科学の進歩、目が回るスピード感と方向性

トヨタが水素燃料電池車の販売を発表した。日本での販売価格が普通車1台が700万円程度とのことだから、馬鹿高いものではない。自家用車を持つ程度の家庭であれば、すぐにでも手が届きそうだ。国内他メーカーも開発目途がついていて、数年以内には同様の発表となるらしい。欧米メーカーにも開発に参入しているところもあるようだが、むしろ現在のハイブリットエンジンの進化に注力するメーカーもあるとのことだ。

確かにアメリカなんぞは国土の広さが我が国とは桁違いだから、燃料供給拠点の構築を考えると二の足を踏んでいるのかもしれぬ。なんて世相を取り上げたまではいいのだが、実際どのような変わり目に立っているのか、本当のところは分かっていないのだ。ガス会社の地域冷暖房とかで、コゼネが話題になり始めたのが凡そ四半世紀前のことだと記憶するが、科学に弱い上に当時電力会社べったりの仕事をしていたこともあり、余り関心を持たなかった。

しかし311東北大震災に続いた原発事故で、水素爆発の生々しい映像を実際に見て、水素てなんだと思いはじめた程度のことである。しかし、それ以来のことか、急に脚光を浴び始めた燃料電池なんてものも未だ全然理解しようなんて思っても見なかった。一時と言っても30年間ほどになるが車の運転はしたものの、不器用なのか機械いじりが苦手で、会社の車と縁が切れたのを幸いに運転免許証を失効させてしまった。身辺を取り巻く文明の利器数々は確かに有難いとは思いつつも、もうこれで十分との感も否めない。

子供たちの世代は、人の暮らしもいい加減なところで手を打って、むしろ自然環境保護の方に力を入れた方が善いのでは、勝手に想像したりしている口である。従って昨日聞いた水素燃料電池の環境に対する負荷ゼロが事実とすれば、それは実に喜ばしいことである。残念なのはおつむの悪さ、特に科学方面はからきしなので仕組みが良く分からないことである。取り敢えずは東京ガスのホームページなどを見て手っ取り早く理解しようと努力をしても、人間基礎的教養が無いことには理解できる筈がない。政府要人と似たようなものだ。

先ずガスの存在自体がイメージできない。原発事故当時水素ガス爆発と聞いて不思議に思った。飛行船に注入されるのがヘリュウムガスで、燃えやすいとか爆発しやすいとは聞いていたが、水の主原料も燃えたり爆発するのか不思議に思う程度である。次は、水素ガスの力を利用して(水素を燃料として)電気エネルギーを発生させて、電池に蓄えるらしいことが分かったがである。ここから先の想像は決定的に間違っているかもしれない。その水素ガスを発生させるためには何らかの燃料が必要で、その燃料ガスは東京ガスなんかがどこからか運んでくるように思えるのだ。

「水素ガスが爆発しやすい」は原発事故でよく理解できた。だから水素タンクを背負うことになる車の爆発防止策に相当な重量とコストが掛かっているのも一応理解できる。これさえ無ければ動力の構造が単純化されることなどを含め、重量も相当軽くなる筈で、走行距離が延びるのも当然だ。水素ガス発生の仕組みがまだ十分理解できていないので、サービスステーションの有様もイメージできない。

ガソリンスタンドのように、地下に燃料タンクを設置してそこに水素を溜めることができるのか?又は、ステーション毎に水素発生装置を持つ小型工場になるのか?考え始めると切りが無いが、電気が発明(発見?)されたのは僅か200年一寸前、日本初の電気事業会社(東京電燈)の開業は1886年だから未だ150年にもなっていない。何れにしても科学の進歩は忙しいものだ。近く図書館に行って大学1年の時(1958年)に読んだ「50年後の世界」(うろ覚えのタイトルなので見つかるかどうかだが、読んでみたくなった。

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