2015年3月12日木曜日

柄ではないが、幼児教育の基本について

やっと春の訪れが実感できる天気になったので嬉しい限りだ。欲張ってはいけないが、四温と言うのだから4日は続いてほしいものである。毎日生き続けることだけが目的の人生みたいで良くないが、他に大した目的が無いのも事実である。何となく本を読んだりして、昔の人は偉いなぁと思うことが多いが、自分にとっては時すでに遅しのことばかりだ。大体江戸時代以前歴史に名が残る人は長生きしなかった人が多い。織田信長ならずとも大方の人が、人生50年と考えて生きていたのかもしれぬ。

人生を長さを思う以前に、古来日本人は富貴貴賤に関係なく、物心つく頃から先ずどのように生きるべきかについて、親なり養育者から教え込まれて育ったのではないだろうか。武士は武士らしく百姓は百姓らしくである。そして今後の人生に於いて敬意を払うべき対象と、自己の律し方等を当たり前のことして教え込まれたに違いない。勝手に想像を逞しくしているだけだが、例えば江戸時代に百姓の子供は、世の中には階級(身分差)があることや、自然を相手とする以上、人間同士の身分差以上に逆らえないのが気候の変動だったと教えられたかもしれぬ。残念ながら我が世代からは、戦争に負けたお陰で、如何に生きるべきかの教えが薄くなった、或いは無くなってしまったと言える。

武士の子供も武士らしくするために如何なる挙措振舞いが必要かについて、何処の家庭でも似たような教育があったものと思いたい。幼児教育で次に考えられるのが人格教育で、士農工商を問わず「正直であること」が強調されたのではなかろうか。徳目にはいろんな種類があったろうけど「嘘つきは泥棒の始まり」とか「お天道様が見ている」ことが最重要項目であったような気がしてならない。武士は百姓農家が国の基と教えられ、百姓は武士が国を、或いは田畑を守ってくれると、成人する10代前半までに教えられたことだろう

「正直」が最重要徳目の一つは日本人の常識と考えたいが、現代の永田町を見るにつけ、ここでは全く常識が違うようである。特に国会議員ともなれば江戸時代の侍に勝るとも劣らない立派な権力者である。その中でも政権に連なるものは権力者中の権力者であり、リーダーとして国民の模範となることが必要だろう。我々俗人が他人を顧みず己の経済的利益の追求にうつつを抜かすのはご時世としても、これと同じ程度の公徳心であっては国の先行きが案じられる。

政権を構成する者の金の問題にせよ不倫関係問題にせよ、余りにも次元が低過ぎはしないか。法律に違反するとかしないの問題ではない、犯罪者ではなくても人間性の根本に問題がある。彼らが現代の子供たちに道徳教育を、と唱えるとは全くブラックユーモアである。どうすれば是正できるか分からないだけに悩ましい。

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