2015年11月30日月曜日

食事と食料問題

この季節になると故郷長野或いは山形や栃木からなどから美味しいリンゴが送られてくる。婆さんの友人や婿さんの実家からで、リンゴが大好物の小生にとっては有難いことだ。最近は一時に比べてリンゴ箱も昔のように馬鹿でかくはないが、それでも正月過ぎまで毎日のように堪能できる。齢を取ったせいだろうが、朝晩の食事に野菜と果物は欠かせない。幸い野菜も婆さんの友人がしょっちゅう新鮮なものを届けてくれるそうで、野菜も毎日のように変化ある料理を楽しんでいる。

こちらは料理を口に運ぶだけだから良いが、婆さんは頂いた野菜を見てから料理を考えるので結構大変そうだが、彼女はそれが好きだそうで、互いにハッピーである。我が家では生ごみをなるべく増やさないよう、例えば大根は皮から葉っぱまで、春菊なら茎まで、別々に調理して余さず食べる主義らしい。お陰で摂取栄養素のバランスがとれて、こちらの健康にも良い影響があるだろうと感謝している。

ところで最近耳にした政府の能書きに「強い農業」なる言葉があって、それこそ強い違和感を覚えた。なんでもTPP交渉で農産品の保護だけは絶対守ると言いながら、大筋合意の結果を見れば大嘘のコンコンチキ。米の輸入は増えるわ、食肉の関税は引き下げられるわだ。余りに気まり悪いので、言い訳をする代わりに例によって強弁をして国民を煙にまく腹のようだ。曰く、何でも若くて経営意欲のある優秀な農水産経営者を育て(どうやって育てるかは定かでない)農水産業を輸出産業に変換させる。そして農水産物の輸出を1兆円規模に拡大ときたものだ。

農村や農業の実態を知らない国民が圧倒的に増えているので、景気の良い口から出まかせを信じる人が多いかもしれぬ。まして、これをぶち上げた「一億総活躍国民会議」には農水産業代表らしい人は見当たらない。女優菊池桃子さんならずとも、全員が結構毛だらけで大賛成したに違いあるまい。ところが、こちらは都内に住んではいるが、曲りなりにも信州の田舎育ち。親戚や友人には農家が沢山あり、齢の違わない従兄弟は今でも現役のお百姓さんだ。たまに遊びに行って泊めて貰ったりしているので、農家の苦労は目の当たりにしている。

とてもじゃないが馬鹿馬鹿しくて聞いていられない。テレビ番組なんかには中国で「コシヒカリ」が高値で売られていたことの、アメリカで和牛が大人気なんて放送がしょっちゅう流れている。そのような事実は当然あるだろう。一方で米の安値に困っている従兄弟たちのような農家が大多数であることを誰が指摘するのか。マスコミも言わないので代わりに書いておこう。

農水省の最新統計(2014年)で確認する限り農水産物の輸出入実態は下記の通りだ。
2014年の我が国の農林水産物の輸出額は、約6千億円。(アルコール飲料、たばこ、真珠を除いた輸出額では約5千億円。)代わって輸入額は約9兆2千億円。と桁が違っている。輸出品のトップはアルコール飲料で約300億円、ソース混合調味料約230億円、たばこ、清涼飲用水、菓子、播種用の種等、豚の皮(原皮)と続き、その次にやっと、リンゴと牛肉が約86億と顔を出す。米なんかとても統計に上がってこない。我々が農産物として認識できるのはこれが現状だ。因みに輸入品のトップが豚肉で約4500億円、牛肉が4番目で約3千億円。

これでどこを押せば「強い農業」なんて台詞が吐けるのか?後継者不足に嘆く100万の稲作農家はさっさと消えて無くなれとでも言うのか?食料自給が出来ぬ国家の将来はどうなるのか?なんとも罰当たりな話だ。

2015年11月29日日曜日

憂鬱 そろそろ年末

目前に年末が迫り、この数日は毎日のように喪中はがきが届き、改めていろいろな事が頭をよぎり始める。月日の速さはもはや驚くべきことではないかもしれぬが、それにしても早すぎる。当面の問題として、そろそろ年賀状のことを考えなくてはならない。ここで毎年悩ましいのだ。毎年170~180通の年賀状を頂くので、少なくても今年頂いている方には来年の年賀状を出さねばならないだろう。

そこで毎年のように婆さんから非難を浴びるのが小生の年賀状。宛名書きから本文まで手書きの部分が一切無いので、そんな年賀状なら貰わない方が益しとのこと。確かにせめて宛名ぐらいは自筆にすべきかもしれないとは思うのだが、ここ十数年実行に移せたためしがない。枚数を確定して婆さんにお年玉付き年賀状はがきの購入を依頼する時いつも聞かされる毒舌を考えただけで気が重い。

昨年まで頂く年賀状の中で一番華麗な年賀状は高校同期の友人K君のもので、もちろん裏表ともに墨筆。しかも年が改まってから段取りする本格派なので、松が取れてから届く年さえあった。ところが今年はK君から年賀状が来なかった。先日直接会う機会がったので聞いてみると、最近右手が痺れて細かい字が書けなくなってしまったので、失礼させてもらったとのこと。小生手に痺れこそないが、元から悪筆で自分で見ても嫌になるくらいのものだ。

婆さんは相手に失礼だと言うし、いっそK君に倣って出さないことにしようかとも思ってしまう。しかし、このところすっかりご無沙汰でも、生存証明を送っておきたい人が居ること事実。他にも年末になると、しなければならないことが種々あることに気付く。本当に悩ましいが、取り敢えずは身体が動かない。

2015年11月27日金曜日

寒波襲来

ちっとも冬らしくならないと思っていたら急に冬将軍が姿を現して、北風やら雪を伴って日本を急襲し始めた。どこの家庭でも暖房器具を急ごしらえしたり、除雪器具やらタイヤチェーンの準備やら大わらわに違いあるまい。高支持率に安閑と好き勝手なことを言い放ち、やりたい放題していた安倍内閣も天気の影響でもあるまいが、どこか急にそわそわした感じが漂い始めた。

昨日は官邸に「1億総活躍国民会議」を招集、威勢よく「1億活躍緊急対策」をぶち上げた。発表の口先だけは虚勢を張っているが、内容が余りにもチマチマしすぎている。曰く、最低賃金を千円にまで引き上げる法律を作るとか、保育所などの保育サービスの受け皿を新たに50万人分拡充、或いは同じく希望出生率1.8を実現するために、保育所などの保育サービスの受け皿を新たに50万人分拡充の法整備なんて言っている。

そりゃ随分手際の宜しいことでと褒めたいのだが、緊急と銘打ちながら実現の目途が立つのは全て2020年度末のこと。こちらが生き延びているかどうか定かではない。国民会議には財界のお歴々も出席されているので、企業に対して賃金を上げろと化、スマホの料金を引き下げろと檄を飛ばすばかりか、投資を増やせ、てなことまで指示したつもりになっている。国営企業が多い社会主義国家でもあるまいに、すっかりデフレ経済に戻っている環境の中で、企業の投資意欲が出る筈は無かろう。官邸スタッフが如何に経済音痴にしても、余りにピント外れだ。

流石に内心忸怩の感もあるのだろう。昨日は更に、低年金者に3万円給付なんて、嘗てさんざん批判していた野党お家芸のばら撒きまで指示したようだ。低年金者とはどのくらいの人を言うのか知らぬが、1千万人に及ぶのだそうだ。全世帯数が5千万くらいとすれば約2割だから相当の数にも思える。期待したいところだが多分こちらとは無縁であろう。それにしても、この政策のお題目が「1億なんたら」は誰が吹き込んだか知らぬが、全体主義を象徴する嫌な言葉だ。それをまた幼稚園か小学低学年の子が、覚えたての言葉を訳が分からないまま言い散らす様と一緒で絵、益々馬鹿みたいに見えてくる。

何れにせよ内閣が慌てるくらいだから、季節同様不景気風も大分強くなってきている。こちらは景気不景気関係なく大分前から貧乏を余儀なくされているから覚悟が出来ている。しかし現役で働いている人は辛いものがあるだろう。今朝の新聞に出ていたが、シャープは冬ボーナスを1か月支給するとのこと。このしょぼくれニュースを見るにつけ、亀山モデルで一世を風靡した嘗ての優良企業は夢の又夢のようでもある。

たまたま昨日近くのパナソニックのお店で蛍光灯20Wを5本を購入した。内閣が2020年までには蛍光灯の生産を全廃させると言った翌日態々行くのは臍が曲がっている証拠。嘗ての松下電器はシャープなんか比較にならない程の超一流企業だ。店主との雑談で「最近のテレビコマーシャルは炊飯器や洗濯機、チマチマしたものばかりですね。」と水を向けると「テレビなんかの電子部品は今や全く儲からない商品なんです。」あのパナソニックでさえ、ボーナス一か月分ではないだろうが、昔日の面影が無いことだけは確かだ。この近隣だけでも町の電気屋さんが最近3軒廃業したとのこと。

その分池袋にも沢山ある量販店が繁盛していればいいのだが、果たしてどうなんだろう?北風は方々を襲い始めている気がしてならぬ。

2015年11月26日木曜日

崖っぷちのジャーナリスト

急に冬めいた天気になって、冷たい雨に打たれている街の雰囲気が暗く感じる。気分的にも余り明るくなれないのは各種の報道のせいもあろう。先進諸国が戦争宣言を出すのも、第3次世界大戦と称する人も居るようで、聞いて気分良いことではない。でもこれは馬鹿な総理が真剣な顔で応援団みたいことを言うだけで、当面は遠い話と思っている。国内でもスポーツ以外は聞きたくもない暗いニュースばかりだ。

ブログのネタにしても心温まる話でも書きたいのだが、これがなかなか見つからない。仕方なしに政治家が利権の道具として玩具のように扱う税金のことで、悪口を書こうかと考えていたが、もっと酷いことがあった。時々触れるメディア絡みの話である。なんでもTBSの「NEWS23」が終了するのではとか、レギュラー解説の岸井成格氏が降板させられるとの報道だ。

実は就寝時刻が22:30なのでこの番組は殆ど観たことが無い。しかし岸井氏は同じTBS日曜朝の「サンデーモーニング」で観たり、夕方の番組でもたまに観るので、考え方が視聴者目線であるのは分かる。また昨年末安倍総理が「NEWS23」に生出演した際、番組の取材が偏っているとしてイチャモンをつけたり、その後自民党から「公正な報道」を求める文書が各局に送られた騒動も知ってはいた。

昔からマスメディアは政治そのものが大切なネタ故に、政治部に大勢の政治記者を置いて、それぞれが若い時から特定の政治家と個人的関係を結ぶのが常で、
その濃密な関係の中で掴んだ情報を、如何に読者或いは視聴者の目線で加工して公表するかがジャーナリストの使命でもあり、腕の見せ所でもあり、又誇りでもあろう。

しかし、中にはミイラ取りがミイラになる如く、読者目線を忘れて政治家の御用聞きに成り下がる者がいるのもまた事実だ。ジャーナリストと呼ぶのさえ気恥ずかしいが、読売の主筆渡邉恒雄氏あたりが筆頭かもしれぬ。今のマスメディアにはNHKがそうだが、ミイラ取りがミイラになるまでもなく、ミイラがいきなり経営者になってしまった例もある。

トップが政権寄りとなれば、中には気骨あるジャーナリストが居ても、会社全体が徐々に政権の御用聞きに成り下がるのも已むを得まい。どうも産経系統も同じ匂いがするので、この系統は新聞読まないしテレビ報道も観ないことにしている。他の新聞社或いは放送局でもトップは政権に対して逆らうことはできない。しかし、現代に於いては第4の権力とも称されるマスメディアに於いて、記者や編集者が作るコンテンツでは、そう簡単に政権の圧力に屈していけない筈だ。その意味では岸井氏や、同じTBS土曜夕方の「報道特集」金平記者や日下部記者なんかは頑張っている方だと思う。

その岸井氏の首を切らねばならぬほど、会社かトップにかかる圧力が凄いのだろう。この3月にはテレビ朝日の「報道ステーション」コメンテーター古賀茂明氏の首も切られたことが記憶新しい。その後4月に一新したコメンテーターは相変わらず政権批判を口にするし、キャスター古館氏も今のところは頑張っている。

考えてみるとNHK人事に象徴されるように、歴代政権の中で現政権ほどマスコミ操作に拘る政権は珍しい。本来マスコミはバックに国民を背負っているので、政治家には強い存在だった筈だ。どうしてその風向きが変わったのか、一考の余地がありそうだ。しかもその干渉の仕方がかなり露骨で、最近では高市総務大臣が国会で堂々と「放送法に抵触する事案があった場合には、放送法を所管する立場から、行政指導等の必要な対応を行うものでございます。」と述べるなど、マスコミトップは相当に萎縮しているのだろう。現役時代に広告を通してマスコミと深い縁があっただけに、実に気がかりでもある。

2015年11月25日水曜日

パソコン=何と厄介なものよ

今日はとんでもない厄日になってしまった。天気が悪いので止めようかと思ったのだが、全く動かないのも気が刺すので12時廻ってから考え直して、雨の中池袋まで行って昼飯を食い、14時過ぎに戻ってきた。そこでパソコンを見ると「OSのWindows10ダウンロードが可能です」のダイアローグが表示されている。自宅のパソコンでも嘗て同様の表示があり、トライしたことがあったが、その時は容量不足で出来なかった。

昼間事務所で使用しているパソコンはかなりの容量がある筈なので、暇でもあるし再トライしてみる心算になってダウンロードに取り掛かった。ところがである、今回はダウンロードが一応始まったが、またまた途中46%まで行ったところで問題が生じて止まってしまった。これであっさり諦めればいいのに、なまじ原因がファイアウォールにあるらしいことが分かったのがいけなかった。

どのWindowsパソコンも同じ筈だが、ファイアウォールはWindows(現在使用中は7)自体に組み込まれ、おかしなプログラムをが入り込むのをブロックしているようだ。先ずそこを弄って、今回OSのアップデートに限ってブロックを解除しなければならない。ところがこの解除のしかたがよく分からない。いろいろ弄っているうちに嫌気がさしてやめてしまった。

すると、パソコン自体がおかしくなってしまっている。先ずネットに繋がらないのだ。何れにせよ、ネットワークに再接続しなければならないが、これが思うようにいかない。正直何をどうしていいか分からず、一瞬動転してしまった。
結論的にはこのブログを上げることが出来ているので、繋がることは繋がったが、何が原因であり、何処を修正して治ったのかは未だに分からない。やったことと言えば、先ず第一がパソコンのシステムを11月22日に戻して復元したこと。

それでも未だネットワークは復元しない。更にメチャクチャをしているうちに、ルーターに入ることが出来た。見ると、トップに(PPPoE接続)なる項目があって、中に1: plala(デフォルト)と2: FLET'S Square(EAST)があり、2.が「停止」となっている。ここを「通信中」に変えたらやっと繋がった。これを発見するのに2時間半を要している。しかしこの後が未だあった。如何なる理由かこれもまた分からないが、この2時間半の間にウィルス対策に使用しているノートン・セキュリティーなるプログラムの「自動延長サービスの停止が完了」と言う通知が入っていた。

しかも、自宅のパソコンを含む3台分である。どうしてそうなるか理由の分かる人には是非ご教示願いたいものだ。これも電話1本で簡単に回復と言う訳にはとてもいかない。明らかに外国人と分かるサポートのお姉さんにお願いして、上司と相談の上のご返事と来たものだ。20分ほどで復元できたとのお知らせを頂戴したが、兎に角散々だった。兎に角、生兵法は大怪我だが、現代生活の必需品とさえ言われるパソコン。この得体の不明なこと実に恐ろしい。

2015年11月24日火曜日

経済なんぞ成長しなくて結構!

昨日の夕方5時半頃、有楽町から有楽町線に乗って池袋方面に帰ってきた。小雨が降り、薄ら寒いパッとしない天気であったが、車内は結構混んでいて、親子連れしかもベビーカーが多く乗車していたような気がする。想像するに、3連休最終日とあってディズニーランドへでも行った帰り客が多かったのではなかろうか。家族ででレジャーを楽しむのは結構だが、赤ん坊を連れてまでディズニーランドに行く人の気が知れない。

一方で、帰宅してテレビのニュースを見ると、母親の介護に疲れた娘と父が利根川に車ごと突っ込んで無理心中とか、都営アパートで年寄りの兄妹が餓死しているのが発見されたと、悲惨な報道がなされている。現代日本が享受している豊かさと置き去りにされている貧困とのアンバランスについて考え込んでしまう。格差の拡大は言われて久しい気がするが、政策課題には全然上がってこないようだ。

政策立案者の念頭には「景気の拡大」「デフレからの脱却」しか無く、唯一の解決策が「雇用の拡大」のみに見える。確かに雇用は拡大しているかもしれぬ。つい先日も書いたばかりだが、実態が分からずに想像を逞しくしてこの現象のよって来たる所を考えてみた。一家の大黒柱たる亭主の賃金が上がらないので母ちゃんが働かなくてはならない、子供たちもアルバイトしなければ一家の生計が成り立たないだけではなかろうか。貧乏所帯が増えれば比例して雇用は増えるに決まっている。

やっと就職が決まった昭和38年(1963年)と比較してはいけないだろうが、年金記録で確認をしてみた。入社最初の4月の標準報酬月額が1万6千円だったのに対し、10年後の昭和48年4月には13万4千円となっている。高度成長期とは言え8倍強である。小さな会社で労組も無かったので正確ではないが、恐らく社員の平均年収は300万円と400万円の間くらいではなかったろうか。当時の社長は目黒区の高級住宅街に住んで、運転手付の自家用車で出勤してきていた。平社員から見ると相当なお金持ちに見えたが、それでも社長の年収は従業員平均の10倍程度が、日本の平均的社会構造だったと思う。

そこで思うのだが、現代でも平社員の平均年収はさほど変化していないように思える。しかし、年収億を超える人間は沢山いる筈で、社長さん達も社員平均の数十倍の年収が当たり前のようだ。現代は大卒で正規雇用されると、入社早々でも年収250万円から300万円は普通らしい。ところが、10年後に8倍の年収を得るサラリーマンは少ないだろう。報道で知る限り、労働者の平均年収は精々500万円を少し超えるか程度のものらしい。

これが不思議でならない。政府が声高に叫ぶGDPなるものの越し方を見ると、(統計が1980年からしかないが)1980年に約245兆円だったものが2015年には2倍の約500兆円にも膨らんでいる。国民一人あたりの購買力なるものをUSドルで計れば約4倍近く(8千5百ドル→3万8千ドル)に伸びているのだ。これって少しおかしくはないか?親方が張り扇で国民を煽って経済を成長させても、その恩恵は国民に平等に還元されず、貧富の格差を拡大するだけになっている。

富者は良いだろうが、貧者はどうしてくれるのだ。いっそ経済成長なんかしない方が良いのではとさえ思える今日この頃である。

2015年11月22日日曜日

いつまで続くのか

後期高齢者と呼ばれると、半分棺桶に足を突っ込んだことを宣告されたようなものだから、本気で気にするほどのことではないかもしれぬ。この連休になって少し気になり始めたのが、日本の景気。つい先日までマスコミには政府への遠慮からか、日本経済がおかしくなっていることと何も対処できずにいることについて、声高な批判めいた論調は無かったように思う。ところが16日のGDP第2四半期もマイナス発表直後から大分風向きが変わってきている。

今朝の朝日新聞の1面トップに自社の主要企業100社への景気アンケートの結果として『国内景気「足踏み状態」』とでかでか打っている。ずっと前から街中の食堂の親爺連中が「サラリーマンの給料が下がっているので、食いものが貧弱になっている。」と言っていたので何を今更の感もある。政府のセリフ「安倍内閣になってから一貫して雇用が拡大している。もう少しで賃金が上がり始めるので、そこから景気も上向く筈。」も聞き飽きたと見えて、朝日新聞以外にテレビでも似たような発言を聴いた。

明日は「勤労感謝の日」。心身ともに働いてお金を稼ぐ能力が全く無いことだけは明らかで毎日が休日だから、感謝のしようもない。労働人口が増えていると言うが、非正規かどうか知らないが、食えない労働者の数ばかり増えてもどうしようもないじゃないか。総理は呑気な顔して外国旅行を重ねて方々にお金をばら撒いている。国家の財政が破綻しようと、痛く痒くも無いし自分は関係ないと思っているのだろう。

国内では1億総活躍とか生涯現役なんて意味不明な言語を撒き散らして、我々年寄りもそうだが、社会に対して疎外感を感じざる得ない多数の国民に切ない思いをさせる一方で、国際会議ではアメリカ以外の当事国の殆どが触れようとしない太平洋南西諸島問題で、積極的に発言して中国を非難しているらしい。しかもアメリカに対しては、場合によっては自衛隊の派遣も考えるようなサインまで送っている。誰が総理に振付けているか分からないが、内政外交共にこれだけメチャクチャな人間で総理が勤まる我が国の不思議さを改めて思わざるを得ない。

2015年11月20日金曜日

侍ジャパン

普段野球中継など観たことが無いのに、昨夜は婆さんと一緒に世界野球「プレミア12」の準決勝、侍ジャパンと韓国の試合を2回の裏から見始めてしまった。6回裏の攻撃も追加点が取れず少し怪しい雰囲気になった時、「あなたが見ると勝てないから早く寝てください。」と言われて自室に籠った。3点もリードしているのだからよもや負けはあるまいと思いつつも、やはり気にはなった。

婆さんに言われた通り観なければ良かったのだろうが、古館の報道ステーションを見ながら、ついつい盗み見したのが災いした。9回表で逆転され、解説者はこぞって「これからが勝負」と力んでいたが、さすがに最後の攻撃は観る気がしなかった。今朝起きると婆さんの機嫌が悪い。さすが父ちゃんには当たらないが、小久保監督に八つ当たりしていて面白かった。

婆さんと一緒に観ていた時の大谷祥平君の投球は、全くの素人が観ていても胸のすく爽快さがあった。球数も少なかったから完投させればよかった、とか婆さんのようにせめて8回まで投げさせるべきだった、なんて素人談義が全国でさぞ喧しいことだろう。大谷君が投げても8回以降調子が狂ったかもしれぬとは何方も思わぬようだ。アマチュア観戦者にとってこの「たられば」も大いなる楽しみだ。

それにしても、選手も大変だが監督はそれ以上に因果な稼業だ。小久保監督は、「8、9回を則本で行くことを決めていた」という。小久保監督はずっと選手と行動を共にして、彼らの調子を自らの目で確かめていた筈だ。勿論現代野球のセオリー通り蓄積データの解析にも抜かり無かったろう。それでもゲームは理屈通りに運ばない。だから面白いのだ。

特に印象に残ったのは悪がきのような中田翔。侍ジャパンではずっと6番だったが、いじけずに頑張って大分点数を稼いできた。昨晩は5番に上がっていてヒットこそなかったが盗塁なんか見せてくれた。同じ翔でも大谷は勿論、侍ジャパンの全員に、頑張って楽しませてくれたことを感謝したい。

2015年11月19日木曜日

明治生まれの人の志操

昨夜のBS朝日の番組で土光敏夫さんの伝記みたいものがあった。頭の数分をを観そびれているが21時からの54分番組だったと思う。前にも似た番組か同じ番組を観たような気がするのだが、感心して最後まで観てしまった。土光氏については数々の逸話が折に触れマスコミに取り上げられているし、テレビ番組にも何度もなっているだろう。従って、その人柄はよく承知している心算であったが、改めて知ることも多く、如何にも明治の人らしい土光氏のには志操には改めて感ずるものがあった。

初めて知って最も印象に残ったのが氏の哲学「個人は質素に、社会は豊かに」である。財界総理と称せられながら、自宅の朝食にメザシを愛用していたことは有名だから知ってはいた。好んで食したか、或いは健康に良いと言うだけで他に食いたいものを我慢して食したかは分からない。しかし、この哲学を聞いて成程と思った。我が母校(高校)の校訓も第1が「質実剛健」である。昔の人は実を貴び、嗜好に流れることを自ら強く諌めていた。これが身に着いて、幾つになろうと身を持していたに違いない。

質の良い坊さんでもなければ、なかなか難しい生き方である。氏の人生はこれで貫かれていたようだ。企業の再建で腕を振るわれているが、元来はタービン製造を専門とする技術屋とのこと。現代は技術屋出身の経営者も珍しくないだろうが、イメージ的にはどうしても経営は事務屋の仕事のように思ってしまう。しかし、企業経営が行き詰ったところで社長に持ち上げられるからには、単に頭が良いとか統率力があるとか勘働きが鋭いとかの能力ではなく、周囲から尊敬される何かがあったに違いない。その何かが即ち氏の生き方そのものだろう。

当時(昭和30年代や40年代)のことはよく分からないが、経営手腕と言われるものには社員即ち労組との意思疎通が大きな要素であったに違いない。このブログでも度々触れるが、人間は生き方の哲学が大切だと思う。意思疎通は帰するところ、互いの人間性を信じ合えなければ上手くいく筈もない。土光氏の「自分を捨てでも大事にすべき仕事」の精神は決して付け焼刃ではなかった筈だ。戦時中に軍人が「我が身を九牛の一毛の軽きに置いて、皇国の礎にならんと・・・」と口先で言っていたのと少し訳が違う。当然周りの人間は付いて来ただろう。

それにしても土光氏が第二次臨時行政調査会長に就任したのは85歳。この年齢で引き受けて、しかも相当真剣に国の形を変える努力をされていることは敬服すべきだ。時の政府(鈴木内閣で担当が中曽根康弘行政管理庁長官)は七重の膝を八重に折る形で就任を要請している。頼んだ政府も偉かったと言えよう。当時は財政赤字が100兆円に達しそうということで、政財界が危機感を共有したらしい。現在の財政赤字は当時の約10倍、誰が危機感を持っているのだろうか。己も含め昭和生まれが情けない。

2015年11月18日水曜日

猫だまし

毎週1度は通っている接骨院の先生が高校時代全国大会に出たこともある相撲部出身なので、時々相撲の話をするようになった。また亡くなった岳父が相撲ファンだったそうで、リタイアしてからは、場所中は毎日昼飯直後から衛星で相撲中継を見ていたらしい。当然娘の我が嫁も孫にあたる我が娘どもも相撲をよく見るらしい。こちらは中継を好んで見るほどでもないが、そんな周囲の環境があるので、最近は長野県出身の関取御岳海が前頭で活躍している程度の知識は持っている。従って最近は、毎日見ているNHK夜7時のニュースの終りに出て来る相撲中継はもっと長くと思うようになった。

特に応援している力士はいないが、白鵬に砂がつくと何となく嬉しくなる方である。先場所はその白鵬が休場していたので、今場所は調子が出ないことを期待していたが、彼はやはり憎らしいくらい強い。他の力士が弱すぎると言うべきかもしれぬが10日間全勝ただ一人である。その白鵬が昨日の取り組みで、立ち合いの瞬間に「猫だまし」なる奇手を放った。決まり手は横綱らしい寄り切りであったが、この立会いの「猫だまし」について北の湖理事長が「横綱としてやるべきことじゃない」と不快感を表明したらしい。

北の湖理事長も憎たらしい顔つきであまり好きになれないタイプだが、この一言には賛成したい。恐らく巷で聞けば賛否相半ばすることだろう。我が家の相撲解説者の婆さんも理事長の言に賛意を示して「あれは舞の海さんのように小兵の力士が用いる技で、相手をドンと受け止めて勝つべき横綱が用いるべき技ではないでしょう。何でもありでは安倍内閣と一緒になってしまう。」とのこと。その舞の海さんが今朝ネットで意見を述べていた。比較的横綱には好意的で、白鵬はファンサービスの心算、洒落でやったかもしれないようなことも言っている。

しかし最終的には以下のように述べている。「ファンが、お客さんが消化不良で、納得しないところもあるでしょう。ガチッと挑戦者を受け止めるのが横綱。他のスポーツなら、勝てばいい、金メダルを取ればいいんです。ですが、大相撲はスポーツというより、伝統文化的な側面がある。人々の見方があって、発展してきましたから。誰がやるか、にもよりますね。小さい人が変化しても拍手が起きますが、大きい人が変化すると批判される。大相撲独特の文化なんです。」

やはり、結論的には理事長同様に否定的なんだろう。日本人が大切にしている地位に相応しい品位は、一見日本人になりきっているような横綱ではあるが、理解が難しいのかもしれぬ。

2015年11月17日火曜日

先進国首脳会合(G20)

我が国日本は、世界大戦敗戦の傷跡を乗り越えて、一時は経済的成長がめざましい時があった。またその時代は、国民をリードするだけの見識や哲学を有する政治家にも恵まれてていたのだろう。1975年11月フランス大統領・ジスカール・デスタン氏が他の5か国に呼びかけ先進国首脳会議(サミット) の開催を思い立った時には、幸いなことに日本も仲間に加えてもらった。この時のテーマは「東西冷戦下で起こった オイルショックによる混乱収拾 と、それに続く 世界的不況への対策 」だった。そしてメンバーが第二次世界大戦 で敵味方に分かれて戦った双方3カ国ずつ、即ちフランスと英米vs日独伊にも意味があったと思う。翌年にはカナダが加わって7か国となり、1998年にはロシアが加わって8か国になっていた。更に2008年からは20か国・地域首脳会合となって現在に至っている。

今年は先週末に、トルコのアンタルヤと言う場所に20か国の首脳が集まって開催された訳だ。しかし現在の国際経済と政治の問題を考えると、200国からなる複雑な地球環境の中で、20か国の首脳が1日や2日顔を合わせただけで問題点の抽出や解決策を見出し得るものだろうか。疑問を抱かずにはいられない。また我が国が国際政治の舞台で経済的にも指導的立場に無いことと、我が国の政治家に指導的役割を果たすだけの能力が無いことは明らかだ。にも拘らず20か国はおろか、サミット(主要7か国)のメンバーになり続けているのが不思議でならない。昨年だったか、ロシアがクリミアを併合した際に主要8か国から外されたように外してもらいたいものだ。

今日考えると、1975年当時の言いだしっぺがフランスであったことも不思議でならない。何故アメリカではなかったのだろう?兎も角先進国首脳会合は毎年開催され、1975年のサミットから勘定すれば40回目の開催になるが、言い出しっぺのフランス大統領が自国の首都で発生したテロのため欠席となっているのも皮肉なことだ。会議は今朝終了したようだが、内容が極めて乏しいと報道されている。そりゃそうだろう、我が国の政権と同じで「各国の成長戦略の実施が最優先事項」とか「政策手段を総動員する」と掛け声だけで世界の経済が動くなら誰も苦労はしない。まして、自分の頭の蝿も追えない国の首脳が「中国の過剰生産設備の解消が課題だ」と他国を名指しで改革を要求することなんか論外だろう。

ところでそのフランスからの映像が、週末から大量にテレビに流れている。その中にはテロ現場に集まった一般市民や日本のフランス大使館前に集まった在日フランス人の間から自然発生的にフランス国歌が湧きあがっている絵がある。これが小生にとっては一寸した違和感でもある。日本の「君が代」や「海ゆかば」みたいな曲想であれば葬送に相応しいかもしれぬが、フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」は聞くだにメチャクチャ勇ましい。歌詞は軍歌そのもので闘志満々でもある。フランス人がこんなに勇ましい人種だとは初めて知った。

事実フランスの大統領や首相は即座にISへの報復として、その根拠地めがけて大々的空爆を実行に移した。多分多くのフランス国民はこれを支持しているだろうし、外国ではオバマアメリカ大統領や我が国の総理なんかもその口だろう。しかし、嘗て国連でイラク開戦に反対を表明した元フランスの外相ドビルバン氏が、空爆再開を非難する声明を出したようだ。「空爆は憎悪を増幅するだけで解決には何の役にも立たない。」とのこと。小生は英仏と中東の歴史については、余りにも知らな過ぎる。現在ヨーロッパや中東でも、無辜の民が多く傷つき亡くなっていることだけは分かるが、何が本当の原因か、或いは誰が正で誰が邪なのかも全く理解又は区別できないのが悩ましい。そんな中で、ドビルバン氏のことを知ると少し心が休まる思いでもある。

2015年11月16日月曜日

費用対効果

医者にも勧められていたが、最近婆さんにも「インフルエンザワクチンより大事かもよ。」と言われて肺炎球菌のワクチンとやらを注射してもらった。どんな効用があるか分からないが、4千円も取られた。健保が適用されての料金だとすれば、市価4万円ではないか。薬屋さんにとっては善いかもしれぬが、個人的には兎も角、健保の財政も容易ではないと言われる中、ひょっとしたら大きな無駄遣いではないだろうか。考えてみれば世の中無駄なことが多すぎる気がしてならぬ。

政治家も官僚も、己が無駄の最たるものとは毫も思わぬに違いない。

2015年11月14日土曜日

囲碁人口

先日フランスについて書いたばかりだ。行ったことが無いのだが、歴史的な文明先進国だから素晴らしい見どころが沢山あるに違いないと内心思っていた。友人たちの話からもそんな雰囲気が十分感じられる。そのフランスがなんでか知らぬがテロの標的にされているとは、同情を禁じ得ない。恐ろしい世になったものだ。欧米各地のみならずアジアでも似たような事件がよく起きている。世界各国でテロなどの銃撃戦が訳も分からず頻発すると、観光旅行もおちおちしていられなくなるだろう。せめて日本はその埒外に置かれていることを祈りたいが、ISから見ると日本も敵性国家らしいので、いつの日にかフランスのような事態が起こらない保証は無さそうだ。

きな臭い話は兎も角、話題を変えよう。昨日、愛用しているネット囲碁「パンダネット」主催のイベント「24世本因坊秀芳先生の対面指導碁」を受けてきた。参加者は14人、7面打ち2回である。参加者の中では一番格下で、本当は井目(9子)の置き碁でもよかったのだが、敢えて7子で打って頂きコテンパンに負けて、後で3か所ほど手直しをしてもらったが、もう忘れている。だからそれはどうでも善いとしよう。

楽しかったのは指導碁終了後の石田(秀芳)先生を囲んでの懇親会。先生が囲碁界の現状を話してくださったが、これがかなり厳しいらしい。一時1200万人程と言われた囲碁人口が現在500万人を切っているらしい。若者がスキー離れをしているのは、趣味の多様化で理解できるが、囲碁も似ているとは意外だった。老人が増える一方だし、囲碁に代わる趣味は何なんだろう?囲碁を覚えたのは40歳前後で、大阪に居た時である。ある得意先の役員さんが「支社長(小生の役職)、そろそろ趣味が酒とゴルフだけではあきまへんで、囲碁くらい覚えなはれ。」で、関西棋院の先生にお願いして、一緒に月1回の会を持つことにした。

会費が月に3万円くらいだったともうが、当時交際費がふんだんに使えたので新地のクラブの飲み代に比べれば安いものだった。その上、囲碁のお陰で他の顧客の役員さんとの付き合いも広がり、確かに囲碁が営業の役に立ったと思っている。石田先生の話では、最近会社の囲碁クラブも減る一方でだし、役員で囲碁をする人も少なくなっているようだ。そう言われて考えると、政治家の趣味で囲碁と言うのも聞かなくなった。歳を取って、いつまでもゴルフとはいかないだろうに、本当に不思議だ。

囲碁を知らない人に囲碁の良さを説明するのは難しいが、囲碁は長い時間掛けて、相手の頭の中を探る面白くて楽しいゲームである。小中学生時代に興味を持つことが出来れば最高だと思うが、昨日の参加者の中に教員が一人おらられて言っていた。最近は先生も宿直は無いし、兎に角忙しい。囲碁をする人が殆どいなくなった。韓国や中国も経済的には似たようなものと思うが、囲碁は日本より遥かに盛んなようだ。理由はよく分からないが、日本の現代人は時間的ゆとりが無さすぎるのかもしれぬ。何れにせよ残念な気がする。

2015年11月13日金曜日

高校同期会

一昨日故郷長野で、高校の同期会があって出席してきた。昼食会だったが出席者は57名でかなり賑やかだったが、さすが全員75歳(早生まれの人だけは1歳若いとはいえ)ともなると酒量もさほど上がらず、話もご多分に漏れずに病気自慢になりがちである。とは言っても、懐かしい顔に出会うとつい興奮して結構飲んでしまった気もする。皆似たようなものだったのだろう、掛け合う声だけは互いに元気を装っている。

空元気を出して夕方まで頑張ったが、夕飯になるとワインを1杯飲んだだけでダウンしてしまった。昨日はその2次会で元気者16人がゴルフ大会をしている。とてもそこまでの元気は無いので、9時発のバスで14時過ぎには帰宅したが、少し疲れてパソコンを立ち上げる気にならなかった。

我々が高校を卒業したのは昭和34年で56年前になる。同期会の永久幹事をしている友人が几帳面な男で、同期生の消息を相当詳細に掴んでくれて教えてくれている。彼によれば卒業時の生徒数は約430名、これまでに物故された人が既に87名はおられるとのこと。後期高齢者になって、物故者が未だ20%と見るか、やはりもう20%にまでなったかと見るかは人によって違うだろう。

個人的には「やはり、もう既に」の感が強い。今年は前立腺がん治療に専念することが最大の行事になった感がある。同期会でも他人は元気そうに見えるが、一寸立ち入って聞いて行くと、がん経験者だけでも20名前後はいたみたいだし、腎臓疾患で透析中の人、糖尿病或いは糖尿病予備軍、循環器系疾患で手術を受けた人など、病気のデパートみたいものだ。考えてみれば自然なことで、何も驚くことではないだろう。

長野の同期会には初めての出席だったが、同期会の開催の日が11月11日と特定されているので来年からは極力出席したいと思っている。1年後に会えなくなっている友人もいるだろう。親しい友人仲間では互いに「来年俺はいないかもしれない」と冗談めかして言いあったが、これから先は何が起きても不思議は無い。バスの車窓に映る長野の晩秋の光景、山全体が赤茶色に染まった塊で流れて行く。この秋景色を見ながら、来年もこの会に何とか出席したいと心から思った。

2015年11月10日火曜日

政治の話題2件

明日は故郷長野で高校の同期会、残念ながらブログは休むので、今日は少し長くなるが2件の話題について書いておく。


先ずは沖縄辺野古埋立について

県と国が争っていて妥協点が見いだせそうにない。どちらの言い分が民主主義の理に適っているのか難しすぎて分からない。少なくともマスコミは公正な報道をとの立場だろうが、両者の言い分をイーブンに扱っているように見える。その上余計分からなくなってしまうのが、反対する県側のデモ隊に対する警備の問題。国側はデモ隊に工事の邪魔をさせないために警察を動員している。

最近は警視庁の機動隊を派遣してもいるようだが、地元沖縄県警が警備に当たるのはどうしてなんだろう?日本の警察は自治体警察で、最高責任者は自治体の長の筈だ。であれば、翁長知事は県警をデモ隊の警備に当てて、警視庁に対峙させればいいと思うのだが、何故か沖縄県警もサングラスにマスクなんかしちゃって地元県民を痛めつけている。我が国の地方自治とはいったいこの程度のものかと、少しがっかりでもある。

引き換え、少し古くなったニュースだが昨日知った件。アメリカの有力紙とされる「ニューヨーク・タイムズ」が、4日の社説で「沖縄の意思を否定している」と題する社説を掲載したそうだ。米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設をめぐり、「平和や人権、民主主義を順守する国家を称する日米両政府の主張が試されている」と論じている。アメリカでは太平洋南西諸島のに於ける対中国問題が大きい筈だが、態々日本の沖縄問題をこんな形で書いてくれたとは。アメリカ市民にとってどんな意味があるか分からないにしても、日本人である小生には「なるほど」と思わせるに十分だ。

次は経済問題に関する安倍政権の勘違いについて

このブログでも何度か紹介したことがある高校の後輩、現在民主党衆議院議員になっている篠原孝氏。http://www.shinohara21.com/blog/頭の回転が良すぎるのだろう、少し早口の所為で演説が下手なのが玉に疵だが、如何にも信州人らしい理路整然(理屈ぽい)とした彼の持論はいつも傾聴に値する。頻繁にメルマガを送ってくれるところにも農家の出身らしい几帳面さがあって好感が持てる。

先週送られてきた最新のメルマガのタイトルに『日本は分際をわきまえた生き方が必要』とあったが、良いことが書いてあったので少し紹介しておきたい。安倍総理は第2次安倍政権発足直後から、政策の最優先課題に「強い経済」を掲げて3本の矢を放ち、2年半経ってその効果に疑いが掛けられているにも拘らず、先の内閣改造直後に改めて、2020年には国内総生産600兆円に増やすことを目標に「強い経済」を強調している。これを誰が聞いて有難がるのか知らぬが、馬鹿の一つ覚えとはよく言ったものだ。

小生なんかが言えるのは精々そんな悪口で終わるが、優秀な後輩の篠原氏ともなると、相当明確に反論して日本が取るべき道を具体的に述べている。里山資本主義を唱える藻谷浩介氏とも共通するところがあるかもしれぬが、篠原氏はかなり前から「地産・地消」の新語を創造して使っておられ、大言壮語をする前に、足元を見つめて自然と共存していくことの重要性を強調している。正に分を弁えた生き方が、食料問題に限らず根本的哲学なんだろう。

日本の工業製品が世界でその質が高く評価され輸出が伸びる、結果的に経済が豊かになることは喜ばしいことでもある。同じように農業生産物が海外に進出するのも悪いことではなかろう。結果的に経済が潤い、その恩恵を発展途上国に及ぼすことも結構なことだ。現実的にもそのような兆候が散見されるのも事実だろう。しかし昨夕テレビを観ていたら、我が故郷の特産品<りんご>の自給率が5割そこそこで、輸入リンゴが5割に迫っていることを知って愕然としたものだ。

昨今はTPPの大筋合意を受けて、強い経済同様に安倍政権下で強い農業の育成が目指されて、恰もその実現が夢でないような報道が溢れている。終いには強い経済、強い農業のみならず、日本の自衛隊は強いんだぞ。アメリカの軍隊でさえ杖とも柱とも頼りにしたくなるくらいのものだ。と言った論調が溢れていると言っても過言ではあるまい。70年間も生身の人間に向けて鉄砲の弾を1発も打った経験が無い組織が、軍隊として通用すのかどうか、戦いに臨んで強いか弱いかは分かりようが無い。

昔から言われているように「戦わない将軍」が一番強いだから、今のところは日本の軍隊が世界最強かもしれぬ。しかし調子づいてはいけない。篠原氏の指摘を待つまでもなく、日本は最も基本的指標とされる人口構成が、成熟期を過ぎて縮小に向かっているのが厳粛な事実。当然ながらそこに基盤がある経済活動がどう展開していくか、或いは展開すべきかである。

政権は何をトチ狂ったか、出生率を高めることができると勘違いして、相も変わらず目指す方向の転換が出来ない。己の分を弁えないこと甚だしい。もはや、政権と一緒になって日本を大国と勘違いしているNHKや読売は全く期待しない。他にもマスコミは多数ある。せめてそのうちの何社かは、先のニューヨーク・タイムズではないが、内閣の垂れ流す情報を無批判で受け売りするのではなく、冷静な目で日本社会を見つめた記事を上げてほしい。

2015年11月9日月曜日

フランス文明

下らぬ推理小説と言ってしまえばそれまでだが、あまりに面白かったので一瞬読後感を上げようかとも思った。だが、読後感を書くとしても「面白かった」の一言以外に書くべきことが思いつかない。時々気晴らしに外国のスパイ小説や戦争活劇を読むこともあるが、読書力が落ちているので文庫本1冊を1日や2日で読破するのが難しくなっている。

ところがこの週末に買った「その女アレックス」ピエール・ルメートル著は、450頁ほどの文庫本だが2日で完全に読み切ってしまった。新聞か雑誌の書評でのタイトルが記憶に残っていたのだろう、書店で「本屋大賞2015年翻訳部門1位ほか、前人未踏の7冠達成」のうたい文句に押されて買ってしまった。購入した書店では著者の作品が数点あったので、もう1作ぐらい読んでみたくなり、今日再び書店を訪れると店内改装のためお休み。他の書店に廻ると、ピエール・ルメートルの作品が1冊も置いてない。

出版社は文藝春秋社、初版は昨年9月で購入したのが第17版だから流行に後れていることだろう。購入したのは池袋の三省堂、よくぞ古い本を置いといてくれた、と感謝したい。既に有名なのだろうが、著者はフランス人。小生、不幸にしてヨーロッパ諸国を歩いたことが一度も無い。未だ外国語なんか殆ど分からない子供の頃は、外国の先進国と言えばドイツで、日本の近代化は殆どドイツを手本に進められてきたと理解していたものだ。

たまたま共に敗戦国になってしまったことは分かっていたが、つい先ごろまで彼の国の指導者だったヒトラーと言う人は偉かったとか、今でもお医者に行ってみろ、お医者さんはカルテ(果たしてドイツ語かな)を全部ドイツ語で書いている。大学の法学部なんかも英法を専攻する学生より独法を選ぶ奴の方が優秀だ。なんて大いなる勘違いをしていたものだ。因みに子供の頃覚えた外国語の走りが、「ゲルピン」(ゲルがドイツ語の「お金」でピンは日本語の「貧」らしい)となるといじましい限りだ。

引き換え、ドイツの隣にフランスと言う国があって、こいつが戦争にメッチャ弱いどうしようもない国だ。ナポレオンなんて勇ましげな将軍も出たが、結局戦争は出ると負けだったらしいとか、どうすればこんな刷り込みがなされたのか不思議だが、そのように思っていたのは事実である。ところが更に詳しく思い返すと、子供の頃から小中学生時代に馴染んだお話や小説であるが、これが不思議なことに殆どフランス作品。

先ず「小公子」「家なき子」から始まり、何度も読み返して熱中したのがアレクサンドル・デュマの岩窟王、即ち「モンテ・クリスト伯」や「三銃士」「鉄仮面」更には全集を殆ど読破した「アルセーヌ・ルパン」。ところが長ずるに及んでやっと、日本が文明開化した頃は勿論、元々世界文明の中心はフランスはパリにあったらしいことに気が付き始めた。戦争に弱いなんて言うが、野蛮なことは外人にでも任せておけなんて考えも洒落ている。ワインや芸術には縁遠いので、実際にフランスに行ってみたいとは思わなかったが、フランスと言う国は世界の中心(だった)だけに、同族意識の強い日本人には思いも及ばぬ国境を超える奥深い文明があるのだろう。と考えを急転換し始めた。

どっちを取るにしても、何れも正確な知識ではなかろう。ごく僅かな知識しか持ち合わせないが、フランスは面白い国だ。文明国フランス大統領シラクやミッテラン日本文化を愛していたのも面白い。少子化対策の先進国と聞くが、婚姻や子作りに関しても日本人にはとても真似が出来ない社会システムが確立しているらしい。同時に犯罪(推理)小説にしても、日本の田舎者には想像すらできない面白みがある。

2015年11月7日土曜日

数寄屋橋の風景

昨日途中散歩がてら久し振りに有楽町まで行ってびっくりした。何と数寄橋にあった懐かしのビアホール「ニュートーキョー」がビルごと消えてしまっていた。隣の東芝ビルはかなり前に取り壊されていたが、裏にあった泰明小学校なんかもひょっとすると無くなって、一帯が再開発されているのかもしれぬ。昭和34年初めて上京した田舎の少年の目に映った数寄屋橋界隈は、そもそも戦後の再開発初期段階の成果だったのだろう。

その時既に堀も橋も無く、都電が交差する交差点の上に自動車専用道路が高架設置され、高架下が確か西銀座デパートとか言う商業施設になっていた筈だ。この自動車専用道路に沿ってと言うか、脇にあったのが有楽町そごうデパート、フランク永井の「有楽町で逢いましょう」のモデルで一躍名を挙げたが、一度も入った経験が無い。むしろ西銀座デパートの2階にあったジャズ喫茶によく行った気記憶が残っている。

ま、鉄やコンクリートで作られた都市は半世紀と持たずに取り壊され、再開発されるのは最初から運命づけられているのだから、年寄りが昔を懐かしんでみても始まらぬ話だ。そこで小生は反対側にある昔の日劇、はたまた朝日新聞社か、現在は有楽町マリオンなる商業施設にある映画館のポスターを見て、急に観る気になった映画があった。テレビで予告編を見て、出来れば観てもいいかと思っていた「エヴェレスト」である。上映30分前とタイミング的にはピッタリ、但し3D上映とのことで躊躇したが、思い切って専用眼鏡代を含めると大枚1500円を払って入場した。

3D映画は初めてだったが、案の定煩わしさが先に立つ。しかし好きな山岳映画だけに観た甲斐はあった。ヒマラヤ地方に行ったことが無いので本当のことは分からないが、相当な高地までカメラを上げてロケを敢行したのではないだろうか。勿論ネパール空軍の協力も得たであろう、かなり素晴らしい空撮もふんだんに使われている。ストーリーも実話に基づいているようで、登山の素晴らしさと同時に難しさを提示する内容になっている。

里山の遠足とは異なる登山とは何かである。かなり危険なスポーツ(運動)であり、それなりの訓練を積んだ人にだけ許されるものだと言うことに尽きるだろう。その中でも「エヴェレスト」は地球の最高峰でもあり、最高の体力と技術を兼ね備えた登山家だけに入山が許される山である。しかしここでは最高水準の人でも、自然のあらゆる変化に対抗することは出来ない。命を落とすか、片輪になるかの覚悟が必要のようだ。主人公は辛うじて命を拾うが、同行者を多数死亡させ、自分は両手と鼻を失っている。

自分も好きで、これまでに登山の真似事を何回かしてきた。中には途中で挫折して引き返した口惜しい経験が何度もある。この映画を観て、山頂を極める感激も分かるが、悔しくても無事下山することの大切さを改めて痛感させられた。

2015年11月6日金曜日

博奕に善悪があるのか?

予め断っておくが、個人的には博奕が性に合わない。最近の報道には理解不能のことが多いが、これはその典型だ。今朝大々的報道になっている「JR東社員ら112人賭博行為=高校野球優勝校を予想―福島 」。会社側が社員の賭博行為を発見して県警郡山署に報告したとのこと。古来賭博は天下のご法度、開帳するのはそれを承知の博徒と決まっていた。しかしこれまた万物の霊長人類の特徴だろうが、洋の東西を問わず大昔から人間は賭け事が大好きであるのも事実。

外国のことは詳しく知らぬが、日本に関して講談本の知識を前提にすれば、江戸時代庶民はご法度を犯している博徒の世話になり、政府(幕府や地方政府)も博奕開帳を大目に見る代わりに、手薄な警察機構の予備隊として彼等を重宝していたこともあったらしい。外国は少し進んでいたようで、日本でも寺社の富くじに見られるように、封建領主などが自ら富くじのようなものを発行して庶民から金を吸い上げていた例もあるようだ。

戦後はご承知の通り、政府や自治体が競って博奕開帳に依る金集めに走った。その傾向はが拡大一途で、国営の競馬はもとより、国がカジノ(常設の賭博場)まで作ろうとの勢いである。この間自治体が賭博から手を引いたと知るのは美濃部都政における都営競輪廃止ぐらいのものだろう。要するに庶民からすれば胴元が博徒であろうと、在日の人であろうと、公的機関であろうと関係無い。

博奕が楽しめればいいだけのことだ。日本で博奕に廻っているお金はいつも相当な金額で、一時は自動車業界の総売り上げとパチンコ業界の総売り上げが同じと聞いた時代もあった。パチンコの人気が薄れ、自動車業界が伸びていると言っても、公営賭博が加算されれば相変わらず賭博業界が上回ることは間違いないだろう。しかも片側に於いては、司法機関が伝統的博徒の開帳を徐々に締め上げはじめ、今や伝統的博徒の開帳なんか壊滅状態になっているのではないだろうか。

要するに博奕は庶民にとって欠かせぬ娯楽であることだ。司法関係者であろうと、マスコミ関係であろうと賭けマージャンをしない人はいないだろう。まして、仲間内で高校野球の優勝校を巡る賭けをして何が悪いのか。JR東日本とすれば、その回覧板に会社の便箋を使ったことが犯罪だと言うのか。馬鹿も休み休み言えである。巨人の2軍選手が高校野球の賭けに乗ったのは、少し意味が違うような気がするが、これとて詳しく調べれば、もっと論評すべき他の事実があるかもしれない。

少なくとも、今回のJR東日本郡山総合車両センターの場合、届け出を受けた県警郡山署も扱い方には苦労することだろう。

2015年11月5日木曜日

長生きは結構だが

先日も書いたが、運転免許証の件。73歳で認知症の人もいれば、93歳でも認知症でない人もいるだろう。認知症なんて医学用語かどうか知らないが、あまりピンとくる言葉では無いことだけは確かだ。ぼけ老人は医学用語ではないが、分かり易い普通名詞だ。医学的にはもっと明解な診断結果が欲しいものである。歳を取れば五感も鈍るし、反射神経の感度も劣化するに決まっている。筋肉の劣化に至っては20歳前後でピークアウトするのが実感だ。高校時代までは鉄棒が好きで、高鉄棒にぶら下がって腕力だけで鉄棒の上まで身体を引き上げることができるのが自慢だった。

大学に入ってから後は、東京での刺激が強すぎてすっかり怠けてしまった。就職したての頃、日比谷公園にあった鉄棒に目が止り試みにぶら下がってみたが、全く情けないことに、もう蹴上がりさえできなくなっていた。22か23歳頃のことである。個人差はあっても、肉体の経年劣化を止めることは難しい。70歳以上は運転免許の更新にはやや厳しいテストがあるやに聞くが、余り実態が伴っていないようでもある。

個人差があるので、老人の肉体の劣化度を測るのは何が適切なんだろう?教習所の実技だけでは難しいことだけは分かる。マイナンバー制が稼働し始めたら、医療情報として癲癇での受診が自動的に免許資格の取り消しに繋がる日が来るのだろうか?

昨日は郵政関連で、東証に新規大企業3社が上場されたとのこと。何年も前から予定されていたことなので驚くには当たらないだろうが、報道によると10数兆円の新規株を購入した半数以上が新規の投資家だったとのこと。流石これにはびっくりした。不景気なことばかり言っている我が家とは全く逆に、日本にはまだ相当なお金持ちがいるらしい。安倍政権が目指す景気回復も実現するかもしれぬ。

若い時分には想像すらできなかった目まぐるしい世相の変化を見るにつけ、よくも長生きしたものと思う。時には、両親が90歳まで生きたので、ひょっとすると俺もうまくすればなんて思わないでもない。しかし冷静に考えれば、社会的に無用の長物化した現在、後5年も10年も生きることはある種の罪ではないかとも思えてくる。

2015年11月4日水曜日

おっちょこちょい

標準語であるかどうか知らないが、人間の性格を表す形容詞「おっちょこちょい」は、軽はずみな行動を形容しているのだろう。しかし語感が如何にもユーモラスで、初めて聞いても、意味がよく分かるのではないだろうか。己の性格でもある。この性格は天性のものか後天的かも分からないが、自覚していても75歳になっても治らない。今朝ネット上(mixiニュースランキング)に面白い記事を見つけた。「12星座【ケンカっ早い】ランキング 牡羊座は導火線に火がつきやすい!」である。
http://news.mixi.jp/show_ranking.pl?type=access

人間の性格が生年月日で決まる筈もあるまいと思いはするが、牡羊座生まれなので、つい目が行ってしまった。いろいろ書いてあるが。「導火線に火がつきやすい性格」は当たっているような気もするが、「何ごとも一番でなければ気がすまない」とあるのは少し違うかなとも思う。確かに、子供の頃は喧嘩っ早い性格だったような気もする。喧嘩もよくしたが、いつも負けて泣かされてばかりなので、喧嘩してすっきりしたことは一度もなかったと思う。要するに小生の場合は、子供の頃から「おっちょこちょい」なだけだ。

今更手遅れだが、せめてこれからは気を付けなければいけない。と思いつつもである。

最近はよくネットで囲碁を楽しむが、囲碁は戦いの連続、即ち常に喧嘩状態にあると言っても過言ではない。しかし6千局もヘボ碁を打ち続けて最近やっと少し分かってきたのは、やっぱり喧嘩っ早いと碌なことは無い、である。そこで最近は出来るだけ腰を落ち着けて、戦いを仕掛ける時期を待つように心掛けている心算ではある。ところが、ある程度善い戦いで進んでいるのに、終盤でとんでもないポカをすることがよくある。これも性格のなせる技と勝手に思っているのだが、牡羊座の性格には「おっちょこちょい」の方が似合うとするべきか。

2015年11月3日火曜日

東京の秋

6枚綴りのカレンダーが最後の1枚になってしまった。年賀状が発売になったようだし、秋の深まりと冬支度についてを実感せざるを得ない。とは言っても自分の生活は特に何も変わらず、平凡な日が続いている。但し、家の方では先週末に婆さんが居間の障子を張り替えてくれたので家の中が明るくなった。後は炬燵がいつ出て来るかだ。

自分のライフスタイルは変わりようが無いが、自然は着実に移りゆく。朝歩くと、舗道には柿色になった桜の落ち葉が降り積もり、桜並木の近くのお宅では朝の掃除が大変そうだ。ご近所の門前に、菊の鉢植えをずらーと並べて通行人を楽しませてくれているお宅がある。先週末までは未だ蕾が固かったが、今朝に見ると見事に咲き始めている。

11月3日の今日は弟と孫の誕生日、昔から晴れの特異日だそうだが、昨日の冷たい雨が嘘のような見事な秋晴れになった。昼間は祝日で少し人通りが少ない街中を散歩しただけで気持ちまで晴々した。来週は故郷長野で高校の同期会があるので、出席するのにJRでは費用が掛かり過ぎるので、バスで行くことにし、切符購入の為に池袋まで散歩。

2015年11月2日月曜日

大手の冬のボーナス

ボーナスと縁が切れて20年の歳月が過ぎた。今朝久し振りに「大手企業の冬のボーナス 3年連続増加へ」なる記事を懐かしく読んだ。それによると、経団連が先週までに纏めた東証1部上場、従業員500人以上の企業80社のデータによると、従業員1人当たりの平均で91万697円とのこと。去年の実績と比べると金額で2万円強、率にして3%増え、3年連続の増加で、回目の集計としては、今の方法で集計を始めた昭和56年以降で最も高い水準だそうだ。

業種別でみると、98万円強の自動車がトップ、続いて機械金属、造船と続いている。経団連は12月下旬に最終集計をまとめる予定で、「最終的に高い水準になるのではないか」と話している。これら大企業の従業員の皆さんにはご同慶の至りだ。しかし、全労働者人口を考えれば、調査対象にならない中小企業の従業員数と、調査対象企業従業員では数的に圧倒的な差があるだろう。新聞テレビで大々的の報道されたこのことを恨めしく思う人が、どれほど多いかも容易に想像できる。

まして、65歳を超える高齢者が2012年の段階で3千万人を越しているのだから、特筆大書されている報道に接して鼻白む思いのご同輩がも多いことだろう。このニュースでマスコミは、財界や政権に恩を売っているつもりかもしれぬが、利益が増大して社員にボーナスで還元したとは言いながら、その大企業の将来もそんなに明るくないのではないか。

海外での市場拡大が命題となっている日本企業にとって、為替の変動、円安効果が効いて見かけ的には利益が増大したように見えても、現地通貨ベースで本当に売り上げが伸びている企業は少ないらしい。当たり前の話で、現在世界中のどこを探しても、景気が良くて需要が活発なんて国は殆ど無いに等しいのではないか。欧米や日本などの所謂先進国は、景気づけに戦争をおっぱじめるような危険を冒さず、頭を冷やして貰いたいし、日本もダウンサイズしていく国力に応じた豊かさについて考えるべき時だろう。

豊かさとは何か。愚考するに「ボロでも雨露凌ぐ家があり、取り敢えず明日もまた普段通り、粗末であっても三度の飯には何とかありつける見込み。」さえあれば御の字である。更に言えば隣近所に不審者が少ないことも上げておこう。

2015年11月1日日曜日

総理表敬の偽装と擬態

スポーツ選手の精進には擬態はあり得ないし、競技の結果に偽装もあり得ない。しかし、男子フィギュアの羽生結弦選手でさえ、グランプリ・カナダ大会のように試合で最高の演技が発揮できず、不本意な成績に終わることもある。しかし、その競技に打ち込むひたむきさは誰が見ても清々しく感じるだろう。体操の世界選手権では個人6連覇を果たした内村航平選手でさえ、団体戦では床と鉄棒ではとんでもないミスを犯した。それでも、他の選手の善戦もあり、団体で37年振りの優勝とは嬉しい限りだ。巷には聞くだに嫌になるような暗いニュースが多い中、一服の清涼剤になるのはスポーツ選手の活躍だけと言うのは実に情けない世の中ではないか。

原発再稼働承認や沖縄基地問題など重要な案件が山積している中、何の目的があったのかはっきりしない中央アジアの国々を表敬しまくって、お金をばら撒いてきた安倍総理が帰国したのはいつだったのだろう。総理が国内にいるときニュースになるのは有名人の表敬である。数日前にもノーベル賞受賞の先生お二人が「総理を表敬」と報道されたから、いつ間にやら帰国されていたようだ。

マンション建設で偽装問題を指摘しているマスコミも、総理周辺の報道についてはおかしな日本語の使う。総理が有名人を呼びつけて、面会の様子を報道させることを「表敬」と言うか?官邸に招いて個人的に褒美を上げたなら、そう書けばいいではないか。個人的には褒美も上げられないので、先方が訪ねて来て総理に敬意を表したと言うのか?そんことは無いに決まっている。「表敬」なんて言葉が中学校のテストに出たら、新聞社は責任を取らねばなるまい。

その総理が、今日また隣国とは言え外国に行かれた。今度の外遊は単なる表敬ではなく、目的がかなりはっきりしている。日中韓首脳会談に臨むためである。日韓首脳会談は3年以上開かれていないそうだが、米国オバマ大統領から、日韓双方にかなり強力なプレッシャーが掛かってと報道されている。日中韓は互いに隣国であるから、経済関係のみならず、相互に関係することは沢山ある筈で、それこそ頻繁に表敬があってしかるべきだろう。

それが、日中日韓関係はどうもぎくしゃくし過ぎている。当たり前だ、現政権は先の中央アジア訪問でもそうだったが、口を開けば価値観の異なる国として中国のことを悪しざまに言って歩いている。韓国については歴史観の違いが、何時まで経ってもすっきりしない。否定するならそれでいいが、口先では戦後70年の談話に観られるように、村山談話や河野談話を受け継ぐようなことを言ったりするから余計ややこしい。

総理は、最近騒ぎになっている横浜のアパート建設に関するデータ偽装問題をどんな気持ちで受け止めているのだろうか。少なくとも外交は国家の威信を背負った真剣勝負の筈、擬態や偽装が通じる筈も無かろう。国際試合における若手スポーツ選手の精神を見習うべきだ。