2010年5月31日月曜日

映画鑑賞「オーケストラ」



高校時代の友人が輸入したフランス映画、「面白いから見てくれ」と直接薦められたので翌日に早速銀座の劇場迄足を運んで見た。

内容は一切教えてもらっていなかったし、既に鑑賞した同期生のコメントを読んで音楽映画かなと思って行ったのだが。これが案に相違して喜劇と言うか大人のお伽話との例えもあるようだが実に面白い。

何かと言えば、フランス映画でありながら現代(少なくともソ連崩壊後)のロシア人を描いている。せりふの半分以上はロシア語のようだ。フランス人から見るとウラル山脈の向こう側はヨーロッパではないと聞くが、彼等がロシア人を田舎者として揶揄している事が伝わってくる。

しかし芸術には都会も田舎も無いと言う事だろう。劇場で観たのでクラシックとは縁遠い小生にも背景に流れる音楽も大変心地よく感じた。


2010年5月28日金曜日

iPod,iPad

今日、iPadが日本で発売されると言う事で、昨日から銀座の店には行列ができているらしい。昔iMacが新発売になって評判になった頃、ゴルフ大会の賞品で貰った事がある。馬鹿でかい箱に入ってやたら重くて持ち帰るのに苦労をした記憶がある。まだPCをいじり始めたばかりの頃で、使い勝手がマイクロソフト製品と余りに違うので、ものにする事が出来ずに友人に上げてしまった。当時からディザイン系の人はmac、事務系はmsと言われていた。

今にして思うとmac系はディザインもあか抜けているし、フォントなんかは俄然きれいなので、ディザイン系の人が愛用するのは分かるような気がする。但し、ご商売があまり上手でなくて、ビジネス的にはマイクロソフトの後塵を拝していたように思うが最近はそうでもないらしい。特に携帯端末のiPodの世界的ヒットと今回のiPadでハードメーカーとしては優劣がつかなくなっているようだ。今頃ハードメーカーの優劣を論じていると如何に年寄りかが分かってしまう。

今はソフトの時代だからiPod,iPadについいては実際に使ってみたうえで、その使い勝手を論じなければ話ならないだろう。と言う事は、両方とも買う気が無いので、今後生きているうちにこれについて論じる事は永久になさそうだ。先日iPodについては友人に触らせてもらった。gps機能が付いているのがちょっと魅力的で、更に聞いてみると未だ高度表示はできないらしい。山登りには未だ利用できそうにないので買わずに済むと言って笑われてしまった。要はとても使いこなせそうにないだけの話である。iPadは未だ触ってないがパソコンでもないし、大きさが中途半端に過ぎないだろうか?本は買わない事にしたのでもはや関係ないし。

何れにせよIT技術が発達するのは人類にとって結構な事で、これを否定するものではない。電車に乗ると実に多くの人が携帯端末を覗きこんだりイヤホーンを耳にして目を閉じている。個人対マシンであらゆる情報が安直に入手できるようになると、情報が伝達される時、互いに感じる相手の表情や息遣いを汲みとる能力が涵養されないのは間違いない。この事は善悪は別にして社会に大きな変化もたらさずにはおかないだろう。

婆さん曰く「大人のおもちゃが次々と世に出て、人間が益々馬鹿になるわね。」これは尤もな意見かもしれないし、正直小生も少々心配ではある。

2010年5月27日木曜日

訳が分からん

来週は衣替えと言うのに昨夜など布団をかぶって寝ていた。今日も狐の嫁入りのような雨が降ったりしてうすら寒いものがある。天気も想像を超えているが、政治の動きについては気象庁の長期予想以上に難しそうだ。

鳩山首相は沖縄の基地移転問題でケチョンケチョンだ。公約違反と言う事で退陣・同時選挙も仕方がないと思ったのだが、ここ数日の報道を見ていると連立の調整に話題がシフトして鳩山責任論の影が薄くなっているようだ。

どうも攻め手の方に対案が無いのが原因らしい。前政権が13年掛かって出来なかったのはどこに原因があったのか、8カ月で1から調べなおしたのだ。元の案に戻ったと言う事ではなくて、改めてアメリカと1から出直して新たな約束を交わすのだ、対案があると言うなら示してみろ。と開き直って戦う気配になって来た。

総理の言う事は信用できないと言う事はあっても、確かに攻め手に対案はある筈もない。自民党では石破氏辺りは対案を出そうと言ったようだが、谷垣・大島のツートップが攻めてさえいれば何とかなるとの事ではねたらしい。民主党内でも流石に昨日参議院の桜井充氏が総理の責任を追及するような事を言っているが、彼も果たしてどこまで頑張れるのだろう?参議院で今度改選かどうか知らぬが、もし改選組だったら選挙を考えそんなには突っ張れないだろう。

とは言えトップ二人が強気で、このまま選挙に突入して民主党が大惨敗という事態も大いにあって不思議はない。となると政界再編は間違いないだろうが、小沢幹事長はどこに手を突っ込んでいるのだろう?もっぱら公明党といううわさもあるが、そんな事ってあり得るのだろうか?もうとても想像できない。ここから先は世の中の動きを黙って見守るしかなさそうだ。

2010年5月26日水曜日

区立図書館

つい最近まで書店に行って読みたい本を買うのが趣味みたいなところがあった。2006年3月からだから過去4年程読後感をウェブ上に記録しておいたのを振り返ると、年間50冊前後の本を購入していた事になる。仕事を辞めたのを機会として、今月から本は図書館で読むことにした。これで年間5,6万円のコスト削減にはなるだろう。幸い近くに豊島区立図書館があって、本の貸し出しもしてくれるので有難い。

早速先日平成2年発行の吉川英治著「私本太平記」を借り出したが、汚れが激しい。如何に大勢の人が読んだかということの証明だろうが、何かをこぼした人がいたのかしみだらけ。この事は少し残念だが、小学生の頃貸本屋から借りた和紙のカバーが掛かり、背中に墨で書名が書かれた本の事を思えば大した問題ではなかろう。全8巻のうち1週間で4巻を読み終わったが、面白くて夢中になっている。

図書館通いには他にも良い点がある。散歩の回数とルートが増える事、今まで買った事が無い雑誌を手にして読める事、但し雑誌は貸し出されない。豊島区は6か所に図書館があり、東池袋のきれいで立派なビルに入っている大きな図書館がある。ここはいつ行っても混んではいるが、蔵書は確か10万冊超だった筈でかなり揃っている。どの図書館で借りても返却は最寄の図書館でOKだし、在庫の確認はオンラインで調べてくれる。取り寄せも可能なので利用し始めると結構便利だ。

地下鉄を利用すれば国会図書館も半時間ほどで行ける。ここは本の借り出しに少し時間が掛かるが、読書環境は最高である。但し退館時には借り出した本を一旦返却しなければならない。貸出のシステムが無いので、途中までしか読めなかったら次回改めて借り出す必要がある。ここでは雑誌も同じシステムになっているので、単行本も同様だが新刊の場合既には貸し出し済みなんて事もありそうだ。

国会図書館の良い所は食堂が沢山あって、それぞれ安くてそこそこうまい昼飯が食える事もある。これからだんだん図書館通いが増える事だろう。新聞書評などを見て新刊書を読みたくなって、書店に足が向きかけるが、ここが我慢のしどころと思っている。きっとそのうちに慣れる事だろう。

2010年5月25日火曜日

勝負事

どうも勝負事が苦手である。スポーツでもゲームでも何をやっても弱いせいでもあろう。まして賭け事なんぞは全く駄目である。付き合いで外国のカジノ何ぞも何回か行ったが、全く論理性に欠ける出目を予想してお金を賭ける人の気がしれない。スポーツ観戦の趣味もない。

しかし考えてみるとスポーツ観戦は趣味としては良いものだろう。自分が好きなスポーツなり選手なりを応援しながらゲームを楽しみ、時間を潰す事が出来るのだから、古来より人類が得たかなり高尚な文明、レジャーと言っても良いのだろう。特にプロの野球と相撲は、小生が欠かさず見ているNHK19時のニュース枠30分の中で必ず報道されるほどだ。

昨今プロのスポーツは多々ある中でこの現象も不思議と言えば不思議だが、左程までに国民的関心事なのかもしれない。友人から聞いた話によると、日本人は中国人や韓国人に比べると余り賭け事に熱心ではないそうだ。とは言え勝負、観戦と来れば賭けは必然の付属物のようにも思う。従って今度の事業仕分けでは、国が博徒に代わって大掛かりな賭博を開帳して、莫大な寺銭を稼いでいる事が明らかになった。相撲界での野球賭博が社会問題になり始めているが、プロスポーツ界の人に「賭博に手を染めるな」と言う方が無理かもしれないと内心同情している。

しかし公営で無い賭博が非合法である事は論を待たない。お上が公営で賭博を開帳、庶民に娯楽を提供して財政の足しにしようと言う心根は、小生博徒ではないので別に非難するには当たらない。しかし寺銭が自治体の財政を潤す事も出来ないのに、役人の再就職保証に使われているのは余り感心出来た話ではないだろう。宝くじなんぞは博打そのものだが、歩(ブ=寺銭)が45%は博徒もびっくりの阿漕な話だ。

これも友人から聞いた話ではっきり覚えていないが、何でも昔の博打場では、5分寺と言って賭け金の5%を胴元が取るのが最高だったとの事。と言うのは毎回の掛け金に対して5%ずつ取ったのでは客が直ぐオケラになるので、ある目が出た時だけしかテラは取らないとしたものらしい。やくざに肩入れするつもりも無いのだが、事業仕分けの報道を見ているとお役人様の態度は傲慢そのものヤクザ顔負けだ、考え方の間違いを反省する様子は見当たらない。仕分けの結果が無駄遣い撲滅にどう反映されるか心配でもある。

実は昨日の日韓のサッカー試合の結果で書こうと思っていたのだが、話があらぬ方向に行ってしまった。勿論中継は見ていないし、試合内容について云々する事は全く出来ない。書きたかったのは、試合には勝つか負けるしかない事と勝っても負けても見ている人はそれなりに楽しい筈だと言う事。選手たちもこれだけ負ければ却って気が楽になって良かった、と婆さんと話した事だった。

もう一つおまけに、小生にとっては唯一の勝負事「囲碁」の件。
最近自分でも不思議なくらい勝ち負けに拘らなくなってきた。仕事から離れて少し気分的に余裕が出て来たとでも言うのだろうか。今月は10日に碁会所の月例大会で優勝、賞品に3000円のQuoカードを貰い娘に喜ばれたし、この前の土日も不思議に良い碁が打てて、いつも負けてばかりいる人3人に勝ち越す事が出来た。こんな事を書いて天狗になっていると又すぐ「出ると負け」に逆戻りする羽目になるだろうが。それはそれで又楽しいのである。

2010年5月24日月曜日

困ったものだ

昨年来ずっと民主党政権の実現を期待し、政権が出来てから政権支持率が下落していて行く中、なんとか現政権に頑張ってほしいと応援をしてきた。マスコミでマニフェスト違反が厳しく問われても、内心未だ違反云々する時期ではないだろう、と気にしないよう努めてきた。鳩山総理については、少し口は軽いがまるきりの馬鹿でもあるまいし、バックに海千山千の小沢一郎氏が付いているから少々の混乱は乗り越えて4年間政権を維持するだろう、と期待を込めて思っていた。

ところが今回の沖縄訪問を見る限り、場あたりで希望的観測を口にして後は何もしないで部下に丸投げしていた事が露呈。との見方が出ているが、反論すべき材料は何もなさそうだ。外務防衛両大臣も当初は総理の意向に沿ってアメリカとの交渉に臨んだのかもしれないが、昨日までの結果を見る限りアメリカが譲歩した様子はまるでなさそうである。新政権は何事によらず比較的透明性が高い事を売りにしているし、事実その傾向はある。

しかしこの普天間の基地移転に関しては、担当大臣が官房長官と外務防衛国土交通の4人だったと思うが、彼等がどういう連絡を取り合い、具体的に何をしていたのか全く分からない。仕事でも事業目標設定をして担当を決め、一定の期間毎に寄り合って計画のロールオーバーをするのは常識である。勿論環境変化が生じて途中で当初計画を練り直し、再調整する事はあっても不思議はない。しかし今回の場合はそういった情報が全く無いまま、腹案に期待を持たせ8カ月も経ってからいきなり「ごめんなさい」みたいな話だ。

これは総理に政権担当能力がないと言われても仕方がない。今週中に出す結論が如何なるものになるかは分からいないが、今言われている通り、蛇だがミミズだか分からないものであるとしたら大変な事にならざるを得ない。職を賭すとまで言ったのだから、素人考えで言えば内閣は総辞職せざるを得ないだろう。

その場合、民主党は国民の信任を得ない政権を厳しく追及してきた経緯があるから、党内で新代表を選ぶのは良いとしても、政権そのものを盥回しで決める訳にはいかないだろう。そうなるとダブル選挙と言う事になるが、残念ながら民主党を中心とした政権は崩壊する事になりかねない。バックについている大幹事長は何を考えているのだろうか?「居直り」も考えられるシナリオかもしれないが、支持率一桁で2年も3年も政権が持つ筈もあるまい。

何れにせよ不思議なのはやはりアメリカの存在だ。まさか鳩山氏もまるきりの思いつきで県外・海外と言ったとは思われない。ある程度アメリカと交渉の余地はあると思っていたとも思う。対等な立場での交渉を唱えた新政権がこれ程までにあっさり腰が砕けているのは、余程日本の政権に対するアメリカの抑止力が強い事を証明しているようにも思える。そりゃ一体何なんだ?弱みの無い人間なんていないかもしれないが、今日の天気のように嫌な気分だ。

2010年5月21日金曜日

サラリーマン川柳

今日は真夏日だったそうで、今年初めて半そでシャツで外出たが外を歩くと照りつける陽射しが強く、帽子をかぶってくるべきだったと後悔した。

サラリーマン川柳の優秀作品の発表があった。昨年も関連で日記を書いたように記憶するが、どれも感心するばかりだ。ベストテンに「先を読め 言った先輩 リストラに」と「先を読め 読める訳ない 先がない」と先についての不安を詠んだ川柳が2首も入っている。投稿者の年齢は不詳だが、先の投稿者はひょっとするとかなりお若いかもしれない。気持ちは分からないでもないが、若い人に「先の事を余り考えるな、今日を精一杯生きよ。」と伝えたいが、気持ちを分かってもらえるだろうか?

最近マスコミには「日本が沈没する」「日本が破綻する」と言う言葉が踊るが、そんな言葉に惑わされて悲観しないでほしい。経済的に日本がアイスランドのように或いはギリシャのようになる可能性があるのかどうか知らないが、そうなればなった時の事だ。自分の今日すべき事に向かって努力をするしかないだろう。
学生は勉強を、或いは就活を。社会でも家庭でも仕事についている人は役割を果たす努力を、或いは新たな道を模索する努力を。今の時代、何事も報われた実感を得るのに掛かる時間は確かに長いかもしれない。

仕事に関して言えば、己を取り巻く環境は確かに変化する。しかしその変化に応じて必死にもがいているうちはなんとかなるものだ。リストラも何回か経験しているが、不思議な事に誰かが助け船を出してくれた。職安・ハローワークのお世話になった経験がないので偉そうなことは言えないが、前の会社の取引先や友人が思いもよらないところで助けてくれた。偶々ラッキーだったのかもしれない。もう一つ言えるのは「親子兄弟夫婦 家族の絆・支えあい」これが一番大切で、ここさえしっかりしていれば「日本が駄目になろうが何になろうが」だと思っている。

そういった意味で読むと「子供でも 店長なのにと 妻嘆く」とか「ただ今と 犬に言うなよ 俺に言え」とか「離さない 10年経つと 話さない」はかなり深刻な要素を帯びていると言わざるを得ない。最後に「70歳 オラの村では 青年部」は我が身も省みて微笑ましい。

2010年5月20日木曜日

環境変化

昨日は珍しく業務引き継ぎで仕事に精励したので日記を書く暇がなかった。今日は又暇になった上に梅雨空で朝からしとしと雨が降るので時間をもてあまし気味だ。今週末に天気が回復しそうなので、北信5岳の一山と言っても所在は越後の妙高へでも行こうかと思って調べると、なんと未だ登山口から雪がべったりとても行けたものではなさそう。やはり今年はどこも雪が多いようだ。

むしろこちらが俄か山屋なので、山の季節変化を知らないだけの事だろう。標高2000mを越す山の新緑の季節はもう1ヶ月くらいは先の事らしい。土曜日の夕飯を何処かで食ってきてくれと言われているので別の事を考える必要がある。奥多摩方面のハイキングか、久しく関西に行っていないのでそっち方面に行くのも検討してみたい。昔から休日に家で落ち着く習慣がないので、これからサンデー毎日への対処が思いやられる。

会社と言っても個人事務所であり以前も一人でいたのだから同じように事務所に来ている限り、仕事を他人に任せただけでライフスタイルに大きな変化もあるまいと高を括っていたが、そうではない事が段々明らかになりつつある。先ず仕事が無くなった途端、世事万般全ての事に対する興味とか関心が非常に薄くなってきた。このところ面白いニュースが少ない所為もあるのだろうか、テレビのニュースや新聞をまともに見たり聞いたりする気がしない。

山登りとかプール通いもそうだが、これまで些か健康オタクであったが、健康でいたいと言っても一体幾つまで生きりゃ気が済むのだろう?もう十分な歳ではないか。体力や健康状態は所詮下り坂、精神的にどうも無理をしているようだが、自然の摂理には逆らわずに行くべきだろう。との考えが強くなってくる。日記を書くのも果たしてどんな意味があるのか疑問が生じてくる。こういったタイミングで思考回路が急に変わって、心身ともにおかしくなったり元気だった人がぽっくり逝く話を聞いてはいたが、いよいよ自分にも順番が回ってきたようだ。

くわばら、くわばら。

2010年5月18日火曜日

辞めて済む話ではない

最近のマスコミの報道を見ていると年がら年中世論調査をして、内閣支持率の下落と民主党小沢幹事長の辞職をあげつらっている。新聞テレビに確たる見識や信念が無いのは知っているが、新聞が毎日全国に何千万部と配布され、テレビの延べ視聴人数が数千万人と言う事になると、その影響は仇や疎かにはできない事になる。インターネットには「新聞を取るのをやめました」との意見も散見するが、気持ちが分からないではない。

評論家の殆どが、各大臣の言う事がばらばらと鳩山首相の指導力不足を指摘するが、小沢幹事長については指導力と言わずに党員に文句を言わせない独善独裁を糾弾する。又連日首相のにぶら下がって質問をぶつけ、首相の答が「場当たり」との批判も強い。二人とも参院選を現在の体制で強行突破と報じられているが、彼等にすれば、誰にどうして代わらなければならぬか分からぬ思いがあって当然だ。党内でも総理の交代を口にしているのは渡辺恒三くらいのものである。代表を菅氏に変えたところで混乱は深まるばかりではないだろうか。

内閣支持率や政党支持率低下の要因で最たるものは「政治と金」の問題だそうだ。マスコミは野党が尻馬に乗りやすいように説明責任(特に小沢氏の)が足りない事を煽っている。尻馬に乗った連中は立法府である事を忘れ、検察か裁判官に成代って極悪人を裁いてくれようぞとの意気込みである。勿論何の説明を聞きたいのかは関係ない。無理矢理にでも賄賂を貯め込んだと白状させたい気持ちは分かるが、余りに見え透いて子供じみた事を言う恥ずかしさは持ち合わせないようだ。それを言うなら、身内の金とは言え鳩山家の資金供与については脱税がはっきりしているのだから、こっちをもっと攻めればいいと思うのだが、こちらは尻切れトンボだ。

「政治と金」は集金方法と配分方法の2面がある。配分方法については民主党の二人は聞くまでも無く子分(よく言えば仲間)を増やすのに使っているのは明らかで、法律的には現金を配ってはいけないとか酒を飲ませてはいけないとか、方法論に細かい規則はあると思う。しかし政治は数が勝負だから金を子分を増やすのに使わない政治家は、それこそリーダー足り得ないのは自明の事でもある。又、小沢氏が資金を不動産で運用しているのは何がいけないのか説明できる人はいないだろう。集金方法の汚さに関しては小沢氏が熟知するところであるのも間違いなさそうだ。それだけに尻尾を掴まれないよう細心の注意を払っているだろう。特捜検察が1年がかりで出来なかった事を、国会の委員会で証人喚問をして尻尾を捕まえようなんて聞いてあきれる。

ダーティーな金を集めて子分を養い私腹も肥やしてきたのは自民党の十八番であった筈。ところが最近は派閥の領袖ですら集金が思うに任せず苦しそうだ。自民党の政治家が僻みたくなるのも無理からぬ話ではある。しかしマスコミが民主党の「政治と金」を執拗に攻めて、返す刀で自民党やマスコミとダーティーマネーを取り上げないのは、野党とマスコミは一蓮托生、同類かもしれない。

そして沖縄の普天間基地移転、5月末に鳩山さんがどのように捌くつもりなのか分からない。見える事は関係閣僚の座にある諸氏はそれぞれ任務に精励し、金集めに狂奔している暇はなさそうだ。今迄の報道からすると福島社民党が連立解消と言う事すらあるかもしれない。小生は期して待っているが、政治にマジックや奇跡はないだろう。来月初めに現政権と与党はピンチに陥りそうではあるが、辞めれば済むと言う話でもないだろう。トップ二人にはなんとか頑張ってほしいものだ。

2010年5月17日月曜日

中学校の運動会

一昨日の土曜日に孫が通う中学校で運動会があり見物に行ってきた。今までも小学校の運動会には行っていたが中学は初めてである。小学校に比べると生徒数が少ないので若干華やかさに欠けるような気もするが、お天気も良くそれなりに賑やかで楽しかった。一つ感心したのは3年生男子だけの種目だが「棒倒し」があった事だ。我々の中学時代に比べると人数が少ないとは言えルールは同じで、怪我等の事故が起きる可能性はかなり高いだろう。文科省の学習指導要領に沿っているのかもしれないが、肉体をぶつけ合って生じるある程度のリスクはあった方が良いのかもしれない。

上の子の運動会を見た後、下の子が合気道の稽古に行ってから我が家に泊まりに来ると言うので、合気道の稽古も見学した。合気道は試合がないので今まで一度も見た事がなかったが、こちらも面白かった。区の集会所のようなところに畳を敷いて行っているのだが、30人ほどの児童に2人の師範がついて指導している。指導と言っても準備運動や受け身の練習が念入りに行われるので、日常の身のこなしに役立つかもしれない。二人一組での練習もあるが格闘技の組み手とは異なり、技の型を二人で組んで交互に攻め手と受け手と役割交代しながら練習する仕掛けになっている。

合気道は関節の逆を取るので、本気でやったらそれこそ怪我の続出で練習にならないようだ。格闘技の一種と思っていたが格闘技とは言えないかもしれない。孫がどんな気持ちで習い始めたのか聞いてないが、小生と同じで喧嘩に強くなるためだとしたら期待外れで、とっくに辞めている筈だ。この子は習字を熱心にしたり俳句なんぞ作ったりしているので面白いなあと思っている。年子の孫だが芸風が全く違い、運動会が終わった兄が稽古の終わりごろ母親と一緒に弟の着替えなどを持って来た。弟の稽古を見て、「お、格好いいな」と言ったのみで自分は全く関心ないらしい。

兄は駆けっこが速いのとバスケットボール部に入っているのが自慢で、これも毎日朝練習があって勉強する時間も無いのでは心配だが、それはそれで仕方がないようだ。二人共学校の授業以外は塾も行っていないし、これから進学の問題も出てくるのだろうが、我が家は未だにその事は話題にならない。

2010年5月14日金曜日

国会図書館

久し振りに国会図書館に行って読書をしてきた。

今月から生活パターンを変える必要に迫られている事は先日書いた。収入が激減するからである。とは言っても言うは易くして行うは難しである。かなり前から無駄遣いをしないように心がけているので、セーブの余地が少ないようにも思う。毎日必ず掛かるコストは昼飯代が大きいだろうが、これとても友人と会食でもしない限り1回千円以下に抑えている。第一これが昼間唯一の楽しみだから、まずいものを食う気はしない。蕎麦が健康にも良いと言う話も聞くが、蕎麦はそんなに好きではないので、蕎麦屋に入ると却って高くついてしまう。

話が逸れてしまったが、これから読書は全て図書館に行こうと決めた。その第1日目である。国会図書館入場用のカードが財布の中に入っていたが、期限切れで使用できなかった。当日用のカードを作り直して入場した。カードが無効なので少なくとも2年間は入館していなかったらしいが、東京にはこういう立派な施設があるのが嬉しい。詳細にカウントはしていないが、恐らく今迄年間5~6万円は書籍を購入していたのではなかろか。自らこれを仕分けるつもりだ。

国会図書館は閲覧室に於ける隣人との間隔や静かさはさすがなもので、区立図書館との差は歴然としている。サラリーマン時代はよくさぼりに来たものだ。今日見ても明らかにそれらしい風情の人が昼寝をしている。小生も昼寝をしながら読書もしてきた。食堂も沢山あって味も悪くないし料金も安い、これからは精々お世話になる事だろう。雑誌は区立図書館を利用するか、新刊を読むのをやめて国会図書館で古いのを借りて読むかだな。

今日は海音寺潮五郎の「武将列伝Ⅱ」を借りて、楠木正成と足利尊氏を読んできた。この二人は言わば似た者同士だが、戦前に於いては前者が圧倒的な人気を誇り、後者は南朝を滅ぼした朝敵の極悪人とされていた。ところが戦後になってその評価が引っくり返ったと著者は書いているが、書かれたのは1975年の事である。それでも著者は前者の人格を買いたいらしい。前にも書いたが就学前の頃、家の襖に「嗚呼忠臣楠氏の墓」と大書した拓本が張られていた。


祖母が「楠氏とは楠木正成で、彼は・・・・」とよく解説してくれた。しかしこちらは完全に戦後教育の申し子なので、入学後は楠木正成なる人物について何も教わらなかったし、未だに南北朝の関係なんかもよく分からない。日本は鎌倉以降ずっと7、800年ほど幕府が政治を支配しながらも、朝廷は朝廷で存続し互いに利用しあって来たようである。明治維新後の日本もごく短期間は別にして朝廷と幕府のような関係にあるようでもある。ひょっとすれば現代も共通項があったりして。今更知ってどうなると言う事でもないが、これから少し日本史のお勉強も悪くはないか、と思ったりしている。

2010年5月13日木曜日

東京国立博物館「細川家の至宝」

暇になったしお天気もいいので散歩がてら新緑の上野公園に行って、東博で開催されている特別展「細川家の至宝」を見てきた。先月売りの文春で細川護煕氏自身の執筆になる特集記事を読んでいたので、実物を目の当たりにしていろいろ納得した。昔から明智光秀が好きで、彼の伝記物をよく読んでいたので細川 家の先祖については若干の知識はある。今回の展示で特に興味深かったのは、明智光秀の娘で藤孝(幽斎)の嫡男忠興の夫人となったガラシャに関する展示だ。

一点は亭主忠興に宛てた直筆の書状、夫を思うガラシャの気持ちも素直だし字も見事なものだ。これはさらっと見たがもう一点はじっくり見る事が出来た。何かと言うと、ガラシャは関ヶ原の戦いの際石田三成の人質になるのを断わり、大阪の屋敷を石田方の兵に包囲される中で家臣に首を撃たせて若くして果てるのだが、その顛末について最後を見届けた上で逃げ延びた侍女が詳細に綴った報告書である。何点もの古文書が展示されていたが、これは読み応え(実物ではなくて説明パネルの方です)があった。

東博の特別展示と言えば大体いつ行っても混雑がひどくてゆっくり鑑賞できないケースが多いが、今日は絶好の日和にも拘らずゆっくり鑑賞で来たのは幸いだった。所詮は一旧家のお宝だから驚くほどのものが無いのも確か。展示物の種類は雑多だし、悪く言えばへそが無いような展示だが、そこが小生のような無趣味人が思いつきで飛び込むには魅力かもしれない。

細川家は足利幕府時代からの名門で戦国時代を織田、豊臣、徳川三代の将軍に仕えて、それなりに重きをなしてきたのは立派とすべきである。余程先見の明があったと言わざるを得ない。明治維新後の当主もお宝を分散させなかっただけではなく、尚一層日本国内外の美術品のコレクションに励んだようだ。それが可能だったのは、ひょっとしたら戦国時代迄は武芸に優れていたのだろうが、以降歴代の殿様が文藝(茶、和歌、絵画等)を重んじた事にもあるだろう。細川家の名誉のために付言すれば、勿論武芸も疎かにしていた訳ではないと思う。文藝に耽るように見せかけ情報を収集して真の政治力を養っていたとすれば大したものだ。

現当主の護煕氏も現在はすっかりその域に入っているようだが、一時は熊本県の知事になったり、更には日本の総理大臣に迄なってしまった。親父さんは随分不本意だったらしいし、ご本人も反省しきりだろう。日本は貴族階級が存在しないし、お金持ちと言ってもたかが知れている。石橋家も娘を政治家に嫁がせたばかりに毎月結構な散財をする羽目になっているようだ。

ブリジストン美術館は行った事がないが、あり余るお金でコレクションを増やすのと政治を変えるために使うのと、どちらを選択すべきかなんて事を考えるのは下司の勘繰りと言うものだろう。


2010年5月12日水曜日

俺に相応しくないテーマ

年金で食べさせてもらう立場になったので、娑婆で起きている事象にあれこれ言う気力が段々萎えてきている。地球の将来がどうなるかなんて事はどんなに想像を逞しくしても見えてくる筈がない。子供や孫達が一生を無事に過ごす事を祈るばかりだが、彼等は彼らなりにそれぞれの将来について真剣に考えて行動するようになるだろう。自分の事を反省すれば、将来について少し考え始めたのが縁談が持ち上がった頃で、家族や将来について少しまともに考え始めたのは子供が出来てからかな。

それでもまだ中途半端で、47歳で最初の会社を辞めた時の事など今でも嫁には随分恨まれている。従って子供の教育について語る資格は全く無いのだが、一昨日面白い話を聞いたので日記のネタにしたい。このところ子供に関する悲惨な事件や義務教育課程における児童の学力低下等、義務教育児童に関する報道にろくなものが無い。我が孫も区立中一と区立小六だから、全く心配していないと言えば嘘になる。話してくれたのは元杉並区立和田中学の校長を勤めた藤原さんと言う方。リクルートのサラリーマンから校長になった事で有名な人だ。

一番印象に残ったのは以下である。「中曽根内閣の臨時教育審議会以来歴代内閣は、教育改革を政策のトップに掲げ様々な会議を立ち上げたり施策を講じてきている。しかしここ20年にせよ10年にせよ日本の公教育が良くなっていると思う人は挙手をしてください。」会場には200人前後の聴衆がいたと思うが挙手はゼロ。
悪くなっていると思う人、との問いに対して大多数が挙手をした。小生は前述の通り教育そのものが分かっていないので、両方ともパス。藤原さんに言わせると、文部省の役人に同じ質問をしても同様の現象になるそうだ。

他にも彼の話にはいろいろあって、「都内では比較的程度の良い家庭が多いとされる杉並区でも、子供が夕方帰宅した時に「おかえり」と迎えてくれる人のいない家庭が70%あると思ってください。」にはびっくりした。又「全国に小中学校が約3万校存在するが、学校教育の善し悪しは校長に依存するところ実に大きい。ところが現在の校長の3分の2は駄目校長で、取り換えない限り日本の公教育は良くならない。」なんてのもある。結構現在の教育問題は深刻なようである。

小生の身内は義務教育に携わる人が多いので、これを読んで不愉快になるかもしれないし、小生も別に彼の話を頭から信じている訳ではないので念のため。彼と同じように、異業種から校長になっている人が現在全国で50人位居るらしい。彼が杉並区で目覚ましい成果を挙げた事良く知られているが、その50人の実績は寡聞にして知る事は無いし、この場でもそれ以上の言及は無かった。

しかし次の話は印象に残っている。「坂の上の雲」の主人公の一人である秋山好古の事である。以下にwikipediaからの引用を記す。
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大正12年(1923年)
3月17日:予備役に編入(元帥位へ推薦の話もあったが本人が固辞した)。

大正13年(1924年)4月(65歳):北予中学校(現在の松山北高校)校長就任。退役陸軍大将の仕事としては全くの異例(格下)であったが、本人の強い希望だったと言われる。
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藤原氏が言わんとするのは、「民間人には功なり名を遂げて経済的にも困ら無い人が沢山居る筈。中には秋山好古のように高い志を持って公教育の荒廃に一肌脱ごうと言う人は沢山おられるのではないでしょうか。社長を辞めて会長になって尚且つ相談役になって政府の審議会委員の肩書を名刺の裏に書き綴っても少しも格好良くありません。校長に年齢制限なんか必要ありません。そういう方に校長をお願いすればいいのです。」

「如何でしょうか、我と思わん方は挙手願います。」と言ったら結構な人数の手が挙がった。しかしこのようにニーズがありリソースが存在しても、様々な法律が邪魔をして思うに任せないのが娑婆の実態らしい。法律とは何のために存在するのか?不思議に思う事が他にもたくさんあるが、今更言っても始まらないか・・・

2010年5月11日火曜日

読後感「日本辺境論」内田 樹 著

40年前に発売になったイザヤ・ペンダサンの『日本人とユダヤ人』を読んで以来多くの日本人論を読んできた。著者によるとこれが日本人の特徴らしい。何が面白くてか知らないが、酔っぱらって手相を見てもらうようなもので、言われてみると確かにその通りかもしれない。

中には新渡戸稲造のように、日本人の精神に影響を与えているとされる「武士道」を外国人に分かりやすく解説する、のように意味するところが分かりやすいものもある。この書は日本人の根源的な思考に「自らを世界の中心から最も外れた辺鄙な場所に置く」意識が存在すると言う。従って当然のことながら日本人全体が言わば田舎者的な劣等感を持っているので、古来文物にせよ精神にせよ舶来品を有難がるのだそうだ。

著者はこれが良いとか悪いとい言う事では無くて、日本人のDNAと断じ切っている。「日本とはなにか、日本人は如何にあるべきか」についての正解を知りたがる世界でも珍しい人種らしい。この事も確かにくだらない事かもしれないが、個人的にはある程度同意するしかないだろう。くだらないから面白い事も書いてある。

国名「日本」国旗「日の丸」国歌「君が代」成立の由来に関しての記述だ。
ある政治家が「国歌を斉唱したくない人間は日本から出ていけ」とテレビで大声を張り上げていたが、彼は憲法改正を掲げている。これは大いなる自己矛盾で、国旗や国歌は政治的目的で政治が制定しているものだから、憲法に従いたくない本人が言ってはいけない言葉らしい。

少し笑ってしまう。著者は東大仏文学のご出身で現在評論家・武道家として八面六臂ご活躍らしいが、理屈と膏薬は何処にも引っ付くものだなあと半ば感心もした次第。


2010年5月10日月曜日

上海万博

連休の初めに上海万博がオープンして、押すな押すなの大盛況と報じられていた。ところが昨日のニュースでは早くも閑古鳥が鳴いているようだ。そもそも万博なるイベントを見に行く人の気持ちが分からないので、上海で閑古鳥が鳴いても不思議には思わない。40年前の大阪万博に延べ7千万人の入場者がいた事の方がよほど不思議だ。発展途上にある国の人は先進国の文物を知る事にやはり強い欲求があるのだろう。

世の中で知らない事と不思議に思う事は山ほどあるが、中国と中国人については分からない事だらけだ。特に「人」については、中国人と一括りにしてはいけないような気がしないでもない。偶々昨日「日本辺境論」なる日本人論について書かれた本を読んだので思うのだが、日本人とかアメリカ人とか韓国人とかドイツ人とかはなんとなく○○人としての共通項を抽出できそうに思う。しかし中国人についての共通項を見出すのは難しいのではなかろうか?

国民に経済格差があるとか、戸籍に種類があるからとかいった問題だけではなくて、「自分は中国人だ」と思っている人間がどのくらいいるかと感じる事があるからだ。ひょっとすれば小生も日本人である前に「自分は信州人だ」と思っている人間かもしれない。これは世界共通でアメリカでもアパッチ族はアパッチエリアを強く意識するだろうし、香港人は香港を強く意識しているだろう。中国は広大だからその傾向は一層強く、チベットの人に国籍を問えば「俺はチベットの人間だ」と答えるかもしれない。

言葉も日本の方言なんかと全く違っている。嘗て中国東北部の黒竜江省の人と南西部の雲南省に旅行した事があるが、中国人同士の会話が全く通じないのを知って驚いた事がある。兎に角ローカル性が豊かな国である事は誰も否定しないだろうし、自分もそのように理解すればいいのだが、どうもそれだけでは釈然としない。

我々は身を置くと言うか治める順番に「修身・斉家・治国・平天下」を中国から習っているが、国の上位概念に天下を持ってくるだけあって中国人は我々と少し異なる世界観があるようだ。良く言えばコスモポリタンであり悪く言えば個人主義が徹底しているように思う。従って昔から世界を股にかけて活躍した華僑のように、出身地や母国とは全く隔絶した社会で生き抜く事が出来る人を輩出しているのだろう。経済的に力を付けた階層が出現している今日、当然ながら我が国も彼らの経済的侵略を相当に受けているようだ。

10数年前までは住居と食料は普く国民に平等に分配され、税金も無いような共産党支配の国が、いつの間にか日本人からすると信じられないような富裕層が日本の人口とほぼ同じオーダーで出現している、と言われている。人口の1割が富裕層で残り9割の構成については知る由も無い。かなりの貧民層が存在するらしいが、中間層の存在があるのか無いのか?万博開幕当初の報道を見て、結構中間層が増えてきているのかなと思ったが、閑古鳥の報道に接すると「果たして?」と改めて疑問が湧いてくる。

現在でも政治体制は同じ共産党の1党支配である。どんなマジックがあったのだろうか?北京や上海は行きたいとは思わないが、黄河流域や揚子江流域の遺跡は機会があれば行ってみたくもある。

2010年5月7日金曜日

いよいよこの日が

個人起業してから早くも7年の歳月が経てしまった。先ほど会計事務所の先生に来て頂き、新社長と共に平成21年度決算と納税額についての説明を受けた。この3月までは60歳ごろと変わらない毎日を過ごさせてもらい、且つささやかではあるが国家にも貢献できた事は幸せである。これからは年金が中心の生活になるので、国家や社会への貢献ではなくお世話になる方が多くなる訳だ。

年度が変わり社長を交代したと言っても、連休前までは実務引き継ぎ期間だったので3月迄と殆ど同じ生活パターンだった。しかし決算も終了となり、連休明けから実務的にも大半の仕事を後継者に引き継いだので、来週の月曜日からは小生の生活パターンも大分変化してくる事になるだろう。どのように変化すべきかは未だにノーアイディアである。今まではやりたい事が沢山あったように思うが、この日を迎えて「さて、明日から何をしたいの?」と自らに問うても答がすぐに出てこない。

困った事だ、今迄は自転車に乗って闇雲にペダルを踏んでいる状態で、ペダルの動きを止めれば倒れてしまう恐怖感だけに支配され、行く先を考えている暇が無かったようなものだ。それが突然自転車から降ろされ、ここから何処へでも好きに行ってくれ、と言われているような感じだ。起業する前に会社を4回も辞めているが、今度のような心細さを感じた事は一度も無かった。何処かに俺を必要とする、或いは救いの手を差し伸べてくれる人間が必ずいる筈との変な自信めいたものがあった。今回はさすがにそれが全くない。

人間だれしも同様な雰囲気に置かれる瞬間があると思うが、同期の諸氏はどのようにそこを突破しているのだろう?この瞬間のために趣味を持ったりビジネスとは異なる社会に身を置いたりして、その延長線上に新しい目標設定が出来れば良い、とは理屈では分かる。しかしこれからの生活原資が雀の涙ほどの年金である事を考えると、新しい目標なんか直ぐには思いつく筈も無い。今までやりたい事は殆どやって来たのだから、目標設定の前に低コストライフパターンをいかに確立するかを考えるとしよう。

2010年5月6日木曜日

連休の春スキー



連休をフルに使って志賀高原で、生まれて初めての春スキーを楽しんだ。天気予報を見ると連休中は晴天続くとの事である。しかし初日の5月1日が張り出した高気圧に列島が蔽われながらも寒気も残り、ベストコンディションとなりそうなので30日の夜志賀高原一ノ瀬に入った。明けて1日早朝粉雪が舞い、うっすらと新雪が朝日がまぶしい。一ノ瀬発8時24分のバスで9時5分には横手山の中腹に着いてしまう。15分後にはリフトで山頂を目指しているのだから正に今昔の感ありだ。

半世紀の昔、大学生の小生にとって横手山はあこがれの山。と言っても実際に滑るのは1シーズンに精々2~3回。山頂にスキーを担ぎあげるだけで難儀だったし、スキー技術も未熟だった。年に一度開催される横手山滑降大会に出場するのが夢であったが、大学4年生の最後シーズンになっても、周辺の友達に比べ体力技術共に劣っていたのでついに出場する事は叶わなかった。

この日の横手は爺の劣等感を吹き飛ばすには絶好のコンディション。リフトからの眺望は真冬と同じように透き通って遠くアルプスまで望む事が出来る。春スキーの経験が無かったので、スキー用のヤッケを用意が無く夏山のレインウェアだけだと寒いぐらいだ。バーンは未だ締まっていて滑りやすい。兎に角積年の劣等感と欲求不満を解決しなくては、と陽坂のリフト1本で脚馴らしをしてすぐに山頂まで登る。

未だ10時前なのでバーンの状態も悪くなっていない。今のうちにと山頂から陽坂のリフト乗り場まで一気に滑る。昔と比べればピステの条件・道具の差等圧倒的な違いはあるが、それでも横手山滑降大会に出場できた様な高揚感を密かに味わう事が出来た。約2時間ほど滑りこんでから、山頂ヒュッテで評判のボルシチ定食を前にして窓の外を眺めた気分は最高としか言いようがない。

途中リフトで西宮から一人で来た青年と相乗りして仲良くなった。この季節に態々一人でスキーに来る位だから結構スキーも上手だ。ベースも同じ一ノ瀬と言う事で、互いに写真を撮ってもらったりして、午後1時30分の同じバスで一ノ瀬に帰還。未だ体力が少し残っていたので1時間ほど一ノ瀬から寺子屋辺りを滑った。午後から夕方になると雪の状態は流石に悪くなる。しかし初日から4時間ほどみっしりと滑り込んだ割には筋肉痛が来なかったのは自分でも不思議だ。

この日を皮切りに2日は奥志賀、3日に又横手、4日は一ノ瀬周辺と4日間に亘り志賀高原の端から端まで滑りまくった。また夜は夜とてホテルのロビーで毎晩9時から11時迄無料バーがオープン、オーナーが同年輩なのでウマが合い、毎晩バーボンをたっぷり頂いた。5日にチェックアウトを予定していたが流石に4日間でお腹が一杯となり、4日の夕方、志賀の玄関口上林に住む弟が迎えに来てくれたので、その夜は弟の家でおいしいすき焼きをご馳走になった。

5日は弟の嫁さんに送ってもらって、学生時代に志賀高原で家族同様に世話になった先輩の家を訪ねて何十年ぶりに歓談、尽きる事もない昔話に名残はあったが、新幹線を予約していたので予定通りに6時に帰宅した。連休明けの本日、気分が実に爽やかで足腰の痛みが全く無い。婆さんが不思議がるので「俺は年季が入っているので、疲れない滑りができるのだ。」と自慢する事が出来た。何れにせよ、連休中快晴が続いたのは何十年ぶりとの事だが、小生にとっても何十年ぶりに一人でスキーを堪能した最高の連休だった。