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2025年11月7日金曜日

思い出話

 遂に立冬、冬も本番となった。鼻水が出たりするが、冬来たりなば春遠からじで花咲く春の夢でも見よう。1週間後には住居の明け渡し正式契約、15日には引っ越しもしなければならないので何かと気ぜわしい。来週は家の整理に追われることになるだろう。父が借地権付きの家を購入したのは1960年代のことだが、結局は小生が住み続けた。暫くは一人住まいだったり弟と同居したり、結婚して家族が出来、兎に角いろいろあって全てを思い出すのは不可能。

今やその頃の記憶は皆ぼんやりしている。家族3人或いは4人の時代もあったし、親戚の子を下宿させた時代もあったような気がする。新婚時代は会社の同僚が随分遊びに来て泊っていったりもしたし、小生自身も家族をすっぽらかして外泊したりしたこともあったと思う。子供が出来ると家庭内にも大きな変化があった。家内も子育てが大変だったと思うが、子供たちが結婚して家を離れてからよく聞いたものだ。「近くの商店街のお陰で子育てが出来たようなものよ。」

近くの幼稚園から小学校低学年の頃、家の隣り合わせの商店街で全ての買い物が間に合ったらしい。曖昧な記憶を蘇らせると、隣は豆腐屋、向かいは蕎麦屋の看板でラーメンも作っていた。豆腐屋の向かいは酒屋、八百屋と魚屋と肉屋がどこにあったか思い出せないが、確かあった筈だ。数軒離れて米屋、駄菓子屋があり、床屋もあった。酒屋の向かいは歯医者だった。その先には布団屋があり、ガラス屋、畳屋、自転車屋、洗濯屋、経師屋まであったものだ。その商店街は今や1軒も残っていないのだから都心の変容は凄まじいものがある。

その当時は幼稚園の入園が大変で、前の晩から家内と交代で並んだような記憶もある。区役所の支所も近くだったし、生活するには何かと便利だったような気がする。ボンヤリした記憶からこれだけ引っ張り出すだけでも大変な苦労。今ではどれもすっかり忘れていたこと。あまり意味のないことを書いてしまった。

2024年3月22日金曜日

赤坂の変貌

昨日に比べると、風が少し弱まってきた感じがあって少し春の兆しがある。そこで少し趣向を変えて先ずダウンジャケットを脱いで、背広のジャケットだけで外出してみた。流石に少し風通しが良すぎて寒かったが、歩くコースも大幅に変更して昔懐かしい赤坂方面に昼飯を求め彷徨った。サラリーマン生活を送った四つの会社は何れも影も形も無いが、それ以上に街並みの変貌が凄まじい。営団地下鉄「赤坂見附」が大きく変化したことは承知していたが、正面にあった東急ホテルも取り壊しが始まってるようで、全面覆いが掛けられていた。

TBS(東京放送)だけは未だに赤坂に本社を置いているが、放送局か不動産業か得体が分からないとも言えるだろう。昔は赤坂と言えば政治家が暮夜密かに会合を持つとされた三業地として有名だったが、高級料亭は殆ど消えたと言っても過言でない。大手の代表「中川」と田中角栄氏ご愛用の「千代新」はとっくの昔に廃業してパチンコ屋ななったりしてる。一つ「口悦」だけは場所を変えて営業してるようだが、肝心の芸者がどうなのかな?流石と思うのは食い物屋が多いこと。中には安くて美味い店もありそうだ。

現役時代は赤坂にあったのは営団地下鉄赤坂見附駅だけで丸の内線と渋谷線だけの駅だったが、永田町駅と繋がったことで、有楽町線や田園都市線が乗り入れることになって大きく変わった。更にだいぶ前になるが、に千代田線赤坂駅が完成、東は茨城、埼玉。西は神奈川県の中央林間からストレートに乗り込めるので、人の流れは大きくなってる筈だ。今日は昼間の散歩なので、歓楽街の日中の侘しさが漂い、サラリーマンらしき人物はあまり見かけなかった。しかし、朝夕にはTBSや広告会社の社員たちも行き交うことだろう。 

2023年10月15日日曜日

東京の地面

 笑い話にもならないが、今朝土砂降りの雨の中、大学同窓会に出席するつもりで三田の大学キャンパス迄行った。案内状にあった第4校舎1階の417番教室が見つからない。別のイベントの案内をしていた若い人に協力してもらった結果、ハガキには明記されていなかったが、会場が日吉キャンパスだろうということになった。自宅から三田まで来るのに既に1時間以上、ここから日吉まで行けば更に1時間は優に超えそうだ。結局諦めて有楽町で昼飯を食って帰宅した。

帰宅してから雨は止んだが薄ら寒く、個人的には一種の厄日だったかもしれぬが、改めて東京の変貌ぶりを観察することになった。大学に通い始めたのは60年安保の前の年。当時は新宿から山手線で渋谷まで行き、1年生の時は渋谷から東横線で日吉まで。2年生からは渋谷から田町行きバスで慶応大学前までだった。今日はその渋谷からのバスを利用した。山手線の外側はワシントンハイツなるアメリカ軍関係者の住宅が立ち並び、渋谷の街自体もなんとなく薄汚れた感じで、東口から出るバスも本数はそんなに多くなかった。

今朝は地下鉄副都心線で行ったので、地上に出るのが一苦労。流石に高速エスカレーターを利用してしまった。東口から見える風景も大きな様変わりだ。昔は東急文化会館が威風堂々の感だったが、これもヒカリエなる高層ビル群の一つに過ぎない。バスの停留場は番号が87番、雨の中警備員に3回も道を訪ねてやっと辿り着く始末。東急文化会館と東横百貨店を繋いでいた空中歩道は、両者とも無いのだから当然無い。本当に高層ビルの谷底だ。バスは昔通り渋谷から恵比寿に抜け、白金北里研究所前、魚籃坂を抜けて国道に出るが、兎に角平屋建ては1軒も無く、両側は全てビル。

今朝観るともなくつけていたテレビが水問題を取り上げていたように思うが、これだけビルが立ち並び人口もそれなりに膨らめば、地面が重い重いと悲鳴をあげてるような気がする。東京が地盤沈下しても不思議はあるまい。

2023年2月26日日曜日

春待つ東京

 今日は朝から殊の外寒い、87年前、昭和11年の今日226事件突発の朝は、今日以上に寒かったに違いない。何れにせよ春はまだ遠い、ひと月も経たぬうちに花見の季節が来るとはとても思えない。昨日になるが昼間から銀座のライオンビアーホールと新橋の小さな飲み屋で大分飲んでしまった。30年以上前に社長と折り合いが合わなくなって飛び出すように辞めた会社の後輩が設営してくれた。毎年恒例になってる行事だが、昨日は初めて2年後輩で長らく管理畑にいた後輩が参加してくれた。

こちらはずっと営業畑だったので在職中個人的な付き合いがあったかと心配してたが、会って話をすると結構プレイベートにも付き合いがあったとのこと。若い頃は小さな会社だったせいもあり、相手構わず飲み歩いていたのだろう。彼は定年まで勤め上げたらしいが、すごく若々しい。酒も強いし話の内容が面白かった。管理畑にいるということは、入社早々から経営者の側近だから、営業しか知らないこちらと異なり企業の深層について深くコミットしてきた訳だ。

小生も小さいながら会社の経営に携わったことがあるので今では少し理解できるが、経営者は社員に向けてる顔と個人の顔は大分異なる。勿論銀行や税務署向けにも取り繕った顔を用意しなければならない。彼には一生涯守らねばならぬ秘密も沢山ありそうだったが、時効になったことだけでも十分興味深かった。しかも管理畑なのでOBたちの消息にも通じていたし、賑やかな会で楽しかった。

会とは無関係になるが昨日銀座と新橋を歩いて思ったのは人通りの多さ。コロナ前のように外国人ばかりとはならず、日本人が多いし、ビアホールは昼というのに超満員。殆ど我々同様日本人の団体だったように思う。我々の中にもコロナに感染した経験をもつ者が6人中2人いたが、二人共入院はしたものの軽症で済み、少なくとも昨日の段階では後遺症の心配も無さそうだった。台湾好きの後輩が居て、3月半ばにコロナ禍以来初めて台湾に行けると喜んでいた。

遠い異国では戦争が続いてパッとしないが、東京の真ん中では庶民が結構楽しみながら春を待ってる感じが濃厚だ。

2022年8月12日金曜日

夏休み

 正午前、雨は未だ降ってないが、早朝から強い風が吹いている。東京で風の唸りを聞くのは珍しい。明日からのお盆に備え左右のお隣さんは。どちらも別荘に行かれれたようだ。車庫が空で、主な戸はシャッターが降りている。たまたま我が家のペンキ塗りが18日から始まることに決まったので、昨日両家に挨拶に出向いた。左隣の奥さんは昨日から19日まで河口湖の別荘とのこと。右隣の奥さんは避暑については何も仰っしゃらなかったが、例年草津の行かれるので、やはり昨日のうちに出かけられたのだろう。

ヨーロッパの異常気象関係報道を見てると、南欧の特にフランスでは山火事が延々と続き、近隣諸国から消防が多数応援に駆けつけている。日本では信じられない乾燥で、大河が干上がり、船の運行が難しっくなっているらしい。農業への影響も大きいだろうが、アルプス観光も氷河の消滅などで大きな被害がでてるとのこと。地中海沿岸の避暑地の経営者が「将来観光業が成立しなくなrのでは?」と心配していた。そこに行くと日本は未だ程度が良い。東京から車で半日足らずで千先メートルを超える場所に行けば、そこそこの涼しさの中で、冷たい飲み物や美味しい料理を楽しむことができる環境がある。

兎に角東京の住宅街には、盆と正月は独特の静けさがある。車があればどこかに行きたいが、既に車とは無縁になってしまった。仕方なく明日は列車で長野まで日帰りで墓参りのつもり。台風接近で最悪のコンディションになるかも知らぬが、既に切符を手配してしまったので強行せざるをえない。従って、明日はブログも夏休みとさせて頂く。

2021年10月8日金曜日

日比谷の映画館

朝夕は少し凌ぎやすくなってきたが、それでもまだ日中の残暑は厳しい。制限解除なので昨日は久し振りに東京ミッドタウン日比谷まで映画を観に行った。この場所は嘗ては主に三井系の大企業群がオフィスを構えていた場所にある。日比谷と言えば昔から映画館街、何度となく授業をサボって映画鑑賞に通った場所だ。しかし現在は当時の面影は殆ど無くなり、映画館は2箇所に集約されている。の最大拠点が三井不動産が中心になっている東京ミッドタウン日比谷と言えよう。東京ディズニーリゾートも三井不動産が開発した施設だが、そっちには殆ど縁が無い。しかし日比谷は幾つになってもある種の夢が叶う場所とも言える。

観た映画は昨年の作品らしいが「007/NO TIME TO DIE」日系アメリカ人(ジョージ・フクナガ)が脚本から監督まで手掛けたシリーズ25作目とのこと。これまでの作品全ては観ていないと思うが、先ずは面白かった。原作者のイアン・フレミング氏はとっくに亡くなっているが、彼が生きている前提で監督がストーリーを考えたと思うが、近代感覚が随所に取り込まれている。

俳優陣も多彩で、昔のお色気専門のボンド・ガールズと異なり、主役のボンド氏以上に活躍するのも近代ならではだ。更にこの作品で異色に思ったのが、主役ボンド氏が最後に死んでしまうこと。タイトルの意味が分からなかったが、どうもそう言う意味だったらしい。映画なんか作り話の世界だから、シリーズの継承に問題無しと判断したのだろう。そこを新監督がどのように考えたか聞きたいところだが、彼としては2作目を手掛けるつもりが無いのかもしれない。

東宝が経営するこの日比谷の映画館は、全部で確か12室だったかのスクリーンを持つ巨大な施設。いわゆる<アイマックス>と言う特別料金を支払うスクリーンではなくて、通常料金のスクリーンで観たが、その迫力には圧倒された。昼飯も同じ建物内で摂ったが、如何にも都会らしい雰囲気で、料金の割に内容も良かったし、映画の後に日比谷公園を散歩出来たので田舎出身の年寄は大満足。60年くらい前初めて東京に来た頃の気分を味わうことが出来た。ただ制限解除と言っても人出はイマイチだから、東宝のみならずテナント店舗全店の景気回復にはまだ相当時間が必要だろう。 

2021年9月1日水曜日

都会の時雨

 何となく虚しい日が過ぎてまた月が変わってしまった。カレンダーも残りが2枚、昔からそんなに充実感があった訳でもないが、残り少ない人生がこんなに空虚なのは残念だ。昨日は夕方から雨との予報だったので、昼のうちに少し運動を稼ごうと思って神田方面まで出かけた。理由は一橋にうまい昼飯が有ることと古書店の店頭を冷やかしながらゆっくり散歩もまた良いだろうとの発想。

昼飯は一橋にある如水会館の1階食堂(一橋大学卒業生でなくても利用可能)のランチ定食。1100円と少し高いが、東京會舘が経営を担当しているので本格的でフレンチと言える。メインは数品の中から好きなものを選べる。選んだのはスズキのバターソティー、昔はサラダやコーヒーはビュッフェだったがコロナの影響でお仕着せではあるがスープと同時にテーブルまで運んでくれる。もちろんデザートのケーキなんかも夏らしいゼリーだったが美味かった。

このビルには幾つものオフィスがあって昼飯時は行列ができるほど混むのだが、コロナ禍のせいだろう、4人掛けテーブルに一人だから非常にリッチな気分になることが出来た。ここでゆっくりしてから神保町交差点に出て、古書店を冷やかしながら九段靖国神社前を通って飯田橋まで歩いた。飯田橋から千川までは有楽町線で精々15分足らず、下車後駅のすぐ近くのスーパーで買物をしたら、未だ大丈夫だろうと思っていた雨が降り出し瞬く間に土砂降り。目の前にビニール傘売り場があるが悔しいので軒先で雨宿り。

結局20分くらいはたっぷり待った。軒先で待った人は最大10人近く居たが、雨が止むまで我慢できたのは一人だけだったかもしれない。殆どの人がビニール傘を買って歩いていった。時刻は14時を少し回ったくらいだったと思う。洗濯物を干しっぱなしで来てしまったと言っていた主婦なんかの我慢できない気持ちは分からぬではないが、もう間に合わないのだから諦めればいいのにと思わないでもない。兎も角都会住まいの人は何かと忙しそうだ。

2021年7月8日木曜日

ご近所のこと

 昨日七夕について触れたが、その後でテレビで天の川を観て、天の川を最後に見たのがいつの事だったか思い出せなくなってしまった。これも都会暮らしが長くなったせいだろう。東京で見ることが叶わないのは何も天の川だけではない。初夏の風物詩とも言える燕の姿もほとんど見ることができない。逆に目につくのが建設現場と騒がしい人声と喧しい音が精神をイラつかせる。実は家の前に3箇所あった駐車場1箇所が1ヶ月チョット前から工事が始まり、整地→基礎工事が終了して鉄パイプの枠組みも完成。今週から建屋の工事に入った。

今朝トラック2台分の木材が運び込まれ、人足が8人で一斉に骨組みを組み始めた。今までの騒音は我慢してきたが、今朝からは槌音が喧しくて何もできない。これは彼等の昼休みに書いている。恐らく明日一杯で屋根を除く外側は完成するだろうが、当分の間こちらは最悪の環境下に置かれてしまいそうだ。仕方なく2階の窓越しに現場を観察して退屈を紛らわす。人足8人の親方らしき人物は一人、後は結構若い者がよく動いている。他に肌の色が異なる者が3人いる。コロナで入国が厳しくなったという割には。この辺には外国人が多い。

世の中の景気が良いのか悪いのか判断できないが、よくもこんなに多くの建物が立ち上がるものだと感心せざるを得ない。中には結構な豪邸風情もあるが、大方はマンション風情だ。半世紀以上前に越してきた時は、山手線池袋駅から歩けば30分以上の鄙びた都会の田舎。小さな商店や、職人さんが多く住む集落と言ってもいいような町だった。それが近くに地下鉄有楽町線が開通して新しい駅が出来るとみるみる様変わりした。小さな商店はほぼ一掃され、店を畳んで別の場所に移り住んだ人達も多い。子供たちの小中学生時代の仲間も殆どいなくなっている。

麦が主体だった畑は先ず駐車場に、後にそれが全て宅地に変身して行くことになった。国全体の人口減少に歯止めがかからないのに、東京の人口だけは増え続けている。当然ながらご近所の顔ぶれも相当変わった。代替わりもあるので家内が仲良く付き合っていたご近所さんはもうう4人か5人。その方たちも籠もりきりだと思うが、殆ど姿を見ない。年月とともに変わりゆくのは大都市の定め、仕方ないとせねばならない。

2021年3月24日水曜日

新宿と映画

18歳で初上京以来2年以上住んだ新宿は、ある意味で非常に懐かしい街とも言える。しかし新宿程移り変わりの激しい街もそう簡単に見つからないだろう。だから今や昔の面影はもう殆ど残っていない。昔と変わらないのは、小生と同じで地方から東京に来た若者で溢れていることかもしれない。今日は新宿まで足を運び、15ヶ月ぶりで映画を観てきた。映画館が多いのは昔と変わらない点ではあるが、所在地や館名が青年時代の記憶と全く違っている。

今日行ったのは昔東映の映画館があった場所で、京王電鉄の本社だったはずだ。今でも所有者は変わっていないのだろうが、ビルの9階が大きなシネコン「新宿バルト9」になっていた。観たのはアフガン戦争がテーマの「アウトポスト」。監督などのスタッフも出演者も知っている人は一人もいない。ただ数日前にNHK・BSで月に1度映画紹介をしている東大教授の藤原帰一氏が推奨していたのを観て、緊急事態も解禁になったので行こうかという気持ちになった。藤原氏が言うほど深刻さは感じなかったが、それでもアフガンから撤退できずに居るアメリカやその同盟軍の存在に思いが及んだのは確かだ。

アフガンはもちろんで、知ってるだけでも朝鮮戦争は仕掛けられた意味があるかもしれぬが、その後のベトナムやイラクなどに若者を送り込んでは殺しているアメリカの指導者の神経は測りかねるものがある。こう言っては何だが、最近は自国の若者を戦地に送り込むのを反省したからか、外国に紛争に火をつけて、外国人同士が殺し合うことに趣旨を変えたように見えなくもない。典型はウクライナと南米のベネゼラやボリビアと思うが、最近は香港の学生運動もCIAの資金で動いているなんて噂もある。

どこの国にも外国での工作を担当する組織があるのは当たり前のようで、英国の小説007シリーズやジョン・ル・カレのスパイ小説は読み物として面白いのは事実だ。しかしこういったスパイ工作で蹂躙される国家や、巻き込まれて命を失う人やその家族にすればとんでもに話だ。日本にそのような組織が無いことは良いことかもしれぬが、外国にはその危険が常にあることだけは承知しておく必要がある。

たまたまLINEのサーバーが中国にあったり韓国にあることで大騒ぎになっている。この会社のことは詳しく知らぬが、元ホリエモンの会社にいた技術者が韓国に渡って立ち上げた会社と聞いたような気がする。サーバーの所在は外国の方が当たり前だと思う。小生でさえ時にこのアプリを利用するくらいだから、利用者が8千数百万人と聞いても驚かないし、現在立派な大人になっている孫たちが中学生時代から使っていたことを思うと、何を今更の感がある。

2020年9月10日木曜日

変容し続ける大都会

 素人と言うか不勉強のせいか知らぬが、どうも景気というものに対する実感が持てなくて困る。報道ではコロナ禍で不況ということになっているが、池袋駅から直線距離にすれば1キロくらいか 歩くと2.5キロ程、バス停で7つ目か8つ目、我が家の周辺は、ここ数年新築ラッシュが続いている。半径50メートル以内に6,7大収容のコインパーキングが3箇所もあり、昼間はほぼ満車状態で。どが建設作業員の車のようだから、朝8時前には満車になっている。

これが大都市東京の1極集中を物語るものかもしれぬ。この風景は見慣れたものなので普段は大都市云々なんて感じなかったが、今日銀座に昼飯を食いに出掛け、改めて大都市東京を感じてきた。東京では産業らしきものの匂いは感じることがないが、建設業だけは沢山存在しているようだ。特に大手の殆どが昔は地方にあったかもしれぬ本社を東京に構えている。それが皆景気よく商売が成り立っているのだから、東京のエネルギーは凄い。

建設業は人が生活している町が破壊される、あるいは破壊することから仕事が始まる。先日書いた日月の歩みではないが、2011年の東北大震災に始まり、2013年に東京オリパラ2020が決まって以来この10年は、建設業には正に天の恵みだったに違いない。そのお零れに与っているのが、我が家の近くで働いている作業員たちだ。外国人も結構いるが、彼らの表情は一様に明るいく、飲食業界や小売店業界の人とは違い、コロナ禍なんてどこ吹く風の様子だ。1業界だけでも明るい業界があるのは結構なことだからこのへんでやめる。

実は昨日特に意味もなく昼飯に銀座に出掛けた。暑いので日向のアスファルトを避けて少しは涼しい地下街を徘徊したほうが健康上益しだろうと思っただけである。銀座から東京駅までの地下街は長いこと工事で汚れていたが、昨日行ってみると見事にきれいになっていた。そして東京駅に差し掛かると(行幸通り地下)、世界各国の駅の美しい写真が何十枚も掲げられ、ちょっとした美術館気分が味わえる。

そして東京駅の地下街、これが凄い。前から東京駅の地下街は他のどの駅より充実していたが、新装なった地下街は充実が一層増している。歩数を稼ぐために丸の内口から八重洲口まで最初は外回りを、復路は入場券を買って駅構内の店を見ながら歩いてみた。時節柄外国人観光客は殆ど見当たらなかったが、もし外国人が来れば東京の名所として1日の観光にあてる価値は十分あるだろう。

大学に入学して初めて東京に来た頃、大阪の友人とそのお父さんの見送りのために東京駅の特急「こだま」のホームまで入ったことがあった。その時見た「こだま」は信越線を走る蒸気機関車とは打って変わったスマートな姿だったことを思い出した。今では長野駅でも東京駅と同じように新幹線を見ることは出来る。でも大都会との差は否定し難い。

2019年9月17日火曜日

舞浜アンフィシアター

今日はひたすら眠く思考力ゼロに近い。昨夜娘への付き合いで、娘の通っているフラスクールの公演見学のため千葉県浦安市の舞浜まで行き、帰宅したのが10時半過ぎ。それからアレヤコレヤで結局就寝が12時になってしまった。普通は9時半か遅くも10時には寝ているので頭がボーとしている。就寝が遅い分だけ起床をゆっくり出来れば良いのだが、貧乏性故だろうがいつもの時間には目が覚めてしまう。

大阪勤務をしていた30年ぐらい前、東京でディズニーランドがオープンした。これに松下電器も大手スポンサーとなった。松下は当時勤務先の最重要顧客だったこともあり、オープンの際に宣伝担当者に同行して見学に行ったことがある。当時はロスにある本物に比べ少しスケールが小さいな感じた覚えがある。昨夜行った公演の劇場(舞浜アンフィシアター)がディズニーランドを含むディズニーリゾートの一角にあるのだ。

千葉県は先の台風15号の被害甚大で、未だにライフラインが復旧していない地域があるにもかかわらず、舞浜地区は殆ど被害がなかったようで3連休の最終日と合って結構な賑わい。5時開演とあったので舞浜駅に4時半ころ到着したが、先ずディズニーリゾートなる施設の規模にびっくり仰天。思い起こすと、我が家は二人の娘がいたにもかかわらず何故かディズニーランドとは無縁であった。従ってオープン当初のイメージしか無いので、行きがけの車窓からの風景や、駅から劇場(舞浜アンフィシアター)まで歩きながら見た施設の一部から類推して30年前のイメージは完全に払拭上書きされてしまった。

会場施設も立派ではあるが、賃料は1日180万円と出ている。娘も1万円近いチケットを何枚押し付けられたことやらだ。5時会場で公演が終わったのが9時半を回っていた。娘は2回出演すると聞いていたが、結局こちらからは発見できなかった。後で聞くと娘の方からこちらは楽に確認できたとのこと。それでも内容は面白かったので善しとしよう。ただ公演後に施設内にも駅周辺にもレストランは皆無なので空き腹を抱えて帰宅となった。この辺が如何にも日本的だ。

2018年9月24日月曜日

江戸の祭り

昨日は池袋西口で恒例の「ふくろ祭り」。駅正面の大通りは交通規制がされて大きな広場が出現している。そこには昼飯時から大きな神輿が何台も置かれて、法被姿の担ぎ手が大勢歩いたり屯していた。まだ序の口で本番は夕方暗くなる頃、神輿の数もさらに増えて14台となる予定、さぞ賑やかだったことだろう。とてもその時刻までは付き合えないが、昼の出し物の獅子舞と和太鼓の演奏を見物してきた。都会では神輿を担ぐことを趣味とする老若男女がいることは知っているが、獅子舞や和太鼓のグループがあるとは知らなかった。何れも妙齢のご婦人が混ざっているが、普段どんな生活をされているのだろう?余計なお世話だ。笑い

これに触発されて今日は我が町内の氏神さん「長崎神社」に初めて参拝して来た。先日のお祭りで新しいお札を頂戴したので古いお札のお焚き上げをお願いしなくてはと前々から思っていた。半世紀以上住みながら氏神さんに参拝したことがないとは不信心の極みだが、場所が西武池袋線の椎名町駅前なので縁が薄すぎる。しかし敷地もそこそこ広く立派な社で祭神は 須佐之男命(すさのおのみこと) 櫛名田比売命(くし なだひめのみこと)、創建はは不詳だが、江戸中期には既にこの地の鎮守であったらしい。山県有朋が揮毫した日露戦勝記念石碑などが建っている。

しかし参拝者は少ないようで、境内をうろうろする間に見かけたのは同年配の人一人だけ(ひょっとするとホームレスだったかも)。掃除も行き届いているとは言い難い。古いお札の納め所も無いので、掃き集められたままの落ち葉の脇に置いてあったプラスティックのゴミ箱の中に納めさせてもらった。昨日の池袋の氏神さんは御嶽神社だが、ここにも行ったことがない。浅草神社とか神田明神のように上手く観光地化しているお宮は別だが、年に一度のお祭り騒ぎは盛大に行われても、一千万都市に多く存在する筈の神社の維持はなかなか大変なんだろう。隣接の宮司のお宅もひっそりして人気が感じられなかった。

2018年7月27日金曜日

都市の防災

ここ3日くらいは凌ぎやすい日が続いていたが、台風12号が明日から明後日にかけて首都圏にも相当な風雨を齎しそうとの警報が出ている。予報通りとすれば東から風が吹き込みそうなので、今回のリフォームで全く触らなかった東側の雨戸を明るいうちに閉めてしまった。準備万端整えると、大概無用のことになる場合が多いが、1年に1度くらい埃まみれになって雨戸を引いてみるのも悪くはあるまい。数年前の冬、雨戸を閉めずにいたら雪が吹き込んで障子が駄目になったことがあるので防災訓練のつもりでもある。

先日奥多摩に行った時思ったのだが、今年は首都圏も降水量が多いようだ。奥多摩湖は何度も見ているが、あんなに満水だった姿は初めてだ。街中はからからに干上がっているが、首都圏も山の方に行くと今年は雷雨が多いのかもしれぬ。なんでも首都圏でも洪水の恐れは多分にあり、下町の方では地下鉄が水没する恐れさえあるらしい。現住所の標高は最寄り駅の表示によると30mを少し超えているようだから、水害の危険は少ないかもしれぬが、何かの拍子で電力の供給がストップする可能性はあるだろう。

どこかに雷が落ちて電線が切れたと言った狭い地域内のことであれば、復旧を待てばいいかもしれぬが、広範囲になると他のライフライン、水道やガスだって止まる可能性があるのではなかろうか?防災訓練が喧しく報道されているが、いざ全てのライフラインがアウトになった時の対応は全く分からない。生きているうちには関東地方に大震災なんかは起きないことを前提にしている訳だが、昨日の多摩市ビル火災の報道ではないが、嘗ては東京と言っても大分田舎で、住宅と畑の面積は五分と五分だったこの辺りも今や立派な住宅街、畑は一枚も見当たらない。

我が家同様狭い家と安アパートが軒を接して連なっている。空きスペースは全て駐車場で、夜は兎も角、昼間は車が埋まっている。先日、町会のボス的おばさんが来て戦時中の火災について話をしてくれたが、近年防災訓練など出来る状況ではなさそうだ。雨風も怖いが、いったん火の手が上がれば延焼は一昨年の糸魚川火災同様に事態にもなりかねない。リフォームにかこつけて婆さんが用意していた防災グッズも全処分してしまったが、罰が当たらないことを祈るしかない。

2018年6月29日金曜日

季節外れの夏

今朝も長女が大汗をかきながらやってきた。旦那の実家からサクランボが届いたのでとのこと。有難いが、とても一人では食べきれない。ご近所にお裾分けをしてくるよう依頼。朝飯は昨日に全く同じで、電子レンジ-チンのご飯で取り敢えず腹だけは一杯にする。兎に角暑すぎて出歩く気にならなかったが、流石1時過ぎると腹が空く。食べない訳にもいかず、いつも飯屋に。

暑いな!と言いながら座ると、親父さんがいきなり「梅雨が明けたそうですよ。」「エー!」てなものだ。どうせ今朝のニュースはFIFAワールドカップの日本第3戦で埋め尽くされているだろと思い、報道を熱心に見る気にならなかったので知らなかったのだ。帰宅して改めて確認すると、6月の梅雨明けは気象庁でも戦後初めてらしい。長生きしてると珍しいことに遭遇するものだ。

夏が早く来ても今のところは特段困ることも無いが、店の親父が言うことには「本格的夏休みの季節に雨降りが続くなんてことにならなきゃいいですけど・・・」も尤もなことだし、今でも水不足で困る人も多いかもしれぬ。先のことを心配しだすときりがない。「熱中症にならぬよう気を付けて下さいよ。」の忠告だけは真面目に受け止めた。

季節を大事に考える日本人故、季節外れのことはあまり嬉しくなさそうだ。

2018年6月4日月曜日

東京水

三日ほど夏のような日が続いた。日中外を歩くには帽子が必要になる。幾つもあったはずの帽子が1個もないので仕方なく近くのスーパーで1個購入した。形的にはハイキングにも使えそうだが、顎ひもが無いので本格的な山用にはならないだろう。

帽子が有ろうと無かろうと、この暑さになると流石に喉が渇く。帰宅してコップに氷を放り込んで飲む水がたまらなく美味い。亡くなった家内は何故か飲用水を必ず買い置き、お茶を淹れるにしても製氷器にも水道水を用いなかった。お勝手のことは一切口出ししないと決めていたので文句を言ったことは無いが、昔から不思議に思っていた。スーパーで他人を見ても、水を購入している人は大勢いる。

外国では水道水は飲用にならないとする国は多いし、事実海外へ旅行した時は封の開いていないペットボトルの水しか飲んでこなかった。日本でも大阪時代は水道水が不味くて飲む気にならなかったことも経験した。従って場所によってはペットボトルに入った飲用水を常用せざるを得ないところもあるだろう。幸い石原知事の時代だったかどうか忘れたが、知事が「東京の水を輸出したい」と自慢していたが、これには同意したい。

ペットボトルの水にはフランスのアルプスの水だことの、国産でも産地を自慢するようなケースが多いようだ。しかし原産地がどこであれ、加工品の水には不安が残る。東京に戻ってからのことだったと思うが、六甲の水を使ったウィルキンソンの水だったか炭酸水から異物が発見されてニュースになったこともある。最近は山の渓流ですら「飲用に適さない」との注意書きを見るようになった。孫たちが小学生の頃、温泉の注ぎ口からお湯を救って飲むのを見て慌てて止めさせたこともある。

とかく不便な世の中ではあるが、東京の水道水には今のところ全幅の信頼を置いているので水道局の皆さんには頑張ってもらいたい。因みに我が家の所在は板橋区と豊島区の境に位置する巨大な水道タンク裏である。越してきた時からこのタンクはコンクリート造りで存在していたが、数年(ひょっとすると10年の上かな)前に巨大な施設に生まれ変わった。一度工場の見学をしたいと思っているが未だ実現していない。

2017年10月18日水曜日

我が家の周辺

久しぶりに朝から陽の光が差し込み生き返る心地がした。人間には雨も大切であるのは分かるが、3日以上降り込められとやり切れない気持ちになってしまう。明日からまた雨の予想なので今日の陽射しは有効に使うにしくはない。と言っても変わり映えの無い道の散歩ぐらいしか思い浮かばないが、外気に触れるだけでも有難い。

変わり映え無いと書いたが、思えば近所の風景も随分変わった。50年も経てば変わらない方がおかしいだろうが、東京の風景、日本の風景、人間の住み方は随分変わるものだ。家並みだけではなく、生活様式がいつの間にか大変化している。父母の生涯もこんなに大変化があったのだろうか?これからの世代は世の流れをどう見ることになるのだろうか?なんて変なことを思ったりしたが、そんなこと分かるはずが無い。

己の生きてきた環境の変化をありのままに受け止めるしかない。ただ言えるのは総体的に一貫して良くなり続けたように思う。77歳になってしまったが、更に生き延びると、いつの間にかピークを通り過ぎて「昔が良かった」なんて思いかねないことが少し気になりだした。かと言って生きる環境は我が手に負えることには非ずだ。願わくばこれ以上日本に大きな変化が起きないでほしいが、そんなにうまくいくはずは無いだろう。

2017年10月7日土曜日

ふくろ祭り

未だ小雨が降っていたが、昼飯を食いに池袋西口に行くと普段と違う交通規制が敷かれていて、今日は「ふくろ祭り」だったことを思い出した。既に大通りでは<よさこいダンス>イベントの実行中で、次から次へとチームがやってくる。昨年は見逃したかもしれぬが、今日暇なので立ち止まって何組か見とれてしまった。このイベント回を重ねて既に18回だそうだ。年々盛んになるようで今年も110組以上が参加しているらしい。

5チームのダンスを観ただけでも富山からの来たチームや、横浜から来た関東学院チームなんてのもあった。学園のチームは分かるが、富山から来ましたなんて皆さん、どのような繋がりで集い合うのだろうか?間近で観させて頂くと、相当な年齢差があるようにも思う。でも皆さん笑顔で息を合わせて華やかに踊ってくれる。観ていて楽しいし、少し羨ましくもある。人垣の最前列にベンチが用意されていて、子供3人連れた白人の家族が陣取っていたが、親父さんはスマホで動画を撮り、お母さんと子供たちが盛んに拍手していた。

富山から自弁で出てくれば幾ら掛かるのだろうか、なんて下種っぽいことを想像しながらも、自分が楽しみながら他人を楽しませるのだから偉いものだ、感心せざるを得ない。

他には空手の演武もあった。池袋には極真空手の本部があるのでお祭りを盛り上げるために駆り出されたのだろう。子供たちの演武も良いが、何かのチャンピオンと紹介された青年の演武は流石の迫力だ。両端を固定した野球のバットを叩き割るのも凄いが、仲間が手で支えているだけのバットいとも簡単に撫で切ってしまった。この流派の創始者大山氏はビール瓶を手刀で撫で切ったそうだが、この青年も真似出来るのかもしれない、なんて思ったりした。

池袋西口の氏神様は御嶽神社で、その御祭禮の神輿宮出しは9月に終わっているのだが、このイベントは週をずらして毎年この時期に行われる。どちらもそれなりに見応えがあるので、今年は今日偶然に片方だけでも観ることができてハッピーだった。

2017年9月9日土曜日

もう秋祭り

今日と明日は我が町内の氏神様(長崎神社)の秋祭り。昔は我が家の前も朝から賑わったものだが、商店街が無くなってしまったので10分以上歩いて地下鉄千川駅入口付近まで足を延ばさないと、気分が出ない。ここにはスーパーがあったリするし、バスの往来も激しいので人通りが多い。歩道に沿って神社の幟が立ち、歩道の広い場所に設けられた天幕の休憩所には浴衣がけの老人がウロチョロしている。昼間から祭囃子が聞こえていたが、どこから聞こえてきたか確認できなかった。

18歳まで長野市内にいたが、当時の秋祭りの祭囃子は、夜に入ってから獅子舞について歩くお囃子の音だったように思う。演奏していたのは浴衣に手拭いで頬被りした田舎のおじさんが相場だった。我が町内は獅子舞は出ない。今日は昼間に子供神輿が出るだけなので、一緒に大太鼓も引き回してその周囲を祭囃子で景気づけ盛り上げているのかもしれぬ。

嘗て我が家の向かいにいた息子さんが、町内の祭り太鼓のリーダーだった時代もあったが、今はどこでどうしているのだろう?娘より3歳くらい年下で、自衛隊に入隊して、除隊後看護師になったことは知っているが、ひょっとしたら帰ってきて子供たちを指導しているのかな、なんて思ったりした。それにしてもこれだけ都市化しても、他に笛やら鐘やら演奏する人がいるのだろうか?或いは休憩所で音源だけ流していたのかもしれぬ。

長崎神社のお祭りの1日は雨と相場が決まっていたが、今年は珍しく2日とも快晴になりそうだ。明日が本番で大人神輿が出る日。婆さんはご苦労会のために作る煮込み鍋の準備をし始めている。食卓には神社のお札と郵便局から来た年賀状の予約案内が一緒に置かれていた。

2016年7月28日木曜日

時の流れと東京の風景

昨夜NHK・BSプレミアムで放送された「アナザー ストーリー」サブタイトルは正確に記憶していないが、内容は「国立代々木競技場の建設秘話」を観たが、面白くて見応えがあった。実はここが1964年に完成以来一度も行ったことが無い。しかし、昭和34年4月に上京して3年近く新宿に住み、山手線を使って通学していた関係で、印象的に思い出深い場所でもある。当時はあの場所はワシントン・ハイツと言われて米軍に接収されたままで、我が住まいと比べくもない小奇麗な住宅が立ち並んでいた。

また当時の国立競技場のプールは千駄ヶ谷の競技場内の室内と室外の2か所があり、大会が無い時は一般に安く解放されていたので、新宿に住んでいた関係から夏なんぞは特に涼を求めて泳ぎに通ったものだった。昭和30年代後半になっても、学生が自分の部屋に扇風機を持つなんて贅沢が出来る者は少なかった筈で、夏になると室外プールは長野の市営プールと同じように混雑していた記憶がある。

4月に上京して間もなく5月の末には東京オリンピック開催が決まった。当時としては大変なニュースであったろうが、こちらは学生だったせいだろうか、へ~てなことで大したインパクトが無かったように思う。理由は簡単だ。当時の東京は既に非常にダイナミックに動いていたからだろう。4月に来た時既に東京は、動き回った道は全面舗装されていて、とても下駄ばきでなんか歩く気はしなかった。にも拘らず、新宿の木造モルタルで6畳一間のアパートから数十メートル先の大通り青梅街道にでると、その舗装(田舎者からすれば貴重なものだ)が剥がされて地下鉄工事が昼夜兼行で進んでいた。

昼間道路は枕木で蓋がされているので分からないが、むしろ夜の工事の方が活気があった。オリンピック招致の決定でこの活気が東京全域に広がったのだろう。兎に角東京は日を追うように風景が変わるのが当たり前だったように思う。上京した時には東京大躍進のシンボルは東京タワーだったが、5年後を思えば代々木の国立競技場は躍進のギアが一段と加速されたシンボルだったに違いない。電車の窓からワシントン・ハイツが、あの一風変わった競技場に変化していくのを目の当たりにしながら、なにも思わなかったのだから鈍感すぎる。時代の流れの真っ只中に生きているとはそんなものかもしれぬ。

競技場を米国相手の土地の返還交渉から始めて僅か5年で完成させたのだから大変なことだったに違いない。今の政治家や実業家にはとても真似が出来そうにない。オリンピックがきっかけとなって東京が、いや日本全体がどれほど変わったことか。当時のオリンピック招致には国民の大多数を巻き込んでエネルギーを結集させるだけの魅力があったのだ。なのに今のオリンピックは何だ、終盤を迎えている都知事選の中にも「東京オリンピック2020」は時々顔を出す。出てくる話の大部分が都民には理解し難い利権めいた話の修正論議で、ワクワクするようなことは何一つ無い。

オリンピックがあろうとなかろうと、東京は日々変わってゆく。その変わり行く末に待つところが何であるかは知らないし、見ることも無いだろう。子や孫たちが見るのだろうが、その姿を彼らはどんな感慨をもって見ることになるのだろうか?

2016年4月27日水曜日

東京の季節雑感

今日から少し天気が崩れるそうだが、それでもいい季節になった。これか出掛けなくてはならぬので今日は少し早めにアップする。都会住まいだから薫風香るとまでは言えないかもしれぬが、木々の緑は一層濃さを増し、ハナミズキが白やピンクの花をつけ、街路の植え込みにある躑躅が一斉に咲いたので植込みの色これまでと全く違って華やかだ。ご近所の玄関先に置かれたプランターの植物も溢れんばかりに咲き誇っている。

花の名前も分からぬが、何れも美しい。我が町はそんなに古い街ではない。50年前には麦畑だった場所に今やひしめき合うように並ぶ家々、お世辞にも邸宅とは言い難く、どちらかと言えば兎小屋との形容が似合うような家の方が多い。中にポツンポツンとやや大きめな家もあるが、玄関先のプランターに植物を育てているのは大抵前者のご家庭だ。大きな屋敷は屋内の手入れだけで手一杯で、外回りに気を使う暇が無くなるのは理の当然でもある。小さいながらも楽しい我が家なる台詞を昔はよく聞いたが、これが平均的日本人の心根だろうし、平均的日本人でいることが嬉しい春である。

朝方にはご近所の方々が草花に水やりをする姿をよく見かける。ご近所付き合いは一切婆さん任せなので知る人は少ないが、相手からすれば此方がどこの馬の骨かは先刻ご承知のことだろう。水やりは奥さんが多いが、中にお一人だけ男性がいる。多分あまりに齢に変わりがないリタイアメントだろう。この方は他所よりだいぶ大量の花を手入れなさっていて長時間玄関先におられるようだ。こちらを見かけると必ず朝の挨拶をくださる。

都会は田舎に比べ近所付き合いが無いとか薄いので云々とよく聞くが、必ずしもそうと限らない。日本人の人情はどこに住んでも似たようなものだろう。確かにところどころにあるアパートの住人については、婆さんに聞いてもよく分からないらしい。隣組当番になって赤い羽根共同募金の集金やお祭りの寄付集めの際など「あそこは行かなくていい」との申し伝えがある部屋があったりするらしい。我が家の前がごみの集積所になっているのだが、ここに違法投棄が時々あって婆さんが怒っていることもある。

遠方から自転車出来て投げ捨てる悪い奴もいるらしいが、アパートの住人も時々いるとのこと。婆さんは探偵宜しくごみの中に紛れ込んだ荷札なんかで住所を突き止めたリすると、犯人宅に文句を言いに行ったりすることもあったらしい。恐ろしい婆さんだ。今更のように「女性活躍社会」などとうたわなくても、婆さんを敵に回すと碌なことにならないのは今も昔も変わりないだろう。