2011年9月15日木曜日

読後感「耄碌寸前」 森於菟 著

書店で偶然目にしてタイトルがユニークなので読んでみた。勿論著者については全く知らなかったが、文学者、医者、軍人として高名な森鴎外氏の長男で知る人ぞ知る人らしい。著者は1890年生まれで、父親と同じ東大医学部を卒業したお医者さんである。徴兵は免除されていたようで、台湾帝国大学に赴任している。専門が解剖学と言うから養老孟司氏と同じだ。養老氏も「バカの壁」とか面白い随筆を書いているが、森於菟さんは余り難しい事は言わない。

文章は、やはり父譲りもあるのだろうか、なかなか達者で洒脱なところもある。1967年に亡くなっているので77歳か78歳まで生きられたと思うが、亡くなる5年前頃に書かれた作品を中心に編集されている。中でも書名となっている「耄碌寸前」が秀逸である。数えで72歳(昭和36年)とあるから、正に小生の現在と同じ年齢にあたる。

「私は自分でも耄碌しかかっていることがよく分かる。記憶力はとみにおとろえ、人名を忘れるどころか老人の特権とされる叡智ですらあやしいものである。」から始まりこんな文章も出てくる。「ともかく不幸中の幸いは私が凡庸な人間に生まれついたことだ。私は医学者としても大きな仕事は残さなかったし、思うところあって文学者にもならなかった。偉大な頭脳の持ち主と言われた父に較べれば如何に卑小で不肖の子であろう。だが、いたずらに己をさげすむことはすまい。」

書き出しのこの二つの文節には心を強く打たれた。著者は書き進んで更に言う「天才は夭折すべきである。61歳で世を去った父は少し早すぎたかもしれぬが、私がこれからしばし生きなければならない耄碌のカスミの中に日本のメートルと言われた父を生きさせたくない。」そして最後に締めくくる。「若者よ、諸君は私に関係がなく、私は諸君に関係がない。私と諸君との間には言葉さえ不要なのだ。」

医学を学んだ人は人間の宿命を科学的に理解するものらしい。凋落を必至とする肉体、その一部である大脳機能が衰えを見せ始めるときの事を。我が友人のお医者さんも言っていた「日野原重明先生、ありゃ少し老害でないの」似たような現象があちこちに見える今日この頃に思いが行ってしまった。


3 件のコメント:

かをる さんのコメント...

こんばんは~おじゃまします。

「耄碌寸前」読感後は、気持ちよさそうですね。
森於莬は、潔い人だったのですね。
老害と言われるほどに生きたくないですが…それも思うようには行かないのが常
ならば、この森於莬さんのように・・・これも無理か!
長く生きるとは、やっかいなことです。

まさやん さんのコメント...

謙虚な人が少なくなりました。
>「日野原重明先生、ありゃ少し老害でないの」
そう思います。先生の社会的活動の陰には、どれだけ
多くの人の手を、煩わせているのか存じませんが。
無心でニコヤカな顔を見る度に、そのように、
感じてしまいます。
素直な見方では無いかも知れませんが。

senkawa爺 さんのコメント...

まさやさん
コメントをありがとうございます。
幾つになっても現世を意欲的に生き抜いている姿に感動を覚える方も多いのでしょうが、生来怠け者のせいか、くたびれてくるとつい休みたくなります。