2014年4月30日水曜日

泣く子はだ~れ?

今日は終日雨、明日まで降り続くらしい。育ち始めた植物、特に農作物にとっては恵みの雨だろうが、暖かくなってきた陽気に誘われて行楽を予定していた人間にとっては無情の雨かもしれない。平日ではあるが、飛び石連休に挟まれているからだろうか、何となく池袋の繁華街も人混みが少ないように思う。こちらも池袋往復歩くのが嫌になって、帰りは地下鉄に乗ってしまった。

地下道に降りる階段で見た風景が印象に残っている。未だ歩き始めたばかりに見える男の子が、階段の途中に座り込んだまま手すりに掴まって泣きじゃくっている。横に赤ちゃんを背負った母親らしき女性が「立ちなさい!」と叱りつけている。可哀そうなので急いで降りて行って助け起こそうかと思ったら、どうも様子がおかしい。周りに同じ年恰好の子供が数人いて、そのうち一人が片言で「○○ちゃん、頑張って」と声援を送っている気配だ。

親子と見たのは間違いで、どうも保育園の保母さんと園児だったのだろう。同じように子供を背負った保母さんが少し離れた場所にいる。この街では保育園の園児が保母さんと街中を散歩するのをよく見かける。概ね6~7人の園児に1人の保母さんくらいの割合で、二人ずつ手を繋がせたり、もっと小さな子は大きな乳母車に乗せたりしている。恐らく日本語もままならない他人の子供を預かって、一応団体行動を覚えさせるのだから、保母さんとは偉いものだと予てから内心敬服していた。

その気持ちは変わらないが、今日見たのは、その保母さんがその泣きじゃくる子の背中を膝で押した姿だ。丁度すれ違いざまだったので、ハッとして思わず立ち止まってしまった。どう見ても押したのではなくて、蹴とばしたように見えてしまったのだ。同時に幼稚園の年長組になった孫が2年前に入園した当時を思い出してしまった。片言にせよ言えるようになった日本語は自分の名前だけだったような気がする。今日の子は明らかにその時の孫より幼い。多分おしめも当てているだろうし、何もしゃべれないかもしれない。

頑張って!と声を掛けていたのは女の子だ。いつどこでも女の子はませている。こちらが複雑な思いで立ち止まって見ていたせいか、保母さんも手を差し出して、引きずるように地上まで上がり切った。その子も階段を登りきったところでは、もう泣き止んでいて、後ろを振り返りニヤッと笑顔を見せてくれたので、数十秒佇んで見守った当方も救われる思いだ。保母さんからすれば日常茶飯事だろうが、保母さんの仕事は本当に大変だと思うし表情も暗かった。雨降りばかりのせいでもあるまい、給料は安いと聞くし重労働に違いない。何週間か前になるが、預かった子を殺してしまったベビーシッターの犯罪が報道されたことがある。

この犯人は意図的だったようだが、普通の人間でも子守りをしていて泣きじゃくられたら、どうしていいか分からず、変に優しくばかりはしていられぬとて、思わず邪険になることもあるだろう。あの子にすれば、懸命にみんなについて行こうと思っても、置いてけぼりにされる辛さで思わずへたり込んで泣き出してしまったこと。我が経験に照らして言えば、長い人生で度々遭遇した場面なので気持ちがよ~くわかる。

それにしても、今日は親切気に手を出さなくてよかったと思っている。

2014年4月28日月曜日

読後感「巨人たちの落日」ケン・フォレット著 戸田裕之訳

著者ケン・フォレットについてはデビュー作「針の目」を読んだ時からファンとなって以来何作品か読んだと思うが、印象に残っているのはやはり長編であった「大聖堂」である。この作品も相当な長編で500頁の文庫本が3冊に及ぶ読み応えのある作品である。物語は1911年の英国はウェールズの炭鉱町から始まる。日本の暦で言えば明治の終りまたは大正の始まりで、我が両親たちの幼少時代であるからそんなに古い話ではない。

司馬遼太郎の「坂の上の雲」などを読むときは、少し時代小説を読むような感覚に陥って、自ら時代考証を考えることも無く、面白ければいいではないかで済ませていた。しかし、この物語は面白いだけでは済まされない気がする。知っているつもりになっている近代史について、余りに知識が貧弱であることを先ず思い知らされた。

炭鉱の鉱夫の家庭の少年が働き始めるところから物語が始まり、この少年も主人公ではあるが、他に主人公が沢山いて、次々に登場してくる。次に登場してくるキーパーソンは、この炭鉱を所有するウェールズの貴族(伯爵)とその一族。当時のヨーロッパ貴族社会は貴族同志で広い付き合があり、花の都パリを中心として華やかな社交があったことが描き出されていく。これが著者が巨人と呼びたかった人種に違いない。事実この伯爵の奥方はロシア皇帝の娘との設定になっている。

フランスは既に共和国になっている筈だから、階級制度がどうなっていたかよく分からないが、他のヨーロッパ諸国(ロシアを含む)は封建領主のような貴族社会と、労働者の庶民の間には厳然たる階級差別があったようでもある。しかしこれが又非常に微妙なところでもあるが、日本の昭和20年当時と共通するところがあるように思う。即ち、貴族は居るにはいるが、国家も確立しているので国会や国軍も存在している。国家間の利害対立も当然起こりつつあるのだ。

そして1914年、サラエボでオーストリアの皇太子が銃撃された事件をきっかけにヨーロッパ全体が戦争に巻き込まれていく。戦争により、戦前親しく付き合っていた貴族が否応なしに戦いに引き込まれていく様は、男女関係を絡めて見事に描いている。友達付き合いしていた貴族同志は勿論だが、一般庶民は戦争となれば消耗品となるので、誰も戦争なんか望んでいない。ごく一部の野心家が戦争を引き起こし、敵味方の別なく多大な犠牲が強いられる。

特にロシアでは戦争が革命に火をつけた意味があったようだ。スターリン以前のトロッキーやレーニンと言った人物がどんな役割を果たし、ロシアの社会主義革命とは何だったのかがぼんやり分かってくる思いがした。4年に亘る戦争に終止符を打つきっかけを作ったのはアメリカの参戦だろう。日本からも代表が出席したパリの講和会議にも著者は言及している。戦勝国が敗戦国を徹底的に復讐するのは何も第2次大戦だけのことではないらしい。日本代表の牧野伸顕が人種差別を止めるべきと発言したが、誰も耳を貸さなかったことまで記述されていた。

戦後主人公たちはそれぞれ傷つきながらも生還する。そしてこの大戦以降の世の中が劇的に変わり、貴族は没落していくが英国の労働党であれロシアで台頭した革命勢力、ドイツで立ち上がった新しい社会主義労働党等々、何れも一筋縄でハッピーエンドになりそうもないことを暗示して筆を置いている。

日本では明治維新と第2次大戦が歴史の大きな転換点だが、世界史的に見ると第1次世界大戦はこの2件を合わせたに近いターニングポイントだったかのようだ。その大事件を餡子にして1911年から1924年に亘る長丁場を実に上手に、又面白くなる様に人物を設定してくれている。この感想では触れることが出来なかったが、アメリカがヨーロッパ諸国と少し異質であることも実に上手く描いてくれていることを最後に書いておこう。

2014年4月27日日曜日

里山歩き

昨日はプールが定例の休館日で、天気が良さそうだったので又里山ハイキングに出かけた。コースは武蔵五日市を起点とする戸倉3山巡り。奥多摩は随分歩いているが、今年になって初めて知った。但し、あまり芳しい噂ではなくて、奥多摩のハイキングコースとしては最も不人気なコースとのこと。山はむしろ不人気で人が少ない方が嬉しいので、早速行ってみた。成程不人気の理由が分かるような気がする。

山の標高が低いせいもあるのだろうし、里に近いせいもあるかもしれない。眺望は余り良くない。加えてハイカーが少ないので、登山道の整備が全くなされていない。細い踏み跡を辿る感じで、少し危険でもある。それでも足元でたまに目につく菫の群生や、山つつじの咲き始めは心を和ませてくれる。案の定ハイカーにはほとんど遭遇せず、2山めを過ぎてから反対方向からの団体2組に出会ったが、この人たちは3山巡りではないようだ。唯一同じ道筋を辿っていたのが、川越から来た高校生のグループ。山岳部の新人を交えて最初の登山訓練らしい。

2山めの山頂近くで昼飯を取っている時に追いついた。こちらも同じ場所で昼にしたが、既に12時半になっていた。この後引率の先生と親しくなっていろいろ教えてもらったのだが、2山め以降の降りが結構長い。結局3山めはパスして帰ってきたが、それでも3万7千ぽ近い歩行になった。高校の新人訓練には相応しいコースかもしれないが、小生にとっても、なまじの水泳より遥かに疲労を感じることが出来た。

ハイキングの詳細は下記をご参照ください。
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-434482.html

2014年4月25日金曜日

大統領の失望と不快

2泊3日と言いながら正味丸1日の日本滞在だった米国オバマ大統領。当初からあまり期待はしていなかったろうが、超過密スケジュールを予定通りこなして後に残ったのは、失望に加えた不快感だったでなければいいのだが。唯一の救いが、天皇皇后両陛下の友情あるホスピタリティーだったに違いないだろう。小沢一郎氏が習近平氏と天皇陛下の接見をセットさせたときは、ごり押しだの政治利用とさんざ悪口を言ったことは綺麗に忘れて、数日前までスケジュールさえ決まらないところを、それこそごり押しで明かな政治利用した政権であるが、陛下が唯一の救いとは皮肉な話だ。

考えてみると、今、米国も大変な時期に差し掛かっているのだろう。日本は例外かもしれないが、世界中の人口が拡大して貧富の差は拡大する一方。超過激派やらテロリストやらが跳梁跋扈し始めて、世界中が混乱し始めている。とてもじゃないが世界の警察なんて言って他人の頭の蝿を追っている陽気でなくなり、自国の安定を図ることすら容易でなくなってきつつあるようだ。取り分けヨーロッパ諸国との関係もこれ以上は手の施しようがないのか、アジア諸国と良好な関係を結び自国経済の発展に資したいと願うのも無理からぬ次第なのだろう。

アジアと言えば経済的には先ず中国、インドは未だ発展途上なので、次はやはり日本となるのも当然のこと。その中国と日本がつまらぬことで反目し合っていたのでは面白くないので、予てから仲良くするように双方に言っている。中国は大国であるので五分の付き合いをする仲になりつつあるが、同盟関係にあり属国同然で御しやすい筈の日本が何故か意の通りにならない。同盟関係であれば、相手国の思いを察して喜びそうなことをするものとばかり思っていたが、こは如何にだ。言いたくはないが、「失望」とのメッセージを送らざる得なかった。

それでも現政権の態度が改まらないので、日本まで出向いて日本が喜ぶリップサービスを土産にしてやろうと腰を上げた今回の訪日だったかもしれぬ。ところがギッチョン「燕雀安んぞ鴻鵠の志を・・」ではないが、政権トップのノー天気はオバマ大統領の想像を絶していたのかどうか。役者の違いの一言では澄まされぬ程あからさまに意思がすれ違っている。テレビの時代なので新聞を読まなくても、解説を聞く前の映像から両首脳の擦れ違いがリアルに映し出されてしまう。

安倍総理はオバマ大統領が期待通りの発言をしてくれたと、喜色満面の態を装うが、裏で厳しいっ要求を突き付けられたようで、時折不安げな表情を見せる。一方のオバマ大統領は終始不満げな厳しい表情である。これがビジネスライクと言われる所以でもあろう。双方の思惑通りに事が運ばないのは、互いの計算が合わないのだろうか。それも確かにあろうが、良し悪しは別にして日米の文化差も大きいと思う。

いつも安倍総理ばかりをくさすが、オバマ大統領の方にも責任はあると思う。いくら属国同然の国とは言え、独立国の政権を動かすのに子供だまし同然に口先一つで国家の基本的方針を変更させるのはチト無理筋だろう。余りにもビジネスライクに過ぎる。ビジネスは利害得失、全てが計算で成り立っている。日本側も戦略的互恵とか何とか、計算ずくで受け止めかねない発言をするから、大統領がその気になるのかもしれない。

しかし日本はビジネスでも計算より情緒が先行する国柄。広告という極めていい加減で計算が難しいものを売っていたせいかもしれぬが、若い時に先輩から教えられたのが次の言葉。100回の訪問よりも1回の食事の方がベター、100回の食事より1回の○○買の方が効果的だそうだ。米国の政府スタッフは日本のことを研究し尽くしていると言われるが、まだ十分に理解できていない。

こっちから出向いた時には昼飯すら奢らないで、2泊3日の国賓待遇なんて嫌なこったとごねてみせるドライさ。日米現首脳は最初からすれ違っているのが不幸の始まりだ。国内メディアはその辺のことは十分承知している筈だから、提灯持ちばかりせずにもっと本音の記事を書いたり、解説すべきだ。メディアが裸の王様製造機になっているのは実に困った社会現象だ。

2014年4月24日木曜日

日米同盟関係

米国には知日派と言われる紳士が沢山いらして、その中にリチャード・リー・アーミテージ氏がいる。既によくご存知とは思いますがスキンヘッドで筋骨隆々なんて表現では追い付かない程の巨漢。海軍兵学校の出身でレーガンやブッシュ時代には共和党政権では、政権内にあって外交と国防の要職を歴任している。風体に似合わず穏健派だそうだ。米国の現政権は民主党だが、現在政治コンサルタントを生業とするアーミテージ氏の発言は、少なくとも日本国では相当の重みをもって受け止められているようだ。

推測するに、日本政府が相当なコンサルタント料をお支払している可能性は大だろう。大統領訪日の前に彼も来日し、集団的自衛権行使については余り焦らずに、当面は経済政策に力を入れろと述べたことが大々的に報道された。野次馬的に見ていると、成績の上がらない良家のご子息が家庭教師をお願いしているように見えてくる。米に限った話ではないだろうが、外交戦略なんてものは長期的視点に立つので、政権政党が変わっても基本路線はあまり変化しないとすれば、アーミテージ氏にアドバイスを受けるのもありかと思う。

しかし日本も独立国家である。明治維新前後でもあるまいに、お雇い外国人に国の基本方針を一々お伺いを立てて決めているとしたら、随分情けない話だ。今回のオバマ大統領の訪日で、日本としては日米関係が揺るぎないものであることについて、何らかの言質が欲しいらしい。端的に言えば、尖閣諸島が日本の領土であり、一旦緩急ある時は米軍が手を貸しますと言ってほしいとのこと。
聞くだけで情けなくなる。たった今、夕方のニュースで、今日の共同記者会見で日本の要望に沿った発言をが得られたと報道している。

既に月曜日に読売新聞がスクープした通りの筋書きに沿っている。逆に、その他対露問題や対北鮮問題、或いはTPPについて、日本がどのような言質を取られたか知らないが、安全保障問題で大きな成果があったと喜ぶのは如何なものだろう。米国が日本の無人島に中国の旗が立ったからと言って、兵隊を出すことなんかあり得ないだろう。日米同盟関係は結構だが、集団的自衛権で他人の頭の蝿を心配するより、我が国が本当に心配すべき問題は何か?ロシア・中国・韓国を含むアジアの諸国と如何に友好的な関係を築けるかにあるように思う。

2014年4月23日水曜日

三流国家

ここ1週間日本でもトップニュースになり続けているセウォル号事件だが、徐々に真相が明るみに出るにつれて、韓国社会の未成熟さと言うか醜さが露呈されてくる。確かにフェリーを運航する会社とその乗組員の取っている態度は、日本の常識では考えられない。乗客が想像を絶する被害にあっていると言うのに、船員のほぼ全員が助かっているとは信じがたいことだ。昨日初めて、修学旅行の生徒の避難誘導をして、自らは亡くなった若い女性船員の話が出てホッとしたら、なんと彼女はアルバイト学生だったとのこと。

その裏で、高級船員が一般客には見えない専用脱出路から救命ボートに乗り込んで助かったなんて報道を見ると、余計がっかりしてしまう。現場には救出のために公的機関とボランティアが多数集り、大統領まで視察に行った筈だが、ここでも混乱しているようで、軍と民間スタッフが感情的に対立して、怒った民間スタッフは作業せずに引き上げたとまで報道されている。外国のことだからよく分からないが、社会的未成熟もさることながら国民性もの違いもあって、組織立った行動が難しいのだろうか?

一方では、報道によると国中に悲しみが拡がり、集団無気力症に精神的外傷すなわちトラウマ症状があらわれているそうだ。テレビが歌舞音曲の放送を取りやめているとか、文科省に当たる役所が小学生から高校生までの修学旅行を向こう1年禁止したとか、我が国の311災害当時以上のショック状態のようだ。
国を挙げてお取込みの真っ最中の感が伺えるが、こんな時に賓客を迎えるのも大変だろうが、訪れるオバマ大統領も複雑な思いだろう。

他国の不幸をブログテーマにするのは止そうと思っていたが、韓国国内でも新聞(中央日報)の社説が自国を「韓国は「三流国家」だった」と書いたことを知って気が変わった。下記に少し引用する。
「中央災害安全対策本部は掌握力もなく、海洋水産部と安全行政部は疎通せず、派遣公務員は弁解ばかり…、見ていて我慢できないほどだ。(中略)世界7位の輸出強国、世界13位の経済大国という修飾語が恥ずかしく、みすぼらしい。(中略) 一国のレベルと能力も災難と困難が迫った時に分かる。韓国のレベルは落第点、三流国家のものだった。」

他国のことを我が国では考えられぬと冷ややかに書いてきたが、翻って我が国のことを考えると果たしてどうだろうか。たまたま昨夜来の報道では、311事故以来、復興支援のためとのことで引き下げられていた国会議員歳費を元に戻すことが決まったとのこと。一般市民が所得税や住民税に課せられている復興支援の特別税は今後10年又は25年も続くのだそうだ。我が国の政治家は、乗客を残したままさっさと逃げた船員や船長を、三流国家のことだと嗤えるだろうか?

2014年4月22日火曜日

読後感『日本人に「宗教」は要らない』
ネルケ無方著

書店の店頭で偶然手にして購入したのだが、これまでに読んだ宗教関連の書物の中で一番分かりやすく、胸にすとんと落ちる思いの本だった。著者はドイツ人で曹洞宗の住職。外国人で元がクリスチャンであったこともあり、キリスト教圏の西欧人と日本人の考え方の違いが非常に分かりやすく説明されている。来日は1990年と履歴にあるので、既に四半世紀近くを日本で暮らし、日本人を娶っているからだろうか、文章はとてもきれいな日本語で書かれているので読みやすい。

我が家も菩提寺が曹洞宗なので、宗教を聞かれれば迷わず仏教徒と答えるだろう。しかし仏教の教義など何ほどのことを知るかとなると、答えられるようなことは殆ど無い。強いて言えば、本山が富山の永平寺で開祖が道元禅師程度のことだろう。そもそも仏教とは特別に教典も無いそうで、教義等は古くから伝わる経典などを勉強している坊さん達だけが知るもので、在家にある人間は葬式法要に関してお寺さんにお世話になるが、普段は無理解・無関係で善しと考えている。

開祖は知っていても本尊が誰であるかもよく分からないし、ここ数十年墓参りで菩提寺に足を運ばない年があっても、伊勢神宮の初詣を欠かさないのも考えてみれば不思議なことだ。著者はこの辺の事情をよく知ったうえで、キリスト教国の考えと比較しながらいろいろ教えてくれる。非常に雑駁に紹介すれば次のようなことになるかもしれない。

西欧諸国の一神教の世界では、人間がこの世に生を受けて生きているのも死ぬのも全て神の意思に依るもので、一人一人が絶対神と強い繋がりを持っている。
従って場合によっては神の意思と親の意思が異なり、親殺しなんかが起りうるし、事実珍しくないようだ。日本人は両親から先祖に至るまでの血の繋がりを大切にする精神が大きいが、これが仏教の精神と関係している。仏教はお釈迦様も人間で、絶対神の存在が無いのかもしれぬ。

日本に八百万の神が存在するように、仏教でも自分を含め、あらゆるところに仏性の存在を認めている。当然他人の存在や考えを余り非難せず、むしろ仲良く共存することを優先する。一神教の世界では同じ神を頂きながら、その信者同志が凄惨な殺し合いを平気でする精神は、自分だけが神と繋がっているとの思い込みが強い由縁であろう。隣人愛を強調するのも同じで、言わないと我欲だけになってしまうので、キリスト教では「愛」を強調するのだそうだ。

この理屈で言うと、日本人が今更「絆」を強調するのは少しおかしいと述べていることに全く共感した。他にも輪廻思想の有る無しとか、地獄と天国の相違など納得したことが多々ある。新たに知ったのはドイツにおける宗教教育のありよう。小学低学年から徹底的に行って、14歳になると自分で宗教を決めると同時に、社会的にも一人前と認められて酒なんかも自由に飲めるようになるらしい。

ところ変わればの感もあるが、日本人にとっては物心つく頃から神も仏も似たような存在。長じて突き詰めていくと総ては結局「無」に帰してしまう。仏教にも似た考えがあるらしい。従って著者は日本人に宗教は要らないとするのかもしれぬ。確かに宗教を巡って喧嘩するくらいなら、無宗教で皆仲良く暮らせるほうが余程理に適いそうでもある。

2014年4月21日月曜日

単語国語力

文明の利器であるパソコンのお陰で、文字が恐ろしいくらい書けなくなっていることに関するお話を一つ。

昨日の朝テレビを見ていて笑ってしまった。TBS朝6時からのの「時事放談」である。婆さんも別の部屋で同じ番組を観ていて同じように感じたのだろう。ゲストの発言の一部をメモしたらしい。メモは四字熟語が5 個に二字の単語が1個、計6個もある。高校生の孫に穴埋めクイズにでもしてやろう、少しは勉強になるのではとの思いだったようだ。見るとほとんど平仮名で書かれている。孫より最近全くペンで字を書かなくなったこちらの国語力が心配になったので、読み上げてもらって自分でメモしてみた。

案の定まともに書けない、テストだったら50点くらいしか取れないだろう。テレビも面白かったが後の話にして、読者の皆さんに日本語のこう言った便利な言葉の多用をお薦めしたい。「右往左往・誇大妄想・視野狭窄・支離滅裂・本末転倒・姑息」である。安倍総理の発言に形容詞と形容動詞の多用が多くて分かりずらいのは、こう言った便利な言葉の用法を知らないためだそうだ。現政権の状況は経済政策から外交に至るまで上記四字熟語1個で十分理解可能になるが婆さんの意見。

昨日のゲスト出演者は元官房長官・大蔵大臣の武村正義(新党さきがけ)と経済学者の浜矩子氏。武村氏は安倍政権に多少批判的ではあるにしても、大人ぽい発言であまり過激なことを口にしないが、浜氏は1ドル50円とか突飛な発言で人を驚かす一方、国際経済学者としての資質を疑問視する人も多いユニークなキャラで、安倍政権の経済政策を徹底的に批判することと、独特の切れ味がある喋りで、我が家の人気者である。

昨日のテレビ出演でも、よくもまぁここまで言ってくれるかと、お腹がいっぱいになるくらい最近の安倍政権についてこき下ろしてくれた。内容は最近の政権が目指す景気向上を目指すとする経済政策(消費税を上げて法人税を下げるとか)や外交姿勢(日米関係強化と言いながらTPPは妥協しない、北朝鮮やロシアとの姿勢もはっきりしない)といったありふれた話で、他に安全保障関係等にも触れていたかもしれない。何事も定見が伺えず矛盾だらけで、発表されるのは姑息な言い訳に終始するといった趣旨だったように記憶する。

この言葉遣いは全て浜氏のものだ。最後に武村氏が上品な言い回しで政府が株価を意識し過ぎて、年金投入まで言いだしたことについて、政府は株価なんかから超然としているべきとやんわり批判していた。浜氏流に言えば「破廉恥」と言いたいようだった。この浜さん、確かイギリスのオックスフォード大学?で教壇に立った経験もあるとか聞いたような気がする。ネットで調べても出てこないが、三菱総研初代ロンドン事務所長とあるから英語は相当な使い手であろう。

それより国語力に感心してしまった。

2014年4月19日土曜日

海外留学奨励に思う

若者が内向き傾向で、海外留学が減ってきていることが社会問題化し始めている。嘘か真か知らぬが、アメリカの大学への外国人留学生数では日本人は年間約2万人で中国人の約1割、人口が日本の半分以下の韓国より少ないと聞いている。何事もグローバル化している時代だから、若い時に外国の大学で学ぶことは大切かも知れぬ。外国の大学で何を学ぶべきかは分からないが、外国語アレルギーを払拭できるだけでも良しとすべきなのだろうか。

その程度の効用は認めたいが、年間2万人と言えば結構な人数だ。昨年母校の慶応義塾大学の入学式に招待された際聞いた、本年度入学者数が確か6千人程度だったことを思えば、慶応の1年生から4年生までを足した数を上回ることになる。アメリカや海外の諸国に幾つ大学があるか知らぬが、日本には500校前後の大学があるそうだ。玉石混交であるのは勿論であろうが、諸外国だって同様だろう。少々留学生が減ったからとて、問題視するほどのことは無いように思う。

年間2万人もいれば、生徒の方だって玉石混淆で、高い志を持っている人もいれば単なる拍付だけの人もいるだろう。自慢にならぬが小生の外国語コンプレックスは相当なもので、外国人から日本語で道を聞かれても逃げ出したくなるくちだが、何処で学ぼうと身に着いたものが本物であれば、言語バリヤーは簡単に克服できるものらしい。メジャーに移籍した野球選手を見る度に思ってしまう。

最近は大学より高校やもっと低学年から海外で教育をと考える親が増えてるらしい。これは如何なものだろうか。明治初期ならいざ知らず、これだけ教育環境が整った国はそう沢山は無い筈だ。先日中学の校長を経験した弟が解説してくれた。「9年間に及ぶ義務教育は勿論だが、民主党政権唯一の?善政で、公立であれば高校まで無償で教育をしてくれる。」環境はそうざらにはないと思う。

要は日本の高校大学できちんと学び、本人がその先、更に志を持つなら海外留学を希望するなら、それを支援するシステムを考えても良いかもしれぬ。しかし、それは政府が税金を投入したりするほどのことではないだろう。政治家が考えるべきことは、飽く迄も義務教育が中心であるべきで、それも教科書の枝葉末節に拘ることではなく、良質な教育環境を整備することだろう。教員の数が不足するのは何故か、質の低下の根本原因は何か。

まともな日本語も知らぬ政治家が、下らぬナショナリズムや経済一辺倒の政策に口角泡を飛ばす図を見ると、この連中が受けてきた教育の貧困が透けて見えてくる。昔の話でせんも無いが、我が小中学校時代の恩師の殆どは、旧制師範学校の卒業生で、今にして思うと皆若かった。ただ職業に対する情熱が伝わってきていたことと、お話と字が上手だったことが未だに印象に残っている。小学校3年生の時の担任の先生が、毎日のようにしてくれた「宮本武蔵」の話が面白くて仕方なかったことを未だに記憶している。

サンフランシスコ条約発効前後の頃だと思うが、戦前の国民的ベストセラー吉川英治の「宮本武蔵」を10歳そこそこの子供に語って教えてくれた先生の意図はなんだったか、未だに分からないが、小説の面白さを知ったきっかけになっているかもしれない。

2014年4月18日金曜日

己を知ることの難しさ

今朝の新聞で見ると、「新潮45」5月号の広告に、特集「何様のつもり」と書かれている。大体毎号読んでいるので、そのうちに読むつもりではいる。対象は金正恩や習近平にプーチンのような世界の大物をこき下ろしているらしい。
執筆者が誰であるか知らないが、随分思い切った事を書く人がいるものだ。対象を日本人だけにしておけば、共感するところが多かったろうに。さすが外国主権国家の代表クラスとなると、何を書いているのか分からないが、我が国の総理をこき下ろすような訳にはいかぬだろう。

いま世界のリーダーの悩みの種はナショナリズムの台頭ではなかろうか?北朝鮮はいざ知らず、中国やロシアにすれば煽れば国際紛争に継ながりかねず、抑制すれば人気が無くなるし、頭が痛いだろう。日本の場合は、リーダーがむしろ煽っている気配すら無きにしも非ず。世界的流行では困るが現実問題であり、それによって指導者の支持率が高まるようなので困ったことだ。

「新潮45」5月号の特集にはアメリカのオバマ大統領の名前が無いようなので、オバマ氏は分を弁えた人物なのかもしれぬし、是非そうあってほしいものだ。それにしてもオバマ氏の場合、何をしても余り思うように世界が動かぬようで、国内外で弱腰、弱虫と叩かれていることは同情に堪えない。来週訪日されるとのことなので、我が国の総理のナショナリズム迎合姿勢をやんわり窘めてくれることを期待したいが、外交とはそんな軟なものではないかもしれぬ。

大統領の訪日が如何なる目的があり、日本にとってどんな意味を持つのか理解の及ぶところではないが、今週頭から都内の警備体制がメチャクチャ厳しくなっている。昨日の発表では明治神宮に赴く(流石に参拝とは書いていない)ことになっているらしい。これも不思議と言えば不思議なスケジュール。婆さんは「いっそ靖国神社へでも行ってもらえば安倍さんの為にもなったろうに。」と皮肉っぽく言っている。

下らぬことばかり書いたが、最近思っていることと少し関係している。小生ここ1年余りの最大の暇潰しがネットの囲碁である。ヘボなりに最近少し分かってきたことが「己の弱さ」。最初の頃は、負ける度に相手が強かったとばかり思っていた。最近は、相手が強いのは相対的な問題であって、根本的には自分が余りにも弱すぎることに問題がある、と思えるようになってきた。弱いと言うことは、囲碁について余りにも知らな過ぎるのである。

ものを知らないと言うことほど恐ろしいものは無い。囲碁にはプロなら皆知っている定石が約5万とか、手筋と称するものやら、覚えておくべきとされることは山ほどある。勿論アマチュアにもこう言った知識を沢山知っている人は多いことだろう。勝ち負けの世界だから、知識の多い人が有利であることは否定できないと思うが、知識の多少でいつも勝負が決まるわけではなさそうだ。

まして具体的知識は無いに等しい我が対局でも、たまには勝つこともある。何様でもない、己の未熟さを弁え、基本又は原則に忠実を旨として、無理をしない方が勝率向上に繋がるような気がしてきた。負けることが続くときもあるが、最近頭に血がのぼるようなことが少なくなった気がする。これだけでもまた囲碁が一層楽しくなった。

2014年4月17日木曜日

年齢を考えて

昨日は兄の7回忌法要のため故郷の長野に帰った。暖かく快晴の下、花爛漫の信濃の春である。法要の後でご馳走になった料理屋の座敷から、春霞で少し霞んではいるが、善光寺平と取り囲む山々を見て実にほのぼのとした気分に浸ることが出来た。会食したのはごく内々だったので、亡き両親や兄貴の思い出にふけりながらの歓談だったが、何よりも我々生き仏の今後の方が深刻な話題になってしまう。

父親譲りで兄弟全員酒が好きだったが、さすがにこの齢になるともう酒は結構で、毎日のお晩酌を欠かさないと答えたのは次世代の出席者だけ、全員自宅では晩酌をしなくなっている。それを思うと、父はやはり本当に酒が好きだったのだろう。80歳を超えても晩酌は続けていたらしい。それと明治生まれの人は身体が丈夫に出来ていたのだと思う。父も母も90歳頃までは普通に日常生活を送っていたようだ。

集合している息子共は情けないことに、もはや息絶え絶えの感が無きにしも非ずで、小生も90歳と言えばあと15年もある。とても今の生活態度を維持してこの世にいる自信は無い。法事の後、高校時代から親しかった友人とお茶をしながら話したのも似たような話。彼もここ1年くらいで急速に体が弱ってきているみたいだ。酒を全く嗜まないし、どちらかと言えば若い時から体力自慢だったが、若い時の運動のし過ぎが祟って脊柱管狭窄症に悩まされているとのこと。

来月はまた5年振りの同期会があるが、ひょっとすると俺はこれが最後になるかもしれない。互いに好きな事をしてここまで来たのだから、それに満足することと、残り短い年月に欲をかくのが一番いけない。医者の意見も大切だろうが、結局は自分の身体は自分で管理するしかあるまい。その時が来たら出来るだけ静かに失礼したいと考えている。

確かに年寄りが欲をかくのを「死に欲」と馬鹿にしてきたもので、その轍を我々が踏んだのでは洒落にもならぬと意見が一致。彼からの忠告「高い山に登ろうなんて考えを何時までも持っていちゃいかんよ。」内心未練を持っているアルプスのルートも2,3あるにはあるが、彼の言葉を肝に銘じて、今年は近郊の山に徹しなければならないだろう。

春の柔らかい日差しとはまるきりかけ離れた抹香臭い話の一日だったが、何となく気持ちが明るい。

2014年4月15日火曜日

歴史観

自民党の憲法改正案に、ハッキリと前文の改正ということが盛り込まれていることを知ったのはつい最近のことだ。米国には9条の改正は兎も角、前文は替えない方が良いとする意見があるらしい。以下は第三者(作家の泉彰彦氏:米国ニュージャージー州在住)の推論だから当を得ているかどうか分からない。問題の個所は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」(trusting in the justice and faith of the peace-loving peoples of the world)である。

自民党はこの部分を、何とも自己卑下的な、しかも英語の直訳的な文章であるとして、国際情勢変化の中で最も現代に相応しくないとしている。中国や北朝鮮の公正と信義なんかとても信用できたものだは無いだろう、との理屈である。
一方アメリカ人は、憲法成立の経緯からして、「諸国民の公正と信義」とは「連合国の公正と信義」と理解する人間が多い筈。だから、これを変更するとサンフランシスコ条約体制からに離脱と受け取られかねないとの心配もある。

更に、安倍総理は、それでは日本人は100年経っても敗戦国の汚名みたいものを背負っていくことになるではないか。それでは若い世代の人間が可哀そうなので、その軛から解放してあげたい。と思っているようだ。と推論している。数日後に迫ったオバマ大統領の訪日を前にして、先週のメルマガで「日米首脳会談が本音トークになったとしたら?」と銘打って発表している。直接言えば内政干渉になるから、改憲や憲法解釈の変更など言えっこないが、現内閣の右傾化をアメリカ政府は心配しているのだろう。

これは当たり前のことだから驚くにはあたらない。少し気になるのは、政治家を含む日本人の歴史観の持ちようだ。小生もそうだが、過去の事を何時までも根に持つのは善くない。小学校の教科書にも青の洞門をテーマにした菊池寛の「恩讐の彼方に」が載っていたりして、恩讐を超え前向きに生きることが大切と教わってきた。そのせいか、何事もさらりと水に流す癖がついているような気がする。人それぞれだから、そうでない人もいるとは思う。最近になって学んだのは、子供の頃の悪ふざけでも、加害者側はすっかり忘れていることを被害者はい何時までも覚えていることだ。

自民党の先生方からすると、第2次大戦で戦ってもいないとされる現代の中国人から、敗戦国扱いをされるのはまっぴら御免と言うことかもしれない。しかし、憲法の前文で表明されているのが、サンフランシスコ条約を受け入れますとの証明であるとすれば、アメリカ人の心配も分からぬではない。韓国の朴大統領が「歴史的事実は千年経っても変えようがない」と言うのもその通りだろう。事実を水に流せるのが国民性であるにしても、歴史の事実認識に関して、世界的常識を総理がなにか考え違いをしているのではと心配になる。

明日は法事で長野に帰るので、ブログはお休みします。

2014年4月14日月曜日

日本人にとっての桜花

12日土曜日に総理主催の観桜会が新宿御苑で開かれ、招待された1万4千人の客の前で安倍総理が挨拶の中に自作の句なるものを披露したと報道された。引用するのも恥ずかしいが「給料の上がりし春は八重桜」だそうだ。日本語の乱れについては昨日書いたばかりだが、ここに至ると問題の深刻さを益々感じずにはいられない。嘗て小泉氏が総理時代、同じ観桜会で記者から感想を問われた時に答えたのが、有名な細川ガラシャの辞世の一句「散りぬべき時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ(細川ガラシャ)」だそうだ。

当時の小泉氏については哲学的思想が何も無く只アメリカ一辺倒だからと、余り良い印象を持っていなかった故かどうか、この場面は印象に残っていない。しかし今、安倍総理と比べると、瞬間的に歴史的な句を口にした小泉氏の方が月であるとすれば、安倍総理はすっぽんと断ぜざるを得ない。他人の知性の欠如は目につくが、お前はどうかと問われると返事に窮する。どう考えても脳味噌のキャパが低いので、知性の在庫は不足しがちだろう。

不足しがちな知性を時々潤おしてくれている読み物に、少しマイナーな同人誌がある。タイトルが「縦走」A5版40ページほどの小冊子で、年に4回発行している。最初に勤務した会社の先輩クリエーターが編集長で、営業の先輩や後輩が参加していて、後輩が毎号無料(定価本体400円)で送ってくれている。編集長が87歳と言うこともあり、同人の殆どが60歳を超えた老人であるが、たまに10代のイラストレーターが参加したりして、バラエティーに富んだキャラクターの文章が並び、非常に刺激的でもある。

折角ここまで書いたので申し込み先を下記に添えておこう。
〒284-0023四街道市みそら4-23-12赤沼方
「縦走倶楽部」電話:043-432-8860

先週「縦走」春号(61号)が送られてきた。特集が「私の好きな俳句や短歌」で、筆者の多くがそれぞれの思いを綴っているのを読んだばかりだった。その中に細川ガラシャの辞世も取り上げられていた。今の義務教育ではどうなっているか分からないが、小学生時代の半ば頃だろうか、正月にクラスでで百人一首の大会をした記憶がある。アラフォー世代になった娘の頃も同様の競技会があったようで、歌を一所懸命暗記する努力をしていたことを思い出した。

65歳を超えてから俳句を始めた友人もいるし、日本人には自ずから言葉を選ぶ楽しさが、一種の文化として根付いていて当たり前だと思う。小生は不幸にして才能が無くて、俳句も和歌もとても作れないが、このように毎日駄文を綴って慰めにしている。鑑賞だけだが郷里北信濃が生んだ俳人小林一茶が大好きである。理由は小学4年生の時、父が東京出張の土産に買ってきてくれた「子供向け、小林一茶伝」を読んだことに依るだろう。特好きな句がこれである。
「痩せ蛙 負けるな一茶 ここにあり」

縦走の編集長は春号の中で、自分はあと3年で散ることを覚悟しているように書かれているが、小生は痩せ蛙のくせに未だ負けまいとしている。ガラシャの歌を引くまでもなく、最近別の月刊誌(新潮45:4月号で)、年寄りになりきれぬ年寄りが多くて困るとの文章も読んだばかり。鏡に映る自分の顔を見て複雑な思いの今日この頃である。

2014年4月13日日曜日

怖い話

他人のことを言えた義理ではないかもしれぬが、別に外来語でもなくれっきとした日本語である筈だが、意味の分からない言葉遣いが横行しすぎる。現政権幹部がお好きで、やたらに使いたがる形容詞「積極的」「戦略的」や形容詞ではないが地球儀外交なんて言葉は半分理解できるとしても、次の文句に至ると難しすぎて理解不能に近い。先日ワシントンで開かれた20か国財務相・中央銀行総裁会議の1日目終了後に麻生財務相が発表した「地政学的な不透明性の低減に向けて、G20が緊密に連絡することが重要であり、 引き続きG20で緊密に連携していく。」のことである。

もう少し程度の低い小生にも分かるような言葉遣いが選べないものだろうか?「地政学」なる言葉を知ったのは学校を卒業して相当後のことであるが、未だにその意味をよく理解できていない。麻生氏の発言を勝手に翻訳するとこんなことだろうか?「ウクライナで戦争の危機が迫っているので、その危機を回避するために20か国が協力してウクライナに財政支援する必要がある。この認識は共有できたが、それぞれの国がウクライナと個別の関係を持っているので、協力と言っても各国が一致して財政支援は難しそうだ。だからもっとよく相談しましょう。てなことでまだ結論は出ませんでした。」

結局昨日会議終了時に発表された共同声明でも、国別支援の具体策は何も盛り込まれていないようだ。もし小生の受け止めで大筋合っていたとしても、「地政学的不透明性」だけは理解不能だ。メディア関係者は言葉の使い方についてはプロなのだから、読者や視聴者に対して丁寧な翻訳があってもいいと思うが、垂れ流しのままだ。原稿を用意する役人もいけない。麻生大臣が漢字の読み方が満足に出来ぬことは十分承知している筈だが、漢字にルビをふって間違わない配慮をしたとしても、意味が分からない事を喋らせるのはもっと罪が重い。大臣をオチョクッテいるとしか思えない。

連日のようにウクライナ危機が報道され、ひょっとすると第3次世界大戦のきっかけになりかねないとまで言われるが、いまいちピンと来ない。財務大臣ともなれば、そこを十分理解されてのご発言かもしれぬ。この危機の根幹はどうもエネルギー問題に行きつくようだ。時同じくして先週末には国内のエネルギー基本計画が閣議決定されて発表された。大事なことだと思うが、基本的には311事故前と殆ど変わらないらしい。地政学的不透明感に繋がらなければいいが、原子力発電に依存していいのだろうか?

昨日のTBS系「報道特集」で原発の海の特集が放送された。原発の温排水の放出によって海は完全に死んでしまうものらしい。皮肉にも311以降2年近くも発電を停止した原発の海に、本来の藻類や魚が戻りつつあるとの報道である。この話も怖いが、先日会った友人はビルのエアコンフィルターの交換を生業としている。彼曰く「原発事故以来、古いフィルターを廃棄する前に放射線測定が義務付けられた。都内のビルで交換したフィルターの殆どが基準値を超えているので、廃棄を引き受けてもらえない。自分の倉庫に積んでおく他ないのだが、早晩行き詰るだろう。」黙って聞いていたが、怖い話である。

2014年4月12日土曜日

贅沢の極み

桜はもうすっかり散ってしまったが、やっと春らしい陽気になった。土曜の朝飯は納豆と卵焼きが定番だが、婆さんが何故か今朝は張り切って最高の朝飯を用意してくれた。筍ご飯に春キャベツと釜揚げ桜えびの和え物と白魚と蕗の葉を刻んで軽く炒めた物が添えられている。食卓から春の香りがにおい立つような気分で、贅沢の極みだと思う。

そう言えば昨夜は味噌汁が筍だった。昨日から食材を仕込んで丁寧に下ごしらえをしているので、筍も蕗も味と歯ごたえはしっかり残っているが見事にあくが抜けている。昔であれば、食事の後で筍の側を三角に畳んで梅漬けを中に入れてちゅうちゅう吸っておやつにしたことだろう。春になったから筍ご飯にしましょう、と言ってスーパーから筍の水煮を買う主婦がいるそうだ。

そんなことを聞くにつけ、幸せな気分なった土曜日の朝だった。旬の食材は決して安くは無いそうだが、我が家は二人とも海外旅行やブランド物に興味が無い。そんな贅沢はしないのだから、かなり高い食材を買っても良いだろうし、普通の主婦であれば、多分捨てるであろう蕗の葉まで丁寧に食べるのだから良いではないか。自慢げな婆さんの言い分である。値段は聞かなかったが確かにその通りだろう。

2014年4月11日金曜日

安全保障問題

昨日俺々詐欺に騙されたお年寄りの報道を見ながら「お金はまるきり無いと困るかもしれぬが、余分にあり過ぎて詐欺にあったり、泥棒に持って行かれるのも考えものだ。その点、我が家は余分なお金が無いうえにぼろ屋ときたものだ。だから泥棒の心配も無いしな。」と言うと「お金が無いのはそうだが、泥棒がぼろ屋を狙わない、は嘘だそうよ。新築の綺麗な家は大概お金を使い果たしているので狙わず、むしろその横の古い家を狙うのが鉄則だそうよ。」との事。

するてぇと我が家は泥的にとって絶好の狙い目になってしまう。しかも我が家は単に古いだけでなく、セキュリティー的な備えが何も無い。そんな話をしているうちに大昔のことを思いだした。我が家が近所でも比較的新しく、多少モダンに見えたであろう頃、結婚する前だからもう50年近く前になるが、一度泥的に侵入されたことがある。

夜中寝ていると台所で物音がするので、弟でも来たかと思って声を掛けた。
しかし返事が無いので、起きて見ようかと思った瞬間、布団の上から腹を思い切り踏みつけられた。「何をしているんだ!」と声を上げた瞬間、玄関から誰かが飛び出していく。この音を聞くまで未だ寝ぼけていたが、何か異常事態発生と目が覚めて、慌てて玄関に駆け付けたが、人影を確認できなかった。台所に行くと、流し脇の床に脱糞一塊が残されてただけの被害だった。泥的も目ぼしいものが何も無くて腹が立ったに違いない。

翌朝念のために警察に来てもらった。唯一の被害について話すと、警官が教えてくれた。「腹が立ったのではなくて、奴らは度胸をつけるためのおまじないです。」その後半世紀を経て、家は十分ぼろ屋に変わり果てたが、家の中にお宝らしきものが皆無であるのは変わらない。それでも年老いた現在、腹を思い切り踏みつけられたら命に関わるかもしれない。本当は安全保障を真剣に考えた方が良いのだろうが、どうせ取られるものが無いのだからと、相変わらず真剣みが足りない。田舎育ちのせいもあるだろうし、内心日本は安全で平和な国と思っているのだ。

しかし、国の指導者たちはそう思わないらしく、メディアを通して「今そこにある危機」についてしきりに警鐘乱打している。勿論偉い人が仰るのは、我が家の財産が泥的に掠め取られる程度の甘い話ではない。外国との戦争に巻き込まれて、全財産どころか生命の危機が迫りかねないとのお話のようだ。偉い人が仰るのだからと、一所懸命考えてもなかなか得心が行かない。

外国の事情に疎いので正確には分からないのだが、地球上には戦禍に曝されている国、戦争勃発に危機に怯えている国が相当数あることは知っている。アフリカ・中東・ウクライナだけでも相当だろう。しかし日本に対して政権の転覆を計ったり、領土を侵略しようと企んでいる国はそんなに多くはあるまい。強いて言えば、米国が日本に使い勝手の良い基地を拡張したいと考えているぐらいしか思いつかない。

政府は北朝鮮と中国を引き合いに出すが、素人考えでは彼らが日本を侵略するとは到底思えない。確かに尖閣諸島についてはトラブルが続いている。しかしこれは中国や台湾が話し合いを求めているのであって、力づくでも奪い取ると言っている訳ではない。それをことさら軍拡に結び付けたり、訳の分からぬ憲法解釈をちらつかせて事を荒立てているのが日本ではないか。盗られるものが何もない我が家は兎も角、豊かな我が国の安全保障で「今そこにある危機」は安倍内閣の存在そのものにしか思えない。

2014年4月10日木曜日

小保方晴子博士の戦い

昨日は午後1時から150分に亘る小保方晴子さんの記者会見を見続けてしまった。会見内容についてはコメントをしない方が良いだろう。正直なところ何が問題になっているのか未だによく理解できていないのだ。そもそも山中教授のノーベル賞受賞での大騒ぎの時も同じ気分だったが、「細胞の初期化」に何か神を恐れぬおどろおどろしさが先立ち、再生医療を待ち望んでいる患者さんには申し訳ないが、そこまでやる必要は無いのでは?と思ってしまう。

脳科学が専門と聞く養老孟司氏の決まり文句「科学の発達と偉そうに言うな。口惜しかったら蚊でも蝿でも、虫の1匹くらい作ってみろ。」が正解で、ロケットが月に人間送り込もうと、DNAの操作でクローン鼠を作ることが出来ても、果たして人類がどれほどハッピーになることが出来るだろうか。能力の無い人間は直ぐこう言った論に乗ってしまう。だからと言って山中教授や小保方さんの研究にケチをつけてはいけないだろう。内容が理解できれば素直に評価したいのだが、想像を超える世界で活躍される才能を羨ましく思うのみだ。

彼女が未熟と言われようと、会場に詰めかけている記者諸氏よりは、多少頭脳明晰としておいた方が当たっているかも知れない。頭脳の本当はどうか分からないが、根性は見上げたものだ。健康状態は絶不調だったそうだが、勤務先それも半端なものでない大組織を向こうに回して戦う姿勢を示していることについては敬服せざるを得ない。若い時に何度か勤務先と喧嘩をした経験を持つが、それはいつも最後っ屁みたいもので、辞める決心をしてから尻を捲くるのである。今にして思えば戦いとは到底言えない。最初から負けているのであった。

彼女が如何なる存念に基づいているかは分からないが、弁護団を背負っての不服申し立てとは見上げたものだ。普通の感覚では、とても30歳そこそこの小娘に出来る芸当ではない。研究者の常で特許などの関係もあり、普段から弁護士さんとの付き合いがあり、弁護士の方から焚付けられたにせよ、なまじの考えでは決断できぬ筈だ。女性の社会進出が奨励され、先進的とされる女性の著作が大量に書店の店頭を飾る昨今である。総理大臣から表彰されてもおかしくない、この逞しさが彼女の人生で吉と出るよう祈ろうと思う。

2014年4月9日水曜日

大山参り


先週月曜日に掛かりつけの接骨院の先生から山の案内を依頼された。この先生、高校時代相撲部に所属して全国大会でもかなり上まで行ったとのこと。年齢は小生の半分だが体重は100キロ近いと思われるないか。とても山歩きをするタイプには見えないのだが、見かけに似合わず山が好きで、いつも山の話になる。特に富士山が好きで、ここ10年近く毎年のように登っているらしい。そのことでからかったのだ。「富士山は霊山と言うが、あそこの祭神は木花咲耶姫と言う女性で、相模野にある大山の大山阿夫利神社の祭神の娘だぜ。だから大山の方が格が上だと思うがな。」

「だったら、是非一度案内してくださいよ。但し火曜日(彼の休診日)でお願いします。」この会話があって、一昨日の天気予報を見ると昨日の火曜日は絶好の行楽日和になりそうだ。そこで、明日はどうだと聞くと、願ってもないこと、是非と言うことになったので、急だったが大山ハイキングに出かけた。先月29日高尾山で今年の初ハイキングをしたばかりではあるが、彼の休日と天気とかコンディションの良い日はそうざらにはない。小田急新宿で7時に待ち合わせて、神奈川県の秦野が最寄駅になる。

ここからバスで20分一寸で登山口に到着。9:30から登り始めてお昼には山頂、3:30には麓の茶屋下山して、名物の冷奴を肴にビールで乾杯。朝から終日快晴、春とは言え富士山がよく見える。一昨日天気が荒れて山の上には雪が降り、中腹は雹、下界は大雨で空気が洗われたからだろうとのこと。山麓は春爛漫でそめいよしのが満開、何処にも文句のつけよの無いなハイキングだった。先月末の高尾のハイキングは歩行数が約3万5千歩、比較して昨日は2万5千歩とかなり少ないが、足腰の疲労はむしろ昨日の方がきつい感じがある。

標高差の違いによるものだろう。高尾方面は最も高い地点でも800mそこそこに対し、大山は標高が1200mを越していることに加え、姿が茶碗を伏せたように恰好よく、一気に登って一気に降るので、かなり本格的山歩き気分になる。今年は余り高山には登らないつもりだが、近くの山でもアルプス歩きとそう大差のないことを実感できた。アクセスが簡単であるメリットはさることながら、往復2000円足らずと費用が安いのが一番だ。

ハイキングの詳細はこちらをご参照願います。
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-426231.html

2014年4月7日月曜日

花は咲けども

都内では今日明日での入学式が多いようだ。今日の昼前後はあちこちで、真っ新な制服を着こんで正装の両親と歩く小中学生の家族連れの姿が何とも晴れがましく、はた目にも微笑ましい。明日は我が孫の高校入学式だそうだ。先週末我が家に立ち寄った娘に聞くと、さすが高校の入学式ともなると、父親は行かぬものらしい。今時恥ずかしいことでもないと思うが、ひょっとすると婿殿が少し今風でないのかな。

入学式に花を添えるのが温暖な天気と満開の桜が定番ではあるが、残念ながら今年の桜は、姥桜になってしまった。しかも今朝の冷え込みは真冬並みときたものだ。本来希望に満ち溢れるシーズンであるべきだが、今日目にしたのが、薄ら寒い天気同様「3月一杯をっ持って営業を終了させて頂きます。長年のご愛顧に感謝します」なる店舗の張り紙。しかも4枚も見てしまった。その張り紙に降りそそぐ花びらが何となく哀れを誘う。

小型のスーパーとコンビニと飲食店2店舗である。更に接骨院で聞いた話では
、前に通っていた接骨院も先月末で店仕舞いしたとの噂。報道では景気の良さそうな話ばかり聞くが、新年度早々東京のど真ん中で、シャッターが下りたままの店を見ると、デフレ脱却や景気の向上が俄かには信じられない。一方ではディズニーランドの入場者が過去最高とか、皇居で解放された乾通りの花見客が3日間で11万人とか景気の良さそうな話も聞こえてくる。

景気がどうなろうと年金頼みの身には関係ないが、年金給付は減少して介護保険料等の社会保険料は上がるらしい。幸い今のところ良く行く飯屋の料金は4月になっても変わらない。飯屋の親爺曰く「結局現代はイオンのような大手だけが生き延び、貧乏人同士で潰しあいをしているのだからどうにもならい。」
「親爺さんよ、定食500円は520円にすればいいじゃないか。」と提案したが、先週火曜日以降、只でさえ客足が減っているとのことで「とても値上げなんかできたものではない。」とのことだった。

唄の文句ではないが「花は咲けども 心が寒い」だ。明日がもっと春らしくなるよう祈ろう。

2014年4月6日日曜日

報道機関か茶の間の演芸場か

基本的に毎週見ているテレビ番組は殆ど決まっている。特に週末の番組は録画してでも見るものが多い。日曜朝のTBS「時事放談」は録画こそしないが、殆ど毎週見る番組の一つだ。その昔、テレビ番組なんかに大した興味を持たなかった時代でも、この番組はよく見ていた記憶がある。当初の「時事放談」1957年から1987年まで30年間続いた長寿番組であった。当時の番組で印象に残っているのは、この番組と「兼高かおる世界の旅」くらいだ。

出演者は2人だけで、朝日新聞出身の細川隆元氏と日経新聞出身の小汀利得氏が、世相を鋭く切り込んでいた。具体的なことは何一つ記憶にないが、特に政治に関しては、誰にも遠慮せずに喋っているなぁとの印象だけ残っている。出身は政治部と経済部であろうと思うが、新聞記者は誰にも阿らない稼業なんだなと感心していたような気がする。毎週二人やり取りを聞くにつけ、なまじ現役の政治家なんかより、新聞記者OBの方が遥かに高い見識を持っていると敬服したものだ。

視聴しているこちらが社会常識に疎く、些か幼かったせいもあるかもしれない。
細川氏、小汀氏はとっくに亡くなり、後を継いだ藤原弘達氏や土屋清氏も鬼籍に入り、一旦消滅した「時事放談」が2004年に復活、当初は先日亡くなった岩見隆夫氏が司会だったようだが、殆ど記憶にない。2007年の4月現在の御厨貴氏が司会となっている。既に7年を超えるので結構な長寿番組となった。殆ど毎週見ているが、同じタイトルでも昔と今では内容が全く違う。

御厨氏は政治学者のようだが、番組のキーマンでも何でもない。単なる司会者にしかすぎず、毎回登場するゲスト2名に質問を投げかけて、視聴者に納得してもらえるような解説をしてもらう狙いになっている。ゲストは圧倒的に、現役かどうかは別として政治家が多い。ごく稀に浜規子氏のような経済学者やジェラルド・カーティスなんかが出ることもある。従って独自の立場から世相を切り取るなんてことは、とても無理なことで、時の政権をヨイショする幇間的つまらない番組に成り下がっている。

そもそもテレビ局全体に言えることではあるが、テレビ局が開局してすでに半世紀を超えているにも拘らず、テレビ局出身の記者が評論家として成り立たないのは残念なことだ。所詮は茶の間の演芸場でしかあり得ないのだろうか。特に今日の「時事放談」は特に酷かった。ゲストが菅官房長官と、そのまるで幇間に嵌った増田寛也氏である。官房長官は毎日2回も記者会見をして国民に向けての情報を発信するのが仕事。それ以上のことをペラペラ喋れないのは当たり前のことではないか。

記者会見の、あの人を小馬鹿にしたつまらなそうな顔の裏で、実際に進行しつつある我が国の本当の心配事はなにか?視聴者が本当に知りたいのはそこだと思う者はテレビ局には存在しないのか、存在できぬのか。

2014年4月5日土曜日

ショック

改装工事とかで3月の初めから休館になっていたジムが、リニューアルオープンになったので1か月ぶりでプールに行った。以前と同じメニューを思い出しながら泳ぎ始めたが、何となく体が重く、腕や肢がスムーズに動いていない気がする。数日前に泌尿器科の医者に行った時、先生から毎度お馴染みの質問「身体の調子は如何ですか?」を受けて「はい、特に変わったことはありません。先ず先ずだと思います。」これまたワンパターンの返事をした。

すると先生曰く「自分では快調と思っていても気を付けてください。高速道路で中古車と新車が同じ100kmで走ることは可能だと思います。しかし気が付き難いかもしれませんが、ポンコツと新車では余力に相当の差があるのはお分かりですね。申し上げにくいことではありますが、あなたの身体は相当な中古車だと思って頂けば間違いありません。適度な運動はされて善いのですが、余り無理をしないことです。」

このところ、つい先日まであんなに元気だったのに、何で急に?といった同輩の話を聞くことが多くなったことと相俟って、妙に納得して聞いたばかりでもある。ポンコツ車がなんの手入れもせず丸1か月車庫に放ったらかされていたのだから、錆びついて作動が多少具合悪くなるのは仕方がない。と納得しようと思ったが、水泳の後で体重計に乗ってショックだった。1か月間で体重が2.2kgも増えている。先月はプールが無いので歩くのを真面目にしていたつもりだが、駄目だった。

要は食い過ぎなのだろう。そう言えば先月は飲む機会が多かったかもしれぬ。大きな鏡の前に立つと、明らかに腹が太くなった感じだ。しかし、食事を自分でコントロールするのは難しい。出た物は不味くなければ綺麗に食べてしまうし、どんなに食べてもデザートは別腹に納まる。デザートを食べなければいいのよ、毎度言われるのだが、どうもこれが出来ない。今日から少し食事の量を減らすよう、婆さんに頼まなくてはならないようだ。

2014年4月4日金曜日

信用問題

社会の波にもまれて身に着いたことがある。単純であるが、一人では何事も出来ない、良い友を得ることが、人生で最も重要なことかもしれぬ。しかし、嘘を平気でつく人間、約束を守らない人間はあまり信用できない。友人としては敬しても遠ざけるべきだ。従って嘘をついたり約束を守らないと、友人が持てなくなる。単純にして平凡なことかもしれぬが、努力はしてきたつもりだ。でも残念ながら、嘘をついたことは多々あったろう。

嘘がばれると閻魔様に舌を抜かれるだけでは済まず、現世に於いて信用を失墜することだけは間違いない。従ってビジネスの世界では嘘は禁物である。ところが最近の政治の世界を見ると、嘘をつくことが恥でもなければマイナスでもないかのような振る舞いが目について仕方ない。他の方々がどのように思うか分からないが、政治家の言う事は全て胡散臭く感じてしまう。猪瀬元都知事や渡辺みんなの党々首だけに限ったことではない。

政党の公約からして、結果的に守ることが出来ず、結果的に嘘をついてしまったなら未だしも、最初から本心と異なることを掲げて、取り敢えず選挙に勝とうとする魂胆ありありのことも多い。例えば自民党のTPP関連なんかもそうだろうし、消費税増税分の使い道なんかも典型だろう。せめて、「嘘をついておりまして誠に済みません」とでも言えば少しは可愛げがあるかもしれぬが、盗人猛々しいではないが訳の分からぬ屁理屈で弁解するので余計腹が立つ。

日本では政治家の嘘が恒常化して、国内のみならず世界に向かっても「福島の原発事故は地域が限定されたもので、東京は全く心配ありません」とか「アンダーコントロール」なんて胸を張って嘘を発信している。こんな事を書く気にさせたのは昨日の毎日新聞が「隣人 日中韓」という大きな特集記事で「靖国神社に参拝しないと中国側に約束していた安倍首相」を報じたと知ったからだ。
外交と個人的な友人関係を同列に論じることが妥当かどうか分からないが、国家の信用が大切であることだけは論を待つまい。

安倍さんは国民とのお約束を度々破ってきたが、恬として恥じるところが無い。国内的には、それが政治風土と許されるにしても、国際的には通用しないだろう。経済的に大国であっても日本は信用できぬとされるより、小国であっても信用するに足る国と見做される方が、少なくとも小生は嬉しく思う。

2014年4月3日木曜日

当面の目標

昨日大学時代の同級生と久しぶりに食事を共にして、互いに持っている情報を交換しながら旧交を温めた。この齢になると情報が収集できる範囲が非常に狭くなっている。昨夜の友人は学生時代から運動部に所属し、今なお運動部仲間と頻繁にゴルフをしているので、情報は多い方だ。それでも音信が途絶えた人間が多いし、生きているのは分かっていても、夜の会食に耐えかねる健康状態の人が意外と多いらしい。例え年に1回でも、互いの健在を確認しあえるだけでも良しとしようぜ。と話しながら参考になることを幾つか聞いた。

慶応の下(付属小中高)から来て体育会に所属して、無事大学を卒業できたような人は、家が裕福で且つ身体も頑健だったような者が多い筈。彼も東北の中学校から慶応高校に入学した口である。彼が現在でも付き合っている連中は後期高齢者か直前の人が多いようだが、月に2回もコンペをするくらいだから、経済的に恵まれて、健康の方も半端でない人が多いようだ。そんな連中とのゲームでゲーム代を稼ぐ程の勝負をすると言うのだから、彼も相当元気でゴルフの腕も益々冴えているに違いない。

よそ目には羨ましいくらい恵まれた環境の仲間たちに思えるが、ここ数年で急速に仲間が減っているそうだ。背負い切れぬほどの財産が有っても、病には勝てないのは理の当然。友人の一人は肺気腫で、都内最高とされる病院の最上階にあるまるでホテルのような個室に入院して、名医と評判のお医者に診てもらっても、一旦倒れたらお終いだ。運よく退院したが、まるで別人、ゴルフのスコアは見るも無残だ。つい先頃までの栄光のがあるだけに、本人はさぞ惨めな思いだろう。

別に友人が昨年神奈川県の有名なゴルフ場の会員になった。このゴルフ場小田急線の駅から直ぐの場所にあるので、車を使わずに通えるコースとして有名で、功成り名を遂げたリタイアメントの社交場として名高い。入会金が安くなったとはいえ、それでも1200万円で、本人が死亡した場合には子供に相続も出来ず、200万円だけ香典として返却されるのだそうだ。勿論承知の上で入会したのだが、何と本人が入会後2か月目に脳溢血で亡くなってしまったそうだ。

本人も家族も1千万やそこらの金を惜しむことは無いだろうが、聞いている我々貧乏人(彼は小生から見ると決して貧乏とも思えぬ)にしてみると笑うしかないな。要するに事ここに至るとこれから先、日々健康でしたいと思うことをして過ごせる日がどのくらいあるかが問題だ。と極めて平凡な結論を得て満足したが、健康を害する友人が増えているのは事実のようだ。たまたま互いに、今のところ健康面での小問題はあっても大問題は抱えていない。

しかも彼には当面6月にゴルフのグランドシニア関東選手権出場の目標がある。小生は今月は丹沢大山、5月は高校の同窓会で長野の飯縄、6月は奥多摩川苔山ハイキングの目標だ。目標の大小ではなく、その目標に向けて日々何かすることに意味があるのだろう。飲めなくなったとか飲み過ぎはいけない、なんて言いながら久し振りに日本酒を強か飲んでしまった。

2014年4月2日水曜日

武器輸出

思い出すと海外旅行を初めて経験したのが1970年前後で、ハワイ旅行だった。当時最新鋭と言われた日航ジャンボ機だったが、こんなでかい物体が空に舞い上がることが俄かに信じられず、離陸の際は拳を握り締めて緊張していた。気がつくと、あれから既に40数年日本の航路からジャンボ機が消えるらしい。当時は既に生活がかなり豊かになり、3種の神器と言われた洗濯機・冷蔵庫・テレビは各家庭に行き渡り、自家用車を持つ家庭が現れ始めていた。

ある出版社が、貢献度の高い広告代理店をサービスで海外旅行に招待してくれたので、そのツアーに会社が参加させてくれた。今もこんなサービスが日常化しているかどうか分からないが、当時は取引先との飲食、或いは中元や歳暮と同じような感覚でこんなサービスがあちこちにあった。正に高度経済成長を象徴していたのだろう。

しかしこのジャンボ機を見て、アメリカに対して畏怖心を持ったのも事実だ。日本も嘗ては世界的に評価されたゼロ戦を作る技術を誇ったにせよ、その流れで現在は、プリンスグロリアとかスカイラインGTなんて格好いい自動車を作るようになったからとて、とてもじゃないがアメリカと比べると、その技術力と工業生産力は月とすっぽん、雲と泥の違いがありそうだ。この差は永遠に埋まらないだろうし、第一戦勝国が、飛行機を生産することを永遠に許可する筈は無い。と一人合点で納得していた。

この刷り込みがあるため、日本が飛行機のライセンス生産を始めたり、完全な国産航空機の生産をしていることも報道で知っても、余り深く意味を考えたことが無かった。凡人には情報を咀嚼する能力が無いことの証明みたいものだ。昨日閣議決定で、武器輸出3原則変更を報道で知り、改めて日本の工業力について考えが及んだ。いつの間にか目の前からキャデラックやリンカーンと言った米国製高級車が消え、ベンツやBMWは今でもよく見かけるが圧倒的に国産車が溢れている。

目にする機会は殆ど無いが、自衛隊の装備と言えば殆どアメリカ軍の中古品と思い込みがあるが、戦車でも軍艦でも、これまたいつの間にか国産品になっているらしい。航空のゼロ戦二世こそ誕生していないが、外国から高い評価を得ている軍事技術や製品が多いらしい。嘗て小生が抱いた劣等感は何だったのだろう。いつの間にやら世界有数の工業国、しかも武器生産国になっていたのか。それはそれで誠に結構なことだ。日本人の多くが、小生のように怠けていないで、真剣に努力をした結果だろう。戦勝国もその努力を多とし、日本人は平和の大切さが分かっている筈とのことで、多少の武器の国産化は認めざるを得なかったのか。

原爆さえ持たせなければ、近代戦に参加する資格が無いからと甘く考えたのか、そのあたりについては全く分からない。しかしこの路線で走って来れば、とどのつまりで、作り始めたものを更に作り続けるために製品の輸出は当然の帰結だ。幸い現行内閣は経済成長を最優先課題とする一方、戦後レジームからの脱却を大方針に掲げている。経済の重視と平和の尊重を思うと自己矛盾に苛まれるが、それをいとも簡単に解決するのは見事とも言える。

しかし、先の敗戦を踏まえて世界に発信した憲法と、その精神である平和国家宣言はどうなるのか?自己矛盾が解消されれば、他国がどう考えようと関係ないのか?小生は気が小さいので悩んでしまうが、国民の60%が内閣を支持しているのが現実。経済発達の恩恵にたっぷり与ってきたし、貧乏したくない気持ちも分かる。日本は平和そのものだが、世界には武力紛争が続いている国がごまんとあるし、きな臭いところは更に多い。武器輸出が解禁となれば、当然買い手はきな臭いところだ。

何時の場合も武力紛争の何れが正で邪かは分からない。大体に於いて、より強大な武器を行使して、勝った方が正とされるようだ。

2014年4月1日火曜日

消費税増税の年度始まり

今日から新年度、普通の会社は入社式があって今日の夕刊と夜のテレビ報道はこの報道が溢れることだろう。よその会社の社長の話に興味はないが、自分の入社式とか社長の訓示がどうしても思い出せない。30人規模の小企業だったので式はなかったかもしれぬが、社長の訓示くらいあっても良さそうなのだが。採用形式が変わっているのだろうか?当時は何処の会社でも試用期間があったかと思うが、現在は4月1日から正規社員になれるのだろうか?

どうでもいいが、少なくとも我が青春時代は4~6月までは試用期間で、給料1万7500円の筈が1万5千円しか支給されなかったことだけ覚えている。しかも4月25日の最初の給料袋に入っていたのが1万3500円。何だこれはと、少し頭にきて経理の女子社員に聞くと「税金が10%引かれるので当たり前よ。」馬鹿ねぇとは言わなかったが、その時税金なるものを初めて認識した。

納税が国民の義務で、所得の応じて課税されるが、会社が社員に代わって納税金額を計算して給料から差し引いてくれる。だから会社にいる間は税金について何も考える必要が無いのだそうだ。こんなことを理解したのはずっと後になるが、誰が考えたか知らぬが実にうまい仕掛けではないか。正規であろうと、試用今で言うところの非正規であろうと、会社を介在させれば税の取りっぱぐれは無くなる。

何事も最初が肝心だ。最初の給料日に多少頭に来ても、退職するまで手取り金額でしか計算していないので、幾ら納税したか分からないし、ひょっとすると結構な金額かもしれぬが重税感を感じないで過ぎてしまう。同じ国庫納付金でも年金の方は、例の長妻先生のご活躍で年金記録喪失が問題になって以来、年金特別便制度が発足して、生涯なんぼの年金を納付したか分かる仕組みになっている。厚労省傘下で出来悪とされている組織でもできるのだから、財務省傘下でも同様のサービスをすべきだろう。

そうすれば、小生の若い時みたい鈍感な市民でも、政治なり官僚をもっと厳しく見ることが出来たのではと残念に思う。今日から消費税が上がるし、ガソリンの価格が一気にリッター6円も上がっていたのは驚いた。それでも余り意に介さぬ市民が多いのは結構なことだが、己の血税ともなれば自ずから受け止めは違ってきて当たり前だ。他国のことは知らぬが少なくとも我が国は、年金生活者からも几帳面に介護保険料・所得税及び復興特別所得税・個人住民税を取り立てている。

これも嘗ての会社と同じで、日本年金機構なる組織が国に代わって取り立てて支給年金から差し引くシステムになっているようだ。振り込まれる金額だけしか頭に無いので、殆ど何も感じない。本当にこれで良いのだろうか?年金が支給されないのは会社が年金分を納めていなかったなんて話もある。企業の場合は苦し紛れにと、想像できなくもない。しかし湯水の如く金をばら撒いて平然としている人間を、果たして頭から信用していいものかどうか?