夕べも寒かったが今朝は道路一面にうっすらと雪が積もって長靴での出勤になった。新潟やワシントンの事を思えば大したことではないが、東京は普段暖かいので寒い日が続くと身にこたえる。しかし雪景色は良いものだ、「雪化粧」の言葉通り枯れ木や植え込みは白く覆われ、屋根も道も白く染まると町中が生まれ変わったように美しく見える。天気予報を聞いていると、今月は東京でも雪の日が例年になく多いらしい。折角四季のある我が国のことだ、冬は冬らしい方が良いのだろう。昔は冬が1日でも長く続く事を祈ったが、今や「春よ来い 早く来い」の心境になってしまっている。
バンクーバー冬季オリンピックもやっとメダルを獲得できて先ずは目出度い事だ。普段スピードスケートには何の興味も持たないのだが、日本人が入賞と聞くと素直に嬉しくなる。学生時代はオリンピックなんてものは世界の超一流選手が出場して競うもので、日本選手なんぞは最初からお呼びでないという感じだった。中高大学生時代に関心を持ったスキー競技情報は国体や学生選手権が主で、殆どが大学スキー部の選手だった。昭和33年私が高校1年の時、猪谷千春選手がコルチナで男子回転競技で銀メダルを獲った時は奇跡が起きたように感じたものだ。
事実彼の場合は当時としては特異な例で、戦前から生涯スキー場暮らしをしたお父さんから幼い頃からスキーの手ほどきを受けながら彼もスキー場で育った(小生がスキーを始めた頃は既に志賀高原に住んでいた)。小生が初めて志賀高原に行ったのは確か昭和26か27年ころと記憶する。その時すでに丸池スキー場の現在のAコースにスキーリフトなる機械が既に設置されていた。しかしこれを利用できるのは在日駐留軍関係者だけで一般日本人は利用できなかった。例外的にこのスキー場の主的存在であった猪谷父子はこれを利用していた。非常に羨ましく思ったものだ。
猪谷選手はここで中学生か高校生ぐらいの時に、その素質をアメリカ人のお金持ちに見込まれて渡米、アメリカの大学に入ってスキー選手となっている。従って日本の国体や学生選手権には出場していない筈だ。勿論当時はテレビ報道はなかったが、ニュース映画に出てくるスターは男子滑降とかジャンプの世界チャンピオンばかり、トニーザイラーなんて人は殆どの日本人が知っていたのではなかろうか。オリンピックチャンピオンになった後、日本に来て日活映画に出演した程だ。コルチナには長野県からアルペンの杉山氏とかノルディックの塩島氏とかが出場していたはずだが、出場している事が大事で順位は記憶にもない。
杉山氏は普段志賀高原丸池スキー場でパトロールをしていたのでよく覚えている。もとよりスキーは大変上手だったがコーチなんて勿論居なかった筈だ、杉山氏自身が我が国の第一人者で、彼よりスキーが上手い人間がいないのだから。今は専任のコーチやトレーナーが一体となって、何年もトレーニングに打ちこまなければとてもオリンピック選手にはなれないだろう。当時は勤務先から特別出張を命じられたような気分でのコルチナ行きであったに違いない。外国のスキー場で滑ってきた日本人なんか殆ど居ないのだから、地元ではコルチナに行ってきた事が既に今で言えば金メダル級の箔付けとして話題になったものだ。
そんな事を思うと日本人もよくここまで来たものだ。オリンピックはアマチュアの大会なんて事は今や誰も言わない。特に冬季の種目は莫大な費用が必要になっている。今や冬季オリンピックはプロでなければ出場できないだろう。女子フィギュアの浅田や安藤、ボ-ドハーフパイプの国母達は学生と言っても学校がスポンサーに一員であるプロのようなものだ。そんなことはどうでも良い、小生には数も分からないくらい多くの競技に選手を出場して、中には上位に食い込む競技もある。テレビは終日バンクーバーからの中継映像ばかり、これに国民が一喜一憂して不景気を忘れてくれれば結構なことだ。
雪上競技ではモーグルもスノーボードもボブスレー系統も小生からすると皆新しいが、見ているだけでもスリル満点だ。特にスキークロスは確か今大会から正式になったと思う。この競技は一つのコースに4人が同時に滑るので接触事故の危険(故意に妨害するのも技のうちらしい)が常にあり物凄い迫力がある。女子のスキークロスには長野県から福島のり子(上村愛子と白馬高校同窓生だそうだから、年齢的に見て上位を期待するのは少し無理かな)がエントリーしている。志を了として応援しよう。
2 件のコメント:
いつも感心しますが、よくこんなに長く読ませる文章を書けますね。また記憶力がいいです。
昨日中学の同級会を何十年ぶりにしましたが、貴君の同級会とは大違い。離婚やら死別やら「今日は何カ月ぶりに美容院に行った」とか女性たちのバアバ振りにはビックリ。
私の家は医者だったので、私が医者だと思っている者もおり、おれは違うんだと言っても、先生先生と連呼され困惑しました。
takさん
お早うございます。いつもコメントをありがとうございます。
このところ良いか悪いかは別にしてブログ中毒です。
考えても見てください、もう70歳ですよ。中学生の頃70歳と言えば生きている方が、周りから長生きのお年寄りとされたものです。我々が元気すぎるのではないでしょうか。
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