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3月, 2015の投稿を表示しています

未来への遺産

昨日は4週間ぶりで日大板橋病院に、このところ群馬大学や千葉癌センターでの医療事故が大きなニュースになっている。何故そんな事故が起きるのか、不思議で仕方がない。日大板橋病院にもそんな危険が潜んでいるかどうか、医学のことは全く分からないので、全面的に担当している先生と当該病院の医療システムを信頼する他ない。近くの開業医も含め、現在実に沢山のお医者さんのお世話になっているが、掛かっているお医者さんは皆名医だと信じている。

個人的歴史の中では「患者は余計なことを言わず、私の質問にだけ答えていればいいのだ。」との台詞を吐いた医師もいて、この先生のところは2度とお世話になるつもりも無いし、多分藪の類だろうと勝手に分類している。「ビジネスで愛想が良過ぎるのは自分の仕事に自信が無いせいだ。」と言った先輩がいたが、そうは思わない。特に医療なんてものは物の売り買いと異なり、医師のと患者の協力で目標を達成していくもので、医師の措置よりアドバイスのウェイトが大きな意味を持っている。

従って患者に対してつっけんどんな医師では、スムースなコミュニケーションが成り立たない筈で、どんなに偉そうな肩書きを持っていようと名医の範疇に入れない主義である。幸い今お世話になっている先生方とは何方とも機嫌良くお付き合いが出来ている。茶飲み話に「あの先生は大したことが無いだの、あの病院は如何なものか」と言ったことも耳にするが、そこで診療中であっても気にしないことにしている。

また、嘗て親からは、医師に掛かってよく見てもらうには付け届けが必要と教わったが、未だに請求金額以上に金品を払ったりしたことが一度も無い。そんなことで、いつも通りの診察や今後の予定などが決まった後で、急に先生から「ところでお願いがあるのですが、聞いて頂けますでしょうか?」大変丁寧な質問があった。診察している医師から一体何事か?と一瞬不思議に思ったが、聞いてみると大したことではない。この病院が参加している研究の為に血液を使わせてほしいだけのことだ。

それもたったの7cc4週間後次回の採血検査時に試験管1本余計採血させてくれとのこと。いつもの検査時にが何cc採血しているか知らないが、試験管数本に分けているのは知っている。その本数が1本増えるだけだから勿論否は無い。医師から見れば患者は飯の種かもしれぬが、医師から丁重にお礼を言われたのは初めてだし…

同じ日本人同士だろう

急に春らしい日となって嬉しい限りだ。今日は夕方から銀座のホテルで同窓会の幹事会があるので出かけなくてはならない。早めに思いついたことを簡単に書いておく。沖縄宜野湾市辺野古に新設が予定されている米軍基地建設をめぐって、県知事と政府が激しく対立した構図が生まれて、大部分の国民が心配しているだろうし、小生とて例外ではない。昨日これをテーマにしたNHK「日曜討論」を聞いてみた。

政府側の応援団は「そもそも、世界で最も危険とされている普天間基地を返還して貰うことで、その何分の一かの代替基地を辺野古沖に用意することになったこと、普天間基地返還が決まったのは橋本内閣時代の1996年、19年も前の話ではないか。普天間の危険除去との根本問題を忘れてしまっては困る。」「 沖縄県における米軍施設・区域の整理・統合・縮小 については、日米の合同委員会の平成8年12月に結論が出て決まっている話で今更変更はできません。」

平たく言えば、上記2点の論拠を頼りとして、政府の頑なな態度「この期に及んで何を寝ぼけたことを言っているのか。」を擁護しているようだ。県知事側の応援団は「普天間基地返還が決まった1996年当時の沖縄県知事は大田昌秀氏で、当時から代替基地は県外を主張していた。一昨年暮れに突然辺野古移転容認を打ち出した仲井間前知事でさえ、立候補当時は県外移転を掲げて当選しているのだ。要するに、沖縄県民は一貫して県外移転を主張しているのに、政府は何故聞く耳を持たないのか。」に尽きるように聞こえる。

政府側応援団は岡本行夫氏、元々は外務省の役人だが95、6年当時は橋本総理の総理特別補佐官だったことで売っている人。そして森本敏氏、この人の経歴が実にいかがわしい。民主党時代に防衛相になったのは衆知のことだが、今はすっかり自公政権べったりになっている。スパイ小説読み過ぎの老人には、彼こそアメリカが日本工作に使っているスパイにしか思えない。

そんなことはどうでもいいが、知事側の応援団は植村秀樹流通経済大学教授と屋良朝博沖縄国際大准教授、二人とも初めて知る人で政府側応援団い比べると年齢がかなり若く見えた。面白かったのは両者の主張は上記の通りで噛み合わないが、噛み合わないことを指摘したのは司会者でなく、知事側の応援団である。メディアも取り上げている辺野古に基地を作るのか作らせないのか、の議論自体19年も続けてい…

メディアの見解

現代の情報通信社会ではSNS(ソーシャル ネットワーク システム)と呼ばれるメディアが世界の主流だと言う事をよく聞く。10年前から利用し始めた大昔のパソコンネットに毛が生えたようなミキシもその1例ではあるようだが、気が付くとこれも大分時代遅れみたいだ。ミキシも端末としてはモバイル端末での利用が可能であるが、携帯電話しか利用の仕方が分からないので対応のしようが無い。

情報通信は生鮮食品と同じで新鮮さが重要らしく、余り長たらしい文章はどうかと思われるようだ。ツイッタ-とかファイスブックが国境を越えて広がっているのも頷ける。そのこと自体は結構なことで非難否定できないが、これまで情報通信の主流にあった新聞雑誌や放送メディアのマスコミがその風潮に流れてしまうのは残念に思う。月刊雑誌は鮮度に於いて若干遅れを取らざるを得ない代わりに、時折ある情報について掘り下げた解説をしてくれることが有難いが、日常的に接している新聞とテレビについてはやや不満がある。

SNSによる情報通信は報道とは呼ばないが、後者は報道と呼ばれている。中でも自他共に報道を意識するのは新聞とラジオ・テレビの放送媒体だろう。先日も少し触れたが、放送には放送法での縛りが掛かっているようで、どんな縛りあるか知らないが、その第1条に報道の自由が保障されているらしい。しかし日本の報道機関は皆お行儀が良くて、不偏不党と公共性を重視した自己規制をしているようでもある。

新聞の場合はそれでも社説等で会社の意見を述べたり、発言者を明記して意見を長文で掲載することがある。しかし放送メディアにはこれが全く見られない。NHKには昔「ニュース解説」があり、現在は「視点論点」になっているかと思うが、最近視聴したことが無い。幾らスマホの普及でSNSが発達しようと、テレビ報道に頼る国民が多いと思うので、情報の受け止めが希薄になり、考える能力を失って故大宅壮一氏の発言ではないが、一億総白痴になり兼ねない。

昨日から始まった選挙関連のニュースなんぞ典型的で、この下らないことを何故長々流すのだと不満を感じている方が多いに違いない。選挙の場合は仕方ないにしても、ニュースをアナウサーが読み上げるだけでなく、意見を述べるキャスターやら解説者を置いた番組や、週末によくある情報系と呼ばれる複数の解説者を置いたスタジオ番組なんかでも、不偏不党と公共性の原則が重視…

偽りの民主主義

昨日のブログで、安倍総理の「我が軍」発言とそれを容認したや菅官房長官の発言を知って「日本の軍隊」をタイトルにし、「嫌な感じ」と書いて締めくくった。これに対するmixi読者のコメントを見て、意図と異なる受け止め方をした方がいるかもしれないと思い、作文のご粗末さを反省するとともに、今日も似たようなことを書きたくなった。誤解された方がおられるかもしれないが、小生は日本にも軍隊があって当然だし、自衛隊は正に軍隊だろうと思っている。

しかし、完全に憲法違反であるのは万人の認めるところだろう。旧社会党のことを褒めるつもりも無いが、彼らが国会内で自衛隊を違憲と叫んでいたことだけは正しいと思う。その政党が政権の甘い蜜で酔わされて合憲と引っくり返り、挙句の果てに党が消滅してしまったのだからブラックユーモアみたいものだ。そもそも昭和27年に警察予備隊を発足させるに当たり、総理であった吉田茂自由党総裁が憲法を改正せずに、言葉の綾だけで誤魔化したのが事の発端で、彼の罪も重い。

村山総理や吉田総理だけでなく、日本の政治家の殆どが肝心な時に役に立つのだろうか?少なくとも現在の政権は、国民の生命財産を守るためと言いながら、実態的には挙げて米国の番犬になるべく一直線だ。沖縄辺野古の新基地建設問題を見ても、とても国民の方を向いているとは思えない。野党を含めれば約700人もの国会議員がいて、彼等は一応選挙で選ばれてくるので、日本は民主国家だと思わされている。

果たして本当にそうだろうか?バッジを胸にした先生方は民意を代表する国権の最高機関と胸を張るが、国会がまともな立法府として機能しているかどうかが甚だ疑問になってくる。人口比では世界的に見ても多すぎる先生方が、半年以上かけて議論をしているように見せているが、立法問題で議論が噛み合ったのを見たことが無い。議論の対象になるのは大概内閣提出の法案であり、これの枝葉末節に野党が噛みつくスタイルに尽きるが、閣僚側も実は法案の中身を十分理解できていないことが間々ある。

何故ならば、日本の立法作業は民意で選ばれた政治家が行うのではなくて、民意とかけ離れた官僚が絵図面を引いていること、これまた万人の知るところだろう。諸外国と大きな違いがここにあることを指摘する人間が居ても、その根本的見直しに政治家が触れることはない。そこの矛盾を上手に操作した例とすれば、宗主国の意…

日本の軍隊

学齢にも達しない子供の頃、父親は南方に出征中で男気の無い家庭で母や祖母に育てられた。それでも子供心に、兵隊さんがお国のために一所懸命働いてくれていることと、将来はその兵隊さんになってお国の為になる人間になるつもりでいた。誰に依って刷り込まれたのか知らぬが、近所で遊ぶ子供たちの殆どが同じ考え方をしていたと思う。家にあった桜に錨のマークが着いたバックルのベルトに短剣を吊って喜んだりしたものだ。

それから数ヵ月も経たないうちに、負ける筈の無かった戦争に負けたことを知らされ非常に残念に思ったこと、それ以上に残念だったのは、日本から兵隊さんが居なくなってしまうらしいと知った時かもしれぬ。出征中の父親なんぞひょっとすると奴隷にされてどこかに連れて行かれ、永遠に会えぬかもしれぬと聞かされた。もう3年間も父親の顔を見ていないので、そう言われてもピンと来なかったのも事実だ。

昭和20年8月15日の午後は母も祖母も叔母も大分長いこと涙を流していたが、翌日から生活は又元に戻った。軍隊が無くなるのとことだが、長野にいた兵隊さんは少なかったこともあるのだろう、数ヵ月も経たずに兵隊さんが居なくなったようだ。隣の長野中学に通っているお兄さんが、兵隊さんの駐屯地だった長野商業中学の校庭で拾ってきた銀色に光る拳銃を見せてくれた。兄と二人で初めて拳銃に触ったが、隣のお兄さんが言うには「これからは拳銃など持ち歩くと進駐軍が来て捕まるかもしれない。」と言われたので、緊張したことが思い出される。

その後暫くすると、長野でもジープに乗ったアメリカ兵が目につくようになった。彼らが面白がって子供たちにチョコレートやキャンデイをばら撒いている光景もたまに見かけたが、こっちとしては面白くないので、睨みつけたかったが怖いのでそこには近付かないようにしていたものだ。小学校に上がると、最初の頃は遊びの言葉には少し軍隊用語が残っていた(例えば水雷艇は軍艦に勝てないが、軍艦は魚雷に負けるとか)が、何と言っても小学1年生時代から生粋の教育基本法下の民主主義教育だったので、次第に兵隊さんへの憧れや思いは他の事項に変わっていった。

小学4年生の頃か、朝鮮で戦争が始まったらしいことは何となく分かった。日本にいるアメリカ兵が前線に出て行くらしいが、残念なことに日本には兵隊さんがいない。既に朝鮮にいた人は全員日本に帰ってきているので、こ…

春の心は長閑からまし

桜の開花宣言が出されても近所の桜は未だ開花にほど遠く、風が冷たくて冬の寒さが続いている。投薬のお陰で足の痛みが大分和らいだので、どうやら通常の時速5キロぐらいでは歩けそうだ。久し振りに1万歩ノルマを達成した。足腰も弱れば、前から弱いおつむの方も一層ボケてきつつある気がする。暇に任せて1日にネットで碁を何局も打っているとよく分かる。勝っても負けても精々1日に1,2局にすべきなんだろうが、自制が効かずについ4局も5局も打って、結果負け越してしまう。

また欧州で飛行機が墜落したとのこと、テロではないらしいが、近代化されて一見便利になった世の中には色々不都合やら怖いことが起きるものだ。電車の中では勿論だが、歩きながらスマホを見ている人、電話をしている人の多いこと、皆さん何の用事があってスマホを後生大事に携帯しなければならないのか?年寄りにはさっぱり分からぬが、余計な心配をしてくれるなと言うことなんだろうな。今週は卒業式シーズンで、連日振袖と袴姿の若い女性が目につく。
朝や夕方に車のついたスーツケースを引っ張って歩いている女性集団は、着換え和装を持ち歩いているのだろう。

最近ではこの装束で白足袋に草履がめっきり減ったので、今日見た親子連れが二人とも白足袋に草履ばきだったので逆に新鮮さを感じてしまった。これが都会の春景色と言うものなんだろう。

一見長閑なシーズンであるが、政治の世界内外共に非常にきな臭い。特に沖縄の基地移転問題は、完全に国民の意思を無視して、「寄り添う」は総理のお好きな慣用句だが、アメリカ国防当局の意思に寄り添っている。お陰だろうが、総理はゴールデンウィークにアメリカ政府から国賓待遇での招待を受けて大喜びしているようだが、高校時代の同期生K君がグループメールで上手い表現をしてくれたので、是非引用させて頂きたい。

以下引用

「安倍首相は「戦後レジームからの脱却」を唱えていますが、その言葉を使うのならばその意味は米国の植民地状態からの脱却、即ち真の独立の獲得でなければなりません。外務省を始めとする霞が関の官僚は最高裁も含めて主権者たる日本国民の為の公僕として働いているのではなく、米国の番犬となっているのが実態でしょう。55年体制下の政治家の中には何とか日本の独自性を出そうと頑張った人も居ましたが、安倍首相は自分はもっと獰猛な番犬になりたいと叫んでいます。その上TP…

初めて知った放送法

このブログを書き続ける為に思考を整理する意味で幾つかのジャンルを設けているが、その項目中に「メディア関連」がある。今朝婆さんから聞いて知った事に触れてみたい。昨日の参議院予算委員会、見せ場があって、あの高慢ちきで大嫌いな高市総務相が謝らざるを得ないシーンだそうだ。気の強さが売りの彼女が、テレビ中継がされている委員会で謝らざるを得ないとは何があったのか?小生が観た昨夜のNHKニュースや今朝の新聞にも何も出ていない。

婆さんに言わせると「NHKばかり見ているから駄目。自社の社長絡みのヤバイ質疑を放送する訳が無いでしょう。今日パソコンで確認して見なさい、面白いから。」婆さんがどこで知ったか分からないが、前後関係や誰の質問かは分からない。野党の質問でああろうことは想像がつくので、取り敢えず民主党小川敏夫委員の質問を検索するとビンゴ!想像よりかなり長時間(30分以上)にわたる質疑で、高市氏の謝罪も想像以上の長さだ。普段のこの人の所作からはとても想像できない丁重なものだった。

質問者が元検事であるにしても、所管大臣がここまで丁寧に謝らざるを得ないのだから、余程重大な問題に違いない。一般人から見れば下らないやり取りかもしれぬが、NHK以外のメディアは何故この質疑をもっと問題視しないのだろうか。質疑の内容NHK籾井会長に対するもので、放送法の基本的趣旨が不偏不党とか報道や言論の自由にあることを認識しているか?を確認する質問である。籾井会長が安倍総理の肝煎りで座った人で、どうしても政権寄り報道にならざるを得ないことは周知のことである。小生なんぞ現政権誕生で、NHKは官営放送に成り下がったと半分諦めていたが、法律にはそうなってはならぬと規定されているらしい。

NHK会長人事については大分前から問題視されて、国会でも度々取り上げられたことは承知していたが、マスコミの取り上げ方も野党の雑音程度の取り扱いで、会長自身の居直りも堂々としているので、政権を取った側の一種の利権で仕方ないのだろうと理解していた。会長なんて所詮お飾りのようなもので、組織の大部分は優秀な人材で構成されているだろうし、人格的にご粗末な会長だからと言って、視聴料の支払いを止める気にまではなっていない。むしろ私的な感想として、籾井氏の出身会社三井物産に対して持っていたイメージが随分悪くなったくらいのことだ。

知人の中には銀…

定番 医者通い

2週間ほど前から腰が痛みが出て、この週末は膝下から踝まで痛みが走って歩行が容易でなくなった。通常は月曜日には朝一で接骨院でのマッサージを続けてきたが、こんなことでは手に負えそうにない。遂に意を決して整形外科で診てもらった。半日仕事にはなったが、簡単に結果が出たので一安心した。レントゲン写真4枚と簡単な触診や運動機能検査で、腰部脊柱管狭窄症との見立てとなった。写真を見ると、脊椎の最下部の隙間が明らかに狭くなっているのが歴然としている。脊椎の湾曲も正常に比してかなり反っている。

膝下から踝まで痛みが走るのは、この狭くなった脊椎管のどこかで神経に触り、それが悪さをしている可能性が高いそうだ。所謂「坐骨神経痛」と言う奴である。若い時に木から落ちたり、鉄棒から落ちただけならまだしも、いい大人になっても、山で滑落したりしているのだから罰が当たったようなものだろう。取り敢えずは痛み止めの処方をお願いして、2週間分の薬を出してもらった。これで痛みが和らなければ、うまく写真が取れるかどうか分からないけれど、次回はMRIで見てみましょう、とのこと。

仕事が無いことは、このような病院通いにはもってこいだ。久し振りの受付だったので、問診票を書き、レントゲン撮影をして、診察終了まで2時間近くかかったが、前立腺癌で世話になっている日大板橋病院の思いをすれば、全然問題ない。どこに行っても年寄りだらけだなぁ、他人事のように思いながら、ぼんやりと高校野球を見て過ごす。典型的な高齢者である。有難いことに無職の高齢者は医療費負担が1割なので、医療費が790円に薬代が820円。薬は2週間分の筋肉の炎症と痛み止め、併用する胃薬、神経の痛みの抑制剤に、おまけのように筋肉を軟らかにする薬と湿布薬まで出してもらう。

最近どこへ行っても思うが、お医者さんが凄く親切で、患者の意見をよく聞いて「それならば、それも処方してあげましょう。」と比較的簡単に薬を出してくれる。何か所も異なる医者に掛かる結果になって、合計すると大量の薬を処方してもらっているが、薬局を1か所に絞っているので、記録がきちんとしているの筈。なれば複合汚染のような薬害は避けられるのだろう。まぁ、これが都会住まいの最大のメリットかもしれぬ。痛み止めが効くかどうか、暫くしなければ分からないだろうが、少し気が楽になった。

成程と思った「悪の凡庸さ」

今朝届いた高校時代の古い友人のメールで、教えられて感銘したことがある。簡単な書評が書いてあったのだが、カタカナで書かれた言葉が書名なのか著者名なのか分からなかった。実にお恥ずかしい限りの話で、ネットで調べてやっと人名であることが分かった。ドイツ系ユダヤ人でアメリカ人(外国にはこういう複雑な国籍表示をする人が多いな)の高名な哲学者だそうだから知っている人も多いことだろう。

女性の固有名詞で「ハンナ・アーレント」。いつも軟らかめの本ばかりしか読まぬ身としては、友人がどうすれば哲学なんて難しい書物を読む気になるのか、羨ましくもあるが不思議でもある。彼女の著作を図書館で借りるにも荷が重そうなので、ネットを見ていくと、一昨年に「ハンナ・アーレント」と言う映画公開されて、中高年層で結構評判になったようだ。その概略を読んだだけだが、成程彼女の言う事は説得力がありそうだ。

映画はハンナ・アーレントが、イスラエルのモサドに捉えられて裁判にかけられたナチスの戦犯アイヒマンの裁判を、エルサレムまで行って傍聴して「エルサレムのアイヒマン」を上梓する。中で本当にこんな男が罰に値するのかみたいことを主張したらしい。その結果ユダヤ人の友人やコミュニティから非難されても、思考を止めずに主張を続ける彼女の姿を通じて、思考することの重要さを訴えます。と書いてある。

彼女が言いたいのは「悪の凡庸さ」。初めて聞く言葉だったが、目から鱗の気持ちもあって今日のテーマにさせてもらった。要するにアイヒマンなんて自分の考えをまとも持てない馬鹿な男ではないか、と指摘したようだ。この映画の解説にこんなことが書いてあった。

以下は作家の小野正嗣さんと言う方の感想である。

「自分の考えとは違うけど、組織の中では『できません』と言えないことがたくさんある。組織の論理に従っているのです。この時代に限った話ではない。日本の戦争だってそうやって行われていますし、いま国会を通ろうとしている秘密保護法案だってそうでしょう。安倍政権の論理からすれば、これを通すのがいいとされる。あなたはアイヒマンではないですか、とこの映画は問いかけているのです」

たとえば、東日本大震災で露になった原発の問題もそうではなかったか。環境のため、安定した電力供給のため、コスト削減のため、と信じて推進してきた原発の恐ろしさを震災が起こってはじめて考えるようにな…

日本礼賛(笑)

先日、個人的な思いとして、幸せな毎日を過ごせているようなことを書いた。個人的な思いだから、どのくらいの方に共感を憶えて頂けるかは分からない。ひょっとすれば、俺がこんなに苦労しているのにノー天気なことを書きやがって、と不愉快に感じた方もおられることだろう。そのことは先ずもってお詫びしなければならない。実は小生も、政権与党の憲法など無いかの如き傍若無人の振る舞いを見せつけられると、酷い国だなぁと思ってまう今日この頃だ。しかしそこは持って生まれた楽天的性格ゆえ、それでも日本人に生まれたことを喜ぶべきだと自らに言い聞かせている。

中には、税金が安いからシンガポールに移住するとか、リタイアしたら外国に移住したいなんて話もよく耳にするが、当然ながら極めて少数だろう。放射性物質が垂れ流しだの、格差が拡大だのと、あらゆる面からとんでもない政権だと毎日のように書き綴っているものの、外国に出て行く気はさらさらない。居住する池袋界隈は都内でも外国人居住者が多いと聞く。確かに飯屋やコンビニの店員は殆ど外国人ばかりと言っても過言ではない。きっと近い将来には病院や介護施設なんかのお世話になれば、そこでもたくさんの外国人にお目に掛かることになるだろう。

近くに朝鮮系の学校があることを思うと、朝鮮半島出身の家庭も多い筈だが、彼等を外国人と見分けることはとても出来そうにない。日本で働いたり学校に通う人達の殆どは、信仰する宗教や忠節を誓っている国家に違いがあるのかもしれぬが、日本人固有の社会規範に則って暮らしているように思う。本当のところは違っていて、テロリストが猫を被っているだけかもしれぬが、先ずそんなことを考える暇人は少ないだろう。

要するに日本で生活している限り、周りの人間の人種なんかを気にする必要は皆無に近い。たまたま買い物の際、文句を言っても通じないなんて事が起っても不思議はないが、残念ながら経験したことが無い。どんな田舎に行こうと日本語が通じるのは当たり前だが、外国に行くと必ずしもそうではないらしい。まして日本語が通じる外国なんて、知る限りでは台湾とか韓国とかハワイの観光施設ぐらいのものだろう。

婆さんの友人など1年に最低3回は海外旅行をしないと気が済まぬそうだが、今朝の朝食時に、「何が面白くて行くのかね」と話題になった。北アフリカのチェニジアの首都チェニスの博物館でテロ事件があって邦人…

笑われるかもしれぬが

老い先が短いからと言って将来への不安が無い訳ではない。少し心配に過ぎるかもしれぬが、世界的な大混乱、はっきり言ってしまえば第3次世界大戦が近づきつつあって、日本が巻き込まれる可能性が高まってきているような気がしてならない。第2次世界大戦終了から既に70年、戦後すぐ国際連合が出来て、今や世界殆どの国が加盟し、曲りなりにかもしれぬが戦争防止に役立って来た筈だ。

とは言っても、この間戦争は数えきれないくらい発生して絶え間なく、地球上で戦争が全く無かった時代は無いのかもしれぬ。その戦争のどれをとってもアメリカとかロシア(ソ連)とか中国とかの大国が関係している。皮肉と言えば皮肉でもあるが、大国同士が緊張関係の中で、敵になったり味方になったり手段を尽くして牽制しあいながら、大国同士が直接話し合う場の国連の存在が不幸を最小限に留めてきたと信じたい。我が国は70年前の終戦で、米軍の占領下に置かれて以来一貫してアメリカの庇護のもとにあるので、この間の様々な戦争にお手伝いをさせられてきたし、戦争直後に軍隊は持たないと言う憲法まで作ったものの、軍隊同様の自衛隊まで持ってしまった。

ここまでのことも厳密に考えれば文句を言う人もいるだろうが、個人的には町内会費かお祭りの寄付程度に考えて余り気にせずに来てしまった。しかし、先日のプーチン・ロシア大統領のテレビインタビューでの「核攻撃の準備」云々の発言を耳にして、何で彼がいまここでこんな発言をするのか不思議に思い、急に不安に駆られてしまった。一昨年のソチ・オリンピックの頃からアメリカ大統領がソチに行かないとか、G8がロシアを外してG7に戻るとかもあったが、余り気にせずに来てしまったが、米露関係は想像以上に悪化しているかもしれない。

その根本的要因が何であるか理解できないが、どうも一つの要因として経済問題が絡んでいそうだ。経済となるとお金の問題やら資源の問題があって益々迷路に嵌ってしまう。要するに複雑すぎてちっぽけな脳みそではイメージできない。たまたま今月発売の文藝春秋4月号の特集テーマは「見たことの無い戦争が始まった」である。主に中東の動乱を取り上げて、中東の紛争を理解するうえで国家とか国境の持つ意味に疑問を投げかけてもいる。どうも外近年世界で起こり始めている戦争は、中東に限らず国家の意思で制御が難しくなっているのではと心配になってくる。

更に…

意見の一致は良いけれど

急に春めいた天候になって生き返る心地がする。しかし残念なことに昨日から腰の具合が芳しくない。無理な体操をしたとか怪我をしたわけでもないのに、昨日の朝から急に左腰痛みを感じて、歩き方がぎこちなくなってしまった。婆さんが心配して、自分が整形外科の先生から処方してもらった大型の湿布を張ってくれたので、今朝は少し楽になったような気がしないでもないが、いつも通りのピッチでは歩けない。

とは言ってもこの好天気なので、リハビリのつもりで永田町の国会図書館まで行ってきた。往復すると8千歩程で、永田町駅には階段が150段ほどあるので良い運動にはなる。特に読みたい本があったわけではないが、持ち歩いていたメモに「重信メイ」とあったので、彼女の著書を斜め読みしてきた。日本赤軍の最高幹部重信房子とパレスティナ人男性との間に生まれた(1973年)子供である。重信房子が2000年11月に大阪府警に逮捕されるまでは、レバノンで育ったがずっと無国籍者であり、身分も明かすことが出来なかったらしい。

しかしベイルートのアメリカン大学で国際政治学を学び大学院でジャーナリズムを勉強している時に母親の逮捕の知らせがもたらされる。この報せで、予て母と示し合わせてあったようだが、日本に房子の娘と名乗り出て日本国籍を確保する。著者が27歳の時であるが、それまで彼の地における生活は平和国家の日本人からするとかなり異質であり、ハリウッドの映画とかスパイ小説を地で行くようなものだ。そして現在は日本とレバノンを往復して中東問題専門のジャーナリストとして活躍中とのこと。日本でもCSテレビの解説者として2年ぐらいは出ていたらしい。、

例のイスラム国による人質殺害事件の時に名前を知ってメモしておいた。ロシアとウクライナの関係も似たようなものだが、中東問題にしても地球の裏側のことなど何の知識も無い小生如きボンクラには何も分からない。しかし幸か不幸か日本のジャーナリズムは右寄り左寄りと少しは見解に差がありそうな格好は付けているが、根底に於いては大差がない。どの報道をとっても、ウクライナ問題で言えばロシアのプーチンが悪人だし、中東問題はもう少し複雑とは言え、ISなる疑似国家組織が極悪人であることだけは一致している。

プーチンは軍隊に罷り間違えば核兵器まで持ち出して他国の領土を自国に併合するし、ISはパレスティナあたりとどう違うかよく…

小さな幸せ

来月から保険証が変りますとの書留郵便が届いた。後期高齢者になると、今まで2枚で使用しなければならなかった保険証が1枚になるらしい。それは良いのだが、その1枚が現在使用している「高齢受給者証」と同じサイズの大判で財布に入れる訳にいかない。2枚が1枚になるのは結構だし、老人には大盤であることが使いやすく見やすいなどのメリットがあるそうだ。しかし、これまで名刺サイズの保険証の方を年齢証明用に持ち歩いていたので、不便さも生じることになろう。

何事も万人にとって利点ばかりといかないのは世の習いだから、この程度のことで文句を言っても始まらぬ。それにしても、遂に後期高齢者の仲間入りとは目出度くもあり、目出度くもなしだ。年相応に身体的にはあちこちに不具合が生じているが、思い返せばこれまでかなり好き勝手に過ごしてきた。この間多くの人の世話になったが、世間様他人様のお役にたつことが殆ど無かったことは残念と言えばそうかもしれぬ。せめて他人様に余り迷惑を掛けず、過ごしてきたことを願うばかりだ。

幸い近年は家人以外の他人様と接する機会が少なくなっているので、何らかの要因で生活態度が変わらない限り、他人に迷惑を掛ける心配だけは確実に少なくなっている。恐ろしいのは病に倒れることだけだろう。考えれば寂しい気持ちもあるが、これが普通の人生と言うものなんだろう。ソーシャルネットワークなるmixiを若いスタッフに教えてもらって日記を書きだしたのが2005年10月のこと。卒業シーズンに入っていることを意識したせいか、後期高齢者を意識したせいかは分からぬが、何となく2005年分の日記を読んでみた。

当たり前だが、10年前も現在も考え方に進歩が無いこと改めて驚くばかりだ。人間だれしも他人のために生きている訳ではないだろう。小生とて同じだが、この約10年間はサラリーマンを辞めた気楽さから、特に気ままに生きてきた感がある。兎角ままならぬ事だらけの世の中だが、今のところ、やりたくない事をせずに過ごせることが最大の喜びとして生きている。この消極的喜びの発見故に、積極的夢や希望を見ることが無くなってしまったかもしれぬが、これはこれでハッピーなことでもある。

いつまでこの我儘がいつまで通用するか分からぬが、現在程度の健康状態が1日でも長続きするよう努力するしかないだろう。

本当にそうなら目出度いが

3月も残すところは半月となってしまった。通常でも年度末は駆け込み工事が多いとしたものだ。ご多分に漏れず、先週は我が家の前でも水道管の取り換えとかで道理が掘り返され何日も埃に悩まされた。どういう手順になっているか知らないが、何故か今のところ未だ仮舗装である。いつきちんと復元してもらえるのか、区役所にでも問い合わせてみたら、水道局の事務所に確認してくれとのこと。確認しても担当者不在で現在返事が来ていない。

暇な老人の面白半分の問い合わせに付き合っていられる程暇じゃないのも分かるような気がする。なんたって今日は週末でもある。東京にいると、公共と民間を問わず工事現場が多いことを実感せざるを得ない。一応住宅街と言える我が家の近辺でも、工事現場が多く、ここ数年は朝事務所に出勤(?)途中にすれ違う作業員数が極端に多い。但し、作業員さんたちも全員勤め人のようなもので、車で飯場小屋に出勤して着換え、仕事が終われば車で帰ってしまうので、隣の飯屋で500円の定食を食べるなんて贅沢する人は少ないようだ。

彼等もどこかで稼いだお金を消費するのだから、日本経済に貢献してはいる筈だが、こういった土木や建設工事で日本経済はどれほど良くなっているのだろうか?近くで見ていても、大きな工事は大抵元請にスーパーゼネコンと称する大手土建業者が入っている。恐らくそれらの企業は儲かっているだろうし、社員の皆さんもそれなりにお鳥目を上げてもらっているかもしれない。似たような話は輸出関連の自動車業界とか、兵器産業でも言えるかもしれぬ。

何れも日本産業界を牽引する立派な企業だろうから、彼らが高利益を上げるならば、連られて日本全体の景気が良くなっても良さうだが、どうもそのリンクがうまく機能していないようだ。一部大企業の社員は良くても、現場で汗を流すのは昔風に言えば日雇い労務者であったり、アルバイト社員だ。数的には圧倒的に後者が多くて当たり前。上流にいる一部の人には景気が良くて、下流の労働者はそれ程でもないのだろう。上流下流と言えば、昔仕事をしていた広告業界あたりでも、企業自体が元請と下請けに階層分化し始めているらしい。

年金生活者だからどちらの階層でもないが、更にその下に位置することになるのだろう。衆議院での締めくくり総括質疑を聞いていると、基礎年金生活者は元々基礎年金だけで生活できる筈も無い、てなことを厚労大臣が当…

柄ではないが、幼児教育の基本について

やっと春の訪れが実感できる天気になったので嬉しい限りだ。欲張ってはいけないが、四温と言うのだから4日は続いてほしいものである。毎日生き続けることだけが目的の人生みたいで良くないが、他に大した目的が無いのも事実である。何となく本を読んだりして、昔の人は偉いなぁと思うことが多いが、自分にとっては時すでに遅しのことばかりだ。大体江戸時代以前歴史に名が残る人は長生きしなかった人が多い。織田信長ならずとも大方の人が、人生50年と考えて生きていたのかもしれぬ。

人生を長さを思う以前に、古来日本人は富貴貴賤に関係なく、物心つく頃から先ずどのように生きるべきかについて、親なり養育者から教え込まれて育ったのではないだろうか。武士は武士らしく百姓は百姓らしくである。そして今後の人生に於いて敬意を払うべき対象と、自己の律し方等を当たり前のことして教え込まれたに違いない。勝手に想像を逞しくしているだけだが、例えば江戸時代に百姓の子供は、世の中には階級(身分差)があることや、自然を相手とする以上、人間同士の身分差以上に逆らえないのが気候の変動だったと教えられたかもしれぬ。残念ながら我が世代からは、戦争に負けたお陰で、如何に生きるべきかの教えが薄くなった、或いは無くなってしまったと言える。

武士の子供も武士らしくするために如何なる挙措振舞いが必要かについて、何処の家庭でも似たような教育があったものと思いたい。幼児教育で次に考えられるのが人格教育で、士農工商を問わず「正直であること」が強調されたのではなかろうか。徳目にはいろんな種類があったろうけど「嘘つきは泥棒の始まり」とか「お天道様が見ている」ことが最重要項目であったような気がしてならない。武士は百姓農家が国の基と教えられ、百姓は武士が国を、或いは田畑を守ってくれると、成人する10代前半までに教えられたことだろう

「正直」が最重要徳目の一つは日本人の常識と考えたいが、現代の永田町を見るにつけ、ここでは全く常識が違うようである。特に国会議員ともなれば江戸時代の侍に勝るとも劣らない立派な権力者である。その中でも政権に連なるものは権力者中の権力者であり、リーダーとして国民の模範となることが必要だろう。我々俗人が他人を顧みず己の経済的利益の追求にうつつを抜かすのはご時世としても、これと同じ程度の公徳心であっては国の先行きが案じられる。

政権を構成す…

歴史に学ぶ難しさ

春先の3寒は我慢したいが、先週末あたりから5日くらい寒い日が続いているような気がする。今日もそこそこ陽射しはあって、あちこちで満開の河津桜や寒桜を見受けたが、風が強くてやけに冷たい。男の子は寒いとか暑いとは言ってはいけません、と教わったような気もするが、男も老人となるとからきし意気地が無くなる。1日も早く寒気が去って南風が吹くことを望むばかりである。

なんて身勝手なことばかり考えているが、もう数週間以内にはそめい吉野の花が咲き、江戸は春爛漫となるだろう。それも束の間で、あっという間に暑くてやりきれないみたいことを書くに違いない。この季節の移ろいのせいだろうか、どうも過去を忘れっぽいのは小生だけに限らず、日本人に特有の刹那主義のようにも思える。誰にとっても現在が一番大切であり、現実の環境下で精一杯の努力をするのは当然だ。ましてや少し辛抱していれば、冬の次には暖かい春が来ることが決まっているのだから。

暑さ寒さの対応はそれで万事OKだが、社会的問題の殆どは過去とか未来を相当慎重に見据えなければ、妥当な判断が出来ないのも又当然のことだ。過去の不都合が未来に於いて再び起こることは、取り敢えずないことにしようでは済まないことはごまんとある。個人的諸問題についてもこれまでに様々な判断ミスがあったが、この年齢に至ると徐々に経験に即した判断が出来るようになってきたつもりだ。

いつの間にか兄弟を含めた家族関係の中では最年長者になってしまった。必然、同時にもの忘れも甚だしく、痴呆に至らぬまでもボケも進んでいる。今後は出来るだけ独断に走ることなく、まだ未成年の孫を含め年下の家族の意見を尊重するようにしたいものだ。実はこのセリフ、父が現在の小生の年齢74歳で叙勲を受け親授式で母と一緒に上京した際、在京の小生がお祝いの席を設けた時に、父が次のように語ったことを思いだしてのことである。

「これまで小過は多々あったが大過なく過ごせたのは、このお母さんや家族の協力の賜物だ。老いては子に従え、と教えもあるように、今後はできるだけ皆さん(同席はしていなかったが兄弟全員もさしたのだろう)の邪魔にならぬよう、また大事なことはよく話し合うようにしたいと思います。」とか何とか言っても、父は91歳で永眠するまで唯我独尊的ではあった。勿論、多々あった筈の小過についても具体的反省はついぞ聞かずじまいである。

小生…

ドイツ:メルケル首相突然の来日

ドイツのメルケル首相が来日されている。昨日到着して今日には出発なので、僅か2日間の滞在である。我が国の首相は大騒ぎをしてあちこちにお出かけになるが、主要国のトップが何らかの会議以外の目的で来日されるのは珍しい。メルケル首相の目的が何であるか定かではないが、表向きには6月に独南部エルマウで開催される主要7カ国首脳会議(G7サミット)の議長国として、安倍晋三首相に協力を要請とされているようだ。しかし、この理由付けだけではどうもしっくりこない。

メルケル首相の来日は今月に入って急遽決定したようだし、今朝発表されている行動と発言をざっと見る限り、僅かな日程の中でかなり積極的に行動して、単なる親善を超えて相当日本に対して踏みこんだ発言をしている。しかし、日本政府がこの訪問をどのように受け止めているかが問題である。天皇陛下との会見は一応無事設定できたようだ。当たり前の話で、幾ら陛下がご多忙であろうとドイツ首相の来日に際して、宮内庁の役人が1ヵ月ルールがあるから駄目だなんて言える筈も無い。

安倍総理との会談も当然設定されたが、何の目的でどの程度の時間が割かれたかこれも定かでない。公開された共同記者会見は4人の記者からの質問を含めて約25分。これを見る限り、メルケル首相が日本政府に何か注文を付けに態々来日されたことは明白だ。原発再稼働に対する疑問など、国内問題にも疑問を投げかけているが、流石にこれは内政問題だから、あまり踏み込むことは難しかっただろう。会見の最後にドイツ人記者が安倍総理への質問で「何故再稼働の必要があるのでしょうか?」との投げかけに、メルケル氏のにんまりした顔と質問にまともに返事をしなかった安倍総理の顔が対照的だった。

日本の内政は付録みたいもので、メルケル氏の本当の狙いが日本の外交姿勢を糺すものであったのはほぼ間違いないだろう。記者会見の中で安倍総理は半分以上の時間約15分を使って、いつものようにメルケル首相とは旧知の中で互いに心を通じ合っていることを強調したうえで、国内経済政策でも外交についても価値観を共有していることから、多くの点で意見が一致した。と延々と農協改革や女性が活躍する社会云々まで引っ張り出して自慢げに語っている。引き換えメルケル首相は、混迷の度を深めつつある現在の国際経済と平和問題について、自ら如何に苦悩しているかを率直に述べた後に、その解決、仲…

老後頼りの綱

4年前に東北地方に莫大な災害をもたらした津波や原発事故。この災害の復旧が遅れて、未だに仮設住宅住まいの方が沢山居られるようだ。特に津波で家を失くされた方は、元の家屋や土地の処分が思うに任せないとなると、他の土地を見つけて移住するとの決断は容易でないだろう。行政は勝手に線引きしてここから先は住宅建設を認めないなんて言い出したら、土地を売ることなんか殆ど不可能になる筈だ。

日本人には家と土地が大きな財産だから、預貯金が無くても土地さえあればと思っていた人も多いだろう。我が家も多分そうだろうと思う。家計は一切タッチしていないので詳細は分からないが、現役時代に稼いだお給料自体が知れた額なので、家人がどんなにやりくり上手であっても預貯金がそんなにある筈もない。辛うじて都内の家屋敷、と書けば景気が良いが、僅か40坪の敷地に古色蒼然たる築半世紀以上の陋屋が存在している。猫の額のような土地に古い兎小屋を置いたようなものだ。

しかしこれが余生の唯一頼みの綱で、家さえあれば年金で食べていけないことはないだろうし、どうしても現金が回らなくなったら、これを担保に生活資金を調達するまでと気楽に考えていた。しかし情けないことを書くのは気が進まないが、先週たまたま年金基金の控除証明を受け取って、これが健康保険料の支払金額にほぼ見合っていることが分かった。しかも、この基金が近い将来消滅する可能性が高いらしい。

現在の年金でぎりぎり暮らすのがやっとだから、基金からの収入がが無くなると、保険料の支払いは乏しい貯蓄の取り崩しになる。それ以前にすべきは、現在昼間快適に過ごしているこの事務所の閉鎖だ。そんなに長生きしなければ良いが、万が一5年も10年も長生きをすれば、どこかの時点で事務所の閉鎖は勿論で、更には猫の額を何とかしなくてはならない事態も起こらないとは言えないだろう。考えても気が重いが、津波や原発事故で自宅の価値が無に等しくなってしまったお年寄りのことを思えば、益しと思わなければならない。

少しは救われる思い

我が国の刑事裁判で検察が起訴したら99.9%が有罪となっているそうだ。理由の如何は分からないが、世界的に見ると北朝鮮の100%に次いで2位で、名誉なことなのかは分からない。昨日1審で無罪判決が確定した岐阜の美濃加茂市の藤井市長の収賄事件は極めて珍しいケースだったらしい。贈賄側の供述で警察が逮捕して拘留は2ヵ月にも及び、以来約8か月にしてやっと無罪判決となった。本人の心労は察するに余りあるが、主任弁護士の郷原信郎氏でさえ判決が出るまで気が気ではなかったようだ。

自身のブログに次のように書いている。

「藤井市長逮捕から結審までの約半年、弁護人としてやれることはすべてやり尽くした。私としては無罪判決を確信し、自信を持って判決言渡しに臨むつもりだった。
しかし、判決が近づくと、私の胸中は次第に穏やかではなくなっていった。
我々弁護人が、公判で立証し、弁論で明らかにしたことを、そのまま裁判所が認めるとすると、検察の面子は丸つぶれであり、このような事件で現職市長を起訴して有罪論告を行ったことについて、組織内外で重大な責任を問われかねない。
これまでの日本の刑事裁判における検察と裁判所の関係、とりわけ、今回のような社会的、政治的に極めて重大な影響を及ぼす事件に対する裁判所の一般的姿勢からして、本当にそのようなことができるのだろうか、結審から判決までの間に、裁判所が変節してしまう可能性はないだろうか、そのような不安が次第に大きくなっていった。
しかも、マスコミ等を通じて伝わってくる検察側の感触は、「判決には全く心配していない」というものだった。」
https://nobuogohara.wordpress.com/から引用

それもその筈で検察側の証人となった贈賄側の人間は、別の差詐欺罪で既に有罪が確定しているが、裁判時の於ける証言は見事に整合性が整い、論理矛盾が無いように仕立てられていたとのこと。そしてそのことは裁判長も認めているくらいだったらしい。にも拘らず、常識に照らしてその証言の欺瞞を見抜いて市長側に無罪判決を下した名古屋地裁の裁判長鵜飼祐充氏は相当胆力のある人だったのだろう。

郷原氏が指摘する我が国の検察と司法(裁判所)との関係からすると、一般人に当たり前のことが当たり前で通らないものらしい。検察が控訴するかどうか、控訴した場合上級審が如何なる判決を出すか予断はできないが…

前立腺癌の治療方針説明

今日は病院で前立腺癌の放射線治療について詳しいコンサルテイション。年齢が40歳も下の若いお医者さん(しかも同じ信州人)だったが、非常に丁寧な説明で完全に納得がいった。これまでにも泌尿器科で概略の説明は受けていたが、放射線の専門医に聞いて大分新しい事実が分かった。今月導入された新しい機械による療法は入院が必要とのことで希望しないとしていたのだが、新しい機械は運転が不慣れなので、泌尿器科の先生は慎重を期す意味で入院してくれとのことだったらしい。

従来の機械とどのように違うかと言えば、照射の範囲を細かに設計できるので、極小の照射で隣接する直腸への影響を従来型に比べ少なくすることが可能になるらしい。要するに副作用リスク(これが実に多岐にわたる)の一つがより少なくなり得るとのことだ。たまたま日大板橋病院では今月から運用を開始したが、世間一般的にはそんなに新しいと言えるほどの機械ではないらしい。2,3か月も使えばこちらも大分慣れてくると思うので、入院して頂く必要は無くなるでしょう。と聞かされたので、なればと言うことになった。

幸か不幸か小生の場合、前立腺が直径約5センチと異常に肥大しているので、照射範囲を出来るだけ小さくする意味から約3か月の予定でホルモン療法に入っている。順調に行けば約3か月で70%くらいに縮小する筈なので、それから放射線科の予約を入れるようにしましょう。とのことで次回放射線科の予約は6月15日に決定。当日MRIで精密な測定をしてまだ十分縮小していないと言うことになれば、ホルモン療法をもう少し続けて頂くことになるかもしれません。としっかり留保条件も言い渡される。

結果が良くて6月から放射線照射が始まると、7週間から8週間近く土日を除いて毎日通院での治療となる。時々腫瘍マーカーをチェックしながらの治療になるが、40回以上の照射はしてはいけないことになっているらしい。都合37回か38回、お盆を挟むことになりそうなので、今年の夏は山登りは勿論、墓参りもパスすることになりそうだ。入院したと思えば、その程度のことは我慢しなければならぬだろう。

医療事故の報道が続くが、群馬大学の例などでは、特定の医師の独断が不幸な事故の原因にもなっているような気がする。その点日大板橋は、専門医療の垣根を越えて泌尿器科と放射線科の先生同士の話し合いが非常にスムーズに行われているのが分かっ…

日本人の戦争

戦争の経験が無いので、戦争について軽々しくコメントできないのは承知の上で書く。安保法制整備の準備作業として与党内での協議が続いている。公明党は政府が提案していることについて、当初はかなり慎重な姿勢と報道されていたが、昨日の報道を観る限り早々と、条件付きとか何とか言いながら容認の方向らしい。座長高村氏の厭らしい笑顔が癪の種である。公明側は難しい顔をして見せても政権の甘い香りには勝てないのだろうが、情けないことだ。

選挙のたびに態々静岡から電話をしてくる家内の友人が居る。その度に「公明党が政権内部に留まっているのは権力欲ではなくて、自民党の暴走を食い止めるため」と言い訳をするそうだが、この体たらくでは言い訳も通じないだろう。所詮同じ穴のムジナかもしれぬが、婦人部がよく黙って見過ごすものだ。選挙活動には熱心でも、政治の中身に関心のあるご婦人は少ないのかもしれぬ。

ご婦人よりむしろ現役の自衛隊員が、この集団的自衛権の解釈変更で海外派兵が容易になることについて嫌悪感が強いようである。海外での邦人救出作戦なんてが実行不可能であることぐらい素人にも分かることだ。太平洋沖で大阪のテレビ局キャスターの辛抱某を、転覆しかかった小舟から海上自衛隊員が飛行艇に吊り上げることが出来たのは目出度い限りだ。

しかし与党協議では、先日イスラム国で誘拐された後藤健二さんやアルジェリアの石油施設襲撃の際人質となって亡くなった人たちの救出を前提としているような話だ。仮に当事国の同意が取れたとしても、現役自衛官からすればとんでもない話だろう。少なくとも現役の自衛官は、国内外を問わず命の危険が伴う実戦への参加は想定していない筈だ。近くに住む元自衛隊員と一緒に山登りをしながら話をしていて思うのは、自衛隊は健康的だし、心身ともに教育的でもあり、経済的にも素晴らしい就職先と考えていることである。

彼は現在立派な看護士になっているので特別かも知らぬが、同様の考えが少数派とは思わない。嘗て石破氏が、入隊時に一旦緩急の際は自らの生命を顧みず、との誓約書を貰っていると得意気言っていた。そんなものは提出していようといまいと関係ないだろう。第一提出先の自衛隊のトップは総理大臣で、以下防衛相と続くが、幹部の中に実戦経験者は一人としていない。だから、幹部自体が実戦に際してどんな行動をとるか分かったものではない。せめて幕僚長以下…

悲しからずや道を説く君

現在進行中の衆議院予算委員会での政治資金絡みで、最も悪質だと思うのはどう見ても下村文科相だろう。道1本渡れば板橋区なので、この人のポスターは毎日のように見ている。邪心を感じさせない穏やかな顔をしているが、予算委員会での答弁を聞いて、とんでもない人間だと言うことがよく分かった。文科省の前身、文部省と言えば教育を専らに司る役所だ。科技庁が一緒になったからとてその本質が代わって良い筈は無い。

成人前のイメージでは、東大や京大の総長が勤まるような一流の教育者が座るポストと考えていた。調べてみると、少なくとも昭和も50年代前半くらいまでは、余りギラギラした人間は就任していないようであるが、昭和59年の森喜朗氏あたりから、なんでこの人が文部大臣なのかと首を傾げたくなる。国公立の教育機関が多いので、政治家の嗅覚に何かが引っ掛ったのだろう。義務教育の荒廃とは言わないまでも劣化や、雨後の筍みたい大学の乱立で、大学生の学力低下が指摘されて久しい。

与党政治家やご用学者連中は何かと言えば、これを全て日教組の所為にしようとする傾向があって、一般人は半ばそう思い込まされている節がある。如何に聖職と言われようと、教職員と雖も労働者であることに違いは無いのだから、組合を組織することは別に問題は無いだろう。組合に参加したことが無いので、これ以上はコメントできないが、子供や学生の学力について主たる責任を取るべきは明らかに行政の方ではないだろうか。

教職員が不謹慎な社会問題を起こすのは論外だが、行政側にもしっかりしてもらいたい。ましてそのトップに座っている大臣が、テレビ中継が入っている国会の場で不名誉な問題について追及を受けるのは恥とすべきだ。現代は国会議員の先生様もお金が沢山必要なようで、金集めに躍起になるのはよく知られている。なぜそんなにお金が必要かよく分からないが、文科相だからと言って清ましてもいられないのだろう。他の大臣と同じように、法律違反ぎりぎりと言うか、バレなきゃ良いだろうでやってしまったことは仕方ないとしよう。

ゴメンで済めば警察は要らないが、仕方ないとしなければ内閣が消滅してしまう。(笑) 問題はその謝り方である。余りにも文科相の品位に欠ける。質問者を恫喝するのは、せめて総理だけに留めてもらいたいものだ。自分の非を認めるのは辛いかもしれぬが、非は非とした方が国民が納得するかどうかは…

春が待ち遠しい

昨日病院に行って注射を1本打ってもらい、帰りに会計すると約5千円。1割負担なので約5万円の治療である。加えて4週間分の薬が処方されていて、これが2千円強。併せると約7万円とはびっくりした。癌治療が始まったことを実感せざるを得ない。癌保険のテレビコマーシャルがうるさいほど流されている訳が分かるような気がする。

未だ放射線治療は始まっていないが、今週金曜日は放射線科の診察とコンサルがあるとのことで、再度来院を要請される。その際「よければご家族もご一緒に」とのこと。勿論、婆さんにもその気は無いが、そんなことを言われると何か大事かと勘違いしそうだ。「前立腺癌なんぞ病気のうちに入らない」と励ましてくれる友人もいるが、放射線治療が始まると通院回数が格段に増える筈だ。入院より益しと判断した結果だけれど段々気が重くなってくる。

下らぬことでくよくよしたくないが、何やら腰まで痛くなってきた。相当気を付けて朝晩柔軟体操をしたりしているが、どうも事務所の椅子がよくないのかもしれぬ。何と言っても12年前にリサイクルショップで4500円で購入した代物。これで座り心地が良けりゃ罰が当たる。あと1か月で目出度く後期高齢者の仲間入りだ。日常的に不具合が発生しても不思議は無いのだろう。

財布の中が心配になって、区役所に電話してしまった。お馴染みの国民健康保険課に問い合わせると、後期高齢者医療に関することはこちらではお答えしかねますので、担当に電話を回しますとのこと。幸い医療費1割負担は変わらないらしい。医療費が高額になれば一定額以上が還付されるのも変らないとのこと。冷たい北風が吹いているが雨は夜になってかららしい。事務所から池袋まで約2.5kmの間に河津桜が1本だけあって、今日の寒空にピンクの花が3分咲きになっていた。

彼岸まではなかなか本格的な暖かさにはならぬだろうが、春が待ち遠しい。

閣僚=イエスマンばかり

安倍総理が戦後70年となる8月15日に、世界に向けて総理談話を出したいそうだ。どうぞ勝手にしてくれだが、なんでも戦後50年には村山談話があり、60年にも小泉談話があって、似たようなことを述べている。簡単に言ってしまえば「日本は、過去に於いて戦争をおっぱじめて世界中に迷惑をかけたが、敗戦後は反省して世界平和に貢献してきたし、これからもそうでありたい。」何百年経とうと概念的には変更のしようがない。別に70年目に何か言う必要もないとは思う。

しかし出したいならどうぞ、だが恥をかかないように注意する必要がある。趣旨が違わぬ限りそんなに難しい作文でもなかろう。国語能力に自信が無いのは分かるが、先ず自分で作文して、与党内でそれこそ識者に添削してもらえば済む程度の話だ。それを半年も前から大勢を集めて意見を聞く騒ぎになっている。結果如何なる美辞麗句を連ねることになるか分からぬが、本心では先の大戦への反省が足りないのだから、木に竹を接いだような文章となるのは目に見えている。恥の上塗りを指摘するする側近が居る筈もない。そのことが問題だ。

故郷北信濃の小藩に須坂藩がある。ここの殿様が幕末に15代将軍徳川慶喜の若年寄で外国奉行を務めていた、名前を堀直虎と言う。長野高校の同期生でも須坂から通っていた人以外は、殆ど知らないのではないだろうか。自分も知ったのは1年か2年前のことである。知ったきっかけは思い出せないが、強烈に印象に残っているのが次のことである。

徳川慶喜は慶応4年(1968年)正月、前年から京都を鎮静するためにと称して、自ら出陣して大阪城にいたが、幕軍の鳥羽伏見の戦いでの敗戦の知らせを受けると、軍艦に乗船して江戸城に逃げ帰ってしまう。当然江戸城内では連日の重役会議になる。その時に若年寄外国奉行だった堀直虎(28歳)が慶喜に向かって直言する。要するに「大政奉還して王政復古の道を進めるには、将軍一人が腹を切れば済むことだ。そうすれば公武合体も上手くいって、徳川家も安泰だろう。」と言った趣旨を決然と言い放ったらしい。

正確な記録が無いので真偽のほどは定かではないが、非常に分かりやすい話である。そしてその時、慶喜は黙って席を立ってしまったそうだ。当然「俺は切腹は嫌だ」の意思表示だった。それを見て、堀直虎は、もはやこれまでと思ったのだろう。屋敷に戻らず江戸城内で切腹してしまったそうだ。如何…