2014年6月30日月曜日

昨日 新宿南口での騒動

一般紙やテレビではあまり大きなニュースになっていないようだが、昨日新宿の南口で起こった焼身自殺未遂事件は衝撃的な事件だと思う。ネットによると、日本人でないとか、頭がおかしい左翼とか悪口めいた書き込みも多いが、この人が集団的自衛権憲法解釈変更反対の演説の後、身体に油を被ってライターで火をつける寸前に叫んだ最後の言葉が善い。何でも与謝野晶子の「君死に給うことなかれ」を朗々と叫んで1番の終わる直前「人を殺せとをしへしや」で声が消えたらしい。

在日韓国人だったとしても、思いは見上げたものだと思う。歩道橋の橋げたに登って演説し始めたのが午後2時くらいで、警官や消防も駆けつけ騒然とした環境だったらしい。実際に見た訳ではないいので間違っているかもしれないが、小1時間の演説だったらしい。消防も待機していたので火はすぐ消されてしまったらしい。故に、自殺する意思が本当にあったのかなんて書き込みも多いが、やらせではできない芸当だろう。何れにしても、マスメディアはタイとかチベットの坊さんが焼身自殺なんてことはよく取り上げるが、こんなことはもっと深い取材をして取り上げるべきだろう。未だに氏名も素性もはっきり見えてこない。

この事件のお陰で、改めて与謝野晶子の詩を読んでみた。

君死にたまふことなかれ  
  與 謝 野 晶 子 (旅順港包圍軍の中に在る弟を歎きて)
         
あゝをとうとよ、君を泣く、
君死にたまふことなかれ、
末に生れし君なれば
親のなさけはまさりしも、
親は刃(やいば)をにぎらせて
人を殺せとをしへしや、
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや。

堺(さかひ)の街のあきびとの
舊家(きうか)をほこるあるじにて
親の名を繼ぐ君なれば、
君死にたまふことなかれ、
旅順の城はほろぶとも、
ほろびずとても、何事ぞ、
君は知らじな、あきびとの
家のおきてに無かりけり。

君死にたまふことなかれ、
すめらみことは、戰ひに
おほみづからは出でまさね、
かたみに人の血を流し、
獸(けもの)の道に死ねよとは、
死ぬるを人のほまれとは、
大みこゝろの深ければ
もとよりいかで思(おぼ)されむ。

あゝをとうとよ、戰ひに
君死にたまふことなかれ、
すぎにし秋を父ぎみに
おくれたまへる母ぎみは、
なげきの中に、いたましく
わが子を召され、家を守(も)り、
安(やす)しと聞ける大御代も
母のしら髮はまさりぬる。

暖簾(のれん)のかげに伏して泣く
あえかにわかき新妻(にひづま)を、
君わするるや、思へるや、
十月(とつき)も添はでわかれたる
少女ごころを思ひみよ、
この世ひとりの君ならで
あゝまた誰をたのむべき、
君死にたまふことなかれ。

日露戦争の日本海大海戦で日本が勝利する前年の明治37年に発表された。
反戦家として一貫性が無かったとも伝えられているが、味わい深いものがある。
子供のいない総理には理解できないことだろう。

2014年6月29日日曜日

週末のテレビ番組

昨夜も今朝もしとしと雨が降っていたが、昼になると急に青空が見えたり急に雷鳴と共に雨が降り始めたりして、典型的な梅雨空なんだろう。まだ6月だから梅雨明けは遠そうだが、既に夏の到来は間違いない。昨日は一度もテレビニュースを観ることが無かったが、夜になってBSプレミアム「浮世絵で辿る東海道五十三次」引き続いてBS-TBS「日本の名峰・立山」を観た。

「碌なニュースが無いからその方がずっとましよ。」婆さんの言うがままであったが、双方共に見応えがあった。前者については、静岡県島田市に保存されている大井の渡し資料館で構成されたシーンが婆さんのお薦め。彼女が物心ついてから高校まで過ごした土地である。渡し人足については何となく知っていたつもりが、全然知っていなかったことが分かった。精々50メートルあるか無しかの大した川幅ではない。

でもこの渡しが土地の一大産業であったことが窺えて面白かった。弥次さん喜多さん達は人足の肩車だったろうが、少し裕福な人は輦台なる乗り物を利用することになる。幅がある梯子状で床板は無く、それを人足最低で4人、普通6人で担いだらしい。大名クラスになると輦台一つに24人掛だったそうだ。水量によって手間賃が変化する仕組みになっていたらしく、普通の水量でも一人46文(約2千円)は必要だったらしい。大名クラスで人足の数がその20倍以上となると相当なものだ。参勤交代は地方経済に相当な貢献もしていたのだろう。

後者の「日本の名峰」は一人で観た。夏が来れば思い出す~で、先週土曜日には同じ番組シリーズの「白山」を観たりして、しきりと山のことが気にかかる。今こうして書いている最中にも、大きな雷鳴が鳴り続いているが、山歩きに悪天候はつきもので、雷を聞けば聞くほど山が懐かしい。昨夜の「立山」も、室堂スタートだったが、朝視界が全く利かない中を歩き始め、山頂間近で急に晴れる。山でよくあるパターンを上手くカメラがとらえていた。

こう言った番組を観ていると、またアルプスに引き寄せられてしまいそうだが、やはり齢とかその他諸々を考えると止めておいた方が良さそうだ。幸いテレビの映像と己の頭の中の映像を重ね合せるだけで十分楽しめるではないか。更に昨日弟が長野県観光部山岳高原課作成の「長野県内の主要登山ルート100(難易度別)」を送ってくれた。ざっと見ても7割か8割くらいは行ったことがありそうだ。しかし、初心者・初級者・中級者向けルートの中にも行っていないルートが何か所かある。

激しい雨音の中で見ていると、中級の日帰りコースに「雨飾山」が見つかった。何か誘われている感じがする。

2014年6月28日土曜日

領主なんか知るか!

父は地方公務員だったがお酒が好きで、酔うと笑いながらよく冗談とも本当ともつかぬことを言った。「我が家は由緒正しい百姓で(但し父が復員してきた時には不在地主で、田畑は1枚も無くなっていた)、明治のご維新までは苗字すら無かった。」もその一つ。その血を受け継いだせいでもなかろうが、生きていくためには土地は必要だろうが、為政者なんかはどうでもいいとの思いが少しある。明治維新前のお百姓であれば、村の自然環境が何より大切で、殿様が上杉であろうと武田であろうと関係ないことだったろう。

我が身に置き換えて少し極端に言うと、国土が保全されるなら国家なんか別に日本でなくてもいい。てなことで、非国民の極みになる。このところ連日「国家の危機を回避するために」云々と聞かされると「どこにそんな脅威があるのだ?脅威は我が国が近隣諸国に与えつつあるだけだろう。」ついそんなことを言ってみたくなるひねくれものである。今朝TBSの「あさチャン!サタデー」に出演した武見太郎の倅の自民党陣笠議員が共演の辻辻元清美民主党議員に向かって「日米同盟はもとより軍事同盟です。」

そんなことも知らないとは、とあきれ顔で得意げに喋っていた。日米安全保障条約とは日独伊3国同盟に代わる軍事同盟だったのか、と初めて認識させて頂いた。その後武見先生の仰ることを一所懸命理解しようと努めたが、無学無教養の悲しさでどうしても理解できない。来週の火曜日には、現在安倍政権が最重要課題としている集団的自衛権行使に関する解釈「我が国は憲法上の制約からこれを行使できない」の変更が閣議決定されるとのこと。やけくそで思えば、湾岸戦争以来既に開いている蟻の穴が、また拡大するだけの話かもしれぬ。

安倍政権が出来る前の衆議院選挙、政権成立の参議院選挙の際には一言も触れず、国会の首相所信表明でも全く触れられなかった案件が、何故か今年に入って総理の訪米辺りから急浮上したらしい。言われてみると、昨年末に総理がマスコミを賑わせてくださったのは靖国参拝で、当時は未だ集団的自衛権なる言葉は登場していなかったようだ。思えば僅か半年の短期間で、自衛隊の武力行使の範囲を拡大するわ、武器輸出への扉を開けるわ、ODAで武器購入を認めるわではないが武見先生の「武」の字が余程お好きと見える。

公約に無くて、少なくとも世論調査で相当疑念がはっきりしているのだから、党内で殿ご乱心と相当の議論が巻き起こるかと思いきや、自民党も不思議な党だ。高村副総裁が昨夜のNHKに出演して仰るのを聞くと、数多い議員の中で異論を唱えるのはやや一人のみ。あとは公明党内の調整を見守るだけ、と必要以上にゆっくりした口調で、やけに自信たっぷりである。きくところでは、与党協議はその名の通り、離脱はあり得ないとする公明党がむしろ積極的にリードして、落としどころ文言を作成とも言われている。

国民の意向より宗主国の意向が大事とは知らなかった。アメリカも馬鹿じゃないから、失望したなんて言いながら靖国参拝を逆手に取ったのかな。一方日本を見ると、政権は誇りも矜持をも捨てさり、ここまで馬鹿にされると何をか況やだ。「勝手にしたら、どうせおいらは領主とは関係ない。」と言いたくなってしまう。

2014年6月27日金曜日

老人医療

今日は、いつも8週間毎に痛風予防の薬を処方してもらっている掛かり付け医に行く日だった。丁度1か月ほど前に区役所から「国保特定健康診査のご案内(無料)」が届いていたので、序でに受診させてもらった。8週間前に「次回は血液検査をさせてもらいます。」と宣告されていたので、こちらとすれば同じ検査を2度受ける必要が無くなり好都合だし、お医者さんも請求先が変わるだけで別に損をするわけでもないだろう。

医院が事務所の隣なので、いの一番に行ったつもりだったが既に先客が3人もいた。採尿から始まり身長・体重測定、問診、血圧測定、聴診、心電図測定、採血、胸部X線撮影、眼底測定とこれだけのメニューをこなすのに小1時間掛かってしまう。お医者さんはご夫婦の二人だけで、X線撮影技師も兼ねるし、眼底撮影の機械も昨年までは無かったので、これも看護士任せにはできぬらしい。処方箋を貰って帰る頃は20人以上のお年寄り待っていたようだった。お医者さんもほぼご同輩だが、よくお働きだ。

結果は3週間ほどで区から自宅に送られてくるが、診査結果のについて解説を聞くのは8週間後になる。結果は昨年に比べて大差が無い筈だ。但し、今年から眼底検査が加わったことの他に、前立腺癌のマーカーPSA値を測定しているので、この異常な高さにお医者さんの方がびっくりすることだろう。「即刻紹介状を書くので日大病院で専門医の診断を受けてください。」と言うに決まっている。しかし、そっちは泌尿器科で半年ごとにチェックしていて、1年前に2度目の生検を日大病院で受けたばかりなので、丁重にお断りすることになるだろう。

昔「ゆりかごから墓場まで」と言うセリフを聞いた覚えがある。多分イギリスのことだと記憶するが、社会保障制度と医療が充実していることのシンボルで、日本では羨ましげに話題になっていたのだろう。あれから約半世紀、何だかんだと言いながら、今や日本の老人福祉や老人医療制度は世界に冠たるものになっているのではなかろうか。その恩恵を被っているのは大変ありがたいことではあるが、子供や若者への配慮がどうなっているかが、少し気になるところである。

2014年6月26日木曜日

科学の進歩、目が回るスピード感と方向性

トヨタが水素燃料電池車の販売を発表した。日本での販売価格が普通車1台が700万円程度とのことだから、馬鹿高いものではない。自家用車を持つ程度の家庭であれば、すぐにでも手が届きそうだ。国内他メーカーも開発目途がついていて、数年以内には同様の発表となるらしい。欧米メーカーにも開発に参入しているところもあるようだが、むしろ現在のハイブリットエンジンの進化に注力するメーカーもあるとのことだ。

確かにアメリカなんぞは国土の広さが我が国とは桁違いだから、燃料供給拠点の構築を考えると二の足を踏んでいるのかもしれぬ。なんて世相を取り上げたまではいいのだが、実際どのような変わり目に立っているのか、本当のところは分かっていないのだ。ガス会社の地域冷暖房とかで、コゼネが話題になり始めたのが凡そ四半世紀前のことだと記憶するが、科学に弱い上に当時電力会社べったりの仕事をしていたこともあり、余り関心を持たなかった。

しかし311東北大震災に続いた原発事故で、水素爆発の生々しい映像を実際に見て、水素てなんだと思いはじめた程度のことである。しかし、それ以来のことか、急に脚光を浴び始めた燃料電池なんてものも未だ全然理解しようなんて思っても見なかった。一時と言っても30年間ほどになるが車の運転はしたものの、不器用なのか機械いじりが苦手で、会社の車と縁が切れたのを幸いに運転免許証を失効させてしまった。身辺を取り巻く文明の利器数々は確かに有難いとは思いつつも、もうこれで十分との感も否めない。

子供たちの世代は、人の暮らしもいい加減なところで手を打って、むしろ自然環境保護の方に力を入れた方が善いのでは、勝手に想像したりしている口である。従って昨日聞いた水素燃料電池の環境に対する負荷ゼロが事実とすれば、それは実に喜ばしいことである。残念なのはおつむの悪さ、特に科学方面はからきしなので仕組みが良く分からないことである。取り敢えずは東京ガスのホームページなどを見て手っ取り早く理解しようと努力をしても、人間基礎的教養が無いことには理解できる筈がない。政府要人と似たようなものだ。

先ずガスの存在自体がイメージできない。原発事故当時水素ガス爆発と聞いて不思議に思った。飛行船に注入されるのがヘリュウムガスで、燃えやすいとか爆発しやすいとは聞いていたが、水の主原料も燃えたり爆発するのか不思議に思う程度である。次は、水素ガスの力を利用して(水素を燃料として)電気エネルギーを発生させて、電池に蓄えるらしいことが分かったがである。ここから先の想像は決定的に間違っているかもしれない。その水素ガスを発生させるためには何らかの燃料が必要で、その燃料ガスは東京ガスなんかがどこからか運んでくるように思えるのだ。

「水素ガスが爆発しやすい」は原発事故でよく理解できた。だから水素タンクを背負うことになる車の爆発防止策に相当な重量とコストが掛かっているのも一応理解できる。これさえ無ければ動力の構造が単純化されることなどを含め、重量も相当軽くなる筈で、走行距離が延びるのも当然だ。水素ガス発生の仕組みがまだ十分理解できていないので、サービスステーションの有様もイメージできない。

ガソリンスタンドのように、地下に燃料タンクを設置してそこに水素を溜めることができるのか?又は、ステーション毎に水素発生装置を持つ小型工場になるのか?考え始めると切りが無いが、電気が発明(発見?)されたのは僅か200年一寸前、日本初の電気事業会社(東京電燈)の開業は1886年だから未だ150年にもなっていない。何れにしても科学の進歩は忙しいものだ。近く図書館に行って大学1年の時(1958年)に読んだ「50年後の世界」(うろ覚えのタイトルなので見つかるかどうかだが、読んでみたくなった。

2014年6月25日水曜日

生来の臆病者であるので

高齢化社会が国全体に恐怖を感じさせているのは間違いないが、高齢当事者としても様々な恐怖感に苛まれるのが現実である。高齢化は互いに目出度くもありそうでないかもしれぬが我が身はさて置き、婆さんも70歳の峠を目前である。普段から運動が大嫌いだし、外出外食も殆どしないので、余り無理をしていないと思っていたが、年相応と言ったことだろうか身体のあちこちに不具合が出てきてるらしい。

我が家は自家用車も無いので互いに自動車事故は無いが、婆さんは60代になってから自転車での事故を含め、入院を要する怪我が3回あった。怪我は治りさえすれば問題ないし、未だ嘗て風邪で寝込んだこと(小生はしょっちゅうであった)もなし、健康診断でも特に異常な数値は無いと聞いていたので高を括っていた。ところが極最近になって急に意味も無く鼻血が出たり、理由不明で首が痛いと言い出した。義理の妹がこの冬に脳出血で倒れてしまった。彼女も特段健康上の異常を意識していなかったようなので、流石に婆さんも気になったのだろう。

昨日脳のMRI検査を受診してきた。結果、鼻血や首の痛みを特定できる原因は発見されなかったが、小さな脳梗塞の痕跡は沢山あったらしい。「一種の加齢現象で誰にでもあることだから。」と医者に言われて、自分は何も心配が無かったから、あなたも一度脳検査をしてきた方が良いわよ、なんてアッケラカンとしている。こっちは心配性の健康オタクだから、既に一昨年の4月から6月にかけて2か月間も掛けて脳神経科の専門医に掛かっている。

男性は仕事が無くなると急に老けると言われるが、女性は子育てが済むとぐっと若返るようだ。健康に関する感性も違うのだろう。総じて男性は女性に比べると、何処で見ても意気地が無いと言うか元気に欠ける。今日の時点でなでしこジャパンの例を引くのはザックジャパンに対して気の毒であるが、クルム伊達選手ではないが、年齢が行くほどこの傾向は顕著だと思う。山でもそう、プールでも同じ、数の上では圧倒的に少ない一見元気そうな爺さんも、いつの間にか消えていなくなる。

プールではご同輩が次々と姿を消して、他の日時は知らぬが週末の午前中に限れば今や最年長の感がある。よく会話する二つ三つ年下のご同輩もこのところ急に元気が無くなり、休む日が多くなっている。引き換え婆さんは元気なものだ。どう見ても年上の婆さんが元気に泳いでいるのを見ると一寸情けなくなる。小生も今シーズンから完全にペースダウンを決めている山の方で考えても、元気婆さんが圧倒的に多い。

多分女性は生物的に生まれつき長生きできるスタミナに恵まれているのだろう。そうは言っても嫁さんが倒れた弟のことを思うと、婆さんが倒れることは最悪である。こちらが神経質に過ぎるのかかもしれぬが、健康に対してもっと気を使ってもらいたいものだ。

2014年6月24日火曜日

情報ネットの時代

今月も余すところ1週間、正月から数えると早くも半年が経つ。1日々々はさしたる変化を感じない。しかし6月はその時期らしいが、このところ年金や健保など社会保険関係、或いは税務関係の通知などが頻繁に送られてくる。何れも機械で打ち出された数字の羅列以外に、馬鹿丁寧なパンフレットが同封されている。これを仔細に検討する人も多いのだろうが、仔細に読まなくても言わんとするところは、徴取額が上がって支給額が減ることばかりであることは分かっている。正直なところ今年は気分が重いことが多すぎる。

これ等の通知を全国の家庭に発送するために掛かる手間暇(人員と経費)は膨大なものだろう。その他にも区役所から送られてくる書類に保健事業関係で、定期健康診断・大腸がん検診・介護関係での健康状態に関するアンケート等がある。国民都民の健康についてお気遣いいただいていることを、多としなければならないのだろうが、である。数週間前の報道に、個人医療情報のデータベース化が検討されているとあった。詳しく記憶していないが、多分厚労省でのことだったと思う。

この記事を読んだ時には、全くその通りで、早く実現すべきことだろうと思ったものだ。複数の医者に通っているご同輩は多いと思うが、あっちでも採血こっちでも採血に苛立つ経験は誰しも共通の筈である。医者ではないので確信的に言えるものではないが、一人の医者に掛かっていれば採決は精々1年に1回、多くても2回ぐらいの筈だ。血液を検査して病気が治るわけでもないだろうし、
年寄りの病気が半年やそこらで急によくなることは無いだろう。

先日も書いたが、いつも4週間分の薬しか出さない泌尿器科の医者に、せめて8週間分の処方をお願いします、と勇を越して言ってみた。当然否定されなずに改めてもらえた通り、老人医療に関する無駄が多いのは認めざるを得ない。生きているだけで世間にご迷惑を掛けているのも百も承知ではあるが、老人医療費の高騰を云々する前に、行政側でも真剣に無駄の所在を検討すべきだ。

現代の技術からすれば、電子カルテを導入している全ての病院と薬局のサーバーをネットで結合してデータベースを構築することなんぞ費用を含めて朝飯前のことだろう。もしこのデータベース化が実現されて、検査や投薬のダブりを防止することに活用されるとしたら、老人医療費の無駄を省くのに役立つ効果は相当だろう。

しかし残念なことにこう言った話になると、個人情報の漏えいを問題視する人が必ず出現する。情報の統合で現在自分が持っている権益を侵されるので、闇雲に反対する人は別として、現在個人情報が安全に隔離されていると思っている人もいるだろう。それは申し訳ないが完全な思い違いだ。たまたま振り込め詐欺の被害とか不愉快な思いに遭遇していないかもしれぬが、どこかで洩れている情報を悪用されないで済んでいるだけのことと思った方が正しい。

むしろアメリカのNSAではないが、膨大なデータベースを公式に作成し、そのアクセスに関する管理をきちんとすることが、今後の社会に必須の要件になるだろう。誰がやっても事業仕分けと言えば単年度の会計項目と金額だけの問題に終わっている。役所の事務の有様を根本から見直すなんてことは聞いたことが無い。役所の仕事を1件々々見ていけば、どの仕事も因縁のつけようが無く立派なものに違いない。しかし俯瞰的に見ると至る所に無駄があり、その無駄を省くことが市民のサービス向上になることは山ほどあるに違いない。

2014年6月23日月曜日

今度はカジノだそうだ

近所にパチンコ屋が沢山あって、パチンコ屋の折り込みチラシが多い日には7枚も8枚も入っている日がある。小学生時代に近くの温泉に遊び行った時にトライして、先生に叱られて以来利用したことが無い。従ってどういった人に利用されているかよくは知らぬが、平日であっても真昼間から夜中まで結構利用されているようである。先日大学時代の友人と食事をしての別れ際に、今日はこれから帰って、昨日の負け4万円を取り戻さなきゃならない、と聞いてびっくりした。

学生時代から麻雀に凝っていた博奕好きの友人だが、現代のパチンコは立派な博奕だそうで、日本全体では何でも20兆円産業だそうだ。友人には数少ないが、博奕に快感を求めるのは人間の本能だと言った友人もいた。学生時代に麻雀は少しやったが、博奕はどうも性に合わない。競輪・競馬勿論、宝くじさえ買ったことが無い。論理的に説明がつかないものは気持ちが悪くて、近付きたくないのだ。

今国会の終盤になって、カジノ法案なるものの審議が上程されて継続審議と決まり、次期臨時国会で本格審議されて成立する可能性もあり、との報道がある。法案は超党派の国際観光産業振興議員連盟(IR議連)が中心となり、自民、日本維新の会、生活の3党が共同提出。とあるので、小沢氏が率いる生活の党まで噛んでいることには少しがっかりした。他人の楽しみを非難するのも大人げないが、日本にはパチンコをはじめとして博奕遊戯に事欠かないでは無いか。

しかも、日本ではパチンコ以外、博奕の胴元が全て政府絡みである。パチンコも本来は博奕であってはいけない筈なのが、博奕性の換金部分は公然と警察が仕切っていると聞いている。これだけでも十分おかしいと思うし、これらの博奕が青少年に与えている影響は決して善いものではあるまい。国会議員に良識があるなら、もう少し健全な観光振興を考えて貰いたいものだ。


現在のギャンブル産業だけでも関連産業を含めると、売り上げ規模も従業員数もかなりなものにはなるだろう。我が国の基幹産業に数えることができるのかもしれぬ。これにカジノを加えれば、そのパイが一層拡大するとの理屈は余りに単純すぎる。片方で暴対法と称してヤクザを厳しく取り締まる姿勢を見せながら、本来堅気は手を出さなかった博奕を公然化して産業成長の一助とは明らかにおかしい。

しかも、カジノと簡単に言ってくれるが、日本でその仕組みを熟知している役所があるだろうか?多分警察は蛇の道は蛇で、分かっていると仰るのだろう。確かに警察と極道の世界は似たようなものらしい。しかし、海外のカジノを実際に運営しているのは日本の極道でないことは確かで、その実態を正確に把握するのは大変だろう。秋の臨時国会で審議されるようだが、何を審議するのか見ものである。

普通の国には軍隊があるように、今や世界を見渡してもカジノが無い国は少ないのかもしれぬ。カジノがあるのが普通の国と言うことなんだろう。軍隊も無い、カジノも無いが何で誇りに思えないのか。博奕に手を出してハッピーになった人を聞いたことが無い。麻生副総理が仰るには「日本は金持ちだから他国から狙われやすい」とのこと。国の借金が1千兆円を越して、どうすれば財務大臣が金持ちと例えるのか訳が分からぬが、もし本当に日本人が金持ちであるなら、もすこし優雅で上品な暮らしを考えようではないか。

2014年6月22日日曜日

中村哲氏発言の重み

昨日はブログをさぼってしまったが、山に行ったとか特別なことがあった訳ではない。実に平凡な土曜日だったが、何故か気が進まなかった。代わりに録画したものを含めテレビ番組を沢山見た。感激するほどのものは殆ど無いが、TBS夕方の「報道特集」の中に挿入された中村哲氏のインタビューは、身体の真芯に突き刺さる思いで聞いた。

中村哲氏も随分年を取られたので、氏の著書を読んでいてもとっさに誰かと思ってしまった。まして映像をご覧になっていない読者には改めてご紹介したい。嘗てアフガン戦争当時、2008年のことである。現地で日本NGOペシャワール会の男性スタッフが自動車で移動中に武装集団に襲われ、その後その男性スタッフ・伊藤和也さんと見られる遺体が発見された。との報道をご記憶の方は多いと思う。

このペシャワール会を主催しているのが中村哲氏。氏はお医者さんで1983年からパキスタンやアフガンの医療活動に従事している。そして2000年の大干ばつをきっかけに、現地に多い赤痢などの疫病を防ぐためには清潔な飲料水の確保が最優先課題であるとして、飲料水確保のために井戸掘りや灌漑工事に着手して成果を上げ、現在も農業計画から成る「緑の大地計画」を推進中で、 マグサイサイ賞・平和国際理解部門受賞したり、現地の人々から大変な信頼を受けている人物である。国際貢献の実践者として日本人が誇りうる人と言える。

その人が今度安倍内閣が強行しようとしている集団的自衛権の解釈変更について感想を問われ、短いインタビューに答えたのである。趣旨は勿論反対で、氏の活動が戦時下であっても現地の市民から受け入れられた所以は、日本が戦争に加担しない国であったからに他ならないこと。日本が他国の戦争にコミットするようになれば、これまでの前提が崩れるのは明らか。駆けつけ警護なんかとんでもない、私は日本の自衛隊なんかに守ってもらいたいと思ったことは一度も無い。そんなことされたら迷惑、とは全くその通りだろう。

中村氏のみならず、解釈改憲の危険性に関してこの週末のテレビ番組だけで実に大勢の人が異を唱えている。しかしそれは何れも散発的で、燃え盛る火事に向かって水鉄砲で水を注ぐ感が否めない。例えは悪いかも知らぬが、週末の都議会であったとされるみんなの党の女性議員に対する女性差別のヤジ事件の方が、遥かに扱いとしては派手である。都議会なんぞ法案審査など無きに等しいと聞くし、存在そのものに意味が問われているものではないか。取り上げられている女性議員の嬉しそうな顔を見る度に、何故こんな問題で貴重な時間を割くのかと腹立たしい限りだ。

自民党にとってはサッカー・ワールドカップも絶好のタイミングなのかもしれぬ。公明党にも期待したが、結局のところは「下駄の雪」と揶揄されているようだ。何よりも一番不思議なのが、自民党内の反対論が表に出ないことだ。党内の議員全員が、政府方針に賛成の筈は無く、地元に帰れば相当な批判を浴びて当然である。現役は引いても、昔面倒見た子分が現役に大勢いるOBもいると思う。大物OBが異を唱えても、昔の恩義は現在の党内プレッシャーにはとても勝てないようだ。

今朝のテレビに古賀誠氏が出演して危機感を表明していたが、宏池会名誉会長と紹介されていた。宏池会と言えば谷垣法務相や岸田外相小野寺防衛相も宏池会の筈。嘗ての大派閥も今や縛りが全く利かないようだ。所詮すべては金目の話だったに違いない。

2014年6月20日金曜日

反省だけなら猿でもできる

石原環境相が失言問題で言葉の撤回をして謝罪したとのこと。「公式発言ではないから撤回のしようがない。」と突っぱねていたのに残念なことだ。不信任だろうが問責だろうが圧倒的多数を持っている国会だから、最後まで突っ張りゃ面白いと思っていたが、流石にそこまでやったのでは自民党の支持率に影響が出かねないと説得されたに違いない。国会が終了したら福島へも足を運びたい、なんて言っているらしいが、環境相の馘首は間違いないから行くことにはならぬだろう。与党のすることは何れも姑息である。

昨日の夕方生まれて初めて永田町の憲政記念館なる場所に行ってみた。入場料が無料のシンポジュームがあった。「これでいいのか日本!」の表題で主催は一般社団法人「躍進日本! 春風の会」代表・村上正邦(元参議院自民党議員会長)発言者:森田実・平野貞夫・佐高信・菅原文太となっている。何れもテレビや映画或いはネットで馴染みの人たちだが肉声を聞くのは初めてである。時間が1時間45分と少し短い感じもしたが、足を運んだ甲斐があったように思う。

内容は勿論安倍政権の振る舞いに対する強烈な批判である。単に集団的自衛権についての憲法解釈をたった19人の閣僚だけで変更する暴挙に対する批判が中心ではあるが、現内閣はあらゆるところで日本の古き良き文化を破壊してアメリカの属国化を推進している。こんな日本でいい筈が無かろうとの発言が相次いだ。発言者のうち左高氏だけは69歳で後の3人は小生より年配で80歳前後の方である。戦争の悲惨さを身をもって体験して、戦争の本質を理解されている。

誰がなんと言おうと戦争だけはしてはいけないとの、必死の思いが伝わってくるが、残念ながら今の国会議員でこの思いを共有できる人間が殆どいないらしい。なんでこんな国会になってしまったかであるが、森田氏と左高氏は当時から小選挙区制導入に反対していたらしく「現在の選挙制度では人物より政策で議員を選ぶことになっている。即ちまともな人物がが議員になれなくなってしまった。これが現在の国会を劣化させている。」指摘されると確かにそのようにも思えてくる。

平野氏は当時は議員で小選挙区制導入に熱心だったそうだが、二人にそう言われると明確な反論が出来なかったか、敢えてしなかったのか。どうも内心忸怩たる思いもありそうだった。4人の発言者以外に主催者の村上正邦氏も当然その思いの丈を発言した。氏は自分で言っていたが、嘗ては自民党内で最も右寄りであった人である。司会はラジオ日本で報道部長、取締役論説室長を務めた南丘氏なる人物、現在は月刊「日本」の主幹となっているので、元気な大声でやはり相当右寄りかもしれぬ。

森氏は元共産党員だし左高氏もどちらかと言えば左寄りだろう。何れにしても日本現状について、嘗ての左翼であれ右翼とされた人までが口をそろえて非常に危険な瀬戸際に来ていると警鐘を乱打しているんだ。特に姑息なごまかしについては、小生もそうだが加者全員が思いを共有していることは分かる。しかしこの思いをどのように拡げ、政府の暴走を引き留める方策、具体論が見つからない。その歯痒さを全員が噛みしめているような気がしたシンポジュームだった。今後このシンポジュームが全国で開かれるようなので、スケジュールが分かりましたらこのブログでも紹介して、少しでも参加者が増えることに協力したい。

2014年6月19日木曜日

記述する資格無いのを承知だが

イラクの混乱が連日報道されている。見過ごすわけにもいかずざっと目を通すが、とんでもなく悲惨なことが起っているようだと想像しても、実態が上手くイメージできない。サダム・フセイン大統領がアメリカ軍に殺されたのが2006年だから、早いものでもう8年にもなる。その後アメリカ軍の占領下で、新しい国造りが行われ、改め主権国家イラクが誕生して選挙によって大統領も選出された。聞くところによれば、新大統領はサダム・フセイン氏とは全く別の宗派の人で、新政権はアメリカと戦った前政権とは大分趣を異にする人たちで占められているようだ。

同じ占領下であった我が国と比較すると、戦前戦中に政権中枢にいた人間が悉く排除されて社会主義政権が作られたようなものであろうか?生半可な知識で想像するに、むしろサダム・フセイン氏の宗派が少数派で新政権のシーア派が多数派らしいので、逆に譬えた方が適当だったかもしれぬ。戦後8年と言えば小生も中学生、世の中はかなり落ち着いてきていたように思う。イラクの場合は、全く正反対のようで落ち着いているどころの話ではない。木に竹を接いだような政権を作ったので、根っこの木が怒って竹を揺さぶっているようにも見える。

後見人である筈のアメリカも打つ手が有るのか無いのか、随分無責任で罪作りなことをしたものだ。悪く言う人に言わせると、良くも悪くも数千万人の国民を統治している主権国家に因縁を付けてぶち壊し、あとは知らぬ顔の半平さんで内乱を誘発させて国家を解体分割しようとしている。従って、現政権に対しては、陸上部隊は出さぬが、空爆ぐらいの援助は考えようと言い、一方反乱軍側にもサウヂやイランと提携して資金援助や武器援助をしている。とのことである。

戦争は所詮国家間の利害関係がこじれて発生するものかと思っていたが、利害関係の図式がイメージでないことが先ず問題である。利害関係の元にあるのは石油資源らしいが、戦争で北部に集中している石油関連施設が真っ先にダメージを負っているとの報道もある。これ等の報道をすっきり理解できる日本人がどれほどいるのか知りたいものだ。悲惨な戦争に巻き込まれている現地の人たちには、誰が味方で誰が敵かは分かっているのだろうか?我々の子供時代は鬼畜米英と称して、子供の歌う童謡から大本営発表まで味方はドイツとイタリア、あとの欧米は全部敵と刷り込みが徹底していた。

中東にあっては自分の宗派以外は全部敵と思わされているように、我々は受け止めがちだが、これも現地に行けばそうでないかもしれぬ。隣がキリスト教だろう創価学会だろうと、近所付き合いに不便が無いのは万国共通ではないだろうか?庶民が迷惑するのは常に政治家の権力闘争である。更に分からないのが反乱軍と報道される連中の意図である。前大統領の系譜に繋がる政治家が関与しているなら政治権力闘争とも理解が出来よう。しかし、アルカイーダ系のと聞くと、その蛮行の目的や統治能力について分からない事だらけで、頭が混乱してしまう。

何れ目的が何にせよ、国家の軍事力を笠に着て他国を侵略したのが嘗ての日本であり、現代のアメリカだろう。戦争については殆ど知らずに育ってきたので、語る資格は無いかもしれぬ。現代日本に生きる一人としては、例え同盟国に誘われようが、資源の枯渇が予測されようが「馬鹿はいつでも何処にでもいるものよ。」と黙って見ているのが一番賢明だと思う。なのに悪乗りしようとする人間が政権トップに居座るのが何とも腹立たしい。

2014年6月18日水曜日

近代企業と将来社会?

河野太郎が今月発売の「文芸春秋」7月号に「隠蔽された年金破綻 粉飾と欺瞞を暴く」と題する寄稿をしている。と思ったら今度は昨日の日経新聞が「年金を減らす」と一面トップで書いたらしい。即ち、厚生労働省は公的年金の給付水準を、物価動向にかかわらず毎年抑制する仕組みを2015年度から導入する方針とのこと。年金の積立金をもっと株式投資に回せば良いとか、こと年金だけではないが、現政権のなすこと全てが国家国民の将来なんかどうでもいいと思っているようだ。

特に国民の福祉を最優先に考えるべき厚労省と厚労相、前者は数多の官僚を擁し、その上に鎮座している自民党の政治家田村某氏。これが余りにご粗末すぎはしないか。彼はASKAと一緒に覚醒剤取締法違反容疑で逮捕された栩内容疑者が勤務していたとされる人材派遣大手パソナの接待施設「仁風林」で何度も濃厚な接待を受けていたという。パソナグループと現政権閣僚との関連については日刊ゲンダイが何週間もキャンペーンを張っているが、マスコミが一切取り上げないのも不思議で仕方ない。

そもそもパソナグループ代表の南部靖之氏なる人物は相当に胡散臭いが、政権にしっかり食い込んでいるのは間違いなさそうである。リクルートにせよ徳洲会にせよ、事業に成功してお金が余ると政界にばら撒きたくなるのか、その逆であるかは分からぬ。しかし、マスコミが突っ込まないのは、マスメディアも相当ご利益に与っているのだろうか?小生もあまり突っ込むと、現代の成功者を如何にも僻んでいるようなのでいい加減にしたいが、「人材派遣ねぇ」の感が強い。

「人材派遣」なる単語を初めて聞いたのは昭和の終り頃だったと思う。やはり同じ頃に湧き出してきたのが「警備保障会社」勿論それぞれもっと以前からニュービジネスとして登場していたのだろうが、派遣企業からの派遣社員に初遭遇は1987年に初めて転職した会社だった。今までの会社と違って、今度の経営者は新しい経営センスを持っているものだと、尊敬の念を感じたのを覚えている。「警備保障会社」はその少し前、大阪にいた時に銀行の紹介で経営者に会いに行った。

空手だったような気がするが格闘技の選手上がりの人で、この人も先見の明があると感心した。「もう広告なんか必要ありません。これからは警備員の派遣とパソコンの時代ですよ。」と言っていたのを記憶している。その時は意味がよく理解できなかったが、あれから30年近く経って今考えると、本当にその通りになったと思い当ってしまう。当時の広告産業規模が5兆円程度で現在と大差ない。

人材派遣業について見ると、派遣法が施行されたのは1986年(昭和61年)だがこの年のデータが見つからない。1999年に1兆4千億円規模のものが2008年に7兆8千億円となり、リーマンショック後は少し下降したが2024年にはほゞ元に戻っているらしい。警備保障業界に関しては先ず業界統計が見つからない。24年の主要7社売上合計が約1兆1700億円で順調に推移とある。近場の工事現場を見ている限り、この業界規模は相当なものだろう。経営者は武道家からヤクザまがい迄、余りに雑多過ぎて統計なんぞ取りようが無いのだろう。

しかし、この二つの業界が隆盛を極める未来社会が、幸せな社会であるかどうかが問題であると思うが、政治家の目は何処を見ているのであろうか?

2014年6月17日火曜日

定番 孫の話

孫が3人いるが最年長は高校2年生である。10歳頃までは、長い休みの時期になると漫画映画を見に行ったり山遊びやスキーに連れて行ってやったものだ。
娘も孫を連れて始終里帰りをしていたので会う機会も多かったが、小学校高学年になる頃からその機会がめっきり減って、最近顔を合わすのは年に1度か2度ほどのことである。しかし老夫婦の会話には彼の話題が頻繁に登場する。婆さんが娘との電話でいろんな情報を仕入れてくれて、これが面白い。

確かに少し変わり者の子かも知れない。祖父譲りとの説もあるようだがそれは措いておこう。昨日は日曜の昼以降巷に氾濫するサッカー解説について、母親の娘に言ったそうだ。「ぐちゃぐちゃ言っていないで自分でやってみろ。とても全日本の監督なんか勤まらないポンコツ選手の話なんか聞いても仕方ないだろう。」娘の家庭がフィファワールドカップをどのように観戦しているか分からないが、彼は余り真剣に見ていない気もする。

昔から、先生がこうしなさいと思うようなことには反応が妙に悪い癖に、しなくてもいい事、用でもない事をさっさとする悪い癖がある。当然ながら先生のお叱りを被ることは慣れっこらしい。1学年違いの弟がいるのだが、これが兄とは正反対の良い子ちゃん。二人がセウォル号に乗り合せたら、兄はさっさと脱出するだろうが弟は船内放送を守ってアウトになるだろう、が婆さんに見立て。

孫に会う機会が減ったのは、彼が小4の時からバスケ部にスカウトされて練習を始めたことにあるだろう。バスケがマイナーなスポーツであるのは入部した時から自分で言っていた。「最もお金にならないスポーツで、同級生でサッカーをする子が10人いれば野球をする子は一人、バスケをする子はクラスでただ一人て感じかな。」と聞いた気がする。スカウトされたにせよ、何故バスケ部に入ったのか?駆けっこに速いのを見込まれたので、多少の責任も感じたのかもしれぬ。

兎に角それから中学に入ってもクラブ活動を続け、監督から中2までに身長を175㎝まで伸ばせと言われて、毎日牛乳を2㍑飲み続けたそうだ。お陰で目出度く目標はクリヤーされ、今では180㎝を超える大男になってしまった。結局バスケが好きなのかと思っていると、中2の学年末、誰にも相談せず急にバスケ部に退部届を出して辞めてしまった。帰宅して突然報告を受けた娘もびっくりしたらしい。何でもバスケなんかしていると、まともな高校に入れない可能性も高いし、バスケなんかで進学しても将来まともに喰える筈も無いとかで、急に少し勉強する気になったらしい。

確かにバスケ部の練習は厳しかったのか、成績は芳しくなかったと聞いている。祖父母の我々も、せめて高校ぐらいは出てもらわないと困るのではないかと思っていたが、本人が両親とそんな話をしていたかどうかは知らない。兎に角2年生の終りに部活を辞めて勉強に専念して、結果は目出度く都立高校に入学することが出来た。数年前までは将来はサラリーマンになりたいと言っていたようだが、ここまで来れば一安心とすべきだろう。

最近殆ど会っていないので、どんな高校生活を送っているか分からない。何れにせよそろそろ大学入試を心配する頃合いだろう。他人のことはあれこれ言わず、自分のことは他人に言わせない性質みたいだから、今頃何を考えているのやら。彼の通っている高校の修学旅行が、何とマレーシア旅行だそうだ。都立高校であっても海外旅行とは、最近の話にはびっくりすることが多い。

2014年6月16日月曜日

首相動静6月14日

梅雨の晴れ間が3日続いて爽やかな月曜日だ。今日は旧い会社の先輩を横須賀に訪ねる予定でいたが、早朝に奥さんから電話があり、急にベッドから起きられなくなってしまったとのこと。予てから足が弱っていると聞いていたので訪ねて激励するつもりだったが、自宅のベッドでは病気見舞いになってしまうので訪問は中止して、ある程度歩けるようになったら又連絡をくださいとお願いした。

年齢的には10歳ほど先輩の筈で、昼酒を交わしながら昔の話をしようとて店まで決めていた。会社時代の懐旧談もさることながら、彼の戦中から戦後にかけての話を是非直接聞きたかった。元々クリエイター(広告会社で制作部の部長)なので、美術と文学には非常に造詣が深い人だ。広告業界に入る前には演劇集団に在籍したことがある筈で、昔コマーシャルで起用した女優と同じ劇団に居たと聞いたこともある。身体は少し弱っているとは言っていたのだが、それでも毎晩晩酌は欠かさないと言っていた。

楽しみにしていた飲み会が流れたのは仕方無いが、年齢が高齢なだけに少し心配だ。兎に角回復を待って改めて一席設けることにする。

話は変わるが、安倍総理は昨年暮れの靖国参拝から半年たたぬ間に伊勢神宮、明治神宮を参拝して一昨日の土曜日は出雲大社にお参りしたらしい。日本人の宗教観はいい加減で、こちらも神社仏閣行き当たりばったりにお賽銭を入れて、身勝手な願いをする口だから、他人がどこを拝もうと勝手だし、宗教的見地から文句を言うつもりはない。しかし何をしても上手くいきすぎるのでお礼のつもりかどうかは知らぬが、半年足らずで4社参りはどこかしっくりこない。

他国の戦争に参加すること容易にする閣議決定とやらを成立させようと必死になっている最中だけに、そのことを祈願している可能性が高いのではなかろうか。ひょっとすると反対に回っている平和主義者を黙らせてくれ、と祈っているかもしれぬ。一所懸命口説かれている公明党の諸氏に、総理の行動をどう思うのか聞いてみたいところだ。総理が神道の信者であれば話は別だが、国家国民の代表として参拝と言うことになると、異論を唱える人も多かろう。中国や韓国にして見ればいっそのことだろう。近隣諸国が嫌がることをこれ見よがしにしてのける神経が分からない。

2014年6月15日日曜日

古希過ぎて40肩

原因は全く思い当たらないのに急に左腕が上がらなくなってしまった。元来体が硬くて肩から腕を垂直に上げるのが背一杯だったが、昨日から左脇の下に変な痛みが起きて、左腕を水平に上げることさえままならない。昨日泳いでいた時に一寸違和感を感じていたが、今朝起きると普通にしていても少し痛みがある。無理して昨日と同じように泳いだが、左腕一掻き毎に肩に痛みが走る。毎朝晩身体の調子を入念にチェックしているつもりでいても、加齢現象と言うのだろうか、身体のあちこちにしょっちゅう不具合が起きるのは仕方がないのだろう。

トレーニングとシャワーを終了して、毎度のように化粧台の前で並んで座って雑談をする同輩にその話をすると、即座に「そりゃ40肩だよ」と宣告された。74歳であろうと40肩はなる時にはなるものらしい。彼自身も70歳前後に悩まされて医者にまで行ったとのこと。彼の経験からすると、肩にカルシュウムの結晶が出来ているといると厄介で、結局手術して切除するしかないだろうとのこと。1週間ほど様子を見て改善の兆しが無ければ、整形外科に行った方が善いだろうとのアドバイスを頂戴した。

今日はワールドカップサッカーの日本戦があったので、プールはかなり空いていた。ジムから出ると昼一寸前で、駅の新聞スタンドには早々と試合の速報値が出ている。前半に1点先取するも後半2点を逆転され結果は負けたらしい。家を出る前にテレビが「初戦を落とすと予選突破の確率が極端に悪くなる」と言っていたので、特段サッカーファンではないが少しがっかりした気分でもある。

池袋の地下には、パブリックビューイング帰りらしいサムライブルーのTシャツを着たり、ブルーのタオルを首に巻いたお兄さんやお姉さんが沢山歩いていたが、一様に落胆した表情だ。統計はどうであれ、勝負は未だついた訳ではないだろう。ザッケローニ以下選手諸君の今後の健闘を期して待ちたい。

2014年6月14日土曜日

総理の火遊び

もうここまで来ると独裁国家の北朝鮮とかわるところが無い我が日本国である。先日公明党が抵抗力を失ったとの報道に接して落城寸前の思いと書いたが、安倍政権は自らの権力を縛っている憲法を無視して得意満面の様子ではないか。高村副総裁なんて小父さんは弁護士と聞いたが、テレビ朝日の記者の突込みに「憲法解釈を決めるのは政治家以外の誰がするのですか?我々が丁寧な与党内議論を積み上げて、解釈を変更することにイチャモンを付けられるいわれは全く無い筈です。」と開き直っている。

テレビ朝日ばかりでなく、朝日新聞も現政権の強引な憲法解釈変更には流石に声高に異論を唱え始めている。このメディアの動きは今更遅きに失した感が強いが、不思議で仕方ないのは自民党内での異論が聞こえて来ないことだ。まさか所属国会議員全員が毒饅頭に当たってしまった訳でもあるまい。一時は野田総務会長が「総務会を通らない案件が閣議決定することはあり得ない。」と言っていたような記憶があるが、あれはどうなったのだろう?総務会に諮っても今や全会一致に近い圧倒的多数で総理の考えは支持されるのだろうか?

我が日本は憲法のお陰で現在は総理の火遊びめいた振る舞いを別にすれば、平和そのものである。しかし世界ではあちこちに戦争が起きている。イスラエルの戦争は外国主権国家の存続を脅かすものかもしれないが、他は押しなべて内乱即ち国内の宗教と民族対立に起因するものが多いようだ。少なくともウクライナやシリアやイラクはそうだろう。そして戦争が勃発すると、これまた必ずと言っていいほど外国が介入してくる。穿って言えば、国内の対立に外国が嘴を突っ込んで戦争を勃発させる可能性も否定できない。

例えばベトナムと中国、或いはフィリピンと中国、韓国と北朝鮮といった具合に、幾ら境界線上にある資源が欲しいからとて、国家と国家が領土領海で対立してまともに戦端を開くことは殆ど考えにくいような気がする。幸い日本の陸地は狭く、地下資源も乏しそうだから他国が侵略してくる可能性は皆無に近い筈だ。日本領海は広く資源も豊富だと言う人もいるが、ならば領海内でさっさと資源開発をすればいいではないか。独自ではできないなら、隣国と話し合いをして協同開発すればいいだけの話だ。

要するに安倍氏は第1次内閣時代も同じだったが、総理になる度にマッチポンプで近隣の危機を煽るが全く現実味が薄い。アメリカに言われているかどうかは別として、アメリカの戦争に協力したいだけであることは、普通の人間はみんな分かっている。ならば憲法を変えて正々堂々とすべきだが正論であろう。それをどこまでも姑息に理屈にもならない御託を並べて無理押しするのか。これまで日本は外国の戦争に首を突っ込んだことは無いし、世界中がそれを認めていた。安倍政権の火遊びが、日本の将来に大きな禍根を残すことになるだろう。

そのことを歴史として振り返る頃には、生きていないことが幸いかもしれぬ。

2014年6月13日金曜日

読後感「責任 ラバウルの将軍今村均」
角田房子著

大正3年生まれで、女学校卒業後フランスのソルボンヌ大学留学中に第2次世界大戦の勃発で一旦帰国を余儀なくされ、戦後になってから新聞記者の夫共に再渡仏してノンフィクションライターになった著者の作品は、近代日本と外国との関わりや先の大戦を冷静に見直す作品が多い。この作品も旧陸軍の将軍を取り上げたと言う意味では、フィリピンで刑死した本間雅晴と終戦翌日陸軍大臣として自決した阿南惟幾に継いで3人目となる。前二者についてはかなり前に読んだ記憶があるが、今村については記憶が無いので手に取った。

今村は士官学校で本間と同期、阿南の3年後輩。今村がこの二人と決定的に違うのは、終戦後戦犯として昭和28年まで9年間現地での捕虜生活を送り、日本に戻されて28年から巣鴨拘置所に収監、翌29年の11月に出所してから43年(1968年)に亡くなるまで、戦後の日本社会の変化を見届けたことにある。著者はこの作品を昭和もだいぶ遅くなっての59年(1984年)に発表しているが、執筆に3年の歳月を費やしたと述べている。その間の取材は非常に綿密で膨大であったことが伺える力作である。

著者はこの作品を通して語ろうとしているのは、戦争指導の責任にあった一人の陸軍の高級将校今村個人の問題意識・倫理観・死生観を掘り下げることは勿論だが、それ以上に戦争のメカニズムがそんなものとは一切関係なく、如何に悲惨な結果を将来せざるを得ないかについて述べたかったのではないだろうか。今村は歩兵将校として昇進しながら朝鮮・満州を経て南洋ジャバ島へから第8方面軍司令官として、ラバウル島で陸軍兵7万人のトップとして終戦を迎えている。ラバウルと言えば海軍や山本五十六司令官がすぐ思い浮かぶが、陸軍も7万人を擁して巨大な基地であったようだ。

連合軍はこの海軍と陸軍も、航空隊に対しては決定的に壊滅を図ったが、基地そのものは手間暇かけて潰すよりスルーして本土に迫る道は他にあるとの作戦だったらしい。ただ出先の部隊がが置かれたガダルカナル島等の戦略拠点は徹底的に叩かれ、撤退すら思うに任せぬ全滅に近い悲惨な状況になったことはよく知らている。それが即ち戦争のメカニズムであろうが、兵がその何処に配属されるかは運命としか言いようがない。本書では今村個人より配下の兵員についてかなり突っ込んだ取材があり、日本兵が如何に虚しく犬死に近い死を遂げたが詳しく記されている。

今村個人は将官としては珍しい中学校出身であることから、幼年学校上がりの将官と比較すると明らかに知的とか優しいと評価されている。事実戦陣にあっても歎異抄とか聖書を好んで読書していたくらいだから、理性派であったのは間違いないだろう。しかし、戦後有名になった戦陣訓「生きて虜囚の辱を受けず」は、どうも今村が昭和15年教育総監部本部長だった時代に起案したものらしい。てっきり悪名高い東条英機の発想かと思っていたが違うようだ。

今村も内心どう思っていたか知る術はないが、戦争に負けたことは遺憾であり、戦死した部下将兵への責任を痛切に受け止めて、生涯一貫して深い反省の中に生きたことは間違いない。自衛のための軍備は必要ではあるが、再び戦争はすべきではないとも言っている。性格的なこともあるだろうが、生涯どんなに評判が悪い同僚に対しても個人的に悪口を言ったことが無いらしいし、戦争責任論について決して語らなかった。これは軍人として当然であろうが、著者が言いたいのは戦前の日本社会のメカニズムで、日本は先ず国家があり、その中に家があって、家の中で初めて個人が存在していたことだろう。

これを国体として、幼いころから精神に刷り込む教育が行われた恐ろしさを見事に描き出してくれた。



2014年6月12日木曜日

夢に非ず

サッカーワールドカップブラジル大会の開催が迫り、日本代表チームも参戦しているので関連報道が盛り上がってきている。確かに国会の党首討論なんかより余程国民の関心は高いことだろう。今朝食事をしながらテレビを見ていると、代表チーム選手の一人である青山敏弘選手のことが取り上げられていた。海外で活躍している選手の名前は知っているが、彼は国内組なので初めて知った。同時に思った、むしろ感心したことがある。

彼は岡山県倉敷市の出身で、フィギュアスケートの高橋大輔選手と保育園から小・中学校まで同級生で仲良しだったらしい。今朝のテレビに二人が小学生時代に書いた「将来の夢」が示されたのを見て感心してしまったのだ。高橋選手の夢がスケートでオリンピックに出場すること、青山選手はプロサッカー選手になることと書いてある。何年生時代かは聞き漏らしたが、間違いなく小学生時代の話である。彼等は現在28歳だから、20年足らずで夢を実現していることになる。

10年一日はおろか四半世紀も何の成長も無く無駄に過ごしている我が身と比較すると、敬服するばかりである。それはさておいても、近頃の少年少女の意識が我々の時代と比較にならぬほど変化していることを再認識せざるを得ない。児童の職業教育なんて言葉を耳にすることがあるが、学校で無理に教育なんかしなくても、今の子供たちは現実的に将来どんな大人になりたいかを考えるか感じるチャンスに恵まれているのだろう。これは普段悪口ばかり書いているテレビのお陰に他なるまい。

事実我が小学生時代を思い起こしても、友人の中で現実的な将来像を思い描いていた友人を見つけるのは難しいと思う。お医者さんや弁護士さんのお子さんが親御さんと同じ職業についている場合があるので、必ずしも全部が全部将来なんか夢みたいに思っていたとは言えぬかもしれぬが、取り敢えずは現在の遊びに夢中になることはあってもプロスポーツ選手になりたいなんて子はいなかったと思う。

現在はスポーツに限らず芸能でもそうだ。小学校入学以前から将来プロの音楽家やダンサーになることを目標に習い事を始める人が少なくないらしい。本人も偉いかもしれないが、両親とか家庭で見守る側も容易ではないだろう。婆さん曰く「小学生時代から東大入学を目指しなさい、なんて発破をかけるより余程ましじゃない。」確かに一流とされる大学を卒業しても、人生目標が上手く見つからず挫折する人間は多いだろう。

一般的なお勉強と違って芸事の場合は何かが身に着くことは明らかで、別に狙い通り超一流にならなくても大人になっての生活が豊かになるとすれば、幼いころから一筋に何かを目指すのも悪くないかもしれぬ。

2014年6月11日水曜日

思考能力欠如

「兎に角今週1週間くらいは、いつものように可も無く不可も無く健康で過ごしたい」が日曜日の就寝時に思うこと。あと毎朝起きると「今日もいつものように過ごせれば良いな」程度の話で、ものを深く考える必要のない毎日である。新聞やテレビは毎日見るが、大部分のニュースは見たり読んだりしたそばから忘れていく。特に、婆さんにいつも笑われるのだが、子供が不幸な事件に巻き込まれて死んだといった類のニュースは出来るだけ重ねて見ないように心掛けている。

そんなことからか、最近とみにテレビでニュースを見る時間が減ったみたいだ。少し前までは、夜9時のNHKニュースを30分は見るように努めていたが、どうも最近は、これが何故トップニュースかと疑問を感じることが多くて、早々に歌謡番組に替えたりすることが多くなっている。土日の朝に集中しているいわゆる社会情報系のスタジオ番組も年齢のせいかつまらなくなってきた。興味があると強いて言えばTBS「サンデーモーニング」のスポーツコーナーくらいかもしれない。しかしこれも9時5分過ぎに出掛ける習慣なので最後まで見たことが無い。

新聞も読むのは朝日だけだが、読むところが少ない。せめて1面だけはざっと読むことにしているが、テレビと同様で1面トップになんでこれがと思うような記事が出くわすことがしばしばである。世の中の変化に興味や関心が薄れてくるのは年寄りの証拠だろうが、脳にインプットされる事柄少なくなっているので、当然の成り行きとして考えることが少なくなる。先ほどネットを見ていていい言葉が見つかった。安倍昭恵総理夫人が聞いたことが無い雑誌の『octo∞』(オクトアクティブエイジング)のインタビューに答えて、次のように言ったそうだ。

「大学院では、自分の頭でものを考えなくてはいけないということを学びました。考え方が違う人たちと出会ったことは大きかったですね。主人とは真逆の考えの人たちもけっこういました。以下省略・・・」彼女は2011年に立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科に入学。修士論文「ミャンマーの寺小屋教育と社会生活─NGO寺小屋教育支援─」で、修士号を取得しているそうだ。彼女のことはどうでもいいのだが『自分の頭でものを考える』については改めて考えさせられた。

世の中に興味を失うと自分で考えることが面倒くさくなりはしないか。特に食事なんかも女房任せにしているので、あれを食いたいこれも食いたいなんてことすら考えなくなったらヤバイな。社会現象は別にしても、せめて囲碁でもしっかり勉強して、自分の考えと他人の考えの相違を検証する習慣を維持すべきだ。囲碁が老化防止に役立ってくれればいいのだが。

2014年6月10日火曜日

落城寸前の思い

昨日全く書く気にならなかった集団的自衛権行使問題について愚考を書いておきたくなった。今朝ネットを確認すると、安倍総理の思惑通りの憲法解釈変更が今国会中に行われる可能性が限りなく高くなっているらしい。公明党の反対もあることだしと高を括っていたがそうでもないらしい。元外務官僚の天木直人のメールマガジン2014年6月10日第390号に依ると「この問題は5月15日の安倍宣言で事実上決まったのだ。」と書かれている。

公明党を当てにしていたが、それについては次のように書いている。「創価学会が苦渋の選択をさせられようとしている。いや、もうした。その傍証が、6月2日に急遽キャンベル元国務次官補が山口公明党代表に会ったと言うニュースだ。」公明党も母体の創価学会のアメリカでの普及を認めないと言われては一たまりもなかったかもしれぬ。もっとも安倍総理自身が、アメリカの誰かに相当ねじを巻かれているのも間違いないところだろう。

今更安倍内閣の馬鹿さ加減を云々しても始まらないが、むしろアメリカの実質権力者について知りたくなった。どう考えても大統領ではないような気がしている。現大統領オバマ氏の関心が目下何処にあるか分からないが、日本の憲法解釈変更でないことだけは確かだろう。彼にしてみれば外交的に言えば対中国とか対ロシア関係で頭が一杯だろうし、中間選挙とか国内に複雑な問題がてんこ盛りでも不思議は無い。先日日本によく来てくれたとも言えるが、心ここに非ずと見た目は僻目かな。

彼もシカゴ貧民街の弁護士上がりだから国内の格差問題には強いのだろうが、外交について素人とか悪口を言われるのは仕方があるまい。まして軍事については誰が大統領であろうと「俺が仕切る」と言っている人間が影に存在しているのは当たり前かもしれない。ジャパンハンドラーの筆頭アーミテージなんて小父さんは共和党政権時代に重用された人物の筈だが、民主党大統領になって議会に対する発言力が少しは変化しているのだろうか?

少なくとも対日本的に考えれば、その影響力に全く変化が無いと言うよりも、安倍総理がニューヨークかワシントンで演説したとき、彼を名指しして感謝の言葉を述べた後で「あなたの仰る通りにします」と言ったと報道されているからむしろ高まっているだろう。日本の外交防衛政策なんぞ一貫して彼の所属する政策シンクタンク戦略国際問題研究所(CSIS)の言うがままになっている。ここが発表する戦略が米国内的にどれくらい評価されているか知る由もないが、彼等がアメリカの国益に反したことを考える筈は無い。

但し日本にすれば迷惑な話ばかりだ。それでも外務省官僚がアメリカの覚え目出度くなれば出世できると尻尾を振るのは致し方が無いと諦めても、政治家がアメリカの覚え目出度くなることだけを考えるとは情けない限りではないか。覚えが悪くなれば創価学会のように恫喝されるとか、スキャンダルをばら撒かれて失脚するとか。兎に角アメリカは国益のためには手段を選ばないことだけは折り紙つきである。属国の内閣に当事国の憲法を自ら踏みにじらせるとは、ある意味で見上げたものだ。大戦に負けた後であっても、米国に抵抗した先人の偉大さを思わずにはいられない。

2014年6月9日月曜日

何れ近い将来

先日、認知症で迷子になってしまう老人が増えているとの報道があった。年寄りにはGPS機能付きの携帯を持たせるのが良いと言っても、認知症になると夜中に裸足のまま出て行ってしまうのも珍しくは無いようだ。問題解決の方法は果たしてあるのか?自分ではしっかりしているつもりだが、午前中に読書をしていたりネットで何か読んでいたりしても、気が付くと居眠りしていることがしばしばある。昼飯から帰ってくると又眠くなる。

夜中に2回ぐらいは尿意を催して起きざるを得ないのは持病が前立腺肥大症だから仕方がない。一旦起きても寝つきは悪くない方なので、合計すれば6時間半か7時間はたっぷり寝ている筈だ。昼間眠くなるのは夜中の睡眠と関係無く、何れも若い頃は無かった現象だから老化現象の典型だろう。進行して認知症ならないよう祈るしかない。

今日も中途半端に読書をしたり、テレビ国会中継を見たりしているうちに1日が終わりかけている。国会は参議院の決算委員会で、全閣僚が出席していたが下らないの一言に尽きる。少しましな質問でも見つけてブログのネタにしたかったが何一つ見つけられなかった。馴れ合いが鼻につく緊張感の無いやり取りばかりだったが、問題はむしろ野党にあるかもしれない。憲法改正が出来るなら参議院を廃止したら少しは国民の為になりそうだ。

2014年6月8日日曜日

景気は本当に良いのか

昨日は強い風雨で、いつもは歩いて帰るプールからの帰路も地下鉄に乗ってしまった。今日は少し益しで霧雨だったので、毎日ズルをしてはいけないと思って一応歩いて帰ってきたが、余り溌剌した感じにはなれないのは仕方がない。隣の飯屋の親爺との雑談で親爺が怒っている。健康保険料を滞納したら区役所からか役人が来て「保険料を支払わないと保険証を停止します。」と脅かされたらしい。

「前に何百万もふんだくっておいて、一寸滞納しただけで停止とは何だ。前に払った分を返せ。」と散々毒づいたが勿論聞いてもらえない。結局5千円払うことで停止だけは無しにしたとのこと。親爺も今通院しているので保険証を取り上げられると大変だろう。サラリーマンをしてきた人間には分かり難いが、商売をしている人は大変そうだ。日替わり定食500円の店だから、恐らく現金収入は知れたものだろう。最近はこの界隈でも閉店する店が一段と増えているが、自分もいつまで続けられるか分からないと言っている。

税金や保険料とか電気代などの公共料金の支払いに関して、取引先の信用金庫から「預金残高が足りません」との電話を何回か聞いたことがある。その度に近くのコンビニで何がしかの送金をしなければならない。今日は日曜なので信金からの電話も無いし、客もいなかったので暫く親爺の愚痴を聞くことになった。個人経営の食いもの屋は、千円以下の定食メニューではもうやっていけないだろう。俺のところも時間の問題と覚悟しているみたいである。

当面続けていられるのは、一時の良い時代に手当てした若干の不動産を処分しながら食いつないでいるからだ。因みにこの店もローンが1千万円ほど残ってはいるが自分の店で、13年前かに4千万円で購入している。小生が少し離れたぼろアパートで起業した頃で、言われてみると思い出した。その他にも池袋西口付近で自宅と数軒のアパートを所有しているのだそうだ。しかしその不動産をいざ処分すると、思いがけないほどの税金が掛かって来るものらしい。

そこで親爺の不満の矛先は官僚と政治家に向かう。先ずは何と言っても区役所や税務署の役人。数日前に区役所に行って番号札を取ったら200何番かだったそうだ。カウンターの向こうでは職員が暇そうにしている奴もいたが、親爺は何とかしようと別の支所を自転車で廻ったが、結局何かを払い込むのが間に合わなかったのだろう。「あいつらは市民の事情なんか一切関係なく、自分の都合だけで仕事をしてやがる。だから時々けんかになってしまう。」

「厚生省か労働省か知らないが、俺らの保険料の大部分もあんなところの役人を食わすために使われている気がしてならない。いっそ社会保険を全部チャラにして新しい保険制度を考え直した方が良いんじゃないか。」健康保険で余程痛い目にあったらしい。「親爺さんよ、そりゃ当たり前で、窓口に来る相手の都合なんか考えていたら仕事にならないでしょうに。」とは言わず黙って聞いていたが、公務員もこのような人間に毎日付き合うのだからご苦労なことだ。

政府の情報管理が上手いせいか、消費税の影響も少なく景気は順調に伸びるだろうマスコミは言うが、隣の親爺さんの証言からすると、庶民の実所得が減って明らかに悪影響が出始めているのだそうだ。今日の天気と一緒で、余り明るい気分になれない昼飯だった。

2014年6月7日土曜日

雨音を聞きながら

5月は既に一度山歩きをしていたが、先週の土曜日31日に山に行くことを決めた時は、6月に入ると入梅になるので早い方が良いだろうと単純に決めただけだが、まさかこんなに早く本格的な梅雨になるとは思わなかった。少しついていたような気がする。この梅雨がいつまで続くかまだ分からないが、当分山歩きはお預けかもしれない。普通は本格的な梅雨の前に少し雨の日が続くとしたものだが、先月末にの暑さは正に季節外れで、いきなり梅雨入りも珍しい。

と言うのは先月26日が父の誕生日で、父がすこぶる付の雨男。他には先月28日は明智光秀が毛利討伐を織田信長に命じられて居城を出発してすぐ、戦勝祈願と称して愛宕神社に参詣。ここに宿泊して連歌会を催し「時は今 雨がしたしる 五月哉」の句を詠んだとされる日。5月末頃は雨と紫陽花が似合うと思っていたのに、今年は真夏の暑さで父のことも明智光秀のこともすっかり忘れてしまっていた。

6月の今になって父のことや明智光秀のことを思い出させてもらった。父は明治38年の生まれで平成8年91歳亡くなったので、同じように頑張るとすると、あと17年も頑張らなくてはいけない。考えてみると現在の自分と同じ年頃の父は、弁護士と言う職業柄もあったせいか矍鑠として社会貢献もしていたし、私的にも溌剌として毎日勉強したり毎晩晩酌もしていたように記憶する。比較して己を振り返ると、仕事が無いのは仕方ないにしても、何となく元気が無いのは情けない。

健康面や身体的には負けていないだろうが、平素考えることが自分の健康や山遊びみたいに愚にもつかぬことばかりも何となく情けない。父も70歳を過ぎて弁護士の依頼案件がそう沢山あったとも思えないが、勉強だけは続けていた。これが弁護士稼業の良いところでもあったのかな。も一つ感心するのは79歳か80歳かの時に金婚式記念と称して母とアメリカ旅行をしたことだ。どちらかと言えば母が言い出したことかもしれぬが、父はけじめをきちんとする性格だったので応じたのだろう。

父の性格からすると、何を今更と思ったに違いないが黙って女房の言う通りになった。当時の記念写真を見たことがあるが、大して面白くもなさそうな父の顔が印象的だった。男兄弟が5人いるが何れも不肖の子ばかりで父を超えられそうにない。それでも末の弟は最近東欧へ出かけたとのこと。ずくがあると感心するばかりで、こちらはとてもそんな遠くへ出かける気力が無い。せめて毎日駄文を綴るのが精々だ。

最後に雨音を聞きながら、安倍総理を信長に例えると信長に失礼かもしれぬが、明智光秀の発句を受けて続いた出席者の句を味わいたい。
引用:http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/haka-topic33.html

『水上まさる、庭の松山』西ノ坊行祐(僧侶最高位)
“みなかみ”=“皆の神(朝廷)”が活躍を松(待つ)
『花落つる、流れの末をせきとめて』里村紹巴(連歌界の第一人者)
“花”は栄華を誇る信長、花が落ちる(信長が没落する)よう、勢いを止めて下さい
『風に霞(かすみ)を、吹きおくる暮』大善院宥源(光秀の旧知)
信長が作った暗闇(霞)を、あなたの風で吹き払って暮(くれ)

2014年6月6日金曜日

今日も図書館

今日も朝から土砂降り、梅雨入りしているので当分は雨の日が続くらしい。雨になると歩くのも億劫になるが一方では運動不足も心配である。毎日1万歩程度は歩くことを目標にしてきたが当分は達成率が下がりそうだ。何事も自分に甘いのである、ずぶ濡れになってまで歩くほどの元気はない。婆さんから「普段無理しているから気になるのであって、普段何もしていなければ全く問題ないのよ。不便なものねぇ。」からかわれてしまった。

そんなに無理をしているつもりもないが、普段歩行目標達成がてら昼飯を食いに池袋まで往復すると2時間くらいを消化できる仕掛けになっているのだが、出歩かなくなると暇潰しに苦労する。ネットで囲碁も善いのだが、午前中から囲碁を始めると結局丸1日囲碁になってしまう。1日に10曲打ったこともあるが、負けて熱くなりすぎただけのことで、精神衛生上は勿論、目なんかへの負担も相当だろう。

無難なことはやはり図書館にでも行って読書をすることだろう。昨日も今日も午前中から国会図書館で読書三昧だった。2日かけて「小説 外務省-尖閣問題の正体」孫崎享著を読み終わった。孫先氏についてはネットでしょっちゅう見解を聞いているので今更読後感でもなさそうだ。野田政権から現政権にかけて引きずられている尖閣問題の取り扱いは、外務省内でも多くのキャリアは間違った政治判断であることを知りながら、政権与党に適切な進言がなされ政府の方針転換がない理由は何か。

一に掛かって外務省の官僚がアメリカを向きすぎていることにある。即ちアメリカは先の大戦処理の際から、日本と中国やソ連との間に曖昧な領土問題を意図的に残したとも言える。太平洋の西側にこのトラブルが存在することで、属国化した日本が容易に中国やソ連と接近できず、アメリカの庇護にすり寄らざるを得ないようにしておくことがアメリカの国益にかなっている。非常にシンプルで分かりやすい絵解きである。著者自身が元外務官僚だからあながち嘘とも言えないだろう。

日本人はどんなところに居ようと、所属する組織の論理と言うモノがあって、個人が勉強の末に組織の誤りを発見しても、個人の力でこれを糺すのは容易でない。これは昨日よんだ昭和25年の文藝春秋にも書いてあった。著者はネットでも現体制への警鐘を乱打し続けているが、マスメディアからは段々遠ざけられ、語ることがどんどんマイナーになっている。この小説の主人公のような青年官僚が出現することを、著者が期待する気持ちは十分理解できた。

2014年6月5日木曜日

昭和25年文藝春秋8月号

例年より数日早いようだが梅雨入りしたそうで、湿度は高めにしても連日の暑さからやっと解放されて少しほっとした気分である。のんびりした気分で国会図書館に行き、先日来読みかけにしていた本を借り出して読書をするつもりだった。ところが国会図書館は読みたい本を借り出すまでに20分からの時間が掛かる。この待ち時間にデジタルアーカイブで古い雑誌をパラパラと読むのだが、今日読み始めたのが月刊文藝春秋の昭和25年8月号。面白すぎて借り出した本を脇にして2時間も読んでしまった。

この頃になると雑誌の装丁やら記事の立て方は現在と殆ど同じである。巻頭に随筆が並び、最初の記事は当時の世相を反映している。サンフランシスコ条約締結前でもあり、朝鮮戦争が勃発して米ソの冷戦がはじまっていた時期でもある。戦勝国側の連合軍と全面講和をすべきか部分講和でも可とすべきかと再軍備についての議論が沸騰していたことが伝わってくる。当時の総理は吉田茂氏で、当然彼は米英寄りだからマッカサーのポチのような存在だったことをうかがわせる。

当然再軍備に反対する文化人の署名記事もあり、一つに学習院大学院長の安倍能成氏が説くところが興味深かった。憲法は戦勝国が押し付けたもので褒められたものではないとしながらも、戦勝国の都合で戦えなくしておきながら再軍備を求めるのは余りにも身勝手に過ぎるだろうとの論理である。勿論、紛争が絶えない国際情勢下で「中立」が言うは易いにしても実際には非常に厳しい選択であることを承知で書いている。

思わず次の一節をメモしてしまった。「戦えない強制を戦わない自由に転ずることこそ日本を死して生きさしめる道である。もし日本国民がこの価値転換を行い、国際社会におけるこの屈辱を真理の道に生きる栄光の踏み台と成し得たならば今度の敗戦も又悲しむに足りない。戦争に死に果てた同胞の霊も初めて浮かぶであろう。」この後に続いた文章に、さもなければそれは妾と同じことではないか、と書いてあった。

妾と言っても現代人にはピンと来ないのだろうが、残念ながら現代これだけの覚悟を持っている知識人が果たしてどのくらい居るだろう。お手当に不足が無ければ妾でも何でもいいじゃないかでは英霊は浮かばれないようにも思った。

その他に冒頭の随筆欄も執筆者の名前はメモしていないので忘れたが、既にアメリカ帰りの人の随筆に面白いのがあった。日米文化の違いは欠乏文化と充足文化の違いにあるとしている。日本は古来何事も欠乏していたので、与えられたものを以て満足するように心掛けるが、アメリカは新天地に可能性が豊富であったせいか、常に前向き積極的に行動することで充足感を満たし続けている。ところが積極的は留まるところが無さそうだし、どこまで行っても満足出来ないだろうと見抜いている。

時代が変わったかもしれぬが、今の日本はとても欠乏文化ではなさそうだ。

2014年6月4日水曜日

将来展望

「賢者は歴史に学ぶ」はよく聞く言葉だが、賢者が少ないからそう言われるに違いない。自分もそうだが人間は後ろに目は無いし、前向きに且つ積極的に生きることが善とされているのだから当たり前だ。しかし流石に齢70ともなれば世の大勢がどんどん通り過ぎて行く気配は感じるものの、谷村新司が歌う「昴」ではないが、己の目には暗くて何も見えず、怖くて足を踏み出せない。ここから彼の歌とは大分趣が変わるが、呆然と佇み、結局は路傍にしゃがみ込んで、ぼんやりと大したこともなかった過去に思いを致すだけのことになる。

頑張って学校の遠足に参加して、目標の山の裾野まで来ものの目標を目前にして脱落した思いに似ているかもしれぬ。そこで何となく感じることは、現代我が国が進みつつある方向が、過去進んできた方向とまるで違う方向となってきていることだ。歴史は逆戻りすることが出来ない。しかし奥多摩の里山が目標だった遠足が、ここに来て急に秩父の高い山に目標が変更されている感じである。それでも先生のアメリカが好きな生徒日本人は、何の疑問も感じずに元気よくついて行こうとしている気配だ。将来未来に責任を持つことが出来ない老人には「大丈夫かな?」の気持が否めない。

若い時は何事にもチャレンジングであるべきだ。但し結果が良ければ問題無いが、不幸にして結果が案に相違することもありうるだろう。その時になって責任は誰にも転嫁できないことだけは承知すべきだ。振り返ると長い人生で親や諸先輩の教えに背き、数々の過ちを犯してきた。結果が今の自分であり、今更誰に恨みを言う訳にはいかない。全く後悔が無いと言えば嘘になるが、置いてけ堀の曲がり角で腰を下ろして過去を振り返るとき、出来るだけ楽しかりしことのみを思うよう心掛けている。

我々の時代は出来の良し悪しは別としても仲間が大勢いた。人口が多かったことが経済発展の大きな理由であったことは間違いない。それがこれからは逆に人口が減るのだから、経済がこれ以上発展する筈もないだろうし必要もないだろう。昨日年金制度の見通しを聞いて、お上は無責任でこんなにいい加減なことをよくも言えたもんだと思った。国政を担う政治家を学校遠足に例えればクラスのリーダーくらいのものか、賢者らしき人物が少なそうなのが少し気になるが、これは致し方が無かろう。せめて自分のクラス全員の気持ちや健康状態に気を配って、引率の先生か監督か知らぬがアメリカともよく相談の上、クラスの皆が後世になって、この遠足に悔いが残らないよう気配りをしてほしいものだ。

2014年6月3日火曜日

豊葦原瑞穂の国

昭和37年の秋、そろそろ長袖シャツが欲しくなる頃のことだ。夏休み前はのんびり構えていたが、気が付くと周囲の友人の殆どが卒業後の行く先を決めていた。当時慶応の文学部なんかは、本当に勉強するつもりで入ってくる学生が少なかったように思う。家が経済的に恵まれている友人が多く、殆どが親の店や会社を手伝うとか、親が勤務する会社の関連会社に就職が多かったように思う。

一番仲が良かった友人は青山学院に在籍していたが、落第を重ねてまだ4年生になっていなかった。大阪で中堅ではあったろうが工作機械メーカーの御曹司である。毎晩のように連絡を取り合って遊びまわっていたが、翌年の3月で卒業できそうだと伝えると、「俺も考えなければならぬか。」俄かに寂しそうな顔になったことが忘れられない。

お父さんが立派な方でこちらも大分お世話になったが、青山学院中退で会社に入れる訳にはいかない。せめて英語くらいは喋れるようになれ、とのことで夏休み明けにはニューヨークへの留学が決まってしまった。そうなるとこちらも流石に就職を何とかしなければと考え始めて、先ず学校で求職案内啓示版を真剣に見始めた。ところが文学部への求人なんかおいそれと見つからない。

両親や両親の知人にも随分世話にもなったが、学部が文学部で成績証明にAの数が1桁となると、どんな企業でもまともに相手にされない。当たり前の話である。今でもお世話になっている方がある会社に一緒に行ってくれた。その時聞いた先方の台詞を今でもはっきり覚えている。「率直に言って、当方とすれば2億円か間違えば3億円ほどの買い物です。いくらあなた様の紹介でも慎重にならざるを得ません。」

一緒してくれた方も多分納得してくれたことだろう。「ま、一人で頑張ってみろや。」に発奮した訳でもないが、再度学校に戻って就職課みたいところで面談を受けさせてもらった。担当の先生か事務員か定かでないが、とても親切で「本当にどんな会社でもいいんだね。」と念押しがあって、直ぐに1社紹介してくれて、その場で先方の人事担当者に電話をしてくれた。明日すぐ面接してくれることになったとのこと。

何でも3年前に設立されたばかりの広告代理店で、幹部の大部分が慶応の先輩とのこと。広告代理店なんて仕事は聞いたことが無かったが、翌日面接に行くと総務部長で慶応OBと仰る白髪の老人が「仕事は入社してから覚えればいいよ。」極めて優しいお言葉。いやぁ感激しましたね。間もなく採用通知を貰って、学校の就職課にお礼の報告に行った時の気分は忘れられない。

この会社は全国農業中央会(JA全中)の指導機関と位置づけられた社団法人家の光協会が発行する雑誌「家の光」の広告を取り扱うことを専門とする生業であった。若そうな社員が十数名いたが、幹部は皆おじさんばかりで、ちゃらちゃらした風情は一切なかった。当時は農家戸数が600万戸、雑誌「家の光」の発行部数が公称120とか130万部と言われていたように思う。

入社して暫く広告なんかより農業のことを知らなくては商売にならないと言われて、2年前に公布された農業基本法とかを一所懸命勉強させられた。あれからすでに半世紀以上、ついにJA全中が安倍政権の標的になって解体の危機を迎えている。農林水産業を1次産業、製造業を2次産業、我が社なんかのサービス業が3次産業であり、今後はこの3次産業の伸びが大いに期待されている。

と教えられ、産業競争力は大いに伸長して現実もそうなっているかも知らぬが、何とも言えぬ虚しさを感じてしまう。

2014年6月2日月曜日

お医者様とのお付き合い

余りに暑くて何をするにも頭がボーっとして無気力状態である。本日唯一良かったな思うことが一つだけあった。今まで4週間おきに通っていた泌尿器科のお医者さん。今日が通院日だったのだが、珍しく医院も空いていた。先生もいつも通りの注意事項を縷々述べられた後に、前回予告されていた通り半年ぶりの残尿検査を受けた。結果は残尿50㏄、決して褒められた数値ではないが、ここ3年ほど数値がほとんど動いていない。

3年前に80㏄まで上がっていたのが少しは落ち着いているのだろう。そこで最後にこちらから丁寧にお願いをした。「3年前に薬を変えて頂いてから、お陰様で数値も安定しているようです。今回も同じ処方と言うことであればいっそ従来の倍8週間分の処方を願いできませんでしょうか?」生意気な患者と思ったかもしれぬが、先生も3年間毎度同じ処方なので、俄かに否定はできなかったようだ。

その代り次回は血液を採取してPSA数値を見たいとのこと。これも大体半年ごとに検査をしているので、こちらとしては勿論異存ない。「その結果で薬を変更したりする必要が生じれば、また細かに様子を見ていくことになるでしょう。」そりゃそうだが、取り敢えずは8週間分の薬が貰えたので良かったな思った次第。老化が進行している以上、几帳面に医者通いはせねばならぬのだろうが、4週間おきは少し短すぎる。

隣のおじさんは糖尿病の検査で三井記念病院に行ったら、医者から「半年ほど様子を見てからにしたいから、半年後に来てくれ。」と言われたらしい。おじさんは「先生、半年先なんかこちらは死んでるかもしれませんぜ。」と言ったら板橋総合病院を紹介されて、そこでやっと糖尿病の診断が下ったとのこと。年寄りの医者選びも大変だ。

2014年6月1日日曜日

奥多摩ハイキング


今日もそうだが、昨日も東京はクーラー無しではいられない真夏の暑さだった。
そこでと狙った訳でもないが、友人M氏と少し前に約束していた奥多摩ハイキングに出かけた。詳細は又ヤマレコでご覧いただきたいが、選んだコースは青梅線御岳駅から御岳神社に参拝して、大岳山に登り鋸山を経由して奥多摩駅に降るコース。御岳神社まではケーブルーカーを利用するので、登りはさほどでないが、降りの距離が長いのでそんなに馬鹿にできない。

幸い梅雨にはまだ遠い感じで、五月晴れの絶好のコンディションになった。スタート地点が高いので、歩き始めから青葉若葉を吹き抜ける風が何とも言えず心地よい。しかもこのコースはひたすら登る或いはひたすら降るのではなく、登り降りの前後に軟らかで平らな道が結構長くある。中部山岳地帯の尾根歩きとは随分趣を異にするので我々年寄りや初心者向きのコースである。

絶好の行楽日和で新宿駅や御岳駅の人混みは相当であったが、大岳山から奥多摩へのコースになると流石にぐっと人が減って快適なハイキングだ。友人が途中で写真をを神戸の友人に送ったら、直ぐに返信の電話が来て歩きながら会話できるほどであった。朝7時前に家を出て、約12時間後の7時ちょっと前に帰宅した。初心者向きコースとは言え、12時間の外出のうち7時間近くは山歩きをしている勘定だからそれなりに疲労はしている。

ビールの1杯が限りなく美味い。後片付けは全て今日の日曜に先送りして早々に寝てしまった。

トップの写真は大岳山のつもりだったが、どうも御前山らしい。
詳細は下記をご参照願います。
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-457649.html