2020年12月31日木曜日

1年を振り返って

 長い人生を振り返ると、そう思い通り行くことは少なかったとは言え、毎年大晦日に1年を振り返ると一つや二つは楽しかったり、満足したことを思い浮かべることが出来たように思う。今年ほどままならぬことばかりであった1年は珍しい。年齢を考えれば仕方ないのかもしれぬが、年末までに仕上げたいと思っていたことで出来なかったことも多い。

最たるものが読書、ブログに読後感を上げた本が14冊しか無い。目が悪くなってきていることを理由にしたいが、理由にならないだろう。自分では毎日少しでも良いから読書をして、せめて月に2冊ぐらいは感想を書きたいと思うが、読書をしだすとすぐ居眠りが始まり、どうして捗らなくなっている。年内には読了するつもりで今月1日に買った本が読了できなかった。返す返すも残念なことだ。

人間の身体は不思議なもので、筋書きがある程度予想できる小説になると不思議に読書が捗り、想像つかない話になると頭の整理に時間がかかるようで、途端にスピードが落ちる。スピードの低下で済めば良いのだが、きっと脳みそが回転しなくなるのだろう、居眠りに入ってしまう。読書が睡眠導入剤じゃシャレにならない。身体と精神の健康のため月1度はと思っていたハイキングも今年はたったの3回だけ。しかも2月に1回と10月の2回でだいぶ偏っている。今年の3月出来なかったスキーも来年月にできる見込みは極めて薄い。

囲碁も毎日のようにネットでしているが、どうしても強くならないばかりか、弱くなっているように思う。これもブログに記録が残っているので確認をしてみた。一昨年2018年12月31日に段級位:6級★とあるが、今日の段階でやっと6級、★が無い。だが世界ランキング:10863位は10814位で、日本ランキング:7510位は7584位と下がっている。

考えようでは定期検診以外で医者にかからなかったのが唯一の取り柄かもしれぬ。年が明けても新たな期待は持てないが、今年同様我慢と辛抱を続けることになるだろう。今日は今年はじめてだと思うが、1日中家に居て外出もしないつもり。改めて読者の皆様に今年のお礼を申し上げ、来年のご多幸を祈念。

2020年12月30日水曜日

今年のケジメ

昨日の夕方、家の前に定められたゴミ捨て場に先週末から不当投棄されてそのまま放置してあった缶やガラス片処理する必要に迫られ、取り敢えず選挙で応援している区会議員に電話をして相談。しかし役所が休暇に入っているため結果的のどうにもならず、結局敷地内に取り込んで来月の打4月曜日を待つことになった。向かいの婆さんが出てきて「すみませんね」と一言言われたことを救いとせなばならない。

正月を迎えるに当たりご近所のお宅は、クリスマスに掲げられていた玄関先のクリスマスリースが外されて注連飾りに代わっている。そんなことまでする気はないが、家の前に汚いゴミが雑然と置かれていたのではご近所も迷惑だろうと思ったまでのこと。今日が今年最後の生ゴミ収集日なので、朝食後改めて家中をざっと掃除をして燃えるゴミを纏めて外に出して何となく人並みに正月を迎える気分だ。

年が明けても急には世の中は変わりそうにないが、今年は新型コロナウィルスのせいで酷い年だった。世界中同じであれば仕方ないが、中国からの報道は別世界で、市民が数人でレストランで食事をしながら談笑している。日本では社会システムが違うから出来ないとされているが、本当に出来ないのか、しないのかがはっきりしない。少なくと4月7日には緊急事態宣言が出されて一旦は急増しかけた感染が収束するかに見えたではないか。

この当時は4日に感染者数が100人に達したとして大騒ぎになった 現在はその感染者数が35倍以上で4千人に迫っている。5月半ばから6月末にかけて感染者数が2桁台で落ち着いた時こそ、先を考えて対策を強化すべきだったにも関わらず結果的に何もしなかった。否、そればかりか甘い考えで経済対策と称してGo Toなんてとんでもないことを打ち出す準備をしてしまったことになる。これは現政権のことではないが、安倍氏と菅氏は表裏一体、同じ穴の狢と書いたこともある。

キャンペーンがスタートしたのは7月22日だが、当初からこの政策を批判する声も多かった。しかし政府は、ダメだという証拠はどこにもないと強引に推し進めた結果が今日である。覆水盆に返らずだが、今になるとこのキャンペーンが感染を全国に拡大したことを否定できる人は一人もいなくなってしまった。そして政府は「皆さん年末年始は静かにお過ごし願います。」ときたものだ。このケジメは誰がいつどのようにつけるのだろうか?

兎も角我が家は、明日カレンダーを変えれば全てのケジメがついたことになる。 

2020年12月29日火曜日

山歩き考

 


テレビが年末編成になっているので普段見ていた番組が無くなりつまらなくなってしまった。昨晩NHK夜7時のニュースが終わって、番組を探したところ、BSフジで7時から特別番組で百名山関連の番組があったので切り替えると、途中からではあったが南アルプス縦走の番組。(番組名など詳細はわからない)兎も角、まだ若い青年3人、と言っても全員プロの登山家が、4日間掛けて千枚岳から聖岳コースをテント泊しながら縦走した記録。撮影は昨年8月はじめに行われたようだ。

たまたまこのコースは、2013年の7月29日から8月3日にかけて縦走した思い出があるので非常に懐かしく1時間20分ほど見入ってしまった。自分の記録を確認すると、山歩きを始めたのが2004年9月となっている。この時は全て動力を利用して黒部峡谷を渡り、立山山麓の室堂平からすぐ近くの浄土山と言う山に登っただけだったが、この時見た景観の素晴らしさに惹かれて山歩きにはまってしまった。

以来山の名前と日付だけの記録を残しているが、今年で150回を超えてしまった。2013年頃が山歩きを始めて10年目くらいだから病膏肓に入った最盛期であったのだろうが、73歳の老人一人旅には少し荷が重すぎた山行だったとの記憶が残っている。当時の記録には次のように記している。

「総体的に登山道は厳しい。崩落の激しいザレ場も多いし、急こう配で険しい岩場が続く場所も多々ある。特に厳しく感じたのは兎岳から聖岳への急降下、荒川三山の稜線の岩場はストックを格納して四つん這いで進んだ。悪沢の名前がよく分かる。どこの山でも同じであろうが、天気の急変で霧が巻いてルートを見失う危険が多々ある。自分もしばしば遭遇したが、登山道と林道、更にけもの道が所々で交差している。」下記からの抜粋https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-328801.html

上記ヤマレコサイトには写真も100枚も上げてあるが、今日改めて見ると昨晩の番組で観た映像とは雲泥の差があるかもしれぬが、同じ道をたどったことだけははっきり分かる。それにしても昨夜の映像で見たプロ3人の足取りの軽いこと、途中で立ち止まり高山植物に詳しい一人が仲間に説明をする余裕の有り様。プロとアマの差で致し方がないとは知りつつも、改めて俺の山歩きは何だったのだろうとの疑問が湧いてくる。

疑問を感じても仕方がないが今にして思うと、苦しみの後で得る一瞬の喜び、即ち山頂からの景観。初めてであれ、二度目であれ、それを体験できる自分の健康に酔っていたような気がする。

2020年12月28日月曜日

大詰め

 平年であれば今頃富士山は5合目付近まで雪に覆われても不思議は無い。ところが今年はなぜか積雪が少ないらしい。これまでは大晦日にお伊勢参りをすることが多かったので、往復で必ず大きな富士山を車窓に見ながら「これが日本のシンボル、もっともなことだ。」と思ったりしたものだったが、今年は中止を決めているので自分では確認できない。雪が少ないのは地熱の変化があって地震の前兆ではないか、と心配する向きもあるようだが杞憂であってほしい。

今日は家内の命日。小さな仏壇に手を合わせて写真に何を問いかけようと、当然ながら何も聴こえない。写真が「好きにしなさい。」と笑っている。内心「そうさせてもらうよ。」と手前勝手な解釈で朝茶を飲んでいたら、8時チョイ過ぎに電話が鳴った。休みに入ったばかりの朝っぱらにまたインチキ臭い営業電話かと放って置くと今度は携帯だ。携帯は架けてきた人間が分かるので見たら長女。

用件は、「母の命日に行けなくてゴメン。」が第一。続いて「元日の訪問について、8時半ころ行きたいが大丈夫ですか?」勿論なんの問題も無いが理由が奮っていた。「雑煮を持っていくので、ご飯を食べずに待っててね!」こりゃ〆ただ。今日は最後の買い物に出かけ、鶏肉、椎茸、切り餅でも買おうと思っていたので買わずに済ませる。正月用に買ったのは結局干し柿だけでおしまい。31日は予定通りすき焼きをするつもりだが、予行演習に買った肉が余ってしまったので、高級和牛を買うのもやめた。

結局安いOGビーフのすき焼きになりそうだ。これを書き始めたら古い友人からの電話。彼は肺がん手術の後、膵臓への転移が見つかり、早めの手術が成功して、自宅で療養中だが、胸水に苦しみ水抜きのため保険の効かない治療で連日の医者通いの身。「忘年会が出来なくてゴメン。」とのこと。彼曰く「膵臓がんも最新の治療法には開腹せずに内視鏡のようなものでがん化した部分を吸い取る方法があったらしい。彼はそれが大変不満らしい風情。

「大学病院だって今日からは冬休み、テレビで発表される医療現場のイメージと実態はかなり差があるとのことで、手術をした病院への不満を大分聞かされた。「病人がつまらない心配をするな、命を救ってもらったのだからありがたいと思え。節分の頃までには良くなるだろうから、そしたら人形町で葱鮪鍋でも食おうじゃないか。」となだめたものだ。

政府はのんびりしてるが、コロナの収束が一向に見通せないので、落ち着かない年末年始になりそうだ。

2020年12月27日日曜日

友人の見識

 既に何回も書いているが、毎週土曜日に高校の同期生数人とのリモートミーティングに参加させてもらっている。昨夜もわずか5人だったが、実にためになる話をたくさん聞いた。改めて他の4人に比べ我が知識の少なさに驚くばかりだ。今朝のTBS「サンデーモーニング」に出演していた寺島実郎氏(元三井物産社長)が「今から20年前アメリカ・イギリス・日本のGDPを合計すると全世界の50%を占めていたが、近い将来30%を切ることになる。」と話していたが、昨夜も友人の一人が同じようなことを教えてくれた。

彼曰く「嘗て日本はGDPで世界第2位25%に達したが、現在は既に数%、一人あたりでは凋落の一途をたどっている。」とのこと、これを受けて元日立製作所に勤務した友人が「その典型的例が半導体製造だ。嘗て日本は圧倒的シェアーをもって世界を席巻していたが、現在はほぼゼロに等しい。」と相槌を打った。そこから、この凋落の原因を探る話が続いた。これには様々な見方が出たが収斂するには至らなかったように思う。

結論ではないが、日本の民主主義に対する疑問。無謀な戦争で莫大な犠牲を払って手に入れた筈の「自由と民主主義」、これを標榜する政党が長年政権を維持してきたものの、どうも日本のそれは諸外国の事情をよく知る友人諸兄には欧米先進国と大分異なっているように見えるようだ。これが日本に根付かない理由も様々で、結論には至らなかったと思うが、日本古来の保守主義、村意識的なことの障害が大きいようでもある。

この意見は同感である。本来保守と自由民主なんてことが同意義であるはずはない。曲がりなりにも慶應義塾を一応出ているので、福沢諭吉先生が説いた「門閥制度は親の仇でござる」はよく知っている。現憲法下で日本には身分制度は無いことになっているが、田舎の古い商売のお店ばかりか江戸に住んでいる政治家に至るまで日本は門閥が蔓延っている。友人が更に力説した「英国には保守党と労働党があり、米国には民主党と共和党が相対しているように見えるが、自由と民主と言う意味では共通項がある。

日本の野党は、そこが理解できていない。特に共産党のように既に世界的に論理が成り立たないことを証明されている主義を掲げている党が存在して改憲議論を妨害していることが大きな問題、とのこと。これについては時に共産党を応援したりするので、異論があったが黙って聞いていた。兎も角友人の意見は貴重なものだ。

2020年12月26日土曜日

出来ぬそうだ

 やっぱり独り者は辛い、昨夜台所で仕事をしている時スリッパが何かを引っ掛けたようで気になっていたが、今朝見ると長い糸が玉になって転がっていた。未だパジャマだったが、もしや、と気になってタンスを開けて確認すると案の定、ズボンの裾上げの糸がきれいに無くなっている。独身になってすぐの頃、同じことに遭遇して、裾カガリの代用品テープを買い込んだ記憶があったので、方々探したが見つからない。

仕方なく諦めて、裾が落ち着かないズボンのまま朝飯の準備に取り掛かった。探していたテープは安いものだったと記憶しているので、昼頃にでもスーパーで買い直せばいいと思っていた次第。ところが朝飯が終わり、開け放していた仏壇を閉じようと思って座敷に戻って、ふと気がついた。毎朝この部屋のタンスを開け閉めするたびに目にしている裁縫箱がズボンの下に置かれている。裁縫箱はもちろん家内の遺品だが、何かの折に役立つだろうと思って捨てずにおいた物。

ひょっとしたらと思って蓋を開けると、やはり一番上にテープが置かれていた。勿論自分が置いたのだろうが、まさかここに置くとはと、改めて不思議な気がした。二度あることは三度あるとのことなので、使った後また同じ場所に戻した。たまにしか起きない事故への対応は、その時点では相当意識的であっても数年経てば意識の外に流れ出てしまうことを改めて思った。

今日は土曜日、学校や役所は今日から冬休みが多いようだ。テレビに出ているコロナ対策専門家たちは、コロナウィルスに休みがないことを強調して警戒を呼びかけるが、首相からしてそんな問題はどこ吹く風の風情。国民に対して「来月11日までおとなしく家にいてください。」と呼びかけるのみだ。これでウィルスが克服できるなら楽なものだが、そうは問屋が卸さない事だけははっきりしている。

新年が明けて国会が始まるのが18日とか言われているが、その頃には1日の感染者が5千人を超え医療崩壊が全国各地で起き始めているだろう。ウィルスへの対抗手段として世界中から期待を寄せられているワクチン、来年春には日本でも接種が始まるとのことが力説されているが、この効果が果たしてナンボのものかは全く未知数。日本では年末になってから遺伝子構造が変異した新種ウィルスが話題になっているが、そんなことは第2波のさなかの7月16日に参議院に参考人として出席した児玉龍彦東大教授がはっきり述べて、検疫を含む対策強化を訴えている。

半年間も何一つ対策を打つこと無く来ている現在の政府に新たな対策を期待するのは無理に決まっている。方法論が思い浮かばないが、政治指導者、医系官僚全てを更迭して入れ替えるしか方法が無さそうだ。その手の方法は中国のような独裁国家のみで可能で、日本のような民主主義国家では出来ない。との声が聞こえる。結論は座して死を待つのみだ。

2020年12月25日金曜日

表裏の乖離

 政治の世界に表と裏があることは容易に想像できる気がする。市町村レベルでは選挙の際に議員候補者の数が定員に満たないなんてことも聞くようにはなったが、国会議員ともなれば表に出ているだけでも家族は勿論、国費が支給される以上の秘書を抱えて事務所を複数構えるのが当たり前。事務所が地元に一ヵ所と東京に一ヵ所しか無いなんて議員が居たらお目にかかりたいものだ。

言っちゃ悪いが、国会議員が生きていくための企業経営者化しているのが実態だろう。国民はこの800人弱だったと思うが、零細か中小か知らぬが企業経営者を表向きは税金で支えている。しかし経営者たる議員連中も年数が経つ程に欲が出て企業の拡大を図りだす。そりゃ当たり前のことで、秘書と称する雇用者も何年も同じ給料で働き続けるほどのお人好しは少なかろう。

そのため当然のことながら議員は資金集めに精を出す。しかし企業発展を期待する向きからすると、公然たる資金集めの道は限られているので思うように資金は集まるまい。公然たる資金集めの収支は、政治資金規正法なる法律で公開が義務付けられているのはご承知の通り。従って、殆どの議員は裏金を有り難く頂戴することになる。裏金を一切受け取らず、巧妙な隠れ蓑を作って、そこへ振り込ませる方法を発見している者もいるかも知れぬが、少ないだろう。

よって、議員秘書の大きな仕事は裏で動かしている会計の管理が最大の業務であるはず。これまでに政治家の汚職事件は星の数ほどあったが、裏帳簿の存在が明らかになったことは一度も無い。記憶の限りではロッキード事件の時、蜂の一刺しとか騒がれて秘書が自殺した事件があったような気がするが、彼が会計責任者だったと思う。記憶が正しければ、検察に裏帳簿を押収されたのかもしれない。何れにせよ小説の世界だ。

話が逸れたが、大方の企業経営者は金には細かくて企業会計ではケチでなくてはならない。パナソニック創業者松下幸之助氏であろうと有限会社安倍晋三事務所のオーナー安倍晋三氏であろうと同じことだ。今回安倍晋三事務所では、図らずもだろうが、裏帳簿が確認できたかどうかは別として、表で公開されている帳簿の間違いが指摘されてしまった。表がすぐ修正されたからには裏帳簿があったことは歴然としている。

同時に事務所側のCFO(会計最高責任者)に当たる公設第一秘書氏が略式起訴で罰金100万円が決まると、この秘書氏は即刻解雇されたらしい。地元では安倍晋三氏の代理人として自他ともに認められていた人物とのこと。自殺に追い込まれないだけ良かったとも言えるが、なにか哀れを感じてならぬ。解雇したオーナーの顔色が冴えないのは当然だが、安倍氏は政治家を辞めるとトランプ氏ではないが、もっと大きな不幸ぬ見舞われるのかもしれぬ。憐れな男だ。

2020年12月24日木曜日

年末雑感

 パットしないクリスマスイブを暗示してるような重苦しい曇りの1日。太陽が出なかったので終日薄ら寒かった。師走も余すところ1週間ともなれば、昔は皆忙しげにしたものだ。特に霞が関の官庁街は夜遅くまで残業する人、それを待つタクシーの車列が風物詩のようであった。深夜の霞が関なんか何年も行ったことがないので分からないが、多分様変わりしてるだろう。お役人様が大晦日近くまで働くふりをするなんて下らない伝統だったから、予算がさっさと上がること自体は悪いことではない。

幸い今年は忘年会や新年回も少ないようだ。霞が関高級官僚だって人の子、民間企業のサラリーマン並みに、クリスマスや年末年始くらい家族と一緒に過ごすのが自然だろう。他人のことを偉そうに書いたが、実のところ80年の人生でクリスマスや年末年始を家族と一緒に過ごした経験が非常に少ない。18歳から22歳まではクリスマス前から1月15日くらいまではスキー場に居たはず。22歳で就職してからも正月に家に帰る暇があればスキー場に行っていたような気がする。

29歳で結婚したので、数回は夫婦水入らずの正月はあったかもしれぬが、子供が生まれるとすぐに家内が年末年始の宿下がりを言い始めた。そして何故か大晦日は一人で過ごすものと思い始めたようにも思う。子供が生まれてもこの習慣は変わらなかったと思う。クリスマスに関しては現在小6の孫が幼稚園の頃、夫婦で孫の幼稚園の学芸会を観に行ったことが一度だけあった。幼稚園の園長先生がクリスチャンで、板橋の大きな公会堂を貸し切って園児たちに聖劇を演じさせてくれた。

この時も孫の成長に感慨深いものがあったが、彼も来年は中学生。時々我が家に来るので短い会話もあるが、ますます大人っぽくなってきた。他の孫二人は既に大学生、彼等にはもう教えることは何も無くて、こちらが教わる一方。しかも一人は来年から大学院に進学とのこと。昔、雷さんとお天道さんとお月さんが一緒に旅に出て、ある日雷さんが起きると二人が居ない。そして雷さんが言ったそうだ。「月日が発つ(経つ)のは早いものだ。」

2020年12月23日水曜日

多すぎる問題

 今日は書きたいことが多すぎて考えがまとまらない。昨日の段階で明日はこれにしようと思っていたのが朝日新聞の見出しを引用すれば「三井住友FG、広告事業に参入へ データビジネス強化」。元広告屋としてはこのセコさに一言触れたかった。しかし今朝になってみると余りにテーマが小さすぎる。今朝になると「オリンピック開会式、閉会式の演出を依頼されていた野村萬斎氏のチームが解散」が報じられている。

やっとオリンピック開催不能が現実味を増してきたと実感するが、今更ブログで取り上げても、「だから何だ」と言われそうでもある。次は安倍元首相の桜問題。東京地検特捜部が安倍氏本人から事情聴取した事実が明らかになったこと。同時に会計を担当していた秘書の政治資金規正法違反で略式起訴が確定的になったこと。安倍氏本人は不起訴となることなどが一斉に報道されている。勿論検察側の意識的リークに依るものだろう。

報道各社は判で付いたように安倍氏の虚偽答弁の回数の多さを特筆大書してるが、それこそ「だからどうなんだ?」だ。共産党の田村智子氏がきっかけを作った筈だが、その日すら思い出せない。国会でウソを付くことについての罰則は無いらしい。安倍氏にとっては結構なことだろう。現政権を担う菅首相の人気低下に伴って、安倍氏と比較して次のように言う人が多い。「菅氏に無くて安倍氏に有ったもの、それは政治家としての国家観。安倍氏には憲法改正とか思想的哲学的国家観があった。」

携帯通話料金の引き下げや、コロナ禍におけるGo Toキャンペーンの強引な実施にも菅氏に言わせればそれなりの国家観があるだろう。比較して安倍氏の憲法改正にあった国家観とは何だったのだろう?国家の安全保障的見地から軍備を強化する、或いは首相に宣戦布告権限を与えるとか言うなら未だ分かる。勉強不足か生来の頭の悪さか分からぬが、安倍氏の国家観は残念ながら分からない。国家改造を意識するくらいの根性がある人間が、政治の合間にあまり褒められない仲間と頻繁にゴルフなんかしないだろう。

菅氏と安倍氏、表沙汰にはなっていないが麻生太郎氏は、どう見ても同じ穴の狢としか思えない。こんなつまらないことを書いてると自分自身が虚しくなってくる。画一的報道が溢れている中で、最後に一言。好みの問題で好き嫌いはあるだろうが、テレビ朝日の玉川徹氏が今朝の番組で語った一言が印象に残る。「世界に数は少ないがコロナ対策に成功している国がある。それは最初からコロナを根絶させるという覚悟で望んだ国。ニュージーランド、台湾、中国がそうで、それぞれ方法は異なるが現在のところ成功し、結果的に経済も回復基調にある。」とのこと。

ドイツの科学者がコロナは向こう10年程度は存在するとの覚悟が必要との報道もあった。結局問題が多すぎて絞りきれなかった。

2020年12月22日火曜日

小掃除

 昨日は冬至だったようだが全く気が付かなかった。独り者はゆず湯もかぼちゃの料理も関係ない。寂しい限りだが、これからは毎日1分ずつ陽が長くなることをせめての楽しみにしたい。今朝も寒さは厳しかったが、日中は打って変わった麗らかさだ。延び延びにしていた大掃除ならぬ小掃除のマネごとに着手した。実は昨日、家の管理で世話になっている近所の建設兼よろず屋さんに大掃除について相談した。

今頃言ったって手の開いてる人を見つけることは出来ない、と当然の答え。友人のお金持ちが週に1度か2度掃除おばさんを頼んでいるそうだが、いくら払っているのだろうと少し気になっていたので、標準的にいくらぐらいか、よろず屋さんに尋ねると「私が付き合っているのはハウスクリーニング専門業者なので、希望されるようお掃除代行は近くのダスキンの店があるじゃないですか、でも結構良い料金を取るようですよ。」

言われてみれば確かにダスキンの制服を着たお姉さんやおばさんが二人一組で車で出かけるのをよく目にしている。幾らであろうと年に一度の大掃除を他人に任せるなんて事自体間違っている事に気がついた。そこで昼の買い物のついでにスーパーで窓拭きのスプレーやら紙雑巾を仕入れて、日向ぼっこ代わりにポロシャツ1枚になって窓拭きをやらかした次第。窓というよりガラス戸と言ったほうが適切だろう。横一間半に縦一間、嘗てはガラス戸と障子が三枚ずつはまっていた。

これをガラス戸二枚に変更して、後は網戸とブラインドカーテンだけにしてしまった。簡単で便利といえば便利だが、嘗ての日本式居間にあった障子と畳、炬燵と石油ストーブのような温もりは皆無になり、毎日寒い思いをしている。寒さはやせ我慢すれば凌げても、ガラス戸の汚れはなんとも我慢が出来なくなってきた次第。兎も角、買い込んできたスプレーで二枚のガラス戸を一応拭き掃除をして、後始末に居間をざっと雑巾がけして終わりにした。

昔から掃除や洗濯はお手の物というほどではないが、上京したての頃、新宿の6畳一間の安アパートですぐ上の兄と同居したことがある。兄貴はサラリーマン、こちらは学生だった。自然と分担が決まり、兄貴は料理を作るが後片付けと洗濯・掃除はこちらが担当していた。だから掃除をすることにそんなには抵抗感がない。

自慢できるほどのことではないが、後は何もしなくても一応2020年のけじめはつけたことにしたい。

2020年12月21日月曜日

年末の思い

 今年も余すところ10日。買い溜めの習慣がないのでスーパーや池袋のレストランがいつからいつまで店じまいになるのかそろそろ確認せねばならない。大晦日の夜と、元日の朝ぐらいは自宅で料理をしてみようかとも思っている。大晦日は信州の北部では鮭、南部では鰤と決まっているが、流石に魚料理は無理だろう。せめて少し高級な牛肉でも買ってすき焼きをしようかなんて思っている。元日の定番は鶏肉入りのすまし汁での雑煮。餅はスーパーで簡単に入手可能だから、これはなんと出来そうだ。甘党ゆえデザートに干し柿も欠かせない。なんか1年中食い物の心配をしているようでお恥ずかしい限り。

今年は元日から映画館に行ったが、来年はそうは行きそうにない。読書とネット囲碁に依存するしか無さそうだ。19日の土曜日に聞いたが、八ヶ岳山麓に住まいする友人は既にスキーに3日も行ったとのこと。もうスキーは生涯縁を切ろうかと思っていたが、話を聞いてまた虫が少し起き出した。友人曰く「スキーは歩行と違って大した運動量ではない。」動力で高いところに上って、後は引力に引っ張らっれて降りてくるだけではないか。考えればそうかも知れない。正月に一人でスキー場に行くのもありか、なんてことを考え始めた。

正月はJRの割引が効かないから高くつきそうなので結局はやめるかもしれぬが、想像だけでも楽しくなった。子供並みにお正月の楽しみを想像するのも良いが、心配もある。我が親族だけではないかもしれぬが、冬場の特に年末には葬式が多くなる。特に今年は先週から急に本格的寒さがやって来ている。昨日も肺がんを抱えながら頑張っている親しい友人から久しぶりの電話があった。もう三ヵ月も会っていないので心配してたが、やはり調子が大分悪そうだ。

土曜日にリモートで話した友人の一人も、やはり体調が大分悪い。二人ともスポーツ老人と言うべきか、つい最近まではゴルフだ、すきーだ、ヨットだと人も羨む優雅な老後で、時々お付き合いをさせて頂いたものだ。電話をくれた友人は酒を全く飲まないのに今年になっても何回か食事をしてるし、同期の友人は一昨年の冬にはスキーを一緒した。なのに二人共胸水を抱えて会食やスキーどころでは無さそうだ。くれぐれも自重自愛を祈りたい。

2020年12月20日日曜日

政府発表と市民の受け止め

 先の大戦中日本は1941年末の初戦における勝利を、国民に向け大本営発表として大々的に発表した。ところが翌年となり開戦から1年も経たぬうちに方々で負け戦が続出しだし、戦地の犠牲は増えはじめた。にも関わらず大本営発表は相変わらず連日威勢の良い発表を続けた。即ち国民に対して嘘を言い続けたのである。しかし、戦禍が市民が暮らす南方の島々に及ぶようになると、当然ながら嘘は隠しきれない。

それでも発表するにあたっては敗戦による撤退とは言わず転進と言ってみたりしているうちに、島が全滅する事態に追いこまれる。すると今度は玉砕と称して何とか美化したりしたが、結局は3年半以上経って国全体が絶望的敗戦になってしまった。この事実は未だ多くの国民の記憶や見聞の中にあるはずだ。「有ったことを無かったことにするのは出来ない。」は元文科事務次官前川喜平氏が言った有名なセリフだが、事実を嘘で覆い隠すことは不可能に近い。

数少ない報道にしか接し得ない我々庶民が、コロナ禍の実態を知ることは非常に難しい。であれば本来は、政治的指導的立場にある人が出来るだけ正直に実態を説明して市民に協力を求めるべきである。だが何を勘違いしているか知らぬが、彼等は75年以上昔の大本営発表と同じ間違いを繰り返している。発表の担当者は政府であれば官房長官か西村コロナ対策担当大臣、東京都の場合は広報担当居ないようで毎日知事が直接報道記者に向き合っている。

少し気の利いた人であればコロナ禍は既に日本中に拡大していること、特に都市部では市中感染の危険が強まって誰が何時どこで感染しても不思議ではなくなっていること。ヨーロッパ諸国のように都市閉鎖されても仕方ない状況に近づいていることくらいは常識だろう。問題は対応する医療機関の問題だが、病院と比較的縁遠いので分かりにくいが、都知事のセリフには信じがたいことがある。増え続ける患者数に対する病院の対応を、さも自分が医療の当事者のように「準備を拡大しています」と言うことだ。

「都立病院では、」と前置きして言うなら分かるが全都下の医療関係者を掌握できていないくせに偉そうに言うな!である。逼迫ということも最近はよく聞くセリフだが、これも意味不明だ。嘗て玉砕寸前の島の守備責任者が使った言葉だろ。情勢を見れば後は崩壊は時間の問題だ。市民が指導者たちの発表を聞いて安心はしないが、かと言って危機感も持たなくなっている。市民にすれば「我々はやるべきことをやっている」だ。

昨夜の同期とのリモート会議では「俺たちのワクチン接種はいつ頃か?」が話題に上った。欧米では軍が出動してまで対応に追われている。日本では海外製薬企業との契約数量だけが大きく取り上げられているが、国内の受け入れ準備についての報道は皆無。町内のかかりつけ医で接種可能になると思ってはいないが、友人の一人が「いや、日本はそうなると思うよ。」とのこと。心はだいぶ先のことだろうとのことらしい。

2020年12月19日土曜日

会食接待

菅首相の会食回数が多いということを非難する向きが多いようだ。庶民と首相という要職にいる方では事情が違うだろうと思うが、庶民の気持ちは分からぬでもない。ただ興味を覚えたのは日本の会食接待文化と首相の消化器の強健さだ。

親しい人と会う際に、諸外国でもレストランで食事でもてなすことはあろうが、日本の会食は少し異なる。今は環境大臣の奥方に納まっている嘗てのお嬢さん(名前が浮かんでこない)がオリンピック招致委員会でぶち上げた「お・も・て・な・し」は欧米人に意味不明だったろうが、コロナ報道のお陰で少しは理解が進んでいるかもしれぬ。

日本ではビジネスの円滑剤として「食事をしましょう」と誘うことがよくある。菅首相の場合もこれで、殆どの場合、首相が状況を聞きたいと思う人に自ら声をかけて誘っているようだ。首相であれば、例えお茶一杯無くても声を掛ければ大方の人は無条件馳せ参ずると思うが、相当生真面目なんだろう。態々食事で接待するという形を取っている。しかもこれを毎日三度三度ならまだしも、日によっては食事を2回に分けたり、場合によっては3回に分けたりするらしい。

ならば公邸の一室に食堂にふさわしい部屋があるかどうか知らぬが、公邸で会うようにするのが合理的と思うが、会食の場を態々変えてるのも不思議な限り。欧米人にはとても理解できぬだろう。誘われてホットケーキと紅茶の一杯でも接待を受けた側は、相手が相手だけに恩を感じるものらしい。首相側も相手の要望なんかをよく聞くらしく、相手に政策への反映を期待させているようだ。とすれば首相の会食には非難に値するようなことは無いようにも思う。費用がどこから出ている?なんてケチなことも聞くまい。

夜の会食が三座敷なんてこともあるようだが、首相はアルコールを飲まないとのことだから可能なんだろう。食事の回数が毎日5回6回ともなればカロリーオーバーが気になるところだが、体型から推測すればその心配も無さそうだ。よほど克己心が強い人かもしれない。身体に一層気をつけながら頑張って下さいと声援を贈ろう。

日本では庶民にもこの接待文化は根付いている。だから首相の行為は責められないが、庶民は真似をしないほうが良さそうだ。 

2020年12月18日金曜日

早寝早起き

 昼間は南に面した部屋に居ることが多いので、数時間は暖房無しで過ごせるが、朝が本当に寒くなってきた。重い掛け布団が苦手なので、昨夜は山小屋に泊まったときのように靴下を履いたまま寝たくなったくらいだ。しかし今朝もいつもどおりに5時に起きて洗顔などを済ませ、窓を全て開け放った。一通りのことが終わり、6時前から30分ほどテレビを観るのが常のところ、あまり寒いので座り込むと身体が温まらない。

仕方なく、動き回るために朝飯の用意をいつもより15分ほど早く始めて、いつもより15分早く朝の仕事が終わった。早起きは三文の徳と言われるからそれを期待しても良いが、この歳になって物事を損得で考えるのも如何かと思ったりする。今日は特に思いついたことが無いが、今朝の朝日新聞に掲載された佐藤優氏の記事「消極主義のススメ」に興味が湧いた。彼は今年還暦らしいが曰く「50過ぎたら新しいことに挑戦なんぞせず、消極的に生きろ」と言っている。

昔から50の手習いなんて言われもしたが、まして現在は人生百年と言われる時代。リタアメンとが退職後に新たな人生で新たなことに挑戦することが推奨される時代にしては珍しい見解だ。佐藤氏は次のように言っている。

以下引用:「50代以降や定年後の生活に向けたメッセージの多くは、『まだ若いんだ、頑張れ』という方向のものです。でも頑張ると、無駄なところへのエネルギーの投入が過剰にされてしまうんですね。これは非常にまずいと思います。今は、頑張れと言われなくても頑張らざるを得ない。体がきく限り、働き続けなければならない状況だと、みなわかっています。そういう状況の中で、現実に近づくためには消極主義が必要なんです」

働き続けざるをえないことを皆が分かっているかは少し怪しいと思うが、余計なことにエネルギーを使うな!はある程度理解できる。世の流行に乗り遅れまいと新しいことに挑戦するつもりはもう無いが、50過ぎてから大分新しいことに挑戦して約20年。佐藤氏が言うように何一つ物になったことは無かったが、それなりに楽しんだ。これからは明日もまた健康でいるためにも、毎日一定の努力は必要だと思っている。その一つが早寝早起きだ。

2020年12月17日木曜日

真面目

 年末にしなければならぬ第一は大掃除だと思いながらもずっと手を抜いて、代わりに娘の年始の予定を聞いている。他家に嫁いだ娘家族と正式に顔を合わせるのは年に一度、家内の実家での正月と決まっていた。どっちが先か忘れたが、何れにしても2日と3日、箱根マラソンのテレビ中継をつけ放しにした居間で昼から夕方にかけての酒盛りが定番だった。

家内が逝ってからも義母が健在なので、おおよそこの習慣にならっていたものだ。ところが来年は明らかにこの慣習を破らねばならないことは、もうだいぶ前から互いに了解している。しかし孫たちにお伊勢さんのお札は上げられないが、お年玉くらいは上げなきゃまずかろうし、雑煮やお節はなくても年に一度位は会食したほうが良かろうと思っている。次女とはこの暮に別件があって電話する機会があったので、既に決まっている。

孫が、東京で外食は気がすすまないので自宅に来て欲しいとのこと。実家の年賀は毎年元日の日帰りで決めているので、2日に来てくれとのこと。昨日長女に電話をした。「毎年来ていたような気がするが、お母さんの命日(12月28日)には線香上げに来るかい?」言われて初めて気がついた風情で「そうか、それもあったね。」要するに巣ごもりですっかり忘れていたらしい。小学6年生の孫が毎日学校に行っているので、いつ何を背負い込んでくるかが気掛かりで仕方ないらしい。

確か先シーズンは一家全員がインフルエンザに罹患している。「多少お金が掛かっても予防接種はしたほうが良いぞ。」とアドバイスした記憶がある。今年はどうしたか知らぬが、仮に摂取したにしても新たにコロナの脅威が追加されたことになる。孫の学校は未だ来週いっぱいはあるらしい。だから外出は少しでも遅い方がいいだろうとのことで、長女の実家は山形なので、年賀は中止だからと、元日の朝に来ることになった。会食は勿論無し。

どうも我が家では娘たちもそうかも知れぬが、孫たちが意外と真面目に大人以上にコロナを警戒していると感心した。キリスト教徒にとってはクリスマスが家族邂逅の大切な日らしい。例え年寄りが認知症であったにしても両親や祖父母たちと一緒に過ごす時間を大切にしてきたらしい。ロックダウン中のヨーロッパ諸国でさえ、政治的にはこの日に瞬間的であっても規制を緩める策をだいぶ前から練ってきた。勿論医学的専門家は反対を表明している。

ところが我が日本は面白いと言っては不謹慎だろうが、政府が年末年始を目前にして突然規制の強化に動いている。年末年始が日本人にとってキリスト教徒のクリスマス以上に重要な意味を持つ時期であることは言うまでもない。医学的専門家たちの知見とアドバイスに従ってとのことだが、これまで聞く耳を持たなかった専門家の意見だ。誰が見たって世論調査で支持率が急低下したことが影響したからに他ならない。政治家は不真面目だ。

2020年12月16日水曜日

来年はどうなる?

例年通り上越の豪雪地帯に大雪が降り出した。若い時であればスキーシーズン到来と心も踊っただろうが、昨今はそんな感激も感じなくなってしまった。情けないことに朝晩の寒さのほうがよほど辛い。昨夜は最初の会社時代から続いている友人と久しぶりに、ほぼ1年ぶりくらいかな、と会食。日本酒を1合ちょっと飲んだだけですっかり酔ってしまった。これも情けないが、帰宅して今朝の米を研いでなかったことを思い出し、支度をしたりしてから風呂に入ったら急に温まったせいか、のぼせて少し気持ちが悪くなってしまった。

ヒートテックならぬヒートショックで湯船に浮かんでお陀仏になったのでは洒落にもならない。年内はもう飲む機会が無い筈なので大丈夫とは思うが、正月2日に娘の家に招待を受けている。飲み過ぎとともにヒートショックにも気をつけよう。昨夜一所だった友人は今日はゴルフと言っていた。昔は確かに冬場は好天が続くのでゴルフの予定が多かったことを思い出すが、これも今になると他人事ながらよくやるなあと感心するばかりだ。

師走も遂に半ばを過ぎた、後半月で年が代わる。大晦日に掛けかえるカレンダーは予定の物が全部用意できた。ただ1点寝間に飾っているお伊勢さんの絵馬を来年どうしようか考えている。ネズミの絵が書いてあるのを来年も置いておくべきか、しまってしまうべきか、つまらないことだが面倒くさいので当分このまま置いとくしかないか。小人はつまらないことしか考えないが、アメリカのバイデン氏はやっと来大統領になることが正式に決まったようだ。これで世界がどう変わるか凡人に分かるはずもないが、少しでも平和の方向に動くよう祈りたい。

日本の来年も見通しがつきにくい。少なくとも政府は代わったばかりだから、来年末までは今の政府が続くのだろうが、希望に満ちた年にはなりにくそうだ。我々年寄はどうでもいいが、若い人、特に就学している生徒や学生たちの現在の状態がどこまで続くか、はっきりした見通しが立たないのは不幸なことだ。同じ教室で授業を受けていても、学力に格差が生じるの当たり前。まして遠隔授業が多くなっている現在、日本はインターネット環境が整備されていると言っても、格差は間違いなく拡がり、先輩とのハンデキャップも大きくなるだろう。

そのあたりを国がどう考えるか聞きたいが、今日聴こえてきたのが、オリンピック聖火リレーを予定通り3月から開始して、延べ1万数千人が参加する予定とのこと。どこかピントが外れていると思うが、これが我が国の実態だから仕方ない。 

2020年12月15日火曜日

Go Toは余計なお世話

 何度も書いているが、子供の頃から算数が苦手。高校に入って代数と幾何、幾何は答えを見ると「へえ、こんな面白い手品みたいことがあるか。」と感心したが、自分で解くのはまるで駄目だった。兎も角そっち方面の才能が無い小生にとって数字は親の仇と同じ。小学1年生の時100迄勘定が出来たので自分で天才かと思っていたが、この歳になっても100万円以上の数は実感がわかない。500万円と1千万円の違いもはっきり理解できないかもしれぬ。

ましてや1千万円を超す数字については、何を聞いても嘘っぽく思えてならない。昨日から今日にかけて、Go Toキャンペーン突然の中止で世の中が騒然としている。そりゃ当たり前のこと。暇とお金を持ち余していた年寄連中は、この切符か旅行券は知らぬが、キャンセル方法が分からず子供に電話をしているだろうし、褌ならぬ当てが外れた業者側の落胆も大きいことがよく理解できる。ここで登場するのが数字と記号の%。

最初から割引に興味が無い口なので、冷やかし気分で取り上げたが、誰が得をしたかと言えば、得した人間は一人もいないように思う。強いて言えば税金の無駄遣い金額が誰かが予定したより少し増えるだろうから、将来の日本人の負の遺産が増えたことは間違いないだろう。しかし税金の無駄遣いは昨日や今日に始まったことでは無い。実害が及ぶ世代は子どもたちの世代か孫たちの世代?或いはもっと先かもしれぬ。後世我々の世代を歴史家がなんと言うか聞いてみたいものだ。

締め括りの数字は「4千万人」臨時国会開催中から使われていた数字だから、若干の誤差はあるだろう。「Go Toトラベルの利用者は約4千万人、この中でコロナの陽性反応を示した人は僅か100人強。従ってGo Toトラベルが悪者になる理由が無い。関係あるならエビデンスを示して頂きたい。」これが政府のみならず、テレビに出演した与党側の然るべき方に共通したご発言。これに対する反論であまりパッとした発言は記憶に無い。

小生が思ったのは暇と金があるとされるご老体のこと。これが日本にどれほど居るかについてだ。若い人も多いと思うので全員がご老体と断ずるのは無理にしても半分くらいとしてみれば2千万人だ。どこから取った統計か分からぬが、仮に公共交通機関の乗車員数からとすれば、往復で2人になるから実質1千万人。数年前フランスの高級ブランド用品店の売り子をしていた女性の話を聞いたことがある。日本には月に100万円(1千万円だったかな)くらいのお小遣いを使う層に100万人ほど居るとのこと。

昨夜は姪と別件で電話をした。序にビジネスについて聞くと「お陰様で相変わらずです。」とのこと。彼女のビジネスはヨットの販売。これになるとフランス高級ブランドよりもっと値が張るのは勿論のこと。何れにせよ、日本にはお金持ちがたくさん居るらしい。彼等はGo Toが有ろうと無かろうと旅行がしたきゃ行くだろう。

2020年12月14日月曜日

会話の無い社会

 本日は今年最後のお仕事、歯科医の定期検診。コロナ対策で予約数を絞っているのか、客数が昨年に比べると大分少ない気がする。ケアしてくれる歯科医か看護師か分からないが、これも新顔。所要時間は毎回40分としたものだったが、これも半分程度で終わってしまった。「普段よくケアしていらっしゃるのでまた半年後で結構です。」このセリフも初めて聞いた。これまでは「3ヶ月か4ヶ月後にまた診させてください。」が常套句だったが、こちらが勝手に半年にしてただけ。

受付もこの半年で大分変わっていて、診察券をカウンターに置くと見慣れた受付嬢が「アルコール消毒と検温をお願いします。」とのこと。なるほど眼の前にそれらしき装置がある。検温は置かれた機械に手をかざすだけ、消毒はどこを押せばアルコールが出るか分からず、瞬間戸惑うと受付嬢が「手を出せば自動で消毒液が噴射されます。」とのアドバイス。診療後の精算も診察券を機械にかざして金額を確認のうえ、機械とのやり取りで精算。受付嬢とのやり取りがすっかり短くなってしまった。

毎年暮れには卓上カレンダーを貰っていたが、これも用意が無いようだ。受付で待機する客数が少ないこともあるからか、待合席に常時あった新聞雑誌は全く無くなった。歯科医とすれば投資はそれなりの物入りだったかもしれぬが、逆に合理化できたことも少なくないだろう。どちらにせよ前から繁盛していたからすぐ元を取ってお釣りが来るだろう。

他人事ではなくてこちらも今年はコロナのせいで不愉快なことは多かったが、学んだことも多いとしなければならぬだろう。どれだけ身についたか分からぬが、我慢と辛抱が一番かな。今日の歯科医でもそうだが、とにかく無駄なおしゃべりというものが無い世界に放り込まれてしまった。馴染みの店で食事をする時のほんの二言三言が唯一の救いだから容易じゃない。

明日は1年ぶりで友人と会食する約束がある。前回会食したのは別の友人とだが9月の初め、ここからでも3ヶ月ぶりだ。時節柄遅くまではいけないだろうが、それでも2時間位はゆっくり話ができそうなので楽しみだ。

2020年12月13日日曜日

外国語の学習

 中学に入学したばかりの頃、英語が面白くて高校くらいまでは一所懸命単語を覚える努力をした記憶がある。しかし昔から記憶力が貧弱だったみたいで、6年間勉強しても物にならず、英語の読み書きも会話も全くダメである。小学生時代は漠然であるが外国に憧れていたが、我が人生では外国で活躍する夢は1度も実現しなかった。観光目的で英語圏の国へ旅行した経験もいくらかあるが、英語を話せた記憶はゼロに近い。だから英語が出来る人が羨ましくてしかたない。

それはともかくとして、いつも不思議に思っているのが昔の人の外国語習得方法。歴史に残る最古参は奴国王だが、これは古すぎて年代の特定が難しすぎる。はっきりしているのは百済と協同して戦った坂上田村麻呂と言えば8世紀から9世紀初頭に活躍したの貴族らしいが、この頃既に大陸の国(百済)と協定を結んで東北で夷狄と戦っている。夷狄とは大陸系の民族だったか列島内の民族だったかは分からない。何れにしても大和言葉とは異なる言語を使用していた民族だろう。

9世紀になると大陸との往来はより活発になり、最澄や空海といった坊さんが大陸に留学して勉強すらしている。現代人がアメリカのハーバート大学に留学する以上に大変だったに違いない。明治維新以降になると同じく坊さんの河口慧海がチベットやネパールに単身乗り込んで多くの経典を持ち帰っている。彼らが外国人と折衝するに手真似だけでは通じる筈もない。文字の読み書きが物を言ったに違いない。

ここからは勝手な類推になるが、大陸の文化を日本に最初に齎したのは朝鮮半島の民族で、文字を持ち込んでくれたようだ。仏教伝来を「ほっとけほっとけゴミや(538年)さん」と習ったように6世紀半ばには半島から仏教と文字が大量に流れ込んできたのだろう。だが日本人昔から喋りが不得意だったのかもしれぬ。字を習い、これを日本の言語の当てて仮名を作り上げていったに違いない。英語を聞いて「ザットイズハボツクス」とカタカナで当てたようなものだ。

小生は間違いなく大和民族の血を引き継いでいる、と妙なところで安心している次第。

2020年12月12日土曜日

弱点の克服

 毎日何となく書き綴ってきたこのブログで、自分には難しすぎることなどを含め偉そうに書いている。今日は年末だからという訳でもないが自分のことについて少し書きたい。今朝も少し喉が痛くてコロナが心配になった。とにかく毎日池袋迄を往復彷徨っているのだから、いつ感染しても不思議は無い。風邪薬の「改元」でも飲もうかと思ったが、薬に頼りすぎるのもいけないと思って取り敢えずは放置している。

しかし、こまま行って無事来年の誕生日4月になれば目出度く81才、80の坂を超すことになる。峠を目前にして思うのはよくぞここまで来たものだとの感慨と、思いはこれまで耐えてきた自分の身体の弱み。子供の頃からカラ元気だけは人一倍だったものの、身体は極めて弱く、小学生時代からあらゆる種類のお医者さんの世話になってきた。内科は勿論だが耳鼻咽喉科、皮膚科、歯科、眼科に加え外科もしょっちゅう。

居間の戸棚に鎮座していた薬箱には包帯やガーゼの他にオキシフル、ヨードチンキ、赤チンキ、正露丸、熊の胆、メンソレータムが入っていたような気がする。子供心にちょっとした怪我とか腹下しは自分で薬箱から必要品を取り出す知恵もついたものだ。両親は比較的健康だったが、父も消化器には少し自信が無かったのか、養命酒や整腸剤のミヤリサンを毎朝飲んだりしてたし、万座温泉に1ヶ月ほど役所を休んで湯治に行ってたこともある。腸が弱いのが親譲りだ。

長じてサラリーマン生活に入ってからも、毎冬1度は風邪をひくの当たり前で、風邪薬持参でスキーに行った記憶もある。入院を要するような大きな病気も度々あったが、不思議なことになんとか持ち堪えた。遥かに元気そのものだった友人が何人か既に亡くなっている。一病息災はよく聞くが、十以上の病気を患い、現代風に言えば基礎疾患とも言える前立腺がんを抱えながら、新型コロナという厄介な疫病を避けて生き延びるために、素人ながら己の弱点をよく知り、克服するよう努力したいと考えた。

基本はやはり規則正しい生活で、食事と運動と睡眠をバランスよく取ることだろう。食事は1日に30種類以上の食材を2回か3回に分けて摂取すること、運動は1日1万歩は歩くこと、睡眠は0時を挟んで最低6時間(理想は7時間かな)は寝ること。次に大切なのがお腹の調子を保つためだが、過ぎないこと。食べすぎ飲み過ぎは禁物。お陰でこのところ嘗て弱点であったお腹の調子が、だいぶ良くなっているような気がする。

2020年12月11日金曜日

年越しの準備

 12月も10日を過ぎると、温暖とされる東京でも朝晩は流石に寒くなってきた。と言っても精々10度を少し下回る程度だ。晴れさえすれば昼間はかなり暖かい。小一時間歩くと汗が滲んでくる。基本的に地上を歩く時はマスクをしないが、地下街ではするようにしているので息苦しかったり、眼鏡が曇ったりするので大変だ。マスクも50枚入りが千円を切るようになっているので購入しようかと思ったが、今日はやめた。

どうも根がケチで、1日の出費が3千円を超すと精神的に急速にブレーキが掛かる。その前に、トイレに貼るための1枚ものカレンダーを貰うために、年末にしか行かない長野の八十二銀行に行って預金通帳に1年分の公共料金の支出を印刷してきた。年間支出が大凡30万円くらいかと思っていたが、10万円もオーバーしていたせいもある。昼飯の他に月間文藝春秋新年号や来年の小手帳を買ったりしたので出費が3千円を超えてしまったからである。

ケチな話になったが、マスクなんて3枚もあれば十分と教えてくれたのが下の娘。不織布であろうと何度も洗って使い回せばいいそうだ。上の娘はいつも端切れで作った自家製のマスクをしているし、ケチは我が家の良き伝統かもしれぬ。年末恒例の買い物としては孫たち用のお年玉を入れるポチ袋。これについても毎年不思議に思うのだが、鳩居堂にもイトー屋にも<お年玉>と印刷されたポチ袋が見当たらないことだ。

年賀状は昔にやめているので、これで年越しの準備が終わったようなものだ。

2020年12月10日木曜日

後期高齢者

 平均寿命に達しているので、この先何年生きることになるか、そう長くはないと思うが予想できない。うまく行けば後2年ぐらいはいきるかもしれない。そんな年寄が来年のことを言えば鬼に笑われてしまう。しかし他に書くべきことも無かったので、鬼さんに笑われることを承知で書いておく。しかも再来年のことだ。

昨日首相と公明党の山口代表が会談をして、再来年10月から後期高齢者の医療費費を引き上げることで合意したとのこと。何故こう言ったことが国会が閉幕してから態とらしく話題になるのかが不思議だが、税金を取りやすいところから取る、を絵に描いたような話だ。マスコミはそういったことについては何も言わない。尤もらしく首相の意向に公明党が異を唱えて、引き上げる対象者の収入で1週間掛けて揉んだことを騒がしく言い募る。正に茶番そのもの、出来レースの極みだろう。

再来年までに野党に政権が移り、アメリカでよくあるように野党がこの決定をひっくり返すことがあれば結構だが、マスコミはそんなことはありえないとの判断だろう。報道によればいわゆる後期高齢者は全国で1815万人程。中で現役並みの収入があり医療費3割負担している人の割合は約30%とのこと。我が友人にも3割負担の人が多いが、残念ながらこちらは1割負担。

昨日の自公両巨頭の会談で目出度く2割負担する仲間に入れてもらうことになる。今回の線引は年収200万円以上、ありがたい年金のお陰で幸いのもその仲間に入れて頂けた訳だ。同じくランクアップされた方は全体の20%だそうだから、1割負担での後期高齢者は全体の半分になる勘定。何年前のことか忘れたが、あの後期高齢者騒ぎは一体何だったのだろう?区役所に行くと、後期高齢者は保険を含め諸々の手続きが75才以下の人と別になっている。

利用者の手続きが複雑になれば、事務を執行する側も余計手間が掛かるだろう。行政改革を大胆に実行なんて言う前に、現行システムの問題を洗い直す必要がありそうだ。今年は医者通いをしないように頑張ってきたので、通年の医療費は未だ1万円になっていない。しかし昨年までは確定申告で10万円以上を申告してきた記憶がある。来年も健康に留意して医者通いはしないように務めるつもりだが、如何せん生身の身体だ。再来年まで生き延びれば20万円以上の支出にもなりかねない。

これまで70円の支払いで済んでいた日大病院放射線科の検診費用金70円也が目出度く140円也になるくらいは笑って済ませるが、歯医者の定期検診は990円は2000円に跳ね上がる。昼飯1回分以上かもしれぬ。兎も角医者通いを少なくして長生きを図ることに注力しよう。

2020年12月9日水曜日

自衛隊の医療支援

 中国かぶれしているみたいで気が引けるが、昨夜から報道されている自衛隊の医療部隊派遣報道には些か、否大いに失望を禁じえない。今朝の段階では大阪市への派遣の詳細は分かっていないので北海道旭川市への派遣報道だけで書いている。防衛大臣が態々テレビカメラの前で発表した内容だ。しかも日曜日だったか一昨日の月曜かは忘れたが、菅首相自ら大阪や旭川の医療崩壊の実態は分かっているとして「自治体からの要請があればすぐに自衛隊を派遣する準備は整っている。」と断言したことも記憶にある。

どれもこれもふざけた話だ。実態について首相まで報告が上がっているなら「自治体からの要請があれば」は余計だろう。実際旭川市の病院からは、既に先週市に対して自衛隊の派遣要請をしたものの道段階の判断で一度断られている。事程左様に政府の発表は、実態とかけ離れたものが多すぎる。自衛隊の医療人材には余裕が乏しいなら、そうとはっきり言うべきだ。だから派遣される自衛隊員だって気の毒だし、要請した方だって「そうか、ならば他の方策を考えなきゃいかんな。」となるではないか。

出来もしないことを出来ると言うことほど罪は重い。政府が頼りにしてきた分科会長の尾身会長が日曜日のNHK日曜討論に出演して次のように言い放ったそうだ。日刊ゲンダイからの引用である。「実は日本がしのいできた理由のひとつに、クラスターを早く見つけて感染源を(特定した)ということがあるんですけど、もう保健所が疲弊して、クラスターの感染源を見つけるという方法が取れなくなっている。」即ち日本が感染拡大を阻止してきた切り札である「クラスター対策」を、もう使えなくなった――と白状したのだ。要するに「敗北宣言」である。この発言には、出演していたコロナ担当の西村経済再生相もビックリしたのか、こわばった表情を隠さなかった。引用終わり。

重傷者や死者の数が少ないと高をくくってきた罰が当たったかどうかは措いても、東大の児玉龍彦氏が7月の半ばに参議院で参考人として述べた時の資料をデスクトップに置いてあるが、だんだんそれが本当になってきた。学術会議に年間10億円の政府支出ケチる自民党のことだ。経済活動の下振れをなんとか抑えたいつもりらしいが、打ち出した政策もご粗末で経済的にも悲惨な状況は深まるばかり。自民党幹部までがバカにしている中国は経済活動もだいぶ回復して、少なくとも今年度もプラス成長になるらしい。彼らが初動で何をしたか、上海から武漢に送り込まれた医療チームの女性医師の記録は共産党の宣伝にしても感動的だ。(11月24日の読後感を是非参照願いたい)

重傷者数と死亡者数は児玉氏の言うとおりになってきた。地獄を見るまで気が付かないのはアホと言うほかない。

2020年12月8日火曜日

雑感「開戦の日」

 昭和15年生まれだから、記憶に残るところは精々20年の終戦の日頃からしか無い。教育を受け始めたのが更に2年後からだから、誕生する前の日本近代史は殆ど知らないに等しい。ただ誕生翌年の今日12月8日に、日本が対米英蘭(だったかな)に向け宣戦布告を発したことだけは知っている。それから80年余りの歳月を経た今日思うのは何も知らずに来た日本近代史のことだ。

昭和15年は西暦1940年、明治時代が幕を開けたのが1868年だから明治元年から小生が誕生するまでの時間は72年、既に年齢より短くなってしまった。今朝の朝日新聞には真珠湾攻撃に参加した102歳の方のコメントが掲載されている。真珠湾攻撃についても新たな事実を知ることになったが、それ以前の大正時代や昭和初期のことを知らなすぎると痛感している。日本人は何故大陸で長年戦争を続けていたのだろう?

近代史の専門家に尋ねれば簡単に教えてもらえるのかもしれぬ。明治大正そして昭和の初期時代、我が国は貧しかったかもしれぬが、多民族が居住する大陸に攻め込んでまで領土拡大の必要性は何処から来たのかが知りたい。最初に朝鮮半島や台湾を、やがては大陸の内部に浸透して領土は拡大したようにも見えるが、ロシア時代のロシアとはそこそこ勝った戦もあるが、ソ連時代になるともうボロ負け。大陸での戦も相手が複雑過ぎて結局誰にも勝てなかったようなものではなかろうか。

国内的には戦争ではなく事変だなんてごまかして国民を騙し続けても、軍を投入しているのだから戦争そのものだ。今の政府も国民を騙すことに関しては、当時の政府に引けを取らない。政府は代わるたびに成長してほしいが、99代にしてなお成長を期し難いとは情けない限り。国民が内閣を作っているのだから、国民性によほど問題があるのかもしれない。

毎年12月8日には先の大戦に関して思いを書いてるはずだが、昨年は8日の記述が無くて9日に「開戦の日:昨日のことではあるけど忘れてはならないこと。あったことを無かった事にしてはいけない。」とだけ書いてあり、一昨年は戦争に散った先人に思いを馳せている。平和な時代にボーッと生きた年寄りには子や孫に伝えるべき話が見つからない。

2020年12月7日月曜日

やはり親子だ

 石原慎太郎氏の言動が好きになれない。何故か、文学者或いは社会学者としての才能があるかどうかは分からないが、政治家としての立ち居振る舞いがどうも独善的に見えて鼻につくのだ。外の女性との間でもうけた子は別として、正妻との間に4人を男子がいる。政治家が二人に絵描きが一人、もう一人が次男のタレントで気象予報士の資格を持つ良純氏だ。

彼はCM出演もしているので毎日のように顔は見るし、コメンテーターして出演する番組も多いので、個人的意見を聞く機会も多い。彼のタレントとしての評価であるが、嫌味がなくて親父に似ない常識を弁えた好人物だと思っていた。ところ今朝のテレビ朝日「羽鳥慎一モーニングショー」での発言を聞いて少しがっかりしている。やはり血筋は争えないのかな?である。

父慎太郎氏の中国嫌いは有名で、中国を口にするの嫌なようで、常に「シナ」呼び習わしていたほどだ。彼は曲がりなりにも文学者。中国関連の歴史や文学に多くなくても一通りの知識はあったろうから、その結果至った信念とすればそれは仕方ない。ところが良純氏はどちらかと言えば、気象予報士になるほどだから理系の人かもしれない。今朝彼が番組の中で同じコメンテーターの玉川徹氏に噛み付いた。

玉川氏は前からコロナ対策で政府の中途半端な政策を批判し続けている。簡単に言えば「中国の政策を見習え」とやや危険思想に近い論調。これに対して良純氏曰く「中国なんて独裁主義国家で特殊な国だ。民主主義国家の日本がそれを真似することは出来ぬではないか。」両氏の間には元大蔵(財務だったかな)官僚で東大を首席で卒業したとされている山口真由氏がいるが、彼女も政府的立場なので良純氏派。中国は特殊国家論だ。

玉川氏は特殊国家であろうと良いところは真似て取り込むべきだを主張。最後まで観なかったので、司会の羽鳥君がどう収めたか見極めなかった。言いたいのは日本人は圧倒的に良純氏派で、これが常識化しているのだなと言うこと。これが日本の劣化を招いていることに気がついた。昨日のブログへのコメントを是非参照願いたい。科学技術には無縁な小生だが、最近の電気自動車問題にしろ、月面探査衛星にしろ、国民の衛生管理システム構築にしても同じことだ。

中国は科学的分野で圧倒的に日本を凌駕し始めているのみならず、世界でもトップクラスに躍り出たように見える。社会的に共産党の独裁主義は問題かも知らぬが、だからと言って1億国民が火の玉となって精神論で立ち向かっても敵う筈もない。自由民主主義国家の米英仏だって問題は山ほどある。何故共産主義国家だけが悪者になるのだろう?個人の行動監視はシステム化されていないだけで自由主義国でも始まっている。システム化もそう遠い将来ではないだろう。問題はアクセス権の構築にある。

次期大統領に決まったバイデン氏にもアクセスできない機密情報だってあるのだから。長くなりそうなのでやめるが、日本人も冷静に自国の遅れを見つめ直すべき時のようだ。

2020年12月6日日曜日

久しぶりの明るい話題

今朝一番のニュースは全てのマスコミが「日本の宇宙探査、結晶帰還 50億キロの旅、生きた初代の教訓 はやぶさ2」だ。これは朝日新聞から借用している。不愉快なニュースが続く昨今で久しぶりの明るい話題だ。昨夜というか今朝というべきか真夜中の2時半、はやぶさ2から発射されたカプセルが無事オーストラリアの草原に着陸し、現在既にカプセルの回収も終了したとのこと。

真夜中の2時半まで起きてその現象を見守った人々、特に小中学生らしい若人の目の輝きにこそ拍手を贈ろう。あの子達はきっと理科や算数が好きになるに違いない。それにしても50億キロとはどんな距離か想像すら出来ない。数日前長野の幼馴染と電話で話した時のこと、毎日池袋界隈を徘徊して運動していることを自慢した。「俺は毎日約6キロ歩いているから、1年で約2千キロ歩く勘定だ。」友人も心得たもので、馬鹿なことを自慢しやがるなんて思ったにしても明るく「そりゃ凄いね、日本列島北海道から鹿児島の先まで歩いたようなものだ。」なんて煽ててくれて気を良くしたものだ。

列島を10往復すれば4万キロ、このへんまでは想像できるが、地球の果さえ想像できない無学者にはそれ以上の想像は無理で、遠い遠いところで皆同じだ。理科も算数も特別苦手なので、惑星なるものが水金地火木・・・と教わった他に猿の惑星の如く、他にあるとはつい最近まで知らなかった。今度探査の対象になった星の名前は「小惑星」とのみ発表されているだけで、命名は未だらしいがリュウグウ以上に立な名前を後世に残すべきだろう。

はやぶさ2の機能も想像を絶する。はやぶさ2のような無人探査や観測衛星などの科学予算は5年前の約200億円から160億円に減った。はやぶさ2は発射から今日までで6年、初代はやぶさ1がオーストラリア上空で砕け散ったのが2010年とのことだから、以来毎年200億円ずつ注ぎ込んだとしても高々2千億円にもならないだろう。現在騒ぎになっているイージス艦「まや」型2隻分のミサイル弾薬代込み30年使用総経費は約8000億円と書かれている。

これも想像を絶する経費だが、それと比較するとJAXA(宇宙航空研究開発機構)の年間予算が何もかも合算して1900億円と言うのが随分慎ましく見える。昨夜も高校同期生のリモート井戸端会議でアメリカのNASAとイーロン・マスク氏が話題になった。イーロン・マスク氏も凄いが、吝嗇のトランプ大統領が嫌になるほど宇宙開発は金を食うものだったのだろう。具体的比較はできないが、JAXAは頑張っていると言わざるを得ない。

初代はやぶさ1の帰還直後に高校の同窓会で、このプロジェクト中心にいた後輩の講演を聴く機会があった。彼が「相模原の基地にいつでも来てください。」と言っていたこととそのままになって10年過ぎてしまったことを後悔している。 

2020年12月5日土曜日

略式起訴

 誰でも同じ思いだろうが、人並み外れて利口でないにしても所謂馬鹿者の範疇にはに入らないごく普通の常識人だと思っている。しかし考えると人並みとか常識に関して物差しが無いので、これは勝って読みの思い込みかもしれない。よって当然だが耄碌しても頭はボケていないつもり、これがかなり危険かもしれぬ。宅配の新聞購読は既にやめて久しいが、テレビは毎日観ているので世の中の動きにはついて行けてるつもりでもある。他人はどうか分からないが、テレビの影響が大きく我が常識を翻弄している可能性がありそうだ。

テレビ画面には毎日多くの人物が登場して、もっともらしいことを宣う。これを受け止めるに最初から疑ってかかるほど訓練ができていないので、余程気に入らない数人を除けば概ねの人の意見をそのまま受け止めてしまう。並外れて視聴時間が長いとも思わないが、似たような話が繰り返されるので、最初少しへんかなと思ったようなことでも知らぬ間に吸収してしまうことも多いだろう。そうなると後にいくら活字で確認しても疑問は感じない。脳みそに刷り込まれている記憶に疑問が生じないのだ。

変なことを書き出したのは訳がある。昨日台所で洗い物かなにかしていた時に聴こえてきたそれこそテレビの音声が脳を刺激した。「AIが人間を超えることは有りません。何故ならAIには興味という概念が有りませんし、良心も有りません。」短い音声だったが、コンピュータと人間の脳みその違いが分かったような気がする。

そこで早速今日関心を持った言葉について書きたいと思ったのが「略式起訴」だった。なんのために開催されたかよく分からない臨時国会が1日繰り上げて昨日閉会になってしまった。せめてマスコミはこの出来の悪い政治を少し追求するかと期待したが、今朝観たテレビがよくなかった。それが読売テレビの「ウェークアップ!ぷらす」ご存知政府の代弁人のお二人、辛坊治郎氏司会で、橋本五郎氏メインコメンテーターだから仕方ない。

途中で切ってしまったものの、最初に国会について10分足らずの短いコーナーが有った。もちろん安倍元首相に対する検察の事情聴取と吉川元農相の鶏関係団体からの裏金献金問題が存在したことには言及があったが、何れも歯切れの悪いもので、後者に関しては汚職事件だと言いながら前者は政治資金規正法違反で、秘書と事務担当者の略式起訴で終わるだろうと、当たり前のように言って終わり。

流石に「そんな報道はありえないだろう。」と反発を感じたが、そういう役割を担ったマスメディアが存在するのも事実と再認識した。せめてと思って「略式起訴」の意味を調べると、「略式起訴では、懲役刑や禁固刑にすることはできない」ことのようだ。政治資金規正法や公職選挙法違反が禁錮刑に値しないとは初めて知ったような気がするので、今後の政治はもっと悪くなるに違いない。

2020年12月4日金曜日

爺バカ

 先の大戦中とすれば、きっと銃後の家族のようなもので、心の浮かぬ日が続く中、昨日は久しぶりに義理の母や長野の古い友人と電話で比較的長い話ができて、少し心の休まる思いだ。やはり人との会話は神経を癒やす最良の薬かもしれぬ。更に、今朝パソコンを立ち上げると娘からメールが来ていた。娘からの連絡は急ぎは電話、さもなければラインが普通なので珍しい。ラインは立ち上げない日が多いことを知っているはずなので、朝一番で何か言いたかったのだろう。

早速確認すると上の孫のこと。昨日も義母との会話で、この孫が大学院進学を果たしたことをすごく喜んでいたことを思い出した。娘からのメールに依ると、その上喜びが重なったらしい。次のように書かれている。「おはよ~哲也くん何やら研究会↓↓で賞を頂いた様です。ご報告までm(_ _)m」矢印が次のURLを指している。https://www.sigwi2.org/next-sig /メールには表彰状の添付ファイルまで付いていた。

小生は兄弟が5人だったが、中で賞らしきものを手にした経験者は学校の教師をする傍ら絵を描いていた亡き弟一人だけ。他には聞いたことがない。娘たちも皆勤賞ぐらいはもらえたはずだが、もうそんな賞は無い時代になっていた。ところが隔世遺伝かどうか知らぬが、この孫はよく出来たもので、小学校時代から運動能力に優れ、運動会の花形、中学に進学すると所属していた区立梅田中学校バスケ部が東京都中学校大会で優勝してしまった。この時は娘と何度も応援に行ったが、何でも900校くらいの参加があったので興奮した記憶がある。

今回はまた趣が変わって、どうやら学問上の賞のようだ。早速上記のURLを開いてみたが、どういう意味を持つか全く理解不能。取り敢えず娘には「ノーベル賞」と似たようなものだろうと返信した。孫には「意味が全く分からないが、おめでとう。」とだけ書いて昼の時間にラインで送った。するときた返事が次の通り。「ありがとう!!! 引き続き大学生の名に恥じぬよう、研究頑張ります!」

声を聞きたいとも思ったが、話し出すと長くなりそうだし、今日は平日。学校もアルバイトも忙しいだろうから我慢した。正月に会うのがますます楽しみになってきた。耄碌して親馬鹿ならぬ爺バカだ。

2020年12月3日木曜日

局面の変わり目

 昭和15年生まれだから先の大戦終了に依る社会の大変革は子供だったので、あまり理解できていない。なんの因果か終戦75年目の今年、他国同様日本も新型コロナウイルスとの戦いに入ってしまった。この終戦の目処はついていないが、何れ何処かの時点ではその時を迎えるだろう。それは政府が甘く考えるほど近い将来ではないと思うが、先の大戦が5年、考えようでは10年以上の長きになった程遠い将来でもあるまい。期待を込めて言えば我が命がある将来であって欲しい。

先の大戦は、少なくても初動の半年ぐらいの作戦はほぼ日本の計画通りに進んだようだ。しかし1年も経たないうちに計画の杜撰さが露呈して、足掛け5年悪足掻きをした結果甚大な被害が国民全体にのしかかる結果となった。このことは平成生まれの若い人でも少しは知っているはずだ。恐らく日本政府はその意識がないだろうが、コロナとの戦いが始まって既にまる1年。日本における戦局も新たな局面に入っている。

既に死亡者が2200人を超え、今月に入ると1日の死亡者が30人を超え始めた。如何なる根拠があるか不明だが、東京都知事は今月17日までに一山越えそうだとしている。その思惑通りに行けば結構だが、思惑が外れると1ヶ月の死亡者数が千人の大台に乗りかねない。google社の解析では、今月末には感染者数は5千人を超えると言っている。昨日今日の感染者数は未だ2千人強だから、あと4週間ほどで倍以上になる計算だ。AIの予測に小池知事の見込みが勝つとはチョット考えにくいが、勝つことを祈ろう。

話が逸れたが書きたかったのは別で、戦い週末期における指導者の立ち居振る舞いのこと。現在の指導者のそれが余りにも見苦しいのは書くまでもない。戦いの基本が敵の存在を明らかにすることにあり、それを求めて検査数を増やして探索する以外にないことは既に明白になっている。我が国では政府がウイルスに関する遺伝子工学の専門知識を有する学者の意見に聞く耳を持たなかったので、この対策の基本が採用されずにここ(ウイルスが全国に拡散)まで来てしまった。

一方で政府が打ち出したのが経済対策。これがまた噴飯ものでGo To一本槍、桶狭間で戦争しているつもりかもしれぬが、経済対策にしても本当に困っている人を見つけて、その人々にきめ細かく対策を講じるなんて夢にも思わぬらしい。どうしても先の大戦末期に重なって見え始めた。冒頭書いたように、先の大戦末期については知っているようで知らないのが事実。改めて先の大戦を指導した東条英機氏についてwikiで少し読んでみた。

開戦2年足らずでジャーナリスト出身の衆議院議員中野正剛氏が、反東條の狼煙を上げて自決に追い込まれるが、その頃からいわゆる重臣グループが反東條で連携し始めたと書かれている。それでも東條を実際に更迭できたのは昭和19年7月だから1年有余掛かっている。権力者を追い落とすことの難しさが分かるような気がする。でも安倍晋三氏は落城寸前、菅代官を追い込むまでそんなに時間が掛からないことを祈りたい。

2020年12月2日水曜日

意味不明の言葉遊び

 外国の事情は知らぬが、昔から我が国では言葉遊びが盛んだったようだ。掛詞(かけことば)や謎掛けが才能豊かな文人や芸能人によって生まれ、多くの人を楽しませてきた。理由はよく分からないが、これも楽しみの一つとして勝手に想像してみた。昔々、中国から漢字とともに言語が相当輸入され、その読み方を適当勝手に言っているうちに誰かが仮名文字を発明して、それまで使っていた言語との橋渡しをするようになり、徐々に整理されて日本語が定着していったのだろう。

当然の結果として日本語は複雑怪奇、同じ言葉でも肯定にもなるし否定にもなる。子供が生後4年や5年でよくこれを習得するものだと感心している。欧米にもボードビリアンと称する芸人が存在するそうだから、それなりの言葉遊びはあるだろうが、日本の寄席芸人ほどの多様性はあるまい。池袋にも寄席が1軒だけあって昔は時々息抜きに行ったものだ。でもテレビのお陰(これも肯定的に取られかねない言葉だ)近年はすっかり寂れ、最後に行った時は昼席で入場して、夜席も無料で居られた。

ところがそのテレビの芸能が最近は様変わりして、嘗て寄席で観た芸能は態々「古典」と銘打たれる始末まで落ちぶれて、古典人間にはすっかりつまらなくなってしまった。つまらないのは意味が通じない、分からないからで、テレビ芸人のせいでないのは分かっている。言葉は時と時代で変化するのはやむを得ない。いっそこのブログも長生きして古典になることを期待しよう。話がおかしな方向に入ってしまったので戻したい。

芸能について語りたかった訳ではない。意味不明で言いたかったのは報道で聞く政治家の発言だ。彼らが教養不足で語彙が少ないのは仕方ないにしても、余りに日本語としての言葉遣いが酷すぎる。言わんとする文脈のよって来る根拠(英語でエビデンスと言うらしい)、前の発言との脈絡や他閣僚との整合性を言えば殆ど支離滅裂。使う単語の不適格さは、如何に漫画ばかりで育ったからとしても、曲がりなりにも国の指導的立場にある者ではないか。


最近は揃いも揃って昔の紙芝居宜しく、何やら特筆大書した画用紙を振りかざして何かを喚く。如何に芸能番組が面白くないからとて、政治家が紙芝居屋の真似事してどうなるというのだ。大人を馬鹿にするな。

2020年12月1日火曜日

中国敵視が分からない

まず最初に書いておくが、数ある外国で中国は一番好きな国かもしれない。何が良いかと言えば、先ず食い物が美味い。次は歴史が面白いからである。

昨日も中国について書いたが、今日もまた書かざるを得ない。ステラが勝てない中国については多くの評論家やブロガーが称賛の記事を書いている。「だからどうした?」と聞かれても困る、単に事実を書いただけだ。個人の思いを正直に言おう。やはり中国は大国だと思う。大国とは何ぞやであるが、人口が多いことに尽きるかと思い始めている。そうなると中国に勝る人口を擁するインドはどうなるかだが、正直なところ分からない。

少なくとも現在の中印紛争ではインドが勝っているとは言い難いようだ。しかし遠い将来ではどうなるか分からない。現在の超大国と言えば圧倒的にアメリカだろうが、残念ながら人口的には中国4分の1以下、経済力では既に追いつかれたようなものだろう。武力ではアメリカが未だ相当優位であるにせよ、科学力で相当追い上げられているようにも見える。月面探査衛星の結果は今週末にはっきりするだろうが、成功すればアメリカには脅威がまた一つ増える。

要するに、国土が広くて鉱物資源が豊富でエネルギー源に困らず、食糧自給に不自由がなくても、人間の頭数には敵わないのではと思う次第だ。ロシアも注目すべき大国の一つだと思うが、人口を調べるとアメリカの半分以下の1億5千万人弱。日本と比較するほうが早いくらいでは、残念ながら大国にはなれそうにない。その大国を維持し続けることの難しさがあると思うが、中国の現行制度、即ち共産党に依る一党独裁しか無いのかもしれぬ。

アメリカのトランプ大統領もできればそうしたかったのだろうが、残念ながら民主主義という社会風土で培われた政治制度に阻まれ、敢え無く自滅した。日本は間違っても大国になろうとは思わないだろうが、共産主義はマッピラだとしている。その気持は分からぬでもないが、だからと言って独立国家としての矜持を捨ててアメリカ一辺倒もどうかと思う。

嘗ての外務官僚天木直人氏が今日のメールで次のように言っている。共感を覚えたのでそっくり引用する。

「いまから40数年前、田中・大平コンビがニクソン・キッシンジャーコンビに先がけて中国と国交を正常化し、日本の対中経済協力が始まった。その歴史的瞬間に担当官として立ち会った私は、日中経済関係はゆるぎないものになっていくと信じていた。その流れを逆行させたのが、田中派と敵対した福田派の小泉純一郎首相だった。以来、安倍首相に至るまで、対中敵視の政策は変わらなかった。このままでよいはずがない。」