2014年9月30日火曜日

少し異常ではないか

昨日の総理施政方針演説を読んで、中身の無さにあきれている人が多いことだろう。具体的施策としては、原発再稼働にかける意気込み以外は何も無いと言っても過言であるまい。国会開催直前の1週間はアメリカで遊んでいたのだから、国会開催を前に自ら真剣に考えた施政方針など出て来る筈もあるまい。それにしても通常国会終了以来、あれほど大騒ぎした集団的自衛権に関する憲法解釈変更の閣議決定について一言も触れていない。このことを問題視するメディアが皆無であるのも異常ではないか。

異常と言えば、日本が杖とも柱とも頼むアメリカとの関係が現在どうなっているのだろうか?総理が1週間もニューヨークに長期滞在したにも拘らず、大統領はおろか政権の主だった人と顔合わせがあったとの報道は皆無である。オバマ政権が外交的には中東問題なんかで忙しく、国内的には中間選挙の準備で日本のことなんか構っていられないのか。同時期にワシントンで開かれていたTPP日米閣僚交渉から帰国した甘利担当大臣が、少しも妥協しない米国の姿勢を批判したと報じられている。アメリカは、アメリカを批判する者を許さない国柄なので、この一言でTPP交渉は完全に終わった。と言うう人さえいる。

終われば終わったで喜ぶ人もいるだろうし、アメリカがそんなに恐ろしい国かどうかは分からない。少なくとも日本国総理がアメリカ滞在中であれば、大統領の側近から「何とかしてよ。」ぐらいは言ってきそうなものだが、総理へのアプローチがゼロと言うのは、大統領周辺から安倍総理は見捨てられてしまっているのかと心配にもなってくる。素人考えで言えば、このことは少し異常ではないかと勘繰ってしまう。

更にもう一つ加えると、マスメディアでは大きく報じられていないが、先週文春の記事にこんなことが書かれたらしい。天木直人氏のメルマガ(9月28日)で知ったのだが、総理が一部の記者との懇談で、「デフレの正体」や「里山資本主義」の著者であり、アベノミクスは間違いだと一貫して言い続けているエコノミスト(日本総合研究所主席研究員)藻谷浩介氏を、「モタニ?アイツだけは許さない。あの馬鹿っ!俺に喧嘩売っているのか」とグラスを片手に総理が吐き捨てたというのだ。これも一介の経済学者に対する国の最高権力者の態度として、やや常軌を逸してはいないだろうか。

文春の記事によれば藻谷氏はこう述べている。「いやあ、しかし、怖いですよ、総理に嫌われるなんて、直接議論した事もないのに、ここまで嫌われるのは、ちょっと理解できないです。しばらく身の処し方に気を配った方がいいですかね・・・」

これを受けて日刊ゲンダイが早速藻谷氏を取材した。内容は至極まともだ。長くなるが、全文を引用したい。
「安倍政権は経済的な“反日”の極み」
http://www.nikkan-gendai.com/articles/index/news

アベノミクスを批判する専門家は多いが、「(無謀な金融緩和を止められない自分の無力を)懺悔しなければならない」(9月14日毎日新聞)とまで語った人は珍しい。「金融緩和の頓挫した後の世界を生きていく時間の長い若者よ、集団幻想を抜け、事実を語ろう」とも。痛いところを突かれたせいか、安倍首相は「アイツだけは許さない」と怒っている。さっそく、講演会場で直撃した。

■相手をケガさせて「クスリを買え」という手法

――「安倍氏と直接の面識はなく、好き嫌いで批判しているわけではない」と語る藻谷氏。氏が指摘するのは、「アベノミクスの成果」に実体がなく、円安の副作用ばかりが大きくなっているという事実だ。

「原発が止まったから、火力発電所用の石油輸入量が増えて貿易赤字国になった」「国富を流出させないためには再稼働が必要だ」という話を、多くの人が信じ込んでいる。とんでもない話で、真犯人は政権が自分で誘導している「円安」です。

確かに日本の輸入は野田政権の時に66兆円、そして安倍政権の時に77兆円と、1年間で11兆円も増えました。石油・ガス・石炭はそのうちの3兆3000億円、つまり3割で、7割は食品や雑貨やスマホなど、燃料以外の商品の輸入額が円安で膨れ上がってしまったものです。

 燃料代3兆3000億円の増加も円安が原因で、原発停止が理由ではありません。原発は野田政権当時から全部止まっていたのですから。日本の石油や天然ガスの輸入量は国民や企業の省エネ努力のおかげで、原発事故前の2010年も、安倍内閣の昨年も、2億5000万キロリットルと横ばいのままなのです。

 経産省は原発を全部再稼働すれば、化石燃料の輸入額を1兆6000億円程度減らせると言っていますが、昨年の貿易赤字は8兆5000億円ですから焼け石に水。自分で円安にして日本を大赤字にしておいて「原発再稼働」というのは、相手を転ばせてケガさせておいて「さあ、クスリを買え」というような話です。

■いつの間にか中東に貢ぐ国に

――その結果、日本はどれだけ国富が流出しているか。円安に株価上昇で浮かれるのはあまりにも能天気だ。

 国全体で「赤字がかさんでいる」のは、企業や個人の損の合計が、それだけ増えているということ。特にガソリンや電気を使っている企業や個人の儲けがどんどん減っている。株価の上昇で儲けて喜んでいるのはごく一部の人たちで、多くの人はひたすら、中東諸国に貢ぐために働く、というようなはめになっています。

 株が上がったと浮かれている人は、「国全体が赤字になっても、自分だけは儲けることができた」と喜んでいるわけですが、それを「政権の成果」と囃していていいのでしょうか。

 今年上半期の数字から試算すると、今年の貿易赤字は十数兆円に膨らみます。野田政権のときが4兆円台の赤字、鳩山政権の2010年には10兆円の黒字でしたので、日本はものすごい勢いで貿易赤字国に転落しているのです。

ちなみに輸出も増えています。日本のものづくりの国際競争力が落ちているというのはとんでもない誤解で、今よりも輸出が多かったのは、リーマン・ショック前の世界超同時好景気の3年間だけです。ハイテク部品や高機能素材が売れ続けているからです。しかし、日本全体の収支構造が逆ザヤになってしまっているので、輸出が増えるほど輸入も増えて赤字が拡大するのです。

円安政策が対中貿易赤字を招いている
――安倍首相は中国に対して、高飛車に出ている。しかし、その一方で、対中貿易が極端に悪化しているのは皮肉なことだ。

 日本は中国(香港を含む)に対して、一昨年までの12年間、貿易黒字を続けてきました。鳩山政権当時は史上最高の4兆円近い黒字を稼いだのです。それが安倍政権下の昨年、1兆円の赤字に転落してしまった。日本は雑貨でも食品でも部品でも安いものを何でも、コストダウンのために中国から買いまくっていて、そういう構造が円安で裏目に出たのです。

「中国と毅然と対決する」という姿勢の安倍政権の円安政策が、こうした結果を招いている。対中貿易赤字を招くような政策を経済的な「反日」政策だとすると、「安倍政権は反日の極み」で、「鳩山政権が最も親日」という皮肉なことになる。

――里山資本主義を提唱する藻谷氏は、GDPばかり計算していないで、お金に換算できない価値を見直すべきだと訴えている。そうした発想の転換によって、日本は幸せな国になれると提言している。

日本は20年前から、1人当たりのGDPは世界20位以内の水準です。失業率も先進国で最低水準なのに、「もっと稼いでGDPを増やさなければならない」と政治家は叫び、そう言えば、支持率が上がる。そのために刹那的な「マネー資本主義」に走っています。その結果、未来のために残さないといけないものまで使い尽くし、今稼ぐために残してはいけないものを残している。具体的には借金と汚染物質です。

 ようやく表に出始めた原発の廃炉費用を上乗せするだけでも、電気料金はさらに上がっていく。でも廃炉費用の負担が本格的に発生するのは少なくとも2、3年後。使用済み核燃料の負担が出てくるのはその先。それまでに任期が来るメーカーのサラリーマン社長は、「取りあえずは原発再稼働で目先の電気料金が下がってくれればいい」と考える。これが「マネー資本主義」の刹那的な発想です。

マネー資本主義に走る大企業は、人員を減らすことで給料の総額を減らし、原材料を安くするために中国からの輸入量を増やして、配当を確保する。1部上場の大企業は配当を減らすとソニーのように株主総会で叩かれるので減らしません。その分、貿易赤字が増えて、内需は縮んでしまいます。

 アベノミクス以降、日経平均株価は9割も上がったのに、国内の小売販売額は1%しか伸びていない。13年の小売販売額は139兆円で、12年の138兆円とほとんど変わっていないのです。国民や中小零細企業の大多数は、円安で輸入原材料費が上がって経費がかさむばかりで恩恵の実感はありません。

 株が上がって儲けた人がどんどん使えばいいのですが、彼らは金融商品を買うばかりで、国内でモノを買わない。海外にビルが建つだけです。「飢えている人の横で、食べ物を冷蔵庫にしまい込んで腐らせている金持ち」というような行動です。

■仏・伊方式に活路がある

――マネー資本主義に毒されているのは、米国も同様に見える。日本が参考にすべき国はあるのだろうか。

 資源もないのに日本に対して貿易黒字のフランスやイタリアに注目しています。両国とも日本人ほど働いているという話は聞いたことがないのに、日本の方が赤字です。彼らが売り込んでいるのは、ブランド衣料宝飾品に加えて、田舎の産品であるワイン、チーズ、パスタにオリーブオイルなどです。ハイテクではなく、デザインと食文化を売っている。日本だって、里山の恵みをもっと生かして、同じような路線を追求できるはずです。

▽もたに・こうすけ 1964年生まれ、山口県出身。東大法卒。日本開発銀行(現・日本政策投資銀行)を経て、日本総研調査部主席研究員、日本政策投資銀行地域企画部特別顧問。「デフレの正体」など著書多数。

2014年9月29日月曜日

臨時国会のテーマ

本人がしきりに「安倍内閣では」と言うのもいと面白しだが、政権は女性が輝く社会の構築を目指すそうだ。いつ女性を見ても輝いて見えてしまう爺にこれをコメントする資格は無いかもしれぬが、総理の考えには大きな違和感を禁じ得ない。昔から女性が最も美しく輝く時期を第一子誕生後の母の時代としてきた。何も日本だけの話ではないだろし、万国共通の感覚だと思う。特に日本は昔から奥方の功が無ければ旦那の社会的成功は無いものとされ、家族企業の農家に限らず、男女の分業で社会を支えることが普通であった筈である。

才能が有り余る女性の中には良妻賢母として家庭を守るだけに満足せず、社会に出て男性と同じかそれ以上の活躍をされる方も昔から沢山いらっしゃる。これまた昔から万国共通のことであり、びっくりするようなことではない。ところが最近は、旦那が一生懸命頑張ってもなかなか給料が上がらず、夫婦共働きを余儀なくされる家庭が増えているようだ。本当に女性に輝いてもらえる社会を目指すなら、共働きをしなくても済むような豊かな社会を目指すべきだろう。
或いは、女性が働きやすい環境、例えば保育施設や保育士の養成とか小児科や産婦人科の減少を食止める施策を真剣に検討すべきだそうだ。

安い労働力を増やすために、女性の社会進出を促進しようとの魂胆でないかと勘繰りたくなるようなお題目は頂きかねる。子供一人満足にもうけることが出来ない総理がよく言うよとの思いもあり、どんな女性が輝いて見えるのか、総理の女性観を改めて問うてみたいものだ。畏れ多くも皇后陛下ならまだしも、まさか閣僚の女性陣や先日亡くなった土井元衆議院議長や緒方貞子さん達だなんて言ってほしくないものだ。

序でに地方創生についても指摘しておきたい。地方創生と言う言葉自体に違和感がある。昔から田舎には「江戸もん(者)」と称して、僻み半分で東京人を田舎者のくせにと馬鹿にした言い方があった。地方創生はその逆で、はっきり田舎を見下した言い方である。創生なる単語自体あまり聞き慣れた言い回しでないが、創造するするくらいの意味らしい。地方は昔から存在しているから、今更創造は失礼だ。「江戸もん」はもっと故郷の山河に敬意を以て考えるべきである。

先日物故された経済学者の宇沢弘文氏が説くところではないが、交通機関のスピードアップが人間生活をより貧困化に結び付けるような気がしてならない。田中角栄氏の列島改造辺りまでは、日本の民度を平準化する意味で多少の意味があったと認めるにしても、同様の思考から脱しきれない現在の政治家諸氏の頭の悪さには辟易するばかりだ。

思うに、スコットランドの騒動に触発されたのではないが、日本も大久保利通や木戸孝允が目指した中央集権国家体制そのものを根底から見直す時が来ているのかもしれぬ。敵国条項をそのままにして敵連合の仲間入りを焦るより、足元を落ち着いて見つめ直すことを薦めたい。

2014年9月28日日曜日

読後感「秋月悌次郎-老日本の面影」松本健一著

あとがきで著者自身が語っているが、歴史を題材にした小説とか評伝の作家としては司馬遼太郎氏に似ているところがある。事実司馬氏の晩年の10年ほどの間には付き合い(直接会ったのは2,3回だったらしい)もあって、互いに相手の作品には敬意を表し合っていたようだ。しかし、取り上げる人材は極端に異なる。司馬氏は日本の官僚制度の創始者である大久保利通を高く評価し、著者は西郷隆盛が好きと言い切っている。

自分が著者を知るきっかけは、彼が「評伝 佐久間象山」を著したことにある。佐久間象山は、故郷の長野や母校の長野高校で幕末最大の偉人(開国=革命思想家)として尊敬されていた。著者が詳しい評伝を上梓してその根拠を示してくれて以来ファンとなった。本書は初版が1987年となっているので2000年に出版された「評伝 佐久間象山」より遥か前の作品である。主人公の秋月悌次郎は1824年生まれの会津藩士。18歳にして藩の推挙で江戸に上り、経術と漢学を極めたとある。

江戸時代の武士は誰も幼いころから四書を学んだようだが、秋月の場合はそれが徹底して、朱子学が身に沁みついていたと言うことだろう。朱子学が身に着くと言っても、現代社会に生きる我々には何のことか分かり難い。簡単に言えば学問の要諦は「道を知り仁義道徳に沿った生涯を送ること」に尽きるのかもしれぬ。江戸での学問は長期間に亘り、26歳の時には昌平黌(当時唯一の国立学問所と言うべきか)寄宿舎の寮長となり幕府から手当てを貰っている。

結局昌平黌在席は11年に及び、その後諸国漫遊をして西は薩摩まで足を延ばし、その間各地で当時の一流の論客と知り合っている。帰国後は藩主松平容保に重用されて目付、学校奉行、勘定奉行などの重職を経て、藩の公用人(国務相又は外務大臣と言ったところか)に取り立てられている。それだけ全国に顔が売れていたと言うことだろう。

時は恰も幕末の風雲急を告げる時代。藩主容保は京都守護職を命ぜられ、その下で秋月は公用人としての名前を上げていくことになる。幕末の情勢がどのように動いたかについて講談本の知識では、とても窺い知ることは出来ぬ複雑さである。尊王攘夷が薩長土肥で開国佐幕が会津や水戸だと簡単に2分出来るものではない。長州が禁門の変で一旦朝敵になったのを坂本竜馬の活躍で薩長連合が成立した話は有名だが、どうも300諸侯のどれをとっても天皇制無視は言っていないようだし、開国と攘夷も後で取ってつけた感が無きにしもである。

察するに天皇家を日本の象徴又は旗印にすることについては、諸藩は一致していたのだろう。察するに当時の孝明天皇と弟の明治天皇派なんてことはあったかもしれぬ。こんなことを書くのは、本書から松平容保が孝明天皇から大変信頼されていたと知ったからである。当時、幕府をどうするかについて諸藩の動きは複雑で、一時は秋月たちの奔走で会薩同盟が出来掛かった時期があるらしい。時代背景は兎も角、結局薩長主導の討幕が半ば成功して明治になり、江戸城引き渡しから、東北同盟の抵抗による戊辰戦争に会津も加わり、東北同盟は何れも悲惨な敗戦となる。

会津藩も白虎隊の話ではないが、実に悲惨な敗戦の日を迎えるのだが、この降伏儀式の会津藩側代表が公用人秋月悌次郎で、マッカサーの役どころが薩摩の人きり半次郎こと桐野利秋。秋月は命を取られず終身刑で青森に流さたが、結局3年ほどで恩赦となる。新政府には彼の学識を評価する沢山いたのだろう。郷里に帰っていたところを再び江戸に呼び出されて、新政府に仕えて東京では1高、東大、熊本の5高の教授などを歴任、晩年は東京で1900年75歳で亡くなっている。

秋月の経歴を長々書いてしまったが、著者が言いたいのはその経歴ではなくて、生き方の問題。本の初めは70歳に近い秋月の5高時代の話から始まっている。当時の5高は校長が加納治五郎、ラフカディオ・ハーンも同僚である。秋月はここで倫理と漢学の教授になっている。ハーンは秋月を「神のような人」とさえ言っている。白く長い髭を生やした温和な老人といった風情ではある。5高時代の秋月の様々なエピソードを積み重ねていくと、「人は誠心によって過不足なく各々の分を尽くすならば、別に名を挙げずともよい。それによって「中庸の道」に通じてゆき、天命にかなう。」と信じた生き方が鮮やかに浮かび上がってくる。

明治維新当時の侍のうち、生き残ったのは2流の人物ばかりとの説もある。確かに歴史に埋もれて忘れ去られている存在には違いないが、秋月のことなどを改めて教えられると、幕末激動の時代を生きた武士階級の知識人が目指したものが何であったかが、おぼろげながら見えてくる気がする。秋月の場合もそうだが、頭でっかちになっている訳ではない。藩の公用人であったのも事実だし、一方で戦争の際は会津城攻防戦の軍事目付でもある。

触れることが出来なかったが、後半に秋月と非常に親しかった長州藩の奥平謙輔のことが書かれている。彼は西南戦争の1年前明治9年長州の前原一誠が起こした萩の乱の軍事長官格で、結局は捕まって首を刎ねられているが、維新当時は皇軍側にいて、秋月が降伏側の公用人として登場して捕まったことを知って大いに心配してすぐ書状を書いている。それが6年後には立場が逆転してしまう時代である。

互いに詩人でもあり、著者の松本氏も又詩心が厚い。要所要所で秋月、奥平の詩作を引用して、解説を加えているのが松本健一氏の又良いところでもある。人の上に立つ人間の生きざまを考えさせられた思いの1冊であった。

2014年9月27日土曜日

文科省のお仕事

これも政治問題であろうが、昨日文科省で「英語教育の在り方に関する有識者会議(第8回)」が開催された。今年の2月から続いているもので、議論が煮詰まってきたようで、この政権下で目的が実現されそうである。目的は言うまでも無く、小学生時代からの英語教育の実現にある。

この会議の趣旨は「初等中等教育段階からグローバル化に対応した教育環境づくりを進めるため、小学校における英語教育の拡充強化、中・高等学校における英語教育の高度化など、小・中・高等学校を通じた英語教育全体の抜本的充実を図ることが必要である。2020年(平成32年)の東京オリンピック・パラリンピックを見据え、新たな英語教育が本格展開できるように、2014年度から逐次、改革を推進するための「グローバル化に対応した英語教育改革実施計画」が2013年12月13日に文部科学省により公表された。
 
同計画において示された方向性について、その具体化に向けて、専門的な見地から検討を行うため、本有識者会議を設置する。メンバーは小中学校の校長先生から大学教授まで11名で構成されているが、知らない方ばかりである。現在の座長は上智大学教授の吉田研作さんと言う方で、座長代理には楽天の三木谷会長や一般財団法人実用英語推進機構代表理事の安河内さんと言う方が名を連ねている。

文科省は、国の将来について重い役目を持つ極めて重要な役所と認識しているが、その割には打ち出される方針で余り感心したことが無い。大学センター試験改革とか、沖縄の教科書問題とか、大学認可の問題とか、どうでも良いと言ってはいけないかもしれぬが、報道されることは下らないことばかりに思えてならない。幼稚園と保育園では厚労省と縄張り争いにうつつを抜かして、本当に幼児教育を考えた施設や人材の育成を考えているようにはとても見えない。

文科用のお役人さんだけには利権や天下り先とは無縁でいてほしいと思うのだが、今のご時世では彼等も人の子、そん綺麗事では済まないのだろうか。そこに持ってきてこのニュースである。この問題は、まさか利権とか省益とかの問題と絡んでいるとは思わないが、別の意味でかなり大きな問題である筈だ。ビジネスににせよ、学術芸術の全てが国際化している現代社会であれば、外国に出かけて言語に不自由が無いことは大切であろう。

スポーツだってそうだ。錦織選手の話を聞くまでも無く、中学生からの留学を余儀なくされたは良いが、最初の数年間は言語ハンディは大きかったろう。だからと言って、全児童に小学生時代からの英語教育の必要性は如何程のものだろうか?当然ながら、異論が多い筈だ。数学者の藤原正彦氏は小学校からの英語教育必修化に批判的で「一に国語、二に国語、三四がなくて五に算数。あとは十以下」であると述べ、国語教育の充実を推奨。「読書をもっと強制的にでもさせなければならない」「教育の目的は自ら本に手を伸ばす子を育てること」と主張している。

会社の公用語を英語化している企業も少なくないとは聞く。その代表格の楽天三木谷氏と数学者藤原氏の言い分のどちらに分があるか、そこを判定するのが文科官僚諸氏の役目ではなかろうか。そのためには「英語教育の在り方に関する有識者会議」のように重要な会議には双方の意見を持つ方々に参加願って十分な議論がなされるべきだ。小生の知識が不十分なせいもあろうが、今度のメンバーのどなたが反対論者かが分からないことが残念である。

2014年9月26日金曜日

せめて内弁慶で留まってくれ

今朝安倍総理がニューヨークで国連総会に出席して演説をぶったとのこと。そもそも1週間にも亘る長期出張の割に、世界のリーダー格の指導者には一人も会えていない。そりゃそうだろう、この忙しい時代に誰が日本の総理に会ってみたいと思うだろうか。残念ながら彼に会ったところで、山積する世界の難問への知恵や力が借りられると思う人間がいないのも仕方があるまい。

差しで会ってくれないなら総会で演説をするから、よく聞いてくれとの意気込みだろうが、果たしてこの時の出席者が如何程であったかは、まだ確認できない。何を喋ったか、要約すればこうなる。「日本は国連を始め世界各国にお金を沢山ばら撒いてきましたよ。だから安全保障理事会の非常任理事国入りを認めてください。そうすればお金での貢献を継続することを約束します。」出席者がどんな受け止め方をしたか分からぬが、これだけ緊迫している世界で、よくも恥ずかし気なく、こんな極楽とんぼ的な発言が出来たものだ。

日本人として本当に恥ずかしい。因みに演説の冒頭部分を紹介したい。「議長、人類は、今、かつてない深刻な危機に直面しています。議長、今こそ、我々は、国連の旗のもと、結束すべきです。共に、この危機に立ち向かおうではありませんか。議長、日本は、国際社会と手を携えて、大きな責任を果たす決意です。」日本人が幾ら国連の旗のもと結束を叫んでも、国連が崩壊又は分裂の危機にあることは火を見るより明らかではないか。

これが国連外交と言えるのだろうか。1週間もニューヨークに行って報じられるのは、ヒラリー・クリントンさんと会ったことや着物を着て寿司を食べるといったパフォーマンスばかり、高校生の海外修学旅行でも、もう少しましな交流行動がありそうだ。シリアで拘束された日本人についてはその後何の音沙汰も無いし、日中・日韓関係、日ロ関係、日米関係、拉致問題、何一つニューヨークで成果があったとは聞かない。日経平均株価は上がっているし、来週始まる国会は与党圧倒的多数とくれば国内では怖いもの無しと言うことか?それなら仕方ないが、余り外でみっともない真似をしてほしくないものだ。

2014年9月25日木曜日

エネルギー政策の不思議

エネルギー問題を所管する経済産業大臣に自民党ホープと噂れる小渕優子さんが着任して間もない。彼女も原発再稼働の嫌な役目を引き受けざるを得なかったか、と半ば同情していた。一方で、原発に関しては以前から科技庁(現在は文科省)が絡んでいて、更に最近は屋上屋で、内閣府にも科学技術担当相が設置されて何が何だか分からぬぐらい複雑な仕組みになっている。

先日(22日)ウィーンで開催された国際原子力機関(IAEA)の年次総会には、この科学技術担当相の山口俊一氏が出席して演説している。日本政府が4月に閣議決定したエネルギー基本計画で原子力を重要な電源と位置づけたことを紹介し、九州電力川内原発について「政府として再稼働を進める」と表明した。と報道されたばかりだ。地元はどうか知らないが、全国的な世論調査では恐らく半数以上が再稼働反対だろう。世論と政府方針の乖離は何もこの問題に限ったことではないので、びっくりすることは無いにしても今日は次の報道に正直驚いた。

「九州電力は24日、再生可能エネルギーの固定価格買い取り制度に基づく接続申し込みについて、回答を25日から数カ月間保留すると発表した。7月末段階の契約申し込みがすべて接続された場合、電力量が九州管内の春や秋の需要のピークを上回る1260万キロワットに達することが判明した。送電設備の容量が足りず、九州全体の電力供給が不安定になる公算が大きくなったためだ。」電力が足りているので、太陽光や風力などの新エネの買い取りを暫し見合わせるとのことらしい。九州電力は経産省の許可を得た上で発表していることは間違いない。経産相の小渕さんも当然承知のことだろう。

時恰も総理閣下が態々ニューヨークにまで足を運び、国連で温室効果ガス削減に力を入れようと演説したばかりである。しかもこの演説、具体的目標数値を示さなかったの何だので、悪評サクサクのところである。根拠無いことを上顎と下顎の当たり放題に喋るのがお好きな総理閣下ではあるが、日本のエネルギー政策について、もう少しお勉強された方が良いように思う。原発再稼働はエネルギー不足解消が目的なのか、温室効果ガス削減が目的なのか、論理的に説明すべきだ。新エネを抑制する電力会社を指導しているのは政府である。

それにしても最近、国内政策にせよ、外交にせよ、閣内の意見不統一が目立ちすぎる。国家には多種多様な問題が山積していて、その個々に対応する人間の数も相当で、その頂点に立つのが総理であることは言うまでもない。誰も指摘しないが、トップの目配りが緩すぎるのだろう。

最近アメリカであった似たようなケースがあった。軍のトップが「イスラム国への空爆が十分な効果を上げないなら、地上軍派遣を大統領に進言する。」とやってしまった。しかし、大統領はこの発言をすぐに否定する声明を出している。アメリカでさえそうなのだからと言って、日本の政府方針があちこちで食い違いを起こすことが許されるものではない筈だ。

2014年9月24日水曜日

政治家の志

今日のネット情報によれば、元衆院議員でタレント、杉村太蔵氏が初の著書「バカでも資産1億円 『儲け』をつかむ技術」(小学館)を来月上旬に出版するそうだ。別に冗談ではなくて、本を出すくらいだから若くして1億円の資産を形成するに至ったのは本当らしい。「株式投資を行う青年実業家に転身していた。」と書かれているを見ると、外紙系証券会社か投資コンサルタントみたいところに籍を置いているようだ。

彼はバカを自称しているが、なかなか強かな計算もして自分の人生を切り開いているので、決してバカではないだろう。生まれも育ちも良くて、運動神経が良いからバカである筈がない。筑波大学を中退して20代で衆議院議員になることは普通の人間にはできない芸当だ。嫁も貰って一家を成したからには先ず食い扶持を確保するのが男の務めだから、資産形成にイチャモンをつける理由は全く無い。1億円の資産を形成して満足している訳でもなかろうが、先ずはご同慶の至りとお祝いを言っておこう。

昔は国会議員として政界入りをしたばかりに井戸と塀しか残らなかった政治家が沢山いたらしい。近年政治で全財産を食いつぶしたとして記憶に残っているところでは藤山コンツェルンの藤山愛一郎氏や三光汽船の河本敏夫氏がいるが、最近は似たような話はとんと聞かない。藤山氏や河本氏もあまり褒められたものではないかもしれぬが、悲劇のなかにも何となく人間性として可愛らしさを感じるのも事実だ。普通お金持ちのこういう人は、政治の中に入らず、外から政治を動かすことに喜びを見いだすとしたものだろう。

それがミイラ取りがミイラになってスッカラカンになってしまったのだから、家族から見ればとんでもない親爺で、悲劇に違いない。引き換え杉村氏は正反対で、政治の中に入ってみたものの、思ったほどの面白さは感じられず、切りの良いところで見切って、家族に尽くしているようだ。世の中をより良い方向に変えることが政治の醍醐味だろうが、現代のように個人主義が徹底してグローバリズムだ事のなんだのと言われると、政治の役割に疑問を持つのも不思議は無い。所帯を持てば余計そうだろう「それなら、俺一人でやってみるよ。」が正解かもしれぬ。

世の中の良し悪しが分からずに、国の形を云々する昨今の政治家諸氏よりタレント杉村太蔵氏の心中の方が理解しやすい。

2014年9月23日火曜日

休日に取りとめなく 二題

天高く馬肥ゆる季節の天気が数日続いている。週末に食べた秋刀魚の塩焼が格別に美味かったし、珍しく身体の調子が軽く感じる。先週の日曜の14日、雨飾山でへたっていたのが別人のように感じてしまう。昨日はブログもサボって1時間半も歩いてしまった。運動会のシーズンだけのことはある。朝出しなに「今日は高尾山辺りのハイキングには絶好の日和よ。」と婆さんが言ってくれたが、調子づいてまた山に行けば、勘違いに気付き結局は体力低下を感じることになるのだろう。

今日は代わりに婆さんが朝早くから横浜の実家に出掛けて、こちらが留守番になった。岳父は疾うに亡くなっているが、90歳の義母が元気で生き仏様みたいものなので、そのご尊顔を拝してご機嫌を伺い、併せてご先祖様に線香を上げる趣向である。こちらは特に予定が無いので、昨日書かなかったブログを朝から書いている。と言っても、このところ心に引っ掛かるネタが少ない。スマホの宣伝やらiPhon6新発売の関連ニュースが多いが、正直老夫婦二人にとって意味がよく分からない。

それでも小生はパソコンを弄っている分、婆さんより少しは意味が分かるつもりでいたが、iPhon6を中国人が大量買い付けと聞いて頭が混乱した。スマホなる代物、携帯電話よりは撮影機能が組み込まれたパソコンに近いとは理解しているのだが、基本は電話機でないのか?電話機だとすると、購入時に電話会社との契約が必須要件だと思うが、中国人が買った場合どこの会社と契約するのか。との疑問があるのだが、どうもテレビ映像を見ているとパッケージのまま受け取っているようだ。

携帯電話を電話会社からしか購入したことが無いので、知らなかったが多分機械を購入してから好きな電話会社を選んで回線の設定が可能なんだろう。考えてみれば、消費者優先で考えれば当たり前のことだが、なんでもお上に従って生活パターンを整える、事の善悪は別として日本人の癖が身に着いていて思いが及ばなかった。この辺の記述が当たっているかどうかは分からない。kionaさんにでもコメントしてもらうしかなさそうだ。

閑話休題:

外交が得意と自称している安倍総理閣下が国連総会出席のためニューヨークに行かれているようだ。国連に行って何をするのか喋るのではなくて、ヒラリー・クリントン氏と面会することの方が特筆大書されている。似たようなことでは、11月北京で開かれるAPECの時に、ロシアのプーチン大統領や中国の習近平主席と会談できることが、鬼の首でも取ったような燥ぎぶりで報道されている。中学生の修学旅行でもあるまいに、会って握手することが目的ならまるきりのミーハーではないか。どうせニューヨークであれば、野球場に行って、ヤンキースの田中将大投手に握手でもして貰えばいいのではないか。報道する方もいい加減にしてほしい。振りで読んでいて気恥ずかしくなってくる。

先日読んだ戦国時代に来日した宣教師のフロイスが豊臣秀吉の朝鮮出兵に関して次のように記していた。「独裁者が陥る傲慢と慢心のなせる業ではあるが、秀吉の場合は更に無知と自惚れが加わり、国全体を計り知れない恐怖と不安に陥れた。信長は海外への野望があったにしても、宣教師にまでひけらかすようなことはしていない。」もともと他国民と戦争することでは訓練されていない日本人である。平成の大将軍も間違って夜郎自大に陥らないことを祈りたい。

2014年9月21日日曜日

都会の秋祭り

先週金曜日までの天気予報では、この週末雨で特に日曜日が酷い筈だったのが、今日は都心に居るのが勿体ないような終日秋晴れの良い天気になってしまった。先週は我が町豊島区長崎神社のお祭り(山に出掛けたので見ることが出来なかった)、今日は隣町板橋区大谷口で氷川神社のお祭り、来週は池袋西口で御岳神社のお祭りと秋祭りが続く。2週続けて祭りに雨が降らなかったのは珍しいし結構なことだったが、来週28日の一番大きな池袋の祭りも無事に済むことを祈ろう。

秋祭りには神輿がつきもの。見ているだけでも楽しいので、隣町と言ってもすぐ近くなので、いい年をして神輿を態々見に行ってきた。最近どこの街でも担ぎ手が減って困っているらしい。確かに最近は神輿に取り付いている小父さんが多くて、若い人の影が薄いような気がする。夕方神輿の近くに行っても、余り酒臭くないのも少し気になるところだ。普段は余り付き合わなくても同じ地域に住まいするだけで、氏神様に寄ってたかって盛り上がる感覚は今風ではないのかもしれぬ。

現代はスポーツ全盛に時代なので、若い人にとっては神輿担ぎも一種のスポーツ感覚になっている可能性がある。だから好きな人間は地域構わず徒党を組んで居住地と関係なく大きな祭りには態々出かけていくが、肝心の氏子が個人的に参加するのが少なくなっているようだ。地域から出て来るのは爺さんばかりだからどうしても景気良く行かない。

景気が盛り上がらない世の中だが、せめてお祭りぐらいは若い町民も協力して景気よくしてもらいたものだ。神輿を担いだ後で爺さん婆さんの労いを受けながら飲むお神酒は格別だと思うが、これがそう上手くいかないのが昨今らしい。町内の人口が減っているせいもあるのだろう。若い衆の姿は少ないが、元気な婆さんを見かけて面白かった。

祭り見物の後、蕎麦屋に入ったら60代後半と思われる女性が二人、冷酒を酌み交わして談笑されていた。蕎麦屋で昼から冷酒とはなかなか乙なものだ。つまみが豪勢でメニューに載っているものを全部注文したかと思われるくらい、枝豆、冷奴、玉子焼き、ゲソ焼きに鴨焼も載っていたような気がする。爺さんがお神酒所で一杯やっているのだからこちらも当然みたいに盛り上がっていた。

2014年9月20日土曜日

彼岸の入りだ

今朝プールに出掛ける前にちらと見たテレビ(日本テレビのウェークアップ プラス)に菅官房長官が出演していた。キャスターの辛坊治郎氏が拉致問題について突っ込むと露骨に不機嫌な顔で、北を交渉のテーブルに着かせただけでも我が政府の政治的努力の賜物と考えて貰わなくては困る。と言葉をやや荒げていた。それは善しとして、一緒に出演していた田崎氏なる時事通信出身で政権応援団の団長格の解説者の科白が面白い。

安倍総理は外交面でかなりの成果を上げているとのこと。それが証拠にこの2年足らずの間に40数か国を歴訪して報道されていないこともあるが、赫々たる成果を上げている。戦時中の大本営発表でもあるまいに、公共の電波で嘘の宣伝をしてもらっては困る。歴代総理がしたことの無い外遊多数は認めるにしても、国民が認識すべき成果とは何ぞや。専用機を駆使して多額の費用を掛け、日本とどんな関係や意味があるか分からない国を訪れ、乏しい財政から血税を気前よくばら撒いてきただけではないか。

中韓とぎくしゃくしていることや北朝鮮におちょくられていることばかりではない、つい先日行ったばかりでそれぞれの首相と個人的にも極めて良好な関係にあるようなことを宣伝していたニュージーランドとオーストラリア。この2国が今週連携して日本の調査捕鯨にストップをかけてきた。特にオーストラリアなんぞは知っての通り、シーシュエパードなる海賊もどきが前々から捕鯨船に対して敵対的攻撃に出るのを黙認している国柄である。公海の安全について共同していく、なんてよくも白々しく言えたものだ。軍事的協力するなら、先ず海賊紛いのおふざけぐらい止めさせるよう交渉してはどうか。

今月はやっとアメリカに行くらしいが、どんな交渉事が有り、政治的意味を持つのか分かったものではない。円安で株価が上がっているのでご本人や日銀総裁は経済運営が上手くいっているとマジで思っているようだが、政権発足後庶民の暮らしは苦しくなる一方とどこかで読んだ気がする。中流の暮らしが厚かった嘗ての羊羹型社会を敢えてぶち壊して、努力する人が報われるとか何とか言って現在の社会を意識的に形成しているのだから、貧乏人が文句を言っても始まらぬのか?

優勝劣敗の格差社会はますます勢いを増すことだろう。今日から秋の彼岸が始まるが、相変わらず墓参りもせず親不孝を重ねているが、最近は墓に入るにも何かと掛かりが要りそうだ。ご先祖様はこの不肖の子孫をどのように思っていることやらだ。

2014年9月19日金曜日

外野席からのスコットランド問題

スコットランド独立に関する住民投票が終わり、住民の意思として独立反対が明確になったようだ。先行報道では賛否相半ばするみたいなことが言われていたので、まさかと思いながらも少し心配していた。スコットランド分離は無くなったが、これで大英帝国も国内の収拾に大分手間暇が掛かることになるだろう。ウェールズなんて地域はもっと独立色が強いみたいだ。今度の騒動を地球の裏側から見ている限り、訳が分からないことが多い。

経済的に圧迫されている?或いは簒奪されているので、独立して経済的に豊かになって、社会福祉を充実させるとも伝えられているが、本当だろうか。報道から知るだけだが、通貨さえどうしていいか分からないまま選挙に持ち込んで、負けたからいいが、もし勝っていたら1年半の期間でどのように国家の運営体制を整えるつもりだったのか。それでも最終的に45%近い人が賛成票を投じている。愛郷心が強いことにはびっくりするが、正直なところ余りにも単純すぎるのではと思ったりだ。

スペインのカタルーニア地方問題もウクライナ問題にしても、皆似たようなところがあって、結局は根っこに人種問題があるようだが、日本人には理解が難しそうだ。日本は現在長州の殿様が国を取り仕切っているが、陸奥の国の復興に大いに力を注いでいる。嘗てのと言っても、僅か150年足らず前の恩讐を超えてことである。方やスコットランドは300年前の恩讐に拘る住民が4割もいるとしたら、その精神構造は恐ろしいものだ。

2014年9月18日木曜日

互いに齢だぜ

久し振りに大阪時代の会社の後輩と昼食を共にして四方山話をして楽しかった。彼は大学時代からの本格的山屋さん。ここ数年は山歩きを趣味としてきたので、山の話になると話は尽きない。彼はビジネス的に未だ現役で頑張っている。個人企業で安定した得意を1社持っているので、余り慌てた様子はないが、それでも支払う税金と仕事を通して見えてくる税金のばらまきには腹が立つらしい。
仕事から全く離れていても、大いに同感できる話である。

世の中再び株高で盛り上がっているらしいが、彼曰く「余り当てになりませんね。先日ソニーに異常な高値が付いた時に売り払ってしまってよかったと思っているところです。」実感として景気が良いとは言い切れないみたいである。彼が少し変わっているのはビジネス拠点を沖縄に置いていることだ。ある意味で先見の明があったのだろう。東京と沖縄2か所に生活拠点を置いてを行き来している。沖縄はグローカル地域なので面白いですとのこと。文化的には非常にローカルではあるが、一方でひどく国際的であるのだそうだ。

それを言うなら「対極的かもしれぬが、東京もグローカルエリヤでは?」と問うと彼も賛成してくれた。思うに東京は地方都市との比較で、国際都市を自認しているようなところがあるが、他所を知らな過ぎる意味で凄く田舎めいたところを感じる時がある。考えてみれば日本人全体が手前勝手にハイカラを決め込んでいる田舎者なのかもしれぬ。まだ50歳くらいかと思っていた彼も、既に半ばを過ぎたとのことで、自然に話は身体の調子や健康に話題が移っていく。

こちらの前立腺癌の心配をしてくれたので、「それは加齢を考えれば半ばやむを得ないが、そんなことよりこの前の日曜日久しぶりに山に行き、遂に体の限界を感じた方が問題だ。」と答えると、彼もここ数年山歩きをさぼっているのが少し気になった気配。沖縄は山歩きが全くできないので、東京にいる時少し足慣らしをする必要を感じた見たいである。年を取ると、ある日急に年齢を感じる。ある時は筋肉や骨であったり、歯であったり、脳みそであるのは誰も同じ。

煙草はとっくに止めたらしいが、酒の方は相変わらずの様子。少しセーブするよう偉そうに薦めてみたが、そんなことは他人に言われなくても本人が一番分かっているだろう。

2014年9月17日水曜日

あゝ、無情

本当に大学病院の繁盛ぶり(用語的には語弊があるかな)は凄い。従来掛かり付けの町医者からもらっていた薬が切れたので、今度通うことにした日大板橋病院に処方箋を貰いに行った。次の通院予定が10月15日になっているので当日受付となる。事前に当日受付については電話で問い合わせをしてあったので、泌尿器科の受け付けに診察券を提出するところまでは順調で8:40前には受付番号が貰えた。7000番代であるのが気にはなったが、まさか先生様の前に出るまで5時間半掛かるとは思わなかった。新書版の本を1冊読み終わって更に居眠りする時間があったくらいだ。

処方箋を貰うために先生との面接に要した時間は5分程度のことだろう。小生の前の方は優に20分以上は掛かっていたから、未だ後ろで待っていた人のためには良かったかもしれぬ。10月15日も採血と診察が重なるので覚悟を決めて行かずばなるまい。最近は時間が有りすぎるせいか、人格が練れてきたせいか、両様相俟ってだろうが余り腹が立たなくなった。じっとしているだけなので腹も空かない。暇に任せて下手なネット碁を打ってカリカリするより精神的ストレスが少ないとすれば、それだけで病院通いの効果があるかもしれぬ。

最近は身の回りに起こることについてネガティブに考え出すと切りが無いので、出来るだけポジティブに考えるようにしている。過去を振り返るにして同じことである。問題は将来未来だが、こっちはなかなか難しい。個人的には先が余り長くないと思えばそう悲観するに当たらないが、つい気になる子や孫が生きる日本の将来に考えが及ぶと暗い気持ちにならざるを得ない。スマホやリニア新幹線の発達が彼等に大層な幸せを齎すとは思えないし、鳴り物入りの6年後の東京オリンピックは結構だが、その後日本全体が長野オリンピック後の長野市になるのではと心配してしまう。

世界情勢からみれば未だ平和なだけ日本はましだが、これも最近の政治情勢からすれば、かなり危うい水際に来ているのかもしれぬ。マスコミの罪が大きいと思うが、日本人或いは日本社会の平衡感覚がどうもおかしくなっている気がしてならぬ。臨時国会が今月末召集されることがやっと決まったのに、野党の体たらくを見ていると何も期待できない。せめて、民主党の党首だけでも代わってくれたら少しは期待できたかもしれぬのに!あゝ、無情、残念無念だ。

2014年9月16日火曜日

年は取っても

3連休は穏やかな秋晴れで少しほっとしたばかりだったのに、昼過ぎに北関東で震度5の大きな地震があって都心もかなり揺れたみたいだ。しかしたまたま昼飯のため池袋地下街を歩いていて全く気付かなかった。地下鉄乗り場に行って初めて場内アナウスで地震による遅れを聞き、部屋に戻ると机や棚の上に置かれた不安定なものが転がっていたりしたので、改めて地震が少し大きかったことを実感した。気象庁は地震が集中的に発生する時期に差し掛かっていると注意を喚起している。今年は豪雨被害だけでも辟易しているのに更に地震で痛みつけられたのでは目も当てられぬ。そうならないことを祈るしかないが、最近の気象はやはり異常かもしれぬ。

連休中に山に行って中途半端で帰ってきたが、今朝になって報道によると北アルプスだけで4件も死亡事故が発生している。それぞれ何が原因か分からないが、以て他山の石として、これからの山歩きについては一層安全を優先すべきとの思いが強い。こちらは寄る年波を益々感じているが、海の向こうのアメリカではヒラリークリントン女史が再来年の大統領選に立候補する意思を半ば表明したとのこと。御年68歳とのことで70歳にしての立候補になるらしい。現オバマ大統領も早々レイムダック状況で、評判はあまり芳しくないようだ。

しかしこれも可愛そうな話で、これに関して「オバマはそれぞれの局面での最善手は打ってきているのです。それはアメリカ世論が、今、再び戦時への回帰ということには、全く支持をしていないということを受けていると見るべきです。」と言う人もいる。とは言っても正反対に弱腰への批判は強まる一方で、地上戦部隊派遣はしないと言いつつもイスラム国への攻撃に関しては再び深みにはまり込んでいく感が無きにしもだ。中東のことやウクライナのことなどは想像の外にあるので理解できることではないが、若い大統領がややお年寄りの女性大統領に代わって、リーダーとしての強かさとしなやかさが併せ発揮されるなら大いに歓迎したい気もする。

2014年9月15日月曜日

情けない山歩き

昨日は素晴らしい秋日和で絶好のハイキング日和。3か月半ぶりに勇んで北信濃の山に出掛けたものの、実に情けない山歩きですっかり意気消沈してしまった。目指したのは雨飾山、深田久弥氏の百名山に名を連ねているし生まれ故郷の近辺なので、いつか一度は行ってみたいと思っていた。今年は当初から標高2千メートルを超える山はに行くのはもう無理と決めていたが、雨飾山は2千メートルに達しない山で、難易度も低い山と認識していたので、今年に残しておいた感もある。

更にこの夏は前立腺がんの発症が重なって、3か月半山行きを自粛していた。でも久し振りに好天が連続しそうなので、入念に準備して出掛けたものである。
出発は土曜日の11時2分新宿発のスーパーあずさで、4時過ぎには前泊地の南小谷に到着の予定が小淵沢の手前で急停車。間の列車に鹿か何か飛び込んだらしい。そのため松本到着が15分ほど遅れて南小谷到着は5時37分になってしまった。更に大糸線に乗継延々2時間程か、風情はあるが奥信濃は流石に遠い。

明けて昨日日曜日、朝から快晴。6時にタクシーを予約して登山口まで約30分。途中地元のドライバーさんからアドバイスを沢山聞かせてもらう。これから行けば10時頃には山頂の素晴らしい展望が期待出来る筈。遅くとも10時30分までには山頂に到着してください。この山はこの時刻を過ぎると雲が掛かって見通しが悪くなることに加え、登山口から帰りのバス停まで約1時間掛かりますとのこと。バス停まで1時間はショックだったが、6時半からの登山なので何とかなりそうだ。

そんな思いで登山を開始したが、5月末以来山を全く歩いていないせいかどうか、どうも調子がおかしい。午後辺りに出て来る筈の大腿四頭筋のつりを歩き始めて間もなく感じたり、足首に違和感を感じたりする。それを何とか騙し騙ししながら1時間半程で最初の休憩ポイント荒菅沢に到着、ここまではコースタイム(標準時間)と大差がなかった。ここでいつもの大チョンボ、道を間違えてしまう。沢を横切るべきところを沢を登ってしまった。後ろにベテランらしき人二人がついてきたのでつい安心して30分ほど沢を詰めてしまう。追いついてきた二人に聞くと、彼等も小生にについてきてしまったとのこと。

完全に間違いに気が付いて元の場所まで引き返すが、ここで1時間近く時間をロスしてしまう。9時近くになって改めて荒菅沢を出発。とてもじゃないが10時に山頂はとても無理だろうし、帰りのバスを考えると10:30にはどうしても折り返す必要がある。兎に角行けるところまでとの思いでまた1時間半ほど登ると、山頂を目前に見る笹平の峰に到着。地図上では山頂まで25分になっているが、峰の標識には40分とある。身体に聞けば自ずから答えは明らかで、ここで軽く食糧を供給して降ることを即決。

行動食を取りながら見ていると、成程山頂は既に雲がかかり始めている。腹ごしらえを終えて10時半に下山開始。標識では登山口まで170分とあるが、2時までには登山口とに着かないと3時20分のバスが危ない。これに間に合っても新宿到着は21時過ぎだ。気持ちは焦っても身体が言う事を聞かない。何度が低い山と言うのも酷い勘違いで、かなり険しい降りでついへっぴり腰になってしまう。つくづく自分の不甲斐なさを情けなく思わざるを得ない。息絶え絶えではあったがどうにか14時は登山口に辿り着く。

これから約1時間舗装道路を歩くのかと些かうんざりしていると、正に地獄で仏、たまたま記念写真のシャッターを押してくれた新潟からお越しの若いご夫婦がバス停まで車に同乗させてくださった。お陰で帰路は予定より1時間早いバスをキャッチ、鉄道も全て繰り上げて21時過ぎには帰宅することになった。楽しみにした北アルプスの展望はおろか、記念写真すら満足に無い、実に不甲斐ない山歩きであった。今日既に足腰の筋肉痛が始まっているが、明日は一層酷くなることだろう。しみじみ年齢を実感している。

数少ない他の写真等は下記にアップしています。
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-509973.html


2014年9月12日金曜日

朝日新聞炎上

大分前からくすぶっていたようではあるが、朝日新聞の続いたチョンボが昨夜遂に炎上、日本中のマスコミが追及の火の手を上げて大騒ぎになった。炎上のきっかけは昨夜行われた社長記者会見。これも一種の芝居で、結構な時間を掛けて入念に準備されてきた見たいである。内容は今朝の朝日新聞朝刊に詳しく書かれているが、読んではいない。読まなくても謝罪の要点は次の3点の筈。

1.30年以上前のことになるが朝鮮人慰安婦問題に関して、政府による強制連行の具体例として吉田某氏の証言を取り上げて報道したのがまず間違いの元。吉田某氏の証言が虚偽であったことを正式に認めたのが、今年の夏なので余りに遅すぎた。遅すぎた故に、この朝日新聞の誤報が国連人権委員会にまで影響を及ぼし、日本政府に嘗て極めて非人道的な行為があったことを日本のマスコミ自身が認めたことになってしまった。以て、これが宮沢内閣の河野官房長談話や総理自身のお詫びに繋がり、大いに国益を損する結果になった。

2.今年5月に、福島原発事故当時の吉田所長から政府事故調が聴取した聴取文書を入手したとして「3月15日の爆発の直後、所長が発電所内で避難待機を命令したのに、職員の9割方が命令を無視して勝手に第2発電所まで逃げてしまった」とスクープした。ところがこれも大誤報で、今週公開された吉田調書によると、吉田氏は現場で待機しろと命令していない。むしろ避難は第2発電所まで行ったのが適切であったと述べている。

3.おまけみたいものだが、慰安婦問題への謝罪が遅すぎたことを朝日新聞にコラムを書いている池上彰氏が非難したコラムで取り上げた際、この掲載を一旦拒否したこと。

こういった騒ぎなると政府与党も勿論黙っていない。朝鮮人慰安婦問題では韓国にやられっぱなしになっている責任を全て朝日新聞におっかぶせることができるとばかり、政府は河野談話は見直さないけれど、本当は違うのですよと言わんばかり。党に至っては新しい談話を出すべきとの勢いが増す一方である。高市総務相や稲田政調会長等の自称右翼とのツーショット写真問題なんかものの見事に吹っ飛んでしまった。

最近多い少し右寄りの評論家は、これから暫くここぞとばかり朝日を攻めまくるだろう。冒頭「ここ暫くくすぶっていた」と書いたが、昨夜の朝日系テレビの「報道ステーション」では関連報道が50分の長きに亘って報道された。普段は22:30にはテレビを消してしまうのだが、15分もオーバーして最後まで観てしまった。用意された資料映像からするとかなり入念に準備されたことが窺える。但し、普通こういった場面では社長が真っ先に己の責任に言及するとしたものだが、今の社長さんご自身の進退については最後に言及したものの、辞任については事態収拾の目途がついて後とされた。

こういったことに婆さんなんぞ猛烈な拒否反応で、真っ先に辞任すべきと息巻いている。しかし、安倍総理の代言人のような田崎某氏なんぞは不思議に、木村社長の個人的手腕を期待するから、うまく再建してほしいみたいこと言っている。これは一寸不思議に思ったが、不思議でもなんでもない。今の社長木村氏は元々右寄りなのである。参考までに元外務省でレバノン大使を務めた天木直人氏のブログから以下に引用しておく。

「その全責任は木村社長にある。
ひょっとして安倍政権と木村社長の出来レースではないのか。
谷内正太郎NSC事務局長の勉強会に参加してるような保守・右翼的
な木村社長だ。
朝日嫌いの安倍政権と結託して、朝日を文字通り読売化することに一
役買ったのではないのか。
そう思えるほどの異常な木村社長の全面的屈服と居残りだ。
この朝日騒動のおかげで、安倍政権のあらゆる政策の行きづまりが完
全にニュースから消し飛んだ。
安倍政権が勢いづいた。
朝日の本当の罪はここにある」

2014年9月11日木曜日

知っていながら知らない素振り

呑気に構えていたが、遂にこの夏の豪雨被害が東京にまで及んできた。デング熱もそうだが、あって欲しくないことは皮肉にもいち早く全国に拡散していく。雨は天からの恵みで有難いものだし、雨の風情も嫌いではないが、こうしつこく災害がもたらされるといい加減にしてほしくなる。特に今度土曜に婆さんが娘からの依頼で、孫の子守りに出掛け夕飯の支度が出来ないとのこと。どうせ外食なら思い切って3か月半ぶりに山に行くことにした。折角の機会なので何とか晴れてほしいものだ。

土日にブログを休むので、少し感じていることを書いておきたい。先ず思うのは経団連が所属企業に呼びかけて政治献金を再開との報道。なんぼの金を集めるか知らぬが、差し出す方も受け取る側も余りにも卑しげではないか。これが日本のリーダーかと情けなくなる。自分に有利な政策を実現する政治家への寄付のどこが悪い?との開き直りが聞こえてくるようである。

しかし一方には政党助成金なるものがあり、これは富める富めないにかかわらず全国民から吸い上げた税金から全政党に配られる建前になっている。言ってみれば民主的政治実現の手段とのことだ。この制度が導入される際には、何れ企業献金の廃止とバーターとの声があったような記憶があるが、今は誰も口にしない。共産党が政党助成金の受け取りを辞退しているのは如何なる存念からか忘れたが、無所属の議員には支給されないのも些か不公平で、余り民主的ではないだろう。

企業団体からの献金がかくも堂々とまかり通るなら、政党助成金なんて税金の無駄遣い以外の何ものでもあるまい。兵庫県会議員の政務調査活動費とか、国会議員の文書交通費とか、全てお手盛りで無駄遣いを決めているので、整理のしようが無さそうだ。政治が卑しい金稼ぎの場になったのでは、日々の暮らしに苦労している一般庶民はどうして救われよう。その卑しい政治家の廻りにはこれまた卑しげな訳の分からぬ連中が出没する。

高市総務相、稲田自民党政調会長、西自民党田参議院議員が右翼団体代表を名乗る男とツーショット写真を撮られてネット上に流れ出た。これを取り上げたのは海外のメディア。お三方は少し慌てただろう。相手がどんな類の人物か分からず、不用意であったと釈明されたらしい。まさか以前から交友関係があったとも思えないが、議員会館は得体のしれない人物がいきなり訪ねて、議員の個室に入れるほどセキュリティーは甘くない。アポイントは然るべき手順で取られていることは当然だ。正に類は友を呼ぶの喩えだろう。

しかし問題はその脇の甘さ以上のことだ。現政権になって頻発している失言問題と同じく、この件も現政権は大した問題としないで納めてしまうつもりらしい。全ては数の力、国会内に敵がいないのだから話にならない。現政権は失言が有ろうと、スキャンダルが噴き出そうとどこ吹く風で暢気を決め込んでいる。民主党鉢呂経産大臣が、原発周辺地域を「死の町」と夜回りの記者にポロッとこぼしただけで辞職に追い込まれたことが懐かしい。右翼とのツーショット事件も外国のメディアが取り上げたので、少し騒がしくなったと言うのも情けない話だ。

2014年9月10日水曜日

読後感「なつかしい時間」長田弘著

書店で書名が気に入って買ってしまったので、著者については何も知らなかったが、面白い随筆だった。著者は知る人ぞ知る著名な詩人で、小生とは年齢も一緒、大学は早稲田でドイツ文学が専門とのこと。同世代ではあっても知らないのも当然で、全く疎い分野の人である。ブログを通じての友人に一人詩人が居るが、この本を読んで改めて詩の世界の奥深さを垣間見た気がする。

読後感の第一は、読みながらそよ風に吹かれるような爽やかを感じてしまうことだ。文章全体を通して言葉が如何に重い意味を持つものか、その選び方の大切さがひしひしと伝わってくる。著者自身が書いているが、余程言葉を選び、研ぎ澄まして文章にしているのだろう。行き当たりばったりの言葉を連ねたのでは、とても他人様に読んでもらえる文にはなりえないことが分かって恥ずかしい限りだ。

文章もさることだが、取り上げているテーマも素晴らしい。詩人として静かに深く自身の人生を考え、冷静に見た社会現象に対する感想が今風に言えば実にクールだ。年齢が同じせいもあり、そんな生き方にも共感したり見習うべきことがあったような気がする。

中で一番感じ入ったことは、著者が繰り返し「風景」を重視していることである。小生も山歩きをしたり、ブログでも好んで「浩然の気」なんて言葉を意味も分からず多用している。今回初めて、人の記憶にある風景や映像にとてつもない意味や力があることを思い知らされた。言われてみれば実にその通りで、次の一文がその証明になっている。

「風景のなかにじぶんのあり方を見いだすことで、人は、日々の生き方の価値観というべきものをつくってきました。」風景が人に大きなインパクトを与えると同時に、それを表現する言葉の重要性については目から鱗の感じがする。

テーマは数十項目に及ぶが、もう一つ印象に残ったのが故人への思い。数年前に多分大学の同級生だったらしい夫人を亡くされたようだが、その葬儀の際の謝辞も良いのだけれど、亡き人々に対する思い入れの大切さなども実に繊細で、共感を禁じ得ない。



2014年9月9日火曜日

錦織圭選手に拍手

元来はスポーツに大きな関心を持つものではなかったが、他のニュースが余りに下らないので、スポーツの世界で若い日本人選手が活躍するのを見るのは心から楽しめるし、嬉しいことだ。先週末から今日までは全米プロテニス選手権大会で大活躍してくれた錦織圭選手の活躍でもちきりだったが、何度見ても感動的である。この冬は男子フィギュアスケートの羽生結弦が大活躍し、夏は水泳や柔道の世界選手権戦での日本人選手が相当頑張ってくれたし、女子ソフトボールも世界チャンピオンになった。

政治的な外交場面では日本に全く出番が無いが、スポーツやアカデミックな世界では日本人が相当頑張っている。身体的には欧米人に敵わなくても、やればできるとことを具体的に示してくれているので、全国民に勇気を与えたり経済効果をもたらしたり、良いこと尽くしだ。一つ残念なのは、昨日の米国の新聞に掲載されたコメント。新聞名は忘れたが、決勝戦進出を決めた錦織選手の紹介で「彼は13歳で渡米、フロリダのテニススクールで頑張ったからここまで来ることが出来た。トレーニングでも実力より先輩後輩の差が重視されがちな日本に居ては容易でなかったろう。彼を育てたのは我がアメリカである。」

趣旨的にはそのように書かれていたらしい。特に日本を貶めるつもりで書いたのでも無かろうし、そのような見方が当たっていないとは断言しかねるところも無きにしも非ずだ。日本にも名コーチは沢山いるだろうが、どんな分野でも世界で頂点を目指すには、どこかの時点で海外留学は必須要件だろう。特にスポーツはそうだ。錦織選手は早くから渡米して正解だったのは間違いないかもしれぬ。しかし家人が応援してやまない日本ハムの大谷翔平君は栗山監督の説得に従い、先ず任の球界で研鑽することになった。

結果は神のみぞ知るところだが、大谷君も何れ世界に冠たる名プレーヤーになることを祈ってやまない。

2014年9月8日月曜日

何故支持できるのですか?

昨日は急な来客でブログを書き損ねてしまった。半分習慣化しているので何となく気持ちが悪いが、たまに休むのも肩の荷が下りた気分で悪くないなと思ったり、些か複雑な心境である。日曜日は読書感を書こうと思っていたが、こっちは何時でも書けるので、週末に思いついたことを書いておきたい。世相を見る限り、何が理由かよく分からないが安倍改造内閣は大変好評で、どの世論調査でも支持率が5%~10%以上も上昇している。概ね6割以上の国民が新内閣に何らかの期待を抱いているとみてもよさそうだ。

個人の思いは人それぞれだから、内閣の支持者に文句言う訳にもいかぬが、皆さんは何を期待しているのか?と尋ねたい気がする。一昨年の安倍第1次内閣発足当初から円安と株高が急速に進んだことは紛れもない事実だ。「アベノミクス」や「異次元の日銀政策(金融緩和)」が流行り言葉になった。年金暮らしで経済音痴にとっては意味不明の言葉だし、実生活には何の影響もなかったようだが、マスコミは大々的に取り上げ、景気が良くなり日本中が明るくなるお呪いにも似た響きがあったと思う。

確かに円安効果は一部の輸出産業に好結果をもたらし、トヨタ自動車が最高益を上げたと言った報道もあったと記憶するし、他にも受益者は沢山いるのだろう。株価も上がった方が儲かる人も多く(この多くが外国人でないことを祈りたい)なる理屈だろうと思う。小生が記憶する当時の流行語に「トリクルダウン」がある。初めて知った言葉なるが故に印象深いのだが、意味するところは「経済の原則で、高所得者が先ず豊かになって、その効果が裾野に滴り落ちること」と記憶する。成程ね、と思っていたのだが、あれから約2年。この効果がどこまで浸透しているかについてコメントする人を見たことが無い。

逆に最近よく耳にするのは「格差の拡大」である。そりゃその通りだろう、株でもやっている人は別にして、実質賃金が下がって物価が上昇すれば当たり前のことである。年金生活者からすれば国家の大事に反して誠に申し訳ないが、デフレであれ何であれ物価が安いのが一番有難い。しかも前政権時代は、年金の切り下げなんぞお目こぼしに与っていたので余計そうだ。働きが無くて社会への貢献ゼロの身分が偉そうに言ってはいけないが、勤労者の実質給料が下がっては、「アベノミクス」もへったくれも無いだろう。

それでも懲りずに、その第2ステージが始まる内閣改造とのこと。目玉が名付けて地方創生担当相(痴呆症の間違いではないか)。しかも、来年の消費税2%アップも必至と言われる布陣らしい。マスコミの幇間連中はしきりに総理と官房長官は極めて慎重と触れ回るが、聞けば聞くほど空々しく感じてしまう。子持ちの女性経産相に原発再稼働を言わせるのと全く同じ図式でしかない。「どうすればこの内閣を支持したくなるのですか?」どうしても質問したくなってしまうのだ。

この支持率の上昇に感激したのだろう。総理閣下に於かれては目出度くボロが顕在化するのを避けて、年内の総選挙まで検討され始めたとのことである。

2014年9月6日土曜日

マスコミは田舎芝居の宣伝屋

週末だから余り面倒なことを書きたくないが、我が国の政治が何とも腹立たしくて仕方がない。野党が居ないようなものだから仕方ないのかもしれぬが、田舎芝居じゃあるまいに、テレビ視聴者を喜ばせるのが政府の務めとでも心得ているのだろうか?政権当事者は1日でも長く政権に居座ることが目的であるのは明々白々だから仕方ないとしよう。問題は田舎芝居を張り扇ぎで持ち上げるマスコミである。

ここ2,3日は全米テニスでの錦織選手の活躍に、東京のデング熱騒動、豪雨被害に改造内閣の女性閣僚の4題話で、昨夜辺りからこれに石破何とか大臣が加わり、今朝の新聞でチェックすると彼は今日テレビに出まくっている。小生の昨日のブログに対して友人が「馬鹿な国民が多すぎますね。今の政策で財政破たんは逃れられるのだろうか?」とコメント(リンク元のmixiで)を寄せてくれた。彼は経済の専門家である。経済は彼に任せるとして、甚だ文学的表現で恐縮だが、現政権が打ち出している政策のどこに、我々庶民が救いを求めて良いのかがさっぱり分からない。

一般国民はマスメディア、特にテレビが内閣改造を褒めれば、そりゃ結構と思うのは当たり前だ。内閣支持率が急上昇しても不思議は無い。テレビに出演する局や系列新聞社や通信社の論説委員クラスになると、内閣の意図を批判することはタブーのようである。僅かに見た今朝の番組の中で、唯一まともに見えたのは前鳥取県知事の片山善博氏のみである。TBSの番組で彼と田崎氏なる元通信社の記者で安倍氏の提灯持ちと競馬騎手の女将さんで作家の吉永さんがコメンテータで、例の石破新大臣がゲストだった。

TBSラジオで味噌をつけたのによく出てきたものだと感心したが、それはさて置き、改めて政治家なんて実にいい加減だと思った。就任記者会見の時は伏し目がちで役人の書いた原稿をしょぼくれた顔でぼそぼそ読んでいたのが、今朝は打って変わって地域活性化について滔々と喋りまくっていた。内容は何も記憶に無いが、恰もこの新設の官庁に国家の命運が託され、自分でなければその任に堪えないだろうぐらいの勢いである。

局のアナウサーが現在の地方が苦しむ問題をいろいろ質問をするのだが、何れについても自分がここに座った以上解決してみせるとの意気込み。当事者にはそのくらいの元気は必要かもしれぬが、コメンテータがそれをヨイショしてもらって困るのは国民の筈。屋上屋なんてものではない税金の無駄遣いではないか。政権与党の政治家に、国民の税金を1円でも安くしなければいけないなんて使命感は毛頭ない物らしい。

局アナの方は、流石にこの新たなポストが無意味であることは分かっているらしい。各省庁に既に張り付いている地域振興のための予算との整合について質問があった。石破氏がなんて答えたか記憶に無いが、最後に片山氏が言った一言「何もしないのが一番ですよ。」が印象的だ。27年度予算案は既に概算要求が纏まって、総額101兆円と報道されている。石破氏が大臣の地方創生担当官庁は総勢70人と報道されているが、このスタッフは何処から湧いてきたのか?

勿論いろんな官庁から暇な人間を寄せ集めたことだろうし、人件費以外の予算なんか有っても無くても関係ないと言われても、国民の側からすれば大いなる無駄でしかありえないし、地方自治体からすれば余計な手間が増えるだけのことである。テレビ出演するようなコメンテータや論説委員クラスがこの程度のことが分からぬ筈は無い。このような無駄を見逃すことが積もり積もって1000兆円を超える財政赤字に繋がるのだから、彼らの罪は大きい。

2014年9月5日金曜日

見解の相違と一致点

今朝の報道によれば、内閣改造後の新聞社の世論調査で内閣支持率が10%以上跳ね上がって、読売の調査では70%近くまでいったらしい。今度の改造が今までのどこが変わると期待すのか、世の中にはいろんな人が居ることに改めて驚かざるを得ない。確かに親しい友人の中にも安倍氏の政治手法を評価する者もいる。数日前に夕食をご馳走になった友人がそうである。彼とは長い付き合いで非常に親しく付き合っているので、互いに性格やらプライベートなことまで深く知り合い、腹蔵なく話し合える間柄である。

性格的にどこかに通っているのだが、政治に関してはかなり意見が異なっている。元来こちらもかなり保守的ではあったが、最近は趣旨が大分変ってかなりリベラルに傾き反政権派になっている。彼は相変わらずで、現政権の取る政策についてもかなり容認できているようだ。先日も議論になったのは例の集団的自衛権に関する憲法解釈の問題。国民の半数以上が反対することについて「私的なインチキ学者を寄せ集めて答申させ、それを以て今度は高々20人足らずの閣僚間で閣議決定をして解釈変更とは余りに乱暴ではないか。」とこちらが主張する

と彼曰く「先ず日本の安全保障が日米安保条約に依存している以上、現在以上に一定程度踏み込んだ協力は止むを得ないと思う。」この前提から既に見解は相当異なっているが、彼は、先の大戦で敗北して属国になっているのだから仕方がないじゃないかとの立場。ここで「見解の相違ですね」と議論を止めては面白くない。更に言い分を聞いた。「やり方が乱暴であるのはその通りだ。しかし、これ以外に方法は無いじゃないか。憲法改正となれば3分の2賛成なんか得られっこないのだから。60年以上も積み重ねたと言っても考えてみてよ。吉田総理の時代に警察予備隊なんて名前で、米国に言われるまま補助軍隊を創設した時点で、既に憲法無視、違反そのものでしょう。」

要するに「日本人にとっての現憲法なんて、法支配の原則でも何でもないじゃないか。国民性なんだから。この融通無碍、いい加減さを善悪で論じても始まらないでしょう。」確かに我が国民性かどうかは分からぬが、かなりの問題があっても、何か強い力で引っ張られてしまうと、国民の大半は大勢の赴くところに従い、肝心なことを頭から拭い去る性格はあるようだ。根っこがずれているのだから今更憲法の精神もへったくれも無いもんだ。と力説強調してやまない。部分的には同意せざるを得ないところもある。

安保問題の見解に大きな相違はあるが、意見の一致する点も非常に多い。彼は戦後の日本人経営者の中で一番好きな人は本田宗一郎氏らしい。小生は特に好きな財界人なんかいないのだが、たまたま憲法、遵法精神から話が飛んでこんな話になった。本田氏の官僚嫌いで野人的な生き方に大変惹かれ、特に本田氏が言うところの「法律より道徳の方が次元が高い」を高く評価しているのだそうだ。

日本人が大事にしてきたもの、本田氏は傍若無人に見えかねず、野人と評されつつも「道徳」と言っているようだが、精神性の高さを貴ぶ傾向が急速に失われつつあることに関しては全く同感である。友人曰く「世の中金次第と言っても、金を持っている奴が偉そうな顔をすることが、一番気に入らない。」貧乏人の決め台詞みたいものだが、同じ貧乏人としてはこれも賛成せざるを得ない。

財界にも土光さんのような人が欲しいものだとか。任侠が売り物のヤクザの世界でさえお金がものを言うと聞くと世の末だとか。古来日本にあったお金を卑しみ道徳を貴ぶ文化が喪失したのは、武士道の精神を引き継いだ軍人達がどこかで道を間違えて日本を敗戦に追い込み、軍人が社会から姿を消したせいだと意見が一致した。

2014年9月4日木曜日

薄気味悪い

毎日のように下らないことを書き綴っているが、これを何人くらいの人が見てくれているのかは常に気にしているところである。ブログへのアクセスは数種類のデータがあるので、どれをどのように読み取るべきかよく分からないのだが、大体1日あたり50人より少し多くて100人よりは少し少ない読者がいるのではと勝手に想像してして喜んでいる。と言うより一喜一憂する馬鹿みたい話だ。

読者を増やすⅠ手段として文章の右側に「にほんブログ村」のボタンを設置して押して頂くのをお願いしているが、お陰さまでこのサイトのランキングでは、約77万ブログの中で大凡1万5千番目以内にランクされるようになった。70歳を超える男性が100人ほどいるらしいが、この階層に限って見ると首位にランクされている日が多い。所謂ブロガーが全国に何人いるか分からないが、少なくと「にほんブログ村」に登録している人の中ではトップから1割以内に位置しているのことになる。

兎に角子供の頃から、成績が50人のクラスであれば5番以内に入るなんてことは殆ど経験したことが無いので、子供じみた話ではあるが細やかな自己満足に浸っている昨今だ。長年の経験から、ブログの中に含まれる単語がその日のニュースなんぞと上手く適合するとアクセス数が増えるようだ。従って現在流行していそうな現象や単語が上手く文章に嵌るようなことは考えている。「にほんブログ村」で自分のページにアクセスすると、毎日のブログでそのキーワードを3件表示してくれている。

例えば、昨日は「鎖国・1868年・明治維新」一昨日は「池袋・アスファルト・昼飯」である。何れも他人様に興味を抱かせるものではないので、アクセスが伸びないのは止むを得ない。ところが、先月31日のアクセスが急に200人を超えているようだ。見方もいろいろあるが、ある統計では開かれたページ数が400件なんてことが示され得ている。このこと素直に喜んでいいのかどうかが問題である。当日のブログタイトルは「政治家の視線」関連キーワードが「景気・長野県・地方都市」である。特に注目される言語でもないとおもうが、タイトルの「政治家」が引っ掛ったと思う。

これで引っ掛かった読者が1日前に遡ると、タイトルが「国民不在の茶番劇」で関連キーワードが「大臣・内閣改造・報道」となっている。ごく普通の読者がたまたま多く読んでくれたとはチト考えにくい。きっとネット上で政治関係の記事を監視させるロボットを操作している人間がいるのではないだろうか?中国のように政府が関係しているとすれば、見上げたものだ。年がら年中安倍政権の悪口を書きまくっているので、要注意サイトに指定されればアクセスが急激に向上するかもしれぬ。

そんな冗談みたいことを考えていたら、今日ネット上にこんな記事が掲載されている。『福島の「甲状腺がん」や「デタラメ除染」、「原子力ムラの陰謀」を追及してきた報ステ記者が自殺?』テレビ朝日の報道記者が自殺したことはニュースになっていないし、既に事件性は無く自殺として処理されてしまっているので、今後死因の追及は出来ぬものらしい。しかし彼の友人たちは死因に?を感じている人が多いようだ。日本に殺しのライセンスを持つ機関があるとも思えぬが、たまたま自分のブログへのアクセス異変と重なったので、些か気味が悪い意味もある。
参照:http://etc8.blog83.fc2.com/blog-entry-2343.html

2014年9月3日水曜日

読後感「フロイスの見た戦国日本」川崎桃太著

日本は明治になるまで長く鎖国を続けていたと思い込んでいたが、1868年明治維新までの歴史の中で、外国船の来航を禁じたり、日本人の海外渡航を禁じたのは1630年代、徳川も3代将軍家光の時代になってからのことを改めて認識した。徳川によって日本が平定される前の約100年いわゆる戦国時代には、当時のヨーロッパ先進諸国から多くの南蛮船が渡来していたようである。
渡来の目的は様々だろうが、中にキリスト教の宣教師が多く来日して、活発な布教活動をしながら、その記録を教団本部に書き送っている。

そのため、戦火で焼失しがちな日本以上に、現在でもヨーロッパに戦国時代の日本史を読み解く資料が残されているようである。そのうちの一人、ポルトガル人宣教師のルイス・フロイスは1563年31歳で初来日して以来1597年65歳で没するまで、殆ど日本に留まり、教団の命令もあって長期間にわたる見聞を膨大な「日本史」なる資料にまとめている。この翻訳をした著者川崎氏の手になる書物が全12巻と言うからかなりの分量なのだろう。

今回読んだ本で、著者はところどころにフロイスの「日本史」からの引用を交え、戦国時代の武将や庶民の暮らしぶりと精神構造について述べている。認識を新たにしたことは、16世紀後半宣教師の活動が最盛期の頃には日本国内で洗礼を受けた信徒数が30万人を超えるとされることである。関ヶ原合戦当時の人口が1200万人と推定されていることからすれば驚異的な数字ではないか。因みに現代の総人口約1億3千万人に対して、国内の信徒数はどんなに頑張っても1%(120万人)程度と言われている。要するに現在より信徒数が多い割合になっていたらしい。徳川幕府が急に態度を変え、仮借ない弾圧に転じたのもその勢いに恐れをなしたこともあるようだ。

16世紀は封建主義が徹底した時代だから、領主さまが改宗すれば、部下から民百姓に至るまで一族そっくり改宗なんてことはあろうが、それにしてもびっくりである。戦国時代の領主、即ち武将のイメージは戦に強いことが何と言っても大事であり、哲学的教養なんぞとは無関係かと考えてしまう。ところが、宣教師が見た日本では多くの領主たちが、積極的に宣教師の説くところに耳を傾けて、キリスト教の教えを受け入れている。フロイスも日本武将の精神性や教養の高さにはびっくりした様子だ。

それまでの日本に既に仏教は入ってはいるが、天に於いては八百万の神々と現世に於いては将軍とか領主みたい存在が絶対で、その上に唯一の神が天上に存在するなんてことは体制維持上からは大問題の筈である。その絶対主義の権化みたい織田信長が、改宗こそしなかったが、このフロイスに会って以来、彼を非常に厚遇して布教活動も奨励したところが面白い。信長には元来新規な事物への関心が非常に高かったこともあり、まだ見ぬ天竺(宣教師たちの根拠地はインドのゴアに置かれていた)の話や、ポルトガルと言えば地球の裏側、そこから日本に到達するために克服した数々の冒険談を聞き、彼らの勇気にある種の敬意を覚えたらしい。

信長に厚遇されたこともあって、彼の周辺にいた武将が次から次へと入信していったらしい。代表的な人物が大友宗麟、高山右近、細川忠興たちだが、黒田官兵衛もそうだったとは知らなかった。何れにせよ多くの戦国武将の日常や合戦についてフロイスは書き残しているが、その内容はこれまでに読んだものとは大分異なるものが多い。天下を手にした織田、明智、豊臣、徳川の4人だけでも今までに知って来た事とは随分異なる。織田をを贔屓目に明智を極悪人に描くのは恩顧関係から当然にしても、豊臣の性格については酷評しているし、徳川も将来大弾圧を受けるとは思わず、比較的好意的に書いているところも面白い。

2014年9月2日火曜日

友ありて

朝から秋晴れの1日、何でも9日ぶりだそうだ。いつものように昼飯のため池袋を往復する。風は爽やかだが、久しぶりに真夏並みの汗をかいたので気持ちが良い。気が付けば早や9月、この前の山歩きが5月31日だから3か月経ってしまったことになる。これほど何もしなかった夏も珍しい。恐らく物心ついて以来ではないか。体力が落ちるのが怖いと言うか、嫌なのでアスファルトの上で極力歩くように努めているが、果たしてどうなのか?

途中に5、60段の階段の昇り降りがある。ここを歩いているときに、いつも嘗て歩いた山道を思い浮かぶ。そして今日みたいな日が数日続くようになったら、又山に行こうと思ったり、このへたり具合ではとても山へなんか行けそうにないなと悲観したりしている毎日だ。外出も無く、毎日朝夕の食事をきちんと家で摂り酒は全く口にしていないので、癌発症と言われても自覚的には健康そのもの。体重が少し減ったので、逆に癌のせいかと心配する程度のことだ。

昨日心配した友人が電話をくれて、治療方針なんかを説明。すると数時間後にまた電話で、態々自分の掛かり付け医に親友の一大事なのでと、小生のことについて聞いてみたとのこと。「治療方針もそれで良いし、多分比較的短時間(1年もたてば)完治するだろう。」ととのことだったらしい。「大したことは無いのだから引き籠っていないで、たまには少し飲んだ方が良いよ。」と誘ってくれたので、明日は久し振りに夕飯の約束をした。

友達とは有り難いものだ。彼に言わせると、世の中には周りに人が集まる類と、人が寄り付かない類の2種類のタイプがあるそうで、安倍総理は、仮におつむが少々弱くても、周りに人間を大事にしていると思う。対する石破幹事長は、なんでも俺が俺がで、周辺の人間を無視してしまいがちなところが明らかに見える。あれでは人がついて行く筈もない。今度も自分だけ閣僚になっても、周りからは全く見放されるのではとのことだ。明日ビールでも飲みながらゆっくりご高説を承ることにした。

2014年9月1日月曜日

苦笑するのみ

まさかこれで残暑が終わるとも思えないが、秋の長雨模様の日が続いている。土日に水泳をした後必ず起きる症状で、くしゃみと鼻水が止まらない。月曜日の夜、今夜あたりからは収まるとしたものだが、耳鼻咽喉科に行っても、風邪の初期症状では、なんてことで点鼻薬しか貰えない。自分では鼻孔粘膜が塩素アレルギーなのかもしれぬと思ったりしているが、昨夜からは特に激しく、鬱陶しいこと夥しい。

今日も半日かけて日大病院に行き、金曜日の検査結果を聞く。骨シンチとCTスキャンで、取り敢えずのところ前立腺以外への転移も無さそうとのこと。兎に角手術は受けたくないので、来月半ばからホルモン療法を始めて、来年になってから放射線治療を併用して、1年以内には目途が尽きそうな説明であった。婆さんは「日大だけはよしなさい」なんて言うが、何処でも当たり外れはあるだろうから同じことだと考え、日大の医者に任せる決心をする。完治するものかどうか分からないが、いよいよ俺も老人病患者の仲間入りかと思うと少し気が重い。

先行き不透明感は日本の政治経済も全く同じなので、ブログのテーマも見つからず一人で苦笑しているのみである。