2009年5月29日金曜日

新型インフルエンザの盲点

豚インフルエンザなんか関係ないとは思っているが、弱毒性と強毒性の違いが分からなったし、よく考えると細菌とウィルスの違いも知らなかった。同じような人が多いと思うのでぜひこの映像を見てください。
村上龍さんが丁寧に解説してくれます。
http://video.msn.co.jp/rvr/ryu_gen_higo/default.htm
090526更新版です。序に090519更新版も面白いですよ。やはり頭が良い人は違います。

2009年5月28日木曜日

雨が降ったので思い出した

又忘れてしまった。一昨日が亡き父の誕生日。今日になって雨が降り出したので二日遅れでやっと思いだした。老人ボケのせいではない。さすがに自分の誕生日だけは忘れないが、嫁や娘たちの誕生日と結婚記念日については、「覚えているか言ってみて。」と催促されればどうにか年月日は出てくるものの当日に思い至る事はめったにない。その度に婆さんに嫌みを言われるので努力はするのだが、未だに失念する事が多い。

そこに行くと嫁と娘たちは偉いものだ。生きている爺さん婆さん曾婆さんは勿論、死んだ曾爺さんや曾婆さんくらいまでの誕生日は常に頭に入っているようだ。序に言うと仏の命日とか戒名なんかまで記憶している。こちらの脳みそははとてもそこまで記憶する余裕がない。つい先日にも「6月21日は娘夫婦や孫たちが来るから空けておいて下さい。」と言われ「ああ良いよ。」と答えたのだが、翌日事務所に来て手帳を開けると山に行く予定が入っていた。

帰宅してからその旨報告すると「え!?」と変な顔されてしまった。当日は「父の日」なんで、皆さん態々小生のためにお運びいただくとの事だ。しかし山行きの方も、連れて行ってくれる人が一度設定した日にちを小生の都合に合わせて大分前に変更してもらっているので参ってしまった。娘たちには婆さんから取りなして頂く事にしたが、今や家庭内の当主でありながら些か面目ない。どこかの党首が指摘するように、ご好意や友愛精神をいささか無にするのは良くない事だ。

自分の子供の頃、誕生日には母がよく「おはぎ」を作ってくれた。が母や父の誕生日に子供であるこちらから何かしたとかお祝いを言った記憶が無い。自分の誕生日以外で行事食の記憶があるのは盆に正月、クリスマスぐらいのものだろう。母の日、父の日についても、婆さんに聞くと結構昔からあったらしいが、結婚前は知らなかったと思う。時代がそうだったのか、我が家が特別だったのか、今となっては知る由もないが、この歳にになってこの性格と言うか、習慣というかどう仕様も無いだろう。せめての供養に日記を書こう。

何年か前の日記にも同じ時期に同様の事を書いた事を思い出した。父は兎に角雨男だった。自分もどちらかと言えば雨男かもしれない。鬱陶しく感じる事が無い訳ではないが、田舎家に一人居て軒下から滴る雨だれや雨足をじっと見ていると気分が落ち着くような気がする。今は只都会のぼろアパートの中でプラスティックの波板をたたく雨の音をぼんやり聞いて遠い昔を思っている。この音の強弱がちょっと面白い。音痴だから「雨に唄えば」とはしゃぐ事はないが、日本は瑞穂の国、日本人にとって雨は大いなる恵みはずだ、嫌いになる理由はどこにもない。考えてみれば自分にとって親父も雨と同じだ。

2009年5月26日火曜日

核実験、新型インフルエンザ、官邸の危機管理

参議院で補正予算審議の真っ最中である。そもそもこの補正そのものが実にいい加減、政府が必要な仕事のために補正予算審議を国会に要求するのではなく、なんでもいいからまず予算をつけさせてからゆっくり使い方を考えよう、と言う事があまりに見え透いている。第一政府は参議院の審議なんか最初からあっても無くても同じ、30日間幼稚園の生徒と遊んでやっているような雰囲気だ。ならば参議院なんか無くしてしまえと言うのが婆さんの言い分だが、ある意味尤もである。

インターネットで昨日今日の予算委員会を中継を垣間見ていると、政府の緊張感のなさがひしひしと伝わってくる。昼間からこんな中継を見る暇人はそう多くはないだろうが、暇な老人にはぜひ見てほしいものだ。特に昨日は北朝鮮で核実験があった。官邸ににもたらされた第一報は気象庁の地震観測所からのものであった。総理はモーニングを着て外出中、外務大臣は外遊中。参議院に呼びつけられた外務副大臣は元スケート選手で有名な橋本聖子さんである。今朝の新聞にも少し書いてあったが橋本さんが可哀想だった。

フェミニストの小生としては民主党もせっかく副大臣になった彼女をあんなに痛めつけなくてもと思うが、
副大臣という立場は伊達ではないのだからもう少し真剣に備えるべきだろう。要するに役人も官邸も危機意識なんか全く無いし、参議院をなめ切っているのだ。参議院をなめるのは百歩譲るにしても、日本の政府そのものが、北朝鮮も置くとして、同盟国である米国からさえ蚊帳の外に置かれている事が露呈しているのは情けない。霞が関中(防衛省を含め)の役人が官邸を見習って昼寝をしているようなものだ。

官邸の中枢にある首相、官房長官とそのスタッフは、どう見てもこの国について何らかの問題意識を持っているようには見えない。たまたま所属政党の事情で図らざるポストにありついているだけだから仕方がないとしよう。新型のインフルエンザの危機に見舞われても、テレビで勇ましい姿を放送してもらえると喜ぶのが関の山だろう。まして昨日の核実験に直面しての体たらく、総理曰く「私の限界を超えているのでコメントしようがありません。」だ。正直と言えば正直だが、では誰がこの国の将来を見据え真剣に考えを巡らせているのか?もしかすると野党にはかなり真剣に考えている人がいるかもしれない。しかし野党の政治家では政府内部で国民のために働く事が出来ない。

愚考するには、やはり役人がしっかりしていないと困る。それもポリティカルアポインティーにならない程度の、あまり偉くない中堅ががっちりしていないととんでもない事になるのではないか?小生も若い頃にいろいろな省庁の役人と付き合った経験があるので思うのだ。当時からおそらく今でも、霞が関の官僚諸氏は、「霞が関の行政こそが、常時集積されている日本中のファーストハンド情報をハンドリングする日本で最大最高のシンクタンクである。」と豪語していたものである。序に言えば「この情報を駆使する秀才の宝庫でもあり、残念ながらその墓場でもある。」とも付け加えたものだ。

ところが昨今の事情は見ると、なまじ政治家のリーダーシップや官邸機能の強化が打ち出されてきた事によって、霞が関官僚諸氏のモラールが著しく低下しているやに聞く。元々エリート官僚は一つのポストに長居はしない。故に彼らは責任を問われないのだ。その良し悪しは置くとしよう。エリート官僚の下には職人のような古だぬきが居て情報の集積を保持している筈である。それを時のエリートがいかにハンドリングするかに彼らの仕事のだいご味がある筈である。それがどうもそうではなくなっているようだ。日本最大のシンクタンク機能が弱体化し、情報の集積機能が破壊され、結果的に官邸の危機管理能力の低下につながっているとすれば大変な事である。

少し横道になるがアメリカのCIAとか NSAが如何なる機能を有しているか知らないが、こんな事を思い出した。小生が就職した46年前、先輩が「大学時代NHKのニュースを毎日英訳してCIA提出するアルバイトをしていた。」と話してくれた事を思い出す。防衛省にせよ外務省にせよ、自公政権であれ共産党は兎も角として民社党政権であったとしても、そんな事とは関係なく緊密なパートナーシップを確立している同盟国のカウンターポジションとの間で情報のやり取りは緊密でなくてならない。ところが今回のインフルエンザや核実験において、日本の役所が同盟国からも蚊帳の外に置かれていた実態が明らかになったのは実に由々しき事ではないか。

本当はアメリカのように民間に優れたシンクタンクが存在して、政府機関との間で人材が行き来すれば一番良いのだろうが、現在の日本で旧「満鉄調査部」的なシンクタンクを出現を期待するのは先ず無理な相談だろう。アメリカのランド研究所に匹敵させたいのが経産省傘下のアジア経済研究所なんて事も聞いたような気がするが、一体どんな調査をしているのだろう。民主党が政権を取っても役人が機能しないとなると危機には対応できるはずも無い、とても心配だ。

2009年5月25日月曜日

日記と漢字検定

ブログを読んでくれた友人からの便りに、「自分も日記は毎日書いているが、漢字を忘れないために手書きをしています。」とあった。まさに汗顔の至り、パソコンを毎日重宝して使っていると漢字はものの見事に書けなくなる。勿論筆記用具で文書を書いたら、訂正の連続が真黒で読めないほどになるだろう。
日一日と身体のあらゆる器官が老化をしているのだろうが物忘れの度合いは酷いものだ。約束の日にちや時間、待ち合わせ場所など、どうしてこんな勘違いが起きるかと言う事が頻繁に起きる。そのうちに徘徊老人になるのではと自分でも心配している。

話を戻して「漢字」の話。昨日テレビのクイズ番組で「ネギを漢字で書け」と言うのがあった。クイズ番組で算数や理科については小学校低学年の問題もはじめから出来っこないので聞き流すのだが、国語についてはつい真剣に挑戦したりしてしまう。婆さんと二人で真剣に考えたのだがどうしても出てこない。回答者のタレント(最近のタレントは学習院出の総理より頭の良さそうなのが結構多い----婆さんに言わせると東大や京大を出てタレントをしているのも結構いるのだそうだ、あまり馬鹿ではタレントにもなれないとの事)10数人居たが、正解者は一人だけだったようだ。

「葱」パソコンであれば何の問題も無い。手書きで書けなくてもそんなに大きな問題ではないだろう。漢字検定なる制度なんか全く必要が無いとも思っている。むしろ正しい日本語の使い方、話し方や書き方
を学校で真剣に教え、公共の電波に乗る人たちが見本となる日本語を使うようにしてほいいものだ。

2009年5月21日木曜日

カフカ短編集 池内 紀編訳

あと1年を待たずに70歳、ふと己を振り返ると、社会現象に理解不能な事が余りに多く世の中と言うか娑婆の変遷についていけなくなりつつある事に気が付いた。家族の中では最年長、先生と言えばせいぜい碁会所の先生ぐらい。半端な仕事をしていると言っても経済の動向なんかはちんぷんかんぷん。既に周りには将来にむけて必要な知識を注入してくれる人も無く極めて寂しい限りの存在になっている。

それでも必死に60億人もいるというこの星の過去現在や未来を知ろうと、本や雑誌を何の脈絡も無く手当たり次第に読んだりするが、内容については事は読んだそばから忘れていく始末。第一普通の人が生涯で読む事が出来る本の冊数なんてたかだか5000冊程度のものだそうだ。ここ3年あまり、本を読んだら必ず読後感を書くようにしているが、実績で言えば精々1年に50冊くらいか。なるほど生涯で5000冊読みこなす人は相当な読書家と言えよう。

また読んだ本で記憶に残っているものは殆ど無い。半世紀以上前に読んだ本について残っている断片的記憶の方が多いのかもしれない。典型的ボケの始まりである。

さて肝心の感想であるが、何が書いてあったのかさっぱり分からない。分からなかったという事だけが分かっている。なんでこの本を買ったのだろう?確か最近の新聞か雑誌にカフカの「変身」と言う小説について「面白い」と言った事が書いてあり、それでついこの本を買ってしまったのだ。作者についても全く知識がなく、肝心の「変身」は収録されていなかった。何でもそんな大昔の作家ではないが、日本で言えば大正時代の人らしい。生国はチェコ?のプラハ、ヨーロッパについてはよく分からないが昔はロシアの一部だったのかな。分からないことだらけだ。

作者自身が「自分が死んだら、残された原稿はすべて焼却してくれ」と友人に依頼していたとの事。その友人が作者の依頼を裏切って世に出してしまったらしい。本来この世に存在しないはずだから、カフカさんも俺みたいな奴に読まれてしまって、残念かもしれないが、読んだ方も意味が分からないのだから良いではないか。

2009年5月19日火曜日

インフルエンザ

関西ではインフルエンザが流行って大変な様子だ。関東に流行するのもそんなに先の話ではないだろう。孫の小学校の運動会が今月30日か31日と聞いているので、そこに引っ掛からないようにしてもらいたいと願っている。昨年までは秋に行われていたのが今年から学校の方針が変わったらしい。何と言っても爺が大手を振って娘の家に行く事が出来る年に一度の機会なんだから。我が家は婆さんがルールを決めていて、爺がのこのこ娘の家になんか行ってはいけない、という事になっている。例外がこの運動会で、婆さんが大の運動嫌いのため代参で爺の出番になっている。

と願ってみても相手が目に見えないウィルスの話だから駄目な時は駄目。今週末から来週の頭たりに東京も汚染されて、石原慎太郎が「23区内の区立小中学校の1週間休校」を宣言する次第になりそうな気がしてならない。東京が汚染されると孫の運動会は兎も角、月末の仕事にも随分不都合が生ずるのだろう。東京でもマスクは入手が困難になっているらしい。元々あんなに格好の悪いものは嫌いだから買う気も無いが、あんな代物でウィルスを防ぐ事が出来るのだろうか?まして「手洗いを」というのも、非科学的に思えてならない。

感染する時は感染するのだから、高熱が出たら医者に行く、これは誰が考えても普通の話。対処はその時に初めて、医者が診察した後に考えてくれればいい。テレビで大騒ぎする前に娑婆中の医者にタミフルだか何だか処方薬をしっかり配給するのがまず最初のアクションだろう。豚とか鳥とかは知らぬが、その上パンデミックなんて聞いた事も無いような言葉を並べて脅しやがって。3度も嫁をとっかえているネズミ男が「冷静に行動してください」が聞いてあきれる。お前こそ「医学的知識が無いのに知ったような顔をしやがって!分からない事を偉そうに喋るな、黙っていろ!正確な情報を把握してから的確な場所に的確な指示を出し、会見は専門家に任せろ。」と言いたくなる。

マスコミももう少し頭を冷やした対応が考えられないのかね。大阪の知事さんも東京まで文句を言いに来るくらいだから余程頭に来ているのだろうが、一番迷惑しているのは日本中の内科のお医者さんだろうな。誰かが厚生労働省は要らないと言っていたが、本当に官僚が考える医療行政なんて碌な事が無い。

2009年5月18日月曜日

高校同期会と高原雨中散策

一昨日の土曜日長野で高校の同期会があって出かけた。長野駅に着くと集合場所は大勢の同期生が集まっていた。何と言っても卒業以来50年、皆どこかのお爺さんですぐには誰かを判別できない。実は5,60人集まった中で、一人どうしても思い出せない少し若造りの人が居て挨拶の言葉もかけそびれていたのだが、この方が岩手と言う遠方から駆けつけてくださった恩師であったとは。教師と言う職業が若さを保たせているのだろうか。しかしいくら劣等生とは言え失礼千万誠に恥ずかしい限りだ。



先ずは物故者の法要との事で2台のバスに分乗して善光寺に向かう。入学当時440人ほどいた同期生も既に60数名が亡くなっているとの事。全国に散っていった同窓生の情報をこれだけ詳細に把握しているのは、同期会の世話役をボランティアで長年続けているU君の努力の賜で感謝と敬服の他ない。善光寺に近づくと折から7年に一度のご開帳の真っ最中で大変な混雑。どうやって本堂に入るのかしらと心配するが、そこはちゃんと善光寺の末寺というか周辺のお寺の子息がやはり同期にいて段取り良く、雑踏を避けて坊さんが脇から誘導してくれる。



参道のどよめきの気配を後ろに感じながら本堂の祭壇の正面、畳の上に同期生100人以上神妙に整列、と言ってもこちらは胡坐をかく、多分正座をしているのはほとんど居なかったのでは?やがて坊さんが登場、メインの坊さんと脇に左右5人ずつ、実に立派なものだ。最後には物故者の名前を一人一人読み上げる非常に丁寧な法要。読経の後に11人の坊さんが祭壇の前をぐるぐる回る。南無阿弥陀仏と聞こえたようなので多分浄土宗の作法なんだろう、ご開帳善光寺と書いた紙吹雪と言うかお札のようなものを各坊さんががまき散らす。たまたま最前列に座っていたので何枚か拾って後ろの人に渡す役回りをした。 自分も1枚しまいこんで土産にしたが、婆さんが昨年生まれた孫のところに持って行くとの事。
法要が終わると全員が順番にご開帳になっている前立ち本尊様を拝礼、右手の指先から出ている糸(これが本堂の前に建てられている御柱に繋がる縄の源流になっている)を間近に拝むことが出来た。



法要が終わって全員で飯縄山麓の宿に移動、夜は110数名の大宴会。学び舎を共にして以来半世紀ぶりの友も多数、一晩語り合っても尽きぬ思いだ。と言っても皆年寄りなので馬鹿飲みしたり馬鹿騒ぎはしない。思い思いに座を乱して固まりいろんな話に興じている。楽しみが尽きない。しかし翌日曜日は朝からゴルフ、登山、高原ハイキング、そば打ち体験、乗馬と盛りだくさんの行事が控えている。自分も登山に参加する予定だったので11時には割り当てらあれた部屋で寝てしまった。



日曜日早朝、昨夜からの雨はやまない。朝飯を済ませて登山支度にかかると同室の人が登山は中止との事。がっかりしたが、リーダーは長野県山岳協会の会長まで務めた山の大ベテランで、責任者としての的確な判断であったのだろう。ややがっかりしながらリーダーのもとを訪れると「面白い場所に案内します。」何かと思えば戸隠名産「根曲がり筍」を採りに行くとの事。登山予定者は昨晩までは12人との予定であったが、天気の加減で不参加者が出て結局7人で出発。登山予定だった飯縄山の裾を回って戸隠の中社に向かう。



車を停めたのは中社スキー場、リフト乗り場のすぐ近く、しきりに雨が降っているし人影はまったくない。精々1時間か1時間半ほどの行程だからとの事で、リーダー以外はリュックを車に残しビニールのショッピング袋を二袋ずつもたされて出発。スキー場を中腹まで登ると綺麗な水が流れるな用水路に出る。戸隠は何度も来ているが初めての道だ。リーダーに聞くと、毛無山に登って行くのだそうだが観光客が少なく夏などは絶好のハイキングコースとの事。朝霧の中から鳥の鳴き声が聞こえるだけで見通しは殆どきかない。


道すがらリーダーが草花について次から次へと解説してくれる。今度覚えたのは沢山咲いていた二輪草だけだが。リーダーが突然1本の木の枝を折って渡してくれた。「匂いをかいでみろ。」受け取ると成程すごくいい匂いだ。和菓子を食べる時に使う「クロモジ」の原木だそうだ。葉っぱてんぷらにすると絶品で、枝を焼酎の瓶に入れて2か月もすれば焼酎が飴色に変わり大変にうまくなるとの事。更に登りながら山菜を見つけ「これがタラの芽、これがコシアブラ」と教えてくれながら摘み方を示してくれる。



山頂まであと100m位かなといった場所でリーダーがリュックを置いた。ここが目的の「根曲がり筍」群生の穴場だそうだ、全員藪こぎをして中で探そう。との合図で皆やぶの中に潜る。ところが残念、時期がまだ少し早かったようで見つからない。10分程でリーダーから止めようと合図があり、今日はここから降りながら先ほどの山菜を摘むことにする。帰りしなその気になるとリーダーはそれぞれの群生地をたやすく見つけて「はい、ここで○○」と手際よく全員に山菜が行き渡るように誘導。お陰で全員がビニール袋いっぱいの山菜を摘むことが出来た。



それより何より今回感激したのは全く新しい山歩きの楽しみ方を教えてもらった事だ。こういった楽しみ方については何度も人から聞いたり本で読んで知ってはいたが、こうして実際に教えてもらわないと分からない。今まで山行きと言えば殆ど一人でただひたすら喘ぎながら登るだけだったような気がする。自分でも「何が面白くて?」と思ったり、家人を含め他人からは「銭を貰っても行きたくない」とか「馬鹿ねぇ」とよく言われたが、考えてみると確かに否定できない面もある。ところが今回は雨の中ではあったが、全く違った、文句なしの楽しみだった。



大勢でわいわい言いながら歩くので疲れを感じないし、周りの植物にも晴天とは異なる水分を含んだ美しさ、あるいは清らかさが濃厚だ。散策は半日で終了。宿に帰って風呂を浴びた後ゆっくりと握り飯を食す。爽快そのものだ。夕方採った山菜を土産に自宅に帰り、早速婆さんにリーダーから教わった調理法を伝えて料理を頼む。下の写真をご参照願いたい。採った山菜5種類。左から「コゴミ」「タラの芽」「コシアブラ」「エンダラ」「クロモジ」だ。もう1枚は料理の一部、左は「コゴミ」の白和えとタラの芽のてんぷら。茹でた「コゴミ」を豆腐であえた、豆腐にわずか引きごまが入っている。これが真っ先に出て来て後は全ててんぷらにして順次出してもらった。普段飲まないはずのビールを飲まない訳に行かない。





このところ2週続けてビールを注文したので婆さんが「また350ml缶を買っておかなきゃね」と言いながら500ml缶を持ってくる。案の定コップ1杯ぐらいは残してしまったようだ。山菜は残らずきれいに食べた。 これからもこんなハイキングが出来る事を願いながら。

2009年5月15日金曜日

ニュースキャスター

テレビで「ニュースショウ」なるものが朝な夕なと繰り返し放送される。確かに一市民の立場からすると新鮮なニュースを出来るだけ多く知りたいという気持ちがある事は否定できない。特に朝の「ニュースショウ」では新聞記事を網羅的に紹介までしてくれるので便利でもある。夕方から夜にかけてはでニュースキャスターやらコメンテータがお揃いでニュースの解説までしてくださる。だからテレビのニュースショウを見ない日は殆どないくらい毎日必ずどこかで見る事になる。

冷静に考えれば自分に関係のない出来事を事細かに知ってどうするのだ、知る必要も無いではないかとも言える。我が娘などは相当に割り切っているようだ。確かにそうではあるが、自分の場合暇なせいもあるかもしれないが、この情報収集の習慣をやめるのは相当にきつい。一種の中毒に陥っているようなものだ。実態は分からないが、結構似たような生活習慣を持つ人が多いのではないだろうか。

このように吸収された情報が知らず知らずにこちらの脳に刷り込まれて、結果的に世論形成に重大な影響を及ぼしている事については誰にも否定できないだろう。昨近小沢民主党代表の秘書逮捕以来メディアの功罪が論じられている。特に、検察のリークに乗って世論誘導している、と言う事言う向きも結構多い。本当にそうなんだろうか?昨晩古館伊知郎の「報道ステーション」で鳩山由紀夫との対談を見ながら考えた。

古館さんは鳩山氏を舌鋒鋭く攻め立てる。「国民が知りたい事は・・・・です、でも残念ながら満足な答えは頂けませんでした。」
彼はニュースキャスターという役に徹しているのだろう、対談相手を十分に知っている訳でもなく、好きでも嫌いでもないだろう。それはそうだ、元々がプロレスか競馬の中継が専門のアナウサーだったのだから。台本通りに無邪気に精いっぱい視聴者に媚びているにすぎない。私は嘗て番組を作り送り出す側にいたのでよく分かる。

彼は彼なりに真面目に役をこなしているのだ。彼の一語一語が視聴者の脳にどんなインパクトを与えるかと言う事について考えてみろ、または責任を持てと言われても困るだろう。問題は番組に出演するコメンテータも視聴者に媚びていると思う人が多い事だ。視聴者に媚びてさえいれば、どんな時でも「視聴者の方は、或いは、国民は」と言っておけば コメンテータも責任追及される心配はないだろう。

メディアはいつも市民の側に立ち正義の味方のような顔しているが、この事も少し深く考えると結構怖い事だ。幸徳秋水のようにジャーナリストとして信念を貫いて死刑になったのではたまらないと言う事も分かる。しかしもっともらしい事を言いながら、自分には何も意見が無いというのも困った事かもしれない。

2009年5月14日木曜日

五月晴れ

今日のように爽やかな日は1年のうちで数えるほどしか無いのでは。幸い仕事も少なかったので爽やかな風を感じながら小1時間散歩をしてきた。主なる目的は明後日長野に帰る電車の切符を購入する事で、特に何を考えるでもなかったがやはり脳裏をかすめたのは長野で過ごした少年時代の日々だ。

今日のように気持ちの良い日はよく近くの山に行って爽やかな風に吹かれて青空をぼーと見上げていたものだ。丁度今日と同じで特に何も考え事をするわけではなかった。いろんな空想を楽しんだものだ。詳しくは思い出せないが何を考えていたのだろうか。70歳を目前にたどり着いた現在の姿を想像だにしていなかったのは間違いない。

今日ただ風に吹かれてビルの谷間を歩きながらあの日の自分の姿が思い出された。場所は明後日同期生と集う高原の原っぱ、大きな鳥居がポツンとあって少し離れて林の下につつじがたくさん咲いていた。眼前に大きな飯縄山がでんと聳え立ち、遠くには残雪の北アルプスが連なっていたっけ。数人の友人と車座になって取りとめのない話をする。内容は何も覚えていないが「松籟千古の楽を奏す飯縄の原」と誰かが言った。何故か今でもこの言葉だけが記憶に残っている。そしてこの山に戸澤白雲斎や猿飛佐助が昔実在した事を信じて疑わない自分がいた。


昭和30年代前半の日々、自分は空想にせよ自分の将来についてどう考えていたのだろう。70歳を目前にたどり着いた現在の姿を想像だにしていなかったのは間違いない。少年時代に最初に憧れたのは、先ず「侍」「侠客」、これを現代に置き換えると最初は「ヤクザ」かと思っていた。マジな話で高校生の頃までそんな気分でいたのだから世間知らずと言うか非常識もいいところだ。

今にして思うとやはり普通の人と変わっていたのだろう。可愛がってくれた祖母がそんな性格を心配してか、当時出来たばかりの防衛大学の受験を勧めてくれた時はもう3年生になっていた。学力はかなり落ちていたが、調べてみると入学試験がその年の秋、しかもかなり狭き門である事が分かり、すぐ諦めてしまった。

担任の先生はまさかこいつが進学するとは思っていなかったかもしれない。しかし3年の夏休みに自分としては密かに大学に進学する決心をした事を知らないだろう。きっかけはある事件と防衛大学を出て自衛隊に入る事を勧めてくれた祖母の言葉にあったと思う。折角の祖母の思いとは全く違う人生を歩いてしまったが、風に吹かれて取りとめのない事を思い出した。

2009年5月12日火曜日

麻生総理

昨日発売の「文芸春秋」を読んでいたら面白い事が書いてあった。”「4年で4人」総理の通信簿”と言う記事で小泉、安倍、福田、麻生の4人の総理を3人(政治評論家の御厨氏、元鳥取県知事の片山氏、時事通信解説委員長の田崎氏)がそれぞれに採点しているのだが、3人ともどの総理にも50点以上の点を付けていない。中でも麻生総理に対しては3人とも最低の評価でかなり手厳しい。

昨日民主党小沢代表の辞意表明があったばかりだが、雑誌は先月末には編集が終わっている筈。にも関わらずタイミングを外さない記事になっているので編集者もホッとしているだろう。記事中で成程と思ったのは片山氏の発言でこういうのがあった。

「権力と言うものは使い方を間違えると国の行く末を過つことになる。---中略---権力を持つことへの恐れと言うか、そういうものが麻生さんには感じられない。15兆円使っても、妙に明るいでしょう。実は財政破たんした北海道の夕張市のかつての市長がああいう感じだったのです。ハコものをどんどん作ればいいんだ、後は政府が全部面倒みてくれる、というノリだった。」

要するに麻生総理は勘違いしているというか、国民をなめ切っていると仰りたいようだ。言いえて妙というか非常に分かりやすい解説だと感心した。楽しみにしていた党首討論は流れてしまったが、悪党小沢が暗躍するこれからの政局が見ものだと思う。

2009年5月11日月曜日

大山詣で


昨日の日曜日、五月晴れとの予想だったのとプールが定休日だったので大山に登る事にした。
丹沢方面は初めてなので土曜日にガイドブックと地図を購入。当初は山友達のメールにあった鍋割山に行こうかと思ったのだが、丹沢の奥深い山で日帰りには無理そうだったのでケーブルカーもある大山詣でにする事にした。登山路は何本もあるが、ガイドブックで研究の結果一番易しそうなヤビツ峠からのコースにする。

8時半前に小田急線秦野駅に到着するとヤビツ峠行きバス乗り場には既に10数人の列ができている。8時55分発の予定だが行列が伸びてきたので、少し早目に乗車を始め8時50分満車で出発9時半にヤビツ峠登山口に到着。既にかなりの人が集まって登山準備をしている。こちらは特に用意する事も無いのでザックを背負って出発、いつもの気楽な一人旅だ。整備の行き届いた登山道をマイペースでゆっくり登って行く。途中見晴らしの良い場所に来ると富士山がうっすらと見えて気持ちが良い。


標高差は500m程だが10時15分に山頂に到着。山頂は大山阿夫利神社の奥社があり、広くてベンチも
沢山完備してかなりな人数を収容できそうだ。お天気が良い事もあり大勢の人が休んでいる。こちらも木陰を見つけて一休み、やはり東京の板橋から一人で来たオジサンと言ってもこちらより大分若い人とベンチを分かち合う。互いの健康法について語り合う。この人はザックに5kgのダンベルを入れたものを背負って、庭に置いたビール箱の上り下りを毎日40分しているのだそうだ。体力的にもシェイプアップにも効果てきめんだそうだ。





2時間近くゆっくりして12時になったしシャツも乾いたので下山する事にする。相席したおじさんに聞いた道で取りあえずはケーブルカーの終点にある大山阿夫利神社の下社を目指す。登りにこの道を選らばなかったのは正解だと思うほど急な降りだ。途中に綺麗な滝があり、豆腐と水で有名な事を思い出させる。1時半頃下社に到着、なかなか立派な神社で参拝客も多い。茶店で氷いちごミルクを食べる、すっかり夏気分。ここからケーブルカーとも思ったが、茶店のねえさんが「女道」と言う下山道を行けば1時間かからずに行けますよ。との事だったので歩いて下る事にする。


ところがこの「女道」が大変に険しい下りで、女がこれなら「男道」はどんなに大変な事だろうか余計な心配をしたくなる。慎重を期して降り、3時前に無事下山、麓の茶店「滝の湯」で入浴。少し狭いが熱くて良い風呂だった。未だ客が少ない時間だったのでゆっくり汗を流し着替えをした。風呂から上がってもなかなか汗が引かない。ビールを飲みたいと思ったが三ツ矢サイダーで我慢。早めに帰宅したので久しぶりに家でビールを注文。500ml缶を1本空けようと思ったが、やはり少し残して婆さんに笑われてしまった。



昨晩は久しぶりにゆっくり、たっぷり寝る事が出来た。やはり毎年毎年山歩きはきつくなる。後何年山歩きが出来るのだろうかと心配だ。昨日の山も登りが約2.2km標高差約500m、降りが同じく3.2kmと約900mと数字上は大した事が無い里山だが今日の筋肉痛は甚だしいものがある。悲しい事だが仕方がない。

2009年5月8日金曜日

政権交代

小沢一郎氏の秘書逮捕から早くも2か月以上が過ぎてしまった。最初の報道に接した時は、これは大変な事件が起きたものだ、やはり日本では政権交代は容易な事ではないなと感じた。勿論CIA謀略説やら国策捜査、内閣と特捜検察のグル説、検察の暴走等々所説を聞き及ぶと何れも尤もであるようなないような。結局どれも正鵠は得ていないという事だろう。

興味を持ってその後の報道などを見ているが、被疑者の大久保秘書が起訴されて以来テレビや新聞の報道に関連報道が極端に減っているのが不思議でならない。小沢氏もあまり表に出てこなくなったので残念に思っていた所連休が明けたら急に党首討論を民主党の方から申し込んだとの事。

小沢一郎という人物は「馬鹿を相手にしない」という、こちらにとっては比較的分かりやすい行動をとってきたので「え?まさか!」と言う感じ。どうせ噛み合わないとは分かっていても実現すれば必見だろう。

世の中の空気を読めば、政権交代のためには代表交代の方が話は早そうで、民主党員の大部分はそのように願っているのだろう。しかし悪い事をしていないと言っているし悪い事をしている形跡も無い代表に、表だって「辞めてくれ」とは言えないので内心相当にやきもきしているのだろう。確かにネット情報なんかだけで言えば、ここで辞めたら民主主義が死んでしまうてな事まで言っている評論家のおじさんが沢山いる。

小沢氏自身も自らの身処出来については政権交代実現のための一点で決める。と言っているようである。彼も相当に悩ましいところだろう。いくら戦略戦術的に見て合理的と言う判断があったにしても、やましい事が無いのに辞めるという事になればこれまでの政治スタイルを否定する事になって民主党の雑魚議員と同じ行動様式になってしまう。論理的整合を貫いて居座った結果が選挙に惨敗でも困った話だ。

傍観者ではあるがこちらも気がもめる。何が彼が取るべき道か判断できない。選挙がいつになるか分からないが、小沢氏も馬鹿ではないから相当に考えているのだろう。来週の党首討論を楽しみにするしかない。

2009年5月7日木曜日

壊れる日本人 再生編 柳田邦夫著

12編の評論で形成されているが、テーマは一貫して現代社会が内包している問題点或いは現代人が喪失しつつある重大なものを鋭く描き出している。何れも深刻な問題ではあるが筆致はユーモアと人間味に富み非常に面白く読める。

あとがきで筆者自身が語っているが、筆者の頭にずっと流れているのは「言葉」の問題である。それは「言葉と心」であったり「言葉といのち」であったりする。確かに人は「言葉」で力を与えられたり命まで救われることがあるのだろう。特に日本語はそのきめの細やかさにおいて類を見ないほど優れている、いたのではないだろうか。

逆に言えば人の語る言葉、書く言葉には命があり力がある事になる。筆者が心配するようにIT化が進む現代社会、或いは成績とかお金とかが人間性を測る基準になりつつある社会が大事なものを喪失せしめている事は事実だろう。しかしそれを失わないように努力している人たちもたくさん紹介して未来を絶望視していないのも好感できる。大勢の人に一読を勧めたい。

2009年5月5日火曜日

ルーツを訪ねて

我が本籍地は長野県上田市秋和にある。昔パスポートを取る時など、態々上田市役所に申請しないと戸籍を証明する書類が手に入らなかったので東京に移そうかと思った事もある。しかし何となくそのままで今日に至っている。生まれてこの方一度も済んだ事のない本籍地に居る従弟から、1か月ほど前に一族の祖先の墓の写真が送られてきた。我が一族の墓がある山の一番高い所にある天文15年に建立されたと刻まれている石柱である。長年ルーツ探索をしている親戚の話を聞きにいらっしゃいと誘ってくれていた。

間にも書いたが先月の身体検査で腰を痛めていた意味もあり、この連休はきつい山登りは止そうと決めていたので本屋で「東京近郊ミニハイク」という本を見つけて購入してみた。するとこの中に<遠くのすてきな山>なる章に上田の「太郎山」が掲載されていた。この山は我が本籍地の裏山で我が一族の墓地もその裏山である事は知っていたし、幼いころから父や親せきから話をいろいろ聞いて名前は親しんでいた山だった。この記事に刺激を受け早速従弟に電話をしたところ、「喜んで案内するよ」との事。

言葉に甘えて昨日早速上田に向かった。高速道路が1000円乗り放題と言う馬鹿げた制作のおかげと言うのも癪だが、東京駅も新幹線も例年になく空いていて気持ちが良い。普段の山行きに比べると比較的ゆっくりの8時15分の指定席で行く事が出来た。しかも従弟が昼飯も持ってくるなとの事、婆さんも大助かりだ。「願わくば今日は娘二人が帰って来て、孫3人とご亭主連の給食係でくたくたになるから日帰りをしないでゆっくりして来てくれ。」との事。

9時半上田駅に着くと従弟のヒロチャンが迎えてくれる。ところが彼の他に大人の女性が4人男性が1人子供が5人、何と総勢10人の出迎えだったのでびっくり。考えて見ればどこの家庭もこの連休は親元に顔を出すのが当たり前。彼の家でも東京にいる娘さん二人が帰省していたわけだ。とんだお邪魔虫で申し訳ないと思ったが後の祭り。仲間に入れてもらって太郎山ハイキングに向かう。登山口は我が一族の居住地とは反対の東の方、山頂のお宮の氏子である地区からになる。市民の山案内書に書いてあるだけあって娘さんたちは小中学校時代に何度か登山をしたものだとの事。

登山口から同じような家族連れが多い。我々も小学校5年生をかしらに3歳の子供までいるので賑やかで楽しい登山だ。標高差で600mほどあるのだが子供たちも頑張って2時間ちょっとで登頂。少し曇り気味で遠くの山までは見えなかったが上田市を一望する山頂は気持ちが良い。少し涼しいくらいで、夏山につきものの虫に悩まされることもなく山頂に大きなシートを敷いて盛りだくさんのお弁当を広げる。桜はもうヤマザクラだけで満開は山吹と言ったところだがお花見気分の大宴会となった。

帰りはいよいよ秋和口に向かう。11人全員が同じ口に降りたら車はどうなると心配したが、そんなものは後で誰かが取りに行けばいいのさと極めて暢気。登りに比べて道は圧倒的に細く険しい。その上3歳児は行きの疲れが出てぐずつきだす、大人が代わる代わる背負うとその背中で心地良さそうに寝込んでいる。お爺ちゃんは元気だからいいがお父さんお母さんはさぞお疲れだった事だろう。

秋和口に差し掛かるとあちこちに墓がある。このあたりは自分の土地を墓として登記しているのだ。1か月前に便りを貰ったはか所を全て案内してもらう。私の父はやはり若くして秋和を出て、戦後はずっと長野に居ついてしまったので長野に自ら眠る寺を決めて墓を作ったのでここには眠っていない。しかし叔父や叔母従兄妹達がずらっと眠っている。更に脇にそれて墓所の一番上に行くと天文年間の建立日が刻まれた石柱が数本建っている。墓石は現代のように立方体が整然となっていなくて正にごつごつして少し曲がった風情である。石もこの山から出る独特のものだそうで独特の風情。

墓銘は○○の守とあって明らかに武士の名前。武田信玄に仕えた武将で一族の寺には武田に忠誠を誓う起請文が残っているのだそうだ。<由緒正しい百姓の子孫>が父の口癖だった事を思い出して歴史の可笑しさを感じる。
従弟のヒロチャンと「今が一番大切で、まあ昔は知らぬが3,4代は人に覚えらているから恥ずかしくないようにしなきゃと言うもんだね。」と語りあった。今朝は朝の5時から田んぼに出てヒロチャンの野良作業をじっくり拝見。百姓仕事は大変ではあること、ものごとを管理する事については非常に貴重面に出なくてはいけない事を教わる。併せて仕事の合間に触れ合う地域の人の連帯感など知らない事たくさん学んだ。

父を知る人にも沢山出会う事出来て、千曲川漁業組合長のお宅では早朝のお茶やら今朝3時半に捕れたハヤなどをご馳走になった。沢山の先祖にお参りをして何れ遠からぬ時、そちらに参った折には宜しくとお願いも出来た連休であった。

2009年5月1日金曜日

忙しい1日 加えてPCの反乱

月末月初は仕事の関係から何かと忙しい。まして明日から5連休ともなるとさらに慌ただしくなる。
加えて昨日からメーラーの調子がおかしかったが今日遂に起動しなくなってしまった。サポートをしてもらっているスタッフに電話をして診断してもらうと、やはり何かが壊れているようですね、一度システムの全スキャンをしてみましょう。との事。windowsのシステムとファイルスキャンと言うのが1時間以上かかった。

メーラーは復旧したようだが2個のメールボックスに5万件以上のメールが入っている。これを削除したりするのに又30分以上掛ってしまう。勿論原因は分からない。1つ言えるのは昨日から調子が悪いので強制終了を何回か行っている。これが事態の悪化に輪をかけている可能性もありそうだ。理屈が分からずに使っているものが一旦反乱を起こすと本当に手に負えない。何とかお手柔らかに願いたいが、そうは問屋がおろしてくれない。