2012年7月27日金曜日

オリンピック開幕

土用に相応しい熱帯夜が続き睡眠が浅い。エアコンをつけたまま寝ればいいのだろうが、これが苦手で1時間タイマーをセットして寝ても2時間もすれば起きてしまう。結局夜中に2回ほどセットし直したが、寝起きがすっきりしない。どうせだったらオリンピックサッカーの中継でも観ればよかった。今夜は頑張ってオリンピック開会式の実況でも観ようか。

開会式の前に始まったサッカー予選は、男女とも幸先の良い勝利をあげてくれた。政治家は国民に勇気も感動も与えてくれないが、スポーツの選手はルールすらよく分からない年寄りにまで感動をもたらしてくれる。山から降りてきて三日間印象に残るのは、イチロウやサッカー等のスポーツ関連ニュースばかりだ。競技が本番に入れば、感動的シーンが次から次へと更新されること期待しよう。

先日のテレビ番組「ミラクルボディー」を観たせいで、体操の内村航平選手の鉄棒とジャマイカのウサン・ボルトの100mには特に期待している。とは言ってもスポーツの世界は政界のような八百長が通用しない世界だ。国を代表して出場する選手のトップクラスになれば、心・技・体とも全て紙一重の差であろう。その全員が4年間の訓練の結果をたった1回の瞬間に賭けるわけだ。ただ観るだけでも緊張感を覚えるのだから、選手の神経に掛かる負荷は想像に余りある。

そのプレッシャーに潰されず結果を出す選手には心から敬意を表したい。男女サッカー予選初勝利のテレビ報道は既に何回観たことやら、腹立たしさは全く感じない。新聞も大部分はスポーツ関係の記事で埋め尽くされている。
テレビですべて観ている事ばかりで、殆ど読むところが無い。

この機に乗じてオスプレーを日本に持ち込ませたり、原発再稼働をどんどん進めてみたり、国民に申し訳ないようなことばかりしている政治家は「してやったり」とほくそ笑んでいるかもしれない。おそらく昔からよく言われる「三知る(天知る地知る己知る)」を知らないのだろう。「天網恢恢祖にして洩らさず」なんて言葉もあった。罰が当たらなければいいが。

2012年7月26日木曜日

身を捨ててこそ浮かぶ瀬も

山旅から爽やかな気分で帰ってきたと言うのに、昨日は前の仕事の関係で嫌な話を聞く羽目になってしまった。新社長が言ってきたのは得意先の新担当役員が「コストダウンをせい!」と大号令をかけているので協力してほしい、とよくある話だ。そもそも我が社の仕事は全て人件費みたいものだから、値下げの限界は有って無いのと同然。二言目には、「協力してくれないなら見積りの競争入札をするしかない。」も決まり文句みたいなもの。

ソフトの世界だから、見積り競争をすれば1円で入札する会社だって無きにしもだろう。社長を譲って3年目、何とか新社長に長く会社を継続してほしいと願っていたが、当初の経緯を知る人も皆いなくなってしまい、今は只コストダウンの話ばかり。起業者としては残念だが会社の命運が完全に尽きたみたいだ。自分は既に給料を取っていないのでどうでもいいが、社長になってもらった青年は気の毒だ。

なんとか出来るだけの面倒は見たいが、持ち出す資金の財源は知れている。青年社長は性格が良いので、クライアントから言われるとズルズルと値下げをしてしまいそうだ。仕事の確保を考えれば、それも一つの生き方だろう。最終の判断は彼に任せるが、小生にはそれが出来ない。商売は互いに対価を支払い或いは受け取る違いこそあれ、立場的にはフラットでなくてはいけないと思っている。払う方が偉くて、受ける方が常に言う事を聞かなければならないものではないだろう。

若い時からこれだけは信念として持ってきた。むしろ顧客(施主・注文主)より仕事をする協力者を大事にしてきたので、仕事を失ったり、会社を辞めざるを得なくなったこともある。だから昨日は青年社長に「乞食じゃないんだから、安めの仕事なんか受けずに入札でも何でもしてもらえ。結果的に仕事は無くなるけれど仕方があるまい。」と無責任な檄を飛ばしてしまった。若い青年には技術があるのだから、一時仕事が無くなれば数日腹は減っても死にはしない。

そこにいくと、何となく組織の中を上からぶら下がっている紐にしがみつき、へいこらと泳いできた年寄りは始末に負えない。上の方から一発かませば、直ぐ手の平が返るのは分かっているが、今更そんな事までする必要さえ感じなくなってしまった。個人的な生活など伺い知る由もないが、哀れな奴よと思うだけだ。

面白いもので、今日突然全く別の筋から電話が来て仕事を手伝ってほしいとの話だ。明日以降何が起きるか分からないが、72歳にしてまた一つ新しい山を発見することにもなりかねない。期待が膨らむよ。

2012年7月25日水曜日

楽しかった!山旅


先週金曜日19日から富山市経由で昨24日までの6日間、北アルプスの名峰黒部五郎岳への山旅を楽しんできました。当初計画では土日を避けて16日からの計画でしたが、同行者が梅雨が明けないので19日からに変更しようとの意見を入れてでした。結果的にはそれでも尚梅雨は明けず、入山の20日から3日連続の雨でした。しかし後半の2日は晴天に恵まれ、初めての富山県側の北アルプスを堪能しました。

日本山学界の大先輩田部重治さんによると、日本の山は登山や山登りと言うより山歩きと呼ぶのが相応しいと言っています。田部さんはたまたま富山出身の方でもあり、今回雨の為都合3泊もしてしまった太郎平小屋周辺を、大正年間に歩かれ、自分が自然と一体になるのを感じたと書いています。私も今回は連日の晴天に恵まれたわけではありません。しかし雨もまたごく当たり前の自然の営みで、その雲行きの変化の中にに身を置いたことは決して厭わしいことでもなく、省みればすべて楽しいことばかりです。

特に雨のお陰で計画を変更したことが幾つかありました。先ずは前泊の富山市から登山口折立へのアプローチをバスからタクシーに変更した事です。これがこの旅を楽しくした最初で最大のことだったかもしれません。先週富山市で大きな医学界の会議があり、8千人規模のお医者さんが全国から集まったようです。そのためにこちらが直前に計画変更したので、前泊の宿を取るのに苦労しました。

結局駅前の中心から離れた木賃宿で前泊して、登山当日朝は6時10分のバスに乗るためタクシーで駅に行くことにしました。当日朝5時に乗ったタクシーのドライバーさんは我々の装束で直ぐに登山口折立行と判断して、4人だったら登山口までこのまま行ってもバス代と変わらないよと持ちかけてきました。バス代が一人3400円(4人合計13600円)、タクシー代は駅から13500円で4人ですと100円安くなります。

早速この話に乗って登山口に向かいました。結果登山口には予定より1時間早く着くことになり、7時過ぎに雨の中を登山開始したのです。これがラッキーの始まりで、我々が乗車を予定していたバスは集中豪雨の影響で、途中の林道が閉鎖になり、入山出来ませんでした。確かに登山道は川の流れを行く気分で最高ではなかったかもしれません。しかし私は雨には慣れていますし、暑さに炙られるのと比較して、どっちがどうともよう言いません。

山小屋の経営的見地からすると大きな迷惑かも知れませんが、後続の客が登ってこないのですから小屋はがら空きです。シーズン初めで身動きできない寝場所を想像してきたのですが、一人布団一組は望外のことでした。そして尚、翌日も土砂降りだったので丸1日山小屋で休養せざるを得ませんでした。このことも翌日の登山には有難く、小屋から黒部五郎岳経由黒部五郎小舎までの行程約12キロを無事歩くことが出来ました。

その他今回の山旅では山のベテランとの出合いがあって、北アルプスの南方面に関して貴重な知識を貰ったり、楽しいことが沢山ありました。1週間近く新聞もテレビも見ませんでしたが、昨日気になったのは名古屋場所の優勝が誰であったかぐらいで、後は何も気になりません。まして留守中の新聞なんか何一つ見る気にもなりませんし、暫くこのままボーとしていたい気持ちです。

山旅の詳細は下記からご覧ください。
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-209957.html


2012年7月18日水曜日

梅雨明けでした

昨日梅雨明け宣言がまだ出ていないと書いたが、実際は昨日出ていたようだ。「それだったら海の日の月曜日に発表すべきだった。」とテレビの天気予報のお兄さんが言っていた。どうも梅雨明けには科学的な根拠が無いらしい。気象庁の予報官の気分次第のようである。天気予報自体当たらぬも八卦の感があるので仕方がないかもしれない。今朝友人とこの事を話しているうちに祝日のことに話が及んだ。彼が言うには「海の日が毎年ずれるのはおかしいでしょう。」

全くその通りである。今週はたまたま月曜日から関東では晴れtが、7月16日では梅雨明けにならない可能性が高いのではないか。当初設定した7月20日の方が余程海の日らしいだろう。東京オリンピック開催日を記念として設定された10月10日の体育の日をずらすのも同様におかしな話だ。1月15日の成人の日にはどんな意味があって設定されたか定かではない。多分昔は小正月にそれなりの意味があったのだろう。

さすがに現天皇様の誕生日は動かす訳にいかないようだが、それぞれ意味のある、或いはあっただろう祝日を、いつの頃からかは忘れたが、単に連休が増えて勤め人には具合が良かろうとの理由だけで、前後の日曜日にくっつけてしまった。時間の効率活用優先と言うことなんだろう。今更目くじら立てたところで仕方ないが、古来からのけじめが全く意味を失っている。

似たような事で、勤め人もフレックスタイムとやらで会社勤務もけじめのない形態が増えているらしい。確かに、形式には拘らず仕事は結果が全てかもしれない。結果を優先するためには会社組織も随分変わっているようだ。ピラミッド型の指揮系統を組織化している大手企業は皆無に近いと聞いた。化石時代のサラリーマンとしては、ピラミッドに組み込まれて始めて競争心が生まれ、上下の則を超える功名心が生まれたと思っている。

サンデー毎日の生活になると、けじめのある日常がひたすら恋しくなるのは己が余りに無趣味のせいばかりではあるまい。けじめのある日常にぽつんと休日が来ると、如何にも「あゝ今日は祝日だ、一休みしよう。」と言う気になると思うが、やけに3連休ばかり続くと却って身を持て余すお父さんやお母さんが多いのでは?と余計な心配をしてしまう。

明日からは久しぶりの非日常生活、富山市経由で北アルプス黒部五郎岳に出かけます。帰宅予定は来週月曜になりますが、どんな山旅が待っているか!期待に胸を膨らませています。

2012年7月17日火曜日

夏休みはオリンピック

梅雨明け宣言が出ないが完全に真夏の天気だ。日中は帽子をかぶっていても、背中に直射日光が当たると瞬間的に汗が噴き出してくる。太陽エネルギーの凄さに感じ入ってしまう。同時に同じ太陽でありながら、冬になるとなんでああも受け止める熱に違いが出るのか、改めて不思議な感じがする。何でも地球の回転軸が少し傾斜している関係で、夏は太陽がほぼ真上から照らし、冬は斜めになると覚えたような気がする。

習った時はそんなものかと不思議に思わなかったのだから、今更不思議がっても仕方がないか。それにしても今年の集中豪雨は九州や中国地方の一部地域を狙い撃ちにしているみたいだ。水が無ければ生活もできないし命もつなげないのは勿論だが、ひとたび常識外れの量が降るととんでもないことになる。「過ぎたるは尚及ばざるが如し」と言っても相手が自然現象ではどうにもならない。せめて人間社会の事象に関しては、何事も程々であってほしいものだ。

日本だけでのことでははないかもしれないが、ある社会現象が急に大きなつむじ風のように発達する現象をしばしば目にする。現代社会におけるマスコミの発達によるものと思うが、その流れに逆らうことは誰にもできないようだ。流れに取り残されていると感じることがあるが、あたかも集中豪雨で孤立した集落に居る思いである。しかし生命の危険が生じている訳ではないから我慢している。

夏休みが始まると、オリンピック旋風が巻き起こるかもしれない。スポーツ観戦の趣味はないので、ここでも取り残される思いになるかもしれない。でもスポーツ選手の発するメッセージは感動的であり、視聴者に致して確かな何かを伝えてくれる。関心が無いようなこと言いながら、先日のNHKスペシャル第1回ミラクルボディー「ウサン・ボルト人類最速の秘密」には思わず見入ってしまった。

短距離の世界チャンピオンがどのようにして生まれ、如何にしてその栄誉を手にしたかの物語ばかりではなく、その肉体の秘密を科学的に見せた。普段はメディアの悪口ばかり書いているが、正直この番組には脱帽せざるを得ない。想像できないほどの時間とコストを費やしているのだろうが、さすが年間ウン万円のお金を取る局だけのことはある。2回目は体操の内村航平のドキュメント。これはまだ見ていないが、録画を今夜みるつもりだ。

暑さのせいか、思考停止状態のつまらぬニュースには飽き飽きした。

2012年7月15日日曜日

政界の行く末?

連立野党なんて変な日本語は無いようだ。しかし自公の野党連合は、ものの見事に与党民主党を内部から崩壊させることに成功した。誰の手柄にすべきか知らないし、個人的には残念であるが、あっぱれと言う他あるまい。内部から分裂崩壊を始めた組織が再生するとは考えにくい。飛び出た小沢新党も何を考えたか理解しかねるが、衆議院37名中次回選挙で生き残るのは一桁と言われている。

今朝の報道によると、民主党では離党者のために空いた選挙区には新候補を擁立する方針とのこと。これも尤もなことで誰にも反対できない。しかし現在落選中の野党陣営からすれば、現役が新党に移行して、ただでさえ苦戦するであろうところを、昔ならば同士討ちの形で一方の敵が足を引っ張ってくれる話だから、楽勝ムードで笑いが止まらないかもしれない。鳩山グループも離党はしないと言っているが、野党からするともっと揉めてほしいところに違いあるまい。

次回選挙は旧民主党系議員が大量に落選して、自民党が大勝することになる(勝手な予想)。参議院が少数与党であるにしても、衆院での再議決で何事も自公の思うがままになると、どんな世の中になるのか?政権復帰のお祝いムードに乗って景気が良くなれば結構なことかもしれない。己にとって何の不都合があるのか、根がお目出度いので己に不都合なことを想像できないのだ。自民党の石破茂氏に言わせると「国民の生活が第一なんてふざけている。政治家は誰だって国民の生活を第一に考えているのです。」

ならば、何も心配することはない。早いとこ選挙をしてもらって政権交代をして貰おうではないか。一点引っ掛るのは、政治家の諸先生方が昨日まで同志だ仲間だと言っていた人間を、党派が分かれた途端にどうしてああまで悪しざまに罵るのか。人によって違いはあるかもしれないが、小沢氏から離れた石破茂氏と小池百合子氏特にその傾向が顕著である。今度は民主陣営と小沢陣営で罵り合うのかと思うと些かうんざりする。

結局のところ、また財務省や検察の官僚主導世の中になり、政治家は単に国民向け振付けられた木偶となり下がる危険が多分にありそうだ。問題はこの20年の間に官僚の質が大きく落ちていると聞く。現在の政界の凋落傾向から世の行く末を考える時大きな問題であるが、この官僚の質的問題を指摘する声は未だ出てこない。ここ数年俄かに政治に関心を持った者として残念でもあり、心配でもある。

2012年7月14日土曜日

アニメの世界

今日はお坊さんのとの遭遇が多い。田舎育ちでピンとこないが、江戸はもうお盆だ。絽の墨衣に白足袋履いて赤いヘルメットをかぶり、スクーターに乗っているお坊さんは何となくユーモアがある。それにしても梅雨末期の暑さには閉口する。九州地方の豪雨被災者の事を思えば暑さくらいなんだ、と叱られそうだが、熱射病になりそうだ。老人は代謝機能が低下して外気温に鈍感になると聞いたがとんでもない。30分歩いただけで汗が滝のように流れ出た。

毎週末の午前中に通る池袋西口のルミネビル1階吹き抜けに、9時半ごろ若い男性が長蛇の列を作っていた。10時の開店を目指して並んでいるのだろう、それにしても若い男性をこうまでに惹きつける商品てなんだろう?不思議に思ったが聞くほどのことでもないので横目に通り過ぎた。こちらは9時半からプールがオープンするので、先を急いでいた事情もある。ところが、水泳が終わって2時間後の11時半、まだ同じ場所に先程と変わらない長蛇の列である。

流石に気になったので、最後尾の看板を以て立っていたお兄さんに聞いてみた。答えは何と8階にある映画館への入場待ちとのこと。映画館が2軒あるのは知っていたが、近くに貼ってあったポスターを見る限り、両方ともアニメ映画らしいことしかわからなった。更に詳しく聞くべきであったかもしれない。今調べると「魔法少女リリカルなのは The MOVIE 2nd A’s」と「それいけ!アンパンマン よみがえれ バナナ島」である。

両方とも今日が初日になっている。日本のアニメは世界に冠たるクールな文化と聞いた事があるような気がするが、アニメ映画を見るために2時間以上行列する若者がこんなに居るとは驚いた。今でも映画は好きだが、アニメは苦手である。孫が小学生の頃は「ナルト」とか「ポケモン」とかよく付き合わされたが、何時も半分寝ていたり、終わって「お祖父ちゃん、意味が分かった?」と質問されて答えられなかったりしたものだ。

小中学生はおろか、あそこに並んでいた既に二十歳近い人たちの思考が分からないのも仕方がない。

2012年7月13日金曜日

学校でのいじめ

いじめ問題で世間が騒がしい。弱い者をいじめて面白がる悪ガキはいつの世もいるのだろう。しかし、教師が何も気づかないなんてことが本当にあるのだろうか?小学校や中学校ならクラス担任は朝に夕に、ひょっとしたら昼食時にもクラスの全員と向き合っている筈。何処かで必ず悪さの現場を目撃するだろうし、どんなにしらばっくれても、悪さをした後の顔色が分からぬ筈はないと思う。まして加害者と被害者が同じクラスならば雰囲気的に一目瞭然だろう。

クラス担任が未熟であれば、他の先生だって悪ガキは直ぐ分る。そのための職員会議だと思っているが、現代の義務教育はそんな空気も読めない程まで堕落しているのだろうか?3歳の孫も幼稚園の問題児で、入園早々全ての先生が名前を覚えて下さったとのこと。一般の園児より少し遅れているので失敗が多く、泣き声も大きいのだろう。DNAを分けている小生も幼稚園から高校まで一貫して問題児。お陰で学校中の先生が名前をご記憶頂いたに違いない。

先生方からすれば校内に警察官が侵入することに抵抗感があるようだし、警察の方にも同様な感じがあるのだろう。これも不思議で仕方ない。お祭りや盆踊りのような催事には事件や事故がつきもの。従って町内会などの自治会は、お願いして警察に来てもらう。先生や生徒の自治会がヤクザまがいの恐喝や度外れた悪ふざけを抑止できないなら、校内に警察官に駐在してもらった方が善いだろう。アメリカ辺りはそんな学校もあると聞いた気がする。

学級崩壊も児童の学力低下も大きな問題かもしれぬが、学校の存在をもっと根本的なところから見直す必要があるようだ。己を振り返ると、自分と先生そして同級生、この三者の間には好き嫌いを超えた、言うに言われぬ強い因果が存在していた。流行りの絆は嫌いだが、70歳を超えた現在でも小中学校の同窓会を当時悪ガキ代表の小生が主催しているのも何かの因縁だ。

昔と異なり現代は、小学生なんかの社会環境は激変している。昔は家庭内に遊びの余地は殆どなく、遊びは外、その大部分が学校だった。今はテレビがある、ゲーム機がある、塾もあれば、スポーツクラブやコンビニもあるで社会が広がり、学校内の人間関係が凄く希薄になっているのかもしれない。勿論先生の方から考えても同じで、教師生活は報酬分の身過ぎ世過ぎの縁、決められた労働時間内に決められた作業をしているだけのことか。

決められたことをきちんとやっているのだから、何か文句があっか。と言われれば確かに文句のつけようはない。学校教育に関して論評できる身ではないが、何となく釈然としないので触れてしまった。教育に関係してきた諸氏のご意見を拝聴したい。

2012年7月12日木曜日

論理破綻「無駄は無かった」

嘗て民主党が政権交代の前にしてこういったのは覚えている。「国家予算は一般会計・特別会計を合計すると210兆円近くなる。我が党が政権を取った暁には、これを組み替えて16兆ぐらいは軽く捻出してみせる。」もう3年も前のことになるが、このセリフは「野党であったので実態が分からず、心ならずも嘘をついたことになる。」と民主党自身が認め、世間一般にその論理が定着してしまった。

新党を立ち上げた小沢一郎氏だけは未だ未練がましいことを言っている。てなところが相場のようで、小沢氏の新党人気もあまり盛り上がってこない。民主党は不満分子が出て行ってくれたので、気分的にもさっぱりして、政党助成金やら何やら余裕が生じているのか。野田総理のカラー写真入りの見事なダイレクトメールを頂戴した。今後ともご支援願いますとのことだ。総理直々のメッセージは初めてのことだし、我が家に来るくらいだから千万通単位で発送されたかもしれない。

しかし素直に「はい、任せてください。」とは言いにくい。小沢氏の肩を持つわけではないが、本当に予算をカットできる無駄は無いのだろうか?民主党のダイレクトメールは別にしても、都から来るのか国から来るのか知らないが、健康保険料のお知らせとか介護保険料のお知らせとか年金額の変更についてとか、毎年似たような通知が何通も来る。この手間とコストは相当な額に登るだろう。サーバーがアタックされては困るが、この情報化時代に相応しい合理化だけ考えても、予算カットの余地は多分にあるように思う。

こんなのは些細なことだろうが、眠っていた新幹線とか高速道路の着工を決めたのはどういう神経なんだろう?今にも国が潰れそうなんで増税をお願い!と言う舌の根が乾く暇もありはしない。常識的に考えれば完全に論理破綻している。考えるに予算の無駄なんて16兆円どころではないかもしれない。定着しつつある国家財政の危機説の陰で、財政の破綻なんてことも本当はあり得ないと信じている輩が政府の何処かにいるのだろう。正直なところ何を信じていいか分からない。

老人健康診断の通知が来ている。この春は脳神経がおかしかったお陰で、あらゆる診断を受けてしまった。これ以上無理して病気を発見する必要が無いので受けないつもりだ。医療費支出30兆か40兆のうち10兆円以上が老人医療関係とのこと。95歳で手術を受けた宮様を悪く言うようで恐れ多いが、人間は単に長生きすれば善いと言うものでもあるまい。健保での検査なんかいっそ全廃してはどうだろう。病気が増えて医療費負担が増えるのか?逆に医療費支出が減ることに繋がると思うのだ。平均寿命も少し短くなれば余計ハッピーではないか。

2012年7月11日水曜日

お小遣?

食事中で見てはいなかったが、今朝テレビから「お父さんのお小遣」と言う言葉が聞こえてきた。因みに我が家の食事スタイルは一風変わっているはず。つけ放しのテレビが私の左真横にあり、婆さんがその反対の右真横に座っている。私は食事に専念し、婆さんは食事を一緒にしないので、給仕をしながらテレビを見ている事になる。そこで気になる音が聞こえると、我が家のコメンテーターに解説してもらうのだ。

先程の場合は、テレビ局のアンケートによると、ここ10年くらいお父さんのお小遣が減り続けていると言うことだったらしい。確かに千円亭主からワンコイン亭主なんて流行語があったくらいだから、そのこと自体は別に驚くことではない。この結果に関連して経済評論家と称する森永卓郎氏が、大きく減り始めたのはリーマンショックが原因で共働きが増えたからとか何とか言っていたようだ。これも小生にとってはどうでもいいことだ。どうせテレビ出てくる評論家があまり意味ある事をしゃべる筈もないのだから。

引っ掛かったのは「お父さんのお小遣」の言葉遣いである。昔から何度も聞いているが、どうしても気になって仕方がない。「変だと思わないか?」と聞くと「変に決まっているでしょう。自分で稼いだお金をなんで恵んでもらわねばならないの。」以下が我が家の解説者の真骨頂「原因がリーマンショックなんて勘違いもいいとこ。どこもかしこもお給料を銀行振り込みにし始めたので管理権が移行してしまったからよ。給料袋から現ナマを取り出して子供の前で、はい今月の分と女房に渡していれば、こんな情けない世の中にならなかった筈。」

そう言えば子供が小学生の頃、給料日には振り込まれたお給金から約束金額を引出して封筒に入れ、帰宅すると妻子3人を正座させて封筒を下げ渡して得意になっていた。今思えば随分芝居じみた馬鹿なことをしたと反省もしている。娘たちが今どのように家計を預かっているか分からないが、意外な教育効果が現われていれば、婿さんたちにとって結構なことだと思った。そしたら何のことはない「うちの婿さんは二人ともしっかりしているから、どちらの家庭も婿殿が家計を管理している。あなたとは大違い。」だそうだ。

2012年7月10日火曜日

探し物

来週の山行き計画がいよいよ固まった。学生さんの夏休み前17日から北アルプスの黒部五郎岳へ行く予定だ。後は梅雨が目出度く明けてくれることを祈るばかり。この件で昨日から1冊の本を探しているのだが、どうしても見つからない。山に行き初めのころ買った本で、山歩きの注意とか参考になる事が沢山書いてあったので、いつも山に行く前に一度目を通していた。狭い部屋で本棚がそんなに沢山有る訳でもない。

どこを探しても見当たらないのでイライラしている。昔から変な癖があり、大事なものだと思って、却ってとんでもないところにしまい忘れてしまう。そして今回のように結局失くしてしまうのだ。昔から本が溜まると処分に頭を悩ませたが、今もぎゅうぎゅう詰小さな本棚2個と、段ボール箱が2個あるだけの筈で、このどちらにも見当たらない。何か見落としているものがある筈と思いながらどうしても思いつかない。

持っている本は全てひっくり返したが、何れも2度と読むことはないだろう。
なのに読みたいものだけが見つからない。書店で読もうかと思って行ってみたが、書店でも見つからなかった。そしてまた余計な本を買い込んでしまった。人生はどうしてこうもままならないのだろうか?

2012年7月7日土曜日

反原発デモ

昨日夕方、最近よく会う同輩の友人に誘われて、首相官邸を取り囲む反原発デモに行ってきた。先週の金曜日(6月30日)は報道によると主催者が20万人、警視庁が1万4千人集まったとなっている。余り人混みが好きではないので、デモなんかに行くのは初めてのことだ。若い時には友人の殆どが60年安保で議事堂周辺に行った。当時は何度も誘われたし、少しませた友人からは、もっと前に砂川闘争にまで誘われたこともある。

結局当時は一度も誘いに乗らなかったのに、今度は行く気になった。勿論原発稼働は時期尚早だと思ってはいる。それよりなにより、社会現象を自分の目で確認してみたかった。スポーツ観戦とかコンサートにも興味が無いので、万単位の人混みについてはイメージが湧きにくい。今までに目にした最大の人混みは隅田川の花火大会と浅草三社祭の神輿の宮入くらいのものだ。同行してくれた友人は若い時から人集めイベントをしているので、一目で大凡の人数が掴めるとのこと。

彼が言うには、これはとても1万や2万ではきかないらしい。隅田川花火大会で土手に並んだ観客位になるのではとのことだった。丁度6時溜池山王の駅に着いてすぐ、警官の誘導に乗って4番出口から外に出ると、そこは既に人でいっぱい。その流れに入ってのろのろ進む。周りには年配の人が多かったような気がする。勿論若い人もいるが、大抵は夫婦連れとか友人とアベックでと言った感じが大部分。大人数のグループ参加が少ないのが特徴みたいだ。

議事堂に近づいた時友人に言われて脇を見ると、亀井静香が数人の背広軍団に囲まれて流れに割り込んできた。それからしばらくして6時45分頃になると流れが殆ど止ってしまった。未だ議事堂の脇で官邸の姿形は全く見えないのだが、目の前にいたお兄さんが音頭を取ると「原発止めろ!原発要らない!総理も止めろ!(辞めろか)」のシュプレヒコールが段々大きくなっていく。結構なお年のおばさんが大声を張り上げる。笛を吹いて合わせる人、太鼓の音に鐘の音。ボリュームが上がる一方である。

そうこうするうちに雨も本格的になってきたので、友人を誘って脱出する事に決め、列から抜け出し警官の規制を尻目に流れに逆行して溜池の中華料理屋に飛び込んだ。時刻は既に7時半を回っていた。官邸前には辿り着けなかったが、社会見学の目的は果たせたので紹興酒で打ち上げ会。赤旗が1本も見当たらないデモも珍しいが、右翼の街宣車が見えないデモも珍しいのだそうだ。きっと来週は今日以上に人が増えて、その翌週もと増えていくとどうなってしまうのだろう。

大飯は強引に発電を開始したが、その後は容易ではないよとの相棒の見立て。その通りかもしれない。肴は結局政権運営のご粗末になっていく。次の選挙で投票すべき人間が見当たらないのが当面の悩みでは意見が一致した。

2012年7月6日金曜日

警察のお仕事

警察官の不祥事が毎日のように報道される。昔は「悪いことをすればお巡りさんが来ますよ。」てなもので、警察が正義の最後の砦であった。長ずるに及び、必ずしもそうでもないとは思いつつ、やはり幼い時の刷り込みは拭い難い。大勢の人間がいれば、必ず一定割合で不心得者が混じるのは仕方ない。そこを不心得な行動させないようにするのが、組織力即ち教育とか訓練による連帯責任感育成の筈だ。このところどう見てもタガが外れた感が否めない。どこに責任を見つけることが出来るか分からないが、何とかしてもらいたい。

組織の不祥事は一先ず置いて、もっと根源的な事に思いが至った。時々報道されることに「警察に相談したが、取り上げてもらえなかった」がある。ストーカー行為で相談したが取り合ってもらえなかった。或いは被害届提出を職員の慰安旅行から帰る来週まで待ってくれ。言われて待っていたら被害者とお祖母さんが殺されてしまったとか。今回も滋賀県の大津の中学生自殺事件に関して、亡くなった生徒の親御さんが大津警察に被害届を出したら受け取りを拒否されたらしい。

この事件については、昨日大阪の橋本市長がテレビカメラの前で涙を見せながら教師と教育委員会を非難していた。インパクトがあるから是非見ろと言われて今朝そのニュースを見てきた。老夫婦共に余り好きとは言えないキャラだが、こういう場合の彼は確かに芝居じみて絵になる。この学校の教師は全員断罪された方が善いし、教育委員会なんてどんな役目を果たしているのか全く分からない。話の方向がずれてしまった、警察に戻そう。

市民が相談に来た時の対応で「民事に介入するのは警察の仕事ではない」とか「被害届を先ず出せ」とか様々言い方があるようだ。何れにせよ、出来るだけ仕事をしたくない気持ちがありありだ。昨年の311災害の記録映像の中で、東北の消防団員の一人が当時を振り返って語った言葉が耳に残っている「消防団の法被を着ている以上、このお婆さんを見捨てて一人で逃げる訳に行かない」仕事へのプライド=誇りとはそんなものだろう。

プライドを維持させる動機はどこにあるのか。お金でないことだけは確かだ。
民間の消防団と異なり、潤沢な資金もあり大勢のメンバーがいて、豪華なオフィスと立派な装備に囲まれ過ぎているが故に根本の理念が腐っている。一家意識だけはヤクザ顔負けだが、弱きを助けるとか庶民のために働くなんて意識はもはや見当たらない。どこの官僚も同様かもしれぬが、仕事は組織のもので、組織のために仕事をしているのに過ぎないのでは。

警察の体たらくを考えると、各町に地回りの親分一家があった方が余程良いのではと思えてくる。親分に個人的もめ事を処理してもらえば、それなりに礼も必要だろう。それでも子供が殺されたりするよりはましだ。警察の根源的問題は、職員一人一人の自覚に俟たなければ解決できない程根が深いかもしれない。しかし先ずトップの意識が変わらない事には何事も始まらない。

話しが跳ぶが、原発事故に対する国会事故調の報告書が「事故は人的災害」と断定しているらしい。福島県警に住人から被害届が出たら受理されるだろうか?捜査して犯人を特定するのも警察のお仕事の筈だ。出来るかな?

2012年7月5日木曜日

上杉鷹山、恩田木工に加えて

米沢藩の大名上杉鷹山と故郷信州松代藩の家老恩田木工は、藩の財政再建のために果断な行政改革をしたとして有名である。共に行政のトップに居て、行政改革断行のために率先垂範、自らに極めて厳しくして、藩全体の引き締めを図ったと承知している。現代の政治家も如何程の信念に基づくか知らぬが、口を開けば財政再建と唱えるものが多い。少しは先賢の知恵に学べと思っていた。

今日たまたま読んだ本に、上の二人に似たような人物の事が書いてあったので書いておきたい。名前は「津田出(いずる)」。上記二人よりずっと後の江戸末期から明治38年まで生きた人である。知らないのは小生だけかも知らないが、兎に角初めて知った。紀伊藩の藩士である。紀伊藩は徳川御三家のひとつ、明治維新の際は当然賊軍である。しかし明治新政府の元老大久保利通や西郷隆盛が、その人となりを絶賛していたようだ。

津田がこの二人と直接会ったのは明治4年のことらしい。特に西郷に対して津田は、郡県制の採用と徴兵制を薦め、強力な権限を付与した首相を定めて藩閥制度を超えた官僚支配の確立を説いたらしい。西郷は感激して、直ちに津田の言う改革を実行することと、津田を首相に登用する事を政府に建言したようだ。結局この建白は実現を見なかったので、あまり有名にならなかったのかもしれない。しかし彼の思想は明治政府にかなり採用されている。

明治維新から2年、紀伊藩は徳川方の官軍から過酷な取り立てのため、殆ど財政は破たん状態に陥ってしまう。幕末に一旦藩主の教育係にまでなった津田だが、複雑なお家事情が絡みこの時蟄居状態にあったが、明治2年再び命が下って、津田が財政再建に当たることになる。注目すべきはその策が徹底していること。

津田は先ず家中の全員を集めて、藩の勘定帳を公開、藩の財政が破たん状態にあることを全員に知らしめた。その上で、藩主の経費は20万石から1万石に、550石以上の藩士については一律1割支給等として、役職の無い藩士は今後農業でも商業でも兼業は構わないし、どこに住んでもよしとする。
勿論下士に至るまで細かなリストラ案があるが、トップの身の削り方は上杉、松代藩を凌駕するものだろう。

同時に政治の体制・組織も大きく変えていく。詳細は省くが、江戸時代からの家柄は一切無視して、各セクションとも能力主義に徹したらしい。特に注目されたのは軍政の改革で、江戸時代藩士に限られていた軍人を、百姓町民の男子に枠を広げて徴兵制度を実施。明治4年廃藩置県の時には政府軍以上の軍事力を持つに至っていたとのこと。これが西郷や大久保に認められた所以であろう。現代の高位高官には是非学んでほしい人物である。

2012年7月4日水曜日

父の血筋

日を追って人間関係がどんどん希薄になっている。仕事から離れたせいもあり、口をきくのは朝夕食事時の家内との会話だけと言いう日が多くなっている。こうやって一人でPCに向かっていると父の事を思い出した。父は晩年(ほぼ現在の自分と同じ年頃だった)勤めを終えると、弁護士を開業した。開業と言っても弁護士登録をしただけで、仕事なんか何も無い筈だ。

自分の現状と併せ考えるに、親子故に少し似ていると思うところがある。それは、家の裏庭に小さな小屋を建てて事務所としたことだ。仕事は当然無かったろうが開業の証しとしたかったのだろうか。いや、濡れ落ち葉にはなりたくなかったのだろう。少なくとも小生はそう思っているし、家内も母も望むところだったのでは。

父は日中の大部分をその部屋に閉じ籠って読書などしていたらしい。現在の自分は庭が無いのも同然だから小屋を建てる訳にいかないので、近くに小屋を借りて昼間はそこに籠っている。父との会話は生涯を通じてもそんなに多くはないので、どんな気持ちでいたかは知らない。でも父も今の自分と同じような気分でいたのではなかろうかと勝手に想像している。

平たく言えば余り思うことはないのだ。女房子供についてはもうすべき事をした。少し心配なのは孫の行く末かもしれないが、心配したところでどうなるものでもない。過去を思っても、特別思い出すほどのことは何もない。明日の自分は今日と同じで、ルーティン通り生きるだけ。そんな事を思ううちに眠くなるので、腰かけたままうたた寝をしてしまう。楽しみはパソコンやテレビがあるだけ今の小生の方が多いだろう。

たまに古い友人と会って酒を飲むのが唯一の楽しみだったのは一緒だが、小生と異なり晩酌も相当な年齢まで続けていた。80歳を過ぎた頃からは日本酒を1合ぐらいにしていたようだ。帰郷してよく聞いたのは「友人が少なくなってきていて寂しいが、自分は友人全てを冥途に送って最後に旅立つことしたい。」92才で亡くなったが、確かに友人と聞いていた人は全て先に亡くなっていた。

思えば父は偉いものだ、現在の自分の頃からまた一つの人生を開いたのだから。似ている点を思い血筋に思いを致したが、とても真似できそうにない。

2012年7月3日火曜日

こう言っちゃなんだが、面白い

民主党の内紛劇とされる小沢一派離党に関する報道を見るにつけ、マスメディアの報道パターンが余りにも画一的であるのに、半ば感心する。小沢氏に関しては生理的に嫌いな人も沢山いる事だろう。勝手な想像だが、半分ぐらいの人はそうではなかろうか。ある程度評価する人も12~13%いるだろう。残る40%弱の人は、なんだかよく分からないと思っているのではないだろうか。

大多数のマスコミも恐らくそのように思っているだろうが、何故か丁寧に世論調査などをしてくれる。結果はご案内の通り、小沢一派の行動を支持する人が10%強、支持ないが約80%と出てくる。ここまでは仕方がないが、関連のコメント・社説の類が殆ど同じパターン。曰く「壊し屋小沢一郎」の枕詞で、権力闘争に明け暮れ、国民・有権者のことは何も考えていない。日本の政治はこの20年彼によって掻き回され、実に不毛であった。

もういい加減にしてくれ。日本に残された時間はそんなに長くないのだ。しかし、ここに来てついに彼も終わりに近づいている。或いはもう終わった人だ、相手にするまでもないでしょう。一刻100人を超えるとされたグループから、実際に離党したのはたったの50人。当初行動を共にすると言っていた側近二人にさえ、離党届提出後に裏切られている。

そのうちの一人は小沢王国とされた岩手選出の議員だ。付いて行った議員の大部分は足軽(うまいこと言うなぁ)見たい人ばかりで、求心力の低下は否めない。金も無いだろうし、連携するグループも見当たらない。大阪維新の会を頼りにしているのだろうが、これも恐らく無理だろう。野党は野党で、口を開けば「国会を停滞させている与党の責任は重い。野田総理は消費税増税法案を上げて、一刻も早く国民に信を問うべき。」

まるで馬鹿の一つ覚えだ。有権者の声の大多数は「もう小沢氏にはうんざりしました。」で、政治にはうんざりといった声はあまり拾わない。西松建設の不正献金疑惑以来これだけ四方八方から徹底的に叩かれながら、尚頑張る小沢氏の心境を一度聞いてみたいものだ。見ている側からすると確かに面白いが、主役である彼自身は嫌なになってこないものなのだろうか?考えることが多すぎると思うが、よく頭がおかしくならないものだ。

権力闘争とはそんなにおもしろいのか、はたまた彼の言う使命感が本物なのか。マスコミは前者とみているようだが、どうしてそんなにおもしろいのか、権力闘争勝利の対価はなんだろう?それこそ誰かに解説してもらいたい。こちらは小沢氏のお陰で、ここ20年日本の政治に関心を持つことが出来たようなものだ。石原都知事が「あんな奴に日本の政治を差配されてたまるか。」と吐き捨てたが、石原慎太郎演出の政治なんぞ見たくもない。

2012年7月2日月曜日

「隠棲」魅力的な響きだが

何となく焦点の定まらない事を毎日のように書き綴っているが、正直なところ、最近何を書いたらいいか分からくなっている。mixiで日記を書き始めてのが2005年10月だから、相当な年月が経つ。毎日小1時間かかるので、いい暇つぶしになっているのも事実だ。しかし書く目的は何だろう?考えるにはっきりしない。

自分で昔を懐かしむ縁にするだけか。他人に自分の考えを聞いてほしいのか。後者だとすれば随分いい加減な事で、自分の考えなど最初から無いのだから、何か読んだり見たりしたことで、一寸引っ掛かった事を書き写しているに等しい。

個人的な出来事では、身内にしろ友人にしろ、他人様の事をネット上で書くのは非常に危険、とテレビで言っていたらしい。だから何度も早く辞めなさいと言われている。読後感を書く意味もよく分からない。最近は読書の後で感想を書く機会も減ってきた。読書は読んで面白ければ、それで十分だろう。

15年近くインターネット関係の仕事をしてきたので、この世界の流行にはついて行くべきだとの思いもあり、ここまで来てしまった。しかし2年前にリタイアを決意し、この4月からは本格的に仕事から離れている。それから既に4半期が過ぎてた。後継者に助言すべき事もそろそろ無くなってきたようだ。

プライベートでもバーチャルな世界から足を洗い、本当の隠居生活に入る時期が来ているような気もする。では何をするの?と自問しても、適切な答えの見つからないのがちと悩ましい。