更に深刻な制御不能

昨日、自然界に対する人間の傲慢さと無力さについて書いた序でに、同じタイトルで全く別のことを書きたい。制御不能と言う意味では、こちらの方が深刻かもしれない世界の騒乱状態である。嘗て1898年ベルリンの壁が崩壊した直後に、自民党海部内閣の幹事長をしていた小沢一郎氏は「パンドラの箱が開いたのと同じだ。東欧圏の混乱や宗教・民族対立が多発する。市場原理の競争経済で国際的混乱が始まる。バブル経済に浮かれた日本人の驕りをどう反省するのか」と断言したと言われている。

今は寡黙な小沢一郎氏だが、全くもって仰る通りである。最近のマスコミ報道による限り、冷戦の終結で世界は余計混乱しているかのように、世界のあちこちで戦争紛いとでも言うのだろうか、武力紛争が絶えない。幸い今のところ日本は何処の紛争にも関わっていないのが救いでもあるが、それも今後の政治情勢如何ではいつまで持つか、不安が募る昨今である。

我が国の原発事故は強力な安倍政権主導で制御の努力が続けられているが、世界中で頻発する武力紛争については誰が制御するのか、しているのかがまるきり見えてこない。こんな不幸を制御するために、先の大戦後に国際連合が結成された筈ではなかったのだろうか?

序でに書けば、敗戦国であった日本でさえ昭和31年(1956年)にはこの組織に加盟している。当時では何でも80番目の加盟国で満場一致を迎えられたと記録されている。又、重光葵外相の加盟演説は、日本憲法の前文は国連憲章の精神で貫かれていること、無制限な国家主権を排して普遍的な政治道徳を信じ、国際社会の名誉ある一員としての地位を占めていくとの格調高いもので、諸外国から高い評価を受けたそうだ。なんだか今は昔のことようだ。

現在は200ヶ国を超える加盟国と言うことは、全世界の殆どの国が参加しているのだろうが、素人目には何も機能していないように見えて仕方ない。せめて安全保障理事会の常任理事国同士がいま少し大人になって、真剣に世界平和を議論してくれたらと思うのだが、彼らが既に利害対立して非難し合うのだから救いようがない。日本が常任理事国それぞれに説得工作するほどの度胸は無いだろうし、掲げた理想に反しているからと席を蹴って脱退宣言したところで屁のツッパリにもならないだろうし、困ったものだ。

ならば他に救いを求めたいと、思い巡らして宗教関係者だが、これも当てにならない困った存在ではないか。手前味噌で言えば仏教だけは(日蓮正宗など少数の例外はあるが)他宗教に寛容で、平和についての話し合いの場を持つのに不都合はないようだが、キリスト教にせよイスラム教にせよ「汝殺すなかれ」なんて言いながら、異教徒については虫けら同然の扱いで殺すことを推奨するような感も無きにしも非ずだ。人類が平和に過ぎると人口が増えすぎて困るので、共倒れしないために神が殺し合いをさせているとでも言うのだろうか?

所詮人類には共存と言う概念は無理無用な存在に過ぎぬのだろうか?子や孫の将来を思う時、暗澹たる思いにならざるを得ない。

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