2021年2月28日日曜日

ともだち関係

 近くに廃校になった小学校があり、保育園と有料老人ホームに変わったが、校庭だけは未だに区の財産となっているようで、休日は子供の遊び場になっている。今日も賑やかな声に溢れているが、片隅にはお母さん連中が子供数に近く、かたまって子供の様子を見守っている。大人の中にはお父さんもいるが、こちらはだいたい子供遊び相手か、運動を教えたりしている。従って子供と大人の数に大きな違いが無い。たまに高校生らしき生徒がバスケットボールに興じていたりするが、小学校高学年や中学生らしい姿が見られないのが少し残念。

娘のところにも来月には小学校を卒業する孫がいるが、ある程度大きくなると勉強が忙しくなるので、友だちと遊ぶ機会が少なくなるのかもしれない。我々の時代と異なり、小さい頃、遊ぶときも親に監視されているのは悪いことではないかもしれぬ。親も、子どもたちがどんな友達と遊んでいるかを知ることも大切なんだろう。そういったことは重要だと思うが、経験を踏まえて思うのは、人生で遊びは知恵の発達や人格形成非常に重要だったということ。

ちゃんとした学校教育を受けているので、本来学校でそういったことが身につくはずが、ひねくれ者だったせいか、学校教育より遊びを通じてそういったものが身についたと思っている。未だに付き合っている子供時代からの友達の間では、「遊ぶときくらい真面目にやろうぜ」が合言葉で、他人に迷惑かけない、遅刻しないが鉄則になっている。当然ながら何をしても割り勘が原則だが、最近はた、またま出世して金持ちになった友人が「今日は俺のおごり」と言ってくれれば喜んでゴチになる。

教室だけでは本当の友情は育めないだろう。一緒に遊び一緒に食事をした仲だからこそと言うことは何かある。めったに無いが現役時代は友人に頼み事したり、されたりしたこともあった。そんな時は互いにすぐ反応して、共に喜んだりしたこともあるが、うまくいかなかったこともある。でも友人であれば断りも淡々としたもので、付き合いには何の変化も生じていない。その友人が一人去り、また一人去る、この寂しさは何とも言えない。

話が飛躍するが、内閣広報官が処世術として「私は飲み会を断らない女です」と語ったことには、公務員の倫理規定に反していても一面の真理はある。頭が良くて飲み会も断らないなんて最高のおばさんだ。むしろこれを喋った会場が超教育協会と聞いたことがない団体だったので、新興宗教かと思ったらIT関連団体を纏める団体のようだった。総務省が作った団体かもしれぬ。彼女にしてみれば位階人臣を極め食うにも困らないだろうし「さっさと首にしてちょうだい」と言いたいだろう。

2021年2月27日土曜日

女性活躍の時代

 季節が一進一退するのは仕方ないことだが、今日は寒の戻りで朝から一日中寒い。春よ来い~早く来い~の心境だ。凌ぎやすい時期が早まるのは万人にとって有り難いこと。緊急事態宣言解除も明日には6都府県で1週間繰り上げの解除。恩恵を被る99%の人は大歓迎だろうが、一握りの医療専門家は反対を表明している。政府は専門家会議に諮問の上での決定と胸を張るが、諮問会議内の議論は全く藪の中。反対意見もあるのだから、せめて最終意見の取りまとめ結果を数字で示してもらいたい、との意見を聞いた。至極もっともなことだが、当たり前のことが行われないのが日本行政の特徴だから仕方ないだろう。

政治家や高級官僚を真似て、聞こえてくる意見を自分に都合よく解釈していたら我が人生はどうなっていたか?相当悲惨なことになったに違いない。今でも我田引水的解釈が皆無とは言わないが、出来るだけ親兄弟や友人知人の意見は素直に受け入れるよう努めたい。不思議なもので、自分勝手な思い込みで突き進んで、結果ろくでもない目にあったことは数しれぬが、他人のアドバイスに従って損をした経験は少ない。強いて言えば家内が残した株を株屋の言う通り売買して、3年足らずで殆ど失ったことくらいかもしれぬ。しかしこれも貴重な勉強と思えば良いかもしれぬ。

政権は何かと混乱を極めていて、女性に救いを求めたいようだ。男性と女性を区別して考えるのは悪だとする説もあるが、明確な違いがあるのだから、やはり区別して考えるべきだ。女性の平均年齢が男性より長いのは誰にも否定できない。勝手に思うと、一は、神経の図太さがあって、ストレスが少ないこと。二は、脳みその構造かどうか知らぬが男性より少し賢いこと。この二点は誰も言わないし、科学的根拠が無いことは言うまでもない。

但し、男性にも共通して言えると思うが、賢いと言っても変に頭が良すぎると、良くないこともあるらしい。頭が良すぎるとはどんなことか知らないが、先ず記憶量が抜群に良いといいうことは言えると思う。当然分析力にも優れるだろう。しかし、この手の人は同じような種類の人に騙されやすい傾向があるらしい。その典型が既に死刑が執行されて死んだ麻原彰晃とのこと。彼に騙された男女には頭の良い人が多かったとのことだ。

誰から聞いたかと言えば佐高信氏、作家だと思っていたがwikiには評論家と書かれている。彼が昔麻原を直接取材した経験があり、麻原が話し始めると一時間以上森羅万象について滔々と喋り続けて留まることがなかったそうだ。多くの秀才が騙されて信者になってしまった。自信のある人は、何かの拍子で騙されたつもりはなく乗せられてしまうことには注意が必要らしい。自信満々の女性がこれからますます活躍することを期して待とう。

2021年2月26日金曜日

認知症と脳溢血の間

 これもやや勝手な思い込みかもしれぬが、老人独居の唯一良いところは認知症になりにくいのでは、と思い始めている。死ぬのも怖いが、認知症の実態も分からないので、これに対する恐怖心も否めない。しかし毎日朝から晩まで心配事(主に食い物のことではあるが)に追われ、夜になると疲れて寝てしまう。認知症は昔ボケと言われた症状と理解している。確かに読書の途中でよだれを垂らして居眠りすることが無いとは言わないが、ボーっとしている暇はあまり無い。日に一度必ず外食をするが、飯屋で一人で酒を飲んでいる人を見かけても最近は羨ましく思わなくなった。

自分で勝手に決めている時間割がいつも頭にあるので、時間を無駄にできないようになり始めているからだ。むしろ昨日少し気になったのはおかしな頭の痛み、散髪をしていて床屋さんが頭を触ると左側感じが普通でない。帰宅してから自分で触っても少し痛みを感じる。昔、父も大分歳がいってから脳梗塞に2回襲われたことがあったと聞いたことがある。あまり几帳面になりすぎると、ボケない代わりに脳血管に異常を来しかねないかもしれぬ。これも御免被りたいので出来るだけ無理はしないようにしているつもり。幸い今朝になると変な頭痛もあまり気にならなくなった。

ともあれ日常的に心配事を抱えていればボケずに済むのでは思ったりしているが、医学的に立証は難しいだろう。もう1点は毎日少しずつ新しいことに挑戦したり感動するのもボケ防止の一環だ。為に報道も歳の割には毎日文字でも読むし、テレビもよく観る。内容はすぐ忘れたりするが、それでもお陰で日々新たな気持になることも出来る。残念なことは昨今の状況だから余り明るい報道が無いことだ。コロナ禍のご時世で仕方ないかもしれぬが、対応に当たる政治家と官僚が酷すぎる。

対する一般市民は涙ぐましいほどに政府への協力を示している。こちらに言わせれば、なんで皆さんあれほどまでにマスクと手洗いに拘るのかね?マスクせず往来を闊歩して店に入る際は入り口に用意されている消毒薬で手を洗わずに入店しかけて制止されるおっさんは自分以外あまり見たことがない。店の方も営業時間は厳守し、嘗て何度も通った店がいくつも閉店に追い込まれている。変わって繁盛しているのがネット通販とやらで、我が家の郵便受けにもチラシが毎日入っているし、街は大きな荷物を背負った自転車やバイクやたらに多く、危なくて仕方ない。

コロナ騒ぎは始まってから既に1年を超えた。伸びてきた産業が在宅勤務のためのリフォーム業や配達業では洒落にもなるまい。昨夜のテレビではノーベル生理学・医学賞受賞した大村智氏の薬がアメリカでコロナによく効くと、政府コロナ対策の専門家が発表した、との報道があった。しかし番組に出演していた自民党コロナ対策本部の武見敬三氏が述べたのが、日本でそれを認められない理由の数々。昔からできない理由だけを言う奴は信用しないことにしている。

2021年2月25日木曜日

言語空間

 拙文を綴りながら思うのが言葉の乏しさだ。記憶にある言葉の数は非常に多いようにも思うが、己の考えを十分に披瀝出来るほどには多くない。逆説的になるが、知っている言葉の多さが思考を薄めている気がしないでもない。現在使っている言葉の多くは明治維新後に使われ始めたものが多いらしい。使われ始めたと言うより、むしろ明治以降に開発されたと言うべきかもしれぬ。開発の功労者1番手は軍隊とのことだ。軍事に与る軍隊では意思伝達の円滑化が最重要課題であるのは現代でも同じこと。

青森出身者と鹿児島出身者間であっても、命令が即座に理解されなくては軍事は覚束ないことから簡潔で覚えやすく理解しやすい言語が多く製造され、その後これが徐々に全国に拡大したと言われている。なんで読んだか覚えていないが、江戸時代の武士たちの訓練は主に個人的修練であったが、明治以降は個人的には鉄砲など触ったこともない一般国民を軍人に仕立てて集団行動を取らせる必要が生じたのだから当然だろう。富国強兵の一方は経済、即ち産業殖産で、これも諸外国から輸入した方策が用いられたから外来語の直訳や外来語そのものが日本語化する傾向も強まったはずだ。

かくして僅か1世紀半の間に日本語は膨大に膨れ上がり、遣い方や話し方も江戸時代とは大分変わったはずだ。そして実際に使用される言葉の殆どが明治以降に開発された言葉になってしまった。それが証拠に、我々は維新前後の文章を理解するのが容易でなくなっている。勿論祖父や曽祖父が生き返ってテレビや我々の会話を聞いたらどうだろうか?おそらく半分と理解できなくても不思議はない。近代の先進国にも古語と現代語の違いはあるだろうが、日本ほどの違いは無いと思う。

日本ではこの1世紀半のちょうど中間点で世界大戦の敗戦と言う大事件が起こり、その結果明治維新に劣らない舶来語の洪水に見舞われているからだ。社会に出たばかりの頃、日本人は飽食の中の栄養失調と言われた時代があったが、現在の言語空間はまさに酷似している。国会審議などで分かる通り、いい歳をした大人が意味不明の発言をして平然としている。これを伝えるマスコミも何万語を費やしても、それを正す術を持たないようだ。

兎も角言語は少ないほうが良いに決まっている。自分で考えるにせよ、相手に伝えるにせよだ。この場でも連日1000文字以上を綴っているが、考えが的確に纏められたと確信できる日は稀のことだ。江戸末期までの教養人達は、手紙せよ考えを文章に起こす際は、先ず自分の考えを確認した上で向かったものだろう。どんなに短文であろうと、主語や目的語や結論が曖昧であったりすることは自分に対して許されなかったと思う。当然ながら受け止めにも同じことが言える。江戸末期から明治初期にかけて外交が思ったより円滑だったのはそのへんに原因があるかもしれない。

2021年2月24日水曜日

たそがれ時

 信じがたいことだが、アメリカバイデン大統領に時折認知症の症状が出るという話もある。彼よりは年齢的に上だが「俺は未だ大丈夫」と信じたい。しかし自覚できないのがこの症状の特徴らしいので、他人から見れば時折同様な兆候が見られることもあるのだろう。小学生時代からの親しい友人が、最近老人ホームを本気で探し始めているらしい。社会的には未だ現役経営者であるにも関わらず、最近身辺整理に忙しいと言っている。

何れにせよ人生の黄昏時期に入っていることだけは間違いない。若い時から「黄昏」描いた映画や小説を観たり読んだりして、そんなものかと漠然と抱いていたイメージと現在を比べると、大分違う気がする。尤も同じく若い時読んだ青春小説や映画、例えば石坂洋次郎の「陽のあたる坂道」とか映画の「青い山脈」なども現実世界とは大分違っていたから現実とはそういうものかもしれぬ。

友人のように現実を直視して将来に備えることが重要に違いない。幸い昔から身軽が好みだったので、所有金品は余り多くないし、家内が亡くなってすぐ、娘を呼んで身の回りについては一通りの説明をしているので、身辺整理の必要はあまり無いと思っている。娘への説明後に増えているものは大して無い筈だ。普段文明の利器なるものをあまり褒めないくせにパソコンの有り難さだけは認めない訳にいかない。昔であればブログは日記のようなものだろう。

もし日記を晩年になって書き始め、10年以上となったら、遺族はその処理に結構な手間やら神経を使わねばならない。パソコンの中は昔で言えばゴミの山だが、葬式用の遺影を探すのも簡単だ。専門業者に依頼するまでもなく子供や孫たちが簡単に消去も出来るだろうし、遺品としては、一昔前まで使用していたデスクトップ型とは異なり、ノートパソコン1台の占める容積などたかが知れている。

日本人はご来光に手を合わせるとか、万歳などして朝日を尊ぶ人が多いと思う。小生もどちらかと言えば今まではその口だった。一方外国では夕日を尊ぶ人が多いそうだ。中国でも欧米なんかでも同様らしい。日本でも「黄昏」の漢字を当てているから、太陽は昇る時より沈む時の方が見る人に感動を与えるのが自然なのかもしれぬ。

昔から「棺を蓋いて事定まる」と言われる通り、人間の真価は本人亡き後で他人が決めるものだ。我が生涯を評価するのは葬式に参加する親族だけではないだろう。その誰からも、好き勝手な生き方をした割に他人様にも余り迷惑を掛けなかった、と言われようになりたいものだ。

2021年2月23日火曜日

あと1ヶ月

 朝テレビをつけるとルーティンの番組が出てこない。改めてカレンダーを見ると本日は休日だった。天皇誕生日は時代の習慣が抜けず、つい現役ゴールデンウィークの幕開け時期と錯覚してしまっている。30年以上続いた平成時代を中抜して昭和時代の記憶が出てきてしまうのは、随分年寄りになったという事だろう。

天皇のお名前も「徳仁殿下」と書かなければならないが、すぐには出てこない。困ったものだ。テレビでは何度も拝見しているからご尊顔はよく承知していても、直接間近で拝顔の栄に浴したことはない。今日で満61歳になられるそうだが、すごく若々しい。結構なことだが、印象が若いので天皇陛下と尊称を付して呼ぶのがくすぐったい気がする。

しかし天皇が国民に向け発するお言葉は、どんな時であっても深く考えられたことを思わせる。上皇ご夫妻教育の賜物で、上皇が退位を決断された理由が偲ばれる思いだ。コロナ禍の最中だから公式行事へのお出ましも少ないだろうし、まして山登りやスキーなども今シーズンは殆どなさってないだろう。

普段は相当お忙しいだろうが、今年は普段と異なり当然我々と同じように暇を持て余しておられるかもしれぬ。気晴らしに毎年恒例にされていた3月末のご一家で奥志賀行きはが緊急事態が解除になって可能になるかもしれぬ。

毎年テレビで拝見しているが、愛子さんもスキーは相当上達されているから行きたい気持ちは強いはずだ。せめて母子だけでも奥志賀に行かせてあげたい。1日中ボーとしていたら、最初の就職先の後輩が1年ぶり以上くらいで電話をしてきた。何事かと思ったら、来月桜の咲く頃には緊急事態も解除になるでしょうから、また小生を囲む会を設定するので頭に入れておいてくれとのこと。

もちろん嫌はないが、なんとも気の早いことだ。5人位に声を掛けているようだが、最近ビヤホールなんぞ行ったことがないが、少なくとも行きつけのレストランで5人以上で談笑している風景は見たことがない。皆ストレスが溜まっているのだろう。気安く了解との返事をしたが、果たして実現するかどうか半信半疑だ。

2021年2月22日月曜日

電気の闇

 つい先日まで寒い寒いと思っていたのに昨日今日はまるで初夏のようで、歩くだけで汗ばんでくる。アイスランドやヒマラヤの氷河が消えていく一方で、寒さとは縁が薄いアメリカのテキサスでは寒波の影響で死亡者が出ただけでなく、家屋の被害も大きい。主に水道管破裂によるようだが、寒波が続いているので破裂で吹き出した水がまた凍って、被害を大きくしたらしい。

多少の寒さは屋内の暖房で凌ぐが当たり前のアメリカ人らしいので、電力がストップすると大変なようだ。詳しいことは分からないが、テキサスの電力事情がこれまた特別なようで、州内のクローズサーキットになってるらしい。何事も己のテリトリーさえ良ければ、と言う考えは結果的に自らの不幸を招く典型だろう。なんて言っても我が国も少し前までは、大井川を挟んだ東と西で、電力の融通ができない事情もあったっけ。

理屈は分からないが現在は兎も角融通しあえるようにはなっているらしい。電力はどこの国であれ、水道の次くらいに重要なインフラ、家庭にとっては死活的なライフラインだ。毎月請求される電気料金に因縁をつけて、値下げ交渉をするなんて大それた考えを持つ人は皆無に近いだろう。エネルギー問題と言えば専ら脱炭素で、庶民は関係無いが如くだ。しかし電気料金は税金ではない以上、値下げを求めるのは消費者の権利。

事業者の電力会社や経産省の役人に言わせれば、そういった競争条件、即ち消費者からすれば選択肢は提示しているとの答えが返ってくるだろう。これが例によってまやかしそのもの。大本のところで新規競争会社が参入できない構造になっている。自家発電装置を設置している人や自宅近くで小水力を利用して自家発電をしている人に聞いてみると良い。多分設備の設置費などを勘案すると大した節約になっていない可能性が高い。

最新式の電池を利用するスマートエネルギーも、地域的な広がりがどこまで行くかが問題だが、基本的に消費者の立場に立った電力行政は未だ不十分。経済産業省とは名前通りで、産業界の育成だけを目指している。確かに、国内いたる所に電線を張り巡らしたのは電力会社であることは間違いない。この所有権が未来永劫変わらないとすれとすれば、電気をケーブルに頼らないで送る方法を誰かに考えてもらうしか無い。

雷様に出来ることが人間様に何故出来ぬのか、昔から不思議で仕方ない。意味不明なタイトルをご理解願えればありがたい。

2021年2月21日日曜日

チャンピオン

 昨日は恒例リモートミーティングが始まる直前に、全豪オープン女子での大坂なおみさんの優勝が決まった。昔から妻が「あなたが観ると応援している選手がミスをすることが多いから、あっちに行って。」と排除されることが多かったのと、言われるまでもなく元来気が小さいので、大決戦となるとドキドキしすぎて観ていられない。昨日もそうだった、第1セット終了間際で観ていられなくてチャンネルを変えてしまい、変えたチャンネルのニュース速報で優勝を知ったほどだ。

従って優勝インタビューも生では観ていない。ミーティングは当然のように彼女の話題から始まった。強くなったとか、成長したのは技術面より精神面ではないかとか、今日テレビの解説者が言ってるようなことが一通り出たが、優勝スピーチも話題になったので、観てなかった者として恥ずかしかった。この冬海外で活躍しているスキージャンプの選手にしても同じらしいが、最近は若手が活躍しているのでインタビューやスピーチを英語でこなす選手が増えているらしい。

これと比較するに、政治家と男子ゴルフ選手がご粗末らしい。最近ゴルフ番組は全く観なくなっているので知らなかったが、松山選手チームが殆ど日本人で構成されていることにいたくご不満の向きもあった。ゴルフ選手は殆どスピーチする光栄に浴する機会がないので分からないが、政治家は英語が堪能だと言ってもたかが知れている。なぜ韓国人のようにならないのか、皆不思議がっていた。これは歴史に培われた民族性故だろうと思っているが、説明に足る確証がないので、主張はしなかった。

政治家の場合、挨拶の際に使用する言語は、むしろ日本語の方が良いと思うが問題はその内容だ。G7のテレビ会議で菅首相は「オリピック問題について出席者全員の賛同を得た。」としているが、海外ニュースで確認する限りバイデン大統領がこれまでの主張、即ち科学に基づいた判断をすべきを翻したとは伝えられていない。菅首相だけではないかもしれぬが、どうも日本の政治家は自分が希望を述べれば、聞き手はそれを了とて受け止めた、と都合よく解釈する傾向がある。

そんなつまらぬことはどうでも良いが、昨日世界中で大坂なおみのような人間になりたいと思った少女や少年は勘定できぬほど居たことだろう。翻って思うに、菅首相のような政治家になりたいと思う少年や少女が日本にどのくらい居るかが気になるところだ。新しいオリンピック委員長は女性アスリートの橋本聖子参議院議員、政治主導のオリンピック強行がますますはっきりしてきた。これが実現できるかどうかは、現政権の世界的政治力に関わる筈。

神風ならぬワクチン頼みで実現されれば目出度い限りだ。

2021年2月20日土曜日

新鮮味

 昨年くらいまでは毎晩のように観ていた気もするが最近観る気が段々しなくなってきたテレビ番組の一つにBS・TBS「報道1930」がある。司会やレギュラー出演の解説者堤伸輔氏に不満は無いが、ゲスト出演者が同じようなメンバーで面白みが薄れ始めた。1時間15分番組ではあるが、最近は半分観れば良い方で30分位で切り上げ、寒さしのぎに早めに風呂に入って早寝してしまうことが多い。

ところが昨日は珍しく居眠りもせず最後まできっちり観てしまった。偏にゲストが珍しい人物だったからだ。普段は政治色を考慮してだろう、ゲストを与党系と野党系の複数人たてるので結局何を言いたいかはっきりしなくなる。これが番組をつまらなくしている。昨日はゲストは二人だったが、一人はお笑い芸人でもあるパトリック・ハーラン氏で、彼は金曜日の準レギュラー解説者でもあるのでゲストは実質一人だったとも言える。

それが前駐米大使の杉山晋輔氏だった。これまでも元中米大使は何人もゲストで出演はしているが、誰もが余りはっきりした事実は話したがらない。杉山氏もこれからテレビ出演の機会が増えてそうなるかもしれぬが、少なくとも昨日は違っていた。氏は2018年1月末に駐米大使に就任、トランプ大統領に信任状を奉呈、先月のバイデン大統領就任式に出席した後に帰国、2週間の隔離期間終了後、やっと娑婆に出たばかりとのこと。

何度も観ている元駐米大使の爺さんたちとはかなり異なり、物言いがはっきりしている。多分スタジオ番組初出演ということで念入りな打ち合わせや準備をしては来たのだろう。それにしても声が若々しい。経歴を見ると未だ67歳かそこらで東大卒でもない。トランプ氏に可愛がられたこともあり、トランプ政権の内幕やホワイトハウスに関する情報をだいぶ踏み込んで話したと思う。特に日本大使館と大使公邸についても知らない話を沢山聞くことができた。

なんでも日本大使館は1974年、時の首相田中角栄氏が溜まりすぎたドルを消費することを目的に、それまでの大使館をまるごと手放して新たに広い土地を購入して新築したもので、ワシントンでも最も贅沢と評判が高いとのこと。要人を招待することを職業とする大使にとってこんなにありがたい事はなかっただろう。アメリカの社会やコロナ化についても、相当はっきりした見解を述べていた。アメリカ社会には社会から見捨てられて生きている人が多すぎて、コロナの死亡者数も45万人を超えたと公表されているが、実際は50万人を超えているだろうとか、大使がここまで言うかと思う発言が結構あった。

彼はそれでも入念に準備したらしく、信任状を放送することは事前に許可を受けてきたと言っていた。ことからすれば話す内容も神経は使ったと思うが、それでも視聴者からするとかなり新鮮であったのは事実だ。現役時代にあるテレビ局の編成課長が「スタジオ番組の命は新鮮さですね」と思い出すような構成だったと言える。

2021年2月19日金曜日

現実と歴史評価

 昨年来、人類は嘗てない環境の変化、新型コロナウィルスとの戦いに直面し、現在も未だ真っ只中に居る。日本も欧米に比べれば比較的被害が少ないと言っても過小評価はできない。現在は全世界的に観て少し沈静化の兆しはあるが、収束には程遠く、気を緩める訳にはいかぬだろう。昔物心がつき始めた頃から約10年間くらい間、第2次世界対戦の終結によって齎された世の中の変化の中を生きてきた経験がある。実際の混乱は大正末期か昭和初期頃からだろうから四半世紀混乱が続いたと見るのが妥当かもしれぬ。今回の騒動はこれにと似たような大きな変化を全世界に齎すかもしれない。

騒動が収まり、世の中が変化すると必ず歴史の検証が始まる。今回は騒動が始まったばかりで収まる時期については見通しも立たない。故に生きているうちかどうかだ。と言うことは、将来この騒動の顛末を検証する小説などが出現したとしても、それを読む機会は無いだろう。昨日夕方池袋のとある食堂で、いつもように早めの夕食を取っていた時のことだ。案内されたテーブルの近くに、殆ど同じ年格好に見える男性3人が、酒を酌み交わしながらの会話が聞こえてきた。

店が未だ空いていたせいもあったのだろう、中の一人が「歴史と現実はかなり大きな違いがあるよ。君たちも観たと思うがNHKの大河ドラマ<麒麟が来る>で明智光秀と織田信長のイメージが変わったのではないかい?」大河ドラマは観たことはないが、NHKが予告編を大量に放送していたので内容は凡そ推察できる。合いの手が入ったりして、話が続いた「先ず明智光秀は謀反人であり、三日天下として評判が悪すぎた。彼はいつの頃からか、京都の山中で落ち武者狩りにあって竹槍で突き殺されたが定説になったが、生き延びて徳川政権のご意見番天海僧正になった説まであるくらいだぜ。」

「また織田信長は現代では戦国武将として評判が高いが、彼は徳川時代には大変評判が悪く、話題になることすら無かった。家康の長男を切腹に追い込んだから、仕方ないかもしれぬが。」3人ともかなり歴史マニアなようで話が続いた。思わず聞き耳を立ててしまったが、話が近代に及ぶと先の大戦になって「東条英機も大悪人とされているが、これもアメリカが日本人に自虐史観を植え付けるために仕組んだ結果で、そもそも陸軍は海軍とは異なり、開戦に反対だったから首相に指名されたのだ。」と少なくともこちらの飯が終わるまで話は尽きなかった。

確かに詮もないことかもしれぬが、現実と歴史の評価は大分異なることが多いだろう。現在経験している今日を将来誰かが論評する時、如何様に表現するかが気になった。安倍政権以来延々と続く清和会なる政治組織は現在民間の日本会議と密接不可分の関係にあるが、これは安倍氏の祖父岸信介氏が立ち上げた政治組織とのことだ。

2021年2月18日木曜日

緊急事態解除が近い?

 コロナ疲れとでも言うべきだろうが、何をしても面白くない。本を読んでもニュース見てもつまらないことばかり。頭の回転がすこぶる悪く、ネット碁をしても負け続き、負ければ負けるほどむきになって余計やめられない。ブログは4時半まで書くことにしているのに、昨日は気がついたらその時刻だった次第。本当に修行が足りないとつくづく思った。

1週間に1度だけのリモートミーティング以外会話の機会が無いのが、精神衛生に悪そうなので。昨夜珍しいことだが次女にこちらから電話をした。次女は旦那が仙台に単身赴任なので、次男と二人暮らし。昼間はアルバイトをしているが、家庭内の会話は少ない筈だ。電話をしても余り迷惑じゃないだろうと想像した。案の定、割合機嫌よく応対してくれたと思う。次男の学校の様子を聞きたかったが、次男は不在だからよくわからない様子。兎も角学校は既に春休みに入っていて母としては「多分4月からは3年生になれそうみたい。」のんきな母だ。

それから地震の話、次女は地震を知らずに熟睡していたらしい。きっと飲みすぎていたに違いない、こちらが大揺れだったことを話すと、「ただ仙台在住の旦那と筑波にいる長男は、両方とも相当揺れたみたい。お父さんの部屋は上から落ちてくる物がないから安心してなよ。」そこでやっと思い出したように「そう言えば、先週の土曜日のこと、次男と朝ごはんを食べながらお母さんの誕生日が昨日だったことを思い出して、急に長野に墓参りに行ってきました。二人だけなので掃除なんかも簡単にしかできなかったけど勘弁ね。」

これにはびっくりした。長女は我が家に来ると、何はさておき仏壇に線香を上げるが、次女は普段そういったことは全くしないからだ。何を思いついたか知らぬが、二人共やっぱり相当暇で退屈してたのかもしれぬ。次女の家にも自家用車が無いので新幹線で行ったらしい。「それはご苦労さんだった。」取り敢えず礼を言うと「良いから良いから、コロナも大分収まってきたみたいだから、そのうち次男と二人でたっぷりご馳走になってあげるから。」

次女の思いもかけなかった行動の話が5分くらいの長電話の最後に出て、「俺もスキーに行きたいとか、来月暖かくなったらハイキングの同行をよろしく頼むぜ。」なんて喋ってやっと不愉快な気分が薄れていった感じだ。小生も他人との会話では元気を装うようだが、来月早々に緊急事態が解除になっても、スキーに行く気が起きるかどうかは怪しいものだ。筑波山ハイキングが精々かもしれない。

2021年2月16日火曜日

教育問題

 年寄りのくせに最近気になっていることがある。株価が高騰しても日本の実質経済が低迷し、働く人の給料が上がらない、若い人に貧困者が増えているようで、所帯を持つのも容易ではないようだ。更に一人親家庭の子供が増えて、子供の栄養失調まで心配になってくる。いろんな要因が考えられるのだろうが、政権がこれをなんとかしようと真剣に考えているようには見えない。「最終的には生活保護なるセーフティーネットがあるので、先ず自助・共助から始めて頂きたい。」が公式見解。

首相自身のお言葉だが、相当な違和感を感じてしまっている。役場の窓口担当者が言うなら理解もするが、社会構造として考える場合、自助から公助への概念は連続して考えることが出来るだろうか?次元が異なることだから連続的に考えられたのでは堪らない。なにか抜本的対策を講じないと、日本は本当にダメな国になってしまう。てなことが先週土曜日の同期のリモートミーティングの話題になり、それぞれ勝手な国家改造論を言い合った。

誰も自分の意見に自信は無さそうだったが、小生は取り敢えず、「教育とエネルギー改革」をなすべきと主張しておいた。勿論確たる自信は無いが、当たらずとも遠からずのつもりだ。エネルギー改革の方は嘘か本当か分からないが、政府も掛け声だけは2050年までに云々と言い始めたので暫くまた様子を見るつもりでいる。問題は教育改革である。たまたま昨夜、その2日前に放送されたTBSの「報道特集]を録画で観ていたら、コロナ禍の大学生がテーマになっていた。

その中で中央大学2年生の(栃木出身だったと思う)女性が都内に一人住まいして頑張っている一方で、同じ一人住まいで埼玉出身大学名は紹介されていなかった2年生男性が、休学に追い込まれる状況が紹介されていた。二人共この1年間で対面授業はゼロ。男性はひょっとすると相当な有名校だった可能性が高い。入学が決まった時には母と手を取り合って涙、涙だったと証言している。彼は結局ノイローゼ状態になって休学届を出して実家に戻り、最近は別の大学受験のため勉強を始めている。

孫の一人が日大2年生のこともあり、身につまされながら観ていた。孫の場合は前期は殆ど対面授業が無かったようだが、後期になって対面が始まったと聞いている。更に自宅から大学が近く、自転車通学ができるので、一人で篭もりきりになる必要がないのも恵まれている。彼には筑波大4年生の兄がいるが、彼は大学院進級が決まったし、大学近くに一人住まいするも、研究室は24時間オープンで、コロナ禍のお陰で学生が減り、サーバーが使い放題なので却って助かっているとのこと。

てなことで、今のところ個人的には大した問題は感じていないが、何れにせよ日本の衰退を根本的に立て直すにはなんと言っても教育改革が重要課題であるのは間違いない。私事に終止してしまったが、この問題は改めて書きたい。

2021年2月15日月曜日

国のかたち「アメリカ」

 ここ僅か2年か精々3年位のことだが、早朝にNHK・BSで「ワールド・ニュース」を観るのが習慣化して認識が随分変わった。特に変わったのがアメリカに関することかもしれない。それこそ子供の頃からアメリカナイズされるように教育を受け、沢山のアメリカ映画を好んで観て、アメリカン・ポップスに惹かれて育った。アメリカに留学はできなかったが、成人になってから数回アメリカ旅行の機会に恵まれて、アメリカ市民とのささやかな交流を通じたりして、40代後半にはアメリカ感が固定化したように思う。近代化、民主主義国家のお手本としてだ。

最近になって、この既成観念が大分間違っているのでは、との疑いがかなり強烈になってきた。最近とはやはりトランプ氏の登場が大きいかもしれない。日本の場合は、外国人が日本を理解しようとする場合、日本をざっと旅行して数人の日本人と接すればだいたい用は足りると思う。ところが、日本人には外国を理解することの難しさがわからない、と言うことにやっと気がついたからだ。アメリカにしても勿論だ。国土の広大さからしても日本人には想像以上のものがある。

それ故かどうか分からないが、彼の国の市民は地域社会への帰属意識が薄いのではと思う。在米が長かった友人が教えてくれた言葉だが「家は売るために買い、会社は辞めるために入社する」(離婚するために結婚するは省略)がある。極論すれば彼の国では地域社会のみならず、人間社会より個人を優先するのだから、3億人近い市民を丸めて理解するのは無理なんだろう。日本人の大半は生まれてから死ぬまでどこかしらの組織に属さなければ人間として認められないかの如くだ。特に家の拘束が強く、嫁姑をはじめとして男性も女性も苦労をされたと思う。

この大きな差がトランプ大統領の誕生に繋がったとすれば、彼が弾劾裁判で無罪判決を受けた今、意気軒昂であるのも分からないではない。共和党上院議員から7人も弾劾を支持する議員が出ようと、院内総務が「弾劾が否決されたのは、手続き上のことで、彼の行動は恥ずべきもので許されることは無い。」と断じようと、先の選挙でトランプ氏に投票した有権者の相当数が未だにトランプ氏を支持する国。それがアメリカなのだと理解するしか無いだろう。

嘗て司馬遼太郎氏が「この国のかたち」なる書を著し、その冒頭でこう述べた。「日本は世界の他の国々とくらべて特殊な国であるとはおもわないが、多少、言葉を多くして説明の要る国だとおもっている。」すべて読んだ記憶もないが、一分は読んだことだろう。我が結論は司馬氏と正反対、日本が特殊なのだ。兎も角、我が国も歴史から考え始めればそれなりに複雑かもしれぬ。しかし現状を見ればシンプルそのもの、家柄に寄る評価、肩書に寄る評価を排して、もう少し個人が際立つ国であるべきと思う。

2021年2月14日日曜日

所得格差

 夜中に尿意をもようして起きることはあるが、比較的熟睡できる方だと思う。しかし昨夜は地震の揺れでびっくりして目覚めてしまった。何時だったか確かめもしなかったが、木造の古い建屋なので、そこらじゅうでガタピシ音がしていた。ボロ屋と言えども我が唯一最大の財産、年金だけで生きていけるのは、偏にこの家のお陰。倒壊せぬか瞬間的に心配したが、揺れが収まると同時に又寝入ってしまった。今朝になって地震が11時8分、10年前の東北大震災の余震で福島茨城県では震度6だったと知った。

昨夜はいつもの高校同期のリモート・ミーティングに参加していたので、就寝が普段より少し遅い10時少し前、眠りが一番深くなる時間だったと思う。それが瞬間的に目覚めてしまったのだから相当な揺れだった。今朝確認したが、幸い家の中も、崩れかかっている僅かばかりの大谷石の塀にも被害は出なかったようだ。

政府もやれコロナだ、オリンピックだと何かと大きな問題を抱え込んでいるところに又新たな自然災害の発生で大変だと思う。リモート・ミーティングでも菅氏の批判で大分盛り上がったが、休みを取る暇が無いくらい働かざるを得ないのは事実で、同情してしまう。報道関係者がことある度に飛び出すのは当然だが、首相が真夜中の1時過ぎにネクタイ姿で記者会見をする必要が果たしてあるのだろうか?家内も地震があると必ずテレビを付けて確認する癖があったことを思い出した。だから昨夜ほどの地震であれば、その必要もあったということだろう。

話が全く変わるが、昨夜のミーティングで友人の一人が、日本の経済が捗々しくないことに関係して財政政策が間違っていると思うが、諸兄はどう思う?と切り出した。彼曰く「財政赤字が増えることに拘りすぎて支出を抑えすぎている。」との見解。彼は工学部出身だが、最近日本の貧困格差問題を憂いて経済学に興味を持ち経済学を勉強したとのこと。行き着いた結論が、日本の場合は財政赤字なんか気にせず、財政支出を増やして景気浮揚を図らねばならない、といつか聞いたような気もする趣旨だった。

早速文系の友人が、それは古い理論で、アベノミクスが失敗したのはその理論に乗っかったせいだ、と反論が始まった。小生も文系ではあるが、経済学については殆ど理解できていないのが事実。だから残念ながら論理的に反論はできない。現政府のお歴々がいかなる経済論理を信奉しているが分からないが、コロナ禍の中で言い出しっぺの工学部出身者が言う通り、格差問題が深刻化して株価の高騰もあり、富裕層がますますお金持ちになりつつあるのは事実だろう。

彼は金持ちになりすぎたことに少し後ろめたさを感じてるのかもしれぬが、幸か不幸かそういった後ろめたさを感じる必要も余裕も無いのが我が家の経済状態。明日の年金支給日が楽しみで、今週は少し美味いものでも食いたい、と思ても精々1500円くらいのところ。

2021年2月13日土曜日

老害

 長野の従妹から手紙が来て、義姉が大分弱っているとのこと。長兄の妻だが独り身になって久しい。コロナ禍で外出の機会が激減して足腰に来たらしい。実家が志賀高原の方で遠いこともあり、兄弟が全員亡くなっていることが重なり、最近は姪なんかもめったに来なくなっていたらしい。昨年暮れにたまたま訪れた近所の人が自宅で倒れていたところを発見してくれたとのこと。コロナ禍は思わぬところに影響している。

年末の入院は10日ほどで退院できたそうだが、電話をすると声が如何にも頼りない。連絡をくれた従妹も未だ見舞いにはいけてないが、電話だけはしてあげてね、とのことだった。オリンピック騒動で「老害」が言われている。若い人から見れば、我々は生きている事自体が社会悪なんだろうか?高校時代は長野市の普通高校は2校だけで、男子校と女子校に分かれていた。それでも進学した男子校には440人ほどの同期生中に女子が居るにはいたが、確か10人に満たず、3年生なるまで女子と同級になったことはなかった。

家庭でも男兄弟だけだったし、結婚後も家内が、男女間には差別はいけないだろうが区別は当然すべき、との意識が強かったこともあり、今でもその傾向に引きずられているのも確かだ。いつも街なかを徘徊して思うのは女性の会話のけたたましさ。女性3人揃えば姦しいとはよく言ったものだと感心している。社会の役立たずだから公職に付く心配もないので安心ではあるが、もし公職にあれば森氏のように長年務めることは先ず不可能で、1ヶ月も持たずに首なるだろう。

日本語には[未熟とか若輩]なる単語はあるが、若害は無い。しかし考えれば、世の中に老人が多いと言ってもたかが知れている。100歳近くなって活躍していた日野原医師とか中曽根元首相なんかが「老害」概念を生み出したが、社会に害を及ぼしている人間は圧倒的に若い人たちの筈だ。今更威張るつもりもないが、マスコミには、年齢差で差別的な報道をしないよう、注意を促したい。その意味でアメリカのメディアは、人種間や男女間と同じように、年齢的なことも差別しないことを弁えているように思う。

2021年2月12日金曜日

コミュニケーション手段

 オリンピック組織委員会のトップ森元首相の発言で、世の中がバタバタと騒がしい。内容的にはどうせ時代遅れの爺さんの話だから、同世代の小生には関心が湧かない。むしろこれを報道するマスコミや、記者会見と言うシチュエーションに興味が行ってしまう。現代は通信手段が発達しているので、世界の要人ともなると喋った内容が瞬時に拡散する。関連することが、高校同期の友人が送ってくれたメールにあったので、考えてみた。友人が送ってくれたのは通信機器の今昔に関する記事。今や電話は家庭の必需品品を超えて個人必携になっているが、少し前までは電話や電報が社会で重要な役割を担っていたと言う話。

我々の高校生時代は電話が各家庭に相当普及してたと思うが、それでも市外通話は容易でなかった。冬休みは志賀高原の山小屋で絵アルバイトのようなことをしていたが、家からの電話は隣の新聞社の山小屋にかかってくる。100m位は優に離れていたが、番人の親父と仲良くしていたので、「長野の家に電話が欲しいそうですよ。」と態々言いに来てくれた。それから郵便局まで行って電話をすることになるが、簡単には繋がらないので、暫くそこで待っていなければならなかったこと思い出させてもらった。

今や国内はおろか国外ですら、Lineなんか使えば無料で即座に繋がってしまう。いわゆるスマホの普及数は人口を凌駕している筈。小学6年生の孫が持っているかどうか知らぬが、中学生になれば間違いなく持つようになるだろう。本当に便利な世の中になったものだ。この便利さが当たり前の若い人にとっては結構なことだろうが、歳のせいもあろうが、余り結構とばかり言えないような気もする。友人や知人と連絡を取り合う時、特に何かについてこちらの意思を伝えるような場合が特にそうだが、何をどのように伝えるか、一呼吸考えて連絡すのが普通だろう。

生来のオッチョコチョイなので、思いついてすぐ電話を手にしてしまうと、用件や意図が明確に伝わったか不安を覚えることもあるし、予期せざる人からの電話に受け答えがまずくなることだって大いに有りうる。東京都の小池知事のように言いたいことはべらべら喋っても記者の質問が気に入らなければ、木で鼻をくくるようなことを言える立場なら良いが、こちらはそうはいかない。常に思ったことが正直に出てしまうので、元首相の森氏にようなことになりかねない。

昔の人は何かにつけ手紙を書いたようだ。しかも同じ手紙を2通書いて1通をを自分の控えとして残している人さえいる。こういったことが、正直な人間を形成するのに役立ち、便利な通信手段の発達が、いい加減な人間の数を増やしているとも言えるかもしれぬ。

2021年2月11日木曜日

建国祭

 今日は目出度い建国記念の日。なんで態々(の)が入っているのか知らなかった。wikiで調べると(の)が入ったのは昭和41年(1966年)らしい。昭和15年生まれだから建国記念日にはある種の思い入れもある。1940年の昭和15年は皇紀2600年と言うことで日本中がお祭り気分だったとのこと。友人には紀男さんや輝男さんが沢山いる。そもそも2月11日は1872年(明治5年)日本国初代の神武天皇が即位した日として定められた。

どこの国であれ国家のスタートを祝う気持ちは同じだろうから、殆どの国が建国記念日を定めて祝っている。日本は嘗て伝説に基づいてそれを決めたのだから、それでも善いと思うが、当時の野党が反対して(の)の挿入になったらしい。今もそうかも知れぬが、野党はつまらぬことで政府の方針に反対するのは褒められない。アメリカの建国記念日7月4日にフィラデルフィアに居たことがある。夏休み期間のせいもあるのだろが、それは賑やかなお祭り気分で溢れていた。

7月14日フランスのパリ祭も同様に有名だが、これも一種の建国記念日と言える。今日はコロナ禍のせいもあるが、コロナ禍でなくても公式な式典も無ければば集会も無い。国旗を掲げる家も殆ど無く寂しい限り。折角休日にしたのだから、何か華やかの演出があったほうが子どもたちの印象に残ったりして善いと思うがどうだろう。普段はジャニーズの子どもじみたタレントが式典に駆り出されて国家を歌うことに賛成しかねるが、お祭り気分を盛り上げるためならそれもありだろう。

先日アメリカ最大のスポーツイベントとされる<スーパーボール>を観てそう思った。我が国には小さな単位でのお祭りが沢山あるが、国を上げてのお祭り騒ぎが少なすぎる。4年に1度のオリンピック開催に10年近い歳月と数兆円に及ぶ経費を掛けるのも結構だが、これより小ぶりでいいから、1年に1度老いも若きも心から楽しめるお祭り騒ぎを期待したい。そのために、いっそ建国記念の日をアメリカやフランスのように春とか夏の初めにしてはどうかな。

2021年2月10日水曜日

道化師

 自分としては毎日真面目な気持ちで書いているが、たまたま読んだ人からすれば公衆便所の落書きと同じと取られても仕方ない。いわば無責任な立場にいることだけは間違いない。しかし同じ隠居同然であっても、公的な立場にいる人はそうはいかない。ましてオリンピック組織委員会々長森喜朗氏(元首相)ともなるとますますのことだ。開催すら危ぶまれるオリンピック、少し飛躍するが先の日米首脳会談で、菅首相は「オリンピックは話題にならなかった。」としてるが、バイデン大統領は「科学に基づいて判断すべきである。」と言ったとしている。(どちらかが嘘を言っている)それはさておき、組織委員会とはそもそもどんな組織なんだろうと疑問が湧いた。

ネットで検索して驚いた。公益財団法人とのことで、国家に認定されているのは確かだが、ひょっとして国家以上の存在であっても不思議が無い。残念ながら我が国には、既に日米委員会なる国家(或いは憲法)以上の存在があることが知られている。これと似ているかもしれぬ。その目的が公表されているので一分を引用する。

「・・・東京2020大会の成功に向けて、組織委員会は、日本オリンピック委員会(JOC)、日本障がい者スポーツ協会、日本パラリンピック委員会(JPC)、東京都、政府、経済界、その他関係団体と共にオールジャパン体制の中心となり、大会の準備及び運営に関する事業を行います。」

国(政府)も主催者である東京都もオリンピック開催に向けた正式な準備事務局は設置されていると思うが、それを纏めて全日本の中心となると謳っている。違和感を覚えない方が不思議だ。当然政府にはオリンピック担当大臣まで存在するが、組織委員会からすれば格下にあるのは仕方ない。担当相は元オリンピック選手でしかも女性の橋本聖子氏。橋本氏が上司に当たる森氏の発言にどんなに反感を覚えようと異は唱えられないだろう。

都知事や首相でさえ、元首相に文句つけられないような仕組みが最初からできてしまっている。これは悲劇というよりむしろ喜劇に近い。我が国は昔からかどうか知らぬが、組織を動かす権力者の上に見掛け上の権力者を置いて、なにかやばい事態に陥った時に、責任をそこに責任を押し付けてしまうことがある。しかし今回は少し異なり、組織そのものが多重構造化しているので余計たちが悪い。即ち全組織が無責任、船頭多くして船が山に登った典型と言える。

組織委員会そのものは森氏の側から仕掛けたことだろう。森氏にどんな思い入れがあったか知らぬが、天皇気取りが公家政府を作り、幕府を乗っ取ったようなものだ。本人の気持ちは分からないが、ドン・キホーテか年老いた道化師を見る思いだ。騒動が拡大しているので何れ辞めざるを得ないだろうが、辞めても後を継ぐ者もいない。混乱だけが深まり、これがきっかけでIOCが大会中止を一日でも早く出してくれれば、それだけ日本の財政的被害が圧縮される筈だ。

2021年2月9日火曜日

退屈ではあるが

 今朝は何となく忙しかった。小学生時代からの親友が珍しく朝9時頃から電話してきたりしたこともある。彼も巣ごもりで手持ち無沙汰になってしまっているのだろう。彼の日常はだいたい承知している。普段は居住する三鷹から浅草橋の会社の事務所まで行って暇をつぶし、外で昼飯を食った後は午後BSプレミアムで映画など観て早めに自宅に戻る。昼飯は会社の近くに行きつけが10軒くらいあり、毎日の通勤途中に中野で途中下車して寄る喫茶店が1軒ある。要するに会社と言っても同族会社で仕事は何も無いのだ。

これがパターンだが、奥方が厳しくて、最近は通勤途中に一服する中野の喫茶店にも行ってくれるな、と止められているらしい。しかし運動不足はかなわないので最近は近くの公園(井の頭公園かな)を散歩することにしてるらしい。そこで「君は現在どう過ごしているのか?」と聞いてきた訳だ。側にやかましい奥方が居ることは有り難いことも多いだろうが、動きを制限されるのが結構辛いこともあるらしい。

年を取れば皆早起きになるようで、彼も早起きしたいらしいが奥方がさせてくれないらしい。5時前に起きるこちらを羨ましがるのだから笑えてくる。こちらは逆にゆっくり寝ることが出来るなら寝ていたいよ。主婦兼業の一人二役だから已むを得ず起きざるを得ない事情を説明。そう言えばそうだなと納得してもらったり、最近読んだ本は?とか他愛のない話ばかりだから彼も相当退屈しているのだろう。

こちらも同じ生活パターンに飽きているのは同じだが、パソコンが使えるだけ未だましだ。新聞やテレビを観なくても世の中の動きはだいたい掴めるし、手紙の代わりにメールという便利なものがある。現代社会でこれ以上便利なツールは自家用車とスマホだろうが、残念ながらこの二つは使えない。しかしものは考えようだ、この二つを10年前くらいから重宝していたら今のように元気暮すことができただろうか?

意外ともっと若い時代に死んでしまっていたかもしれない。特に自家用車が欲しいと思う気持ちには今でも時々襲われる。公共交通機関に頼らず、雪が多いのに客が少ないとされるスキー場で思う存分スキーを楽しみたいとかだ。自家用車が無いことが行動を著しく制限をするが、逆に歩くとを強いるので、身体がひ弱だった現役時代より最近の方がむしろ健康的になったような気がする。身体が弱いくせに無理をしなくなったお陰と思うこの頃だ。

2021年2月8日月曜日

男女差別問題

 今日は母の誕生日だ。亡くなって17年も経つが明治45年生まれだから生誕109年となる。兄弟の誕生日は忘れかけているが、不思議と両親の誕生日だけは忘れずにいる。今月は家内の誕生日も数日後の2月12日だ。母や家内の誕生日になにか特別なことをした記憶もないが、今になってブログに書くのも供養の足しになればと願っている。

ところで、最近日本ではジェンダー問題と称する男女間差別が社会問題化しているが、育った環境が男兄弟だけ5人の7人家族であったせいかどうか、家庭内唯一の女性、母の権限が非常に強かった。また結婚した相手がこれまた徹底した女性優位主義者だった。家内は「世の中で男ほど役に立たない者はいない、だから私は計画的に娘を生んだ。」が自慢の種だった程だ。

女性が得意とする料理や裁縫でも一流となるのは皆男性なのは何故か、と家内に尋ねたら答えがふるっていた。「料理や裁縫は誰にでも出来ることだから、そんなことを問題視してはいけません。」ときたものだ。体力的には男性の方が優れているように思うが、我が家の系統でも女性の方が長生きしていて、我が家だけが例外でとなっている。知性智力では女性の方が大分優れているように思うし、根性とか度胸では兄弟どの家庭を見ても男性より勝っていると思う。

父は自分の血筋を末代まで伝えたかったろうが、少なくとも我が家では小生をもって父の家名は終わりを告げる。しかし面白いことに家内は父の墓に埋葬されることを望んでいた、と娘たちが力説したので、都内の寺で葬式をあげながら、長野の父の墓に納骨するのにえらい苦労をしてしまった。だから小生も近い将来娘たちがどんな葬式を出してくれるか分からないが、恐らく長野の寺に埋葬されるだろう。

そして孫たちの時代になると血を引く縁者は誰も来なくなるかもしれない。しかし墓の中では両親や兄弟と一緒、娘たちは広い世界に飛び出したのだから、それはそれで善いと思っている。兎も角、女性は強く、世界も広い。どうも男性は内に籠りがちで世界も狭い気がしてならない。少なくても小生は、間違っても森元首相のような発言はしないだろう。

2021年2月7日日曜日

日本の食材

 とても2月とは思えない暖かい陽気が続いている。眠さが襲ってきて頭が回らない。一日中食い物のことを考えているか、居眠りしているかの人生でどうしようもないが、実際にそうなのだから仕方がない。昨日同期生とのリモート会議で海外経験が豊富な友人が言っていた。「日本は経済的にだんだん貧しくなりつつあるのは事実だが、食い物だけは世界一で、海外の金持ちがこぞって日本の食材を買っている。米は勿論だが、果物なんかも超高級品だ。それをもっとビジネス的に発展させるシステムがなんとかならぬものだろうか。」

確かにそれは言えてると思う。自動車やゲーム機などははコロナ禍でも伸びているそうだ。農業政策がなんとかならぬものだろうか?買い物から帰ってきたばかりなのでそんなことを思い出したが、後が続かない。

2021年2月6日土曜日

黒い羊

 1週間ほど前に高校時代の友人が「どこの家にもblack sheepがいる」と言った。初めて聞いた言葉だったが「厄介事」の意味らしい。今日はその意味で使ってみたい。我が家にも黒い羊が山ほど居るような気がする。今や一人なので、曲りなりに家と庭があり、その上玄関脇がご近所のゴミの集積所になっている。どこでも同じと思うが、ゴミの収集は月曜日から土曜日まで週に6日あり、出せるゴミは日替わりと決まっている。

ご近所と言っても何世帯が利用しているのかよく知らない。ゴミの収集は日によって異なるが、早くても10時頃の筈だ。毎朝5時半ころ家の前で空を見るのが習慣になっているので、その時刻で既にゴミを出している人がいる。こちらは大抵8時ころゴミ出しするが、向こう三軒両隣の主婦もこの時間帯に出す人が多いようだ。問題はこの前の時間帯7時台にには多くの通勤者が通過してるはずで、中に行儀の悪い人がいて、ネットの外に要らぬ物を投げ捨てて行くことが先ず厄介事。

細かいことは兎も角、主婦業をしながら亭主である自分のためになることするというのは結構大変といえば大変かもしれない。先に奥さんを亡くされた同期生も増えているので、彼等も頑張ってるのだからと想像しながら精進している次第。しかしこんなことは黒い羊にカウントしてはいけないかもだ。むしろ個人的な問題の方が大きそうだ。一番厄介なことは、変に几帳面な性格が抜けないこと。先ず時刻がすごく気になる性格。特に基準として設定しているのが、起床時刻と就寝時刻。

起床は遅くても5時までにはすること、就寝は遅くて10までにはすること。従って睡眠時間は7~8時間に収まるよう気を使ってる。昼間の16~17時間も、最も重視するのが3度の食事。朝飯は自分で作るので、準備から後片付けまで大体2時間強は掛る。昼か夜のどちらかは外食なので、これは往復1万歩以上歩くこと義務付けているので、飯屋の場所にもよるが2時間半から3時間くらいだろう。

残りは買い物だが、これは3日に一度と決めている。だいたい近くのスーパーで間に合うので、往復時間を入れても1時間位。最後にルーティンとなってしまったのがこのブログ書き。これが結構難題で、書き始めて約1時間は掛かるが、テーマを考えるのが一苦労で、歩きながら考えていたりすることもあるので、事故に会わないよう気を使ったりしなければならない。ネット囲碁もルーティン化してるようなものだ。囲碁は相手の欠点を発見するゲームなので性格が悪くなる一方で、これが最大の黒い羊かもしれぬ。

2021年2月5日金曜日

春とは言っても

 大分春めいてきた。梅はもう咲いているかも知らぬが、未だ確認できていない。近くには桜が多いが、枯れ枝に小さな蕾が見えてきた。緊急事態の延長が決まり、来月7日まで市民の自粛が続く。普段の散歩道、千川2丁目の自宅から池袋駅までと都心を比較する意味と、皇居周辺を久ぶりに歩きたくなって今日は銀座まで足を伸ばした。

びっくりしたが、池袋周辺より都心の銀座のほうがh遥かに寂れている。確かに嘗ては外国人と日本中の人が都心めがけて集まるのが当たり前だったことを思うと当然のことかもしれぬ。山高ければ谷深しのたとえ通りだ。飛び込んだ老舗の中華料理店の女将が嘆くのも無理は無い。現在休業している店が廃業に追い込まれるのが見えるようだとのこと。事実この店の並びにあった長崎料理の大型店は既に無くなっていた。

普段の散歩道でも廃業した店は何軒かあるが、銀座程ではないだろう。回転の早いことが都会の特徴の筈だが、廃業店舗の後がすぐには埋まらないようだ。兎に角人通りが少なすぎる。コロナが収束すれば一気に埋まるだろうが、持ち堪えられなく都落ちせざるを得なかった人は、都心を離れて捲土重来を期すしかない。昼食をとった中華料理店はかなりの老舗で、店にいたのがオーナーだとすれば、かなりお年をお召のようだったので捲土重来は無理だろう。まさに打ちてし止まんで必死の形相だった。

本格的春はまだ遠いし、景気も更に悪くなりそうで憂鬱な春だ。

2021年2月4日木曜日

春一番の予感

 島国であることを卑下する人もいるが、島国故の利点もあると思わざるを得ない。古来から大陸の超大国に目はつけられていたろうが、征服されずに済んでいること、極端に言えば全世界を敵に戦争して負けながら、形としては独立を守り、どの国の属国にもならずに済んでいることがある。後者については敢えて形としてと書いた通り、反論があるかもしれぬが今回はご容赦願おう。他にはパンデミックの被害が大陸に存在する国に比べればやや少ないこと。これもイギリスはどうだ、との反論が来そうだがこれも勘弁願いたい。

島国故の独特の文化が発達したのも事実だと思うが、一方で大陸諸国では自然に根付いた文化がこちらになかなか定着しにくいこともある。その一つが日本型民主政治だ。これを小沢一郎氏は次のように断じている。「政治家が欧米のデモクラシーを受験用の知識でしか理解していない。国民主権を国民に代わって実現すべき国会議員のほとんどが、真実の意味や厳しさを知っていない。」言われてみると確かにそうかも知れない。外国人が増えた増えたと言ったところでたったの100万人強。全てが日本国籍を持っているわけではない。

学生時代と言うより社会に出ても、世界には多民族国家なる国が幾つかあって、代表格がブラジルだとばかり思っていた。最近になってやっと民族ルーツの構成が単純である国の方が圧倒的に少ないことが分かってきた。それ故だと思うが、日本は言わず語らずに済む事柄が多くあり、欧米人が夫婦間で「私はあなたを愛してます」と毎日言い合うなんてことは全く理解できなくて当たり前となっている。一方で日本で強調される複眼的思考なんてことは欧米では当たり前すぎるのかもしれぬ。

ノーベル賞を受賞された山中伸弥博士が言うコロナウィルスに強いファクターXは未だ結論は出てないが、日本ならではと言うことがあるのは事実だろう。書きたかった政治問題から話が逸れてしまった。現在日本の政治は久ぶりに相当な混乱期に突入しているように思う。政権与党が失点を重ねてはいるが、諸外国のような社会混乱は起きていない。圧倒的多数の国民はそれでも己の分を弁えて千人に一人か万人に一人かの政治部落の種族の言いつけを守っている。

しかしこれも時間の問題で、今中途半端な態度を取り続けている大手マスコミが政権批判を徐々にするようになると思う。何故ならば、政権内部にも政権批判に回る人種が出始めたからだ。今週テレビ出演した塩崎恭久氏なんかかなりはっきりと言っていたが、これは冷や飯食いの恨み節だとしても、派閥のトップの細田氏や経済財政諮問会議メンバーの新浪剛史氏なんかが公然と政府のコロナ対策に文句を言い始めた。

一方では頼りない野党でも立憲民主党で分裂騒ぎが発生したようだ。音頭を取っているのが旧田中派の老人中村喜四郎氏、面白いのが若手の小川淳也氏あたりが同調しているとのこと。外で春一番が吹くように、何かが起きる事が起きることを期待している野次馬老人だ。

2021年2月3日水曜日

きっこさん

 これまで国会開催中に一、二回は国会中継を観ることが多かったが、今の通常国会はこれまで一度も観ていない。何故か観る気が起きないのが正直なところだ。今日のあるメルマガで知ったが先週の木曜日(28日)に第3次補正予算が可決成立したのだそうだ。予算額は21兆8353億円。改めてへ~と思うが、これを見過ごす我が身が情けない。

なんで第3次なの?1次と2次はは幾らで目的や使い途にどんな差があるの?自問自答すれども分からないことばかりだ。前のことは分からないが、「きっこのメルマガ」から引用するとこうなっている。以下引用

「実際に新型コロナ対策に使われるのは、このうちの4兆3581億円だけ、全体の2割ほどなのです。それでは、残りの18兆円は何に使われるのでしょうか?最も大きいのは、デジタル化の推進やマイナンバーカードの普及、「Go To トラベル」の延長など、「ポストコロナ」を名目とした経済構造改革の11兆6766億円です。そして「国土強靭化」や「防災」を名目とした公共事業のバラ撒きなどが3兆1414億円です。繰り返しますが、これは今年度の補正予算、つまり、3月末までに使う予算なのですよ。それなのに、何が「ポストコロナ」ですか? 」(他にも、予備費の余りが使用されてたりしてコロナ対策費は更に少ない。)

きっこさんの仰るとおりだ。筆者は高卒の美容師との設定になっているが、俄に信じ難いものがある。政治や社会への切込みの鋭さだけでなく、俳句など古典文芸への造詣の深さからしても只者ではないと思う。週1回配信されて800円なら安いと思って愛読している。最近はテレビでも全国紙の女性編集者が出演して的確なコメントをする場面に多く出会うが、そういった人の一人ではと思ったりするが、分からない。

機械にも結構強くて、自転車の組み立て談義なんか読んでいると、ひょっとしたら男性かななんて思うときもある。メルマガの内容の濃さからすると集団てこともあり得る。ネットには下らない記事が多いとされるが、YouTubeを含めよく見るが、新聞や国営NHKのみならず商業放送であってもテレビは観終わった後がどうしても消化不良の感が否めない。NHKは明らかに偏り過ぎだし、新聞も偏向ががはっきりしている紙は許せるが、朝日や毎日は建前的に政府に反発しても、どうしても徹しきれない。

そりゃ税金をまけてもらったり、国有地を払い下げられて入れば当然かも知れぬ。やっぱり現役を引退しないと報道人も本音は言えないようだ。

きっこさん無料のブログは下記です

http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/

2021年2月2日火曜日

見識の基本

少し前(昨年11月末)に中国習近平氏がAPECの首脳会議でTPPへの参加意欲を表明したが、この時日本政府の反応は非常に冷たいものだったことを記憶している。しかし先週何を思ったか知らぬが、太平洋とは全く関係ない英国が同じように参加の意欲を表明した。すると日本でTPPを所管する大臣が西村経済再生担当大臣になるらしいが、彼が打てば響くかのように「基本的価値を共有するグローバルな戦略的パートナーである英国から加入要請が提出されたことを歓迎する」との意向を表明した。

西村氏と言えばコロナ対策専門かと思っていたが、他にも仕事があるようだ。兎も角、対中国と対英国との貿易量に如何程の差があるか知らぬが、常識的に考えれば前者の方が多くて当然だ。しかし先に引用したように中国とは「基本的価値」を共有出来ていないことが多々あるからダメだということなんだろう。舶来製品への拘りは既に失くして久しいのでどうでもいいが、日本もいつの日にか外国との付き合い方を少し見直す必要があるかもしれぬ。

老婆心を出して少し付け加えておこう。人間には個人個人異なる価値観があるように、世界に200以上ある国家間にも全く共通の価値観なんか存在する筈がない。殆どの国が建前的には民主主義を唱えているだろうが、民主主義なんて儚いもので、昨日から報道されているミャンマーのクーデターを引き合いに出すまでもないだろう。どこの国にせよ政権担当者は自国の安定を第一の目標とし、これが脅かされない限り、できるだけ多数の国と通商関係を築くとするのは理の当然。

通商相手国の政権が如何なる思想、例えば共産主義であろうと一党独裁であろうと、極端に言えば人食い人種であろうと関係無とするのが普通のように思う。しかし日本政府は民間交流がかなり活発であるにも関わらず、こと中国と韓国に関してだけは少し異なり、政治的に好んで事を構えたがっている。この傾向は昔からのことではない。ごく最近安倍内閣以来ではなかろうか。話が長くなってしまったが、TPPの参加国を増やしたいなら増やせば良いし、増やしたくないならそれも見識の一つだろう。

相手によって考えを変えることを、偉いと思う人もいるだろうが、信用できないと決めつける人が出ても不思議はない。 

2021年2月1日月曜日

娘の確定申告

 昨日の昼少し前に娘(次女)が来た。正月2日招待に与り世田谷の豪邸(敷地面積10坪強)でご馳走になって以来だ。目的がe-Taxでの申請とばかり思って予習までして準備をしてたが、彼女がマイナンバーカードのつもりで持ってきたのは、なんとマイナンバーの決定通知書。これでは全く始まらないことを説明して納得させる。序に今後のこともあるから手間隙掛かるがカードを取得したほうが良いと助言する。

本当に日本デジタル化政策はどうしようもないほど遅れていることを改めて実感した。子供の誕生申告と同時に、アメリカの社会保障番号と同じような番号登録制度を基本にして、税務であれ医療や介護を雇用保険等を含む社会保障全てを紐付ける発想が何故湧かぬのか不思議でならぬ。やろうと思えばそんな難しいことではないと思うが、悪名高い縦割り行政の障壁が簡単に無くなるのがどの行政機関でも嫌われるのだろう。

これが日本の日本たる所以だから、少なくとも小生が死ぬまでに改善されることはあるまい。従ってこれは措くことにして娘のことだ。娘はパソコンで申請できないことはすぐ理解して、税務署に持っていく必要書類を作成した。一番時間がかかったのは医療費の一覧表。昨年1年は歯の矯正に終始したとのことでエクセルが大活躍していた。他には予め送られてきていたPDFファイルのプリントアウト。用事は1時間半ほどで終了。

それからお土産の披露、先ずは文庫本6冊(全部ジェフリー・ディーヴァーの推理小説)中には既読のものがあるかも知らぬが、どうせ中身は忘れているので良い暇つぶしのネタが出来た。他にはこれが最高であったが、食事だ。ホタテの炊き込みご飯と牛すじの煮込みと大根の皮(煮込みに使用時に発生した副産物)の炒めもの。何れも2食分が綺麗にパックされ、デザートには中村屋の月餅が2個入っている。

娘と雑談しながら早速この半分を食した。お世辞抜きに美味い。煮込み料理なんぞしたことはないが、家内即ち娘からすれば母も得意だった。娘も母親似で料理は得意、電子レンジを持っていないのもそっくり、血筋は争えない。食後に「いやーうまかった。」と本音で言ったら「お父さんも大分上手になったね。」と褒められた。