2015年3月11日水曜日

歴史に学ぶ難しさ

春先の3寒は我慢したいが、先週末あたりから5日くらい寒い日が続いているような気がする。今日もそこそこ陽射しはあって、あちこちで満開の河津桜や寒桜を見受けたが、風が強くてやけに冷たい。男の子は寒いとか暑いとは言ってはいけません、と教わったような気もするが、男も老人となるとからきし意気地が無くなる。1日も早く寒気が去って南風が吹くことを望むばかりである。

なんて身勝手なことばかり考えているが、もう数週間以内にはそめい吉野の花が咲き、江戸は春爛漫となるだろう。それも束の間で、あっという間に暑くてやりきれないみたいことを書くに違いない。この季節の移ろいのせいだろうか、どうも過去を忘れっぽいのは小生だけに限らず、日本人に特有の刹那主義のようにも思える。誰にとっても現在が一番大切であり、現実の環境下で精一杯の努力をするのは当然だ。ましてや少し辛抱していれば、冬の次には暖かい春が来ることが決まっているのだから。

暑さ寒さの対応はそれで万事OKだが、社会的問題の殆どは過去とか未来を相当慎重に見据えなければ、妥当な判断が出来ないのも又当然のことだ。過去の不都合が未来に於いて再び起こることは、取り敢えずないことにしようでは済まないことはごまんとある。個人的諸問題についてもこれまでに様々な判断ミスがあったが、この年齢に至ると徐々に経験に即した判断が出来るようになってきたつもりだ。

いつの間にか兄弟を含めた家族関係の中では最年長者になってしまった。必然、同時にもの忘れも甚だしく、痴呆に至らぬまでもボケも進んでいる。今後は出来るだけ独断に走ることなく、まだ未成年の孫を含め年下の家族の意見を尊重するようにしたいものだ。実はこのセリフ、父が現在の小生の年齢74歳で叙勲を受け親授式で母と一緒に上京した際、在京の小生がお祝いの席を設けた時に、父が次のように語ったことを思いだしてのことである。

「これまで小過は多々あったが大過なく過ごせたのは、このお母さんや家族の協力の賜物だ。老いては子に従え、と教えもあるように、今後はできるだけ皆さん(同席はしていなかったが兄弟全員もさしたのだろう)の邪魔にならぬよう、また大事なことはよく話し合うようにしたいと思います。」とか何とか言っても、父は91歳で永眠するまで唯我独尊的ではあった。勿論、多々あった筈の小過についても具体的反省はついぞ聞かずじまいである。

小生も又婆さんに言わせると、反面教師の側面がそれこそ多々ありそうなので、敢えて自ら反省の弁は語らないし、結構独善的かもしれぬ。今日は4年前に東北地方で大災害が発生した日に当たる。流石に4年前の記憶は誰にとっても失くなってはいないだろうが、今年からは新基準で原発は再稼働になりそうだ。まして、70年前に戦争に負けたことを知っている人間も未だ沢山いるが、戦争がどうして始まったか、何処に間違いがあったかについては殆ど忘却の彼方のようである。

わが国特有の人間の性(国民性かな)と言ってしまえばそれまでだが、歴史の語り部が必要と痛感せざるを得ない。取り留めないが、2日続けて図書館で歴史関係の本を読んだ帰路、国会周辺に掲げられた半旗を見て思った。

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