2015年9月25日金曜日

読後感「秀吉はいつ知ったか」山田風太郎著

連休の楽しみに読んだが、非常に読み応えのある随筆だった。著者の作品、特に忍者ものの小説などは二十歳前後に夢中になって読んだ記憶がある。明治時代の小説も多かったように思うが、内容を思い出せるものは皆無。この随筆を読み終わって、改めて氏の作品を読み直したくなった。

約50篇の随筆で構成されているが、以下5章のテーマに分類整理されている。
1.美しい町を・・・著者が住んだ東京練馬と聖蹟桜ヶ丘にまつわる思いと氏の生活の一端が偲ばれる。戦前から戦後にかけて、遷り変った庶民の暮らしの観察も鋭い。

2.わが鎖国論・・・この章では、近代日本の為政者に対する不信感がかなり辛辣に書かれている。著者は1922年(大正11年)の生まれなので、一応徴兵検査を受けたが、肋膜炎のために体格不適格で丙種合格となっている。終戦を挟む価値観の大転換を目前にして、為政者の生きざまなどを見ながら自分の思いを高めていったに違いない。歴史を深く探究する思いが芽生えた理由が分かる気がした。

3.歴史上の人気者・・・書名になっている「秀吉はいつ知ったか」はこの章の一節でもある。特に戦国の3武将信長・秀吉・家康の3人にスポットを当て、3者の性格の違いなどを分析している。史実を丹念に調べるだけでなく、若い時に医者を志しただけに、その分析も面白い。日本人には信長が最も人気が高いのだろうが、彼は一種の精神異常者であると断じた上で、人生の頂点で突然死ぬことで、後世に長く名を残すことになった。権力の座から去って長生きすると死にざまが醜くなるのは仕方がないそうだ。

この章が本書のハイライトなのでもう少し書く。信長から秀吉への権力の変遷は、通説では光秀のミスと秀吉のラッキーが重なったとされているが、著者はそこに疑問を呈している。秀吉の中国大返しは、史実を詳細に検証するとどう考えても光秀の謀叛を事前に予想していなければ成り立たないそうだ。以前読んだ本に光秀は家康に唆されたとされたともあったが、確かに偶然はそんなにうまいこと重なるものでもないだろう。古今東西の歴史的事実の陰には隠れた必然が存在しても当然だ。

他にこの章で取り上げている人物は、楠正成、ヒトラー、石川五右衛門ほか忠臣蔵の敵役や榎本武揚、何れも通説とは少し異なる角度から史実を炙り出して非常に興味深い。4.今昔はたご探訪と5.安土城でも、信長と光秀の確執が描かれたり、信長の異常な所業に触れているが、これ以上ここで触れるのは措くことにする。読後に最も感じたことは、人間の生きざまと死にざまについてであった。

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