2009年5月28日木曜日

雨が降ったので思い出した

又忘れてしまった。一昨日が亡き父の誕生日。今日になって雨が降り出したので二日遅れでやっと思いだした。老人ボケのせいではない。さすがに自分の誕生日だけは忘れないが、嫁や娘たちの誕生日と結婚記念日については、「覚えているか言ってみて。」と催促されればどうにか年月日は出てくるものの当日に思い至る事はめったにない。その度に婆さんに嫌みを言われるので努力はするのだが、未だに失念する事が多い。

そこに行くと嫁と娘たちは偉いものだ。生きている爺さん婆さん曾婆さんは勿論、死んだ曾爺さんや曾婆さんくらいまでの誕生日は常に頭に入っているようだ。序に言うと仏の命日とか戒名なんかまで記憶している。こちらの脳みそははとてもそこまで記憶する余裕がない。つい先日にも「6月21日は娘夫婦や孫たちが来るから空けておいて下さい。」と言われ「ああ良いよ。」と答えたのだが、翌日事務所に来て手帳を開けると山に行く予定が入っていた。

帰宅してからその旨報告すると「え!?」と変な顔されてしまった。当日は「父の日」なんで、皆さん態々小生のためにお運びいただくとの事だ。しかし山行きの方も、連れて行ってくれる人が一度設定した日にちを小生の都合に合わせて大分前に変更してもらっているので参ってしまった。娘たちには婆さんから取りなして頂く事にしたが、今や家庭内の当主でありながら些か面目ない。どこかの党首が指摘するように、ご好意や友愛精神をいささか無にするのは良くない事だ。

自分の子供の頃、誕生日には母がよく「おはぎ」を作ってくれた。が母や父の誕生日に子供であるこちらから何かしたとかお祝いを言った記憶が無い。自分の誕生日以外で行事食の記憶があるのは盆に正月、クリスマスぐらいのものだろう。母の日、父の日についても、婆さんに聞くと結構昔からあったらしいが、結婚前は知らなかったと思う。時代がそうだったのか、我が家が特別だったのか、今となっては知る由もないが、この歳にになってこの性格と言うか、習慣というかどう仕様も無いだろう。せめての供養に日記を書こう。

何年か前の日記にも同じ時期に同様の事を書いた事を思い出した。父は兎に角雨男だった。自分もどちらかと言えば雨男かもしれない。鬱陶しく感じる事が無い訳ではないが、田舎家に一人居て軒下から滴る雨だれや雨足をじっと見ていると気分が落ち着くような気がする。今は只都会のぼろアパートの中でプラスティックの波板をたたく雨の音をぼんやり聞いて遠い昔を思っている。この音の強弱がちょっと面白い。音痴だから「雨に唄えば」とはしゃぐ事はないが、日本は瑞穂の国、日本人にとって雨は大いなる恵みはずだ、嫌いになる理由はどこにもない。考えてみれば自分にとって親父も雨と同じだ。

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