2023年6月30日金曜日

希望

 今月も今日で終わり、今年も半分過ぎたことになる。余命は知る由もないが、そう長いことは期待すべくもないだろう。短い間かもしれぬが、毎日なにがしかの希望は持って生きたいものだが、今日もせこいことを書いておきたい。数日前に区からタブロイド判の広報誌が届いた。カラー印刷で区民の皆様へ「令和5年度電力・ガス・食料品など価格高騰支援給付金のご案内」とのこと。支給額一世帯あたり3万円で10月31日までに手続きが必要となっている。全頁カラーできれいな物で、一瞬希望が湧いた、期待しながら読み進む。

分かったのは支給対象者には来週7月3日から改めて通知をすること。これが来なければ対象外らしい。この通知に希望が持てるかどうかだが、ささやかな年金暮らしであっても税金を収めていることからすると対象外のようだ。仄聞すれば昨年度の税収は70兆円を超えたとのこと、加えて個人の金融資産合計が2千兆円超えと小生には全く無縁ながら、景気の良い話ばかり。政府の施策に何かめぼしいことがあったとはどうしても思えないで、不思議で仕方ない。

ま、そのうちにおこぼれが巡ってくるかもしれぬから、明日は何か別の希望を探すことにする。

2023年6月29日木曜日

国家の秘密

 梅雨時はどうしても雨で外出がしにくくなる日も多く歩行数が伸び悩む。昨日も大雨への注意が呼びかけられていたので心配したが、結局1滴も降らずじまい。少し暑かったが久しぶりに1万3千歩を越して歩くことが出来た。行き交う人を見ていつも感心するのが、若い人とスマホの関係。皆さん後生大事にスマホに頼っていることが伺えるが、昨日はアップル系スマホで交通系アプリ(スイカやパスモ)の機能しなくなって混乱したとのこと。

携帯電話を常時ポケットに入れて持ち運べる便利さは有り難いが、その多他機能性でこんな事故が起こり得るとは想像しなかったが、年寄は想像を絶するような多くの機能は期待する必要もない。

閑話休題:国会が閉幕したが、今度の国会で防衛費の異常な増額が決まったようだ。何でそんな事になったのか、理由を知りたい人も多いだろうう。しかし首相や防衛相は、その質問には答えられないとのこと。何故ならば敵に手の内を教えてしまうことになるからとのこと。国会では似たようなやりとり結構多いように思う。敵なる人には聞かせたくないことは理解できるが、質問してる人は国民を代表する議員であったりジャーナリストだ。その場では言えないなら、何処か別の場所でなら答えると言うなら分かるが、そうでも無さそう。例えばアメリカから買うことが決まったミサイルの料金。アメリカがトマホークミサイル400機と公表してしまった。なんとも格好悪い話だ。

それにしても、トマホークミサイルの料金は2000億円、今後5年間に使うとされている40兆円超からすれば微々たるもの。金額が大きすぎて日本の自衛隊にどんな変化が起きるか想像もつかないし、これで俄に日本が軍国主義国歌に変身するとは思わない。第一5年後まで生き延びているかどうかも定かでない。だから余計な心配と言われればそれまでのことだ。しかし昔から<頭隠して尻隠さず>と言われるように秘密は保持しにくいもの。ましてや税金の使い道を隠そうなんて無理な話。人間は秘密を溜めすぎると身体に良くないらしい。国家だって同じようなものだろう、精々官房機密費年間30億円くらいに留めてほしいものだ。

2023年6月28日水曜日

愛国心?

 アメリカ大統領から、専制君主と非難された中国習近平国家主席の施策には共感することも多いが、今週になって始まったとされる愛国教育方針は頂けない。これから国会にあたる全人代で協議されるとのことだが、反対意見で潰される心配は無いだろう。愛国を否定する者が居るはずもない。誰にも反対できないことなんてことが胡散臭くて好きになれない。日本も先の大戦当時は愛国行進曲が一世を風靡したようだが、幸いこっちは未だ幼児だった。

万国共通だと思うが、人は誰でも愛する人や物や社会があって当たり前。家族を愛する人、お金を愛する人、自国を愛する人くらいまでは、容易に想像できるが、外国を愛する人だっているかも知れない。子どもたちに対しては国旗、国歌を教えるくらいに留めるのが良いと思う。習近平主席に偉そうにアドバイスするならば「エッヘン!日本に倣って元号法案でも作り、現代を<近平>とでもしては如何かな。」

因みに、愛国教育が徹底された先の大戦中の日本ではあるが、大正デモクラシーの少し前、明治11年生まれの詩人与謝野晶子は明治37年に、兵役に赴く弟に捧げた詩『君死にたまふことなかれ』を発表している。 『親は刃(やいば)をにぎらせて人を殺せとをしへしや』や『天皇は(すめらみことは)・・・』はあまりにも有名になり、大きな論争も呼んだ。現代人で知る人はどれほどだろうか?

閑話休題:先の戦争で戦死した特攻隊員でさえ、戦死する直前に天皇陛下万歳とか日本万歳と叫びながら逝った隊員は少なく、嘘か本当か分からぬが「お母さん!」と叫んで突っ込んだ兵隊が多かったと聞いたような気もするくらいだ。そもそも中国に小中学校が何校あるのだろう?全人代で立派な指導要綱が出来てたとして、誰がどのように教えるかは難しい問題だろう。

勝手に想像すれば、精々スローガンを書いたポスターを数億枚制作して、学校の至る所に貼り出すのが関の山になりはしないか。「お前に愛国心はあるか?」と聞かれたら何とする。ウクライナの国民と同じで、戦争が始まったら国を捨てて逃げ出すかもしれない。問題は言葉だ。家族の中に外国語が出来るのが殆どいないのが不安の種だ。日本も戦争好きな政治家が沢山居そうなので、そのうちに愛国心が云々される時代が来るかもしれぬ。家内が亡くなった時に、タンスの中を一応整理したが、国旗が見当たらなかった。あったかもしれぬが、捨ててしまったのかもしれぬ。

2023年6月27日火曜日

知りたくない

 「知らぬが仏」と言う俚諺があるが、この年令になると本当にその通りだと思う。若い時は好奇心が旺盛で、知らないことは闇雲に知りたがったものだ。知ることが増えると人生が豊かになると思う人もいるだろうが、そうは思わない。知っても仕方ないから知りたくもない。しかしマスコミの発達やネット情報の拡大で、日夜無限とも言えるくらい様々な情報がもたらされる。しかもそのうちの幾つかは、さも重大事案のように多方面からの解説で上書きされる。出来るだけ聞き流したいが、テレビを観たり新聞や雑誌を読むことが若い頃からの習慣なので、つい目次くらいは意識の中に飛び込んできてしまう。

流石に最近は新聞雑誌の広告は縁が無くなったが、テレビのCMは否応なしに耳目に達してしまう。情報系企業の意味不明な物が多くて、自動車とか機械類関連が減って、相変わらず多いのが食品や飲料と栄養食や薬の類。現役時代はこのCMで飯を食っていたから悪口は言えない。信じる人は救われ、経済も活性化することだろう。

昔好んで観ていたテレビ番組に「時事放談」がある。細川隆元氏と小汀利得氏なる元朝日と日経の大物記者が毎週日曜日早朝30分だったかもっと長かったか記憶がはっきりしないが世相を斬りまくってくれた。当時も今も報道を丁寧に読む習慣が無いので、出勤して周囲の人と話を合わせるには役立っていたと思う。世相なんてものは移ろいゆくものだから、1週間に1度時事を纏めて解説してくれるのは常識を維持するのに大いに役立ったと言える。

比較して思うのが昨今の情報量の多いことだ。しかも昔の時事放談のように社会を少し余計に見てきたご隠居的識者がテレビの視聴者である凡俗のために解説してくれるのとは異なり、かなり現役に近い専門家風情の解説者が出てきて、遠い世界のことに関してもそれらしく解説をしてくれる。大昔になるが「明日の世界と日本」と言うNTV系の番組制作に少し関わったことがある。売りは解説の堺屋太一氏で、月に1度堺屋氏が来て企画会議、プロデューサー、ディレクター、リサーチャー、脚本家などが揃って協議の結果企画がまとまる。

それから番組を仕上げるまでに2ヶ月以上は楽に掛かった。特に共産圏取材は、ロシア東岸のウラジオストックでも、モスクワを経由しなければならなかった。最近ロシア関係報道の多さには驚くばかり。ロシアの何かが変わったかもしれぬが、案外原則は変わっていないようにも思う。

2023年6月26日月曜日

失敗

 毎日起床は4時半、就寝は大体21時半だから、24時間のうち17時間は起きてることになる。そのうち最低でも1回は、食事を兼ねて巷を3時間くらい徘徊することにしている。起きている間にしなければならないことはそう沢山は無い。一番時間を食うのは朝飯の支度だろう。食材の買い物に費やす時間を除いても、準備を始めてから食後の後片付け迄に要する時間は約3時間強。その他のルーティン、例えば朝の軽い体操や洗面だったり、夕方の入浴や洗濯だったりもあるから、これも3時間は掛からないだろうが2時間は掛かっているように思う。ブログ書きもルーティンだからやはり3時間強になるかもしれぬ。

こうやって改めて数え上げると、趣味や嗜好に使用できる時間は意外と少ないものだ。学生でもないのに拘束されている時間の長さに驚いている。しかし毎日があまりに無拘束、自由気ままだと逆に時間を持て余して困ってしまうかもしれぬ。今日書きたかったことは、こんなに単純化された生活でも毎日のように繰り返されるのが失敗。不思議にも思うが、人体は意外に精巧でミス無く動くとされているはずだが、そうでもない。何かの拍子でコップを割ったり、風邪を引いたりしてしまう。

街を歩きながら行き交う人達の表情を伺うと、皆たのしそうだったり、忙しそうだったり様々だ。一番楽しそうだと想像するのは家の前を掃除したり、草花の手入れをしてるどちらかと言えば高齢の人たちだ。あの人々後ろ姿からいつも感じるのは大いなる満足感。見習いたいと思うが、どうしても出来ない。我が家にも狭い庭があるが、態々砂利を入れて春先には強力な除草剤散布をして草花を無くしている。これもある意味で人生の楽しみを自ら放棄した大きな失敗かもしれぬ。関連して思い出すのは過去の失敗の数々、何れも取り返しはつかない。せめてこれから先、できるだけ失敗をしないようにしたいものだ。

2023年6月25日日曜日

ブログの不思議

 パソコンでこれを読んでる方はご承知だと思うが、アーカイブとして右に表示されてる通り、始まったのが2009年4月で、昨日の読後感で3984回となった。

1ヶ月ほど前までは1日の閲覧件数が100前後で推移していた。ところが何がきっかけか分からぬが、最近になって急に増え始めた。古いデータは確認できないが、1週間前の18日には352件となっている。タイトルを確認すると「老後の楽しみ」だ。ブログを始めた頃には、知人友人に宣伝はしたものの、肝心の家族は読んでくれず、親しい友人も関心を示してくれない人が多くて少し残念に思っていたので、この傾向がどこまで続くか心配しながら喜んでいる。同時に読者の皆さんに改めてお礼を述べなければなるまい。

家族に読んでくれと頼んでも、亡き家内はパソコンやスマホには無縁だったし、姻族友人から亭主の書き込みに関して悪い噂を聞いては、一刻も早く悪癖から足を洗うことを強く薦め、最低でも噂の種になったブログを削除するよう命令された。娘たちにも亭主の悪癖だから無視するよう命じていたのかもしれぬ。親族では弟2人は毎回読んでくれていたと思うが、一人は数年前に亡くなってしまった。従姉妹や甥姪は結構読んでくれていると思う。学生時代の友人も欠かさず読んでくれている人がいるのは嬉しいし有り難い。少なくともこちらが確認できている固定読者は多く見積もっても50人未満と思う。

一頃は日本ブログ村なるサイトに登録していたので、そこからの読者もいたと思うし、読後感についてはアマゾンのサイトとも連携していたが、両方ともとっくに縁を切っているので、急激に読者数が跳ね上がったことは不思議でならない。新規読者から何らかのお知らせを頂ければ、これに過ぎる有り難さは無い。こちらも歳が歳で、暇は十分あるので、もし連絡頂いた方が同じブログ書きであれば、必ずそちらのブログを読ませて頂くつもりだ。

確かにブログは一種の日記、だから友人の中には毎日手書きで書いてる友人もいるが、他人に見せるものでは無いとも言う。そうかも知れぬが、高校同期生でメールリストを交換している友人が90人前後いても、ブログを公開している友人が一人もいないのはちょっと寂しいような気もする。

もう6月も末、月日の経つのは早い。どこまで続けることが出来るか、明日もまた何かを見つけて書くことにしたい。

2023年6月24日土曜日

読後感「思い出せない脳」澤田誠著

 最近とみにもの忘れが激しいので、書店で書名に惹かれて購入した。参考になったかどうかだが、結論的には参考になったと言える。何故か、物忘れは気にするな!と受け止めることが出来た気がするからだ。脳は極めて働き者の臓器で実直らしい。細胞が入れ替わることもなく人生の生涯に亘って動き続けているらしい。記憶の保存方法や意思決定の科学的仕組みは殆ど理解できていないが、記憶が出てこないのは誰にもあることで、無理をしないことが大事なようだ。

学生でもないから、何か特に記憶力を強化する必要もないし、思い出せない事柄は長いこと不必要だった事象だからとのことを知ると「何だそれだけのことか」と安心もしたくなる。海馬が縮小すれば、それなりに記憶容量は減るようだが、それだけでいきなり認知症になることでもなさそうだ。もう一つ知ったことは記憶の保管方法や保管場所にも色々あって、単一でないこと。特に保管方法に関して言えば、一つのエピソード(ストーリーのようなものかも)にしても、裁断されてパーツをそれぞれ個別に、しかも脳内のネットワークで保存されるらしい。ちょっとコンピュータ的で面白い。

しかし科学的生理学的な話は難しいし、一度読んで理解できたとも言い難いので措くとして、本書の内容紹介にうってつけな部分が序章にあったので引用する。

第1章 そもそも記憶を作ることが出来なかった

第2章 情動が動かず、重要な記憶とみなされなかった

第3章 睡眠不足で記憶が整理されなかった

第4章 抑制が働いて記憶を引き出せなかった

第5章 長い間使わなかったために、記憶が劣化した

先に書いたように、記憶は分割保存されているので、脳の神経細胞が減ってもすぐに特定の記憶が失われないとのこと。但し、神経細胞が減れば減るほど記憶力が落ちるのは必定。よって健康的な生活を送らないと認知症になる危険が早まることにもなりかねない。予防には運動や栄養補給、そして何よりも十分な睡眠がベストのようだ。

2023年6月23日金曜日

マイナンバーカード

 政治問題としてあまり細かいことを言いたくないが、世相的に見てマイナンバーカードなる制度とその存在意義を益々高めようという政府の考え方には大きな疑問を感じている。極論すればマイナンバーカードを全廃しても良いようにさえ思う。マイナンバーを頂戴したのはもう何年前のことだろう?分厚い封書が届き、大切に保存せよとの命令だったと記憶する。お上のご指示には逆らわない主義なので、もちろん大切に保存した。

その時から考え続けているが、日本国民としての証明書的なものを幾つもたされるのだろう?生まれたのが昭和15年(1940年)で奈良市内だ。すぐに名前が決まり、きっと父が市役所に行って住民登録的な作業をしてくれたと想像する。当時も今も戸籍は長野県上田市で登録されている。どんな方法があったかは分からぬが、近年戸籍謄本を確認する限り、出生記録は間違いなく登記されている。昔兄から聞いた話では、明治時代から役場の機能は大きな変化は無いとのこと。その昔は寺が戸籍管理もしていたらしく、寺に行けば相当古い先祖のことが分かるとも教えてもらったことがある。

それは兎も角、出生届を出すことで日本人である証明はなされ、その後住所が変わる度に役場に届けでさえしていれば問題ないようにも思うが、住所変更の道筋を記録するためかどうか、その後住基ネットなる制度が全国の市町村をカバーする動きがあった。これと呼応していたかどうか知らぬが、住民票を区役所で職員の手を煩わせること無く受け取れるようにするため個人カード(印鑑登録証兼区民カード)がお下げ渡しになり、住民票と印鑑証明が受け取れるようになった。

人口が増えた割には役場の職員数は増えないのでやむを得ないことだろう。他にも真っ当な国民市民であることを証明するものは、先ず運転免許証、次は旅券ではなかろうか。これさえあれば、若い人でも年齢が証明できて酒も買えるし、煙草も問題ないだろう。我々年寄は映画館でシニアー割引が得られるし。他に健康保険証なる証明書があるが、これには顔写真が貼ってないので映画館で通用しなかった経験がある。しかし住基ネットなるシステムがネットワーク的に不備があったのだろう。兎も角廃止になった。

代わりに登場したのがマイナンバー制度だったのかもしれぬ。この制度の目的がはっきり覚えていないが、一番は住基ネットだったのではと想像する。兎も角、カードを作るように指示されたので一応カードは作ったが、大事なものと思ったから持ち歩かず、実印と一緒にタンスの奥に仕舞い込んだものだ。そしてある日、突然マイナンバーカードが健康保険証にも使えるとのこと。使うつもりもなかったが、お金が頂けるとのことだったので、その手続をした。ところが、貰えたのはポイントなるもので、お金ではなかった。

挙句の果てに今度は健康保険証を廃止するとのこと。これは小生からすればどうでもいいが、カード制作になんか行けない人が大勢いらっしゃることは容易に想像できる。健康保険証廃止だけは止めたほうが良い。公的機関からの振込先など言いたいことは山ほどあるが、書かない。

2023年6月22日木曜日

お金のこと

 何度も書いてきたが経済問題は苦手だ。政治も経済と密接な関係がありそうだが、日本の経済運営については多額の借金をしていることに何となく胡散臭さは感じるものの、的を射るような考えは持ち得ない。しかし個人の経済については明快な考えがある。少し遡って説明したい。5人兄弟の家庭で育ったので我が家は決して貧乏だったとは言えない。ただ、父の復員(戦地からの帰宅)が終戦から約2年後だったので、子供時代は人並みに苦労は経験している。

小学校入学後は、父も長野県の一応高級官僚になれたので収入は悪くなかったはず。大学入学時に大学に提出した身上調書に<保護者の収入>欄があって、そこに年収80万円と記入されている。勝手に当時の物価を現在の20分の1とすると、現代に置き換えると、年収1600万円くらいになるだろう。学生時代アルバイトをすること無く<年間授業料3万円+教科書代1万5千円+生活費月額1万円3年生から2万円>を親に面倒掛けていた。現代の地方公務員には出来ない相談かもしれぬ。

学生の小生にとっても同様で、経済的には恵まれていたと言える。22歳にで独立して社会人になった時の初任給(見習い期間の3ヶ月は1万5千円、7月に゛正規採用になって1万7千5百円)は厳しかったが、おおらかな時代だから、会社から相当な前借りも出来たし、遊びもおおらかで、銀座の飲み屋もホステスが半年や1年ツケ払いを引き受けてくれたものだ。しかし借金が増える一方で、29歳で結婚した時、家内に「借金が年収と同じくらいある。」と自慢したのを覚えている。

馬鹿な男に引っかかったものだと思うが、家内の力は大きかった、このバカ男を立ち直らせて就職した小さな広告屋の幹部社員に押し上げてくれた。勤務25年目にして退職するが、当時年収で1200万円くらい(+車1台と車庫付き借り上げ社宅)にはなっていたと思う。大阪に単身でいたので、家内には半分くらいは送金していたと思う。個人的には貯蓄は無かったように思うが、3ヶ月無休だったにも関わらず食わせてもらえたのは、家内がしっかり貯蓄してたからだ。退職金が750万円でたが、これは全額家のリフォームに消えた。

その後、3つの会社を転々、給料は徐々に下がったが、収入が少なくなっても家内に渡す生活費は変えなかったように思う。自分の小遣いが減った分は無駄遣いをせずに家で飯を食えばよかった。今考えても、経済的には恵まれていたが、恵まれすぎた事が無かったのが幸いだ。お陰で現在は年金で健康的な生活が出来ている。お金は無ければ困るが、有り過ぎるても碌なことにならない。今朝の朝日新聞に次の記事が掲載されている『種子島、バブルに沸く 「漁なんか出てられん」ホテル満室、家賃急騰』自衛隊のミサイル基地建設故らしい。心配だ。

2023年6月21日水曜日

虚実の判断

 ブログを書き始めた頃、頭を整理するために幾つかの項目を考えた。中に<メディア関連>があってこれ迄に316件書いたことになっている。元々の職業がマスコミと極めて関係の深い広告屋だったので思い入れもあった。しかし最近の情報源として何に頼って良いのか分からなくなって困っているところだ。現役時代のマスコミと言えば新聞雑誌にテレビとラジオの放送メディアしか考えられなかった。ところが現在はテレビも新聞も特別の地位を占めているとは言い難くなっている。

調べてはいないが、テレビや新聞からの情報に頼る人や、その人たちの視聴時間、読む時間は一頃よりかなり減っているだろう。新聞や雑誌は言うまでもない。発行部数は激減して、「週刊朝日」まで廃刊の已むなきに至っている。現役時代世話になった雑誌「家の光」は当時最高部数180万部に達したこともあり、その雑誌の広告だけで入社した広告会社は食っていたようなものだ。ただ、社長が偉くて、雑誌「家の光」の寿命を見込んでテレビ広告に乗り出すために、小生が入社後に開局した東京12チャンネルに分不相応とも言える投資をして、社員を半ば預ける形で、新入社員の再教育を図った。

思い出話は切りが無いのでやめるが、一時マスコミの中で圧倒的地位を占めていたテレビ放送。この放送内容が大分変わったことは言うまでもない。最近も未だ朝夕30分ずつニュース番組は観るが、我が情報源としてあまり役に立たなくなっている。また、1日遅れになるが「時論 公論」のニュース解説番組も観るがこれもあまり参考になったためしがない。何故か、情報が多すぎるからだ。<過ぎたるは猶及ばざるが如し>とはよくも言ったものだ。

TVチャンネルが多すぎて、どのチャンネルを選んでも情報の内容が極めて薄っぺらになってしまっている。かと思えば、何度聞いても見てもあまり意味のないことが繰り返し放送される。最近で言えば、岐阜県の自衛隊射撃訓練場で起きた事故関連報道、今日も死亡した隊員の葬式か何かがニュースになっていたが、これが全国に放送される意味はどこにあるのだろう?NHKも民放も同じだが、ウクライナの戦争関連報道を連日してるが、これも意味が分からない。

恐らくプロデューサー自身も意味が分からず作ってるような気がしてならない。中米の関係についても分かった顔をする解説者を引っ張り出してなにか言わせるが、前提となる情報は全部海外からの仕込み。何が実であり、虚であるかプロデューサー自身に定見が無くて、どうして視聴者を説得できるのか?観ても意味が無いから観ないことにしている。

2023年6月20日火曜日

認知症予防

 老いれば誰も避けて通れない<認知症>、もちろんなりたくないし、出来ることなら無縁でいたい。たまたま昨日、放送局はNHKだったと思うが、詳しいことは覚えていない。中で認知症の自己診断についての解説あったので、記憶の範囲で紹介したい。チェック項目が4又は5あり、第1項で紹介された物が3個、「これを記憶して数秒後に言ってみて下さい。」ミカン、ネコ、電車だったと思う。何だ簡単じゃないか、と思ったが数秒後に電車が思い出せなかった。その項目の最後に「もう暫くこれを覚えておいて下さい。」追加コメントが有って、次の項目に進んだ。

そして全項目の解説が終わった10分足らずの後、「最初に紹介した3個の物をもう一度思い出して言って下さい。」と質問されたが、その時は全問記憶できていたように思う。思うと書いた訳は記憶が曖昧だから。ネコと電車は昨日苦労したのであっていると思うが、ミカンがあったかどうか?極めて怪しい。先週末に書店で「思い出せない脳」(澤田誠著)なる新書をたまたま購入して読み始めていたところでもあった。未だ読み終わっていないので詳しいことは書けない。先週末たまたま長女が来宅した時、そんな話をしたら、長女も「脳科学は面白い。私は池谷裕二さんのファンで、彼の著書から随分日常生活に取り込んでいる。」受験生を抱えているので参考になってるとのこと。ボケ防止に役立つということは、児童の脳開発にも役立つらしい。

話を戻すと、問題は記憶の引き出し方で、これは俗に言われる海馬だけの問題ではないようだ。もう10年以上昔、脳神経科で調べてもらった記憶があるのでブログの中で<海馬>を検索してみた。すると2012年10月31日に次のような記述が見つかった<先生は「あなたは痴呆とまでは言いませんが、海馬は年相応に委縮が始まっています。」と太鼓判を押した。>痴呆は認知症の同意語だ。もう10年以上前からそれが始まっているのだから、11年後の今日、認知症が相当進んでいても不思議はない、と妙なところで納得したものだ。

思うのは足腰と一緒のことで、脳にもあまり負担をかけないような生活すること。即ち無理に記憶しようなんて思わないこと。特に都合の悪い情報はさっさと忘れるのが良いかもしれぬ。

2023年6月19日月曜日

遊びと学び

 人はだれでも同じと思うが、幼い頃面白いことを発見して、遊ぶことに大いに夢中になる。自分のことは扠措いて、孫の幼い頃を観察してるとよく分かる。一人の孫のことを紹介すると、何故か「トムとジェリー」というアニメがすごく気に入ったようだ。知らない方もおられるかもしれぬが、ネズミとネコとの争いで、いつも小さなネズミが大きなネコを出し抜くストーリー。我が家に来る時いつも、このCDを持参して自分でVTRにセットして同じものを繰り返し観ては大笑いしてた。

他の孫についいて書くと、一人は掃除機に異常な関心を示していたし、一人はどこでだれに聞いたか分からぬが、当時未だ田舎に近かった横浜市の外れにあった家内の実家に行って、裏を流れていた小川の川遊びが得意で、魚を手掴みして同じく遊んでいた近所の子にあげて喜んでいたものだ。今は親が子どもたちに遊びについても一定の手ほどきをするだろうが、昔は親が遊びを教えることは少なかったと思う。ついでに言えば勉強も同じこと。

勉強に興味を覚えるのも初めは子ども自身だろう。幼稚園から小学校に上がった頃、長女が「学習塾に行きたい。」と家内に申し出たことがあるそうだ。家内は即座に「お父さんが毎月きちんと税金を払っているのだから、勉強は学校で教えてもらえば十分。」と申し出を拒絶したらしい。次女は勉強は苦手だったらしい。しかし遊びについては、密かに独自の模索を続けていたようだ。先日短大時代に3ヶ月の短期留学でオハイオ州立大学での寮生活の体験を初めて聞いた。

留学に先立ち学校ではホームステイと寮生活の選択が出来たが、外国にまで行ってホームステイなんかとんでもない。と即座に寮を選択して毎週アップタウンに行って遊んできたそうだ。小生も何方かと言えば勉強は苦手。次女は宿題を長女に丸投げしてたが、生憎こちらは全員男兄弟なのでそうはいかない。幸い中学時代は前の家が全員女性姉妹だったので、2学年か3学年上の上のお姉さんに夏休み手帳を丸投げしてきれいに書いてもらっていた。それを恥ずかしくもなく夏休み明けに学校に持参していたのだから図太いものだ。

何れにしても幼い頃の経験は、その後の人生に大きな影響を持つと思う。現代は休日など近くを観てると、両親が子供と遊んだり、子供同士が遊ぶ姿を見守ったりしている。我々に時代には決して見ることがなかった光景だが、子どもたちの経験上どんな意味を持つだろうか?

2023年6月18日日曜日

老後の楽しみ

 昨日は夕方早い時間から次女との付き合いで大分アルコールが入ったので、7時半からの高校同期生とのリモートミーティングではできるだけ喋らず聞き役に徹しようと思って臨んだ。ところがギッチョんで、友人たちの話につい口出しして浅はかさの露呈、顰蹙まで買ってしまった。酔っ払ったら誰とも口をきかないことが賢明だと改めて思う。かすかな記憶を呼び起こすと、最初は株の話からだったような気がする。最近日本株が上昇傾向にあることは知っているが、自分と関係ないことなのでどうしても僻みがある。

昨日は参加者が5人だったが、小生以外は全員何らかの形で株の運用をしてるみたいだ。家内が他界した時、金額は忘れたが数百万円の株が残されていた。それを結局全部すってしまったので株と株屋には恨みもある。本当に馬鹿な俺だ。そこで昨夜でてきたセリフ「ところで、株なんてものは我々のように高学歴のインテリが弄ぶものでは無いのでは。」

言った途端物凄いブーイング。「現代のビジネス社会では株価の動向を注視できないような奴はビジネスマンたる資格が無い。特に経営者は株こそ我が生命で、社員がどうのこうのは二の次のことだぜ。」或いは「株式の動向を自分なりに分析できるのだから、高学歴の我々こそ株式を運用すべきだ。」別の一人は「俺はリーマンショックの時、なんとやらを買って運用してるが、その資金は当時からすると3倍になっている。」等々羨ましい話ばかり聞いてしまった。

そうなると、友人たちが元気な理由も分かるような気がする。反比例してこちらは益々落ち込むばかりだが、友人たちはゴルフ談義で盛り上がる一方。季節が良くなっているので暑さにもめげず全員頑張ってプレーしてるようだ。先週友人の一人に同行した同期生など今やゴルフ三昧で週に3回でも4回でもするらしい。もちろん毎回のようにエイジシュート(ラウンドスコアが年齢以下)とのこと。こちらはとっくに足を洗っているのでもう羨ましくもない。只々凄いものだと感心するばかり。

何れにせよ、老後の楽しみも5人5様、100人居ても100通りになるだろう。で、俺の楽しみは何かな?美味くて安い飯を見つける楽しみと睡眠をたっぷり取ることくらいしか無い。毎日のブログ書きも楽しみに加えよう。


2023年6月17日土曜日

父の日

 昨日から急に真夏の暑さになった。昼間は2階に居ることが多いので、南北の擦りガラスの窓を開け放つ。今日も外の日差しは強いが、網戸を通して初夏の爽やかな風が吹き抜けていく。但し、都会だから仕方ないだろうが、近くで始まった道路工事や近隣に何件もある建築中の住宅がたてる騒音だけは我慢しなければならない。株価も急上昇してるようだし、世の中には住宅を新調するお金持ちが沢山居ることに感心せざるを得ない。昼飯を食った店で、隣の席でお婆さんと娘かどうか分からぬが、中年の女性が投資に関して会話をしていた。内容は難しすぎて理解不能だが、何方も幸せを自慢しあってる風情。結構なことだ。

昔駐車場だった空き地がどんどん狭まり、我が街の風景は本当に変わってしまった。南側に建っていたアパートが取り壊されて暫くは駐車場になっていたが、それも終わって現在は本当の空き地。ざっと150坪は下らないと思うが、目前にある空間は得難い環境でもある。この環境がいつまで保たれるかが問題だ。大邸宅か立派なアパートが建つのも時間の問題だろう。

今日は転倒してから丁度丸1週間目の土曜日。転倒で壊した眼鏡の代替品を受け取りに行ってきた。家や眼鏡は壊しても代替が可能だが、生身の体は壊すとそう簡単には代替がきかない。そこが辛いところだ。外から見える怪我は少しずつ良くなってはいるが、筋肉そのものやそこで覆われて見えない部分は復旧に、前回と同様早くても1ヶ月は掛かるだろう。焦ってもどうにもならない。

明日が父の日らしいが、昨日はその日を早めて長女が来てくれたが、今日は次女が、早めの夕飯を付き合ってあげるとて、夕方銀座に呼び出されている。長女はいつも自宅に来てくれるので、持ってきてくれた菓子とお茶で済むが、次女はそうはいかない。今日も明るい時間からしっかり飲むことになるだろう。家内生存中は「我が家は毎日が父の日だから、父の日の祝はしない。」で終わり。

家内の没後は毎年娘たちがなにかしてくれる。それもこれも皆人生の一場面、なるがままに生きるだけのことだ。

2023年6月16日金曜日

親子の会話

 昨夜岸田首相が今国会で解散はしないと明言した。理由の一つに、この法案に立憲民主党が賛成すると報じられ今国会の最重要法案である防衛財源確保法案の成立にめどが立った事があるらしい。元外務官僚天木直人氏は今日のメルマガで「解散総選挙をめぐる政局から明らかになった護憲政党不在の日本の政治」と書いている。与野党政治家が口を揃えて唱えるオマジナイ「中道」の落ち着き先がこれである。俳人中村草田男氏の「降る雪や明治は遠くなりにけり」を借用すれば当に「降る雨や戦後は遠くなりにけり」だ。

戦後78年、兎に角時代はすっかり変わってしまった。戦後干支が一巡する平成半ばくらい迄は、日本人の大部分は無意識的に自国を平和憲法を持つ平和国家と思っていただろう、と勝手に想像している。その後実際には日本人がそっくり入れ替わったわけでもないのに、今思うのはその憲法が蔑ろにされ、平和国家の思いが随分薄れてしまったことだ。個人的にも齢すでに83、今更何を嘆いても致し方がない。

今朝一番に長女が父の日の祝にと好物の菓子を持ってきて、雑談の相手をしてくれた。「元気が良いのは結構だが、転倒だけは気をつけてくれ。」が最大のメッセージで他には身内の様々な情報。特に98歳の義母が屋内で転倒して入院した後、施設に入リながら長いこと見舞いが叶わなかった。最近次女と上の孫が見舞うことが出来、すぐに誰かが分かり、却ってボケがおさまったみたいだったとのこと等々。

幾つになっても親子の会話は楽しく元気の源になる。昨日は友人と転倒について話して、杖を持つことを薦められたのでそうしようかと思ってる、と言うと娘曰く「もう暫くは気をつけることに専念して、杖は暫く持たない方が良いだろう。」言われてみると家内も杖を使いだしてから何度も転倒している。長女の薦めに暫くは従うようにしたい。

2023年6月15日木曜日

読後感「ウクライナ戦争の嘘」佐藤優 手嶋龍一 共著

 サブタイトル<米露中北の野望・打算・本音>がついている。著者佐藤優氏はご存知元外務官僚で、鈴木宗男氏に絡む事件で逮捕され2年近く東京拘置所で勾留されたことで有名。裁判の結果がどうであったか忘れたが、この経験を執筆、出版した「国家の罠」の記憶は鮮明だ。現在は体調が思わしくないようだが、昔から外務省のラスプーチンと言われたように、外交的インテリジェンスや宗教に関する該博な知識から読み解く世界情勢は非常に説得力をもって迫ってくるものがある。彼は何故かテレビ出演でお目にかかることが出来ないのが少し残念だ。

一方の手嶋龍一氏は元NHKの政治部記者出身の小説家。彼は時々テレビ番組の解説者として登場することもある。現役時代にはかなり多くの国々の首脳にも取材経験を持っているので、優秀であったことは容易に想像できる。独立して外交ジャーナリストとして活躍。ノンフィクション小説も幾つか出版している。最初の『ウルトラ・ダラー』は読んだ記憶があるが、それほど印象に残っていない。取材量では佐藤氏を圧倒するだろうが、読書量では佐藤氏が勝っていることは明らかだ。

二人はインテリジェンスの世界という共通面があるので20年来の付き合いもあり、共著も多い。彼等が今回のプーチンの戦争を語り明かすと言うので非常に興味深く読むことが出来た。出版されてまだ間もないが、実際のウクライナ戦争は進行中の事件でもあり、恐らく執筆は岸田首相が遅ればせながらウクライナ訪問した直後くらいだったと思われる。

構成としては対談形式で全部で7章、第1章が<アメリカはウクライナ戦争の管理人>第2章が<ロシアが侵攻に踏み切った真の理由>以下省略して第7章<戦争終結の処方箋、日本のなすべきこと>で締めくくられている。他にまえがきを手嶋氏、あとがきを佐藤氏が執筆している。連日テレビで報道されるウクライナ戦争の読み解きとは全く異なる次元。彼等二人が最も心配するのは、やはりプーチン氏が核を戦術であれ戦略であれ使用した時のこと。プーチン氏も簡単には使用しないだろうが、可能性は否定できないとしている。

プーチン氏が戦争を始めた経緯もこれまで理解していたこととは大分異なっていた。中米対立の正面になっている台湾に関する理解も大分深まったような気もする。バイデン大統領のボケぶりはアルツハイマーの初期現象かと思っていたが、大分異なり、ボケを演じて彼なりに中露を牽制してるとのこと、傾聴に値するだろう。今年が世界大戦になるか、10年戦争になるかの分岐点かもしれぬとの見立て、即ち、両軍の兵糧問題が大きい。も納得できた。

2023年6月14日水曜日

背信行為

 習慣となっているので、昨夜もNHKのニュースを観るべく19時数分前にテレビをつけた。通常であれば気象情報の終わりが流れている筈が岸田首相の記者会見が流れていたのでびっくり。何が起きたのかと見入ったが、特に事件ではなかった。首相が予て主張していた異次元の子育て政策を閣議決定しただけのこと。北のミサイルが領海にでも着弾したが慌てないで、とでも言うなら兎も角、そんなに慌てる必要がどこにあるか不明のまま30分観てしまった。

意味は分からぬが、これから約3年半かけて約10兆円規模のバラマキをするとの宣言。記者からの質問で「3年後の出生率目標はどこにおいてますか?」が一番訊きたいところだが、首相は答えなかった。当たり前だ、目標設定が出来る筈が無い。首相の頭には政権維持以外の事は何も無いのだろう。元首相安倍晋三氏がコロナ禍発生の際に意味不明の10兆円バラマキ政策を取った。同額だから自分にも許されると思っているに違いない、なんて勝手に想像できても、これで選挙対策になるのかがどうしても分からない。しかし今朝の天木直人氏(元外務官僚)のメルマガを読んで、<なるほど>と思ったので、引用したい。

ここから引用「岸田首相は、まだ解散総選挙をしたくないのだ。しかし、すでにさんざん報じられてきたように、立憲民主党が内閣不信任決議案を提出すれば解散せざるを得なくなる。だから立憲民主党を脅かして内閣不信任決議案を出せないようにする。そのための記者会見だったのだ。どうだ、立憲民主党。出せるものなら出してみろ。そう露骨に脅かされれば、さすがの立憲民主党も内閣不信任決議案を出せなくなる。 だからと言って、もし立憲が内閣不信任案を提出しなければ、野党第一党としての立憲は完全に地に落ちる。そして、このまま岸田政権が続けば続くほど、地に落ちた立憲からは離党者が続出し、立憲そのものが空中分解していく。」引用終わり

先に<なるほど>と書いたが納得したわけではない。一つの考え方ではあるだろう。政治政党のことに関してはあまり興味が無いが、出来もしないことを看板に掲げて国民を惑わすことは良くないし、税金のバラマキで自分の立場を良くする企みは、安倍氏も岸田氏も首相の座に据えてくれた国民に対する背信行為だ。

2023年6月13日火曜日

余計な世話だ

 今読みかけの本に面白いことが書いてあった。あるアメリカの経済学者が言ったそうだ。「日本には永遠に繁盛する産業が二つある。一つは英会話産業、も一つがダイエット関係産業。この二つは、市場で飽和状態になることがない。 ダイエット産業は効果があってもすぐリバウンドする故とは分かるような気もする。前者については知らなかったが、ウラル・アルタイ語族に属するハンデから、いくらやっても上達しないとのこと。日本語の起源が関係するとは驚きだ。

真偽不明のことは扨措き、個人的なことを言えば、中学生時代から6年間一生懸命取り組んだつもりだったが、外国人と会話できた機会は生涯を通じて合計1時間にも満たないだろう。学んで役に立ったのは大学入試だけだった。いまアメリカに行っても、まともに食事を注文できないと思う。今の若い人は英語取得に関してはもっと益しになってるように想像してるが、小生のように苦労する人も居るらしい。今朝の日経デジタルに関連記事が掲載されている。

一部だけ引用すると「岸田文雄首相が今後5年間で1兆円を投じる方針を明らかにしたリスキリングの中でも、ビジネスパーソンは特に「語学」に関心を持っているとのデータがある。」確かに英語塾にはディスカウントショップから高級専門店まで様々あって、産業として繁盛が伺える内容が書かれている。その上政府が主導するリスキリングの筆頭に「語学」が来るとすれば、転職を考えているビジネスマンにしてみれば、深刻な問題かもしれぬ。

リスキリングなんて言葉自体、意味不明、余計な世話だ。小生も4回勤務先を変更したが、転職を考えるに当たって、個人能力のブラッシュアップなんて考えてもみなかった。ましてやこんな場面で「語学」が飛び出す意味が分からない。岸田氏が政治家を辞めて、何処か別の企業に転職を考えたとしよう。国際的に活躍した割には英語が苦手と言っても、別にそれでも構わないだろう。日経の記事もよく読めば、英語塾利用者の大半が会社から海外勤務を命じられた人たちであることが伺える。

それでも英語を学びたい人が多いと言うのだから、不思議で仕方ない。最近は55歳を過ぎればどんな人でも長年勤務した会社に居づらくなるようだ。それで辞めるのも良いだろうが、間違っても学び直しなんかで人生を無駄にしないこと勧める。これまで培ったことだけで通用することがきっとある筈だ。

2023年6月12日月曜日

死亡者

 歳のせいもあり、今年は葬儀関係の仕事とは言えぬが、雑事が多い。今日も極めて近い親戚の葬儀関係でしなければならないことがある。この世に生を受けた以上、誰も避けられないことだ。親しかった友人も多く亡くなり、若い頃は遺族と一緒に葬儀を執り行ったりした。次いでは葬儀で弔辞を読んだりだ。それが最近では弔問はおろか弔電さえまとも打たなくなってしまった。あまり遠くない将来に来る自分はどのように見送られるか、少しばかり心配でもある。

個人的なことは措くとして、最近の報道で思うのが訃報の取り上げ方だ。事故や事件で命を絶たれた人を報道するのは仕方ないかもしれぬが、死者への配慮、敬意については考えてみることも必要だろう。何も国葬にしろなんて言うつもりもないが、他界した人を偲ぶ必要があれば、一定の時間が過ぎてからのほうが良いだろう。その意味で、月刊文藝春秋は、毎号巻末に「蓋棺録」なる頁がある。頁数も高々4頁だから取り上げる人物も精々5人くらいかな。しかし毎号必ず読んでいる。

この世は憂き世だから、多くの人は生きても死んでも中々浮かばれないだろうが、せめて他界した時くらいは、三途の川を無事渡るよう祈りたい。事故や事件と同列に置くわけにいかぬかもしれぬが、戦争による死亡者の扱いも問題だ。日本政府は昔から戦没者をみずく屍、くさむす屍としてぞんざいに扱っている。こんなことを歌い上げる国が他にあるだろうか?日本の天皇制を避難するつもりはないが、これは頂けない。政府官僚は市民軍人を問わず、死を厳粛に受け止めるべきではないか。

そもそも明治新政府は戊辰戦争の際、会津地方などでは戦死者を野ざらしにして片付けることを禁止したと聞いている。罪人を殺した後で首を晒す習慣の名残かもしれぬ。日本人の宗教心とも関わってくるかもしれぬ。子供時代に長野から3里ほど離れた松代町に自転車に乗ってよく遊び行った。中間地点に八幡原なる古戦場があって、小さな社が置かれていて、脇に土饅頭があって首塚と教えられていた。武田と上杉のいわゆる川中島合戦の名残だ。今にして思えば随分いい加減な話だと思うが、何れにしても戦いを美化することに他ならない。

ウクライナでもスーダンでも戦争が続いているが、戦いの現場で戦死者がどのように取り扱われているか知りたいが、報道が伝えるのは死亡者数だけだ。死人を怖がらない強い心も大事かもしれぬが、死者に対する礼儀のようなことも大事にしたい。

2023年6月11日日曜日

粗忽者

 昨日の夕方と言っても未だ4時少し前だったと思うが、またやってしまった。1月半ばに次いで路上での転倒だ。友人に言わせると年寄が気をつけなくてはいけないことが2つ、風邪と転倒とのこと。確かにその通りだろう。1月の時は整形外科の診察で肋骨にヒビが入ったことが判明して、全治するまで約1ヶ月掛かった。今回は胸の痛みは我慢できるかもしれぬが、右手の関節上下が少し腫れたり出血したりしている。帰宅してから絆創膏を貼るのに一苦労だった。

転倒した場所は自宅から池袋までの中間地点の大きな交差点、でも横断歩道上であり、左右の車が停止状態だったので助かった。公道に沿った舗道を直進してきて、直角に左折しようと思った瞬間、信号が青に変わったので待っていた人が一斉に歩き出した。遅れていけないと小走りに横断歩道に入ろうとしたのだろう。僅か10センチも無い縁石に躓いて転倒した次第。最近は出来るだけ走らずと気をつけていたつもりだが、無意識に縁石を越えようとしたのかもしれぬ。顔面は強打しなかったようだが、眼鏡は完全に吹っ飛んで壊れてしまった。

若い青年二人(多分高校生くらい)がすかさず手を差し伸べてくれて、信号が変わらないうちに引き起こして舗道に戻し、壊れた眼鏡も拾い集めてくれた。気が顛倒していたので名前も聞かず失礼したのが悔やまれる。早い夕飯をと出かけただけなので、時間はたっぷりあった。池袋の眼鏡屋までゆっくり歩き、店員が持ってきてくれたウェットティッシュで取り敢えず血を拭って、眼鏡の修理を依頼。

壊したフレームと同じものはすぐ持ってきてもらえたが、レンズが中々嵌らず1時間以上掛かってしまった。どうも古いレンズで厚さに問題があったらしい。大事に至らなかったのは不幸中の幸いだ。何れにせよ大いに反省して、今後益々慎重を期すようにしなければならない。

2023年6月10日土曜日

仏作って

 正直な所、最近政治への関心・興味が低くなっているので報道を丁寧に読んだりしなくなっている。今日のブログも的外れな意見になるかもしれない。延々5ヶ月近い国会だったが、印象に残っているのは新型コロナ感染症の指定が変わってインフルエンザ並みになったことぐらいだ。指定が変わってから6回目のワクチン接種案内が来た。未だ無料だと言うので受けることは受けたが、この通知どれ程の人に発送されたのだろうか?また今後はワクチン接種がどのように取り図られるか小生には不明だ。僻みで言えば、高齢故にワクチンの残物整理に利用されたのかもしれぬ。

国会末期なので駆け込みの法案が幾つかあるらしい。入管法の改正、性差別問題関連法の設定が代表のようだが、殆ど関係ないことなので詳しい内容は分からない。ただ漠然とした感じで言えば、両案とも随分投げやりで、いい加減に成立させているように見える。現在日本は人口減少に悩んでいるようにも見えるが、嘗ては海外に移民を大量送り出した時期もある。戦前は主にアメリカ特にハワや中国方面(満州)やフィリピンとか南洋の島々だろう。戦後は朝鮮は別として、南米のブラジルがその筆頭のように思う。移住を推進する際は一生懸命だったが、アフターケアには欠けて多くの問題を残した。

そのことは措いても、外国からの移民や難民の取り扱いに関して政府は昔も今も非常に冷たい。詳細は全くわからないが、今回の入館法改正が日本政府に人間味を復活させるようなものであれば結構だが、本質的な冷たさは残したままではないかと心配している。また人権問題と深い関わりを持つ性差別問題関連法設定もまた然りだ。これも個人的に関係が薄いので詳しい内容は分からない。日本でも古来から男性同士や女性同士が好きになったり、生活を共にする風習はあったようだ。

これを法的に認知する傾向は諸外国では既に相当進んでいるのを見て、日本も慌てて法整備に着手したらしい。しかし入管法と同じで仏を作ったつもりでも魂が入っていないので、どうしてもやっつけになる。自民党内にはそもそもそういった人たちの人権を認めたくない一派が厳然と存在するのだから仕方ない。人権と言えば日本で唯一人権を認められないご一家、天皇家の人権問題はどうなっているのだろう?天皇皇后両陛下は先日ご成婚30周年を迎えられたそうだ。愛子内親王も既に立派な成人。憲法改正は専ら自衛隊絡みで、皇位継承問題は蚊帳の外。他にも拉致被害者とか蚊帳の外に置かれてる問題が多すぎる。

2023年6月9日金曜日

季節雑感

 気象庁からの発表もあったが東京も昨日から本格的梅雨入りをした。今日から当分はぐずついた天気が続くだろうが嫌も応もない自然現象だ。1年12ヶ月の中に約1ヶ月前後今季節がある日本だが、時々現れる梅雨の晴れ間ほど美しい日もまた無いかもしれぬ。せめてそんな束の間を心待ちにしよう。

コロナ禍が大分収まったことを自覚する人が増えたたようで、マスクを外す人が増えている。

意味がよく分からないが、AIと言う言葉が大流行。閉口するのはNHKのニュースに「AIが収集したニュースを纏めて・・・」とコメントがあって画面いっぱいに文字が並び、時々行が入れ替わったりするが、とても目で追いきれない。編集者の意図が理解不能だ。AI研究は将棋や囲碁のプロ棋士に任せ、素人相手の放送では分かり易さを専らにしてほしい。

衣替えの季節だから仕方ないかもしれぬが、若い女性の間でロングスカートが流行る一方、肌の露出が流行ってるように思う。ジーンズのズボンを切り裂いたり、臍を出したり、肩や背中を出したり、それぞれに思い入れがあるだろうが、面白い。

頭髪が疎林から砂漠状態に変化しつつあるので外出時に帽子を被るのが状態化している。豊かな髪に恵まれている女子でも野球帽を被ってる子も多く見かける。最近は自転車に乗る人にヘルメットを着用する人が増えてきた。好ましい傾向の一つだろう。

梅雨が明ければ夏休みシーズン、国内外を旅する人が増えて賑やかさが増す。これが経済を活性化させて、景気が良くなれば結構なことだ。それにしても日本の株高、不思議に思う。所謂バブルらしいが、どこまで上がって弾けることやらだ。

世界的な話題になっているウクライナにあるドニエプル川の氾濫。日本最長の信濃川流域で育ったので、その長さや川幅を想像したいが連日のテレビ報道からはどうしても想像ができない。 カーニウ水力発電所675 km2と聞いても分からないが、ひょっとすると琵琶湖に匹敵するかもだ。

2023年6月8日木曜日

文明の儚さ

 日夜あちらこちらで利便性が追求されて、世の中がものすごいスピードで替わっていく。その変化についていくのは困難だ。明日何が起きようと不思議はない。物心ついてから既に70有余年、歩んできた周辺を思ってもその変化は余りに大きい。仏教では現世、即ち現在が史上最悪の時期と訓えるそうだが、なんとなく分かるような気がする。

そこで栄華を極めている現代文明ではなく、過去の文明について少し考えてみた。小学生の頃から世界の文明発祥の地は大河の流域、アフリカのナイル川、現在ではイラクあたりが中心らしいがメソポタミア平原のチグリス・ユーフラテス川、インドのインダス川、中国の黄河の流域がそれと教わったように記憶する。

古代文明は他に南米にもありそうだし、中国も揚子江流域だってなんて言ってるから先に上げた四地域に限ったことではないかもしれぬ。それは措いても人間は生き物だから水が必要であるのはほぼ間違い無さそうだ。しかし、この四大地域は現在殆どが砂漠化している。砂漠化の原因も、羊が草を食い尽くしてしまったとか諸説あって、はっきりしないが砂漠のなかに遺構が多く見いだせるのも事実。今週ウクライナの大河ドニエプル川に設置された大規模なダムが破壊されて巨大なダム湖が決壊。

下流地域の被害は勿論、ダム湖に依って維持されてきた利水が一気に崩壊するから、この水に頼ってきた人間が生き物としての存在を危うくされることになるだろう。そう考えると、古代文明の消滅も戦争が原因で、何らかの理由で水の供給が不可能になったと考える方が簡単だ。

日本では政府が音頭を取って生成AIの利用を検討すると言っている。利便性ばかりに目を奪われると碌なことにならないように思ったりするが、取り越し苦労かもしれぬ。

2023年6月7日水曜日

読後感「南無阿弥陀仏」柳宗悦著

 たかが342頁の岩波文庫、栞の代わりに書店のレシートが入っていたので日付を確認したら4月22日だった。元々遅読であるが、それにしても読破するのに時間が掛かってしまった。購入した理由もはっきりしないが、タイトルがいかにも宗教ぽくて興味が湧いたのだろう。だが著者に関しては何も知らず衝動的に買ってしまったことは確かだ。買った以上はと、読み終わって改めて味わいが深かったと思っている。

著者を改めて検索すると1889年生まれだから、両親の誕生前で、むしろ祖父母の年代の人だ。著者が2歳の時に亡くなった父は元海軍少将で爵位こそ無かったが、貴族院に在籍していた。その関係で著者は学習院に入学。1910年に高等科を卒業。学習院では優等生として知られており、卒業時には明治天皇から恩賜の銀時計を授与された。同年10月に東京帝国大学文学部に進学するが、動機は神学と宗教への関心とのこと。既に学習院中等科時代時代に武者小路実篤、志賀直哉らと知り合い交流し、同人文芸誌『白樺』の創刊を準備をし、1910年4月、『白樺』を創刊している。現代では考えられないような天才だと思う。

wikiから引用した著者の紹介だけでは読後感にならないので、読後感に移行したい。著者が本書第一の目的と書いている通り、南無阿弥陀仏の意味だ。阿弥陀仏とはお釈迦様と同意語とは知らなかった。南無は帰依するという意味だから、仏即ちお釈迦様に縋ることに他ならない。小生は毎朝観音様も念じているが、これもお釈迦様の化身のようだ。兎に角、仏様を念じさえすれば、仏様の方からこちらを救いに来てくださるそうだから、仏教徒に取ってこんなありがたい話は無いではないか。

南無阿弥陀仏を唱えるのは他力本願を願う浄土宗系の宗派だけかと思っていたが、そうではないらしい。我が家は曹洞宗で自力本願の系統のように思っていたが、これも間違いで、自力も他力も結局は同じ仏に救いを求めているとのこと。著者は東大文学部哲学科の出身、小生は慶応義塾の文学部哲学科出身。違うのは思考の深度、著者は海より深く、こちらは皿の深さの違いかもしれぬ。話が彼方此方するが、同じ浄土宗系でも著者が最も評価するのは、法然や親鸞でなくて最後に時宗を立ち上げた一遍上人。一遍上人は善人も悪人も南無阿弥陀仏の6文字を称えさえすれば他は何も要らぬ。として多くの信者を獲得したが、死ぬ間際に一切の書物を焼き捨て何も残さず旅立ったとのこと。感想を要約できぬほど中身の濃い読書だった。

2023年6月6日火曜日

公共放送?

 公共放送?

理解できぬこと、分からぬことが毎日増え続ける昨日今日。眼の前にパソコンがあるのでつい調べてしまう。漢和辞典と国語辞典と英和辞書があれば十分なのに、家に百科事典がある友人を羨んだ時代もあった。この時代の恨みを今果たすなんてことは意味が無い。止めなくてはと思いつつ今朝もやってしまった。「GPUてなんだ?」CPUもどこかで聞いたことがあるだけで正確には理解できていない。横文字3個の略語なんかNHKだけで十分だ、不必要なことに興味を持つことはいい加減にしよう。

なんて書きながらこれまた余計なことかもしれぬ。韓国の公共放送KBSはNHKと同じで、有料放送らしい。その料金徴収方法が電気料金に上乗せされている仕掛けのようだ。今朝のニュースに依ると、この制度が廃止されることになったとのこと。これ以上の詳報が無いので、流石に興味を惹かれた。徴収法を変更するのか、コマーシャル導入などで別に財源を求めるのか?韓国の政府や国民はそんなことはどうでもいいと思っているんかもしれぬ。

翻って日本を思えば、NHKは視聴者から聴取料を取った上に税金からも幾許かの支援がある。昔から家賃も要らなかっただろう。大相撲は殆ど独占状態だし数えあげれば相当な特権利権もあるだろう。NHK廃止を叫んだ政党もあったが、昨日はその党員の一人が外国から送還されて警視庁に逮捕されたので評判が悪すぎる。昔は広告屋だから、マスコミには縁が深い。マスコミと言えば新聞、放送、雑誌が基本。それぞれの栄枯盛衰があって、今はネットを別にすればテレビ放送が最右翼だろう。

個人的に言えば、現在最も視聴時間が長いのはNHKだと思う。持ってるチャンネル数が民放局に比べて圧倒的に多いこともある。しかし韓国のからの報道を契機に、考えてみることも必要かもしれない。「公共放送にどんな意味があるか?」これも全く個人的なことだが、もしNHK無かりせば毎朝視聴している海外の報道番組が観られなくなるだろう。これがチョット辛いので、韓国同様、聴取料の強制徴収を廃止することから始めて、徐々に自立させるのが良いかもしれぬ。友人や親戚には関係者も多いが、そんなことになれば、少し緊張するような事態になるかもしれぬ。

2023年6月5日月曜日

失敗の連続

 原因が何かは覚えていないが、朝っぱらから縁起でもない一番茶を淹れた湯呑をひっくり返して大慌て。昨夜は十分寝て慌てる必要は何も無い筈が、人生と言うものは中々思い通りにいかぬものだ。粗忽即ちオッチョコチョイに加えての不器用者である事も分かっている。眼の前に置かれた湯呑に片方の手を出しながら、もう片方の手でその奥に置かれていたティッシュに手を伸ばした可能性が高い。手が二つあるのでその程度は許されると思うが、小生はそれが出来ない。

ピアノは習ったことが無いが、いつもピアノの演奏を映像で観て感心してしまう。よくあんなにバラバラに左右の手の動きをコントロールできるものだ。並行して書かれている異なる譜面を瞬時に取り込んで、左右別々の手に命令を伝達できるなんてとても理解できない。宮本武蔵の剣術二刀流なんて神業だし、文武両道の神童という言葉も書いて字の通りだ。勉強と遊びが目の前にあれば、どうしても遊びたくなる気持ちを抑えきれない。きっと中枢神経の何処かに欠陥があるのだろう。

齢80を過ぎて今更悩んでも詮無いことだ。自分の取り柄を考えた。一つ事に専念できるので片付けと掃除が好きで得意かもしれぬ。湯呑をひっくり返してテーブルが置かれた居間と台所2部屋にかけて水浸しになったが、これを処理するのに要した時間は5分と掛からなかっただろう。両部屋とも畳敷きでなかったせいもある。最初手にした雑巾では処理しきれぬと見極めモップを持ち出して仕上げ、台布巾、雑巾、モップを洗い直して元の場所に収めた。さっぱりして、茶を淹れ直して改めてゆっくり飲んだ。

失敗とやり直しの繰り返し人生、ただこれだけのことで進歩が無いことを残念と思うも良し、ブログの種にするのも良しだ。

2023年6月4日日曜日

人生いろいろ

 先週娘(長女)から電話で「〇〇おばさんが8日に亡くなったが、おじさんの意向で主な親戚にも知らせず、本当の家族葬で送ってしまった。」実はこのご夫婦が小生の実質的なお仲人、亡くなったご夫人の姉が家内の母で未だ存命。流石におじさんも気になったのか、大分経ってから家内の弟宛に電話をしてきたらしい。義弟も流石に入院中の母(即ち亡くなられた夫人の実の姉)には話をしていないようだ。おじさんは小生の一回り上の辰年、即ち95歳、亡くなったおばさんは92歳とのこと。ここ数年コロナ禍の影響もあって、葬儀を家族葬で済ますケースが増えている。

前から親類の中でも際立って元気なおじさんだったが、奥さんに先立たれてショックは大きいことだろう。小生も知った以上は何もしないわけにいかない。娘と相談して取り敢えず香典だけは送ることにした。昨日また娘から電話があり、「おじさんから香典の礼の電話があった。流石に<本当は俺が先にいく予定だったが>と少し寂しそうではあったが、あまり変わりなさそうだった。」とのことで一安心。他にももう大分前に嫁に出ていた義理の妹が出産して、元気な子供が産まれたとの話もある。娘たちもこの従妹とはよく付き合っているが、出産前から健康管理一途だったらしいと感心していた。

他界する人、新たに生まれ出る赤ちゃん、先週は正に人生いろいろだった。他にも昨日、大昔ある放送局にに入社する際少しアドバイスらしきことをした小生からすれば青年だが、既に56歳から電話が来た。離職する決心をしたので、とのこと。小生は47歳で半ば喧嘩腰の離職だから。勿論異を唱えることはなく、心からハッピーリタイアを祝って少し長話をしてしまった。彼はもう亡くなった友人の長男で、長い付き合いだ。彼と会う時はいつも聞き役、就職時には少しアドバイスをしたかもしれぬが、社会人になってからは、こちらの経験を遥かに上回る経験をしている。

当然、離職に当たっても会社に迷惑をかけず、今後も友人知人との関係を大切にして、新しいステージに臨んでいくに違いない。引き換え、こちらのボケぶりは益々真に迫りつつある。アルツハイマーの初期症状を越して本格化してるのではと思うほど、物忘れが激しい。今朝冷蔵庫を開けて「しまった!」と思った。朝飯の定番「納豆」を3日おきに買うのを昨日忘れていたのだ。基本中の基本を忘れるとは何たることか、喝!

2023年6月3日土曜日

少子化対策

 この春社会人になった孫が二人いる。一人は大学と大学院を通して6年間AIを勉強した。その下になるがもう一人は商学部だったのでITとは無縁の学生生活だと思うが、何故かIT関連の企業に就職ができたのが不思議に思っている。勤まるのかどうか心配で、親(次女)に聞くと「ゲーム好きだったから良いじゃないの」と彼女は全く心配する気配もなく、意味を理解しがたい返事だった。

たしかに現代は少しパソコンを使いこなせれば、チャットナンタラと言ったAIとやらを活用してかなりのビジネスが可能になるかもしれぬ。また若いゲーマーからアメリカ国防省の秘密文書が流出してしまう世の中だ。これこそ異次元の世界の話と言うべきかもしれぬ。岸田首相が「異次元の少子化対策」と宣って、年間3兆円規模の予算を組むことを決めたが、こんなことは異次元であろう筈がない。昔ながらの無能な政治家の常套手段[バラマキ]に他ならない。

バラマキも己の懐から魔法使いのように出すならば拍手を送ろう。未だに財源について言を左右しているが、どんなにしようと国民負担の増大は避けられない。多くの人が指摘するように、産まれてくる子どもたちに負担を先送りしているだけのこと。これで問題が解決するなんて誰も信じる筈はあるまい。岸田首相以外の誰であれ、半世紀以上続いている少子化傾向、小生もその当事者の一人だが、要因は様々で解決は容易ではない。婚姻の高齢化と子育ての難しさは現代人の多くに共通することだと思う。

確かに子育てには費用も掛かるだろうが、毎月1万円程度のバラマキで解決するほど簡単なことではなかろう。人間誰しも、特に女性だと思うが、若い時好きな彼が出来て、結婚して彼の子供を産みたいと思う瞬間があるはず。その実現が困難な理由を見つけられぬ限り、この問題は永久に解決できぬと思う。柄にもなく巷にあふれる少子化問題を取り上げてしまったが、ポンコツGさんには堂々巡りだけで考えが及ばない。一つだけ思いついたのが現代人の時間の使い方。一昔前はテレビの視聴時間が問題化された時もあったが、現代は「スマホ」これを見つめる時間が長すぎるのも要因の一つだ。

2023年6月2日金曜日

一種の贅沢

 気象庁が東京の梅雨入りを宣言しても不思議がないような悪天候。何でも関東地方にも線状降水帯がかかっていて大雨の危険が迫っているとのこと。今日は家から出ることが出来ぬかもしれぬ。でも昼飯は抜いてもいいが、夕飯もという訳にはいかぬだろうから夕方には少しは出歩かなくてはならない。腹具合はごまかしが効かない、独居の面倒くさいところだ。独居老人の面倒くさいところは、何事につけ後片付けだ。

一人暮らしの人は多いと思う。次女の家族なんか4人全員が一人暮らしだ。皆朝飯なんかをどのようにしてるのだろう?娘も含め全員、基本的には勤め人。先日山からの帰りに娘に聞くと「私は食べないけれど、名古屋在住の次男は、朝は食べるにしてもフレーク状のチップに牛乳をかけるようなことで済ましているようだ。武蔵小杉在住の長男は、分からないが、ひょっとすれば食べていない可能性もある。と言うのは彼の場合殆ど毎日在宅勤務らしいので。」とのこと。旦那も次男と同じかもしれぬ。

レトロな朝飯にたっぷり時間を掛ける、小生のライフスタイルはある意味で一種の贅沢かもしれぬ。

話が替わる、今朝次女が先日の山歩きで撮った写真を送ってきてくれた。自分では写真を撮れなかったので大感激。キャプションが次のようになっていた。[アキラ83💓↓↓]






2023年6月1日木曜日

経年変化

 また月が替わっててしまった。カレンダーをめくると水無月と言うらしい。梅雨の季節に不似合いだと思って知らべたら、何のことはない。<水無月の「無」は、「の」にあたる連体助詞「な」であるため、「水の月」という意味になります。>国語の文法を知らないだけのポンコツ爺だ。

先月は結構歩いて、朝の時点で歩行数が31万歩に達していたので少しゆっくり休養するつもりで日比谷の映画館に行った。娘からは「ワイルド・スピード」を薦められていたが、時間的にもフィットしたし、タイトルがロマンチックだったので「メモリー」を鑑賞。アルツハイマー初期症状の殺し屋のアクション映画で面白かった。主演のリーアム・ニーソンも初めて知ったが、渋くて格好良かった。どうして邦画はこういった娯楽作品が出来ないのだろう?

晩年の高倉健なんかはリーアム・ニーソンに決して引けを取らない渋みが出てたと思うが、制作者は、その渋みだけに頼って何故かヤクザ映画全盛時の健さんを再現しようとしないかった。ちょっと勿体なかったとも思う。人間年老いれば少しキャラは変わるかしれないが、三つ子の魂と言うように本質的なところはあまり変化しないようにも思う。

何れにしても今月は「水の月」だから、体感的にはあまり良くないだろう。健康にも注意が必要だし、特に歯が気になっている。左上に3本の歯で2本を支えるブリッジがあるのだが、土台になっている1本がぐらつき始めてしまった。来週月曜日の検診日に抜歯を決断するしかないかもしれぬ。