2016年9月26日月曜日

暫く休みます

いよいよ明日は事務所の引き払い、このブログも今日から暫くはお休み。自宅で落ち着いたら又書くことにしたい。それにしてもゴミ出しと掃除で老夫婦ともにヘロヘロの感である。ご近所の方は我が家に何が起きているか不思議がっておられるに違いない。幸い明日と明後日は天気が良くなりそうなのでほっとしている。それにしても我が人生、何も記憶に残るようなことも無ければ、記憶に残すべきことも皆無である。

書類も書物も運動具も全て処分したので大分気分がさっぱりした。これからの人生でよけいなものを買い込んだりしないよう心掛けるつもりだが、考えてみれば買うお金が無いので、昔のように物は溜まらぬことだろう。

2016年9月25日日曜日

秋興業の幕開け

今年の夏は天気こそパッとしなかったが、オリンピックイヤーでの盛り上がりに加え、プロ野球や相撲も盛り上がった。特に贔屓のチームや選手がいるわけではないが、常連とは言えないチームが這いあがってきたことやカド番大関の優勝には拍手を送りたい。一方政治の世界では圧倒的議席を有する与党の安心か慢心かは分からぬが、議会のチェックが無いのを幸い内閣は沖縄問題や福島やもんじゅ等エネルギー政策や株式市場への介入等々、やりたい放題の趣でイライラしていた。

しかし長かった総理の夏休みがやっと終わって、今週からは秋の臨時国会が始まる。野党民進党が相変わらずの党内不一致の気配なので心配ではあるが、問題は山積している。不謹慎ではあるが見ものではある。国会では自民党二階幹事長なんかは1日も早くデフレ脱却を図るために必須の補正予算であり、今国会で速やかな成立を、なんて言っている。かと思えば日銀総裁は金融政策が功を奏してデフレは脱却したと断言している。素人にはチンプンカンプンだが、国会論戦が始まれば少しは分かるかとの期待もある。

臨時国会直後にはアメリカの大統領選挙もあり、そこまでの成り行きと結果にも興味津々である。大統領選さ中に総理が表敬したヒラリーさんが勝てば良いのだが。他にも地球上には問題が山積している。20世紀と異なり今世紀は政治的には勿論、経済的にも世界各国のパワーバランスが著しく変わってきているようだ。正直なところ昭和10年代生まれには理解致しかねるが、総理大臣閣下はよく理解されているのだろうか?11月にはプーチン大統領を自身の郷里に招待して、北方領土問題を前進させる腹との専らの噂だ。プーチン氏が平和条約の調印と2島返還に応ずるとしたら、賛否はあっても半世紀の懸案を処理したことになる。それで総選挙に持ち込めば安倍氏は戦後最長の総理在籍となる算段とのこと。

成り行き次第でそうならないとは言えないらしいが、余りぞっとしない。一寸先は闇で分からないことが多すぎるが、世界が余りにもキナ臭すぎる。世界の平和をリードするような国なってほしいが、今の日本は全く反対の方向に向かっている。

2016年9月23日金曜日

健康診断結果

豊島区の無料老人健康診断結果が郵送されてきた。まもなく掛かり付け医から
も電話が来て「診断結果を説明するから来院しなさい」と来るはずだ。送られ
てきた表を一瞥する限り、どの欄においても数年来の数値と格別の変化は無い
ように見受けられる。にも拘らず裏面に書かれた文言が大袈裟で「異常を認め
ますので引き続き精密検査を受けてください」趣旨が述べられている。些か脅
迫めいているが毎度のことなので、引き続きの精密検査はご辞退させて頂いて
いる。

掛かり付け医からも似たようなことを言われるだろうが、電話が来たら「10
月6日に日大板橋病院の検査がありますので、それ以降にこの検査結果も持っ
て伺います。」と返事をする予定。お役所も掛かり付け医も年寄りの健康増進
を意図する善意でしていることだから、文句を言ってはいけない。しかし肉体
は微妙で個人差はかなり大きく、定点観測を長年積み重ねているなら兎も角、
1回や2回の血液検査だけで成人病の根源を突き止めるのはかなり難しいこと
だろう。

個人的なことを少し書けば、父親譲りの低血圧なので、今のところ高血圧の指
摘を受けることは無い。だからと言って血管が年相応に劣化しているのは間違
いないだろう。常に指摘を受けるのは腎機能が弱いこと、クレアチニン値が常
に標準値を上回っている。今回もやや高めの数値が出たようだ。血糖値は標準
内におさまっているが、大の甘党としてはこっちの方が心配で、なんで検査当
日朝飯抜きで来いと言われるか不思議でならない。

むしろ通常の生活の中で血液を採取すべきだと思うが、朝飯を摂ってきました、
と言うと窓口で受け付けてもらえない。ただで受診しているのに不満たら々々
と述べてきたが、今朝こんな記事を読んだところだ。

以下に引用:
『最近では「低血圧にしてガンを誘導し、ガンの治療法を研究して長く生きる
ことができるようにする」というマッチポンプの医療政策がとられる。それで
高齢者はガンになることを恐れ、ガンになって苦しみ、治療費がかかるという
さんざんな結果に陥る。

確かに血管が硬くなっても血液を若い時と同じように流そうとすると、血圧が
上がって血管が破裂したりする。しかし、心臓はその人の人生を考えて血圧を
高くしているのであって、血圧が高いだけでは病気ではない。病的に血圧が高
い場合を高血圧病という。血圧が高ければ、元気で暮らせるし、心も張り切る。
楽しく暮らして、あるいは脳卒中になるかもしれないが、苦しんだりボケたり
する老人は激減する。』

先に書いたように最初から少し低血圧気味のせいか、めでたく「癌」にはなっ
た。しかし今のところはそこそこ普通の暮らしは出来ている。

2016年9月22日木曜日

理解できない

お彼岸と言えば墓参りと美味しいおはぎを食べることかな。朝から激しい雨が降り続いている。優しい秋の日和とは程遠い一日となった。墓は長野なので昔から殆ど行ったことは無い。尤もおはぎの方は、自宅で小豆を煮てあんこを作るなんてことはないし、近くのお店になんぼでも売っているから、婆さん頼めば何とかなる筈だが、今日も彼女は孫の子守でお出かけ。だからだろうが、数日前夕食後におはぎが出てきた。

このところ我々の生活にも深く関係しているであろうニュースが次々と出てくるが、余りにもさらりと報道される。よく理解でないまま通り過ぎていったニュースの筆頭は「原発廃炉に伴う費用8兆円超をを国民負担に・・・」である。<もんじゅ>廃炉への記事と一緒に書かれていたので気に留める暇も無かった人が多いことだろう。電気料金は多くの家庭では口座引き落としになっていて、請求明細を事細かにチェックもせず支払っているに違いない。

今回引っ越しをするにあたり、改めて東京電力の請求書をチェックしてみた。昼間だけしか居なかった割には結構な額になっている。電力供給機能が無くなっては困るかもしれぬが、東京電力と言う会社一旦潰れて頂き、嘗ての日本航空のように新しい会社に機能を引き継いでもらった方がすっきりするだろう。何でずるずると関係の無い国民まで巻き込んで、8兆円もの金を負担しなくてはならぬだろう?これも引っ越しで分かったのだが、自宅の方は電気代が東京ガスとの契約になっていた。

婆さんが誰に知恵をつけられたか知らぬが、一つの見識だとは思った。しかし、廃炉の費用は新電力にも負担させる予定とあったようなので、案外しっかりとつけ回しが来るかもしれぬ。兎も角お上のすること、高級官僚の発想は余り賢くない当方如き市井の民には分かり難いことが多すぎる。要するに騙すのは訳が無いと馬鹿にされているのだ。まもなく臨時国会だそうだから野党の誰かが分かり易く突っ込んでもらいたいものだ。

分かり難い序にもう一つ上げると、昨日発表になった日銀の金融政策決定の件。恐らく理解できる庶民は皆無と見てもそう大きくは外れていないだろう。勿論当方も例外ではないが、記者会見に出て質問している記者もどのくらい分かっているのか疑問である。極端かもしれぬが、発表している黒田総裁自身の話が日本語として意味をなしていないと指摘する向きさえある。曰く「これまでの金融緩和策は全て順調で成功し、デフレから脱却することができた。しかし物価上昇率2%には到達していないので、その路線を強化継続する。」

高校の国語の入試問題にして、間違いを訂正してもらうがよかろう。

2016年9月21日水曜日

ムダ遣い

やっと日本の核燃サイクルについて見直しが始まりそうだ。「もんじゅ」の廃炉が決まれば、霞が関の文科省からの福井県の敦賀市まで相当数に及ぶ失職者も出ることになるだろう。1967年以来半世紀近くに及ぶ期間につぎ込まれた税金は1兆円とも2兆円とも言われてはっきりしない。毎年1万人が500万円ずつ恩恵に与っても、要する費用は1000億円。単位が兆円ともなると桁が多すぎてピンとこないが、どぶに捨てることになる金額は莫大である。

似たような話はミサイル防衛システムにもある。これはそんなに長期の話ではない。北朝鮮の挑発で日本のミサイル防衛システムが機能しないことが明らかになったばかりだが、ここにも防衛予算の壮大な無駄遣いがある。2004年以降毎年のように1千億単位の予算が投じられているので、これも明らかに兆円単位に達し、しかもこちらは未だ懲りずに増えていくようだ。どこかの時点で例えこれが見直され廃止になっても自衛隊員が失職する心配はない。隊員は高級な玩具を与えられたがごとく、嬉々として弄って楽しんでいることだろう。

国であれ地方自治体であれ、ムダ遣いを数え始めるときりが無くなりそうだ。予算を獲得して使ってしまえばこっちのもの。お役人様の世界には、元が税金で人様のお金なんて意識は最初から無い。使い道を誤ったからとて、責任を取ったり取らされる概念も殆ど無いらしい。ムダ遣いを出来る間は気分が良いのだろう、だから高学歴の若い人たちが公務員を目指す気持ちは分からないでもない。でも都庁の元高級官僚の言い訳会見を見たりして、それでもそこを目指すか?もっと大きな夢を持ってくれ。

子供の頃に親から厳しく戒められた「ムダ遣い」。あまり守ってこなかったので忸怩たる思いもあるが、流石に最近は親の言葉が身に染みる。特に引っ越しに当たってである。これからは無駄遣いをしないように、もっともっと気を付けようと思うこの頃である。

2016年9月20日火曜日

運動の秋に

「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったものだ、急に涼しくなった。今日メールには「今年最後の…会のご案内」が複数届いている。幹事役の人は大変だろうが、ゴルフ会はもう欠席し始めて久しい。先日道具もすっかり処分してしまったが、案内を貰うたびに元気な友人に取り残されていく一抹の寂しさは禁じ得ない。ゴルフだけではない、水泳用のゴーグル、パンツ、キャップも全部捨てた。婆さんが「もう泳がないの?」と不思議そうな顔をしていたが、こちらは友人と一緒だった訳でも無いので寂しさや未練は全く無い。

未練が残るのは山歩きで、アイゼンとかコッフェルとかこれから必要なさそうなものは処分したが、リュックサック2個とトレッキングシューズ1足は後生大事に取ってある。日曜日だったかNHK「ブラタモリ」で高尾山を取り上げていたのを観ながら、この秋は高尾山をケーブルで登ろうと思ったりしているところである。秋が過ぎれば冬、スキーシーズンには年に1回の同期の友人との会があるので、いま暫くは続けられるだろう。あとはひたすら歩くのみだが、このところ天気が悪すぎるので歩くことさえままならない。運動代わりに部屋の片づけで腰を痛めないよう気を遣う日々が続いている。

2016年9月17日土曜日

PCこの便利で扱いにくい代物

ずっとはっきりしない天気が続いているが、やっと今日は少し晴れ間がのぞいた。現代は電気のおかげで掃除するにも箒やはたきの世話にならずに済むので、雨が降っていても大掃除に近い片づけ仕事は進めることができる。ところで、来月から友人の事務所を少し手伝うことで席を用意してもらうことになった。用も無いのに毎日通う訳にもいかないだろうが、場所が麹町でアクセスが非常に便利。国会図書館にも近いし、平日の昼間に出掛ける先が出来たことは有り難い。婆さんも喜んでいる。

昨日は雨の中、自宅で使っていた、いや置いてあったパソコンをその麹町の事務所まで運んだ。ところがこのパソコンは殆ど使っていなかったので、メーラーの設定なんかが事務所仕様になっていない。昼間使うとなると今現在使用しているパソコンに出来るだけ近づけたいのが人情でもあろう。これが言うは易いが素人には結構大変で、半日は優に潰れてしまった。

残りの半日で取り組んだのが事務所にある2台のうちの1台。これは廃棄処分にすることに決めているのだが、何とか初期化しようと思ったのが間違いのもと。先ずはセキュリティーソフトのノートン社との契約の変更である。3台の機械の購入時期はそれぞれ異なるが、それぞれにノートンのソフトを入れて、1年毎にカードからの引き落としが自動で行われるように設定されている。しかも事務所の2台はいつからかは忘れたが、同じプロダクトキーに変更したはず。

この片割れを廃棄処分するのだから、どこかで息を吹き返すようなことになってはたまらない。契約をはっきり終了する必要がある。そこでノートン社に連絡を入れたのだが、電話が繋がるまでが先ず一苦労。やっと電話が繋がって対応してくださったお兄さんが明らかに外国人。イヤホンを通して聞こえてくる音声が非常に聞き取りにくい。もちろんこちらの耳も遠くなっているだろうし、技術的な知識が不足していることは否定しない。

相手も相当辛抱強く対応することは訓練されているだろうが、とにかく時間が掛かって、やっと残す2台だけに課金対象機械を整理できた。それから本番の初期化である。結論から言えば初期化には成功しなかったが、まともに立ち上がることも無くなったので、いいことにした。ありていに言えば、電源を入れても普通のWindows画面は表示されないのである。BIOS画面からの操作を途中でやめているので、この英文表示に沿って作業を継続するくらいの人間であれば、これまでの履歴を見られても仕方がない。

2016年9月15日木曜日

民進党代表選

新しい民進党代表に蓮舫氏が決定した。一応党員である小生が望んだ方ではないが、先ずはお祝い申し上げよう。彼女の指導力がどの程度のものか未知数であるが、それより大切なことは党所属の政治家がどこまで党の纏まりに協力するかだ。老婆心までに新代表に一言献辞しておこう。民進党には綱領が無いとか悪口を言われるが、綱領なんて有っても無くても構わない。代表は任期中に達成したい目標を明確にして、先ず全員の同意を得ることだ。目標は出来るだけシンプルで、数はそんなに沢山要らない。

人間は考え方で一致する者を見つけるなんてことはあり得ないが、日本語で表明される目標を理解できない筈はない。小生だったら当面次の2項目に留めるかもしれない。
1.「次の国政選挙で自民党を上回る議席を獲得する」
2.「民進党の支持率を40%以上に引き上げる」
現時点ではその根拠も策も無くても構わない。党員の賛同を得ることが大切な訳である。賛同が得られれば目標の達成は意外に早い。

あとは全員がその目標に向かって出来ることをやってもらうしかない。ここからがリーダーシップの発揮のしどころである。その方法も案ずるほど難しくはないのだが、ここから先は世界的に有名なコンサルティング会社秘伝の策故、簡単に明かす訳にいかない。ごく簡単に言えばその目標に向かって各人の努力目標をオープンにすることにあることだけは言っておこう。

なんて半分ふざけたことを書いてしまったが、野党第1党さんには頑張って頂くことが全国民の願いでもある。

序にメディアに物申したい。選挙期間中に蓮舫氏の2重国籍問題をさも大事件のように騒ぎ立てのは、言うまでも無く与党側に知恵をつけられてのことは否定のしようがないだろう。そこまでは良いにしても、調子に乗って民進党内で不協和音が盛り上がったようなことまで書き進めたのは不見識極まりない。もし本当にあったなら実名報道をすべきだ。

2016年9月14日水曜日

猪木氏の訪朝

アントニオ猪木参議院議員が、スポーツ交流のためと言うことで先日北朝鮮を訪問して帰国、昨日記者会見を開いたそうだ。政府高官(国際関係を統括するリ・スヨン副委員長)との会談の中で先の5回目の核実験について、「日本に向けてではなく、アメリカを標的にしたものだ」という発言があったなどと説明。この件について官房長官が不快感を表明しているらしいが、少しおかしくないか。

立場の違いを超えて直接話し合いをするのが外交努力だろうに。話し合いもできずにいるらしい政府関係者からすれば、聞かなくても分かっている、と言いたいのだろうが、分かったうえだからこそ話し合いの必要性がある筈だ。確かに猪木氏には政府を代表する外交官の資格を与える訳にいかないことくらい猪木氏だって百も承知だろう。なのに、話を聞いてきたことについて不快感を示すのは大人げない。

アメリカの尻にくっついて制裁一点張りでは、こちらは不安でたまらない。総理はむしろその恐怖感を利用して、己の強硬路線強化に利するつもりだろう。それこそ見え見えで、下手なプロレスより格好が悪い。東京都の築地市場から豊洲新市場移転も大金をドブに捨てる感が強いが、役立たずのミサイル防衛システムに兆を超える金を投じるのも税金の無駄遣いそのものである。そのくらいだったら猪木氏の興業に協賛金でも出してやったほうが益しというものだ。

2016年9月13日火曜日

福沢諭吉&徳川家康

昨日発表されたNHKの世論調査結果での内閣支持率が56%(+4%)、不支持率26%(-8%)であった。内閣にとってはご同慶の至りだろうが、何が故にそんなに支持率が上がるのかさっぱり理解できない。少なくとも政策的に成功を収めつつあるものは何一つ無いと見るのが当たり前のように思うのだが、どうも世間の受け止めと相当感覚がずれてきてしまった。

一つ言えるとすれば、支持率が高い→少々の反対意見は無視して己の望むことを強引に推し進める→それがまた支持率を高める。この図式だけは当たっているかもしれぬ。たかが年寄り一人の嘆きだが、無視される側に回っている者にとっては悲劇そのものである。最初からこの世はままならぬから「たかが一人」とタイトルを振るくらいだから諦めてはいるのだが。

この動きの行き着く先は賢人の意見を聞かなくても分かっている。「脱亜入米」が加速するだけだろう。曲がりなりにも慶應義塾大学を卒業させて頂いたので福沢諭吉先生を尊敬している一人だが、福沢先生のお考えで少し賛同しかねるのは先生の「脱亜入欧」。朝鮮や清のような後進国に引っ張られて我が国が共に列強に浸食されたのではたまらん、いっそ欧米の文明文化を取り込んで彼らと並び立つ。とのお考えは江戸末期の考え方の一つとして、一概に否定できないかもしれないが、後にブレーキが利かなくなって、結果的には昭和の敗戦に繋がった事実をどう考えるか。

一億人からの国民を抱える一国の方向性の決定とは、一朝一夕で変わるものでもないし変えるのは難しいものだろう。政府は国民年金の預かり金運用を25年の長期で考えていると胸を張るところを見ると、俺はお前らと違って長期で物事を判断しているんだ、と言いたいようだ。こちらは命があと何年持つかの瀬戸際なので、本当はそんな余裕が無いのだが、面白半分で考えてみた。平和な徳川時代が約250年続き、国民にどんな不満が鬱積して爆発したかよく知らぬ。兎も角約150年前の明治維新で体制が一新された。

それから現在まで148年。途中の71年前に、戦争に負けてまた体制が一新した。否、人によっては一新でなくて半新程度と言う人も居よう。でも戦時色的が完全払拭されて平和国家が建設された格好だから一新であろう。安倍さん一派は「もう十分だろう」と考えている訳だ。昨夜婆さんが「比べては悪いけど、安倍さんに比べると徳川家康と言う人は偉いわね。」としみじみ言っていた。余り好みの武将ではないのだが、言われてみればそうかもしれぬ。

2016年9月12日月曜日

代替案は沢山ある

日本の政治家も体調が悪そうな感じの人が多いが、アメリカ大統領民主党候補のヒラリー・クリントンさんは完全にパーキンソン病におかされているらしい。今日友人と話をすると、日本のテレビでもそれらしい映像が流れたとか、治療薬を調査するヒラリー側近のメールが流出したとか、どうもかなり信ぴょう性が高いことのようだ。11月の本選挙まで体が持たずにリタイアなんてことになったらサンダーズ氏でも身代わりになるのか?個人的には彼の方が年寄りとして好感を覚える。どう転んでも共和党トランプ氏は無いだろうと思うが、何が起きるか分からない。

小池知事が国政から外れたので、我が選挙区は補欠選挙になる。自民党は候補者を公募しているそうだが、街角には若狭勝氏と小池知事の顔が描かれ自民党とはっきり書かれた大きなポスター既に張り出されている。公募もヘチマも無いだろうにと思うが、不思議な現象だ。対する民進党はイケメン青年らしき鈴木雄介氏なる人。昨日婆さんが街宣車に手を振ったら車が止まって本人が降りてきて握手をしてくれたそうだ。余程苦戦しているのだろう。前から民主党に投票していたので今回も投票はしてあげることにした。

それにして民進党の代表選は盛り上がりに欠ける。キャリアを考えれば前原氏が順当らしいが、人気では蓮舫氏が先行しているらしい。ところが首相官邸で、官邸のアイヒマンとあだ名で呼ばれている安倍首相の側近、ご存知、総理直属の諜報機関・内閣情報調査室(内調)のトップ・北村滋内閣情報官によって2重国籍問題が暴かれたので、いささか雲行きが変わるのではとの声もあるようだ。代表選は誰が勝とうが関係ないが、古株が裏で代表を操るような真似だけはしてほしくない。

それにしても、北村内閣情報官と言う方、総理がいたく重用されているようだ。もともと警察庁外事課長などを歴任した公安警察のエリートだそうだが、野党議員のあら捜しより北朝鮮の拉致被害者関連や、警察が犯人と分かっていながら逮捕できずにいるオレオレ詐欺集団のトップの逮捕と起訴など、もっと注力すれば国民の人気が更に高まりそうなことは沢山あるように思えてならない。

2016年9月11日日曜日

改めて「テロとの戦い」

今世紀初頭ニューヨークで起きた不思議な911事件から早くも15年の歳月が流れた。思えばあの事件以来世界は一変して「テロとの戦い」が生まれ、全世界の治安が益々乱れて多くの国が平和を脅かされている。我が国も例外でない。国内的には外国との紛争で死亡に至った事件は表面化していないが、外国で日本人がテロリストに殺傷された事件は数え切れなくなった。

今更15年前の事件をほじくり、誰が真犯人であったかとか、その後の紛争拡大の緒を作ったアメリカ大統領やそれに協力した世界の政治家を非難しても平和は蘇らないとしよう。これだけ混乱してしまった世界の中で、確固たる信念で平和国家であり続けるために我が国はどうすべきか。

冷静に考えてみればそもそも「テロとの戦い」で言うところのテロリストは勿論単数ではありえない。相当な集団であり、ISのように認知されていなくても一つの国家のようにも思える場合もある。またある国家の秘密任務を負って活動している集団もあろう。北朝鮮の如きは国家そのものをテロ国家と称することもあり、「テロ」そのものが意味不明に近い混乱状態にあるとも言える。アメリカ国内では北朝鮮に対する「斬首作戦」の計画が着々と進み、演習も繰り返されているそうだ。北の若旦那もそれを知っているだろうから核兵器開発に余念がない。

外交下手はどうも我が国だけではないらしい。日本が杖とも柱とも縋るアメリカにしても余り褒められたものではないように思う。こんな世界情勢の中で政府の目指す方向はどうなっているのか?これがまた非常に分かり難い。アメリカ軍の駐留を援助するくらいだから日米関係基軸は理解しなければならぬだろう。それぐらいは我慢するとしても、憲法の解釈を変えてまでアメリカ軍の仰せに従うのは如何なものか?同様に考える国民も多いと思うが、政権支持率が高いところを見ればこちらの考えはマイナーかもしれぬ。

戦争を実感できない年代が増えているので、戦争に巻き込まれることにさしたる恐怖感を感じなくなりつつことは危険だが、年寄りからの警鐘の響きは遠くなりつつあるようだ。

2016年9月10日土曜日

引っ越し準備

今日明日は我が町の秋祭り、殆ど毎年のように雨に祟られるが、今朝起きるとなんと快晴だ。先月来嫌になるほど台風や雨が襲来してたので、お天道様が憐れんで晴れをもたらしてくれたかと思いきや、明日はまた雨模様とのこと。神輿担ぎも若い人が集まらずお年寄りが多いので一層ご苦労なことになりそうだ。ウィークデイにも拘らず木金と何となく疲れがたまった感じで、歩くこともブログを書くことも面倒になりサボってしまった。

すると今朝の明け方猛烈なこむら返りに襲われて飛び起きてしまった。婆さん曰く「普段一定の運動をし続けているのに、急にやめたらいけないに決まっているでしょう。」仕方ないので朝食前に山行きの時に携行する筋肉痛対処用漢方薬68番「ツムラの芍薬甘草湯」を服用。いつも通りに午前中ジムで1時間半ほど運動をして汗をかいたら成程大分すっきりした。先に何となくと書いたが、疲労の原因の主なるものは引っ越しの準備疲れかもしれぬ。

今日も引っ越し屋さんと電話でやり取りをして27日の詳細を詰めた。朝10時に事務所にスタッフが集合すること。午前中には自宅のピアノを搬出する業者が来ること。午後1時自宅のエアコン取り外しと取り付け業者が来ること。巧く行けば午後3時頃には全てが終わるかもしれぬし、もたついても5時には完了する予定とのことだ。今日までに事務所の中は大分すっきりした。すっきりしたのに疲労感が押し寄せるのだから、人間心理も不思議なものだ。

性格によるのだろうが、身辺片付いていた方が好みだと思ってはいたが、やはり不必要なものが少しはあった方が落ち着くのかもしれぬ。比較するに自宅の婆さんは何でもかんでも取っておく性格だったので、今回の騒ぎでは相当疲れていることだろう。長年夫婦生活を営みながらこれほど性格が異なるのに、今回ばかりは同じ目標に向かって長期に努力を継続しているのは初めてかもしれぬ。

事務所の片付けもいよいよ最終局面、なんでこんなもの取っておかなきゃならぬか、とばかりに紙類を捨てまくってきた。残された段ボールに詰め込まれて何年も暗闇に眠っていたものを再チェックするに、今後の人生で先ず必要になることはあるまいし、あの世に旅立った後の遺族には何の意味も無く迷惑なだけであろうことは容易に想像できる。しかし中身をチェックし始めると、どうしても心残りが生じてしまう。

無駄な作業はやめて、段ボールに詰めた状態で処分してもらうのが一番のようだ。

2016年9月7日水曜日

由緒正しき血統

余り自慢にならぬが、我が家は一代限りで家系が途絶える。娘が二人いたが何れも他家に嫁いでしまった。私と家内は父の墓に入れてもらうことになっているので、たまには弟の子孫が墓前に線香を上げてくれることだろう。弟の子や孫までは一応顔は繋がっているが、それ限りである。その後の世代は彼岸やお盆に花を手向けてくれたり線香を焚いてくれるかもしれぬが、墓誌に名前が刻まれたとしても何の感慨も湧く筈がない。

こう書くと味気ないが、我が魂は娘の体を経て異なる姓となったその子たちに引き継がれ、永遠に生き延びると考え、自分なりの誇りの縁にしている。個人的なプライドについては各人各様の考え方があろうが、父は先祖になることにこだわりを持っていたのが面白い。田舎の五男のくせに何故か実家の墓に入るのを嫌がり、先祖の伝来の寺に一定のお金を支払ってまで新たな寺の檀徒になることにしてしまった。

新しい寺の住職の人格に惚れてならまだ話は分かるが、この住職、高校の後輩だが、変に威張ってとても人格者とは言えないように思う。理由は先祖伝来のの寺と同じ宗派で自宅から最も近いだけの理由のようだ。それでも先祖となったことにはいたく満足したのだろう。成人した子供四人を呼びつけて、今後は全員この墓に入るがよかろうと宣言してくれた。実に分かり易いし、経済的にも有り難い話なので、こちらには何も反対する理由は無い。

父の信仰心は複雑で、寺を変えるくらいだから先祖の墓参りは余り聞いたことが無い。個人的にも父の実家の墓には70歳近くになって初めてお参りさせてもらった。父は一応仏徒の心算もあったかも知らぬが、神道に近いものもあったみたいだ。毎朝東に向いて手を合わせ、なにか熱心に祈っていた。時々冗談のように「我が祖先は天照大神、天皇家と親戚でもあるが、先祖を辿れば日本人全員と親戚になるよ。」が口癖だった。その血を受け継いでいるので一応仏徒のような顔はしているが、信仰心を問われれば、はて、どんなものであろうか?

2016年9月6日火曜日

政府の世論づくりと日中関係

生まれた年の日本がどんな状況にあったかは、当然ながら記憶には何もない。大分大きくなってから父に聞いたのは「当時の奈良は1年じゅうお祭りみたいもので、大変華やかな雰囲気にあふれていたよ。」だった。昭和15年4月が誕生月だが、正に皇紀2600年、父は奈良県庁で総務部庶務課長から知事官房長なんかの役職にあったようだ。敗戦直後南方で虜囚生活を強いられた苦しさを語ることは少なかったが、南方に行く直前まではお役人様でのんびりしていたことを懐かしんでいたのかもしれぬ。

このくらいしか生まれた時の状況についての認識が無かったが、文藝春秋9月号の特集「戦前生まれ115人から日本への遺言」を読んで大分認識が変わった。特に印象深いのが小林信彦さんが書かれた昭和15年に関する記述である。「私は東京下町の和菓子屋の息子で、中級の生活をしていたはずだが、食べたいものが食べられないことになったのは、昭和15年の紀元2600年騒ぎの頃だったと思う。」

と書き始め、この年が狂気の始まりだったとして、歌手のディック・ミネも煙草のバットもチェリーも許されず、日本名に改名を余儀なくされたことを指摘している。たいして齢に違いが無い兄二人を含め、体格が悪いことを恨めしく思ったこともあるが、考えてみれば当時の日本は現代の北朝鮮同様の先軍政治で、国民の食糧より大砲軍艦建造を優先していたのだろう。この特集には1930年代生まれの方が多く寄稿されている。そして殆どの方が、現代の世相を大東亜戦争開戦直前の雰囲気に似てきていることを指摘している。

岡野俊一郎さんに言わせると「即ち仮想敵国を作り、危機感を演出し、戦争への道を準備する世論を形成しようとしているように感じるのだ。」全く同感せざるを得ない。明治27年の日清戦争以来日本はずっと大陸に目を向けて侵略戦争を継続し、その中でたまたま清国やロシアとの会戦に勝ったりしてしまった。結果軍人の一部がのぼせて夜郎自大な思想に陥ってしまったことはある程度理解できる。

昭和20年の敗戦で多くの人は冷静になり、反省もした筈だ。残念なことではあるが70年以上過ぎた現在、戦争被害の経験者が少なくなると、喉元過ぎればの感が否めない。忘却と反比例するように、対中国に関して夜郎自大の発言が度々耳に入るようになってきた。とりわけ気になるのが「現代の中国の軍事力では、日本自衛隊の戦力にはとても太刀打ちできません。」大真面目で文民である外務省関係者が言うことだ。

元防衛相にも似たようなことを言う人はいる。彼らは、自衛隊はアメリカ軍の指揮下に入らない限り(アメリカ軍にならなければ)、戦力を発揮できないことは十分知っている筈。どうすれば日本人がアメリカ軍として外国と戦わなきゃならぬか?せめてアメリカ軍から北朝鮮ミサイル発射の情報くらいはちゃんと貰って来いよ。昨夜のとても会談とは言えない日中首脳会談を見てイライラが募るばかりだ。

2016年9月5日月曜日

永世中立国

最近の子供たちのことは分からないが、小学生の頃に学校の先生がしきりに強調されていたことに「永世中立国スイス」のことがある。今となれば、その先生たちも1年前までは生徒に向かって「君たちの命は25歳まで、早く大人になって、お国のために戦って立派に死んでくれ。」と言っていたことは想像に難くない。それだけに先生自身どこまで理解していたか少々疑問だが、新入生に対してはGHQの指示通り、平和の尊さを強調し、日本が見倣うべき国家としてスイスを取り上げていたようだ。従ってスイスの内容は今もって詳しく知らないし「永世中立国」も死語になったようだ。

あの世界大戦のさ中でも、枢軸国側はおろか連合国側にも加担せず中立を貫いた。これも大分怪しい話だが、当時はそう教えられ、そんな生き方があるとすれば、日本も見習うべきと子供心に思ったりしたものだ。それから大分年月が流れ、大学生になった頃か、映画「サウンド ミュージック」を観るに及んで、やっぱりスイスの生き方を見習うべきと改めて思ったものだ。当時の日本は敗戦から15年以上の歳月を経て、首相が世界中からトランジスタのセールスマンなどと悪口を言われながらも、日本のビジネスマンは世界中を飛び回るようになり始めていた。

軍隊もどきの自衛隊も出来てはいたが、学生だったから詳しい事情は分からないまでも、経済成長にひた走る日本は東洋のスイスを目指しているように思い、数年後には自分もその一員となって活躍したいと考えていた。個人的思惑は見事に外れ、あこがれた社会の一員とはほど遠い人生とはなったが、平和の恩恵にはたっぷり浴することができた。

先の大戦後の世界は一見するに、少なくとも枢軸国と連合国と言った対立は存在していないようにも見える。連合国が作った国際連合なる組織が世界の平和を担保しているような風情でもある。関連する動きとして、たまたま昨日今日と中国・杭州において、世界の主要20か国のトップが集って世界の懸念材料克服のための会議をしたと報じられている。国際連合では「敵国」に位置づけられている我が日本の総理も、何故か主要20か国の一員でもあるから有り難いと言うべきなのか?

ところでスイスであるが、主要20か国の一員にはなっていない。欧州連合がメンバーなのでその一員かと思って調べたが、ここにも参加はしていないようだ。G20なる会議で何を決めたか知らないが、あくまでも建前だけではないか?実社会では米国とロシアは激しく対立してウクライナかシリアかトルコか分からないが、代理戦争は既に始まり、いつ米ロが直接戦争に突入しても不思議はないらしい。我が総理閣下はそのどちらとも仲良くすることが可能、みたい顔をして双方の首脳と握手して喜んでいらっしゃる。これは中立の概念とは大分異なるだろう。

中立国家とはいかなる国とも一定の距離を保つことで、相手構わずベタベタする事とは訳が異なる。小学生時代、大学生時代に引き続き3回目となるが、改めてスイスと言う国家の生きざまと中立の概念知りたいと思った。

2016年9月2日金曜日

故郷

いつも我が故郷「長野」について書いている。これは紛れもない実感だが、言葉の定義を厳密に見ていった場合に正しいかどうか自信は無い。本籍は長野県の現上田市で登記されている。昔は小県郡秋和村だったような記憶がある。出生地は奈良県奈良市法蓮町で、3歳の時に父の勤務先の異動で奈良県から熊本県熊本市に移転した。従って奈良市の記憶は皆無である。熊本の記憶はかすかにあるが、5歳になった時、父の更なる異動、南洋占領地の行政官としてバリ島行のため、母兄弟と長野市にあった母の実家に引っ越した。

5歳から18歳までの13年間を長野で過ごし、19歳以降はずっと県外暮らしである。しかし少年期の13年間は相当長い。そして周辺から記憶を最も吸収する時期だから、長野を故郷と呼ぶことは許されるだろうと思って使っている次第である。斯様に故郷は人によって使い方がいろいろあろうが、生まれた土地であったり少年期を過ごした土地であることだけは間違いない。故郷についての思いも人様々だろうが、今なおそこに居住する多くの親戚、友人、知人、見慣れた風景など懐かしさにあふれている。

しかし残念なことに我が世代には、外国との戦争に敗戦という一大事があった。我々世代は未だ5、6歳と幼児であったとはいえ、いきなり敵に囲まれて住まいを失くし、命からがら本土の4島めがけて逃げ帰ってきた友人が結構いる。ある人は現在の中国から、或いは現在ロシア領となった樺太や韓半島から、南洋の島々から、多くは母と一緒が多いが、中には父親も一緒だった人もいる。彼らのご両親でつい最近まで存命された方もいるが、100歳を超えて皆亡くなられてしまった。我が友人たちは、記憶の片隅にあっても現在外国領だったり、それ同然の土地を故郷と思いたくはないだろう。

しかし兄や姉の世代になると事情は異なる。故郷には帰ってみたくも帰れない。こんな事情を抱えた人が何人いるか知れないが、終戦直後外地からの引揚者は満州地区だけでも100万に近い数十万所帯があったのではなかろうか。現在生存している引揚者の数については政府も把握できていないだろう。実に戦争とは残酷なものである。それでも戦後71年、戦争に巻き込まれずに来たことには感謝せずばなるまい。安倍総理は北方4島に関してロシアの大統領と交渉することに意欲的だ。引揚者の思いだけではなく、漁業関係者の思いも受け止めているのだろう。

結構なことかもしれぬが、一方で何となく戦争に近寄る気配も濃厚なのが気になってしまう。

2016年9月1日木曜日

夏場の食事

明日は区の無料健康診断を受けるつもり。最近は隣の掛かり付け医に受診するのが90日毎になっているので、行くこと自体に大した苦労は無いが朝食抜きで行かねばならないのが一寸した苦痛である。何故健康診断の時だけ朝食を抜かねばならぬのか?受診方法を読むと「血糖値に影響を及ぼすので」と書いてある。毎朝摂っている朝食を敢て抜かした値の方が、余程影響が及ぼされている筈ではないか。

毎年いつも通りで行こうと思うが、一度「食べてきたよ。」と言ったら受付で受診を断られた。以来大人しく受診案内に従っている。考えようでは日本人の典型だろう。ところで、元来大食の傾向は無いが、朝昼夕とほぼ決まった時刻、日に3度の食事を摂らないと落ち着かない。70も半ばを過ぎるとその傾向は余計強くなって、特に日本食の有り難さをしみじみ感じてしまう。日本食の定義は知らぬが、我が家の食卓に上るものは何でも日本料理と言っていいだろう。

定番はごはんとお椀もの、お椀は朝も夕も味噌汁が圧倒的に多い。それに漬物、まだ夏場なので糠漬けがかなり多い。ごはんも白米が圧倒的だが、時によっては炊き込みがあったりもする。不思議にカレーライスが少ないが、これは昼食に時々食べるのを知って重複を避けているのかもしれぬ。何れにしてもこの3品だけで、数知れぬバリエーションがある訳だ。これにメイン料理が最低1品加わる簡素な食事が我が家の定番。欧米先進国の家庭料理の実態は知らないのだが、映画や本から類推する限り毎日似たようなものを摂っているに違いない。

素材が同じと言う意味では日本も変わりないかもしれぬが、バリエーションの多さで日本は圧倒的な差がある筈だ。特に年齢がいって食が細くなってきたとき、食品の量だけで調節するのは大変だ。肉が魚に代わり、豆類が豆腐に代わったりする有り難さは、欧米の年寄りには分からないだろう。暑い夏の日に食する冷奴やそうめんの美味さ、我が親愛なる従妹の得意料理だそうだが、同じ冷奴やそうめんでも家庭によって作り方が大分違うものらしい。

この二つは日本が誇る冷凍食品技術が進んでも、なかなか冷凍食品には馴染まぬことだろう。