2010年2月26日金曜日

日本人のオリンピック

浅田真央の銀メダルでオリンピックは終わったようだ。始まる前からキムヨナには勝てそうにないし、トリプルアクセルを失敗して尻もちなどつくのでは、とハラハラしていた。結果はミスを最小限に抑えてよく頑張った、としよう。試合終了直後のインタビューで悔し泣きをするのを見ていると気持ちが十分理解できる。2位に甘んじた事よりも自ら言っていたように「自分の演技をパーフェクト」に演じられなかった悔しさだろう。ショートプログラムの時とは大違いだ。しかし未だ10代だ、これからも頑張ってほしいし頑張る事だろう。

それにしてもキムヨナは強い、浅田がパーフェクトであったとしても彼女には届かなかったのではなかろうか。これから4年間浅田がどんなに頑張ってもキムを凌駕する事が出来るのだろうかと心配になってくる。我が家の婆さんに言わせると「キムは何度挑戦してもトリプルアクセルが出来ないのだから、技術的には浅田の方が上に決まっている。次のオリンピックは浅田が勝つ。」と力説している。先の事は分からないが、上位グループに入ったアメリカの2選手は歳がかなり若い。日本フィギュアもこれだけ盛り上がったのだから次世代の選手が出現することを期待したい。

このオリンピック期間中、長野五輪スピードスケート金メダリストの清水宏保氏が朝日新聞にコメントを書いている。これがなかなか読みごたえがあった。先ずスピードスケート500mで銅メダルを獲得した加藤条治に対して、世の中が銀と銅のメダル獲得で大騒ぎしている中にあって「銅メダルはメダルが取れて良かった、安心の銅メダルと言われるが『加藤よ、君は悔しくないか。天才と言われる君でもやはり練習の手抜きではチャンピオンになれないのだ。』と厳しい意見を吐露したので大変感心した。

続いて今週23日には<スポーツ後進国/日本>と題して次のように書いている。正に傾聴に値する意見であり、スポーツ選手にしてこんな立派な文章を綴る事に尊敬すら覚える。以下朝日新聞から引用

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政府の事業仕分けが行われ、スポーツ予算は削られる方向になった。全体的な削減は仕方がないとしても、仕分けの仕方は適切だろうか。

 例えばお隣の韓国はスポーツ先進国になった。国威発揚という特殊な事情があるにせよ、お金の使い方が違う。日本には国立スポーツ科学センターがある。韓国にも同じような施設がある。韓国ではそこに選手が集められ、招集された時点で、日当が出る。日本では利用するのに料金が発生する。韓国ではもし、メダルを取れば、ほぼ生涯が保証されるのに対し、日本の報奨金は多いとは言えない。

 バンクーバー五輪では、JOCの役員、メンバーが大挙して現地入りしている。予算は限られている。そのため、選手を手塩にかけて育てたコーチや、トレーナーがはじき出され、選手に快適な環境を提供できていない。お金の使い方が逆だろう。
競技スポーツだけではない。「1人1ドルスポーツの予算をつければ、医療費が3.21ドル安くなる」という統計を見たことがある。ヨーロッパではスポーツ省のある国が多い。スポーツを文化としてとらえる発想が根付いているからだ。生涯スポーツが、また競技スポーツのすそ野となる。

 五輪の時だけ盛り上がって、終わったら全く関心がないというのではあまりに悲しい。日本にスポーツ文化を確立させるため、国もJOCも努力を惜しまないでほしい。
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清水選手と言えば貧しい家に育ちながら厳しい練習でゴールドメダリストになった人だし、見るからに薄汚れた感じで、スケート以外何もできない人かと勝手に思い込んでいた。脱帽して私の不明を恥じるばかりである。オリンピックに参加する役員や国立スポーツ科学センターの件など、この一青年アスリートの発言をエリート面した政治家や高級官僚はどのように受け止めるのだろう。

2010年2月25日木曜日

いよいよ年度末か

明日は2月26日、226事件の頃と言えば東京は大体寒くて雪が降るとしたものだが、今年の気候は全くおかしい。昨日今日とまるで桜が咲く頃の温かさだ。今年は月末の2日が土日になっているせいもあってあっという間に月末になってしまった。正に「2月は逃げる」と言われている通りだ。来週からはもう年度末、個人営業の零細企業であってもそれなりに普段とは異なる雑用が増える。特に来年度からは、これ迄はサポートスタッフだった青年に社長のポストを替ってもらおうと思っているので、その関係での雑事が増えるので来月も落ち着かないかもしれない。

取敢えず今日は今月の経理関係の〆をした。今年度も後1カ月を残すのみだが、どうやら平年並みの仕事をする事が出来たようだ。ささやかと言えども法人税も納付する事になるだろう。未だ1人前の社会人として国家に対して貢献できるとは有り難いことだ。一人で会社を立ち上げてもう7年が経つ事になる。当初は5年ぐらい経てば仕事自体が無くなるか、さもなくば誰かに後を引き継いでもらえるだろうと甘く考えていた。しかし5年なんかはあっという間に過ぎて、その間仕事の量が増える事もなく、かといって減るでもなく同じ日常が淡々と過ぎ去って行った。

5年目に入った頃から事業の継承又は後継者について心配し始めた。しかし「事業規模が余りにも小さ過ぎて事業を譲渡したいと思っても、引き受メリットが皆無に等しいので引き受け手が無いでしょう。」と言うのが税理士さんの弁で正にその通りだった。まして後継者なんて望むべくもないのは仕方が無い。ところが今年度になって「引き受けてもいいですよ。」と言う青年が現れた。技術サポートをしてくれていた青年なので、クライアントからは「あなたが当分営業的なフォローをしなければいけませんよ。」と釘を刺されている。

税理士さんとも相談中だが、今年度中に何とか引き継ぎを無事済ませ、早いとこ国家のお世話になりたいのが本音だ。

2010年2月24日水曜日

早とちり

先ほど突然インターネット書店のアマゾンからメールが来ました。何事かと思うと、内容は「このたび2009年12月の紹介料のお支払い手続きを開始いたしました。」との事。ご案内の通りこのブログには合計34件の読後感がアップされています。そのうちの何冊かは最後に本の表紙を置いて、そこからアマゾンにリンクを張っています。このブログを立ち上げる時にサポートしてもらった友人から「アマゾンにリンクを張っておくと、紹介手数料がもらえる仕組みがありますからやっておいた方が良いですよ。」と言われるままに取敢えず設定だけはしました。

ブログを見返してみると、このリンク設定をした読後感は20件程しかありませんでした。残りは面倒くさいので手を抜いたということです。しかし今日のメールによると振込金額は5,600円、馬鹿に出来ない金額ですね。12月締めの紹介料が何故2月の末になったかについてもちゃんと説明があります。「12月末時点での累積紹介料がお支払いの最低金額を満たしておりませんでしたので、次の月に繰り越しをいたしました。」との事で1月だけで少なくとも600円以上の手数料が入った勘定になります。

実はこれでお金を貰える可能性がある事を忘れていた訳ではありません。しかしブログの読者は殆ど友人知人ばかりですし、その皆さんがこのリンクからアマゾンに飛んでいるとは夢にも思いませんでした。よって最近はこのリンク設定が面倒なので手を抜いていた訳です。早速慌てて5冊ほどリンク設定を追加したり、今後は必ずリンク設定を手抜きしないでおこうと思った次第です。さもしい奴と笑ってください。

今のところはこの5,600円の内訳が分かりませんが、当然詳しく分析できる仕組みもある筈です。後でじっくり見て研究します。取敢えずは思いがけずにお金を手にして嬉しかった事と、何よりブログのお陰なので、感激冷めやらぬうちに読者の皆様へのお礼かたがた一筆したためました。

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実は上記迄で一旦ブログをアップしたのですが、慌てて削除をしました。ここからを加えて改めて上げなおします。

と言いますのは、内容を詳しく見ようと再度アマゾンのホームページに参りました。そうしますとこのブログから購入に繋がった案件は1件だけです。それで5,600円はおかしいと思って文章を良く見ると、56.00円ではありませんか。全く欲ボケをして早とちりをしてしまいました。笑ってやってください。でもこれからはできるだけリンク設定はします。

2010年2月23日火曜日

「ノモンハン戦争」 モンゴルと満州国 田中克彦 著

この戦争を日本では「ノモンハン事件」と言い、「ノモンハン戦争」とは言わない。1939年5月から9月に亘り当時の満州国とモンゴル人民共和国が正規の軍隊(実態的には日本軍・満州国軍VSモンゴル人民軍・ソ連赤軍連合軍)を出動させて双方共に2万人前後の戦死傷者を出しているにも拘らずである。何故かと言えば双方が宣戦布告無しに言わば非公式な戦であったからだそうだ。戦争であれば勝ち負けもはっきりする必要があるが、事件としてずっとうやむやにされている。しかし日本軍が外国領土に深く侵攻して大量の戦死者や捕虜を残して撤退した事実は歴然としている。

著者は言語学とモンゴル学を専門とする学者で1936年生まれとあるから相当なご高齢である。、現在出版されているノモンハン事件関連の図書の殆どが軍事研究で、単に殺人技術の成果や仮定を論じ合うのに辟易していたようだ。彼は1991年東京で開催された日本、ソ連、モンゴルの参戦3カ国の代表が参加した「ノモンハン・ハルハ河戦争国際学術シンポジューム」でモンゴルの代表が行った報告「あの戦争は避ける事が出来たかもしれない」を聞いて感銘を受け、戦争を避ける研究であるなら自分にもできるかもしれないとして本書の執筆を思い立ったと書いている。

以来、専門的な研究を深めるために現地はもちろん生き残りの証言を取材するなど精力的な活動をされたようだが、半世紀以上の年月の溝は埋め難く悔しい思いもされているようだ。私はモンゴルと言えば朝青竜などの力士の故郷で、草原に馬を走らせる些か牧歌的な国ぐらいの印象しか持っていない。満州なる国家についての知識は、先の大戦前日本が中国北東部にでっち上げた傀儡国家で、日本人で移住した人が随分悲惨な目にあったようだ、と言ったくらいのところで正直殆ど何も分かっていない。

本書を読んだ後でも大して知識が増えたとは言い難いだろうが、日本に於いて新政権が誕生した事もあり、外交問題特に近隣諸国との関係を少し真面目に考える必要性一層深くした。日本はかつて政治家のだれかが言って物議をかもした様に「単一民族」意識が濃厚である。外国人という言葉も日本独特のものだろうし、その外国に併合された事も占領された事も或いは分断された事もないと思っている。

しかし考えてみると日本人は「満州」という多民族国家(1945年当時人口5000万人とも言われる)をつくり、それを極めて短い時間でぶっ壊してしまった訳でもある。ここに移住した日本人が大変な思いをしたと書いたが、満州国の全国民がどんな思いをしたかと言う事についてどれほどの日本人が思いを致しているのだろう。本書はそのうちの一部モンゴル人中心に書かれているのだが、20世紀初頭広大なアジア東北部で主に遊牧生活をしていたモンゴル人(多様な種族)達が周辺の大国によって引き裂かれて行く中でそれこそ悲惨な歴史をつづって現在に至っているらしい事を初めて知った。

何れにせよ戦争がどのように起きて、それについては誰に責任があったのか。歴史の過ちを繰り返さないためには、そこをはっきりさせることが必要であろう。著者の思いが良く理解出来る。

2010年2月22日月曜日

志賀高原 2回目

先週月曜日に帰宅したばかりだったが再び一昨日昨日と志賀高原でスキーをしてきた。前回は高校時代の同窓生、今回は娘と孫の付き添いである。昨年までは娘家族全員を年に一度必ずスキーに連れて行った。今年の正月娘に確認したら「今年は上の子のクラブ活動も忙しいのでスキーは止めておきます。」との返事だったのだが、先日祖父さんが一人でスキーに行った、と聞いた下の子が「俺も行きたい」と言いだしたので何とかしてくれとの事。可愛い孫の願いでもあり、こちらも嫌いではないので、同窓会で宿泊した同じ宿に予約を入れて娘と小学校5年生の孫を連れて行ってきた。婿さんと上の孫がかわいそうにも思ったが、上の孫は現在ミニバスケットボールに専念しているのでスキーに魅力を感じないらしい。



子供も10歳を過ぎれば親離れとさえ言われる。まして祖父さんなんかには思いも寄らない事が沢山あるだろう。別に上の孫が祖父さんを嫌いという訳でもなさそうだとしたい。1歳しか年が違わない兄弟ではあるが、見事に趣味や嗜好は異なっているようだ。勿論性格的にも異なるところは沢山出ているに違いない。ともあれ今回は二日とも快晴に恵まれ、雪質も最高の状態だったので全員大満足。特に孫は自ら行きたいと言っただけあって、半日3時間半ずつを疲れた気配も見せずに滑りまくり、スキーが格段に上達したように思えた。

土曜日の午後は一ノ瀬からいきなりファミリーの頂上に上がり最初は初心者コースで脚馴らし。3本目からは中級者コースを滑るが全く不安を感じさせないので焼額方面に行ってリフトやゴンドラで10本以上滑ったのではなかろうか。我々大人はゴンドラの方が休憩になるので好都合のようにも思うが、子供用のスキーは板の幅とビンディングの滑り止めがうまく噛み合わず、一旦スキーを脱いで持ち運ぶのが難儀なようだ。従って子供はリフトを多用したがる。それでもゴンドラには4、5回は乗ったはずだ。

翌日の日曜日朝から抜けるような青空、リフトが動き出すのを待ってファミリーの頂上へ、ここら見渡す北信五岳と北アルプスの絶景には孫も息をのんだようだ。写真を撮って送ってくれと頼まれる。「お前も一緒に撮ってやるよ」と言うと「勿体ないから景色だけが良い」そうだ。中級者用のパノラマコースはもう全く問題ない。快適に何本も滑り、スキー場オープン時間が遅い寺子屋リフトの運転開始を待って寺子屋スキー場へ。ここから孫が最大の楽しみにしていた東館の林間コースに出て、山麓駅まで滑ってゴンドラで改めて東館山頂へ、ここからブナ平を経由して河原小屋迄一気に滑り降りる。全長2km近い往年の男子滑降コースと時々交わる長丁場だ。序に孫にとっては昨年までの練習場、懐かしいブナ平を何本か滑ってみたが、きっと自分でも嘘のように楽に思えた事だろう。





最後はまた東館山頂に登ってファミリーゲレンデ経由で一ノ瀬に帰還。思い起こしてみると、私自身も楽しみながら孫にも楽しんでもらえればと思って、この子が幼稚園の頃から1年に一度ずつスキーに連れて行った。この孫にはもう6年目になるが、今回の滑りを見て上達が早いなあとしみじみ思う。いつも一緒に滑っているだけで、特に技術を教える事は殆どないのだが、今日写真を見ると紛れもなく私の滑り似ている。可哀そうだが近代スキーの教本からは外れているからどこかで限界が来て、普通のおじさんスキーヤーになる事だろう。しかし何よりもたった半日ずつの短い旅行ではあったが、娘と孫が楽しかった思い出を沢山作ってくれれば何よりの事である。

2010年2月19日金曜日

米中関係とニュース

今日は冬季オリンピック男子フィギュアで高橋大輔が見事銅メダルに輝いた。男子フィギュアでのメダル獲得は日本のスケート史上初の快挙との事、誠に喜ばしい。彼は膝の大怪我で昨年一年競技に出られなかったにも拘らず良くここまで頑張ったものだ。その事も実に称賛に値する。内心メダルが1個も取れないのではと心配していたが、これまでに3個獲れたので大分気が楽になった。それにしてもスキーは駄目だな。ジャンプは体格的なハンデかと思ったが、ノーマルヒルで優勝したスイスのシモン・アマンは日本人と同じ体格らしい。オリンピックの華とも言える男子アルペンなんか出場選手の名前すら知らない。後半は女子フィギュアの浅田と安藤に期待する事にしよう。

我が国は平和の祭典で盛り上がるが外国はどうなんだろう。これほどまでのお祭り騒ぎにはなるのだろうか?オリンピックとは無関係にダライラマの訪米と大統領との会談を巡って米中関係が少しおかしくなっているようだ。オバマ大統領がアジア歴訪の中で際立って長期滞在をして米中親善を演出したばかりと云うのにどうした事なんだろう。つい先日アメリカが台湾に武器を大量に輸出した事もどんな意味を持つのか、不思議でならない。ひょっとして日本の新政権が少し左に寄ったので、牽制の意味でなんて単純な話ではないと思うが。日本は前から建前的には台湾は中国の一部としているようだが、アメリカは独立国として認めているのかな?冬季は無理だろが台湾はオリンピック参加国だろうか?いい年をしてこんな事も知らないのも恥ずかしい。

オリンピック報道のお陰で他のニュースは扱いが全く小さくなっている。国内の「政治と金」のように下らない報道が無くなるのは結構だが、海外のニュースなんてものは報道されていないに等しい。アフガンではタリバンのNO2が排除されたようだし、イランに対してはクリントン国務長官がかなり強硬な発言をしている。北朝鮮の金正日も何故か元気な様子をアッピールしているようだし。何れも我が国としても重大な関係がありそうだし、一歩間違えば世界的な危機に繋がりかねないのではないだろうか。ニュースを解説する偉い人はこう言った庶民では読み説く事の出来ない問題について分かりやすい解説を願いたいものだ。小沢幹事長の説明が不十分なんて事を偉そうに言ってみても、小生からすれば「十分なる説明があったら、だから何なんだ?」と逆に聞いてみたい。

メダルを獲ったのと獲れなかったので大騒ぎするのは馬鹿なアナウサーぐらいで止めておいて頂きたいものだ。日本人は欧米の強かな政治家連中から良く言えば無邪気で愛すべき人種らしいが、国家戦略を立案する能力は無いと馬鹿にされてもいるようである。今年はオバマの2年目の正念場、胡錦濤も次世代への代替わり準備に入り、昨年暮れには日本でもその候補者が物議をかもした。そんな瑣末な事より目下彼の地に於いて大問題になりつつある民族問題とか経済問題と我が国の関わりは今後どうなっていくのか。中国はアメリカの最大の債権国であったのに再びトップの座を日本に渡したようだ。要するに中国はドルに対して露骨な警戒感を示しているとも言えるらしい。

お祭り気分で浮かれていても、世界のトップはそれこそ国益のために必死に謀を巡らせているのだろう。日本の政治家はよその家にどのくらいのお金があって、それをどのように使い回したかに血道をあげて騒いでいたし、報道解説者はそれが国益とばかりに張り扇で騒いできた。今はお祭りだからそれが少し止んでいる訳だ。政治家より外から批判する立場にあるこう云った連中の意識の低さにいささかうんざりする今日この頃である。実はタイトルに「テレビコメンテーター」と書こうと思ったのだが書いている内に気が変わった。何故か、考えてみると「テレビコメンテーター」は電波芸者で元々そんなに利口な人は出演しない事を思い出したからだ。本当のところはテレビ番組を制作するプロデューサーとか新聞社の編集デスクや編集委員の質が低すぎるのだろう。泣きたくなってくる。

2010年2月18日木曜日

スキー今昔

夕べも寒かったが今朝は道路一面にうっすらと雪が積もって長靴での出勤になった。新潟やワシントンの事を思えば大したことではないが、東京は普段暖かいので寒い日が続くと身にこたえる。しかし雪景色は良いものだ、「雪化粧」の言葉通り枯れ木や植え込みは白く覆われ、屋根も道も白く染まると町中が生まれ変わったように美しく見える。天気予報を聞いていると、今月は東京でも雪の日が例年になく多いらしい。折角四季のある我が国のことだ、冬は冬らしい方が良いのだろう。昔は冬が1日でも長く続く事を祈ったが、今や「春よ来い 早く来い」の心境になってしまっている。

バンクーバー冬季オリンピックもやっとメダルを獲得できて先ずは目出度い事だ。普段スピードスケートには何の興味も持たないのだが、日本人が入賞と聞くと素直に嬉しくなる。学生時代はオリンピックなんてものは世界の超一流選手が出場して競うもので、日本選手なんぞは最初からお呼びでないという感じだった。中高大学生時代に関心を持ったスキー競技情報は国体や学生選手権が主で、殆どが大学スキー部の選手だった。昭和33年私が高校1年の時、猪谷千春選手がコルチナで男子回転競技で銀メダルを獲った時は奇跡が起きたように感じたものだ。

事実彼の場合は当時としては特異な例で、戦前から生涯スキー場暮らしをしたお父さんから幼い頃からスキーの手ほどきを受けながら彼もスキー場で育った(小生がスキーを始めた頃は既に志賀高原に住んでいた)。小生が初めて志賀高原に行ったのは確か昭和26か27年ころと記憶する。その時すでに丸池スキー場の現在のAコースにスキーリフトなる機械が既に設置されていた。しかしこれを利用できるのは在日駐留軍関係者だけで一般日本人は利用できなかった。例外的にこのスキー場の主的存在であった猪谷父子はこれを利用していた。非常に羨ましく思ったものだ。

猪谷選手はここで中学生か高校生ぐらいの時に、その素質をアメリカ人のお金持ちに見込まれて渡米、アメリカの大学に入ってスキー選手となっている。従って日本の国体や学生選手権には出場していない筈だ。勿論当時はテレビ報道はなかったが、ニュース映画に出てくるスターは男子滑降とかジャンプの世界チャンピオンばかり、トニーザイラーなんて人は殆どの日本人が知っていたのではなかろうか。オリンピックチャンピオンになった後、日本に来て日活映画に出演した程だ。コルチナには長野県からアルペンの杉山氏とかノルディックの塩島氏とかが出場していたはずだが、出場している事が大事で順位は記憶にもない。

杉山氏は普段志賀高原丸池スキー場でパトロールをしていたのでよく覚えている。もとよりスキーは大変上手だったがコーチなんて勿論居なかった筈だ、杉山氏自身が我が国の第一人者で、彼よりスキーが上手い人間がいないのだから。今は専任のコーチやトレーナーが一体となって、何年もトレーニングに打ちこまなければとてもオリンピック選手にはなれないだろう。当時は勤務先から特別出張を命じられたような気分でのコルチナ行きであったに違いない。外国のスキー場で滑ってきた日本人なんか殆ど居ないのだから、地元ではコルチナに行ってきた事が既に今で言えば金メダル級の箔付けとして話題になったものだ。

そんな事を思うと日本人もよくここまで来たものだ。オリンピックはアマチュアの大会なんて事は今や誰も言わない。特に冬季の種目は莫大な費用が必要になっている。今や冬季オリンピックはプロでなければ出場できないだろう。女子フィギュアの浅田や安藤、ボ-ドハーフパイプの国母達は学生と言っても学校がスポンサーに一員であるプロのようなものだ。そんなことはどうでも良い、小生には数も分からないくらい多くの競技に選手を出場して、中には上位に食い込む競技もある。テレビは終日バンクーバーからの中継映像ばかり、これに国民が一喜一憂して不景気を忘れてくれれば結構なことだ。

雪上競技ではモーグルもスノーボードもボブスレー系統も小生からすると皆新しいが、見ているだけでもスリル満点だ。特にスキークロスは確か今大会から正式になったと思う。この競技は一つのコースに4人が同時に滑るので接触事故の危険(故意に妨害するのも技のうちらしい)が常にあり物凄い迫力がある。女子のスキークロスには長野県から福島のり子(上村愛子と白馬高校同窓生だそうだから、年齢的に見て上位を期待するのは少し無理かな)がエントリーしている。志を了として応援しよう。

2010年2月17日水曜日

日米同盟の正体~迷走する安全保障 (講談社現代新書) 孫崎 享 (著)

日本は半分アメリカの属国と思っていたが、この本を読んでその感を一層深くした。著者は元外務省の高級官僚、国際情報局長を経て昨年3月末まで防衛大学校教授をしている。若い時から欧米の他にソ連圏や中東など数多い大使館勤務があり、駐ウズベキスタン大使と駐イラン大使もしている。東大中退で外務省に入省とあるから典型的な秀才だろう。国際情報局は2度、分析課長と局長を歴任しているが課長時代の上司局長が時々マスコミに顔を出す岡崎冬彦氏との事。孫崎氏は後書きで自らを鳩、岡崎氏を鷹になぞらえて述べているが、岡崎氏の論調とはいわば正反対である。

国会でも安全保障問題は国家の根本問題としていつも大きな話題となっている。最近も普天間基地の移設問題なんぞは鳩山政権の命運がかかった問題と言っても過言ではあるまい。私もこの問題についてインターネットのブログを読んでいる中でこの本を知った次第である。外交問題なんぞは全て条約とか法律で規定される事なので、素人にはとても手に負えるものではないという思い込みがあった。しかしこの本は日本と米国がどのような関係にあるかについて、実に分かりやすく平易に解説してくれる。

「日米同盟」と一口に言ってもその意味するところ(あるいは解釈または受け止め)が、最近特に彼我の間で大きな開きがある事を指摘している。日本人の殆どすべての人が今年50年の節目を迎えた「日米安全保障条約」なるもので「日米同盟」が担保されていると思っているに違いない。小生はその典型で内容はよく知らないが、核の傘とか駐留米軍等がその具体策で、このお陰で日本の防衛予算は少ない割に長年平和を享受してきたと思っていた。本書は冒頭に「日米安全保障条は終わっている」なる刺激的なタイトルを出している。即ち2005年10月29日日本の外務大臣と防衛庁長官と米国の国務長官と国防長官が「日米同盟:未来のための変革と再編」に署名した事によって、日本が果たすべき役割が劇的に変わった。

それまで日本は専守防衛で極東の安全だけに意を用いていれば済んだが、この時から世界の平和と安全のためにアメリカと共に対象範囲を全世界に拡大してしまった。この変化に関して日本はどれほどの議論をしたであろうか?インターネットではこの文書の正本は英語のみで日本語の正本は存在しないとされている。当時の町村外務大臣と大野防衛庁長官はこの文書の意味を理解したのであろうか?米国は何も唐突にイラクに兵を出せと言ってきている訳ではない。ちゃんと順序を踏んでいるようだ。日米安全保障条約締結当時から後藤田正晴さん存命の頃までは、自民党の幹部もこの条約で日本の自衛隊が戦争に巻き込まれる事に非常に強く警戒していたようだ。如何に最近の日本の政治家の質が低いかを物語っている。

この本によれば1960年条約の締結当時と現在までには地球上の国家間バランスに様々な変化があり、特に冷戦終結後米国はゴルバチョフがとった変化に対応して国家戦略を大きく変化させてきている。ところがわが日本はもともと戦略概念の乏しい国だったので、同盟国の戦略変化についての認識が薄い。ただ対米追従さえしていれば安泰みたいな完全に安全保障音痴になっている。米国に於いてはブッシュ(父)、クリントン、ブッシュ、オバマと党派を超えて大統領が代わっても、世界で1強の立場を維持し続ける世界戦略に大きな変化は無いようである。我が国はこれに追随するだけで良いのか、もっと自主的に戦略的見地から安全保障問題を考え直さなければいけない(具体的にはもっとNATOに寄りこれを見習え)と警鐘乱打しているのである。

2010年2月16日火曜日

志賀高原での同窓会


ここ数年恒例となった志賀高原での高校同窓会があったので日月と二日間だけ参加してきた。他の皆さんは日月火と3連ちゃん、私もそうしたかったのだが今日外せない仕事があったので泣く泣く昨日帰宅。それでも日曜日の午後3時間半、月曜日の午前中3時間半みっしり滑り込んだので大満足。腰にも結構疲労が来ていてもう1日やったら腰がいかれたかもしれない。初日に午前中から滑った友人の一人は、疲労が足に来て初日の午後は早上がりをした。

皆元気と言っても歳も歳、あまり無理はしない方が良い。宿泊は一ノ瀬、11時半に到着午前中から滑っていた2人とお昼前後に到着の5人で総計7人が合流。13時から先ず一ノ瀬ファミリーの初級者用バーンで、インストラクターのた―ちゃんからカービンぐスキーのインストラクション。全員昔取った杵柄でかなりの腕前ではあるが、脚馴らしを兼ねて近代スキー術を丁寧に解説してもらいながらレッスンを受ける。何でも最近のスキー術を手っ取り早く教え込むためには最初ストックを使用させないのが良いとされているようだ。今更初級レッスンでもないだろうと思ったが、成程先生の真似をしてみると難しい。

脳みそに古い思想が凝り固まっているので、た―ちゃんの言う事が合理的である事は理論として良く分かるのだが身体がついていかない。近代スキー術は二本の足を少し足を開き加減にして二本の軸足に対し体重を3:7→5:5→7:3と移動させるのが基本になっている。ところが私の脳みそにインプットされているスキー術は二本のスキーを一本ずつ足を踏み変えるのでスキーにかかる体重比率は1:9→9:1となる。どちらが速いかという事は我々素人が好き勝手に滑る分には殆ど差が無い。但し競技となると別で、アルペン系の競技で回転スピードを落とさないためには近代スキー術は何と言っても有利らしい。どちらが楽かという事も判断しずらいと思うが見た目の優雅さはやはりカービンぐだと思う。

ともあれこういったトレーニングは筋肉を意識して動かさなければいけないので結構くたびれる。小一時間やってやっと自由滑降の許可。先ずファミリーのパノラマコースを2,3本滑って焼額に移動、二本のゴンドラで4,5本滑ったらもう夕方。又一ノ瀬のファミリーゲレンデに戻って上から麓の宿を目指して一直線。風呂から上がって飯の前からビールで宴会を始め、飯を挟んで冷酒を1升、次はブランデー、ウィスキーと止まるところを知らず。爺様の宴会は昔話に花が咲くと決まったものだが、われわれの場合は少し違う。やっぱりた―ちゃんが中心になって今年の初夏に企画されているアメリカ大陸横断ドライブの計画ついて盛り上がる(残念ながらこれも小生は不参加)。最後は宿のご主人に観光地のグローバルスタンダードと今後の志賀高原集客マーケティングについて説教まで垂れるのだから凄い爺様達だ。兎に角初日は夜中の11時まで飲み続けた。

二日目は二日酔いかと思ったが全員7時半には食堂に集合、8時半にはスキーを履いて9時前から滑り始めた。今日は小生が昼で上がらなくてはならないのでレッスンはそこそこにして頂き、自由滑走で志賀高原の西半分を全て滑る事にする。ファミリーでの脚馴らしもそこそこに寺子屋に上がって、東館の林間コースからブナ平経由で河原小屋まで一気に滑り降りる。対面のジャイアンツを上って蓮池丸井を経由して西のはずれのサンバレー迄到達、帰路は各スキー場で2,3本ずつ滑り又河原小屋に、今度は西館を2本滑って発哺経由で東館山頂に戻り、そこから一気に宿まで戻ると既に昼を少し回っている。昼飯はインドカレーのバイキング、ソフトドリンク付き1200円だが熱々のナンも食い放題、結構いけている。残念ながら小生はこれでおしまい、一ノ瀬発13時37分のバスで長野まで。15時27分の列車で6時前には帰宅。二日目は雪、初日もドピーカンとはいかなかったがまずまずのスキーだった。

2010年2月12日金曜日

家内の誕生日

小雪が舞う1日であったがご近所のお宅の庭には紅梅白梅が見事に咲いている。春はもうすぐそこにいる。しかし木曜日が休日だったので何となく中途半端な感じ。仕事も大して有りはしない、と言っても休む事も出来ない程には有る。今日は家内の誕生日、いつも忘れているのだが、昨日鳩山総理の誕生会が開かれたという新聞記事を見ながら「国の建国記念日と同じ日らしいぜ。」と言ったら「そうよ、2月の11日12日は目出度いのだから。明日は私の番よ。」と釘を刺されてしまった。自分の誕生日は忘れないが、家族の誕生日や結婚記念日などはどうも頭に焼きつかないので困る。

娘なんぞは爺さんや婆さんの誕生日から命日まで諳んじているそうだ。我が家の老夫婦間では特段の事は何もないが、娘からは必ずプレゼントが届いている。今日も、私がいない昼間に娘が来ると言っていたのできっと誕生日がらみだろう。女性は幾つになってもこういった事についてはきめ細やかな事だ。男の子だったらこうはいかなかったろう。家内はいつも「子供は女の子に限る」と言っている。確かにそうかもしれないが、娘夫婦はどちらも男の子ばかりである。その一番年長の孫が来年いよいよ中学生、勿論区立中学に進学するのだが、同じ区立中学校でもやりたいクラブ活動がある中学とそうでない中学があるようだ。

我が孫はその関係で直近でなくて電車で一駅か二駅遠くの学校に通いたかったらしい。そんな時は何でも区の教育委員会まで申請をして許可を得る必要があるらしい。どうやら娘も孫のためにその許可を貰ってやったらしい。孫はそれを聞いて「ああよかった、俺入試みたいにドキドキしていたんだよ。」との事。報告を受けた婆さん曰く「何がドキドキさ。小学校6年生ともなれば、本当の受験に備えて塾通いをして勉強に励んでいる子供は沢山いるのにねェ、我が家は皆のん気でよかったね。」もう娘は帰ったろうが昼間はまたそんな話で盛り上がった事だろう。今夜はまた孫の話で互いの歳は忘れる事にしよう。

2010年2月10日水曜日

河野太郎

自民党は救い難いと思っているが『河野太郎』は面白い。前回の総裁選挙で旧体制をケチョンケチョンにやっつけて、老人の総退陣を迫った時町村信孝から「いいかげんしろ!」と脅かされる映像がテレビで流れた。この時も内心「もっとヤレ!ヤレェ~」とエールを送っていたのだが、よく首にならなかったものだ。と思っていた。そしたら昨夜婆さんが「今日、河野太郎が国会で頑張っていたわよ」との事。あの町村が筆頭理事を務める予算委員会で質問をしたらしい。自民は前の臨時国会では小泉純一郎の2世を予算委員会で質問に立たせたりして、何を考えているのかねと思っていたが、流石のアンシャンレジームも幾ら河野を憎たらしいと思っても背に腹は代えられなかったのだろう。

早速今朝インターネットで聞いてみた。53分しか時間を貰えなかったようだが、確かに良い質問をしている。特に国交省馬淵副大臣と前原大臣に対する質問は素晴らしい。新政権の評価するところは評価したうえでの質問である。要は新政権の天下り団体(道路保全技術センター)についての取り扱いである。民主党も野党時代はさんざん突っ込んでいたのに、政権を取ったらやっぱり官僚には甘いね。と云う事を明確にしている。河野太郎は天下り官僚の旧道路局長の嘘を暴いて告発すべき、と迫っている。これにはあの前原氏馬淵氏でさえタジタジだ。旧政権時代自民党仕分けチームで槍玉に挙げながら何もできなかった事を忸怩たる思いがあるが、現政権が行っている。と質問中に何度も繰り返していたのが印象に残る。

彼は前から自民党に居残って、自民党を変えると言っている。これが私にはよく分からない。既に自民党が死に体である事は彼も十分に分かっているだろう(舛添要一でさえ認めている)。彼からすれば今更民主党になんか行けないし、と云う事だろうが、このまま自民党と一緒に沈没させるには惜しい人材だと思う。昨日の質問も良かったが、前々からテレビなどで度々発言している新政権における社民党福島党首の発言に対する批判も正論である。同じ昭和30年代生まれでも石原伸晃や石破茂辺りには清新さを感じないが、彼には未だ感じるものがある。自ら言うように墜落寸前の飛行機から落下傘で一人飛び降りるのは勇気も要るだろうが、『頑張って新しい世界に飛び出せ!』と言いたい。

山の遭難 羽根田治 著 平凡社新書

65歳頃から山歩きを始めた身なので山の遭難については大きな関心がある。僅か5,6年の経験でも危ない事件が何回か有った。この本は戦後の登山がどのように発展し、それに伴ってどんな遭難事故が起こるようになり増加してきているかについて統計や実証を交えて詳しく説明してくれている。極端な言い方かもしれないが、戦前までは登山と言えば殆どが専門家がするものであり、冬山に登るのが登山でもあったようだ。確かに一般人のレジャーとしての登山は戦後、それも生活にある程度の豊かさが出てきてからの事だろう。

この傾向は同時に遭難事故も増加させる結果に繋がるのは大いに納得できる。遭難を避けるには何と言っても体力装備共周到な準備をして、且つ慎重な行動を取るに尽きる事は著者が指摘するまでもない。しかし最近の事故実態を見るとあきれるようなご粗末さが目立つようだ。山登りは単独行であれパーティー登山であれ、起きた事については全て「自己責任」である事が再三強調されている。改めて指摘されるまでもないが、読むと事故後の裁判沙汰が多い事に驚いた。遭難救助に関して警察や消防の公的機関の出動が全て無償に関しても著者も疑問視している。全く同感である。税金で賄ういわれはないだろう。罰金としても何らかの科料が必要ではなかろうか。

本書で指摘しているところについて我が身を振り返ると多々反省点がある。先日掛かり付けのお医者さんに指摘された事も同じ「自分の馬力を考えた時、未だ高速道路を走る事が出来ると思っていると危ない。仮に同じように時速100km出せたとしても、新車のそれとポンコツ車では負荷に物凄い違いがある事はお分りでしょう。初老の人はこの事になかなか気付かないのです。」何方にでもお薦めできる本ではないが、自分にとってはこの言葉を改めて思い出しただけでも読んだ甲斐があった。

2010年2月9日火曜日

己の分際

先週から昨日までは寒明け10日の名に恥じない厳しい寒さだった。ところが今日は何と昼間の気温が20度を超えたみたいで、久し振りコートを脱いで池袋までの散歩を楽しんだ。枯れ木の桜も小さなつぼみを付けている。明日はまた寒くなるようだ。自然の巡り合わせは摩可不思議なもので人知を以ては如何ともなしがたい。

閑話休題

幼い頃から何かにつけ「己を知る事はとても大切」と教わってきた。しかし己を知る事は簡単なようでとても難しく、いつも分不相応な事を考えて失敗を重ねてきた人生でもある。本日偶々、明日には3月号が発売される文芸春秋2月号を読んでいると素晴らしい文章に巡り合った。執筆者は「分子生物学」と言う高度な学問をしている人のようだ。はじめて知る名前でもあり、彼が学者として如何ほどの評価を受けているかは知る由もない。だがここに引用した文章はいたく共感するものがある。いつかも書いたが、医者とか生物学者には科学をやみくもに発展させて人間が傲慢になることを警戒する人が多い。同じ号で科学者とは言えない文学部出身の立花隆がスーパーコンピューターの発展で癌克服も夢物語ではないようなこと言っている。

現在でさえ平均寿命が延び(過ぎ)ていろんな問題が顕在化しているのに、これ以上無理な操作で人体をいじってガリバー物語の老人国を出現させてどうするんだろう。以下は感動した部分をそっくり引用するので是非ご一読願いたい。

以下は文芸春秋2月号から引用 『ファーブルに学ぶエコライフ』福岡伸一

昆虫たちはかたくなまでに自らの食べるべきものを限定している。棲む場所も、活動する時間帯も、交信する周波数も。彼らは自分たちが排せつしたものの行方を知っている。彼らは自らの死に場所と死に方も知っている。誰にどのように食われるかと言う事でさえも。なぜか。それは、限りある資源をめぐって異なる異種同士が無益な争いを避けるために、生態系が作り出した動的な平衡だから。そして、その流れを作っているのは他ならぬ個々の生命体の活動そのものだから。彼らは確実にバトンを受け、確実にバトンを手渡す。黙々とそれを繰り返し、ただそれに従う。

これを生物学用語で「ニッチ」と呼ぶ。ニッチとは本来的に隙間の意味ではない。すべての生物が守っている自分のためのわずかな窪み=生物学的地位のことだ。窪みは同時にバトンタッチの場所でもあり、流れの結節点となって、物質とエネルギーと情報の循環、即ち生態系全体の動的平衡を担保している。敢えて今、ニッチを「分際」と訳そう。全ての生物は本能の、もっとも高度な現れ方として自らの分際を守っている。ただヒトだけが、自然を分断し、あるいは見下ろす事によって分際を忘れ、分際を逸脱している。私たち人間だけが他の生物のニッチに土足で上がりこみ、連鎖と平衡をかく乱している。

ヒトは何が自分の分際であるかを忘れさっている。しかし他の生物のありようを見れば、分際とは何かがわかる。長い時間をかけて生み出されたバランスのことである。ほんの少しだけ昔のことを思い起こしてみればよい。たとえば江戸時代、私たちはずっと風土に根ざした暮らしを送っていた。歴史は再発見されるべき未来である。旬のものを食べる。地産地消を考える。薬物や添加物など自らの平衡を乱すものを避ける。時間の経過に抗わない。流れをとどめない。足りているものをそれ以上取らない。

2010年2月8日月曜日

分からない事だらけ

小生にとって世の中分からない事だらけであるのはやむを得ない。以下その一部を順不同で

政府が閣議で、「かつて外務省の報償費が首相官邸の外交用務に使われたことがあったことが外務省において判明した。」と発表したにも拘らず官房長官が、「上納した証拠があるか調べさせたが、官邸サイドに証明するものがない。保存義務がないということで確認するすべがない。」とつじつまの合わない見解を述べているのは大分おかしい。旧政権時代に内閣で隠ぺいしていた事で新政権が真相を突き止めた事はもっと沢山有る筈だ。もっと詳細を発表すべきだろう。こんなことで旧政権に恩を売ってどうするのだと言いたい。元外務大臣や官房長官を検察庁で事情聴取してみては、と突っ込みたくなる。

プリウスで摩擦ブレーキと併用されている「回生ブレーキシステム」何でもブレーキを踏むと動力源である電池に蓄電される画期的なすいステムらしい。今回問題になっている事案はここに原因があるらしいが、説明を一度読んだくらいでは理解できない。乗り回す人はこの仕掛けとリスクを十分認識しているべきと書いてある。小生自家用車と縁を切った生活をしているので取敢えずは良しとしても、時々個人タクシーにプリウスを見かける事もある。どんな車種にせよご老人ドライバーのタクシーは遠慮すべきかも。

バンクーバーのオリンピック実行委員会は雪がなくて苦労しているみたい。カナダのウィスラーと言えば嘗ては生涯で一度は行ってみたいと思った超有名なスキーリゾート、ベストシーズンはこちらの春休み時期と思っていたが、よりによってこんな時に雪不足とは何故なんだろう、今までにもこんな事はあったのだろうか?カナダとは対照的に札幌では雪まつり開幕の直前に寒波襲来で目出度く雪もたくさん降ったらしい。東北地方や信越地方では降りすぎて困っている地域も続出しているようだが、地元の人は昔から織り込み済みだろうから仕方がるまい。有るべきものが無いというのがやはり一番困るだろう。分かっているけどままにはならぬ事がある。

海外ニュース、このところ国内のつまらない話題でもちきりなので海外ネタが少ない。インド洋から給油艦が帰国したようだが大したニュースになっていない。予算委員も詳しく見ていないので分からないが、新政権のアフガン支援に関するスタンスはどのような形で進行しているのかが気になる。アフガンに関してはアメリカのスタンスも分かりにくいが、本音では手を引きたいようでもあるが、その辺りについて胸に落ちるような解説が見当たらない。拉致家族の人たちも気が気ではないだろうが、北朝鮮の国内もなにか相当に動揺しているという断片情報があった。金正日の姿かたちを見ていれば、あれでリーダーシップが発揮できるはずもないと思うのだが。

テレビを見ていると『酢』『ウコン』『ヒアルロン酸』等々の健康食品のコマーシャルがやたらに多い。口に入れても毒にはならないのだろうが、マジで効き目を信じて飲むのだろうか。これらは厚労省から特殊栄養食品としてお墨付きを貰っているのだろうし、消費者金融も今や銀行の下請けか分家見たいものとして認知されてしまったのだろう。分からないのはパチンコ機械のメーカーや電力会社の原子力発電のテレビCMが堂々と流されている事だ。小生の現役時代にはこれらはどんなに頼んでもOKにならなかった。いつどんな経緯でOKになったか知りたいものだ。そのうちに自衛隊員募集CMが放送されるようになるのかなぁ?

2010年2月5日金曜日

朝青竜に小沢一郎か

今週はいろいろな事件があった。週末テレビ番組のプロデューサーは時間配分が大変だろう。朝青竜問題についてはどのメディアにしても『あれしか道はなかった。』と云う事でほとんど一致しているようだ。今後の問題についてはいろいろな意見があるが、相撲人気がどのような道筋を辿る事になるかは今論じても始まるまい。要は当事者の心がけ次第で、これを奇貨として良くなっていくかもしれない。またそうなる事を祈るばかりだ。

一方の小沢問題も一段落したが、新聞、テレビは小沢氏個人の犯罪性については疑念が残るものの証拠が十分でないので『取敢えず不起訴』と極めて読者視聴者からすると消化不良の報道を続けている。一方インターネットで紹介されている郷原信郎氏のコメントを拾うと大分ニュアンスが異なってくる。元々彼は次のように言っていた「本件については検察が西松の談合を摘発しようとしたところ旨くいかなかったので、失地回復の意味もあって陸山会への献金を不実記載と云う無理筋で挙げようとしたところからそもそも間違っている。」

従って今回起訴された3人についても「この起訴についても相当に内部で悩ましかったのではないだろうか。特捜部長の記者会見が通常より2時間半も遅くなったのはその混乱のせいだと思う。」とも言っているくらいだ。当然小沢氏の不起訴は当たり前だと言っているのだが、小沢氏に対しても非常に厳しい。彼は特定の政治家や政党のためにこのコメントをしている訳ではなく、いま日本人全体が検察のあり方について考えてほしいから、と念を押した上での発言である。

曰く「小沢氏の説明は説明になっていない。大体政治家の政治資金団体と云うものは政治家の財布のようなものである。この財布の中に土地や建物を突っ込もうと言う事自体間違っている。小沢氏は政治資金団体が不動産を持つ事が出来ないので取敢えず個人名義にしている。<個人としては何の権利も有さず、陸山会の指示なく処分することはできない>みたい確認書でごまかそうと言うのも良くない。純粋に政治活動のためにだけという事であれば、不動産を全て民主党にでも寄付してしまった方がいいのでは。」との事。

更に続けている言葉が重要で「この件について今後民主党や小沢氏が検察との戦いと捉えて、報復に出るような事が絶対にあってはならない。」とも言っている。民主党側もそんな馬鹿な真似はしないと思うが、素人からすると野党側が鳩山発言などは「指揮権発動」と同じようなものと騒ぐのも分からないでもない。素人の老夫婦でも『推定無罪もへったくれも有ったものではないな。民主党のダメージは大きいな。』『でも小沢さんは取敢えずよかったわ。去年の8月の選挙で勝たなければ今頃議員辞職ものだったかもよ。』てな会話をするくらいのものだ。

2010年2月4日木曜日

技術立国日本

日本は先の大戦で敗れたとはいえ、高いモノづくり技術を持つ人材が残り、尚その後も同様の人材を育成してきたからこそ、これまでの経済発展を遂げる事が可能だったのだろう。私は文科系の道を歩まざるを得なかったが、私が社会に出た頃は、成績の良かった友人の多くが技術屋さんになったような気がする。文系の私でさえ社会に出る時には何かものを作る会社に就職したいと思ったものだ。残念ながらこちらの夢も叶わなかった。訳が分からないまま広告代理店に就職してしまったが、今の感覚で言えばインチキくさいサラ金企業に身を預けたような感じだった。製造業の次は百貨店とか船会社、商社あたりまでは就職先として許せる範囲だったけど何れも手が届かなかった。

従って技術立国については語る資格は全くないわけだが、先月売りの文芸春秋で「日本企業はなぜサムスンに負け続けるのか」(元サムスン電子常務・東大モノづくり経営研究センター特別研究員芳川良三)なる記事を読んだ。要は製造業で世界に冠たる地位を占めていた我が国が既に韓国や中国にキャッチアップされ、更にbrics諸国にも抜かれてしまうよ、という警告と著者が考えるところの問題点が書き連ねてあった。門外漢の私としては「成程そんなものか」と軽く読み過ごしていた。その後マイコンのディザイナーしている婿から、「完成品としては一見後進国にキャッチアップされているようにも見えますが、マイコンなど心臓部は殆ど日本製なんです。我が社もこのところ輸出が旺盛でフル稼働です。」なんて話も聞いたので少し安心もしていた。個人的には「世界に冠たる」と言う言葉も好きでもないし、婿さんの会社が潰れると少し困るが日本全体が他国に抜かれてもどうという事はないだろうと気楽に考えていた。

しかしここに来てトヨタのアメリカに於けるリコール問題が発生した。これも車を持たない私としては余り関心はなく、ひょっとしたらトヨタが儲け過ぎたのでアメリカの国策陰謀に引っ掛けられたのでは、と内心下種の勘繰りをしたりしていた。しかしここに来てpriusのブレーキ問題が国内で出てきた。これは正に婿さんが自慢していた電子制御ディバイスの問題ではないか。是非彼の意見も聞いてみたいものだ。たまにはこの日記も読んでくれているようだから、今度会ったら解説をよろしく頼むよ。更に先日は新幹線のパンタグラフを設置するボルト4本そっくり嵌めないまま走らせるという事件が起きている。相撲界のスキャンダルや政治と金の問題の陰に隠れて大した騒ぎにはなっていないようである。

私はこれまでこの日記で、老人はさっさと引っこんで若い人に仕事を任せるべき、と盛んに言ってきた。しかし考えが少し変わってきている。確かに頭で考えたり喋ったりする事に関してはフレッシュな脳みその方が古いものより有効と言えるかもしれないが、何もかも若い人に任せれば良いというものではないのかもしれない。特にJR東海のパンタグラフの時に家内が言った次の言葉が気になる。「最近は企業の合理化で年寄りがどんどん首を切られているようだけど、この事で従来職人から職人へ継承されてきた技術がうまく継承されていないという事があるみたいよ。」どんな職種にも仕事の形について革新はあるだろう。しかし先輩が受け継いできた良き伝統の中には基本的にどうしても忘れてはいけない事があるのではなかろうか。これを消すことなく後世に残す事を若い人に望みたい。

モノづくりについても口を出す資格は全く無いのを承知で書いている。

2010年2月3日水曜日

『検察の正義』 郷原信郎 著

今週まとめて読んだ検察関連書物最終の3冊目である。郷原氏については、小沢民主党党首の大久保秘書が西松献金問題で逮捕されてから民主党によって設置された「第3者委員会」の委員でもあったし、その後もいろいろなメディア取り上げられている。私も事件の少し前に偶然彼の著書『思考停止社会~「遵守」に蝕まれる日本』を読んでいたので、西松献金問題以降ずっと注目していた。特に「第3者委員会」でロッキード事件の特捜検事として名を馳せた堀田力氏のヒヤリングで生の姿を見て、クールな人だな~と感心したのを覚えている。

この本は比較的クールではあるが素人向けに書かれている。先ずは日本の司法がどのような概念で形成されているかを極めて簡潔に説明している。まさに私が求めていた参考書にぴったりと云う感じ。曰く「司法の問題は一般市民の塊の外側に存在する、平たく言えば主に犯罪を無くすためのものだから一般市民が知らないのは当たり前」と嬉しい事を言ってくれる。そこから入って段々と検察の役割と検察が背負っている印半纏の正義について論じている。

検察が日本社会で果たしてきた役割と現代生じつつある問題点を、具体的な経験などを踏まえ描こうとしている。即ち著者は検察が社会の変化に対応しきれず独善に陥りやすいとして、そのあり方を真剣に見直す時が来ていると指摘している。先に読んだ2冊に比べればボリュームは全然少ないが大変分かりやすい。

本論とは関係ないかもしれないが、著者の経歴が冒頭に簡単に記されている。彼は元々東大理学部の出身で当初は三井鉱山と云う財閥系企業のサラリーマンになった、しかしこの企業の官僚体質が嫌で2年足らずで辞めて、独学で司法試験を通り弁護士を志す。ところが指導教官にやや強引に検察に引きずり込まれたようだ。成程、頭も良いしクールな訳だ。

もう1箇所印象的だった記述「ロッキード事件が検察にとっての日本海海戦で、この勝利が検察の大艦巨砲主義を生んで後の暴走につながっている。」会計の知識も全くない検察官が正義漢面してホリエモンや村上ファンドのおじさんの行為を断罪できるのだろうか?当時テレビによく出演していた堀田力(良い人ぶったこの男、私は大嫌い)何かと噛み合う筈もない。小沢問題についての記述は極めて少ないが、関心ある向きには是非お薦めしたい。

2010年2月2日火曜日

"知事抹殺 つくられた福島県汚職事件"佐藤 栄佐久 著

このところ政治と金絡みで検察に対する批判が多い。実態について少し知るために、先日リクルート裁判について江副氏の本を読んだが、もう一冊被告人側の言い分をと思って、元福島県知事佐藤氏の書いた本を読んでみた。前者の場合は既に裁判が終わっているが、著者の場合は未だ最高裁上告中で結論が出ている状態ではない。但し1審の判決が検察の求刑に対してかなり軽くなったことから弁護人(リクルート裁判では特捜部長だった宗像紀夫氏)は実質無罪のようなものだと言ったらしい。2審の判決は1審よりさらに軽いものになっているのも事実。

彼も本書で、事件が検察のでっち上げで自分は無実であるとの主張だ。前半は彼が30歳代後半青年会議所活動から政治家に転身して参議院議員から福島県知事となり、県民主体の地方自治のために如何に中央官僚と戦ってきたかについての自慢話。後半が裁判に関する記述となるが、検察の捜査と取り調べのあくどさは江副氏の書と大同小異。後半の裁判記録からの抜粋で、彼の主張である『知らなかった事ではあるが、彼の兄弟やら部下やら元後援者が手を染めた談合事件に巻き込まれ主犯にされてしまった。』は検察の筋書き通りではあり、裁判記録を見ても検察の主張には矛盾が多くて納得できるものではない。としている。

余談になるが前半でかなり原子力発電問題に触れているのが、個人的に別の意味での興味を引いた。江副氏の場合もそうであったが、彼も拘置所で取り調べられている内に検察側のストーリーに沿った自白調書にサインをして保釈されている。これは当時毎日面会している弁護士からも、してはいけないとアドバイスされているにも拘らずである。結局裁判でこれをひっくり返して再び戦わざるを得ない事になる。自らも不本意であったことは認めているが、拘留が長引き周囲の人に及んでいる迷惑を考えると仕方がなかっとしている。経験した事がないので実感ではないが、察するにそのような環境に置かれる事を想像すれば分からないではない。しかしこのような自白強要が最近問題になっている冤罪を引き起こす可能性は無しとはしないだろうとも思う。

しかし裁判に関する言い分は片方のものだけを丸呑みにするわけにいかないのも事実。本人がいくら無関係と言っても、周囲の人間が談合と収賄にコミットしていたのも事実。その中で佐藤兄弟だけが断罪されて、最も深くコミットした人間(福島県の土木部長現役と前の2名)が証人喚問だけで罪を問われていないのが素人目には不思議と言えば不思議。この手の本は読後感を書くのも難しい。火のない所の煙かもしれないし見えないだけで火も有ったかもしれない、全面的に著者の肩を持つ気もしないし、検察のあり方には益々考えるべき事が多いと感じた。

2010年2月1日月曜日

久しぶりの雨

今日は1日、早くも今年最初の1カ月が過ぎてしまった。今までの冬晴れとは異なり昼から冷たい雨が降り始めている。今夜は雪になるとのことだ。雨音だけを聞いていると何とも感傷的でいいものだ。
若い頃は何がなくても毎月1日は必ず行きつけの店に飲みに行ったものだ。今は遊ばないので分からないが、花柳界では朔日は芸者衆は大概無理して?新しい着物を着たものだ。この着物の仕付け糸を取る栄誉にあずかった事もあったな。なんてバカな事を思い出している。

たまたま昨晩は婆さんと一緒に、楽天の野村元監督、九重親方(元横綱千代の富士)、具志堅用高等が出演して昔話をする変な番組「ジャンクSPORTS」を途中まで見た。結構楽しんだが、こちらは昼間録画した囲碁対局が大事なので途中で失礼して自室に籠ってしまった。今朝の食事中に見られなかったところをちゃんとフォローしてもらった。野村さんの話では「王選手とたまたま銀座で同席する機会があったそうだが、王さんはある時間になると『お先に失礼』と言って帰ってしまう。あいつはそれから素振りをするんだよ。だから俺は嫌いなんだ。」とか「千代の富士が現役時代、遊びから比較的早く部屋に戻ると、親方(先代九重、元横綱北の富士)が『お前身体の調子が悪いのか?』との事だったので慌ててもう一度出直した。」等々

序にこれは別の番組の話とのこと。何でも現役の花売り婆さんがテレビインタビューに答えていたそうだ。この花売り婆さんは既に60歳前後で50年近く銀座で花を売っているので昔は正真正銘の花売り娘。で曰く「銀座には最盛期100人ほどの花売り娘がいたけれど、現役は2人だけ。それでも花を完売できない夜がある。」「石原裕次郎さんなんかがいた頃は、一人で全部の花を買ってくれるなんて事もありました。」歓楽街も大変そうよ、昔は良かったわね~。今は誰が大人の遊びをするのかしら。

世の中誰もが真面目になればいいというもんではないでしょう。特に男の人が子育ての手伝いやら料理の手伝いをする事がマスコミ持て囃されるのはどうかと思うわ。お互いすべきことをきちんとしないから中途半端な事がもっともらしく罷り通ってしまうのよ。といつも調子。我が家は真面目な王選手より野村監督贔屓だし、役者なんぞが品行方正では困る、大いにあぶく銭を遊興に散ずべしとの考え。役者やスポーツ選手に品位を求めてはいけません。と言っても品位がないのは許せるが、相撲取りが他人をぶんなぐるなんてもってのほか。