2015年4月8日水曜日

戦後70年、戦没者を思う陛下と未来志向の首相

知らなかったが、昨日は終戦間際の昭和20年に戦艦大和が撃沈された日だったとのこと。未だ学齢にも達しなかった子供の頃とて、先の大戦の戦時中について記憶に残っていることはほんの僅かではあるが、長い戦争が負け戦で終わり、戦後苦しい時代が続いた記憶はしっかり持っている。長ずるに及び、明治維新後の日本が鎖国を解いて、諸外国と交わることとなり、国際社会の一員と成長していく過程をおぼろげにではあるが知ることになった。

1868年の大政奉還以来1945年の終戦までの僅か80年足らずの間に、我が国は国内外で随分悲惨な戦争を幾つと無く経験してきた。その1945年から数えると今年は70年、小生が生まれた1940年からは75年になる。天皇の概念について詳しくないが、一昔前の歴史的には神武天皇以来とされるからかなり古いのだろう。しかし天皇が日本の統治者であったり、或いは統治者に担がれて統治の象徴となった時期は相当短いのだろう。大部分の期間は統治者にとってのお印程度で、民百姓とは無縁であったのではなかろうか。

勝手に解釈すれば、奈良時代はいざ知らず、平安以降の日本は統治者が入れ代わり立ち代わりしていて、天皇が統治者に対してある程度の認可を与えるような体裁は取っていたようだが、時の権力者や統治者の方も統治の為に積極的に天皇を担いだ形跡は伺えない。天皇は日本文化のある象徴だったに過ぎないと思う。政治的な天皇の時代が1868年から始まったとすれば、今年は150年目でその中間地点でこの世に生を受けた勘定になる。父が1905年生まれで、この年は日本が日露戦争に勝利した年でもあり、日本でも政治的天皇制が最も盛り上がり、天皇家も頂点を極めた年かもしれぬ。

それから又30数年の時を経て1945年以降日本は戦争から遠ざかり、国民的にと言おうか個人的思いでは極めて平和な国家であり続けることが出来た。天皇家に於かれても、政治的統治の象徴であったことは変わらなかったものの、政治体制がそれまでとは異なり、民主政治の枠組みに変更されたので、国家元首に地位に安んじてこられたものだと思う。国家の象徴と祀り上げられ、政治的に担がれてはいるが、国民が定めた憲法でその地位を保証されているので、安心して国民を信じ、只管国民の幸福を願うことが真の役目と考えておられるに違いない。

新憲法で政治体制が変わったのが1947年、今上陛下は1933年のお生まれであるから14歳の時のことだ。従って、陛下には過去の如何なる戦争についても責任は全く無い。父君の昭和天皇は米英蘭との開戦に当たって詔書を発しておられるので、その激変を身をもって経験されていたことになる。昭和天皇の苦悩は如何ばかりかと拝察せざるを得ない。先の大戦直後に退位を口にされたとも聞くが、尤もなことだ。今上陛下が常日頃国民の幸せを願い、国民を不幸が襲えば如何に心配しておられるかは、災害地を見舞われる映像をしょっちゅう見ている国民はよく分かっている。

更に感心と言っては余りにも失礼、有難く思うのは、陛下が歴史、わけても戦争について深く学んでおられるであろうこと、そして個人的責任は皆無とは言え、戦争が国民に多大の犠牲を強いてきたことに深く思いをされていることである。特に今年は戦後70年の節目にも当たる年だからであろう。新年早々のお言葉から始まり、折に触れ平和を願う気持ちを明らかにされている。そして今日は東京でも霙が振る寒さの中、風邪気味の身体をおして南方に戦没者慰霊の旅に出発された。南洋の海を20時間以上漂流して奇跡的に生還した元陸軍兵士の話を、1970年頃に聞いたことがある。

取引先の立派な会社の社長さんで、経済的に恵まれて海外旅行に不自由はなかった人だ。「グワムとかサイパンの南洋だけは行けない。あの海で泳げば、海底の昔の仲間に呼び込まれてしまうだろう。」彼の地には未だそんなに古くない仏が無数眠っているのだ。先代天皇からの意思を引き継ぐ、その慰霊の気持ちは誠に尊いと思わずにいられない。

そして勝手に忖度させて頂けば「現在は憲法成立の歴史過程も意味も分別しかねるような、不勉強な若い者達が政権を取って国を運営しているようだ。立場上批判できないが、せめて我が思いは機会があれば少しは述べたい。」との思いではないだろうか。政権の者どもの言動についてはもう書かないが、この周辺いる阿諛追従の学者の一人に八木秀次なる人物がいる。多分憲法学者か何かだろう。

この人物が昨年の暮れ以来「両陛下のご発言が、安倍内閣が進めようとしている憲法改正への懸念の表明のように国民に受け止められかねないことだ。」と憂慮めいた発言を公然と繰り返しているらしい。少し前までは反権力が常識で、第4の権力とまで揶揄されたマスコミに、政権に恩を売るこの手の学者が増えていることは驚くばかりでもある。国民の思想表現の自由が制限され掛かっていることは別問題だが、こんな学者が多くのマスコミに登場してくるようでは嫌な世の中になってきたものだ。

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