2016年11月30日水曜日

貧困老人

現政府の方針として今後は高齢者に対する福祉政策を厳しくしていく方針のようである。野党にはこの方針を阻止するだけの力が無いので、ということは国民がその方針を是認することに他ならない。幸い今年は高額療養費のお世話にならずに済みそうな状況ではあるが、年金支給額の見直しなどから想像すると、先行き短いにも関わらず、些かも不安を感じないと言えばうそになる。

どうせ先行き長くないのだから年金を有り難く頂いて、その範囲で生きていればいいだろう。貯えなんか無いに等しいが心配するまでもなく、いけるところまで気楽に行こうの人生である。ところがある専門家(著書「下流老人」を著わしたNPO法人ホットプラス代表理事 藤田孝典氏)に言わせると、あまり気楽に考えてはいけないようだ。厚生年金の平均的な支給額は現在月に14万円とのこと。現在のところ平均値より少しましではあるが、政府方針からすると遠からずその線に達するのではと若干の心配も起こってくる。

無収入の年寄りがあまり長生きすると、生活水準を確保できない線に予想外に早く到達して、相談に駆け込んでくる老人がめっきり増えているらしい。なんでも生活保護基準は首都圏では1か月あたりの収入が概ね13万円以下らしいが、確かに14万円ということになると大差がない。暢気に構えて長生きでもしてしまうとそんなことになりかねぬとは知らなかった。確かに社会のお役に立たない人間が、若い有為の人と同じ空気を吸って同じ飯を食うというのは無駄なことかもしれぬ。

その意味から言えば現政権の方針に難癖はつけられない。今現在なすこともなく、健康オタクを気取っているのは社会のためにも自分の為にもならないように思えてくる。願わくば序でに高齢者にもっと厳しく諸法令を見直してはどうだろうか?例えば高齢者に発行されているバスの無料パスを停止して70歳以上は公共交通料金を高く設定するとか、70歳以上には自動車運転を禁止するとか、映画館なんかのシルバー割引もやめて、フィットネスとか健康施設の利用も高額するとか、いじわるの方法は限りない。

思い切ってそうすれば高齢化社会の弊害は徐々に緩和されるかもだ。なんて馬鹿なことを考えたりしたが、長寿があまり目出度くない時代になってきたのは確かだろう。先ほど91歳になられて尚矍鑠たる大学入学時の保証人の方と話をしながら思ったりした。

2016年11月29日火曜日

価値観の違い

昨夜テレビを観ていたら経済同友会代表幹事小林喜光氏という方が面白い話をしていた。曰く「世界のどこであれ、経済人は企業の利益最大化のために努力するのが本筋で、他人の利益に思いを致すものではない。対するに政治は統治する国民全員に対し可能な限り公平に富を分配することに意を用いるべきである。自由主義の国家に於いて企業家の利益追求の権利は保証されているのだから、企業論理のみで言えば貧富の格差が生ずるのは当たり前のことでもある。」

「政治は真逆のことを考えなければならないのだから、政治家に経済人の行為はなかなか理解しにくいのではないか。」以下はあからさまには言わなかったと思うが、勝手に解釈すると次のようになる。「現政府は経済社会に余計な口出しをするのが経済政策と勘違いしている節がある。」勝手な解釈ではあるが、同じような論調の記事を見つけた。経済学者三橋貴明氏の主張である。曰く「亡国の全農解体」で、ご親切に引用はフリーである。

若い時に、25年間も全国農業組合中央会という全農の上部組織の機関誌「家の光」という雑誌の専属広告代理店に勤務していたことから、日本の農協という組織に人一倍思い入れを持っている。現在は農家戸数もかなり減っているので、農協なる組織が変わっていく必要はあるに違いない。一般の方はご存じないと思うが、農協は組合員が組織を作っている完全な民間組織で、確かに経済活動に大きくコミットもしている。

以下は三橋氏のブログでも言っている<完全な民間組織に何で政府が口を出さねばならぬのか?>政府は日本社会の構造改革を推進する規制緩和の一環として「「攻めの農業」の実現に向けた農協改革」と、実に「それっぽい」タイトルで進めようとしています。あたかも規制改革推進会議が真剣に日本の農業や農協について考えているかのごとき錯覚を覚えてしまいます。とはいえ、実際の提言の中身は、「全農の生産資材に関する商社ビジネスを禁止する」「全農は農家から農産物を全量買い取れ」と、民間組織である全農に対する不当介入です。一体全体、何の権利に基づき、政府の諮問機関に過ぎない規制改革推進会議が、全農を「破綻」させるための提言ができるのか、今でも分かりません。三橋氏は結果的に米国の大手穀物商社に日本農業を丸ごと引き渡すだけだと言っているのです。

加えて私見を述べれば次のように言いたい「終戦直後の食糧難の時代を、日本人がどのように乗り切って第2次、第3次産業を育成することが可能になったのか、その中で果たした農家・農村・農協の働きをもはやお忘れですか?」小泉進次郎氏に恨みもありませんが、いかに彼が頑張っても、数年で全農家の個別の事情を知ることは不可能。個々の農家の大部分は小林同友会代表幹事が言うところの経済人或いは企業論理とは全く異なる論理で農業に取り組んでおられるに違いない。

2016年11月28日月曜日

思わず笑った

安倍総理がニューヨークに住むトランプ氏を初訪問した時の手土産が「ゴルフクラブ・ドライバーの1本50万円もする高級品」ということは何度も報道されていたので知ってはいた。大体訪問自体があまり意味もないように思っていたので今日まで気にも留めていなかった。今日になって初めて知ったが、そもそもこの訪問についてはアメリカの駐日大使であるケネディー夫人が相当激怒してトランプ氏にクレームをつけたらしい。

流石のトランプ氏も「こりゃまずかった」と反省したようで、以降は外国要人との面会を遠慮しているらしい。その件とは別になるが、例の手土産がホンマ製品であることは知っていた。ゴルフクラブのホンマは昔ゴルフをしていた時代には高級品として有名だったが、久しぶりに聞く名前だった。それもそのはずで、すでに倒産していたことを思い出した。ところがよくある話ではあるが、中国系の企業が買い取って再生しているらしい。

昔からカスタムメイドを売りにしていたと記憶するが、現在もそうしているらしい。超高級品であればなおさらの事だろう。別にトランプ氏からのオーダーがある筈も無いので、官邸のスタッフが銀座かどこかの店に飛び込み、ウィンドウに飾ってあった品を強引に引き取ったとのことである。どうでもいいけど、中国を目の敵にしている総理閣下の思い入れ深い手土産が中国企業の商品というのは少し笑える話ではないか。


平安時代に「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」と即興の歌を詠んだ藤原道長という方がいたそうだ。総理閣下も絶対多数の議席に支えられて同様な思いであるには違いない。一方のトランプ氏も「我が世とぞ思う」思いは似たようなものだろうが、聞くところによると、どうしても入手できないのが他人さまからの「尊敬」とのこと。どっちもどっちのことだが、ボケ老人に笑いの種だけは提供してくれた。

2016年11月26日土曜日

国会のお仕事

行政府のトップに近い方が、立法府である国会を「田舎のプロレス」とどこか公開されている場で揶揄したらしい。これに対して野党の一部(民進党と共産党)が猛反発をして発言を取り消させたようだ。野党は何故発言を撤回させてのだろうか?発言をそのままにしておいた方が良かったように思う。大体現政権の国民を馬鹿にしきった態度に辟易しない人はどのくらいいるのだろう?政権の支持率が5割を超えているそうだが、この支持者な中にも政策的なことは別として、内閣の国民に対する姿勢・態度については首を傾げている人も多いことだろう。けれども野党に比べればまだ少しましということかもしれぬ。

昨日の厚労委員会かで総理大臣が、民進党委員の質問に対する回答のどこかで「そんなこと言っているから、民進党の支持率が上がらないのです。」趣旨の教えをぶったらしい。国会の議論は、一応各委員会の理事会の場でルールらしきものを定め、与野党で合意することになっているようだ。仕切り役としての委員長も与野党合意で選出された形になっている。しかし実態的には、内閣が提出した重要法案を審議する委員長が与党議員の場合、公平なレフリーの立場に立っていないことは明らかでもある。

確かに委員長も苦しい立場ではあろう。国民の理解が十分得られない法案については、いつまでも野党の質問を聞いてなんかいられない。内閣の意を戴してしかるべき時に採決に持ち込まねば鼎の軽重を問われかねない。自らも政党議員である以上それが与えられた仕事であり、党の方針が定まった以上職責を全うするのみで、理不尽だとか何とか聞いていられないのだろう。昨年の安保法制の鴻池委員長以来見慣れた光景でもある。

従って前述した安倍総理の発言も尤もなことかもしれぬ。しかしである、今朝の朝日新聞によると、昨日衆院厚労委員会で強行採決された年金制度改革法案について次のよう書いている。「厚労省が審議に先立ち10月半ばに発表した試算:今年度の支給額は3%減額する。国民年金(基礎年金)を満額受給している人は、月約6万5千円から2千円ほど下がる計算だ」

幸いサラリーマン生活が長かったので国民年金受給者ではない。しかし同委員会での総理答弁「国民の皆様ももっと貯蓄に励み、資産形成の努力をお願いしたい」これには相当頭に来た。貯蓄に励む余裕のない人の大部分は田舎のプロレス如き国会審議なんかに注意がいかないだろうからいいようなもの、まともに聞いていたら韓国並みの騒ぎになっても不思議はない。野党の先生方もi田舎のプロレスで勝てないのははっきりしているのだから、勝てる場所を探せよ。アメリカのトランプ次期大統領でも見習って、メディア工作の勉強でもしたらどうかね。

2016年11月25日金曜日

年寄りの冷や水

昨日の大雪にはびっくりしたが今朝は快晴。しかし寒さは本格的な冬の到来を感じさせる。このまま一気にとはいかないだろうが、これで今年は里山での紅葉狩りさえ機会を逸した感じだ。歳を重ねていくのだから仕方あるまいが、寒さのせいか昨夜急に膝が痛み出した。実は昨日雪の中、防寒対策を十分にしたうえで、いつものように池袋まで歩いてみた。当然ながら雨靴を履いて慎重に歩いたつもりだったが、途中の駅構内の階段でスリップして尻もちをついてしまった。その時は気が付かなかったがひょっとすると関係あるかな?幸い普通に歩いているうちに痛みがなくなってしまった。

これまでに腰を痛めて医者に通ったことはあったが、腰より先に膝に来たのは初めてのことだ。何も腰やひざだけの問題ではない。身体に潜んでいる潜在的不都合が、ちょっとしたことで表面に顔出す機会が、今後ますます増えていくことになるのだろう。昨夜は少し寒かったのか、鼻水が出たり喉の調子も少し変だった。朝食後に風邪薬を飲んだりしたので、こちらも一応収まったようだ。先日友人に教わったばかりの警句に「義理は欠いても、風邪ひくな、転ぶな」があった。教わったばかりなのに、ご丁寧に後期高齢者にとって重大なミスを二つ揃えて犯しているのだからどうしようもない。

婆さんが「なんで雪の降る日くらい歩くことをやめられない?馬鹿でないの!」あきれ果てていた。今日も少し歩いてきたが、これからはなるべく体を冷やさぬよう気を付けるしかあるまい。

2016年11月24日木曜日

ボケ予防

1週間くらいになるだろうか、寝る部屋が1階から2階に上がり、畳に敷いた布団から娘が嫁入り前に使っていたベッドに代わった。別にどうということもないが、婆さん曰く「地震が来た時の安全性が増すわよ」と同時に少し新鮮な気分ともいえる。以前の部屋は障子を閉じたまま使っていたので、起きても外の景色を眺める習慣が無かった。今度は起床から朝食までの時間が長くなったこともあり、起床してベッドを直してからカーテンを引くと、縦横90X300㎝の窓から外を見ることができる。

この窓の下半分は摺りガラスなので外から見えたとしても顔だけの筈だ。しかもうまい具合に眼前に5~60坪の空き地があって、その向こうにバス通りが見える。朝の人通りは少ないが、お天気と下界の様子がそこはかとなく感じ取れて面白い。今朝は昨日来の天気予報通り6時過ぎから雪に変わり、これを書いている今9時半過ぎにはご近所の屋根には雪が積もっている。何でも54年ぶりに早い雪だそうだが、そんな昔のことはとても思い出せない。

ただでさえ物覚えが悪いのに、このところ記憶がどんどん減っていくような気がしてならない。逆に言えば先月の引っ越し騒ぎ以来、身の回りの品々の断捨離と共に記憶も意識的に同様にしてきた節もある。昨日会食した高校同期の友人は毎朝4時に起床して読経・座禅・写経に約2時間費やすとまるで高僧のような生活習慣を語っていた。精神衛生にとても善いそうだが当然だろう。成る程と思ったのは座禅についてである。

したことが無いので知らなかったが、彼が言うには無念無想は難しく考えることではない。何も結跏趺坐と言った小難しい座り方でなくてもいいから、15分くらい座ったまま姿勢を正し、背骨をまっすぐにして深い息をすることだけ心掛けているそうだ。人間の脳みそは起きている間、何にもしていなくてもかなり活発に動いているので、できるだけ意識的に頭を休める時間を取ると海馬の収縮防止に役立つらしいとのこと。即ち認知症防止になるよとのこと。認知症の自覚は無いが、数年前脳ドックを受診したら可能性を指摘されたこともある。

幸い運転免許は返納して自動車で他人様を傷つける心配はないのだが、大いに参考とすべき意見ではあった。

2016年11月23日水曜日

見方考え方いろいろ

既にご承知のように安倍総理に対して相当偏った考えを持っているのだろう。いつも子供みたいに悪口ばかり書いて喜んでいる困った爺である。ものの見方や考え方にはどうしても個人差が出るのは仕方ないのではなかろうか。これを偏見と言うのだろうか?たまには違う考え方をしてみてはどうか、と示唆をされたような記事をネット上で見つけたので紹介してみたい。テレビにはあまり登場しない北野幸伯氏(国際関係の研究者。モスクワ国際関係大学国際関係学部卒業、1970年生まれ)の署名記事である。

曰く「安倍外交の大勝利。トランプ会談に出遅れた中国は皮肉と焦りの発言」と大見出しが打たれていた。内容を簡単に紹介すると『安倍総理は、即座にやってきて、「信頼できる指導者と確信した!」と世界に宣言した。つまり、安倍総理は、トランプさんのイメージアップに世界一貢献した。これで喜ばれないはずがありません。重要なのは、安倍総理の迅速な行動が、「日本国と日本国民の安全に大きく貢献した」ことです。』北野氏の著書を読んだことは無いがネット上で度々記事は読んでいるが、結構まともな人だと思っている。

期待を裏切られたような感じでもあるが、テレビに登場する評論家の大部分と同じ感想だから、このように考えるのが普通かもしれぬ。今後具体的になるであろう新大統領の対日政策を楽しみに待つことにしよう。

今日は首都圏在住の高校同期生9人が集まっての昼食会があって参加して来た。それぞれからの近況報告を聞いた中で印象に残ったこと。皆元気で第2第3の人生を歩んでいる様子ではあったが、奥さんを失くして一人住まいをしている友人が二人もいた。Y君がその一人だが毎朝4時に起床して、約2時間かけて座禅をしたりお経を読んだり写経をする生活とのこと。精神的にとても安定しているとの話には感心せざるを得ない。他にも毎朝10kmのマラソンを欠かさないK君とか、とても真似ができない精神力をもって老いと戦っている友人が多い。

比較するに当方はもはや終活準備だから些か情けないかもしれぬ。そう言えば別のY君が言うには、「1940年生まれの我々は来年は厄年」とのこと。後期高齢者にも厄年はあるらしい。何事も控えめにするよう薦められた。もの考え方にはいろいろありそうで、どれも参考になりそうだ。

2016年11月22日火曜日

好みではないが「地震大国」

早朝6時ちょっと前に福島沖でかなり大きな地震が発生したそうで、我が家でもかなりの揺れを感じた。福島県を中心に震度5弱を観測した地点が多く、引き続いて東北地方太平洋沿岸には広い範囲で1メートル前後の津波が発生した。被害の詳報は確認していないが、東京電力の福島第2発電所内で2544体の使用済み燃料プールへの冷却水供給ラインが自動停止して復旧に1時間半を要したりしている。人命にかかわる被害が出なかったので東京では大騒ぎにはなっていないが、沿岸部では船が流されたりして、個人的には5年前の大地震の再来と恐怖をもって受け止めた人も結構いるようだ。それだけに学習効果が発揮されて住民をはじめ自治体(警察や消防)や自衛隊等の避難への対応も迅速に行われたようだ。

気象庁では5年前の大地震の余震と発表しているが、新たな地震の予震でない証拠が本当にあるのだろうか?こういったことをどう受け止めるかが議論の分かれるところだろう。根が臆病のせいか、どうしても地震大国に住むことを心配してしまう。2011年3月11日東北大震災は千年に一度の事件と言う人もいるが、向こう千年東北沖に地震が発生しないなんて、寿命が100年そこそこの人間が言ってはいけないように感じてならない。

兎に角自然現象には逆らえないのだから、余り偉そうなことは考えない方が無事だと思う。しかし今の世の中、頭のいい人がいればなんとでもなるだろうと考えがちの人間が多いのは、日本が金持ちになりすぎたということかもしれぬ。

少しばかり金欠気味の当方としては、お天気になった昼間、日光浴を兼ねて永田町界隈を徘徊して来た。都心でも桜の葉がすっかり柿色に染まり大分散り始めた。数日で銀杏も真黄色に染まることだろう。昨日22日は、二十四節気の「小雪」、朝から薄暗く午後からは氷雨が降り始めた。今年は昨年と打って変わり寒さも厳しく、雪が多くなるのかもしれぬ。子供の頃なら大歓迎だが昨今はあまり歓迎する気にはならない。むしろぽつぽつ届き始めた喪中はがきを見ながら何となしに寂しさを感じてしまう。

2016年11月21日月曜日

将来のことは分からない

将来のことは分からないが、アメリカの次期政権は全員白人でしかもかなりの年配者が枢要なポジションを占めそうな雰囲気を感じている人は小生ばかりではあるまい。外国のことなのでどうでもいいと言えばそれまでかもしれぬ。でも戦前のアメリカはどうだったのかが少し気になり始めた。もしそうだったとしたら、次期大統領と現日本の総理は復古主義で同じ路線だから気が合うかもしれぬ。

但し、アジア太平洋経済協力会議(APEC)の首脳会議で、日本の首相はアメリカ大統領と2者会談を持つことが叶わず立ち話に終わったらしい。オバマ大統領の意をくんで、総理がTPPについて熱心に取り組んでいるにも拘らずである。このことをマスコミはどのように評価するのか、少し気にはなる。

年寄ゆえに古いものをあながち否定する気持ちもないし、若い人たちが世の中の流れ、風向きの最先端を掴み高く駆け上ること否定する気持ちもない。ただ何方にも「温故知新」という言葉を大切にしてもらいたいとも思う。アメリカ民主主義の基本路線について「歴代の米政権は、民主党だけでなく共和党でも、民主主義、人権擁護、人種差別との戦い、国連中心の国際協調主義をそれなりに重視することによって、戦後世界で米国が大きな役割を果たすことができた。」と書かれたブログを見つけたが、なるほどと思う。

3億人近い人口を擁する国柄だから、次期大統領が如何に「アメリカ第一」を唱え、白人至上主義者であろうと、この基本路線から大きくはみ出すことはないと考えたい。またいち早く面会を果たした安倍総理の感想 「会談は非常にうまくいった。これは大丈夫だなと感じた。彼は人の話をよく聴くタイプで、うまくやっていけると思った。選挙中の彼とは別だということだ。(安全保障面でも経済面でも)信頼関係を絶対に築けると確信した。」が本当であることを祈りたい。

2016年11月20日日曜日

マスメディアの矜持

自分自身だいぶ怪しげな文章を書き綴って公開しているので他人のことを言えたものではないかもしれぬ。しかし苟も国会での議論くらいは正しい日本語を使うように心掛けてほしい。当然ながらマスコミでしゃべる人も同じである。政府が南スーダンの内戦について、「戦闘ではないが衝突があったと承知している。」なんて意味不明の言葉を発したら、使った人間の無責任さを放置してはいけない。誤魔化しを徹底的に究明する矜持を持つべきだろう。

安全と強弁する南スーダンに送り出す自衛隊員に、なぜ十分な訓練を積んだ警護要員を同行させる必要があるのか。勿論危険であることを政府は十分承知して、その場を口先だけで取り繕っているだけのことだ。嘗て日本が戦争を「事変」と言い換えてずるずると大戦に引っ張り込まれ、挙句の果てが撤退を転戦、敗戦を終戦と誤魔化さざるを得なくなって、国民に大変な不幸を強いたことをよもや忘れてはいまい。マスメディアは言葉をもっと正確に使い、政治家にもそう要求すべきだ。昨日も書いたばかりだが、マスコミの責任は大きい。

昨日と同じことをくどくどと上書きしたのは、今朝のTBS「時事放談」である。普段は比較的興味深く観ることができる番組だったが、よりも寄って菅官房長官と先の都知事選で落選した増田寛也氏だった。官房長官が放談できるはずもなかろうが、幇間もどきの人との座談はちと酷すぎる。確かにここ何回か民進党の若手議員などをゲストに呼んでいたので、与党から何か聞こえてきた可能性はあるかもしれぬ。同じTBS昨晩の「報道特集」はスーダン問題について伊勢崎賢治氏のかなり突っ込んだ意見も紹介していたのに、折角の日曜の朝が台無しになった。

2016年11月19日土曜日

政治の世界は別なのか?

昨日は非常にウマの合う友人と久しぶりに会って、昼からお酒を飲んでしまったのでブログはさぼってしまった。かの友人も昔はブログに政権批判など書いたりしていたが、野党や労組までだらしなくなった日本の現状にすっかりあきらめムードで、ブログを書く気さえ起きないそうだ。彼は別にはたから書くなと言われているわけでもないのに余計なことは書くまいと決心している。偉いものだ。引き換えこちらは連れ合いに再三警告されているにも拘らず懲りずに再開してしまった。年寄りの道楽と大目に見ていただくしかない。

この週末は総理閣下のトランプ氏との会見でマスコミが盛り上がっているが、マスコミとは偉いものだ。この現象について手を変え品を変え日本政治あるいは日本政権の大事件であると仕立て上げ、今後日本人の生活に重大な影響をもたらす日であったかのごとく報じている。この会見によって日米関係が強化され、日本の平和とアジアの安定に資するところが大であるなら大騒ぎする価値は当然あるだろう。テレビに出演する評論家や与党系の政治家諸氏もそうであることを力説強調している。数か月か数年後には実態を踏まえた評価が出るのだろうが、変わらぬことを祈りたい。

たまたま今週読んだ何かの本に書いてあったが、<マスコミが偏向している>と目くじら立てて怒ってはいけないのだそうだ。マスコミが権力者にすり寄って偏向するのは、両者が持ちつ持たれつの関係にあることを考えれば当たり前、洋の東西でも大差ないらしい。仕方ないことと考えて読めばいいだけのことらしい。洋の東西は措くにしても日本では明治時代までは新聞を発行する人はかなりの知識人であり、読者を啓蒙する意図をかなり明確に持っていたようだ。社会の木鐸と称せられた所以もそこにあるのだろう。

当然読者は増える、その傾向が続いたどこかの時点で発行者の志も変化して商業主義の道に入り込む。そこに権力者側も付け込み現在のような癒着関係が形成されていったことは自然と言えば自然かもしれぬ。幸い最近は暇な身分なので新聞テレビも見るが、ネットにも同じくらいの時間を割いている。思うのは、ネットの情報は玉石混交であるが、マスコミが取り上げたほうがいいと思う情報も少なくない。

例えば安倍・トランプ会談一色の裏側で行なわれたオバマ大統領ドイツ訪問、大統領は英国も含めEU各国の首脳と会見をした。その内容をマスコミはどこまで取り上げたか?去りゆく大統領にメルケル首相は心からの寂しさを訴え、大統領は首相の協力を称え良い仕事ができたことの感謝を表している。(因みにメルケル氏は米大統領選でトランプ氏が当選した後の記者会見で、民主主義や自由、出身や肌の色とは関係ない人間の尊厳といった米独が共有する価値観に言及。「こうした価値に基づき、緊密に協力していきたい」と述べ、過激発言を繰り返してきたトランプ氏をけん制した。 )

時を同じくして金ぴかの御殿に招かれ、良い仕事ができそうだと喜んでいるような人と友達になりたくないが、政治の世界は別なのか。

2016年11月17日木曜日

塾も時には必要

我が家は子や孫も含め学習塾とは比較的縁遠い家族と言える。我々が高校時代までは長野市内に学習塾は無かった筈だし、婆さんが子供たちが塾に行きたいと言おうものなら「お父さんがちゃんと税金を払っているのだから、勉強は学校でしなさい。」と少し乱暴なことを言って子供たちを塾に行かせなかったようだ。当然の帰結で孫たちも塾に行こうと言わなかったか、行かせてもらえなかったかは知らぬが、高校生の孫から塾の話は聞いたことが無い。

そんなことはどうでも良いが、今日書きたい教育問題は青少年の政治教育についてである。東京や大阪知事の政治塾をはじめとして松下政経塾など、世に政治塾と称するものは多い。関心がないので半端な知識ではあるが、ここでの教育は政治家を目指す人のため専門知識を授けるのが主たる目的のように思う。敢えて言えば政治家教育であり、今日書きたい政治教育とは少し異なるようだ。

昨日に続いて徘徊の途中に立ち寄った場所で拾った俄か知識であることをお断りしておく。先週国会議事堂近くの衆議院憲政記念館に昼飯を食いに立ち寄った。いつも国会図書館の昼飯ばかり食っているので、たまには変わった場所をと思っただけである。そしたら無料で「普通選挙を目指して―犬養毅・尾崎行雄―特別展」があったので少し丁寧に鑑賞して来た。持て余すほどの時間を持つことは贅沢ができる証拠だ。

二人とも江戸末期の生まれで、明治23年の第1回衆議院議員総選挙から生涯を通じて(即ち犬養氏は昭和7年515事件で暗殺されるまで、尾崎氏は昭和28年の総選挙で落選するまで)政治家であり続けた。このブログでも老政治家については常に「早く引っ込め!」的なことばかり書いているが、憲政の神様とまで言われるこの二人については、老害を指摘する気ならない。何故か、この二人は心底から日本に民主主義が根付くことを希い、終生そのための努力を怠らなかったように思えるからである。

共に個人的な塾を立ち上げていることでは、小池百合子都知事と大差ないようにも受け取られかねない。勿論政治教育に関する出版もしている。その中でどのように述べているか、次に数例を引用する。「我が国には政治教育というものが無い」「今日に於いて最も急務中の急務は、我が政治教育を政治教育を学生諸君に施すことであると思うのである。党派的感情に支配されず、国家の利害休戚主眼とし、同胞の幸福を目的とする善政を施す為には、全然一時の感情を排除して、理性に訴えて判断するだけの政治教育を施すには、青年諸君においてまず第一にすべきである。」

「天下に恃むべきは青年諸君である。(略)私の今後取るべき大事業としては国民の政治教育を選びたいのである。」塾の講師に我が高校の後輩猪瀬元知事を招聘した人と同列に置く訳にいかない。

2016年11月16日水曜日

レガシー論争

<今日のテーマと関係ありませんが、前々回のブログで「トランプ氏は日本に来たことないらしい」と書きましたが、来日の経験があることを今日の報道で知りました。>

最近はこの夏までと少々趣を変えて都心部を徘徊している。長く東京に住んでいたが都心でさえ見過ごして来てる場所がたくさんあるので散歩にはもってこいでもある。先週に1回と今日再び神宮外苑の絵画館、正しくは聖徳記念絵画館と称するらしい、で開催されている特別展「幕末・明治を一望する -近代史を描いた巨大壁画-」を観に行った。昔から何度も外観だけは目にしていたが中に入ったことがなかったので非常に新鮮でもあった。

2020年の東京オリンピック会場絡みで川淵三郎氏が「五輪へ向け、世界に誇れるアリーナが、絶対に必要だと確信しています。レガシー(遺産)というのはお金の問題ではなく心の問題です。」と発言して、小池東京知事の考えに反発したことが大きく報道されたことがあった。このことに関してどちらかの肩を持つつもりはないが、神宮外苑にひっそり佇むこの絵画館こそレガシーだと感じ入った次第である。

ちなみにこの特別展の入場料は500円、上野公園の博物館で催される展覧会に比べると安いし、なぜか混雑していない。高々80点の絵画だが絵画が素晴らしいのはもちろん、説明文までゆっくり読めるので非常に見応えがあって、1回の鑑賞時間が2時間、合計4時間強かけてやっと80点(日本画と洋画に半々に分かれているが、何れも316号の大作)見終わった。天皇皇后両陛下もこの特別展を鑑賞されたとのことだが左もありなんである。

壁画はすべて大正末期から昭和初期にかけて、当代一流の作家が手掛けているが、絵の前面にサインなんかは入っていない。但し詳しい説明版があるので、作家の凄さから寄付した人まではっきり分かる。後世に伝えられるようなもの、レガシーとは、現代のように作者や関係者の自己主張ではなく、後の世の人が自然に伝えて形作られるべきものだろう。それにしても大正15年に完成したこの絵画館、中身を含め戦災に合わずに現在に至ったことは本当に喜ばしいことだ。ぜひ末永く大切に保存してほしいと願わずにいられない。


引き換えて現代のオリンピック施設のレガシー論争、前回のオリンピック会場の国立競技場を早々にぶっ壊した連中がどの面下げてレガシーなんて口にするのか。何れの案が勝つにせよ、どう転んでも目くそ鼻くその感がしてならない。

2016年11月15日火曜日

有識者と専門家

トランプ騒ぎも大分下火となりニュースネタが減ったのだろうか、NHK19時のニュースで「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」に関して随分長々とやっていた。テーマはご承知の天皇陛下「退位」めぐるりもので、先月だったかに引き続き有識者が専門家かの意見を聴取する2回目のヒアリングである。更に今月末もう1回似たような会議を開いて、年明け早々に有識者が結論を出すようだ。

会議とは言え、丁々発止の議論が交わされたような風情は、少なくとも報道からは伺えない。そりゃそうだろうよ、下々が畏れ多くも上御一人のご意向を勝手に捻じ曲げて、御意を無視しようとの企みだから。世が世ならば出席者や関係者は即全員打ち首になっても文句は言えまい。幸い戦後憲法のありがたき時代だから、それぞれが好き勝手なことを言っているだけで、何回会議を重ねても陛下のお心に沿う結論が出る筈もない。

憲法上天皇は日本の象徴であるだけで、何の権能も持たず、国の政に関しても国民の意思が最優先される仕掛けになっていることは耄碌爺でさえ分かっている。有識者と専門家の会議と言っても、意見を戦わすことなく結論めいたことも引き出せないのだから、街角の床屋談義や昔で言えば長屋のおばさん連中の井戸端会議と何ら変わりはないわけだ。せめて陛下のご意思を尊重して、議題を設定するならまだ分かる。もし内閣総理大臣であれば次のようにする。

1.1日も早く今上陛下の退位、即ち皇太子殿下への譲位を実現する。
2.その際障害となる要因は何か。憲法や皇室典範に規定がないことが最大だろう。便法を編み出すことに長けている日本の官僚と政治家だ。特に官僚だろうから、宮内庁の官僚に任せて1週間もあれば知恵が出るだろう。憲法解釈の変更でさえ平気な内閣だから、ひょっとすれば憲法に関連したって、やる気になれば何でもありだ。
3.今後のことについては、その後でゆっくり考えて内閣が法案を出せばいいだろう。
今回の陛下のご意向に沿って誰が文句を言うのか、簡単な話じゃないか。

会議を設置した政権の考えていることがこれと正反対であることは明々白々。陛下が個人的には極めて不自由なお立場に置かれていることを逆手にとって、あたかも陛下が個人的なわがままを言い始めた如き対応である。その意向に沿って嬉々として応じた有識者なり専門家の顔を見てくれ。過去から未来を見通してことの本質を見極めるには程遠く、現実に生きていくよりあの世に行ったほうがいいような面々ばかりだ。選ばれたことを本人は名誉と思っているのだろうが、国民を馬鹿にしていると言わざるを得ない。

2016年11月14日月曜日

普遍的価値

安倍総理は米大統領選挙でトランプ氏が勝利した時の記者会見で「日米関係は普遍的な価値観で結ばれた強固な関係」と強調した。これを聞いてへそ曲がりかもしれんが改めて違和感を覚える。日米関係が強固であることについては異論がないが、何故普遍的な価値観で結ばれたというのだろう?これも独特の見方かもしれぬが、相当にかけ離れた個別の価値観を持つ2国が結びついている不思議な関係であるとしたほうが適切ではないだろうか。日本側は相当に強固だと思っていることは間違いない。

アメリカ側でも大多数は同じように思っているだろうが、英国やカナダ、オーストラリアとの関係と比較した場合はどんなものだろうか?日本は戦争の結果無条件降伏をさせた国だし、そのまま押さえつけているから、いざとなれば相当無理を言っても日本が裏切ることはあるまい。しかし、少し甘やかしすぎているかもしれないくらいのことは思っている向きも少なくなくても不思議はない。次期大統領トランプ氏はビジネスマンだそうだが、日本で彼のビジネスはあまり聞いたことが無い。どうも日本に来たこともないらしい。

政治的な経験は皆無らしいが、長い選挙期間を通して様々な政治的発言をしてきた。詳しいことは分からないが、その発言が全米与野党の政治家やマスコミを含め多くの国民を戸惑わせてきたのは周知のことだ。勿論日本を含め外国でも真意を測りかねて、政治的対応をどうしたものか悩んでいることだろう。そんな中で、我が国の勇敢なトップリーダーはいち早くさしの会談を申し込んで快諾を受けている。見上げたものだ。虎穴にいらずんば虎児を得ずの心境なんだろう。

トランプ氏のビジネス哲学や政治思想など想像すらできないので、さしの会談から何が生まれるか分からない。個人的な経験からも、ビジネスでは当たって砕けろ!から思いがけないチャンスが生じたことはある。政治の世界でも同じことであってほしいものだ。しかし往々にして、相手をよく知らずして猪突猛進して大怪我することもよく聞く。トランプ氏がこれまでのアメリカンエリート(ベスト・アンド・ブライテスト)とはかなり異なるお考えをお持ちであることは確かだろう。日米同盟が両国にとって大事な同盟であればあるほど、互いの話が拙速であるのは褒められない気がしてならない。

2016年11月12日土曜日

心の栄養--懐かしい顔

昨日は高校の同期会があったので故郷の長野へ行ってきた。家を出るときは土砂降りで帰宅した時も小雨模様だったが、碓氷峠を超えて長野県に入ると青空が広がりはじめ長野に着く頃にはすっかり快晴になって素晴らしい一日になった。特に帰路の車窓からみる善光寺平の光景はまるで絵を見るようだった。高い山には既に雪が来ていたらしいが、雲のかなたの高い山はたなびく白い雲の上に薄紫の陰となり、幼い時遊び歩いた周辺の山々が紅葉に染まり始めて夕日に輝いていた。

正午から3時間以上に亘った同期会は出席者が55名、卒業時は9クラス編成で生徒数が430人位だった。幹事が非常に努力してくれているので、95パーセント以上消息を把握してくれている。物故者も増えて既に90人を超えた。出席者、物故者の名簿まで用意されていて渡されたが、こちらは頭が呆けてきているので名簿だけでは直ぐに思い出せない。皆似たようなものだろうが、名札を胸にして飲み始めると、だんだん調子が出てきて時空を遡り60年前に帰ってゆく。

誰もが同じではないだろうが、少なくとも私はこれまでの人生で高校時代の3年間が一番楽しかったと言っても過言ではない。ましてやここ10数年はあと何年の命かと心配したり、社会の厄介者である立場を悲しんだり、内心鬱々たる思いが無いと言えば嘘になる。勿論なかにはそんな心配していない人も少しはいるだろうが、殆どの出席者が似たような感傷を持っているに違いない。もう互いに身体の調子についてことさら聞くことは少なくなってきているようだ。

年寄りが集まると「孫の自慢と病気自慢」はよく聞くが、齢76歳、どうやらその峠も越したみたいな感じさえする。話の中で思いもかけぬ人からこのブログをことを持ち出されたことは正直びっくりした。ご案内の通り長く休んでいたし、再開も中途半端な形なので恥ずかしいと同時に嬉しい気持ちがある。言葉のマスターベーションでみっともないから辞めようとの思いも強かったのが、大分気が変わってきた。

同期会では誰か一人が講演するのだが、昨日は長野県の山岳協会々長まで努めた友人が山の話をした。彼は今年の8月、イランで5600mの高峰に上ってきたそうだ。これを聞いて改めて山への憧れは募るし、ブログも書き続けようと思った次第。昨日の会で思ったのは、人並みに身体が劣化してきているが、口先だけは相変わらず減らないものだ。ブログはそれを文字にしているだけのこと。古い友人から力を貰った思いだ。

2016年11月10日木曜日

米国大統領選挙

次期アメリカ大統領にドナルドトランプ氏が就任することが決まった。昨日の昼には決まるだろうと言われていたが、テレビで「決まった」と報道されたのは夕方になったらしい。国内の総選挙であれば開票が始まると同時に当選確実を打つ日本のメディアも、異国の選挙であると同時に期待外れで選挙結果を俄かには受け止めにくい理由が何かあったのかもしれぬ。アメリカ国内でも期待外れの人が半数以上いるらしいから当然かもしれぬ。

この結果をまるで予想していなかった政権や官僚はこれから暫く大忙しになることだろう。しかし、たまには忙しく働くのはいいことだ。節操を持たず、時の権力者に媚びるのがお家芸みたい人たちの集団だから、晋三君もそう時間を掛けず選挙期間中に会見を申し込まなかったことなど忘れたかのように「ハーイ、ドン 、コングラチュレーション!」とか何とか薄ら笑いをしながら握手を求めるに違いない。傍で見ている人間が気恥ずかしく思うかどうかなんて関係ない。

そんな神経を持ち合わせている人間は最初から政治家にはならないだろうし、日本の政治家としては務まらないとしたものだ。今日やっと次期大統領に祝意を伝える電話が通じたようだが、TPPについては国内でかなり努力しているにも拘らず、その努力の由縁を全く語らなかったと報じられている。さすが大人と言うべきなのか、はたまた政治音痴なのかはボケ老人にはさっぱり分からない。1週間後にはアメリカで直接会見するらしいので、その時何というのか?
この週末に評論家の先生に教えて頂きたいものだ。

マスコミに登場している専門家や有識者の解説が見事なまでに当てにならないことが証明されたのも米国次期大統領のおかげだ。世界各国がそれぞれに内向きになると世界全体の経済が縮小して、全ての国が不幸になると宣う専門家が今のところは多い。金持ちは貧乏になるかもしれぬが、貧乏人は金持ちになる筈はないので貧乏なままだろう。どこの国でも格差が小さくなれば、それはそれで善いこともあるかもしれぬ。

アメリカではトランプ氏の考え反対する若い人のデモが盛んとニュースが報じている。トランプ氏の考えなんて本当にあるのかなぁ?そこに行くと動じた様子を見せない日本人は立派なものかもしれない。何れにしてまた暫くはニュースを見る楽しみができたようだ。

2016年11月6日日曜日

パソコンの不思議

久しぶりに気持ちのいい秋晴れの日が続いた。9月の27日に始まった引っ越し騒ぎも、まだ微妙な調整は少し残っているが、ようやっと昨日でいちだんらくしたようだ。これも人生の一つの節目だろう。おかげで生活パターンがすっかり変わってしまっただけでなく、人生観というべきか性格までだいぶ変わってしまったようだ。このブログも書くのをやめようかと思ったのだが、昨日どうしたことか理由がわからないのだが、嘗て事務所で使っていたパソコンが急に9月と同じ設定に戻った。

昨晩自宅ですっかり使い勝手が悪くなったこのパソコンでネット碁をしていたところ、ゲームの途中、しかも相手が投了するだろうと思った場面で、急に「Windowsを更新します」とのダイアローグが表示され、訳が分からぬままネット碁画面が消えてしまった。アドリングマークの他に「更新中ですので電源を切らないでください」「再起動を何回か行います」との表示を1時間近く我慢して見続けていたが、なかなか進まない。仕方なく悪い冗談でないことを祈りつつ寝てしまった。

今朝になると、幸い悪い冗談ではなかったようで、更新が完了とのメッセージが出ている。その上びっくりしたことに、これまでデスクトップに表示されていなかったアイコンが従来通りに表示されている。この引っ越し騒ぎのなかでパソコンの扱いには本当に手を焼いた。途中で見てもらった専門家から「新しいパソコンをお買いになったほうがいいようです。」とまで言われたのだが、銀行関係の電子認証が設定されているので踏み切れなかった経緯もあったのだが取り敢えずはほっとした思いである。

この間、とにかく物は捨てること、過去にも未来にも余計な思いを持たないことに徹しようと考えてきた。お陰でだいぶ気楽になって、本も読まない、報道にもあまり関心持たずに、うまいものを食べて、できるだけ歩くことだけは心掛け、睡眠だけは以前より1時間は余計とるようになってしまった。これも考えればくだらない生き方かも知らぬが、今のところ「これもまた善し」と思っている。昔から手前勝手で好きなように生きてきているので、ご理解は頂けぬことだろう。

こんなに天気がいいのに早起きができなくなって、ハイキングに出かける気が起きないのが些か残念だ。せめてブログを書く気になっただけ善しとしよう。