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慶賀の至り

躁鬱症の気があるかもしれぬが昨日は何となく気が重すぎた。ところが今日は妙にすっきりしている。理由が二つあると思う。一つは北海道で行方不明になった子供のこと。真実は分からないが、父親が殺してどこかに埋めたと思うことに頭を切り替えたのだ。親殺しと子殺しは他人には分からない身内の問題だから、社会問題ではない。早く忘れろ!である。

二つ目が政治の問題。安倍総理の態度がやっと正式になった。同時に甘利元大臣の疑惑問題もほぼ決着が付いたような報道があったり、北朝鮮がミサイル発射準備に入ったので自衛隊が不測の事態に備えて迎撃態勢を取ったとのこと。何か一昨日までもやもやしていたしていた気分に、一陣の爽やかな空気が流れ込んだような気分に例えたくなる。少なくとも公明党をを含む与党の対応は、終いには笑い出したいくらいの分かり易さだ。

消費税増税の先送りは、小生のような凡俗にとっては有り難い話であることは間違いない。この気分的効果で景気も良くなって、株も上がれば税収も増えるのだそうだ。伊勢志摩サミットで内閣支持率を上げた安倍政権の支持率は更に高くなる。麻生財務相や谷垣幹事長が主張した「公約違反だから国民の信を問うべき」については、参議院選挙で投票するのは衆議院選挙で投票するのと同じ人だから十分国民に信を問うたことになる。

衆議院選挙は景気が少し良くなったところで別に考えるとなれば、今のうちに甘利君を救い出しておいてあげよう。司法記者は清原問題でも餌に引き付けておけば追及は幾分和らぐだろう。オバマ大統領の岩国演説に自衛隊幹部が多数同席した問題やら何やらで、自衛隊の実質指揮官がアメリカ軍であることが徐々に明らかになりつつあるが、これも自衛隊の活躍を国民の目に焼き付けうる努力さえしていれば、何れ忘れてもらえることだ。

こうまで分かり易く整理してもらうと、参議院選挙も与党圧勝で「目出度し、目出度し」か。この平和な日本国に生きていること感謝せずには相済まぬかな。

気が重い

北海道標高千メートルを超す山中に、親に置き去りにされた小学2年生のことが報じられている。山中で道に迷い怖い思いをした経験があるので、置き去りにされた子供のことを思うと、言葉も無いないほど気が重い。いろんなタイプの人間がいるとは思うが、どうしても理解できぬ人もいるものだ。相当な人数で捜査がされているようだが、5月30日17時少し前でも発見に至ってなさそうだ。こんな時こそお犬様に活躍してほしいものだ。

国会会期末を目前にした総理の消費税増税再見送り方針をめぐり、与党内で意見が割れて少し混乱しているようだ。これも見せかけのことで、官邸の1強でなく、民主的党運営のジェスチュアかもしれぬ。「もうどうでもいいから、好きにやってくれ。」としか言いようがない。

スピーチ

アメリカのオバマ大統領の広島スピーチに聞いて上手いことを言うなと感心した。内容的には毀誉褒貶あるのだろうが、「言ってほしいことが盛り込まれていない」との批判はあっても「余計なことを言うな」と突っ込まれないように構成されている。演説の間の取り方は天下一品だろう。冒頭から「昨年私はアメリカ議会で日本国総理大臣としてスピーチをしました。」と比較して論評しては申し訳ない。

17分あったそうだが、印象に残ったのは「やがて被爆体験を語る者がいなくなるだろう」の一言だけである。大東亜戦争はこの年に終わった訳であるが、それが始まったのは1941年、76年前のこと。その前触れであった満州事変は1931年から始まっているから、この開戦体験を語ることが出来る人は殆ど生存していないだろう。ましてやその遠因となっている日清戦争のことなどについては、聞きたくとも実体験で語る人は一人もいないだろう。

オバマ氏のことを持ち上げたくはないが、歴史の重要さに言及したことだけは褒めなくてはならぬだろう。彼も人の子、新任当時核について少々格好いいことを言ってしまったので、内心忸怩たる思いがあるに違いない。後世に於いて何と言われるかについて、かなり気にしていることが伺える。引き換えて、総理のスピーチではない、総理のふるまい全般である。彼の辞書には「恥ずかしい」と言う言葉は見つからないようだ。

両者ともスピーチの原稿は、最初取り巻きが書くのだろう。官邸スタッフのご粗末さが情けなると同時に、読み上げるご本人の志の低さ、ご粗末さが舛添都知事と同じレベルであることには改めて驚きを禁じ得なかった。

政も祭も終わりか

この週末3日間、日本国民は政府演出による見事なショーに酔いしれていたかのようだ。アメリカ大統領を主演に引っ張り出してのショーであれば、耳目は集中するだろうし、観劇者は拍手もするだろう。大変お金もかかった大興業であったと思うが、そのことによってこの国の抱える問題の幾つが解決に向かうのだろうか?問題点は何一つ解決に向かわず、先送りになっているだけのことだ。

何故かオバマ大統領一人が妙に日本政府に協力的だったが、彼も国内にあってレイムダック化している立場をそれだけ意識しているのだろう。平たく言えば「TPP の批准でしっかり借りは返してもらうぜ」と言ったところだろう。他の首脳がどんなことをしたか?カナダの首相夫妻が日本の休暇を楽しんだ様子が多く報道されたが、国連事務総長なんか何しに来たのだろうか。何れにせよ、オバマ氏以外は会議終了と同時に鼻白む思いで帰国してしまったようだ。

いくら美味い料理のご接待に与ろうと、会して議することの意味を弁えない議長国の手前勝手に付き合わされたのでは気分が悪かろう。政府側からすれば他国でどんなに恥をさらそうと、現政権の経済政策が些かの反論があったにしても、一応サミットの場で承認されたということになれば国内的には大成功と見ているに違いない。既に国会も終了してしまっているし、あとは7月の国政選挙を乗り切れば、当分はしらばっくれた顔でいられると思っているのだろう。

消費税をこの先2年据え置くだけで日本の何かが変わるのだろうか?未来のことについては、基本的に天気予報以外は何も考えないことにしているので、どうなろうと構わない。しかし目前に存在する様々な問題、例えば日本の税金を逃れてタックスヘイブンに流れている資金への追求とか、オリンピックの裏金問題とか、政治家の不正や公私混同問題等。追及の手を緩めてはいけない問題が、祭りの陰で庶民の記憶から忘れ去られていくことになるのが残念だ。

選挙とマスコミ対策

先週の日曜朝のTBSテレビ番組「時事放談」にゲスト出演していた藤井裕久氏が、その数日前に国会で行われた党首討論における民進党岡田代表の消費税増税を延期すべきとの発言について「選挙目当ての発言です」と切って捨てた。藤井氏は知っての通り大蔵官僚から政界入りをして、自民党・自由党を経て民主党では財務相就任までいった現在の野党側では顧問格のベテランである。数年前に議員バッジは外したが、時事放談には屡出演していた。

一時体調不良だったようで心配したこともあるが、東大出身で高校時代から甲子園出場の野球選手だったそうで、語り口が歯切れよくて、彼のコメントはいつも好感を持って聞いていた。スタンスは概ね野党寄りだったので、この岡田氏批判には少し驚いたが、考えてみれば財政規律重視の姿勢で筋を通したことには、財政規律重視の善悪は別にして敬意を表してもいいだろう。

今週でG7のお祭り騒ぎも終わり、来月に入ると7月の選挙に向かって世の中は新たに騒然としてくる。マスコミに世界では、安倍総理はサミットも成功を収めたし、増税延期を野党党首に先に言わせたのは上手い戦略だったとする人もいる。一方では、サミットでは安倍総理は他の6首脳の意見を纏めることが出来ず、日本の経済政策の失敗を曝け出してしまったとする人もいる。どちらが正しいかは判断しかねるが、衆参同時選挙となれば、総理側の戦略が功を奏したとみるべきかもしれぬ。

ただ思うのはいつもながらではあるが、マスコミが総体的に政権の掌に乗せられていることだ。G7に関する報道は完全に安倍政権のショータイムと化してケチをつける者は皆無に等しい。その影響もあるだろうが、ネット上ですら、このばか騒ぎに疑問を呈する人が少ないのは残念だ。次の国政選挙がどんな形になるにせよ再来月に迫っていることだけははっきりしている。にも拘らず、何が争点になるのかが見えてこない。

少なくとも、一昨年暮れの総選挙における与党側の公約が嘘になったことについて、もはやマスコミが弾劾する姿勢は全く見られない。藤井氏は民進党岡田党首を選挙目当てと切り捨てたが、選挙に勝つために共産党の志位氏や生活の小沢氏と協調することや消費増税先送りを先に言い出したことを否定はしない。しかし、民進党には野党第1党として政権奪取に向けた骨太の戦略が無いようにしか見えぬは何故か。マスコミ出身者が多い当事者は、まさか小…

訳が分からぬことばかり

連日電波や活字によって世界中からもたらされる情報によって、自分の考えが目まぐるしく変わっている可能性は無いだろうか。意識の浅いところがかき回されて、多少考えが変わることにどんな意味があるのか?電波や活字が未発達だった昔の人の暮らしが羨ましい気になってくる。ましてや古希をはるかに過ぎた老人である。普通に考えれば今更将来の夢や希望があろう筈もない。強いて言っても、明日もまた平穏安泰でありたいことに留まるべきだ。それなのに阿保なことを自ら好んで発信しているのだから馬鹿げた話ではないか。てな自己嫌悪に陥りつつも、悪い癖がなかなか止まないは困ったことだ。

徳川時代の日本は封建制の世の中で、身分は固定化され女性蔑視とか、子捨て子殺しに人身売買の横行とか次男以下には不公平とか、マイナス面は枚挙に暇が無いようにも思える。しかし一方で「平穏無事」が社会で最も重要視されていた価値観であったことと、あらゆる階層に於いて家、今流にいえば誰もが家庭と言うものを最重要視し、子供が宝として扱われたこと思うと些か羨ましい気もする。

引き換え現代は何故かよく理解はできぬが、平穏とか安寧とは程遠く、始終世の中が混乱している。そのためだろうが、言語が全く異なる国の首脳同士が年中打ち合わせをしなければならないようにも報じられる。何のためかと言えば、世界の経済発展のためだそうだ。小生も経済なる単語を訳が分からぬまま屡使用するが、世界経済がよしんば日本の経済であったとしても、経済発展や経済の向上が我が家の暮らしとどのように結びつくのか全く分からない。よく聞く話だが、日本は企業収益は過去最大、失業率は過去最低、しかも労働者の所得は毎年向上しているとのこと。

その上に来年4月から予定されていた消費税増税を先送りするとの話まで伝わってくる。ならばサミットなる会議で何を話し合うというのか?「日本は経済的には何もかも順調ですのでこれ以上何もしません。それぞれのお国にはそれなりの事情がおありでしょうから差し出がましいことも申しません。取り敢えずは皆で伊勢の美味いものでも食って、アメリカ大統領の卒業旅行を温かく祝ってあげようではありませんか。」とでも言ってみたら善いだろうに。

「直言」

昨日アメリカ大統領選民主党候補者としてヒラリー・クリントン氏を相手に健闘しているバニー・サンダーズ氏の演説を数件聴いて、尤もなことだと感心したので、今日そのことを書きたかったのだがテーマを変えることにした。理由は今朝の朝日新聞に、故郷長野選出の参議院議員北澤俊美氏のことが書かれていたからである。正直なところ氏については民主党が政権を取るまで知らなかった。長野市内から少し離れた屋代(昔の感覚からすると少し田舎)の出身であり、同年代ではあるが高校も違っていたせいもあろう。

何故気が変わったかについてである。これも昨日のことになるが、図書館で幕末から明治維新関係の本を2冊ほど読みながら思ったことがあった。先ず第一は言い古されたことではあるが、歴史は書き記されて残されたことだけが歴史となり、事実とはかなり異なってくる場合が多いこと。更に近年、特に戦後に至ると、これに小説や映画・テレビの発達が輪をかけてきたことである。その影響をもろに受けた者の一人として、昨日は司馬遼太郎史観の見直しを考えていた。読書から受けた印象を読後感としてではなく、北澤氏の国会質問と併せて書いておきたい。

「翔ぶが如く」や「龍馬がゆく」等で明治維新を理解していた心算なっていたので、どうしても西郷隆盛や坂本龍馬がやたら美化されて頭に刷り込まれている。が果たしてそれでいいのかとの疑問が大いに沸いてきているのだ。江藤新平なんかを読んだせいもあるだろう。昨日読んだ本は、歴史からすっかり消し去られている幕末の信濃は須坂藩主堀直虎関係のもの2冊であった。前に少し触れたことがあったが、堀直虎は1万石の小藩主でありながら、幕末にはその才能を認められて若年寄に抜てき、更に外国総奉行と言う重責にあたった。

この地位は、今や小説等で明治維新の立役者仕立てられている軍艦奉行勝海舟の上司にあたる。wikiで確認できる直虎は、慶応4年大阪から逃げ帰った将軍徳川慶喜に直言して、その日に江戸城内で自決したこと、勝海舟がそのことについて「堀直虎は乱心して自害した」と手記に書いていることが記されている。これがどうも大嘘らしい。明治維新は後に官軍とされた側、賊に回った側にせよ、
何れの側にも複雑な事情(攘夷一本の官軍が政権奪取した途端に開国にまわったように)があったろうが、現在は実に単純化されてしまっている。

例えば薩長と並んで四公会議に…

時代の流れか

数日前のテレビで、イギリスとフィンランドから来た先生が参観しているどこかの幼稚園のことを放送していた。外国から来た先生も最後の音楽の授業で一応納得する形はとってはいたもののである。この幼稚園ではお授業らしき時間に論語の素読や百人一首の丸暗記を取り込んでいるのを見て、少し首をかしげていた。幼時からの教育については勿論賛否はあろう。インドでは算数なんかを相当幼いころから教育するのが一般的なことらしい。

これがインドの科学技術発展の基礎になっているとすれば、日本の幼稚園で論語の素読をさせるのも、品格ある日本人を育てる意味においてあながち非難すべきではない。江戸時代の武士家庭の教育法を取り込んでいるのと同じだから、それはそれでいいだろう。そう言えば我が孫の一人はクリスチャンのかなり厳しいお婆さんが経営する幼稚園に通っていたが、残念ながら未だにその成果を目にすることは無いような気もする。

思うに幼稚園には文科省による学習指導要領みたいものがあるのかどうか、それぞれ個性的な教育法がとられているのは結構なことだ。しかし、先日発表になった文科省の方針「文部科学省は19日、小学校でのプログラミング教育の必修化を検討すると発表した。2020年度からの新学習指導要領に教える内容を盛り込む方向で議論する。技術の進化が飛躍的に進む中、コンピューターを制御する能力の育成が重要と判断した。」には少し驚きを禁じ得ない。

インドの幼児教育を耳にすると発想が分からなくもないが、小学生の英語教育にさえ疑問を感じているところである。国家がバカばっかりでも少し困るかもしれぬが、英語が喋れたりプログラミングが出来る子供が増えることが賢い国民の増加につながるのだろうか?因みにすでにご承知と思うが、舛添都知事は東大ご出身で高校時代から秀才の誉れが高かったそうである。もちろん現在も頭脳明晰だから、法律や金銭についても細かい点まで配慮が行き届き、自らの行動についてルールに違反してないとの確信があるようだ。

若い時分から勉強嫌いだったので、年を取って世の動きについていけない不自由があるのも事実ではある。何度か書いているが、昨今のテレビコマーシャルの相当部分は意味がよく分からない。昔から推理小説が好きだったのに最近のニュース「全国17都府県にあるコンビニの現金自動預払機約1400台で今月15日、偽造クレジットカードとみ…

ブッシュ前大統領訪日の目的

先週金曜日に高校同窓会で、態々大阪から来てくれた卒業生の講演を聞いた。阪大出身の再生医療を専門とする後輩である。講演内容が些か専門的だったので大半は理解できなかったが、再生医療分野で日本は外国に比べて特に後れを取っていないとのことは理解できた。更にもう一点、以前から聞きかじりで心配していたことについてである。こっちについてもそう心配するほどのことは無いと聞いて、オヤッと思った。

大分前になるが、ノーベル賞受賞後山中伸弥教授の研究拠点が日米双方に在ることに関しての事だ。先進医療技術の応用に関しては圧倒的に米国が進んでいて、教授のラボの周辺には、あっという間に利用のための企業が立ち並び、教授の研究もはかどるが、応用技術の開発ではアメリカがどうしても優位にならざるを得ない。てなことをが記憶にあって、いくら頭の良い集団が日本で誕生しても、それを富に置き換えることについてはどうも日本は下手らしいと思っていた。

しかし講師の後輩の言では、主に特許の問題と関わってくるようだが、こちらに関しても知恵が随分ついてきているので、アメリカに簡単に負けないようなことだったので少しホッとしたばかりだった。何れにせよ、TPPでも大分問題になっているようだが、医薬品産業アメリカで最大の産業であることは間違いないらしい。日本では武田薬品の社長が経団連かなにか財界トップとして数えられるが、アメリカの製薬業界は自動車を上回るほどの産業規模と政治力があるそうだ。

日本でTPP反対と言うと、どうしてもお百姓さん代表のように受け止められがちである。それも重大なんだろうが、マスコミも医薬品問題との関連は深く追及しないので実態が分からない。次のこともマスコミはそんな観点から扱わないので気にもしていなかった。「ブッシュ前大統領訪日」についてである。チラッとどこかで見た気もしたが、勘違いだったかと忘れていたくらいである。ところが、今日ネットで確認すると前大統領訪日の目的は「米国メルクは、ブッシュ元大統領をロビイストとして日本に送り込んできた。」とある。

米国メルク(メルク・アンド・カンパニー)とは世界的な製薬会社で、米国議会ロビースト筆頭とも言われる。そこの製品である「子宮頸がんワクチン」売り込みのシンポジュームのための来日である。安倍総理は17日に一緒に飯を食いながら、オバマ氏の広島訪問について話をしたみたいな…

世界首脳会議

昨日は同窓会があったので銀座まで出かけたが、どこもかしこも警官であふれている感じ。友人の解説によると、G7サミット終了まで都内は1万人近くの警官が動員されてパトロールにあたるらしい。VIPの到着口にあたる東京でさえこの騒ぎだから、伊勢志摩や広島の騒ぎはいかばかりか?治安上必要な措置でもあり結構だとは思うが、彼らは普段何をしているのだろうか。何もしていないわけはないし、何かが疎かになっている筈だ。それより日本は地震大国、テロより地震の方が怖いと思うが、大地震が伊勢志摩や広島を襲ったらどうなるのか?余計なことが心配になってしまう。

このところG7○○相会議が相次いだが、この会議にどんな意味があるのだろう?大したテーマが有る訳でもないのに、どこの国も大臣様はお暇で、海外旅行がお好きと決まったものでもあるまい。情報インフラがインターネットで格段に発達している世の中である。高い費用をかけて毎年雁首を揃える必要は殆ど無いだろう。200数か国も存在する世界の中で7ヵ国の大臣だけで、何かの問題をコントロールできないのは明らかだし、僅かな時間で意見調整が難しいだろう。他の6か国首脳は観光気分であるのものも見え見えで、仙台会議の映像なんかでは、日本人ばかりがはしゃいで浮いて見える。

オバマ大統領の悪口を言うわけではないが、首脳会議と言えば何か儀礼的なパフォーマンスばかりが目につく。外交的にはお・も・て・な・し精神も欠かせぬだろう。しかしそれ以前に「真の世界平和とは」とか、環境政策にせよ、経済政策にせよ、まともな議論を聞きたいものだ。どう見ても、日本が一丁前の国家として世界の模範になったり、少なくとも世界から真剣に耳を傾けられるているように見えないのが残念である。

自信の度合いと責任感

安倍総理もお若い時にはお勉強があまりお好きではなかったと見えて、当時東大生であった平沢勝栄氏(自民党衆議院議員)が家庭教師であったのは有名なことだ。勉強が嫌いだったのは同じだから、勉強嫌いを声高に非難はできない。しかし総理はどこかの時点で一念発起され、猛勉強でもされたのだろう。今や日本国総理大臣である。一方こちらはお決まりのパターンで、社会に無用の存在となった。その差異に対しては予め敬意を表しておこう。

総理大臣ともなれば、個人的に欲しいものは殆ど手にすることが出来ることも想像に難くない。家庭教師だって現役東大生どころではなく、世界的な学者を招聘するのもどうと言うことは無く簡単なことだろう。現在日本は世界的にも経済大国なので、国家の経済運営が日本国民のみならず世界経済に大きな影響を与えるそうだ。世界経済なんかどうでもいいじゃないか、日本国民の暮らしぶりを良くしてくれ、と手前勝手なことを言ってはいけない。先進国としての矜持を保ちなさいと言ったところだろう。

たまたま今年はG7サミットの主催国にもなったことから、総理はこの3月から再び猛勉強を始めた。それが些か仰々しいが「国際金融経済分析会合」の開催である。総理の時間をいくら使っても構わぬが、税金をいくら使うかを気にするのが正に下司の考えだ。昨日までに世界的な経済学者とされる方を官邸に招聘して、都合7回もの会議が開かれている。税金を使ってのお勉強会だから、舛添都知事ではないがルールに則っているのだろう、内容が詳しく下記ホームページ公開されている。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kokusaikinyu/

暇に任せて拝見して思った。経済学の世界的権威かどうかは知らん。しかし、こんなことに膨大な時間(や費用)をかけて今更聞かなきゃ経済政策の方向性が見つからぬとは一体なんだ!学者なんか好き勝手なことを言うものと相場が決まっているのだから、大勢から聞けば聞くほど頭が混乱してくるだけだろう。
嘗てお気に入りの学者から吹き込まれて、アベノミクスを打ち出し、目下自信をもって遂行中ではないか。いくらお勉強が好きとは言え、今更外国から家庭教師を招聘するようなみっともない真似はやめてくれ。世界中から物笑いにされる。

たまたま昨夜のテレビを見ていたらドイツ蔵相(財務相)の言葉が紹介されていた。「私は他国の経…

私にとってのオリンピック

「オリンピック」と言えば、子供の頃は誰に教え込まれたか記憶にないが、オリンピックはアマチュアスポーツの世界一を決めるイベントであること。また、ギリシャ時代の古代オリンピックが戦争を一時中断して開催されたことに由来する平和の祭典ことが強く印象付けられた。同時にどこの国の言葉かも知らずに「スポーツマンシップ」がとても大事なことで、勝てば良いというものではない。卑怯なことをしてはいけないとか、参加することに意味があるなんてことも刷り込まれたものだ。

長ずるに及んで世界的なアマチュアスポーツの祭典であり平和の象徴で、近代オリンピックがフランスのクーベルタン男爵の提唱で始まったのが僅か100年ちょっと前(第1回は1896年のアテネ大会)のことだからそんなに古いことではないこと。夏冬とも4年ごとの開催で、実は日本も我が誕生年の1940年に開催される予定だったが、世界中に戦争のきな臭さが臭い始めて急遽中止されてしまったことを知った。お蔭と言うのも変だが、実際にオリンピックを始めて知ったのは高校生になってから、1956年のコルティナダンペッツォ冬季大会で猪谷千春選手が入賞してからだろう。

詳しくは記憶していないが、終戦後暫くは日本が出場できなかった大会もあった筈である。そりゃそうだろう、なんたって当時の日本は世界中から犯罪者扱いされていたのだから。それが暫くして大学生になってから行われたローマ大会の頃に前述のオリンピック精神なるものが脳裏に刻まれ、卒業後暫くして行われた東京大会で、三波春夫の「オリンピック音頭」(正確には「東京五輪音頭」と言うらしい)につられて、オリンピック開催の意義をはっきり意識することになった。

自分もどうやら半人前とは言え社会の一員、日本も世界の平和を乱した前科者から更生したことを認められたとの思いである。あれから半世紀一寸、綾小路きみまろではないが、50年も経つと人間も社会も随分変わるものだ。次のオリンピックは2020年の東京開催が決まっているのはご承知の通り。第32回にあたるそうだ。どう考えても次の歌詞ような気持にはなれない。

ハアー (ソレ)
あの日ローマで ながめた月が
(ソレ トトントネ)
きょうは 都(みやこ)の 空照らす
(ア チョイトネ)
四年たったら また会いましょと
かたい約束 夢じゃない
ヨイショ コリャ 夢じゃない
オリンピックの 顔…

マスコミの着眼点

昨日の夕刊から昨夜のテレビをはじめ今朝にかけて最大のニュースが、元野球選手清原和博の裁判に関するものである。このマスメディアの姿勢は少しおかしくはないか。スポーツの世界から落ちこぼれたおっさんがシャブ中患者になって捕まり、やっと裁判になっただけのことだ。報道することにどれほどの意味がるのだろう。誰かがコメントしていたが、メディアが取り上げること自体本人を甘やかすだけで、視聴者には何の意味が無い。むしろ青少年にとっては碌な影響を与えないだろう。一度スターになれば多少落ちぶれてもこれほどまでに騒がれるとか、彼が頼ったものであればどれほどの効果があるかと興味も沸く。判決で死刑ぐらいの極刑でも下されたなら子供には見せしめになるかもしれぬ。

一方冴えない国会では月火の2日間だけであるが、曲がりなりにも予算委員会が開かれている。その中でマスコミが取り上げて国民に訴えるべき重要な問題もあった。例えば昨日参議院で質問に立った民進党福山哲郎氏が、昨年の安保法制締めくくり予算委員会で採決が無いまま賛成多数で成立してしまっている点について質している。これは昨夜のテレビ朝日「報道ステーション」で知ったので今日になってネットで確認した。総理は例によって議会のことだから俺は知らぬと言い、参議院事務局長が木っ端で鼻をくくるような答弁に終始して、福山氏が無効を唱える理由もよく理解できる。

一方その前日衆議院では「山尾さん議会の運営を勉強してくださいよ。議会では私は立法府の長ですよ」と言ったらしい。これはネットで見ただけなので確認していないがネットにはこう記されている。「ありゃ!安倍晋三さんは、行政府の長、立法府の長兼任しているらしい。」他に昨日の参議院の質疑を聞いていると、九州の復旧復興関連予算審議なので、野党側から関連して要望や参考意見が提示されるが、これへの返事、対応が驚くほどそっけない。特に担当大臣になっている河野太郎氏の態度が全くなっていない。某所で耳にしたが、彼については党内でもとても任に当たらせられない、と断ずる向きがあるそうだ。

そのせいかどうか、兎に角ふて腐っているようにしか見えない。マスコミ各社はそれぞれ担当が張り付いて現場を見ている筈だ。それらのニュースがデスクに上がらぬ筈はないだろうに、清原裁判の次に持ってくるセンスを疑わざるを得ない。市民のための報道なのか、権力に阿る報道…

日本の洗濯

昨晩は東京でも久しぶりに大きめな地震があった。震源地は内陸部なのに何故か茨城県の浜の方で最大震度が観測されている。揺れが広範囲だったのは震源が浅かったかららしい。発生時刻が夜の9:23は熊本地震の最初とほぼ同じらしい。偶然の一致にすぎぬらしいが、あまり偶然の一致が重ならないよう祈るしかあるまい。東京では目立った被害は無いようだが、今朝事務所に来てみたら逆さに立てある歯磨きのチューブが倒れていたので昨夜のことを思い出した。

改めて地震大国を認識せざるを得ない。科学者の一部や政府関係者は、原発に関して地震を心配する必要が無いと判断しているが、塵も積ればの例えもあるし、転ばぬ先の杖との教えもある。転んで痛みを感じないことには対応できぬのはあまり利口の人ではないが、利口な人が少ないのが世の常だから仕方ない。地震大国は自然から背負わされていることだから諦めるしかないが、日本社会が乗っているプレートのようなものが静かに動きつつあって、そのうち大地震に結びつくのではと心配をしたくなる。

世の中の根本と言えば憲法かもしれない。安倍総理なんかも同様の心配をされて憲法改正を唱えられているのかもしれぬ。ご心配の着眼は同じかもしれぬが、総理がお考えになっている憲法改正とは明らかに方向が異なる。当方の心配はもっと別次元で、憲法なんか取りあえずは弄らない方が良い。日本人全体に広がりつつ記憶の薄れや感性の変化が余程心配である。人間の脳みそは便利にできているようで、苦しい体験や苦い思い出は比較的消去が簡単なようで、時間の経過でどんどん薄れていくようだ。

個人的生理構造がそうであれば社会全体でも同様になるのは当然で、僅か70年前のことでも、辛い経験や不都合な経験は思い起こすことが少なくなりつつある。これも一種の摂理だから仕方ないかもしれぬが、日本に蔓延る様々な不祥事、一々あげつらうのも面倒だ。科学者の世界であれ、政治家の世界であれ、芸能スポーツの世界に於いても似たようなことだろう。日本人の品質が劣化しているのは否定のしようが無い。全く医学的根拠には欠けるが、勝手に「記憶の劣化」によるとしか言いようがない。

誰かの言う通り「歴史は繰り返す」しかないのだろうか。であれば早いとこ誰かに嘗て行われた革命的な改革をしてもらいたいものである。直近では坂本龍馬が「今一度日本を洗濯致し候」と述べた明治維新だからそ…

またも腰痛

先月末の30日に長野で山歩きをして以来どうも腰の具合が悪い。昨年も4月に腰が悪くて医者に行った。季節と関係あるとも思えないが、昨年のきっかけが何であったかは思い出せない。兎も角昨年はかなり重症化して坐骨神経痛にまでなり苦労したことだけははっきりしている。今年はその二の舞になるのが嫌だ。早めに何とかしたいと思ったが、果たして早めであったかどうかは分からない。

昨年は前立腺がんにも悩まされたが、腰痛の再発も恐れていたので、自分なりには気を使って日常足腰のトレーニングをしていた心算ではあるが、自己流のトレーニングでは効果が知れているのだろう。仮に専門家に見てもらったところで、骨や筋肉細胞の強化が可能かどうかである。年齢的なことなんかも関係するだろうし、「まず無理と知れ」とは思いつつも自己流トレーニングの呪縛からは逃れられない。

整形外科は1年ぶりでもあるので、昨年と同じ部位を再度レントゲンを撮ってもらった。昨年版と並べて比較して見せてもらったが、殆ど違いが分からない。
骨盤に接する脊柱とその上の脊柱との間はもう殆ど隙間が無くなっている。更にその上の脊柱との隙間が他と比べると気持ち狭い。写真を拡大しても昨年比でより狭まっているようには見えない。ベッド上で足を持ち上げたり曲げたり、ドクター手とこちらの足とで力比べをする。腰を屈めるテストをする。

その度にドクターが手際よく数字を言って看護師に記録させる。一連の診断も昨年と同じ手順だ。数字の昨年比は聞かなかったが、思うにその一時間前に接骨院で治療してきたばかりでもあったので、有意差は無かったのではなかろうか。何故なら、診断結果が脊椎間狭窄が昨年に比べ特に悪化しているとの評価は無かった。ただ、脊椎の周囲の筋肉が固くなっているので脊椎の保護が弱体化しているのでしょうとの診立てである。

その通りだと思う。もともと身体が硬いのだ。昨年夏以来週に二回ジムに通って自己流の筋トレをしているが、あまり効果はなさそうだ。ドクターが痛み止めと筋肉を柔らかくする薬を昨年同様に処方してくれたが、昨年は後者は殆ど服用しなかった。そのことを言おうかとも思ったが、好意を無にして気分を害するのは良くないので言わずに置いた。昨年よく効いた「リリカ」の処方が無かったので聞くと、あれは神経に直接作用する薬なので坐骨神経痛に至っていないので今のところは要らないでしょ…

読後感「江藤新平」毛利敏彦著

大昔に司馬遼太郎氏の小説かで読んで、おぼろげに知っていたことは精々次のこと程度ものだった。明治維新に登場したものの征韓論で西郷隆盛に組して破れ、西郷より先に賊軍の1武将と一旗揚げかかったものの、あっさり捉えられて殺されてしまい、そのまま歴史に埋もれている。言ってみれば明治維新で活躍した人物としては小物かな。

これだから生半可な知識は困ってしまう。要するに明治維新と軽々しく言って、知ったつもりでいても何も知らないに等しい。新書本1冊読んで明治維新が分かった訳ではないが、知らないことが分かっただけ儲けものだったかもしれぬ。本書の「まえがき」に紹介されていることからすると、アメリカの比較史家フランク・ギブニーの説として次のように紹介している。「明治維新をアメリカの独立革命、フランス革命、ロシア革命、中國革命と並ぶ近代世界史上の5大革命の一つに位置づけ、明治維新こそは<近代史の中で試みられた最初の全面革命だった>と喝破した。」

ここで本の感想から少し脱線して、これも最近知ったばかりのことを挿入したい。誰が決めたか知らぬが、幕末維新の功労者について、次のように言うのだそうだ。維新の三傑とは西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允の3名。何となく分かるような気がする。続いて維新の十傑もあって、西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允・江藤新平・横井小楠・大村益次郎・小松帯刀・前原一誠・広沢真臣・岩倉具視とあり、伊藤博文や坂本龍馬は入らぬらしい。十傑の順番に意味があるようで、三傑に続き四番目に挙げられているのが江藤新平と言うことになる。

そんなこんなで明治維新についてにわか知識が湧き、本書に及んだ次第だが、読み終わって思うのは、明治維新をリードした幕末の下級武士たちの凄さに驚愕することである。革命であるから皆命を賭けているのは当然かもしれぬ。いわゆる志士たちであるが、彼らそれぞれが最初から国の転覆を図ろうとは思ってもいなかったに違いない。只管勉強を重ねることによって、このままでは外国の文明が進んだ国に蹂躙され、国民の全てが不幸になるだろうと、共通の思いを持ち始めたと理解すべきではなかろうか。

そもそも明治維新はいつ始まっていつ成ったかも知らない。勝手に頭を整理すれば、ペリー来航やロシア船来航(1853年)が開演合図の拍子木で、1860年の井伊大老暗殺で幕が上がったと見ることにしたい。江藤新平はその…

無知と無恥

当然と言えば当然だろうが、安倍総理は来年4月の消費税アップを断念したとのこと。未だ大手メディアの報道に至ってないが、ネット上では今月末のサミット終了後に発表予定とされている。公約違反になるので民意を問うのが筋だろうとの声もあるらしいが、衆参同時選挙については総理も未だ腹を決め兼ねてはいるらしい。政治家にとっては選挙が何にも勝る優先事項だろうが、国民の声を自らの耳で真面目に聞いたうえで最後の詰めとしての選挙であれば、まだ許せる。しかし選挙を己の保身、党利党略だけで度々やられるのは迷惑な話だ。

公約違反であれば一旦総辞職して、議会のルールに則り選び直すのが筋だろう。
議員数の構成に変化は無いのだから、安倍氏が再選されるかどうかは別として自民党から選ばれることだけは間違いない。これに異を唱える人はそう多くはないだろうし、国費の無駄遣いは避けることが出来る。しかし現実は安倍氏が居直って居座る可能性が多そうだな。庶民が納得しようとしまいと理屈と膏薬の例え通り、どうにでもなると思っているに違いない。総理と都知事は犬猿の仲だそうだが公私の混同についてはそっくりだ。

全く情けない限りで残念であるが、与党政治家は国民の大半を占めるいわゆる庶民の暮らし向きをほとんど考慮せずに政治を行っているつもりになっている。私腹を肥やしたくなるのは、明治維新の頃から長州藩出身の大物に多かったらしい。明日にでも読後感を上げようと思っている「江藤新平」には山形有朋、井上毅、伊藤博文などの話が紹介されてているが、現総理はその心配だけは無いらしい。代わりに今日読んだ「天木直人のメールマガジン2016年5月13日第395号」に面白い記事があったので紹介したい。

タイトル:日本一厳しく、的確な安倍批判を見つけた
昨日発売の「フライデー」からの引用とあるが、「安倍首相の政治思想史の恩師である加藤節成蹊大学名誉教授なのだ。」となっている。

以下引用:
タイトル:日本一厳しく、的確な安倍批判を見つけた
昨日発売の「フライデー」からの引用とあるが、「安倍首相の政治思想史の恩師である加藤節成蹊大学名誉教授なのだ。」となっている。

以下引用:
 「安倍さんは、ずるい政治家です。政治の世界では、人を欺いたり、裏切ったり、ずる賢く立ち回ったりというのはありますが、それは政治家同士の権力争いで行われること。政策決定が国民の生活…

諸行無常

万物の生命が復活する春先の話題としては相応しくないが、年齢のせいか最近の世相を観るにつけ、何事にも永遠とか絶対と言うことがあり得ないとしみじみ思う今日この頃である。このところ急に増えた故人を偲ぶばかりではない。生命とは無関係ながら、一昔前に堺屋太一氏が企業生命30年説を唱えたことがあった。当時は江戸時代から続く財閥系企業はどうするんだ。ちょっと違うんでないのなんて思ったりしていた。しかし昨今は三菱自動車が消滅の危機に見舞われている。

三菱自動車がこの先どうなるか分からないが、社会に出初めの頃に仰ぎ見るような思いで眺めた数々の大企業がいつの間にか消え去ってしまっていることに改めて気づかざるを得ない。筆頭は銀行だろう。企業名が変わっただけで皆生き延びているとも言えるが、当時12行と言われた都市銀行で、そのまま生き延びている銀行があるだろうか。合併があっても中身は変わらないのかもしれないが、三菱マンが三菱東京UFJマンに変わる時の社員の思いはどうなんだろう?きっと相当複雑なものがあるに違いない。

その意味で企業生命30年説は当たらないかもしれぬが、自分が社会人になってから高々半世紀一寸のことを思えば、全くの的外れとは言えないかもしれぬ。当時はまだソロバン屋さんやローソク屋さんの広告取りをしていたこと思えば、家電メーカーがかくも巨大化するとは思っていなかった。それがあれよあれよという間に巨大企業に変身したが、今や逆に外国の企業に買収されたりして、企業生命が束の間の夢だったかもしれぬ。潰れるなんてことはありえないと思っていた日本航空もある。

東芝に勤務していた岳父は「東芝がつぶれるときは日本が潰れるとき」と語っていたそうだし、自分では東電が潰れるときこそ日本が潰れるときと思っていた。どれを見ても心肺停止状態であるのは明らかで、こんなことばかり思い起こして諸行無常を感じてしまうのだ。逆の見方をすれば、当時想像もしなかった社会現象が巷には溢れている。職業や企業は勿論で、すごく幸せそうな人もいるし、そうではなさそうな人もいる。己をのことを思えば、昔と変わってしまったことも多いが、相変わらずのこともある。何れ遠くない時期に全てが露と消えるだろうが、「今日も普通に」と思い続けていられるのは幸せが多いと言うことかもしれぬ。

外国では指導者の交代が続く

午前中は国会審議を傍聴し続け、昼から夕方まで出かけていたので、何を書くにも考えが碌に纏まらない。

アメリカの大統領候補者は民主党ヒラリークリントン氏にしても共和党トランプ氏にしても相当な嫌われ者で、彼女又は彼だけは大統領にすべきでないとする人が多いと聞く。一方熱狂的支持層が彼らをここまで押し上げてきた現実がある。これをどのように読み解くかは専門家に任せるしかないが、海外では民主政治の実相がかなり変化しつつるようだ。フィリピン然り、ブラジル然り、欧州でもイギリスでさえ民衆の意向がどう出るか心配されているようだ。

世界全体が激しく動いているような感じがする中で、我が日本国だけが旧態依然であるのが不思議な現象だ。政府与党政治家の平均年齢はかなり若返っているように思うのだが、旧態依然であるより古い国体への先祖がえりを目指すような感じさえする。それならそれで徹底的に憲法改正でもなんでも明確に打ち出せばいいじゃないか。どうもその辺になると姿勢が不明確でもある。はっきりしていることは、レイムダック化したアメリカ大統領のオバマ氏を利用しながら己の宣伝に利用するあざとさが鼻につくことぐらいだ。

東京都のトップリーダーと自ら言った都知事は夕刊紙に「辞任」の2文字で追い込まれている。しかし誰かが言っていたが、都知事の心臓はこれで参るほどヤワではないそうだ。国家のトップはどうかだが、晋三はもっと強いとの説もある。

世間の常識

最近家の婆さんはNHKのニュース番組を観なくなってしまったが、小生は7:30まで事務所に居ることを約束しているので、どうしても19時のニュースだけは観てしまう。しかし婆さんの気持ちはよく理解できる。確かに最近のNHKニュースは、素材の選択から切り取り方に至るまでどこか偏っているように思う。安倍政権が自ら唱えるように、国の形を個人の上に国家を配する仕組みに変更するために、必須の手段を実行していると理解すれば話は早いが、困ったことだ。

昨日NHK19時のニュースで、最新の世論調査結果が報道された。調査時点は正確に記憶していないが、多分この連休中のことだろう。安倍内閣の支持率が何ポイントか向上して45%、不支持率は逆に低下して35か36%。熊本・大分の地震対応も評価するとする人の割合が多かった。これを観ながら、婆さんは知らなくて済むので良いなと思い、帰宅してそのことを話すと「だから観る必要が無いのよ。」軽くいなされた。

しかし45%もの多数が現政権を支持しているとは正直驚いた。私見をもってすれば、現政権がやっていることで本当に国民多数のためになっていそうなことは一つもないように思う。中には政権のお蔭に浴している人がいるだろうが、どうすればかくも多数の支持に繋がるのか不思議でならない。支持者は政権がいつも言っている通り、経済は順調に回復軌道にあり、公平な富の配分がなされ、外交は世界多数の国から評価されていると思っているのだろうか。

もう少し不満を抱く人がいてもいいように思う我々の方が少数意見のようだ。これまでは、我が家の常識は世間の常識とそんなに乖離はしていないだろうと思っていたが、「我が家は普通でない」と自覚せざるを得ないと意見が一致してしまった。性格的には正反対の要素が多い夫婦だが、奇妙なことに現政権に対する嫌悪度合いだけは一致しているので、家でも政治関係のネタがよく話題に上る。婆さんに言わせると、これだけでも相当変わっている家庭かもしれないそうだ。

考えてみれば、市井の普通人は政治のことなんか構っていられないし、民主主義への危機感などある方が不自然かもしれぬ。また、ある日突然NHKからの電話で「政府について支持か不支持か」と聞かれたら「支持します」と答えておくのが簡単かもしれぬ。我が家にも調査の電話が来たことはあるらしいが、婆さんはしっかり意見を言ったらしい。それだ…

読後感「倭国」岡田英弘著

今更古代史なんぞ読んでもどうなるものではないが、読む本もないので手にしてみた。しかし読み終わってみると、今までの認識を大分変える必要があるように思う。日本の歴史は「古事記」や「日本書紀」が編纂された7世紀ころから始まっており、「古事記」が最も古い歴史書と認識していたが、これがそもそも間違っていて、著者によると「日本書紀」の方が古いらしい。それに外国の文献で確認できる最も古い人物は「卑弥呼」と思っていたのも間違いらしい。

日本が古代に「倭」と称されていたのは何となく知っていたが、1世紀の漢時代の文書に倭国の使いが漢に朝貢して金印を授けられたとあるらしい。因みに有名な卑弥呼が魏に朝貢して金印を授かったとされるのは3世紀になってからのことだ。2千年近くも昔にどのようにして日本海を渡ったのか、ちょっと想像もつかないが記録もあるし、証拠も発見されているのだから仕方がなかろう。更に不思議なことは倭国であるが、場所が特定できていない。後に「任那」なんて場所が朝鮮半島に出現するくらいだから、ひょっとすると倭国の一部が朝鮮半島にあったのではないだろうか。

この本によると、古代の4~5百年間は日本と朝鮮半島との人物の往来は非常に多く、倭族の部落は双方にまたがっていたようでもある。従って倭王も沢山いたみたいだ。その中で特に強い酋長が漢とか魏とか隋まで出向いて、倭族の王の中の王として認めてもらっていたようでもある。当然朝鮮半島内も多数の部族に分かれていて、倭国と仲のいい国もあればそうでない国もあったとのこと。7世紀に倭国も参加して行われた白村江の戦いで消滅した百済なんて国との関係は現在の日米関係以上で、倭国に在留していた百済人も多数だったとのこと。

兎に角、天智天皇以前は神話の世界で聖徳太子も実在の人物かどうか怪しいとまで言われるが、真面目に中国や韓半島の資料を読み込むとそう捨てたものでもないらしいことが分かった。韓国人が池袋界隈には多く、全く見分けがつかないのも分かる。倭国時代から日本に至るまで、この間に天皇の系譜も河内、越前、大和と3系列あって、凄まじい殺し合いが続いて、やっと天武天皇時代に国がおさまり、歴史書の編纂になったらしい。

日本から見て7世紀以前の世界は、自国以外は現代の中国と韓半島が全てであるが、この何れもが激しい部族の争いで王朝らしきものが目まぐるしく変わっている。故に…

小人閑居

昨日は久しぶりに銀行や郵便局が開いたので、3月に店じまいした個人企業最後の納税義務を果たすことが出来た。その後はやはり久しぶりの図書館に行って、予て読もうと思っていた本を借り出して読んでみた。第1章だけ読んだが、後日読後感を書きたくなって、帰宅してからアマゾンの中古本を購入した。書名は「江藤新平」。そんなことで昨日はそれなりに体や頭を使ったが、今日から明日はまた土日の連休。緊張感に欠けること夥しく、正に小人の閑居に他ならない。

緊張していても半分呆けている老人は仕方ないにしても、日本全体上から下までの緩みぶりは少し問題だろう。土曜日に36年ぶりの重要会議を招集する北朝鮮並みの緊張感を見習えとまで言わないが、総理をはじめとする重要閣僚が平日の昨日も大分海外にいたらしい。舛添都知事が休日ごとに東京から100キロ離れた別荘に行っていたことがばれて騒ぎになった。都知事なんぞは石原慎太郎氏に言わせると「誰にでもできる」程度のお仕事らしいからどうでも良いとして、閣僚ともなるとそうはいかぬだろう。

第一熊本や大分の災害復旧はどうなっているのか。4月14日夜の大地震発生から既に3週間以上経つ。被害者にとっては連休もへったくれも無いのは当然だが、食中毒の発生もあり、サポートに回っている現地スタッフの手は足りているのか?永田町に災害対策本部を立ち上げたのは知っているが、その後は現地対策本部長がご粗末で首になったことくらいしか聞こえていない。東北大震災の時は東電の会長・社長が共に不在だった。特に絶対権力者だった会長は雑誌社の招待で中国出張中だったことが記憶に新しい。

5年も前のことは記憶になくても半月も経たない前のことは忘れる筈もないだろう。余震が収まりつつあるのは子供でも分かるが、我が国は地震大国、次の災害に対する緊張感がまるきり感じられない。報道も気が抜けているようで、しきりに北朝鮮の党大会関連を大きく扱っている。しかもその扱いが、これをもってして我が国への安全保障上のリスクが高まっているとの視点である。全くチャンチャラおかしい。

どこかのテレビで専門家の辺真一氏が言っていた。「北朝鮮の攻撃目標順位はっきりしています。1に韓国青瓦台、2に韓国内の軍事施設、3に太平洋上の米軍施設→日本で言うと沖縄、三沢、横須賀とはっきり言っている。」そうだ。北朝鮮は3代前からでも日本を攻撃する意図な…

次期アメリカ大統領は?

アメリカの大統領選は共和党の候補者がトランプ氏に絞られたことで急に興味が湧いてきた。「これでヒラリーさんは楽勝だろう。」と言ったら我が家の解説員は「そう簡単にいかない可能性も大いにある。何と言っても無党派層の評価は高くないのだから。」とのこと。トランプ氏は若者や無党派層の支持が高いらしい。これまでのトランプ氏の発言を聞く限りでは、確かにそれらの人が支持するのも分かる気がする。

残念ながら投票権は無いが、属国の国民としてはトランプ氏に勝ってもらいたいものだ。核爆弾を持つ必要はないと思うが、否が応でも独立国としての対応を求められそうだ。そうなれば、今まで友人との論争で主張してきた護憲の旗を降ろして、自衛隊を軍隊にすることに賛成してもいい。当然日米安保条約も見直すことになるだろう。アメリカの軍隊が外国である日本を守るはずなんか最初から無い話で、アメリカは自国権益確保のために東アジアに駐留しているだけと前から思っている。

トランプ氏も勘違いしていると思う。日本は東アジアにおける最大の防波堤として、アメリカの安全保障に大きな貢献をしていることを忘れている点だ。日本人も勘違いしてアメリカが日本を守ってくれているなんてお目出度い限りだ。だから、尖閣諸島で軍事衝突が起きてもアメリカ軍は派遣しない、なんてはっきり言われてしまうのだろう。そこが日本の領土であることを認めるのと、アメリカ人がその防衛のために血を流すのは別次元であるのはよく理解できる。

トランプ氏も安倍総理と同じで、やや教養には欠けるお人のようだが、庶民感覚を掴む才能には格段の差がある。田中角栄氏を彷彿させるリーダーには必須の要件だ。きっとアメリカ庶民の多くも、戦争で儲けているのは一部の特権階級だけと思い始めているのだろう。トランプ氏が大統領になると、レーガン大統領時代のように却って景気が良くなるかもしれない。その場合、彼は兎に角アメリカが良くなりさえすれば後は野となれ山となれだから、外国である日本がどうなるかはどうなるのかな?

次期大統領がクリントン氏であろうとトランプ氏であろうと、日本はもう少し自分のおつむで外交を考えてみることが必要になりそうだ。何でもかんでもアメリカ様の仰る通りにはいかなくなる筈だ。でもそのこと自体は決して悪いことでもあるまい。昨年は属国属州の一員として義務を果たせと言われたから、対応できるように…

鄙びた山間の祭り

昨日は夜来の雨が9時前にはすっかり上がり、暑くなりそうな雰囲気だった。ところが、福島県石川郡古殿町なる山間のお祭りを見に行ったのだが、昼少しすぎに到着すると結構寒かった。夏服で行ったのだが、1時間も立っていると体の芯まで冷えて、ダウンジャケットを着てこないことが悔やまれた。一転して今日の天気は五月晴れなんてところは通り越して、一気に夏の日差しになってしまった。部屋でくすぶっていたが、冷房を入れたくなってしまった。これで冬の暖房器具やダウンジャケットとは完全にさよならすることになるだろう。

古殿町は友人が町おこしを手伝っていることから、面白半分についていったのだが、なるほど地方創生なんてことは容易でないことが実感できた。人口が高々6千人弱の町で、毎年生まれてくる赤ちゃんは25人位しかいないそうだ。圧倒的にお年寄りが多いからだろうが、亡くなる人はやはり年間100人平均とのこと。お祭りと言えば元来子供が多く寄り合って賑やかになるのが相場だろうが、昨日の祭りは圧倒的にお年寄りが多いので盛り上がりには欠けていた。

我が豊島区も何れ人口がゼロになるなんて言われたこともあるが、山間の村や町では比較にならない早さで限界を迎えることになるだろう。東北自動車道から行っても常磐自動車道から行っても1時間ちょっとはどうしてもかかってしまう。企業誘致なんかしても、結局は輸送コストに耐え切れず逃げられてしまう。いっそ雪でも降ってスキー場が出来たり、トレッキングコースでも整備できたりして、観光資源らしき何かがあればいいが、東京からのアクセスの悪さに加え、山が高かったり深いわけでもなく、渓流が特に美しいわけでもない。

杉林以外何もない厄介な土地ともいえる。主な産業は林業や石材業らしいが、自然を破壊する一方の割にはそう高価な収入が得られるものでもなさそうだ。普段歩いている奥多摩から秩父信州のハイキングコースとはえらい違いだった。しかし考えてみれば観光客を呼び込める地方の方が少数で、大多数の山間地は似たようなものだろう。南阿蘇なんて場所は行ったこともないが、人口や産業構造がどうなっていたのだろうか。

政府の政治家揃って外遊をし、外国の政治家から「他人の頭の蠅より、まず自分の頭の蠅を心配しろ」と、これまた揃って言われているようだ。困った国である。

読後感「三酔人経綸問答」中江兆民著・桑原武夫訳

先ず、著者は歴とした日本人であり日本語で書かれた書物でありながら、それを読み下せない我が身が情けない。著者の名前はどこかで聞いたことがあるようにも思っていたが、実際は何も知らなかったのが本音。高校とは言わぬが、せめて大学入試問題くらいでは頻繁に取り上げてもらい、青少年たちが著者について少し知るようになってほしいと思う。

著者中江兆民は土佐の人、ウィキペディアには弘化4年(1847年)の生まれで 明治34年(1901年)に没した日本の思想家、ジャーナリスト、政治家(衆議院議員)と記されている。この著書が世に出たのは明治20年5月。大日本帝国憲法(明治憲法)公布より2年も前にあたる。土佐藩には板垣退助がいて、明治初期に自由民権運動なるものが盛んだったとも聞いているが、これまた生半可な知識とも言えないものでお恥ずかしい限り。

著者は土佐藩の下級武士の子であったが、土佐藩士が多く活躍した明治維新の騒ぎには関与せず(坂本龍馬の煙草買いをしたこともあるとウィキには書いてあった)、藩校を経て只管勉学に励んだようだ。これは必ずしも年齢的なことばかりではないように思う。人間の天性とは不思議なもので、幼い時から哲学的あるいは物事を深く考える性格だったのだろう。どういう訳か知らないがフランス語を学び始め、維新の動乱期には長崎に出向いて、学問に更に磨きをかけて、維新政府成立と同時にフランス語教師・通訳として政府に出仕。明治4~6年の岩倉使節団にフランス語通訳として随行、世界を一周している。

これだけ優秀な頭脳と経歴を持っているので、当初政治家になるのは何の支障も無かった筈である。しかし著者の真骨頂は政治家の限界をすぐに見極め、国民を覚醒させるためにジャーナリストとして新聞発行や著作活動をしたり、森林組合の立ち上げなど実践的行動をとっている。このへんが、昨今の政治家や記者連中と大いに異なるだろう。理論家であると同時に社会運動家でもあるところが非常に特徴的。著名な弟子も多い。長野県とも随分縁がありそうだ。長野県が革新的、共産党が強いなんてことに大いに関係があるかも。

著者に関することばかりで肝心の著作に関する感想が無くて申し訳ない。内容は酒好き、議論好きの老人宅に見知らぬ青年二人が訪れて、土産に持参したヘネシーのコニャックを傾けながら議論をする仕立てになっている。明治20年にヘネシーも驚きで…

政治家の外遊

連休ともなるといかなる強迫観念にかられるのか、大勢の人が旅行に繰り出すのがこの国の定型。当方も御多分に漏れず、早速長野市の観光スポットまで足を延ばして疲労をお土産に帰宅したばかり。兎に角全国民が同じ行動パターンに嵌っているのだから、行く先は多様化している。少しお金のある人々のように、目的地を海外に定める人も少なくはない。今年はそれでも不景気が災いして海外旅行者は少し少ないとも聞いている。それでも多くの外国人から見れば、日本は豊かでお気楽な国に映っていることだろう。

老若男女貧富を問わず国を挙げてのことだから、特定の人にだけ、この流れに乗ることを許さないとなれば問題かもしれぬ。その問題あることについて一言書きたい。政治家の海外旅行である。総理閣下は昨日欧州からロシアにかけて7か国の歴訪に旅立たれた。岸田外相もどこかを歴訪中だし、大島衆議院議長もワシントンでどなたかと会談と報ぜられている。閣僚から陣笠先生に至るまで国会議員から村会議員まで、あげつらえば実に多数の先生が海外を旅行中に違いない。

このうち何人が私費で行っているかを問えば、これまた推測にすぎぬが皆無に近いのではと思う。総理閣下は政府専用機だから、同じ官費でも一番の豪華版だろう。素人考えで言えば、今どき政治家が海外旅行しなくてはならない用件などあろう筈がない。数少ない例は海外で開催される国際会議だろうが、国際会議で日本の政治家の発言が重きをなしたなんて話は寡聞にして聞いたためしがない。近年、政治家同士が海外で談判したのは甘利元TPP担当相くらいではないか。これとてどこまで本当に必要性があったかについては疑問を感じている。どうせ主な交渉は役人がやるしかなかったろう。

EU諸国の場合は国家が2重になっている感があるので、政治家たちも国境を超える用事が頻発する可能性はありそうなので、例外にさせてもらいたい。あるのはただ単に私的欲求だけだ。私的欲求も様々だろうが、海外事情を自ら確かめ教養を深めるためと言うなら、古くは大久保利通や岩倉具視の例ではないが、1回や2回は許してやろう。今の政治家は青少年から見ると、まるでバカの見本のように見えていると聞くが全く同感である。どう見てもバカ殿の大名行列のような海外旅行をしたくて国会議員になっているようにしか見えぬではないか。

舛添都知事の海外旅行が週末のお別荘行と相俟ってマスコミ…

ゴールデンウィークのハイキング

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昨日一昨日と故郷長野市の飯綱高原と飯縄山をハイキングしてきた。29日は長野駅発13:30のバスに小一時間揺られ飯綱高原大座法師池に到着。お天気は生憎で飯縄山には雲が掛かり、高原一帯は小雪と霰模様で観光客も殆どいない状態。昨夜東京で聞いた天気予報では、最悪の場合30日も雪の可能性ありとのこと。市内在住の弟にその場合には、明日の登山は中止して戸隠にでも行って蕎麦でも食うことにしようと言ってある。


多少寒いが客いない湿地帯を独り占めした気分で散歩。寒いながらも水芭蕉と二輪草などは既に満開の見頃で目を大いに楽しませてくれた。隣にある飯縄神社の里宮にもお参りして明日の天気の回復を祈願。明けて昨日は早朝から快晴、絶好のハイキング日和となった。弟と従妹の二人が飯綱高原の宿アゼリア約束通り8時には迎えに来てくれたが、宿のカウンターの手際が悪くて出発が少し遅れたうえに、絶好の日和とあって登山口のパーキングが満杯。



運転してくれた弟が1キロも下った駐車場まで車を置きに行く羽目に、結局登山開始は8:35分になってしまう。スタートが少し遅くはなったが、歩き始めは少し肌寒いくらいではあったが、快晴無風ハイキングには絶好の条件。3時間あれば山頂に着く予定でいたが、弟の調子が上がらない。田舎に住んでいると歩く機会は都会に比べてかなり少ないので、久しぶりのハイキングはきつかったと思う。3人とも何度も登っている山なの、どうしても山頂に立たなければならない理由は無い。



登り始めから丁度3時間で、森林限界を過ぎて笹薮の見晴らしの良いポジションに出た。駐車場の車や途中で追い越された人数から予想すると、山頂の場所取りは容易ではない筈。誰に遠慮もいらない山頂から100メートル弱下で、悠々と景色を満喫しながら昼食、30分ほどの大休止のあと下山開始。丁度登りと同じ約3時間で無事下山。帰りは弟に長野駅まで送ってもらい、北陸新幹線の「かがやき」に飛び乗って1時間で大宮到着。全席指定者だったが、長野の次が大宮だから空席があるのを見極めて発車間際に乗車。JR東には指定席料金750円も儲けさせてあげた。さぞ喜んでくれたことだろう。