2016年5月12日木曜日

諸行無常

万物の生命が復活する春先の話題としては相応しくないが、年齢のせいか最近の世相を観るにつけ、何事にも永遠とか絶対と言うことがあり得ないとしみじみ思う今日この頃である。このところ急に増えた故人を偲ぶばかりではない。生命とは無関係ながら、一昔前に堺屋太一氏が企業生命30年説を唱えたことがあった。当時は江戸時代から続く財閥系企業はどうするんだ。ちょっと違うんでないのなんて思ったりしていた。しかし昨今は三菱自動車が消滅の危機に見舞われている。

三菱自動車がこの先どうなるか分からないが、社会に出初めの頃に仰ぎ見るような思いで眺めた数々の大企業がいつの間にか消え去ってしまっていることに改めて気づかざるを得ない。筆頭は銀行だろう。企業名が変わっただけで皆生き延びているとも言えるが、当時12行と言われた都市銀行で、そのまま生き延びている銀行があるだろうか。合併があっても中身は変わらないのかもしれないが、三菱マンが三菱東京UFJマンに変わる時の社員の思いはどうなんだろう?きっと相当複雑なものがあるに違いない。

その意味で企業生命30年説は当たらないかもしれぬが、自分が社会人になってから高々半世紀一寸のことを思えば、全くの的外れとは言えないかもしれぬ。当時はまだソロバン屋さんやローソク屋さんの広告取りをしていたこと思えば、家電メーカーがかくも巨大化するとは思っていなかった。それがあれよあれよという間に巨大企業に変身したが、今や逆に外国の企業に買収されたりして、企業生命が束の間の夢だったかもしれぬ。潰れるなんてことはありえないと思っていた日本航空もある。

東芝に勤務していた岳父は「東芝がつぶれるときは日本が潰れるとき」と語っていたそうだし、自分では東電が潰れるときこそ日本が潰れるときと思っていた。どれを見ても心肺停止状態であるのは明らかで、こんなことばかり思い起こして諸行無常を感じてしまうのだ。逆の見方をすれば、当時想像もしなかった社会現象が巷には溢れている。職業や企業は勿論で、すごく幸せそうな人もいるし、そうではなさそうな人もいる。己をのことを思えば、昔と変わってしまったことも多いが、相変わらずのこともある。何れ遠くない時期に全てが露と消えるだろうが、「今日も普通に」と思い続けていられるのは幸せが多いと言うことかもしれぬ。

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