2021年7月25日日曜日

老後の世界

 連休になると両隣が空き家に変わる。一方のご家族は山梨県河口湖のご別送、もう一方のご夫婦は群馬県草津温泉にマンションをお持ちとのこと。こちらは普段開けない東と西の窓も開放して取り込む空気の量が増えるので有り難い。テレビの音量なんかも気にせずに大きく出来るが、音量を上げて観るような番組が無いので逆に寂しくなる。昨夜も恒例のリモート懇談会。常連の一人が先々週を最後に入院してしまったので、昨夜は5人。

入院した友人は13年ほど前に発見された食道がんがきっかけで、身体にメスをいれることを避けて、様々な治療法を試みながら結構元気よく活動してきたものの、血液に転移し、遂には肺にも及んで肺機能の低下でダウンしたらしい。癌細胞はどんなものか知らぬが、ウィルスと同じで厄介なもののようだ。友人の一人が言うには、既に何人かの同期生が亡くなっている間質性肺炎末期と同じじゃないかなとのこと。兎に角元気印の塊みたい男だっただけに可哀想だ。

ひとしきり、ならば我々は幾つまで生きるだろう、と言った話題になり85歳?ひょっとすれば90歳までは可能かもという友人も居た。しかしここまで来れば明日死んでも90歳まで生きても似たようなものだろう。22日に山歩きに同行してくれた娘が「お父さんは恐るべき81歳」とおだててくれたが、これも本音で言えば一種の皮肉かもしれぬ。既に自分の体が思うように動いてくれないのだからどうしようもない。当然だが、頭の回転、記憶の出し入れに機能低下が起こり始めているに決まっている。

その他の話題として、小生が先週ガラケーをスマホに切り替えた自慢話をした。そこから一頻り通信機器の料金やIDとパスワード管理の話題で盛り上がった。友人たちも似たようなものだと思うが、少なくとも小生はパソコンやスマホを使用する際、特別な認証を不要に設定し直した。入院した友人のスマホを奥方が見ようにも使用開始の認証が必要で見られないし、病院には持ち込めず難儀されているようだ。

お互い長生きするに越したことはないが、何があっても不思議がないのも事実。少しず、心構えを持たねばならないだろう。昨日書店に立ち寄った歳、文春ムック「佐藤愛子の世界」が目に止まって買ってしまった。佐藤愛子さんは昔から少し変わり者と思っているが、瀬戸内寂聴さんなんかと違って憎めないところ好きだ。当分楽しめそうなので期待している。

0 件のコメント: