2014年8月31日日曜日

政治家の視線

日本国内でさえ知っているところと言えば、長野県と東京都に大阪府近辺の何れも一部僅かな範囲で、足を踏み入れたことの無い地域が圧倒的に多い。付き合いのある人も少ないので、日本全体を知るとはとても言えない。東京で暮らしていても、どうしたことか分からぬが景気が良さそうな人にはお目に掛かる機会が無い。更に1億人以上が生活している地方都市や田舎では、東京以上に景気がイマイチのようである。それでも何処かには景気の良い人が居て、株価を押し上げたり内閣支持率を持ち上げているのだろう。

仄聞する限りでは、内閣の方針が株価と支持率の向上にあると聞くので、日本の社会情勢は政権にとっては平穏で順調に見えているらしい。本当に幸せな極楽とんぼ集団としか言いようがない。治世(世の中の改革)の必要性は何一つ思うところもなすこともなく、権力闘争のお遊びみたいことに明け暮れていても誰にも怒られないのだから仕方が無いのか。

日本のニュースは災害関連が殆どで政治家の動きには見るべきものが無いが、海外に目を向けると、欧米の政治家は兎に角よく働いている。激しく動く彼らの動きが世界平和に貢献しているのか否かについては定かではないが、日本の政治家とは動きと視線が全く異なるところにあることだけは確かだ。現在、世界的な規模の紛争になり兼ねない危機にあるのは、中東とウクライナであるのは何となく分かるが、残念なことに危機の本質が全く理解できないので、どうなってほしいとか、どちらを応援したいなんてことは全く無い。何とかこれ以上紛争が拡大しないことを祈るしかない。

しかし第3者の神頼みで収まるような生易しいものではなさそうである。例えば、ドイツがウクライナやロシアと経済的にも密接な関係を持つ点では日本と大きな違いがあるのかもしれぬが、メルケル首相の動きを少し知るだけでも、日本の首相の動きとはかなりの違いを感じざるを得ない。クリミアの事件以来今日まで、報道されているだけでも何回もロシアのプーチン氏と電話で話したり直接会ったりしている。首相のお仕事は外交だけではありません。僕だってインドのモディ首相を態々京都まで行って接待していますよ、と言えばそれまでだが、問題を抱える国と平和な国の違いで済ますことができるのだろうか?


地方創生担当相の創設でアベノミクスの第2ステージなんてことも中途半端を絵に描いたようなもので、経済対策も外交も行き詰まりが見え見えだ。それでもへらへら笑っている晋三(心臓?)の強さは見上げたものなのか?プーチンは核戦争も辞さないまでの意志の強さをアッピールして、国内的支持率を保っている。アメリカは少しなす術が無くて困っている風情もあるが、口先では安全保障環境の危機なんて言いつつも、中東もウクライナも日本と無関係と、へらへらしている場合ではないように思うのは素人の浅はかさであれば幸いだ。

2014年8月29日金曜日

国民不在の茶番劇

来週に迫ったとされる内閣改造に関連して、つい2日前までは総理の意向として、自民党石破幹事長の更迭が確定視される報道が相次いでいた。ところが、当の石破氏は幹事長職に余程留まりたかったのだろう。総理が代わりに申し出た安保法制担当大臣は、己の意向と異なるようなことを理由に断固断ると早々にマスコミに発表してしまった。総理の側も、石破氏から集団的自衛権行使に関する憲法解釈変更を、あからさまに批判されたようなものだから相当慌てたのだろう。しきりに懐柔策を講じているとの報道だった。

今まで向かうところ敵無しの一人舞台で振舞っていた安倍氏に対し、やっと党内でも批判する人間がいたか。やっと少し面白くなってきたと期待したのも、束の間の夢で今日になると何のことは無い、石破幹事長は総理とさしで昼食をした後早々と「これから先も私は首相を全力で支える。これから緊密に連携してやっていく。」と喋っている。幹事長続投で折り合ったとも思えないが、少なくとも閣内に残ることでは手打ちが済んだようだ。どんな毒饅頭を食わされたか知らないが、閣内不一致は総辞職が常識だろう。

現内閣には自称最重要課題が多すぎて何が真の重要課題か判然としないが、安保法制の改定はその一つだったのではないか?一瞬、石破氏は結構骨があるのかと錯覚しそうになってしまった。何のための内閣改造か、理解できる人間は総理の太鼓持ちジャーナリストぐらいのものだろう。素直に考えて、総理は年中ゴルフ場に居ても勤まるし、官僚からすると大臣職なんぞは誰が来ても同じこと、コントロールするのはお茶の子だ。コントロールのきかない奴は、暫くサボタージュしてさっさと首にしてしまうまでのことと高を括っていることだろう。

ただ党の幹事長職だけは少し異なるようだ。莫大な金銭を握って、組織動員の要を握るので、小沢一郎氏ではないが総理総裁より権力者の気分は高まるのだろう。従って、石破氏もその座に座って見て初めて、総理の座が手に届きそうに見えたに違いない。当然ながらそれなりの腰ぎんちゃくも何人かは出来てくる。一方総理にしても、自分以上の権力者が出てきては困るので、党役員と内閣改造なんて思いついたのだろう。石破幹事長も一瞬は格好よく「ならば、彼とは考えが違う。」なんて言ってみたものだ。

それが急に「協力します」が聞いて呆れる。二人とも言う事と実際の思いとの差異が大きすぎる。偉そうに言う割には、何ほどの判断力、決断力があるのか。国民の命や暮しが念頭に無いのははなから分かっている。せめて、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」程度の覚悟くらいは持っていてほしいが、これも無理そうだ。今更残念に思っても仕方ないが、自らの保身と権力志向だけで、政治を道具にしている人間であることだけが明確になっただけのことだった。

2014年8月28日木曜日

実力主義

先日報道された予備校代々木ゼミ事業縮小問題を聞いて思ったことがある。学生の数が減ってきているのだから、予備校の事業縮小は仕方がないだろうが、代わりに大学が増えて、大学でありさえすればよしと考えると、今の高校生は浪人する必要が無いらしい。大学でありさえすればとの考えも随分いい加減で困ったものだとも思うが、我々のイメージにある良い大学の概念が変わってきているらしい。

即ち良い大学とは、就職に当たって企業側がある種の優先権をくれる大学と思っていたが、最近採用の基準が変化して出身大学は余り問題にしない企業が増えているとのこと。考えてみれば昔の方が変で、最近の傾向の方が理に適っている。一昔前までは東大出身でないと、大蔵省や通産省の門も叩けないとされたものだ。役所に入ってからも出身校がものを言って、東大出身者は同じ公務員試験上級を通ってきた人でも、京大、一ツ橋などの出身者を明らかに見下す風潮があったのも事実だ。

若い時仕事で役所に通っていたのでよく知っているのだが、所謂一流大学を出ないと官庁では出世の限界が決まっている。しかし実際に仕事をするのは、出世の限界がある人たちである。この人たちは(今は別の呼び名になっている筈だが)中級職の公務員試験で採用されている。入省時から上級職組と中級職組との間には待遇その他で天と地ほどの差がある。上級職組は内部的に「特権さん」と呼ばれていたくらいだ。

出身校とか入省時の順番が一生ついて回るのはどうも、日本独特のものらしい。
日本が先の大戦で酷い負け方をしたのも、当時の陸海軍にこの悪い風習があったせいだと言う人もいるくらいだ。アメリカはパールハーバーで手痛い負け戦をした後、ルーズベルト大統領は即座に、当時少将で海軍の序列的には上から何十番目というニミッツ氏を太平洋艦隊司令長官に任命している。詳しくは知らないが、少なくとも兵学校の序列とは全く関係の無い、実戦力の何かが評価されたのだろう。結果的に言えば、日本の優等生はこの人にコテンパンにやられることになる。

日本のこの風土に関して悪う口を言う人は、各役所でトップ即ち次官まで上り詰める人は何もしなかった奴ばかりだとも言う。冒頭に書いたように、既に民間企業では採用時点から学歴を重視しない傾向になりつつあるとのこと。これは若い人にとっても日本国に全体にも良いことに違いない。霞が関の役所も徐々にそれに近い傾向が表れているとも仄聞している。更に現代の就職状況に関して、大卒であるにせよ、一つの会社に卒業から定年まで勤める人は非常に少なくなっているとのこと。これも考えれば当たり前のことだろう。

自分が4つの企業を転々としたから言う訳でもないが、人間も成長してくると考えも変わるし、今日優秀な企業も明日はどうなるか分かったものでない。大学入試で人生が決まるような社会は過去のものになりつつあるのだろう。未だ社会に残存している過去履歴や、肩書の権威が早く消失することを期待しよう。特に霞が関官庁に残存するこの風潮が、人口構造の変化とともに壊れて、実力主義に変わっていくならば、下手な構造改革以上の効果がもたらされる筈だ。

2014年8月27日水曜日

夏の思い出

朝起きると少し雨模様で、半袖では肌寒さを感じるほどの涼しさになった。何でも10月半ばの気温らしい。昨日までの蒸し暑さを思うと実に有難い。このまま秋に突入してくれるとは思えないが、一先ずホッとした気分だ。床屋に行くと「今日はゆっくりお休みなった方が宜しいようですよ。」と言われたが全くその通りだ。しかし考えてみれば、床屋さんに薦められなくてもこのところ毎日ゆっくりお休みになっているようなものだから、少し可笑しくもある。

一般的には6月から8月までを夏としたものだろうから、間もなく夏休みも終わりだ。思えば、今年ぐらい何処へも出かけなかった夏は珍しい。お盆に墓参りをしただけだ。山歩きに凝っていた昨年や一昨年を思うと嘘みたいだ。約3か月じっと東京に居ると、不思議なことに心境も大分変ってくるものだ。当初は山が恋しくて、しきりに山のことが気になった。しかし日が経つにつれ山歩きに魅力を感じなくなったわけではないと思うが、最近あまり気にならなくなったみたいだ。去る者日々に疎しと言うが、似たような感じかもしれない。

これで山歩きをやめることにはならないと思うが、差し当たり次はこの山へと言った思いが浮かばない。思い返すと山歩きを始めるにあたってゴルフをやめた。ゴルフをやめるに当たっては何の未練も無く、一気に山歩きに向けて気持ちを切り替えてしまった。当然ながら後になって、あゝあのゴルフ場にもう一度行きたいなんて思ったことなど一度も無い。気分が多少山から遠のいたとは言え、山に関する最近の気持ちはゴルフの時とは大分趣を異にする。山歩きの道具は何一つ処分する気にもならないし、近い将来これ等を身に着ける日が必ず来るだろう。

ただ漠然と思っているだけだが、改めて近場の易しい山に行く気になるのは何時のことやらだ。今年の夏の思い出らしきものは殆ど無いが、お休みがてら思い起こすと、ここ数年分だけでも脳裏に浮かぶ夏山の風景は多彩である。歌の文句ではないが、夏が来れば思い出す~遥かな尾瀬~も良いし、奥多摩や秩父、信州の山々。アルバムを見ている訳でもないのに、次から次へと素晴らしい光景が浮かんでくる。遠くにありて思うのは故郷としたものだが、故郷の場合は思い浮かべている光景を現実に見ることは不可能に近い筈。

しかし山はこのように思い浮かべている光景が、いつまでも殆ど変わらずに存在している筈。再び目の当たりにする光景は何処か分からないが、雨降りに閉じ込められて想像するのも又楽しである。

2014年8月26日火曜日

覇権国の狭間で

ロシア人と聞くと、何となく朴訥でお人好みたいなイメージを持っていたが、勘違いもいいところらしい。特に現在政権を握っているプーチン大統領は親日家であるかもしれぬが、個人的な感覚ではとんでもなく冷酷無慈悲な覇権主義者のようにも思えてくる。ひょっとすると、日本人が嘗て恐れたスターリン以上かもしれない。むしろカウボーイ国の大統領オバマ氏が、混乱の国際政治の中にあっておろおろと手の打ちようも無く、おまけに国内的にもレイムダック状態に置かれていると聞いては同情したくなる。

とは言っても、この世界的な混乱の原因は全て、政党が異なると言ってもアメリカ大統領に起因しているので、因果応報と言ってしまえばそれまでであるが。世界最強の軍事力の使い方が分からない訳でもなかろうが、個人的にプーチン氏ほど強烈な個性を持ち合わせていないのかもしれぬ。とは言っても日本からすれば前門の狼に後門の虎の喩え通りだ。幾ら安倍氏がいきがってみたところでとても適う相手ではないことは承知の助だが、それにしても余りにも情けなさすぎる。

安倍氏はプーチン氏と既に4回も会談をしているのだから、クリミヤの時とマレーシア航空17便の際に、せめて電話の1本ぐらいして、蛇だがミミズだか分からないようなことでもいいから、直接話が出来なかったものかと悔やまれる。昨日ロシアのラブロフ外相が「大統領の訪日はウクライナのこととは無関係だ。既に日本から期日を含めて要請されていることに何も変更はない。」と秋の訪日を予定通りしたい意思表示をしたとのこと。この話を帰宅して婆さんから聞いたのだが、夜見たTVニュースと今朝の新聞でも関連記事を確認できなかった。

ところが昼飯を食っている時見たTVニュースによれば、やっと菅官房長官が記者会見で「まだ何も決まっていないので、諸般の情勢を鑑みて国益に沿って考えを収斂していく。」見たいコメントを発している。総理閣下は来週の内閣改造で頭が一杯で、複雑な国際情勢なんぞとてもじゃないが頭が回らないのだろう。宗主国の方でも端パイの日本のことなんかは問題にならぬほど、次から次へと頭の痛い外交問題に振り回されて、国務長官や国防長官は席を温める暇がないくらいだ。

霞が関の外務省スタッフがシャカリキになっても、米国やロシア在住スタッフから適切な情報が入らず、本省での調整が不能で、官邸の意思決定に繋がるような報告は出来ないのだろう。ロシア在住スタッフをおまけのつもりで書いたが、日本が顔色を窺わねばならないのは勿論ワシントンである。ワシントンの意向が確認できなくても良いじゃないか。「日本もロシアがウクライナに於いて取った行動は遺憾には思っているが、日本とロシアの関係を根底から覆すものではないので、大統領訪日は予定通り進めてもらう心算だ。」くらいのことをしれっと記者会見で言ってやれば良かろう。

ロシアが問い合わせてきたわけでも何でもない。お前はどちらの味方をするつもりか?と半分脅しに掛かっているだけではないか。取りやめの発表なんかいつでも出来る筈だ。当のロシアはもとより、宗主国アメリカが腰を抜かすかもしれない。同じお人好でも、アメリカ一辺倒でもそれは仕方ない。右顧左眄も時にはあっても良いとしよう。しかし肝心な時に意見表示をしないのが一番悪い。だから大国から相手にされぬのだ。

2014年8月25日月曜日

暮らし雑感

土曜日に見たテレビで評論家の田原総一郎氏が言うには、安倍内閣の最大関心事は日経平均株価と世論調査の支持率だそうだ。どちらも暮しには余り関係無さそうな数字だと思うが、評論家の大御所めいた方が仰っているのだからそう言う事なんだろう。国民の暮らしそっちのけで、少なくとも国民の一人であるこちらには全く無関係なことばかり気にして貰ったのではたまったものでないような気がする。それでも双方とも比較的高い数字を維持しているのは、ご同慶の至りと皮肉を込めて言っておこう。

家の中でも外に昼飯を食いに行っても、毎日のように聞かされるのは食材の値上がりの話と店仕舞いする食いもの屋が多いことである。確かに自分の行動様式を考えても、この4月に目出度く昇給されたサラリーマン諸氏と違って、減額一方の年金暮らしである。小遣いの大部分が昼飯代みたいものだが、4月以降一寸贅沢な気分の昼飯が少なくなった。贅沢と言っても精々900円前後のランチのことだが、これが軒並み千円を超えるようになっている。そうなると頻繁には注文しにくくなって、その店から足が遠のく実態がある。

それでも東京は大都会なので、安いランチを提供し続ける店があるのは嬉しい限りだ。隣の親爺もその一人で、未だに500円の日替わり定食は勿論、メニューを全く変更していない。結局客が減るのが怖くて値上げが出来ないらしい。何故ならば小僧から独り立ちした頃、親方が店に様子を見に来て叱られたそうだ。「儲けることばかり考えやがって、バカヤロー。最初は大勢のお客さんに来てもらうことだけ考えろ!」70歳を過ぎても初心を貫いているのは見上げたものだ。

「今は食いもの屋だけでなく、八百屋や魚屋、肉屋でもなんでもお客の顔を見ない人間が値段を決めるシステムの大型店が多くなっているのでどうしようもないね。ネギが1本100円の時代だから、安い材料で定食をこさえるのも結構大変だ。」婆さんがネギ一束180円とスーパーの広告にあったのを見ながら同じようなことを言っていた。「ネギが2本で一束なんて言うかしら?」
なんとも世知辛い世の中になりつつあるようだが、我が家は自家用車が無いだけまだましみたいだ。

娘二人の所帯はどちらも自家用車を持っていることを、同情しているみたいな言い方だった。娘たち家族が必ずしもそうだとは思わないが、一般的に夏の過ごし方としては、避暑と称して山や川や海に行く方が多い。自家用車を使わないにしても、出かけると何かとお金が掛かるし、事故の危険が付きまとう。「暑さを避けるにはエアコンの効いた部屋でじっとしているのが一番安上がりで安心できる筈よ。そう思いませんか?」山歩きを自粛している亭主を慰めるために言っているような気もする婆さんのお言葉だった。

2014年8月23日土曜日

政治家に関する語り草

ドイツのメルケル首相は今年の夏休み(2週間程ではなかったかな?)に、アルプスの山登りを楽しんだと読んだ記憶がある。我が総理閣下は今月16日から27日まで、都心から僅か車で2時間程度の箱根や河口湖付近にお持ちのご自分のご別荘で、ゴルフをメインにした休暇を楽しまれる予定だったそうだ。ところがご案内の通り、20日早朝から広島市内住宅街で発生した土砂崩れ災害に、お心を悩ませられて、その日のゴルフを途中で止めて東京に戻られた。

総理のご趣味がメルケルさんと同じ山登りだったら大変だったろうな。お手軽なゴルフだったことにお慶びを申し上げたい。尤も、古屋特命担当大臣(防災担当)が仰るには 「別に総理が東京に居て貰わなくても特段の問題は無い。総理とも連絡を取り合ってなすべき手段は全て講じている。」とのことで、総理は担当大臣さえ決めておけば、別に年がら年中好きなゴルフをしていてもいいような存在らしい。

ならば開き直って予定通り27日まで山梨県に居続ければいいとも思うが、天皇ご一家がそれぞれ夏のご静養の予定を取りやめたことを聞いて拙いと思ったのか、官房長官からのアドバイスが効いたのか、一緒にプレーしていた森元総理の顔を見ているうちに気が変わったか、何れにしても急に気が変わったことだけは間違いない。前から分かってはいることだが、なんともご粗末な判断力の持ち主だ。こういう人間に限って「最終判断は総理大臣たる私がします。」と胸を張るし、それを聞く度にこちらは胸がやるせなくなってしまう。

野党は野党で久しぶりに1強総理の弱点でも掴んだように大騒ぎして、20日の総理の行動を閉会中審議までして追及するようなことになってしまった。敢えて重箱の隅を突っつくような真似はせぬ方が賢い筈で、これも悲しいことだ。元より総理の関心は国民の暮らしや命には無く、アメリカ政府の意向とか、何か我々には思いも及ばない他所にあることは明らかではないか。もし野党自身が彼と違うと言うなら、その本質的なところ違いを明らかにしてから、本番国会で正々堂々の論戦を挑むべきだろう。

閉会中審議のお題目は「豪雨災害の原因究明と復旧対策」らしいが、別に野党にも良い知恵があるとはとても思えぬ。誰が考えても、政府にできることは復旧のために出来るだけ多額の予算を張り付けること、それ以外は殆ど考えられないだろう。原因なんか素人集団が何を論じようと全く無益なことだ。もう大分以前(2007年)ことだが、白馬連山縦走のために信州山奥の北小谷に行った時に地元の人から聞いた話を思い出した。1996年12月、ここ糸魚川で大規模な土石流が発生して10数人の出稼ぎ工事関係者が亡くなる大事故が起こった。住宅被害は殆ど無かったが、生活道路が寸断され真冬のことでもあり住民の難儀は大変だったらしい。

時の建設大臣は亀井静香氏、彼が事故発生直後ヘリで現場に急行してきたそうだ。そして帰京するや即座に復興予算3000億円を決めたことが地元の語り草になっていた。1大臣の独断でそんな政治行動が可能だったのはバブル時代の所以でもあり、褒められるべきものかどうかは分からない。しかし、災害発生から2日も3日も経ってから総理官邸で仰々しい関係閣僚会議が開かれ、それぞれの大臣に対し得意顔で「指示しました。」と言われてもなぁ、である。

明日総理が態々現地視察と報道されているが、行ったところで、現地で懸命の作業に会ったっている人たちの迷惑になることだけは明らかで、被災者や作業担当者にどんな福音があると言うのか。少なくとも亀井氏のような語り草にはなりえないだろう。

2014年8月22日金曜日

更に深刻な制御不能

昨日、自然界に対する人間の傲慢さと無力さについて書いた序でに、同じタイトルで全く別のことを書きたい。制御不能と言う意味では、こちらの方が深刻かもしれない世界の騒乱状態である。嘗て1898年ベルリンの壁が崩壊した直後に、自民党海部内閣の幹事長をしていた小沢一郎氏は「パンドラの箱が開いたのと同じだ。東欧圏の混乱や宗教・民族対立が多発する。市場原理の競争経済で国際的混乱が始まる。バブル経済に浮かれた日本人の驕りをどう反省するのか」と断言したと言われている。

今は寡黙な小沢一郎氏だが、全くもって仰る通りである。最近のマスコミ報道による限り、冷戦の終結で世界は余計混乱しているかのように、世界のあちこちで戦争紛いとでも言うのだろうか、武力紛争が絶えない。幸い今のところ日本は何処の紛争にも関わっていないのが救いでもあるが、それも今後の政治情勢如何ではいつまで持つか、不安が募る昨今である。

我が国の原発事故は強力な安倍政権主導で制御の努力が続けられているが、世界中で頻発する武力紛争については誰が制御するのか、しているのかがまるきり見えてこない。こんな不幸を制御するために、先の大戦後に国際連合が結成された筈ではなかったのだろうか?

序でに書けば、敗戦国であった日本でさえ昭和31年(1956年)にはこの組織に加盟している。当時では何でも80番目の加盟国で満場一致を迎えられたと記録されている。又、重光葵外相の加盟演説は、日本憲法の前文は国連憲章の精神で貫かれていること、無制限な国家主権を排して普遍的な政治道徳を信じ、国際社会の名誉ある一員としての地位を占めていくとの格調高いもので、諸外国から高い評価を受けたそうだ。なんだか今は昔のことようだ。

現在は200ヶ国を超える加盟国と言うことは、全世界の殆どの国が参加しているのだろうが、素人目には何も機能していないように見えて仕方ない。せめて安全保障理事会の常任理事国同士がいま少し大人になって、真剣に世界平和を議論してくれたらと思うのだが、彼らが既に利害対立して非難し合うのだから救いようがない。日本が常任理事国それぞれに説得工作するほどの度胸は無いだろうし、掲げた理想に反しているからと席を蹴って脱退宣言したところで屁のツッパリにもならないだろうし、困ったものだ。

ならば他に救いを求めたいと、思い巡らして宗教関係者だが、これも当てにならない困った存在ではないか。手前味噌で言えば仏教だけは(日蓮正宗など少数の例外はあるが)他宗教に寛容で、平和についての話し合いの場を持つのに不都合はないようだが、キリスト教にせよイスラム教にせよ「汝殺すなかれ」なんて言いながら、異教徒については虫けら同然の扱いで殺すことを推奨するような感も無きにしも非ずだ。人類が平和に過ぎると人口が増えすぎて困るので、共倒れしないために神が殺し合いをさせているとでも言うのだろうか?

所詮人類には共存と言う概念は無理無用な存在に過ぎぬのだろうか?子や孫の将来を思う時、暗澹たる思いにならざるを得ない。

2014年8月21日木曜日

制御不能

広島の市街地で発生した雨災害の恐ろしさには驚くばかりだ。長野の育ちなので、子供の頃に山の奥で働く人から奥山川の鉄砲水の恐ろしさを聞いた覚えがあるが、まさか市街地で発生するとは。科学が進歩して気象予報もかなり正確になり、土木建築工学も高度になっている筈だが、最近発生している自然災害は、大方の想定を超えるものであるようだ。そもそも自然なんて解明し尽くすことが可能なんだろうか?人間が自然を克服なんて偉そうなことを言うので、神か自然かが怒っているような気がしてならない。

スパーコンピュータの発達は更に科学を進歩させ、月やお星さままでロケットを飛ばしたり、数十兆と言われる人間細胞の更に奥にある遺伝子まで侵入して、昔風に言えばフランケンシュタインではないが、人造人間製造まがいのことまでしている。数日前に読んだ雑誌(新潮45 9月号)に京都大学の経済学者の佐伯啓思氏が「こう言ったことは果たして自然の追及と言えるかどうか?」と書いていたが全く同感だ。原子力も含めこんなことは少なくとも自然科学とは言い難いと思う。未知の世界を追求したい気持ちは分からぬでもないが、何事も程々が肝心なようだ。

この佐伯氏が言うには視覚的且つ感覚的に「より高く」「より明るく」「より大きく」「より早く」「より便利に」「より便利に」などを目指すことが成長だとすれば、一旦その成長の価値を見直すところに来ているとのことだ。進歩とか成長は万人にとって永遠のテーマみたいものだろうから、見直せと言っても難しいだろうが、歳を取って試行停止状態となり、お迎えを待つ身になっているせいか共感を感じるところがある。

今から約半世紀前、大学を卒業して就職した当時の生活環境を思い起こせば、現在の生活は成長しすぎてしまったのではと考えても過言ではない。更に記憶を辿って少年時代に遡れば、今の生活は想像すら出来なかったほどの変化である。 偈に恐ろしきは人間の欲望とでも言いうべきかも。想像が出来なかったことに直面したとき、これを教訓として克服すべき手段を考える。これは当たり前で、ここで普通は科学の専門家が登場することになる。しかしこのイタチごっこのような仕掛けは何処までも上手くいくとは限らないのではないか?

年のせいばかりでなく、元来向上心に薄く諦めやすい性格でもあるので、何か無理だな思うと、そこで立ち止まって後退することを考えてしまう。今朝は4日続きの熱帯夜について「堪らんなぁ」と文句を言ったら「土砂崩れに巻き込まれた人のことを思えば、熱帯夜ぐらいで不満を言ってはいけません。」と注意されてしまった。あまり綺麗でもない空気と風景、ごみごみした都会の真ん中の狭苦しい家で、言いだせば不満に切りが無い。考えてみれば我が家には制御不能のことが多くて欲を言いだせばきりがない。

誰しも欲は切りが無い話だろうが、何処で我慢するかが問題で、余り無理をしない方がハッピーと言うこともあろう。総理閣下が胸を張る「アンダーコントロール」は結構だが、実態が伴っていないとの噂もよく耳にする。権力やお金さえ有れば何でも可能と言うことでもなさそうだ。

2014年8月20日水曜日

景気に関する素人談義

昼飯を食いに行ったら事務所を仲介してもらった不動産屋の小父さんと相席になった。500円の定食の注文も同じだった。挨拶代わりに「景気はどうですか?」と聞くと、案に相違して「あんまりパッとしませんな。」「え?オリンピックを見込んで都内の景気上向きじゃないのですか?」重ねて質問すると、この不動産屋さんかなりの博識なようで面白い話をいろいろと聞かせてくれた。先ず、この前のオリンピック景気を記憶している年寄りは景気が良くなると思っているらしい。

ところが、我々、当時は高校生ぐらいではオリンピックで東京ががらりと変わり、不動産も高騰して景気が良くなったなんてことの実感には乏しいのです。まして、もっと年下になれば尚更でしょう。そこでどんな現象が生じるかと言えば、仕入れは高値になっても売値が思い通りにならず結局損をして処分するなんてことが起きてしまうのです。不動産屋もご承知の通り乱立していますから、売り物が出た時高いからと手を束ねていたのでは商売になりません。

競争に勝つためについ無理して仕入れてしまうのです。でもいつまでも在庫を増やす訳には行きませんでしょう。最近の商売はきついものがありますよ。それでも最近3千万円の大型商談をまとめたそうで、ご褒美にボーナス5千円頂いたと嬉しそうだった。年齢的には未だ70歳には届いていなそうだが、まあ、同世代と言えよう。そこから延々と話を聞いたのだが、かなり文学的素養をお持ちのようで、ヨーロッパの文学者の名前が次々と引き合いに出されて、相槌の打ちように苦労してしまった。

彼が謂わんとすることは「これから日本はきっとロンドンのようになっていくに違いありませんね。」である。こちらが行ったことがあるとの前提で話を進めてくれたのだが、敢えて否定して話の腰を折るのも失礼だと思ったので、黙って拝聴した。経済発展の要素が無くなりつつある点において、ヨーロッパと同じと言うことらしい。失業が者が多くて新規の建設なんかは殆ど見受けられず、補修工事ばかりじゃないですか。日本も遠からずそうなるに決まっています。単に生産人口が減少するだけでなく、企業の形がすっかりグローバリズム化して正社員が殆どいなくなってしまったことも、経済発展を著しく阻害する要因になっている。ここから、ニーチェだとか難しい文学の話が沢山出てきたのだが、殆ど理解できずだ。

彼の会社でも殆どが非正規社員で、非正規社員は人材不足の影響で、彼らの賃金は多少上がってはいるが、代わりに正規社員の給料なんか殆ど上がらないらしい。だから5千円のボーナスがとてもありがたいとのこと。若い人の悪口を言うようで気が引けるが、今の若い人たちにどんな夢がありますか?妻を娶って子供を持ち、自分の家を持つことを夢見るなんてことは、その道で辿ってきた我々の考えで、今の人たちにそんな夢なんか持っていないと思いますよ。生まれた時から何か欲しいと思えば殆どの物が手に入る人生だった訳ですから、我々と同じように考えろと言っても無理でしょう。

最後に彼の人生観が語られた。「私はもう子供も仕上がったし、首都圏界隈の札所は全て巡り終えたので、あとは四国の札所巡りをするだけです。既に健康診断を受けるのは止めているのですが、何かの拍子で癌でも発見されたら、退職金から100万円握りしめて88か所のご遍路に出発します。」全部廻るのに2か月かかるのだそうだ。

立派なお心構えに感心して拝聴したが、健康診断を受診していないと病気も発見できないような気がするのだが、そんなことはどうでも善いのだろう。市井の小父さんの与太話だが、印象に残ったのは、地方は兎も角、首都圏ではと言われている景気であるが、首都圏でもそれ程でもなさそうなことだ。

2014年8月19日火曜日

残暑は厳しいが

前立腺癌との告知を受けたショックに悪天候が重なり、山歩きをやめて既に2か月以上経過してしまった。この分で行くと涼風が吹き始めるまでハイキングはお預けになりそうだ。しかし身体が鈍るのも嫌なので、残暑にめげずに1日小1時間、距離的には5キロぐらいだろうか、歩くことだけは続けている。お陰で体調は悪くない。癌と言う奴は消えることは無いのだろうか?もう一度検査を受けたら癌が消えていました、なんてことにならないかなぁ、と思ったりしている今日この頃である。

それにしても、日本に民間軍事会社なる企業が存在していたことは驚きだった。ベトナム戦争が終わって間もない頃、傭兵としてベトナムに行ってきたと言う人に会ったことがある。俄かに信じがたいので、眉に唾を付けながら聞いたことを思いだしたが、あの人も本当に行ってきたのかもしれない。世の中には信じがたいことが存在するものだ。世論調査で政権支持率が再び上昇したなんてこともその類だ。いっそのこと、我が前立腺癌にも消えて無くなってほしいものだ。

2014年8月18日月曜日

二つの安保法制懇

ふとしたことから、趣味としてこのブログを書き始めたのが2009年(平成21年)4月、以来回数的には1400回を超えている。することの無い老人とは言え、よく飽きもせず続けていられるものだ。ボケ防止の意味もあるが、出来るだけ休まず書き続けるために幾つかのテーマを定めて、マスメディアの報道やネット情報からネタを拾うことが習慣化している。履歴を振り返ると、ジャンル的には「老化と健康」が338回と1位になっているので、年寄りの嘆き節が多いようだ。

2位の「世相」は随筆風を気取りたいが、果たして今読めば気恥ずかしくなるようなことになるに違いない。回数的には329回と1位とほぼ拮抗している。問題は3位の「政治」で、生半可な知識をもとに242回も書いている。書き始めた時代を思えば、9月の民主党政権誕生の直前だから政治に対する期待もあり、政治への関心も強くったのだろう。思えばこの5年半で日本は随分変わってしまった。ともすると政治に対する期待が萎んでしまいそうな気がする。こちらは先が長くないのだから、もうでも好きなようにしてくれ。と言ったやや投げやりな気分だ。

しかし、これが一番いけないことらしい。昭和の一桁代終り頃の数年が正にそうで、日本に軍国主義的な流れが出来た時代と現代は非常によく似ているらしい。国粋的(今風に言えばナショナリズムということか)な声が大きくなると、常識的な判断をする人が非国民的に見られて、その声が段々と小さくなり、遂にはかき消されてしまうものらしい。これは昨夜後半30分だけ見たBSTBSで半藤一利氏と保阪正康氏が語っていたことだ。両氏が語るところに依ると、現政権は歴史について勉強をしていないと思って馬鹿にしていたが(小生も全く同感であるが)、実はナチスの手法を詳細に学んでいる可能性がある。とのこと。

半藤氏が臍をかんで言うには、昨年7月憲法改正について麻生氏が語った次の言葉だそうだ。「ヒトラーは民主的な選挙で選ばれたのですよ。ドイツ国民はヒトラーを選んだ。ワイマール憲法という当時、欧州で最も進んだ憲法下でヒトラーが出てきた。常に憲法は良くてもそういうことはありうる。・・・中略 ・・・憲法はある日、気づいたらワイマール憲法が変わってナチス憲法に変わっていたんですよ。・・・中略 ・・・誰も気が付かないうちに変わった。あの手口に学んだらどうかね。」

半藤氏は当時気付かずにいたが今にして思うと、現政府が行いつつある憲法の解釈変更の閣議決定から、関連法案の一括審議へのやりかたは、当時のナチス政権のやり方に全く瓜二つらしい。このまま行くと、安倍政権は言論弾圧でも軍国主義国家建設でもやりたい放題が出来る政権になり兼ねないのだそうだ。しかし麻生氏の発言をネットで検索すると、彼の発言のどこに問題があるのか?むしろ非難されるべきはこれを世界に発信した朝日新聞などメディアの非国民的行為との意見が多く参照できる。これが正に国粋主義的風潮の高まりに他ならないのだろう。

益々もって、年寄りだから黙って引っ込んでいられなくなってしまった。既に3日も続けて日本の戦争と敗戦について所感を述べてきたが、今日も屋上屋を重ねて更に言いたい。安倍総理の取り巻き集団の最たるものに「安保法制懇」があるのはご承知の通りだ。これに対抗してできた「国民安保法制懇」をご存じだろうか?ネットを参照して双方の主張を知って頂きたいが、それが適わないまでも、先ずそれぞれのメンバーだけでも知って頂きたい。

「安保法制懇」メンバー
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/anzenhosyou2/pdf/member.pdf
如何なる見識でメンバーに選ばれたか分からぬ人が多いし、少なくとも憲法学者は一人もいないようだ。ここの答申で国の形を変えられたのでは堪らないと思ったのだろう。これに反対するために結成されたのが下記である。

「国民安保法制懇」メンバー
http://kokumin-anpo.com/ メンバーのタグをクリックしてください。
憲法学や国際法の学者は勿論、元内閣法局長官から安全保障の実務家など多彩な顔ぶれで構成されていることは歴然であるが、何よりも護憲派とか改憲派の垣根も超え、超保守的である人から比較的進歩主義の人まで、個人的な主義主張を超え実に多彩なメンバーになっている。どちらの言い分に耳を傾けるべきかは言わずもがなであろう。

次の映像をご覧になれる方には是非ご覧いただきたいものだ。
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/158000

2014年8月17日日曜日

8月16日TBS「報道特集」で知った:ドイツ人の覚悟

嘘か真か知らぬがドイツ人は比較的親日的で、日本人もドイツが好きな人が多いと聞く。短い人生の為か、はたまたほかの理由があったのか定かでないが、残念ながらヨーロッパに行く機会が無かったし、又ヨーロッパ諸国の人と個人的に付き合う機会にも恵まれなかった。所詮は本や映画くらいからの知識が関の山なので、個人的に好きとか嫌いとかは言えない。何となく思うのは、子供の頃に憧れたカメラの「ライカ」が象徴する工業技術先進国であることぐらいだろう。これだけ国産自動車が進歩した現代でも、未だにドイツ製自動車の神話めいたものを信じている人も多いようだ。

更に特筆すべきはヒトラーに率いられたナチス党の存在で、それこそ子供の頃には、世界で最強の陸海空軍を要する軍事国家であり、日本は見倣わなくてはいけないと思っていた。講談社の絵本で、その偉人ぶりを何度も読んだのか読み聞かされたかした記憶がある。我ながら馬鹿な話であるが、子供の頃に刷り込まれたものは、拭い切るのになかなか手間が掛かるもののようで、学生時代碌に歴史も勉強せずにいたことと相俟って、就職試験の時に尊敬する人として「ナポレオン」と「ヒトラー」と書いた記憶がある。恥ずかしい限りである。

先の大戦時には同盟国だったこともあり、我が国では現在と同じで国を挙げて、即ち政府もマスコミ界も懸命に提灯をつけていたのだろう。ドイツに於ける敗戦の影響は、国家が4分(正確に言えば8分割らしい)されてしまったのだから、日本以上に悲惨であった可能性もある。その時点から40数年の歳月をかけて統一ドイツ国家を再建し、詳しいことは知らないので的が外れているかもしれぬが、現在メルケル首相が率いるドイツはヨーロッパ連合のリーダー的国家としての位置にあるように見える。

兎に角、事の善悪は別にしても、日本人には日本人特有の性格みたいものがあり、これを国柄と言うことにすれば、何処の国にもそれはあるだろう。ドイツ人の場合、何となく打たれ強くて頑固で几帳面なところが一つの特徴ではないかと勝手に思ったりしている。2度に亘る世界大戦での敗北にめげず、再軍備の挙句に現在では国連の要請でアフガニスタンにも兵を出して、戦死者数十名を出しながら、歯を食いしばって頑張っている(撤兵要求を出したとも聞いているので、或いは既に撤兵しているのかもしれない)。

事情に疎いのに下らぬことを長々書いてしまったが、ドイツ人の戦争とか軍隊に対する考えは我が国とは随分異なりそうである。誤解があってはいけないので敢えて書き添えるが、ドイツ人の考え方を全面的に肯定するつもりは全く無い。ではあるが、昨夜18時からTBS「報道特集」を見て、戦争に対する理解の程度(深さ)が全く異なっていることに気が付いた。どこが違うかと言えば、歴史的事実をドイツ人からすれば全く不都合なことを含め、国を挙げて直視することが当たり前になっていることである。

特にユダヤ人に対する迫害の事実を地域社会全体で隠そうとしていない(ユダヤ人迫害の痕跡を忘れないために、態々公園など人の目につきやすい場所に、当時のユダヤ人差別の告知看板のレプリカを以て明示したりしている)。もちろん子供たちに対しても、小学校教育の現場で、迫害を受けたユダヤ人を招き過去の事を強烈に印象付ける授業があり、番組の中心レポートになっている。番組の狙いは、沖縄竹富町の教科書選定に絡む政府の干渉を非難するものであった。

日本の現政府は特にその傾向が強いが、国家が国民に上にあることから、教科書は国家が下げ渡すものとの考えが強い(竹富町では文科省の意に沿わない教科書を選択したため、教科書に対する補助金を打ち切らている)。ドイツは教科書は教師たちが熟慮協議の上選ぶべきもので、いつまで持つか分からない政府が容喙する余地は全く無いようである。歴史の事実を直視することは言うは易いが、相当の覚悟が要りそうだと改めて思った。

2014年8月16日土曜日

たったの69年、されど69年か

今日はお盆の最終日、ご先祖様たちがあの世にお戻りになるのをお見送りする日でもある。田舎には爽やかな秋の気配が忍び寄るとしたものだろうが、どうした訳か今年の天気は異常で全国的に雨模様のようだ。つい先日までは日本列島を覆っていた梅雨前線が、昨日の天気予報では秋雨前線と言っている。東京の池袋も何ともパッとしない重苦しい天気であるが、昨日に比べると、家族連れの姿が大分増えてきた。臨時休業していたお店も、明日から開店の予告を出しているところも多い。

昨日は自分流に言えば「無条件降伏の日」なので、今朝の新聞やテレビは関連報道が多い。婆さんによれば、何処かのテレビ局で「今日は何の日か知っていますか?」と街頭インタビューしたところ、終戦の日を知っている人が半数までいなかったそうだ。更に、69年前まで日本が戦争していた相手国を知っている人はもっと少なかったようだ。うろ覚えだそうだが、中国や韓国と戦争していたのでは、と答えた人が意外に多く、英米などと戦っていた事実は徐々に薄れているようでもある。

やれ歴史教育がどうとかこうとか言ってみたり、中国や韓国の歴史教育にいちゃもんをつけたりする報道を時々耳にするが、政府はこのような実態をどのように認識しているのだろう?戦没者追悼式も結構だし、官房長官が国民に対して黙とうを要請するのも結構だが、300万人を超える犠牲者が何故に発生したのか。そこを詳らかにせぬまま慰霊だの追悼だのと言っても始まらないだろう。原因についてはいろんな意見もあろうが、英米に戦争を仕掛け、喧嘩を売ったのは日本であることだけは、残念ながら否定のしようがない。

このテレビインタビューから婆さんが悲憤慷慨してやまないのは、更にエスカレートした。質問が具体的にあったかどうか知らないが「戦争に先立ち、日本が同盟を結んでいた国を知っている人なんか1割もいないのじゃないの?」である。「当時の政権指導者は、当然戦争抑止力効果があると思って、ドイツやイタリアと3国同盟を結んだのでしょう。集団的自衛権の行使そのものの思想でないの。政治かはもう少し過去を勉強すべきよ。」昭和21年の戦後生まれなのに、亭主以上に過激なことを言う。

結論は、これもテレビで観たのだろう。「美輪明宏が良いことを言っていたわ、誰とは言わなかったけれど『馬鹿に政治を任せると、碌なことにならない。』ですって。」戦後生まれの人口が圧倒的で、国会議員も戦争を体験していない人が増えれば、世相としては仕方がないのかもしれぬが、基本的な近代史だけは子や孫に語り継ぎたいものだ。

昨日と同じ話になってしまった。夫婦の平仄が一致しているのは家庭平和のもとゆえお許し願おう。

2014年8月15日金曜日

無条件降伏の日

あの日から69年の歳月が流れたそうだが、昨日は沖縄辺野古岬で国が一般人を強制的に締め出し、シュワブ湾の測量準備に入った。これから9年の歳月をかけてこの海を埋め立て、アメリカ海兵隊機のための滑走路を整備するそうだ。全てはアメリカの要求に基づくものであり、国民を代表している政府はその要求を素直に受け入れているが、本心からこの要求を素直に受け入れる国民は果たしてどのくらい居るのだろうか?テレビを見ていると、賛成をする地元民のインタビューが必ず何人か放送される。

如何にも世論の賛否は相半ばするが如きの扱いである。もう間もなく行われる知事選の結果を見ればその答えは明らかになるだろうが果たしてどうなることやらだ。政府の魂胆は菅官房長官の「普天間基地の移設は、名護市辺野古沖の埋め立て許可をもって、政府としては決着がついたと思っています。『辺野古埋め立てをやる、やらない』というのは終わったと考えています」に示される通り、昨年末の仲井間県知事の許可によって決着がついている問題だから、一刻も早く既成事実を積み上げることにあるのは明白だ。

もし、この秋の選挙で反対派の知事が当選した場合にはどうなるのだろう?
幾ら県の許可が既成事実だとしても、それを白紙に戻すことが適わないまでも、サスペンドで宙吊りにしてしまうことになりはしないか?そんな事態に立ち至れば、アメリカは得意の諜報戦略を駆使して知事の抹殺を企てたりするに違いない。兎に角アメリカCIAときたら何をしでかしても不思議は無い。

たまたまお盆の帰省往復の暇潰しに読んだ「極秘偵察」(ドルトン・ヒュアリー著・熊谷千尋訳)と言う戦争小説がある。これはアフガニスタンとパキスタンの国境付近に於いてCIAと戦争請負企業が行っている非公然作戦を描く小説で、アメリカがパキスタンの主権を無視して強襲部隊を送りこみ、ビン・ラーディンを殺害したことがモデルらしい。如何に小説とはいえ、政府やいわゆるテロ集団(複数)とのやり取りなど、真に迫った迫力があり、全く火の無いところ、空想だけではでは描けないような気がした。

この小説もさることながら、実際問題として、昭和27年4月28日サンフランシスコ条約発効によって確立されたと言われる日本の独立とか国家主権なんてものは本当に存在しているのだろうか?昭和20年8月15日の連合国に対する無条件降伏が形を変えて、アメリカに対しての無条件降伏が未だに続いているとしか思えない。国民には見えないところで占領国の命令指示のアンダーコントロール下にあるような気がしてならない。特に今の政権はその奴隷根性が酷すぎる。実に暗澹たる思いの降伏の日である。

2014年8月14日木曜日

故郷のお盆

一昨日と昨日にかけて故郷の長野市にお盆の墓参りをしに行ってきた。費用を考えて往復ともバスにした。往復で7,200円、JR新幹線の半分以下である。時間が多少掛かるのは仕方がない。火曜日の往路は土砂降りに雨で、その上渋滞に引っ掛かり70分遅れになった。それでも5時間弱、急ぐ旅でもないので別にどうと言うほどのことではない。むしろ長野駅前に到着する頃に雨が上がり、迎えに来てもらった弟と簡単な昼飯をしてから寺に行くと、雨上がりのしっとりした佇まいが、何とも落ち着いた墓地の雰囲気を醸し出していた。

我が家の墓はそんなに大きくは無いし、寺の方でもそこそこメンテナンスをしていると見えて、掃除もそんなに手間要らずだった。二人でざっと草をむしって掃き清め、雨上がりなので墓石もそんなに埃がついてもいなかったが、一応形通りに持参の水で洗い流して花を活け、線香を上げてお参りした。その後亡き兄の家に兄弟夫婦甥やら姪やらが参集。賑やかな飲み会になったが、我が家の参加者は小生のみで婆さんと長兄が病気療養中で欠席である。

兄弟の寄合も年々寂しくなるのは仕方があるまい。会話も段々生存者自身の健康上の心配やら、いざという場合の戒名やら葬式の段取りやらが真に迫ってくる。小生も癌宣告を受けたばかりで、いつ死ぬと決まったものではないが、話題がその辺になると如何に準備が不足しているかを改めて認識せざるを得ない。
墓に同行してもらった弟の甥や姪は、大人の線香臭い話には辟易した様子で、「早くお花市にいこうよ。」としきりに母の袖を引っ張る。姪は浴衣を着せてもらって団扇を背中に刺しているのだから、早く金魚すくいをしたり綿飴でも舐めたいのだろう。

考えてみると昔我々が子供の頃の親せきの寄合は、確かにこんなに年寄り連中がいなかったと思う。70歳代の年寄りが10人近くも集まって、あの世の話なんぞばかり聞かされたのでは、確かに子供たちには気の毒だったかもしれぬ。
しかし兄弟が生きているうちはいいが、こんな集まりもあと何年続くかである。そんなに遠くはない将来、兄弟が徐々に世を去りゆけば、既に40歳代になっている従兄妹同士が集まる機会は殆ど無くなってしまうだろう。

昨日の復路のバスは往路とは打って変わり、3時間半も掛からずに池袋についてしまったが、相変わらずそんな辛気臭いことを考えていた。これもお盆に相応しい旅行だったとも言える。そう言えば退屈した甥の子供(小学校5年生)から「伯母さんのお父さんは何と呼べばいいの?」と質問されて誰も答えられなかった。仕方がないので小生が「オジサンと呼んでおけばいいのさ。」と答えたが、年寄りはいい加減だな、と思っているに違いない。

2014年8月11日月曜日

夏休み入りに思う

台風がやっと去って都心に真夏の暑さが甦ったが、今回の台風は異常だった。西日本や東北の降雨量の多さもさりながら、2週間近く全国的に影響を及ぼした夏台風は珍しかろう。今年は当初から中部山岳地帯など、高い山に登ることを断念していたので、個人的には台風に邪魔された感じはしていないものの。梅雨明け10日がベストと言われる夏山シーズンが大幅に短縮されてしまっただろう。世界遺産の富士山なんか今月末には小屋仕舞いに入るのが普通の筈。

ともあれ東京は、もうすっかりお盆休みモードで街全体ががらんとした感じだ。飲食店にお医者さんまで「今週お休みします」の張り紙が目につく。小生も明日と明後日は故郷長野に墓参りの予定なので、ブログも2日ばかりお休みさせてもらう。少なくとも日本では、夏の今頃を昔から先祖へ思いを致す季節としている。アメリカの大統領も夏休みらしいが、休みの直前、避暑地に向かうヘリコプターを背景に待機させてイラクの空爆を発表したばかりに、発表直後にゴルフに興ずるとは不謹慎だと非難されているらしい。

偉い人も楽ではない。どこで因縁を付けられるか分かったものではないので可哀そうでもある。我が国の総理閣下もアメリカ大統領に引けを取らない長期の夏休みに入られるとのこと。唯一の宿題は来月早々の内閣改造の構想を練ることで、尊崇能わざる靖国神社へは参拝されぬようだ。これまでにやりたい放題してきたのだから、少しは遠慮があるのが当たり前のことだろう。常識的に考えれば、今時8月15日に総理が靖国参拝しないと目くじらを立てる人間は少数だろう。そもそも当日は、陛下までご臨席になる公式の全国戦没者追悼式があるではないか。コピペの挨拶なんかに終わらず、意を尽くした慰霊の辞をのべることで国民の納得を得るべきだ。群れを成して靖国参拝する国会議員も冷静に考えるべきだ。

これで年内に日中・日韓の首脳会談の格好がつくなら、昨年のような年末の参拝も遠慮することになるに違いないが、それとても非難するには当たらないと思う。党の幹部と閣僚人事も結構ではあるが、英気を養って秋の臨時国会の主要課題に原発再稼働と集団的自衛権に関する憲法解釈変更について、是非真剣な議論の準備をしてもらいたい。後者については法案の準備が整わないので、次の通常国会に持ち越すようなことが言われている。しかしそれは無いでしょうだ。総理は国会の議席多数の優位性を以て、国民多数の支持は我に有りとお考えのようだ。

官邸の中にいるとどうしてもそうなるものらしいが、夏休みこそ官邸から抜け出し、側近を遠ざけて国民に意向を伺う絶好の機会であってほしい。少なくとも先に上げた2課題については、国民の意思が2分されていることに気が付いてほしい。と言っても遊ぶ仲間の殆どが幇間同然の人ばかりのようなので少し心配ではあるが、それでも普段に比べればいくらか娑婆の声も耳に届くだろう。高原の爽やかな空気を吸いながら周囲の山々を眺めて、山もいろいろ、国民の声もいろいろあることに気が付いてほしいものだ。

2014年8月10日日曜日

テレビ鑑賞の1日

11号台風が未明から日本に接近上陸、NHKはここ1、2週間くらい報道ニュース番組では12号と11号の台風情報に専念している。ご丁寧な話だが、他にアセアン外相会議関連とか、もっと詳しい情報を提供してもよさそうだが、これをまともに取り上げたのでは日本外交が如何に無能状態にあるかを指し示すことになり兼ねないので遠慮しているとしか思えない。長崎の慰霊祭に出席した総理が、懲りずに大阪吉兆の刺身のつまの使い回し同様のコピペ挨拶をしたとかもあるし。

被害者団体が強行に申し入れした「集団的自衛権行使に関する憲法解釈変更の閣議決定取り消し」に対して、「見解の相違です」と一蹴したこととか、テレビ的ネタに不自由が無い筈だが、何故か気象予測には馬鹿丁寧である。NHKが大騒ぎをしてくれているが、東京の雨風は午後3時を過ぎても大したことは無い。おまけに今日はプールがお休みと来ているので、本当の夏休みになってしまった。年を取るとサンデー毎日と言われるが、毎日の自由時間が日曜から土曜まで同じである小生にとっては、運動量の変化が殆ど無い。

台風で脅されているのでハイキングも行けないし、むしろ今日のように本当の休養日が珍しいし、有難く思う。朝から囲碁をしたり、昨夜から取り溜めた民間放送のテレビ番組を観て過ごした。テレビ東京の「田勢康弘の週刊ニュース新書」は沖縄の知事選問題、TBSの「報道特集」はSTAP細胞と笹井教授の自殺問題が理研に問いかける問題とデジタル処理映像で甦った長崎原爆被害の実態。何れもそれなりの見応えがあり、考えさせられるところが多かった。

序でに今朝フジテレビの「報道2001」を途中まで観たが、これはが実にくだらない。テーマが例の韓国慰安婦問題。フジの会長は総理と別荘がお隣とかで度々ゴルフをご一緒する仲良しだから当然であろうが、朝日新聞が先日、嘗て引用した吉田某証言の虚偽を認めたことから、それまで罪を糾弾する大会である。30年以上に亘り虚偽を認めなかったことによって、国家に与えた損失は計り知れぬ。

朝日新聞が潰れても良いから、間違いを認めて訂正する情報を全世界に発信すべきだとの猛攻撃。朝日新聞が日本外交の責任者であるみたいだ。攻め手のトップに立つのが橋下徹大阪市長。この人の論理は解説の必要もないだろうが、朝日に何かさせれば、朝鮮人慰安婦に関して国家の関与が無かったことを証明できるとお考えのようだ。この人は大阪飛田の非公然売春組合の顧問弁護士ながら、道義的責任は当然あると仰る。但し、それは万国共通の問題であるのは予ての主張通りで、恬として恥じるところは無さそうだ。

共産党の小池亮氏とのケバイ化粧の韓国人女性、金慶珠東海大教授が懸命に抵抗するが、所詮は多勢に無勢。自民党の代議士や福一の事故調以来売出し中の野村弁護士は兎も角、フジテレビ自体が河野氏を国会で喚問して談話を取り消しさせろとまで公言するのだから何をか況やである。それでも昨日岸田外相がミャンマーで、日韓2国間外相会議が持てたことは多としなければならないだろう。その前には日中韓3か国外相会談があり、日中会談も模索したようだが、
こちらは残念ながらだったようだ。

NHKは日中韓3か国外相会談を簡単に報じたが、画像を態々切り貼りして、外相の並び順を日中韓(昨晩の民間テレビで観た実際は日韓中だったと思うが、ネット上でも確認できなくなっている)として報道していたのが面白い。

2014年8月9日土曜日

福一原発廃炉に向けて

何故この日を選んだのか?今週水曜の8月6日に東電は、福一3号炉の燃料メルトダウンは、これまで発表していた時刻より5時間早い地震と津波発生の2日後14日の早朝から始まっていた模様と発表している。翌日には全燃料が格納容器の底に溶け落ちて、現在は格納容器の底に固まっているらしいと発表した。当日は知っての通り広島の原爆死没者慰霊式、平和祈念式の日である。殆どのメディアがトップにこれを持ってくる。

意地悪な見方かもしれぬが、扱いがより目立たぬようになるためにこの日を選んだと言う人がいる。その狙いからすれば正に狙い通りで、マスメディアでは報道されてはいるが、テレビなどで大騒ぎにならず、先ず無難に訂正発表が出来たと喜ぶ向きもあるのかもしれぬ。しかしネット上でこの問題はかなりしつこく追及されている。今朝婆さんの解説を聞いていると、原発再稼働政策は全て宗主国アメリカさんのご指示であるそうだ。従って再稼働にマイナスになり兼ねない報道は細心の注意を払って慎重に行っているらしい。

政府も慰霊式典での総理挨拶を昨年のコピペするなど、随分ラフなことを平気でする割に、宗主国の指示に関わる原発再稼働絡みになると随分神経の細かい配慮をするものだ。しかしどんなに誤魔化しても現実は覆い隠せるものではない。いつかはばれるが、それが遅ければ遅い程事態の収拾はより難しくならざるを得ないだろう。6日の発表でも、メルトダウンした燃料が建屋(格納容器)の中に留まっているような想定になっているが、ネット上で見る限り10㎝の鋼鉄製の原子炉圧力容器を突き破った燃料が、どんなに厚かろうと格納容器のコンクリートを突き破るのは当たり前で、現在の所在は既に発電所の地底にあり、そこでくすぶっているとのこと。

炉内に燃料が既に無くなっているとすれば、相変わらず毎日水を何百トンも注入し続けているのは何のためか?のみならず、現在進められている廃炉に向けての全ての計画は一旦見直さなければならなくなる筈のようだ。現状の想定の根本が間違っていれば、そうなって当たり前。アンダーコントロールどころの陽気ではなくなってしまう。実際にアメリカでも先月25日にウォールストリートジャーナル紙が次のような記事を配信している。題して『核廃棄物が地下で発熱する「くすぶり」現象の恐怖』内容は以下である。

「ミズーリ州ウエストレイクのごみ廃棄場に、過去の核兵器開発に関わる放射能汚染廃棄物が数千トン埋められている。ミズーリ州のある環境コンサルタントは最近、この1画には廃棄物が徐々に熱を帯びることで起きる「地下くすぶり事象(subsurface smolderingevent)」に近づいているかもしれないと警告した。過去の核兵器開発に関わる放射能汚染の「遺産」を抱えるこの地域では、人体への影響が懸念されており、早急な対応を求める声が高まっている。」

マスメディアではこの手の報道は一切取り上げないことになっている。ネット情報なんか読んで面白がっているのは小生同様の余程の暇人だけかもしれぬが、もしこれが(福一地下のくすぶり現象)本当だとすれば、笑いごとでは済まぬことになる。最後にも一つ、不思議なのはなぜ発表が3号機に特定されているのか。1号機も2号機も同じことではないのかな?

2014年8月8日金曜日

高校時代の夏休み

早や立秋を過ぎた。暑い々々と不平を言っているうちに、気が付けばあっという間に年末になってしまうことだろう。ましてや孫たちの夏休みなんぞは、それこそ一瞬にして幕になる筈。彼らの顔を見ることも少なくなっているので、どうしていることやらと気になってしまう。上の孫はもう高校2年生、それこそ受験勉強を意識してもおかしくない年頃である。我が高校時代は学習塾なるものが無かったので、中学時代に東京に転校した学力優秀な友人が態々帰省し、戸隠の宿坊に籠って受験勉強していたことを思いだした。

自分のことはなかなか思い出せないが、やっと思い出した。高2の夏休みは志賀高原の国立公園管理事務所で管理員の仕事の手伝いをしていた。と言っても雑用係で、午前中たまには書類の整理などがあったが、殆ど毎日のように冬籠りの準備で、薪の原料を買出しに山奥にトラックで行ったり、買ってきた木を引いたり割ったりする肉体労働がメインだったような気がする。それでも自由時間がたっぷりあったので、志賀高原の山々を友人知人のガイドのような形で随分歩くことが出来た。

家を出る時、荷物の中に勉強道具を詰め込んだものの、結局一度も開かずに帰宅したことを思い出した。孫の話に戻ると、昨夜の会話だが「いよいよ来年には3年生、少しは進学のこと考えているのか?」と聞くと、婆さん曰く「さあ、どうなんでしょうね。彼が遊び回っているとは聞かないけれど、勉強しているとも聞かないわ。なんて言っても親が親だからねぇ。」「一体、どういう意味だ?」孫が家でぐだ々々しているのを見て、娘がこう言ったらしい。「勉強したくないなら無理に勉強なんかしなくてもいいし、大学なんかも行かなくていいよ。専門学校と言う道もあるし。」これじゃ子供が勉強する訳ないな。

他人の勉強を気にする柄ではないが、伝統的に勉強が嫌いなのは困ったものだ。小生の場合、子供の教育は全面的に女房任せだったこともあり、たまたま娘二人だけだったので、大学進学については何にも心配していなかった。結果、上の娘は4年制大学に進学、現在孫が進学問題に近づいている下の娘は短大に進むことが出来た。婆さんに聞いてみると、婆さんも進路について喧しいことは何も言わなかったみたいだ。勿論、二人とも塾通いなんてことは全く縁が無かった。

娘の場合はそれで良いかもしれぬが、男はそれで良いのか?少し気になるので婆さんと話をしてみると、それで良いのだそうだ。今や大学が雨後の筍のように増えているので、余程の馬鹿でない限り、大学出の肩書だけだったらどうにかなってしまうだろう。しかしそんなことにどれほどの意味があると言うのか?訳の分からぬいい加減な大学を出るより、専門学校の方が余程潰しが利きそうだ、との娘の考え方にも一理がありそうだとのこと。

成程そんなものかね、と、何処まで行っても教育について口を出すことが出来ないことが分かった。

2014年8月7日木曜日

敗戦の月

2日に亘る原爆の日が過ぎるとやがてお盆、そしてあの敗戦の日がやってくる。このところ朝日新聞が数回に亘って掲載している韓国人慰安婦問題の歴史認識に関する議論が喧しい。毎朝でかでかと掲載されていることは気付いていたが、改めて読む気にもならなかったものだ。なんでも、朝日が真っ先にとうの昔に虚偽証言と整理がついている故人の証言を蒸し返して、強制連行があったとの記事を書いて、誤りに気付き慌てて訂正したようである。

このことが河野談話見直しを主張する人たちを勢いづかせ、反朝日新聞側に恰好の攻め口を与えているらしい。右翼政治家諸氏も一斉に朝日新聞に矛先を向けて、国民をミスリードする許し難い行為として、トップの国会喚問まで視野に入れるなんて燥いでいるようだ。強制連行があったのか無かったのか、70年の時空を遡って検証することにどれだけの意味があるのだろう?植民地を支配した宗主国と植民地であった2国間には、永遠に交わらない歴史認識があるのは当然であろう。避けるべきは囲碁の世界で最も慎むべきことされる「勝手読み」(相手の応手を自分の都合の良いように読んでしまうこと)である。

隣り合う新たな主権国家が、その難しい認識の差を乗り越えるべく、前世紀の末1993年に出された官房長官談話はそれなりの意味を持つものと、当時の政治家の大部分と日本人の多くは認識していたのではないか。それを逆手にとって賠償を要求してくる韓国もどうかと思うが、それをいなす努力をせず、悪戯に騒ぎを拡大する我が国のセンスの悪さも嘆かざるを得ない。国対国の構図で見れば、明らかに日本が侵略国家で韓国が被害者であることから、国際的同情がどちらに傾くかは自ずから明らかである。

数日前にも書いたばかりだが、国連側から見れば日本が敵国であることは誰も忘れることはできまい。日本国憲法もアメリカに押し付けられたと言うが、正確には国連がこれで敵国にタガを嵌めたものだろう。その意味では70年なんて時間はほんの一瞬に過ぎぬのではないか?最近の日本政府の言動から、「ごめんなさい、参りました。」と両手を上げて喋った舌の根も乾かぬうちに何を抜かすか、と思う国があっても不思議は無い。アジアには親日的な国と親日的な人間が多いとよく聞く。

否定はできない事実だろうが、先に述べた原則、即ち嘗ては侵略国と被侵略地、クラシックに言えば征服者と被征服者の関係からすれば、正反対の感情の存在も無視は出ぬだろう。そんな難しい外交的な問題はさて置き、8月15日が近付くにつけ思うのは、日本人の自国に対する歴史認識である。時々思いついたように小中学校の歴史教科書問題が浮上して裁判になったりするが、先の大戦一つとっても自国では何も総括されていない。先ほど図書館で偶然読んだ敗戦の1945年秋に発行された文藝春秋の随筆に書かれていた言葉が印象的である。

「敗戦の最大の原因は米英に対して戦争を始めたことにある。それ程庶民の暮らしは行き詰っていなかったのに。」とあった。庶民の生活感覚と政治家の受け止めとの間にかなりの差があるのは昔も今も同じことのようだ。これを更に支那事変、満州事変と遡れば一層その思いだろう。これが終戦直後の国民感情の平均値と言いかねるのかもしれぬが、同じ思いの人も少なくは無かったろう。今や政権の中枢部に「あの戦いは自存自衛のための已むを得ざる戦いであった」と公言を憚らぬ人間が多数になってきている。

アメリカべったりの総理閣下まで同じとは思いたくないが、ご自分のご祖父が国家国民に対して如何なる責任を負い、その結果が如何であったか、お盆休みに思いをして頂くのも無駄ではあるまい。

2014年8月6日水曜日

期待外れの癌宣告

それは無いだろうと思っていた期待に反し、生体検査結果から癌宣告を受けてしまった。おまけに今日も1日病院で潰れてしまったようなものだ。挙句の果てが目出度く前立腺の癌宣告だからショックでもある。近所の飯屋の親爺さんに言わせると「なんだいそのガンてえのは、近眼か?なんだ天皇陛下と同じ奴か、病気のうちに入らないよ、それは。」と変な慰めをしてくれるが、確かに親爺さんのように、年寄りになってから糖尿病になるよりはましかもしれぬ。

しかし、たかがと言ってもされど癌である。やはり気持ちは良くない。大学病院は何処もそうらしいが、何をするにも時間が掛かる。直ぐには死なないだろうが、癌と決まったからにはさっさと段取りをつけてほしいがそうはいかない。癌のステージ、特に骨などへの転移が無いかなどを調べて結果が確定する迄に又小1ヵ月。来月の初めになって、やっと治療法のご相談だそうだ。

医者でさえ、もし癌を選べるとすれば前立腺癌と言われる程、前立腺癌は対応がしやすいとは言われている。別の見方をすれば対処、療法も何通りかあるらしい。ざっと説明は聞いたが、手っ取り早いのは前立腺を摘出してしまうことらしい。でも年齢的にはぎりぎりでしょうとのこと。説明を覚えていないが、他にも何通りかの対処があり、要するに患者の側に選択肢を渡されることになるらしい。何れ来月初めの説明を聞いてからのことになるだろう。

又気の重い1か月続くことになる。

2014年8月5日火曜日

政治家の本音

政治家の発言程当てにならないものは無い。2枚舌なんて生易しい言い方ではとても追いつきそうにない。これに輪をかけるのがマスメディアの報道で、政治家の本音には迫るつもりが最初から無いのか、迫り読み解く能力に欠けるのか、何れにせよ報道はいつも上っ面を撫でることで終わっている。しかし、化けの皮と言う奴はいつかは剥がれるもので、そういつまでも多くの人を騙せるものでないことは知っておくべきだろう。

話が飛躍するが、昨日放送のNHK20時からの「家族に乾杯」の中で、高齢者夫婦には話題が無いので会話が途絶えがちと語ったご夫婦がいた。これも本音かどうか分からないが、少なくとも我が家は安倍政権のお陰で夫婦間に話題が多くなる。この放送の後で「長い夏休み旅行から今日あたり帰国したのじゃないの?福田元総理の中国訪問はテレビで取り上げているけど、それにしても総理の顔が見えないわね。」と話しかけられた。言われてみると、最近ニュース番組を観ることが少なくなっていることもあり、暫く総理のご尊顔を拝んでいないようだ。

余裕をかまして外遊に出かけたところで、国内経済のアベノミクス効果も期待通りにはいかないだろうし、国際情勢が総理閣下の頭の回転が追い付かない程に危機的、流動的なので発言のしようが無いのかもしれぬ。報道各社も肝心な話題には突っ込まず、1ヵ月も先の内閣改造の言質を取って喜んでいるのだから辟易しない方がおかしいと思う。しかし内閣改造が表面に出てきたせいだろうか、福島原発ではないが、自民党内部の地下水脈が少しずつ地表に漏れだしてきた感も否めない。

その第一が党総裁と幹事長の確執で、仮面夫婦ではないが、右翼同士で極めて仲良く党と国会運営に当たっているかのごとく振舞ってきたが、ここに来て互いに腹に溜めてきた一物二物が噴き出しているらしい。昔から幹事長は総裁を馬鹿にしていて、且つ情も弁えないので政治家失格みたいことを言っていた時期があるようだ。一方総裁は総裁で、このところ地方選挙で勝てない幹事長の能力を疑り始めているらしい。確かに滋賀県知事選に続いて、今度の日曜日は長野県知事選。これも自民党は独自候補を擁立できず、前回民主党が推した前知事に相乗りせざるを得ないらしい。

今朝の新聞では、福島県知事も同じような仕掛けになる公算が大と書かれている。どっちもどっちだが、こりゃ面白くなりそうだ。おまけに言えば、福田元総理の中国訪問と習近平主席との会談も面白い。先日のテレビで政治ジャーナリストの大御所みたい顔をしている後藤謙次氏が「やっと真打登場」みたい台詞を吐いていた。要するに親中派の福田氏が安倍総理のために、今秋のAPECで日中首脳会談の根回しをしたというのだ。

しかし福田氏が帰国後に明らかにしたのは「尖閣問題の棚上げと、靖国参拝を断念すべき」とのこと。即座に官房長官が、条件付きの会談に応じることは無いと否定発言をしている。同じ派閥でありながら、福田氏は後輩の総理の外交姿勢を明らかに批判していることを公にしまでのこと。習近平氏との会談で何が話し合われたのか、APECで日中首脳会談なんて、既に問題外のことだろう。5分や10分会ったからと言って何になる。既に総理はアメリカは勿論、個人的に最も良い関係と言われた筈のロシア大統領プーチン氏にさえ電話1本掛けられない情けない状態に追い込まれていることが、徐々に明らかになりつつある。政治ジャーナリストの解説なんて、だから当てにならないのだ。

2014年8月4日月曜日

総理の海外出張

安倍総理が海外出張を重ねている一つの理由に、国連安全保障理事会の常任理事国入りを目指して、その賛同を取り付けたいとの意思があるとも言われているらしい。まさかと思っていたら、先週のテレビで、岸外務副大臣がマジでそんなようなことを喋っているのをちらりと見てしまった。岸さんなんて人は見たことも聞いたこともない人だが、外務省のホームページから調べて見ると、何と安倍総理の実兄だった。

外務省のホームページで見る限り、国連安保理に関して最近かなり力を入れている感じが分かる。先月末東京で開催された「安保理改革に関するセミナー」では政務官の石原さんと言う方が「国連安保理が必ずしも十分に機能を果たせていないという現状の中、明年は国連創設70周年という好機であり、安保理改革を具体的に推進していく必要がある。その為にこのセミナーで前向きな議論が行われ、立場の収斂につながることを強く期待している。」と述べている。

自分の頭の蝿を追えない人間が、の喩えが全くピッタリではないか。国連の負担金が大きいことはよく聞くが、バブル時代だったろうか、同じようなことを志して発展途上国に金をばら撒いた挙句に、ものの見事に失敗に終わったこともそんな遠い昔の話でもない。外務大臣が米国の国務長官に面会(北朝鮮への対応についての説明するために)を求めても、今はとても時間が取れないと断られるのが実情の我が国ではないか。

事実ウクライナの問題、パレスティナ問題で東奔西走しているケリー長官を報道で見ている限りでも、尤もな返答だと思う。安保理が必ずしも十分機能できていないのは事実に違いない。それ程現在の世界平和は危機的状況にあるのだろう。そこに日本がのこのこ出かけて何をしようと言うのか。まさか集団安全保障で十分お役にたって見せます、なんて言いたいのではあるまいな。国連憲章で敵国条項に明確に敵国と書かれている日本国である。

しかし、これだけ長期に亘り平和憲法を守って参りました、と言うならば兎も角もだ。その憲法の解釈を私が変更しましたので、一緒に武器を持って立ち上がりましょう。なんて言われても、国連憲章改定は参加国3分の2以上の同意が必要とのこと。戸惑う国が3分の1以下とはとても思えない。まして安保理常任理事国入りなんかを発想する心理が理解できない。しかし総理が特段用も無さそうな国を歴訪している所以はそこにあったのかと納得した。

2014年8月3日日曜日

趣味とボケ防止

1ヵ月の生活費が年金の20万円ポッキリの生活になったせいもあるが、今年になって特に、無駄遣いを排除する努力をしている。その一つがメルマガの購読で、最近は大分整理が出来てきた。メルマガなんぞは月額千円なんてものは先ず無い。毎日発信しているものでも精々850円といったところである。月刊誌1冊とか文庫本1冊買ってもその位するのだから、と思って一時は随分購入していたが、改めて見直すと本当に価値があるかどうか疑問のあるものに気が付いた。

メルマガ購読の主な目的は、マスメディアの報道に関して、識者の意見を読むことで、報道内容への理解を深めることにある。テレビに出演する専門家のご意見だけでは物足りないが、メルマガを発行するくらいの人の意見は、往々にしてニュースの行間に隠されている意味を読み解いてくれたりして、成程と思うことが多い。しかしメルマガも長期に亘って読んでいると、発信者の性格・信条等が明確になってくる。それで益々惹きつけられることもあるが、人によっては「この人最近趣旨を変えたな?!」と思うこともある。人間だから趣旨の変更は構わないし、同じことばかり読まされるよりは良いかもしれぬ。

中には民主党政権時代に小沢一郎氏ファンをもって任じ、氏を徹底的に持ち上げていたのに、自公政権に替わった途端、小沢氏のことは完全に忘れたかのようで、安倍総理を持ち上げはじめた発信者がいる。世の中にはいろんなタイプの人間がいるから、非難するにも当たらぬだろうし、実験観察のつもりで1年半我慢して購読し続けてみた。しかし、余りに過激な右寄り発言に嫌気がさし始めて、最近購読を中止した。

他人事を書いてきたが、自分のブログも似たようなことだろう。一人の人間が数十年の歴史の中で経験できることは極僅かに限られている。まして知識欠乏症の己の作文だから、経験談でない限り、読んでもそんなに面白くない筈だ。まして心情的なことになれば三つ子の魂の喩え通り、いつまで経っても変化が無くて、自公政権の悪口ばかり読まされて些かうんざりしている方が多いのではないだろうか。

何を隠そう書いてる本人は、大勢の人に読んで頂きたくて書いている訳で、毎日アクセスをカウントして一喜一憂しているのが実情。何が悲しくてこんなことを始めてしまったのか、考えてみると不思議で面白い。だから別に経済的なダメージがある訳ではないが、読者が減るのは辛いことでもある。たまたま昨日は珍しく書くのを休んでしまった。週末のアクセスは只でも下がるのに、当日分の作文が無ければアクセスが急落するのでがっかりして、こんなことを書き連ねている次第。

昨年の今頃は南アルプスの3千メートル級の高山を縦走していたのに、今年はさっぱり元気が出ない。このままではいけないとは思っているので、せめてのボケ防止になることだろうと期待しながら書いている。

2014年8月1日金曜日

ストレス社会

先週末に長崎県佐世保市で発生した女子中学生の凄惨な殺人事件が、この1週間毎日のように報道されたのでうんざりしている。テレビ報道で「捜査関係者への取材で明らかになりました。」と聞くたびに「いい加減にしてくれ。」と言いたいくなる。どう考えても犯人の中学生は精神が正常でない。ひょっとすると病人かもしれぬ。案の定今日の報道では、数か月前に市内の精神科医が児童相談所に電話をして、この子の存在を示唆して対処を求めていたらしい。

警察なんかもそうだが、相談所なんてところも事件を予防する概念は全く薄くて、事件にならないと腰を上げぬものらしい。これが無責任なのか怠慢なのか、理解に苦しむのは、これが明らかになった時の決まり文句である。「今回のことを反省して、今後はこのような事が2度と起こらないようにします。」何処をどう変えれば2度と同じことが起らないかは、さっぱり分からない。「我が組織には事件を予防する概念がありません。」とはっきり言ってもらった方が余程すっきりするだろう。

少し角度を変えて見ると、現代は神経を病んでいる人間が異常に多いのではないかと思うことである。少なくとも「鬱」なんかで神経科に通っている友人が数名いるのは事実。これを以て社会全体を推し量るのは危険だろうし、実態は分からないことを承知で書きたい。佐世保事件の他に気になるのは「脱法ハーブ」に絡む事件である。これも喫煙者はストレス解消を理由に挙げることが多い。政府はこの呼称を「危険ドラッグ」に変更することで、対応の一助としたいようだが、これも姑息を絵に描いたような対応で何の役にも立たぬだろう。

こんな代物が大都市では白昼堂々店舗を構えて販売され、ネットでも販売されているのだから何をか況やである。都内の販売店は数十店舗、分かっているなら、一斉に踏み込んで商品を全部押収してきて、ゆっくり検査をすればいいではないか。安全な商品は検査後返却することにして、半年ぐらいは営業できない状態にしたらどうか。少なくとも手入れされた店は全部潰れるだろう。こんな単純な手段では駄目かもしれぬが、こんないかがわしい物が堂々と販売される社会は少し変だと思う。警察に言わせれば「取り締まる法律が無いので手の打ちようがない。」要するに予防措置は出来ないとのことだろう。

本当に情けない国になってしまったものだ。原因は様々あるのだろうが、一つ思うのは、社会全体が何かチマチマしたことを大騒ぎしすぎて、根本的なことがないがしろにされてるように思う。端的な例と思っていることに「煙草の害」がある。煙草が肺癌の一因になるのは科学的にも立証されていても不思議は無い。それはそれとして、これを従来専売として大儲けしてきた国家が、これを目の仇にして国民に喫わせないようにするのは如何なことだろう。

昨日、男性の平均寿命が80歳を超えて目出度いと言わんばかりの報道があったが、本当に目出度いのかどうかだ。どうせ人は、時が来ればあの世に行かざるを得ない。大抵は病気がうまい具合にそれを手伝ってくれるわけだが、それが肺癌であったり脳卒中であったりする訳で、病気を個人が選択するのも悪くあるまい。平均年齢より若くて良いし、死因が肺癌も結構と言う人は煙草を大いに喫ったらいいだろう。酒は勿論、米でさえ過ぎれば命に障るだろう。

個人の嗜好品に対しておかしな社会的規制を設けて、ストレスを助長するくらいなら規制は無い方が良いのではないか。煙草のテレビコマーシャルにはお世話になったので、これが無いのが寂しくて言っている意味もある。煙草の喫煙者が元のままだったら脱法ハーブ喫煙者が減ったのでは、と思うのは間違いかもしれぬ。只思うのは若い頃に比べ、現代は異質のストレスが溢れている社会となっていることである。