2014年5月20日火曜日

情報過多

先週末に同窓会の講演でマイクロソフト社勤務の同窓の後輩から、情報化時代の今後に関する話を聞いたばかりだ。要するに今後クラウド技術や端末の進歩で、個人が入手できる情報もますます膨らんで来ることになるとの趣旨である。これは結構なことなのだろうが、頭の回転が鈍くなっている老人からすると、頭が混乱する原因が増えるような気がしないでもない。家に1台のラジオと薄っぺらな新聞しかニュースを知る手段が無かった時代を思うと、今でも十二分に情報は過多である。

正直なところ、情報が多すぎる故だと思うが、最近はどの情報を信じていいか分からないことが多い。取っている新聞を信じているうちはハッピーだが、取っていない新聞の内容もある程度分かるようになってきている。現在問題になっている安倍総理肝煎りの解釈改憲の問題なぞ、新聞で見方が大分変っているらしい。個人的な判断をするにも面倒くさいことだ。世の中に有識者とか専門家と称する人間も、こんなに大勢いるのかとびっくりするくらい大勢湧いてきて、誰の言葉を信じていいか迷ってしまう。

他人のことを心配しても始まらないかもしれぬが、若い人たちが書物に親しむ時間が少なくなることだけは確かだろう。若い時には親兄弟、友人、先生、諸先輩の言動を初めとして書物からも多くのこと学んできた思いはあるが、ラジオや新聞から学んだことは殆ど無いに等しい。今の若い人の学習は全く異なるだろう。1にゲームで2にテレビなんて仕掛けになっていかねない。勿論「それではいけない」と言いたいが、現実の情報供給構造が変わってしまっている以上、良いの悪いのとは言っていられないだろう。

IT技術の進歩で、情報の質を判定するようなことが出来るようになること切望しても、類似情報の偏差程度は何とかなるかもしれないが、真実度合いなんかは永遠に不可能だろうし、正邪の判断も無理なことだ。今日話題の「PC遠隔操作ウィルス事件」。昨日、捜査当局が片山被告が都内の河川敷に埋めたとみられる携帯電話を発見したことが報じられた。この報道を見て婆さんと「この犯人はなんて分かりやすい馬鹿なんでしょう。」と笑っていたのだが、ネット情報を見ると、そう単純に受け止めない見方もあるようだ。

要するに警察の威信が掛かっているこの捜査、片山犯人もそれが分からぬほどの馬鹿でもないとの見方に立つと、警察側の行動も不自然なことがあるらしい。結局は犯人の自白であっけない幕切れにはなった。ロシアとアメリカどちらが悪者なんて話は置くにしても、スタップ細胞とか、どうでもいいような情報の氾濫の中に日常が置かれていることだけは確かだ。

こちらにとってはどちらに転んでも関係ないことだが、情報の過多で頭が混乱してくることだけは間違いない。

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