2014年5月30日金曜日

さっさと片付けよう

昨夜は、今週ストックホルムで行われた日朝政府間協議の結果が発表されて、今朝にかけて報道は大騒ぎになった。これで政権は内閣支持率がまた少し上がるとほくそ笑んでいることだろう。日本からどんな条件が提示されたか本当のところは分からないが、北朝鮮のことだからお米とお金をしっかり毟り取ることが出来た上に総連が入るビルに居座る目途がついたのだろうと個人的には思っている。

人道上とされる経済問題で拉致被害者を取り戻せるなら安いことではないか。むしろ、米中ロ韓の6か国協議メンバーへの説明に手間取ったということだろうか。何れにせよ4か国も拉致被害者奪還の大義名分にはあからさまな反対は出来かねるだろう。しかし金正恩の延命に日本が力を貸すことは事実なので、裏でいろいろ条件を付けられたり牽制されていることだろう。結果が丁と出るか半と出るかはこれからの問題だが、拉致被害者家族連絡会代表の飯塚繁雄氏が仰る通りで、騙されないようにしっかりやってほしいものだ。

総理大臣がこの時点で態々記者発表をするのは、拉致被害者を人気取りの道具にしか考えていないみたいに思えてきてしまう。普通の神経であれば、もう少し控えめな発表をして、徐々に空気を盛り上げた方が良さそうに思うが、今後の展開に余程確たる見通しがあることを期待したい。人気取りのためのパフォーマンスはAKBのお姉さん並みだが、国会答弁となると支離滅裂なのは困ったものだ。

集団的自衛権に関する解釈改憲もそのものが土台無理筋で、理屈で論理だった説明がつかぬことは政府と自民党は先刻承知だろう。野党の方もこれ以上おかしな突込みはせず、さっさと閣議決定をさせたらいいと思う。問題は公明党がその時どう出るかだが、公明党の正体も明らかになって良いではないか。石原新党もできることだし、民主党も代表戦を仕切り直すなり、解党してしまうなりして少しすっきりする方が分かりやすくなる。

現政権に対して不満があっても、この政権が民主的な選挙の結果誕生しているのも事実。次の選挙までは、民意を代表している政治家の数で決着をつけてもらうしか他に方法は無い。しかし次の選挙を迎えた時に、代わりに投票したい政党が無いのがもっと困ることではないか。

2014年5月29日木曜日

ついて行けない

平成に入って気が付くと早26年目だ。昭和で約半世紀を過ごしたことを思えば、世の中がすっかり変わっていることに今更気がつくのは遅いくらいだろう。山歩きをしている時、自分では懸命に歩いているつもりでも、気が付くと若い人がずっと先に行って見えなくなっているようなものだ。毎日身体を動かし、新聞テレビからインターネットにまで接続して、何とか世の移り変わりについて行く努力をしてるつもりではある。

しかし一定の年代ごとに、人間の頭の中の歯車が根本的に違っていれば、車に例えれば20年前のモデルがいくら努力しても、あらゆる面で新車に及ばないように、脳みその回転速度か方向性かは分からないが、努力しても虚しいだけのようだ。なまじ現役世代のことは考えずに、老人同士で懐旧談にふけるのがベストかもしれぬ。本日はそんな思いで昔の事を書いてみたい。

昔はものを思わざりきで、正直なところ政治に関しては余り関心が無かった。我々とすれば、目の前の仕事をするのが務めであり、その仕事は政治とは無縁なものと思っていたせいである。実際は昔であっても政治は社会と密接に関係していたのだろうが、20代の頃は全く無関心であった。大学卒業して入社した会社が社員数が30人ちょっとの小企業だったこともあり、労働組合とは一切縁が無かった。

従って、生まれてこの方残業手当なるものを貰った経験が無い。尤もこちらも就業時間についての意識が希薄で、7時まで居残れば70円以内で何でも出前を取って良い事になっていたので、頼まれもしないのに大半の社員が夕方になるとぶらぶらして社内に居残っていたものだ。それだけ田舎から出てきた社員が多かったのだろう。会社側はことあるたびに「社員は運命協同体」を強調していたし、これは大企業でも似たようなもので日本式経営とか何とか言われていたような気がする。

当時は何処の会社でも社員旅行とか社員運動会なんかが盛んで、先輩が後輩に飲ませたり食わせたりするのも当たり前だったろう。交際費が云々てなこともあるが、会社の経費で処理される飲食費の大半は身内同士のものであったのも、これまた共通ではなかろうか。事の善悪は別として、働く者としての立場からすれば会社の良し悪しは、1にも2にもお給金が高いことで、余程反社会的なことや極端な汚れ仕事でない限り、仕事がきついかどうかは問題にしなかった。

職業に関して個人的見解は多様かもしれぬが、最近は労働問題と称して政治がそこにくちばしを突っ込んできている。ふと気が付くと、現代の会社組織は嘗てのイメージとはかなりかけ離れているようだ。何人かの人間が目的を共有して立場を超えて協力し合うのではなく、個人個人が会社から目標を与えられて、その達成のために努力する。これが一般的になっているようだ。江戸時代からあった人夫の口入業は分かるが、普通の会社組織が人材派遣業を重宝することが可能てことがどうしても理解できない。

人材派遣業「パソナ」と言う企業を巡ってきな臭い噂が流れているようだが、どんな会社か想像が及ばない。

2014年5月28日水曜日

昨日の続き:ジャーナリスト

急に夏の陽射しとなり、日中歩くのに普段は被らない帽子が欲しくなった。しかも上空では、北方からの冷たい空気と南方からの暖かい空気がせめぎ合っているとのことで、天気が安定せず急に雷雨があったりする。今度の土曜日には奥多摩のハイキング出掛けるつもりなので、何とか終日晴れてほしいものだ。土日は基本的にプールで泳ぐことにしているが、健康の為とは言いながら週末2日同じメニューは何となく味気ない。

その点ハイキングは同じコースを何度歩いても、行く度に何かが異なるところが面白い。今回は奥多摩の大岳山、最初はおっかなびっくりだったが、遂に友人を案内するまでになっている。面白いもので、年のことなど考えて標高の高い山行きを止めることにした途端、つい先日も友人から山歩きに連れて行ってくれとの話が続けて舞い込んだ。希望が尾瀬である。尾瀬は一度しか行ったことが無いが、確かにあそこも良いハイキングコースだ。紅葉の季節も良いらしいので、友人と秋にしようかなどと話をした。

ハイキングをすると気分がリフレッシュして、只でさえ忘れっぽい性格に拍車が掛かって、頭が空っぽになりかねないので、忘れないうちに昨日の読後感を少しフォローしておきたい。英国の「ガーディアン」紙が日本でどの新聞に当たるか見当もつかないが、全国紙であるにしても読売や朝日のように大部数を発行していないだろう。アメリカのニューヨークタイムズやワシントンポストですら100万部も出ていないのだから。当然ながら海外の有力紙が抱える記者の数も、量的には日本のそれと比べものになるまい。

問題は記者の質である。彼我の質の違いはどうも記者の組織上の地位にありそうな気がしてきた。昨日の本「暴露」の著者グレン・グリーンウォルドも社員ではあるが、会社と個人契約を結び編集者が加筆訂正できる範囲を決めていると書いてあった。しかも勤務地がニューヨークなのに自宅はブラジルのリオデジャネイロ。勤務年限と給与体系表のなかで給料が決まる日本の会社で、こんな事情が許される筈がない。

今回の取材で、彼はブラジルから香港に跳んだりして世界中を駆け巡るのだが、その度に在籍するニューヨーク編集長と旅費の交渉をしなければならない。会社側は記者の調査が、それなりの記事になるかどうかをチェックするために記者にエビデンスの提供を求めるのも当然である。それを受けて、会社側も本社とも連絡を取り、弁護士を総動員して法令違反のチェックをしたり、拒否反応を示すであろう政権への探りを入れたりしている。

そう毎度のようにある報道とは異なる調査報道だから当然なのかもしれぬが、英国の新聞社であっても、アメリカ政府要人とはかなり太いパイプを持っているのは確かのようだが、感心するのはメディアのプライドを賭けた緊張関係を維持していることだ。日本の記者は政府要人と付き合うためだろうか、入りたてで労働組合員であっても、黒塗りのハイヤーを乗り回したりしている。これで日夜を問わず担当政治家に張り付くことが出来ているようだが、代わりに緊張感は失われてしまうのだろう。

2014年5月27日火曜日

読後感「暴露 スノーデンが私に託したファイル」グレン・グリーンウォルド 著
田口俊樹、濱野大道、 武藤陽生 訳

日本では今月14日に発売なったばかりの本だが、世界ではかなり売れているに違いない。現在ロシアで1年間の滞在を認められているエドワード・スノーデンとは如何なる人物であり、彼が告発した内容が何であったか。かなり知っているつもりであったが、全て的が外れていたことが分かった。暴露されては困るアメリカの盗聴記録、例えばメルケル・ドイツ首相の通話記録なんかを持ち出したに違いないといったところが大方の理解ではなかろうか。

しかしエドワード・スノーデンが持ち出したファイルにメルケル首相の通話記録があったかどうかは問題としていない。この本が指摘する問題の根本は、持ち出さ板ファイルの量とかコンテンツ(中身)ではない。アメリカが国家として、換言すると米国家安全保障局(NSA)組織的にが世界中のあらゆる通信記録を収集してファイル化している事実を告発したことにある。

著者は英国の新聞「ガーディアン」のニューヨーク支社と契約しているジャーナリストのグレン・グリーンウォルド氏。ガーディアン紙は関連する一連の報道でピューリッツァー賞を受賞している。著者グリーンウォルド氏の住まいは南米のリオデジャネイロというのもびっくりした。当初は未知のコンテンツでも記載されていることを期待して購入したのだが、その意味では全くの期待外れ。そもそもスノーデン氏や著者にはコンテンツを暴露してスキャンダル化する意思は最初から無くて、目的が先に書いた通り別にあった。

本書では「メタデータ」なる言葉が使われるが、米国家安全保障局に蓄積されるそれは、アメリカ市民が常に政府から監視を受けることであり、自由を制限される意味において、使い方一つで非常に危険なものになる。国家安全保障局(NSA)と中央情報局(CIA)という合衆国の二大情報機関に在籍したスノーデン氏は勿論だが、ジャーナリストの著者はこの点いくら強調してもしきれない程の思いがある。

少し本書の内容に立ち入ると、著者がスノーデン氏から最初の接触を受ける場面から始まり、スノーデン氏と接触してガーディアン紙のインターネットサイトで告発に踏み切るまでの前半は、まるで世界を股にかけたスパイ小説を読むような面白さである。著者はジャーナリストとは言え、告発内容を知っているので、まかり間違えば国家反逆罪にもなりかねない危険性は十分承知しているし、スノーデン氏はアメリカの施政圏内に戻れば逮捕されることも覚悟の上である。

当然ながら英国紙と言ってもガーディアンも、記事発表までは社内の弁護士を総動員してアメリカ政府とも交渉している。ここで面白いなと思ったことが一つ、ニューヨークタイムズやワシントンポストのような一流紙でも、政府を告発することには相当慎重で、事前にかなり綿密なすり合わせをしている。まして日本みたいに政権べったりの記者クラブ制度に頼る新聞が、まともな政府批判など書ける訳がないと、妙な納得をしてしまった。

一応毎日インターネットに接続して、セキュリティーについても多小の知識を持ち合わせているつもりだが、インターネット通信が如何に恐ろしいものかを教えてもらった思いがする。アメリカが重要な情報を共有する国をファイブアイズ(アメリカ、イギリス、オーストラリア、カナダ、ニュージーランド)と言うことも初めて知った。メタデータがアメリカ市民を脅かすことが中心で書かれているが、外国に対する経済政策や外交交渉では常にアメリカが優位に立つのもそのお陰である。

日本政府はスノーデンが告発した事実について、アメリカに対して一言も抗議をしていないが、しても始まらないくらいダダ漏れであることを承知しているのだろう。

2014年5月26日月曜日

時代の風向き

政府は安全保障環境が劇的に悪化していると盛んに宣伝するが、日本は平和で安全な国だ。タレントの握手会とやらで、陽気のせいで気がふれたような男が刃物を振り回した事件が臨時ニュースとなり、メディアが総動員されてしまう。同じ傷害事件でも中国でしばしば発生するテロ事件や、タイやウクライナの政治闘争とはスケールが違う。最近はメディアも政府のお先棒を担ぐ形で、尖閣諸島北方上空で、自衛隊機に中国軍機異常接近等と大騒ぎをしている。

だからどうした?と聞きたいが、総理はご機嫌で国技館で優勝トロフィーを横綱白鵬に手渡す儀式に出席している。一方で自衛隊は3軍合同の陸戦隊を編成して島嶼防衛の訓練をして見たり、この訓練で表面化したアメリカの海兵隊的部隊を正式に編成することを表明している。日本の統治が及ばないところでも武力行使がありうべしとしている内閣だから、仕方ないと言えばそれまでだが。
無差別殺人で世界的に評判の悪いアメリカの無人機グローバルホーク(態々偵察機として報道されている)が、ごく最近青森県三沢の米軍基地基地への配属されると同時に、自衛隊がこれを3機購入することが決まったようだ。費用は地上施設を含め800億から1千億円とのこと。

旧帝国陸海軍が軍備増強にのめり込んで、まともな外交努力を怠った結果が僅か70年前の大敗戦である。先の大戦の犠牲者が約300万人とされるが、そのうちの50万人は1945年3月9日の東京大空襲から8が9日の長崎の原爆空襲でなくった一般人と、先日小沢一郎氏の講演会で元代議士から聞いたばかりだ。「話し合いの扉は常に開いています。」と言いながら一方でこんな嫌がらせみたいことをしていていいのだろうか?は小沢氏の科白。

小沢氏も中国のことは気になっているようだが、視点がマスコミに登場する解説者と全く異なっている。マスコミでは、中国の軍事費がここ10年で4倍になっているが、日本は精々10%ちょっとしか伸びていないことを強調するのが定番。彼が指摘するのは共産党中央軍事委員会の人事。習近平主席がトップであるのは間違いないが、胡錦濤時代までは10名弱の委員のうち少なくとも半数が文民政治家だったのが、現在の文民は主席一人のみで残り全員が軍人であることに、強い違和感、危機感を感じているらしい。

他にも面白い話が沢山あった中から一つ加えると、安倍総理の支持率が高く、且つ若い層に受けている理由だ。自民党のマスコミ操縦術を見習うべきと語った右翼の親方の話。常に話を単純化して分かりやすく説得しているとのこと。隣で友達が暴行を受けている時に、あなたは助けないのですか?家族が乗っている船が襲われている時、自衛隊が出動できないなんて変でしょう。先の大戦で命を落とされた方々にお参りすることのどこがいけないのでしょう。外国に文句をつけられてお参りを止める訳にいきますか?

現代の若者は書物に親しまず、ゲームや漫画で育つので非常に単純らしい。話を聞きながら孫と見に行った映画「ドラえもん」や「ワンピース」を思いだした。こちらもいい年をして単純な方だろうが、戦争の危険に考慮せず突き進む現代の世相にはどうしても疑問を抱かざるを得ない。

2014年5月25日日曜日

杞憂であればいいが

先週半ばの日銀の黒田総裁会見によれば「景気は緩やかな回復基調で、消費増税後の駆け込み需要の反動は想定内、物価は順調に上昇傾向にあり、デフレ脱却の道筋が見え始めている。」一方「2%の物価上昇は15年度中には実現されるだろうが、今年度実質成長率を1.4%から1.1%に引き下げる。」己の金融政策が間違っていないことを証明する記者会見だろうが、何を意味しているのか正直理解できない。

景気はどうでもいいが、実感として小生にとっては昼飯代、婆さんにすれば毎日の食費なんかの生活費が確実に上がってきた。先月はまだ実感が湧いてこなかったが今月もここまで来ると、財布からお札の減る速度が加速している感じが大分はっきりしてきた。昨日と今日はプールが異常に空いていたので、常連のご同輩も不思議がっていた。天気も好いし給料が出たのでジムなんかでくすぶっているより、家族で外出してる人が多いのではと答えたが、果たしてどうだろう?

少なくとも我々老人は、毎月振り込まれる金額が減って消費する金額が増えるのだから、残額の目減りが一層明確になるのが理の当然。お互い侘しさを慰め合ったところで仕方ない話である。問題は家族連れで休日を楽しんでいるであろう若い人たちの給料だ。既に百貨店からは中元のカタログが送られてきていたが、我が家にとっては殆ど無用の長物、百貨店も来年からは無駄遣いに気が付くことだろう。

確かに、消費税の影響は買い物を控えれば逃れることが出来るが、収入の減少は逃れようがない。景気は想定の範囲で推移していると政府も日銀も判断しているようだが、小生にとっては500円以下で昼飯を食える店が無くなる日が来たようだ。それでもまだ贅沢な悩みだろう。近くにコンビニやスーパーが多いので、昼に300円前後の弁当を購入している年若い勤労者の姿を年中見ている。彼等にとって10円20円の差は結構大きなことだと思う。

スポーツジムの会員になっているような青年は、比較的恵まれた環境の層だと思うが、休日の空き具合が少し気になった。

2014年5月24日土曜日

政治家 小沢一郎氏

昨日の夕方6時からたっぷり3時間以上、豊島区公会堂で開かれた講演会に行ってきた。我が町の公会堂であったことはさりながら、テーマに興味を持ったからだ。「シンポジューム:小沢一郎ならどうする-これからの日本の政治と外交-」初めて知ったが小沢一郎議員を支援する会が主催している。先週ネットで気が付いたのだが、入場料が800円だったので、下手な映画を見るより面白そうだと思った次第。

結果的にも非常に興味深い話が聴けたと思う。小沢氏が生活の党の党首で未だ現役議員であるのは知ってはいたが、生活の党は既に国会内でその存在すら認識できない程存在感が無いので、彼ももう終わったなと思っていた。聴衆は500人強だったようだが、参加者の質問を聞いている限り大部分が同じ思いだったようだ。こちらも相当天邪鬼なので、負け惜しみであれ引かれ者の小唄であっても一度肉声を聞きたいと思っていた。

主催者は小沢氏の高校時代の友人らしい。会の設立は平成22年3月で、民主党が政権を獲得する半年前、西松事件で小沢バッシングが始まった時らしい。このようなシンポジュームも4回目とか言っていた。主催者挨拶は勿論あったが、へぇと思ったのが司会者の小沢遼子氏、同行した友人の解説では元べ平連で後期高齢者にはなっているようだが、以外に元気が良くて喋ることにメリハリが利いている。

自ら左翼と言いながら同じく登壇した鈴木邦男氏(一水会名誉顧問=彼も初めて見たが新右翼として有名)との掛け合いもあり、彼らが小沢氏の応援に駆け付けたこと自体が興味深かった。同じく鳩山友紀夫氏(バッジを外してからだろうが由紀夫を友紀夫に改名したとのこと)も応援演説をして小沢氏と握手して見せたが、これも珍しいシーだったらしい。他にも大勢の人が喋ったが、植草一秀氏の現政権の経済政策批判(一言で言えば政策らしき政策は皆無)する講演も面白かった。

小沢氏の講演は日本の外交問題が中心であったが、声も少し嗄れているし喋り方はテレビ見る時と同じで、決して上手いとは言えない。しかし元気があり、内容的にはしっかりしているので、頭がクリヤーであることが分かる。日米関係機軸の日本外交ではあるが、現政府がそのアメリカとさえしっくりいかない理由。その場しのぎで無責任な態度につきるだろうとは全く共感できる。小生もしばしば書くが、イエスかノーか、蛇だかミミズだか分からない日本人特有の答えで、まともな外交ができる訳は無かろう。

彼は確かにその点明確だと思うが、故に党を纏めきれなかった意味もあるのではと思ったりしたし、彼自身はアメリカに嫌われていることを相当自覚しているようだ。公衆を前にしてのことだから、深く突っ込んだ話が出た訳ではないが、小沢氏は古希を過ぎ泡沫候補になり兼ねない党首ながら、2年後の総選挙を睨んで未だに蠢いていることだけははっきり宣言をしている。司会の小沢遼子氏ではないが、現政権の目指す日本の姿を思うと背筋が寒くなるのも仕方ない。

小沢氏の話に「アメリカも民主政権潰しに一役買ったの好いが、鬼っ子を生んでしまってしまったと思っていかねない」があった。安倍政権に幕引きさせてくれれば、アメリカさんでも死に体政治家でも誰でもいいと思わざるを得ない。

2014年5月23日金曜日

読後感「生命誕生 地球史から読み解く新しい生命像 」中沢弘基著

普段の読書は睡眠薬代わりみたいもので、数ページ読んでは本を閉じ、気が向いた時に栞を挟んだページから読み始めるものである。しかし本著は最初から難しく、恐らく著者が意図するところの半分も理解できていない筈なので、途中から読むとそこまでに些か理解できていることもゼロになり兼ねない気がして、一気に最後まで読んだ。近来稀な読書スタイルであったことが第一の読後感である。

著者が小学校から高校まで同窓の友人であるので、2006年の4月に前著「生命の起源・地球が書いたシナリオ」を読んだ。それまでにも、この世に生を受け、子孫をになにがしかの伝承をする役割を意識することはあったが、自らが受け継いだ伝承や先祖への思いは精々100年前後止まりであったのも事実。著者の発想の壮大さに感心するとともに、それが無機質の粘土のような物から生まれたと理解して二度びっくりした記憶が残っている。

当時の書いた読後感を見ると「生命の起源について化学・生物学的なアプローチだけではなく、物理物質学・無機鉱物学・地学など非常に広範囲にわたる地球科学という視点で生命の起源にアプローチをした新説の解説書。地球の歴史と生命の誕生について、科学にはなじみの薄い人でも面白く読む事が出来る読み物。」書いている。

多分当時に比べて追加実験等で説得力が増している点はあろうが、自説に特段の変化は無いかもしれない。生命の起源が海とされることへの異論と、種の起源を辿っても一つの生命には至らぬであろうとの説は、より分かりやすくなっている気がする。論理と文章の組み立ても大分素人向きに整理されているので、思い切って一気読みしてしまえば、生命の起源も原始地球史と共に考えるべきだとする著者の意向は理解できるものと思う。

但し、この一気読みが味噌で、最初の数ページで出会うことになる熱力学法則、軽元素、分子→高分子、DNP、RNPなんて単語に紛らわされることなく読み飛ばされることをお薦めしたい。引用される学者の名前なんかは勿論そうだ。注釈も多いが、著者も無視して読み進めるよう配慮したと書いている。小生にとって唯一例外は手塚治虫氏の漫画「ジャングル大帝」が二ページにわたり紹介されていたことで、これには拍手を送りたい。

猿と人間は似ているかもしれぬが、魚と人間は生命の起源としては、全く別の根っこから進化していると考える方が胸には落ちやすいが、著者が説くところはそんなに新しい時代の話ではない。化石に残る原始生物と言えども精々5億年前程度、人類の発生なんぞは千年にも満たないそうだ。一旦45億年の昔に遡り、そこから5億年ほど過ぎたあたりの事件で生命の起源がもたらされて、それが複雑な生命の根っこになった筈というのが著者の推論。

天照大神と大国命のどちら先祖かな?なんて考えている単細胞からするとかなり進化した頭脳の持ち主である。

2014年5月22日木曜日

原発事故報道 事実とタブーの狭間か

先日朝日新聞が、福島第一発電所元所長故吉田昌朗氏の政府事故調々書なるペーパーを独自入手してスクープ報道をした。延べ30時間近くに及ぶ聴取だった様で、きちんとした音源も残されていて、それを書き起こしたものらしい。担当したのが検察庁から派遣された検事だったことも明らかにされている。福一の事故は人災であり、当然ながら事件性があることを当時の政府関係者は勿論承知していたのだろう。この報道で世の中が大騒ぎになるかと思ったが、反響は意外に少ない。

昨夜のテレビ朝日の「報道ステーション」が少しフォローしたようだが、早く就寝してしまったので見逃してしまった。この調書は前政権下で作成されているが、何故か現政権も菅官房長官が「故人もこれを公表しないことを前提に聴取に応じた調書なので、今後も公表はしない。」と言っているらしい。今朝の新聞には小さく野党の誰かが政府に公表を求めたとは出ていた。朝日新聞が抜いた以上そんなことはどうでもいいが、問題となっているのは故吉田氏が語っている次の内容である。

「東日本大震災が発生した4日後の2011年3月15日に福島第一原発の所員達が所長の命令を無視して、10キロ南の福島第二原発へ避難撤退をしていた。撤退した所員の数は実に650人で、これは福島第一原発の全作業員の9割に相当する人数であった。」東電は勿論、何故か前政府も、現政府でさえこの事実を3年以上も非公開にして、情報を隠蔽していたことになる。そんなに隠すほどのことでもないように思うが、今後の原発再稼働問題と絡んで考えると、どうも相当不都合のようだ。

今日ネット情報で思い至ったのだが、海外からの見方である。我々は日夜多様なメディから多くの情報に接しているので、原発事故に関しても、そこそこの情報に接しているつもりになっていたが、世界的視点から見るとどうも偏った情報になっている可能性が高い。日本のマスコミは、政府と馴れ合いが大きく、国際的に我が国の評価を落としかねない情報に関して、政府の意を忖度して自主的に報道を控える傾向があるようだ。

政権のスキャンダルなんかでは、マスコミの多くが知っていながら報道しないタブーめいた事柄が幾つかあるやに聞くが、福一の事故に関しても、下らぬところで武士の情けだみたいことを言っている可能性もある。但しこの吉田調書は、誰もが知っていて書かなかったことではないだろう。朝日新聞のスクープに他社メディアのノリが悪いのは、これもタブーの一つに引っ掛かったか、と勘ぐりたくなる。

外国語能力に長けた優秀な方が沢山いる筈のマスコミでは、この朝日新聞記事に対する海外の反応は承知の筈だが、そんなことは全く報道されていない。幸い昨今はインターネットがあるので、こんなことを知った。アメリカの一流紙は日本政府への遠慮なんか無いから当たり前だが、やはり吉田調書の内容を大きく取り上げている。日本の原発では、いざという時に技術者がいなくなる可能性が大いにある。福一では現実に東電の社員の大部分が、所長の指示を無視して原発サイトから逃げていた事実を当時の所長が明言しているのだから問題だ。

このサイトを更に読んでいくと次の記事がある。『先月30日にカリフォルニア州政府は、福島原発事故で発生したセシウム放出量を計算してみたところ、チェルノブイリ原発事故の1.8倍に匹敵する18.1京ベクレルだったことが判明した。18京ベクレルという値は人類が今まで爆発させた原爆や水爆を全て足した数よりも桁違いに多く、州政府は「人間を含めた地球上の生物に悪影響を与えるかもしれない」と報告。』勿論詳細なデータが添えられている。
http://documents.coastal.ca.gov/reports/2014/5/F10b-5-2014.pdf

先月30日と言えば大分前のことになるが、少なくとも関連する報道に接した記憶が無い。昨日の福井地裁での大飯原発再稼働差し止め判決で、再び原発問題が議論されるのは結構だと思う。マスコミはおかしな自主規制をせず、事実を報道する姿勢を貫いてほしい。

2014年5月21日水曜日

山口那津男(なつお)氏

昨夜はブログ友達のI氏にご馳走になって、夕方の5時から御徒町の居酒屋から始め、次いで湯島天神下まで飲み歩き帰宅すると10時になっていた。生ビールから始めて焼酎で終わればいいのに、昔湯島の花柳界で名声を馳せたという女将さんの店に案内されて調子づいてしまった。時間が少し早かったのか、他の客が入ってこない上に女将さんも結構飲みっぷりが良い。

こちらが日本酒の冷をやや大きめの杯でやり始めると、女将さん自分でも勝手に同じ酒を別に汲んで飲み始める。赤坂でやはり元芸者の女将の店を知っているが、彼女の場合強いことは強いのだろうが、こちらが進めると全部嬉しそうに受けはするが、実は非常に上手にカウンターの向こうで流したりしているのを知っている。昨日の女将はそんなインチキは全く無しで淡々と飲み続けていたから、女将の格としては一段高い評価をすべきかもだ。

何れにしてもこちらとしては飲み過ぎの感がある。朝から雨で肌寒いので、これも久し振りのことだが歩くことをお休みしてしまった。幸いI氏が貸してくれた面白い本もあるし、高校同期の友人が書いた新著もある。机上には他にも中学校に友人に貰った著書があり、これも読みかけになっているので、本日は読書に邁進することになった。結局どれも中途半端な読み方になったが、どうしてもI氏から借りたアクションドラマが一番捗ってしまう。笑

昨夜のことに戻るが、帰宅するとテレビ朝日の「報道ステーション」に公明党の山口代表が生出演していた。キャスターの古館氏はプロレス実況で売り出した例の調子(意味があろうと無かろうと、機関銃のように早口で言葉を並べる)なので、最近言っていることは比較的まともになっていると思うのだが、説得力に欠けるのは否めない。比べて山口氏の話かたは対照的で、落ち着いて淡々としているのだが非常に説得力があった。

決して好意を持っているとは言い難い公明党代表なので、これまで余り真剣に聞いたことは無かったが、これから始まる与党協議で公明党は国民の期待に応えることになるかもしれないと思う。昨日の産経新聞が世論調査結果で「70.4%が解釈変更で対応せよと」と答えたと発表したらしい。元外交官・天木氏のブログに「どこを探せばこんな数字が出てくるというのか。それでも、産経はわかりやすくていい。腹黒いのは読売と朝日だ。まだ発表していない。とっくに調査はやっているだろうに。」とのコメントが出ていた。天木氏ではないが公明党山口代表には国民の思いが解っている風情が伺える。

与党協議にいきなり代表が出席する訳ではないだろうが、公明党の団結力は共産党以上かもしれぬ。どうみても理は公明党側にあると思うので、自民党の甘言で篭絡されないよう頑張ってほしいものだ。因みに、山口氏の経歴について創価大学出身の弁護士とばかり思っていたら、婆さんが違うはずよとのこと。ネットで確認すると成程東大出身、しかも出身地が常磐(茨城県ひたちなか市)は那珂湊の出身だ。随分言葉も気も荒い地方だと思うが、全くその印象が無い。相当練れた人物と見た。

2014年5月20日火曜日

情報過多

先週末に同窓会の講演でマイクロソフト社勤務の同窓の後輩から、情報化時代の今後に関する話を聞いたばかりだ。要するに今後クラウド技術や端末の進歩で、個人が入手できる情報もますます膨らんで来ることになるとの趣旨である。これは結構なことなのだろうが、頭の回転が鈍くなっている老人からすると、頭が混乱する原因が増えるような気がしないでもない。家に1台のラジオと薄っぺらな新聞しかニュースを知る手段が無かった時代を思うと、今でも十二分に情報は過多である。

正直なところ、情報が多すぎる故だと思うが、最近はどの情報を信じていいか分からないことが多い。取っている新聞を信じているうちはハッピーだが、取っていない新聞の内容もある程度分かるようになってきている。現在問題になっている安倍総理肝煎りの解釈改憲の問題なぞ、新聞で見方が大分変っているらしい。個人的な判断をするにも面倒くさいことだ。世の中に有識者とか専門家と称する人間も、こんなに大勢いるのかとびっくりするくらい大勢湧いてきて、誰の言葉を信じていいか迷ってしまう。

他人のことを心配しても始まらないかもしれぬが、若い人たちが書物に親しむ時間が少なくなることだけは確かだろう。若い時には親兄弟、友人、先生、諸先輩の言動を初めとして書物からも多くのこと学んできた思いはあるが、ラジオや新聞から学んだことは殆ど無いに等しい。今の若い人の学習は全く異なるだろう。1にゲームで2にテレビなんて仕掛けになっていかねない。勿論「それではいけない」と言いたいが、現実の情報供給構造が変わってしまっている以上、良いの悪いのとは言っていられないだろう。

IT技術の進歩で、情報の質を判定するようなことが出来るようになること切望しても、類似情報の偏差程度は何とかなるかもしれないが、真実度合いなんかは永遠に不可能だろうし、正邪の判断も無理なことだ。今日話題の「PC遠隔操作ウィルス事件」。昨日、捜査当局が片山被告が都内の河川敷に埋めたとみられる携帯電話を発見したことが報じられた。この報道を見て婆さんと「この犯人はなんて分かりやすい馬鹿なんでしょう。」と笑っていたのだが、ネット情報を見ると、そう単純に受け止めない見方もあるようだ。

要するに警察の威信が掛かっているこの捜査、片山犯人もそれが分からぬほどの馬鹿でもないとの見方に立つと、警察側の行動も不自然なことがあるらしい。結局は犯人の自白であっけない幕切れにはなった。ロシアとアメリカどちらが悪者なんて話は置くにしても、スタップ細胞とか、どうでもいいような情報の氾濫の中に日常が置かれていることだけは確かだ。

こちらにとってはどちらに転んでも関係ないことだが、情報の過多で頭が混乱してくることだけは間違いない。

2014年5月19日月曜日

高校同窓会

五月晴れの良い天気が続いている。しかし5月は5月病なる言葉が示すように、肉体的・精神的に気候の変化に順応しにくい季節のようである。一気に夏めいてきたのは良いが、先週末のちょっとした不注意で引いてしまった夏風邪が尾を引いて、昨夜はクシャミと鼻水に大いに悩まされた。こちらは行きたくなくなる会社や学校は関係ないが、何となく無気力で、終日埒も無い雑誌なんぞを斜め読みしているうちに夕方になってしまった。

特段薄着でいる訳でもないのに、定期的にくしゃみが出て、その後に鼻水が続いている。何となく気持ちがすっきりしない。金曜日に銀座のホテルで高校の同窓会があって出席してきた。6期上の先輩から30期下の後輩まで85人の出席者名簿で、我が同期生は12番から14番目までの3人。いつの間にかかなり老人の部になっている。この会はいつも卒業生の誰かが講演をしてくれる。

今回は先ず25期後輩の日本マイクロソフトの技術者が「IoT」なる新概念を解説してくれた。これからは生活のあらゆる部分に、端末の形態は様々であるがインターネットが入り込んできますよとの意である。続いて6期後輩の東大名誉教授で日本倫理学会々長の先生が日本人の死生観に関する話をした。最近は直葬と言う言葉があるようで、葬式を碌にしない家族が増えているそうだ。これに対する疑問を投げかける意味もあるようだったが、難しそうな問題だ。

講演内容を少し詳しく書こうとも思ったが、今日は面倒くさくなってしまった。明日はこの講演内容を纏めて同期生のグループメールで配信しなければならない。

2014年5月18日日曜日

問題の捉え方と人選

このところテレビをつける度に石破自民党幹事長が出てくる。集団的自衛権に関する憲法解釈変更が先週最大の話題だから、仕方がないと言えばそれまでではある。それにしても衆参両院で最大会派の自民党でありながら、テレビに出演して本件についてまともに話ができる人間が他にいないことには驚く他ない。換言すれば、本件が如何に筋悪であるかを証明しているようなものだろう。

総理の虚言癖、或いは振付け以外の発言が出来ないは今に始まったことではないし、まともな人と会話して筋の通った論理を展開できる人でないことは既によく知られてしまっている。政府内部に在籍する政治家の中にも代わるべき人間が見つからないようだ。法務大臣の谷垣氏や外務大臣の岸田氏なんかが出演すればどういうことになるのか?どちらかと言えば昔から総理所属の清話会とは正反対の派閥に属しているだけに、変なところで本音が出たりすれば面白いのだが。

そこで党側にいる石破氏の登場になっているのだろうが、彼は元々多くの会派を渡り歩いた流れ者、伝統的政党人からはまともに相手にされていなかったのに、総理がくるくる変わる混乱に乗じて、何時の間にやら政党の金庫番になりあがってしまった。百田尚樹氏あたりが小説「親分無しの子分無し、節操を捨て天下を手にした男」とでも書きたくなる人材だろう。党側にはそれでも高市早苗氏とか他にもテレビに出たがる人間はいそうだが、他人に任せられない石破氏の性分なのか、或いは問題がヤバすぎるので任せられないのか、知ったことではない。

何れにせよ、安倍陣営の有識者なる人だけとの会話であるなら兎も角、少しまともな記者なりゲストと同席する限り、幾ら現在の地位をバックに上から目線で抑え込もうとしても、相手から冷ややかな反応が返ってくるだけに、些か同情したくなる。安倍総理も同じだが、石破氏も望外の権力を手にしたことで、自分が急に賢くなったと勘違いしているのが、見ていて明らかである。日本語の良いところでもあるが、相手が本心ではどんなに馬鹿にしていても、尊敬語と丁寧語での会話しか聞こえなくなると、受け手が思い上がるのは仕方がない。

本件についてマスコミが取り上げる時おしなべて「安全保障環境の激変」が枕詞になっている。アメリカが戦争に疲れて交代要員と加勢を他国に求めることは理解するにしても、日本に対する侵略に危機が嘗てに比べて高まっていると考えるべきとする人(特にマスメディア)には具体的に教えてもらいたい。昨日のテレビで誰かが指摘していたが、1980年代に東西冷戦の危機が高まった時期に比べると現在は遥かに平穏、先進国は兎に角戦争だけはしないようにしようとの外交努力をしているのだそうだ。

言われてみると確かに説得力がある。我が国はアメリカの属国で、一流国家でないから、と言ってしまえばそれまでだが。先進諸国の努力を省みず、平地に乱を起こしかねない火遊びをして良いうことにはなるまい。中には、本気で解釈改憲をヨイショをしているマスコミあるので何をか況やだ。

2014年5月17日土曜日

良い季節になった

昨日の昼間はも良い天気だったが、夕方激しい夕立があった。夕立は真夏の風物と思っていたがそうでもないらしい。ここ1週間ほど何かと飲む機会が多く、プールに行くのも2週間ぶりだったので、通常のメニューをこなしただけだが疲労感が大きい。昼食の後でパソコンを立ち上げても頭がボーとした状態だったので、少し部屋を暗くして一寸横になっただけで2時間半ほど寝てしまった。起きると、今度は喉が痛い。折角暖かくて凌ぎやすい良い季節になったのに、風邪でも引いたのでは洒落にもならない。

季節が良くなっているせいか、婆さんも外出の機会が増えている。昨夜はこちらも同窓会の飲み会が入っていたので好都合だったが、彼女は2日連ちゃんで、今日も昼から友人宅でミニ同窓会と言っていた。夕食は少し遅くなるかもしれぬし、メニューが同窓会の残り物の「おいなりさん」と決められている。先週末に長野で行われた同期会にしても、昨夜東京で行われた高校の同窓会でも、同期以上の出席者は減る一方だ。我々老夫婦とすれば、それぞれの同窓会に出席する元気が残っているだけで善しとしなければならぬだろう。

何かと騒がしそうな世間について何か書こうと思ったが、頭が回らないので今日はこれで止めにする。

2014年5月16日金曜日

自衛権問題

安倍氏を総理に選んだのは我々国民だから、今更言っても詮無いことかもしれない。しかしながら詮無きことを毎日生半可な知識と情報をもとに、独断と偏見で書き綴るのを楽しみにしているので、やはり少しは書いておきたい。昨夜から今朝にかけてニュースは、安倍総理の記者会見関連報道でもちきり状態だ。問題は議論の中身を理解できる人がどのくらいいるかだと思う。小生の理解は以下の通りだ。総理のお友達に集まってもらった内閣法制懇なるところが、集団的自衛権の憲法解釈に関して、総理の要望に即した答申をやっと提出してくれたそうだ。

憲法解釈を変更したいのが総理の要望であることは百も承知のことであり、異を唱える人間がメンバーにいないのだから、何故もっと迅速に事が進まないのかが不思議で仕方ない。兎も角、答申なるものも今朝の新聞に全文が紹介されているが、とても5分や10分で読める量ではないないので、読んでいない。昨夜の記者会見もテレビで生中継されたりしているだろうが、こちらも殆ど見てはいない。しかし安倍さんが言わんとするところは大分前から報道されているので、こちらの理解もほぼ遠からずのところだろう。

日本に自衛隊なる軍隊(もどきかな)が創設されて既に久しい。自衛隊は国内では災害派遣などで活躍してくれて頼もしい存在になっているが、基本は武装集団で、年がら年中武装訓練に明け暮れているのも事実だろう。しかしその武力行使は専守防衛、日本国が侵略の危機に面さない限り出来ない仕掛けになっている。当事者など一部からすれば、脾肉を歎ずる人間が出ても不思議は無い。更に建前はそのままで、これまでに何度も他国の戦争に協力してきたのも周知のことだ。

他国から見れば隊員の錬成具合や装備は立派な軍隊なので、国連のPKO(平和維持活動)には重宝されて、中東やアフリカ等、相当ヤバそうなところに派遣されている歴然たる現実もある。なんでイラク戦争に自衛隊が行けるのか不思議に思う人も多いに違いない。安倍総理も「アンダーコントロール」なんて平気で嘘ばかりつくような人では無いのかもしれぬ。自衛隊の建前と現状の落差を何とかしたいとの思いがあるのだろう。この気持ちはある程度分かってあげるべきかもだ。

しかも経緯はともあれ、自衛隊を社会党は公認しているし、共産党は政権を握ったら潰すのかな。共産党国家になれば、多分世界中で共産国家を生み出すべく、安倍氏以上に海外派遣を推し進めることだろう。マスコミでも意見が分かれているそうだが、武力行使が出来ない軍隊では意味が無いとの理屈も分からぬでもない。これからも屁理屈の上に屁理屈を積み重ねる論争が続くと思うとうんざりする。となると理屈もならぬような憲法解釈でなくて、憲法そのものを改める堂々の論議をするべきとの意見が正論だと思う。

しかしこれには時間が掛かるとのこと。時間が掛かるのが何故不都合なのか、その理屈が全く理解できないのがこちらの頭の悪さだろう。

2014年5月15日木曜日

雑感

こちらが鈍いのかもしれぬが、日本社会の全体像が非常に分かり難い。戦後67年の時を経て国民が豊かになったと思っていたのだが、気が付くと貧富の格差が急速に広がっているようでもある。営々と気づいてきた日本独自の社会構造、人によっては独特の社会主義だったと言う人もいるが、これが完全に壊れたのかもしれぬ。中国のように長いこと慣れ親しんだ社会主義経済を、手の平返しで一気に自由主義化すると、終戦直後の日本のように混乱に乗じて成り上がる人間が出てくるのは已むを得まい。

なんて言っても人口が多いので、日本で言えば戦後の闇市から成りあがったような人種が1億人を超えると言うことだろう。日本にも成り上がり者はいたのだろうが、全体から見れば例外扱いでよかったようなものだ。それが小泉内閣の郵政改革の頃からだと思うが、何故か知らぬが日本も少数の金持ちと多数の貧乏人へと構造が変化しつつあるようだ。何時の時代も金持ちと貧乏人がいるのは当たり前だが、これが嘗てのようにピラミッド型で形成されず、塊と塊に分かれて間が断絶してしまう社会となると問題だろう。

日本の今はまだ過渡期かもしれぬが、アメリカは既にその兆候が顕となりつつあると言う人もいる。本当は政治家がもっと敏感にこう言った構造変化を感じ取るべきと思うが、現代の政治体制下ではとても無理な相談のようだ。せめてマスメディアに期待したいのだが、これも駄目なようで行く末を歎ずるのみである。一方こちらの思いとは全く逆で、日本は繁栄していると海外から評価され、投資マネーが流入しているのも事実らしい。

経済の事はよく分からないので措くとして、社会面の報道に一昔前には考えられなかった記事が頻繁に掲載されるのが気なるところである。お巡りさんの犯罪は珍しくなくなったかもしれぬが、最近は学校の先生が麻薬で逮捕との記事が続いた。麻薬と言う日本語も古典的なものかもしれぬが、トラックドライバーが眠気覚ましのつもりで手を出すのは分からぬでもない。しかし学校の先生が何でそんなもの手を出さなければならぬのか。

一方ではかなりのスピードで進む高齢化社会、我が町である東京豊島区でさえ何十年か先には人口がゼロになるとのこと。高齢者はタンス貯金が多いと単純に決めつける傾向があるが、これも如何なものかと思う。毎日池袋界隈を歩き回って思うのは、年寄りの生活も様々で、政府が統計だけを見て机上で考えたセーフティネットとはかなり目が粗いようだ。個人的には先が短いのでどうでも善いようなものだが、年寄りが暗い顔でいたのでは若い人も迷惑だろう。

第一若い人達にも自分の将来像が見えにくくなってきているようである。どこの会社に就職しようと、何年経っても給料が上がりません。上がらないのはあなたの努力が足りないせいよ。なんて言われてもなぁだ。努力する者が報われる社会とは聞いたところは良いが、やはり社会のどこかが病んでいるとしか思えない。

2014年5月14日水曜日

今後は頼りにならぬぞ

60歳の春から年金を受給しているので既に15年。偉そうなことを言う資格は無いかもしれぬが、婿さんや孫のことが気になって仕方がない。婿さんたちは小生と違って、極めてまともで真面目である。現在40代半ばの働き盛りで、勤め先もそう簡単には潰れないと思っているだろうし、途中下車なんぞは考えていないだろう。多分年金受給の前提になっている社会保険料もきちんと支払っていることだろう。

しかしこの年金と言う奴が大分頼りなくなっている。先週末に後輩と飯を食った時に聞いた話では、「近い将来、広告代理業の厚生年金基金が廃止されるので、現在受給しているものが無くなる筈です。」とのこと、基金分は月額にすると2万5千円ほどになる筈で、結構なダメージだろう。現在受給総額が厚生年金と併せて月額20万円になるかならないかからの話である。

只でさえ厚生年金は、本来もっと引き下げていなければいけなかった、とか何とかの屁理屈で減らされているし、介護保険料は納付金額が上がっている。その上、今週に入ると厚労大臣が、年金支給の開始「75歳程度に」と言ったとの報道がある。勿論選択制でとの注釈つきではあるが、小生が受給し始めたのは前述の通り55歳、これが現在は既に受給開始年齢が10歳も引き上げられている。婿さんたちは65歳で受給できるのだろうか?75歳の受給開始とは、政府は寿命についてどのように考えているのか。馬鹿にするのもいい加減にしろだ。かと言って、保険料支払いを止めてしまえとまで断言できない悲しさだ。

たまたま直近の土日に宿泊した信州飯綱高原のリゾート施設は、豪華で快適なな施設だ。現在高校生の孫が幼稚園時代から利用しているので、多分20年以上前に年金をふんだんにつぎ込んで建てられたものだった筈だ。それが今回の宿泊時に聞くと長野市が105万円で買い取ったとのこと。年金の無駄遣いも目に余るものがあったに違いない。郵政改革の時も似たような施設の売却が話題になったが、一時話題になっても我々は75日も経たないうちに忘れてしまう。年金機構が民間企業で、社会保険庁時代と職員の意識が変わるなんてことはあり得ない。

それを承知してのことだろうが、政治家も官僚も無責任であることについての反省は毫も認めることが出来ない。日々の暮しに追われている若い時には、老後の暮らしなんぞ考えたこともなかったが、いざ老後に突入して生活費の問題が非常に大きいことに気付いた。賢明な婿殿たちは言われなくても分かっているとは思うが、兎に角今の政権が続く限りは、高齢化社会に対する社会インフラの整備は絶望的と理解して、自己防衛を若い時から考える必要がある。

それにしても、そんな問題はそっちのけの政府の支持率が上がり続けることが不思議でならない。

2014年5月13日火曜日

「あゝ、残念!」

先日の同期会についてもう少し書きたい。74歳ともなると、同期生の集まりでは病気の話題に事欠かない。医者と無縁の生活をしている者の方が少ないだろう。小生も内科(痛風)8週間毎、泌尿器科(前立腺肥大)4週間毎、皮膚科(湿疹)8週間毎、歯科半年毎に定期的に通っている。医療費が既に1割負担で済んでいるので、個人的には救われている。しかし社会全体で考えれば、社会的貢献の全く出来ぬ人間がこのように生きて国家の富を浪費していること自体、些か迷惑なことかもしれぬ。

そんな大げさな話は兎も角として、病が恐ろしいのは事実なので、友人たちの経験談を聴き入ってしまう訳だ。大勢の友人が集まると、それぞれ実に様々な問題を抱えている。心臓も腎臓もあるが、やはり多いのは脳梗塞と癌だろう。癌も消化器系あり呼吸器系ありリンパ系ありと様々である。小生も前立腺で癌のマーカーとされているPSA数値が異常に高いので、精神的には相当に癌ストレスが掛かっている。

同室の友人K君は食道癌を克服したが、現在リンパ系に転移して、免疫療法で戦っている最中である。彼の近くに住むT君が欠席だったので様子を聞くと「彼は丁度今日BCG注射日と重なったので欠席した」とのこと。T君は数か月前に膀胱癌手術をしたとは聞いていたが、BCG注射とどういう関係があるのか聞くとK君い曰く。「結核菌は癌細胞を殺すらしいよ。結核患者は癌にはならないそうだ。だから意図的に再発予防で体内に結核菌を注入するらい。」

実は小生、学齢以前から重度の結核患者と同居していたので、小学1年生当時からツベルクリン反応が陽性で、BCG注射の経験すらない。中学1年生の時には肺浸潤とされて、一時体育の授業を見学させられたり、遠足に連れて行ってもらえなかったことさえある。そのこと言うと、「ならばお前は癌の恐れはかなり低い筈だ。PSA数値に神経質にならなくてもいいのでは。」と妙な励ましを貰った。

何れにしても初めて聞いた話なので、今日インターネットでBCGを検索してみると、「BCGワクチンは結核予防に留まらず、膀胱ガンの再発予防に強い効果を発揮したことが示されました。」との記事が出てきた。これは美味い話になりそうだと思いながら「結核と癌」について更に検索していくと、今度は現役医師が次のように書いていたのでがっかりしてしまった。

>また、『肺結核になった人がガンにならない』もしくは『なりにくい』、ということはありません。私の勤務先の病院には、肺結核を若いときに患ったことのあるガン患者さんが多数来ますよ。<

要するにBCGワクチンはインフルエンザワクチン同様で、人体に結核菌の抗体は植え付けるのだろうが、単純に結核に感染させると理解しない方が正しいようだ。「あゝ、残念!」だった。

2014年5月12日月曜日

高校卒業55年記念同期会

一昨日から昨日に掛けて長野に行ってきた。早緑が爽やかな市内飯綱高原のヒュッテで、高校卒業55年記念同期会があったからである。卒業30年の頃からだろうか、5年毎に盛大に開催されているこの会への出席は、我が生涯最大の楽しみと言っても過言でない。何十年も変わらず、ボランティアでずっと同窓会幹事をしてくれてる友人U君には最大の敬意を表したいと思う。

卒業当時は400人ちょっとだった同窓生も、同窓会の回を追って減ってはきているが、それでも90人近くが一堂に会して一夜飲み明かすイベントは、そう簡単に設営できるものではない。東京で首都圏の中学校同窓会幹事を務めているのでよく分かる。1年に一度20人足らずの会を設営するだけでも、正直なところ顎が出掛かっている始末だ。内山君は都合9クラス400人からの同窓生、を年がら年中気にかけて消息を尋ねてくれている。

1クラス50人近くいる勘定だから、小生なんぞ自分の同級生ですら満足に思い出せないし、同窓生は全国に散らばっている。流石に最近は海外在住者は少ないかもしれぬが、一時は海外組も多かったろう。名前を覚えることすら大変だと思うが、U君の場合、未だに連絡取れない20数名を除くと、全員の顔と名前を認識できているのだから大したものだ。

兎も角その幹事のお陰を以て、10日の昼過ぎ先ず善光寺に集合、恩師を含む同窓物故者の法要があった。参加者全員が内陣に上がり、坊さんが10人以上の読経が朗々と響き、実に荘厳な雰囲気が醸し出された。善光寺は少し変わった寺で、天台宗と浄土宗が毎日交代でお勤めをしている。10日は浄土宗の当番だったのだろう。不謹慎ではあるが、正面に座った坊さんに思わず見とれてしまった。どう見てもうら若き尼さんのようだ。周りに坐しているのは逆にむくつけきおっさん坊主。おっさんのコーラスをバックにしたソプラノ読経のハーモニーが何とも微妙で心地よい。

善光寺に詳しい友人Y君に聞くと、多分本願寺の副上人に当たる人ではないかなとのこと。お上人様と呼ばれる方は、代々皇室ゆかりの女性らしい。この後で一同打ち揃ってバスで高原のヒュッテに移動。夕方から大宴会で大いに盛り上がった。親しい友人K君が「俺たちは5年後には間違いなく出席していない筈だから」と自嘲気味に冗談を言っていたが、言われてみるとその通りである。先の法要でも、一人ずつ名前が読み上げられたが、物故者は既に80人近く確認されている。

5年後なれば全員79歳、誰にせよその時にはお経をあげてもらう側に移っても不思議は無い。恐らく皆が似たような思いを持っているからか、余計宴会も盛り上がったような気がする。明けて昨日は高原での1日の為に、これまた周到なプログラムが用意されていた。近くの乗馬クラブで会長を務める友人M君と一緒に乗馬の体験、戸隠の植物園巡り、そば打ち体験、それに長野県山岳協会々長を長年務めた友人T君の案内での飯縄登山。小生は勿論飯縄登山に参加した。本格的な登山家に同行してもらう山歩きで、いろいろ教えられることが多かっただけではなく、絶好の好天に恵まれ、最高に楽しい1日となった。

山登りの詳細は下記でご覧ください。
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-446438.html

2014年5月9日金曜日

憲法解釈変更への反対

やっと表沙汰になってくれたかの感ありだ。詳しくは読んでいないが、野田聖子自民党総務会長が月刊誌「世界」(岩波書店)インタビューで、集団的自衛権の憲法解釈を変更する閣議決定に関し、拙速に議論を進めれば党の了承は得られないとの認識を示していることが分かったそうだ。

「集団的自衛権が行使できる、武力行使ができるとなれば自衛隊は軍になる。軍隊は殺すことも殺されることもある。いまの日本に、どれだけそこに若者を行かせられるのでしょう」
「国際情勢という大きな状況と、人を殺す、人が殺されるかもしれないというリアリズムを語るべきです」
「閣議決定は党内手続きなしにはできない。全会一致が原則の総務会を通ることはできないだろう」などと述べたらしい。

これまで自民党内で安倍氏の超右寄り姿勢に反対する姿勢をテレビ等の報道が取り上げていたのは、村上誠一郎氏一人のみであった。閣僚は全員総理の腰ぎんちゃくのようなものであるのは分かっていても、政調会長の高市早苗氏なんぞは総理に輪をかけたような右派であるし、幹事長の石破氏も目の前の人参につられてかどうか、やけに安倍氏を持ち上げたばかりいるので、与党第一党にかくも人材が無くて大丈夫かと不安に思っていたところだ。上記はネット上のブログ(http://mewrun7.exblog.jp/21974881/)からの引用であるが、野田聖子氏には頑張ってもらいたい。

昨日の夕刊か今朝の朝刊か忘れたが、安倍氏は来週安保法制懇答申を受け、早々に集団的自衛権行使に関する憲法解釈の変更を、首相方針として打ち出して閣議決定に持ち込みたいとの意向と出ていたような気がする。これは先に書いた野田総務会長の言と異なるので、幾ら自民党総裁でも党内手続きまで無視はできまいと思うが、これを報じた朝日新聞は何を思っているのだろうか?全く根も葉もない話ではなく、何らかの思惑もあるのだろう。

このところ報ぜられてる限りでは、公明党も憲法解釈変更に反対する動きはかなり活発で、1年以上の論議が必要とも言っているようである。野田聖子氏の発言が表面に出てくることによって、党内でも反安倍勢力が勢いづけば結構なことで、やっと自民党らしくなってくる。それにしても田中真紀子氏なんかに言わせると、安倍氏は祖父岸元首相譲りの怨念のようなもので、憲法を自主憲法に替えたい一念だけあるが、あと頭の中は空っぽです。周りで誰かに知恵をつけられて、鸚鵡返しに喋っているだけです。

だったが、知恵をつけているのが外務省のOB連中のように言っていた気がする。元経産官僚古賀茂明氏によれば、彼らの最終目標は「徴兵制」と「核武装」とのこと。言われみれば国産無人偵察機開発は既に始まっているらしいし。それにしてもこの連中、何でそんなに戦争がしたいのだろう?子供のいない家庭を持つ総理大臣だから、そんな連中の言葉に簡単に乗ってしまうとすれば、難儀な話だ。

2014年5月8日木曜日

身体全体のバランス

明日の午後から月曜日まで2日半パソコンに触らない予定なので、何かしっかり書きたいと思うが、何も思いが浮かばない。図書館で本を読んできたが、読後感を書くほどのものでもないし困ったことだ。どうも最近は身体のことばかり考えているようで、ブログのネタになりそうなことあなかなか思いつかない。

年寄りになって刺激が無くなると、動く意欲、考える力が衰えるのは仕方ないかも知らぬ。しかし小生も完全にそうだが、外見上の身体機能は溌剌していてもものを考える力が全くバランスに欠けている。少し関連していると思うが、プールでよく会話する同年輩の人からこの前の日曜に聞いて驚いたことがある。彼は毎日プールに通っているとのこと。見ている限りとても元気そうで、泳いだりストレッチをしている。

ところが神経性の持病があって、時によるとお腹が急に痛くなったり、マンションから100メートルと離れていないポストに葉書を投函しなければいけないと思っても動けなくなることがあるらしい。医者に診てもらっても常に原因不明で、「あまり気にしない方が良いですよ。」と言われるだけで碌に処方もしてもらえないらしい。自分では鬱の一種、又は皇太子妃殿下と同じ適応障害なる病と思っているとのこと。

脳神経も身体の一部だろうが、こっちの劣化を防ぐ良い方法を研究する必要がありそうだ。

2014年5月7日水曜日

見切り時だ

今日はやっと少し温かさが戻ったが、昨日は本当に季節外れの寒さだった。平地の東京でこうなんだから、未だ残雪が消えない中部地方の高山地帯は真冬の寒さであろう。しかし暦の上では夏ともなれば、登山愛好者や山スキーヤーが山を目指す気持ちは分からないではない。当然の帰結として春山は遭難事故が多発する。この連休の締めくくりに、山の遭難がニュースのトップに来る結果になってしまった。

定かには聞き取れなかったが、中部山岳のみならず東京都の雲取山でも遭難があったようだ。このブログでも度々書いているが、趣味と健康法を兼ねて月に1度くらいは山歩きをしたいと思っているので、山の遭難は他人事と聞き流す訳にいかない。昨年までは、夏山のシーズンに入ったら中部山岳の3千メートル級の山歩きをすることを目標のように考えていた。ところが、いい塩梅と言いうのも変だが、今年になって急に、それはもういい加減にしようと言う気になってしまった。

元来飽きっぽいと言うか、何事につけ高い目標に挑戦するのが苦手なのである。
サラリーマン生活を卒業して独立したのが2003年63歳の時である。その時に生活パターンについていろいろ考えて、生活態度を少し変えることにした。稼ぎが無くなる心配もあり、お金の無駄遣いを極力減らすことと、健康を維持して出来るだけ風邪をひかないようにすることが当面の課題と考えた。無駄遣いの最たるものは遊興飲食、半分は会社に回せていたがポケットマネーも大分支出していたので、これは止めること。

止めることは努力のうちに入らない、と言われるようだが、確かにこれは余り問題無く、すぐ止めてしまった。序でにゴルフも止めることにした。こっちは1年か2年掛かったかもしれないが、結果的には止めてしまった。問題は健康維持だったが、出来るだけ規則正しい生活を送ることと、足が弱らないように歩くことが善かろうと思った。そこで思いついたのが子供のころに慣れ親しんだ山歩きである。

山歩きについては記録が残っている。2004年の9月に生まれて初めて北アルプスを観たいと思って、長野から乗り物を乗り継いで行ける立山の室堂に行って3千メートル級の山々を目の当たりにしてしまった。これが病みつきの始まりだった。しかしいきなりアルプスの山に登るのは危ないので、以降2005年から2006年の9月まではトレーニングのつもりで、近くの山を歩き、9月に入って初めて、北アルプスに泊りがけで行く経験をした。行ったのは中学時代の夏季遠足で連れて行ってもらえなかった燕岳である。

ここで満足しても良かったのだが、「俺でも出来るじゃん」と思ってしまったばかりに、それから毎年のように夏は中部山岳地帯の高山を歩きはじめてしまった。そして終に昨年は、7月末から8月の初めにかけて南アルプスを6日も歩いてしまった。結果的には何とか帰宅したが、途中で遭難しかけたりしたので、もうそろそろ考え直す時期だなと思っている訳である。確かに趣味も嵩じると留まるところが無い。しかし所詮はアマチュアの趣味の世界だ。

年も年だし、見切り千両との喩えもある。連休の遭難ニュースを聞いて益々その意思が固まった。

2014年5月6日火曜日

臆病ゆえか?厭な感じ

昨日早朝の地震、我が家のある豊島区は震度3で何ほどのものではなかった。しかし、そう遠くない千代田区、特に皇居内の震度計は震度5だったそうだ。改めて地震国日本を思わずにいられない。震度6の地震が原発直下でいつ起きても何の不思議は無いであろう。起きて見ないと分からないのだろうが、地震国だけに耐震性に自信があると、同じ地震国のトルコに原発を売り込んだそうだが、悪い冗談にならなければ良いが。

日本の産業を海外に売り込む努力を続けている総理閣下が、今回はフランスでオランド大統領と会談。無人潜水機など防衛装備品の共同開発を進めるための協定交渉の開始で一致したそうだ。つい最近まで武器輸出を国是として禁じていた国とはとても思えない。昭和20年当時は未だ学齢に達しない子供だったので、社会の価値観が180度ひっくり返ることに違和感を覚えた経験はない。それが皮肉にも今頃になって、社会通念が真逆になることにはなかなかついて行けない。

平和日本で長いこと過ごしてきた極楽とんぼの年寄りは兎も角として、情報吸収力のある若い人はどうなんだろうか。昭和20年には大戦の終了、しかも大敗北の現実が余りにはっきりしていたので、老いも若きも自分の脳みそをやや強制的にバージョンアップ或いはリセットできたのかと思う。しかし今時分、安全保障環境面において極めて緊張度が高まっていると言われて、ピンとくる一般人がどのくらいいるのだろうか?

先日観たテレビで共産党小池亮氏が「東アジアで緊張感を生み出しているのは、安倍総理自身の言動にある。」と言っていた。共産党を褒めると変な目で見られかねない日本ではあるが、この発言には正直なところ共感せざるを得ない。しかし一方、ウクライナの関連のニュースなんか見ている限り、ロシアとアメリカ及びEU諸国との間の緊張は相当高まっていて、まかり間違えば米露戦争が勃発しかねないような恐怖を覚えるのも事実だ。

政権が声高に唱える安全保障環境の悪化はこのことを指しているのだろうか?
総理は今回のヨーロッパ歴訪で、英国との間でも2プラス2での合意もしている。2プラス2(防衛&外務閣僚の会合)は、安保軍事面で協力して活動を行なうことを前提に行なうもので、日本は06年までは、米国としか2プラス2を行なっていなかったそうだが、安倍前政権の07年に豪州と合意し、今政権でロシア、フランスが加わり、今回の英国で5国めになるそうだ。

どうして現代日本にそんな軍事同盟もどきが必要なのか、浅学菲才のボケ老人にはさっぱり分からない。孫子の兵法にも「遠交近攻」なる教えが有り、遠国と同盟を結んで近くの国を攻めるが良かろうとされているそうだ。しかし先の大戦で我が国は、近くの支那を攻めあぐんで遠国ドイツやイタリアと同盟を結んだ。それ以前の英国との同盟関係でロシアに勝ったのがいけなかったのかもしれぬ。為政者はいつも強そうな国と同盟をしたがる。しかし実戦でその同盟国が必ず勝つとは限らない。

米露が干戈に及べば、もはや勝ち負け以前の話だろう。どっちにつこうが日本なんて蚊帳の外で、日本人がハッピーになる筈もあるまい。もし子供たちのことであれば、喧嘩騒ぎには近付かないよう教えてやりたいところだ。己の力をどう見ているのか、警告めいた論調は全く見られない。きっと1930年代後半の日本もそうだったのだろう。

今朝の朝日新聞の1面トップに、安倍政権は「自衛権発動の3要件」を見直す方向で調整に入ったとある。集団的自衛権行使との関係で法律を見直す準備に入ったとのことである。流石に「安倍政権は遠隔地での戦争も想定するなど自衛隊の活動範囲が大きく広がり、歯止めがきかなくなる恐れがある。」と続けてはいるが、如何にも字が小さく、遠慮がちである。

2014年5月5日月曜日

子供の日に

憲法記念日と子供の日の間に位置する5月4日を意味不明の「みどりの日」とか言って連休にしてしまったので、子供の日の有難味が薄れてしまったようで残念だ。年経るにつけ、目にして一番嬉しいものは子供の笑顔で、耳にして一番嫌いなものが子供の泣き声である。さすが今日は子供の日だけに親子連れで歩いている人が多かったような気がする。微笑ましい風景ばかりではなくて、びっくりした光景にもぶつかった。

小学校2、3年生くらいの男の子と連れ立っていた40歳前後のお父さんの二人連れ。子供は何やら買ってもらったらしい玩具が入ったデパートの紙袋を持っている。デパート前の通りを横断する信号が赤で隣に来て並んだ。父の方がこれから昼飯に行く店を子供に聞いている様子。子供の返事が凄かった「あんな店駄目に決まっているじゃないか。」とびっくりする程のふてくされた態度。父がこの子を張り飛ばすのではと心配したが、驚くべきことに「ではどこがいいの?」まるでその子に阿っている。

もう1件は地下通路を歩く小学校高学年か中学校低学年くらいの男の子と母親と思しき二人連れの、すれ違いざまのことである。何があったか知らぬが男の子が、持っていた雑誌か新聞で女性の顔をいきなり叩いた。「止めてよ」とか何とか叫んだようだが、そのまま歩み去った。どちらも子と親が1対1だったので、ひょっとしたら父子家庭とか母子家庭と言ったやや特殊な環境の親子かもしれない。片親家庭なんてものは今や特殊でも何でもないか知れぬが、そんなことは兎も角、この光景を目の当たりにした時はびっくりした。

山上憶良の白銀も黄金も玉も何せむに・・・ではないが、子供は誰にとっても何者にも替えがたい宝であるのは異論が無いだろうが、甘やかせばいいと言うものでもないと思う。と偉そうに言ったところで「お前はどうなんだ?」と問われてしまうとお恥ずかしい限りである。子供を叱った記憶は皆無に近いが、子供に対する教育は全面的に放棄していただけのことである。むしろ孫はたまに遊びに連れて行ったりしたので、孫たちには叱った記憶が何回かある。

主に社会秩序について教えておこうと思ったようなときだった。電車の中では子供が席に争ってついてはいけないとか、大人が多い席で子供がはしゃいだいけないとかいった類だったような気がする。子供だから許されることもあるが、子供は常に大人に敬意をもって接しなければいけないことを理解してほしかったが、果たして結果はどうか?高校生になってしまった二人の孫と会う機会がめっきり減ったので分かりかねるが、二人とも中学時代に運動部に入っていたので、ある程度長幼の序などは身に着いたことだろうと思っている。

スポーツの世界で活躍する10代の選手を見ていると、今の子はしっかりしていて気持ちが随分明るくなる。引き換え馬鹿な大人が多いことにはうんざりだ。特に政治家、トップに立つ総理に子供がいないのも国民全体にとって不幸なことかもしれぬ。子供の大切さが総理には分からないのだろう。子供たちを戦場に送り出す蛮勇は持ち出す前に、子供たちの命を守るためならと、思いを巡らせてみろと言っても、所詮詮無きことなのかもしれぬ。

2014年5月4日日曜日

アメリカの外交戦略

好い天気だが出かけるところが無い。又昨日見たテレビ番組の紹介をしたい。
先日読んだ小説によると、第1次世界大戦の時は戦勝国が莫大な戦後補償を敗戦国に押し付けたようだ。ところが先の大戦で勝利した連合国側は、敗戦国日本に対しての賠償請求権を放棄している。(但し、日本に占領されたアジア諸国と日本との個別協定に委ねられ、日本にとって有利なものとなったことは否めない。)その代りかどうか、東京裁判なる法廷が設けられて多くの戦争犯罪が裁かれ、A級とされた数人が絞首刑で殺されたことは小生ですら知っている。

何れにせよ、連合国の親玉であったアメリカと言う国は不思議な国である。誰がどう考えても日本のトップが天皇であったことは疑う余地が無い筈だ。にも拘らず、東京裁判では天皇の責任を問わずに輔弼の任にあった数名を処罰するだけで済ませている。死刑判決の7名と言う人数はいろんな意見があるだろう。裁判は東京だけでなく戦地であった国でも行われているので、終戦後死刑で亡くなられた軍人軍属は他にも沢山おられるだろうが、詳しい記録があるのかどうか。ここではアメリカの国家戦略について書きたいので、本件に関しては触れない。

多分、天皇を有罪にすべきか否かについては、日本について相当綿密な情報収集と分析が行われたに違いない。その結果の決定が、我が国にとってもアメリカにとっても非常に正しい判断であり、その後の世界にハッピーな結果をもたらしていることは言うまでもない。こんな当たり前の話を持ち出したのは、昨日TBS18時からの「報道特集」を観たからである。憲法記念日に因んで特集が2件あり、1件は金平キャスターの安保法制懇の代表北岡伸一氏に対するインタビュー。「集団的自衛権はあるけど行使できないとしてきた、従来の内閣の考えは間違いから不適切の間であろう。」と聞き捨てならぬ答えを引き出している。この部分も良かったが、もう1件の特集が非常に印象的であった。

コアになっているのがアメリカ公文書館の保存資料から発見された1通の手紙
。昭和34年4月20何日かの日付でアメリカ大統領アイゼンハウワ―氏宛てだされたもので、内容は我が子である明仁親王が正田美智子嬢と結婚したことを報告しているもの。差出人は良友 裕仁と直筆で署名されている。どんな秘密文書でも公文書は一定に期間を経て公開されることになっている彼国だから、ここまでは驚くにはあたらぬかもしれぬ。感心したのはその前後の文書である。実に詳細な現地の事情が、駐日大使館の担当者から国務本省に送られている。

正田美智子氏が皇太子妃に選ばれるまでには、宮内省或いは政治家を巻き込んで相当な綱引きがあり、結果的に民間からの降嫁に至ったこと。これが憲法に定めた象徴天皇に地位を具象化する極めて重大な影響を国民にも及ぼすであろうことなどを細かに綴っている。現在のアメリカを見ていると、例えば訳も分からぬ因縁をつけてイラクに戦争を仕掛けて、大統領を絞首刑にしたりしている。こんな事と比較して思うに、当時アメリカの外交戦略が如何に緻密であったかが偲ばれる。

もちろんご成婚後のウォッチも続き、日本では常に台頭しがちな右派勢力によって天皇が元首に祀り上げられることに対し、余程の注意が必要とも述べている。そして番組の最後に自民党の憲法改正草案の第1章第1条「天皇は、日本国の元首であり、・・・」が紹介されて終わった。

2014年5月3日土曜日

憲法記念日のマスコミ報道

昨日の報道は今日の憲法記念日に絡んだ世論調査の発表が多かった。各社共通することは、現行憲法の第9条については護持すべきとする人が多数を占め、昨年に比べると増えていることである。最近面白くでもないニュースが多い中で、救われる思いがあった。現政権与党は、まるで非戦を誓うことが世界の嫌われ者になるかのようなキャンペーンを繰り広げているが、国民の意思は真逆のベクトルであることが明らかになっている。

今朝の日本テレビ「ウェイクアップ」に出演した読売新聞の論説委員橋本五郎氏は、この数字を見てさえ国民が勘違いしているような発言をしている。裏にどんな事情があるか知らぬが、彼なんかも又余程親政権派と言うことであろう。分かりやすくて善いとも言える。9時前には家を出てしまう習慣になっているので、その後テレビを見ていないし、新聞も碌に読んでいないので、誰が何を発言しているか詳しく知る由もないが、大凡の見当はつく。

簡単に言えばこんな事だろう。先ず大前提の現状認識は、9条に手を入れることと護持すべきとする2大意見に国民が割れていること。但し現政権とすると、何とか1日でも早く集団的自衛権行使が出来るようにしたい。理想は憲法を変えて、自衛隊を国防軍として位置づけた上で、集団的自衛権行使を実行できるよう整えたい。しかしこの実現には相当な時間が掛かるので、現行憲法のまま集団的自衛権行使が可能になる道を探っているところである。

NHKや読売系は中立を装いながらも、政権べったりは見え見えである。世論調査の結果からは、9条について国民の意見が2分されていると前提を置くことから完全に間違っている。9条に手を入れて戦争が出来る普通の国にすべきだと言う人が2割以上いるのは間違いない。これで世論が大きく2分されていると、どうして言えるのだろうか?小生も非戦派だが、世代が随分変わってきて戦争に対する恐怖感が無くなりつつあるのかと心配していた。しかし若い人でも戦争はすべきでないとする人が多そうなのでホッとする感がある。

改憲が難しいならとて出てきた憲法解釈問題だが、これは正直何を言っているのかよく理解できない。文章の解釈は成程人それぞれだから、先人が何と言おうと俺の解釈はこうだ、は分からぬでもない。現政権は、取り敢えず自衛隊であっても構わないから、何が何でも他国の軍隊と一緒に戦いたいらしい。昨日ワシントンで石破幹事長がアメリカの副大統領に、3年後には先ず限定的なことから集団的自衛権行使が出来るようにします、と述べて褒めてもらったとのこと。

このことについても多くのメディアは、何の疑問も示さず淡々と報じている。籾井会長や長谷川理事のNHKの放送なら分かると思っていたところ、昨夜22時テレビ朝日の報道ステーションの古館キャスターと相手をした古賀茂明氏(元経産官僚)は良かった。婆さんはこれを見逃したようで残念だ。マスコミについては苦言ばかり述べているが、下記の発言は全く同感だった。

内容は憲法問題とは少し離れているのだが、ロンドンのシティーで行われた晩餐会での安倍総理のスピーチ。これを古賀氏が「アベノミクス3本目の矢が上手くいかないので、年金基金まで市場に差し出しますと宣言しているのは、まるで証券会社のセールスマン」とこき下ろした後で、最近の安倍氏の政権運営全般に話が及び、古館氏が「お前の意見など聞きたくないとお考えの方も多いかもしれませんが、私は1ミリでも戦争に近付くような政策変更には反対です。」と明解に述べた。

2014年5月2日金曜日

緊張感に欠ける毎日だが

平日である筈だが、メディアでは現在ゴールデンウィーク即ち連休中であることが強調され過ぎているのではないかと思うサンデー毎日の今日この頃である。昨日のニュースでは2016年から8月11日が「山の日」なる祝日になることが国会で決まったとのこと。8月半ばと言えば学校も企業も夏季休暇の真っ最中、しかも旧暦お盆迎え火の前々日。

只でさえ無意味な休日が多すぎると思われている我が国で、これ以上無意味な休日を増やすことにどんな意味があるのか。誰の意図に沿っているのか知れぬが、誰かが国民を具劣化することに腐心しており、マスコミがそれに乗っているとしか思えない。本来選良で構成されている筈の国会も、1強多弱の情けない状況で与野党共に選良としての存在感が全く無い。消費増税にびくともしていないとされる巷の裕福な民草が連休を楽しむの善しとしてもだ。

政治家共の姿に緊張感が無さすぎる。野党の諸氏についてはみんなの党の代表交代程度の話で、テーマに取り上げる気にもならぬ。政権与党については19人の大臣のうち16人がこの連休中に外遊されるとのこと。日本に居ても毒にも薬にもならぬなら、何処へ行こうと勝手だろうが近所のおじさんおばさんでもあるまいに、本当に国内で担当大臣として果たすべき役割が無いのだろうか。

テレビで元通産官僚だった 岸博幸氏(慶応大学教授)が「総理大臣以外の大臣外遊は全く意味がありません。」と言ったそうだ。小泉内閣当時に竹中氏の補佐官で内閣にいた人物だからまんざら嘘ではないだろう。大臣も人の子、休日も連休もあってどこがいけないのか?と開き直られれば返す言葉も無い。自民党の石破幹事長が、復興支援と議員定数実現までの罪滅ぼしで行っていた20%の政治家の給料カットを25年度いっぱいで止めて、旧に復するに当たり「政治家が貧困に窮して政治活動が行えないのは如何ものか。」と言ったそうだ。

これもテレビでちらりと見たが、それに対して「とんでもないことを言いやがる。」と批判する解説者はいなかった。どいつもこいつも政治家はその場その場で都合のいい訳をするばかりだ。選挙の時だけはペコぺコして、権力の座に座った途端に国民を見下した態度で偉そうにするのが習い性とは言え、見ているだけで情けなくなる。先ほどの岸氏の解説には異論となるが、そもそも総理の外遊好きも如何なものだろうか。

どうみても己の信念に基づき、外国の首脳を説得するために海外の赴くといった気概と緊張感は感じ取れない。益して行く先々で喋ることが、会談相手を喜ばすようなことばかりで、首尾が一貫しないとなると誰からも信用されなくなるのではと心配になってくる。確かに我が国は平和で豊かなんだろう。政治家を含め誰もが極楽とんぼ状態にあるのは仕方ないかもしれぬが、踏みしめている大地が意外な薄氷だったりすることはないだろうか?

北朝鮮からミサイルが飛来する心配は先ず無いとしても、世界は広く知らないことが多すぎる。元来が臆病なので「いざ」という時が来て慌てる日が生きているうちに来るのでは、と漠たる不安がある。

2014年5月1日木曜日

パソコンと高齢者

パソコンとインターネットの出現で、嘗て思い描いていた老後の生活は一変している。嘗てとは55歳の時、2度目のサラリーマンを辞める決心をした頃までであろうか。その頃は、後5年くらいはどこかの会社の臨時雇いにでもなって働き、60歳になる頃には家に引き籠って読書をしたり、たまには映画館や寄席、碁会所なんかに顔を出して優雅な隠居生活を送りたいものだなんて思ったりしていた。

ところが、その時運良く3度目の就職先が見つかった。この会社に入って暫くしてパソコンの存在を意識するようになるのだが、その経緯は兎も角として、パソコンネットなるものに加入した。未だ日商岩井が仕切っていたニフティ-ネットである。殆ど同時くらいにインタ―ネット時代が到来して、ニフティ-もインターネットプロバイダとして、富士通に身売りすることになるのだが、これも別の話。数日前の新聞では富士通がニフティ-を切り離す予定なんて記事も出ていた。

60歳でリタイアを想像していた高齢者が、見よう見まねでパソコンとインターネットを利用して、63歳の時に独立して細やかながら起業するまでになったのも考えてみれば不思議なことで、世の中一寸先に何が起きるか全く想像できない。小生の場合は全く運そのもので、周辺にビジネスをサポートしてくれる若い人材がいたからで、何も自分がパソコンやインターネットの技術を身に着けた結果ではない。その後会社から一歩引いた形を取っていたが、後継者の青年が急逝してしまった。

会社は形として残っていたが、仕事は全くしていなかったので、ビジネス面での支障は何もないのだが、個人的なことで厄介なことに直面せざるを得なくなった。何かと言えば、現在我が生活時間の大半がパソコンと向かい合う仕掛けになっているからである。これはほぼ四半世紀前には全く想像していなかった世界である。そしてその個人的な環境を整えてサポートしてくれていたのが亡くなった後継者に他ならない。彼のお陰で、インターネット環境やメイル環境が快適に作動し、居ながらにして殆どの用事を済ますことが出来ていた。

しかしウェブの世界は変化が激しく、目の前にあるパソコン、即ちインターネット環境と言う奴は年中メンテナンスをしていないとすぐ不具合を生じる。典型的又はもっともポピュラーなのが、マイクロソフト社のOS(基本ソフト)XPのサポート中止だろう。幸い使用中の機種は既にOS7になっているので、その騒ぎはやり過ごすことが出来た。又数日前にはブラウザのインターネットエクスプローラは危険だから使用しない方が善いだとか、インタ-ネットバンキングは危険だから使用しない方がベターとの報道もある。

彼さえ生きていてくれたら、心配事があれば電話1本で大抵のことが解決したが、今はこれが全くできない。長年銀行なんかに行ったことが無いので、今更ネットバンクは駄目よなんて言われても全く困ってしまう。オラクル社のJAVAが何故か更新できないので、囲碁の勉強がネットで出来なくなってしまった。会計ソフトの年度を更新しようと思ったら、あなたの機種では更新できませんので新たにソフトを購入してください、ときたものだ。料金は店によって異なりますが約4万円くらいの筈です、とのこと。

馬鹿にするな!と言いたいが機械とはそんなものなんだろう。会計ソフトは会計事務所と相談して事なきを得たが、これからも次から次へと不都合なことが起きてくるに違いあるまい。厄介ではあるが、これもボケ防止になるかもしれぬと諦めよう。