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読後感 「アメリカとともに沈みゆく自由世界 」カレル・ヴァン・ウォルフレン著・井上実訳

20年前に出版された「日本権力構造の謎」以来久し振りに著者の本を読んだ。前回も、外国人でありながら日本の核心に迫った観察の鋭さは驚異的で、今でも深く印象に残っている。今回はアメリカが主たるテーマにはなっているが、日本人に対する多くの示唆的メッセージが込められている。著者は1941年生まれのオランダ人ジャーナリストで、アジアをメインに各地を取材して多くの賞を受賞している。学者ではないようだが、本書においてもそうだが、社会学的造詣の深さとアプローチについては日本のどんな先生も及ばない。
1999年の冷戦終結以降世界の構造が大きく変わり、これまで欺瞞をもって国民を抑え込んできた社会主義国家のソヴィエトが崩壊した。これで世界に自由主義が広まり平和が訪れれば問題無かった筈だが、現実はそうなっていない。特に自由で民主主義国、平和の守護神である筈のアメリカが世界中に戦争の災厄をまきちらし、各地で無辜の民を殺傷している現実にがある。何故か、著者はそこを冷静に解析していく。
アメリカには産軍共同の萌芽がかなり以前から存在していた事実もある。しかし、今世紀に入って直ぐの世界貿易センター事件を契機に、ブッシュ大統領がこれを「我が国に仕掛けられた戦争」と位置付け、対象を「テロ集団」として「テロとの戦争」を始めた。これで国内は一気に結束して、アフガニスタンに戦争を仕掛ける事(日本もすぐ同調)に反対するものは悪人とする雰囲気を作り上げたしまった。引き続いて反テロ対策の対象として北朝鮮、イラン、イラクの3か国を名指し、これらの国を「悪の枢軸 」と総称して批判、その後イラクには無い所に柄を付けて戦争を仕掛けてしまった。
この経緯を冷静に分析すると、論理的に破綻しているのは言う迄もない。要するにテロは犯罪であって、あくまでも個人的に罰せられるべきもの。戦争とは政治主体である国家と国家の紛争で、性質がまるで異なる。何処かの国をぶっ潰してテロが無くなる筈はない。目線がまるで違う方向に向いているのに、暫くの間少なくとも国内からは非難されなかった。その間アメリカでは戦争がビジネスに大きく貢献、国民の犠牲が増える一方でとんでもない少数の富裕層が出現している。
8年の時を経て、国民もおかしい事に気が付きオバマを選んだが、事態は全く変わっていない。オバマ自身はノーベル平和賞まで授賞しているが、世界中に戦争をまきちらす構…

日本と東京の違いだろうか

毎日のように池袋の繁華街を歩いているが、年末が迫って益々活気づいているようにも思う。特に池袋西口地下街には宝くじの売り場が2か所あって、いつ歩いてもこのところ毎回長蛇の列になっている。昨日プールで会った人に聞くと、何でも大当たりが良く出るのだそうだ。そりゃそうだろう、平日の昼間の人口で言えば、全人口の1割以上の人間が東京に集中する上に、池袋と言えば都内でも有数の繁華街である。当選者が多いのは不思議でもなんでもない。
むしろ不思議に思うのは、マスコミは不景気やら先行きの不安を盛んに喧伝しているのに、国内外旅行やパチンコ屋の広告はいつも溢れている。小生の目からすると、東京の人は自分の生活に不安を感じていないように見えてしまう。確かに牛丼一杯290円と言うと、売る側の人は大変だろうとは思う。しかし消費者からすれば結構な事に違いない。デフレスパイラルやら円高不況で企業経営は大変だそうだが、少なくとも家電業界は地デジ特需とやらで、作る人も売る人も寝る間もなく働いているらしい。
10月でエコカー減税が終了した自動車は、11月に入って売り上げが25%も下がって大変なような事を言っているが、こちらも売りまくっていた時の事は口を拭って知らぬ顔を決め込んでいる。今期はしっかり黒字を計上するようではないか。結局企業なんてものは、おかしな博打みたい事に手を出さない限り、環境がいかように変化しても損をしないように対応出来るものなんだろう。この辺が大手金融が支配するアメリカの企業とは大分違うと思う。
しかしそのとばっちりを食っているのが、そこで働く社員の皆さんと言う事で、我々の時代のように右肩上がりにお給金が伸びて行かない事になる。とは言っても、目指す会社か役所団体に就職さえしてしまえば、初任給が食えない程低い訳でもないので、取敢えずはハッピーで毎日を楽しく、代わりに向上心もなく過ごしてしまっている人も多いのではなかろうか。その結果が、結婚して所帯を構えようとか、家を持とうなんてことも考えになかなか進まないのが現代社会だろう。
問題の失業だが、報道を見ていると年寄りは兎も角、若年層は大企業とか中小企業とか変に選ばなければ求人は未だ求職者を上回っているらしい。以前も書いたが、就職氷河期なんてのはマスコミが騒ぐだけで、訳の分からない大学に在籍して、身の程を弁えず高望みをしているお馬鹿さんをテレビに登場さ…

往生際の覚悟

故郷長野市に住んでいた子供の頃、近くの山寄りに「往生地」の地名があり、林檎畑が多く、友人の家もあった。そこに至るには遊覧道路が通っていて、冬は子供がそりや竹スキーで滑って遊ぶ場所になっていたので、よく通ったものだ。もちろん「往生寺」もあった筈だが、こちらは記憶に殆ど無い。こんな事を急に思い出したのは、昨日高校の同窓会幹事からの連絡メールである同窓生の訃報が届いたからである。
その中に彼が逝く2日間に書かれた日記の紹介があった。内容は簡潔に来し方を振り返り、我が人生に悔いが無いとしたうえで、最後に「そして今、金色に輝く阿弥陀如来様の来迎を受け、妻のもとに旅立つ。」と締めくくられている。実に立派な往生際の覚悟の程に、メールしてくれた幹事役も感心したらしいが、小生も全く同感である。とても真似できるものではない。
小生のみならず現代人の多くは、用済みの人生になっても健康志向とやらで、娑婆に未練たらたらが普通かもしれない。しかし思い返してみると、小生が幼稚園時代に覚えた童謡の他に幾つかの軍歌がある。その中で今でも頭にこびりついているものに、題名は分からないので『仮に「恩賜の煙草を頂いて」としておこう』がある。歌詞は今でもすらすらと出てくる「恩賜の煙草を頂いて/明日は死ぬぞと決めた夜は/荒野の風も生臭く/ぐっと睨んだ敵空に/星が瞬く二つ三つ」である。
昭和20年頃は学齢にも達していない子供までが、こんな歌を覚えたのか、教えられたのか知らないが歌っていたのだ。物心がつくと同時に一種の死生観を身に付ける環境が整備されていたのは、何も長野が善光寺の門前町だったからではないだろう。戦時中という環境だったからに他ならない。勿論大人の感覚では違ったかもしれないが、軍人をはじめとする多くの人は、「人間いつかは往生しなければならない」を、覚悟は別にしても念頭には置いていた事だろう。
こんな事を思い出すと、己自身を含め現代人の「往生際の覚悟」の無さと往生際の悪さだ。なにも、現政府の閣僚ばかりの事ではない。テレビに映し出される事だけを念頭に、徒に金切り声を張り上げパフォーマンスに終始する野党の卑しい姿を見るにつけても情けなくなる。大正から昭和の初期にかけ、国の針路を誤ったリーダーたちの判断ミスを論うのは簡単である。しかし少なくても当時の政治家には、与野党の違いがあっても、一国のリーダーとして間違えば、自…

営業マン 三百代言か

思えば長いこと広告会社で営業の仕事をしてきたものだ。現在の会社は広告とは少し違うがので、営業職はいない。今年の4月経営を替ってもらった青年は技術者なので、クライアントとの折衝となると少し可哀そうである。別に悪い事ではないが、常にクライアントの意向を十分確認したうえで間違いない仕事を期すために質問が多い。
そんな事を聞かなくてもいいと思う時がたまにあり、傍にいて少しハラハラしている。特にクライアントが我々に新しい仕事を投げかけてくる時が問題なのである。委託を検討している仕事に関して、クライアントはある程度のイメージをもっている事は確かである。しかしそれを具体的に言えないから専門家の業者に仕事を回して、提案を求めるのが普通の仕事の手順である。どの会社にも営業の専門職が居て、それを持ち帰り技術やクリエーターのスタッフを招集して、ミーティングの結果、提案を纏めるのだろう。
従って、技術屋さんの場合は、営業の意見を出来るだけ詳しく聞いた上で仕事に掛かるのが普通かもしれない。クライアントとの直接のやり取りは営業がするのだから、彼が出先で困らないように、出来るだけ彼の意見に沿うように設計をするのが当たり前かもしれない。その習慣があるので、我が後継者はクライアントの前でも丁寧に質問をぶつける事になる。クライアントも聞かれて答えないのは沽券に関わると思うかどうかしらないが、戸惑いを隠して意見を言わなくてはいけない。
今のところは小生が脇に付き添っているので、いい加減な所で割って入る事にしている。考えてみると営業マンの仕事とは、クライアントの気持ちを忖度して、自社のスタッフにそれを具体化させる仕事だった。だからこっちの見込みが異なると、再提案と言う事でスタッフに余計な手間をかけさせ嫌われたものだ。最初の提案をもってプレゼンする時は、それなりに説得はするものの、泣く子と地頭の例えで比較的簡単に「では、そう言う線で再提案します。」と言ってきたものだ。スタッフが怒るのも無理はない。
しかしクライアント側からすれば、自分好みの色が選べるので営業マンの存在は貴重だったのだろう。世の中には赤が良いかピンクが良いか、はたまた青が良いのか、分からない事が沢山ある筈。時にははったりで、スタッフの考えに誘導しなければならない時もあったし、スタッフに信念を曲げてもらった事もある。長年営業をしてきたお陰で、現在は自…

勤労感謝の日

今日はお休み。誰も文句は言わないのだろうが、先週何処かで読んだ事が引っ掛かっている。「勤労感謝」とは誰が何に感謝する祝いなのか、と言う趣旨だ。言われてみると、成程意味が不明だ。若いので知らないが、戦前は「新嘗祭」と言っていたらしい。天皇が五穀豊穣を祈り、新穀を天神地祇(てんじんちぎ)に勧め、また、自らもこれを食して、その年の収穫に感謝する大切な宮中祭祀を全国民が共に祝ったらしい。これはとても分かりやすいし、美しい。
ところが先の大戦で負けたばかりに、占領軍が宮中祭祀を国民が挙げて祝うのは好ましくない、としたらしい。しかしアメリカにも収穫を祝う国民的行事の感謝祭(Thanksgiving Day)があるので、休みを廃止するのは可哀そうと言う事になったらしい。だったら属国日本も収穫祭とでも言えばいいではないか、と思うのだが何故か訳の分からない名前がつけられている。同じ解説で勤労と言う言葉もおかしいと言っていた。
確かに変だ。「労働」と言えばいいところを「労働」を祝うと言うとメーデーのように社会主義者が喜ぶから具合が悪いとされたらしい。いまどき「勤労」なんて言葉を使う日本人が居るのだろうか。全く馬鹿馬鹿しいが、誰しも休日は大好きみたいで、文句をつけた人は珍しい。戦後60年以上経っても敗戦の傷跡から少しも脱しないばかりか、アメリカへの従属は強まる一方だ。昨年の政権交代の結果が、ものの見事にその事を証明した。
アメリカに対するほんのささやかな抵抗でも許されない。リーダー格の人間がもしそんな態度を示せば、アメリカが直接言わなくても、同胞である日本人がそいつを引きずり下ろす仕組みが完成しているのだから何をかいわんやだ。今頃マッカーサーは草葉の陰でほくそ笑んでいる事だろう。

紅葉狩り 箱根・金時山

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20日の土曜日、前日の金曜日になると木曜日までの天気予報と打って変わった秋晴れの行楽日和との事。金曜日の夕方慌ただしく今年最後のハイキングの計画を立てる。行く先は前から思っていた箱根の金時山。上手い具合に金曜日の午後に、得意先の人から今まで歩いた事が無い道を教えてもらう。仕事から帰って直ぐに、教えてもらった通りの道順で電車の手配。小田急線の新松田から入って、タクシーで登山口迄。明神ヶ岳と金時山を縦走して、恐らく5時間一寸らしい。仙石原への降りと休憩を考えると、6時間半から7時間は見とく必要がありそうと判断。7時新宿発で帰りは4:47箱根湯本発の切符を手配した。
当日は早朝から快晴で、気温もさほど低くない絶好の行楽日和。7時の電車にはゴルフ客が多くて登山姿の人は少ない。新松田で降りる観光客も少なくて、タクシーで最乗寺に着いたのはまだ8:30。このお寺は小田原辺りでは2年参りでも有名なお寺だそうだが、立派なものだ。山門から本堂まででも結構な距離がある大きな寺だ。境内は杉の林に囲まれているが、本堂の周りは紅葉が綺麗に植わっているので美しい。未だ参拝客もなく空いているので、本堂にお参りしてから綺麗な境内でゆっくり準備が出来た。

縦走路は良く整備されていて歩きやすい。1時間ほどで最初の休憩ポイント神明水なる水場に到着。水も美味しかったが、相模湾を望む景色が良い。ここから明神ヶ岳山頂手前迄はすすき棚引く秋の道が続く。里山だから未だリンドウが沢山咲いている。山頂は広々して見晴らしも抜群。噴煙あげる箱根山は目にして、今居るのが箱根の外輪山だと言う事を初めて納得した。箱根から上がってきたらしい登山者が大勢もう弁当を広げている。ここから先の金時山はと見ると、これが遥か先に見える。背景に富士が見えなくてはいけないのだが、残念ながら雲の影だ。

未だ昼までは1時間もあるので、出来るだけ先を急ぐ。山頂から尾根道はよく見えたのだが、歩き始めると背丈を超える笹に隠れて展望がきかない。しかし旨い具合に約1時間で笹が途切れて一つのピークに到達、陽射しと共に富士が顔を出す。これ幸いにここで昼休み富士山を見ながら弁当を食べる。腹ごしらえの後は本日最後のきつい登りが待っていた。約1時間半後にやっと金時山に到着。富士山も絵のような姿を見せている。食事は途中で済ませているので、写真だけ撮って直ぐに下山、仙石原に3:…

ハイキング予定

今日も1日撮影の立会、撮影件数が昨日の2/3なので明るいうちに終わった。昨日同様、撮影の合間の雑談で、それぞれの若い頃、なりたかった事と現実の違いの話が面白かった。我が後継者は電気工学を志して、現実はIT技術者だから当たらずとも遠くは無い。クライアントも高校時代は無線にはまって資格を取ったりしていたので、工学部系を目指されたようだが、結果的には農学部に進学してしまったとの事。やはり、理工系の素地があるので、現実は適役かもしれない。二人とも大学時代の実験や実習が懐かしそうだった。
小生はこういう場合、若い頃の志も高校大学での研究が無いも同然なので、恥ずかしくて会話に加われない。暫くするうちにやっと出身地の話になった。クライアントが小田原の出身なので、箱根の金時山について聞いてみた。若い頃には何度も登ったし、良い山だよ。との話でやっと会話が噛み合った。一度行った事はあるのだが、兼ねてこの年末にはと思っていた山なので、新しいルートや見どころについてかなりの情報を貰う事が出来た。
明日は天気予報が変わって、晴れそうだから行った方が良いよ。と背中を押された格好になったので、事務所に戻って早速交通機関の確認をしたところ、まだ間に合いそうである。これから準備をするので、今日の日記はここでおしまいとしよう。

苦手であっても、科学の話しは面白い

今日と明日は一日中撮影の立会。今日は10:30から16:30の間に15カットの料理を撮影。1件ずつ味を確認してレシピの問題点を発見する任務があるので、全ての料理を試食しなくてはならない。プロのレシピをプロが調理しているので、味はどれを取っても合格点である。しかし規則正しい食生活の実践を心掛けている身にとっては、例え少量ずつとはいえ、絶え間なく料理を食べるのは負担と言えば負担でもある。男性3人での立ち合いだったが、小生の分だけ試食量を減らしてもらった。それでも満腹感が残っている。後1時間後には又ごはんを食べる事になるが、これは相当セーブする事にしよう。
撮影の合間に時間があるので、技術を得意とする我が後継者とクライアントを交えて面白い話を沢山聞けた。特に携帯電話とキャリアや機器メーカーに関する話しや、iPadのような携帯端末に関する話に加えアップル、マイクロソフト、グーグル社、からアジアのメーカーの動向迄話題になっていた。海外の話が大分出ていたが、もう海外旅行の機会なんかなさそうだし、仕事で携帯端末を持ち歩く必要もなさそうだ。話題になっている機器については、ぼんやりイメージしていたものと大きく異なり、どんどん進化しているようだ。直接関係は無いしどうでも良いようなものだが、未知の話は聞いていると面白い。
iPadの類似品も近くマイクロソフトからも発売される筈で、価格的にはかなり安くなってくるらしい。既に出ているアジア製はもう3万円くらいにはなっているとの事。我が後継者はいつも引きこもってPCと睨めっこばかりしていると思っていたが、大違いで秋葉原ばかりでなくいろんな所をよく歩いているみたいだ。そしてPC関連ばかりでなくて、調理関係の家電製品についても一家言を持っているのには感心した。独身のくせに10万円もする炊飯器購入を検討しているらしい。
以上は半分仕事に密接に関係した話だが、小生が一番聞きたかったのは、宇宙探査の”はやぶさ”がどうして地球に帰還できたか、である。無人機から故障についての報告を地球で受信し、月の1000倍か1万倍か離れたところに浮かんでいる機械をどうやって修理するのか、その上計画とは違う帰還命令をどうやって実行させるのか。どう考えても訳が分からない。考え始めて頭が混乱するのは、地下鉄を何処から地下に突っ込んだか以上だろう。
やはり基本的には無線による通信技術ら…

茶番の極み 事業再仕分け?

機能崩壊の過程にあるように見える現政権、中でも壮大な無駄遣いと揶揄される事業再仕分けは非常に分かりにくい。賽ノ河原でもあるまいに、ゾンビの如く復活している税金の無駄遣い。前回の事業仕分けを無視して、厚かましく予算を提出してきたのは現政権である。どうすればこういった事になるのか不思議でしかたない。それに対して同じ政権が文句をつけている。事業仕分けそのものが結構な予算を食っていて、しかも何の強制力を持たないとは知らなかったが、知れば全くの茶番である。全く無意味とすれば税金の無駄遣いの極みで、シャレにもならないだろう。正に自らの機能崩壊を証明する事に他なるまい。
少なくとも小生は期待した昨年の政権交代とは何だったのだろう。あの時の期待とは何だったのだろう?現在の右往左往を見ていると、こちらも混乱してくる。政治家の仕事も分からず、勝手に、これで少し世の中が変わる、と思った俺がいけないような気もする。改めて政治家の仕事を考えてみたい。 先ず政治家は立法府のメンバーで、直接市民大衆に接して税金を取ったり、税金を直接配分する訳ではない。その仕事をしているのは国や地方の行政組織である。その行政を運用する法律を作って、間接的に指揮するのが立法府の仕事になる。この仕掛けについてはある程度理解している。
考えてみると、行政に携わる人間は全て公務員の筈だが、この数は現役だけでも確か数百万人のオーダーで、OBを加えたら夥しい数になるのだろう。この頂点に立つのは一応政治家で、内閣総理大臣をトップに100人程度が行政を直接指揮統制しているとされている。しかし実際に彼等を動かしているのは、明文化されている法律だから、いきなり来たトップが「お前、そのやり方は間違っている。こうしろ、ああしろ。」と言っても官僚がそのように動く筈もない。
まして、市民大衆に直接関わる階層とトップとの間には、今や官僚組織と訳されるエジプトのピラミッドにも匹敵する厚くて高いヒエラルキー(階級制)が存在して、実動部隊は「お上の声なんか、都合の悪いものは聞こえません、悔しかったら法律を変えてから言って来い。」てなものだろう。今朝のテレビで河野太郎が「事業仕分けの対象は予算の話だから、政府三役がその気になって、部下を指揮統制すれば事業仕分けの結果を反映させる事も可能だ。」と声を張り上げていた。
本当かね、不肖の爺にも段々分かってきたのは、…

要・不要 区別の悩ましさ

冬に入り年末が近くなってお定まりの作業を始めた。お掃除(本来大掃除であるべきだが、我が家・我が部屋には残念がらその習慣がない)、衣替え、お歳暮や年賀状の準備。何れも個人的なものだけなので、大した作業量ではないし、ちょこちょこと済んでしまうものばかり。むしろこういった作業の中で来し方行く末を改めて感じ、感傷に浸るのを楽しんでいるのかもしれない。日月の早さと老い先の短い事を歎じてばかりいるのもどうかと思うし、いつも己の決断の無さを情けなく思う事がある。
その最大の悩みは不要物の処理である。多分どこの家でも同じかもしれぬが、押し入れや戸棚に、未来永劫に使う予定の無い不要物が沢山詰まっている筈だ。特に我が家は物置の無いラビットハウスだからなおさらだ。小生は何事もさっぱりして空間が広々しているのが好きで、どちらかと言えば物を捨てたがる。反対に家内は物を捨てたがらない。後に必要なものを捨てたと思い、後悔した時に、家内がそっと持っていてくれて助けられた事もないではないが、性格は変わらない。今回は小生のスーツなどの洋服類を大量に処分してもらった。あと個人的なものと会社関係は彼女に任せる事が出来ないので、自分で処分しなければならない。しかしいざとなると、なかなか処分が難しい。
普段から不要なものは出来るだけ廃棄処分をするように心掛けてはいる。だがしかし、知らず知らずに溜まってしまう物がある。場所を取っているのは本と書類だ。会社関係の書類は、何が本当に保存する必要があるのだろう。経理関係は全て電子的に記録して会計事務所に送っているので、1年分だけ保存すれば事足りるのか否か、一度確認する必要がある。その上で3月に予定している事務所引っ越しの際、エイッヤーと処分すればいいとしよう。
厄介なのはCDやDVDの電子メディアだ。これもいつの間にか結構な量になっている。どれが本当に必要なものかチェックする必要があるが、結局は皆不要と言う事になるのではなかろうか。その場合はシュレッダーにかける必要があるらしいが、その機械が無い、困ったものだ。DVDデッキを買った際に、ずっと使っていたビデオデッキは電気屋さんに処分を依頼、同時にテープは全て家内に処分してもらった。確か燃えないゴミで、区が回収してくれたような気がする。
次の問題として要・不要の区別が難しいものに年賀状がある。結局は何十年分も溜まっているのを、…

将来・未来について

政治の話は面白くないものばかりだが、スポーツは面白い。アジア大会ではいろいろな種目で頑張っているし、TBSしか放送しないが、女子バレーも健闘している。スケートも男女共に好い成績を残しているし、男子ゴルフは石川遼が今季3勝目を挙げて賞金ランクでも首位に迫っている。相撲が始まって白鵬は勝っても負けても爽やかだし、サッカー選手にも世界で活躍する人が居る。月曜日の朝から嬉しいニュースが多い。
何かにつけ「最近の若い人はなっていない、駄目だ。」と言う年寄りが居るが、言っている本人は、自分が時代い遅れになっている事に気がつかないのだろう。学問でもビジネスでも活躍するヤングマンは沢山居るに違いない。自分もそうだが、長生きのお陰で年寄りが引退せず偉そうな顔をしているが、年寄りは出来るだけ早く引退する事を考えるべきだ。
死にたくないから、摂生して肉体の劣化をカバーしているつもりが、どんなに頑張っても止めようがない。医学的には20歳あたりが肉体機能の頂点と言う説があるようだ。しかし個人的には、最も活躍できた45歳あたりが心身ともに頂点で、そこから緩急は別としてずっとスロープを降り続けている感じだ。最初は5年おきぐらいで感じていた劣化が、日を追って3年になり、去年出来た事が今年はどうしても出来ないてな事になる。
最近は土日に通うフィットネスクラブで、ストレッチなんかしていると、先週はもっと体が曲がった筈なのになんて思う事もある。こうなってくると、毎日のように何か運動していないと倒れてしまうのでは、と言った強迫観念に苛まれてしまう。しかしこれも考えてみればおかしな話で、人間の体は自転車じゃないのだから、ペダルを踏み続ければ良いと言うものでもなかろう。却って使い過ぎると肉体疲労による劣化が促進され、以外にパタンキューになるのではないか。てな妄想もわいてくる。
何れにせよ元気であろうとなかろうと、年寄りはしょせん年寄り、明日の社会に役立つ事は多くはあるまい。又責任を持てない未来の事を余り真剣に考えても仕方がないし、それを偉そうに言うのは無責任のそしりを免れない。今月発売の月刊文藝春秋に掲載された、”日本も核武装すべき”だと言う後期高齢者の都知事さんの論文を見て考えた。
序にもう一つ、先週小田嶋隆さんという少し変わった人のエッセイを読んで成程と思った。私も知らなかったので、ご同輩読者のためにこの人につい…

のんびりした

お昼に人形町まで行って友人を一人誘い、「よし梅」で牡蠣の入ったミックス雑炊を食べた。大きな土鍋の蓋を取ると湯気がワッと立ち昇る。茶碗に掬ってフーフー息を吹きかけながら食ったが、牡蠣の他には海老やら鶏に野菜と卵がたっぷり入って実に美味い。しかも1人前千円也で二人でも食いきれない程量もある。この質と量は江戸ならではのものと言えよう。
小春日和が続いた1週間だったが、冬が段々実感となりつつある。帰りは国会図書館で読書。帰宅してから先程まで年賀状の事を考えていた。来週は又忙しくなるのだが、今週は本当にのんびり出来た。

DDTとPTA

今週は横浜でAPECなる国際会議が開かれている。何のためのどんな会議か知らないが、なんでも米国の大統領、中国の首席、ロシアの大統領等のお歴々が週末には大勢横浜に来られるようだ。つい最近に名古屋で開かれたCOP10も国際会議のタイトルみたいだ。TPPは政府が検討を進めるとしている何かの協定のようである。兎に角毎日のニュースの中に横文字が氾濫しているが、これの意味を正確に理解している人間はどのくらいいるのだろう。
我が家では、DDTは消毒薬でPTAは小中学校の父兄会の事を言うと、概ね当たらずとも遠くは無い解釈をしている。しかしJFKと聞いてすぐにアメリカの元大統領の事、と家内が答えられるかどうかは定かでない。小生にしてもそれ以外で知っているのはFDRぐらいだ。彼女に言わせれば、関係無いからどうでもよい事らしい。個人的な好みかもしれないが、現在中国で使用されている漢字のように、文字を簡略化するのは好きになれない。台湾に行くと中国本土と違い漢字が繁体漢字で、日本以上に旧態依然の字に出会うので、同種の民族だなぁと懐かしさを覚える。
勿論名称を短縮するのも如何なものだろう。日本では略称はカジュアルなもので公式に使用するのは非礼とされている筈だ。仙谷由人さんを仲間内が(せんよし)と呼んでいたにしても、それを報道機関が使用する事は先ずあり得ない。しかしアメリカではこれが当たり前でむしろ自然なのかもしれない。だからと言って日本人が有難がって真似するほどの事ではない。長たらしくとも日本語の名前を振って標記したほうが美しいと思う。役人に期待しても仕方がないかもしれないが、記者や作家とか作詞家といった言葉を商売道具とする人の奮起を促したいものである。
ベースボールを野球としたのも名訳だと思う。もう一つ感心したのは国名:「中華人民共和国」の中で、中華という語句は昔から支那にあったらしいが、人民と共和国と言う語句は何れも江戸の末期か明治の日本製らしい。最近の朝日新聞に出ていたそうだ。千数百年の昔、大陸から言語と共に文字がが入って来て以来、我が祖先は固有の言語を確立すべく様々な努力をしてきている。国際化も必要で小学校から英語教育も結構だが、大人はもう少し己の文化を大事にする努力をすべきではないか。

昔話をしながら

先週後半から良い天気でポカポカ陽気が続いて気分が良い。夜は夜で、布団を沢山かけて早めに寝るのでぐっすり休める。夏の苦しさが嘘のようだ。全ての事で能率が上がる。実に季節の移り変わりは好いものだ。今日は久しぶりにスーツを着て日本橋まで行って、昔世話になった人と会食をした。年齢的には少し若い人だが山歩きでは大先輩。年末行こうと思っている金時山に付いていろいろ教えてもらう事が出来た。
話題が変わって政治の話になると、やはり民主党政権の素人加減について、一次情報を交えてこれまた面白い話を沢山聞かせてもらう事が出来た。小生が永田町や霞が関を徘徊していた頃から既に20年経っている。省庁も再編されて役所の呼び名も変わっているし、官邸なんかは建物自体もすっかり変わっている。そんな外形的な事ではなくて、官僚の機能も全く変化しているらしい。政権に就いた民主党は小企業のおっさんで、組織の運用が全く分かっていない、が彼の見立て。
互いに千代田区からは遠くにいて気楽なので面白かった。マスコミの不勉強や能天気は昔からかもしれないが、現状に至っては正視に耐えないようだ。 尖閣の映像流出も話題になって、これは完全に海保からの意図的流出だろうと話していたが、先程トピックスをみると案の定だ。益々騒ぎは大きくなるばかりだ。

いじめられっ子 いじめっ子

先月23日自宅で自殺した群馬県桐生市の小学6年生女子について、学校側が昨日(11月8日)やっといじめのあった事を認めたそうだ。これまで両親は「自殺の原因はいじめだ」と訴えていたが、学校側は「学級内の人間関係に問題はあったが、いじめがあったとは認識していない」と記者会見などで説明していた。見解を転じたのは、全校児童を対象にアンケートや聞き取りをした結果、複数の児童からこの女子児童に心ない言葉が投げかけられていたことが判明したため、だそうだ。
こんなニュースは見たくも聞きたくもないので、関心を持たないようにしている。しかし、今日朝早くから校長の謝罪会見が何度も繰り返し放送されるので嫌でも目に入ってしまう。謝罪の言葉も日本語としてなっていないし、随分頼りなさそうな校長だ。我が家は実弟も家内の実家も教員教師が多いので、先生方の質の低下についてはあまり声高に言いたくない。しかし婆さんの方はそうはいかずに怒りまくっている。
「今や少し優秀な人は校長になんかならない、生徒も親も昔とは様変わりで、生徒の指導以前の問題でなにが起こるか分からない。最悪は身の危険を心配しなければならない。」そしてこう付け加えた。「今度の桐生市の事件を見ていて思うのは、いじめを認めたとか認めない、因果関係があったか無かったか、ではなくて問題の解決に時間をかけ過ぎている事だ。何故かと言えば、解決に時間をかけ過ぎる事で、いじめたとされている生徒側の心の傷が深まるではないか。」
日頃は関心を持たないニュースだし、先生の悪口も聞きあきているので聞き流そうと思ったが、最後の一言が心に残った。確かにその事は大事かもしれない。自分もどちらかと言えばいじめっ子だったし、上の孫も体が大きくて、そっちの方だったのではとの心配もある。問題になっている桐生市の件は別として経験だけで子どもの頃のいじめについて言う。いじめられる側といじめた側には心理的に相当大きなギャップがある筈だ。即ち、いじめられた側からすると死にたくなるほどつらい事も、いじめているとされる側には、深刻さが皆無で、ホンのおふざけで許される範囲と思っている事だ。
卒業から25年ほど経った中学校の同窓会の席上で、同級生から面と向かって真顔で言われた事がある。「昔あなたから『この低能の豚野郎!』と言われた時は、家に帰っても悲しくて本当に死にたくなりましたよ。」四半世紀を過ぎて…

己の関心事と民意のずれ

連日テレビや新聞は、素人には全くわけのわからない外交問題を取り上げて騒いでいる。テレビに出演する人は例外なく恰も自分が総理大臣であったらもっと上手い外交をするみたいな言い方である。小生も現内閣の外交が余り旨い具合には言っていない事は認めざるを得ない。官僚との関係もそんなにハッピーなものでもなさそうだ。しかし、これだけ張り扇ぎで内閣の足を引っ張ると、喜ぶのは誰かな、との思いが強くなる。
解散して民意を問うべきとの意見が、如何にも尤もらしく語られる。何を民意に問うべきなのか、総理や閣僚が馬鹿だからか?我が妻もよくそう言う。しかし現政権が倒れたらどうなるのだろう?どこにもっとましなお利口さんがいるのだろう?今回の中国やロシアとの騒ぎは、正直なところ国を二分して大騒ぎをする問題とは思わない。自公政権だったら起こらなかったし、起こったとしてももっと上手に処理したような言い方はすればするほど、相手国が喜ぶだけの事だろう。
小沢一郎氏の政治と金の問題にしても、目くそが鼻くそを笑うような騒ぎが続いているが、どうでも良いじゃないか。85%の国民が国会で説明を求めていると言うが、その国民の皆さんは何を聞きたいのだろう?識者の皆さんは「どうして政治にそんなに多額の金が必要か?」説明を聞きたいとの事だが、聞いてどうするのだろう?金の掛からない方法を教えてやるのであれば、直接言えばいいじゃないか。なんとなく政治の舞台から小沢氏を追放したいなら、それこそその理由をこちらが聞きたくなる。政治関連のニュースは疲れるばかりだ。
面白くない話ばかりだなと思っていたら、昨夜NHK7時のニュースで面白いネタが流れた。何故細川元総理が1994年のある夜唐突に国民福祉税7%構想を打ち出したかについてだ。当時の大蔵事務次官斎藤次郎氏による秘密メモの存在で明らかになったとの事。内容は当時米国からの減税要求が激しくて、これを受け入れる代わりに消費税の増税を苦肉の策で打ち出したものの、これが原因で内閣自体が潰れてしまい、減税だけが残って国の借金が増えるもとになったとの事らしい。
ま、昔から日本はアメリカの属国みたいもので、アメリカの言う事だけを聞き続けてきたのだろう。きっと月曜日の今日になれば各報道機関が追随して騒ぐだろうと期待したのだが、これをフォローしているところは1社もない。不思議に思って調べてみると、これは昨夜遅く…

秋日和は大掃除が似合う

穏やかな温かさに包まれ本当に素晴らしい秋日和だ。東京で昼間空がこんなに透き通って見える日は1年にそう何日もないだろう。仕事も暇だし、ぼんやり過ごしていたが、思い立って仕事部屋を少し片付ける事にした。来年3月には、この築30年以上で木造モルタル造りのぼろアパートが取り壊しになるので、立退きが決まっている。次の行く先は決まっていないが、こんなに天気が良いので部屋を整理して少しさっぱりしたくなった。
狭い部屋なので出来るだけ荷物を増やさないように気をつけてはきたが、昼間だけとはいえ7年間使っていると否が応でも荷物が増えている。やはり一番気になるのはパソコンである。狭い空間にデスクトップが2台とノートが1台、押し入れにもう1台ノートが入っている。その他にスキャナ件プリンターが一台とリンクステーションやらルーターがあるので、配線を見ているだけで汚らしい。この中からデスクトップを1台スタッフの家に引き取ってもらう事にした。
仕事部屋を開設して2年目か3年目に導入して、後からメモリを増設したりしてスタッフの専用としていたのだが、最近はスタッフの自宅の環境が整ったので自宅作業が多くなっていた。スタッフも使いなれた機械なので喜んで引き取ってくれる事になった。梱包されていた箱も処分済みだったので、早速ヤマト運輸を呼んでパソコン宅急便の集荷を依頼。デスクトップはモニターが別配線になっているので、1台片付けただけでも大分さっぱりした。
昨日は友人からは忘年会の案内が舞い込むし、今朝テレビからはクリスマスソングが聞こえ始めたところで、部屋なんぞ片付けてさっぱりしたものだから一気に年末モードか。これが片付いたら、年賀はがきの印刷や歳暮の手配もせにゃならんな。昼ごろは相当のんびりした気分だったのに、ああ嫌だ。月日の経つのは何と早い事よ。

孫の誕生日

昨日は一番年下の孫と末の弟の誕生日だ。娘夫婦二組がそれぞれ孫をつれて遊びに来た。満2歳になった孫は未だ日本語は喋らないし、未だおしめもしたままだ。しかし元気だけはすごい。外を歩くのが大好きという事で一緒に散歩に出かけたが、保護者が手をつなごうとしてもどうしても聞かない。捕まえてもすぐに振り切って走り出すので、親は大変だ。何を言っているのか理解できないが、母親似の大声をあげたり、馬鹿笑いをして悦に入っている。食欲も旺盛だし出すものもしっかり出している。来年の今頃はもっとコミュニケーションが取れる事だろう。
午後は小学6年生の孫と池袋に本を買いに出かけた。1時間ほど前に2歳児の散歩に付き合ってはいたが、朝から飲んだり食ったりしたので、腹ごなしに歩いていく事にした。びっくりしたのは、歩く速さだ。孫が我が家に来る時は、いつも池袋からは車かバスなので「ええ、歩くの?」と一瞬嫌がったのかと思いきや、歩きだすとこちらがついていくのに息が上がった。普段凡そ30分で歩くところを25分位で歩いてしまっと思う。小学生と思って馬鹿にしたのが間違いだった。やはり若さの持つエネルギーは括目すべきものがある。
自分では日頃トレーニングをして鍛えているつもりでも、年に勝てないとはこの事かとしみじみ実感した。もう一人中学1年生の孫が居るのだが、彼はバスケット部に入っていて試合のため来る事が出来なかった。弟に言わせると、彼も毎日練習でみっちり運動しているらしい。二人とも勉強の方はあまり話題にならないところみると、たいした事は無いのだろう。しかし丈夫に育つ事が一番だから、そこのところを余り突っ込んでも仕方がない。池袋の本屋では目的のゲーム攻略本が無かったので、コミックを1冊買うことで代わりとした。

読後感「龍馬を超えた男 小松帯刀」原口泉著

これまであまり有名ではなかったが、一昨年のNHK大河ドラマ「篤姫」の準主役で登場して一躍有名になったようだ。勿論小生もごく最近まで知らなかった。小生が知ったのは、民主党元幹事長の小沢一郎氏が記者会見か何かで、「明治維新の立役者の中で特に尊敬すべき人」として名を上げたからである。今ではすっかり有名になり、正に維新の立役者として評価を受けている坂本竜馬も、明治16年迄は全く無名の人であったらしい。
小説などの影響で、明治維新は西国下級武士の志士達によるクーデターと思われがちだが、そうではない事を教えてくれている。それはそうであろう、盤石の構えをもって250年の長きにわたった徳川幕府の行政統治機構を組み替える大技が、若干の流血があったにせよ1年や2年で達成できたのは、西郷をはじめとする数人の個人の力だけではあるまい。しかし、学校の歴史では教えないし、知識の吸収が小説等に頼らざる得ない現状ではどうしてもそのように錯覚してしまう。
本書はその認識の間違いを訂正するに非常に役に立った。維新を推進したのは江戸時代の藩で言えば薩摩と長州、この二藩が土佐の脱藩志士坂本竜馬の活躍で、薩長連合を結ぶ事によって成就する事が出来たと相場が決まっている。一見したところ結果からすればその通りなのだが、他藩の脱藩志士や殿様が名前も知らない下級武士(西郷隆盛)数人によって、石高で言えば何十万石、武士の人数でも数万人の藩組織が動く筈はない。指摘をされればその通りである。
特に、長州と薩摩では藩内の事情が全く異なっていた事が重要である。前者は明治維新前に既に藩内で一種のクーデターがあり、既に高杉晋作等によって下級武士がが実権を握り、百姓町民が参加する革命軍創設に迄進んでいた事情がある。一方薩摩は維新の最初から最後まで藩としての意思決定があり、それに基づいての行動であった。
主人公の小松帯刀は維新達成直後の明治3年35歳の若さで世を去るが、小なりと言えど九州の一領主の子として1835年に生まれ、ペリー来航の翌年には若くして島津斉彬の奥小姓として仕えて薫陶を得る。23歳の時斉彬が亡くなり久光の代になると、その才能と外交手腕を買われて側用人から家老にまで出世していく。本書は出世物語ではなく、明治維新前夜の動乱期に薩摩藩重役の小松が藩と日本国の行く末をどのように見据え、どのように動いたかを考証している。
一口に言えば国…

豊島区囲碁大会

いつもの日曜日は午前中にプールで水泳、午後は碁会所で遊ぶと決めている。昨日は行きつけの碁会所席亭から是非出てみろと勧められて、午前中から区の囲碁大会に参加した。池袋にある勤労福祉会館のホールに、見学者を含めると150人以上の人が集まり壮観である。開会に先立っては区長さんやら区議会議長さんの挨拶まであって、大会が盛り上がった。試合開始は午前10時、子供の部から、級位者、初二段、三四段、高段者と5クラスに分けての戦いとなっている。
小生は二段ということで初二段クラスにエントリしたが、総勢30人ほどいただろう。午前中に2局打った後に支給された弁当を食べて、午後又2局打たなくてはならない。一種のトーナメント方式で、1局負けても負けた者同士で打つ事が出来るスイス方式と言う奴らしい。
難しい点数の計算があるらしいが、全て立教大学囲碁部の青年が事務局でやってくれた。時計は使わないが、1時間以内に勝負を決める必要がある。普段の遊びでも1時間は少しきつい。まあ勝敗にはあまり拘らないで気楽に打つ事にした。1回目はさすがに緊張してしまったが、相手の人も同様だったようで、辛うじて勝つ事が出来た。2局目は思い切って打ったつもりが、逆目に出て負けてしまった。
午後に入ってやっと平常心になったのだろうか、2局連勝する事が出来たので、結局3勝1敗。4連敗の人が居れば当然4連勝の人もいるだろうから、賞を貰えるとは思っていなかった。ところが、終わってみると、事務局の人が「3位の入賞者が4人出ました。お名前を呼ばれた方は生年月日を仰ってください。」との事で、小生の名前が呼ばれた。生年月日を告げると、ななんと、最年長との事。目出度く3位に入賞してしまった。
賞品の<あられ>が入った立派な箱を頂き帰宅。明後日は孫の誕生日で娘夫婦が来るとのことなので、床の間に麗々しく飾って自慢する事にした。会費は1500円で、いつもの碁会所より600円高かったが、昼に弁当は出たしお土産付きとなると、「最高じゃないですか」と婆さんに褒められた。