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宇宙線

土日の午後は殆どネット囲碁に夢中になっていたのだが、先日書いたように少しネット囲碁に淫しすぎて精神衛生上よくないと思っていたところだ。今日は久し振りに読書でもしようかと思っていたが、来週土曜日予定している中学校同窓会の出席締切日になっていた。幹事でありながら忘れていたのだが、数名の同窓生から連絡があり、それぞれに返信を書いたりすることで時間を潰すことが出来た。
同窓生からの連絡の中に非常に興味深いネット情報の案内があったので、読書を差し置いてYouTube情報を見てしまった。本当はNHKのオンデマンドで番組を見ることが出来ればよかったのだが、既にオンデマンドには登録されてなかった。読者の中にはご覧になった方もおられるかもしれないこの番組である。「太陽と地球寒冷化の関係」NHK、Eテレ、サイエンスZERO、2012年1月14日放送
この友人は以前から、地球温暖化なんて嘘だ、むしろ寒冷化しているとの説が雑誌などに載るたびに知らせてきてくれていた。このところ冬の積雪が多かったり、今年の冬の寒さからしても、地球温暖化なんだからもっと暖冬であってほしいものだ、なんて手前勝手に考えたりしていたので、CO2効果については分からないまでも、地球温暖化について本気で信じる気にはなっていなかった。
そして先の番組を見ていないと返信すると、早速にこれを見ろと送ってくれたのが下記のYouTube。 http://www.youtube.com/watch?v=w_NAeLFLnsY&feature=relmfu これはデンマークの宇宙物理学者ヘンリク・スベンスマークと言う人が、地球温暖化の主因は二酸化炭素ではない。雲の形成を左右する宇 宙線と、その侵入量を左右する太陽活動が真の理由と発表した学説を説明する映像。6部構成になっていますが一見の価値があります。2010年にアップされていますが、学説自体は1990年代後半から述べていたようです。
もう1本はこちら、 http://www.youtube.com/watch?v=h6xFe6lXu1Y&feature=related こらちは東京工大の地質学の博士をゲストに据えてお話。この先生は地球温暖化に異を唱える学者として知る人ぞ知る人のようだ。この映像は前者より2年前の2008年にアップされている。8部構成ですが5部と6部をご覧いただけば私…

読後感「この国の権力中枢を握る者は誰か」菅沼光弘著

昨年7月末に出版された本。実は著者の新刊「この国の不都合な真実―日本はなぜここまで劣化したのか? 」を店頭で立ち読みして面白そうだった。そこで図書館に行ったのだが、未だ貸出準備が整っていない。やむを得ず本書に切り替えたのだが、内容的にはかなり新刊に近いようだ。
著者は東大を卒業して公安調査庁に入り、調査員から調査部長にまで上るが、オウム事件(平成7年)の時にオウム真理教に対し破壊活動防止法に基づく解散命令を公安審査委員会が下さなかった事に対する抗議の意味で退職している。日本に於いては脆弱とされている諜報組織のプロと言えよう。
共産圏を担当していたこともあり、中国や旧ソ連の他に北朝鮮について相当突っ込んだ情報を持っている事がこの本からも読み取ることが出来る。丁度今北朝鮮ロケット打ち上げで、アメリカも含め世界が騒然としているが、著者が現役の頃は、アメリカも北朝鮮情報は殆どなくて、日本の公安調査庁情報を最も頼りにしていたらしい。
もちろん現在でも日本政府の対北秘密交渉は殆どここがアレンジしているようだ。出版が昨年の311大震災後なので、震災後の対応で表に出ていない話が沢山書いてある。スパイ組織の頂点にいた人だから当然だろうが。内容を書いてしまうと、未読の方の興味を削ぐので控えるが、最も印象に残ったのは日本人の本質を突いた以下の一文である。
「首脳は馬鹿でも、現場を担う人が強い」戦争中の旧日本軍についても、敵国であるアメリカやソ連ではで似たような事が言われたらしい。馬鹿と言う言葉少し語弊があるかと思うが、首脳が無責任であるのは今と変わらなかったらしい。外国では、指揮官がいなくなると組織は滅茶苦茶になって壊滅すると決まっているらしいが、日本はそうはならない。
今度の被災地東北地方に於いて住民が協力し合う姿を見て、戦後あれほど日本人の思想を変えるために様々な手段を講じたのに、本質が変わっていない。 アメリカ人からしたらさぞがっかりだろう。
日本を属国化するために、過去半世紀以上にわたってアメリカが打ってきている陰謀の数々については実に興味深く、思い当たる節が多い。今盛んになってきている政局にせよ、外交問題にしても、表面に出てきていない第三者が絡む別の思惑で動いている可能性が見えてくるようだ。裏を知る人から見ると、世の中はこう見えてくるのかと考えさせられる。

コンピュータ対決

今年度もあと1日で業務終了である。前年度からセミリタイアの状態ではあるが、自ら起業した会社でもあるので、業務内容は現役社長が使用している会社のメルアドでのやり取りを、クライアントにも依頼して全てCCでこちらにも送ってもらってウォッチしていた。従って気分としては現役時代とほぼ同じ、目出度く第9期目を終える感じだ。
来月からは会社が負担していた事務所の家賃もなくなり、小生の月給も3万円になるので、本当に足を洗おうと思っている。事務所も閉鎖して濡れ落ち葉になろうかとも思ったが、婆さんが自家用車は持たず自転車さえ乗らないのだから、せめて事務所ぐらいはもう暫く持っていなさいよとの事なので、来年1年分の家賃をへそくりで払ってしまった。
100万円近い金額なので、急に懐に秋風が吹く思いで寂しい限りだ。乗り物に関係するが、海外旅行とも縁がなくなっているので、まあ我慢しよう。ところで、今年度ライフスタイルで大きく変えた事がある。昨年の秋ごろかと思うが、毎週のように行っていた碁会所通いをぷっつりやめてネット碁に変更した。大分前から会員数が世界1と言われるパンダネットに登録はしていたのだが、1局毎に200円か250円払ってたまに打つのを変更した。
新たに登録したのは月に2000円だったか、年会費一括で2万円一寸払うと幾らでも打てる会員。これですっかり嵌ってしまい、わずか半年の間になんと5百局以上こなしている。1回ごとに払っていたら10万円を越す訳だから金銭的には得かもしれない。碁会所に1年100回は行ったことがないだろうが、もし行ったとしても、年間にこなせる対局は精々150局位なものだろう。費用も大凡10万円くらいにはなる事だろう。
あれやこれや比較してみると、ネット囲碁は確かに優れものだ。若者の間で流行っていると言われるネットゲームと同じかもしれない。孫たちがゲームに夢中になるのを警戒してきたが、自分がミイラになったようなものだ。全対局の棋譜が残っているので、ある意味では勉強にもなる。直近の100局の対局者をざっと見たが、同じ名前がほとんど見当たらない。
対局者は、コンピュータが同じ程度の棋力の相手を自動的に探して組み合わせる。対局を希望すれば瞬時に対局者が決まるのも、このサイトの凄いところだと改めて思った。ただ熱中しすぎると当たり前だが身体によくない。一番負担がかかるのは目だと思う。次は脳み…

今時の子供

やっと春らしくなってきた。あと1週間もすれば東京も桜が咲くだろう。学生が春休みに入っているので、朝の町は静かなものである。勤め人ばかりでは街の活気が出てこない、やはり学生の騒々しさが街の活性に必要であることを痛感する。中学2年生を終える孫がバスケ部を退部したので暇が出来たようだ。何をするのかと思っていたが、茨城の田舎に居る祖父母のところに一人で泊まりに行っている。
嫁にやった娘の子だから当然と言えば当然。しかしこれまでには両親でさえあまり実家に行かなかった。生まれて以来13年か14年だろうが、母の実家である我が家や、そのまた上にあたる曾祖母がいる横浜の家には、何度となく来ているのにである。最近はどこのお宅でも、旦那が妻の実家に行くことについては抵抗が無いようで、自分の両親に会うより妻の実家に好んで行くと聞いている。
我が家は娘二人で、旦那の故郷が山形と茨城なので正にその例に漏れない。それぞれ旦那の実家には正月と盆が精々で、行っても1泊ぐらいで早々に引き揚げてきているようだ。勿論孫が一人で祖父母のご機嫌を伺うのは初めて、しかも3泊の予定だから、何を思いついたのかと驚いている。彼の事を想像しながら婆さんといろいろ話しをしていると面白い。
小学生時代の話だそうだ。彼に茨城の故郷に行った時の感想を聞いた時に。娘について「お母さんはどうしてた?」と聞くとすかさず「いい嫁っぷりだったよ。」小学生が自分の母親を捕まえて「いい嫁っぷり」はないだろうと思うが、兎に角彼はボソッと言うのが実に面白い。以前書いた記憶があるが、婆さんに叱られると、背中を見せてつぶやくのだそうだ「茨城のお祖母ちゃんは優しいな。」
だから婆さんに言わせると、今度もいい孫っぷりを演じているだろうとのこと。もちろんお祖母さんやお祖父さんの優しさもあるだろうし、こちらが伺い知る事の出来ない何かがあるかもしれない。これも日頃彼が言っている事らしいが、彼には「俺は長男だ」の自覚があり、その務めを果たす気概だとすれば大したものだ。
一寸心配なのは、「夜一人でトイレに行けるかどうか」である。 相も変らぬ孫自慢、ボケがますます進行してきたようだ。

この期に及んで 懲りない面々

趣味でブログを書いている高齢者を集めたサイトがある。小生も含め600人程度のご老人が登録している。中に愛読させてもらっているブログがあり、そのお一人が昨日「不作為の罪」と題して書いている。曰く、本来やるべき仕事や義務があったにもかかわらず、これをやらなかった罪として、原爆投下の前兆を探知しながら国民に知らせなかったこと。昨年の津波警報や避難勧告を出さなかったこと。スピーディーの非公開などを挙げている。 http://www.senior-navi.com/ http://geotech.blog134.fc2.com/blog-entry-521.html
上記のブログについて全く異論はないが、不作為が確信的に行われるケースが多いのではと心配が募った。昨日の報道によると、事故からの復興中の福島原発2号機からストロンチュームが流出が確認された事、また格納容器内の水位が60cmしかないが水温は50℃以内に納まっているなどとされている。北朝鮮のロケット発射予告や、民主党内の消費税増税法案提出に伴う馬鹿騒ぎに打ち消されたのか、今朝になっても大騒ぎにはなっていない。
まさかとは思うが、誰かが何か重大な事実を隠ぺいしているか、どこかに意識的な嘘があるのでは疑りたくなる。先ず、ストロンチュームについては再臨界が起きている可能性を示すものだったかと思うが、その可能性は核燃料が高温で溶融している事から、早い時点で指摘されていた。メディアも含めて関係者は、今更大騒ぎしても仕方がないだろうとシカトを決め込んだのか、冷静に受け止めるべきと考えてのことなのか?
この事は置くとして、水位60cmと水温の関係について専門家はどのように判断しているのだろうか。原子炉格納容器は高さが30mを超えるもので、将来的にはこれを水で満たして燃料を冷却する事が目標になっている筈。そのために昼夜を分かたず注水が行われていて、その量は毎時8tと言っていた。我が家の風呂でさえ水位は60cm以上ある。
まだ未確認とは言え、圧力釜の底が抜けて量は分からぬが膨大な核燃料が溶け落ちてることは殆ど確定的と言われている。とすれば水温50℃以下はどう考えても理屈が合わないように思うのだが。誰も疑問を呈した様子が見られない。さらっと報道されただけで終わっている。注水された水が高温で蒸発したのでなく、格納容器に空いた穴から単純に流れ出ているだ…

自己流健康法

梅が咲いて沈丁花の甘い香りがそちこちに漂う季節になった。近所の廃校になっている小学校々庭の周辺には桜祭りの提灯まで飾り付けられたが、にも拘らず北風の寒さは真冬並み、歩いていて涙が出てくる。今年の気候はどうなっているのだろう。それでもめげずに今日も1万歩は既に歩いた。昨年までは1日に1万歩歩くことは先ずなかったが、最近は毎日のように1万歩前後は歩いている。
歩調を意識してゆっくりにしているのが、歩数を伸ばすことに繋がったのかもしれない。昼に2駅分の往復(真ん中で昼食を摂る)で約8千歩以上歩くと、かなり寒くても軽く汗が出る。時間にして往復約1時間、距離的には5km強と言ったところだろう。ずっと腰痛に悩まされていたが、大分楽なった気もする。気のせいか知らぬが、自己流の健康法として上出来だと思っている。
昨年は3月にハイキングをしているが、今年はお天気と一緒で1か月遅れになりそうだ。毎日のウォーキングでゆっくり歩くリズムが何となく身に着いてきたような気がする。ゆっくり歩いても目的地までの所要時間はそんなに変わるものではない。尤もたかが30分程度のことだから、1日に何時間も歩く山では、大きな差が出るかもしれない。それはそれで仕方がないし、山で疲れを軽減してくれることに繋がればありがたい。

誰にも来るか

昨日映画「マーガレット・サッチャー」を観ての感想文を書いた。その中で、あんなに立派な仕事をされた方が現在認知症になっているのをお気の毒と書いたばかりだ。ところが今朝わが身に似たようなことが起こり、びっくりしている。
休日の日課にしているのだが、朝食の後9:05に家を出て地下鉄の駅で9:19の電車に乗る。ホームに到着するのは9:17列車の入線まで概ね2分。大体いつも同じフィットネスに通う顔見知りの女性が並んで立っている。今日も「間もなく列車が到着します」とのアナウンスがあった。おそらく列車が到着する1分弱前のことだろうが、これははっきり記憶している。
ところが、次に聞こえたのが列車の入ってくる轟音ではなく、「乗らないのですか?」との女性の声である。はっと我れにかえると、列車のドアの向こうに女性が立ってこちらを見ている。「イヤー呆けてしまって、ありがとうございます。」と照れ笑いをして乗り遅れずに済んだ。昼間読書をしている時に、バタリと本を落として、その音でびっくりして我にかえることは度々だが、朝の9時に立っているだけで脳みそのヒューズが切れたのは初めてだ。
その間目は閉じていたのか開いていたのか、今にして思うと声を掛けてくれた女性に聞いておけばよかった。来週も顔を合わせるだろうから聞くことにしよう。正に他人の頭の蝿の前に己の頭に止まった蝿の心配をしなければならない。自分では初めてのように思うが、考えると囲碁なんかでも「ア!」と思う様な手、即ち一所懸命に考えているつもりだが思考停止状態になっていたようなことは何度もある。
未だ認知症を認めたくないし、医者に診てもらう気もないが、自分では相当意識せざるをえない。車を運転する事はもうないので、事故を起こして他人に迷惑をかける事はないだろうが、自転車に乗るにしても、ある時ふっと意識がなくなれば相当に危険だ。考え始めるといろいろ思い浮かぶ。先日友人が遺言を書いた事を笑っていたが、財産は無くても必要があるかもと思い始めた。

映画感想『マーガレット・サッチャー鉄の女』

今日今年のアカデミー賞作品『マーガレット・サッチャー鉄の女』を観てきた。女優主演賞の栄誉に輝くメリルストリープの演技は評判通り素晴らしく、若い時と老後の人物は別人が演じていると錯覚してしまった。先ず思ったのは、鉄の意思を以て数々の国難を乗り切った世界でも初の女性宰相で10年もの間宰相で居続けたこと。さぞかし多くの国民の支持を長期間維持して、素晴らしい国づくりをしたのだろうと思いきやである。
平面的に言えばそうなるのだろう。実態はよく分からないが、私流に解釈すると次のようになる。労働党内閣が低所得層に甘い顔をするので、国が(あるいは国家財政か?どこかの国に似ているなぁ)おかしくなってしまった。 保守党新進気鋭のサッチャーさんは、そんな甘い顔はやめて強い国を作りましょうと訴え人気を獲得。途中でフォークランド紛争があったりしたお陰もあり、人気は更に高まるし、1990年のバブル絶頂期で景気も良くなったのだろう。
しかしバブルがはじけても、つっぱたような事ばかり言っているので、身内からも嫌われ始めるは、低所得層からの悲鳴が大きくなって辞任に追い込まれてしまう。バックグランドはどこにもありそうな話だ。しかしぶれていない点がやっぱり素晴らしい。日本の政治家は与野党を問わず、右顧左眄するばかりで己の信ずるところに向かって邁進する姿が見えてこない。

所詮政治なんて、万人に満足を与え得ることなんか出来る筈もないのだ。自分の信念を掲げ、支持されればよし、支持されなくなったらやめればいいとの覚悟を示している政治家は、共産党と小沢一郎(?かな)くらいなものだろう。ま、映画のことだからどこまで信じていいか分からないが、小生には覚悟のほどが良く見えた。
しかし10年もの間ツッパリ続けると、荷物を下ろした瞬間に荷卸し症候群で脳みそのヒューズが飛んでしまうのだろうか。サッチャーさんは呆け老人になって実在されるらしいが、お気の毒である。もう一つの感想は英国議会にしろ首相官邸にしろ、引退後の住まいもそうだが、みな実に質素に見えた。比較するに我が国の永田町の豪華さ、議員さんがこの映画を観たら、自分たちの有りようが如何にも田舎者の成り上がり丸出しで恥ずかしく思う事だろう。

卒業式

今日は近くの小学校の校門に日章旗が2本飾られ「卒業式」の看板が出ていた。数日前から池袋駅付近では、和服に袴姿の女性が散見されていたが、いよいよ今日は小中学校での本番だ。20歳を過ぎた大人が着飾っているのを見てもあまりピンとこないが、子供が晴れ着に身を包み、親御さんも何となく緊張気味に連れ添っているのを見るのは微笑ましい。
小中学校を卒業する子供に将来何になりたいと聞くと、大概の子はスポーツ選手や芸能人になりたいと答えるらしい。こういう世の中だから仕方がない事だろうし、子供たちが夢を持つのは悪い事ではない。翻って自分の昔を思えば、果たしてどのように思っていただろう。記憶があいまいでうまく思い出せないが、何となく偉くなりたいと思っていたような気がする。
「仰げば尊し」の「身を立て名をあげ やよ励めよ」と孝経の「身を立て道を行い、名を後世に挙げ、以て父母を顕すは孝の終り也」がごっちゃになって刷り込まれていたのだろう。偉いと言う言葉の意味も不明確であったにしても、他人から尊敬されさえすればよかったのだろう。長ずるに及んで、その考えが歪んで、やくざになって見たいと思ったりしたが、結局、親戚中に迷惑が掛かるから絶対なってはいけない三屋(保険屋、株屋、広告屋)の一つ広告屋になってしまった。
人生とは皮肉と言うかままならぬものだ。大学を卒業してから半世紀上経ってしまったが、こうありたいと思う方向に行けた事、そこで望みがかなった事は果たして何回有っただろうか。ほとんど無いに等しいが、ほんの僅かなチャンス、他人との縁に支えられて何とか今日まで生き延びてくることが出来た。残念ながら小中学校の卒業時に心中期待した、偉くなって人様から尊敬されるようなことは一度もなかった。
勿論名を挙げて父母を顕すこともなかったが、これからはせめて、人様にご迷惑をかけて後ろ指を指されることがないようにしたいものだ。

春の選抜高校野球大会選手宣誓

「必ず大きな幸せが待っていると信じています。」高校生らしくていいなぁ。 昨日から今日へのニュースのトップは、殆どこの宣誓の話題でも持ちきりだ。確かに石巻工業キャプテンで捕手のショート君(オヤジギャグ正しくは翔人君)は素晴らしかった。既に言い尽くされた感があるが、たった2分半だそうだが、言うべきことが過不足なく盛り込まれている。一語一語自ら噛みしめるような口調にも文言にも、誰それに何かを与えると言った上から目線が無かったのも爽やかだった。
今自分にできる事すべき事を素直に語るのが、かくも感動的である事を国会議員の先生方が学ぶべきと大勢の方が仰っている。全く同感である。これで若者は益々末は博士か大臣になろうなんて思わなくなるだろう。婆さんに言わせると「今、世の中を明るくしているのはスポーツ選手とAKB48とジャニーズと吉本興業。彼らは少なくともスポットライトを浴びて輝いている。それに引きかえ大臣なんて、周りから足を引っ張られ泥を投げつけられる存在でしかないから、子供たちの憧れになる筈がない。」
当たらずとも遠くはない理屈かも知れない。田中直樹防衛大臣なんかを見ていると、完全に防衛官僚から相手にされていないならまだしも、足を引っ張られているようにしか見えない。いくら勉強して大臣になっても、なれの果てが田中大臣と思えば、気持ちが萎えるのも仕方は無いだろう。
しかし解らないのは少年の本当の気持ち。中学2年生の孫が、3年生進級を目前に所属していたバスケット部を退部したことは数日前にも書いた。婆さんの解説では、5月の修学旅行とバスケの試合が重なり、監督から試合を優先しろと言われたのが原因との事。先日東京都の大会で優勝したチームのレギュラーなのに、そんなものなのか。若干不思議でもないが、婆さんは喜んでいる。
他に何かしたい事でもあるかと思えば、お勉強はもとより興味はないだろうし、特別なものは無さそう。年賀状には「文武両道」と書いてきたのも意味が分からなかった。少年の心は計りがたい。取り敢えずのところ、春休みに入ったら直ぐに、一人でお父さんの実家にお泊りしに行くのだそうだ。長男としての務めを意識しているとすれば見上げたものだが、複雑な思いも否めない。

この国の分かりにくさ

地球上のどこに行っても、人間社会は複雑怪奇であるようだ。他の動物に有るか無いかは分からないが、人間にはどうしても表と裏に別の人格が形成されてしまうのは、社会生活を営む以上避けられないのだろう。個人的に考えても、裏表を知り尽くす人間なんてそういるものではない。夫婦親子でさえ裏の裏まで知り尽くすことは先ず不可能だろう。
まして著書やマスメディアで知っているだけの人が、どこまで本音で語っているのかを知ることは無理である。善人みたい顔をしている人が悪党だったり、悪人面の善人がいたりするだろう。これは仕方がないと思うが、組織の行為基準に同様の表裏があると困ったことになる場合がある。
例えばプロ野球の巨人軍が選手のスカウトに際して、選手に内緒で払ったお金を巡って、朝日新聞と読売新聞が何か下らない争いをしている。この事件で読売新聞のナベツネさん(社主と言うのかな)が、朝日新聞の品格を疑うと言っている。と言う事は朝日新聞にはもともと品格があったことになるが、朝日新聞と読売新聞に品格の差なんか有ろう筈がない。従ってこの事は表裏が有ろうと無かろうと問題ではない。
例示がまずかったかもしれないが、言いたかったのは我が国民主主義の根幹とされる三権分立が、余りにも建前だけで、実態的には国権の最高機関である立法府の権限がないがしろにされ過ぎているとの思いが益々大きくなってきた。最初は、行政府である官僚に立法の仕事を丸投げしていることに不満を感じていたものだ。ところが最近、来月26日に判決が迫った小沢裁判を巡って盛んに言われ始めた事。
即ち、この裁判の過程で検察の捜査がいい加減であったことが明るみに出ると共に、小沢氏をターゲットにしたこと自体が極めて政治的であったようなことがネット上に沢山出始めている。一例を挙げるとフリージャーナリスト田中良紹のブログには如何に政治的な捜査であるかが縷々書かれ、結論として「特捜は誕生以来、常に一方の政治勢力と手を組んで自らの地位を守り、政治と裏取引をしながら、国民には「巨悪に挑戦する正義」として振る舞ってきた。」と書かれている。 *http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2012/03/post_294.html
その司令塔になっているのがなる部局で、田中氏は特捜を歴史的見地から分析しているので触れていないが、最近ネット上の流行…

彼岸

今日はお彼岸のお中日。先祖の墓参りもせず罰当たりを決め込んでいるが、可愛がってもらった祖母や両親そして兄が近くにいてくれるような気がしてならない。今日も彼岸にしては寒いのだが、自宅から池袋までの間にある曹洞宗の寺の門前に1本の河津桜の若木がてあり、そこだけがピンクの花をつけている。菩提寺ではないのだが、その花の一つ一つが先に行った人の微笑みに思えてならなかった。
こちらが彼岸に渡る日もそう遠くはなくなってきた。孫が3人もいて皆元気だし、もうこれ以上望むべきものは何もない。昨日婆さんが来月幼稚園に上がることになっている孫のところに行ってきたそうだ。未だおむつも取れないし、日本語も定かでないように思って心配していた孫だ。ところが、婆さんの報告を聞いているうちに、大分成長したように感じられてほっと安堵した。
いろいろ面白い話があるのだが、最高と思うものをご披露しよう。最近我が家の若旦那が母親に尿意や便意の催しを告げるようになり始めたらしい。ある日お告げがあったので、慌ててズボンを脱がせて便器に誘導しようと試みたが間に合わなかったとの事。その時若旦那が発した一言が「ザンネン!」 だそうだ。いつの間にどこで覚えたか分からないらしいが、娘も笑ってしまったらしい。
入園まであと3週間足らず、園長先生が怖いおばさんなので、婆さんも娘も退園を宣告されることを心配している。おむつの事もあるが、爺に似て協調性が無いので、ついて行けるかどうかが心配らしい。小生も最近までマジで心配していたが、昨日の話を聞く限りもう心配はないと思う。

東京観光 丸の内から皇居前広場

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昨日長野から早い時間に帰ってきたので、東京駅から桜田門まで皇居前広場を散歩してみた。日曜日でもあり観光客やランニングする人大勢いたので、赤いスキーヤッケにザックを背負った姿でも別に怪しまれることはなかったと思う。
これまであまり意識しなかったが、改めてゆっくり見ると東京丸の内のスカイラインの美しさは見事なものだ。これがへたりかけている国である筈がないと我が目を疑って見直してしまった。歩みを進めてお堀まで来ると、大勢の人がカメラを構えて堀の中を狙っている。

一羽の白鳥と鴛鴦の群れが、如何にも春といった風情でゆっくり泳いでいる。皇居前広場に入るとビルのスカイラインとは全く別の光景が展開する。未だ青くはなっていないが、広い芝生に整然と立ち並ぶ形のいい松の林、その奥にはまた堀があったりして、江戸城の建築を今に伝える門がところどころに設置されている。
東京に住んでいてもなかなか来る機会は少ないが、久し振りに歩いて気持ちが良かった。外国からの観光客は中国人が多かったようだ。中国の故宮博物院や人民広場はスケールに於いては皇居界隈といい勝負かも知れないし、ひょっとすれば向こうの方が大きいかもしれない。

しかし、言っちゃ悪いが中国は空気は汚いし、故宮も古いから仕方がないのかもしれないが、何となく薄汚く感じてしまう。昨日は休日のせいもあったのだろうが、曇っていたにも拘らず空気が凛とした感じで兎に角美しいと思った。これでJRの丸の内駅舎が完成したら一層見事な景観になるのは間違いない。原発事故の影響で日本への観光客が激減した報じられている。

食いものは美味いし、東京だけでも一見の価値あるところは他にも多い筈。惜しむらくは外国からの客人にとって不都合なのは円が強いので費用が高くつくことか。観光庁なる役所が出来たと聞いているが、これだけの資源があるのだから知恵を絞ってほしいものだ。

故郷にて

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竹馬の友から誘われて16日の金曜日白馬の八方尾根に行ってきた。天気が下り坂で、金曜日の午後は辛うじてもったが、土曜は朝から土砂降り。半日滑っただけで昨日は全く滑らず、午後には長野市に戻り、高校時代からの友人の家にお邪魔して、友人ご夫妻と夕食を一緒させてもらった。旦那とは時々あっているが、家にお邪魔して奥さんに会うのは半世紀ぶり以上だ。こちらもすごく懐かしかったが、奥さんにも大変喜んで頂けたようで嬉しい限りだ。
互いに年はとったが、性格と発想(或いは思考回路とでもいうべきか)は変わらない。学生時代から仲が良かったので、互いの事はよく分かっている。勿論この半世紀の間で会った回数はしれたものだが、約半日会話をしていると互いの人生が如何なるものであったか容易に想像が出来てしまう。彼は高校時代から付き合っていた彼女と24歳で結婚したので、ご長男は既に47歳。うちの娘とは大分年が違うが、お孫さんはまだ学生さんのようだからうちの孫とそんなには違わない。
彼も私も若い頃は家の事など顧みることなく仕事?をしていたが、今になるとやはり気になるのは、孫の就職やら入学やらも同じこと。孫が見上げるように大きいらしいのも似ている。でも一番気になるのは自分たちの健康で、こちらはもとより健康お宅だし、元気溌剌だったご夫妻も最近はかなり健康に気を使わざるを得ないようだ。そうは言っても我が友人には不思議なくらい多いのだが、彼はヘビースモーカー。奥さんは最近やっと禁煙されたようだ。
彼は酒を一滴も飲まない口なのだが、客商売をずっとしてきた。話はが最近の商売になると、もう店じまい前夜にあるこちらは聞く一方になった。彼曰く、今日田舎の客商売には確かに厳しい。しかし、そうは言っても客がいない訳ではない。時代によって客の要求するものが変わってくるのだから、その変化を見極めて、先手先手と手を打っていけばやっていけない筈はないのだ。極めて意気軒高である。20数年前まで日本の成長をけん引してきた大企業が軒並みおかしくなり始めている。
これは組織がでかくなりすぎて、客のニーズが経営判断する然るべきところへ届かない、又は届くに時間がかかり過ぎているせいだ。それに、経営判断は大学を出た頭のいい人がすると決まったものだが、彼らは客のニーズを皮膚感覚で掴まないから。現場を見ていると客のニーズの変化はレポートの書きあらせないようなとこ…

衆愚ねぇ

分かりもしないのにまた政治について書く。今月10日発売の文藝春秋4月号で興味深い記事が連続して掲載されていた。一つ目は塩野七生さんの巻頭随筆「硬直状態打開への一つの知恵」。続いて特集の『大新聞「船中八策」競作』があり、そのトップが読売のは渡辺恒雄氏の「大衆迎合政治」である。新聞社代表は産経、毎日と続くが何故か朝日は入っていない。余談になるが、朝日は時局に対する己の考えを持たない、常に大衆に迎合していくことを自ら証明しているように思える。
それぞれの言わんとするところは経済やら政治やら小難しくてよく分からない。しかし政治に対する新聞社のスタンスが、読売と産経では180度異なっているのは分かった。勿論どちらを是とすべきか判断出来る知見が無いのはいつもこと。面白いと思ったのは「衆愚政治」についての記述だ。ナベツネさんが引用してくれたのが、ローマで活躍したギリシャ人の歴史家ポリュビオスの言葉。あの人学がありますねぇ。
政体というものは君主制(有徳者による単独支配体制)→専制→貴族制→寡頭制→民主制→衆愚制→君主制と循環するものだそうだ。日本は衆愚制の段階にいると指摘している。塩野さんもヨーロッパの政治状況に触れ、衆愚制に陥っている事を指摘している。どうも世界的に民主政治が発展か劣化かは別として、成程衆愚政治か。うまいこと言うなとまず感心。そしてこれは政治家の質が劣化しているのではなくて、言わば(社会)科学的な必然と指摘している。成程、言われてみるとその通りかもと納得してしまった。
更に面白いと思ったのが、イタリア政治の現況についての言及。イタリアなんて他の惑星と同じで何にも知らないのだが、ベルルスコーニなる面白い小父さんがいた事を思い出させてくれた。彼が追放同然に辞職を余儀なくされたのは女性問題だったかなくらいの思い込みだが、もっと深刻な問題であったのが本当のところだろう。もう忘れていたが、彼に代わって首相(正しくは閣僚評議会議長らしい)になったモンティ氏という方。これも記事だけではよく分からないが、選挙で選ばれた職業政治家ではないらしい。
民主主義が何より好きなアメリカ人トップのオバマも、モンティを迎える際、非民主的な首相であることなど口にもしなかったと書かれているから、就任は民主的な手続きではなかったように読める。イタリアもこれまでは日本に似た二大政党+小政党のよう形で、何を…

卒業のシーズン

何事も初めがあれば終わりもある。今の仕事は平成15年に立ち上げたので、もう9年も経ってしまった。来月からは10年目、社長を代わってもらって愈々3年目に入る。過去2年間新社長に仕事を飲み込んでもらうために、得意との折衝では常に同席していた。昨日初めて来年度についての折衝があった。 準備する書類などについては相当細かくチェックしたが、ミーティングには参加せず、社長一人で行ってもらった。
受験生を送り出す親のような気分かも知れない。かなり長いミーティングで、来期に関して様々な案件が出され、厳しい要求もあったようだ。報告を聞く限り社長も立派に対応して、受け止めるべきは受け止め、反論すべきは反論できているようで頼もしい。ただ、社長の営業的な見通しはかなり厳しく、来月以降は元社長に今年度並みの給料を支払うことは無理と言うことで意見が一致した。
取り敢えず月給3万円くらいかと思っていたが、それもどうやら無理そうだ。普段小生一人が使用している事務所の家賃7万円も無理なので、事務所をなくしたいとの事。これももっともで同意せざるを得ない。得意もその辺は分かっているのだろう。元社長の分まで見るような陽気ではありません、との事だろう。個人的には厳しいかもしれぬが、当たり前の常識的な考えではある。その代り、来月からは時間的に相当自由がきくことになるだろう。
年金だけの暮らしを考えると、事務所を持つのは些かぜいたくすぎるかもしれないが、後1年だけは個人的に事務所を確保したいと思っている。婆さんはどのくらい金を持っているか知らぬが、ぜひそうしてくれと言うだろう。 こうなると、あと何年生きるかが切実な問題になってきそうだ。はっきりしているのは長ければいいと言うものではない事だろう。
宴会のきまり文句のように、「あるを尽くして」楽しみ、後にご迷惑が掛からぬようにお暇するにはどうしたものか。社会人5段階目(サラリーマン4回+個人企業1回)の卒業を目前に、新たな命題が与えられたようだ。

お仕事

春は名のみに風の寒さで、冷たい北風が吹いているが、日がとても長くなってきているし、あり得ない事だろうが、陽射しも真冬とは違って日光の量が多いように感じる。何れにせよ春はもうすぐだ。この前の土曜日に娘が3歳の孫を連れて遊びに来てくれた。来月からは幼稚園に通うことになっている。 喋り初めが遅かったような気がして心配していたが、かなり会話が出来るようになっているので嬉しいやらびっくりやらだ。
子供の成長が速いのは当たり前かもしれないが、己の事となるとまるで成長が無い。特に酷いのはパソコンのキー操作。練習にと思って始めたのがブログ書きだが、既に6年以上たっているから小学生だったらもう卒業していい頃だ。しかし未だに指がスムースに動かず技量向上が見られない。大阪市長ではないが、小学校で留年しかねない。孫の成長を心配する前にこちらを何とかしたいが、どうにもならないのだろう。
年度末のせいか仕事でパソコンを使わざるを得ない。今日もほぼ1日中パソコンと格闘してしまった。5列14000行のエクセルファイルを29列650行のファイルとを突き合わせて校正する作業だ。読者の皆さんには意味不明でしょうが、兎に角パソコンの上に4種類のファイルを拡げ、その上インターネットのブラウザも確認しながらの作業です。エクセルはご承知かどうかですが、セルと呼ばれる升目(これが又小さい)にたくさん英数字やら日本語やらが詰まっています。
校正はその中の一文字の誤りを修正していく仕事で、とても根気のいる作業。パソコン関係の仕事であっても、ファイルのミスマッチは計算では解決しないので、算数が苦手な小生でもできる事はできる。但し目にも悪いし、肩もこるし碌な事にはならない。今日はついに目の下に痙攣が来てしまった。日記を書くのも止そうかと思ったが、まだ明るいので書いてしまった。この後ネットで囲碁をすると、ますます身体に悪いとは分かっているのだが。

東北大震災1周年

この土日は昨年311の大災害から1年と言うことで、朝から晩までその報道一色だったらしい。びっくりしたのは、昨日の2時45分には東京の山手線まで止めて、一般市民に黙祷を促したことだ。大勢の人が亡くなった一周忌だから非難する訳ではないが、そこまでやるかと思わないでもない。ただでさえ忘れっぽいのは小生ばかりでなく、日本人の得意技だから1年目ぐらいは大騒ぎをした方が善いのかもしれない。
昨年の3月11日(金)から16日(水)迄の日記を読んでみた。もうすっかり忘れていたことが書いてある。日曜日まではテレビからコマーシャルが消えていた事。16日には早速に計画停電が始まっていた事。当初発電所の事象と言われていたことが、事故に置き換えられたようだ。同時に除染なんて耳慣れない事が出現している。14日の時点で、官邸がかなり混乱していることを感じていたようだ。以下はその抜粋。
>期に臨んでは変に応じた対策をトップが下して部下を動かし、策を講じた後に責任の所在を明確にする記録を残す。 >弁護士出身の官房長官が原発の構造を理解出来たような口調で発表をするから、聞いている側は余計不安になる。 >総理の現地視察と記者会見はこの忙しい時に余りにとんちんかんに過ぎる。そんな余裕があるなら、そのヘリを被災者救済に回してやれと怒鳴りたい。
と書いているところを見ると、どうしようもないほど混乱していたなぁ、と改めて思い出してしまう。それにしてもあの大事故ももう歴史の一部だ。個人的には忘れ難い思いを持っている人は沢山いるのだろうが、利害関係のない国民の大部分にとっては既に過去の話。メディアはお涙ちょうだい式の報道をあと1年か2年は繰り返すかもしれないが、それも徐々にフェードアウトして行ってしまうだろう。
政治家は「未曽有の国難」と言葉を弄ぶが、どこまで本気で考えていいるか分かったものではない。ポストと予算を分捕る好機到来、又は揚げ足取りに格好のネタぐらいにしか考えていないようだ。どっちにしても現在の我が国は極楽とんぼが寄生するには最適地なのかもしれない。昔は違う、一夜にして数万人数十万人が死亡するような事件、数年で人口の数割以上が減るような飢饉とか疫病の蔓延は枚挙にいとまがない。
あってもなくってもいいような国会の参議院予算委員会が始まった。本当にどうしようもないバカと阿呆の絡み合いだ。こいつらに税金を食われているかと…

分からない上に思い込み

昨日のブログの続きになってしまう。 原子力発電の仕組みや放射能については、考えれば考えるほど訳が分からなくなっていく。理科に弱いので当たり前と言えば当たり前だが、十分理解できている人はどこにどのくらいいるのだろう?特にジャーナリストに聞いてみたい。「あなた方は、事故発生以来政府が嘘を言い続けたと言うが、自分たちでどの程度真相究明を追求し、嘘と真相の差をきちんと公表したことがありますか?」
読者や視聴者である一般市民の不安が払しょくされないのは、東電や政府関係者だけでなくマスコミにも大きな責任がある筈だ。実は今週、今までしてきた仕事を引き継ぐためのマニュアル作りをして気が付いたことがある。自分が分かっているごく初歩的、基本的な事をマニュアルから省いてはいけない。相手は大人だし当然分かっているかもしれない。しかしもしそうでなかったら、その後の解説がほとんど無意味になりかねない。
年金見直し論議でも似たような現象があるように思うが、今論議の対象となり、連日報道で取り上げられる諸問題について考えると、議論対象のスタート地点が不明確である事が多すぎるのではなかろうか。メディアは全ての事を理解したうえで、余り利口でない視聴者、読者に丁寧に解説するかの如く振舞うが、果たして自身が基本のところをどこまで理解できているのだろう?
誰かが次のように言っていた。「原子力発電所の事について原子力科学者に聞いても分かる筈がない。それを作った技術者に聞いて初めて分かる事だ。福島第1を作ったのはアメリカのGE社、ここは数年前に福島第1が欠陥発電所である事を自ら認め、しかも日本側下請け東芝や日立かなはそれに対する免責を受け入れてしまっている。」後半は兎も角、科学者でさえ十分理解できない事を図式など持ち出してさも尤もらしく解説していたジャーナリスト達は因果な商売だ。
専門家とされる人にも未だに分からない事が多すぎるくらいあるのが実態だろう。笑われてしまうかもしれないが「ベント」についてつい先日まで、発電所の煙突みたいところから空気を逃がすことだと思っていた。どうもそうではなくて、発電機の中の蒸気を建屋の中に開放するだけなので水蒸気爆発が起きたのだそうだ。とすると、蒸気が外に出ないのに、何故発電所周辺の放射線量がいきなり高くなるのか?未だに分からない。馬鹿ですねぇ。
冷温停止にしてもそうだが、ジャーナリストは自…

分からないことだらけ

福島原発事故発生からもう1年になる。総理を初め国会議員の話を聞いていると「はっさい」と言いう言葉が頻繁に出てくる。最近やっとそうかと思ったのだが、どうも災害が発生した事を言うらしい。シーベルトやベクレルなんて言葉は耳慣れたが、「はっさい」だけは未だにしっくりこない。これは単に国語に弱い小生だけの問題だろうか?
短いようでも1年は長い。放射能については未だによく分からないが、身体に影響があるにしても年寄りには無縁と言うのが一般的に言われている。小学生の頃だったと思うが、アメリカやらソ連の核実験の影響で「ストロチュームと言う放射能が降ってくる、従って雨にあたってはいけません。」としきりに言われたことがある。今禿げているのはそのせいかと思っているくらいだ。
今回は爆弾と発電所の違いなのか、もっぱらヨウ素とセシューム(プルトニュームなんてのも少しあるかな)、禿になると言う説はあまり聞かない。しかしそれを被ると、やはり身体に悪い影響があるらしい。昭和20年代と違って、舞っているか溜まっているか知らないが、この放射能の量が測られてシーベルトだのベクレルの数字が飛び交っている訳だ。福島に住む方々にとってはこの数字が大きな意味を持っているだろうし、未だにそれに対する恐怖は拭いきれないだろう。
しかし自分のことで言うと、もうどうでもいいやと言う気分である。訳が分からないので、年だから悪影響が出るまで生きる筈がない、と勝手に決めている。野菜なんかは福島や茨城産は避けても、魚介の産地なんか分かったものではない。東日本に住む以上、1年前に比べれば、何らかの形で浴びる放射能が増えて、仮に結構な量に達したとしても、気にしても仕方がないだろうとの思いだ。同じ東京住まいでも、もっと真剣に放射能について未だに心配している人も知っている。
お子さんをお持ちの若い女性の科学者だから当然だろうが、国民の3割が集中する首都圏住民に聞けば、小生のように考える人間も結構多いのではないだろうか。政府にとっては好都合かもしれないが、褒められた話ではない。政府にしてもマスメディアにしても、もっと丁寧に事の真相を明らかにすべきだ。事故調査委員会なるものが国会、政府、民間とご丁寧に三つも立ち上がっているようだ。これで何が明らかになるか知らないが、事故発生から当事者の東電と政府は実にいい加減、嘘をついてきたことだけははっきりして…

読後感「下山の思想」五木寛之 著

同病相哀れむような気持ちで読んだ。著者は少し年上と言っても似たような年代である。人生の終わりになってくれば誰しも考えるのは似たようなものだ、が最初の感想。当たり前の話で、冥途が近づけば前向きにあまり明るい事は考えないのが普通だろう。自分の事を書けばノスタルジックになるだろうし、来し方について反省したところで始まらない。
他人のいう事も余り聞く必要もないだろうし、取り敢えずは自分の過去に満足して、尚且つこれからの毎日を如何に悔やまずに過ごすかを書いているように思える。我々の年代は終戦直後の貧しい時代を通り抜け、望外の贅沢を尽くした挙句に昨今少し先行き不安の気配が漂い始めたのを察知している世代だ。
著者は自分と日本を重ね合わせ、日本もこれから衰弱していくであろう事を前提にして、いろいろ仏典やら古典などを引用して尤もらしく書いている。同世代の小生は共感を覚えないでもないが、若い人がこれを読んだらどう思ううだろうか。多分異なる受け止めになるに違いない。人口構成が変化して高齢化社会になる事は事実だろうが、そこで生きていく若い人は我々とは違う心構えがあるだろう。
嘗ては「青春の門」に共感を覚えた著者だが、今感じているのは「爺さん、しょうがねえな~」てな感じで、今後彼の新著が出ても触手が動かないだろう。スキーの行き帰りに列車の中で半ば居眠りしながら読むには最適だった。

ノスタルジック スキー

土曜日の夕方から出掛けて昨日まで、高校の同期の仲間なんかと志賀高原にスキーに行ってきた。実際にスキーを滑ったのは日曜日だけ。昨日も少し滑ろうと思ったが、ゲレンデに出ると雨っぽい雪で風が強く、主だったリフトは皆停止状態なので丸池を少し流したところで、そこそこに上がり、昼で帰京予定だった小生を見送りがてら午後は湯田中で温泉(残念ながら小生は不参加)に浸ることになった。
日曜日の天気予報も決して良くなかったのだが、如何なる巡りあわせか1日中ピーカンで絶好のコンディション。志賀の中心ゲレンデ高天原から一ノ瀬ファミリー、寺子屋、東館、焼額、ジャイアントと主なコースを数本ずつ夕方リフトが止るまでびっしり滑ったので、小生にとっては1日でおなか一杯の感である。むしろ些か負荷が掛かりすぎたのか、今朝は若干筋肉痛が残っていたようだ。
仲間の皆さんは天気の回復を待って今日も滑ったのだろう。兎に角皆元気だ。仲間の多くは今回のスキーは今シーズン半ばのイベントで、これまでもこれからもかなり滑り込む人が多い。詳しくは覚えていないが、今シーズン既にコロラド・北海道・蔵王・八方に行ってきた話が飛び交っていた。こちらも志賀が地元で、シーズンに最低でも40日や50日は滑った時もあったが、今やシーズン2日か3日が精々。
他のスキー場への遠征、まして海外のスキー場は夢の又夢になってしまった。体力と共に技術が衰えるのも当然の話で、よたよたして他のスキーヤーと衝突して転倒、怒られたりしてしまったし。来シーズンになればもっと下手くそになるのだろう。しかしスキーは歩くのとほぼ同じで、左右のあんよを交互に使えば適当に曲がりながら滑っていく。問題はスピードのコントロールだから、滑る斜面を選びさえすれば、来シーズンと言わずまだ相当に楽しめるだろう。
スキーも楽しかったが、何よりもの楽しみはアフタースキーだ。これは幾ら年をとってもますます盛んになる。何と言っても酒にしろおつまみにしろ持ち込む量が半端でない。飲みきれない程の酒・焼酎・ワインを持ち込みグラスを片手に昨シーズン以来のよすがと今年の抱負、社会批評と飲むほどに酔うほどに盛り上がり、夜が更けても話題は絶えない。どころか、話題によっては急に若返るが如く益々力が入り留まるところを知らない。
帰りの車中でぼんやりと今回の旅を振り返り、何とも言えない青春の郷愁に浸っていた。

多様性

今日は出掛けなくてはならないので早めに一言だけ書いておく。 一種の中毒だな。笑
植物であれ動物であれ、生物だけでなく雪の結晶なんかでも、それぞれに微妙な違いがあり、全く同じものは無いそうだ。確かにその通りで、我が家の娘を見ても、これが同じ腹から生まれた姉妹かと思うほど姿かたちも勿論だが性格には違いがある。孫兄弟を見てもそうだ。ところが日本人を一括りで見ると、ある場面で多様性に欠けるきらいがあると聞いた。
具体的には日本人が空気に弱く、権力者が操縦しやすい性格との事だ。小生は生来天邪鬼なので少し違うと思ってはいるが、人間は誰しも多数意見に従うを無難とするだろう。外国には多数意見に付和雷同しない事を善しとする教育がなされる国があるのかもしれない。外国の事情には疎いので分からないが、ことマスメディアの報道姿勢に関しては日本は異質で、何をとっても金太郎飴と言う説には賛成せざるを得ない。
現代日本では、マスコミが市民の味方のような顔しながら、時の政権であったり行政機関と言った権力者と持ちつ持たれつの関係にあることは否定のしようもない。この問題は是正のしようがない現実なのかもしれないが、相当困った問題だ。日本の主権者たる市民には多種多様な意見が存在しているにも拘らず、なまじメディアが発達しているので一定の空気が醸成されてしまう。何も政治だけの問題に限らず、多様な考えの中からこそ柔軟性のある発想が創造されて全体の活力に繋がる筈と思っているこの頃だ。

本当のところは見えにくい

昨日は近年になく忙しい一日だった。昼間はずっとパソコンで書類作りに追われ、夜は夜でジャーナリスト田中良紹氏の話を聞きに行って、2次会の飲み会まで参加、帰宅が午前0時になってしまった。そんなことで珍しくブログ書きが出来なかったが、代わりに夜にはブログの種をドッサリ仕込むことが出来た。前から彼のファンなのだが、彼が何故マスメディアに出てこないか分かったような気がする。彼はTBS報道局の出身で、20年以上続いている「報道特集」の立ち上げに関わったらしい。
そして放送局のご都合主義、視聴者への迎合に嫌気がさして辞めているので、誘いがあっても応ずるわけにはいかないのだろう。言われてみるとその通りで、テレビや新聞なんてものはいつの時代でも売れれば、或いは儲かればいいだけで主義主張が有る訳ではない。右も左も東も西も関係ないのだそうだ。第2次大戦当時に新聞が軍部に協力したとの見方は違う、あれは「米英を膺懲すべき」との大衆の熱に迎合していただけだ。
アメリカの占領が始まって論調が変わるのも、アメリカに迎合するのではなくて、その方が売れるからそうしただけの事。小沢一郎を叩いていた新聞が趣を変え始めているのも結局は同じことで、新聞社やテレビ局に正義感を求めても仕方がない。分かりやすいし、田中さんはマスコミ報道が作り出している空気と全く違う解説をするので実に面白い。現役時代田中派担当をしていたとの事なので、小沢一郎の事は若い頃からよく知っている。或いは理解していると言うべきか。
数少ない政治家らしい政治家と思っているらしい。昨年311の大災害に際して、どんなに批判されようと被災地に行かなかった小沢一郎と、周りが止めるのを振り切って現地に飛んで行った菅直人の違いを語っていた。どちらが真の政治家であり、リーダーたりうるかは言うまでもなくなってしまう。出席者も小沢ファンが多いようで、裁判の行方に関する質問や意見が出るが、田中氏の見解は面白い。
彼は理がどちらにあるかを問題にしないところが少し他人と違う。これは小沢対検察の喧嘩だから、どちらが勝つか分からない。言えるのは嘗て検察相手ここまで戦った人間は非常に少ないし、近年で言えば抵抗した人がいても、検察の圧勝だったのが事実だろう。どっちが勝つか分からないが、双方とことんやるしかないだろう。これが見立てだから裁判の結果がどうなろうと裁判は未だまだ続く。それ…