2011年9月30日金曜日

この国のかたち??

夕方から出かけるので昼のうちに日記を書いた。特に憂国の情が強いわけでもないし、極端な愛国者でもないが日本以外の国に住みたいと思ったことは一度もない。現代日本を貶める気持ちもないが、昔の日本(特に江戸時代あたり)に生まれていても結構楽しかったのではと想像する時がある。

前置きは兎も角、司法、特に裁判官ともなると、極めて専門的な世界で、若い頃に学問を十分積まれ、人格も陶冶された方々のみが座に就くことを許されている、小生なんぞには別世界と信じている。たまに冤罪判決のような事が起きたりしても、それは裁判官の恣意的な誤りではなく、極稀ではあるが、たまたま何らかの事情で、調査不足等があっての誤審で、裁判官をあまり責めることは出来ないだろう。菅谷裁判のやり直しに関しても、元被告の菅谷氏は警察や検事に対して恨みつらみを言っているが、裁判官には謝罪を求めていなかったように記憶する。

更に、我が国においては裁判の三審制が取られているので、公正公平を欠くようなめったな事故は起きないだろうし、素人が口出すのは厳に慎むべきだと思っている。ところが、先日の小沢秘書3人の裁判と昨日東京高裁の判決が下った「沖縄密約開示訴訟」の結果を見ると、従来の考えを少し変える必要があると思わざるを得ない。

報道によると次のようになる「密約の存在と文書の保有を認定し全面開示と原告1人当たり10万円の損害賠償を命じた一審判決を取り消し、請求を退けた。文書保有の証拠はないと判断した。」要するに、外務省や財務省が1審で存在を認めている密約文書は当初あったかもしれないが、破棄されようが現在文書が無いのだから仕方がないでしょ、と裁判所が開き直っているのだ。

素人が感想を述べて申し訳ないが、現代日本のお白洲はどうなっているのだろう。お上のする事は下々の知る必要は全くなく、都合の悪い事は隠そうが無い事にしようがやりたい放題らしい。三権分立などと教わったが、奉行所が幕府の一機関である以上、司法と行政は常に一体で、幕府にたてつく奴はふん縛って牢屋に放り込む江戸時代の体制と何ら変わるところは無いようだ。

そしてもう一つの権威であるべき立法府だが、よく言われるように、ここの独立性も多分に危ういものだ。日本の中心に財務省が座っているとの説があるが、それは置くとしても、政府即ち行政府が、もっと言えば霞が関官僚が立法府をハンドリングしている事を全面的に否定できる人間はまずいないだろう。議院内閣制だから仕方ないとするなら、政権交代など全く無意味だ。

明治維新で革命的な改革を成し遂げ、さらに昭和20年の終戦以降に民主化が一気に進んだとも教わったが、とんでもない間違いを刷り込まれている可能性がある。結局江戸時代以降今日までずっとお上の存在は変わっていない。官僚にあらずば人に非ず、三権の上部にいるのは皆一蓮托生、全て高級官僚に他ならない。中東諸国を遅れた国と笑えないほど、日本もとんでもない封建国家だったりして・・・・。

2011年9月29日木曜日

展覧会

今日は1964年10月10日の東京オリンピック開会式当日を思い出されような爽やかな秋晴れが素晴らしい日だった。今月初旬、残暑の中で運動会を強行して熱中症の事故が発生した学校が随分あった。こんな日こそ運動会日和だと思うが、言っても始まらないか。何れにせよ彼岸も終わり、東京もすっかり秋の気配だ。薄暗い部屋に閉じこもっているのはもったいないので、昼前から六本木の国立新美術館に出かけた。地下鉄の乗り換えが多いので、いい運動にもなった。往復の階段だけでも片道300段を超えていたのでは。

昨日から開催されている第57回「一陽展」で友人(山友です)から案内(しかも今回は奨励賞を受賞している)を貰っていたので、久しぶりに展覧会の鑑賞だ。国立博物館などで開かれる企画ものの展覧会に行くことがたまにあるが、展示物の鑑賞より人混みにうんざりする事が多い。「一陽展」は伝統ある会の年中行事と言っても入場者の殆どは関係者と招待客だろう、ゆっくり鑑賞できるのが嬉しい。1時間半ほどかけて見て回ったが、絵や彫刻もじっくり見ると面白いものだ。

作者の気持ちが分かる気がするものや、どうしてこんな絵をかくのかなと不思議に思うもの。外国らしい風景なんかは分かるが、全くの抽象画については感想も言えない。中で印象的だったのは何百号と言う大画面に東北災害のニュースを伝える英語(だと思う)新聞を何枚も丁寧に広げたもの。これにはびっくりした。近くに寄って見てみると、びっしりと並ぶ各行に墨でアルファベットが丁寧に書き込まれている。作者の思いや製作日数を想像しようにも想像のしようがないのが正直なところ。しかし一番長時間足を止めて見たかもしれない。

ブースが全部で16コマあったから、出展数は絵画・彫刻を合わせると200点は優に超しているのだろう。弟がやはり美術に熱心で、リタイアした現在でも彫刻に打ち込んでいる。彼から県展などの展覧会に入選する事の難しさをよく聞いている。展示されている作品の裏には膨大な不採用になる作品があるとの事だ。友人からここ数年は毎年のように入選の知らせと展覧会入選の案内を頂いているので、着々と実力を蓄えつつあるのだろう。事実年毎に印象が深くなって、今年の作品は特に素人離れしていた。

絵画もここまで来ると、製作に掛かる時間と経費、それに作品の保管場所はどうなってしまうのだろう。とは言っても、作品の大半を売ると言うことになればもっと大変かもしれない。弟の作品については、奥さんが邪魔で困るといつも嘆いている。ウサギ小屋に住む小生の全く余計のお世話で、「ほっておいてくれ!」と叱られそうだ。

2011年9月28日水曜日

お仕事

代表は変わってもらったが、嘗て起業した会社の役員と株主として残っていることに変わりはない。その経営の根幹に関わる問題が発生していることは先週の日記に書いた。今日はその問題について、午後半日かけて新旧の代表がみっちり相談をした。言わば1年に何度もない役員会議と言える。

小生も青年社長も会社が潰れても仕方がないと思っているので、変な悲壮感はないが、ご時世とは言え無理筋のコストダウン要求に唯々諾々と従うのは面白くない。どこまでも冷静に正論を積み上げて、反論すべきは反論し、協力できるところは協力していくことでは一致している。

結果的にはどうなるか分からないが、一寸の虫にも五分の魂だ。来月の初めまでは少し忙しい思いをすることになるだろう。

2011年9月27日火曜日

もう少し何とかならぬか

昨日の小沢氏秘書3人の裁判結果は、当然だとか予想通りとする人と、反対に意外であり不当な判決ではないかとする人が、その割合は分からぬが存在するのは間違いない。小生はどちらかと言えば後者かも知れない。法律に詳しいわけでもないし、自分自身の論理的結論でもない。なんとなくマスコミの報道に小沢いじめみたい雰囲気を感じるので、面白くないだけである。

これだけいじめられてもまだ政治家を続けている小沢氏には「何が悲しくて、そこまで頑張らなきゃならないの?」と聞いてみたい。一方野党の諸氏には、二言目には「小沢と金」と言って騒いでいるが、「もっと決定的な案件を発見できないのかね?」とも聞きたい。何年も大騒ぎしている割には西松建設の迂回献金(聞くところによると、検察側証人の証言で迂回でも違法でもないことが証明され、訴因が消滅したそうだ)と、4億円の政治資金報告書への期ずれ記載しか出てこないのは何故だろう。極悪人なら余罪はいろいろあるだろう、野党か検察か知らぬがしっかりしろよ。

この期ずれのお陰で、今回の裁判では小沢秘書二人への「水谷建設からの1億円裏献金」が判決で断罪されている。これも一部の人に言わせると、裁判所が訴因と関係ないところで、第三者の事件を断罪していることになるらしい。もし本当なら、小沢さんに怒られるだろうが全くの笑い話ではないか。マスコミも相変わらずやきもきはしているのだろう。小沢氏の説明を聞き飽きているのは小生だけのようで、小沢氏自身の説明を国民は求めているのだそうだ。

確かにマスコミが言うように、小沢氏が国会でもどこでもいいから「申し訳ありません、私が悪うございました。」と言えば、日本中が明るくなるなら、嘘でもいいから、小沢氏に明日にでもやってもらいたい。そして鳩山氏共々バッジを外せばいいだけの事ではないか。そんなことにはなりっこないのだが、もし二人の引退が実現したらこの国はどうなるだろう?想像が膨らんでいい暇つぶしだ。

経産省の古賀某氏もめでたく退職になって、田母神閣下同様これからは稼ぎまくってハッピーになるのだろう。世の中すべては金次第だから、国会でもどこでも金の話ばかりだ。それが当然なんだろうが予算委員会の議論なんか、被災者をねたにしたおためごかしばかりで聞く気にもならない。

だれか本当に何とかしてよ!

2011年9月26日月曜日

ふくろ祭り

表題では何のことかお分かりならないでしょうが、我が家のすぐ近く、池袋西口のお祭りの事です。氏神様は池袋御嶽神社で、我が家の氏神様とは違うらしいが、昨日は神輿が16基も集結すると言うので、夕方5時半に間に合うように態々池袋西口まで見物に出向いた。西口前の広場は既に交通規制が張られ一般客は外、内側は股引や褌に法被姿で頭にはお定まりのねじり鉢巻きの人で溢れかえっていた。女性がいるのは珍しくもないが、結構な年寄りも多い。

定刻5;30になると特設の舞台に区長さんなんかもお出ましとなり、頭衆の木遣りに引き続き拍子木がチョンと鳴る。すると「オー」と言う掛け声とともに16基の神輿が一斉に上がり、「そいや、そいや!」と動き出す。隣でお父さんに抱かれて眠っていた赤ん坊までが目をさまし、今度は肩車をしてもらって手拍子を取っていたのにはびっくりした。人間は空気に何と馴染みやすいのだろう。勿論こちらの野次馬根性もその例外ではない。なんとなくわくわくしてくるのは否定できない。

祭りの実行委員長と区長さんの挨拶は、どちらも東日本の大災害とその復興祈願に触れていた。池袋周辺の商店街の景気も余り良くないようだ。「元気を出して、不景気を吹き飛ばし景気を盛り上げよう」との掛け声が、天に通じれば良いのだが、こちらの景気もあまり芳しくない。昨年に比べると担ぎ手は少しお神酒が足りなそうだし、観客の盛り上がりも今一つだったように思う。今年は日本の誰にとっても余り晴れ晴れしい年ではないみたいだ。

2011年9月23日金曜日

手前勝手の極み

寒さ暑さも彼岸まで、とはよく言ったものだ。台風一過で確実に秋がやってきた。15号台風は強風で交通網が完全に止まり、帰宅難民の出現など東京にも大変な影響を及ぼした。幸い我が家は被害が少なかった。家の周りがその辺から吹き飛ばされてきたガラクタでごみだらけになったのと、孫の遠足が中止になったくらいかもしれない。

長期天気予報では10月11月と気温が高めと言っている。しかし同時に大雪山系からは初雪の報せもある、結局は秋も足早に過ぎて行くだろう。我が家は仏壇もないので普段あまり考えないが、今日ぐらいは彼方の岸にいる祖母や両親、兄を思うべきだろう。「先祖はどんなことがあってもあなたを守ってくれる。だから仏様には必ずお参りをしなさい。」祖母の口癖だった。だから親戚の仏壇には必ず手を合わせるが、肝心の我が家には仏壇が無い。

人は死んだらどうなるか、本当のところが分かっている人はいないわけだ。だから、千の風になって広い大空から見守ってくれる、と考える事にしている。墓参りはお盆に行ったと勝手に思って、この彼岸はエスケープしている。むしろ向こう岸のどこかに向こうの親族が寄り集まって「お前の考えそうなことだ。」と皆が笑っているような気がしてならない。

この三連休出かける予定は無いが、仕事を任せた青年社長から「天下の一大事」と相談に与っている。聞けば確かに一大事で、唯一の得意先から業務委託料の大幅な見直しを要求されてしまったとの事。何でも新しい人が来て、委託料が高すぎる点を厳しく指摘されたらしい。従来の担当者からは「技術者の社長に任せていないで、ここは一番出番だよ。」とご丁寧なご指名もある。

何とか知恵を絞って適正料金である事証明しなければならない。しかし、何を以て適正とするのか、ゆっくり考えようにも悩ましすぎる。何れ遅かれ早かれ、乾いた雑巾状態から布が千切れてしまうことになるのかもしれない。ご時世とは言え秋風が身に浸むことになりそうだ。一生懸命仕事をしてくれる青年のためにも何とか無い知恵を絞りたい。考えが纏まらないので、つい仏様に頼りたくなった。いつもことだが都合での神頼み、手前勝手もいいとこだな。


2011年9月22日木曜日

物まね

中国で「AK48」と言いうユニットの発表があったらしい。何でも日本の「AKB48」コピーらしい。テレビで見る限り、歌唱力は分からないがかなりの美人揃いであることは確かだ。孫に怒られるかもしらんが「AKB48」なんか問題にならないと思う。さすがのテレビコメンテーターも「こんなことはご愛嬌で、文句をつける人もいないだろう。」と言っていた。

全く同感だ。日本でも「益田 喜頓」や「トニー 谷」はバスター・キートン、ダニー・ケイの名前を拝借して大スターにのし上がった。「AK48」も成功する事を祈ろう。

「物まね」と言うと余り感心した言葉の響きは無いが、「学び」は「真似ぶ」から来たものらしい。中国は新幹線ばかりではあるまい、あらゆる面で国を挙げて先進国を追い上げている。残念ながら(そうではないか)唯一政治体制だけは、欧米先進国を見習うわけにはいかないみたいだ。しかし、国連におけるパレスチナの国家承認問題なんかは、アメリカの意に反して堂々と承認すべきと唱えているのは偉い。

「学び」の先進国日本も、米国に追従するばかりではなく正論を述べるべきだろう。小生自慢にはならぬが、個性も独創性もない人間で、ブログに限らずよろず他人の「物まね」でこれまで過ごしてきた。今後もその癖は変わりあるまい。強いて言えば少し分別を働かせ、悪いと思ったことは真似をしないようにしたいものだ。難しいけどね。

2011年9月21日水曜日

北陸の山紀行


昨日一昨日と又山に行ってきた。今回は北陸の白山である。石川県出身の青年が日本3大霊山の一つだからと誘ってくれた。小生にとって山は全て霊山のようなものだから、3大霊山だからと言われて、特に気持ちが動いたわけではない。折角誘ってくれたのだから付き合おう、てなことで大分前に諸々の予約をしてあった。先週末の天気予報で、好天が望めないことがはっきりしていたが、同行の青年が行くと言うので同意して決行した。

結果的には登山の楽しさを満喫とはいかなかったが、悪い事ばかりでもない。この山、標高的にも位置的にも登山気分が堪能できそうな絶好のポジションに位置している。多分普段は登山客で相当な混雑をして当たり前だ。ところが今回は、混雑の全く無い貸切状態が続いた。先ず金沢から登山口までの1日1本しかないバス(季節運行で現在は土日祝日のみ)の乗客は我々二人だけ。しかもこのバス、珍しい事に車掌が乗車している。1時間半以上も掛かるので、乗務員二人と客二人、トイレ休憩を挟んで和気藹々だった。

山小屋は750人収容と大変な大きさだったが、宿泊客は7人。悪天候の登山だったので、乾燥室(精々6畳間程度のものだろう)が独占に近い状態で使用できたのが有難かった。この乾燥室、温風の吹き出しが大きくて強いうえに、早朝から運転してくれた。2日目の朝飯前に山頂往復したのだが、めちゃくちゃな荒模様で、靴を脱いで逆さに振ると下に水溜りができるほど濡れてしまった。下山の際又これを履くかと思うと気が重かったのだが、強力な乾燥室のおかげで出発の8:45までに、着るものは殆ど乾くし、靴の中も相当乾かすことが出来た。

とは言っても、お昼に登山口まで下山してきたら元の木阿弥であったのは勿論だ。帰路は同行の青年がインターネットで見つけたそうで、登山口から小松空港まで乗り合いタクシーなるものを予約しておいてくれた。これが又8人乗りのバンに乗客は二人だけ。運転手さんも気の好いオッチャンで、途中にちゃんと温泉時間45分まで見込んでくれている。場所は市ノ瀬温泉の何とか旅館だった。如何にも鄙びた温泉で、木の香漂う浴室に二人きり、頭のてっぺんからつま先まで十分に温まって、さっぱりすることが出来た。

因みに行きのバスが2千円、帰りの乗り合いタクシーは3千3百円、どちらも会社は間尺に合わなかった事だろう。帰りの飛行機が飛ばないとやばいと思ったが、これも15分遅れただけで無事帰京。10年近く飛行機に乗っていなかったので、飛行機そのものや空港の変わりようも珍しく、羽田から池袋に直行のバスがあることも初めて知った。

他にも山小屋で相部屋になった3人が面白かったというか、特筆に値する。先ずメインの男女二人、二人とも50歳にはなっていないと思うが夫婦でないのは明らか。何でも広島と熊本の人らしい。彼等は地元の山岳ガイド(60歳前後)を同行している。初日はたっぷり時間が有ったので、最初は山岳ガイドに登山に関する事を教えてもらっていた。夕食を済ませてから、客の方とも話をし始めると、このお客さんもお話が上手で世相百般に渡る。内容的には賛同しかねる人もいそうな雰囲気もあるので、具体的には書かないが兎に角面白かった。

更に不思議なのは、山に関してはそんなに経験がないのではと思われたが、どうも霊山周りをしている様子である。と言っても普通の山岳宗教の行者でもない。結局二日目の朝、我々はゆっくり起きて下山するつもりになっていたところ、4時起きになったのはこの同室になったお客のせいである。ガイドさんを急き立てて、山頂の奥宮を目指すとの事。ガイドさんも行くと言うので、我々も同行させてもらい、結局山頂を踏むことが出来た。おまけに、山頂で祝詞におつきあいしたら、この山の神様があなたの体の悪いところ「前立腺肥大」を治してあげると仰ったとの有難い仰せ。

更に、これから神事が行われるので、先に帰って食事をしてくださいとの事。しかも、ガイドさんが途中まで送って下さると言う丁寧さ。何とも不思議な体験だった。

山行きの詳細は下記をご参照願います。
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-135436.html

2011年9月17日土曜日

他人事ながら腹が立つ

東電の福島第1原発事故の補償金請求用紙が約6万世帯かに届けられたとの報道がでた。テレビ新聞は一斉に取り上げているが、当事者でない小生から見ても腹立たしい。配布先の約6万世帯がどのように選ばれているか知らぬが、損害を被っている世帯がそんな程度で収まる筈はない。送り付けられた書類の量を見ただけで腰を抜かす人も少なくないだろう。

何か月前かの報道で、東電では補償のためのスタッフを5000人増員して事にあたると言っていた。この5千人は今まで何をしていたのだろう?ひょっとしたら中心業務がこの書類制作だったのかもしれない。3月11日以降損害を及ぼした範囲は大凡分かっているのだから、それこそ自治体の協力を仰いで住民全員のリストの提供を求めたらどんなものだろう。個人情報が滑ったの転んだので、出来ないと言うに決まっている。

それこそ超法的な措置でも何でもしてもらって、被災した地域で3月12日に在籍した全世帯に通知して、補償したいのでご請求をお願いします。項目は概ねこれとこれとこれ、領収書など添付できる書類はこのようにして下さい。てな話にしたらA3の用紙2枚か3枚で済むだろう。その代り返信が来てからの処理は大変かもしれぬが、5千人も要員を準備していれば、既にかなり広範囲に相当の仮払いは進んでいるだろう。

保険屋の契約書類ではあるまいに、出来るだけ払いたくない下心が丸見えである。何よりもお上意識が抜けきっていない。高い給料も5%カットしただけだし退職金や年金も手付かずらしい。ここ暫く勝俣会長、清水前社長、西沢社長の姿をとんと見かけない。電事連会長は関電に代わっているので、東電のリストラ、補償は我関せずのスタンスで逃げている。嘗て電力と言えば経済界のトップに君臨していた時代もある。身は貧してもお客の事を第一に考えてこそ、リーディングカンパニーだろう。

JR北海道の社長は、業務改善策を経産省に提出準備が整ったところで自裁されたようだ。自殺を褒めるものではないが、比較するに現在の東京電力トップからは、化けの皮がはがれたと言うべきか、財界リーダーとしての誇りもなにもかも失われたと断ぜざるを得ない。

2011年9月16日金曜日

残暑

中秋の名月もとっくに過ぎているのに、残暑と言うのも悔しい程の蒸し暑い日が続いている。毎晩のように月は煌々と見えているが、東京に居ては「あの月を取ってくれろと泣く子哉 一茶」の風情も何もあったものではない。しかし天気予報を見ていると、長野県なんかは最高と最低気温の差が10℃以上になってきている。田舎では秋の気配が相当に近づいている事だろう。

今日も仕事で都心を歩いたが、まだ完全に真夏である。汗びっしょでビルに入ると、ガンガンに冷えた冷房が心地よい。今日で9月の夏日数の記録が塗り替えられることになりそうだ。そうは言っても来週の金曜日はお彼岸、「暑さ寒さもなんとやら」いま暫くの辛抱だ。日本人にとって良い事かかどうかは分からないが、季節が確実に変化する事が、ある種の我慢強さに繋がっているのではなかろうか。今月発売の「文藝春秋10月号」に英国ザ・タイムズ東京支局長『政治こそ日本最大の「災害」だ』<民度と政治家は表裏一体>として書いている。

以下引用ーーー
言論の自由が認められ、公正な選挙が行われている民主主義国家では、国民の身の丈に合った政治家しか望むことが出来ません。ですから、自分たちが選んだリーダーに対して、肩をすくめる行為は感心できません。多くの日本人は、政治を地震や津波と同じような「自然災害」だと受け止め、「ガマン」して諦めてしまっているように思えます。「ガマン」は日本人の美徳ですが、この現状は決して健全とは言えません。ーーー引用終わり

言わんとするところは分からぬでもない。小生もそうだが、つまらぬところで我慢強いところがありそうだ。



2011年9月15日木曜日

読後感「耄碌寸前」 森於菟 著

書店で偶然目にしてタイトルがユニークなので読んでみた。勿論著者については全く知らなかったが、文学者、医者、軍人として高名な森鴎外氏の長男で知る人ぞ知る人らしい。著者は1890年生まれで、父親と同じ東大医学部を卒業したお医者さんである。徴兵は免除されていたようで、台湾帝国大学に赴任している。専門が解剖学と言うから養老孟司氏と同じだ。養老氏も「バカの壁」とか面白い随筆を書いているが、森於菟さんは余り難しい事は言わない。

文章は、やはり父譲りもあるのだろうか、なかなか達者で洒脱なところもある。1967年に亡くなっているので77歳か78歳まで生きられたと思うが、亡くなる5年前頃に書かれた作品を中心に編集されている。中でも書名となっている「耄碌寸前」が秀逸である。数えで72歳(昭和36年)とあるから、正に小生の現在と同じ年齢にあたる。

「私は自分でも耄碌しかかっていることがよく分かる。記憶力はとみにおとろえ、人名を忘れるどころか老人の特権とされる叡智ですらあやしいものである。」から始まりこんな文章も出てくる。「ともかく不幸中の幸いは私が凡庸な人間に生まれついたことだ。私は医学者としても大きな仕事は残さなかったし、思うところあって文学者にもならなかった。偉大な頭脳の持ち主と言われた父に較べれば如何に卑小で不肖の子であろう。だが、いたずらに己をさげすむことはすまい。」

書き出しのこの二つの文節には心を強く打たれた。著者は書き進んで更に言う「天才は夭折すべきである。61歳で世を去った父は少し早すぎたかもしれぬが、私がこれからしばし生きなければならない耄碌のカスミの中に日本のメートルと言われた父を生きさせたくない。」そして最後に締めくくる。「若者よ、諸君は私に関係がなく、私は諸君に関係がない。私と諸君との間には言葉さえ不要なのだ。」

医学を学んだ人は人間の宿命を科学的に理解するものらしい。凋落を必至とする肉体、その一部である大脳機能が衰えを見せ始めるときの事を。我が友人のお医者さんも言っていた「日野原重明先生、ありゃ少し老害でないの」似たような現象があちこちに見える今日この頃に思いが行ってしまった。


2011年9月14日水曜日

「正心誠意」VS「野次」

ブログを書くことをあまり快く思わない婆さんが、昨日珍しく書けと言った。
理由は、総理の所信表明演説に対する議場のヤジが酷すぎるとの事だ。小生も聞いたが通しはネットの国会チャンネルであり、部分的にはNHKのニュースだからヤジは全く聞こえない。最近のマイクの性能、指向性が良いからだろう。
夜のニュースで一瞬、自民党元幹事長武部勤氏が何か叫んでいる様子が出たが、音声はオフになっていた。民放ではヤジも結構拾っていたらしい。議場に居ると演説が聞き取れないとはいつも言われている事なので、想像するに結構な騒ぎであったのだろう。

婆さん曰く「朝青竜や草彅剛と言ったスポーツ選手や芸能人に品位や品格なんか求めなくてもいいから、せめて政治家にはそれを求めてほしい。国会と言う極めて神聖であるべき場が学級崩壊状態では子供教育上まずい。他人の話を先ずよく聞いて、然る後に反論があれば、発言を求めて堂々とすればいい。と平素先生方は子供たちに言って聞かせている筈だ。」ま、仰る通りだろう。

「でも、ヤジを飛ばしている先生方は発言の機会が与えられないので、悔しいけれど仕方なく、存在を証明するために精一杯叫んでいるのじゃないかな。」反論すると「ならば、テレビ局はもっと彼らのヤジを拾って放送してやればいい。若手ならいざ知らず、ベテランとされる彼らの家族や支持者がその姿を見てどう思うかだ。」確かにこれも一理ありそうだ。何と言っても500人近い議員様がいる衆議院の事である。1年中開会していても審議なんてほんの僅かな時間しかなく、全ての立法に関われる議員なんて一人もいないだろう。

特に野党なんて役所からもまともに相手にされず、フラストレーションを溜め込んでいるだけかもしれない。婆さんに言わせると、野党の存在意義は嘗ての長妻さんのように、特定のテーマ(たとえば消えた年金とか)を掘り下げ、問題を政府に突き付ける努力をすべきだそうだ。そうかもしれない。野党は口を揃えて言っている。役人の書いた作文を読むだけの演説だったので、野田さんが何をしたいのかよく分からない。メディアの論調も概ね同じだが、彼らの理解力を疑いたくなる。

小生は総理のしたいことは非常によく分かった。しかし、不満と言うか注文はある。原発に関する事である。事故から半年、2000人もの人が連日汗水流している事は分かったが、原発そのものの現状は一体どうなっているのか。一時毎日のようにテレビに流れた1号機から4号機までの原子炉建屋内の想像図、メルトダウンしたと想像されている核燃料棒についてどこまで解明されているのか。炉内の冷却ははどこまで進んでいるのか。少なくともその程度の事は言ってほしかった。

更に大事なことが抜けている。福島の復旧復興無くして云々は分かった。したい気持ちも十分分かる。しかし、したくとも出来そうにない事にも言及せよだ。科学的知見に基づけば、この事故の影響で、少なくとも4半世紀程度は立ち入り禁止にせざるを得ない「死の町」が出現するのは避けられないだろう。これをチェルノブイリと比較してどう考えるのか。宮城や岩手にも地震津波の影響で土地そのものが消失した場所があるかもしれない。これも同様である。

これは、昭和20年8月に満州、朝鮮、台湾、南洋諸島、樺太等に移住していた人達と同じで、突然帰る場所を失い途方に暮れた人たちと同じことだ。こういった人がどのくらいのオーダーで出現するのか。復員局を設置するほどの数ではないにしてもゼロではあるはずがない。総理の明るく前向きに進みたい気持ちは分かるが、万事がハッピーに行くわけもないし、無い物ねだりをしても始まらない。最悪の条件に置かれる人の出現も想定して、対策を講ずる所信を述べてほしかった。

2011年9月13日火曜日

日本の将来

今日は久しぶりに幼馴染と昼飯を共にした。年寄りの話と言えば昔話と子や孫の話と相場が決まっている。彼はお子さん達と一緒に住んでいるので、若い人の行動や考えについてそれなりの観察ができている。小生はこのところ娘や孫ととんとご無沙汰なので、もっぱら聞き役に回った。

印象に残ったのは次の2点だ。一つは、現代社会では良し悪しは別として、大学を出ないと普通の人間として通用しにくい事。二つ目は、一応大学を出て就職しても、その会社にそこそこの年齢まで留まることがむしろ稀になっている事。前者について言えば、故にニートが増える原因となっているようだ。小生最近とみに思うのは、これからの若人が大学に行くことに如何程意味があるのかとの疑問である。

彼曰く「大学生の大部分は親の金とアルバイトで稼いだ金をもっぱら消費してくれるから、景気下支えの需要を生み出す大切な集団である。これがいなくなると日本の景気はもっと悪くなるかもしれない。」その彼等が卒業してニートとなり、消費に貢献できなくなる方が問題かと思うのだが。今更大学を減らす訳にもいかないだろうし、互いに専門家でもないので中途半端に会話は打ち切られた。

後者についてはこうだ「我々の時代と違って現代は、長年同じ会社に居ても給料や地位が自動的に上がっていくとは限らないし、見通しも立たない。それで面白くなくなり飛び出してしまうか、逆にもっと高みを目指して飛躍するかの何れではないかな。」あれこれ想像して喋っているが、本当の事はさっぱり分からない。僅か15年か20年で、社会環境がまるきり変わっている事を改めて強く感じた。

もともと子供の学校問題と進学に関しては全て嫁任せで、一切口は出さなかったし、心配もしなかった。ところが孫に関しては、進学から将来に至るまで内心少し気になっている。見届けることが出来ないことが自明なので、余計思いが募るのだろう。しかし彼の気持ちを聞けたとしても、十分に理解できるかどうか分からないし、アドバイス出来る事のあろうはずもない。

ま、毎日元気に学校に通っているを以て善しとしよう。

2011年9月12日月曜日

マスメディアの品性

野田内閣の経産大臣が就任わずか9日間で辞任せざるを得なかった。余人をもって代えがたい人材であったかどうかも分からないし、鉢呂さんを特別に擁護するつもりはない。昨今は政権内の高官が、たとえ冗談であったにせよ、それをネガティブに報道されたら一巻の終わりだ。テレビは旨い具合に気持ちを傷つけられた地元民を探し出してくるし、「あたかも死の町のようだった」を「あたかもゴーストタウンのようだった」とでも言っておけばよかったのでは、と訳知り顔に後講釈を説く解説者が儲かるだけの事だ。

鉢呂氏が言いたかった本質はさておき、下らぬ言葉尻を捕らえて揚げ足を取るのは如何なものかと思うが、電気紙芝居の得意芸だから今更目くじらを立てても仕方がない。しかし政治家までその尻車に乗ってはしゃいでいるのを見ると情けなくなる。野党第1党の総裁、幹事長が鉢呂氏の人間性を疑う発言をしている。オウンゴールでも得点は得点とは言え、失言で止めざるを得ない人間に対する追い打ちを苦々しく思う人間も中には居るはず。

少なくと小生はそうだ。「震災は天罰だ、津波で我欲を洗い落とせ」と仰った偉いお父上を持つご子息が、つい先日「911テロは歴史の必然」と堂々と演説されたようだが、テレビは全く取り上げていない。1社ぐらいはこの親子の発言に対して犠牲者の遺族に感想を聞きに行ってもらいたい。テレビについては我慢するにしても、新聞も酷すぎる。今度の「死の町」発言に次いで、各紙一斉に書き立てたのが「放射能を移すぞ」発言で、これが致命傷になっている。

「死の町」で叩かれているのに随分と不用意な人だな、と思っていたがネットで詳しく経緯を見ると順番が逆らしい。このように書かれている。

> 東京電力福島第1原発の周辺地域視察などを終えた鉢呂氏が議員宿舎に戻ったのは8日午後11時半ごろ(死の町発言の前日)
いつもの馴れ合いで記者が挑発したのである。「作業服着替えてないんすか」「そんな暇ないよ」「じゃ福島の放射能ついたままですか」「おっ?放射能つけてやろうか」<

これを10日の朝刊で全紙が一斉に面白おかしく報道したようだ。全国紙なんて偉そうな顔をしているが、いじめっ子集団とと大差がないことが分かる。1社ぐらい他紙と異なる見解で書いてほしいが、最終的には国を過つ戦争にまで国民をミスリードするする集団だ。みんなで渡れば怖くはないし、責任も免れるわけである。ジャーナリストに品性を求めるのは、小生に同じものを求める程に難しいものなのだろう。

2011年9月9日金曜日

お久しぶりです


今日は久しぶりにパソコンに向かいましたが、頭がまだ少しボーとしている感じです。しかも今日は、会社の社長さんがお休みなので、留守番しながら仕事もしなければなりませんし、参加しているグループメール(普段ほとんど利用していないのに、今週は何故か数十件の友人がメールを書き込んでいます)やら購読しているメルマガ等200件を超すメールを確認する必要があります。殆ど読まずに削除してしまいますからいいですけど。

さて自分の事ですが、台風12号の接近を承知しながら、日曜日から北アルプスを目指して信州に行ってきました。昨日結構疲れて帰宅しましたところ婆さんからは「誰も頼みもしないのに、あゝ疲れたなんて、呑気な爺さんだ」と笑われていますが、自分でも全くその通りだと思います。

今回行ったコースは、日曜日の早朝、上高地から入って槍ヶ岳に登り、そこから尾根伝いに北穂高岳に行って涸沢を経由して上高地に戻るもので山小屋で3泊もしました。槍ヶ岳に登るのが1泊2日掛かりですが、雨中登山で面白くも何ともありません。2日目の1時頃には山頂の山荘に到着しましたが、雷雲が発生しているので穂先への登山は禁じられてしまいました。ここで自宅に電話を入れて帰宅を1日遅らせることにしました。結局3日目の早朝に登ったのですが、既に火曜日になっているのに、北アルプスの峰は未だ五里夢中で、挑戦2回目(5年ぶりでしょうか)にして山頂に立つことが出来ただけに過ぎません。

ところがその後、太陽が昇ってくると台風一過で素晴らしい天気になってきました。既に北穂高岳に向かって歩き始めていたのですが、振り返るたびに槍ヶ岳の美しい姿が微笑んでくれたように思います。帰宅を1日延ばしましたので、この日は北穂高岳山頂の山小屋に泊まりました。予定ではここから降った涸沢小屋に予約していたのですが、3日歩き続けて疲れていましたので、電話で断ると快く「ゆっくりしてください」逆に励まされてしまいました。これが実は大正解で、アルプス一万尺の夕方の光景・夜満天の星。日の出からモルゲンロートと生涯二度と見ることが出来ないだろうと思うような素晴らしい光景を堪能することが出来ました。

4日目はここから一気に上高地に降りましたが、この日も素晴らしい快晴でした。さすがに4日歩き続けたので、疲れるであろうことを前提に上高地に泊まることには決めていたのですが、予定外でしたので宿の予約はしていませんでした。河童橋に辿り着くと、目の前に五千尺ホテルの看板があります。前々から一度は泊まってみたいと思っていましたので、飛び込みで入ってみました。シーズンが少しオフでウィークデイのせいだったのでしょうか、運良く部屋が取れました。大きな風呂を独り占めして垢を落とし、夜はフランス料理フルコースとワインです。誰かの婚礼に呼ばれた時ぐらいしか食べたことがない本格的なもので、もう何も言うことがありません。

昨日は上高地を梓川沿いに半日散歩をしましたが、ここの空気も何とも言えません。途中で出会ったスイスから来た青年も言っていましたが、ヨーロッパに負けない(私は行ったことがないので分かりませんが、彼が言うにはです)日本で一級の観光スポットだろうと思いを新たにしました。終わり良ければの喩え通り、結果的には素晴らしい山行きになりました。

山歩きの詳細はこちらでご覧願います。

2011年9月2日金曜日

新内閣への期待

台風が接近しているというのにピカピカの晴天になっている。しかし蒸し暑いのはやはり熱帯の空気が入っているということに違いない。内閣の顔ぶれも決まったようだ。ネット上では、論功行賞人事だとかサプライズ無しと報じられているが、小生には全く知らない人もいるし、安住財相、玄葉外相なんかは、「若すぎないか、大丈夫かなぁ」と思ったりもする。しかし、何も知らない年寄りが感想述べても意味がない。新閣僚の働きを大いに期待しよう。

それにしても、今回の民主党代表選から内閣改造の手続きは自民党時代とは勿論、民主党政権とても大分ユニークに思える。代表戦を実質3日で終わらせたのと同様、内閣改造ももっと手際よくできれば更に良かったと思うのだが、さすがにそうはいかなかったようだ。やっぱり難しい党内事情があるのだろう。果たしてこれで党内融和の実が上がるか否かはどうなんだろう。肝心の小沢さんと内閣の距離感が接近したのかどうか。今度は仙石、岡田グループが党内野党になって足を引っ張らないか。

心配しだせばきりはないが、今夜から来週の頭にかけて多くの識者が解説してくれる事だろう。今のところは、小沢さんの4連敗で党内影響力は著しく弱まった、説が喧伝されている感じもあるが、そう簡単に引き下がる人ではないように思う。問題は今後の与野党折衝だろう。自民党と公明党の距離感が微妙に変化してきているようだ。誰が作戦参謀か分からないが、野田さんの動きはフレッシュに感じるし、満更捨てたものでもなさそうだ。

官房長官が初めて聞く名前だったのも驚きだし、なかなか聞こえてこないが、自民党内部も相当ごちゃごちゃしてきているようだ。この辺も興味津々だし、一時政治に関心が薄れた婆さんも、また話に乗ってくれるようになった。

2011年9月1日木曜日

読後感「アンダーワールドUSA」ジェイムス・エルロイ著 田村義進訳

書店でぱらぱらと読んで面白そうだったので買ってしまったが、正直なところ余りお薦めできない。400ページ以上のものが上下2巻になっているので、読破するのに相当な時間を要した。舞台は1960年代から70年にかけてのアメリカが中心だが、時折カリブ海諸島のハイチに跳んだりする。近年大地震が起きたことは知っているが、併せてドミニカだ事のジャマイカだ事のと出てきてもどこに浮かんでいる島か或いは国なのか混乱してくる。都市の名が出て来てもどこの国の事かと戸惑うばかりだ。

かてて加えて、その国の政権担当者の事が頻繁に出てくるが、これもさっぱりイメージが湧かない。知っているのはキューバのカストロぐらいだ。我が国が半島の国々と切っても切れない繋がりを持っているように、アメリカはカリブ海諸国と深い繋がりあるらしい。主人公が一人に特定できないので又ややこしい。取り敢えずのところ、何れもLAの警官とかFBI捜査官とかの司法関係者と彼らの愛人女性とでもしておこうか。

これに絡む役どころで重要な位置を占めるのが彼らのボスにあたる人間だが、これがFBI長官のフーバーとか大統領のニクソンにまで及ぶ。登場人物でほかの有名人はハワード・ヒューズとかマフィアの親分衆、ハリウッドの有名スターもたくさん登場する。これらが全て何らかの繋がりがあってストーリーが構成されているのだが、本当にこんなこと書いていいのかね、と思うような内容ばかりだ。

先ず、ケネディー大統領やキング博士の暗殺は、共産化を防ぐためのFBIやLA警察が絡んだ権力犯罪である事は周知の事実で、登場人物の何人かはその実行に関与していた事を前提として構成されている。概要を書くことすら難しいほど入り組んだ話だが、兎に角出てくる人物に日本的な感覚での善人は一人もいない事もすごい。政治家や富豪がマフィアとつるんだり、司法関係者が有色人種を嵌めたりするのは日常茶飯事。

不倫、麻薬、潜入捜査、強盗、殺人、拷問、資金洗浄、人間の欲望と悪行をこれだけ当たり前のように並び立てるのは、日本人作家ではとてもできない事かもしれない。最近日本では島田紳助の事がニュースになったが、この本に書かれた相関と日常から見れば、凄くかわいく見えてくる。登場人物の多さ、時空の大きな広がり、たかがハードボイル小説と思いきや、読むのに古典なみ苦労だった。