年齢を考えて

昨日は兄の7回忌法要のため故郷の長野に帰った。暖かく快晴の下、花爛漫の信濃の春である。法要の後でご馳走になった料理屋の座敷から、春霞で少し霞んではいるが、善光寺平と取り囲む山々を見て実にほのぼのとした気分に浸ることが出来た。会食したのはごく内々だったので、亡き両親や兄貴の思い出にふけりながらの歓談だったが、何よりも我々生き仏の今後の方が深刻な話題になってしまう。

父親譲りで兄弟全員酒が好きだったが、さすがにこの齢になるともう酒は結構で、毎日のお晩酌を欠かさないと答えたのは次世代の出席者だけ、全員自宅では晩酌をしなくなっている。それを思うと、父はやはり本当に酒が好きだったのだろう。80歳を超えても晩酌は続けていたらしい。それと明治生まれの人は身体が丈夫に出来ていたのだと思う。父も母も90歳頃までは普通に日常生活を送っていたようだ。

集合している息子共は情けないことに、もはや息絶え絶えの感が無きにしも非ずで、小生も90歳と言えばあと15年もある。とても今の生活態度を維持してこの世にいる自信は無い。法事の後、高校時代から親しかった友人とお茶をしながら話したのも似たような話。彼もここ1年くらいで急速に体が弱ってきているみたいだ。酒を全く嗜まないし、どちらかと言えば若い時から体力自慢だったが、若い時の運動のし過ぎが祟って脊柱管狭窄症に悩まされているとのこと。

来月はまた5年振りの同期会があるが、ひょっとすると俺はこれが最後になるかもしれない。互いに好きな事をしてここまで来たのだから、それに満足することと、残り短い年月に欲をかくのが一番いけない。医者の意見も大切だろうが、結局は自分の身体は自分で管理するしかあるまい。その時が来たら出来るだけ静かに失礼したいと考えている。

確かに年寄りが欲をかくのを「死に欲」と馬鹿にしてきたもので、その轍を我々が踏んだのでは洒落にもならぬと意見が一致。彼からの忠告「高い山に登ろうなんて考えを何時までも持っていちゃいかんよ。」内心未練を持っているアルプスのルートも2,3あるにはあるが、彼の言葉を肝に銘じて、今年は近郊の山に徹しなければならないだろう。

春の柔らかい日差しとはまるきりかけ離れた抹香臭い話の一日だったが、何となく気持ちが明るい。

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