2012年11月16日金曜日

大言壮語

やっと少しばかり西北からの寒波が来て2、3日冬らしくなったと思ったら、今日は又小春日和の良いお天気になってしまった。都会に暮らすこちらには有難いが、スキー場ではやきもきしていることだろう。何度も書いているように、最近は専ら身辺整理を心掛けているので、徐々に身も心も軽くなってくる思いだ。仕事が無くなる、収入が途絶える(と言っても月に約20万円相当の年金は入ってくる)と言っても、心が軽くなるのは高齢者の特権だ。

昨日さんざん考えて年賀状を初めて独力(誰かにディザインを手伝ってもらうとか、印刷屋にプリントを注文するとか余計なお金を使わずにの意味)で制作した。しかしはがきの調達は婆さんに任せていたので、完璧に独力とは言えない。昨晩そこら辺についてやんわり言われた。「庭木の手入れも注文したし、年賀はがきも買ったし、いろいろ大変なのよ。」考えてみれば、年金を半分(10万円)渡しているだけなので、はがき200枚でも結構な出金だ。

次回からはこっちの小遣から出さなくてはなるまい。それは兎も角として、今朝はその文面をギーコギーコと自分で印刷、後は送り先住所を印刷すれば完了だ。但し、珍しく喪中ハガキが1通も来ていないので、この作業は少なくとも来月下旬になるだろう。てなことで、天気は上々心も晴々と、いつものように池袋への散歩に出かけた。昼飯の後書店に立ち寄り雑誌を立ち読みした。そんなに長い時間でなかったが、チラッと見ただけで心底感心した事がある。

月刊文藝春秋12月号の目次に「国を変え、日本人を変える」とあって副題に<石原慎太郎 不退転の決意 >とある。内容は一行も読んでいないが、このタイトルには本当に感じ入ってしまった。今朝の朝食時に「これから選挙で賑やかになるから、ニュースも面白くなっていいな。」と言ったら家人曰く「選挙に出る人(即ち政治家)なんて皆頭がどうかしているのよ。自分の顔の大写真が町中に溢れるだけでも普通の神経で耐えられると思う?」亭主とは異なり、自分ではたっぷり選挙に関わってきた本人の科白なので「それもそうだな。」と相槌を打った記憶が残っていた。

己の神経が普通と仮定してであるが、小生には嫁や娘ですら変える?考えを糺す自信はない。まして何を考えているか皆目見当もつかない他人様を変えるなんて思いもよらない。大言壮語なる形容があるが、流石文学者だ。記事そのものは1行だに読まなかったが、政治家たるものはこうでなくてはイカンのだろう。(石破氏の言い方みたいでよくないな)昨今の政治家なんぞ何一つ出来もしないから、どうせ言うならでかい方が猿芝居にも迫力が出ると言うことか。

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