そうで、「何じゃこの店は?」不信感を抱かせるような店が少ないのかもしれない。久しぶりに行って僅かしか歩いていないので当たってはいないかもしれないが、昨晩歩いた範囲ではそう感じた。東京はやはり広い、池袋の西口にもここに似た繁華街はあるが客層が全く違う。よく行っていた店はどこでもスーツ姿の客が少なかった。

店を経営する側からすると、服装がいい客が金を持っているとは限らないだろうから、どちらがいいか分からない。でも恵比寿の方が街全体が華やかで活気を感じた。

2012年11月2日金曜日

選択肢

昨夜は未だに現役で活躍を続けている友人にご馳走になった。数年前に食道癌が見つかって、治療しながらの現役50年は敬服に値する。老人の会話の例に洩れず病気の話が多かったが、友人は話しながら熱燗をぐいぐいと飲んでいた。ひょっとするとこちらの飲酒量より彼の方が多かったかもしれない。同じ病を背負ながら元気に復活して活躍している鳥越俊太郎氏や中西礼氏のことに話が及ぶと、流石に彼等は酒はやめているようだとのこと。

てな話で、我が方も前立腺の腫瘍マーカーが上がる一方なので、医師から2度目の生体検査を薦められていると話すと「もうこの年になったら止めておいた方がいいと思うよ。あと何年も生きる予定でもしていれば別だが、結局は何かで死ぬわけだから。医薬品の進歩発達で我々が幼い頃と比べると、実に沢山の病が克服され容易に死に至らなくなり、結局残ったのが「癌」なんだから。年を取っているから進行も遅い筈だし、無理して抵抗するのは考え物だぜ。」

癌予防には早期発見が大切と言われるが、年齢を考えると自覚症状が無い癌を早期発見することが善いのか、そうでないのか。彼が言うには、食道癌は場所的に比較的発見し難く、転移の可能性が高いのが特徴らしい。転移はどこに飛ぶか分からないので彼も3か月に1回検診を続けている。一度放射線治療もトライしたが体力的ダメージが厳しいので2度と放射線治療はしないと決めている。要するにあまり無理な抵抗をせず、生活に過度な制約を課さずに残る人生を楽しむつもりのようだ。

確かに今更自分に過度の制約を課しても仕方ないかもしれない。既に禁煙は遥か昔、飲酒も程々、栄養補給と運動に休養のバランスにはそこそこ気を付けている。この上更に生体検査が本当に必要なのだろうか?彼が言うことは確かに一理ある。彼とはこの数年1年に1度くらいしか会わない。最後の燗を注文する時「俺ら、あと何回会えるかなぁ。」なんて急に言いだした。「互いに80歳が8年先だからあと8回はゴチになりたいぜ。」と返して互いに笑ってしまった。

昔から度胸のいい男だったが相変わらずであった。

2012年11月1日木曜日

企業倫理

ボランティアで少しばかり仕事のお手伝いしているNPO(特定非営利活動法人)がある。http://blue-sky.or.jp/
受け持っているのは事務局で資料の整理や保存がメインで、NPO本来の活動には直接コミットしていない。けれども資料に一通り目を通すので、本来の活動を通して日本のビジネス社会に於ける企業の振る舞いが目に入ってしまう。

このNPOの目的は、大学と産業界の橋渡しをして大学の研究室で眠っている新技術を社会に送り出して実用化を図ることにある。アカデミックな人が中心で、組織的にもちんまりしてるし、経済的基盤は無いに等しいものである。とは言えNPOが持っている潜在的な能力(ノウハウと言うべきか)には侮りがたいものがあるようで、結構な大企業にとっても利用価値はあるようだ。

そこでNPOとすれば喜んで仲介の労を取ることになるが、大学に眠る技術が実用化されるまでには試験実験を繰り返し、何段階かステップ上がっていかねばならない。この費用の一部は企業側に負担してもらうこともあるが、あっても雀の涙程度。大部分をNPOが公的補助を持って来たりすることはあるが、殆どの場合先生方とNPOメンバーの手弁当になる。また、この段階で必要になる時間も馬鹿にならない。殆どが1年を超すプロジェクトである。

単なる資料整理だけの小生は問題ないが、実務にあたるメンバー(友人)の業務量は相当にハードでもある。その間、企業側は毎回の実験などを見守りながら、企業としての要望で口を挟む程度のものである。でも、金を出さずに口を出すので比較的低姿勢である。しかし、ある程度のプロセスを経て成果が見えてくるとガラッと態度が変わる。

恰もこれまでの開発費用の全てを負担していたような顔で、こちらのNPOや大学又は先生を無視して成果物について企業が特許申請をしたりしかねない。事務担当の身ではあるが実に腹が立つ。日本経済全体がおかしくなったせいか、もの作りで世界に誇った一流企業が恥も外聞も無く、他人の成果を泥棒するような真似をしなければならぬようだ。

数週間前に山中先生のipsをパクって世間を騒がせた森口尚史の偽医師事件に通じるような一流企業の振る舞いに、本日たまたま遭遇してしてしまった。自分自身がコミットしている組織の話で、しかも熱すぎるくらいホットなことなのでこれ以上深く書かない方がいいだろう。パナソニックでさえ大赤字を出すご時世だから、どこの企業も「出すのは舌を出さすのも嫌だが、取れるものはなんでも取ってこい」なのかもしれない。

身の程もしらず「倫理」なんて持ち出してしまった。個人ばかりか大企業に至るまで「貧すれば貪ず」は情けない。