2021年7月31日土曜日

安全保障問題

 日本は全世界の中で見れば、人口的には小さな国だが経済的には存在感がかなりある方なんだろう。だろうと書いたのは他国とビジネスをした経験も無いし、外国の報道に接する機会が少ないから、実感は無いし実態は殆ど知らないからだ。しかし食料の大部分が外国から輸入されていることや、日本の経済が外国との貿易に支えられている事は何となく分かっているつもりだ。その貿易の最大の相手国は中国であると理解している。

ところが、その中国とアメリカの関係が最近妙に刺々しくなっていることがある。日本はアメリカの属国のような国だから、立ち居振る舞いが難しいことも分からぬではない。しかし日本は独立主権の国民国家であることも事実。いくらアメリカが宗主国のように振る舞おうとあまり卑屈になるのは考えものだ。前政権以来未だに正式な駐日大使を派遣しないまま、言い方が悪いかもしれぬが、日本はアメリカの下っ端の役人に駐留軍費用負担の増額や、本当に必要かどうか分からぬ兵器を押し付けられたりしているようだ。

これは交渉事だから一市民が文句言う訳にはいかぬだろう。文句を言いたいのは最近の日本がアメリカの要求に応じて益々戦争準備に余念がない事だ。自衛隊はアメリカ軍の要求だろうと思うが、国外にのこのこ出かたり、国内でも人目につかない小島を利用して米軍との合同軍事訓練を重ねているようだ。自衛隊はいわば軍隊だから軍事訓練は仕方ないとしよう。しかし度を越してアメリカ軍と一体化した下請け的なものはどうかと思う。こういった風潮は何となく漏れ伝わり、政府や与党政治家は段々右傾化を強めている。いわば戦前への先祖返りだ。

既に先の大戦を知る政治家は非常に少なくなっている。悲惨な経験を知らず強いことが安全保障の基本と勘違いしている彼等に言いたい。アメリカは最近中国の人権侵害を事あるごとに非難を繰り返し、日本の政治家もこれに同調する者が多い。でもよく考えてみてくれ、戦争に勝る人権侵害は無い。ポツダム宣言を発した後で敵国日本に原子爆弾を2発も投下し、一瞬にして数十万人を焼き殺した国が他国の「人権侵害」をよく非難できるものだ。普通では考えられないだろう。

マスコミは台湾有事が日本の安全保障に重大な影響を及ぼすとも言う。世界の殆どの国が中華人民共和国を正式に認めた時に台湾はその一部として、それまで国家として認めていた台湾との国交を断絶した。もちろん日本もそうだ。本土と比較的距離を取っている台湾の現政権でさえ独立は考えていないと言っている。他国が独立を煽るのは内政干渉だろう。中国政府の発表は嘘ばかりで信用できないとする評論家が多くなっているように感じるが、それが正しいかどうかは判断できない。

しかしその人達は、アメリカの言うことを割合簡単にそのまま受け止めているようでもある。国民国家とは国民が主体の国家で、国家が国民を支配するものではない。そこだけは間違えないようにしたいものだ。

2021年7月30日金曜日

コールセンター

 世の中が複雑になってきてるので年寄りはまごつくことが多い。その一つに電話がある。昔は自宅に電話があるのがある種のステータスだった時代すらあるが、今や電話は個人が持つもので小さな子供でも持っていることがある。当然ながら相当な爺さんや婆さんでも携帯電話を持ち歩くのが当たり前だ。小生も人並みに25年ほど前から携帯電話を持つようになった。それなりに重宝して使っていたが、これが所謂ガラケーと言う代物。

3年ほど前にネパール旅行に誘われた時、カメラの代わりにと薦められてスマホを購入したが通信機能は無視し、電話は相変わらずガラケーに頼っていた。しかし送られてくる料金が馬鹿に高く感じられたので10日ほど前にキャリアをドコモからAUに乗り換え、序にガラケーをスマホに変えた。新しいスマホはガラケーより使いやすいので、早く切り替えればよかったと思っているくらいだ。ところがスマホ購入の際、AUショップ店員の「電気料金を電話料金に合算するとお得です」との勧めに軽く応じてしまったのが間違いのもと。

厳密に計算すれば得になるのだろうが、性分的にポイントが貯まることに興味が湧かない。この申込を取り消すために今日は1時間以上時間をかけてしまった。申し込むのは店で「良いよ」と言っただけだが、自分の言葉を取り消すにはそれなりの手間が必要なのは当たり前だ。AUコールセンターの担当者も3人交代しながら辛抱強く対応してくれたが、こちらも相当辛抱したつもりだ。時間がかかった最大の理由は、こちらが既に電気料金をガス会社に一括する契約をしていたことにある。

AUのコールセンターがどこにあるか分からぬが、電気担当とガス会社の担当が別になっていることだけは間違いない。実は次女が最近人材派遣会社との契約でコールセンターに勤務している。たしか先月までは東京ガスのお引越しサービスの仕事、今月からは東京都の休業保証金申請のサポートと聞いている。コールセンターと聞くと所在地が沖縄とかが多いと聞くが、娘の場合は何故か東京のど真ん中だ。しかも時給が結構高いらしい。それでも採算が取れるのだから、このご時世でも儲かってる企業もあるものと感心している。

コールセンターで明らかに外国人訛りの対応を受けるは、パソコン関係の相談窓口。GAFAM等は電話サポートは殆どしないようだが、友人のお嬢さんがマイクロソフトの電話サポートをしていると聞いたことがあった。果たしてどんな相談を受け付けるのだろうか?兎に角ワクチン接種の予約一つ取るにも複雑な手続きが必要な時代。コールセンター業務は我々の時代には全く無かった新しい産業形態の一つだ。我がサラリーマン時代の殆どは営業職であり、これはどんな会社にもあった部所で、当時は殆どが大卒だったが、実態は頭より胃の腑が丈夫であることの方が重要だった。コロナ後の世界はこんな矛盾だらけの部所が無くなるかもしれない。

2021年7月29日木曜日

悪夢

 昨日までのオリンピック競技で、新人選手の思わぬ活躍もあるが、体操の内村航平選手、バドミントンの桃田賢斗選手、卓球の張本智和選手が思わぬ予選落ちをしてしまった。3人共まさかのことだ。ここ一番の場面で魔が差すと言うか、一瞬に緊張感が欠けるのか、そのへんのことは分からない。スポーツには特別な関心も無いので、素人の予想通りには行かないものだと言うことを改めて認識しただけだ。

素人の予想通り悪い方に進んでいるのはコロナ禍の拡がり。素人の予想と言うより専門家の予想通りという方が正しいだろう。だいぶ前から専門家は警鐘乱打しているが、なんと言っても首相や東京都知事はこれを全く無視して、のんきに構えている。曰く高齢者へのワクチン接種が順調に進んでいるので、多少新規感染者が増えても重症者や死者の増加には繋がらない。これを聞いて若い市民は喜んで夏休みを楽しむが良い。

結果が碌なことになる筈がない。前から不思議に思っていたが、東京都が発表している重傷者数は他の道府県が発表する重傷者数とは意味が違うとのこと。国の基準で決めている重傷者はICUに入った患者と酸素吸入器とエクモに繋がった患者とのこと。東京都は何故かこの中からICUの患者を外して、後段の2種の患者だけをカウントしてるのだそうだ。ICUに入った経験がないので知らないが、お医者さんは患者に酸素マスクをしても、出来るだけ酸素吸入器に繋がないようにしたいものらしい。

因みに昨日の統計で東京都の重症者は80人となっているが、国基準でカウントすると約10倍になるらしい。日本に新型コロナウィルスが持ち込まれて既に1年半以上経ち、毎日のように関連報道がなされている中で、何故こんな訳の分からぬ報道が許されるのか、つくづく日本という国家の行政の仕組みが分からなくなる。理由を誰か説明をしてほしいものだ。

昨日の全国の新規感染者数は報道では9千人の大台に乗ったと言っていたが、厚労相のホームページで確認すると、昨日0時が最新の数字で7619人となっている。国にしても東京都にしても、素人には出来るだけ訳が分からなくなること必然のグラフと数字がゴチャゴチャと羅列されている。こんなものを首相や知事が毎日読み取れるとはとても思えない。読み取れなくとも、感染爆発が進行中であることを感じ取れれば良いのだが、専門家の意見もまともに聞こうとしない。

「オリンピックは安心安全」とか「現状感染者増加は今年の1月の時と条件がまるで違っている」と、誰に知恵をつけられたか知らぬが、ご自分でも意味が分からない台詞を繰り返すのみだ。先日も書いたばかりだが、この分で行けば全国の新規感染者が1万人台、東京では5千人突破は時間の問題だろう。死亡者も年初来で1万人を越したが、年内に2万人になるかもしれない。悪夢のようだが仕方あるまい。せめてテロ事件が起きないことを祈ろう。


2021年7月28日水曜日

東京の夏

 今日は土用丑の日、昨夜のテレビによると今年は鰻が少し安くなっているらしい。鰻はいつ食べても美味しいものだが、高級食材だから週に2回はスーパーに買い出しに行っても鰻の値段なんかは見たことがない。しかし報道によれば、近年稚魚が不漁でずっと値上がりが続いていたような気がする。これは勘違いかもしれぬが、食材が安いことは庶民にとっては有り難いことだろう。

家内が静岡の育ちだったので、結婚以来毎年土用丑の日には静岡県島田市の鰻屋から白焼きの鰻が送られてきた。家内が亡くなってからは、長女の家に小生の分も送られて、長女がこれをうな重にして、朝届けてくれる仕掛けになっている。従って丑の日は朝食の支度をせず長女が来るのを待っていればいいだけだ。今年は長女宅の諸般の事情で一昨日に繰り上がった。旦那が在宅勤務でずっと家に居たり、子供が夏休みに入ったりで主婦業が大変らしい。

旦那の在宅勤務は、通勤時間のムダが無くなるのでご本人には結構なことだが、主婦にとっては旦那の時間に合わせるのが結構大変らしい。確かに会議なんかが少し時間が狂うと家庭の食事時間も変更する必要はあるのだろう。子供も夏休みに入ったらしいが、プール授業がどうなるか分からないし、信州の富士見高原で予定されているサマーキャンプも開催できるかどうかはっきりしてないらしい。かと言って子供は外に遊びにも行けず、山程の宿題をこなす日々とのこと。聞いてると親子3人が可哀想になってくる。

兎に角コロナ禍は、ごく普通の家庭にも大きな影響を及ぼしているようだ。長女一家は公共交通機関での移動は極端に減ってるが、やはり普通の家庭は子供の学校や親の勤務先の夏休みに合わせて移動が増えて当たり前。昨夜の首相記者会見で菅首相の口から飛び出した「人流が減っています」はどこを押して飛び出したのか全く意味が分からない。恐らくは「オリンピックを中止するという選択肢はない」との台詞と対になって書かれていたか、頭に刷り込まれたか知らぬがご粗末なことだ。

東京の新規感染者が4千人を超すのは既に時間の問題、今日明日のことだろうが地方への感染拡大が心配だ。栃木県なんかではこの1週間で新規感染者数が4倍近くに跳ね上がってるのではなかろうか?東京都の局長(部局、氏名は不明)が「高齢者の感染者が減っているし、死亡者も減っているし、医療体制も整っている。徒に不安を書立てるのは良くない。」と言ったらしい。医療現場にいる医師からは全く異なる見解が示されていることは言うまでもない。医療体制が整っているなら、入院待機組をさっさと入院させろだ。現場を知らないのは政治家だけでなく高級官僚も同じようだ。

2021年7月27日火曜日

おもてなし

 昨日も少し触れたが、若い頃から山小屋の番頭見習いをしたので、多くのお客さん、それも殆どが先輩に接することが出来た。仕事は布団上げ下ろしから始まり、掃き掃除に雑巾(モップ)がけ、薪割りとストーブの火入れ、炬燵の炭入れ、風呂焚き、ゴミ捨て(これは雪を掘り更に地中を掘って生ゴミを捨てる重労働)、配膳と料理の手伝い(唯一料理がマヨネーズ作りで兄貴分の番頭さんと二人で卵黄にサラダオイルを垂らしながら何十分も泡立て器でかき混ぜるのだ)

することが結構多いので、我々二人の番頭がスキーを出来るのはお客さんの昼食が終わり、その片付けを終わった後のこと。当時のお客さんは3食付きが常識だった。2時近くにスキー場に出て精々2時間、風呂焚きに間に合うように帰ってこなくてはならない。今考えると少し労働条件がきついと思わないでもないが、当時はそれでも楽しかった。お客さんたちは夕食が終わるとストーブの周りに集まりスキー談義だけではなくいろいろな話をしてくれた。

中には大学の先生や大学生もいたし、公務員が多かったかな。当時は国立公園部局が厚生省内にあった関係から厚生省関係者が多かった。中で頻繁に来ていた人に海軍特攻隊の生き残りの人が居て、ゼロ戦の話を夢中になって聞いたことを思い出す。もちろんこちらはお客さんとは立場が違うので、座り込んでお茶やお酒を気安く飲むわけにいかない。お客さんの明日に備え、道具の手入れやワックスがけに精を出さねばならない。

そのへんの間合いのとり方が全て山小屋のもてなしだった。お客さんも段々慣れてくると、次回来る時にお土産を持ってきてくれたりして段々仲良くなってくる。時には子供連れできて、丸池にあった小屋から遠出して横手山まで行きたいなんてお客がいた時は、小屋の主人の指示で小屋の仕事はしなくてもいいからと、荷物持ちのお供を仰せつかったりした。これも楽しい思い出になっている。

今日の昼飯を食いに行った紀尾井町のあるレストラン、ここのホール担当者のサービス振りがとても良かった。頻繁に行く店ではないのに明らかにこちらのこと記憶しているみたいだ。今回のオリンピックで日本は、招致に当たって「おもてなし」をうたった。7年か8年前の約束は悉く破られているから言っても詮無いが、「もてなし」は客人の居心地を良くしてあげることだ。もてなしを受ければ客は東京について良い思い出を作ることになる。

競技に入賞でもすればそうなるだろうが、そうでない大多数は果たしてどうだろうか?

2021年7月26日月曜日

自己流

 オリンピックが始まってしまったので、嫌でも超1流アスリートの試合ぶりがテレビから目に入ってくる。普通の人には考えられない技と力をつけるのはただ事ではすまぬ訓練が必要であろうことは言うまでもない。それを成し遂げた選手や家族を含む関係者には敬服するばかりだ。今の世の中はスポーツでも超一流になれば生涯それで飯を食えるから、若い人がそこを目指すことは決して悪いことではない。

人生は誰にとっても目標を立て、それに向かっての努力することがが必要なんだろう。翻って自分を考えると、その一途さに欠けた人生だったことがよく分かる。俗に言うところの「志」が無いと言うか低すぎると言うかだ。スポーツが嫌いではないが、何をするにしても皆見様見真似。少しばかり大人の人に教えてもらってからは全て自己流だから上達するはずがない。若いときから一番熱心にしたスポーツはスキーだと思う。

高校生から大学時代にかけ、志賀高原の山小屋で手伝いをして只で泊めてもらい、手の空いた時間にスキーをした。一緒に居た先輩格の番頭さんがスキーの名手で、夏はりんごを作って暮らしていた。彼が高校なり大学に入ってスキー部に所属していたら、恐らく国体なりでそこそこの成績を確実に上げていただろう。彼とはよく一緒に滑らせてもらったので、我がスキーの先生、基本動作は彼の真似事が多い。

愚考するスキーの基本は転ばぬことに尽きる。初心者は斜面が少しきつくなったり、凸凹に出くわすと必ず転倒する。従って誰でも最初は平らでゆるい傾斜地を選んでスキーを楽しみ始めるとしたものだ。志賀高原には様々なスキー場が今でもあり、初心者向けから上級者向けと多種多様だ。大学卒業する頃までにはこの広いスキー場の殆どの斜面を転ばないで滑れるようになったのが唯一のスポーツ自慢だ。

とは言っても自己流の悲しさで、現在でも滑りこなせない斜面は幾つもある。今年の3月にも1日だけ志賀高原でスキーを楽しんだが、滑ったのは初心者向け斜面、それでも1度転倒してしまった。更に情けなかったのは一人で起き上がれなかったことだ。殆ど平らに近い斜面でスピードも出ていなかったので、怪我しないで良かったと自らを慰めている。

2021年7月25日日曜日

老後の世界

 連休になると両隣が空き家に変わる。一方のご家族は山梨県河口湖のご別送、もう一方のご夫婦は群馬県草津温泉にマンションをお持ちとのこと。こちらは普段開けない東と西の窓も開放して取り込む空気の量が増えるので有り難い。テレビの音量なんかも気にせずに大きく出来るが、音量を上げて観るような番組が無いので逆に寂しくなる。昨夜も恒例のリモート懇談会。常連の一人が先々週を最後に入院してしまったので、昨夜は5人。

入院した友人は13年ほど前に発見された食道がんがきっかけで、身体にメスをいれることを避けて、様々な治療法を試みながら結構元気よく活動してきたものの、血液に転移し、遂には肺にも及んで肺機能の低下でダウンしたらしい。癌細胞はどんなものか知らぬが、ウィルスと同じで厄介なもののようだ。友人の一人が言うには、既に何人かの同期生が亡くなっている間質性肺炎末期と同じじゃないかなとのこと。兎に角元気印の塊みたい男だっただけに可哀想だ。

ひとしきり、ならば我々は幾つまで生きるだろう、と言った話題になり85歳?ひょっとすれば90歳までは可能かもという友人も居た。しかしここまで来れば明日死んでも90歳まで生きても似たようなものだろう。22日に山歩きに同行してくれた娘が「お父さんは恐るべき81歳」とおだててくれたが、これも本音で言えば一種の皮肉かもしれぬ。既に自分の体が思うように動いてくれないのだからどうしようもない。当然だが、頭の回転、記憶の出し入れに機能低下が起こり始めているに決まっている。

その他の話題として、小生が先週ガラケーをスマホに切り替えた自慢話をした。そこから一頻り通信機器の料金やIDとパスワード管理の話題で盛り上がった。友人たちも似たようなものだと思うが、少なくとも小生はパソコンやスマホを使用する際、特別な認証を不要に設定し直した。入院した友人のスマホを奥方が見ようにも使用開始の認証が必要で見られないし、病院には持ち込めず難儀されているようだ。

お互い長生きするに越したことはないが、何があっても不思議がないのも事実。少しず、心構えを持たねばならないだろう。昨日書店に立ち寄った歳、文春ムック「佐藤愛子の世界」が目に止まって買ってしまった。佐藤愛子さんは昔から少し変わり者と思っているが、瀬戸内寂聴さんなんかと違って憎めないところ好きだ。当分楽しめそうなので期待している。

2021年7月24日土曜日

長野行き


2日間ブログを休んで長野に行ってきた。目的は2つ、一つは久しぶりの山歩き、懐かしき飯縄山登山、2つ目は翌日の墓参りだ。山歩きは最近いつも付き添ってくれる次女が一緒なのでなんとなく安心していた。しかし山頂にたどり着いたのが不思議なくらいバテバテのハイキングだった。大宮から新幹線はくたか553号で長野到着が9時半、ホテルに不要な荷物を預けて、タクシーで一の鳥居登山口まで、登山開始したのが10:40だから山歩きには少し遅すぎてしまった。

それでも馴染みのある山だから何とかなるだろうと、自前のペースでゆっくり歩き始めた。しかしなんと言っても真夏のこと、1時間近くで顎が出始めた。内心今日は山頂は諦めようと思いながら、娘に小休止を提案。娘は年寄りの介護のつもりで来ているので何を言ってもOK,OK。この登山道は多くの石仏が祀られて道案内になっている。今日改めてネットで確認すると全部で13体あるようだ。

それを22日には10体であったように錯覚していたのが間違いのもと。10体目の石仏の前で休みながら、娘に「今日は山頂は諦めて下山しようと思うが。」と言うとあっさり「良いよ。」とのこと。「じゃあここで昼飯を食おう。」と言うことで、娘が握ってきてくれた握り飯と沢庵を出してもらう。もうここ何年も自家製の握り飯を食ったことがなかったので、これが何とも言えずに懐かしかった。まず大きさが市販握り飯の2倍はあって、ラップでくるんであるので食べかけを持ち歩くことも可能。沢庵も一口サイズに切ってあり、非常に食べやすい。

未だ12時少し前だったので、これを食べ終わったら、多分50メートルくらい登ったところに見晴らしの良い場所(天狗の硯石)があるので、そこまで行ってから降りることにしようと決める。握り飯のお陰で少し元気が出て歩き始めたが、なかなか目的地の岩が見つからない。精々10分くらいの所にあった筈と、これもどうやら相当な勘違いだったらしい。やっと辿り着いたのは昼飯から小1時間は経っていたと思う。

娘は下界を見下ろして感動して「素晴らしい」を連発。ここから先は木陰が全く無くなると予言していた祖父さんの言葉も全く的はずれだった。未だ樹林が続くので、「じゃあ、もう少し行こう。」と更に上を目指し、結局登り始めから3時間20分も掛かってやっと山頂に達した。ネットで確認した飯縄山登山は所要時間往復4時間とあるから普通の人の倍近い時間を要したことになる。

山頂に達した時は快晴だったが、雷鳴が近づき雲行きもおかしくなっている。昼飯は早くに摂ったので降りを急ぐ。途中戸隠のへの分岐まで来て、戸隠のタクシー会社に電話。こういう時スマホは便利だ。既に3時になっていたので、5時近くに再度電話することで予約を完了。岩だらけの登路に比べれば戸隠方面はかなり楽なはずだ。結局雨にも会わず1時間半ほどで無事下山。下山してみると戸隠の夕立と雷は相当激しかった後が歴然。ふたりとも怪我もなく無事で良かった。

山の詳細はヤマレコをご参照願います。https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-3379322.html

下の2枚は翌日墓参りの証拠写真



山歩きと言い、墓掃除と言い「老いては子に従え」とはよく言ったものと認識を新たにした2日間の旅だった。

2021年7月21日水曜日

読後感「中国が宇宙を支配する日―宇宙安保の現代史―」

 青木節子著

 月刊文藝春秋8月号に大型特集『中国共産党の「野望と病理」』があって、その中で著者の寄稿文『宇宙を支配する「量子科学衛星」の脅威』に興味を惹かれた。理数系は全くの音痴で、そもそも量子とはなんぞやである。物体を砕いていくと分子から原子くらいに辿り着くらしいことがおぼろげに分かっているような分からないようなだ。量子とはどうもその範疇ではないらしい。wikiによれば、「量子力学」と言いう言葉が現れ「微視的な物理現象を記述する力学」と書かれている。

当然これでも何も分からないが、著者によればこれを利用した暗号はスパコンでも解読不可能とされてるらしい。分からないことが多いのは喜ばしいことなので、文春への寄稿からの興味で本書を読んでみた。中国の野望が脅威であることは雑誌で読んでいたので第1部「宇宙大国」中国の実力はスムーズに読み終わったが、第2部の「超大国」の主戦場としての宇宙、 第3部の日本の宇宙政策が面白かった。

高校の後輩にJAXA(宇宙航空研究開発機構)で小惑星探査機「はやぶさ」運用の主任を務めたエンジニアが居て、同窓会で講演してもらったことがあった。2010年6月、小惑星「イトカワ」の表面物質搭載カプセルを地球に持ち帰ることに成功した直後のことだ。その時宇宙とは面白い、きっと自由で限りない夢があると感じたし、今年は又宇宙旅行の当たり年で、ヴァージン航空のリチャード・ブランソン氏とアマゾンのジェフ・ベゾス氏が立て続けて宇宙旅行を体験し、イーロンマスク氏も年内には行くらしい。

松山千春歌手の歌の文句ではないが、果てしない大空には大きな夢や幸せがあると思っていたら、これがとんでもない間違いで、今や宇宙空間は危険極まりない闘いの場となっているらしい。正にスターウォーズの時代に突入しているとのこと。そして問題は日本、日本は衛星技術やロケット技術に関して決して後進国ではなかったが、残念なことに宇宙利用は平和利用しか行わないと自ら国会で決め、世界もそれで了承していた。

ところが宇宙利用は平和利用と戦時利用の線引が難しい。平和利用でも技術の高度化はいつでも軍事転用が可能になる。諸外国は北朝鮮を含め今や宇宙空間の優位性確立にすごい努力をしている実態がある。嘗て国会決議をして平和利用に限定していた日本でさえ、今はなし崩しで航空自衛隊に宇宙作戦隊まで設置されるようになった。このへんは小生は勿論だが一般市民には相当に分かり難い。しかし現実を認識するには本書が大いに参考になること間違いない。

2021年7月20日火曜日

人体の不思議

 昨夜は一晩中エアコンをつけたまま寝てしまった。今までこんなことはなかったと思うが、外気温に対する抵抗力(体温調整能力)が弱くなってきてる証拠かもしれぬ。この暑さの中で運動会を開くのだから、オリンピック関係者の考え方は相当異常と言わざるを得ない。他人のことは兎も角として、今週は22日に長野行ってハイキングをすることを決めてるのでなにか落ち着かない。

ハイキングだけならいいが、墓参りまで済まそうというのだから、用意する荷物が複雑になる。日帰りで使っている小さなザックには詰めきれないだろう。残していく食材のことも気になる。長いこと3日分の食料だけ買い込む習慣、今日がその買い物日に当たっている。トマトやバナナなんか普段でも半分腐りかかったものを食べているので、3日分を5日で消費するくらいは気にしなくてもいいだろうが、やはり少しは買い物をいつもと少し変えなくてはならない。

下らないことから書き始めてしまったが、食い物に関して私は人間の身体が不思議でならない。内部構造は想像するしか無いが、身体の大部分は肉のような部分と歯とか骨や爪のように何故か硬いもので構成されているらしい。しかし毎日口にしている食物は植物性が殆どで、魚や家畜の肉も少し摂るが量的には圧倒的に少ない。どうすればこれが筋肉や骨に生まれ変わるのか?栄養学を学んだ人なら不思議ではないのだろうが、想像できない方が普通だろう。

特に歯が悩ましい。歯は一定の年齢に達すると、爪や髪の毛のように成長するようには見えない。中学生くらいまで歯磨きをした記憶が無いので、歯はボロボロ。自分の歯を80歳まで20本は残しなさい、なんて言われたて気がついた時は既に手遅れ。今自前の歯は10本も無い筈だ。やれ差し歯だことのブリッジだインプラントの隙間だらけで不便極まりない。本当に健康な友人は歯がしっかりしてる人が多い。人体の不思議は他にも沢山ある。

筋力の衰えはある程度実感できるが、内臓となるとなかなか実感しづらくなる。消化器系の自己流判断基準は排便の確認だ。毎朝同じ時刻に排便の出方と量を確認して、変わりが無ければ良しとしている。大阪時代に売約メーカーと付き合いがあったが、市販売薬で最も売れるものは胃腸薬とのこと。我が家も家内が居た時は整腸剤(ビオフェルミン)が常備薬であったが、居なくなってから未だ買ったことがない。切らさないのは風邪薬の「改元」これは夏でも鼻水が出たりするとすぐ服用する。当然ながら呼吸器関係も相当弱い筈。

残る大きなところは循環器系だろうが、これは全く難しい。家内も晩年消化器系の医者にいじくり回された挙げ句、ある日大動脈が破裂してしまった。子供の頃の記憶で言えば、昔のお医者さんは聴診器で胸の音を聴いた後に、脈をとっていたような気がするが、最近は区の健康診断で心電図を取るのは2年に1回。もっと不思議なのは「体力」これが人体のどこにあるか分からないし、休養や睡眠との関係も考え始めれば切りが無い。

2021年7月19日月曜日

さらばガラケー

 今日は電話屋さんとのお付き合いでまるまる1日潰れてしまったようなものだ。実は今朝ほどまで使っていた携帯をキャリアごと変更したからだ。従来ガラケーとスマホを別々に使い、両方ともドコモと契約していた。友人たちから、それはあまりにも不経済の筈との指摘を受け、取り敢えずガラケーをやめてスマホに1本化を図るつもりで、朝10時半にドコモショップの予約を取ってあった。中途半端な時刻であったので30分も早く池袋のショップに着いてしまった。

たまたま並びにあるAUショップが開いていたので、涼みがてら飛び込んで参考までにと思ってガラー+スマホ1本化について聞いてみた。するとこれまでとは桁外れに安い料金が提示されたので、すっかりその気になって、乗り換える決心をしてしまった。AUショップ側も良き鴨と思ったかどうか、ドコモショップでの解約手続きを丁寧に教えてくれると同時に、スマホに挿入されているSIMカードの解除手続きまでしてくれた。

結論的にはこれが余計だったようで、電話番号をこのスマホに移行させる際の手続きがすごく厄介になり、結局このために3時間近く余計に時間がかかったように思う。しかし、移行は無事終了して、これまで1万円近く掛かっていた携帯の使用料は来月以降5分の1くらいになるだろう。勿論ドコモの解約料が2万円近くかかるし、AU側にも初期費用が5千円ほど発生するようだ。しかしこれまでに4年近く払い続けた無駄な金額を思えば大したことがない。

菅首相は携帯料金を下げたことを自慢してるが、料金を下げるということは同じサービス内容で料金が下がることではない。そのへんは承知してるつもりだが、高齢者にはサービス内容を見直す勇気はなかなか出てこない。同居者に若い家族でもいれば別だろうが、独り身ゆえ長い時間が掛かり随分と無駄をしたものだ。しかし昼飯も食わずに長時間電話屋さんのカウンターに座り続けたお陰で良いこともあった。

AUショップで早朝出くわした担当者がネパール人であったが、非常に人懐こい青年で気持ちよかった。しかも2018年に訪れたポカラの出身者、来日8年とのことだったが、対応に何の不自由も感じない。当初はオーストラリア留学を目指したようだが、どうせ行くなら全く異なる文化圏と思い直して結局正解だったそうだ。電話機もガラケーから国産スマホになったが、これまで使っていた中国製スマホはカメラ機能が優れているので、殆どカメラとして使用することにする。電話番号は変わりませんので宜しく願います。

2021年7月18日日曜日

性格の良さ

 人間とは不思議な生物だ。幼い頃嫌いだったもの、例えば食べ物なんかでも大きくなると好きになったり、好きだった甘いものや酒が最近は嗜好をそそらない。性格にしても同じこと、幼い頃かなり粗暴だったと思うが最近は大分違っているように思う。かと思えば三つ子の魂なんてことが言われたりするので、昔から変わらないところもあるかもしれない。少し自慢をさせてもらえば子供の頃から比較的きれい好き、掃除なんかこまめにする方だったが、これは今でも変わらない。やはり性格はそんなに変わらないものなんだろう。

長じて現在望むのは他人から尊敬されるのはもう無理だろうから、せめて嫌われない人間でいたいと思っている。最近はこの人の考えとは違うと思えば、できるだけそのことは話題にしない。これは簡単だから誰にも出来ると思うが、世の中にはこれが出来ない人がいるから不思議なものだ。考えれば、ある種の人から嫌われるくらいの方が逆に熱烈なファンが形成されるのかもしれない。力のある人にはこの傾向は強いと思う。政治の世界何ぞは正にこれで、力のある人ほど嫌われるのかもしれぬ。相撲なんかも同じかもしれぬ。引き換え、先週日本中を沸かした野球の大谷翔平選手、彼が嫌いという人は少ないだろう。

力量は日米野球好きの人がの一様に認めるところまで上がりながら、尚且万人に愛されていると思う。是非見習いたいものだ。

2021年7月17日土曜日

梅雨明け

 東京も昨日梅雨明け、しかし湿度が異常に高く蒸し暑い1日だった。しかもその昼日中、池袋から自宅まで約40分汗びっしょりになって歩いてきたのだから我ながら相当な物好きだ。昔は日射病と言われた熱中症というやつには山歩きで一度酷い目にあったことがある。長野県最北部の北小谷と言う町から風吹山を超えて白馬岳を目指した時のことだ。汗のかきかたが尋常でないなと思いつつ、昼近くにやっとの思いで白馬鑓ヶ岳の麓に辿り着いた。

握り飯を取り出し口にしようとしたが、吐き気がしてとても食べられない。少し水を飲んでも収まらず、目の前が暗くなってその場に倒れ込んでしまった。その場所が日陰であったかどうかも記憶にないが、少なくとも小1時間そのままで気力の回復を待った。その場所は白馬方面への別の登山経路、栂池からの経との交差点だったが、誰とも会わなかったようだ。何とか意識はしっかりしたが、結局握り飯は食せず有り合わせの行動食で誤魔化し、更に2時間以上歩き続けて目的地の白馬大池小屋に到着した記憶がある。

これが一種のトラウマになっているので、都会の日照りなんぞに負けちゃいけないと、常に思っている訳だ。しかも来週の22日には次女と長野の飯縄山に登る約束をしている。この山も最後1時間と少しが木陰が全く無くなり、カンカン照りの中を登らねばならない。その訓練のつもりもあった。人によっては真夏の登山を敬遠する人もいるが、いくら涼しい春や秋でも汗をかかずに歩けるものではないし、思い切り汗をかいた後で山頂の涼風を受ける爽快感はやはり夏山独特。だから、22日が楽しみだ。

娘が心配して付き添ってくれてるが、年齢を考えれば自分にとっては名山中の名山飯縄山の山頂に立てるのはそろそろ最後と思いつつ過去の記録を調べてみた。するとなんの事は無い。前回は2018年の9月19日。この時もこれが最後かと書いている。(https://takaga.blogspot.com/2018/09/)何度も「これが最後」と言うのは狼少年と同じ、言葉の使い方に気をつけなければいけない。しかし飯縄山に登るだけなのに、こんなに前からブログで大騒ぎするのもだいぶ耄碌した証拠であるような気もする。

山は勿論日帰りになる予定だが、下山後は長野のホテルで1泊して、翌日これも季節外れの墓参りをする予定。ここ数年はいつも掃除人の孫たちを引き連れていたので、偉そうに口先で命令してれば済んだが、今回は娘と二人だけなのでそうはいかない。手を抜かずに汗をかけるかどうか、自分を見守るしか無い。

2021年7月16日金曜日

政策吟味の仕方

 新型コロナのパンデミックがいつ収束するのか見通しが難しそうだ。ワクチンが最強の対抗手段であると思うが、困ったことにこの接種を拒否する人がどこの国にもいるようで、ワクチン先進国の英国やアメリカでも新規感染者が大幅に増加傾向にある。具体的には英国、5月19日に新規感染者が一旦822人迄減ったのに7月12日には3万6千人を超えてしまった。アメリカにしても似たようなもの。数字の規模は少し小さいがイスラエルでさえ傾向としては同様だ。

人類の側での防御策で完璧が期し難いとなると、相手のウィルスはそこら中に蔓延してる筈だから永遠にいたちごっこになるのかと心配になる。東京では現在4回目の緊急事態宣言が発せられてる中で、新規感染者は現在第5波の上昇中にある。科学者たちの言うことには4週間後8月11日頃には1週間平均が2400人に達するらしい。8月半ば田舎の旧盆だが、今年もまた孫たちが祖父さん祖母さん達と合う楽しみが出来なくなるだろう。

2度あることは3度あるの例えは知っているが、5度あることは6度も7度もあったのでは堪らない。なんとかして欲しいが、国のリーダー達は相変わらず呑気なもので、ワクチン接種のスピードを上げますの一点張り。こんな言い訳が通用するのは、対策が遅れている故のメリットかも知れないなんて皮肉に考えたくなる。文藝春秋8月号を読んでいたら、日本の政策責任者は余りにも現場を知らなすぎる、との寄稿が多い。

ならば、欧米の指導者たちが現場をよく知ってるかと想像してみた。どう考えても彼等とて日本の指導者以上に忙しい筈、医療現場や街中の飲食店街を1軒1軒覗き込んだりしないだろう。ではどこが違うのか、欧米の諸氏は現場を一々見なくても、色々あることを常に念頭に置いてると思う。飲食店を例に取れば、個人経営の店と大規模経営の店の2通りに大別して制作決定するなんてことは無い筈だ。政策決定に関する吟味の仕方が異なっているのだろう。

医療現場にしても、只でさえ経営形態の違いが大きい業界だと思うが、これも十把一絡げ。これで迅速な対応が出来ると考えている日本のトップ。その杜撰さは驚くべきものだ。コロナ対策担当西村康稔大臣が発した、言いつけを遵守しない居酒屋に対する懲罰的な措置の依頼文書、宛先は酒類の販売店であったり金融取引先であったりするように自治体担当者に依頼している。

これが問題になって謝罪に至っているが、似たような謝罪はワクチン担当の河野太郎氏とか田村憲久厚労相にも起きている。日本の役所には稟議制度があり、一つの政策を世に出すに当たり、かなり重層的に一字一句吟味されるはずだ。これも形式化してるのだろうか?誰が書いたか分からぬ文書が多数が参加する会議の席で結果的には承認され、そのまま国民に垂れ流されている。何かが間違っている。

2021年7月15日木曜日

平和の不思議

日本は世界平和のための祭典を行うと関係者は得意になっているが、乏しい知識の中で世界平和を考えると、心配なのはアフガニスタンのこと。アメリカのダブルスタンダードや無責任は今に始まったことではないが、アフガニスタンの責任放棄はあまりに酷い。人口が3000万人程度の国とは聞くが、その国民が現在置かれている状況を想像するうと空恐ろしくなる。

アフガニスタンは破壊されたバーミヤンの大仏で分かるように、歴史的には古い国(地方、地域のほうが正しいかも)らしいが、観光に行った人も余り聞いたこともなく不思議な国だ。知っているのは地元の人からも尊敬されていた中村哲医師が何者かの襲撃で亡くなったことと、アメリカ以前にはソ連にも侵攻されたが、撃退したのかどうかはっきりしないが、ソ連も結局は撤退している。あとは東南アジアの三角地帯と並んで麻薬の原料である芥子の世界最大の産地であり、国家経済の重要要素に位置づけられているからややこしい。

当然ながら民族的にも多様で国家の中に多数の国家が存在する形で部族集団が群雄割拠してるに違いあるまい。報道では政府対タリバーン勢力と2項対立の単純図式で語られるが、とてもそんな単純なものではないだろう。映画のネタには事欠かない国であるのも事実だ。アメリカがこの国を戦争相手国にしたのは、言うまでもないが、当時の政府が2000年9月11日のアメリカ同時多発テロの首謀者ビンラディンを匿っていると認定したからだ。

しかしその彼が最終的に発見されて、アメリカ軍によって殺害されたのはパキスタン国内。それでもアメリカ軍がアフガニスタンから撤収できなかった理由は、よく分からない。アメリカの政府高官は他国の人権侵害を口を極めて非難するが、戦争ほどの人権侵害は他に無いとされている。故にこれもアメリカのダブルスタンダードの典型とも言える。しかも戦争は一旦始めると止めることが難しい複雑な現象のようだ。日本も最近は南シナ海とか台湾海峡とか、日本と遠く離れた場所でアメリカの戦争に協力する姿勢を隠そうともしないが、いい加減に考え治すべきだと思う。

人類は人間同士の殺し合いをやめて、世界平和を実現を実現することは不可能と思っているのだろうか?逆に考えれば無用な人間を皆殺しにすることで、自分たちに安寧が齎されるとでも思っているのだろうか?考え出すと分からなくなる。今現在の自分にはコロナという少しの不安要素はあるが、ある意味で平和の真っ只中にいる。しかし、世界平和の祭典と宣伝されているオリンピックを観戦して楽しむ気にはなれない。 

2021年7月14日水曜日

不便そうでも

 世の中が便利になったせいもあるが、意外なところにお金が掛りすぎてるようだ。通信費がその典型で、固定電話の他にガラケイとスマホを持っているので合計すると月に1万5千円近く支払っている勘定になる。そのことを先日友人から注意されたので、近いうちに少なくともガラケイとスマホは1本化しようと思っている。回線は両方ともドコモなのでドコモショップに行こうと思った。ただこの店はいつも待ち時間が長くてイライラするので、予約できないか調べてみた。

笑ってしまった。インターネットからアクセスすると、<ご来店のご予約>なる入り口はあるが、延々と意味不明な文章を読まされた上で何種類もの問いに答えていかねばならない。挙句の果てに「このままインターネットでの対応が可能です」と来たものだ。それで済めば苦労はないが、分からないから詳細に説明がほしいに決まってるだろ。以前名刺を貰っていた番号に電話しても繋がらない。一応呼び出し音はあるが誰も出ないのだ。電話会社のくせに、電話を拒否してるのだから、不合理の典型だ。

便利さ故の不便、似たような不合理は世の中に沢山ありそうだ。元々無かった物が手に入ってしまうと、手放し難くなるのは世の定め。交通機関で言えば普通車よりは急行列車、更に進んで新幹線となるのが当たり前。確かに所要時間は大幅に短縮される。即ち時間をお金で買ってるようなものだが、これで我が暮らしはどれ程の向上に繋がったかは定かではない。残念ながら一度も経験が無いが、青春18切符で旅をした方が余程充実した人生だったかもしれぬ。敢えて一つだけ上げれば、現在自家用車は持ち合わせないし、玄関先に亡き妻の形見の自転車が置いてあるが、この3年半の間に利用したのは1回だけ。

公共交通機関の中でもバスを極力使わず、できるだけ歩くことにしている。一見不便のようにも見えるかもしれぬが、1日約1時間半の歩行は健康面からすれば極めて有意義であることは間違いない筈。サンデー毎日だから時間を余り気にする必要は無いから、歩く速度もゆっくりで、いつも東京の人は何故こんなに早足なんだろうと不思議に思っている。電話と移動手段と一緒には出来ぬかもしれぬが、便利さに馴染まない方が合理的かもしれぬ。

2021年7月13日火曜日

情報不明国家

 今日は気象庁から近畿地方の梅雨明け宣言が出たらしい。東京は梅雨明けも未だだし、社会全体が重苦しい空気に包まれ、夏らしい爽やかさが感じられないのが残念だ。引き換えて欧米を見ると、中国に次いでなんとなくコロナ禍から脱出しつつあることが感じられるのが羨ましい。欧州ではサッカーのヨーロッパ選手権が大盛り上がりだし、アメリカではプロ野球のオールスター戦がコロナなんかどこ吹く風の様子だ。これらの欧米諸国も完全にコロナを抑えこんだとは言えないにしても、方向性が明らかに病気で言えば快方に向かいつつあることを国民が知ってるようなのが羨ましい限りだ。

欧米諸国は既に夏休みに入っている国も多いようで、家族連れで外国の避暑地に出かける人も増えているとのこと。これらの国はコロナに立ち向く姿勢と言うか方法はそれぞれ異なっているが、共通しているのは克服するために専門家の意見を聞きながら、試行錯誤を繰り返しながら闘っていることにある。何れの国も最初は手痛いダメージを受けていることに変わりはない。総じて欧州諸国はきめ細かい対策を繰り出し、アメリカは経済力に物を言わせた大掛かりな作戦に出たとも言える。

どちらも国民に辛抱を強いた点では似たようなものだが、アメリカの方が学校閉鎖とかイベントの中止とか移動の制限とか、やや長期間続いたようだし、欧州諸国も地域的ロックダウンは何回もあったように聞いている。共通しているのは、何れの場合も正確な情報開示がスムーズに行われていることだ。日本で聴いていても24時間毎の情報が連日聴けたし、各国の首脳たちも政策の間違いを素直に認めていたように思う。

日本である程度信用できる政府の情報は、冒頭に書いた気象庁発表の天気予報ぐらいなものだ。今日中国地方で梅雨明けなら、近畿、東海、中部、関東の順かくらいの予想はできる。ところがコロナ関係情報となると、情報の集約点がどこにあるかが先ず分からない。先ず思い浮かぶのは厚労省だが、ここの所管大臣の田村憲久氏は毎日のようにテレビでお目にかかるが、どうも全国の実態を十分にご存知ではないようだ。

日本は地方分権だから、実態は一旦都道府県単位で集約されなければならないとの事情は十分理解できる。しかしその事情は諸外国でも同じ筈。なのに日本で情報集約ができないのは悪名高い縦割り行政にあるのだろう。厚労省と別組織の内閣府にせよ総務省、文科省、等々ありとあらゆる役所が一致協力して、事コロナ問題に関して情報の集約を図る事が全くできないのが日本の行政に実態だろう。行政のトップは言うまでもなく内閣総理大臣、週に2回閣議なるものが行われることに決まっているようだが、閣議でコロナ対策が打ち合わされたとの話は聴いたことがない。当事者もどこに情報があるのか分かっていないようだ。

2021年7月12日月曜日

日大板橋病院にて

 今日は11ヶ月ぶりで日大板橋病院での定期検診を受診。早朝7時40分から玄関前に並んで8時の開扉を待った。既に30人近くの人が並んでいたが、それでも早い方だ。普段昼飯を抜くことは多いが、朝飯を抜くことは殆ど無いので調子が狂う。でもお陰で採血、採尿、泌尿器科と放射線科の2診療科の診察を済ませて11時前には終了、次回は来年の7月4日に決定。次回予約が13ヵ月目になると保険の関係がやかましくなると聞いていたが、泌尿器科の先生が「会計窓口でこれを提出して下さい」と再診証明のお墨付きを書いてくれた。

次回再診が1年後で良いとのことは、今回の診断で特に問題が無かったということらしい。少なくとも前立腺がんに関してのことであり、以前から問題になっている腎機能や貧血の問題が解決してるわけではない。昔から言う一病息災の通りで、1年毎に定期検診を800円以下の低コストで受診できる方が有り難い。帰り道にあるジョナサンに入ってブランチを楽しんできた。どこが緊急事態かと思うほどの満席状態。勿論一人飯の客も3割りぐらいいるが、結構ママ友らしいおばさん連中が多い。

病院滞在が3時間以上に及ぶメリットは読書時間が取れること。特に朝早くから玄関前で並ばされるのは立ち読みに好都合。特に今朝は久しぶりの早朝からの快晴で、数日前に購入した月刊文藝春秋8月号を大分読むことができた。巻頭の50ページ特集は「中国共産党の野望と病理」おどろおどろしいタイトルでもあり、文藝春秋社はどちらかと言えば保守的で右寄りと言われるが、そうでもない。右派陣営の論者に対して、それなりの反対論者をしっかり配している。

全ては読み終わっていないが、慶應義塾大学教授の青木節子氏の寄稿『宇宙を支配する「量子科学衛星」の脅威』が特に興味深かった。最近書店でもなかなか読みたい本が見つからなかったので、彼女の本を早速買って読みたいと思う。内閣府にしても防衛省にしても彼女のような論客を抱えながら、何故アメリカに言われるままミサイルを買わされているのかが、不思議でならない。

2021年7月11日日曜日

私、馬鹿よね

昨夜のリモート同期会で友人が面白いネタを呉れた。5人で政府の悪口を言い合っている時に、彼が兵庫県明石市長が「ワクチン供給不足…政府を信じた私が馬鹿でした。」と市民に謝ったとのこと。いやー、それは笑えるね。明日のブログのネタにさせて貰うよ。てな訳である。本当に今ほど市民の信頼が薄い政府は珍しいと思う。ただでさえ投票率の低い国政選挙の中で、投票数が5割以上行ったためしがないのだから、政府に信頼をおいてる人は10人のうち3人が精々だろう。

高校同期の友人は、国政選挙の際に自民党に投票している人が多いと思うし、昨夜の友人も自民党支持者が多かったと思う。しかし彼等も野党に少しマシな候補者がいれば次回は投票先を考え直したいと思っている様子がありありだった。選挙の予想は専門家でも難しいから措くことにしたい。今日は馬鹿と利口の違いを考えてみたい。予めはっきりしておく必要があると思うので、自分のことについて言いたい。

自分では馬鹿じゃないと思っている。しかし利口でないこともかなりはっきり意識している。ヤクザの世界には「馬鹿でなれず、利口でなれず、中途半端でなお(もっと)なれず。」と言われるらしいが、その中途半端の典型だと思っている。要は馬鹿と利口の差はどこにあるかだ。義務教育から高校時代は通信簿なるものがあって教科毎に評価され、上位評価の多い者から順に利口のランク付けをしてきたような気がする。

この他に高校時代にはご丁寧に、期末、中間テストのたびごとに学年のランク上位50位くらいまでだったと思うがが職員室前に張り出されて、利口者の順番まであったと思う。流石に大学になると、単位を取得できるかどうかが問題で、成績を気にする人は余程良い就職先を目指す人に限られただろう。

さて、社会人になると周りも自分自身も利口と馬鹿の差は余り意識しなくなる。他人との差別化は別次元となり、だいたい似た者同士がある種のクラスターを形成するので、そのクラスターの中での優位性の有無のほうが大きな関心事になってしまい、利口とか馬鹿は余り問題ならない。だからこそ、冒頭の明石市長の発言の意味するところはは大きいと感じた次第だ。この市長が自分を「馬鹿でした」と認めても支持者は減らないはず。

利口ぶってる人間の方が嫌われやすいのは当たり前のこと。どうして権力者になるとああも利口ぶりたがるのだろう?一時利口ぶりっ子の権化だった北朝鮮の金正恩しでさえ最近は態度を改めているらしいのに。 

2021年7月10日土曜日

断点の傷

 長いこと囲碁を学んできたが、一向に強くならない。それは仕方ないが、最近少し分かりかけてきたことがある。囲碁はいろんな意味でバランス感覚が重要ということだ。盤面に存在する361の場所を黒白の色の違いだけで、働きに全く違わない石を置いていくだけのゲーム。これで互いに囲った場所の広さに違いが出来るのだから不思議に思う人が多いと思う。ただ簡単なルールがあって、置いた石が取られてしまう場合がある。(相手の辞書に変わってしまう)

石の数とは無関係に、置いた石が周りを全部相手に囲まれたら取られてしまう。この説明では十分な理解は難しいだろうが、暇な方は書店には入門書が沢山あるし、最初は9路盤と言って縦横9本ずつの罫を引いただけの盤でも楽しめる筈だ。非常に単純ながら、これまで経験した回数は既に1万回を超えている。昔はその度に一喜一憂と言うより、負けて悔しがることが多かったが、最近は負けても悔しさより負けた理由を考えることが多くなった。

最初の数手は相手の石が目に入らないので、どこでも好きな場所に石を置けばいいのだが、10手と進まないうちに相手の石が気になリ始める。結果、相手を攻めたり自分の石を守ったりし始める。攻防が始まると攻めてばかりでもいけないし、守ってばかりいても負けてしまうのは明らかなので実に悩ましい。だからバランス感覚が大事だと思うのだ。それともう一点、大事なのが味方の石が繋がっていること、繋がらずに孤立した石は弱くなる。アホなことばかりやらかしている割に自公政権が強いのも連続性の強さかもしれぬ。

連続性の強さついでに、中国共産党の100周年もある意味で凄い。日本では米中対立図式で語られる事が多いが、対立の内容が人によって理解の仕方がかなり異なっている。財務大臣の麻生氏なんかは「台湾海峡で戦争が始まったら、日本は自衛隊を派遣する。」なんて馬鹿なことを言って、中国政府から「なにか勘違いしてるようだ。」と正式に抗議されている。信念に基づく発言ならなにか反論すればいいのに、反論せずに黙ってしまった。

その発言の直後にアメリカ政府のキャンベル・インド太平洋調整官が「台湾の独立を支持しない」と明言してるから、まるきり馬鹿みたい発言だったことになっている。日本は明治維新で独立国の体をなしてから既に153年、この連続は囲碁で言えば相当な厚みと考えて良いはずだが、その半ばの維新から77年後の1945年に戦に負け、6年に亘る占領(沖縄はもっと後になる)を余儀なくされた。これがある意味で囲碁で言う「断点」となってその傷が未だに放置されてると言わざるを得ない。

この傷が修復されない限り、日本は安定した発展が望めないように思えてならない今日この頃だ。

2021年7月9日金曜日

心ある記者

 我が愛読紙の日刊ゲンダイにはこんな見出しが踊っている『東京五輪「途中中止」の現実味…宣言発令、無観客でも強引開催が招く医療崩壊へのカウントダウン』内容は推して知るべしなので省略させてもらう。他の新聞やテレビは菅首相の昨夕の記者会見を取り上げているところが多いようだ。19時からのNHKニュースを観るのは習慣化しているので仕方無しに30分間〇〇お付き合いをしてしまった。本当にいい加減にしてもらいたい。

最初の質問に立った幹事社、北海道新聞と思うが、記者クラブ記者とは思えないほど立派な質問をした。今日のマスコミはこの質問1点に絞って何故記事を書かないのだろう?だからマスコミ(幹部}は毒饅頭で懐柔させられてしまっていると言われてしまうのだ。ご覧になっていない方もいると思うので簡単に紹介したい。記者は先ず宣言を繰り返す見通しの甘さや自身の責任を聞いたが、首相は全く無視、何も答えなかった。

続いて「国民はいつになったら普通の生活に戻れるのか」と尋ねると、首相は「世界はワクチンによって、かつての日常を取り戻している」と話をずらして答えるばかり。更に「最後の宣言か」との質問に答えず「最後かと聞いているのだが」と重ねて問うても、「強い信念を持ってやっている」と、述べるに留まり全く噛み合っていない。

一方で、新型コロナウイルスのワクチンについては「接種が大きく進み、コロナとの戦いにも区切りが見えてきた」「先進国でも例のない速さで進んでいる」と冗舌に語った。供給の見通しが立たずに混乱が続く自治体への対応については「配分量をできるだけ早期に示す」と述べた。以上は殆ど北海道新聞記事の引用だが、これが安心安全の実態と言えよう。

もうテレビも新聞も殆どはオリンピック開催を黙認した形になっているが、中にはここに紹介したものも含め、厳しい味方をしてるメディア何社かある。後は今後の検証、がどう行われるかだが心ある記者の活躍を期して待ちたい。

2021年7月8日木曜日

ご近所のこと

 昨日七夕について触れたが、その後でテレビで天の川を観て、天の川を最後に見たのがいつの事だったか思い出せなくなってしまった。これも都会暮らしが長くなったせいだろう。東京で見ることが叶わないのは何も天の川だけではない。初夏の風物詩とも言える燕の姿もほとんど見ることができない。逆に目につくのが建設現場と騒がしい人声と喧しい音が精神をイラつかせる。実は家の前に3箇所あった駐車場1箇所が1ヶ月チョット前から工事が始まり、整地→基礎工事が終了して鉄パイプの枠組みも完成。今週から建屋の工事に入った。

今朝トラック2台分の木材が運び込まれ、人足が8人で一斉に骨組みを組み始めた。今までの騒音は我慢してきたが、今朝からは槌音が喧しくて何もできない。これは彼等の昼休みに書いている。恐らく明日一杯で屋根を除く外側は完成するだろうが、当分の間こちらは最悪の環境下に置かれてしまいそうだ。仕方なく2階の窓越しに現場を観察して退屈を紛らわす。人足8人の親方らしき人物は一人、後は結構若い者がよく動いている。他に肌の色が異なる者が3人いる。コロナで入国が厳しくなったという割には。この辺には外国人が多い。

世の中の景気が良いのか悪いのか判断できないが、よくもこんなに多くの建物が立ち上がるものだと感心せざるを得ない。中には結構な豪邸風情もあるが、大方はマンション風情だ。半世紀以上前に越してきた時は、山手線池袋駅から歩けば30分以上の鄙びた都会の田舎。小さな商店や、職人さんが多く住む集落と言ってもいいような町だった。それが近くに地下鉄有楽町線が開通して新しい駅が出来るとみるみる様変わりした。小さな商店はほぼ一掃され、店を畳んで別の場所に移り住んだ人達も多い。子供たちの小中学生時代の仲間も殆どいなくなっている。

麦が主体だった畑は先ず駐車場に、後にそれが全て宅地に変身して行くことになった。国全体の人口減少に歯止めがかからないのに、東京の人口だけは増え続けている。当然ながらご近所の顔ぶれも相当変わった。代替わりもあるので家内が仲良く付き合っていたご近所さんはもうう4人か5人。その方たちも籠もりきりだと思うが、殆ど姿を見ない。年月とともに変わりゆくのは大都市の定め、仕方ないとせねばならない。

2021年7月7日水曜日

普通の暮らし

 昨日家の前を、身の丈を少し超える笹竹を担いで通る人を見かけた。瞬間的には不思議な気がしたが、チョット考えたら不思議でも何でも無い、今日が七夕だった。子供がいる親なら当然のこと、よくぞ見つけたものと感心する。世を捨てているつもりもないが、どうしても普通の人とは感覚が違うことを昨日も知らされた。

家の中にカレンダーが4箇所も掲げられている、寝間に居間に書斎みたい部屋とトイレの中だ。他に小手帳も使っているので、今日は何日の何曜日くらいは意識してるつもりだったが、七夕とか今月22日から5連休になるということは全く知らなかった。日曜日だったか世田谷に住む次女から電話が来て、ワクチン1回目の接種が9日に決まったとのこと。と言うことは2回めが30日だな、と念を押したら「それがはっきりしないのよ」と言う。世田谷と豊島の事情の違いよりはワクチン供給に支障が生じた可能性のほうが強いかもしれぬ。

続いて次女が言ったのが、22日からの5連休のこと。振り返ってカレンダーを確認すると17日から19日は3連休になることが確認できるが、22日からの休日なんて何の印もない。意味が分からなかったので聞くと、今年はオリンピックイヤーなので特別に休日が設定され、どこの会社も5連休とのこと。だからこの連休で山行きに付き合ってあげられるから計画をして、と有り難い仰せ。

それでは前から約束していたように上高地方面にでも行こう、と言うことになって段取りを取り始めたが、浮世離れした年寄には些か無理だったようで、上高地のホテルなんか取れる訳が無い。岐阜県側の平湯温泉方面からのアクセスも全て満杯で諦めざるを得なかった。昨夜次女に電話、7月の北アルプス方面は諦めて他のプラン、近くの里山か長野の里山にでも行くことにして明日中に決めると連絡。これも今日中に決めないと、交通手段の確保がまた問題になりそうだ。

余り気にしてなかったがオリンピックがなし崩しで眼前に迫ってしまった。先日書いたインパール作戦ではないが、一部の政治家が国際的詐欺グループの口車に乗せられ、国民を否応なしに引っ張って地獄に向かっているようなものだ。これが後世どんな影響となって現れるか知るよしもないが、普通には考えられないことをしているのだから無事に収まることは難しいのではないか。そもそも政府が国民を欺いている最大の要因は新規感染者の数、国民の多くはこれを信じてるかも知らぬが、これが大間違いだと思う。

諸外国と比較して毎日の発表に傾向値が明確に現れない日本。即ち、検査数が圧倒的に少なく、適切な箇所に於ける検査の拡大が無い実態の反映に過ぎないからだろう。

2021年7月6日火曜日

古い写真

だいぶ歳を取ったので少しずつ身辺整理をする必要がありそうだ。と言うのは先日友人から婚礼の写真がないかと聞かれて、無い筈はありえないからと探してみたがどうしても見つからなかった。他人の結婚写真は沢山出てきたが、本人のものだけ見つからないのは、きっと大事にしまい込んだのだろう。しまい込むと言っても狭い家なのにどこへしまったことやら見当がつかない。プロの写真家に撮影してもらった写真は改めて家探ししなければならないが、自分が撮影した写真がどうなっているかも気になった。 

確か数年前パソコンを買い替えた際、設定してくれた友人のエンジニアが整理してくれたから大丈夫だろうと思っていたが、今日の午前中確認してみた。自分で写真機を買って撮影し始めたのが2004年らしいが、以来デジカメで撮った写真はgoogleのクラウドに完全に保管されていることが確認できた。同時に新しい問題が発見できた。

何かと言うと、同じ山歩き好きの友人が送ってくれた写真が混在していることである。同行した場合のものであれば多少のダブリはいいとして、彼が別の友人や家族旅行した際の写真や動画数千枚が混在してしまっている。しかもそのうちの何件かはこちらが撮影した日にちと同日である場合もあったりして、相当ややこしいことになっている。そういったデータを電子媒体で受け取り、保存する場合にきちんとタイトルを付けるとかしてないので、彼の友人との写真にこちらの写真が紛れ込んでいたりしてしまうのだ。

今日気がついてよかったと思うのは、彼のカメラがこちらの製品と違っていたこと。クラウドは画像の撮影時間を基準に整理保存してるようだが、彼が撮影した画像は表面に日時が表示されない設定になっていて、こちらは表示される点が違っている。それを手がかりに大分整理することができたが、なんと言っても膨大な数量だ。彼がこちらとは関係なく行った山は殆どこちらも行ったことがある山。故に一見するだけでは、これは自分の写真と錯覚しかねない。

なんだかんだ言ってもクラウドでの保存は便利なものだ。昔の紙焼き写真はもう大分脱色してセピア色になりつつあるし、手札版の紙焼きが多いので大勢で写っている写真ではどこに自分がいるのか判別できなくなっている。勿論フィルムの存在なんかとうの昔に失くしている。この種のものをどうすべきかボチボチ考える必要もある。 

2021年7月5日月曜日

都議選の結果

 昨日の選挙、特に我が豊島区の結果は、ボケ老人の期待に反してとても残念な結果になってしまった。多くの皆さんには関係無い事だが念の為少し詳しく書かせて貰う。昨日のブログに書いて落選を願った都ファの候補がトップ当選で、我が1票を投じた共産党候補は僅差の2位、公明党現職も当選だから結果的に自民党が落選してしまった。

昨日の選挙結果を総体的に見て、今朝の報道では勝者無き選挙結果とされてるようだ。自公も結局過半数に届かなかったし、立憲共産の野党共闘も26議席が34議席とわずか8議席の伸びに留まっている。都ファも落ち目と言われながらも45から31と僅か14議席の減りで踏み止まった。定員127で過半数64の議席に対し、最大が自民党の33で2位が都ファの31、3位の公明は23で変わらず。

結局勝ったのは小池都知事唯一人と言われている。そりゃそうだ、都知事にすれば自・公・都ファ何れも操り放題、これからもずっと芝居を続けられると高笑いしてることだろう。選挙は民主主義が実行されるために最も有効且つ唯一の手段、結果は尊重されなければならぬことは承知している。しかし結果がこうだとどうもしっくりこない。民主主義は本当に市民を幸せにするのだろうか?この嫌な感じは安倍政権以降ずっと継続している。

例えばオリンピック開催についても、世論調査の結果を見ればどの調査であれ、開催を疑問視する市民が過半数を締めてることが明らか。政治家が「ご意見を伺い尊重する」としている専門家や実際の医療関係者は口を揃えて反対を唱えている。にも関わらずそういった声を一顧だにせず強行を図る政治家連中。彼等の発言をどんなに聞いても考えが理解できない。

先週リモート懇談の時友人が言っていた。現政府は先の大戦時末期にインパール作戦を強行した大本営と同じ。参謀連中は戦地における兵員の損耗は念頭に無く、強行突破と言う目的しか考えていないとのこと。言われてみればその通りで、オリンピックを強行すれば、政治の勝利で犠牲になるのは一般市民だから諸侯とは関係無いらしい。

選挙とは少し意味が違うかもしれぬが、先日タイトル防衛を果たして四段から一気に最高位の九段に昇格した将棋の藤井聡太氏、新聞のインタビューに応えた次の一言が忘れられない。「今回防衛戦で結果を出すことができたんですが、それで一人前になったかというと、そういう意識はないです。」彼は未だ18歳11カ月。政治家の発言にこのように脳裏に刻まれる言葉を聞きたいものだ。

2021年7月4日日曜日

老婆心

 昨日長女の一家が山形の実家から届いたさくらんぼをもってきてくれた。実家のご両親もコロナ禍の影響で、息子夫婦は兎も角として長いこと孫の子を見られないのは寂しいことだろう。父上はこちらより大分年上だ、でもご両親ともお元気とのこと。何よりのことなので、宜しくお礼をを申し上げるよう依頼。更にお土産がもう一つ、もうすぐ暑くなるだろうからと、缶ビールを2缶仏壇に供えたから後で飲んでくれとのこと。これは横浜の義母が先日体調を崩して入院、1週間で退院した快気祝いのお裾分けとのこと。義母も既に96歳、元気なことは何よりだ。

もう7月に入ったが、中学1年の孫は勉強が大変な様子。授業は対面で行われてるようだが、宿題も多い上試験がしょっちゅうらしい。その上今月からはプールでの水泳も始まるとのこと。孫は幼稚園児の頃にやはり水泳があって、ギャー泣きして大変だったらしいが、園長さんの教育方針で兎も角泳げるようにはしてもらった筈だから、心配無いと思うが梅雨寒の気候の方が気に懸かる。

旦那に夏のボーナスのことを聞くと、夏にボーナスは出ず9月と3月が支給月とのことでびっくりした。何でも勤務先が会計年度を国際標準に合わせて12月決算にしたからとのこと。昔から会計年度は暦年と異なるのが当たり前と思っていたので、やはり日本は普通じゃない国なのかな?

変な寒さも続いているが、未だ梅雨末期とは言えないのに、本州が集中豪雨に襲われ大きな被害があちこちで発生している。特に昨日は熱海で大規模な土石流が発生して、今日になっても人命を含む被害状況すら特定できていない。コロナ禍もなかなか収まりそうにない中、踏んだり蹴ったり状態の日本だが、政治の方は相変わらずで、コロナ禍収束に向けての努力は一向に捗らない。ワクチン接種が切り札みたいことを言って一時胸を張っていた首相や河野太郎氏。特に河野氏は先月発売の「月間文藝春秋7月号」に<全責任は私が引き受ける>と大言壮語する寄稿までしている。今月末以降供給の目処が立たない自治体や、集団接種の準備を始めた団体の責任者からすれば「どのように責任を取ってくれるんだ!」と詰め寄りたいところだろう。

彼は原子力問題、特に核燃サイクル問題で言ったことをケロッと忘れる無責任男。この記事を読んだ時も、偉そうに言ってるが大丈夫かな?と不安があったが案の定だ。なんで日本の政治家はこんなに程度が低いのだろうと少し悲しくなってしまう。政治家の程度問題で言えば、中国の政治家のことが昨夜のリモート懇談会で話題になった。衆目の一致したところは彼等の学習力の高さ。現在実行していることの善悪は措くとして、中国政界のトップに居る彼等が学習経験してきたことの厚みだけは認めざるを得ない。習近平氏はその頂点にいるのだから相当なものだろうが、中国に伝わる諺「過ぎたるは猶及ばざるが如し」だ。程々にしないと躓きかねないと老婆心が出てくる。

2021年7月3日土曜日

政治家の振る舞い

 明日は都議会選挙の投票日、豊島区は定員3に対して候補者6人だが、実質的には自民・公明・都ファ・共産4人から誰が落ちるかの激戦らしい。だから野党は共産一人に絞っている。前もこの候補者に投票したような記憶があるので絞られなくても投票しただろう。可哀想だが都民ファーストが落選すると思う。彼は我が家の近くの住まい、古い家柄の名家出身の区会議員で有名だった。それが前回の小池旋風に乗って都議に格上げされた形になっている。区議時代から威張っていたので家内は嫌っていた。だからもし落選すれば、草葉の陰で政治が好きだった家内は喜ぶことだろう。

それにしても前の選挙で公明と組んで都ファの一大旋風を巻き起こした小池都知事、この人の都議選対応が興味深い。選挙戦が始まると同時に急に体調が優れぬと発表。毎日のように紙芝居屋の親父もどきに連日テレビに出ては、コロナがどうのこうのと言ってたのに。当然メディアは都議選への関与を尋ねるが、殆ど無言でいきなりどこかの病院に雲隠れ。都民ファーストの現有議席は45で最大派閥。前回手を握った公明と合算すると過半数を超えている。

ところが今回公明は、都ファの旬が過ぎたと見て組む相手を自民党に乗り替えた。そういうところは公明党も流石で、機を見るに敏と言うか、節操が無いとも言えるが、この政党とも言えぬ塊は、権力者側にさえいれば何でも良いのだろう。産みの親に見捨てられた子供の気持ちなんか石原慎太郎氏が形容した厚化粧の婆さんには通じる筈も無い。メディアは都ファの現職議員に取材でマイクを向けると、「知事からコメントするなと指示を受けてる。」とのこと。

入院は先月22日、都議選告示日は25日。退院して「ご迷惑をおかけした。」と記者会見をしたのが昨日。こんなに解りやすいサボタージュは他に知らない。無責任は自公政権の専売ではないようだ。投票日の前々日にテレビカメラの前で、さも弱々しく声を降りぼるような演技で「皆さん、共に頑張りましょう!」ときたものだ。さすがタレント上がり、芝居も堂に入ってる。素人目で見ると本当に風邪でも引いたように見えてしまうだろう。

小池氏は次の総選挙に立候補して国政復帰を目指すらしいが、我が住まいの10区(豊島区)にはもう出ることができない客観情勢にある。もっぱら噂されているのが東京1区。千代田区全域と港区新宿区の一部が混ざっていて面白い選挙区らしい。どこでもいいが、兎に角豊島区には戻ってこないでくれ。

2021年7月2日金曜日

お手本

 未だ認知症には至ってないと思うが、先月までやや思考停止状態に陥っていたことに気がついた。ここで気が付かなければ前向きなことが考えられず、漫然と死を待つだけだったので、覚醒してこれから新しい課題を見つけたいと思い始めたところだ。その意味で先月6月は悩みながらであったが、有意義な1ヶ月だったとしたい。命があと何日か何年かなんて考えず、1日1日をゆっくり焦らず過ごせば良い。

昨日急に考えが変わったきっかけは、中国共産党結成100年式典の報道、特に習近平国家主席の演説だったと思う。今は日本人の多くが中国のことを嫌ってるようだが、子供時代に両親から「日本文化はすべて中国からの輸入、講談本のネタはみな中国の歴史小説にある」と教わっていたので、一定の年齢になってその歴史小説「三国志」や「水滸伝」などを読んで成程と思ったものだ。共産党一党支配になった現在でも頭から嫌いと思っったことは一度もない。

特に30歳代に囲碁を知ったことも関係があったりする。仕事で中国に何回か行き、多くの中国人と個人的関係を持ったりしたこともある。中国にもインテリもいるし、そうでない人もたくさんいるくらいの推測はできる。一党独裁は確かだし、それが一種の専制主義でもあり、政策の中でかなりの人権侵害があるのは間違いないだろうが、だから国民の多くが不幸かと言えばそうでもないと思う。勿論中には共産党が大嫌いと言う人も居ない訳ではない。香港人や台湾人には特に多いかもしれない。本国内でも知る限り何人かはいる。

昨日習近平氏の演説で感銘を受けたのは、氏が過去100年を振り返って「国家千年の大計からすると、未だほんの一歩を踏み出したところだから、歩みを止めてはいけない」と語ったことだ。誰もが歴史の中で生きてる限り、自分の責務に忠実に生きることが大切で、毀誉褒貶は後の世代に任せるべきと悟った。自分は国家運営ほどの責務は無いが、少なくとも子孫に対して恥ずかしくないものをなにか残す必要がある。

それが西郷隆盛が言ったように美田ではないことははっきりしてるが、それに代わる何かを探すのが今後の課題だろうと思い至り、少し目の前が明るくなった気持ちがする。幸い今日も雨模様の悪天候、昼間から蛍光灯をつけたりしてるが、これも自然の成り行き、やがては眩しいほどの天気にもなるだろう。習近平氏は「小康社会」と聞き慣れない言葉を使った。これを自慢と受け止める向きもあるが、大発展と言わないのだから自慢とケチを付ける気にはならない。

演説の中には随分勇ましい文言もあるが、彼の演説には手本としたい要素が多くあった。兎も角、この先が長かろうと短かろうと休み休み前向きに行けば良いだけのことだ。

2021年7月1日木曜日

月の初めに

 今年も半年が過ぎ去り月は変わったが運気は変わりそうもない。せめて青空を拝みたいが、期待は大外れで昼間でも薄暗く、強い雨が降り続い少し寒いくらい。

カナダ太平洋岸最大とされる都市ヴァンクーバーでは昨日の最高気温が49.5度となって死亡者が何十人も出てるとのこと。昔から一度は行きたいと強く思ってい都市でもある。結局夢は叶わなかった。夢破れはよくあることで、暇に任せて地図帳を出して確認してみた。日本は北緯35度から45度辺りにほぼ位置する一方、カナダは国境の南端が既に北緯50度。ヴァンクーバーは国境から少し北にある。序に余計なことを書くと、カナダの面積はアメリカとほぼ同じで、人口がアメリカの約1割。

未だ40歳になる前、3日間だけ東海岸にある首都モントリオールに滞在したことを思い出した。モントリオール・オリンピック開会式前後のことで、しかもホームステイなる民泊だった。ホスト宅は70歳前後の老夫婦のお宅で、二人共英語が全く通じず難儀したが、それでも2泊できたのだから若さというのは貴重なものだ。ホスト宅もさることながら、朝飯のためドラッグストアみたいところに案内されミルクを注文したら、これが全く通じなかったのも懐かしい。フランス語でミルクはカフェオレの「レ」と言うこと初めて知った。

さて今月は日本では愈々オリンピック開催だ。スポーツそのものには大した関心も期待も無い。あるのはどんな顛末に至るか無責任な野次馬根性だけ。東京のコロナ感染者数は多くの専門家が予測した通り、ここ10日以上増え続けて目出度くと言っては悪いが、オリンピックが開催される今月末から来月初旬にかけて新規感染者数が1日2千人を超すとの予想。否定する学者は少ない上、20日に1回目ワクチン接種を受けた自民党の元財務大臣の額賀氏が26日にコロナで入院との悪い情報が重なった。

ワクチン先進国のイギリスでは、9月から3回目の接種を進めるとの公表があったばかりだし、ワクチンもどこまで信用できる疑心暗鬼にならざるを得ない。何事も初めてだから仕方無いと諦めざるを得ないか。

今日は日本では特にモノ日ではないが、中国では共産党の結党100年の記念日とのことで大祝賀ムードのようだ。昨日か一昨日かには、各地の新党員の宣誓式がの様子放送されていたが、今日は全国の共産党員数が9500万人と報道されていた。100年前に上海で結成された政治団体だそうだが、当時のメンバーは確か14人とか言っていた。日本最大の政治団体自民党員数は2020年3月時点で約113万人。会費が幾らか知らぬが、立憲と同じとすれば年に2千円くらい。収めてるのは老人が多いだろう。