2015年9月30日水曜日

地方活性化に妙策は無いのか

少しひんやりして秋晴れが素晴らしい1日だった。長野の山ともが一陽会の入選して招待状を送ってくれたので、六本木の新国立美術館まで展覧会を見に行った。広々した美術館内で沢山の大きな絵画や彫刻を鑑賞するのは気持ちが良い。知人の絵もいつもながらの100号である。知人は完全なアマチュア、この絵の始末が大変らしい。プロの作家にしても、日本に200号、300号の絵画を購入する客層がどのくらい存在するのか、いつもながら余計な心配をしてしまう。我が家の楽しみは精々明日からは又カレンダーの写真が変ることくらいものだ。

帰りに東京ミッドタウンで昼飯にしたが、サンドウィッチにカプチーノで1080円。これでも一番安いのだからこの界隈のサラリーマンは大変だ。まさか毎日コンビニ弁当とはいくまい、同僚と一緒に出掛ければどうしても店に入らざるを得ないだろう。思えば若い時、赤坂に勤めていて貯金が一銭も出来なかったことを思いだした。昨日書いたばかりだが、現代の若者は、東京で大学を出ても、先ず田舎で就職することを優先する傾向が増えつつあるとのこと。確かに賢い選択かもしれぬ。

地方創生なんて言葉もあったが、なんで大企業の本社は東京に集中しなければならないのか。世界中に商圏を拡大している大企業の日本々社は東京にあろうが地方都市にあろうが似たようなものだろう。トヨタの本社は愛知県豊田市とされているが、態々東京本社を作って本社機能を東京に集約している。35年も前の大阪勤務時代、それでも松下(現パナソニック)サントリーや住友、ニッセイなんかは、広告の出稿窓口は大阪本社にあったが、現在ではほぼすべて東京に出てきてしまっている筈。

橋下市長が大阪都構想を唱えるのも虚しく響くばかりの気がする。三菱は高知県の出身だし、ブリジストンは九州の鳥栖で地下足袋メーカーから出発している。結局日本は官民一体で経済発展をしてきたので、各企業もお上の居る東京に本社機能を持って来ざるを得なかったのかもしれぬ。ならば中央集権体制が続く限り、地方創生なんてあり得ないのではと思ってしまうが、何か根本的方策はないのだろうか?

若者が地方で就職したがっているのに符牒を合わせて妙策を見つけ欲しいものだ。

2015年9月29日火曜日

社会の繋がり

昨日は夕方から夜まで同窓会の幹事会があったのでブログを書きそびれた。代わりに二晩続けて綺麗なお月様を観ることが出来た。中秋の名月十五夜と十六夜のお月さんである。全く曇りの無い夜空に輝く十六夜の月を見ながら帰宅。就寝前にテレビを観ると、今宵の月は(いざよい)と言わずにスーパームーンと言うらしい。何でも月の自転起動の関係から普段よりも大きく見える日が何年か一度あって、それが昨晩だったとのこと。言われて思い起こすと確かに大きかったかもしれぬ。

母校長野高校の東京同窓会は、年に一度総会が行われ、未だ30代の頃から出席している。若かった頃は、広い会場に錚々たる先輩が居並び、諸先輩の挨拶に耳を傾けた思い出がある。年を経れば、いつか自分も中央近くのテーブルに座る時が来るとは思っていたが、現在に至ると若い時の予想とは大分趣が変っている。先ず第一に総会に集まる同窓生が、この30年ほどの間に半分以下に減ってしまった。

昔は大きな会場に丸テーブルを並べて着席で食事をしたものだが、最近では専ら立食である。我々の同期は昭和34年卒業なので、戦後14回目の卒業生になる。就職して何年後から出席し始めたか記憶に無いが、38年に大学を卒業して以来だから、昭和50年前後のことだろう。当時は長野高校の前身長野中学卒業の先輩も出席されていたが、それにしても楽に25人前後の盛会であった。それが現在では100人を超える出席者があれば良しみたい感じである。

幹事会も各卒業年度ごとに幹事が2名か3名出席するこちになっているのだが、昨日の幹事会出席者は24名。卒業年度でカウントすると14期分の幹事しか出席していない。我々は同期は二人出席で高校11期と称する。先輩筋の出席者は高校6期、9期、10期の3代の代表のみ。高校33期の後輩が幹事の中の幹事役(副幹事長)で数人頑張ってくれている。本来副幹事長は毎年1期ずつ繰り下げていく約束(当初は卒業25年目が幹事当番と決まっていた)になっていたのであるが、何故か33期で途絶え、この期の卒業生が孤軍奮闘している。

創立100年の名門校の同窓会としては情けないので、なんとかしようと様々な意見が交わされたが、余り的確な意見が出てこない。どちらかと言えば、先すぼみになっている理由の解説が多かった。それを黙って聞いていると、現在の世相が浮かび上がってきた思いである。曰く、先ず卒業生の数が我々の時代は約400名、現在は約300名とのこと。男女比が異なるのは措くとしても、首都圏で就職する人数がまた極端に減っているらしい。大学の先生をしている副幹事長(33期)が言うには「我々の時代は大学を出たら東京で就職するのが第一希望、田舎に帰るのは少し恥ずかしい感じもあった。これが今や正反対、先ず郷里で就職先を探し、どうしても駄目なら仕方なく東京で。」と言うケースが結構多いらしい。

確かに、インターネットの進んでいる現代、生活費の高い江戸で暮らすなんて馬鹿々々しいと考える若者が増えて当然かもしれぬ。従って、同窓会の母数が先細っているのは事実だろう。そこに以てきて更に、同窓意識を共有する必然(必要?)を感じる若者も減っているらしい。高校時代と言えばクラブ活動なんかで結構盛り上がるものかと思っていたが、卒業後までは引きずらないというのだろうか。高校時代全くの1匹狼で、何のクラブにも属していなかった小生が学年幹事を真面目に勤めているのも不思議なものだ。

2015年9月27日日曜日

秋深し、あなたは何処で何を

最近の土日は水泳をやめて、近くのフィットネスクラブで歩行マシンを使って歩くことにしている。時速5.3キロで1時間歩くと約9千歩、結構な運動になる。従って、池袋に出掛ける機会が少なくなってしまった。今朝もいつも通りに汗を流した後に、本屋でものぞこうと思い、久し振りに池袋に出てみた。特に意識していた訳ではなかったが、うまい具合に「ふくろ祭り」神輿渡御にぶつかって、書店よりこっちを一所懸命観てしまった。

豊島区長と氏子総代挨拶のあと、鳶ご一統様の木遣りに続いて拍子木が入って30基の神輿が一斉に立ち上がる。すっかり忘れていたが秋の風物詩として欠かせない催しに、子供のようにはしゃいでしまった。担ぎ手にちらほら外人さんが見えるが、おもてなし心の薄い日本社会に溶け込むには絶好の機会かもしれぬ。これで彼等も地域社会の一員として認められるのだろう。

秋は外交のシーズンと言われるらしいが、我が国の外交に関する報道が殆ど無いのはどうした訳だろうか?特に総理が外国にお出かけになっている筈だが、何処で何をなさっているのか、さっぱり伝わってこないのは奇妙なことだ。プロレスラーや芸能タレントが癌になったとか、癌で死んだとか。国立競技場がどうとかこうとか、責任は何処にあるのかとか、何を今更と言ったどうでもいいような事柄を週末大々的に取り上げるマスコミは異常としか思えない。

ちょっと下の写真をご覧頂きたい。現地時間の25日夜(日本時間では昨日)アメリカのホワイトハウスで催され公式晩さん会に先立つ一コマだそうだ。この前の晩も米中首脳は非公式ながら夕食を共にしている。この時は両首脳が一時通訳を交えずに話し合ったとも伝えられた。日本のメディアは、アメリカの安倍総理に対する扱いが余りに冷淡なのを恨んでか、米中首脳会談は詳しく伝えていない。どちらかと言えば、両者の意見が噛み合わなかった点をかなり強調した報道のしかたが大半である。



噛み合わなかった点が多いのは事実だろうし、にこやかに乾杯するテーブルの下で、互いに蹴飛ばしあっているかもしれぬ。しかしアメリカの大統領が中国の主席を21発の礼砲を以て国賓として迎え入れていることは否定のしようがない。国益を背負う首脳外交とは如何なるものなのか。凡俗には想像できぬが、安倍総理は4月の訪米で約束したことを果たし、胸を張っての訪米の筈。なのにこの仕打ちはなんだ、非礼に過ぎるのではと文句の一つも言いたいだろう。

本当に舐められたものだ、へらへら笑っている場合ではないだろう。アメリカに対して一矢を報いる術は沢山あると思うがね。

2015年9月26日土曜日

アベノミクス新3本の矢

気象条件の悪さが影響しているのだろうか、このところ野菜の高騰が激しいようだ。長いこと低価格で頑張っていた隣の店から500円ランチが消えた。昨日池袋で入ったカレーショップでは、これまで無償で取り放題だったらっきょが来月から姿を消すと宣言が書いてあった。一皿40円になるそうだ。帰宅して婆さんに話すと、当然のように言っている。政府が発表する消費者物価統計からは生鮮食料品は除外されてるとのことだが、庶民はそのために毎日消費せざるを得ない。何とも皮肉なものだ。

一昨日総理は総裁再就任にあたり記者会見を開き「この3年で、日本を覆っていた、あの、暗く、重い、沈滞した空気は、一掃することができました。日本は、ようやく、新しい朝を迎えることができました。そしてこれからはアベノミクスがいよいよ第2ステージに入って、戦後最大の国民生活の豊かさが来る。」と力強く約束してくださったようだ。一寸冗談がきつすぎるように思った人が多いだろう。

今朝の「ウェークアップ!プラス」を観ていたら、普段はまるきり安倍政権の応援団長のような発言に終始している司会の辛坊治郎氏や読売新聞の橋本五郎編集委員でさえ、苦笑いをしながら「安倍さんも3本の矢に拘り過ぎたと思います。新三本の矢はどう見ても矢ではなくて、的でしょう。」と言っていた。太平洋の真ん中で自衛隊機に救い上げられて以来、政府への恩義を忘れず安倍政権擁護に徹してきた辛坊氏が言うくらいだから相当筋悪な会見だったのだろう。

総理は今朝ニューヨークに向け旅立った。主な目的は国連総会での演説らしいが、その後ジャマイカを訪問して来月2日帰国予定とあるからかなりの長旅である。ニューヨークでは日露首脳会談が行われて、プーチン大統領の訪日と北方領土問題解決への道筋が付けられるだろうとの見方もある。その予想が当たれば、例え日米首脳会談が無くても、それだけで訪米の成果はあると言える。何が起こるか先のことは分からないが、兎角政治は分かり難いものだ。

2015年9月25日金曜日

読後感「秀吉はいつ知ったか」山田風太郎著

連休の楽しみに読んだが、非常に読み応えのある随筆だった。著者の作品、特に忍者ものの小説などは二十歳前後に夢中になって読んだ記憶がある。明治時代の小説も多かったように思うが、内容を思い出せるものは皆無。この随筆を読み終わって、改めて氏の作品を読み直したくなった。

約50篇の随筆で構成されているが、以下5章のテーマに分類整理されている。
1.美しい町を・・・著者が住んだ東京練馬と聖蹟桜ヶ丘にまつわる思いと氏の生活の一端が偲ばれる。戦前から戦後にかけて、遷り変った庶民の暮らしの観察も鋭い。

2.わが鎖国論・・・この章では、近代日本の為政者に対する不信感がかなり辛辣に書かれている。著者は1922年(大正11年)の生まれなので、一応徴兵検査を受けたが、肋膜炎のために体格不適格で丙種合格となっている。終戦を挟む価値観の大転換を目前にして、為政者の生きざまなどを見ながら自分の思いを高めていったに違いない。歴史を深く探究する思いが芽生えた理由が分かる気がした。

3.歴史上の人気者・・・書名になっている「秀吉はいつ知ったか」はこの章の一節でもある。特に戦国の3武将信長・秀吉・家康の3人にスポットを当て、3者の性格の違いなどを分析している。史実を丹念に調べるだけでなく、若い時に医者を志しただけに、その分析も面白い。日本人には信長が最も人気が高いのだろうが、彼は一種の精神異常者であると断じた上で、人生の頂点で突然死ぬことで、後世に長く名を残すことになった。権力の座から去って長生きすると死にざまが醜くなるのは仕方がないそうだ。

この章が本書のハイライトなのでもう少し書く。信長から秀吉への権力の変遷は、通説では光秀のミスと秀吉のラッキーが重なったとされているが、著者はそこに疑問を呈している。秀吉の中国大返しは、史実を詳細に検証するとどう考えても光秀の謀叛を事前に予想していなければ成り立たないそうだ。以前読んだ本に光秀は家康に唆されたとされたともあったが、確かに偶然はそんなにうまいこと重なるものでもないだろう。古今東西の歴史的事実の陰には隠れた必然が存在しても当然だ。

他にこの章で取り上げている人物は、楠正成、ヒトラー、石川五右衛門ほか忠臣蔵の敵役や榎本武揚、何れも通説とは少し異なる角度から史実を炙り出して非常に興味深い。4.今昔はたご探訪と5.安土城でも、信長と光秀の確執が描かれたり、信長の異常な所業に触れているが、これ以上ここで触れるのは措くことにする。読後に最も感じたことは、人間の生きざまと死にざまについてであった。

2015年9月24日木曜日

戦略の欠如では

休日明けなので読後感でも書こうと思っていたのだが気が変った。読後感は明日に伸ばして昨日の続きのようなことを書く。日本の外交が酷過ぎる。

昨日テレビ朝日「グッド!モーニング」で解説者宮家邦彦氏が述べたこと。日露外相会談や習近平中国国家主席の訪米を受けて、恐らく放送局側としては日本の外交方針についての問題点を指摘させたかったのではと思うが、宮家氏の口から飛び出した言葉は「日本は現在の外交方針を維持していればいい。」だった。彼に言わせると、ロシアにしても中国にしても経済的に行き詰っているので、何とか日本に助けてもらいたいのです。日本はG7の枠組みの中で淡々と現在の路線を堅持していれば先方が音を上げて折れてきます。とのことである。

宮家氏はこのところメディアで政府の外交政策スポークスマンの役を演じている外務省関係の安倍取り巻きの第一人者でもある。安倍政権が何故この人物を重用しているか分かりかねるが、宮家氏の経歴を見る限り、どう見ても外務官僚の主流には思えない。一応東大卒にはなっているが、入省が25才だからかなり晩成でもある。更に専門がアラビア語なので希少価値はあったかもしれぬが、主流になることはなかったろう。55歳にならずして局長経験も無しに退官して、大使になった形跡もない。彼が誰かのこと自己顕示欲の塊と批判しているのを聞いたことがあるが、彼にもそれがあるのではないだろうか。ひょっとすると小生同様に相当な劣等感に苛まれている感が無きにしもである。

その宮家氏が折り紙を付けてくれた日本の外交方針の現状は目を覆うばかりである。連休中の日露外相会談については昨日書いたばかりなので繰り返さないが、総理が27日にニューヨークに行って国連総会で演説をするらしい。何を仰りたいのだろうか?今朝の朝日新聞には緒方貞子元国連難民高等弁務官の所感が、かなりしっかり書き込まれていた。現在欧米で最大の問題となっている難民問題と、その問題に対する日本の反応、対応のご粗末が昔も今も変わっていないことを嘆かれている内容である。

総理の演説がこの問題に関して胸を張るようなことは勿論、触れることさえ難しいのではないだろうか。昨年もこの時期に総理は国連総会で演説をして、敵国条項を外してもらうことや、ひいては安保理の常任理事国入りにさえ意欲を示した。昨年の報道をチェックすると「国連を21世紀の現実に合った姿に改革し、その中で日本は常任理事国となり、それにふさわしい役割を果たしていきたい」などと述べたとなっている。今年もまたその繰り返しなのだろうか。

お気楽なものと言えばそれまでだが、少し酷過ぎはしないか。朝日新聞では報じられていなかったと思うが、今朝の東京新聞が書いたらしい。日露外相会談直後、ロシア国防省は23日、北方領土に最新型の短距離地対空ミサイルを
実戦配備したことを明らかにしたという。時同じくしてアメリカ国務省報道官が、安倍首相がこだわっているプーチン大統領の年内訪日について日本に慎重な態度を求めたとのこと。また1週間ほど前になるが、中国政府外交部ではアジア局内に会った日本課の廃止を決めたそうだ。

ことほど左様に世界中から相手にされなくなりつつある中で、アメリカの戦争の下請けを引き受けていい気になっているだけでいいのだろうか?別に世界の中心で輝かなくてもいいから、真剣に外交方針を見直す必要がある筈だ。

2015年9月23日水曜日

国家百年の計

岸田外務相のことは何も知らないが、これまでの立ち居振る舞いを観る限り温和な感じで、総理の取り巻きとはちょっと変わった雰囲気を醸し出しているように見えた。ネットで確認すると、広島出身で早稲田の法学部から一時長銀に入行、4年か5年だけで辞職して議員だった父親の秘書になっている。祖父も議員だったそうだから典型的な世襲の3代目。総理と似たようなものだが、半ズボンに白いソックスの特殊学級の児童みたい恰好で、ゴルフに興じている総理より大分まともに見える。

岸田氏は現在名門派閥「宏池会」を率いる会長だそうだから、自民党内の政治力もそれなりのものがあるのだろう。閣僚の中でも外務大臣と言えば日本の顔見たい重要ポストに就任していることからも伺える。小なりとは言え、日本を代表してアメリカのケリー国務長官やロシアのラブロフ外相と対等に渡り合わねばならない運命を背負っている。更に今国会では、安保法案の改正の大問題があったので、国内問題で3か月に亘って国会に張り付きぱなしとなって、相当ストレスが溜まった筈だ。

ところが、シルバーウィークで羽を伸ばし続けている総理が、「の連休にロシアに行ってプーチン大統領訪日のお膳立てをして来い。」と命令したらしい。これだけの案件を曲りなりに処理したのだから、普通のリーダーであれば外相、防衛相、法制局長官の3人くらいには何はともあれ、論功行賞をして「少し休め」と慰労するのが普通のように思うが、さすが安倍総理だ。己は休暇を楽しんでも、国家国民の為に部下に休む暇を与えない。政府組織では総理と一大臣と、若干格の違いあるのだろうが、派閥の長としては同格の筈。

二人の間でどんな打ち合わせがなされたか知る由も無いが、結果から推測するに、何の事前検証も無しに遣いに押し出されようだ。岸田外相も前日までは安保法案対応一色だから、ロシア情勢なんぞ殆ど頭に無かったのではないだろうか。お腹が痛いとか熱があると言って断ればいいものを、部下を信頼しきっているのかどうか、何とかなるだろうと引き受けたに違いない。囲碁でもよくあるが、何とかなるだろうと思って踏み出した一手が何とかなった例がない。

外交なんてものも、複雑さに関しては囲碁に勝るとも劣らないだろう。案の定、昨夜からのニュースをテレビで観ていると、今回の日露外相会談はこちらから恥を晒しに行ったような次第で、惨憺たる結果に終わったようだ。それにしても会談終了後の岸田外相の不貞腐れかたは尋常じゃない。命令を下した馬鹿な上司とアホな部下に対する怒りがもろに出てしまった。「馬鹿な上司とアホな部下は」サラリーマンを辞める人間の決まり文句でもある。

何度も経験している人間が書いているのだから間違いない。しかし外務大臣様となれば、並みのサラリーマンとはかなり違うだろう。もう少し冷静になって、国家百年の計を慮ってほしいものだ。

2015年9月21日月曜日

今や昔

がん治療も一段落したので、久し振りに幼稚園以来の幼馴染新宿で待ち合わせて昼飯を食った。若い時には山遊びやスキーを共にした本当に古い友人である。しかし互いに齢には勝てない。こちらはがんにやられてすっかり参っているし、彼もがんや循環器系の大きな疾病には掛かっていないとはいえ、この夏の暑さに負けて5日ほど熱中症で寝込んでしまったとのこと。

今日は彼が聞き役に回ってくれて、こちらが一昨年までの山登りについて専ら自慢話をする役回りになってしまった。今日はブログのネタが思いつかないことでもあり、記録をひっくり返して、この自慢話を再び繰り返させてもらう。

山登りに目覚めたのが2004年の9月となっている。もう11年前のことになるが、多分この前後にゴルフをやめることにしたような気がする。その後約2年、2006年8月迄に東京近郊の山を10回、故郷長野の山を2回歩いて足慣らしをした。そして、この年の9月、生まれて初めて憧れの上高地に足を踏み入れ、北アルプスを瞼に焼き付けてやる気を起こす。

今日の友人も感心してくれたが、時既に61歳を過ぎているから相当な晩稲だ。この年の秋、北アルプスの燕岳から所謂アルプス銀座と称される尾根を歩いて、槍ヶ岳の山頂間際まで行くことが出来た。更に10月には南八ヶ岳の阿弥陀岳から最高峰赤岳を経由して硫黄岳まで縦走してかなり自信を付けた。以来翌年から一昨年の11月末まで、毎年10回以上山歩きを繰り返すことになる。

中には故郷の飯縄山や、都内の雲取山のように何回も行った山もあるが、大抵は初めての山が殆どだった。特に思い出に残るのは2012年9月の岐阜の新穂高温泉から富山の折立まで北アルプスの奥を5日歩いたこと、2013年の7月末に南アルプスの南方面を6日間縦走したことだ。数えてみれば僅か8年間ではあるが、本当にいろいろ楽しい思い出を作らせてもらった。

年寄りの冷や水との非難されるかもしれぬが、聞き手に恵まれ、話し出すと年寄りの冒険談が尽きなかった。しかし今や昔である。

2015年9月20日日曜日

オタマジャクシと蛙

実に爽やかな秋晴れの1日だ。ご近所を歩いているだけでも身体がリフレッシュされていく気がする。出来れば奥多摩辺りまで出かけてみたい気もするが、これだけ天気に恵まれると、混雑は想像を絶するだろう。連休中は大人しくしていよう。

この週末の報道は、何と言っても先週末成立した新安保法案でもちきりになっている。好天のもと、身体を動かすことを優先しているので詳しくはチェックしていない。自宅の購読紙は朝日なので、詳しく見なくても言いたいことは大凡見当がつく。テレビもANB系列とTBS系列は朝日や毎日それに東京新聞寄り、NTV系列とCX系列の番組は読売や産経に書かれていることをなぞっているのだろう。メディの論調が、こんなにはっきり分かれてきたのは初めてではなかろうか?

そのこと自体は評価に値すると思うが、気になることが1点だけある。各メディア共通の問題でもある。視聴者や読者へのインタビューで法案に賛成する人の回答で意外に多いのが「日本の防衛をアメリカだけに任せておくのは如何ものか。」要するに、アメリカが日本のために戦ってくれる仕掛けになっているのだから、当然日本も一緒に戦うべきだろう、との趣旨である。このことは誰にとっても異論のないのは当然だが、これは個別的自衛権問題で、この回答者は明らかに勘違いがあって、今国会で議論になった「集団的自衛権行使」とはピントがずれた回答をしている。

質問しているメディア側の人間は質問者も含め、当然ながらそのずれが分かっている筈。インタビューした相手に、その場で「それは少し違うのでは?」と聞き返す訳にはいかないかもしれない。しかし紙面や放送で取り上げるからには「この方は自国防衛を念頭に置いていらしたようです。」くらいは補足あるべきだ。今国会の議論が世の中に浸透していない証明にもなるだろう。更に法案成立後の報道で「我が国の防衛政策の大転換」とうたい上げると、益々他国防衛の印象が薄まるような気がしてならない。

国会のバカ騒ぎに耳目を奪われている間に、政府と財界は着々と新たな国家政策に則った準備を進めているらしい。その一つが15日の閣議で決定して来月1日に発足する「防衛装備庁」。1800人体制で防衛装備品の研究開発や調達、輸出を一元的に管理し、コストの削減を図るそうだ。時同じくしてつい1週間ほど前、経団連が、武器など防衛装備品の輸出を「国家戦略として推進すべきだ」とする提言を公表したととのことである。

自衛隊員が海外に派遣されることもさることながら、武器輸出3原則が見直されたことの方が経済界にとっては意味が大きいのだろう。新安保法案の成立は日本の軍需産業がスタートを切る日でもあるということか。自らを引き籠り系コラムニストと称する小田嶋隆氏がうまいこと言った。オタマジャクシは蛙になるが、蛙はオタマジャクシには戻れない。事ここに至れば、メディアは賛否双方の政治家の意見よりも、国の形の変化をより具体的且つ丁寧に解説する必要があろう。それがジャーナリストの務めだろう。

この期に及んでは、日本人は今日の秋晴れとは真逆な覚悟を固める必要がありそうだ。マスコミは昔からそうらしいが、肝心な時に手抜きをする。今更政治家の言い訳など聞いても始まらない。

2015年9月18日金曜日

放射線治療の終了

昨日で放射線治療の予定回数37回が終了となった。最後なので37回世話になった技師に聞いてみた。「私が浴びた線量て、どの程度なものですか?」「毎日2グレイずつです。」と言われても全く意味が通じないだろうと想像してくれたに違いない。「4グレイを全身に浴びると即死します。」と付け加えてくれた。帰宅してネットで検索してみたが、それでも意味は全く分からない。考えても仕方がない、どうでもいいことである。

これで前立腺に潜んでいたがん細胞が破壊された筈である。がんの存在を確認するための血液検査は10月5日の予定になっているが、先月の段階で既にPSA(がんの存在を知らせる数値)が危険値とされる4を遥かに下回る0.24となっていたのだから、もう問題ない筈だ。疾患の将来予測について、事前に受けた説明によれば、5年PSA非発生率80-90%が予想されます、と書かれているので、5年後の再発リスクは20%を下回ると予想されている。

相手が視認することが出来ないがん細胞だから、転移など心配しだせば切りが無いが、一先ずは肩の荷を下ろした気分に浸りたい。早速今日は約2か月歩くことの無かった池袋方面に向かって歩いてみたりした。病院に行くより少し距離が長く、途中に5、60段の階段の昇り降りがある。久し振りのせいだろうか、リズムが取れないのだろうか、息が上がってしまった。なじみの店に顔を出して昼食にしたが、店の夫婦が「とても2ヵ月ぶりとは思えない、日月はとても速く進みますね。」逆にびっくりしていたが、本当にそうだ。通院している間はやけに長く感じたが、過ぎてしまえば束の間のことかもしれぬ。

最終日の昨日は酷い土砂降りだったが、今日は午後になったら晴れ間さえ出てきた。午後は池袋から地下鉄に乗って有楽町まで足を延ばして、映画「天空の蜂」を鑑賞した。先月も「日本の一番長い日」、先々月は「龍三と七人の子分たち 」に続く邦画鑑賞3本目である。急に宗旨が変ったのは婆さんから丸の内ピカデリーの無料パスを貰ったからに過ぎない。今まで、邦画はスケールが小さく貧乏くさくて観る気がしない、と気取ったようなことを言っていたが、この映画も大変面白かった。

原作は人気作家の東野圭吾三氏が1995年だから20年も前に書かれたものだ。日本小説は歴史小説以外殆ど読まないが、これも食わず嫌いの典型だと思う。帰りのエレベータに同乗したアベックの会話を盗み聞くと「小説はもっと面白い」そうだ。映画の作りも少し大げさに褒めれば、トム・クルーズ主演「ミッション・インポシブル」に比肩しうるかもしれない。どうしても日本の俳優とハリウッドのそれの違いが、経済的豊かさと貧乏くささの違いとなって出てきてしまうのは仕方が無いような気がする。しかし主演の江口洋介と敵役の本木雅弘は好演、トム・クルーズにも匹敵しよう。

本当の主演はヘリコプターであるが、自衛隊の協力がどこまで得られているか知らぬが、本物或いは模型にしてもよく出来ている。少し気になったのは警察関係者がどうしても嘘っぽい。警察の協力よりも、制作費の制約や脇役の人材が日本に乏しいことに問題があるのだろう。

2015年9月17日木曜日

セレモニーのつもりだろうが

与党の予定からすれば1日遅れということだろうが、安保法案の委員会採決が強行された。火曜日の中央公聴会に続いて昨日は横浜で地方公聴会があった。ここでも与党推薦2名と野党推薦2名の有識者の意見陳述があり、各党代表からの質疑がなされた。この2日間の議論は極めて分かり易く、素人の理解を深めるのには大変有意義であった。

公聴会を詳しく聞かなくても、多数の国民は今回の法案について相当理解が深まっている訳だ。総理が「残念ながら国民皆様の理解が深まっていない。」と言うのは総理の大きな考え違いで、総理が国民の声を受け止めていないだけの話である。たまたま昨夜NHK・BSプレミアムで「1989年11月9日ベルリンの壁崩壊」のドキュメンタリーを見ていて思ったことがある。大衆の思いが高まると、思いもかけぬところで爆発するものらしい。西ドイツの1ジャーナリストが引き出した、東ベルリン官僚の本当に詰まらぬ一言が、一瞬にして壁の崩壊に結びついたのだそうだ。

このブログでは再三国民の意思について書いている。小生の理解としては、与党案に反対する人は多数だと思っているが、間違っている可能性もある。昨日のテレビを観て思ったことがある。デモなどに参加しない人を含め、本当に多数の人がこの法案に反対、或いは今国会での採決はいけないとおもっているなら、それは火山のマグマのようなものだろう。

このところ火山活動が活発なので思ったのだが、マグマの動きが怪しい火山の地下活動を無視して、強引な登山すると碌なことにならない。法案に反対する気持ちが強いので、与党側に天罰が下ることを祈っている訳である。天罰は当てにならぬだろうが、昨日の公聴会で野党推薦の先生の一人が意見陳述に先立ち、鴻池委員長に質したことがある。「この公聴会の後、即委員会採決との話もあるが、それが本当であれば述べるべきことは何もありません。」

これに対し委員長は「公聴会以降の予定は何も決めていません。理事会に諮って進める方針です。」と返事している。確かに昨日は採決したくても採決どころか、委員会が真面に開かれなかった。その意味では、野党推薦の先生の質問に嘘の返事をしたことにはならないのかもしれぬ。しかし公聴会で貴重な意見が多数あったにも拘らず、その後、陳述人の意見を受けての質疑は一切行われていない。

外形的に当日と翌日の違いがあったとしても、公聴会は陳述人が心配した通りのセレモニー又は茶番に過ぎなかった。この嘘がマグマの中に水のように浸みこみ、やがて水素爆発にでも繋がってほしいものだ。

2015年9月16日水曜日

日米軍事同盟法案

今夜、参議院で例の安保法案が委員会採決になり、明日は本会議で強行成立させる腹を政権は固めたらしい。この期に及んで書くべきことはもう多くない。政府は戦争法案と呼ばれるのを嫌うようなので、自衛隊は軍隊でないことを知りながら、敢えて日米軍事同盟法案と名付けたい。法案成立後の世の中で何が起きるか全く予想がつかないし、個人的にできることは少ないだろう。昨日の参議院での安保法制に関する公聴会を聴いた感想を簡単に書いておきたい。

公聴会に招聘されたのは与党推薦2名と野党推薦4名の有識者、一応全員の意見陳述を聞いてみた。中で特に印象に残ったのは二人(何れも野党推薦)。かなりお年を召した元最高裁判事濱田氏が、安倍総理他この法案をごり押しする諸氏に向けてかなり痛烈な批判をしていたこと。曰く「私は、政治家のみなさまには、知性と、品性と、そして理性を尊重していただきたいし、少なくともそれがあるような見せかけでもですね、これはやっていただきたいと。」

聞いている方は蛙の面に何とかで、残念ながらこんな皮肉は通じなかったに違いない。こちらも知性、品性、理性にかけては自慢できる柄ではないが、政治家の先生には少しこの言葉を噛み締めてもらいたいものだ。家庭でよく言われるのだが、この3要素に欠ける父親の存在が、子供たちにある意味で反面教師の役目を果たした意味もあるらしい。同様に今回の長丁場になった法案審議を通して、国民の為になったと思われることがある。

多くの国民かどうかは分からないが、少なくとも駄目親爺からすると立憲主義とか、読んだこともない憲法について随分知恵をつけてもらった。問題はこの知恵を今後どのように生かすべきかであるが、結局は選挙を真面目に考えて投票することに尽きるのかもしれない。前立腺がんの放射線治療も今週で終了することでもある。少なくとも来年あるとされる次の参議院選挙には清き1票を投ずることは可能だろう。

老いぼれの政治行動は余り期待できないにしても、同様に立憲主義に目覚めた若者も多い筈で、こちらは大いに期待できる。我が孫にも18歳や17歳が居るのだが、彼等に昨日公聴会に出席したSEALDsのリーダー奥田氏の声が届いているかは分からない。しかし彼の語ったことはその言や善しである。「わたしたちは決して、いまの政治家の方の発言や態度を忘れません。『三連休を挟めば忘れる』だなんて、国民をバカにしないでください。むしろ、そこからまたはじまっていくのです。」

この法案の違憲性がどうのこうのと、今更言っても始まらないかもしれない。冒頭に書いたように、今後どんな影響が出て来るかも想像が出来ない。多分言えるのは異論を許さない暴走政治が始まろうとしていることだ。そしてこれに立ち向かえるのは、奥田氏の言う通り若い人達であることだけは間違いない。若人の知性や理性に期待し、安倍政権の暴走を止める戦いの健闘を祈りたい。

2015年9月15日火曜日

集団的自衛権行使の「蓋然性」

友人から「お前は時々難しい言葉を使うなぁ。」と皮肉を言われることが多い。確かにその通りで、子供と同じように新しい言葉に飛びついて、それをすぐひけらかし、物知り顔をしたがる悪い癖がある。ものを知らない人間共通の癖だろう。昨日初めて知った「蓋然性」なんて日本語も、もちろんこれまでに使ったことが無いので嬉しくなって本日のタイトルにした。

教えてくれたのはまたしても婆さんである。婆さんは実家の母、何と御年90歳から聞いたらしい。「昨日の参議院安保法制特別委員会で、安倍総理が民主党議員の質問に答えられずパニクったので面白かった。」だそうだ。90歳のお婆さんが、国会審議をテレビで観ているとはびっくりだ。夜の報道ステーションでそれらしきシーンが紹介されたので、今朝パソコンで確認した。

民主党大塚耕平氏の質問で「日本が侵略されていないのに、日本と密接関係にある他国を攻撃してきた相手国を日本が攻撃する理由」を問うた質問である。先ず前提として、質疑の対象となっている法案の趣旨はこうだ。日本の友好国が負けると、日本の存立が根本から揺らぐ可能性がある場合、これを存立危機事態と称して集団的自衛権を行使できる。即ち日本が直接侵略されていないが、友好国を攻撃してきた相手に対して日本が敢然武器を取って戦いを挑む。

3要件とか小難しい理屈はあるが、大まかに言えばこんなことだろう。そこで、大塚氏は「他国の戦争に行っているのに、日本の存立にかかわる蓋然性はどのように判断するのか?」といきなり総理に質問した。そこに至るまでは例によって中谷防衛相をさんざ追いつめていたので、総理も安心しきっていたのだろう。突然の指名に慌てて手元の虎の巻で「蓋然性」の項目を探るが、なかなか見つからない。

やっとのことで探し当てた頁を読んだが、何のことはない。「他国の戦争で日本の存立にかかわる蓋然性は、その時の政府が諸般の事情を総合的に判断して決める。」である。要するに、蓋然性の具体的事実なんか何一つ述べようもないのだろう。米軍と行動を共にしていて共に戦わざるを得ない状況になれば、当然相手国の反撃を招き戦争状態になるに決まっている。戦争が始まってしまえば蓋然性の判断も何もないだろう。と大塚氏は言うのである。

「蓋然性」とは平たく言えば高い可能性らしいが、元々安倍総理が使いだした言葉らしい。この質疑を通して集団的自衛権についてまた一つ分かったことがある。これまでに国連に報告されている集団的自衛権の行使は17件だからしいが、その殆どがアメリカとソ連で、ベトナム戦争への介入やハンガリーやチェコの内乱への介入で、日本のような小国による行使は例がないらしい。既にこの法案のインチキ臭さは十分わかっているが、聞けば聞くほど嫌らしくなる。

2015年9月14日月曜日

読後感「国防音痴が、国を滅ぼす」豊田有恒 著

齢75ともなると個人的な固定観念や思い込みが激しいとしたものなので、たまには自分の考えとは正反対の人の意見も冷静に聞く必要もあるだろう。そんな思いで書店の店頭にあった本書に手が伸びた。著者に関する知識は全く持ち合わせていないが、パラパラと見る限り読みやすそうなので休日のレジャー代わりに読んでみた。先ず著者は、2年先輩で武蔵高校から東大医学部進んだ大変な秀才であるが、いろんな経緯があって手塚治虫氏の「虫プロ」の脚本家となって結局はSF作家として名を挙げられたらしい。

実に数多くの作品があって「宇宙戦艦ヤマト」の原案設定などにも関わっていたとある。頭が良くて文才がある上に若い頃の不良との付き合いとか、実に多彩な経験を持った方である。SF作品では戦闘場面が欠かせないのだろう、古今の戦争や武器についても常人を遥かにしのぐ勉強をされたようだ。当然ながら小生を含む一般日本人が持ち合わせない豊富な軍事知識をお持ちで、それを我々凡俗にお示し下さる意向からの執筆と拝見した。

普段から、国が滅びても自分や家族の安全が保障されるなら一向に構わない、と思っている非国民である。アメリカの市民になろうと中国の市民になっても気にはしないが、その途中で戦争があるのは困る。であるので、国防音痴としては日本のどこに、具体的な戦争の危機はどのように迫っているかを知りたいのだ。そこは流石、作家の先生だけに、国会の訳の分からぬ質疑より遥かに明快である。今現在、米軍が日本に基地を置いて駐留米軍の存在(抑止力)があるので、直ぐには手を出さずにいるが、北朝鮮や、中国、最近では友邦と思っていた韓国迄もが、隙あらば日本を占領しようと虎視眈々と狙っている。と極めて明快に書いている。

同時に自衛隊の存在についても、とても軍とは言えない中途半端な存在なので、いざという時にどこまで役に立つかどうか、早いところ軍としての性格をもっと明らかにすべきだ。取り敢えずは現在国会で問題視されている集団的自衛権行使についての異論反論は全くない。SF作家だから戦争の危機とその対処についてはかなり具体的なイメージをお持ちだが、日本国の憲法との関係についての言及はされていない。

更には、古今東西の歴史を見るに、人類の歴史は戦争の歴史であり、軍人なくして国家の存立は考えられない。とか、先の世界大戦で日本は不幸にして負けたが、戦争に至ったのは間違いではなかったし、無謀ではなかったとされている。現政権の中心にいる若い議員さんが聞けば、涙を流さんばかりに喜びそうなことが綴られている。冒頭に書いたように2歳も年上の方なので、昔いくら頭が良くても、脳みそがかなり固くなられている感は免れない。この年代の方には反戦主義の方が多く、著者のような立場を取る人は少数だと思う。

想像ではあるが、戦後大方の人が食うや食わずで苦しんでいた時代、比較的経済的に恵まれて、若い人たちが喜んで食いついた新しい科学的知識を十分吸収する余裕があったのだろう。その時は極めて柔軟な思想だったに違いないが、人間だれしも同じで、75歳も過ぎたとなると脳味噌が硬直化してもおかしくはない。

こちらの硬直した脳も、読後に及んでも「抑止力」についての具体的イメージを持つことが出来ない。悪漢に襲われないようにするには武道を身につけろと言われるような気がする。柔道が良いのか空手が良いか、どんなに高段者になっても、必ずそれより強い奴は出るし、武道に秀でても悪漢との喧嘩に勝てるかどうかは別問題だ。どんな思想信条の人間とも仲良くできる、どんな国とも穏便につきあう努力の方が余程大事だ。なんて考えるので国防音痴と言われてしまうのだろう。

2015年9月12日土曜日

水害の爪痕と自衛隊

北関東や宮城県の水害の爪痕は見るだに恐ろしい。一夜にして家を失われた方の喪失感はいかばかりだろうか。ゴキブリばかりか鼠の足音さえ頻繁に聞こえるぼろ屋でも、生活の拠点があると言うことがどんなに有難いことか、改めて思わずにいられない。常総市は6800棟もの家が水没したそうだが、被害にあわれた人は万を超えることだろう。内閣の副大臣が昨日常総市を視察したそうだが、災害への政府の対応は相変わらず遅い。民間ボランティアの方がずっと早く行動を起こしている。

自衛隊の救援は確かに行われているし、人命救助に数機のヘリが活躍した様子は、報道でこれでもかというくらい見せつけられた。しかし被災された方への復興支援については未だ何も命令が出ていないのだろう。或いはそんな時に重宝されるのはお門違いとでも言うのか。自衛隊はこんな時にこそ迅速且つに大々的に人員を投入すべきだ。イラクやアフガンの復興支援については、いつも自己完結型とか、なまじのゼネコン以上の実力を持つと大言壮語しているではないか。是非お手並みを拝見したい。自国を衛る組織であれば当然だろう。

大体国連平和維持とか何とか言っても、所詮は他国の戦争へのチョッカイではないか。このチョッカイを拡大する法案の国会審議が昨日も参議院であった。総理も出席していたようだが、相変わらず政府側の答弁は論理的に破たんしていたらしい。しかし、この水害報道と今朝の東京の地震報道で、テレビでは殆ど触れられていない。

この騒ぎに乗じてと言って言い過ぎかどうか、兎も角国民の気が付かない間にいい加減な質疑で時間を稼ぎ、来週末には参議院で採決して仕上げる心算らしい。安倍内閣にとっては勿怪の幸いかもしれぬが、国民の不幸をそのように悪用するとはとんでもない心得違いだ。ヨーロッパの難民問題はとぼけてもいいとしても、国内の問題は真剣に取り組んで貰いたい。「緊急事態なので、法案を次期国会に持ち越します。」とでも言ってみろだ。

2015年9月11日金曜日

気持ち良い秋晴れ

1週間ぶりになるようだが、本当に久し振りで朝から青空を見上げることが出来た。白い鱗雲が浮かんでいる。いろんな意味で秋を実感せざるを得ない。もはや実りや収穫には程遠く、落葉落日の思いのみである。功も遂げず名も上げずではあるが、思えば遥けくも来つるものかだ。日本アルプスの山を4日も5日も縦走をした経験がある。そんな昔ではない、70歳を超えてのことで、若い人達からすれば、そんなに時間を掛ける行程ではなかったかもしれぬ。

それでも悪天候を含むいろんな気象条件下で、幾つかの峰を踏破して最終日に好天に恵まれて目標地点に立った時の感激に似たものがある。他人から見ればつまらないことばかりだろうが、個人的には日本アルプスの山々の踏破に匹敵しているのだ。いつまでもここに留まり、遠くの峰々や歩いてきたルートを堪能していたい気持ちが強いが、人生は季節の移ろいと共に、一定の個所に留まることを許さない。明日も明後日も平穏でありたいが、いつも今日と同じとは限らない。これから先は風の吹くままの人生だ。

落ち葉と同様、風に舞い散り、やがて土に帰って何も無くなる。誰にとっても人生の定めは同じことだろう。放射線治療も来週で一旦終わる。あとひと踏ん張りだ。女性ホルモンを注入する治療は今日でお終い。婆さんに言わせると「体に変調はきたしているかどうか知らないが、性格が変わらないのは困ったものだ。と先生に言ってあげさない。」とのことだった。

病院の帰り道、ファミレスの階段で、どこかの若いお父さんがベビーカーから子供を下ろして抱きかかえてちょっと困った風情だった。今日は奥さんがお出かけでベビーカーを持ってくれる人が居ないらしい。代わりにベビーカーを持ってあげたら凄く喜ばれた。生後5か月だそうだが、赤ちゃんまでにこっと笑いかけてくれた。正に天使の微笑みだ。どうということないが気持ちが良い1日だった。

2015年9月10日木曜日

不安定な社会だ

秋の長雨とは言ったものだが、飽きもせずよく降り続いたものだ。今日も病院への行きはバス、院内での待ち時間は、ずっと茨城県常総市鬼怒川堤防決壊現場の自衛隊ヘリによる住民救出劇を見ていた。陸自と海自合計5機が救出に参加したようだ。こういった時の自衛隊は本当に頼もしい。海外まで人殺しの手伝いに行くことより、国内でこういった機能を充実させることが大切だろう。

この長雨は全国区各地に大きな災害をもたらした。被災された方、未だ被害が確定していないお百姓さんたちの気持ちを慮れば、戦争の心配より先に心配するべきことがあるだろうと思わざるを得ない。幸い病院からの帰路は雨が上がって歩いて帰ってくることが出来た。傘を差さずに歩いたのは久し振り、明日も晴れて欲しいがどうなることやらだ。

天気も不安定だが、社会現象も何かおかしなことばかりだ。関係ないから良いではと言ってしまえばそれまでだが、株式市場の揺れは何だろう。日本の経済に如何なる意味を持つか知らないが、市場が誰かに弄ばれているのは間違いなさそうだ。歴とした大学教授が、何が悲しくて司法試験で教え子にインチキするのだろう。色香に迷ったか?68歳と聞けば孫が居ても不思議は無い、家族はどんな思いでいることやらだ。

インチキ繋がりで書けば、再来年の消費税増税もいい迷惑だ。その時公明党が自民党に約束を迫った軽減税率の実施も、麻生財務相が「面倒くさくてやっていられねぇ」と言ったとかで、財務省の役人は来月発行と言われているマイナンバー・カードと結びつきを考えてインチキ臭いことを言い始めた。

そもそもマイナンバー・カードが年金暮らしの年寄りにメリットがあるとはとても思えない。しかし国民に総背番号を振ることになれば、国側の管理面からは相当なメリットもあるだろう。またそのシステムの運用に当たっては膨大な人的経済的な投資が必要な筈で、そのために大きな外郭団体が生まれたり、関連IT企業に膨大な発注が行われ、役人の天下り先が増えるに違いない。確かオリンピック組織委員会事務総長武藤氏が日銀を辞めた直後に、そんな企業に就職した記事あったような気がする。

これで景気が良くなるなら結構なことだ。賃金が少し上がったとか、時々訳の分からぬ数字で景気が良くなりつつあるとする提灯記事を目にするが、家庭内や近隣で話を聞いている限り近くで聞く限り、景気が良くなりそうなんて思っている人間は一人もいない。

2015年9月9日水曜日

終盤国会

勝負がついている話だから、今更何を言っても始まらないかもしれぬ。しかし今回の安保法制に関する与党の対応は余りにもご粗末すぎる。立法府としての品位を考えろとまでは言わぬが、もう少しスマートなやり方は無かったのだろうか。悪く言えば、野党の抵抗(質問)に対して嘘でも何でも手練手管の限りを尽くしてその場をしのぐことに終始した。官僚が作成した法案を1分1厘の妥協もしなかったのは、政治家の力量不足を明らかにしただけではないか。最初から採決さえすれば、内閣の提案が通ることは分かりきっている。

噂でしか知らないが、昔から各党に国会対策委員が置かれ、委員会でどんなに激しく対立していても委員同士は仲良くマージャン卓など囲みながら、なぁなぁで落としどころを探ったと聞く。今もこの慣習があるのか無いのか知らないが、似たようなことはあるだろう。裏で談合して手を握るのは褒められた話ではないが、もろにガチンコで全く無意味な質疑も如何なものかだ。

終盤に来て、先週半ば共産党の入手した資料で防衛相が立ち往生してしまった際、参議院の鴻池委員長は防衛相に「7日月曜日までに、必ずその存否を明らかにしなさい。」と厳命して見せた。これを見た時は、なかなかやるじゃないか、と一瞬思ったが何のことはない、結局「調査しましたけれど、同一のものは発見できませんでした。」で終わりだ。まともに入手したものでなければ、この理屈が通用するらしい。

嘗ての毎日新聞社西山太吉記者の外務省機密文書事件を思い出した。与党側の言い分には、言外に、警察など公権力を動員してお前らをブタ箱に引っ張るぞ、との意思表示がありありである。特定秘密保護法か何かよく分からないが、政府の内部文書を暴くことが悉く犯罪扱いとなるのでは、国民の知る権利はどのように担保されるのだろう?鴻池氏はもう少し野党の顔を立てても良かったのではないか。内部文書を認めても、現国会での嘘のつき放題を見ていれば、3日もあればいくらでも屁理屈のつけようはあっただろうにと思ってしまう。

政府側も勝ち筋を確信したのだろう、昨日の参考人質疑もご粗末すぎる。特に自民党が推薦している宮家邦彦氏だが、何故彼でなくてはならなかったのか?理屈は兎も角、自分が言いたいことだけを喋り、都合の悪い野党の質問に対しては殆どまともに答えていない。所作は安倍総理と同じだが、「馬鹿な質問にはまともに答える必要がない。」意識が丸見えな分だけ総理より悪いかもしれぬ。与党側には要らざる不満を残す結果になっていると思う。

山本太郎氏の質問への答え方など観ていると、まるで上から目線で、国民を代表する議員として認めていないかのようだ。東大出のエリートにはこの癖を隠せと言っても無理だろう。野党側ももう無駄な抵抗合しない方が良いと思うが、どうせ悪足掻きをするのだろう。最後の最後まで後味の悪い法案成立になりそうだ。

2015年9月8日火曜日

負け戦の総括

八百長とまでは言えないだろうが、野田聖子氏が総裁候補に立候補できる可能性が無いことは、ご本人も十分承知の上だったのだろう。勿論野党にしても同様の筈だが、問題は今後のことだ。自民党内でも来年の参議院選挙は安倍体制では勝てないことが周知のこと。この法案成立で一旦次期総裁に再度就任させて、選挙前に健康上の理由で退陣してもらう。が大方の読み筋なんて報道もあるが、野党がそんな甘いことを考えても始まらぬだろう。

結局今国会で安保法案が成立することは間違いないことになったが、一旦成立してしまうと、これを違憲法案としてひっくり返す手続きは極めて難しいらしい。最高裁で安保法案=違憲の判決を引き出すには、上手く行って4年はかかるそうだ。長谷部恭男・小林節両教は次のように語っている。(6月15日の日本記者クラブでの会見から)
「まず次の国政選挙で新しい政府を成立させ、いったん成立したこれらの法律を撤回することを考えるべきだ」(長谷部)、「どっちみち参議院選挙で自民
党が沈めば憲法改正はできなくなる。その次の衆院選で自民党政権を倒せばいい。およそ4年後の判決を待つよりよっぽど早いですよ」(小林)

4年以内に自民党政権が倒れればそれにこしたことはないが、果たして野党にそれだけの戦略が構築できるかどうか、甚だ疑問と言っては申し訳ないが心配もまた事実である。前回の総選挙における自民党の得票率は22%と言われるようなので、野党が本気で結集して力を合わせることが出来れば決して不可能ではないと思ってしまうのだが、これが素人には分からない政治力学の難しさなんだろう。ここで思うのは、U18少年野球チームの解散式とはいかないだろうが、野党の心ある人間に是非今国会の総括をして将来への展望を持ってもらうことだ。

負けチーム応援団としての感想を一言書きたい。先ず苦言である。安倍総理の顔を見るのもうんざりだが、どの野党党首の顔にも覇気が感じられないのが一番いけない。U18少年野球チームの解散式を引き合いに出したのはそれ故である。野党は現在不利で困難な立場にあるのは当たり前のことだ。しかし野党には将来を狙う、或いは将来を見据えた満々たる野心があるべきで、これは与党に居ては養い得ない。この差が与野党党首の顔つきに出てこないことが非常に残念だ。

国民の多くは今国会を通じ、現政権には論理的な正論も通用しないこと、違憲法案と承知しながら欺瞞を以て成立させざる得なかったその背景に、極端なまでのアメリカに対する弱腰があることがはっきりした。彼等の嘘をいくら指摘しても、彼等はアメリカの指示に従っている以上屁でもないのだ。仮初めにも一度は政権を奪取した経験がある民主党の幹部であれば、その辺はよく分かるだろう。

アメリカに対する恐怖感は似たようなものだと思う。しかしその恐怖を克服して、返り血も辞せずに日米間の不平等条約を変える勇気をもたない限り、再度の政権なんて及びもつかない。明治に始まった不平等条約の改定は、大戦を挟んで吉田茂の日米安保(厳密に言えば条約の変更ではないが、立ち位置を定め直している)、岸信介の安保改定を3度目とすれば、4度目の正念場をどのように目標に据えるかである。

その困難で長い道筋を考えれば顔の引き締まり方も変ってくる筈だ。政府の欺瞞を叩いているだけでは、その気概を感じることはできないぞ。

2015年9月7日月曜日

何処も同じだろうが

月初めの月曜日は、病院通いで1日過ごすことになりどうも塩梅が悪い。診療科は泌尿器科と放射線科2か所に放射線治療だけのことで、診察時間と診療時間の合計は多く見積もっても1時間に満たない。薬局での処方や会計を含めた全体の待ち時間合計が3時間になる。それに往復の歩く時間で1時間、帰路立寄る接骨院の治療で約1時間。昼食に30分としても合計6時間半になってしまう。10時に出発しても帰り着くのは4時半、1日他には何もできない。

それでも今月でホルモン治療が終了したのは有難い。来月の5日には目出度く放射線治療も終了しているので、一応けじめになるとのこと。この日のチェックで問題がなければ、その後の通院は3か月後だそうだから来年になる。長いと言っても半年なんてあっという間だ。これで少しでも健康が取り戻せるなら、お安い御用としなければならないだろう。秋のハイキングや、来シーズンのスキーの誘いが待ち遠しくなる。

病院の待ち時間にブログのことでも考えればいいのに、といつも思うのだが、頭がそのように廻らない。不思議なものだ。病院の待合室をぼーと観察していると何となく時間が経ってしまう。とは言うものの時間が有り過ぎるので、運動がてら外来の廊下を歩きながら各診療科の待合状況を一覧することにしている。これが意外に面白い。産婦人科には結構若い男性が座っているが、これは付き添いで来ているに違いない。或いは、高齢者には二人連れが多いが、これもどちらかが付き添いの風情だ。

一人が若い場合は、息子か娘が父か母に付き添ってきたのだろう。同じ年恰好の場合は、えてして患者風の男性がご夫人らしき人に威張り散らしていることが多い。年寄りになると耳が遠くなるせいだろう、声の大きいことが赤ん坊の泣き声と同じで、病院には付き物の耳障りである。我が身も似たようなものだろうが、付き添われての病院通いだけはしたくない。

2015年9月6日日曜日

鴻池 参議院安保法制特別委員会委員長

鴻池祥肇氏はタイトルに書いた通り、安倍政権の命運を担う要の委員長である。年齢(1940年生まれ)からしても、安倍総理の走り使いではあり得ない。兵庫県尼崎市が地元で、稼業の運輸会社鴻池組は代々続いた侠客だそうだから、神戸の山口組なんかより伝統ある名誉の家系と内心自負していても不思議は無い。日本青年会議所会頭を経て、1986年に衆議院議員に初当選、3期目の1993年総選挙で落選後、1995年から参議院議員に転じた。

政治家のスタートは河本派であったが、小泉内閣では2度大臣経験もあるベテランで、経歴からしても右翼的性格であるのは衆目の一致するところ。ま、典型的自民党ベテラン政治家と言うべきだろう。同じ右翼を自認する安倍総理との距離感は知るところではないが、チルドレンと違って相当使いづらい人間に違いない。しかし総理にしてみれば、審議の先行きに相当な危機感があって、辞を低くして委員長就任を依頼せざるを得なかったに違いあるまい。

鴻池氏も、悪い気はしなかったのだろう。「任せておきなさい」みたい調子で引き受け、何が何でもこの委員会でこの法案を成立させる覚悟を持って臨んでいるのがよく分かる。共産党の小池亮氏に対し「こりゃ、小池!」と怒鳴りつけたばかりでなく、委員会中継を見ている限り、委員長の権威をかさに着て威張り散らすにはうってつけの人材だ。当初から自信満々であった。

今日は暇に任せて一昨日の委員会中継で、民主党蓮舫氏の質疑を一部始終チェックした。その前々日の共産党仁比聡平氏の質疑に民主党にどのように連携していくか非常に興味があったからである。政府与党が委員長とどんな連絡を取り合っているかは勿論知る由も無いが、総理にすれば神様仏様鴻池さまの心境だろう。鴻池氏も侠客の血筋が騒いで「何とかしなくては」の思いも強いに違いない。

しかし蓮舫氏特有の短く歯切れのいい質問に対し、全く防戦一方、狼狽えるばかりでなす術の無い中谷防衛相には、救いの手の延べようが無いみたいだ。審議の中断は数知れず、防衛相側は共産党が入手した資料の存否確認をなんとか引き伸ばすべく抵抗を続けたが、遂に鴻池委員長自ら中谷防衛相に対し「月曜日までにはっきり返事をしなさい。」言わざるを得なくなっている。このこと自体はマスコミで報道されているが、この裁定後の蓮舫氏の質問にも防衛相は殆どまともに答えることが出来ずにいる。委員長もさぞドキドキしていることだろう。

今週末あたりが委員会採決の山場とされているが、鴻池氏がこれをどう裁こうとしているのか?採決を成功させた時のご褒美が頭をよぎっているのだろうか?同い年だけに気になるところである。

2015年9月5日土曜日

読後感「悪と徳と 岸信介と未完の日本」
福田 和也 著

2012年の4月に出版されたものが先月文庫化されたので、購入して読んでみた。先月から先週にかけては先の大戦の終戦から70周年に当たるので、何かと関連行事や話題も多かった。そこで思いついて岸信介氏の評伝を読む気になった次第。著者の福田和也氏は1960年生まれと大分お若いが、近代史をよく勉強されて保守論客としても高名であるのは十分承知している。

岸信介氏は安倍現総理の祖父で、安倍総理は父安倍晋太郎氏より岸信介氏に深い思いを寄せていることは度々報じられてもいる。岸信介氏に関して個人的に思い起こされるのは、何と言っても60年安保騒動である。当時は全くものごとを考えない馬鹿な学生だったので、世間では大騒ぎになっているのを知りながら、一度もデモに参加したことが無いのが今になると恥ずかしい。

その後大分経ってから、東富士のゴルフ場で直接見たことがあり、引退してから御殿場に住んでいたことも知っていた。ご本人は極めて飄々とした雰囲気を醸し出していたが、周囲の人たちの緊張感や雰囲気が、普通のグループとは異なる大物の印象だったことが記憶にある。確かロッキードかグラマン自衛隊機導入に関して名前が取りざたされた頃だったような気もする。

評伝とは言っても岸氏の生涯を描くものではなく、どちらかと言えば前半生、昭和の初めから昭和60年日米安保条約改正をやり遂げて政界を引退するまでを中心に描かれている。故に、知っていてもよいのだが知らないことが殆どなので、非常に興味深く読むことができた。印象に残ったことを簡単に書くと次のようなことかもしれない。

岸氏は若い時から非常に優秀だったにも拘らず、東大の優等生には当たり前の内務省や大蔵省に行かず、商工官僚となって若い時から産業政策に打ち込んだ人である。真面目に勉強もして、ある種の国家観(若干社会主義的)を持ち、その実現に意を用いる一方、性格的に遊びも好きで、人付き合いが大変良かったみたいだ。そして頑固とは異なるが、信念を貫くと言うことでは非常に断固たるところがあった。ここが大事なところで、後の60年安保騒動に際して、信念を貫いて条約の改定を成し遂げるに至る訳である。

だがしかし、これが当時圧倒的に国民には不人気だった故、後世の我々にはどうしても陰気な性格のイメージが出てきてしまう。しかし孫の安倍晋三氏と重ねて見てはいけないらしい。岸氏と直接知り合った人はあらゆる階層にまたがるが、政治家や軍人のように、政界を動かしていた人達でなく、いろんな階層にファンを持つ性格が彼の政策遂行能力を高めたのかもしれない。その殆どが岸氏の剛毅な性格に惹かれてしまっている。

戦時中には満州国の産業政策遂行で辣腕を振るい、東条英機総理からも信頼され非常に親しくなるが、一転敗色濃いことを見極めると、総理に早期終戦を進言して、仲が険悪となり閣外に去ることを求められる。しかし断固これに応じず頑張ったことで結局東条内閣は潰れるのである。当然ながら、大戦末期は陸軍から非常に危険視され不自由をかこった。戦後東条内閣の一員なので連合軍に逮捕されて巣鴨に3年も拘置されるが、この抵抗がものを言ったか結局無罪に釈放になっている。

戦後政治の世界に復帰してからも、初めて知る面白い話が沢山あるが、その中から一つだけ。保守合同で自由民主党を立ち上げ初代の幹事長になる時から、或いはその前からずっとと言ってもいいだろうが、岸氏は前総理の吉田茂氏とは決定的に仲が悪いのだ。吉田氏が余りにアメリカの言いなりだったことが気に入らなかったのだろう。

独立とは名ばかりで、実態はアメリカの占領状態ではないか、そのためには日米安保も改正する必要もあるし、自主憲法制定も必要だ、が彼の信念。この彼を個人的に認めてくれた一人が、アイゼンハウワ―アメリカ大統領だった。彼を日本に招くことに成功しながら、デモの激化で大統領訪日と彼の退陣が重なったことはかえすがえすも残念だったに違いない。この評伝はここで終わっている故のタイトルー未完の日本ーなんだろう。

振り返って現在の政局を思うと、彼の孫の志の低さと、犬猿の仲だった吉田茂氏の孫が副総理を勤めているこことへの違和感がどうしても禁じ得ない。

2015年9月4日金曜日

北京ブルー

昨日はブログを書きそびれてしまった。病院から戻ったのが16時少し前で、それからネットで「中国抗日戦争勝利70周年 軍事パレード/映像提供:中国中央電視台(CCTV) 」を見始めたのが運の尽き。所々で中継は途切れるし、中国語アナウンスも有ったり無かったり、時々日本語通訳も混じるが、恐らく全体の2~3割程度だったろう。しかし映像の長さだけは格別で、全体で2時間45分の長尺である。途中トイレに行ったり小腹を満たしながら、終わって気が付くと19時を回ってしまっていた。

テレビのニュースを観れば要所が手際よく紹介されるのを承知なのに、馬鹿なことをしてしまったようでもあるが、長編名作映画を見た後のような感慨が無い訳でもない。

中国は日本と昔から縁の深い国であり、現在でも経済的には深いつながりがあるようだ。先ず、人口が多いので市場として大きいこと。最近は賃金の上昇で少なくなりつつあるようにも聞くが、未だ生産拠点を中国に持っている企業も多いだろう。逆に池袋辺りに住む中国人の数は相当なものだし、家の婆さんは中国製食品は買わないと自慢するが、国内で消費されるメイド・イン・チャイナ製品は相当な数量だろう。

一方で、外交的には余りしっくりいっているようには見えない。なんでそうなるのかよく理解できないのだが、政府も口先では友好関係が大切と言いながら、本気で仲良くしようと思っているようにはとても思えない。対中問題で口を開くと、いつも批判的な言辞が飛び出してくる。それにつられるのか先走るのか分からないが、マスコミもやたらに中国の膨張主義批判に廻っている。多くの国民のことだから、個人的に中国を好きな人もいれば嫌いな人もいるだろう。

ざっくりした感想で言うと、日本では中国人を少し見下している人が多いような気もする。石原慎太郎氏ほど極端でないとしても劣等感の裏返しにも思えるが、これは千年2千年の歴史のなせる故かと思ってしまうことがある。お前はどちらか?と問われれば、真ん中より好きな方かもしれぬ。いつも書くように、他人と同じで他国のことは全く分からないのだが、中国の場合は知れば知るほど分からなさが深くなるのが面白い。

個人的経験では面白いことにアメリカ旅行と中国旅行の回数はそれぞれ4~5回だろうが似たようなものだ。滞在都市の数と滞在日数ではアメリカの方が少し多いかもしれない。敢えて今後行ける機会が与えられると仮定すれば、中国のどこかに行きたい。アメリカは何処に行っても似たようなもので、日本で得た知識と違うことはそう多くはない。一方中国は日本での情報量が少ないせいもあるのだろう、へぇ~と思うこと、発見が多いような気がする。

昨日の軍事パレードもそんな気分が手伝って観てしまったのだろう。ホテルで白い筈の高級タオルが何れもグレイだったあの中国(これは上海の印象かも)。
昨日の空は日本と同じような秋晴れが広がっている。習近平総書記は相変わらず言葉少なで、何を考えていることやら全く見当がつない。なのに嫁さんは美人でやたらに愛想がいい。そばに近付いて一言二言かわすだけでいいから、日本からも誰か特使を派遣すべきだったのでは、或いは村山元総理も折角北京に赴きながら体調を崩しての入院は残念と思ってしまう。

日本政府にも政治的外交的配慮があったと伝えられるが、官房長官がこのパレードについて態々遺憾の意を表明する必要がどこにあったのだろう。一方戦後70年に関するオバマ米大統領の声明には、卑屈なまでに歓迎の意を表明している。多分同日に発表した官房長官の声明が、国民多数の支持に繋がると信じているのだろう。それで世の中丸く収まれば結構だが、そんな子供じみた行為では、そうはいかないのではないか?

2015年9月2日水曜日

原発問題の根本にある日米関係

福島の子度たちに甲状腺がんが全国平均の5倍以上と異常な値になっていることが、先月末の政府の発表でも明らかになった。しかし政府はこれが原発事故由来とは認めていない。調査をした医師の中には良心的な人も居るようだ。先日の報道によれば、原発事故に由来するものでないと断言はできないだろうと、チーフに噛みついている人が居た。昨日は北海道でも、福島第1原発事故の収束作業に従事した後に三つのがんを併発した札幌在住の元作業員男性(57)が、がんになったのは作業中の放射線被ばくが原因などとして、東電などに損害賠償を求める訴訟を札幌地裁に起こしたそうだ。

現在、前立腺がん治療のためではあるが、毎日局部に放射線を浴びてその後遺症に苦しんでいる。放射線科の医師は事も無げに「前立腺が放射線で爛れ、むくんでいるのですから副作用は仕方ありません。」と言ってくれるが、がんが根本的に治っても放射線障害の後遺症は自然治癒を待つしかないとのこと。放射線被ばく被害者の心配はとても他人事には思えない。自分のことは兎も角として、原発事故が原因であることが明白な人たちに向き合う政府の姿勢が、不誠実に感じて仕方がない。

事故発生から既に4年以上経過しており、マスコミは毎日の情報に追われて未解決の古い問題に関する追求はどうしても疎かになって行く。メディアの特性でもあるので仕方ないかもしれぬが、世間には不祥事が頻発しているので、ついこちらを優先せざるを得ない。原発事故に関して近隣の当事者以外は問題意識が風化しつつあるのは否めない。そこに付け込むかのように、政府は放射性廃棄物処分場建設問題なんかもかなり強引な施策に転じつつあるのが見て取れる。

こんな流れを憂鬱な気分で考えていると、今日のネットで、目から鱗の記事を発見した。『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』著者 矢部宏治氏インタビュー記事である。詳細に書切れないので分かり難いとは思うがお許し願いたい。原発の問題は基地の問題と根っこが同じで、日本が一見主権国家のように見えながら、実態的にはアメリカに主権を踏みにじられている属国状態にあることに根本原因があるらしい。端的に言えば日米の間に「日米原子力協定」という条約が結ばれていて、これが「日米安全保障条約」と同じ働きをする仕組みになっている。何でもアメリカの言うなりにならざるを得ない。

即ち、「日米安保」による日米地位協定でアメリカが日本で好き勝手に振舞えるように、「日米原子力協定」がある限り、日本は原発推進の軛から逃れられない仕組みが出来上がっている。原発はアメリカの利権が深く関わる施設で、原発敷地内は在日米軍の基地と同じと考えれば分かり易い。この協定で、原発から放出された放射線物質も『放射能による汚染は法律の適用を除外する』と定められている。従って電力会社がこの手の訴訟に強気で臨むのはこの一文に依るとのこと。当然ながらこの協定は日本側からは破棄できないので、国民が脱原発なんていくら騒ごうが、この協定に縛られて絶対に実現できない。

1億を超える人民を支配しようとするとき、銃を突きつけながら四六時中張り付いたり殴ったりというやり方では、手間も費用もかかりすぎて非効率、だが法律で縛っておけば、その国の警察や検察が勝手に動いてくれるからコストゼロ、法律によって縛るのが最も効果的である。この仕掛けが完成しているのが現在の日米関係。俄かには信じがたいが、この記事を読んでいくと「日米原子力協定」で日本がアメリカの都合よい実験場、又はモルモットになっている可能性はかなり高い。そしてこのことは政府や高級官僚は百も承知で、その指揮下にある電力会社は大船に乗った気でいるらしい。

彼等は下級裁判所が原発停止を命じても、最高裁に持ち上げればその判決が引っくり返ることを十分分かっているのだそうだ。安保問題に於ける砂川判決『日米安保のごとき高度な政治性を有するものは審査権の範囲外』と同じこと。つまり、我が国の最高裁は日米間の条約について何も言わない。言えないのかもしれぬが、これではとても主権国家どころの騒ぎではない、属国か植民地そのものだ。

いつも書いている安倍政権批判すら何か虚しく思えてくる。知らぬが仏で我が世代は終わるのだろう。しかし子や孫はどうなる?彼等が近隣諸国に対して、先祖が行った侵略を謝罪を続けさせることについては抵抗は感じない。しかし、彼等が永遠にアメリカの奴隷国家の一員でいること強いて、被曝実験の対象になったり戦争の道具にされることを見過ごして善いものだろうか?

2015年9月1日火曜日

芸術的センス

8月16日のブログで、夏休みなんか取っている場合じゃない、早く結論を出すべきだと書いた2020年オリンピックのエンブレム問題。病院での待ち時間に今日やっと結論が出るらしいと知った。正式には午後に開催される組織委員会でやっと使用中止が決まり、結論的には勿論白紙撤回になるのだろう。何とも早や、段取りの悪いことだ。つい数日前に武藤組織委員会事務総長が未練がましく言い訳会見までしていた。

悪あがきで、恥の上塗りを絵に描いたようなことになってしまっている。武藤氏は大蔵事務次官や日銀副総裁のキャリアを持つ超大物官僚である。官僚だからクリエイティブセンスを疑問視しても仕方ないが、とんだところで晩節を汚す形になってお気の毒とも言える。武藤氏よりやっぱり下の事務方のセンスと、事務処理能力が余りにご粗末すぎる。ここまでケチがつくと流石に何方か責任を取らざるを得なくなるだろうが、森会長にでも辞めてもらえばどうかな。

センスの悪さで他人を貶す資格がないのは重々承知の介である。しかし常識と言うものがあるだろう。あのエンブレムを素晴らしいと評価した人の顔を見たいものだ。話しが跳んで恐縮だが、昨日やっと小説「火花」を読み終わった。例の大評判、今年の芥川賞受賞作品で発売元の文藝春秋社は、思いがけぬ売れ行きで大いに喜んでいるらしい。余程下らない小説以外は読後感をブログで公開するのを常としてきたが、今回はアップできない。

芥川賞受賞作品だから下らないと言っては失礼だろう。むしろ理解できないと言うべきかもしれない。題名「火花」の意味するところすら理解できないのである。ストーリーは分かり易い。関東と関西の若手漫才師二人の交友を描いている。漫才師は客の笑いを取ってなんぼのもの、二人とも日常的に非常識な言動でウケを磨いている。他人から見れば非常識な人間に見えるかもしれぬが、二人とも異常な神経を持ちあわせている訳でもなく、ある意味常識人なんだろう。

ストーリーは淡々と流れ、起承転結も無く終わっている。著者又吉直樹氏も現役漫才師だから、一見非常識な日常を送っているのかもしれぬ。そしてその有様が、もしかすると現代では格好よく見えるなんてことがあるのかもだ。普通の人間は誰も、己は極めて常識的な人間と思って生きている筈。しかしクリエイティブなセンスを問われると、「火花」の漫才の例ではないが、素直に自分の意見を言っていいものかどうか躊躇するのかもしれぬ。

囲碁なんかでも似たような思いに駆られることがある。平凡で常識的な手では勝てないのでは?との疑心暗鬼だ。けれども常識的な手が最善のケースが多いらしい。