2021年8月31日火曜日

両眼の位置

 先週土曜の恒例リモート懇談会に久しぶりで京都から参加した友人が、興味深い話題を提供してくれた。高校野球で準決勝まで勝ち進んだ京都国際高校の事だ。諸君に聞きたい「京都国際が勝ち進む度に聞かされるハングル語の校歌を聞いてどう思うかね?俺はどうもスッキリせず違和感が残る。」高校野球に全く興味が無いので知らなかったが、我が家の近くにもある朝鮮系か韓国系の高校らしい。

友人は確か学校経営をしていたから、こういった問題には敏感なのだろう。するとすぐ「俺は良いことだと思う。」と反応した友人が居た。彼は参加者の中で最も進んだ国際派、自身も海外経験が長く、3人の子供がそれぞれ異なる国に住み、配偶者全て外国人の筈。良いか悪いかではなく、現実を受け止めるべきと思うが、我が家に異人さんの孫やら曾孫が誕生するようなことは想像しにくいのも事実だ。でも冷静に考えると、友人にバイリンガルな孫を持つ人が増えている。

在京都の友人が続けた。「連日コロナ対策の報道が続く中で政治家の発言に碌なものが無いが、唯一大阪の吉村知事の発言だけは己のすべきことを明快にしているので分かりやすく、聞いていて気持ちが良い。」確かに大阪の対策が全てうまく行ったとは言い難いかもしれぬが、彼の発言は分かりやすいかもしれぬ。友人にしても政治的に維新の会を応援してる訳ではないらしい。お互いに80歳を超えてるので何を言っても許されるだろうが、たまには他人を褒めることも大切なことだと感心した。

首都圏ではどうしても永田町周辺や都庁周辺情報がマスコミの中心になってしまうので、惨憺たるものばかりだ。敢えて今日はこれを迂回して変わり種を取り上げる。先日寺田寅彦著「柿の種」を購入してきた。寺田氏の随筆は前から好きでよく読んだが、これは知らなかった。未だ読了に経っていないが、やはり非常に興味深い記述がある。例えば昭和4年11月に書かれた短文に「原子爆弾」と称する恐るべき利器によって・・・と書かれている。

寺田氏が読んだイギリスの小説「空中戦争」からの引用で、作家はハーバート・ウェルズとのこと。この作家は1866年生まれで1946年没、即ち明治維新前夜誕生の人だ。急に読んでみたくなってアマゾンで検索してみたがすぐには見つからない。ウェルズは所謂SF作家らしいので近く1冊求めてみようかと思っている。何れにして昔の人の知識欲は現代とだいぶ違うようだ。寺田氏は夏目漱石に師事したりしながら、俳句と連歌に相当のめり込みながら一方で科学を追求している。

沢山示唆的なことがあるが、両側に目玉が有る魚から見える世界はどんなか?考えてもみなかった。

2021年8月30日月曜日

同盟の危うさ

 日本のマスコミは「中国の脅威」をしきりに宣伝する。しかしその具体性を指摘する論評は少ない。強いて言えば尖閣諸島周辺における中国海警局艦艇が増強されていることくらいだ。そのためこの海域で漁をする沖縄漁民が迷惑しているらしい。だとすれば、鳥取県沖の竹島周辺海域にも似たような「韓国脅威」論が盛り上がって当然だと思うが、冬場の松葉蟹シーズンでも余り耳にしない。

併せてマスコミから聞こえてくるのは「米中対立の緊張高まる」。だから日本も緊張しなければいけないとの筋書きに乗った報道。台湾が中米双方にとって戦略的要衝だから、日本はこの地域、海域で事件が勃発することに備えなくてはならない。路線としては根本にこれがあり、ひいてはということで、南太平洋からインド洋に亘る広範な海域で価値観を共有する諸国と協力する訓練に明け暮れている。

米中がそれぞれ祖国防衛のために広い太平洋にそれぞれの防衛線を敷き、対策を積み上げてきたのは事実で、長い歴史がある。どちらに1日の長があるかは軍事評論家先生に聞かねば分からないが、現状はどちらも本土攻撃の報復が出来る可能性は有しているらしい。余談になるが、防衛線に関しては中国側の第1列島線と第2列島線がしきりに強調されるが、米軍の太平洋上防衛線は余り聞かない。日本列島は第2列島線の更に外側、大阪夏の陣の真田丸みたいものかもしれぬ。

こんな専門的なことは措くとして、素人の考えを言いたい。現在日本はアメリカの属国状態にあるので、アメリカと価値観を共有してることは間違いあるまい。だからアメリカに言われるまま、憲法も変えずに軍備を強化しアメリカの予備軍たるべく訓練を重ねている。しかし一主権国家として考えれば少しおかしいだろう。嘗てアメリカに占領されていたフィリピン以下だ。国政選挙での投票経験が少ない若い諸君には是非考えてもらいたい。

それは「同盟の危うさ」だ。日本は過去大きな戦争の度に外国と同盟した。初めは英国だった、これは1902年(明治35年)1月30日にロシア帝国の極東進出政策への対抗を目的として結ばれ、1921年(大正10年)のワシントン海軍軍縮会議の結果、調印された四カ国条約成立に伴って、1923年(大正12年)8月17日に失効した。となっている。

余談になるが、現役時代に外務省から仕事を得ようとコンペに参加した。生意気そうな担当者から「日本が日英同盟を廃棄した理由」を論文で提出せよとの宿題が出た。専門家の意見を聞くのが一番と、大学の先輩でもあった江藤淳氏に教えを請うて論文を提出したが、結果は落選してしまった。その次はヒットラー政権下のドイツ、ムッソリーニ政権下のイタリアと結んだ悪名高い三国同盟で、これが原因かは分からぬが、日本が大負けに負けたことだけはっきりしている。

そして現在結ばれているのが日米同盟だ。これが長年続いているからと言って今後も日本の安全保障になるとは限らぬだろう。

2021年8月29日日曜日

読後感「生物は何故死ぬのか」小林武彦著

 哲学者が書きそうなタイトルだが、著者は東大定量生命科学研究所教授の正真正銘科学者、しかも遺伝子に関する専門家なので内容的には非常に難しい。正直なところ1割理解出来たかどうかも怪しい。内容的に難しいところが多いので逆に早く読み終えたとも言える。

講談社現代新書なので編集者の力量もあるのだろう、構成がシンプルで読みやすかったとも言える。概略を示すと、第1章<地球の起源から始まり生物は何故誕生したのかを説明>。第2章<地球上に誕生した生物には多くの絶滅種があることを解説>。第3章<生物の死に方に色々あることを説明>。第4章<では人はどのように死ぬかについて説明に入る>。そして最終章の第5章で<本論の生物は何故死ぬのかに入り、『死はヒトだけの感覚』としている>。

天文学的なところから話は始まるが、生物学者だけに途中至る所に今流行のDNAだとかRNAを始め、専門的な言葉が出てくる。しかも理解を助けるために丁寧なイラスト付きである。しかし残念ながらそれでも理解が出ないし、専門的な単語は全て記憶に残らない。敢えて一つだけ理解出来たかと思うのは、生物の元素或いは、ウィルスがそうであるかは分からないが、大本は非常に小さなものだったらしいことだ。

考えてみれば当たり前で、地球がドロドロの高熱状態にあった時代に人間の姿に似た神様が現れる筈がない。気が遠くなるような時を経て視認出来るような生物が誕生したのだろうが、その進化のプロセスは大分解明が進んでるようだ。そこで大事なことは世代間で引き継がれたこと、断絶してしまったこと様々あるだろうが、これが<多様性>と言う言葉に集約されているように思った。

更に分からないなりに納得したことを記したい。人間の身体の細胞について。本書では細胞の数は約24兆と書いてあったような気がするが、wikiを見れば30兆とも60兆なんて記述もある。その細胞は常に新旧の交代が行われているとのこと。但し、そのスピードは場所によって異なり、皮膚が4週間、血液が4ヵ月、骨が4年と書いてある。従って4年経てば人は完全に別人になるとも言える。

しかし、心臓を動かす心筋細胞は生まれてから太く大きくなることはあっても、数は増えないとのこと。また、脳や脊髄中枢として全身に信号を送る神経細胞は幼少期が一番多く、その後は減る一方とのこと。即ち心<心臓と脳>は生涯変わらないそうだ。こんな記述は眉に唾をつけたくなるが、DNAのコピーミスの話もそうだが、性による多様性の獲得である。即ち人は性の交配により多様性を獲得し、その結果死ぬように設計されている。だから子供の方が親より優秀と言うことになるらしい。

自分に都合の良いように読んでいく分には面白いとも言える。

2021年8月28日土曜日

救い難き現状

 今日は次女の長男、即ち初孫の23回目の誕生日。次女宅は4人家族だが、普段は次女と次男の二人暮らし。旦那は仙台に単身赴任で長男は大学の関係で普段は筑波のアパートで一人暮らし。昨夜は久しぶりに家族が全員揃って酒盛りでもしてるだろうと想像していたが、7時過ぎになってふと気になって電話を入れた。どうやら酒盛りは終わって、次女以外全員酔いつぶれていたらしい。電話をしたのはワクチン接種問題が気になったからだ。

次女が2回めを打ち終わったことは知っていた。ご亭主も同じ50代だし、勤務先も中小企業大学とか言う一種の教育機関だから、とっくに済ませている筈で、問題は20代の二人の孫だけ。両親が接種済みなら心配無いだろうと思いつつ念の為のつもりだった。ところが、返事を聞いて驚いた。先ず旦那が住民票を仙台に移さずに世田谷区に置いたままのため未摂取とのこと。長男は1回目の接種が終わって30日に2回目の摂取予定とのこと。

次男は今日が1回目の接種予定日で、会場まで行ったがモデルナの異異物混入事件の影響で、接種が叶わなかったとのこと。要約すれば、次女宅の2回接種済みは25%、で1回接種済みが50%で、その上モデルナの騒動にまで巻き込まれているから、世相をそのまま反映してるとも言える。最近テレビでは、元サッカー日本代表の内田某氏が出演するCMが頻繁に放送されて、国民にワクチン接種を薦めている。

広告屋の出身なので政府の広報活動に余り文句は言いたくないが、広告より大切なことは、より多くの人が迅速に接種を受けられるような仕組みを構築することにあるだろう。まして昨日都が渋谷に設置したとされる予約無しで接種可能な会場の混乱。この報道を受けて小池都知事の放った一言「若い方々がワクチン接種を希望していることを知って・・・・・」余りにも市民を馬鹿にしすぎている。もし現場にいたら本当に彼女めがけて靴を投げたかもしれない。

コロナデルタ株は今や全国に拡散して新規感染者が増えつつある。感染拡大の原因追求も無ければ、感染者、即ち患者救済の手段についても何等新しい考えは出てこない。当然の結果として日に日に重症者と死亡者が増え続けている。しかし政府関係者はとっくの昔にコロナ禍は忘れて、来たるべき次の総選挙のことにしか考えが及ばないようだ。市民はこの政権を倒すためにどう戦うかを考えたほうが良い。

2021年8月27日金曜日

中進国日本

 毎週土曜日に行っている高校同期生のリモート懇談会で、最近頻繁に話題となるのが日本国力の低下問題。小生以外は現役時代に日本を代表する企業に勤務し、国の内外を駆け巡って来た経験を持つ人ばかりなので、後輩たちの不甲斐なさを嘆ずる思いは分かるような気がする。

似た内容が、愛読している今日のブログにも取り上げられていたので紹介したい。曰く、「敗戦後は器用な手先と小回りの利く考えを生かして、アメリカ製品を模倣して技術力を身に付ける事で、世界の技術国と認知されるに至った。しかし現在では、日本が後進国とバカにしていた中国・韓国・台湾に技術面では追い抜かれている。」著者の了承も得ず敢えて引用させて頂いたが、詳細は下記を参照されたい。

https://nono634.blog.fc2.com/blog-entry-5289.html

著者はお会いしたことは無いが、ほぼ同年輩のシステムエンジニア。似たような考えになるのも無理はない。

暑さにかまけてブログを書く気力がないので、もう一つ新聞記事を紹介して今日は終わりにしたい。今朝の朝日新聞デジタルである。タイトルは『「タリバンの検問突破し空港へ 韓国「ミラクルバス作戦」』日本のマスコミは自民党総裁選に大きなスペースを割いていますが、どれも読むに値しない、馬鹿と阿呆の騙し合い。遥かに有益な下記を願いたい。

https://digital.asahi.com/articles/ASP8V75LHP8VUHBI01H.html?ref=mor_mail_topix3_6

2021年8月26日木曜日

混乱

 未だ午前10時前、相変わらず残暑が厳しいが、今朝早く空を見るとうろこ雲が並んで完全な秋空だった。年寄りが空を仰いで季節の移り変わりを感じるのは当然だろうが、こちらほど年はいっていない首相閣下が「先の明かりが見えてきた。」と国民に語りかけたのを知って驚いてしまった。首相は科学的には「認知バイアス」と言われ、認知症ではないが、物事を自分にとって都合のいい方向に考えやすい傾向があることは聞いていたが、改めて納得してしまった。

何れにしても選挙で選ばれた人ではないので、遠からず国民が審判を下すことになるのだろうが、まさか再選されることはないだろうと期待する一方で、次なる登場者を考えると些か気分が落ち込んでしまう。しかし、衆議院に於いて自公に圧倒的多数を与えたのは他ならぬ日本国民だから、仕方ないと諦めるしかない。年内には巡りくる次回衆議院選挙の投票先をゆっくり考えるしかない。今週月曜日のブログで「政権末期」と書いたばかりだから今更何を言っても詮無いが、それにしても酷すぎると思うのが外務省と防衛省(自衛隊)の有様。

歴史的に犬猿の間柄とされる両省だが、これほど酷いと思い知らされたのが今回のアフガンへの対応。自民党参議院議員に佐藤正久氏が居て、しょっちゅうテレビ出演をするが、その度外務省の副大臣とか何とか紹介されるので、てっきり風通しが少しは良くなったのかと勘違いしていた。これがとんでもない大きな勘違いだった。寄り道になるが、氏が自衛隊内からどれほど信任され支持されているかもかなり疑わしく思い始めている。

タリバンに依るカブール占領騒ぎの最中に外務大臣が国外をウロウロしてたことは既に書いたが、カブール大使館の撤収はひょっとすれば防衛省への連絡もそこそこに英国軍への依頼をしたのだろうか?邦人やこれまで協力してもらった現地スタッフを見捨てる早業は日本のお家芸そのものだった。兎も角今週に入ってから、両省とも、このご時世でそれは何でもまずかろうとなるのは当たり前だ。ところが、これまた連絡の悪さ故だろうが、防衛省が救援機派遣を発表してしまった。

外務省は慌てだろう。カブールに大使館は無いのだからタリバンとの折衝はおろか情報すら殆ど無かったに違いない。しかし大臣がテレビの前で会見までしてしまった。小生は米軍からの要請これありかも、なんて書いたが、いくらアメリカが慌てていても日本植民地兵の救援なんて足手まといが増えるだけで何の足しにもならなかったのだろう。来たけりゃ空港への着陸は許可してやるよ、程度だったのだろう。結果はこの週末までにははっきりするだろう。空港を管理している米軍は、最終期限の48時間前までには最後の撤収部隊を除いて空港を空にする予定のようだ。

因みに、韓国は昨日「韓国政府に協力していた現地スタッフとその家族約380人が、26日に仁川国際空港に到着する予定だ」と発表した。

2021年8月25日水曜日

中途半端でごめん

自分のことは自分が一番知ってるつもりでいても、実際には全然分かっていないのが普通だろう。体力的なこと、知的なこと全て人並みなんて思っているが、とんでもない勘違い。体力に関しては、先月故郷長野の飯縄山登山で嫌というほど思い知らされた。既に1ヶ月以上経過したので、帰宅後暫く残っていたふくら脛のしこりは取れてはいるが、歩行の遅さは如何ともし難い。体力については何かの拍子に自覚も出来るが、知的なことはもっと分かり難い。

時折ブログを読み返してみても、文章だけから知的な老化現象を察することは難しい。思い違い、記憶違い、言い間違い等には時折気がついても、誰にでもあることだろうとやり過ごしてしまう。昨日は親しい友人と話していてふと思っった。彼は若い頃からの付き合いで、何かと世話になってきたが、昨日も頼み事をして快く引き受けてくれた。序に色々アドバイスを貰ったりしたが、自分がもう少し若ければ、彼に頼む前に自分に出来たことがあったのでは、なんて思ったりして、これも一種の老化現象と思った次第。

いっとき1日の歩行数目標を1万歩にしていたが、先月から目標を1日7千歩に落としている。毎日動き回る距離は6キロから7キロくらい。しかし昨日は友人の車で移動していたので4キロくらいしか歩けていない。歩数計ではちょうど7千歩だった。階段の上り下りが片道100段くらいになるだろうか。少し前を思い出すと情けなくなるが、それでも動けなくなるより益しと思うようにしている。暑さも中途半端で鬱陶しいが、兎も角頑張らなきゃならない独居生活だ。 

実は先ほど池袋から歩いて帰宅した。14時台の都会の照り返しはきつい。昼食を共にした友人と話し合ったことは「互いに健康第一」だ酷暑の中をうろつくのは健康的ではないかもしれぬ。兎も角すぐにシャワーを浴びたが汗は簡単に引いてはくれない。幸い誰もいないので半身裸で缶ビールを飲みながらこの段落を書き足している。玄関を入る前に郵便受けを確認すると、家内の戒名を貰った東京のお寺から秋のお彼岸の通知が来ていた。ボートしていても時だけは確実に進んでいる。即ち老化だけは止まらないことに他ならない。

2021年8月24日火曜日

分からないことだらけ

 先週俳優の千葉真一さんがコロナで亡くなった。1歳年上であるがほぼ同世代。尚ワクチン接種を受けてなかったとの違いはあっても緊張感を感じざるを得ない。最近はコロナ関係の医療崩壊が進み、東京に限らず亡くなる人が増えている。年をとっているので病気は何でも怖いが、コロナのいやらしいところは、人によっては感染したら最後、簡単に落命する危険性をもっていることだ。勿論簡単に回復する人もいることは知っているが、その幸運に恵まれる保証がどこにあるか分からない。

当初か数えれば1万5千人、今年だけでも1万人の死亡者も、人によってはそんなに大きな数字ではないとも言う。それでも恐怖感は同じで用心するに如くはない。今や感染すれば入院できない可能性のほうが遥かに高いのだから。政府要人の杉田副官房長官様は発熱しただけで即入院、PCR検査結果は陰性だったそうだが暫く入院加療を続けられるとのこと。医療が逼迫してても、平民の我々と上級国民には扱いの違いがあるのは当然かと僻みたくなる。

先のオリンピックでは、組織委員会によって医療関係者が7千人動員されたそうだ。と言うことは医療の余力は未だあるかとも思えるが、一方ではオリンピックなんて1度も観る暇がなかったと告白してる医師もいる。報道がありすぎると実態が却って見え難くなる。かと思えば小生も接種したワクチンに関して今朝こんな情報があった。「アメリカで今頃になってファイザー社のワクチンが正式に承認された。」我が目を疑ったがどうも本当らしい。

日本自衛隊の大型輸送機3機が今日からアフガン首都カブールの国際空港に向け出発とのニュース。これも耳を疑いたくなったが現実の模様。関係者の脱出に懸命な努力を続けているアメリカが、少しでも輸送機のキャパを増やすための要請かとも思うが、それらしい情報はどこにも無い。もし日本政府の独断とすれば、いかなる情報に基づいて、どのような判断をしたのか、是非教えてもらいたい。

せめて救出する目標人数、邦人何名、現地スタッフと家族何名くらいは。作戦期間と同行する邦人救出の専門部隊と言うのはもう少し具体的に言っってもらわないと分からないが、英語以外の外国語が分かる隊員がいるとも思えないし、空港から外には出られないだろう。救出する人が既に空港で待機してる確かな情報があったのだろうか?

2021年8月23日月曜日

政権末期

 昨夜テレビで何を観てたか忘れてしまったが、8時になった瞬間に横浜市長選速報が流れて「山中竹春氏(48)(立民推薦)当選」を観た時には思わず手を叩いてしまった。土曜夜のリモート懇談で横浜在住の友人が「明日投票に行くが、我が家には子供夫婦と孫までいるので5票全部山中氏に入れてくる。」と話していたので、結構人気がありそうだなと思っていたが、まさか開票と同時に当選確実が速報になるとは思っていなかった。

山中氏がどんな人か全く知らないが、今朝の報道では医師という経歴の問題や業者に対するパワハラ等があって、就任早々から市政運営への不安要素があるようだ。そういった不安は山ほどある東京都知事でさえ務まっているのだから何とかなるだろう。なんて思いつつ、菅氏が地元で敗北した事実の重みが重要だ。菅氏は相当追い詰められているだろうし、自民党のお歴々達も、ここでどう振る舞うべきか悩んでることだろう。現政権崩壊のきっかけになること願おう。

国外に目を向けると、最大の関心はアフガン問題。言うまでもなくアメリカの身勝手な政策がアフガンだけに留まらず全世界に悪影響を及ぼしている。可哀想に日本はその筆頭だろう。外務大臣がアメリカ国務省との連携に関して如何なる指示を下令していたか知る由もないが、8月10日の外務省のホームページには「8月15日から24日まで、エジプト・アラブ共和国、パレスチナ自治区、イスラエル国、ヨルダン・ハシェミット王国、トルコ共和国、イラン・イスラム共和国、カタール国を訪問する予定です。」となっていた。

ところが15日のタリバン、カブールの制圧の知らせをどこで聞いたか分からないが、21日の報道に依ると「事前に日程公表せず 茂木外相イラク訪問 サレハ大統領らと会談」となった。その間政府からはアフガンの日本大使館がどんな状況になっているかは全く公表されていない。それが今日になってやっとご承知の通り「現地に残る邦人の退避に自衛隊機を使う検討に入った。」との報道。これを報道しているジャーナリストの諸氏も良く普通の感覚で居られるものと感心せざるを得ない。

英国BBCの特派員と比較しては可哀想だが、BBCは少なくとも複数の特派員とスタッフを予め現地に送り、中でも男性リポーターの一人は現地人と同じように髭を伸ばして民族衣装をまとい、大分前から果敢にタリバン幹部と接触を続けている。昨日の報道によれば日本大使館員はイスタンブールに臨時大使館とあるから、日本人職員だけは現地スタッフを置き去りにして、他国の軍用機で脱出ができたのだろう。これって誰も恥ずかしいとは思わないのだろうか?

首相が首相だから仕方ないでは済まない閣僚のご粗末、政権が腐りきってるとしか言いようがない。

2021年8月22日日曜日

読後感「けものたちは故郷を目指す」安部公房著

 これまで安倍氏の小説を読んだことがなかったが、次女が「お父さん安部公房の小説て読んだことある?面白いよ。」と言われ、小説のタイトルまで聞かなかったが、悔しいので書店で適当に選んで読んでみた。昭和32年に発表された小説だが、確かに面白かった。前回読んだ堀田善衛氏の小説もそうだったが、先の大戦で日本が負けた後の大陸における日本人の生き様と関係していたが、本書にも共通するところがある。

但し、前者は上海と言う大都市、今回は満州の奥地、しかも興安嶺山脈?の西側極寒の地から始まる。時は終戦の約2年後くらいか。主人公はそこに取り残されたいる日本人の少年(年齢不詳)、当初はロシア兵の中で暮らしている。そしてある日、南方面への鉄道が出るというところから話が始まる。堀田氏の「上海にて」も同じだが、終戦から2年間ぐらいの大陸の混乱について、現代日本人は殆ど理解できていない。

現代のアフガンと同じだと思うが、様々な勢力が混在している。ロシアの軍隊、八路軍と言われた共産党軍、蒋介石の国民政府軍、蒙古軍等である。ただ一つ日本軍の姿だけは見えなくなっている。その代わりと言うのも変だが、日本人の民間人が曖昧な形で大陸の各地に置き去りにさらされていたのだろう。周りの勢力は全て武器を持つ軍隊だ。

その尋常でない状況の中を、未成年の主人公が艱難苦労をして日本海沿岸にたどり着き日本船に乗り込むまでの冒険談とも言える。面白いと書いたが、先ず背景になっている舞台を想像するのに手間がかかる。最初は汽車に乗り込むことが出来たが、汽車はすぐに転覆、旅の大半は徒歩、途中でたまに出会う民間人は全員が追い剥ぎか強盗と思えば間違いない。主人公を取り巻いて登場する人物にある偽名を名乗る不思議な人間が登場する。旧日本軍の軍人だったかスパイだったか得体のしれない男だ。主人公の少年はこの男と協力しながら故国を目指すが、途中ではぐれて一人になってしまう。

しかし同行していた男から吸収した生命力を振り絞り、独力で日本海沿岸に辿り着き、日本船に乗り込むことが出来た。そこで少年が目にした故郷に、何があったかがお楽しみなので、これ以上は書かないことにしたい。アフガン混乱の報道が増える中、似たような戦後ソ連と国境を接した地帯での混乱時に何が起きたか、嘗ての日本が大陸で何をしたか考えるには格好の読み物だった。

2021年8月21日土曜日

冗談だろう

毎日発表されるコロナの新規陽性者数、全国規模で見れば一時はゼロの県もあったが、もうそれは無くなり感染が全国に蔓延して1日で2万5千人を超している。この数字が示すのは概ね2週間前の数字とのことだから、もう暫くはこの傾向が続くだろう。当然ながら医療は逼迫、政府の官房長官は何を思ったか、約束通りコロナ病床の準備をしない病院を調査して締め上げるようなこと言い始めた。自らなすべきことをせず、他人のミスを咎めるなんて最低だ。

最低の政府だから世論調査の内閣支持率は釣瓶落とし。与党内に自浄作用が起きるかと思いきや、少なくとも倒閣の動きは見られない。聞こえてくるのは党内の怪しい動き、来月に迫った総裁選への様々な動き。誰を見ても、内閣支持率は下がってるが、政党支持率は下がっていないから、俺が或いは私がその甘い蜜を吸うのだとばかり蠢いている。その醜態は見てるだけで反吐が出そうだ。国会が野党はコロナ対応などを理由に、会期の大幅な延長を求めたが、与党は取り合わずに閉幕したのは6月16日のこと、既に2ヶ月以上になる。

当日の朝日新聞は社説で次のように述べている。『首相は自民党が野党だった2011年5月、東日本大震災を受け「国会を閉じるなどとんでもない」とブログに記した。当時は菅直人首相に会期延長を求める運動の先頭に立っていたのに、ご都合主義が過ぎる。』菅氏がブログを書いていたとは驚きだ。何れにせよ政府与党は国民の意向を一顧だにすることなく、オリンピックを強行し、コロナ対策を放棄してることだけは間違いない。更に来週パラリンピック開幕と来ている。

その中で、自民党総裁選日程が決定され、来月末の投票に向け政治が動き出すなんて悪い冗談にしか思えない。総裁選に真っ先に名乗りを上げたのが高市早苗氏、知る人も多いだろうが知らな人も多いだろう。他には昨年の総裁選に敗れた岸田文雄前政調会長や石破茂元幹事長、下村博文政調会長や野田聖子幹事長代行、河野太郎規制改革担当相、茂木敏充外相の名前が取り沙汰されてるらしい。少なくとも一昨日まであった菅首相の気味悪い笑顔が描かれたポスターが無くなり、同じ場所に茂木敏充氏が薄笑いしているポスターに代わっていた。

名前を取り沙汰された諸氏には共通するところがある。 他人と話してる時、他人の問いかけにまともに答えず、ひたすら自説の正しさを強調することだ。与党高官に共通かもしれぬが、、説得は相手の話を理解することに始まることがまるで分かっていない。誰が首相になろうと国民の声は届かない訳だ。

2021年8月20日金曜日

記憶と反省

 22歳で大学を卒業して社会に出るまで日記なんか書いたことはなかった。ところが会社に行くと、いきなり一冊のノートを渡されて、毎日業務日記を書くよう命じられた。当時はのどかな時代で、業務なんて新聞のスックラップ程度のこと。書くことがなくて困ったが、それでもお給金を頂戴する以上はと、頭をひねった気がする。この会社の勤務は25年に及んだので、毎日仕事の区切りに何か書くことが習慣になった。ノートもかなりな量になったが、数年前に捨ててしまった。今思うと少し残念でもある。

その後サラリーマンとして会社を4回代わり、後に起業して自前の会社を持ったが、それでもその習慣は変わらなかったと思う。記録が残っていないのはやはり残念だ。その延長にあるのがこのブログと言える。2009年4月以来だから既に12年目になるが、サラリーマン時代からの延長だから苦にならないし、良い暇つぶしでもある。更にこれには前座があって、ブログを開始する前にmixiと言うSNSで2005年の4月から日記を書いているので、日記は16年に及ぶとも言える。

言いたいことは表題の通り過去の検証だ。昨日ネットでアフガンと日本の関わりを解説するYouTubeを観ていて思った。解説していたジャーナリスト半田滋氏も言っていた通り、日本は何事についても検証する姿勢が無さすぎる。この指摘は何も半田氏には限らない。他にも多くのフリージャーナリストが指摘している。我々は殆ど無感覚になってるが、市民が正当な権利として政府に資料請求した場合、政府側は提示することを拒む権利があって当たり前のように墨で塗りつぶした物を出して平然としている。

スリランカ人女性ウィシュマさんが名古屋入管で死んだ事件で、開示された関連行政文書は段ボール箱3個分、1万5千枚にのぼった。しかし、そのほぼすべてが真っ黒に塗りつぶされていた。も典型だろう。政府には過去の事件を検証する気は全く無い事がよく分かる。これは随分大きな問題で、特に今度のオリンピックが国民の6割以上が反対する中で強行されたのは何故か、結果として何が齎されたのか。なんてことは当然第3者の目で検証されて然るべきだと指摘する声も多い。もちろん大賛成だ。

もっと根本に立ち返れば、先の大戦でさえ、76年を経た現在に至るも原因と終戦に至る道筋を真面目に検証していない。8月15日の慰霊式典で政府高官は尤もらしい式辞を述べていても、反省のかけらもないのが明らかだ。極めて残念と言わざるを得ない。

参照:https://www.youtube.com/watch?v=bcT5Bwz5oWo&list=PLtvuS8Y1umY_--IrQAqPdYNjqpMZ9EAyd


2021年8月19日木曜日

基本動作

 昨日は時の流れについて書いた。立ち止まったつもりで昨年からの地球上の変化を思う時、世相を見ても自身の身辺を見ても、時の流れに沿って変わりつつある変化には眼を見張るものがある。これが自然と言えるかどうかは分からないし、これからの世の中については全く読める筈もない。昔の人が一定の年齢に達すると世を儚んだ気持ちも少し分かるような気がする。疫病は種類こそ違うかも知らぬが昔からあったことだろう。武士でなくても、明日死ぬかもしれないとの覚悟を誰もが迫られた筈だ。

平凡な年寄りにそんな高尚な覚悟は期待すべくもないが、毎日駄文を公表している関係上、毎日何回かは己のことや関係ある親族友人たちのことを思ったりする。年齢も平均寿命を越したので、故人になった人と生存中の人の割合が半々に近づいてきたような気もする。多くの年寄たちがどんな暮らしを楽しんでいるか知りたいところだが、他にすることも無いのでそんな空想を楽しみにせざるを得ないのかもしれぬ。もう一つの楽しみは日本のコロナ禍が早く収束することだが、これがなかなか上手くいかない。

今日のテレビで、遂にあるお医者さんが「自宅で亡くなる人に加えて路上で亡くなる人が増える可能性がある。」なんて言い始めた。きっと先の大戦末期、東京に住んでいたお年寄りも同じ思いだったのではなかろうか。日本唯一のクオリティーペーパーと信じている日刊ゲンダイは『菅首相に9.7退陣説…「緊急事態宣言」延長で解散できず“再選戦略”も吹き飛ぶ』なんて特筆大書してるが、さもありなんと思うし、是非そうあってほしいものだ。

コロナ対策に関して政策の間違いは多々あるだろうが、基本が全く間違ってると思う。闘うべき相手のウイルスの生態や存在を無視して如何なる対策を立ててきたのか?専門家にも責任があるだろうが、当初はクラスター対策なんてことをしきりに強調してた。しかし当初からウィルスの専門家たちは手強い相手であることから、小手先の対策が通用しないことを警告し、検査数を圧倒的に増やすことを基本とすべきと主張していたはずだ。

日本の検査不足は当初から海外を含めて指摘されていたんも関わらず、未だに解消していない。海外の事例ははっきりしないが、少なくともPCR検査を無料化、或いは公費負担を大幅に拡大している国は少なくないと思う。日本では今に至るまでかなり高額のはずだ。今年になると思いついたようにワクチンで大騒ぎして、こっちは全額国費と決めて鬼の首を取ったような顔をしている。全くやることなすことに順番もヘチマもあったものじゃない。

何をするにも物事には基本が大切で、基本動作が出来ないのに上手のマネをすると大怪我をするだけであるのは当たり前のことだ。

2021年8月18日水曜日

時の流れ

 子供の頃、祖母から言われたことに「呼ばれたら、すぐ動けなくても、直ぐに大きな声で必ず返事をしなさい。」があって、今でも身についている気がする。不幸なことに今では、家の中どこに居ようと呼んでくれる人物が居ない。代わりになっているのは玄関先のチャイム、電話の呼び鈴、メールの着信音くらいのものだ。普段居場所が固定しているので、それらに対しては迅速に対応する。友人たちから、その速さをからかわれるほどだ。

ところが、こちらから連絡しようとする際、特にメールの場合返信を貰うまで結構時間がかかることがある。連絡した先がこちらほど暇でない人も当然いるので、数時間待つのは苦にならないが数日となると気になって仕方ない。このスピード感の要求は現代社会に潜む一種のストレスだ。大学生頃までは両親とのやり取りの基本は全て郵便、ハガキであったり手紙だった。我が家は電報で「カネオクレ」なんて言っても受け付けてもらえないことは先刻承知だから、電報を打った記憶は無い。80年以上の歳月を生きてきて、何を今更あくせくするのか、反省するこの頃だ。

話は変わるがアフガンの件、テレビは今朝からタリバン政権の記者会見の模様ばかりを報道している。タリバン政権は記者会見を開いて、こう発表したのだ。「うろたえるな、落ち着け、恐れるな。タリバン政権は20年前と違う。逃げ出したければ逃げ出せ 安全に逃がしてやる。人権も女性も守る。」タリバン政権を承認しないことを公言し始めてる欧米に対し先手を打ってけん制してるようだ。

TBS「ひるおび」に出演している八代英輝氏なんておじさんも随分強気な発言をしてタリバン政権の実現を否定して非難していた。しかし一番慌て、困惑したのは、アフガンを破壊したあげく投げ出した米国で、イギリスなんかと比べると大分趣が異なり、ホワイトハウス報道官サリバン氏は、すかさず記者会見で「時間をかけて見守るしかない。」と語った。日本の菅首相は非常事態延長の記者会見で、ウォール・ストリート・ジャーナル記者から突然アフガン問題への対応を問われた。答えて曰く、「アメリカと緊密な連携を取りながら事態の推移を見守ってる」といつものパターンだけで、大使館員脱出に関しては明言を避け、「タリバンの首都カブール」と訳の分からない発言をして訂正もせず平気だったことには笑ってしまった。


2021年8月17日火曜日

女性問題

 盆の間に色々なことを考えた。盆の中日15日は日本にとっては屈辱の敗戦決定日だが、政府行事の報道を見てても敗戦に至る反省は全く伺うことはせず、ただ宗教的に犠牲者を弔う形ばかりだ。これでは犠牲者は浮かばれないだろう。そこにアフガンの政権転覆が重なった。これも日本のマスコミは天気予報を大きく報道するばかりで、大きく扱わない。安全保障問題は日頃から重大問題と言っている政府関係者や識者からはアフガン問題に関して一言聞かせて欲しいが、まるで対岸の火事のようだ。

年寄としてはこれらの世相から女性問題に考えが及んだ。それもイスラム社会の女性問題なんか日本人には関係無いとばかり、社会問題でなく極めて矮小化された日本人としての個人的な問題だ。現代日本ではお妾さんなる存在は法律上認められていない。実は最近他界した極めて親しかった友人に複数のお妾さんが居て、相続を巡っていざこざが発生している。イスラム世界だったかどうか忘れたが、どこかの国では一夫多妻制公式に認められてる国もあった筈だ。日本が認めなくなったのはいつからの事だろうか?

調べるのも面倒なので調べもせず書き続ける。少なくとも明治時代の日本建設の偉人、立役者とされ、最近テレビドラマ化までされた渋沢栄一翁は数え切れぬほどのお妾さんが居たようだ。我が家の隣のお婆さんは最近施設に入ってしまわれたが、お妾さんだったのは町内で公然だったし、生前君子とされた人にお妾さんが居たり、他界後に異母兄弟姉妹が出現したなんて例は身内を含め数限りない。政治家にも昔話なら隠し子の話は相当あるが、現代の政治家だって同じことだろう。

ことほど左様に、我が国では妻妾問題が事実と法的根拠に乖離があることは明らか。にも関わらず誰も問題視しないのは何故だろう?男だけの5人兄弟で育ったので、昔から異性問題には疎かった。大学に入学して上京したのが昭和34年、悪名高い売春防止法案が実質施行される当月だ。六畳一間に同居することになった次兄が色々心配してくれたが、女性問題もその一つ。ダンスを教えてくれたり、ガールフレンドを紹介してくれた。

亡き妻は日頃から「神様が別の形に作られたのだから、男女同権は信用できない。我が家は男女分権で行こう。」と提案してたので賛同していた。幸か不幸か家内生存中浮気問題で一騒動はあったが、第2夫人問題は起きなかった。娘二人の戸籍以外に子供は居ないが、娘たちは「結婚したけりゃお好きににどうぞ。」と言っている。もちろんそんな気力も能力もないが、そんなことが実現したら相続問題が発生するだろうに。

イスラム世界に姦淫の罰として石打の死刑があることは知っているが、世界最古の職業とされる売春行為の刑はあるのだろうか?考え出すとこの問題は相当根深い。

2021年8月16日月曜日

天命と革命

 昨日は「日本敗戦の日」と言う重大な日にも関わらずブログを休んでしまった。書きたいことは山程あるのに逆に何も書けなかった理由はよく分からない。あまりに酷い雨降りだったからかもしれない。雨も夏の夕立なら分かるが、この数日の雨は80年の人生で初めてと言えるほど異常な雨だ。先ずこの時期にしては寒い。時折山に行くので着るものを短時間で着替えるのは慣れているから良いようなもの、昼間から長袖を着て寝る時も長袖のパジャマに毛布にくるまるなんて、どう考えても異常だ。

ここ1年来の異常はコロナ禍だけで十分なのに天気までもこうでは。昔の人が異常気候に際して天子の交代を求めた気持ちが分かるような気がする。日本もマレーシアやニューヨーク市長のようにトップが交代するのも一つの手かもしれぬ。なんて昨日までは思っていたが、今朝になるとアフガンで本当の革命が起きたらしい。タリバンなんて奴ら、神学生と聞いたがバーミヤンの石仏を爆破したりしてとんでもない連中だ。

我が国で言えば昔の全学連の跳ね返り、あさま山荘事件を起こしたり凄惨なリンチ事件を起こした永田洋子一味みたいなものか、と思っていた。しかし一度は政権の座につくも、世界最強の軍事力を持つアメリカに駆逐されてしまった。と思いきあ、20年も経って息を吹き返したのだから、ボケ老人には図りしれない何かがありそうだ。

革命にはその中心に必ず核になる人物が存在するように思う。中国の毛沢東とかベトナムのホーチミンとかイランのホメイニとかソ連のスターリンとか、日本の西郷隆盛なんかもそうかも知れぬ。アフガンの場合その人物の顔は未だ見えない。こちらから見えないだけで、現地の人は皆知っているのかもしれぬ。同時にその人物が掲げる主義主張、これも重要だろう。近代の革命で比較的有名なのは筆頭が「共産主義」これも<所変われば品変わる>の例え通りで、大元ソ連のそれと中国やベトナムのそれは大分違うように思う。

イスラム教の教えは全く知らぬが、こっちだってイランとイラク、ましてやアフガンと来れば相当中身に違いはあるだろうし、20年もの間には解釈も大分変わってる可能性はあろう。昨日大統領府を乗っ取った連中がどんな思想を持ち込もうとしてるかは誰にも分かりはしない。願わくば婦人を余り無碍に扱わわないよう願いたいものだ。イスラム教は婦人が入信することを認めないのかもしれぬが、イランなんかは結構婦人が政権に参加してるようにも思うが、勘違いだろうか。

今度のアフガン政変は長い内戦の末ということもあり、血を見ることに革命側もうんざりしたのか、ベトナムのサイゴン陥落とは大分趣を異にして逃げ出す人間を深追いしないように見える。各国の大使館のがどうなってるか分からぬが、日本大使館員は逃げ出さず残っているとしたら、それはそれで評価しよう。

2021年8月14日土曜日

戦争の記憶

 子供の頃から「お盆が終われば山も海も行ってはいけません。」と言われたものだ。だから大勢の子どもたちが楽しみにしてたはずの夏休みの最終章だと思うが、何が天の怒りに触れたか知らぬが酷い天気になったものだ。多分大人たちの行いのせいだと思う。これじゃ近くにお墓があっても墓参りもままならないだろう。政府高官たちは、何も日本だけのことじゃないとうそぶいてると思うので、代わりに少し考えてみた。

昨日の観たテレビ(BS-TBS「報道1930」)で保阪正康氏が言っていた。どうも1940年生まれの我々世代は戦争を知る最後の世代と言うことになる。従って後世に先の戦争経験を歴史として伝える義務がある、とのこと。小生は先の戦争に関する実体験は殆ど無いに等しいので余り大層なことは言えない。しかし、日本人が近代史に関して無頓着なことは気になっているので、今日は少しそのことを書く。

昨日のテレビで、作家・作詞家として有名ななかにし礼氏の言葉「俺は政府に3度騙された」が紹介されていた。氏は保坂氏や小生より2歳年上、満州からの引揚者で、引き上げで苦労された経験は有名なところでもある。3度と言うのは、初めに満州には大きな夢があると政府から言われて行ってみると、これが大嘘。中国人地主を追い出して入植するのだから中国人から恨まれるのは当たり前。他にも多々あるようだが、省略する。

ここから先は番組の内容から少し離れて、番組から受けた印象を述べたい。先ずは、政府は戦争を始める前から国民にウソを付くことが当たり前であったこと。そして戦争の負けを終戦と言い換えて誤魔化し、言わば歴史を改竄して都合の悪いことが無かったことのように振る舞ってきた。テレビ出演者たちは誰もあからさまには言わなかったが、こんな政府のやり口は戦後76年経った現在でも何一つ変わっていないではないか。

それでも2度と戦争なんかするべきではないと思っている国民は決して少なくないと思う。しかし現在の政権、はアメリカの戦争であれば正義のためだから参加も已む無しとする方向に傾いているのは明らかだ。戦争は古来正義と悪との闘いである。しかし正義と悪は置かれた立場によって正反対になることも誰もが知っている。そして問題がややこしくなるのが「平和、平和の念仏だけで平和が保証されるなら誰も苦労はしない」と言う尤もらしい理屈。

これが一番厄介で、これを如何なる理屈で論破したら良いのか、ボケ老人には分からないのが残念なところだ。

2021年8月13日金曜日

お休みの合間に

 お盆休みの最中だから堅苦しい話題は避けたいような気もするが、重苦しい世相の中でなかなかそうもいかない。取り敢えず軽い話題から提供したい。帰省もままならない世相を逆手に取った庶民のギャグでお笑い頂こう。

〝菅話法〟とも言うべき言い回しの〝帰省強行ネタ

「中止の考えはない。強い警戒感を持って帰省に臨む」

「帰省開催は感染拡大の原因にはなっていない」

「バブル方式で帰省する。感染拡大の恐れはないと認識している」

「帰省を中止することは一番簡単なこと、楽なことだ。帰省に挑戦するのが国 民の役割だ」

「安心安全な帰省に向けて全力で取り組む」

「コロナに打ち勝った証として帰省する」

「(帰省は)今更やめられないという結論になった」

友人には川柳創作を趣味にして、大新聞にも取り上げられてる人もいるが、その才能が無いので孫崎享氏のメルマガからの引用させてもらった。全部で30件紹介されている。このブログは二重の著作権侵害かもしれないがご容赦願いたい。他にお薦めしたいのは映画鑑賞『パンケーキを毒見する』。これは今月2日のブログ紹介させて頂いた。上映館も徐々に増えているようだ。

1件だけマジな話。昨日のコロナ関係の報道から。テレビ朝日「羽鳥慎一モーニングショー」玉川徹氏が教えてくれた。昨日(8月12日)東京都の入院患者数が1人しか増えていない。コロナ関係の入院患者は用意されている病床に対して50%未満と報道されているが、実際のところはもう患者を受け入れらない訳だ。マスコミ報道から現場感覚は汲み取れないことを実感せざるを得ない。

2021年8月12日木曜日

紳士と現実主義

 明日からお盆、真夏の筈が気象情報は、全国的に来週にかけ梅雨末期と同じ大雨に注意を促している。お墓での先祖の供養は東京住まいを自分への言い訳にして先月済ませてもらった。ネットを見ると故郷長野もお花市が今年も中止と出ている。各町ごとであった盆踊りなんかも当然中止だろう。どこの家庭も寂しいお盆だ。ひとえにコロナ対策が中途半端な政治のせいと言わざるを得ない。

今朝の朝日新聞に宇都宮市の医師倉持仁氏が3日のテレビ番組で「菅義偉首相は至急、おやめになった方がいい」と発言し、反響を呼んだと書かれている。倉持氏はテレビで何度も観ていたが、この番組は観なかったようだ。でも気持ちはよく分かる。これで倉持先生のテレビ出演は益々機会が減るだろう。テレビも所詮は政府批判なんかまともに出来ない。どの局でもコロナの新規感染者関連情報は放送するが、自宅療養中死亡した人の累計は何故か発表しない。医療崩壊を強調するならそこだろうと思うのだが。

国外のことになるが、イギリスのBBCは流石だ。アフガニスタンのタリバン占領地域に記者を派遣して、タリバン指導者に直接インタービューしている。しかも内容が婦人の衣装問題とか、音楽を聞いていた男性を裸足にしてむち打ちながら追い回して気絶させた件とか結構厳しいものだ。指導者は勿論否定していたが、聞くこと自体相当な危険を伴うであろうことは容易に想像できる。外国の事情に疎いのでよくは知らぬが、イギリスは嘗てパックス・ブリタニカと世界に覇を唱えただけに国民が独特の世界観を持っているように思う。

月刊文藝春秋9月号の巻頭随筆で藤原正彦氏が次のように書いている。書き出しはワクチン接種率を高めた政策論だが、途中でこう述べた。「見習ってよいのは英国の現実主義である。ジョンソン首相はその申し子だ。彼は、当初、集団免疫を口にしていたが、現実を直視して豹変し、ワクチン開発に賭けたのである。彼は名だたる親中派でもあった。2019年には習近平主席の一帯一路への熱狂的支持を表明したほどだ。中略

それが2020年6月に香港国家安全維持法が制定されるや、中国の本性と言う現実に目覚めた。後略」藤原氏は現実主義は英国の伝統であって、ナポレオンのフランスが強くなればドイツやロシアと手を結び、ドイツが強大化するとふらんす、ロシアと、ロシアが脅威になったら日本とでも手を結んだ。国益のためには主義主張、原理原則、約束、正義には目をつむり、合法非合法を問わない戦略謀略をめぐらせる。と書いている。

紳士の国とは大分イメージが違うが、君子たる由縁かもしれぬ。今回のBBCの取材、小説「007」などを思い浮かべるとなる程と思わざるを得ない。

2021年8月11日水曜日

心すべきこと

 今日11日はカレンダーを見る限り、赤インクで日付が表示されているから本来は休日だったのだろう。と言うことは平日の筈だが、また両隣の車庫が空になった。早めの夏休みで別荘に出かけられたのだろう。町内の建設工事現場も大分静かなところを見ると作業現場も半分夏休みなのかもしれぬ。毎日が日曜日の身に休日は無関係としても、親しい友人が二人も新盆なのでなにか寂しいものがある。

午前中比較的早い時間帯に野暮用があって、都営大江戸線の蔵前駅から隅田川の厩橋を渡り、堤防に陽が遮られて涼しいので川沿いを蔵前橋手前まで往復することになった。隅田川の川風は心地良かったが、時間帯の関係か、釣り船も皆係留されたままで、行き交う船が全く無かったのも寂しさを誘った。都会の夏はこんなものなのかも知らぬが、昭和20年の夏でもないのに子供姿が見えず、大人たちも妙に黙りこくって下を見てる。全員スマホをいじってるせいだろうが、なにか変な感じだ。

池袋駅から大江戸線蔵前駅までは副都心線の東新宿駅で乗り換えると結構時間がかかる。「月刊文藝春秋」9月号を大分読むことが出来た。中に<四面楚歌の菅政権>なる特集があってフリージャーナリストの後藤謙次氏の”「裸の大様」に付けるクスリ”が非常に興味深い。曰く、強運に奢りすぎたということのようだ。先日書店を覗いていたら著者は記憶してないが「運も実力の内」と言うタイトルが目に入った。著者は外国人だったように記憶する。

「なるほどね」と思ったばかりだった。でもやっぱり奢ってはいけないのだろう。強運と言える程ではないが、運に比較的恵まれているので心しなければいけない。

2021年8月10日火曜日

オリンピック総括

 自民党の政治家は閉幕したオリンピックについて反省する言葉を公にすることは許されないようだ。従って昨日テレビBSフジ「プライムニュース」に出演した武見敬三 自民党新型コロナ対策本部長代理が「オリンピックをやって本当に良かったと思っています。」と語ったのは本音であろうとなかろうと仕方ないのかもしれぬ。しかし一緒に出演していた木村盛世 元厚生労働省医系技官 医師が「ウィルスを全滅させることは不可能です。しかしこのウィルスも10年後には単なる風邪程度になるでしょう。従ってコロナ禍の中でオリンピックを開催し、ウィルスと社会活動との調和に関する実験で成功を収めたと言えます。」と盛り上げたことには強い違和感を覚えた。

勿論同席していた野党議員からも反論があったが省略する。一般の市民がオリンピックを楽しみつつも、内心コロナ禍の拡大を心配していることは当然で、お盆の帰省には相変わらず相当なブレーキが掛かっている。オリンピックから感動を貰った人も多いだろうが、田舎のお年寄りはお盆のことのほうが気になるだろう。今年もまた子供や孫たちが帰省出来ないとなれば、その寂しさは想像に余りある。

誰にとっても家族以上の深い繋がりはあり得ない。「ただいま!」「おかえり!」或いは「よく来たね!」何気なく交わされる短い挨拶、これほど人の心を落ち着かせる会話はあるまい。遠来の人との間に生まれる絆やコロナ禍が10年後に克服されることも結構だが、人間としての基本的な何かが失われつつある現状を政府関係者は顧みない。国民との公約或いは国際公約を全く逸脱した大金の消費、敢えて言わして貰えば<ムダヅカイ>。

菅首相と小池都知事にIOCから贈られることが決まった(功労章)、果たしてこれは名誉なことなのか?ご両人は何とも面映いかも知らぬが、辞退すれば角が立つだろう。国民は鼻白むばかりだ。国際的興行師集団、マフィアとも揶揄されるIOCの実態がよく理解できた今回のオリンピック。国民の総括は次の総選挙で表明すべきだ。

2021年8月9日月曜日

暑気あたりかな

 昨日はそんなに暑くなかったが、夕方の散歩で変に疲れてしまった。池袋で食事をして普通だったら歩いて帰宅するのだが、どことはっきりしないが、なにか身体も気も重くて、帰りにバスに乗ってしまった。おかげで昨日の歩行数は5500歩程だった筈。何もかも面倒くさく、9時前には寝てしまった。そのせいで今朝はいつもより早く目が覚めた。ブラインドを上げて外を見たら夏らしい明るい陽射し。体調も昨日よりは少しましになるかと思ったが、朝飯を終わる頃に天気が一変、土砂降りになってしまった。

天気は台風が幾つも来ているので仕方ないが、これじゃ体調も良くなりそうにないなんて思いつつパソコン立ち上げると、真っ先に飛び込んできたのが高校以来親しかった友人の訃報。お互い歳が歳だから友人の訃報も仕方ないが、付き合ってた時元気だった人から先に逝くような気がしてならない。酷暑の中1日1万歩なんて下らぬ目標は却って身体に悪いと、虫が知らせてくれたかと思い始めている。

オリンピックで元気を貰ったりする人が多いようだが、幸か不幸か運動音痴下手のせいで余り興味が湧かない。開会式も閉会式も小1時間観ただけだし、競技を見続ける根気も無い。どの国の選手を見ても、国家お抱えの特殊な人達であることだけが共通項のようにも思える。オリンピックは平和の祭典、選手が目指すのはメダルの名誉だけ、とは表向きだけ。日本だって入賞選手には賞金を出しているし、外国だって似たようなことだろう。映画でよく観たローマ時代の剣闘士の物語(例えば『スパルタカス』)を思い出してならない。

若い少年少女がオリンピックアスリートを目指すことは悪いことではないが、子供の頃から目指したからと言っても誰もがなれるものではない。その時のフォローの仕方をどこでどうするか、親御さんたちは頭が痛いだろう。好きなことを好きなだけさせる、飽きるか諦めるかは本人の判断。我が家代々の伝統だ。

明日からは高校野球が始まるようだ。オリンピックの野球は無観客だったが、甲子園大会は「各代表校の生徒や保護者らは当該試合に限り、一、三塁内野席への入場を2千人をめどに可能とします。」と発表された。都道府県をまたぐ移動の自粛を呼びかけながら、これも随分中途半端だと思わざるを得ない。相変わらずコロナ禍は2の次だ。

2021年8月8日日曜日

政治井戸端談義

土曜の夜はいつものリモート談義。メンバー6人が1ヶ月ほど前から一人入院で欠け、5人になってしまったのが寂しいが相変わらず続けている。昨夜はオリンピック関連のゴルフの話で盛り上がったが、ゴルフと縁を切ってしまったので話になかなかついていけない。そうこうしているうちにコロナ禍に話題が移り政権批判になったのでやっと話に加わることが出来た。小生以外は政治的には自民党支持者が多いと思うが、彼等でさえ菅首相の出来の悪さには些かお手上げで、やはり1回は灸をすえる必要を感じてるようだ。

問題は受け皿となる野党側にあると思うが、肝心の野党共闘はどうなることやらだ。共産党が主張することは認めつつも「共産党」の党名だけで投票することが出来ない。何故彼等は党名を変更しないのかと言う友人もいたが、全く同感だ。共産主義の本家はロシアかもしれぬが、今世界には共産主義をうたってる国家は幾つかある。勿論中国もその一つだが、果たして中国が共産主義国家と言えるかどうかも疑わしい。てなことでは5人の意見が一致してたように思う。

菅政権が打ち出したスローガン「自助、共助、公助」もいつの間にか「自助、互助、公助」に変わったようだ。理由は知らぬが、共産党を連想するのを嫌ったなんてことはないかな?何れにしても「共産主義」の原理原則は知らぬし、そのバイブルとされる「資本論」も読んだことはない。勝手な解釈をでっち上げれば、昔からどこの国にも存在した地主と、彼にこき使われていた農奴の関係を絶ち、農奴を独立させる社会体制の確立を目指したのが「共産主義」ではなかろうか。

日本共産党の歴史も知らぬが、我が国で共産党が発足した時、日本にそんな大きな階級間格差があったとは思えない。どうもスタートからして勘違いがあるように思う。そのへんは徳田球一氏とか宮本顕治氏にでも聞かなきゃ分からないだろう。どうせ意味不明なら「自由民主」とか「立憲民主」とか「公明」なんて名前の方が余程スッキリしている。志位委員長さんや小池晃さんや同郷の田村智子さん等頭の良さそうな人が多数いるのだから、少し知恵を絞りなさいと応援しておく。

また話が急転するが、昨夜なにかの話で「日本は核武装すべきだ。」と言いだした友人が居た。確か「核兵器禁止条約」批准問題繋がりだった時だ。これにはびっくりしたが別の友人がすかさず反論してくれた。彼もバリバリ右なので核武装賛成かと思ったらそうではなかった。日本政府が主張する保有国と非保有国の間を取り持つなんて曖昧さは誰も認めない。核兵器保有禁止の立場を明確にした上で、アメリカであれ中露であれ、はっきり物を言うべきだと言い切った。ここも全く同感だったのでホッとした気分だった。 

2021年8月7日土曜日

一人飯

 昨夜早く寝たので今朝になって知ったが、昨夜8時過ぎに小田急線祖師谷付近の列車内で包丁を振り回す男が出現、大騒ぎになったらしい。次女親子が駅付近に住んでいるので見舞いの電話をした。聞くと大変だったらしい。パトカーやヘリで外が騒がしくなったと思ったら2階で寝ていた息子が降りてきて「大変なようだから、外に出ないように。」と言って戸締まりを見直してくれたそうだ。程なく隣の杉並区で犯人確保の情報が流れたが、結局寝たのが11時半とのこと。

「おかげで寝不足ですが、若い人の情報網は凄いと改めて感じた。」と言っていた。地元の幼稚園から高校に通った仲間同士のSNSの情報網があるらしい。それが現代の若者なんだろう。犯人も30歳台らしいが、これも若者の一人。未だ動機もはっきりしないが、孤独に耐えかねて気がおかしくなったとしても不思議はない。一方ではオリンピックで大騒ぎしながら、片方で市民に自粛を要請する矛盾した日本社会、気が触れる人間が出ないほうが不思議なくらいだ。

ずっと勉強嫌いで友だちと遊ぶことだけが楽しみで生きてきた身としては、頭がおかしくなりそうなのも事実。なんとか正気を保つために努力しなければならない。と言っても大したことは出来ない。生活を単純化して、昨日と同じことを今日も繰り返し、明日も今日と同じようにする以外ない。日常生活の中心はやはり食事だ。食事は毎日できるだけ3食摂るように努めている。特に朝食は必ず自分で作って自宅で食べている。時間もほぼ一定させて、これが日常生活の基本だ。

後の2食は外で摂ることが多いが、心がけるようにしているのは、出来るだけ多くの食材を摂ること。家内がよく言っていたのは「日に30種類の食品を口にするよう心掛けたい」であった。朝食は米味噌中心で野菜と肉や卵、それに小魚とおまじないとしてゴマともずく酢を必ず摂っているから10種強にはなっている。外食の2回でも出来るだけ多くの食材を口にするよう心がけたいが、毎日同じ店で同じものを注文とはいかない。

1日30種類の食材摂取は結構難しい。食い物以外に考えることが少ないから良いようなものだが、昼食った食事が何だったか思い出せないことだってある。ましてここ1年以上は常に一人飯、味気ないこと夥しい。科学的根拠は無いが、食事は楽しくなければ美味さも半減する。美味いと思って食えば栄養にもなるだろうが、味気なく食えば栄養価も半減するだろう。更なる問題は外食料金、家内が居て外食1食で済んだ頃はワンコインの昼飯が結構あったが、この頃では殆ど無いも同然。最近では700円台ですら珍しい。

昨日の夕飯は池袋東武百貨店の地下にあるカウンターのカレー屋サンマルコ。ここのハヤシライスが昔からのお気に入り。具はビーフと玉ねぎ、グリーンピースを4粒載せてくれる。ザワークラウトの小皿の他にトッピング4種(クラッシュドピーナッツ、レイズン、パイナップルの角切り、青菜野菜の細切れ)容器が目の前に置かれている。昨日は760円だが、一頃は600円を切っていたと思う。

2021年8月6日金曜日

読後感「上海にて」堀田善衛著

 書店でこの書を何気なく手にするまで、著者についての知識は全く無かった。敢えて言えば読みやすそうな本の薄さと価格の安さに(本体:580円+税)に惹かれただけのことだった。ところが、3日ほど掛けて通読し、大江健三郎氏の解説を読み終わると、なにか凄い本を読んだことに気が付き、すぐに読み直してしまった。

堀田善衛氏は1918年生まれ、慶應義塾文学部(仏文)出身で、終戦直後は評論家、小説家として有名だったらしい。wikiには「中国国民党宣伝部に徴用された経験をもとにした作品で作家デビューし、1951年に芥川賞受賞」とも記されている。受賞作品は「広場の孤独」。恐らく本書はそのネタ本とも言えるに違いない。

堀田氏は終戦直前1945年3月上海に渡り、8月の終戦を迎える。当然敗戦国民として国民政府に捕まり、そのまま国民党宣伝部に徴用され、翌1946年の12月釈放されて帰国する。そして日本の文壇デビューをして活躍を始め、1956年インド訪問を皮切りに諸外国を次々に訪問している。本書は1957年秋に中野重治氏、井上靖氏、本多秋五氏、山本健吉氏、十返肇氏、多田祐計氏と招かれて上海を訪れたことを書いた言わば随筆のようなものだ。

現代日本は、アジアの中で先進国と自他ともに認められる存在になっていることに疑いを持つ人はいないだろう。中国についても経済的には日本を凌ぎ、アメリカと肩を並べると世界的な大国となっていることも同じだ。台湾は中国の1国2制度と言う複雑な環境下にあり、日本では少し色眼鏡で見られているかもしれぬが、中国の文化圏であることは認めざるを得ない。

終戦を挟む1年9ヶ月を過ごした文学者が、11年ぶりに見た上海をどうのように見て感じたかである。終戦前後の混沌は大分落ち着いていたようだが、著者の受け止めは複雑だ。文中印象的な箇所が何箇所もある。著者が心配しているのは勿論国交の回復だ。しかし国交が回復できても、それが両国にとって真の友好に至るかどうかを憂慮している。何故か、両国の社会と文化があまりにも大きく異るからだ。

話が飛躍するが、最近の中国指導者習近平氏について、日本では彼が毛沢東のような独裁者になることを目指していると評論する向きが多い。彼等は毛沢東をどれほど知っているかが気になる。毛沢東は日本が負け、中国が勝ったことをどう受け止めたのか?著者堀田氏は中国の勝利を「惨勝」と称している。毛沢東の共産党軍が蒋介石の国民政府を台湾に追い落とし、中華人民共和国が成立したのは1945年の終戦から4年後、共産党結党以来28年後のことだ。

毛沢東が拘った開放とは何を意味したか?少なくても敗戦を終戦とし、後には戦犯が首相に就任し、何事も部分的な辻褄合わせで済ます日本人には考えにくい中国人指導者の大きなスケール感、そこを著者堀田氏は読者に問いかけていると思う。

2021年8月5日木曜日

万全の対策

 既に3日前の報道になるが、中国湖北省武漢市で1年3か月ぶりに新型コロナ感染者が7人確認されたと発表された。その時のテレビで報道では食料品売場が空になったスーパーの映像が出ていた。市民のロックダウンを恐れての予防行動だ。しかしロックダウンはなく、市政府は市民全員(約1200万人)のPCR検査の実施を発表したとのこと。その後の報道を待ったが、オリンピックが忙しいテレビ局にはその暇は無いようで、残念ながら何も無い。

武漢市は昨年の正月、新型コロナの発生源になったことで有名だが、その当時講じた対策も有名だ。中央の指示だったと思うが、真っ先に市の責任者(市長だったか医療保健担当者だったかは忘れた)を更迭した。そして全国から医療従事者の大動員を命令。上海から応援に駆けつけた医師の記録「武漢支援日記」(2020年11月24日読後感参照)に詳しいが、他にも1500人収容コロナ専用病棟を2棟を20日間くらいで完成させたことは広く世界に知られている。

これらの対策は、共産党1党支配の専制国家だから可能だったのかもしれない。日本は民主主義国家だから、そんな真似はできないとする人が多いように思う。しかし日本も、現在は一部地方に非常事態を宣言したりしている。しかも東京に限定して言えば、非常事態宣言は昨年の冬以来既に4度に亘り、今年に入ってからは非常事態でない時は僅かに1ヶ月だったか2ヶ月にも満たないと思う。更にご丁寧なことに非常事態の宣言や事態の延長が決まると、何故か首相閣下がテレビの前に出てきて演説をされる。

市民は聞き飽きてるが、出てくる時間がテレビのゴールデンタイムだから視聴率が高いに決まっている。小生も何度も観てしまった。首相の演説は既にパターン化していて、新型コロナウィルスの蔓延状況は危機的状態にあるので宣言を発出せざるを得ない。政府としては国民の生命を守り、皆さんに安心してもらうために万全の対策を講じます。に尽きる。

時々この中継現場にいる記者から「首相はご自分の責任をどう感じていますか?」とか「これが最後と断言できますか?」なんて質問が出ることもあるが、「対策に全力を尽くすのが私の責任と思っています。」くらいが関の山。万全の対策とは何ですか?と聞く記者は居ないが、もし聞かれたら首相は恐らく次のように答えるだろう。「それはこれから5大臣会合に諮った上、明日専門家会議で決定してもらいます。」

一人暮らしだから、家族が肺炎になって入院できず家族感染の心配をする必要もないが、我が人生はこの首相が率いる政府に委ねられているのが宿命である。余り有り難いとは思えなくなってきても仕方あるまい。

2021年8月4日水曜日

個人情報

 現役を退いて久しいのでビジネスではないが、現役時代から管理を任されているホームページが1件だけあった。あるNPOのもので迂闊にもその存在を忘れていた。無責任さには自分でも嫌になるが、そこの理事長さんからクレームを頂戴してしまった。「久しぶりに見ようと思ったら、次の警告<警告: 潜在的なセキュリティリスクあり>が表示されて見ることが出来なかった。早急になんとかしてくれ。」

理事長さんは理工系大学の元教授だ。念の為使用しているブラウザを確認させて頂くとFirefox。ご丁寧にこのように言ってくれたらしい「このサイトに訪問すると、攻撃者がパスワードやメールアドレス、クレジットカードの詳細な情報を盗み取ろうとする恐れがあります。」自分のパソコンでは問題なく見ることは出来るが、理事長が見られないのではどうにもならず問題だ。

ホームページを制作してもらった技術者に連絡すると次のような返事。「現在はSSL化が進み、URLは httpsで始まるものがほとんどになりました。当該ページはhttpで始まる形式で書かれています。しかしブラウザが自動的に判定して警告を表示する仕掛けになっているので、サーバーにSSL証明書なるものを発行する必要があります。サーバーを借りてる会社に相談して下さい。」と言われても益々分からない。その作業も結局技術者に依頼。手間賃は当然必要だ。

読者の皆さんも恐らく小生同様チンプンカンプンだと思う。一応解説を引用する。「SSL証明書の<SSL>とはSecure Sockets Layerの頭文字をとった略称です。Webサイトと、Webサイトを閲覧しているユーザーとのデータ通信を暗号化し、送受信させる仕組みのことをSSLと言います。」平たく言えば情報のやり取りを暗号化して行うシステムをサーバー側に付与すること。

パソコンは勿論だがスマホにしても地球上のどこかにあるサーバー(これもパソコンと同じと思ってほぼ間違いない)と絶えず情報を受発信してる訳だ。確かに考えれば恐ろしいことに違いない。別に電線に繋がる必要もなく、あらゆる個人情報がダダ漏れの状態でいるのだから。最近は量子コンピュータの出現で暗号化技術もかなり高度化されたとも聞くが、何れはそれもどこかの時点で突破されることだろう。

現段階で考えれば、少し高度な技術者がいれば小生が管理するサーバーに侵入することなど朝飯前のことだろう。詐欺師共が「あなたのパソコンに侵入してあなたの個人情報を全て解読しました。」なんて言いたくなるのも分かる気がする。デジタル庁が創設されて民間から500人程度の優秀な技術者を採用するとの報道もある。頑張ってくれとしか言いようがない。

2021年8月3日火曜日

遂に出た

お化けの話ではない。昨日政府は「新型コロナウイルス感染症への対応で感染者の多い地域では原則、入院対象者を重症患者や特に重症化リスクの高い人に絞り込み、入院しない人を原則自宅療養とすることを可能とする方針を公表した。」のことだ。現状でも感染者が急増している東京では、入院患者約3千人に対し、自宅で入院待機をしている患者が2万人近いことは先週来何度もマスコミで報じられている。

政府や都の関係者は、コロナ感染者用病床数は未だ5割近くの空きがあるとか、現在用意されている約6千の病床を更に増やす手当をしてるとか、能書きは色々言っても医療現場が危機的状態にあることは最早覆うべくもない。田崎史郎氏と言うボケ老人みたい自称政治記者が居て、彼は専ら政府のスポークスマンのようなことを職業と心得ている。その彼が昨日もテレビで次のよう言っていた。

「政府はこれまでコロナ対策として人流を抑えることと、飲食店での飲食の抑制の2本柱でやってきた。ところが西村担当大臣が飲食店に対し仕入先や金融機関から圧力を掛けさせようとしたことに強い反発が生じて、飲食店における飲食の抑制が効かなくなってきてしまいました。従ってもう打つ手は無いのです。政府の高官も、今月中旬には東京の新規感染者が8千人くらいにはなるだろうと言ってます。」

この老人の戯言はどうでもいいが、冒頭の公表は厚労省の正式発表である。先の大戦末期、日本の本土にアメリカ空軍機が飛来するようになった。その時政府は国民に何をしたか?「庭がある家は庭に防空壕を掘れ。そして空襲警報が鳴ったら家族全員そこに避難しろ。」と命じたのだ。冬場に野菜を埋ける穴蔵のような場所を用意しろとの命令、これが昭和20年夏の長野市でも隣組組織を通じて伝達され、在宅の女衆が大真面目で従った。

伯父が一人結核で在宅だったが、その騒ぎをせせら笑って観ていたことを思い出す。「そんなもので爆弾を防げるわけはなかろう。俺は入らないよ。」僅か5歳だったが「確かにそうかも知れない」と思ったものだ。今を去ること70数年前と今日のコロナ対策は何ら変わるところがない。要するに増え続ける新規感染者を入院させて治療に当たる対策を全く放棄して、感染したお前が悪いのだから往生しろと言ってるようなものだ。

予算が30兆円も余ってると言いながら、PCR検査の無料化を実現して検査を増やすこともないし、自治体の首長は夏休みの民族大移動を止めろと言っても、政府は手を拱いている。緊急事態は首都圏だけの問題ではなく、日本全体がその状況下にあることは分かっていないようだ。


2021年8月2日月曜日

側近

 子供の頃、他人を顔つきや身なりだけで判断してはいけないと言われたことがある。一方40歳過ぎたら自分の顔に責任を持つ必要があるとも言われる。人格が顔に滲み出るらしい。どちらが的を射てるかと言えば後者ではないだろうか。菅首相の三白眼はどうしても頂けない。医学的問題は知らぬが、日本では文学的に昔から犯罪者の目として扱われている。おまけに首相は喋り方が暗すぎる。首相に限ったことでも無さそうだが、政府高官には質問にまともな応答が出来ず、しばしば質問者に恫喝的な口調が出てしまうのも気になるところだ。

表に出ている政府高官は、このように些細なことでも非難を受けるが、昨日観た映画「パンケーキを毒味する」によると、安倍政権から菅政権を裏で支えている側近、代表格が警察官僚の杉田和博氏に北村滋氏。もう一人が国土交通省出身の和泉洋人氏。この3人がガッチリと全官庁の人事権を握って霞が関全体に睨みを効かせているとのこと。更にはマスコミに対しても裏で相当な圧力を加えたり、公安警察を通じて個人スキャンダルを収集して、いざという時はそれで恫喝をしたりしてるようだ。

それをまともに食らったのが前文科事務次官の前川喜平氏であることは有名で、映画でも出演して実相を語っていた。首相ともなれば忙しい身だろうから側近を多く抱えて頼らざるを得ないことはある程度理解できる。しかし個人スキャンダルを利用して都合の悪い人間を攻撃するやり方は如何ものだろう?自分もやられているのだから当然だろう、てな考えかもしれぬが、一昔前の名官房長官後藤田正晴氏も警察官僚の出身。彼も同じような行為に及んでいただろうか?

後藤田氏の姿を生前にあるマスコミ人の引退記念パーティーで見かけたことがある。いかにも好々爺といった風情で多くの人と会話していたし、演説を聞いても非常に穏やかなものだったことを記憶している。引き換え先に上げた3人の側近連中、彼等の肉声はマスコミにもめったに登場しない。年齢的に考えても、能力的にも5代将軍綱吉以上の権力者になった柳沢吉保のようにはならないだろうが、首相以上に陰に籠もった存在だけに不気味ではある。

最後に、他人の面構えで悪口を書いたのでお前はどうだと言われそうだ。己の顔は心の鏡、毎朝他人と逢う前にシゲシゲ顔を眺めて、できるだけ他人を不愉快にさせないよう努力はしている。それと大切なことは他人をジロジロ見ないことだ。昔は電車の中でいきなり「なにか文句があるか!}とケンカを売られたこともある。子供の頃から好奇心が強かったこともあり、知らず識らずに他人を見つめたりしていたのだろう。

2021年8月1日日曜日

映画鑑賞

 昨日から気象予報が警報を発していたが、今日の暑さは只者じゃない。昼過ぎに池袋から帰るのに地下鉄を利用してしまった。千川駅から自宅まで、僅か10分ほど歩くだけだが、それでも汗が吹き出す始末。オリンピックで今日どんな競技があるか知らぬが、選手が文句を言う気持ちが分かる。午前中から池袋に行ったのは友人が薦めてくれた映画を観るため。

観たのは「パンケーキを毒味する」10時50分開演のところ30分ほど前に劇場に着くと既に30人近い列ができていた。都内での上映館は今の所2館だけのようだ。上映開始時刻には170席ほどがほぼ満席状態となっていた。前評判は相当高いと見える。内容は菅首相を菅首相を“イジる”一種のドキュメンタリー。テレビ番組制作では老舗のテレビマンユニオン社の作品。製作者も監督も知らない人だが面白かった。

菅氏や前任者の安倍氏に関しては大体知っているつもりでいたが、なるほどそういうことかと思い知ったことも何点かある。この映画が示唆してるのは、菅氏が相当巧みに官房機密費を使っていること。安倍氏が所属する自民党派閥の清和会グループはもともと自民党内で権力の傍流であった。故に安倍氏や菅氏には古い権力者たちに対する復讐心があるとの説だ。これが当たっているかどうか分からないが、そんな見方もできるのだろう。

何れにせよ政治が一般市民から何となく遠のいた状態にある現在、こんな映画が市民の関心を呼び起こすことに繋がればいいと思うが、所詮都内で2館だけの上映では仕方無さそうだ。マスコミの力が必要だが、マスコミがいかにも頼りないのが残念なことだ。映画の中で指摘されていることだが、2流の政治家を2流の官僚(特に警察官僚)が支える構造の日本の現在、行く末が益々心配になった。