2012年9月28日金曜日

自己目標 中期と長期の差

三つ子の魂とさえ言われるのに、この年齢になっての自己改造は不必要でもあり出来ないだろう。先が短くなると、ますます自己中心となり将来を考えるより過去を振り返る時間が長くなる。これまた当然で、ブログもますます退屈なものなるのをご容赦願いたい。まさか三つ子の頃からではないが、過去を振り返って思うのは「何をとっても中途半端だったなぁ」だ。

人の生涯年齢は個人差があるが100年生きる人は稀である。この短い年月に、人類の為にであったり個人的満足を得る為にであったり、それぞれ目的は異なるにせよ、一定の事を成し遂げる人は多い。少年にして大志を抱き、志を果たして別世界に旅立った人はさぞハッピーだろう。一方事の善悪や幸不幸は別として、大層な志も無く何となく毎日を過ごしているのは小生だけではないだろう。

若い時から生涯を貫く目標があるに越したことはないが、無いのも考えようでは気楽で善いものだ。では毎日が全く風のふくまま気の向くままかと言えばそんなことはない。小生でも毎日を生きていく上での精神的拠り所として一寸した目標は常に持っている。但しその目標は精々1年か長くても5年止まり程度でしかない。

何事も一つの事で人並みになるには最低10年は辛抱することが必要、とよく聞かされた。確かにその通りかもしれない。省みて思うに10年続いたことは一つも無いような気がする。強いて言えば、社会に出て最初に入った会社でサラリーマンを25年間辛抱した事くらいだろう。しかしこれとて普通の人は30年以上辛抱するのが当たり前だから、人並みに辛抱したとは言えない。

最近では、近くのプールに通い始めてそろそろ10年が近づいているようだ。お陰で、最初の頃は夢のようだったが、最近はクロールで1000mやっと泳げるようになった。細やかな満足感はあるが、だからなんだと言うのだ。自己実現だ達成感だと自慢出来るほどのことでもなさそうだ。
何をするにも辛抱とか努力が嫌いなたちである。

最近と言っても2004年の秋に思いついて始めた山登りも、この10月で9年目に入る。北アルプスに足を踏み入れたのが丸6年前の9月だから、こちらは7年目になる。飽きっぽい割にはよく続いた方だ。何でもそうだろうが、5年も似たような事をしていれば、そこそこになるものなのかもしれない。最近は山に行っても、同宿の人と一丁前に話を合わすことができるようになった。

プールに行くのも山に行くのも急にやめるつもりはないが、これらも又いつもように中途半端で脇に置く時期かもしれない。そろそろ何か他の楽しみを考えてみたいものだ。

2012年9月27日木曜日

たまには少しだけ昔のことを

お彼岸を過ぎてめっきり涼しくなった。つい先日までのあの残暑の厳しさが嘘のようでもある。来週には山から紅葉の便りも届き始めるだろう。少し前の苦しさを忘れさせてしまうこの季節の変化は日本の特徴であり、国民性にも少なからず影響を及ぼしているのではと思えてくる。このところ物忘れがひどいので、国民性にしておけば気が楽だ。

昨日と今日の間には境目も無く、そんなに変化を感じる筈も無いが、1週間、否3日でいい、後ろを振り返った時に遠い昔のように思える事が間々ある。世界中からネタを仕入れて垂れ流し続ける報道に日常接していると、頭の中は小川のせせらぎ状態で、透明な情報がただ流れているだけ。記憶とか思考とは何の関係も無くなってしまっているようだ。

昨日の自民党新総裁の誕生について多少の違和感を感じることがあっても、数年前の記憶を呼び起こして、今彼が喋っていることとの矛盾を手厳しく追及できないのもそのせいだろう。古い新聞は処分され読み返されることはないが、個人的にはこの日記を読み返すことがたまにある。昨年の9月27日を開いてみたら、小沢一郎秘書3人の1審判決が出た翌日だったらしい。

小生同様多くの人にとっては何世紀も前のことと同じだろう。偶々昨日は小沢氏検審裁判の2審が結審したとの報道がある。自民党総裁選の陰で扱いは小さいが、検察役弁護士が提出した証拠が全て裁判官に棄却されてしまったようだ。小沢氏側の弁護士は2審に控訴した意味が無いと怒っている。まさか意図的ではあるまいが、小沢氏側に有利と思われるこのニュースの扱いを小さくするにはもってこいの日だった。

兎に角マスコミによって操作されている「世の中」は確実に舞台が代わっているのだ。安倍氏の罪も過去のことなら小沢氏の正邪も過去のこと。今更喩え白であっても、彼の政治生命は正に覆水。盆に戻ることはない。時を同じくして福田元総理の引退も発表された。嘗ての部下のもとで「1兵卒として働く」なんて言わないのは偉いと思う。思えば福田氏は自民党の中ではかなりまともな政治家だったような気がする。

福田と小沢、あの時大連合が実現していれば、今日のような小学校の生徒会状態にはならなかったかもしれない。そんな事は言っても詮無いこと。せめて、民主党も生活も総理経験者は福田氏を見習ってバッジを外してもらいたい。少し昔のことを思い出して、今の世を嘆いてみたが、詮無きことだ。所詮舞台を去ったらそれまでのこと。役者が代わっていくのは歴史の必然、去りゆく者が文句を言ってはいけないのだろう。

2012年9月26日水曜日

「国難」

先日の民主党代表選挙を「まるで葬儀委員長を選ぶような」とテレビで表現した人がいた。選挙は結果を見て知っているだけで、開場の雰囲気は知らないが、結果から見て実にうまい表現だったと思う。逆に今日行われた自民党の総裁選挙は、後半の決選投票から実況中継で見てしまった。全国に何万人の党員がいるか知らないが、そんなにびっくりするような数ではあるまい。

数だけで言えば共産党員や公明党員の方が多くても不思議はない。念のため調べると、3年前のデータしかないが自民党員が100万人強、共産・公明が約40万人、民主党が30万人弱だった。痩せて枯れても組織力では自民党が圧倒している。今回の総裁選で有力候補だった石破氏がテレビ朝日の「やじ馬テレビ」に先週出演した際、女性弁護士のコメンテーターに「ところで自民党の目玉政策は何ですか?」と問われて「それが問題なんです。」
と言葉を濁したらしい。

政策的な内容が有ろうとなかろうと、又どのように揶揄されようと、民主党代表選と比較してこちらは華やかである。安倍新総裁の挨拶を聞いていると、神輿の宮出しを思わせるような勢いがある。裏でAKB48のプロデューサー秋元 康が演出振付けをしているかのようだ。日本が民主党と言うとんでもない集団に取り込まれるている。これが正に国難である。そこで日本を民主党の手から自民党に取り戻し、日本を救うのだそうだ。

極楽トンボ故に祖国が「国難」に直面している認識はとんと無い(強いて挙げれば311の震災被害と福島原発事故か)が、お祭りは派手な方が善いだろう。殆ど意味不明な「国難」を奉じてこれだけ野党の存在をアッピールした演出力には敬意を表する。マジな話、我が目で民主党と自民党を比較してみると、似たような「国難」が並んでいるようにしか見えない。次期総選挙の結果を見てからのことになるのだろうが、「救国」の結果がどのように表れてくるのか。

政策の違いを知らずして云々できないが、過度の期待はしてはいけないだろう。

2012年9月25日火曜日

昼酒に酔って

ブログ友達と会って珍しく昼からビールとワインを飲んだら少し酔ってしまったようだ。本質的にアルコールには弱いのかもしれない。違う職種で人生を過ごしてているが、同世代でもあり世の中の見方も似ている。互いに現代の政治には大いに不満であるが、自らどうにもできないやるせない思いも共通しているようだ。次の選挙がいつになるか分からないが、投票する人が居ないのも全く同じ。

我が家は共々連れ合いの名前を書くことになりそうだが、彼は飼い猫の名前でも書くことになりかねない。彼の希望のように、いっそ自公民合わせても過半数いかなければ面白いが、幾ら小党乱立とは言えそこまでひどい混乱にはならないだろう。世論調査における数字で、支持政党無しが全て自公民以外に投票すれば論理的には起こりうる話である。自民党が総理を出すことになるのだろうが、そこで世の中どうなるか、老人二人の掛け合いだ。

民主党は曲がりなりにもアメリカに少し抵抗する素振りがあったので、日米関係は多少改善されるかもしれない。となると、原子力政策ははなからゼロにはしないと言っているのだから問題無しだ。オスプレイ訓練への反対は当然できないだろう。結局日本のどこかで事故が発生して訓練が中止になるまで、訓練飛行が続くだろう。TPPは勿論参加することになるだろう。問題は日中や日露関係だが、ますます悪化すことになるだろう。

経済については、政治家なんぞに分かる話でない事は昨日書いたばかりで、政権が代わって良くなるくらいなら誰も苦労しない。無駄な公共事業が増えることが国家国民の為ではなく、特定の利権集団に恩を売るだけであるのは多くの人の認めるところだろう。結局何も変わらない、否、現状より更に混沌として悪くなるのでは。残念ながら酔っぱらっても、明るく景気の良い話にはなってこない。

第一まともな神経の持ち主は政治家になんかなりません。なるほど自民党総裁選の候補者全員が家業の後継者ばかりですね。大阪の橋下市長のもとに集まった維新の会の面々も、化けの皮が剥がれて選挙が来年になれば当選は10人台ではとの見立て。小生も維新の会については不純さを感じて不愉快なので、是非そうであってほしいと思う。

一見まともそうな人に見える官邸周辺に集まる反原発デモの参加者も、やはり少し変わっている人が多く、まともそうな人は少ないそうだ。こちらも昼日中から酒など喰らっておだを上げているのだから、あまり人のことを言えた義理ではない。そもそもアメリカの占領政策を彼らが思う通りに実現させてしまったのは我が世代である。考えると実に罪深きことだ。

2012年9月24日月曜日

読後感「日本経済の真相」高橋洋一著

「経済ニュース」は嘘をつくと副題がついている。今年の1月に出版されている。独特の編集で、とても経済の専門書とは言えない。素人向けに噛み砕いて書かれて読みやすく、経済音痴の自分にはとても役にたったと言える。3章22項目で構成されるが、1項目毎に先ず俗論が書かれ、その後に真相のタイトルが書かれている。

著者は冒頭に嘘か真か「私はもう15年以上、新聞をまともに読んでいない。その私が何故「日本経済の真相」を知っているのか?」と書いている。経済学者として、要約・省略されたニュース報道に頼らず、常にオリジナルデータを読みこなしている自負があるのかもしれない。例えば、政府の予算。正式な予算書は2千ページに及ぶものであるらしい。マスコミは役者が作る50ページほど(実物の3%)の書類をもとに記事を書く。

そこで書かれる記事は当然ながら役所にお誂え向きの俗論を生み出すことに繋がるそうだ。どれも面白いが、例えば「日本は財政赤字で破たん寸前」とか「復興財源の確保には増税もやむなし」と言った著者の出身母体である財務省が画策するデマを暴こうとする意図が明解である。第1章に著者が常に主張する円高対策、即ち貨幣供給量を増やせば問題の解決可能が力説強調されるが、この辺は学者によって諸説別れるだろうからどこまで信じられるか?

最終章は「2012年以降をどう生きるか」とあり、その中に「経済の知識を資産運用に生かせないかと考える人は多いが、それは難しい」著者自身が認めている。そして最後のあとがき的に「これから起こるだろう」と書き加えている。勇気ある発言と思うが、その第1が消費税増税法案で国会審議が行き詰まり野田内閣退陣、総選挙となっている。第2が「ユーロの崩壊」第3が「オバマの再選」第4が「日銀法改正が政治日程にのぼる」

相当頭がよくて、日本維新の会でも顧問的なポストにいる人のように記憶するが、こんな人でも僅か9か月前にはこんな予測をしていたわけだ。学者でさえこうなんだから、何も勉強していない政治家なんぞに経済の事を聞いても無理に決まっている。

2012年9月22日土曜日

秋分の日

「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったものだ。今朝は珍しくタオルケットを肩までかけて寝ていたし、昼間街を歩くと薄手のカーディガンを羽織った女性が大勢いた。朝食の時に婆さんが持ち出してきたのは来年のカレンダー、孫の為に生協で4文字熟語のものを注文してあったらしい。それがもう配達されたようだ。長い夏だったが日は確実に短くなってきている。これから一気に秋に向かって季節が移っていくことだろう。

今年はお盆も墓参をさぼってしまったが、今日もまた同じだ。先週は山にいたので2週間ぶりにプールに行くと妙に空いている。顔馴染みの爺さんが言うには「お彼岸のせいだと思うよ。」とのこと。宗教心薄い国民と言われるが、そんなことはない。仮に墓参りに行かず、家族連れでデパートやファミレスに行ったにしても、亡き人を一瞬でも思い浮かべたり話題にすれば、それも立派な供養だろう。

今日は夕食後のデザートにきっとおはぎが出ることだろう。それでお茶をすすりながら親父やお袋の思い出話をする事にしよう。

2012年9月21日金曜日

茶番と言われて怒る前に

民主党の新代表が予想通り野田氏と決まった。得票率が60%足らずなので、今後の党運営が大変らしい。間もなく自民党も新総裁が決まる。こっちは何故か谷垣前総裁があっさり立候補を取りやめてしまったが、それでも5人も候補者がいる。婆さんに言わせると「帯は勿論、襷にも短い人物ばかり」だそうだ。

思うに、日本は結構な国だ。国政を担うべき政治家連中は挙げて国事を投げ打ち、己と属する党派のことのみに血道上げて騒いでいる。マスコミはその騒ぎを連日取り上げているが、誰が党首になればどんな変化が生じるのか、
責任ある予測を聞いた験しがない。要は誰が党首になろうと党を構成するメンバーが変わる訳も無く、次の選挙で与党民主党は第一党の座を滑り落ちるのは既定路線。

代わりに自民党が第一党になるのも必然とされている。これとて政権運営と言う点では現政権と50歩100歩、一党で過半数を確保できないことが明らかだから、ひょっとすると現政権以上に混乱しかねない。国民の一人として感想を言えば、将来どういったところに連れて行かれるか、相変わらず不安を禁じ得ない。国家を乗り物に例えては失礼だが、乗り合わせているのが車であれ船であれ随分ぼろで、操縦士もナビも随分不慣れな奴ばかりといった感じだ。

小生のように年を取ってしまうと、先行き漠たる不安は感じつつも自ら現状を打破しようとの意欲に欠ける。毎日、今日と同じ程度の健康を明日もまたと只管祈るのみだ。若い人にも似たような諦観があるとすると問題かもしれない。しかし、政治家が国難だとか日本が沈没するとヒステリックに騒ぐのを聞いて、「まさにその通りだ。現状を打破しよう。」と奮い立つ若者がどのくらいいるだろうか?

勘違いしているかもしれないが、そんなに多くはないような気がする。日本はやはり裕福な国で、我々はそこでぬくぬくと暮らしているし、そこでから騒ぎしている政治家も認識の甘さは同じようなものではないだろうか。唐様で書く三代目みたいもので、本当の危機感を持ち合わせているようにはとても思えない。多くの先人が残してくれた遺産を食いつぶし、屋根にぺんぺん草が生えて訪れる人もいなくなる前になすべきことはなにか?

平たく言えば、政治家諸氏にはもっと常識的な人間になってもらいたい。選挙で選ばれた事で特殊な人間と勘違いしていないだろうか?20数年前のバブル時代がいい時代だった、あの夢をもう一度なんて言わずに、今現実にある資源(人・物・金・情報)の有効活用について論理的に話せる政治家はいないものか。

2012年9月20日木曜日

浮き世か憂き世

暫し浮世を離れていたので、未だに新聞やテレビをまともに見る気がしない。ちらっと見ても1週間くらいでは世の中何も変わっていないじゃないか。しかし身近なところでは留守の間に大分大きな変化があった。帰宅して聞くと婆さんの従妹のご亭主と、昔ご近所に居て子供同士が小中学校時代仲良しであったことから親しかった友人が立て続けに亡くなったそうだ。

従って折角亭主が留守にしてくれたので、久しぶりにのんびりと思った当てが全く外れてしまったとのこと。葬儀は1軒が青梅でもう1軒が町田の外れ、何れも親しい人だったので通夜と葬儀の両方に参列しなければならなかった。婆さんにとってもまるでトレッキングをしていたようなものだったらしい。普段履いたことのないヒールで歩くのも大変だが、ずっと腰かけているのも苦痛なんだそうだ。何と言っても我が家は旧式で椅子と言うものが無い。

特に1軒が神道だった様で、この通夜や葬儀の様子を聞くと不謹慎だが面白い。何でも祝詞(葬儀でもこんな言葉が当たるのかな?)の度に立ったり座ったりさせられるのが大変だったとのこと。それに通夜の演出らしいが、一斉に灯りを消す瞬間があったらしい。その中で神主さんが例の調子で「畏み畏み~~」とおどろおどろしくやったものだから従妹の孫たちが「お化け~」と怯えてしまって、笑う訳にもいかず苦労したそうだ。

亡くなった二人は何れも我々より年下、世の中そう簡単に変わりはしないと、安閑としていてもいつ自分の番になっても不思議はない。どうしても身近な話題に感じてしまう。葬儀は面倒かもしれないが、神道は戒名が不要なので、その分経費が助かりそうだとか、町田の斎場は市営で焼き場が施設内にあるので合理的な上に費用も安いらしいなんて話で盛り上がる昨今である。

2012年9月18日火曜日

飛騨、信州をまたいで越中へ


1週間近く出掛けていたが、帰ると東京はまだ残暑が続いている。でも流石に昨夜は山旅の疲れでゆっくり休むことができた。暫くニュースも気にせずにいたが、こちらも残暑と同じ相変わらずの構図で下らないと思うばかりだ。
今回は当初5泊6日の計画を立てて山に入ったが、歩き始めて「無理は禁物、ゴミと命は山に捨てないように」を噛みしめて4泊5日山旅+富山で一泊骨休めに変更した。

それでも初めてのロングコースで、頑張り切れるか心配が無いわけでもなかったが、お天気も身体も思いのほか快調で素晴らしい思い出づくりとなった。山旅の詳細は下記URL「ヤマレコ」をご覧いただきたいが、下山後に立ち寄った富山市郊外のスーパー銭湯「満点の湯」と新富町の和風居酒屋「季の香」(東横イン宝町のすぐそば)の双方とも大当たりで、富山で安くて旨い酒と肴を食って旅の最後を締めくくることになった。

http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-225448.html

2012年9月11日火曜日

俗世の混迷はいつまで続くか

明日から6日間山に行くことにしたのでブログも暫くお休みにする。英気を
養って、来週から気分を一新して書けることを期待したい。とは言っても日
本の現状は酷過ぎる。週が明けても、国政が停滞する中でメディアは政界
の混乱が一層深まっていることを芸能ニュース張りに報じているに違いない。
今日もNPOの仲間と話をした。政界がこうまで混乱すると官僚天国かと思
ういきや、官僚も意欲を失くし真面目に仕事をしなくなるのだそうだ。

確かにそうかもしれない。少数であれ思いを共有して評価してくれる人が居
ればまだしも、上に立つ政治家は誰一人国を思うことなく独りよがりの勝手
を言っている上に、メディアも何かにつけ官僚叩きをして喜んでいる現代は、
優秀な人材が去り、また優秀な若い人も入ってこないのが理の当然。劣化し
ているのは政治家だけではないらしい。

与党民主党の代表選に躍り出た4人さん、現役の総理は己の来し方から将
来を見据えた意見を述べるのは当然だろうが、後の3人は党のありようをほ
ぼ全否定している。我こそはその間違いを修復して党の再建を図ると述べて
いる。法律でも何でもない3党合意なるものは一体どうなるのか?ひょっとす
ると消費税率引き上げまでチャラになってもおかしくない。

一方の自民党総裁と言えば、つい最近までは絶大な権力を持つ人の代表の
ような存在であった。これを3年も務めた人が数人の派閥長老によって、簡単
に総裁選から引き摺り下ろされてしまう。そして同じ執行部から幹事長職に
あった人がその隠居に押されて立候補する。3党合意をしながら、それを否
定する総理大臣の問責に賛成した谷垣総裁の分かり難さどっちがどうか。

メディアはそのすべてを断片的に面白おかしく報道するのみ。何度も言うよ
うだがAKB48の総選挙と同じこと。そこからは当面、中、長期を見据え
た国の方向性に関する問題意識、解決のための手順と方策が解説されるこ
とは先ず無い。あるのは全てスローガンとキャッチフレーズのみ。主義も主張
も全てに論理性は一切無くて、ある意味パチンコ屋の宣伝(このタレントや
キャラクターがパチンコとどういう関連があるか、不思議思う事がありませ
んか)と同じにしか思えない。

メディアの悪口を書いているつもりが、維新の会の悪口に取られそうだが、
どちらにしても同じこと。1年半前の大災害以来我が国の混乱を見ていると、
どうしても全てのことで「絆」がズタズタになってしまっていることに気付
く。そのくせメディアにはこの一文字が踊ることが多いので益々うんざりで
ある。政界の混乱なんぞ「覆水盆に返らず」とか「破れ鍋に綴蓋」の格言が
ぴったりだろう。

2012年9月10日月曜日

今週の予定

毎朝5時半から6時ちょっと前までに目覚めて、布団の中からテレビ朝日を見ることが何となく習慣となっている。特段の理由もないのだが、5時50分から10分間コンパクトなニュースがあるので便利でもある。その直前には星座別のその日の運勢がある。こんなものを気にしてはいけないと思いつつも、気になる日もある。

今朝は珍しく目覚めが遅くて、テレビのスイッチを入れたら丁度6時になっていた。土曜日少し夜更かし(ネット囲碁で熱くなり就寝が0時近くになっていた)をしたつけが回ったみたいだ。7時間半睡眠を取るとさすがに起き抜けが爽やかだ。暑さでだらけていた身体がしゃんとなって軽い感じがする。
朝食をしながらそんな話をしていると、「今度の3連休はどうするの?14日に娘の誕生日を母が祝ってくれるので、私は実家に行かなければなりません。」

言われて「もうそんな季節か、今日は調子もいいので山行きの計画でも立てるか。」と答えると、婆さん「今日調子いいって変ね、今日の占いは牡羊座が最低よ。」折角遅く起きたので見ないで済んだのに、言わなくてもいいこと言ってくれる。でもすぐに、朝から山に持っていく食糧や、装備の必要なものについて早速いろいろ質問しながら準備に取りかかている。

今日は月曜日でもあり、最近関わり始めたNPO関連の仕事も結構あるので、明日から出かける訳にはいきそうにない。夕方NPOの仲間に今週後半休むことを宣言したので、事務所に帰って早速計画を練り始めたところだ。明日の午後から少し暇ができそうなので、明日一杯で計画を立てて、明後日には出掛ける予定。目指すは憧れの黒部源流方面。今日は1万2千歩以上歩きまわったが、不思議に足が軽い。あとは台風が来ない事を祈るのみだ。

2012年9月9日日曜日

お国自慢の花火

この週末はわが町の氏神様長崎神社の秋祭りである。夏の終わりというか秋を感じさせる時期の設定なので雨が降る年が多いが、今年は昨日の朝少し降っただけで真夏の暑さが続いている。葭簀張りの仮設寄合所がすぐ近くにあるので、神輿や太鼓が並んでいる。朝から浴衣がけのお年寄りが屯して、子供たちが太鼓を鳴らして遊んでいる。

昨日の夕方には神輿を見物、若い衆が汗びっしょりになってワッショイワッショイと威勢よくやっていた。家には新しいお札と紅白のお饅頭が配られていた。長年サラリーマン生活を言い訳にして町内のことは全て婆さん任せなので申し訳ないが、こういった行事で近隣が纏まるのは日本の善い風俗だし、本当はもっと積極的に参加すべきなんだろう。

我が町内の祭りは縁が無いが、祭りと言えば花火を思い出す人も多いだろう。故郷の長野では11月の末にえびす講の祭りがあって、この時冬の夜空に打ち上げられる花火が懐かしい。一昨日高校の同窓会で花火まつわる面白い話を聞いた。高校の同窓会は年に3回開催され、毎回卒業生の誰かが講演をしてくれる。今回は7期後輩で東大工学部の燃料工学科を卒業された先生が話をしてくれた。

東大の教授はもう定年になっているらしいが、現在でもJAXAなんかで後輩の指導に当たっておられるようだ。小惑星探査機「はやぶさ」帰還の裏話でも聞けるかと思いきや、何と話の殆どが花火の話。ところがこれが結構面白かった。花火大会のテレビ中継を見ていると、これは良いとかいまいちだとか専門家の解説がある。この判断基準がよく分からず、主観的審美感によるものとばかり思っていた。

ところがそうではないらしい。講師の先生は花火業界の偉いさんも兼ねていて、審査員になる機会が多いとのこと。審査には科学的に厳密な基準があるらしい。故郷裾花川の河原には花火工場があった記憶があるし、新諏訪の友人からは秋祭りが近づくと、畑で花火の仕込みをした話を聞いたものだ。兎に角花火師は、紺の法被に腹掛けと手拭いを頭に巻いている小父さんとの印象で、東大の先生とはイメージが結び付きにくい。

しかし日本の花火師はそれこそ世界に冠たる存在で、その東大の先生ですら一目も二目も置いて尊敬するものがあるらしい。日本の打ち上げ花火は球形をしているのが特徴で、外国は全て円筒形とのこと。この球を円筒形のに入れ、下に爆薬を置いて打ち上げるのだが、尺玉になると330メートル位の高さにまで上がるそうだ。

その頂点に達した時に爆発しないと、本当の円にはならないので、導火線の長さを調整する必要があるらしい。現代では打ち上げなんかはパソコンを使ってリモートで操作をすることになってきているようだが、花火の制作、特に花火に埋め込む導火線の長さと打ち上げ火薬の量については、やはり長年の経験がものを言うらしい。他にもいろいろびっくりするような話の中で、印象深かったのは、スーパーコンピュータと経験の差についいてだ。

日本はコンピュータ先進国でもあり、最近はロケットの打ち上げやスバルの帰還でも世界的評価を受けている。事実講師もスパコン「京」のお世話には随分なっているが、線香花火の現象一つとっても、これで解析できないことが未だまだ随分あるとのこと。因みに長野花火師(会社)は日本に鳴り響いているとのこと。お国自慢は聞いていて楽しいものだ。

2012年9月7日金曜日

婆さんは子や孫どもに「夢なんか寝てみるものだ。普段は夢なんか追ってはいけません。」と何かにつけ言っているらしい。夢の無い話だが、特に優れた才能も無いのに現実離れした事を考えさせないのも一つの考え方だろう。夢を追わなきゃ性格が暗くなると言うものでもなさそうだ。お陰で子も孫も明るい性格?否、能天気なのかもしれない。小生もどちらかと言えば楽観主義で、夢も追わない代わりに将来について余り深く考えない。

何度も書いているが「なるようになる、食うに困っても死にはしない。明日の百円より今日の十円が大切。」で70有余年を過ごしてきた。若い時は気ままと言うか我儘と言いうべきか、会社を何度も変わったりしたが、無事年金の未納も無く年金生活に入ることができた。最近は月々の収入が年金だけなので、さすがに少し寂しさを感じる。しかしこの期に及ぶとしたい事、食いたい物、買いたい物が殆ど無いのも事実。

したいのは山歩きと友人たちとの集まりに顔を出すこと。これには少しお金が必要だが、山歩きはお金があっても体力の都合やお天気の都合で、そう頻繁にできるものではない。友人との集まりにしても、学生時代の同期会は高くても1万円止まり。1年に5回は無いだろう。個人的な会食は月に一度あればいい方で、その殆ど昼食のまあ3千円がいいところかもしれない。今年度の初め婆さんに「月額約20万円ほどの年金だから、これからは半分ずつにして使おうぜ。」

彼女あまり良い顔しなかった。考えて見りゃ家の掛かり一切とこちらの朝夕の食事代を含めて10万円で、原則昼飯だけのこちらが少し少ないとはいえほぼ同額では不公平かもしれない。もう半年経つが、年金を全額家に入れることも考えなくてはなるまい。そうすると、こちらは手元にある僅かな貯えを日々取り崩して余生を送ることになる。確かに間もなくこの世にお暇する人間が、僅かとはいえ預貯金が残っていても仕方がない。

そんな事を考えていたせいか、昨夜夢を見てしまった。何と自分の葬式に自分が参列しているのだから何とも不思議だ。夢なんか滅多に見ないように思うし、見ても記憶に残る事は先ず無いが、余りに変な夢なんで未だに記憶が残っている。これって何だろう?

2012年9月5日水曜日

無責任放談

やっと朝晩は少し凌げる気候になってきた。子供たちの夏休みも終わったので街も少しは空いてきている。昨日は久しぶりでブログ仲間のご同輩と池袋で昼飯を共にしながらゆっくりしたひと時を過ごした。暇な爺さん二人が昼間からビールを飲みながらおだを上げているのだから、内容が些か無責任になるのは仕方がない。話題の中心はやはり政治が中心だった。会期を残して休業状態になった国会は議員が理由も無くストライキを打っているのに等しい。

お陰で国は予算を執行するお金が出来ないらしいね?折角の機会だから放っておきましょうよ。金が無くて苦労するのは我々だって同じじゃないですか。
お金が無きゃ使わなきゃいいんだから。政党助成金なんかは勿論、歳費も何もかも支払いはストップだね。国家公務員の給料も支払えないなら払わなきゃいい。嫌になって辞める人間が出るだろうから、自然にリストラが出来るじゃないですか。

地方交付税?国から金が来ないとなれば自治体首長の腕の見せ所、独自に税金を取る事を考えるとか、好きにやらせりゃ善いでしょう。いっそ年末までこのままの状態に置いて、何がどうなるかを見てみたいのですよ。政治家の存在なんて意味があるのかないのか、さっぱり分からなくなっているのが偽らざるところでもある。その連中が本業をすっぽらかして代表選だ、やれ総裁選だと騒ぎはじめていますね。

名前の挙がってくる連中を見てると、まるでどこかの中学校の生徒会長選挙にしか見えないね。私は小泉進次郎も立候補すればいいといつも言っている。それだけこの数年で与野党共に政治家の質が劣化したということか。きっかけはどう考えても小泉純一郎で、彼が安倍晋三を指名してから日本の政治が急速な質的劣化が始まった。森とか古賀あたりが数少ない政治家に見えてくるからおかしなものだ。

言いたい放題の馬鹿話(上記の文責全て私)の結果、「小沢一郎に一度総理をやらせたかった」で意見の一致を見た。帰宅してこの話をすると、我が家の婆さんが一風変わったお人で「私も同意見よ。」との事で大いに盛り上がる。「但し、女性(おばさん)の間では極少数派であることは間違いない。
圧倒的に人気が無いのは理由がはっきりしている。先ず顔がよくない。次に珍しいほど喋り方が下手くそ。内容はあってもあれでは通用しない。」

「それに、普通の政治家はカメラの前で森羅万象知らざること無しで、1知っている事を5にも6にも膨らまして喋るが、彼の場合10知っていても1か2ぐらいしか喋らない。馬鹿を相手にしないと言う態度が見え見えに過ぎる。」確かに仰る通りだ。「そう言えば、中国の次期国家主席と言われる習近平は、昔小沢一郎の家に1か月近く滞在していたことがあると聞いたよ。」と話すと婆さんも初耳だったらしい。

2012年9月3日月曜日

国会議員のお仕事

国会は会期を1週間以上残してお休み状態になっている。報道は自民党総裁選への立候補者を追い回している。国民との約束を果たさなかった与党民主党の揚げ足を取って、仕事をさせないで選挙を実施することが国益らしい。この主張にマスメディア全体が乗っかっているようなものだ。週刊誌どこかが、少し前にAKB48の前田敦子の引退をNHK夜9時のニュースが取り上げたことを非難する記事を書いていたように思う。

気持ちは分からないでもないが、所詮テレビなんてその程度のものと思うしかないのだろう。自民党総裁選挙絡みでも「国益」はしょっちゅう使用される。国益とはなんだろう?同じように考える人は少ないかもしらないが、訳の分からない国益なんかより、俺の生活がよくなる様にしてほしい。どうもまた非国民呼ばわりされそうだが、本音である。

昨日のテレビ「時事放談」で民主党の長老藤井裕久氏が「赤字国債発行法案」が店晒しで国会が休業状態に入ったことに関連して、「政党助成金を止めるべき」と当たり前のことを言っていた。こういう事態になると決まったようにメディアに対して、議員歳費のカットとか聞こえの良い事を言う議員が続出するが、そういった事が実現した試しも無い。テレビ出演出来る議員の全てがパフォーマンス、見せ掛けだけである。

テレビ出演の声が掛からない議員は、多分国元に帰って必死に仕事をさぼっている言い訳に歩いているのだろう。どいつもこいつも2度と国会に戻って来るなと言いたくなる。一方全くのど素人が大挙国会を占拠するのも考えものだ。橋下徹大阪市長の呼び掛けに応じた素人衆が如何程国会に登場するのか。横山ノックさんが知事になる土地柄だから、関西では結構な人数になりそうとの声もある。

こうなると、本当にどうでもいいから行くところまで行ってみろとやけっぱちな気分だ。自民党総裁選もAKB48の総選挙も同じこと。文春の総理なってほしい国会議員では小泉新次郎が一番人気なんだから立候補しろよ。民主党代表戦も負けずに大勢立候補して、テレビや新聞雑誌にネタを大量に提供するがいい。少なくとも小学校の学芸会を楽しむような気分にさせてくれるだろう。今月の数週間、娯楽の提供が国会議員最大のお仕事になるだろう。

その騒ぎの後に来るものは何か、想像すらできないが、何も期待しないのが無難かもしれぬ。