2015年4月30日木曜日

日米関係で若き日を思い出す

平日の木曜日だが、街全体が何となくゴールデンウィーク気分のようで人通りが少ない気がする。JR東日本の老人割引「ジパング倶楽部」メンバーになって以来、連休期間は割引が利かないので遠出は避けるようになっていたが、近郊のハイキングは必ず出掛けたものだった。早緑輝き風薫る季節に外を歩くのは誰にとっても楽しいことだ。身体の不調でそれが叶わなくなったのは、歳を実感すると同時に悲しむべきことかもしれぬ。

しかしこれまでに自分なりには十分楽しさを味わってきたのだから、自宅を出ずにじっと大人しくするのも摂理のようなことだと我が身に言い聞かせている。我が身はさて置き、一種の国民性とも言える旅行シーズンで、老若男女の国内外への旅行者が急増しているようだ。そのこと自体はなにも非難できない。新幹線が4時間半も止まって大いに難儀した人もいるだろうし、何億円もする専用機を飛ばしてアメリカに旅行している人もいる。

何でもアメリカ大統領からのご招待だそうだから、ことさらケチをつけるのも如何かとは思うが、マスコミが朝から晩までこれを取り上げ、嬉しそうな報道を接すると、何がそんなに嬉しいのかと皮肉りたくなる。確かに我が国は70年前の敗戦により一時アメリカの占領下に入った。しかし、建前に過ぎなかったかどうかは兎も角、7年後には占領の軛から解放されて主権国家として独立した筈だ。

以来、国のリーダー達は独立を実のあるものにすべく様々な努力を重ねてきたのだろう。中学から高校にけての頃だろうか、弱いくせに不良を気取って喧嘩沙汰に絡んで来たので分かることがある。大体喧嘩に負けると、負けた相手に対して負い目を感じるのは仕方ない。不良少年の性かもしれぬが、どうしても喧嘩の回数を増やして勝ち負けのバランスを図ったり、付き合いの幅を増やそうとするものだ。そのようにして例え喧嘩に弱い奴でも主体性を保っていたように思う。

国家の外交だって似たようなものだろう。アメリカに負い目を感じるのは仕方ないにしても、自ら好んで「私はあなたの子分になります。」なんてなかなか言い難いものだ。言った途端に、そいつが喧嘩に弱いとか以前の問題として、他の不良連中から見れば一段格下に落とされてしまうのが当たり前だ。安倍氏とすれば、日本の独立主権を一層確たるものにするために打っている芝居かもしれぬが、違和感を禁じ得ないのは今回の彼の言動が前述の不良少年の喩えではないが、自らを貶めている感じがするからである。

彼の先輩にはアメリカに楯突いて政治生命を失った田中角栄氏、小沢一郎氏、鳩山由紀夫氏なんかもいる。それぞれ毀誉褒貶はあるだろうが、共感を覚える人も少なくないだろう。地球上に数多ある国家と対等に付き合うことができるか否かは、軍事力や経済力の強さでないことは誰にでも分かっていそうだが、現政権には理解不能らしい。日本に対する脅威が高まっているとか、抑止力の強化とは誰に向かって言っているのか?このことの方が余程理解不能だ。

子供の頃自分の所属するサークルを超えて喧嘩をせざるを得なかった人間なら誰にでも分かる。喧嘩に強い弱いは大した問題でない、身内(所属するサークル)が結束していることと、誰とでも付き合える人間が一番安全なのだ。安倍氏にすれば身内は圧倒的に結束したと思って入るだろうけどね。

2015年4月29日水曜日

為すことも無き祝日に

日本はついにアメリカと一緒に戦争をする国になったらしい。僅か2、3年のここまでの道筋を誰が考え付いたか知らぬが、今度の政権内部に余程は頭の良い人間がいたと言うことになるのだろうか?恐らく現存する政治家のOB達も70歳代以上の一般人も、こんなに簡単に実質的な改憲が出来るとは夢にも思わなかったに違いない。昔からの改憲論者からすればさぞかし臍をかむ思いであるだろう。中でも一番びっくりしたのは、畏れ多いことながら天皇陛下ではと拝察する次第だ。

たまたま今日は先代天皇陛下のお誕生日、昭和に思いを致すべき日と心得るが、アメリカまで行って「貴国に最大のご協力をします。」と嬉しそうに喋る政治家の気持ちを推し量ることはできない。所詮世代の違いによる感性の違いなのだろう。若い時には「明治は遠くなりにけり」と嘆く大人の声をよく聞いたが、気が付けば昭和も大分遠くに行ってしまったみたいだ。無駄に過ごした過去を思えば、今更何かを嘆いても仕方ないのは分かっているが・・・。

たまたまネットでこんな記事を発見した。曰く「周辺地域で線量が1000倍に急上昇! “フクイチ”で何かが起きている!?」今月は東京の線量もかなり高くなっているとのこと。http://wpb.shueisha.co.jp/2015/04/27/46919/3/
少々線量が高くなろうと、こちらは余命幾ばくも無いので関係ない。更に病気の治療とて、数か月後からその放射線を態々40日近く浴び続ける予定である。

でも何もすることが無いので、最近行われた外国特派員協会における反原発再稼働の学者の会見動画を観て過ごした。一つは小出裕章・元京都大学原子炉実験所助教、http://www.videonews.com/press-club/150425-koide/
小出氏の話は何度っも聞いているので大体分かっているが、福一の環境は想像以上に悪いようだ。問題は現地で実際に作業員の作業環境が益々劣化している上に、作業員の補給が間に合わなくなっているとのこと。チェルノブイリの場合は軍人や囚人まで動員して70万人とも80万人とも言われる。日本でそんな動員が出来る筈もない。外国人が増えているらしい。

も一つは神戸大学名誉教授・石橋克彦氏、元GE原発技術者・佐藤暁氏、http://www.videonews.com/press-club/150427-sato_ishibashi/
こちらは初めてだったが、日本人の先生も英語でお話なっているので、少し分かり難い。地震学者の立場から、新潟地震で被害が出た柏崎刈羽の時から警鐘を鳴らしてきたが、東電はまともに受けず、対策をしないまま311の事故が起きたとの趣旨。最後の一言が印象に残った。「事故の経緯を見て思うのは、神様が居て少しずつ人間に警鐘を発している。次回事故が起きれば、間違いなく福一の事故を上回ることになるのではないだろうか。」

2015年4月28日火曜日

読後感「南方熊楠」唐澤太輔著

この人物の名前は明治初期の偉い人とだけ記憶にあったが、如何なる人か全く知らなかった。たまたま書店で新刊書として店頭に平積みされていたので買い求めて読んでみた。維新前後の人は良く勉強した人が多いことは知っていたが、この南方熊楠もその一人で、驚くべき記憶力の持ち主だったらしい。して彼の偉業だが、彼は現在風に言えば生物学者となるのだろうが、大学もまともに卒業していないし、勿論学位も無い。その意味では、同時代と思うが、植物学の牧野富太郎博士とは大違いである。

何で未だに名が残っているかと言えば、熊楠は日本の大学はおろか、アメリカでも何校かの大学を中退してまともな学歴は皆無であるが、粘菌類学者として幾つもの新種を発見し、それを英国の「ネイチャー」に発表して認められたこと。同じく昭和天皇にも認められ、昭和4年(1929年)紀南行幸の昭和天皇に田辺湾神島沖の戦艦長門艦上で進講。粘菌標本を天皇に献上したことがある。

では「粘菌」とは何かである。本書を読むまで聞いたことの無い言葉だ。平たく言えばカビや細菌の類らしい。熊楠の表現を借りれば「普段は痰のような形状」である。全く縁遠い素人なのでよく分からないが、キノコやシダも似たようなもので、隠花植物(花の咲かない植物)の一種らしい。何れにせよ面白いものに関心を持つ人がいるものだ。熊楠は幼少より自然観察に没入して、粘菌の生態に深い関心を寄せて行った。

結果、現在では定説化しているようだが、粘菌は多種多様で生態もいろいろだが、植物とも言えないし、むしろ動物に似たような生態を持っていることを発表。結果的に亡くなる昭和16年(1941年)までには世界的に粘菌学者として高い評価を得るようになった。

その熊楠の生い立ちをざっと紹介するのが本書なので、彼の神童ぶりや、何か国語も自在に操ったこと、国内で大学進学を投げ捨て(諦めとは表現しにくい意味がある)アメリカに渡って、又大学を2校も今度は失敗している。それでも尚キューバから中南米数国を経由してイギリスに行って大英博物館の特別研究員みたいものにもなっている。そして生涯で「ネイチャー」誌への投稿が数十回に及ぶ学術的成果は兎も角。

彼の人間性が凄い。天才と狂人は紙一重の喩え通りのようで、詳細は省くが生活ぶりは常人の想像を超える。しかし熊楠は実際に霊界と交信したり、自然界の植物動物又は岩石とさえ会話をしていたのではないかと思わせるものがある。
彼は当時としては実に広い世界を実際に見聞している。そこで熊楠が理解したことは「多様性」の一語に尽きるようだ。現在でこそ「エコ」が大流行だが、熊楠は自然界のエコロジーは勿論だが、人間社会の例えば「宗教」なんかでも多様性を排除すべきでないと力説したかったらしい。

明治政府によって実施された神社合祀で、当時全国に20万社あった神社が7万社に整理されたようだ。彼は故郷の神社が無くなることに抵抗して逮捕され、投獄までされている。現代人から見れば一種のスーパーマンに違いあるまい。



2015年4月27日月曜日

病気とのお付き合い

今日は初夏の陽気で、普通であれば実に気持ちが良い1日だ。婆さんは、応援していた区議の候補者がトップ当選したとかで朝からご機嫌。娘の小学校の養護教官が区議選に出た遥か昔に選挙に関わり始め、その婆さんが引退したのを機に暫く選挙から遠のいていたのだが、当時ある代議士の名代で手伝いに来ていた若い秘書を見込んで区議に担ぎ出した10年ほど前だろうか。2年前に都議選に挑戦して落選、2年浪人後の復活戦とて、今回はかなり応援に力を入れたようだ。「今夜は事務所の後片付けと祝杯があるから、夕飯は外で済ませてきてください。」とのこと。

夕飯なんざお安い御用だが、腰痛のぶり返しがきつすぎる。結局1週間前に通院を止めた整形外科を再び訪れる羽目に。何十年も使い込んですり減ってきた骨や筋肉が一朝一夕でよくなる筈は無い。神経に作用する痛み止めの処方を1.5倍にして貰った。これが効かなくなると神経に沿って直接制御剤を注入する方法もあるようだ。後に薬局の薬剤師に聞いた話もいろいろ参考になった。先ず薬の副作用だが、あまり酷くなければ多少量を増やしても薬で治す方が楽とのこと。薬の副作用も個人差が大きいようだが、小生が一時心配した立ちくらみ程度は心配ないし、だんだん慣れてしまうものらしい。

直接制御を始めると、それこそ毎週医者通いをしなければならなくなるらしい。それと、痛み止めが2種類出ていて、もう一方はいわゆる消炎鎮痛剤で、炎症そのものに働きかけるようだが、こちらは余り効かないとしたものらしい。そう言えば医師も言っていた。「こちらは途中で止めてもいいですよ。」医師も薬剤師も共通して言うのは「痛みのあるうちは無理をしない方が良いですよ。」それもそうだと思いつつも、薬を貰ったので安心して、今日も痛みを我慢しながら結局1万1千歩を歩いてしまった。

整形外科の前に、早朝から例に依って半日がかりで日大板橋病院泌尿器科で前立腺癌治療。放射線治療が本番だとすれば現在行っているホルモン療法は準備運動みたいものと説明されていたが、これの効果が驚異的である。腫瘍マーカーのPSA値が前回(2月28日)25.6だったものが、今日はなんと1.63。これじゃ放射線治療なんか不要ではないかと思ったが、何故か治療は予定通り辺野古の埋め立て同様粛々と進めるものらしい。

次回のPSA値測定は5月25日、続いて6月15日のMRI検査までは既に予約済みである。その結果を受けて放射線治療の予約を入れることになっている。どこかの時点で「放射線はもう少し様子を見てのことにしましょう。」となることを密かに期待している。

2015年4月25日土曜日

ドローン墜落事件

体調が相変わらず絶不調だ。腰は痛いし咳も止まらない。じっとしていてもなにも良くならないだろうと、久し振りにプールに行ったが、全く泳がずに水中歩行だけに留めた。月曜日は日大病院なので、火曜日にでも整形外科に又行かねばならないだろう。病院通いしかすることの無いのが年寄りの相場らしいが、情けないことに全くその通りになってしまった。ブログも土日はやめるつもりでいたが、こんな面白いことに遭遇したのでは書かない訳にいかない。

読者の半数以上は多分面倒くさくて読んでおられないと思うので、下記ブログを紹介して、是非読んで頂きたい。
http://guerilla47.blog.fc2.com/blog-entry-41.html
ドローン事件の犯人のものである。4月1日から昨日の24日まで、今回の事件の経緯が丁寧に書かれている。どんな報道より詳細で分かり易い。報道では、昨夜らしいが福井県小浜署に出頭してきて、小浜署で対応が分からず右往左往、結果署にお泊り願ったのだろう。急遽警視庁に応援を要請して、今朝になって警視庁がやって来て逮捕状を執行したらしい。

山本泰雄(氏としたいが遠慮しておこう)40歳と発表された。例によってマスコミ報道は勿論、ネット上でも避難ごうごう、馬鹿だのキチガイだのこんな親の子は可哀そうだの、幼稚だのと賑やかである。ブログにプロフィールが無いので推測するしかないが、昨年7月に「転勤命令が出たので辞職しかないか」と書いてある。非正規雇用ではあったようだが、給料にも不満の無いテレビの部品メーカー勤務であったようだ。

ただ、原発再稼働には大分反対していたようで、いわゆる活動家の一人だったかもしれない。退職直後と思われる昨年の7月、川内原発再稼働反対運動の応援に行ったのかどうか、原発敷地内にドローンを飛ばして撮影している。この時は飛行距離が足りずに建屋までは届かなかったようだ。我が国の優秀な警察組織だから、今後は早急に対策を講ずるだろうが、ブログを見てさぞ肝を冷やした事だろう。何でもドローンなる玩具と言うべきか機械と言うべきか分からないが、年寄りにはスマホと同様全く無縁の存在ではある。

しかし国の産業政策面から見ると、成長産業として育成すべきものであったらしい。世の中がますます複雑で分かりにくくなっていくことだけははっきりしている。今や犯人となって牢屋に入ることになるこの小父さんの考えていたことに、何となく共感を覚えた。元広告屋として言えば、ここ数年続いた官邸を取り巻くデモ以上の効果があったことだけは確かだ。

2015年4月24日金曜日

散歩考

昼間だけに限れば、水木金と爽やかな日が3日続いて嬉しい限りだ。桜の花見はさっぱりだったが、代わりにせめて散歩だけでもと、昨日一昨日と2日連続でいつもと少し異なる歩き方をしてみた。普段1日の歩行数目標を1万歩においているが、分解すると朝夕の通勤(勤めている訳ではないが、事務所までの歩行)の往復が約2400歩、昼に池袋までの往復が約7600歩を一応の目安にしている。従って1200歩で一休み、3800歩でまた一休みとなる。

1秒で2歩進むとすれば1200歩は600秒、即ち10分だから、30分あれば3700歩は歩ける筈だ。通常池袋まで片道で大体30分強使っていることからすると、当たらずとも遠からずだろう。このように平地であれば、連続30分程度歩くことはさほど問題ではない。そこで天気に誘われた一昨日と昨日は、普段のほぼ2倍、約1時間連続して歩いてみることにした。そろそろ山のシーズンが近づいているので、果たして行けるかどうか試してみたかった。

婆さんは「高尾山くらいにしたら。」と気安く言ってくれるが、山歩きは標高が低いから楽に歩けると言うものではない。これまでは50分歩いて5分から10分以内の休憩を取ることを原則に考えて、出来れば1時間で標高差300mを稼ぐよう努めていた。そしてどんな山であろうと1時間で終わる山歩きは無い。例え高尾山であろうと、行けば最低でも5時間やそこらは歩くことになるだろう。

1年近いブランクがあるので、先ず平地で1時間程度歩けるかを試してみた訳である。一昨日は国会図書館から憲政記念公園経由、皇居を半周して竹橋の如水会館まで。昨日は事務所を出て、地下鉄の駅で五つ先の音羽の鳩山会館まで。どちらも約8千歩だから1時間強は掛かったと思う。天気が良いうえに新緑やハナミズキなんかが美しく気持ちは良かった。そのうえ、偶然であるが二日ともウォーキングの終着点で巡りあった昼飯がフレンチで、どちらも実に美味かった。

余談になるが書いておこう。竹橋の如水会館は一橋大学の校友会館だが、一般人に開放されているレストランが1階にある。会館全体では卒業生しか利用できない倶楽部レストランもあるが、そのどれもが東京会館直営なので料理が美味いし、校友会館の特殊性もあるのだろう、比較的廉価だと思う。注文したのは「舌平目のムニエル」これにサラダバーとデザートにプリンがついて1030円。半端な料金ではあるが、メインディッシュは添えられたマッシュルームポテト共に絶品だった。

昨日は江戸川橋のこじんまりしたビストロ・ソレイユ、鳩山会館のすぐ下にある。ここでも魚のランチ・カンパチのグリルを注文、メインの素材も良かったと思うが、前菜のじゃがいもとベーコンで作られたパテが美味かったし、サイドに置かれたパンとデザートに供されたヨーグルトシャーベットに添えられたパウンドケーキが自家製とのことで、これもまた感心する味だった。こちらはコーヒーまで入れると1250円と如水会館よりは少し高いが、この味でと思えば安いのではなかろうか。この辺が東京の良いところだ。

一応気分良く二日続けて散歩は出来たが、夕方入浴する段になると又坐骨神経痛が始まってしまった。先週で整形外科で処方された薬は切れてしまっていたが、張り薬の方は多めに貰っていたので又張らざるを得ない。高が1時間平地を歩いただけでこの体たらくでは、とても山歩きは覚束ないとしたものだろう。

ゴールデンウィークを目前にして北アルプスの小屋もボチボチ営業が始まっている。今年は例年に比べると雪が少ないらしい。憧れの山々の写真を見ながら複雑な思いの今日この頃である。

2015年4月23日木曜日

久坂玄瑞

昨日も結局夕方から夜半にかけて雨になってしまった。本当に今年の春の天気はおかしい。しかし朝は久し振りの青空が広がっていた。鬱陶しい日が続いていたので気分を一新するためもあって、久し振りに午前中から永田町の国会図書館に行った。前日の火曜日にテレビ東京「お宝鑑定団」を観ていたら久坂玄瑞のことが紹介されていた。名前は何となく知っているが、久坂玄瑞について書かれた本も記憶に無いので、何かあれば読もうと思ったのである。

図書館でキーワード検索すると、数冊上がってきたが小説らしいものは殆ど無さそうである。当てずっぽうに、昭和18年に発行された「久坂玄瑞の精神」和田建爾著をクリックすると、電子データ化されていて貸出手続きを要せず、そのまま読み進むことが出来た。長州藩々医の息子で天保11年(1840年)生まれ、幼くして父と死別、15歳にして両親兄を亡くし藩医久坂家を引継ぐことになった。ご典医は俸禄が低くて20数石と書いてあった。

医師の家だから幼い時から学問に親しみ、非常に優秀だったらしい。たまたま小生から見れば丁度100歳年長、家督を継いだ1955年と言えば、日本がアメリカ人ペリーに開港を迫られた翌年で、全国の武士階級に居る人達が、日本国の行く末、外交問題を真剣に考え始めていたに違いない。久坂も例外に非ずして、九州に旅して碩学の意見を求めたりして、結局攘夷論者に成長していくが、17歳の時(安政3年)に地元の吉田松陰に教えを乞うことになる。

松陰はこの時既に、先にペリーの船でアメリカ密航を企てた罪に問われており、江戸から萩に送り返されていたとは言え、自宅の座敷牢に蟄居する身分。年齢は久坂の10歳上だから27歳である。それでも親類縁者を頼って教えを乞う者が少なくなかったらしい。久坂の一つ年上の高杉晋作もその一人で、二人は非常に仲良くなる。兎に角現在の自分の考えではイメージすら出来ぬほど、昔の人は偉かったものだ。

僅か27歳の若者が、時の幕府の外交方針に疑問を抱いて自ら外国を知ろうと密航を試みるのも凄いが、それより更に1歳も若い少年がその若者に門下生にしてくれと頼みこむ。久坂が松陰の弟子入りを希望するに当たって交わした書簡がこれまた凄い。過激な松陰をして辟易させるほど、尊王攘夷論が過激なのだ。医師のくせしてアメリカ大使のハリスを殺してしまえと、なかなか聞かなかったようだ。松陰はそれをなだめすかして、結局は弟子にすることになる。

1840年代末から約20年、明治に至るまで幕末の日本は激動の時代となり、大小の騒乱が続く。久坂は松陰亡き後に彼の遺志を継いで、長州藩攘夷論者の中心的人物になって行くが、文久3年(1863年)を引き起こして、この戦いの最中に自刃して亡くなってしまう。こう書くと、彼が如何にも好戦派に取られかねず経緯を詳しく書けないのが残念である。しかし、この時敵対していた薩摩の西郷隆盛が明治政府の参議(政府の最高機関)になった時に、同じく参議の座にあった木戸孝允に語りかけた話が有名らしい。曰く「お国の久坂先生が今も生きて居られたら、お互いに参議だなどと云って威張っては居られませんな。」

久坂の信じた「日本国は天皇一人のものであって、支那なんぞの民主主義とは全く違う」なんてことは別にして、彼が日本国を外国と比肩しうる国家にするためは、幕藩体制をひっくり返してでも国家の統一を図る他ないとして、諸藩の志士たちと懸命に話し合いの努力をし続けたことはよく知られたことのようだが、25歳の若さで亡くなってしまったので小説にもし難いのだろう。かくして、歴史に名が残る者とそうでない人が出来てしまう。これが現実と言うものかと思いつつ図書館を出ると、上空にヘリコプターが何台も飛び回り、地上目前では警官の動きが少しおかしい。

常とは異なる多さで、いくつものグループが右往左往している。4月なので新人訓練でも始まったかと思ったりしたが、帰って確認すると総理官邸屋上に例の「ドローン」とやらか落ちていたとのこと。総理は外遊中で、昨日は中国の習主席と会談が出来たとお慶びのようだ。100歳年長の先人の凄さが余りに印象的だったせいか、俺も無駄に長生きしているなとの思い。そしてテレビで総理の緊張感に欠けた表情を見ていると、なんだか悲しくなってきた。

2015年4月22日水曜日

国家の経済力指標

海外旅行から縁遠くなって久しいので、為替レートへの関心がすっかり薄れていた。このところ中国からの観光客が急増して、各地の観光地やお土産の爆買いとやらで家電店やデパートなどが大喜びとの話は聞いていたが、関係ない話なので何となく聞き流していた。ところが、昨日海外旅行に行ったこともない婆さんから中国元の実力について「爆買いする筈よ。レートがレートなんだから。」を聞いてびっくりした。

やはり女性はお金の価値について常に関心を持つようだ。暇に任せて改めて報道を少し丁寧に読むと、現在の円に対する元レートは20円近くになっているらしい。最後に中国旅行をしたのは10数年前で、確か12円程度と聞いた覚えがある。当時から為替レートなど余り関心は無かったが、案内してくれた友人が「2千元(日本円換算2万4千円)あれば立派な高給取りです。」と教えてくれたことを記憶している。現在の中国は経済成長が著しいから、インフレも進んで、現在は2千元ではとても暮らしていけないだろう。

何れにせよ15年そこそこで、収入が増えると同時に日本円との対比でお金の価値が倍近くになれば、中国国民の生活パターンも観光客の土産の買い方も、そりゃ大分変るだろうと変に納得してしまった。逆に考えれば、当時は案内してくれた友人に「小遣にしてよ。」となにがしかの日本円を渡して凄く喜んでもらった記憶もあるが、もし現在同じ額を差し出したら、先方の感激度合いも半減する理屈になるななんて考えたりした。もう2度と中国に行くこともないだろうから、それはいいとして、関連して少し気になる記事に目が留まった。

対米ドルレートである。アメリカなんぞ個人的には中国以上に遠い国なっているのでどうでもいい筈だが、次のことを聞くと無関係では済まされない気もする。日本は対米ドルで円がどんどん安くなっているこの時期に、如何なる理由に基づくのか日本政府は米国債を買い進んで、2月末の米国債保有高は、1兆2244億ドル(約145兆7000億円)となり、リーマン・ショック直前の2008年8月以来、6年半ぶりにトップになったことが明らかになった。とある。

政府の財政が容易ではないように仄聞するが、あるところにはあるものだと、これも変な感心をしているが。自国の通貨安の時に何故高い外国債を買うのだろうか?通貨安が継続しているうちは良いだろう。先の中国人民元の話ではないが、経済が予定通り復活して自国通貨が強くなった時になれば、大幅な評価損が生じることは経済音痴の小生でも分かる。米国債保有については他にいろんな理屈があるかもしれぬが、経済再生を1丁目1番地に掲げる内閣としては、むしろ保有債を売りに回るべきだろう。どうもすることがちぐはぐに見えて理解不能だ。

2014年度のGDP(国内総生産)て奴は辛うじて世界第3位に留まっているようだが、一人当たりGDPはじりじりと下がり続けて現在27位、アメリカの3分の2程度になってしまっている。別に金満国のアメリカに比肩するようになれと言うつもりも無い。また何をもって国力の低下とするのかもよく分からないが、折角豊かな国となったと思っているのに、自ら好んで貧乏国を目指すのもどうかと思う。

2015年4月21日火曜日

生活パターンの変更

今年の4月は晴れ間が少ないと思っていたら、何でも日照時間が例年の半分くらいしかないらしい。桜は既に花が散って、雨に濡れた花びらが道路に張り付いて掃除する人を困らせている。一応近所の桜は毎日見ていたが、陽光のもとでゆっくり花見を楽しむ機会が無かったのも珍しいことだ。今日もどんよりしてパッとしない日ではあるが、近くの通りに植えられている街路樹、区の樹に指定されているハナミズキが一斉に咲きだした。紅白の2種類があるがやっと目を楽しませて貰う思いだ。

例年であれば、どこか近くの山にでも行って2度目の花見をしようとか思ったりして浮かれるのだが、今年はそんな気分にもならずにしょぼくれているこの頃だ。年齢に応じて生活パターンを変えてきたが、今年は大幅に変えてみようかと考え始めた。つい先日の週末、水泳に行くのを休んだのがきっかけのようだ。ある種の労働ノルマから解放されたような気がして意外に快適だ。このところやれ腰痛だの風邪っぽいだのと不調だったせいでもあるかもしれぬ。


水泳が身体に善いとは一般的に言われるし、継続することに意味があるとも思うが、後期高齢者になった現在、何十年も同じパターンを繰り返すのも如何ものだろうか。始めてから何年経つか分からないが、最低でも15年以上は続けてきた気がする。年齢に相応しい健康法は他にも沢山あるだろう。嫁の家系は何もしないのが最大の健康法とのことで、事実義母は90歳を越して格別なことは何もせず、毎日好きなお菓子を食べながらテレビを観ているだけだが、未だに全然ボケずにしっかりしている。何もしないと書いたが実は一人暮らし、これが意外に心身の健康にいいのではと、娘である婆さんといつも話しているのだが。昨日辞意を表明した町村衆議院議長なんか未だ70歳そこそこのようだが雲泥の相違だ。

てなことで、またどこで気が変るか分からないが、週末通うジムの契約更新の7月末日までに考えて、契約更新をしないでおこうかと考えている。更新しないと1年で10数万円お小遣いも倹約できることだし。もう一つの健康法の山歩きも、例年であれば今月から本格化して、天気や気分次第で月に1回か2回はどこかに出掛けるのが常だった。婆さんからも「今月の最終週には出掛けないの?」と聞かれてるが、今のところ何の予定もしていない。27日が前立腺がんの定期検診日であるせいだ。

まして、6月半ばから毎日放射線治療に通う運命が待っているので、どうしてもすっきりしない。「生活パターンを変えなさい」と天から誰かが教えてくれているような気がしてきた次第である。

2015年4月20日月曜日

読後感「国家の暴走」古賀茂明著

著者の古賀氏はテレビでしょっちゅう観ていたので、改めて著書を読むまでは無いと考えていた。ところが3月末のテレビ朝日「報道ステーション」降板騒ぎのせいで、恐らくテレビ業界からは完全に干されることになるだろう。そこで1冊くらいは読んでみようかと書店に行くと、3月末から今月初めにかけて沢山あったと思った古賀氏の著者が1冊も見当たらない。まさか書店が自民党に配慮して自粛した訳でもなかろう。改めてテレビの影響力の大きさを思い知った。

先週久し振りで店頭に見つけて購入したのがこの本。昨年9月の発行なので少し古いと思ったが、調べてみると一番新しい著書のようだ。序章に述べているのが執筆の動機、即ち昨年7月、安倍政権が集団的自衛権の憲法解釈を閣議決定で覆したことが契機となっている。恐らく国民の半数以上が、これはやり過ぎではないかと思った筈だ。著者は元経産官僚でもあるので、官邸と官僚の連携の呼吸がよく分かっている。

そこで著者は「日本版 NSC」「特定秘密保護法」「集団的自衛権の憲法解釈変更」を恐怖の三点セットと断じて、この三点が密接に連携しあう可能性が高いこと、そこから官僚の巧妙な手で生みだされるであろう戦争への道に警鐘を鳴らすつもりだったように見える。著者が本書で力説するように、安倍政権の政治手法や政策はあまり賛成できないし、近い将来アメリカの意向で戦争に駆り出される危険もあるやもしれぬ。

最終的には既存の政党以外に第四の政党、即ち、改革はするが戦争をしない政策を掲げる政党の出現が待たれると締め括っている。確かに真面目に考えれば、野党も頼りないのだから正論かもしれぬ。しかし、ここまで言ってしまうのが著者の幼いところ、官僚仲間からもはぐれ者扱いにされてしまう所以でなかろうか。全体を七章の構成で書いているのだが、第六章めまでは相当具体的で分かり易い意味もある。

その総括が新たな政党の出現を待つ、としたところが一匹狼の限界で、誰からも真のシンパシー(同意)を得られ難くしてしまうので、と著者の為に残念な気持ちを禁じ得ない。結局は負け犬の遠吠えに終わる運命かもしれぬが、言わんとするところには大いに共感を覚えた。最大の感想は本書のタイトル「国家の暴走」にある。即ち、現在のリーダー安倍氏は思いの外善い人で、日本が海外の戦争に加担するなんてことは考えていないかもしれぬ。

しかし、国家と言う一つの有機体は、その時のリーダーの意思に逆らって暴走する可能性があるのではなかろうか。官僚出身であるだけに、その危険を濃厚に感じているのだろう。余りものをよく知らない人が、下手にシステム(組織の体系であれ、法律の体系であるかもしれぬ)を弄ると何が起きるか分からない。安倍氏が本当に悪い人ならまだしも、善人であることの方が怖いように思えてきた。

2015年4月19日日曜日

ひたすら休養の週末に

一冬中風邪をひきっぱなしの感じだったが、鼻水を垂らしながらも週末土日の水泳を欠かさないでしてきた。何が悲しくてそんなに頑張らなくちゃならぬか、我ながら不思議で几帳面な性格だ。兎も角寒い冬をそれで乗り切った。と思った矢先のことだ。少し暖かくなり始めた金曜日頃から喉が痛み出して咳が酷い。婆さんからは、早く肺炎の予防接種を受けろと言われていたが、内科には8週間毎に行くことにしていて月末までは行きたくない。

腰の痛みが引いたら今度は喉か、とかく使い込んだ身体は不自由なものだ。それが自然の摂理と諦めて、今週は水泳を思い切ってお休みすることにした。昨日は終日読書にネット碁三昧で、池袋までの散歩すらやめて大人しくしていたら少し楽になった気がする。思えば46年前になるのだろうか、結婚記念日に当たる。今日も天気は余り良くないが、我が祝言の日に長野で季節外れの降雪があったことを思いだす。

特別の感慨は無いにしても、46年はやはり相当な歳月だなとの思いは確かだ。
そのもう一人の当事者山の神さまは、朝食をいつもの週末より1時間早くしてくれと、何やら忙しいらしい。何でも今日から始まる区会議員の選挙とやらで、大分前から応援している若い候補者が、先の都議会議員に立候補して落選してしまった。彼を何としても区議会議員に戻さなければならぬ。もう歳だから活発には動けない、せめて今日ぐらいは朝一から行って激励せにゃならぬとのことである。

今日も水泳は休むことに決めていたので、久し振りに一人でテレビ番組TBS「サンデーモーニング」をじっくり見た。この番組は普段であれば前半の1時間しか見る余裕が無い。張本さんのスポーツ解説を途中にするのは少し残念でもあるが、9時にはプールに出掛けなくてはならない。その前のニュース解説も出かける支度をしながらの視聴なので、相当に雑な見方でもある。いつも横目で観ている前半30分程は政治関連項目が多いが、このところ同感できる解説に巡りあう機会が少なかったような気がする。

ところが今日は解説者に変な政治家崩れが居なかったせいかどうか、解説がとてもよかった。普段は政治問題については中途半端な解説に終始しがちだが、今日は毎日新聞特別編集委員の岸井成格氏が、二つの問題で実に的確な解説をしていたのが印象深い。一つは、自民党がテレビ朝日とNHK幹部を呼びつけた例のメディアに対する圧力問題。岸井氏は明解に「両放送局は呼び出しに応ずるべきでなかった。」と言い切ったのには少しびっくりした。

何故ならば、昨日同じ問題を取り上げた読売テレビの「ウェークアップ!ぷらす」では、辛抱治郎氏と読売新聞東京本社特別編集委員の橋本五郎氏が掛け合いで「政権から圧力が仮にあったとしても、我々はそれを意にしないだけの強い信念で事実をお伝えしている。」(古賀氏が番組内で圧力云々したこと自体が間違っている)趣旨の発言をしたからである。同様の発言はNHK出身の評論家池田信夫氏なんかも共通で、池田氏の場合は「古賀なんて人物は所詮2流以下の人物故、テレビ局がお払い箱にするのは当然。」と切り捨てている。
参照:http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51935732.html#more

読売やNHKと毎日が政府との距離感に於いて多少の違いがあるとは知っているが、それでもこうまではっきり意見が割れたのは珍しいのではなかろうか。もう1件は岸井氏の解説が明解で目から鱗の思いがあったこと。即ち、現代政権が強引に進めつつある安全保障問題。この問題についてアメリカから聞こえてくる言葉総て「安保法制見直しが」既成事実化していることについては知っていたが、一寸気が付かなかったことを教えてくれた。

即ち、法制見直しについて現在進められている与党協議、これは与党公明党が自民党に対してブレーキを掛けているかのようだが、その認識が間違っている。
「従来の安全保障論議は、全て日本の国土をどのように守るかだけに終始し、自衛たが海外で活動することは原則あり得なかった訳だ。ところが現在の与党協議は、既に自衛隊が海外に赴くこととを前提での議論になってしまっている。」このこと自体を国民の皆さんは理解していますか?と問われれば、成程理解できていなかったと言わざるを得ない。

2015年4月17日金曜日

同じ論点の繰り返しになるが

昨日のブログでもメディア関係のことを書いたが、帰宅すると婆さんが「古賀氏が外国特派員協会に呼ばれて、報道ステーション降板について自ら語ったみたいよ。」と教えてくれた。彼女はTBSの夕方のニュースで見たようだが、帰宅してからはどの放送局でも観ることが出来なかったし、今朝の新聞にも関連記事は無かったようだ。確かに放送業界昨今の雰囲気では取り扱い難い話題であろう。

そこで今朝は事務所に来て第一番に、その記者会見の一部始終をインターネットで全部観た。古賀氏の言わんとするところは「政権が放送局テレビ朝日に圧力をかけた事実よりも、日本の報道機関が既に反政権的な報道をしないよう自粛ムードの覆われていて、それが当たり前になっている怖さ」である。そのことについて、日本報道機関の根本的構造が放送は政府の免許事業だし、新聞や雑誌は免許不要ではあるが、一応政府からは独立機関になっている公正取引委員会から再販制度の維持と言う飴をしゃぶらせてもらっていること等を指摘していた。

放送はどこの国でも政府の免許事業かと思っていたが、英米などでは違うらしい。政府から独立した機関が通信を管理し、周波数割り当てもオークション方式で、事業者が政府に特典を与えてもらう日本方式の真逆で、政府に莫大な収益を与えることで放送を事業化しているようだ。安倍さまのNHKのみならず、放送事業者全てが政府から免許を与えて頂いている以上は、政権寄り報道を根本から直すことには無理がある、と残念ながら初めて納得してしまった。

まあこの国はなんとお上に都合好いように設計されているものかである。古賀氏については、今回のように放送業界から追放されてしまうと、可哀そうだが彼の言っていることが全て独りよがりの世迷言とされ、昨日書いたように数か月と経たないうちに忘れ去られてしまう運命かもしれぬ。現在「フォーラム4」という市民運動のサイトを立ち上げたようだが、これとて「古賀が選挙に出たいため」と非難する人には格好の材料になり兼ねない。

旧通産省で古賀氏と同期の人を知っているので聞いたことがある。確かに省内に於ける彼の評価は決して高くは無さそうだ。しかし、彼の書いた本を買って読み始めたが、小生は彼の言わんとするところに賛成できるところが多い。確かに深読みに過ぎて、荒唐無稽と馬鹿にされかねないところはあるかもしれない。しかし国家の浮沈にかかわる事柄であるから、舵取りする側は慎重の上にも慎重であってほしいものだ。

これも一昨日書いた安保法制改正に関することだが、与党協議はニュースである程度流されている。しかし、国会内での議論は未だ一度たりともなされず、しかも10数本の法案を6月になって一括審議で上程し、短時日を以て数の力で押し切る腹のようだ。しかも、その内容について今月末の日米首脳会談で国会より先にアメリカ大統領に報告すると言うのだから、日本の首相は植民地の委任統治者かのようだ。野党にはなす術が無いのだろうか?

2015年4月16日木曜日

虚しき空騒ぎか

薄っぺらな新聞1紙とNHKラジオ放送しかなかった時代に物心がついたせいでもあろう、怒涛の流れのような今日のニュースに対して、どのように頭を整理するかが悩ましい。人一倍もの憶えが悪くて忘れっぽい性質だから良いようなものかもしれぬが、それにしても、これで良いのかと思うことがある。小学生時代に「ニュース」について教えてもらった。英語で書くと「NEWS」であり、NとSは磁石の北極と南極即ち北と南、EとWは東と西を意味する。更に英語でNEWは新しいとの意味で、語尾にSが付くと複数形となるのだ。

多分昭和24年か25年頃のことだったろうから、未だ外来語が余り日本語化されていなかった時代で、ローマ字も教わっていなかった時だろう。未だに覚えているのは、その時強い印象があった証拠だろう。10歳前後であれば東西南北を山に囲まれた盆地の中しか見たことが無いのだから、今の子供たちと比較すればまるきり知恵おくれのようなものだ。従って、ニュースとは近隣の町や村の事件をいち早く伝えてくれるもの、と理解したとしても不思議は無い。

東京とか大阪とか新潟なんて都市の名前くらいは当然知っていただろうが、童話で読んだアラビアとかドイツのように遠い世界と同じで、その距離感に明確な差異を感じていたかどうかも怪しいものだ。それが今日になると、広島空港の飛行機事故とか福井県の原発再稼働差し止め仮処分とか、アメリカとキューバが喧嘩を止めた、中国に何やら新しい銀行が出来るらしいといったように、行ったこともなければ、多分自分とは生涯何の関係も無いであろうニュースを丁寧に見たり聞いたりすることになる。

上に掲げた4項目は、それでもこの地球上の出来事だから善しとしても、最近では時折月世界はおろか火星や土星の情報までもたらされるのだから有難いと言おうか、迷惑と言おうかである。何れもニュースなのだろうから、短時日の間に視覚聴覚に集中的に注ぎ込まれる。如何に物覚えが悪かろうと、一定の期間は記憶に残らざるを得ない。余談ながら、若い時の勉強法にもこのような手法があったらよかっただろうにと思ったりしてしまう。

そして結局のところは数日もせぬうちに忘れてしまう訳だ。情報の過多に対しては、脳みそのリフレッシュ速度を比例的に上げて対処していることは、個人的健康法として良いのだろう。しかし、報道の受け止めが誰しもそのように一過性であることは、送り手側にとっては問題ではなかろうか?暇をもてあそぶ最近になって、柄にも無く国内政治に関心を持ち始めたのはご承知の通りである。現在は通常国会が開催されているが、毎日報道機関が報道するのは、その日に起きた万般の事象について送り手側が軽重を図り、重要と思うことだけに絞るのは当然かもしれぬ。

受け手としては「はあ、そうですか」で、数日すれば忘れてしまうのは前述の通りだ。すると、あれほど前半国会で大騒ぎした内閣の金まみれスキャンダルや、農水政務次官の路上での醜態、その前の国会における経産相の選挙資金関連スキャンダルなんかは、単なるお祭り騒ぎであったのか?文科相は隣接区の選出なので、毎日のように明るい笑顔のポスターを見ていると、この人はきっと本当に善い人なんだろうなと思えてくる。

高浜原発の仮処分も、判決を出した裁判長には事実誤認があり、既にどこかへの左遷が決まっていて、後任が来れば簡単に判決が引っくり返るそうだ。それもまた一片の報道で終わり、世の中は粛々と変化していく。報道機関にけじめを求めるのは酷かもしれぬが、反社会的行為に対してけじめをつける者が一人もいない世の中では困るじゃないか。報道関係者の社会的責任とか役割とは一体何か。平均値よりかなり高めのお鳥目に与っているのは何ゆえか?よく考えてほしい。

2015年4月15日水曜日

安保法制改正

地方統一選挙前半戦結果は自公与党の圧倒的勝利で、政権は笑いが止まらぬようで、公明党と早速安全保障関連法令の取りまとめ協議に入っている。この協議もなんか見え見えで、公明党は「自衛隊を海外に派遣するについて「国会の事前承認が必要」と一旦は抵抗する姿勢を見せながら、結局は妥協するだろう。自衛隊が軍隊そのものの姿に変身していくのを目の当たりにしていながら、憲法9条で歯止めが掛かっているから他国の軍隊とは基本的に異なり、戦争に巻き込まれることは当分ないだろう、と暢気に構えてきた己の考えの甘さに今更ながら口惜しい思いもある。

自衛隊の存在そのものが違憲か否かについて、曖昧にしてきたつけが今廻ってきたわけだ。どこの国にも建前と本音の違いは存在するのだろうが、日本は形式美を重んじるところから建前をとりわけ重視する傾向がある。長年先輩政治家によって守られてきたその伝統を破るのは簡単ではないだろうと思ったが、こうもあっさり破られてしまうとはである。ヤクザの世界で新興愚連隊が昔気質の親分を排除する東映の古い映画を見るような気がしなくもない。

東映の任侠映画では、高倉健のように古い親分に筋を通す若いヤクザが出てきて、最後は新興愚連隊がなぎ倒されることになるが、平成の現代ではそうはいかない。総理が望むような列強国の仲間入りに一足飛びにはいかないだろうが、我が軍が積極的にアメリカ軍の下働きをする日は遠くないだろう。今更後悔しても始まらぬだろうが、中途半端での放置がいけなかった。もっと早いとこ憲法改正をして、日本国の軍隊をきちんと整備すべきだったと臍を噛む。

本土の防衛、専守防衛であろうと何だろうと、国家は常に他国との戦争を想定していないといけない。軍事戦略専門家も必要だろうし、勿論仮想敵国も必要だろう。防衛省の背広組と言われる内局の人員は全て軍事の専門家でなくてはならないことだ。しかし現状は経産省や財務省からの出向者が大きな位置(地位)を占めている筈。軍事情報とは縁遠いところから来た立法の専門家が、武官の上に居るからなにかにつけて中途半端なのだ。

当然武官にもフラストレーションが溜まり、たまに田母神閣下のような人材が現われたりする。推測するに友好国軍部との情報交換にしても、基本的には内局の背広組を通さない訳にはいかないだろうから、外国からの情報提供もかなり限られてくるはずだ。幾ら頭が良い人材でも情報の供給が不足していたのでは、最適の戦略が組める筈も無い。安倍総理の我が軍発言に見られる通り、総理は自衛隊を立派な軍隊にしたいと見える。安保法制改正準備や人事面で省の次官の下いた統合幕僚長を並列に引き上げることなどだが、それくらいなら内局次官など廃止して省全体を武官にすればいい。

しかし、功を急いでいるのかどうか、小手先の戦術でごまかそうとする発想は褒められない。ただでさえ複雑で中途半端な自衛隊が、法律家を自認する与党二人の弁護士出身の政治家の手で、益々混乱するばかりだろう。総理自身は約千年前に摂政の座にあった藤原道長のように「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」と思っているかのようにも見える。確かにマスコミすら自家薬篭中のものにした今日、恐れるものは何一つないかもしれぬが「満つれば欠くる」も又世の習いだ。自重を進言する人間が居てほしい。

2015年4月14日火曜日

友からの便り

世の中には実に多種多様な人間が居て、一人一人が何を考えているのは計り知れるものではない。個人個人の能力も又千差万別で、馬鹿もいれば利口もいるし、駆けっこが早い奴も遅い奴もいる。地球上には70億人を超す人間がいて、全く同じ考えをしている人間は二人といない筈である。しかし人間同志はコミュニケーション能力に長けているので、他人がどんな考えを持っているかをかなり的確に知ることができる。従って個人的な愛情とか友情が生まれてくるし、出来ればお近づきにはなりたくないなんて感情も湧いてくるわけだ。

それぞれ異なる能力と性格の人間が、その場に応じた感情、或いは意思と言うべきかで、ある時は協力したり、ある時には適当な間隔を取って、互いに喧嘩しないようにしているとすれば、やはり人間は万物の霊長と言えるかもしれぬ。
感情とか意思は瞬間的に消えるものもあれば、記憶として脳に刷り込まれているものもある。その何れもが幼い時からのコミュニケーション原因があるとすれば、コミュニケイションの重要性が分かるような気がする。人間の喜びも一種の感情と言えるだろうが、気の合う友人が居て、心が通じ合うと感じる瞬間などは貴重といえる。

その友人が目の前に居てのコミュニケイションであればより良いが、遠くに居ても心が通じていると感じるのは嬉しいものだ。今日は友人から2月にスキーを一緒にした時の写真と手紙を貰った。最近は一人で過ごすことが多いので他人とのコミュニケイションの機会が少なく、余りハッピーな気分にはなり難いが、こんな手紙にも感激してしまう。昔のことを思いだして感傷的になることが多いのは年齢の所為だろうが、残る人生も出来るだけハッピーに過ごしたいものだ。

このブログへも小生にとっては今や貴重なコミュニケイションの道具でもある。人の楽しみ方も様々だろうが、コミュニケイションを間違えると他人様やら自分自身にもとんでもない災厄が降りかかる。何事も粛々と進めればいいと言うものではなかろう。それなりに気を付けてはいるつもりだが、政権を対象に悪口を書き続けている。外国の新聞にまでイチャモンを付けている政府のことだ。己のコミュニケイション能力の無さを証明しているようなものだが、こんなちんけなブログも見つけて文句をつけてくれば面白いと思ったりして。

2015年4月13日月曜日

凡人の経済実感

今日もパッとしない雨が終日降り続いた。「春と言えば浮き立つような気分になるものと思っていたのに、今年は変ですねぇ。これでも景気がこれから少し良くなりゃ良いのですがね。」今日昼飯を食った店の親爺とのカウンター越しの会話である。「そうであれば結構だけど、こちらはしがない年金暮らし。いつも生活費の切り詰めだけを考えているので、新しいものは勿論、より高いものを注文する気にはならないよ。だから今日も日替わり定食をお願い。」親爺は「やっぱりそうですかねぇ。」とやや寂しげな苦笑い。

この店もそうだが、昨年4月消費税が上がった時にメニューの料金を切り替えた店が多い。それまでは、日によって異なるが日替わり定食は630円くらいに抑えていたような気がする。月刊文藝春秋5月号の記事「東大指数で分かった デフレ退治は進んでいない」によると、昨年4月だけが消費者物価指数が一瞬上がりかけたかのような数値が出たそうだ。しかしそれも束の間の話で、5月以降から又前月比マイナス統計になっているらしい。東大経済学部教授渡辺努氏が詳しく書いている。

バブル崩壊後消費者物価数が前年比マイナスに転じたのは1995年だそうだ。あまり実感が無いが、デフレは20年以上継続している。そこからの脱却をお題目に様々な施策を講じているとされている現政権だが、渡辺教授によると未だほど遠いようだ。日経平均株価が15年振りかで2万円を突破とか、世の中景気が良いような話がマスコミを賑わせているが、小生と同じように、景気の良さを実感できずにいる人が多いらしいと知って、あまり褒められたことでもないが半ば安心した思いもある。しかし考えてみると、今日の昼飯670円の日替わり定食であるが、かなり豪華版だ。

メインは鯵のフライにメンチカツ、千切りキャベツ・ナポリタンスパゲティーマスタード辛子・タルタルマヨネーズが同じ皿に乗っている。他に小鉢には唐芥子味の効いたきんぴらごぼう・わかめと豆腐の味噌汁・ごはんである。職人風の客も多く、メニューの豊富な店なので日替わり定食を注文する客は約半数近くで、850円のロースかつ定食とか鶏のから揚げとハンバーグ950円なんかを注文して、ビールも併せて千円以上の昼食代を支払う客も珍しくは無い。

そこで思うのだが、仮に小遣いが豊富にあったとしても、小生はこの店で千円以上の昼食は注文しないだろう。海外での需要がどのように変化して日本経済にどんな影響を与えるかについては上手く想像できないが、国民の数は増えない上にこれ以上の贅沢を求める人口がどれほどいるのだろう。家電製品や自動車は一定の年月で壊れたりするから、買い替え需要は当然だし、その度に少しずつ高級化していくこともあるにはあるだろう。でもそれが経済に及ぼす影響は大したものではないのではなかろうか。

逆に、人生で最大の買い物とされる住宅について考えると、人口減少に伴い全国的に空き家とアパートの空き部屋、空き事務所が増加の一途を辿っているそうだ。あまり流行らぬ概念だろうが「もったいない」ことだ。凡人の考えでは、日本では国内需要を高めようとすること自体に無理があるようにも思える。もっといま生きている人間の生活の質を高めるために必要なことを考えてほしいと思うのだが、戦後最大の予算を編成して相変わらず公共事業のばらまきや、防衛予算の増額や、半世紀以上継続して見通しの立たない核燃サイクル事業の継続を聞くと、政治家や高級官僚の知能程度を疑いたくなる。

2015年4月10日金曜日

読後感 「アフガンの男」フレデリック・フォーサイス著 篠原慎訳

40年以上の昔、著者の処女作「ジャッカルの日」が上梓されてから2作目の「オデッサ・ファイル」そして3作目の「戦争の犬たち」までは発売を待ちかねて読み耽った記憶がある。しかしその後発売されたものはどれを読んでも、あまりぱっとせず、次第にネタが尽きたのか日本を舞台にしたものを書くに及んで、読むのを止めてしまっていた。読む方は勝手なもので、執筆する側の苦労なんぞは斟酌しないものだ。

著者は既に77歳か78歳、本書は2008年の発行になっているので70歳頃の作品だろう。この手の小説は読後感など書くことが少ないし、今回も何気なく暇つぶしに読み始めたのだが、今回は書いてみたい。何故か、2001年9が11日のニューヨーク貿易センタービルに象徴される大テロ事件から既に15年、翌月には、その犯人グループ(アルカイーダ)をかくまっているとして、米英が集団的自衛権とやらの行使でアフガニスタンを攻撃し始めた。「不朽の自由作戦」である。

自分も含めて遠い昔の話のようですっかり忘れているが、1989年にベルリンの壁が崩壊して東西の緊張が解け、やっと本格的平和の時代が始まるかと思った矢先のことだ。今日に至るまでのその後の展開はご承知の通り、20世紀末以上に21世紀は世界中が混とんとして不安に満ちている。その中で日本が進みつつある道筋がおかしいと考えている人も少なくないだろう。21世紀の戦争の初めの舞台となったアフガニスタンは未だに、安定していないことは知っているので、小説のタイトルに惹かれたのかもしれぬ。

著者は19歳から英国空軍に3年間在籍経験あるジャーナリスト、処女作の時代からその経験を生かすことと綿密な取材に裏付けられた迫力ある小説で定評があった人だ。この小説も著者の特性がよく表れている。内容をごく簡単に言ってしまえば、「911事件の後、アルカイダが更に大規模なテロを企んでいるという情報をつかんだ米英の諜報機関が、協同してそれを阻止するための作戦を開始し、そのためにスパイをアルカイダの組織に送り込む。」そのスパイアクションである。本書が発行された2008年は、未だビン・ラディンが生きていた時代である。

情報機関も米英の軍事力も現在は2008年当時比べれば遥かに進んでいると思うが、この小説に書かれている話は、現代が舞台と言っても全く違和感を感じないだろう。911事件は全く新たな時代の幕開けで、それは何世紀も続くことになるかもしれぬと書いてあったような気がするが、全くその通りだ。既に15年を経ても、イスラム過激主義者と米英の戦いは一向に収束の兆しが見えない。これは果たして正義の戦いなのであろうか?

本書は別にイスラム過激主義者のテロを美化するものでもないし、むしろ英米の軍事戦略の凄さを際立たせている趣もある。しかし、911以降に生まれた新たな混沌がそう簡単に収束するものでないことを予測しているとも言える。その意味で今日読んでみて、特別の感慨を持った。アマゾンなどで読者の評を見ると、悪評サクサクである。中にはこんな酷評があった。「今年に最も損をした本です、特に上巻は。他の書評氏のご意見にもあるようですがフォーサイスさん、どうしちゃたんでしょうか。」

確かに舞台が大き過ぎるし登場人物も複雑で、気軽に読むには少し骨かも知れない。しかし現代の世界情勢の複雑さを考えれば、読んでよかったような気がする。



2015年4月9日木曜日

薬の副作用

昨日のニュースに依ると、市販薬でも深刻な副作用が発生することがあるらしい。化学の進歩で薬が多種多様になり、それぞれ効果が高くなっていることは認めたいが、薬の服用は確かに気を付ける必要がありそうだ。高齢の所為ばかりではないかもしれぬが、ここ何十年と毎日薬を服用している。最初は未だ60歳前だったかと思うが、痛風のアタックで歩行できなくなって医者に行った時からだ。

尿酸値を下げなければいけない、と言われて薬を飲み始めたが、医者によると一生飲み続ける必要があるとのこと。現在尿酸値は平常になっているが、8週間おきに処方してもらって、毎朝1錠ずつ服用している。次に習慣化してしまったのが前立腺肥大を抑える薬、これもかれこれ7年か8年、朝晩1錠ずつの服用となった。昨年から前立腺癌が見つかったので、このための薬(男性ホルモンの抑制だそうだ)がまた朝1錠増えた。これで朝食後3錠に夕食後1錠、併せると1日に4錠もの薬を習慣的に服用していることになる。

処方してくれている医者は3人でそれぞれ別人。そこへもってきて風邪気味だと言えば耳鼻咽喉科で処方してもらったりすると、今年も一度世話になったが、抗生物質とか消炎鎮痛剤とかアレルギー予防とかで一気に3種類くらい処方してもらったことがある。流石に耳鼻咽喉科の医者では、アレルギー予防の薬が排尿障害の可能性があるので、弱い薬にしてあるが、泌尿器科の医師に一応確認してくれとのことだった。

この時は泌尿器科の医師の方で「大丈夫そうです。」とのことだったので、服用して特段支障は生じなかった。どの医師も、数多の薬について成分や特徴を知悉している筈もない。薬名を聞いて辞書みたい本で、副作用をちぃと確認するだけであろう。処方薬局が隣なので、全ての処方箋をここに持ち込み、お薬手帳にも記録してもらってはいる。しかし薬剤師にしても、薬の副作用をどこまで理解できているかは疑わしいものだ。

と言うのはこんな事があった。火曜日の朝起きると、めまいがして気持ち悪くなってしまったのだ。それを婆さんに言って、朝食はいつもよりかなり少なめにし、寒い日でもあったので、日中の歩行もいつもの半分くらいで大人しくしていたら、夕方には何とか普通の状態に戻ることができた。そして夕方帰宅すると、婆さんが怒っている。「脅かさないでよ!これをご覧なさい、ここにちゃんと書いてあるでしょう。」と調剤薬局の薬についての説明書を突き付けられた。

前にこのブログにも書いたが、3週間前に腰痛が厳しくて整形外科に行った。ここでも4種類の薬が処方され、2週間服用したら足腰の痛みは劇的に回復した。そして6日の月曜日に念のためもう一度通院して、先生に報告して「薬を少し減らしてみて頂けますか?」と言うと、先生は「またぶり返すといけないので、一応前回と同様に処方しておきます。そちらで減らすのをトライするのは構いません。」言われてみればそれもそうだと思ったが、取り敢えず月曜日は処方通りに服用した。

婆さんに付き付けられた説明書には、婆さんが丁寧にマーカーで2か所に線を引いている。処方された4種類のうち、筋肉のこわばりを改善するお薬と神経の痛みを抑えるお薬の備考に、「眠気やめまいが起きることがありますので、車の運転や機械の操作は控えてください」はっきり書いてある。軽い脳梗塞でも起こしたかと大騒ぎしたのだが、ひょっとすると薬の副作用もありうる。火曜の夜はその薬を飲まずに寝たら、昨日の朝は何ともなかった。

昨夜も同様である。婆さんに言わせると「副作用が出ない薬なんか効かない薬なんだから、仕方ないでしょう。まぁ、半分ずつぐらい飲んだら。」とのことなので、今日からそうするつもりだ。

2015年4月8日水曜日

戦後70年、戦没者を思う陛下と未来志向の首相

知らなかったが、昨日は終戦間際の昭和20年に戦艦大和が撃沈された日だったとのこと。未だ学齢にも達しなかった子供の頃とて、先の大戦の戦時中について記憶に残っていることはほんの僅かではあるが、長い戦争が負け戦で終わり、戦後苦しい時代が続いた記憶はしっかり持っている。長ずるに及び、明治維新後の日本が鎖国を解いて、諸外国と交わることとなり、国際社会の一員と成長していく過程をおぼろげにではあるが知ることになった。

1868年の大政奉還以来1945年の終戦までの僅か80年足らずの間に、我が国は国内外で随分悲惨な戦争を幾つと無く経験してきた。その1945年から数えると今年は70年、小生が生まれた1940年からは75年になる。天皇の概念について詳しくないが、一昔前の歴史的には神武天皇以来とされるからかなり古いのだろう。しかし天皇が日本の統治者であったり、或いは統治者に担がれて統治の象徴となった時期は相当短いのだろう。大部分の期間は統治者にとってのお印程度で、民百姓とは無縁であったのではなかろうか。

勝手に解釈すれば、奈良時代はいざ知らず、平安以降の日本は統治者が入れ代わり立ち代わりしていて、天皇が統治者に対してある程度の認可を与えるような体裁は取っていたようだが、時の権力者や統治者の方も統治の為に積極的に天皇を担いだ形跡は伺えない。天皇は日本文化のある象徴だったに過ぎないと思う。政治的な天皇の時代が1868年から始まったとすれば、今年は150年目でその中間地点でこの世に生を受けた勘定になる。父が1905年生まれで、この年は日本が日露戦争に勝利した年でもあり、日本でも政治的天皇制が最も盛り上がり、天皇家も頂点を極めた年かもしれぬ。

それから又30数年の時を経て1945年以降日本は戦争から遠ざかり、国民的にと言おうか個人的思いでは極めて平和な国家であり続けることが出来た。天皇家に於かれても、政治的統治の象徴であったことは変わらなかったものの、政治体制がそれまでとは異なり、民主政治の枠組みに変更されたので、国家元首に地位に安んじてこられたものだと思う。国家の象徴と祀り上げられ、政治的に担がれてはいるが、国民が定めた憲法でその地位を保証されているので、安心して国民を信じ、只管国民の幸福を願うことが真の役目と考えておられるに違いない。

新憲法で政治体制が変わったのが1947年、今上陛下は1933年のお生まれであるから14歳の時のことだ。従って、陛下には過去の如何なる戦争についても責任は全く無い。父君の昭和天皇は米英蘭との開戦に当たって詔書を発しておられるので、その激変を身をもって経験されていたことになる。昭和天皇の苦悩は如何ばかりかと拝察せざるを得ない。先の大戦直後に退位を口にされたとも聞くが、尤もなことだ。今上陛下が常日頃国民の幸せを願い、国民を不幸が襲えば如何に心配しておられるかは、災害地を見舞われる映像をしょっちゅう見ている国民はよく分かっている。

更に感心と言っては余りにも失礼、有難く思うのは、陛下が歴史、わけても戦争について深く学んでおられるであろうこと、そして個人的責任は皆無とは言え、戦争が国民に多大の犠牲を強いてきたことに深く思いをされていることである。特に今年は戦後70年の節目にも当たる年だからであろう。新年早々のお言葉から始まり、折に触れ平和を願う気持ちを明らかにされている。そして今日は東京でも霙が振る寒さの中、風邪気味の身体をおして南方に戦没者慰霊の旅に出発された。南洋の海を20時間以上漂流して奇跡的に生還した元陸軍兵士の話を、1970年頃に聞いたことがある。

取引先の立派な会社の社長さんで、経済的に恵まれて海外旅行に不自由はなかった人だ。「グワムとかサイパンの南洋だけは行けない。あの海で泳げば、海底の昔の仲間に呼び込まれてしまうだろう。」彼の地には未だそんなに古くない仏が無数眠っているのだ。先代天皇からの意思を引き継ぐ、その慰霊の気持ちは誠に尊いと思わずにいられない。

そして勝手に忖度させて頂けば「現在は憲法成立の歴史過程も意味も分別しかねるような、不勉強な若い者達が政権を取って国を運営しているようだ。立場上批判できないが、せめて我が思いは機会があれば少しは述べたい。」との思いではないだろうか。政権の者どもの言動についてはもう書かないが、この周辺いる阿諛追従の学者の一人に八木秀次なる人物がいる。多分憲法学者か何かだろう。

この人物が昨年の暮れ以来「両陛下のご発言が、安倍内閣が進めようとしている憲法改正への懸念の表明のように国民に受け止められかねないことだ。」と憂慮めいた発言を公然と繰り返しているらしい。少し前までは反権力が常識で、第4の権力とまで揶揄されたマスコミに、政権に恩を売るこの手の学者が増えていることは驚くばかりでもある。国民の思想表現の自由が制限され掛かっていることは別問題だが、こんな学者が多くのマスコミに登場してくるようでは嫌な世の中になってきたものだ。

2015年4月7日火曜日

近所の風景がまた変わった

数年前から廃校となっていた近くの小学校が、特別養護老人ホームと保育園の併合施設としていリニューアルされ、その保育園が昨日からオープンとなった。旧小学校のプールのあったところで、道路から少し引っ込んでいるが、細い鉄棒を並べたような塀越しに中がよく見える。道路に面した南側が全面ガラス張りになっているためである。昨日見たのは夕方6時前、今朝は8時前だったが、既に沢山の子供たちが保母さん達と遊んでいるのが見えた。

待機児童が多いことは予てから聞き及んでいる。この辺も住宅街でアパートも多いので、この保育所の完成を待って子供を預け、今週から働きに出るお母さんも多いのだろう。旧校舎の方は3階建ての老人ホームのようだが、未だ入居者が入り始めていないようで、夜は灯りがほとんど見えなかった。校庭は綺麗に整備されて、一昨日の日曜日は町内会主催のお花見イベントがあり、昨日は大勢の子供が遊んでいた。

老人ホームと保育園の運営は宮崎県に本部がある社会福祉法人である。校庭は区が売らずに所有しているのかとも思ったが、そうでもないらしい。社会福祉法人が近所の町内会と協議しながら運営していくようにも見える。何れにせよ、廃校が生まれ変って綺麗になり、地域の人にも貢献するようになればこんな結構なことはない。半世紀前に豊島区に来た時は、なんて不便な田舎だろうと思ったが、気が付くと便利さは夢のような変りようだ。

この施設をネットで調べると、戦前から宮崎県西都市、初めて聞く地名なのでどこにあるかも見当がつかないが、に設立された保育園が戦後児童福祉法施行で認可保育園となって宮崎県内で発展し、一躍東京に進出して平成23年に大田区南馬込に「おおた みんなの家」を開園、この豊島区の施設「せんかわみんなの家」は中に「たまがわみんなの家」があるので既に3施設目のようだ。年寄りと子供を同じ施設内でケアするのは双方にメリットがあることは仄聞している。

恐らくその草分けなのかもしれぬ。地方で育った事業者も需要に比例しどんどん東京に吸い寄せられて発展するのだろう。我が家と事務所の間には、既にかなり大型の特養施設が別に存在していたが、保育園との併合コンセプトはやはり目新しい。こういった施設が増えることは、近隣在住の身としては歓迎すべきでことでもあろうが、個人的には出来るだけお世話になりたくない。地方創生などと言葉だけが空回りするが、老人施設から墓場まで首都圏に吸い寄せられつつある現状をどうすればいいのだろう。

オリンピック招致なんぞやめて、いっそ、不祥事続きの国会を福島県に持っていくとかした方が良かったのでは・・・な~んて思ったりして。

2015年4月6日月曜日

信大山沢学長の訓辞

今日は都内のあちこちで入学式が行われているようだ。桜はすっかり姥桜になってしまったが、如何にも春らしい素晴らしいお天気になって、近所に多く存在している小中学校と高校の門前に日の丸が掲げられている。小さい小学生が晴れ着を着せられ嬉しそうな顔をして、親御さんと一緒に歩いている光景は何と微笑ましいことか。我が孫も一人が隣の区立小学校に入学の筈、晴れ着姿は既に拝ませてもらっていたが、昨日まで大荒れの天気だったので心配していた。本当に良かった。

先日の誕生日に、この孫と他家の高校生の孫達からも電話でお祝いを受けた。その返事にそれぞれ「○○くんも新学期からしっかり勉強してね。」みたいことを言ったら、横で聞いていた婆さんに叱られてしまった。「自分で出来もしなかったことを、孫たちに偉そうに喋るものではないでしょう。何の説得力もありゃしない。」言われてみればご尤もなことだ。子供時代に同じようなことを祖父母や両親からあまり聞いた覚えもないし、もし聞いたら愉快な気はしなかったろう。

相手が例え子供であろうと、目下、格下の人間であっても、自分が聞いたたら不愉快になりそうなことを濫りに口にしてはいけないと反省した。ところで、昨日は信州大学山沢清人学長の入学式での訓辞 「スマホやめますか、それとも信大生やめますか」がニュースになっていた。山沢学長は初めて聞くお名前だが、信大付属小中学校卒業の我としては信大には深い愛着がある。ものの喩えではあろうが、スマホやめますか、信大生やめますか?の問いかけもパンチが効いている。早速この全文をネットで確認すると、このキャッチフレーズ以上に素晴らしい内容だ。

この駄文をご覧いただいている皆様にも、下記から是非ご覧頂きたい。
http://www.asahi.com/articles/ASH455FQGH45UEHF004.html?ref=mixi_rel
くどくは書かないが、「自分で考えることを習慣づけましょう。」を力説しているのだ。全くもって最近は政治家の「この道しかありません」や「粛々と」とか馬鹿の一つ覚えで、まるで物事を己の脳みそで考えてみたことが無きが如き発言ばかり聞かされてうんざりしていたので、心から拍手したい気持ちである。信大の生徒諸君より総理や官房長官に聞かせてほしいものだ。

「流石信州人、よくぞ言ってくれた。」多分に誇らしげに思って確認してみると、山沢学長は東京の出身で東北大のOBとのこと。でも訓示の中で松本高等学校以来の伝統にも触れてくれている。ユーチューブで父の母校でもある松高至誠寮の寮歌等を聞きながら、小学4年生の時、旧松高であった信大文理学部校舎近くに住んでいたことを懐かしく思い出した。

2015年4月4日土曜日

誕生日

昨日はブログを休んでしまったので、週末お休みの趣旨をまた変更して、少し書いておく。

今日は我が誕生日、記憶では幼き頃から大抵麗らかな春日和と相場が決まって、母の心づくしになる「おはぎ」や「ちらしずし」などを食べたりして、柄にも無く新学年新学期への思いをしたりしたことを思いだす。ところが今日は花散らしの風がうそ寒く、何となくイメージにほど遠い陽気になってしまった。お天気はどうしようもないことだし、今更誕生日だからと言って目出度くもないだろう。

昨日は幼馴染と食事をしながら四方山話になったが、やはり定番の体の調子と健康問題の話題が一番で、関連して続くのが財布の中身の行方。どちらも余り前向きな話にはならない。小生は今日からだし、友人も数日中には後期高齢者になる二人である。友人は優秀ゆえ世の中の仕組みを常に十分ご存じで、後期高齢者になると医療費負担が増えると脅かしてくれた。

ただでさえ前立腺がん治療が始まり、今週月曜日には病院での治療費と処方薬代併せると請求額は7千円弱。結構なお支払い金額でショックを受けているのに、6月半ばから始まる放射線治療は40日連続(土日を除く)して通院しなくてはならない。未だ恐ろしくて費用を確認していないのだが、注射と薬だけの現在より放射線治療の方が高額であろうことは容易に想像できる。あと望みの綱は後期高齢者医療制度による自己負担限度額である。友人の説によると、後期高齢者に甘い顔をしていたのでは、健康保険制度が破たんするのでこれも従来とは変わるとのこと。

不安なのでネットで確認する限りそんなことにはなるまいと思うのだが、お上のすることはどうもインチキ臭くて困る。何れにせよ治療開始前にしっかり確認する必要がありそうだ。しかし満75歳ともなると寿命的には平均地価と思ったら、最近はそうでもないらしい。これもネットで調べると、昨年男子の平均寿命が80.2歳と80歳を超えたらしい。確かに中学にせよ高校にせよ同期生の大半は未だピンピンしている。

これも友人の説だが、大企業の企業戦士はえてして寿命が短く、リタイアして数年で亡くなる人が多いそうだ。言われてみるとそんな気がしないでもない。所謂燃え尽き症候群だろう。幸い、何をしても中途半端な人生で燃え尽きたものが無いので、これから先平均年齢程度までもたせて頂ければ有難いが、さてどうなることやら。先へ先へと欲をかきすぎるのも良くないそうだ。下手に施設に入ったりすると、栄養にせよ空調にせよ環境が抜群に良くなるのでなかなか死ねないそうだ。

友人の身内がつい先日107歳で亡くなったそうだが、周囲の人のご苦労をとくと伺った。死に方を自分で選べないのは承知だが、出来れば余り人様のお世話にならずに逝きたいものでもある。何も準備はしていないので、そろそろ身辺を少し整理する必要はありそうだ。

2015年4月2日木曜日

春なのに寂しさつのる

とかく法律の論議は難しくて何がどうなっているかさっぱり分からないが、現在国会で議論されている後期高齢者医療費の改正と言う奴は、どうも後期高齢者の負担増と支給減で目論まれているようだ。共産党の小池晃議員が盛んに「1500万人に上るお年寄りを見捨てて、そんなことでは景気も益々おかしくなりますよ。」と政府に文句を言っていた。対するに政府側に言わせれば、年寄りの医療費に公金を当てるのは社会の無駄、世代間公平の原則からしても、年寄りなんか早く死んでもらうことが唯一の社会貢献だろう。とのご趣旨のようだが、成程そうかもしれぬ。

月が代わって来週からは正真正銘の後期高齢者。全く社会のお役にたてぬ身となって生き恥を晒し続けるのは心苦しい限りだが、人間そう簡単に死ねるものではない。どうしても、今日1日の無事を感謝しつつ明日もまた今日のようにありたいものだと思ってしまう。過去を振り返ると20歳代の頃に仲良かった友人が大分幽明境を異にしている。今は亡き友より長生きした分、自分が何をしたか、何を見たかと考えると、大したことはない。歌の文句のようだが、俺もあいつもあの頃が一番輝いていた、としか考えられない。

明日は久し振りに未だ生き延びている古い友人と飯を食うが、どうせそんな話に終始することだろう。昔からスキーシーズンの終わり頃、朝日を浴びながら小鳥の鳴声を聴いても寂しさを感じたものだ。やはり少し変わり者なんだろう。

2015年4月1日水曜日

読後感「真珠湾の真実」ロバート・B・スティネット著

全くのノンフィクションで、ある意味歴史研究家の論文と言っていいだろう。著者は1924年生まれの元海軍大尉で、第2次大戦には太平・大西両洋の戦場に従軍して多くの勲章を貰っている生粋の軍人。戦後ジャーナリストとなって、アメリカが先の大戦に参加していった経緯に強い関心を抱いた。同時に開戦のきっかけとなった日本海軍による真珠湾攻撃の際にハワイ防衛の任にあったアメリカ陸海軍の最高責任者が、開戦翌年の1月連邦最高裁判所に大統領令で設置された査問委員会で、あっさりと職務怠慢と断罪されたことにも疑問を抱いた。

この著書が発表されたのは1999年であるが、著者は1976年以降カーター大統領の時代になってからのようではあるが、30年の秘密保持期間を過ぎた政府や軍の開戦前からの公式文書や通信記録、膨大な量にのぼると思われるが、それを丁寧に洗い出して、当時の政府や軍の動きを解明していく。ところが歴史の真実を追求する難しさを指し示す典型であろうが、秘密保持期間が過ぎた文書でさえ、歴史の核心に触れる部分は明らかにならなかったと書かれている。

それでも丹念な調査の努力は報われて、これまで謎とされてきたことが大分明らかになった。即ち、日米開戦のきっかけがどこにあったかについてである。1939年ドイツのポーランド侵攻で勃発した戦争が欧州全土に拡大して英国も危機にさらされ、英国は米国に参戦を求めてきていた。しかし米国国内には強い反戦ムードがあって孤立主義を取るべきとの世論が強かった。そのような空気の中でルーズベルト大統領は、欧州が全体主義国家に蹂躙されているのを黙視していいのかと深く思い悩んでいた。

1940年の9月に入ると日独伊3国同盟が結成されてしまうと大統領の悩みは一層深くなる。その翌月大統領の側近で海軍情報部極東課長のアーサー・マッカラム少佐が1通の覚書を大統領に提出する。彼は長崎生まれで少年時代を日本で過ごし、18歳には帰国して海軍兵学校に入学、卒業して22歳で歳で海軍少尉に任官すると再び日本大使館付武官として日本に赴任、皇族にダンスを教えるなど迄した日本通であった。

この覚書を発見したのがこの著書の第1の味噌である。ここでマッカラムは、日米の於かれた軍事的立場を冷静に分析し、日本を経済的に締め上げて明白な戦争行為に訴えさせ、それをきっかけとして欧州に参戦すべきであると進言する。1940年10月以降の米国外交政策、即ちオランダと結んで、日本の資源供給を絶ち、中国大陸問題で因縁をつける、は正にこの覚書通りと言っても良い。その路線でに導かれるかの如く、日本は1年も経たないうちに戦争に踏み切らざるを得なくなる。

日米の外交交渉が行き詰まり始めた翌年秋口から、米国では外交電文は勿論だが海軍の暗号電文も詳細に解読していることが分かる。当時から仮想敵国日本の通信情報は、それこそ環太平洋に張りめぐらせた受信基地と優秀な通信士官の努力で然るべき地位の人間に届けられていることが証明されている。その情報の中には1941年11月に入って日本海軍が明らかに北太平洋で行動を起こすことを指示し、12月に入るとハワイに危機が迫っていることが明らかになるが、何故かハワイの陸海軍司令長官にだけはその情報が届けられたなかった。結果的にハワイの両長官は降格されてしまう訳だ。

これが第2の味噌で、情報公開が定められている米国でさえ、どんなに探っても分からない形になっている。本書には<ルーズベルト欺瞞の日々>とサブタイトルが振られているが、日米開戦にアメリカの謀略があったかどうかといった類の話ではない。開戦は日本から先に攻撃があるようにすべきこと、そのためのハワイに艦隊を置くことが適当と、政府の本当に一握りのトップが考えていたと類推することは可能であるが、それを証明する文書は永久に見つけることはできないようだ。

読んではっきり分かったことは、当時も現在と同じで、日本は丸裸状態で彼の国の思い描く通りに歩まざるを得ないようにされていたこと。即ち情報がダダ漏れであったにも拘らず、こちらの意図は悟られないであろうと思う幼稚さである。もう1点非常に感ずることは、1国のリーダーが戦争に踏み切る時の覚悟(勝利のための犠牲を含め)である。大統領一人の決断ではなかったろうが、米国のエリートが開戦に踏み切るまで、この書では開戦直前の11月からの極秘電報に接することが出来た官姓名が明らかになっている。

その中にハワイにいた陸海軍のトップの名前が無いことだけは事実だ。